日誌

榎本校長のつぶやき

福、呼び込みたいですか?

 今日は節分ですね。節分といえば普通は2月3日のことを指しますが、もともとは季節の始まりである立春(2月4日頃)・立夏(5月5日頃)・立秋(8月7日頃)・立冬(11月7日頃)の前日を指す言葉です。節分は、季節を分けるという意味でもあるんですね。節分は、旧暦の立春が新年であったため、その前の日に邪気を払う目的で始まったのだそうです。 年の変わり目に邪気を払い、1年の無病息災を願って豆まきをしたり、恵方巻やイワシを食べたりするのが風習として今も残っているのです。

 私が子どものころは、節分には雪が降ることが多かった記憶がありますが、温暖化のせいなのか雪自体が最近は降りませんね。今日は「のり巻きの日」(1987制定)「巻きずしの日」(2011制定)でもあるそうですが、節分と「恵方巻」がセットになっているようですね。バレンタインデーやホワイトデー、ハロウィン、「いい夫婦の日」「孫の日」などと同様に、業界の戦略がまんまと当たったようです。恵方巻きは、江戸時代から明治時代にかけての大阪で、商売繁盛を祈ったりしたのが発祥といわれています。節分の日に巻寿司を恵方(その年の縁起のよい方向)に向かって丸かぶりすると幸福が訪れると言われていることから記念日を制定しました。1989年に、某コンビニエンスチェーンが広島県で太巻きを売りだした際に、「恵方巻き」と名前をつけ、販売を始めたというのが、全国に広まるきっかけだったようです。私の実感としては、我が家で恵方巻を食べるようになったのは、ここ10年くらいからだったような気がしますが、正確にはわかりません。ここ数年、帰宅時に恵方巻難民になって買うのに苦労していますが、今年は買うかどうか悩んでいます。

 皆さんの家では、豆まきをしているでしょうか。我が家では、毎年4人で豆まきをしています。もう27年目になります。鬼役は私で、鬼のお面をかぶって豆をぶつけられて玄関とリビングから追い出されています。「鬼は外、鬼は外、福は内」と豆(煎った大豆)をまいて、邪気を祓った後に、年齢の数だけ豆を食べて、1年間の幸せを祈る行事ですが、さすがに60個の味付けのない豆を食べるのは、きついですね。 豆には米と同じようにエネルギー源として霊力が宿っていると考えられていたから、食べるようです。

 これからどんどんAIが発達して世の中が変化しても、日本の伝統行事にはどんな意味があるかを知ることは、大切なことだと思います。国際化とかグローバル化とか言われるようになって久しいですが、自国のことをよく知っていることが前提なのを忘れないでください。鬼についても書きたかったのですが、字数が増えてしまったので、別の機会にします。

おわれて見たのは?

 今日は「おんぶの日」だそうです。昔の写真を見ると、赤ん坊の時に親におんぶされているものがありましたが、記憶にはありません。自分の娘二人もおんぶした記憶がなく、抱っこでした。あとは肩車ですね。おんぶというと、世界的に有名な日本のテレビドラマ「おしん」が頭に浮かびます。昔は赤ちゃんをおんぶして家事や仕事をしている女性が多かったですね。今は抱っこのほうが顔が見られて安心なのかもしれません。

 唱歌「赤とんぼ」の歌詞に「おわれてみたのはいつの日か」とありますが、小学校の時は「追われて」と勘違いしていて、「赤とんぼの大群に追われて夕日を見たのか」ととんでもないバカな解釈をしていました。「背中に負われて」つまり「おんぶされて」が正しいわけです。歌詞の意味を間違えていることって少なくないと思いますが、皆さんはどうですか。日本語には、同音異義語がたくさんありますので、それも原因の一つですね。日本には、ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字・外来語とたくさんあって難しいから、全部ローマ字にしようという動きが明治以後にあり、日本語の表記法として正式に採用しようとする「国字ローマ字化運動」と呼ばれました。そんなことになったら、とんでもなく不便になったと思います。豊かな日本文化を形成している土台は日本語ですので、多様な表現がなくなってしまうところでした。例えば「私」「わたし」「ワタシ」で同じ意味の言葉なのにニュアンスが違うので使われる場面も違ってきます。

 「おんぶ」の話から逸れてしまいましたが、「おんぶに抱っこ」で「他人の好意に甘えて、迷惑をも顧みずに頼りきること」を意味します。される側でなく、する側になりたいものですが、人生は帳尻が合うようにできているので、いつかはされる側になる可能性が高いです。人を頼れることも大事ですが、自分でできることを増やす努力はしていきましょう。

ロボット考(後編)

 さて、今日は昨日の続きということで、現実のロボットと今後のロボットについて書きたいと思います。現在、身近なところでロボットというと、SONYのペット型ロボットaibo、ホンダのASIMO、ソフトバンクのPepper、お掃除ロボットのルンバなどが有名ですね。自動車業界を筆頭に工業用ロボットは、日本全国で活躍しています。スバルの工場見学で見た人も多いと思います。今は、調理用ロボットの開発も進んでいて、近い将来、自宅でロボットが料理を作ってくれる日も来そうです。介護用ロボットも開発が進んでいます。介護は体力勝負で腰を痛めやすいので、少ない力で人を移動できるパワースーツの開発が行われていますが、まだ実用化には課題があるようです。家電がしゃべるようになって久しいですが、翻訳機の進化も著しいので世界中に旅しても、人間同士のコミュニケーションだけでなくロボットとの意思疎通もできるようになるのでしょう。ここまでだとロボットの発達でバラ色の未来が広がっているように思われますが、実は大きな問題もあるようです。SF作家アイザック・モシエルによって書かれた「ロボット三原則」というものがあります。それは、

第1条:ロボットは人間に危害を与えてはならない。 ...

第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。 ...

第3条:ロボットは前掲第1条及び第2条に反する恐れがない限り、自己を守らなければならない。というものです。

石ノ森章太郎先生の「人造人間キカイダー」では、機械が自らの意志で善悪を判別し、その場において最善の行動をとる事を可能とする良心回路が組み込まれていました。それが不完全だったためにキカイダーは苦しむわけですが、より人間に近いわけです。ターミネーターなどでは未来の地球で人間とロボットの戦争が描かれています。「ロボット三原則」に則ってロボットが作られていれば、そんなことにはならないはずですが、兵器としてロボットを作るようになれば、原則は無視されるのは、火を見るよりも明らかです。

 現在、自動車の自動運転技術が進んで、テレビで盛んに宣伝されていますが、完全自動運転には重大な障壁があるようです。以前に倫理に関するもので「トロッコ問題」について書きました。暴走トロッコをポイント切り替えで、5人と一人のどちらを助けるかの判断です。これと本質的には一緒ですが、自動運転の車に対向車が迫り、ハンドルを切らねば正面衝突するシチュエーションで、右には幼稚園児、左にはお年寄りがいた場合、判断を機械に委ねられるのかという問題です。もちろん、残酷ですが年齢の若いほうを助けるというふうにプログラミングされているとしても、実際の年齢はわかりませんし、他人か自分の身内かという選択も考えられます。機械に判断を委ねると、機械を作ったメーカーに損害賠償が求められることになってしまうので、最後の判断は人間がしなくてはならないようにセッティングされると考えられます。ですから、車の人工知能から「どちらによけますか?」と聞かれて躊躇しているうちに正面衝突して自分が死ぬということもありえます。ロボットが発達して、人間が肉体労働から解放されて筋力が衰えたため、外骨格となるようなスーツを人類が着ている未来を描いたSFがありましたが、考える、判断するということまで機械に委ねるようになると人間の存在価値はどうなるのでしょうか。「人間は考える葦である」とパスカルは言いましたが、人間が人間であるために、どんなにロボットが日常生活に入ってこようとも、自分で考える力というのを培う努力を怠ってはいけないと思います。皆さんも、本校での生活中はもちろん、卒業後も「思考・判断・表現力」を磨き続ける努力をしてください。

ロボット考(前編)

 今日は、先日見たユーチューブのロボット解説が非常にマニアックながらも面白く、考えさせられる内容でしたので、ロボットについて書きたいと思います。私もロボットものは好きなので、あまり長くならないように注意します。まず、ロボットの定義を調べたのですが、明確にはわかりませんでした。語源はチェコスロバキアの戯曲にあります。日本で実写やアニメで有名なロボットと言えば、「鉄腕アトム」「ドラえもん」「ジャイアントロボ」「マジンガーZ」「ゲッターロボ」「機動戦士ガンダム」などです。この中では、「鉄腕アトム」が人工知能と原子力エネルギーで動き、非常に人間に近いため、異質です。「ドラえもん」も自分の意思で動いているので同じです。他のロボットは人間が操縦するものです。「ジャイアントロボ」は腕時計型の命令装置で、操縦します。似たものに「鉄人28号」がありますが、こちらは操縦桿が3本ついた装置で操縦します。(これだけでどうやって複雑な動きができるかは不明です)「マジンガーZ」「ゲッターロボ」「機動戦士ガンダム」は人間がロボットに乗り込んで操縦します。「マジンガーZ」は、パイルダーという操縦機が頭に合体することで操縦できるようになります。「ゲッターロボ」は3台のパーツが合体することで3種類のロボットに変形し、3人で協力して操縦します。「機動戦士ガンダム」は、身体の内部で操縦します。(これらの巨大ロボットは、実際には、操縦するとロボットの上下動が大きすぎて酔ってしまって操縦不能と考えられていますが、何か対策を立てているのでしょう。)ガンダムとエヴァンゲリオンが、ロボットかどうかは賛否が分かれるようですが、人造人間(アンドロイド)は基本的に機械100%なのでロボットであり、生体部品を使っていてもロボットみたいですね。改造人間(サイボーグ)は、ヒトの身体の一部を機械や別のパーツに置き換えたモノで、基本的には人間として分類されるようです。仮面ライダーやサイボーグ009は、人間に分類されるのですね。ロボットは、二つに大きく分けられると思います。一つは、自分の意思をもち、人間のように経験を積み進化していくもの、もう一つは学習能力はあるが、基本的には人間が命令や操縦をしないと動かないものです。短くしようとしたのに、まだ本題に入れません。現実のロボットと問題点については、明日のブログに書きます。

勝負の日まで伸びる!

 今日は、第2回学校評議員会が午後にありました。学校評価制度に基づき、保護者代表、地域代表、地域の中学校長、同窓生代表、大学等有識者代表の5名の学校評議員の方々に学校の教育活動について知っていただき、改善意見等をいただくものです。コロナ以後は、なかなか学校行事を実際に見ていただく機会がなく、書類上での評価になってしまい残念に思っています。昨年6月の第1回目では、本校の教育活動についての説明と施設見学・授業参観をしていただきました。今回は、本校の取組の成果と課題について説明した後、質問と御意見、御感想をいただき、生徒会長(男子)と副会長(女子)と懇談していただきました。主体的に取り組むことの大切さや、先生と生徒とのコミュニケーションがよくとれていること、男女の格差解消と協働の大切さ、ICTの活用も必要だが、やはり対面授業がよいのでは、などの御意見をいただきました。生徒代表の二人は、大変緊張している様子でしたが、質問に一生懸命答えていました。「小中学校や他の高校と比較して、本校の自慢は何ですか?」と問われて、二人とも「男女の仲の良さ」と答え、同窓生代表の方も昔から男女の仲はよかったとおっしゃっていました。また、「高校生になって以前と変わったことはありますか?」という質問には「忙しくなって家族と過ごす時間が減りました」と二人とも答えると、「勉強をがんばっていて素晴らしいですね」とお褒めの言葉をいただきました。校則やみらい学に関する質問にも、しっかり答えていました。お二人ともお疲れさまでした。ありがとうございました。

 同窓生代表の方から、お子さんが先生に「現役は共通テストまで伸びるから頑張れ」と言われて頑張ったことや、大学見学に友達から誘われて研究室に行き、それが志望学部を決めるきっかけになったことなどの話を伺いました。在校生の皆さん、憧れでもいいので、ぜひ早めに大学見学に行ってモチベーションを高めてください。それと、現役生は、特に夏前まで部活を頑張っていた生徒は、後期試験まで伸びますから、最後まで気持ちを切らさず頑張ってください。国枝さんのように、鏡の前で言いましょう。「俺(私)は、勝負の日まで伸びる!」