日誌

いのちの日

 今日で、東日本大震災が起こってから13年が経過しました。屋上の日の丸が半旗となっていることに気付いた人はいたでしょうか。生徒の皆さんは、当時3~5歳だったでしょうから地震のことをよく覚えていない人も多いかもしれません。私は震災時、総合教育センターで働いており、8階建てのセンターは上の階ほど被害が出て、家庭科室や理科室で食器や実験機器が壊れ、水槽の水が揺れで飛び出て水浸しになりました。全員が外に避難して建物を見上げると、揺れのためほとんどの窓が全開しており、揺れの大きさを物語っていました。その後は計画停電で信号機が点いていない道路を恐る恐る通勤し、石油ストーブで暖をとり、カセットコンロで料理するといった日々が続きました。当時の津波の動画や被害状況を伝えるニュースなど、まだ記憶に生々しく残っています。

 今日3月11日は、「災害時医療を考える会」によって「いのちの日」として記念日に制定されています。東日本大震災では多くの命が失われたことから、命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えることが目的だそうです。9月1日が関東大震災発生に関連して「防災の日・防災用品点検の日」として防災訓練が行われるように、3月11日には健康、医療、災害時の体制などを考える機会を設けたいとの思いから記念日としたそうです。12月1日も「いのちの日」ですが、こちらは厚生労働省が自殺予防活動の一環として制定した記念日です。

 今日のブログの内容に関わるものとして、私がストックしてある言葉から一つ紹介します。

『なにか嫌なこと、困難なことに出くわした時、その最良の解決方法は、それらに「向き合う」ことしかありません。良寛さんの言葉に「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」というのがあります。災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかないという意味の言葉です。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかなく、そのことを「災難」としてしか捉えることができないならば、どこまでもその不運を嘆いて生きて行くしかありません。子供を亡くし悲嘆にくれる友人に対しそのことに一切触れることなく、「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」という仏教の教えを語ることで励ましました。』

 皆さんは、テレビで災害時に外国の人は泣き叫んでいる人が多いのに対して、日本人は取り乱さずにいる人が多いのを見たことがありますか。この理由として、自然災害が多い日本で、日本人は理不尽にも降りかかる災害を人間の力では対抗できないもの、仕方ないものとして納得しようとしてきたことが考えられます。仏教の影響で日本人には「すべてのものは変化し消滅し、永遠のものはない」という無常観が備わっています。人間の力ではどうにもならないことに対して順応して逆らわず生きていこうという意識と無常観とが結びついて,日本人独特の諦観が生まれたのではないでしょうか。心の安定を図る防衛機制なのかもしれません。いずれにせよ、平和に暮らすために自分たちにできることはやっていきましょう。