日誌

とこしえの0(ゼロ)

 1939年7月6日、零式艦上戦闘機の試作機の試験飛行が始まったことから、今日は「ゼロ戦の日」だそうです。零戦の設計者である堀越二郎をモデルにした映画として、2013年に公開されたスタジオジブリの『風立ちぬ』がありますが、皆さんはご覧になりましたか?私は、小学生のころゼロ戦をはじめとする戦闘機や大和などの戦艦、戦車、潜水艦などのプラモデルを作るのが好きでした。かっこいいと思っていましたが、自国を守る=敵をやっつける(殺す)機械なんですよね。身近に戦争がないので実感はわきませんが、カズレーザーの体験入隊などの番組で自衛隊の演習やブルーインパルスの飛行などを見て、「けしからん」ではなく「かっこいい、すごい」と思ってしまう自分がいます。兵器にも兵隊にも莫大なお金がかかっていますが、ロシアのように使わないでほしいものです。

 零式艦上戦闘機は、ゼロ戦の略称で知られていて、その性能と日本人パイロットの優秀さから恐れられ、敵パイロットから「ゼロファイター(Zero Fighter)」と呼ばれました。「小回りが利き、飛行距離の長い戦闘機を」という海軍の要求で堀越二郎が設計し、時速533km、航続距離3,500kmでした。しかし、速度や航続距離、旋回能力のために軽さが求められたため、防弾装備は優先順位が低くなってしまったようです。1940年の中国戦線から実戦に投入され、第二次大戦中に1万機以上が生産されました。戦争末期の1944年には、最初の神風特別攻撃隊に零戦を改修したものが使われました。科学者や技術者は、自分が作ったものが戦争によって大勢の人間を殺すことになることは仕方がないと思っていたのでしょうか。自分が作らなくても誰かが作ってしまうなら、自分が作ろうと思ったのでしょうか。原爆を作ったオッペンハイマーは、戦後原爆の使用に関して「科学者(物理学者)は罪を知った」との言葉を残しています。戦争が科学技術の進歩を促したのは、歴史上の事実ですが、科学者の探究欲求というものは倫理観では抑えきれないものなのでしょうか。これから科学技術ととともに医学も同時に進歩していきますが、医学も人体実験や臓器売買など非合法なことが行われて発展していくのでしょうか。これから先、正解のない世界で、人類はどのような答えを出していくのか。人任せにせず、考えていきしょう。

※当時の日本の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていました。そのため零戦の「零式」の名称は、採用された1940年が皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であることからつけられました。(日本は紀元前660年に神武天皇が即位したとし、この年を皇紀元年としました。)