日誌

俺たちの旅

 1689年5月16日に、松尾芭蕉は江戸を立ち、東北・北陸を旅しました。『おくのほそ道』(奥の細道)は、全行程約600里(約2400km)に及ぶ徒歩による旅行記です。そんなことから今日は「旅の日」だそうです。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という冒頭部分は有名ですね。意味がわからない人は、すぐ調べましょう。芭蕉の生前最後の句であるとされる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」も有名です。旅というと、皆さんはどんなイメージをもつでしょうか。人生は、よく旅に例えられますが、様々な人との出会いがあり、楽しいことも辛いこともあります。「かわいい子には旅をさせよ」は、独り立ちするためには世間でもまれる必要があるという親心からでた言葉ですね。NHKの「小さな旅」が、ほのぼのとしつつも何か胸を締め付けられるような寂しさを感じるのはテーマ曲のせいでしょうか。「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」では、壮大な宇宙の旅が描かれています。旅の目的は何だったでしょうか。旅は一人でするもの、旅行は複数でするものというイメージがありますが、皆さんはどうですか。1978年に「いい日旅立ち」という歌を、山口百恵さんが歌ってJRのCMに使われてヒットしましたが、この旅も一人です。
 とんちの一休さんでお馴染みの一休宗純和尚の句に、「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」というものがあります。直訳すると「正月に飾る門松は、あの世までの旅中の私たちの道標である。正月を迎えるということは死に一歩近づくということだ。正月の何がめでたいものか」となるでしょうか。この句を通して、一休さんは何が言いたかったのでしょうか。「私たちは、いつ死ぬかわからないからこそ、明日死んだとしても悔いのないよう、今この瞬間瞬間を大切に一所懸命に精一杯生きようではないか」こんな感じに解釈できるかもしれません。戦乱や疫病などで、現在の安心安全な日本と比べものにならない時代ですので、なおさらでしょう。
 つらつらと旅について思いつくことを書き連ねてきましたが、最後に1日の旅のあとに起こったことの話を紹介します。
「今している勉強は、何の役に立つのか」という疑問をもったことはありませんか。次の物語を読んで考えてみてください。
 ある晩、遊牧民の群れが夜を過ごすための支度をしていました。すると突然あたりが厳かな光に包まれ、ついに天の声が聞こえてきたのです。「できるだけたくさんの小石を拾いなさい。その小石を袋に入れ、一日旅をするがよい。明日の夜になって、お前たちは喜び、また悲しむであろう」人々は失望と怒りを口にしました。神から大いなる啓示が下されると思っていたからです。ところが与えられたのは、小石を拾うというつまらない、彼らにとってはわけのわからない作業だけでした。それでも、人々はぶつぶつ言いながら、いくつかの小石を拾って袋に入れました。聖なる方の神々しさが、まだあたりに残っていたからでした。人々は一日旅をし、夜になりました。野営を張りながら小石のことを思い出し、袋から取り出してみたのです。すると、どの小石もひとつ残らずダイヤモンドになっていたのです。人々は、小石がダイヤモンドに変わったことに喜び、もっと小石を拾ってこなかったことを悲しみました」(『こころのチキンスープ 魔法の小石』ダイヤモンド社より)
小石とダイヤモンドは何を比喩しているのでしょうか。皆さんが、自分のこれからの人生で役に立たないと思いながら勉強していることがあると思いますが、そんな勉強によって何が身につくのか考えてみてください。