日誌

「真善美」と「誠明健」

 自分が何者なのかを考える一つの指針に「真善美」があるといいます。〈真〉は、自分は何を信じるのか、〈善〉は、何がよいことだと思うのか、〈美〉は、何を美しいと感じるのか、ということです。あなたの「真善美」は何ですか。『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』は、フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画の作品名です。彼は、故郷のフランスよりも素朴で単純な生活を求めて、1891年にタヒチ島に渡り、そこでこの絵画を描き上げました。素朴で根源的な疑問ですが、考えることがばかばかしいと思うか、それとも答えは出ないけれどもとことん考えてみようと思うか。皆さんは、どちらですか。「美しさ」と言えば、ブルーハーツの『リンダリンダ』を思い出します。その冒頭の歌詞は「ドブネズミみたいに 美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから」でした。考えれば考えるほど、絶対的な「真実」や「善」や「美」などないと思い至ります。人それぞれみんな答えが違うので、自分がどんな人間なのかを知る根拠になります。尾崎豊は『15の夜』で「自分の存在が何なのかさえわからず震えている15の夜」と歌いましたが、誰にもわからないことだと思います。一生懸命生きたら、死ぬ間際にわかることかもしれません。自分が何者かを考える材料に「誠明健」はどうでしょう。一般に定義されている意味ではなく、自分はどう解釈するのか。生徒の皆さんなら、「誠明健はそれぞれどんな意味なのか、自分なりに説明してください」と言われたら、どんな説明をしますか。