日誌

幸せの黄色い・・・

 先日の日曜日、久しぶりに天気がよかったので庭の芝刈りと除草をしました。3センチくらいの赤ちゃんだったカマキリが、10センチを超えるくらい大きくなって、会いに来てくれました。涼しくなったので、そのうちトカゲも塀の上に出てきてくれるでしょう。9月になって咲いたひまわりは、少し花びらが落ちてしまったものの、まだ咲いています。春から夏を過ぎて咲いてくれているのが黄色のバラです。赤のバラは5月で終わってしまいましたが、黄色のバラは、まだつぼみをつけて咲き続けています。朝に余裕があれば、庭に出て花に水をやり、玄関の花にも水をやれますが、余裕がないと庭はいいとしても玄関の花はすぐにしおれてしまいます。夏場は特にすぐです。帰ってきて、しおれているのを見て、すぐ水をやりますが、手遅れの場合もあります。忙しくても花に水をやり、咲き具合を見るくらいの余裕はもちたいものです。みなさんは、通学途中で咲いている花を見る余裕はありますか。私は、昔担任をしていた時に、一輪挿しを黒板の横に付けて、花を飾っていた時がありました。高校の教室は、小学校に比べると寂しいので掲示物等にも工夫していました。花の話題で思い出した話を紹介します。
 ある中学校の校長先生が初任者への課題として「小さな花瓶(一輪挿し)に花を生けて、常にそれを絶やさないこと」を課しました。条件は、生ける花は学校の敷地内から探すこと。意図は、①校地内の花を探すことで、生徒の色々な姿が見えてくること。たばこの吸い殻を発見するかもしれないし、校舎の裏で集まって秘密の話をしているかもしれない。教室と職員室の往復だけで終わらずに、動くことで発見する大切さを学んで欲しかったのです。②生けられた花が教員の気持ちを映す鏡となること。枯れたままいつまでも花瓶に残っている花は、何らかの援助を求めているサインと受け止めて助言を心掛けました。③花瓶から教師の在り方を学ぶこと。花瓶は花が生けられてはじめてその役目を果たします。花を引き立てることに花瓶の使命があり、花を忘れて自らを主張することは花瓶の本領ではありません。当然ながら花は生徒です。