日誌

うちの家族はみんなが悪い

 どこで読んだか忘れましたが、こんな話がありました。
 今日私が学校から帰ると、お母さんが「お兄ちゃんの机を拭いていて金魚鉢を落として割ってしまった」といいました。 するとお兄ちゃんは「僕が端っこに置いておいたから、僕が悪かった」といいました。でも私は思い出しました。昨日おにいちゃんが端っこに置いたとき私は「危ないな」と思ったのにそれを言わなかったから私が悪かったといいました。夜、帰ってきてそれを聴いたお父さんは「いや、お父さんが金魚鉢を買うとき、丸いほうでなく四角いほうにすればよかったなあ。お父さんが悪かった」といいました。そしてみんなが笑いました。うちはいつもこうなんです。うちの家はいつもみんなが悪いのです。

 この話を読んで、あなたはどう思いましたか。「気持ち悪い」「偽善的」と感じましたか。「みんな、人のせいにしなくてすごい」「お互いに思いやりがある」と思いましたか。よく日本人は「すみません」を連発する民族だと外国人には不思議がられるようですが、この話は日本人の国民性を大袈裟に表現しているのかもしれません。すべての家族がこんなだったら、「叱る」「怒る」状況は家庭にはなくなるのでしょうね、

 これと似た日本人の国民性を表す話として榎本博明(MP人間科学研究所代表)によるもので、『欧米などの「自己中心の文化」では、コミュニケーション能力は「相手を説得するための手段」であるのに対して「間柄の文化」の日本では、「よい関係を築くための手段」となっており、また、「対話」も欧米社会では「自分の意見を押し通すための手段」であるのに対して、日本社会では「相手と調和して落としどころを探るためのものである』というものがあります。日本は、聖徳太子の十七条の憲法の第1条にある「和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」の文化が根付いている国なのでしょう。