日誌

わからないを理解する

 今日は、2月26日発行の日本教育新聞のコラム「提言」の内容に共感したので、それについて書きたいと思います。以下に提言の内容を要約しました。

 授業を見ていて、教師が発した言葉を子どもがきちんと分かっているとは言えないケースも多々あり、子どもの声を聞くべきだとつくづく感じる。例をいくつかあげると、教師の「この方法についてまとめてください」という指示に対して、「まとめるってどういうこと」というつぶやきがチャットに書き込まれた。「式を簡単にしなさい」では「式を展開したら簡単にならないと思う」とつぶやかれる。確率で「同様に確からしい」は「確かなのか、確かでないのかどっち?」と質問される。「60は100の0.6にあたる」という説明を聞いて、「あたるって、どこにあたるの?」と友達に聞く。教師は、子どもが日頃使わない用語を伝えるときは、より注意すべきだ。対話的学習が単に自分の考えを発表しあっているだけの場合が少なくない。「子どもたちは先生方が望んでいる『対話』とはどういうことかわかっていないと思う。集会時に望ましい『対話』をしている劇を先生方でやって、子どもたちにしっかりしたイメージをもたせることで、話し合いの質は必ず変わってくると思う。

 私が以前に、式典や集会等で話す時に、言葉に気を付けているということを書きました。文字で読んだ時にわかる言葉が、話になるとわかりにくくなることも多いです。ですから、授業での指示や説明には特に気を付ける必要があります。昔、某高校の授業で、授業の終わり15分で教科書の次時の範囲を読んでもらい、わからない語句をすべて書かせ、意味がわからない文章や疑問に思ったことを書かせることを毎時間行っていました。その結果、どれだけ教師が生徒がわかっている前提で授業を進めていたかが判明しました。小学校で社会が嫌いになる原因は、わからない言葉の多さだそうですが、それは中高へ進むにつれて加速していきます。授業をする際に生徒の実態を把握しておくのは、今までの学習での知識・技能の習得度合いと体験等を知り、授業を組み立てる上で教材や学習活動に生かすためです。後半の『対話』については、「説明しなくてもわかるでしょ」という教師の思い込みによって、具体的に何のために何をどのようにするかを子どもがわかっていないためにねらいが達成できないということになります。教科学習だけでなく部活動においても、目的とやることを理解できるようにしっかりしたイメージを持たせて練習しないと効果が半減します。対話的学習では、「対話させる」ではなく「対話したくなるようにする」ために、よいロールモデルを示す必要があります。皆さん、わからないことははっきり言いましょうね。自分がわかっていない時は、他の人もわかっていないはずだと思って。