日誌

本当に恐いのは・・・

 先日、本屋で久しぶりに妖怪・怨霊特集の本を見つけ、つい買ってしまいました。同じような本をたくさん持っていますが、何か違ったまとめ方がされていたり、見たことがない図版が載っていたりすると買ってしまいます。小学生の頃から妖怪の本が好きで、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる先生のファンでした。恐怖マンガも同様に好きで楳図かずお先生のファンでした。妖怪マンガの第一人者が水木先生、恐怖マンガの第一人者が楳図先生ということに疑問をもつ人はいないと思います。そのくらい両先生はすごいです。水木先生は、残念ながら2015年に亡くなってしまいましたが、楳図先生は、86歳で健在です。楳図先生の代表作は、「漂流教室」「おろち」「恐怖」「猫目小僧」「わたしは真悟」「14歳」「神の左手悪魔の右手」などがあり、「まことちゃん」や「アゲイン」などギャグ漫画も描いています。マンガは、「おろち」のパロディです。
 妖怪や怨霊、幽霊、地獄などは絵巻や浮世絵などに描かれ、現代に伝わっています。日本の幽霊に足がないのは、円山応挙が描いた頼りなげな幽霊の絵があまりにも有名になったからと言われています。妖怪の起源は、奈良時代に書かれた「古事記」や「日本書紀」に出てくるヤマタノオロチや鬼のようです。平安時代には「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」など怪異にまつわる説話集が編まれました。水木先生もマンガとして描いています。江戸時代には、妖怪ブームも起こっています。怨霊として日本史上有名なのは、菅原道真や崇徳上皇、平将門、後鳥羽上皇でしょう。私は、20年前の8月27日に太東のオープンスクールの体験授業を視聴覚室で行いました。「歴史の光と闇…怨霊と妖怪」というテーマに興味をもってもらえたのか中学生と保護者で満員御礼でした。ビデオ映像を活用した25分間の授業の冒頭で、次のような話をしました。
「歴史は人間が残した営み、つまり活動記録ですが、その量は膨大です。その中から歴史家や政権担当者が重要だと考えたものが、歴史書としてまとめられ、特に教科書等に簡潔にまとめられているわけです。今、私には光があたっています。そのせいで陰もできています。その明るさ暗さは一様ではありません。最も明るい部分が教科書に相当すると考えてください。では最も暗い部分は何に相当するのでしょうか。完全に歴史上の勝者によってその存在を消されてしまった人々にあたるわけです。光の当たり具合は中心部と周辺部で違います。それは京都とそれ以外、関東・東北や九州を意味し、天皇と征服された人々を意味します。もし、みなさんが東北地方の人で、教科書に「東北の蝦夷(野蛮人という意味です)に朝廷が征討軍を送り服属させた」という記述を見た時、どう思いますか。立場を変えて記述するとどうなるでしょう。これはすべての歴史的事実の記述に言えることです。例えば原爆投下に関するアメリカと日本の立場のように。ですから、光をあてられた歴史だけを与えられたとき、陰の部分に想像力が働かないということにもなりかねません。教科書は悪く言えば、国民に共通の価値観をもたせる巨大な洗脳の道具にもなります。歴史を勉強する上で、そんなことを頭の隅においてもらえればと思います。」
 昔から現在まで殺し合いがなくならない人間に比べれば、妖怪やお化けなんて可愛いものと言えるかもしれません。