日誌

裏切り者の名を受けて~♪

 今日6月2日は、「裏切りの日」だそうです。皆さんが、よく知っているはず?の本能寺の変があった日です(旧暦)。明智光秀が謀反を起こし、織田信長を自害に追い込んだ日です。襲撃を知った信長は近侍の森蘭丸に誰の襲撃かを尋ね、光秀と聴くと「是非もなし」(仕方がない)とつぶやいたそうですが、光秀にそうした行動をとらせた自分にも非があったと思ったからなのでしょうか。戦国武将のリーダーシップや人心掌握術についてビジネス書ではよくテーマになりますが、織田信長のように「相手も自分と同じくらい打たれ強い人間だ」と錯覚していて対処すれば、部下から恨みをかうことになるでしょう。当人は弱肉強食の社会を生き抜いてきただけに、少々の侮辱など気にしない強いメンタルをもっているのでしょうが、部下がすべてそんな人間であるはずはありません。自分と同じようになることを要求するリーダーは、組織は様々なタイプの人間が自分の長所を生かし短所を補い合って協働していくところだということが、わかっていないのでしょう。
 松下幸之助さんは、「豊臣秀吉は、主人である織田信長の長所を見ることに心がけて成功し、明智光秀はその短所が目について失敗した」と言っています。やはり、人の短所よりも長所に目を向けられる人、そして長所を見つけて自然と具体的にほめられる人はすごいと思います。女優のオードリー=ヘプバーンは「美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい」という言葉を残していますが、皆さんも他人の美点を探せる人になってください。
 「人を信じて傷つくほうがいい」と海援隊の「贈る言葉」の歌詞にあります。自分が人を裏切るよりも裏切られるほうが、まだましだと思える人は優しく強い人だと思います。人への言動が自分に返ってくる「ブーメランの法則」が真実なら、人を裏切れば裏切られるということになります。仏教で言えば「因果応報」になりますね。自分が行った善いことも悪いことも、巡り巡って自分に返ってくることをみんなが心に刻めば、戦争なんてなくなるはずなのですけどね。
 瀬戸内寂聴さんは「人間の苦しみの中で一番多いのが、これだけしてあげたのに返してくれないというもの」と言っています。「期待を裏切る」という言葉がありますが、これは、自分がしてやったことに対して返してくれるのが当たり前という期待をもっているから、それが叶わないときに裏切られた気持ちになって苦しむことになるということです。「お前には期待していたんだがなぁ。裏切られたよ。」というセリフを聞いたことはありませんか。「期待してくれなんて誰も頼んじゃいないよ。なんだよ、裏切られたって。」と言い返したくなりますね。期待されると、うれしいと感じて頑張れる人もいれば、プレッシャーに感じて気持ちが落ち込む人もいます。吉田兼好は、「他人に必要以上に期待するな。でないと期待はずれで怒ることも増す。」と言っています。期待通りに動いてくれた時にだけ、「ありがたい」と考えるようにすれば、いつまでも良好な関係でいられますよね。
「どうして~してくれないの?」と不満をもつより「~してくれてありがとう」と考えられるようになれば、心のモヤモヤも消えることでしょう。皆さんは、どう考えますか。

※「裏切る」の語源が気になったので、調べてみました。古い日本語では見た目の姿・形を「おもて」(ほそおもてなどは現在でも使われていますよね)、外から見えない内面を「うら」と表現していたそうです。この「うら」は裏とも書きますし、心(←この字を現在でも「うら」と読みます)とも書きますが語源は一緒だそうです。「裏切る」とは心(うら=外から見えない部分)の繋がりを断ち切ることであり、味方に背くことや、約束・期待などに反することを表現することばになったようです。ちなみにうらを心とする語源から派生した言葉としては「うらやむ」(心が病む)などがあります。

「裏切る」の語源は、上記のものがきれいだなと思って載せましたが、味方を後方(裏)から切るという説もあり、真偽は不明です。