日誌
生成AIに「問う!」
先日、群馬県教育委員会より「学校における生成AIの利用に関する解説動画」視聴のお願いを皆さんにしました。見てもらえましたか?今までに何度か生成AIについて取り上げましたが、既に高校でも生成AIを使った授業が行われていたり、レポートや探究課題に生成AIを利用していたりと、よい面もあれば悪い面もあります。AIが作成した文章かどうかを判別するアプリも出ていますが、まだ信用できるレベルまではいっていないようです。Appliv という企業が10〜20代の男女533人に対し、夏休みの宿題における生成AIの利用実態調査を実施したところ、3人に1人が夏休みの宿題に生成AIを活用したと回答したそうです。再度、肝に銘じてほしいことは、生成AIは必ずしも正確ではないこと、納得できる答えを求めて、質問を変える”問う力”を身に付けることが必要であることです。アインシュタインも「重要なことは問うのをやめないことだ」と言っています。
小学校の道徳の授業で「ある出来事に対して生徒たちと一緒に生成AIにも意見を出させて、みんなでそれについて話し合う」という試みがありました。生成AIに複数の立場からの意見を並列して提示させることが、子どもたちが様々な考え方に触れ、自分の頭で判断する力をつけるきっかけにしようとしたのです。先生も子どもたちも考えつかない意見が出てくるかもしれません。対話的学習活動を補完することになります。
苫野一徳という熊本大学大学院准教授が「本質観取」という哲学対話を、多くの子どもたちと続けているそうです。「〇〇とは何か」という問いに対する答えを言葉で編み上げあっていく活動です。子どもたちは「学びとは何か」に対して「学びとは、自分自身の問いと気付きを通して、生が豊かになっていく営みである」、「存在とは何か」に対して「存在とは、言葉になるすべてのものである」という答えを見つけ出しました。生成AIは便利なので使いたくなる気持ちもわかりますが、考えることの楽しさや自分の能力の可能性を知らず知らずのうちに捨ててしまわないように注意してください。生成AIに依存し自分の力を育てられなくならないように、自らの力を生かして生成AIを使いこなせるようになってください。