日誌

缶ジュースからの未来考

 今日は、日本初の缶ジュースが発売されたことから「缶ジュースの日」だそうです。1954年の今日、明治製菓株式会社が「明治天然オレンジジュース」を発売しました。当時は「ビン詰」のジュースが一般的で新発売の「缶詰」のジュースには、現在のように缶を開けるプルトップは付いておらず、缶切りで開ける必要がありました。1957年、明治製菓から缶の上部に小さな缶切り(オープナー)を付け、缶切りで飲み口と空気穴の2ヵ所を開けて飲む「缶切り付缶ジュース」が発売されました。私もギリギリ、この穴を開けて飲むジュースを覚えています。今の子どもたちは、缶切りさえ使ったことがない子がほとんどだと思いますので、この缶ジュースはどうやって飲めばよいかわからないのではないでしょうか。今は、ペットボトルとアルミ缶が主流ですが、びんのジュースもほんの少し残っていますね。昔は、酒屋さんにビールやキリンレモンや三ツ矢サイダー、リボンシトロンなど、びん入りの飲み物を1ダースのケースで頼むことが多かったです。再利用のため空きびんを返すことで、1本あたり5~10円のお金が戻ってきました。今ではびんビールなどのびんの飲み物は一般家庭で飲むことはほとんどなく、飲食店のみのような感じですね。私が中学生の頃は、部活帰りにびんのコーラやファンタなどを買って、自販機についている栓抜きで開けて飲むのが普通でした。びんのふたの内側に「当たり」で50円とかもらえるものもありました。

 新しい技術が開発されれば、失業する人たちが出て来ることは歴史の必然です。アニメ「母を訪ねて三千里」の中で、マルコ少年のびん洗いの仕事が、びんを洗浄する機械が発明されたため、なくなってしまう話がありました。産業革命の時のラッダイト運動(機械破壊)のように、仕事がなくなってしまう人が抗議行動を起こすことは、当たり前です。明治時代には鉄道や路面電車の開通で、人力車夫が労働組合の原型ともいうべきものを作って反対しました。OA化の波、ワープロの普及により、タイピストの仕事がなくなるとか、事務員が減らされるということもありました。現在はというと、AI化の波によって、2045年と予想されたシンギュラリティ(AIの発達が人間の生活を大幅に変える特異点)が大幅に早まる可能性が出てきました。先日取り上げたChatGPTが、現在地方自治体や大学などで、その使用の是非について論議が続いています。以前に「生き残る職業、淘汰される職業」という風に、メディアで特集が組まれることもありましたが、それも現在では更に変わっているようです。将来的に、どの程度まで人間がAIに追いつかれ、追い越されることになるのかはわかりませんが、AIに代替されない能力を身に付けていく必要があることは明らかです。例えば、家電メーカーの開発者は、電気炊飯器やパン焼き機などに、職人の技をいかに数値化して再現できるかを研究してきました。人間のもつ感覚をどれだけ数値化して機械に再現させられるか、ロボットの開発はその追究です。ただ、SF小説のフランケンシュタイン博士が作ったような人造人間を創り出すことは、まだまだ無理です。「生命の創造」は「神の領域」です。人造人間と人間の共生をテーマにした小説もありましたが、人間が考えたことは現実化してきましたので、そんな社会がくることを否定はできません。私たちは、「働かなくても生きていける世界がやってくるのか、その世界は幸せな世界か」ということを考えつつ、今後人間として身に付けるべき人間らしい力とは何かを考えていかなければなりません。皆さん、頑張って勉強して思考力と非認知能力をつけましょう。