日誌

雨雨ふれふれ♪

 早いもので、令和4年も半分が過ぎ、7月となりました。皆さんは、睦月から師走まで旧暦の月の呼び方を古典で学習していると思いますが、わかりやすいものもあれば、現在の感覚では昔と季節のずれを考慮しても理解し難いものもありますね。よく耳にするものは、弥生・皐月・師走でしょうか。
 旧暦の7月は、文月(ふづき、ふみづき)と呼ばれますが、書道の上達を祈って、短冊に歌や願い事などを書く、七夕の行事にちなんだ呼び方だという説があります。ほかには、収穫が近づくにつれて稲穂が膨らむことから「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくむづき)」が転じて「文月(ふづき)」になったという説、稲穂の膨らみが見られる月であることから「穂見月(ほみづき)」が転じたという説もあります。今年は、梅雨期間が短かったことから西日本では、ダムの貯水率が非常に低く、水不足で稲の発育に悪影響が出そうだと心配されています。以前の「雨にぬれても」のブログで「農業者にすれば、想定外も実は想定内。雨が降り続いても彼らは案外明るい。明るくあきらめている。」と書きましたが、今回は、その逆となります。体育祭の時とは逆に、てるてる坊主を逆さにつるそうかと思います。
 私は日本史が専門でしたので、旧暦の月の中では「神無月」が好みです。10月に出雲に全国から神様が集まります。ですから出雲では「神在月」といい、その他のところでは「神無月」となるそうです。ただ、全部の神様が集結すると困るからなのか、留守番の神様もいるようで、恵比須様や、金比羅様、道祖神、かまどの神様などは出かけないみたいですね。それで、集まった神様は何をするかというと、出雲大社で「神議り(かみはかり)」という議論をし、我が国や私たちの繁栄や安寧、それに縁結びや五穀豊穣など、とてもありがたいことを決められるそうです。これは絶対神がすべての権限を有している一神教では考えられないことですね。縁結びも神議りで決められるみたいなので、9月の終わりに、よくお願いしておいたほうがいいかもしれませんよ。