日誌

2022年7月の記事一覧

自由研究ってワクワク?

 令和4年度第1学期も今日で終わりです。このブログも宣言どおり何とか続けてこられました。夏季休業中は、原則休むことになりますが、何か書きたいことがあればつぶやくことにします。ところで、みなさん「夏休み」が楽しかったのって小学生までですか?
 「自由って辛い」「自由って楽しい」みなさんは、どっちですか?実は、人は「自由」を欲しているにも関わらず、「本当の自由」を与えられると困るようです。頭の中の考えるという行為以外は、全ての行動に責任がついてまわるからです。夏季休業中に、課題も課外授業もなく、部活動もなく、全部自分1人で考えてやらなければならないとしたらどうですか?「誰からも指示されない、束縛されない、自分で全て決められるなんて、サイコー!」って思える人は最高です。確固たる意志と計画力、実行力がある人ですね。ただ、本来は太東の生徒全員にそうなってほしいのです。「主体性」を身に付け、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」を自分で伸ばせるようになってほしいのです。「自己教育力」を身に付けてほしいのです。大学に入ると高校よりも自由度が高まります。ただ、最近は新入生にやめられると経営上困るので、色々と世話してくれる大学が増えています。自ら考えて動くというより、高校の時のように手取り足取り支援してもらえるほうがありがたい、してくれないと困ると思う人が増えているのでしょうか。
「私たちは自由、個性や主体性といった聞こえのいい言葉に踊らされがちである。学校は一定の強制力をもって身に付けるべき知識を身に付けさせることに基本的な存在意義があるともいえる。各人の個性に任せて自由で主体的な学習に期待したとしても学習が広く深くなる保証は全くない。むしろ現実はその逆であることを示している。」 この言葉に反発して、太東で主体性を身に付けてください。それでは、よい「夏季休業」を!

スマイル¥0は今

 昨日は、日本マクドナルドが1996年に制定したハンバーガーの日でもありました。日本人で高齢者を除いて、マックのハンバーガーを食べたことがない人は、どれくらいいるんでしょうね。1971年7月20日、東京・銀座の三越内に日本マクドナルドの1号店が開店しました。この日は1万人以上の客がつめかけ、1日で100万円以上の売り上げを記録したそうです。マックの商売上手というか戦略上手なところは、ハッピーセットですね。子どもの時にマックの味を覚えさせて、大人になっても、子どもができてもリピーターとして来てもらえるようにする。まさに「損して得取れ」ですね。そしておまけが大事です。おまけ欲しさに商品を買わせるというのは、昔からの企業戦略です。古くは仮面ライダースナックが有名ですが、小学生が箱買いして、カードだけ取り、スナックは捨てるという行為が社会問題になりました。お店のドブに食べられていないスナックが捨てられている光景がよく見られました。それにしても、日本の菓子のおまけは、高品質ですよね。私は、昔、お菓子のおまけの色々なハンコを集めていて、提出されたプリントやノートの確認印に使っていました。話がそれてしまいましたが、私が高校生の時にモスバーガーが出店し、初めて食べた時は、そのおいしさに感動しました。それ以来、多少高くとも個人的にはモスが好きです。顧客を獲得し売り上げを伸ばすために、商品そのものに工夫を凝らすのはもちろんですが、「料理は値段に見合ったものしかできない。しかし、サービスは青天井で、いくらでもよくすることができる。」と某日本料理店の創業者が言っているように、マックの「スマイル¥0」も、重要な戦略ですね。日本の接客サービスの良さには外国人が驚いて感激しています。あるコンビニで挨拶を徹底したら、クレームが激減したそうですが、接客サービスの基本はやはり「笑顔と挨拶」なんですね。みなさんもお金をかけずに将来仕事で役に立つ「笑顔と挨拶」を太東で鍛錬してください。

国民の祝日考

 先日の18日は「海の日」でお休みでしたが、もともとは今日20日が「海の日」でした。戦後、1948(昭和23)年7月20日に祝日法が公布・即日施行され、9つの国民の祝日が制定されました。最初は、元日・成人の日・春分の日・(昭和)天皇誕生日・憲法記念日・こどもの日・秋分の日・文化の日・勤労感謝の日、の9つでした。この日以後、各祝日の日付けや名称などは適時修正・追加・廃止されてきました。「海の日」は、1996年から国民の祝日として施行され、2003年から7月の第3月曜日に変更されました。いわゆる「ハッピーマンデー制度」によって関係法が改正され、「成人の日」「体育の日」が2000年に、「海の日」「敬老の日」が2003年に、それぞれ〇月第〇週の月曜日に移動しました。生徒の皆さんは当時まだ生まれていないので、元々の日は知らないわけです。天皇誕生日は、天皇の代替わりによって4月29日→12月23日→2月23日に変わり、4月29日は当初「みどりの日」でしたが、2006年から「昭和の日」となり、「みどりの日」は5月4日に移動しました。また、2020年に「体育の日」は「スポーツの日」になりました。1954年にできた「敬老の日」が元々は「としよりの日」で、もっといい呼び方にしようということで1966年に改称されたことは、今回調べていて初めて知りました。「山の日」は2016年に新設されましたが、明確な根拠はなく「どうして海の日はあるのに山の日はないのか」という疑問が出発点で、1995年に「海の日」が制定されると、山梨県などの一部地域が独自に山の日を制定し始め、2010年には山岳に関する5つの団体により、山の日制定の運動が全国的に展開され祝日法の改正につながったようです。

 休みが増えるならなんでもいいやと、考えるかもしれませんが、日本は海洋国家であり、陸地の国土の面積は約38万平方kmで、世界第60位の大きさですが、領海と排他的経済水域を足した面積は約447万平方kmあり、なんと世界第6位です。その広さは日本の国土の約12倍なのです。また、一方で国土の7割弱が森林であることから、山を身近に感じられる国です。「海の日」「山の日」は日本にふさわしい祝日なのかもしれません。

 国民の祝日について、頭の中が少し整理されましたか。16日全部言えますか?ちなみに祝日が1日もない月は、6月と12月ですが、特に6月は5月とのギャップから休みが少ないというイメージが強いですね。世の中には、休みなんかほとんどないよという人もいるかもしれませんが、休まないと仕事も勉強も効率が上がりませんので、適度な休養は必要です。「寝るのはバカだ。みんな寝過ぎだ。私は死んだ後、たっぷり寝る。」と言ったのはエジソンですが、凄すぎて笑えます。受験勉強も、昔は「4当5落」(4時間睡眠の人は合格、5時間以上寝る人は不合格)なんて言葉もありましたが、今はできる人はしっかり睡眠をとっているというデータがありますので、生徒の皆さんも良質な休みをとって身体と脳のコンディションを整えて「受験の天王山」の夏を乗り切ってください。

※「ハッピーマンデー制度」・・・祝日と週休2日制をつなげ、3連休以上の期間を増やすため、国民の祝日の一部を従来の日付から特定の月曜日に移動させる制度。 連休の日数を増やすことで観光業や運輸業などを活性化する目的で設けられた。

本当に恐いのは・・・

 先日、本屋で久しぶりに妖怪・怨霊特集の本を見つけ、つい買ってしまいました。同じような本をたくさん持っていますが、何か違ったまとめ方がされていたり、見たことがない図版が載っていたりすると買ってしまいます。小学生の頃から妖怪の本が好きで、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる先生のファンでした。恐怖マンガも同様に好きで楳図かずお先生のファンでした。妖怪マンガの第一人者が水木先生、恐怖マンガの第一人者が楳図先生ということに疑問をもつ人はいないと思います。そのくらい両先生はすごいです。水木先生は、残念ながら2015年に亡くなってしまいましたが、楳図先生は、86歳で健在です。楳図先生の代表作は、「漂流教室」「おろち」「恐怖」「猫目小僧」「わたしは真悟」「14歳」「神の左手悪魔の右手」などがあり、「まことちゃん」や「アゲイン」などギャグ漫画も描いています。マンガは、「おろち」のパロディです。
 妖怪や怨霊、幽霊、地獄などは絵巻や浮世絵などに描かれ、現代に伝わっています。日本の幽霊に足がないのは、円山応挙が描いた頼りなげな幽霊の絵があまりにも有名になったからと言われています。妖怪の起源は、奈良時代に書かれた「古事記」や「日本書紀」に出てくるヤマタノオロチや鬼のようです。平安時代には「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」など怪異にまつわる説話集が編まれました。水木先生もマンガとして描いています。江戸時代には、妖怪ブームも起こっています。怨霊として日本史上有名なのは、菅原道真や崇徳上皇、平将門、後鳥羽上皇でしょう。私は、20年前の8月27日に太東のオープンスクールの体験授業を視聴覚室で行いました。「歴史の光と闇…怨霊と妖怪」というテーマに興味をもってもらえたのか中学生と保護者で満員御礼でした。ビデオ映像を活用した25分間の授業の冒頭で、次のような話をしました。
「歴史は人間が残した営み、つまり活動記録ですが、その量は膨大です。その中から歴史家や政権担当者が重要だと考えたものが、歴史書としてまとめられ、特に教科書等に簡潔にまとめられているわけです。今、私には光があたっています。そのせいで陰もできています。その明るさ暗さは一様ではありません。最も明るい部分が教科書に相当すると考えてください。では最も暗い部分は何に相当するのでしょうか。完全に歴史上の勝者によってその存在を消されてしまった人々にあたるわけです。光の当たり具合は中心部と周辺部で違います。それは京都とそれ以外、関東・東北や九州を意味し、天皇と征服された人々を意味します。もし、みなさんが東北地方の人で、教科書に「東北の蝦夷(野蛮人という意味です)に朝廷が征討軍を送り服属させた」という記述を見た時、どう思いますか。立場を変えて記述するとどうなるでしょう。これはすべての歴史的事実の記述に言えることです。例えば原爆投下に関するアメリカと日本の立場のように。ですから、光をあてられた歴史だけを与えられたとき、陰の部分に想像力が働かないということにもなりかねません。教科書は悪く言えば、国民に共通の価値観をもたせる巨大な洗脳の道具にもなります。歴史を勉強する上で、そんなことを頭の隅においてもらえればと思います。」
 昔から現在まで殺し合いがなくならない人間に比べれば、妖怪やお化けなんて可愛いものと言えるかもしれません。

にこん♡

 今、授業では「主体的・対話的で深い学び」を目指しています。対話的な学びには、友人や先生、みらい学での講師の方々などとの対話によって学び会うだけでなく、本やその他の媒体を通して、過去現在の優れた人々と対話をすることも含まれています。そうして、たくさんの多様な考えを知ることによって「生きる力」をつけることができます。よくいうところの「座右の銘」とは、生きていく上で心の支え、指針となる言葉のことです。私は、覚えておきたい言葉を書き留める(実際にはエクセルに入力する)ようになってから20年が経ちました。一般的な言葉と教育関係の言葉に分けてありますが、現在3700くらいになっています。ブログの中でも内容に合わせて紹介していますが、今日は二つ紹介します。

「而今」にこんと読みます。語感が可愛いので気に入っていますが、「今」を大切に生きることです。戻ってこない「過去」や、まだ起きていない「未来」にとらわれ、後悔したり、不安を抱くのは、「今」をきちんと生きているとはいえません。人は、心配しても仕方がないことや後悔しても意味がないことを考えてしまいがちです。今に力を集中することで未来は開けます。

「一日一生」仏教の教えです。朝、起きると自分が生きて呼吸していることに感謝する。昼は、自分が平和な世界にいることに感謝する。そして、夜は1日が無事に終わったことに感謝する。それさえできれば、1日は一生と同じくらい貴重なものになるという意味です。その前に「人間として生まれたことに感謝する」「地球に生まれたことに感謝する」「日本に生まれたことに感謝する」ということがあるかもしれません。

 太東での学びが「主体的・対話的で深い学び」となるように、1日を大事にしていきましょう。

レボリューションって、カッコいい?

 今日7月14日は、フランスの建国記念日であり、ペリーが日本に上陸し日本の開国が促された日でもあります。1789年のこの日、パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃・占領し、これがフランス革命の始まりとなりました。そして、1853年のこの日(旧暦嘉永6年6月9日)には、アメリカの4隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡し、翌年「日米和親条約」が結ばれ、日本は開国することになりました。両方とも日本史と世界史で勉強する重要な史実ですが、非常に対照的な史実が同じ日だったことが面白かったので、少しつぶやく?ことにしました。 

 革命とは、①天命が革(あらた)まること。前の王朝が倒れて別の王朝がかわって統治者となること。易姓革命。②被支配階級が、支配階級を倒して政治権力を握り、国家や社会の組織を根本的に変えること。と定義されていますが、日本ではクーデター(政変)はあっても革命(レボリューション)はなかったとされています。それは、クーデターが、同一支配層内部での権力移動であり、革命は体制そのものを変革するものだからです。日本では一揆が革命に発展することはありませんでした。

 日本は外圧でしか変われないということが以前から揶揄されていますが、革命を起こした他国が優れているということではなく、国民性や地域性など条件が違えば歴史が変わってくるのは当然ですので、日本では革命が起こる必然性がなかったとも言えます。世界史総合や世界史探究で扱うような大きなテーマです。日本では天皇制とも大きく関係していることですが、125代、2700年にわたって万世一系の天皇が存在しているなどという国は、他にありません。ただ、初代の神武天皇から25代目の武烈天皇までは、実在したかどうかは不明確です。

 昨日は、日本史・世界史・生物の授業を参観し、生物が顕微鏡を使った観察実験だったので生物について書こうかなと思いつつ、前日の野球以外のスポーツ漫画についてもありかなと迷っていたところ、上記の意外な事実に気付いたので地歴公民の教師としては、こちらを選んでしまいました。余談の余談ですが「レボリューション」が曲名に入ったものの中で、好きなのは、渡辺美里の『My Revolution』とSuperfly の『タマシイレボリューション』ですね。「天才バカボン」のレレレのおじさんと「ベルサイユのばら」のオスカルを共演させた漫画は、30年くらい前に現代社会のレジュメに載せたものです。(我ながら、くだらないものを描いたなと思います)

『この映画恐いね』と君が言ったから7月13日はオカルト記念日

 今日、7月13日はオカルト記念日です。1974年のこの日、映画『エクソシスト』が日本で初公開され、オカルトブームの火附け役となったからだそうです。実は、私の記念すべき初映画鑑賞が、この「エクソシスト」でした。小学校5年生の時で、友達5、6人と観に行きましたが、恐くて1週間くらい、夜にトイレに行けませんでした。友達の1人は、「恐いシーンが終わったら、教えてくれ」と恐いシーンでずっと目をつぶっていましたが、何のために来たんだよと思っていました。ちなみに「エクソシスト」とは、悪魔払いの祈祷師のことで、少女に憑依した悪魔を払う神父の戦いを描いています。悪魔に取り憑かれた少女の変化がすさまじく、まだCGがない時代ですから、少女の演技が素晴らしかったということになります。日本のオカルト映画で恐いものというと「リング」や「呪怨」が有名ですが、私は「エクソシスト」のほうが恐かったです。観たのが子どもの時か大人の時かで随分違うかもしれませんが。
 「オカルト」は科学では説明がつかない神秘的な出来事や超自然的なものを指す言葉ですが、似ている言葉に「カルト」があります。英語圏では正統的キリスト教を「教会」、その分派を「セクト」とよぶのに対し、異端的または異教的小集団を「カルト」と呼び、オウム真理教の地下鉄サリン事件以降、.過激で異端的な新興宗教集団をさす言葉として定着しました。今回の安倍元総理の殺害事件で、昔、霊感商法などで問題となった、ある宗教団体がクローズアップされました。皆さんは、大学入学後に多くのサークルから勧誘されることと思いますが、その中には怪しげな団体もあります。もちろん、表向きは健全なサークルを装っていますので、地方から出てきた新入生が騙されやすいのです。もう一つ、近年定着した「スピリチュアル」という言葉があります。占いや霊的なもの、オカルトなどを指して使われますが、こちらのほうが柔らかい感じがするため、誤ってハマると人生が台無しになることもあります。理系の高学歴者がオウム真理教の幹部に多くいて話題になりましたが、宗教教育の大切さと危うさとは、宗教絡みの事件が起こる度に実感します。人の弱くなっている心につけ込んで、お金を巻き上げようとする輩に騙されないように、非科学的なことを安易に信じたりしないで、「なんか、おかしいぞ」という感覚をもったら、立ち止まって考え、信頼できる人に相談するようにしてください。タイトルの意味がわからない人は、サラダ記念日で検索してください。

熱闘!高校野球

 昨日は、野球部の第104回全国高等学校野球選手権大会の県予選第一回戦の応援に敷島球場に行ってきました。ジリジリきて痛い暑さの中、吹奏楽部とチアリーディングの生徒の皆さん、応援ありがとうございました。保護者の皆様、引率の先生方、お疲れ様でした。3時間半を超える熱戦を戦い抜き、大差をつけられても諦めることなくプレーし、中盤に一度は逆転したものの最後はあと一歩及ばず15対14で惜しくも敗れました。野球部の皆さん、監督・顧問の先生方、マネージャーの皆さん、お疲れ様でした。この悔しさをバネに秋に向けて頑張ってください。応援にも力が入る、これぞ高校野球といういい試合でした。「俺はキャプテン」という漫画の中で主人公が「日本の夏は甲子園があるから美しいんだ」というセリフがあったと記憶していますが、もはや高校野球は日本の文化、日本の夏の風物詩となっていると思います。
 私は小学生の頃から野球は好きで(毎日、夕食時に父親がナイターを観ていたせいか)、野球漫画も400冊くらい持っています。単行本を持っていなくても読んだことがある野球漫画は40以上です。ただ、調べたら今までに出版された野球漫画は440以上あるらしく予想以上でした。水島新司さん、ちばあきおさん、あだち充さんの三人で、私が持っている野球漫画の半分を占めます。野球漫画の第一人者と言えば、水島新司さんであることは疑いようがないですが、「男どアホウ甲子園」「ドカベン」「あぶさん」「一球さん」「野球狂の詩」「光の小次郎」「球道くん」「おはようKジロー」など高校野球とプロ野球がメインです。「キャプテン」「プレイボール」のちばあきおさんは、中学・高校野球です。あだち充さんは、「ナイン」「ああ!青春の甲子園」「タッチ」「MIX」「H2」「クロスゲーム」など、ほぼ高校野球専門ですね。リトルリーグからメジャーまで、また女子野球やソフトボールもありで、本当に日本人は野球が好きなんだなと思います。ただ、最近は少子化とサッカーやバスケ、バレー、テニスなど他のスポーツに競技人口が流れていて、各スポーツで子どもの取り合いみたいになっています。オリンピックの影響で、スケボやスノボをやる子どもも増えていますね。どのスポーツも将来のプレイヤーと観客増のため真剣です。
 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の三大原則として語られていた「友情、努力、勝利」は、日本の典型的な少年漫画を表す標語です。ここに「豊かな人間性」「コミュニケーション能力」「協働」「自己肯定感」などの教育的要素が詰まっていますね。(漫画から学べることも多いんですよ。)

政治教育と宗教教育の大切さと危うさ

 参議院議員選挙が終わりました。選挙権をもった3年次生のみなさんは、投票に行きましたか?相変わらず全体の投票率は低かったようですが…。8日に安倍元総理が、応援演説中に銃撃されて亡くなったというニュースは世界を駆け巡りました。日本国内よりも世界で評価されていたことが、明らかになりました。総理を退いたとはいえ、まだ日本のためにやらなければならないと思っていることが多かったのではと思います。森友学園をめぐる公文書改ざんや加計学園問題、「桜を見る会」問題など負の側面もありましたが、安倍元総理の政治家としての実績は後世の人によって評価されることでしょう。
ロッキード事件で失脚した田中角栄元総理は、「マスコミ人も日本国民の一人だ。おれの悪口を書いて食していけるなら、それもまぁ結構なことではないか。政治家の評価は後世の人がするんだ。今悪口を言われても結構。悪口を言われている間は仕事をしてることなんだ。」と言っていましたが、政治家としての信念をもって命がけでやっているかどうかが問われるのだと思います。(別に悪いことを擁護しているわけではありません)
 日本の内閣総理大臣でテロにより死亡したのは、伊藤博文(初代)、原敬(19代)、高橋是清(20代)、濱口雄幸(27代)、犬養毅(29代)、齊藤実(30代)、安倍晋三(第90、96~98代)であり、戦後では安倍元総理が初めてです。濱口雄幸は正確には、亡くなったのは9ヶ月後で、テロで受けた傷が原因であることから入っています。テロリズムは、要人暗殺の意味で使われることが多いですが、警察庁組織令第39条では、「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動」と規定されているので、今回はテロと呼べるのか疑問です。

 暗殺された歴史上の人物として有名だと思われるのは、マハトマ・ガンディー、ケネディ大統領、キング牧師、井伊直弼、坂本龍馬などです。彼らが暗殺された理由を調べてみてください。こうした事件が起こると、「許されない卑劣な行為」だと一様に非難の声があがりますが、虚しさが残ります。最後にフランスの哲学者ヴォルテールの言葉を紹介します。「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」 リーダーや政治家としての器の大きさを表現する言葉に「清濁併せ呑む」があります。大きな目標を達成するためには、自分の価値観や考え方にこだわらず、自分とは異なる意見も積極的に取り入れ、より良い答えを導き出そうとする姿勢が大切です。今回の選挙の結果、どうなるかを注視したいと思います。

なお、今回のテーマの意味については、読んだあなた自身で考えてみてください。

言霊か言魂か

 昨日は、芸術鑑賞教室として劇団四季のミュージカル『アラジン』を観に3年次生が東京に行ってきました。私は、引率で平成15年に『マンマ・ミーア』を観に行ったことを記憶しています。舞台装置のすごさや劇団員の方々の演技と歌の素晴らしさにひきこまれ、楽しい時間を過ごさせてもらいました。今回も引率された先生方から、生徒が楽しんでいた話を聞きました。私はミュージカルや演劇は数えるくらいしか観ていませんが、本当にたくさんの人が関わって一つの舞台ができあがっているということを感じます。それは、映画のロールエンドで、俳優や監督などの他に非常に多くの団体や個人が協力していることがわかることと同義です。たくさんの人に楽しんでもらうために多くの人が誇りをもって協力し、一つの作品を作り上げているのだと思います。生徒の皆さんも、ぜひ誇りをもって取り組める仕事を見つけられるように、太東と進学先での勉強を頑張ってください。
 世界に知られる映画の黒澤明監督は役者の演技をチェックする時に3つのセリフに注目したそうです。「ありがとうございます」「いらっしゃいませ」「かしこまりました」この3つは心がこもっていないと、とても不自然に聞こえる言葉だとのことでした。『戦後最高のウェイターと呼ばれた男の話』という本に載っていました。別に、これらの言葉に限らず、言葉の意味よりも、そこに込められた気持ちのほうが大事で、言葉の質感というか、言霊みたいなものが出るかでないかが、言葉が人に届くためには必要なのかなと思います。顔や身体の表情と声の表情がそろって、言葉が人に伝わる力が決まるのだと思います。今はマスクのせいで、目力だけで勝負しなければならなくなっていますが、早くマスクを取りたいものです。ちなみに言霊は言魂とも書くようです。みなさんは、どちらがしっくりきますか?