日誌

2023年5月の記事一覧

あなたのソウルフードは?

 今日は、「お茶漬けの日」だそうです。永谷園が開発した「お茶づけ海苔」は、2012年に発売60周年を迎えたのを記念して創業者の永谷宗七郎の命日である1778年5月17日にちなんで記念日として制定したそうです。皆さんは、お茶漬けは好きですか。日本人のソウルフードといえば、何が思い浮かびますか。私は、塩むすびと味噌汁かなと思います。群馬県人だと、焼きまんじゅうもありですね。太田なら焼きそばですか。
 「フェルマーの料理」という数学と料理を結びつけたマンガがあります。(※「フェルマーの定理」は、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理です。多くの数学者が挑み、フェルマーの死後330年経った1995年に完全に証明されました。)このマンガの中に「数学と料理は似ている」というセリフがあります。「どこが似ているの?」と皆さんは思いますか。マンガの中で「甘鯛のポワレ 干し貝柱と生ハムのスープ仕立て」というお茶漬けを西洋風にアレンジした料理が出てきます。イノシン酸とグルタミン酸の相乗効果によって「旨味」の成分数値が跳ね上がるそうです。数学的思考が、料理に生かされるという設定がおもしろいマンガです。実際に数学的力を背景に日本人で三つ星を獲得した米田肇さんというシェフがいるそうです。彼は、高校で数学に没頭し全国模試で1位をとったほどで、大学では電子工学を学びエンジニアから料理人に転職した異色の経歴の持ち主です。皆さんが数学を学ぶことで身に付けている数学的思考力は、どんなところで役に立っているのでしょう。お茶漬けを食べながら、考えてみてください。

俺たちの旅

 1689年5月16日に、松尾芭蕉は江戸を立ち、東北・北陸を旅しました。『おくのほそ道』(奥の細道)は、全行程約600里(約2400km)に及ぶ徒歩による旅行記です。そんなことから今日は「旅の日」だそうです。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という冒頭部分は有名ですね。意味がわからない人は、すぐ調べましょう。芭蕉の生前最後の句であるとされる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」も有名です。旅というと、皆さんはどんなイメージをもつでしょうか。人生は、よく旅に例えられますが、様々な人との出会いがあり、楽しいことも辛いこともあります。「かわいい子には旅をさせよ」は、独り立ちするためには世間でもまれる必要があるという親心からでた言葉ですね。NHKの「小さな旅」が、ほのぼのとしつつも何か胸を締め付けられるような寂しさを感じるのはテーマ曲のせいでしょうか。「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」では、壮大な宇宙の旅が描かれています。旅の目的は何だったでしょうか。旅は一人でするもの、旅行は複数でするものというイメージがありますが、皆さんはどうですか。1978年に「いい日旅立ち」という歌を、山口百恵さんが歌ってJRのCMに使われてヒットしましたが、この旅も一人です。
 とんちの一休さんでお馴染みの一休宗純和尚の句に、「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」というものがあります。直訳すると「正月に飾る門松は、あの世までの旅中の私たちの道標である。正月を迎えるということは死に一歩近づくということだ。正月の何がめでたいものか」となるでしょうか。この句を通して、一休さんは何が言いたかったのでしょうか。「私たちは、いつ死ぬかわからないからこそ、明日死んだとしても悔いのないよう、今この瞬間瞬間を大切に一所懸命に精一杯生きようではないか」こんな感じに解釈できるかもしれません。戦乱や疫病などで、現在の安心安全な日本と比べものにならない時代ですので、なおさらでしょう。
 つらつらと旅について思いつくことを書き連ねてきましたが、最後に1日の旅のあとに起こったことの話を紹介します。
「今している勉強は、何の役に立つのか」という疑問をもったことはありませんか。次の物語を読んで考えてみてください。
 ある晩、遊牧民の群れが夜を過ごすための支度をしていました。すると突然あたりが厳かな光に包まれ、ついに天の声が聞こえてきたのです。「できるだけたくさんの小石を拾いなさい。その小石を袋に入れ、一日旅をするがよい。明日の夜になって、お前たちは喜び、また悲しむであろう」人々は失望と怒りを口にしました。神から大いなる啓示が下されると思っていたからです。ところが与えられたのは、小石を拾うというつまらない、彼らにとってはわけのわからない作業だけでした。それでも、人々はぶつぶつ言いながら、いくつかの小石を拾って袋に入れました。聖なる方の神々しさが、まだあたりに残っていたからでした。人々は一日旅をし、夜になりました。野営を張りながら小石のことを思い出し、袋から取り出してみたのです。すると、どの小石もひとつ残らずダイヤモンドになっていたのです。人々は、小石がダイヤモンドに変わったことに喜び、もっと小石を拾ってこなかったことを悲しみました」(『こころのチキンスープ 魔法の小石』ダイヤモンド社より)
小石とダイヤモンドは何を比喩しているのでしょうか。皆さんが、自分のこれからの人生で役に立たないと思いながら勉強していることがあると思いますが、そんな勉強によって何が身につくのか考えてみてください。

実力発揮!

 好天に恵まれ、高校総体1日目が終わりました。選手の皆さん、お疲れ様でした。引率された先生方、競技役員の先生方、ありがとうございました。

 選手の皆さんは、普段の練習の成果が発揮できたでしょうか。それとも残念ながら固くなってしまって、実力が出せずに終わってしまったでしょうか。本当は、「実力が出せずに」という言い方は、おかしいのですけどね。なぜなら、実力とは本番で発揮されるものをいうわけで、練習でのうまさは実力とはみなされないからです。残酷ですが、心技体がそろって実力と呼べるわけで、メンタルが弱くて本番に弱いとか、体調管理ができないとかは実力があるとは言えないわけですね。スポーツ選手にとって「メンタルトレーニング」というのは、非常に重要で、専門のトレーナーがいるくらいです。もちろん、受験もメンタルが重要ですよね。集中力やあきらめない心とか粘り強さ、レジリエンス(精神的回復力)とかは、一朝一夕に身につくものではなく、経験を繰り返すことで育まれるものです。

 以前にも書きましたが、最近では、テストで測れる認知能力ではなく、日常生活・社会活動において重要な影響を及ぼす能力である非認知能力が重要視されるようになってきています。学校行事やHR活動、部活動などの集団的活動、体験的活動は、非認知能力を育むのに有効であると考えられています。皆さん、教科学習以外の学校での様々な活動を通して、楽しみながら非認知能力を磨いてください。そうすれば、高校生活は益々充実したものになりますよ。

 それと、自分が試合をしていても、人の試合を見ていても気になることは、勝者と敗者の気持ちです。勝敗がついたときに、お互いにどんな気持ちになるのか。もちろん、勝った方はうれしいでしょうが、力を尽くして戦った相手をリスペクトしているかどうか。よく、健闘を讃え合うと言いますが、敗者は「悔しいけれどあなたのほうが強かった。次の試合、頑張ってね」と思えるか。勝者は、「今日はありがとう。次の試合は、あなたの分まで頑張るよ」と思っているか。試合に勝っても負けても色々な意味で成長しています。振り返りで気付き、自分の成長に生かせるかどうかが重要です。勝負を通して自分の心を育ててください。

明日は、天候が心配されますが、選手の皆さんの実力が発揮できることを祈っています。

人間の可能性

 今日は、ALSOKぐんま武道館で県高校総体の総合開会式があり、出席してきました。激励メッセージということで、郷土芸能、ペップアーツ、バトン、ダンスなどが披露され、最後に県内19校の生徒200人ほどによるダンス専門部の公開演技がありました。フロア一杯に広がってのダンスは見応えがありました。
 先日の5/6(土)に放映された「THE DANCE DAY 2023」のパフォーマンスでは、個性や創造性も素晴らしいですが、人間は練習すればどこまでできるようになるのだろう、どれくらい練習してここまで到達したのだろうと思うとともに、高校生の演技を見ても同様に感じました。そして、最近のAIの著しい進化を見ても、まだまだ人間の動きに近づけるロボットはできないだろうなと実感しました。開会式でのパフォーマンスは高校生らしく、見るものを感動させるものがありました。
 最後のダンスは、4色のTシャツで分けられた集団によるものでしたが、本校の体育祭での応援合戦で6団全員が踊っているかのように錯覚しました。6月には体育祭がありますが、応援合戦を楽しみにしています。ぜひ、独創的なダンスを作り上げてください。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。

ファイト~、一発!

 今日は、体育館で高校総体の壮行会が行われました。ここ3年は、コロナのせいで壮行会というと会議室からリモートで行われることが多かったですが、パソコンの画面に向かってあいさつや決意表明、応援のお願いをするのは寂しいものです。昨年は、暑い中でしたが、校庭で全校生徒を集めて実施できました。太東の看板を背負って戦いに出かける仲間へエールを送れてよかったです。今年は、出張のため生徒の皆さんに話をすることができずに残念でしたが、教頭先生が代わりによい話をしてくれたと思います。
 昨年は、「最も手強い敵は、自分自身である」という話をしました。他人は騙せても自分は騙せません。勉強にしても、部活動にしても、困難なことに粘り強く取り組めているかを評価するのは自分自身です。「眠い」「疲れた」、どこまで頑張れば自分に勝ったことになるのか。そのラインを決めるのは自分自身です。人間は、自分の弱い心と常に戦っていると思います。勝負の時、自分はこれだけ練習(勉強)を頑張ったのだから大丈夫だと自信をもって臨めるか、それとも不安で緊張して実力を発揮できないか。大きな分かれ目ですね。ホームラン世界記録をもつ王貞治さんのエピソードと言葉を紹介します。
チームの優勝がかかった9回裏満塁の打席で。苦手なピッチャーを前に固くなっている自分に気付き、タイムをとった。バッターボックスを外してピッチャーや野手、観客席を見て気付いた。自分がホームランを打つためには、そのボールを投げてくれるピッチャーがいなくては始まらないではないか。考えてみれば「敵のピッチャー」とは、私がホームランを打つためのボールを投げてくれる「パートナー」ではないか。と思えた瞬間から肩の力がスーっと抜けたそうです。
「敵と戦う時間は短い。自分との戦いこそが明暗を分ける。」王貞治
皆さんの戦いは、まだまだこれからです。自分との戦いを勝ち越せるように願っています。

今日は「ファイトの日」だそうです。ファイトが出るエールをもらえた選手の皆さん、総体での活躍を祈っています。

黒板と板書に関する考察

 今日5月9日は、黒板の日だそうです。全国黒板工業連盟が、創立50周年を記念して2000年に制定し、翌年から実施しているそうです。語呂合わせと、アメリカから黒板が初めて輸入されたのが1872年5月頃だということから5月9日となったそうです。黒板の名前は、もちろん英語の「blackboard」に由来しますが、緑色なのになぜ?と思いますよね。当時の国産品の黒板は、木の板に墨汁を塗った上に柿渋を上塗りしたものや、漆を塗ったものが作られていて、文字通り黒板だったようです。その後、チョークの白い文字を見るのは、緑色のほうが目が疲れないなどの理由から、1954年に日本工業規格(JIS規格)の規定により、黒板の色は黒色から緑色に変更されたそうです。現在は、ホワイトボードが全教室に整備されている学校もあります。チョークとホワイトボード用のペンのどちらがいいかは、個人の好みによるでしょうが、チョークは粉で指が荒れるのが難点でした。そのためコーティングしてあるチョークもあります。指を汚したくない人のためにチョークホルダーなるものも販売されていますが、これも個人の好みによって評価が分かれます。書き味が、チョークで黒板に書く場合と、ホワイトボードに書く場合では随分と異なります。チョークのほうが手の力がいるので、たくさん書くと疲れます。指の力は鍛えられますけどね(笑)
 戦後、焼け野原で学校が再開したときは、青空教室と呼ばれましたが、もちろん黒板はありませんでした。昔、研修で先生方に黒板がなかったらどんな授業をしますかと問いかけたことがあります。皆さんは、黒板を使わない授業は想像できますか?もちろんパソコンもプロジェクタもありませんよ。プロジェクタで色々なものが映せるようになったことで、板書の役割も変わってきました。1時間の授業が終わった時、板書を見れば授業での思考の流れと重要事項がわかるようになっているかが大事です。あらかじめノートに書いてあることを板書するなら、ノートに貼れるようにプリントしたものを配付したほうがよいのではないかとは思いませんか。板書する時間と生徒が写す時間が節約できて、生徒の「思考・判断・表現力」を高める学習活動の時間がとれるのではないでしょうか。ICTを活用する一人1台パソコンの時代では、板書の意義は、授業のねらいを理解してもらい、見通しをもたせ、問いに対して授業の中で出てきた意見の整理とさらなる深化の視覚化と共有を図ることではないかと思います。これらをパソコンの画面で各自が見るのと、黒板を全員が前を向いて見るのとでは違います。パソコンの画面を見ていると生徒の表情が見られませんからね。生徒の表情を授業中に確認することは大事です。それでは限られた学習時間を、どんな学習活動に費やすのが「知識・技能」「思考・判断・表現力」を高めるのに有効なのか、皆さんも自分の学習を見直してみてください。

※下の黒板アートは、数年前に妻が勤めていた小学校の卒業式前日に、担任した6年生のクラスの黒板に娘二人と協働して描いたものです。

生きている or 生かされている

 GWも終わり、今週は高校総体ウィークです。皆さんは、どんなGWを過ごしたでしょうか。

 今日からコロナが5類感染症に移行しましたが、今後はコロナ感染が珍しいことになってくれればありがたいですね。我が家はコロナの影響(後遺症?)か、3人がGW中も体調不良だったため外出はほとんどしませんでしたが、5日の本校吹奏楽部の定期演奏会は行かせていただきました。本校の先生方や生徒がたくさん来てくれていて、チアリーディング部とフラ同好会の応援もあり、来場していただいた多くのお客様に楽しんでもらえたと思います。テーマの「日幸」にふさわしい演奏会になりました。それと4日に義父母の墓参りに行ってきました。昨年も5月3日のブログで書いていますが、菩提寺に二つの掲示板があり、そこに言葉が書かれた紙が貼ってあります。少なくとも月毎に変わっていると思いますが、昨年は「すぐやる 必ずやる できるまでやる」「なりたい自分になるのに 遅すぎるということはない」でした。今年は「何のために生きているのかだと行き詰る 何のために生かされているのか考えると やるべきことが見えてくる」「人生はご恩返し」でした。以前に、私たちは何か大きな力によって生かされているのではないか。それが「神」かどうかは別として。というようなことを書いた記憶があります。人間の生死には、運不運がつきまとうと思います。神風特攻隊で生き残った人が、「仲間はみんな死んでしまった。俺だけ、なぜ生き残ったのか」と嘆き、「何か理由があって生かされたのなら、それを考えて生きていこう」と思ったそうです。自分が生きている不思議なんて、普段は考えもしないことですが、心の持ち方ひとつで生き方は変えられるかもしれません。「生きているのが当たり前」と思うか、「生かされている奇跡」を感じるか。4月27日のブログ「哲学ってホント・・・」で「どう生きるべきか」という問いを取り上げましたが、ソクラテスの言葉と伝えられる「善く生きる」の意味を考えてみてください。ちなみにBenesse(ベネッセ)はラテン語の造語で「よく生きる」という意味です。

八十八夜

 今日は「お茶の日」だそうで、茶摘みの最盛期である「八十八夜」に当たる日を公益社団法人・日本茶業中央会が制定しました。「立春」から数えて88日目となる八十八夜は、年によって日付が変わり、近年では5月1日または5月2日となっています。今年は5月2日です。同会では国民の祝日「昭和の日」の4月29日から「こどもの日」の5月5日までの一週間を「緑茶の週間」としていて、全国的に茶摘み体験や新茶の試飲会など緑茶・日本茶に関するイベントが開催されているそうです。古くから「仙薬」と称されるほど八十八夜の新茶は栄養価が高いといわれているそうですが、「茶摘(ちゃつみ)」という歌を皆さんは、学校で習ったでしょうか。歌えますか。

夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る 

あれに見えるは茶摘みじゃないか 茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠

 皆さんは、普段普通にペットボトルでお茶を飲んでいると思いますが、昔はお茶は自宅でいれて飲むもので、缶やペットボトルで買って飲むようなものではありませんでした。コンビニのおむすびが普通になったように、缶やペットボトルのお茶を買って飲むのもごく普通になっています。伊藤園が缶の中に窒素ガスを噴射し酸素を追い出す方法により、茶の主成分カテキンの酸化を抑えて自然のままの味わいで製品化することに成功したことで、1980年に缶入りウーロン茶を開発したのを皮切りに、1985年には缶入り煎茶が発売され、1990年代後半にはペットボトルが普及して、さらにアウトドアで飲まれるようになりました。

 今年は、卒業生の記念になればと思って、伊藤園の卒業生へメッセージ付きオリジナルお~いお茶プレゼントに応募し卒業生分のお~いお茶が送られてきました。応募した学校から1校だけ、有村架純さんがサプライズで卒業式に来てもらえるという企画でしたが、そちらは流石に当たりませんでした。来年も同じ企画があれば応募したいと思います。

令和と皐月

 今日は、新しい元号「令和」が始まった日ですね。「令和」は「大化」以降248番目の元号ですが、元号は天皇の御代を意識させるものです。天皇の代替わりごとに元号が変わる「一世一元の制」が定められたのは明治からですが、それ以前は1代で何回も改元したり、数代の間1つの元号で通したりといったこともありました。これまでの改元時とは異なり、コンピュータが生活のあらゆる場所で影響を及ぼしている現在、新元号への対応準備の期間を確保する必要がありました。西暦だけなら問題なかったのでしょうが、2000年問題の騒ぎが思い出されます。憲政史上初めて新元号が改元の一ヵ月前となる2019年(平成31年)4月1日に「事前公表」されたのです。

 さて、今日から5月ですが、すっかり木々の若葉の緑が目に染みる季節になりました。5月は旧暦では「皐月」、英語では「MAY」です。ここでピンときた人は、「となりのトトロ」が好きな人ですね。そう、主人公の姉妹は「さつき」と「メイ」です。旧暦の月で女の子の名前に使われているのは「やよい」「さつき」「はづき」くらいで、英語は「メイ」以外見当たりません。最初は姉妹ではなく、女の子一人だったらしいですが、真偽のほどはわかりません。5月が若葉、青葉の季節であり、トトロの世界に合っていた季節なので、つけられたかどうかも不明です。旧暦では、4月から6月が「夏」になります。このため、5月である「皐月」が、夏の真ん中の月で田植の月という意味の早苗月(さなえづき)が省略されて「さつき」になったという説があります。ですから、「五月晴れ」は、もともとは「梅雨の晴れ間」のことです。ただ、現在は「5月のさわやかな晴れ」を指す言葉としても使われています。トトロの映画の中で、雨が降っているバス停で、隣にトトロが立っているシーンが思い浮かびます。高校総体が、「五月晴れ」の中でできることを祈っています。

※ちなみに、同じように誤解されやすいのが「小春日和」ですが、こちらは「晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天の日」を指します。