日誌

2023年6月の記事一覧

ぜひ聴いて、読んでみて

 今日は「ビートルズの日」だそうで、最初で最後の来日を果たした1966年6月29日が記念日となりました。当時人気絶頂のイギリスのロックグループ「ザ・ビートルズ」(The Beatles)が羽田空港に到着した様子は、今でもテレビでよく見られます。翌日から東京・日本武道館で3日間5回の公演を行ったわけですが、学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されました。生徒の皆さんは驚くと思いますが、それくらい当時の若者に大きな影響を与えたわけです。ロックは不良のするものというレッテルを貼られたことも、皆さんには想像できないでしょう。「Help!」「イスタディ」「レット・イット・ビー」などは、皆さんもどこかで聞いたことがあると思います。私は、中学生の時に担任の先生がギターを弾いてクラス全員で「イエスタディ」を歌った思い出があります。1970年代に入ってからビートルズの曲が音楽の教科書に載るようになり、1970年代後半から1980年代にかけて、音楽教育において重要なアーティストとして扱われるようになったようです。ほかにも古典的名曲がたくさんありますので、ぜひ聴いてみてください。
 今日は『星の王子さま』の日でもあります。作者のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの誕生日です。1999年(平成11年)のこの日、神奈川県箱根町に世界で最初の記念館「箱根サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」がオープンし、記念日が設けられたそうです。「星の王子さまミュージアム」の開館はサン=テグジュペリの生誕100年を祝した世界的な記念行事の一環として企画されたもので、同館ではサン=テグジュペリの写真や手紙、愛用品の資料展示などが行われたそうです。「星の王子様」の中で、最も有名な文は「心で見なければものごとはよく見えないってこと。 大切なことは目に見えないんだ」でしょう。あと、「星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね……」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね・・・」などは、スタジオジブリの「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」を聞いた時に、頭に浮かびました。有名だけれども、読んだことがない本というのはたくさんありますが、この本は短編なので時間はかかりません。興味をもった人は、ぜひ読んでみてください。

外国由来のモノはどれくらい?

 今日は、貿易の日だそうで、通商産業省(現:経済産業省)が1963年に制定したそうです。皆さんは、中学校までの歴史で勉強した安政の五か国条約を覚えていますか。1858年に日米修好通商条約を始めとして、オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結んだ一連の通商条約です。1859年6月28日、江戸幕府がこれらの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出したことから貿易の日となりました。しかし、これらの大きな問題点は、不平等条約だったことです。高校入試でもよく出る①領事裁判権を認めたこと、②関税自主権がないこと、③片務的最恵国待遇(ロシアを除く)です。この撤廃のために明治政府は、大変な苦労をしました。また、この条約は天皇の許可(勅許)が得られないまま結ばれたことにより、安政の大獄や桜田門外の変(井伊直弼の暗殺)などの事件を引き起こすことになりました。(日本史の授業みたいになりそうなのでこのへんでやめておきます)            

 日本は外国と様々なモノ・サービスの取引を行っています。多くの場合、それでお互いに利益を得るわけですが、取引総額が不均衡になると外交問題に発展する場合もあります。日本とアメリカとの戦後の貿易摩擦の歴史は長く、「ジャパンバッシング(日本たたき)」という言葉も生まれました。また、特殊な輸出品がある国は、それを外交上優位に立つためのカードに使う場合もあります。最近だと中国のレアアースの輸出規制が、それに当たります。日本は、資源を輸入して付加価値を高めた製品を生産し輸出して、外貨を稼ぐ「加工貿易国」ですから、資源の輸入リスクを減らすために多くの国と貿易しています。しかし、一部の国に産出が偏った資源はどうにもなりません。ただ、日本は資源がない分を補うため、持ち前の技術力によって製品だけでなく新しいエネルギーの開発を進め、世界が驚く成果をあげています。近い将来、他国に依存しないエネルギーが確保できるのではと期待しています。国同士の安全保障は、もとは戦争を避けるためのシステムでしたが、今は「食糧安全保障」や「エネルギー安全保障」など戦争に至る前の段階が重要になってきています。「食糧安全保障」には、穀物などだけでなく水も重要です。他国に多くを依存していれば、「食糧」と「エネルギー」は国民の生死にかかわる問題になります。SDGsばやりの昨今ですが、今、皆さんの身の回りにあるモノは、どこから来ているのか調べてみてください。そして、それがどんな人々によってどのように生産されているのかを知ってください。(政治経済の授業か?)

試験って、ホントに・・・

 今日から1学期の期末考査が始まりました。中間考査の結果を振り返り、しっかり準備ができたでしょうか。小学生になってから、たくさんの試験を受けて来て、これから進学したり就職したりしても試験を受ける機会は、まだまだあることでしょう。自分の努力を「見える化」する機会が試験ですので、前向きに取り組んでください。試験には、社会で必要な「相手の意図を読み取る力」の練習という役割もあります。試験のヤマが当たるというのは、当てずっぽうではなく、しっかりと授業を受けて、先生の意図(どこが重要か)を読み取れるから当たるのです。問題には、必ずねらいや意図があるので、それがわからなければ解答以前にアウトです。小論文や面接などは特にそうですね。私も試験については、いろいろ思い出があり、準備が十分できずに試験を受けて、単位を落とす不安に怯えたこともありました。ですから、白紙の答案のまま時間切れになってうなされる夢を何度も見ています。今日は試験に関する話を三つ載せました。皆さんの心に残るものが一つでもあればと思います。 

 仕事や人生一般でがんばることは大切だが、「幸せをキャッチできるかどうか」は、脳科学的に見ると、その人の努力の総量だけでは説明できない。伝説として、松下幸之助さんが就職の面接試験で「君は運がいいのか?」と聞いたという話がある。それで「運がいい」と答えた人を採用したというのである。松下幸之助自身も「自分は運がいい」と思っていたらしい。 

 「ちびまる子ちゃん」で有名なさくらももこさんが、漫画家になる決心をする転機となったエピソードです。何気なく受けた作文の模擬試験で「わたしの好きな言葉」という課題に取り組みました。その試験の結果は思いがけない高得点で、さらに採点者からは「高校生が書いたとは思えない、エッセイ調の文体がすばらしい。まるで清少納言が現代にきて書いたのかと思うような作文でした」という一言がありました。ももこはとても喜び、自分が「エッセイ」を書くことが得意なのではないかと気付きました。そしてエッセイをマンガで描いてみるのはどうだろうとひらめいたのです。そこから寝る間も惜しんでマンガを描き、マンガ雑誌に投稿を繰り返し、ついに卒業を目前にした冬、デビューが決まったのでした。 

 小学校で「だっこの宿題」というものがあります。「家族みんなにだっこしてもらうこと」が宿題だということです。ある小学校1年生の男の子が、家族みんなにだっこしてもらえて、うれしくて「また、だっこの宿題がでないかな」と作文にかいたそうです。その話を聞いた近藤さんという80代半ばのおじいさんが、「だっこ」について忘れられない思い出があると語りました。近藤さんが鹿児島県男子師範附属小学校3年生の時でした。この小学校は入学試験があり、合格した生徒全員勉強ができる子でした。しかし、クラスにどういうわけか一人だけ、みんなについていけない子がいました。その子はA君といい、お父さんは市内の小学校の校長先生で、性格はとても純粋で優しく好人物でした。でも勉強のほうは、まったくダメだったようです。当時クラスは42人で、一列7人の6列で授業を受けていました。そして毎週書き取りと算数の試験があり、各列7人の合計点が最高だった列の子どもたちには、ご褒美に鉛筆が1本ずつ配られたそうです。80年前ですから鉛筆は貴重です。みんな鉛筆がほしくて頑張りました。ところが、A君のいる列はどんなに自分が頑張って勉強しても、明らかに合計点が低くなり、みんなA君が同じ列になることを嫌ったそうです。担任の先生は有川先生という男の先生でした。みんなが有川先生に「A君を他の列にいれてください」と言って、クラス全体が殺伐としたそうです。有川先生もほとほと困り果て、一番前にいるA君に尋ねたそうです。「A君、どうしてほしいかね」すると、A君は叫んだそうです。「先生、だっこして」。それを聞いた有川先生は「おお、そうか、そうか」と言ってA君を抱きしめて、そして号泣されたそうです。これには、生徒全員が目を丸くして驚き、一瞬教室は凍り付いたそうです。それからは誰もA君を自分の列から外してくださいとは言わなくなったそうです。A君には教室でも、おそらく家庭においても居場所がなかったのでしょう。その小さな生命が限界だったのでしょう。「先生、だっこして」は限界の叫びだったのです。その叫びに気付いた有川先生は、A君があまりに痛々しくて、愛おしくて、堪えられなかったのでしょう。だからこそ抱きしめて号泣されたのです。とても尊い光景だったそうです。福間義朝(浄土真宗本願寺派教専寺住職)

 

自己評価と他者評価、どっちが大事?

 今日は「露天風呂の日」「世界格闘技の日」だそうで、それらについて書くことはできますが、教育的?にまとめるのが難しそうだったので、「評価」について書きます。ちなみに露天風呂の東の横綱は群馬の宝川温泉だそうです。世界格闘技の日は、アントニオ猪木とモハメド=アリの異種格闘技戦からです。

さて、なぜ「評価」について書こうと思ったかというと、最近見た記事に次のようなものがあったからです。

 「お前たちは自己評価が高すぎる」「試合に出られないと、すぐ『なんで俺を使ってくれないんだ』と言うだろう。でも悲しいかな、人生は他人の評価で成り立っている。監督がどうしたら使いたくなるか、チームにどんな選手が求められているか考えろ」野村克也(元プロ野球チーム監督)

 皆さんは、自分の自己評価は高いと思いますか、低いと思いますか。日本人の自己肯定感が低い理由を、自己評価が高いのに、他人からの評価が低いという現実があると、「なぜ他人は自分を認めてくれないんだ」という苦しみが生まれるから、初めから自己肯定感を下げておけば、苦しむ必要がないからと分析していた人がいました。心理学の防衛機制ですかね。 

評価に関する言葉として以下のものを紹介します。他人の評価が気になってしまう人は、読んでみてください。

〇風向きが変わると人の評価が変わるというのが世の常です。ユダヤ人を救った杉原千畝は正しいと思ったことは何があってもやるという強い姿勢を貫きました。 歴史上の人物で評価が変わった人はたくさんいます。

〇第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。イチロー 

〇人の評価はまちまちなのが、当たり前だ。だから、そのことで振り回されて、一喜一憂しない。

〇評価は本来ならば、自分が変わっていくのを自覚できるのが理想。それを助けるために、教師が示唆する。

〇「他のグループからの評価に納得できない」という生徒が現れる。その納得できない気持ちこそが「最高の学び」につながる。

〇自己評価を何度も行い、内省的な力が高まるにつれ、自分を客観視できるようになる。教師の評価と生徒の自己評価をすりあわせることが大切で、差異がある時は、生徒にとっては自分を見つめ直すチャンスに、教師にとっては指導方法や評価手法を振り返るチャンスとなる。イギリスの私立名門校の目標は、生徒の自己評価と教師の評価が卒業までに一致するようになることだそうです。

〇目標で大事なのは、その目標を学習者が理解できること。そして、学習者が自ら評価できること。

社会の中で生きていく以上、全ての人が他者から評価されるのは避けられません。他者の評価も受け入れつつ、自分を客観的に評価できるようになることが、自分らしさを確立し、自己肯定感を高めるために必要なのではないでしょうか。皆さんは、自己評価と他者評価のどちらを重視しますか?それともヒフティヒフティ(50:50)ですか。

ざわわ ざわわ ざわわ・・・

 昨日に引き続き戦争関連の話題になりますが、1945年の今日、太平洋戦争における沖縄戦が終結しました。この日を沖縄県が「慰霊の日」と決めて条例で休日としています。沖縄戦について知る場所としては、糸満市摩文仁の平和祈念公園、沖縄県平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館、ガマと呼ばれる住民が避難した自然壕などがあり、修学旅行で訪れる生徒が多く、私も数回見学しています。

 1944年3月26日慶良間列島に上陸した米軍は、4月1日に1,500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員をもって沖縄本島に上陸を開始しました。ここから一般住民を巻き込み、ひめゆり部隊や集団自決などの悲劇を生んだ沖縄戦が始まったのです。そして最後は第32軍の司令官・牛島満大将が自決したことにより、組織的戦闘は終結しました。しかし、その後もすぐに戦闘が終わったわけではなく、死ななくてもよかった人が多くいたのです。米軍が投降を呼びかけても、捕まればひどい目にあわされると信じていた島民は、手榴弾で集団自決したり崖から飛び降りたりするなどしました。沖縄戦では、住民を中心におよそ20万人もの犠牲者が出ました。

 私が日本史の授業で、この日付は覚えてほしいと生徒にずっと言い続けてきたのが、「12月8日」「3月10日」「6月23日」「8月6日」「8月9日」「8月15日」です。何の日かわからない人は、すぐ調べてみてください。

 今日は生徒会役員選挙の立会演説会と投票がありました。選挙管理委員の皆さん、立候補者・推薦者の皆さん、御指導いただいた先生方、ありがとうございました。

演説を聞いていた生徒の皆さんの聞く態度もとても素晴らしいものでした。26日に新しい本部役員が発表されますが、今後の太東を主体性をもってリードしていくことになる皆さんに期待したいと思います。

蛍の光と領土問題

 今朝のニュースで、ロシア議会下院が、9月3日を「軍国主義日本に対する勝利の日と第2次大戦終結の日」とする法案を可決したというのを見ました。ロシアは、旧ソ連時代の「対日戦勝記念日」にあたる9月3日を、2020年に「第2次大戦終結の日」としていましたが、わざわざ、今度は「軍国主義日本に対する勝利の日」という語句を加えて名称変更するみたいです。今後、上院での審議を経て、プーチン大統領の署名で成立する見通しですが、報道のとおり、今回の名称変更がウクライナ侵攻に対して対ロ制裁を科す日本への対抗措置ならば「ウクライナを侵略しているロシア」に「軍国主義」なんて言われたくないよ、ですね。もっともロシアは侵略しているなんて思っていないんでしょうけど。

 また、1965年の今日は「日韓基本条約」などの調印式が行われた日です。この条約をもとに日韓の国交が回復し、戦前の両国関係の清算や戦後賠償などの取り決めが行われましたが、現在は「竹島領土問題」「元徴用工問題」「慰安婦問題」「レーダー照射問題」「輸出管理優遇措置撤廃問題」「旭日旗問題」などを抱え、大統領が替わっても日韓関係は戦後最悪の状態を抜け出せていません。なぜ、このような状況になったのかを、よく理解するためには近現代の日本史を勉強してください。

 現在、日本は中国・韓国・ロシアと領土問題を抱えていますが、これらと絡めて皆さんがよく知っている「蛍の光」について書きたいと思います。昔の卒業式で歌う歌の定番といえば、「仰げば尊し」と「蛍の光」でした。コロナ禍の中で、歌われることがかなり少なくなりました。「蛍の光」には「蛍雪の功」の故事が入っており、共に努力した友との別れを歌っていると思われています。しかし、もともと蛍の光は、学生同士の別れの歌などではなく、国防のために任地へ赴く兄弟(あるいは夫や親戚)との別れに際して彼らを鼓舞する形をとった「日本の領土」を歌ったものなのです。下に歌詞を載せましたが、この歌詞が作られたのが1885年で日清戦争や日露戦争の前です。明治政府が領土も含めて近代日本の確立を図ろうとしていた時期に、大いなる危機感を抱いて国民に国を守る意識をもってもらいたいと考えて作ったのでしょう。

 戦後、アメリカの占領下で日本政府がGHQに忖度したのか、はたまたGHQから直接削除の指示があったのかは不明ですが、3番と4番の歌詞は国家主義的(軍国主義、滅私奉公)だとされました。また、日本固有の領土である沖縄がアメリカに占領され、千島がソ連に占領されていたという事情もあって、教育現場への指導で、3番と4番の歌詞は歌われなくなったのだそうです。

3番4番をわかりやすい言葉になおしたものが、下記のものです。まあ、戦中の軍歌に近いものがありますね。

九州の果てでも 東北でも 海や山で遠く隔てられても 真心は隔てられることなく ひたすらに力を尽くせ 国のために

千島列島の奥も 沖縄も 日本国の護りの要 統治の及ばぬ異国には勇敢に尽力せよ 我が兄弟 無事であれ 

 国家という大きな枠組みがあり、世界から国境が消えない限り、領土問題は存在し、資源・エネルギー・食糧・防衛問題がそこに横たわっています。決して他人事ではありません。今後の世界の枠組みがどうなっていくのか、日本はどういう立場をとっていくのか。それらについて考え、国の行方を決定する政治家を選ぶ(それともなる?)のは皆さんです。すぐに選挙権をもつ日がやってきます。地歴公民科目を勉強して、よく考えてくださいね。

明るいうちに何をする?

 今日は「夏至」ですね。今年は、6月21日ですが、近年では6月21日または6月22日であり、年によって異なります。北半球では一年のうちで昼(日の出から日没まで)が最も長く、夜が最も短くなる日ですね。日の出の時刻は4時30分頃、日没は19時頃で、昼の時間は約14時間30分、夜の時間は約9時間30分となります。ただ、この時期は「梅雨」の期間ですので、日照時間は冬よりも短くなることも多いようです。最近、水が入れられている田をよく見るようになりましたが、夏至から10日程度までを目途に水を入れるそうです。農家は田植えなどで忙しくなる時期ですね。冬至には「かぼちゃを食べる」「ゆず湯に入る」などの風習が全国的にありますが、夏至には全国的なものはなく、食べるものは地域によって異なるようです。関西では夏至にタコを食べる風習があり、「タコの8本の足のように、稲が根を張りますように」という願いが込められているそうです。大体この時期の「夏至には〇〇を食べるとよい」という風習には、「暑い夏に備えて体力をつけよう」という意味があります。

ところで、生徒の皆さんは、地理や地学で勉強しているはずなので、昼間の長さがなぜ変わるのか説明できますよね。なぜ、極地では白夜や極夜があるのかも。

小学生に説明するとしたら、どう説明するか下の図を利用して考えてみてください。

リカちゃん人形の行き着く先は?

 父の日に映画ミーガン(M3GAN…Model 3 Generative ANdroidの略称)を観てきました。「リング」や「呪怨」といった怖さとは違う怖さがある映画でした。妻と娘は恐いものが苦手なので付き合ってはもらえず一人で観てきましたが、劇場内はいっぱいで前から2列目で観る羽目になりました。子どものおもちゃは年々ハイテク化が進み、「たまごっち」とかが懐かしく感じられる昨今ですが、ミーガンは近未来としては凄すぎるおもちゃ?です。一言で言えばターミネーターの子ども版です。しゃべるおもちゃは今では珍しくもありませんが、ミーガンは第三世代のアンドロイドということで、学習機能があり、自らの意思をもつようになります。

 この映画のあらすじは、次のとおりです。おもちゃ会社の優れた研究者であるジェマという女性が、まるで人間のようなAI人形を開発しました。それは子供にとって最高の友達であり、親にとって最大の協力者となるようにプログラムされていました。会社でのプレゼンが成功し、発売へゴーサインが出ます。たしか100万円以上で販売される予定でした。それより以前に、交通事故で両親を亡くし孤児となった姪のケイディを引き取ることになったジェマは、販売前の実験段階のミーガンに対し「あらゆる出来事からケイディを守るように」と指示し、力を借りる事にしましたが、ミーガンが徐々に言うことを聞かなくなり暴走し始めます。結末は、とりあえずハッピーエンドなのかもしれませんが、ターミネーター2の結末のように切ない気持ちになりました。この映画は、近未来のAIが発達した世界に潜む危険性を描いてはいますが、同時に親と子、友達同士といった人間同士のコミュニケーションの大切さを描き、子どもが小さい時からスマホやタブレットを与え、親子の直接的コミュニケーションが不足する現在および未来への警鐘を鳴らしているようにも思えます。

 子育てには五つの態度が欠かせないと言われます。一つは常に子供に「寄り添う」こと、二つ目は「見守る」こと、三つ目は子どもをあるがまま「受け入れる」こと、四つ目は「待つ」こと、そして最後の五つ目は、子どもの声に「耳を傾ける」こと、です。映画の中でミーガンは、まさにこれらを実行していました。ミーガンが子どもにとって愛情の麻薬みたいなものになってしまう危険性を映画で感じられました。

 また、児童心理学者ベティー・ハートとトッド・リズリーの研究によれば、0歳から3歳の終わりまでの3年間で親が子どもにかけた言葉の数には、一番多い人と少ない人では平均で3000万語の差があるということです。驚きですね。発達の初期に子どもにかける言葉の数がその後の子どもの能力に比例するという結果でした。また、言葉の数だけでなく、どんな言葉がどのように発せられたかという言葉の質にも影響を受けることがわかりました。果たして、アンドロイドが親や友達の代わりになる日が来るのでしょうか。すると完璧な子育てができ、完璧な友達によっていじめはなくなるのでしょうか。人間とアンドロイドが共存する社会を描いたSFがありましたが、人間そっくりになって見分けがつかなくなったアンドロイドとの間にどんな問題が発生するのでしょうか。生徒の皆さんが子育てをする頃は、どんな世界になっているのでしょう。対応できるように汎用的能力、非認知能力を磨いていきましょう。

感情を込めて読んで、歌って?

 今日は、「朗読の日」だそうで、2001年に制定された、まだ新しい記念日です。「ろう(6)ど(10)く(9)」(朗読)と読む語呂合わせから日本朗読文化協会が定めたそうです。

 「朗読」と「音読」の違いはと言うと、「音読」には正確性が求められるのに対して、「朗読」は文章や詩歌の内容をくみ取り、感情を込めて読み上げるという表現力が求められる、というように目的が違うようです。朗読を芸術や学問、教育としてとらえる考え方もあり、「朗読」は「音読」の「芸術的形態」であると昔の学習指導要領書には書いてありました。中学校では、小学校での「音読=朗読」の基礎の上に(音読の芸術的形態として)「朗読」まで指導する、ということだったようです。

 平成29年度小学校学習指導要領国語科編の「解説書・文部科学省発行」には下記のように書いてあります。
 音読では、これまでに身に付けてきた、声の大きさや抑揚、速さや間の取り方といった音読の技能を生かすことが重要である。
 朗読は、読者として自分が思ったことや考えたことを踏まえ、聞き手に伝えようと表現性を高めて、文章を声に出して読むことである。音読が、文章の内容や表現をよく理解し伝えることに重点があるのに対して、朗読は、児童一人一人が思ったり考えたりしたことを、表現性を高めて伝えることに重点がある。 

 覚えたいことがあれば、黙読ではなく音読したほうがよいと言われます。小学校の時は、音読をよくしていたと思います。英語は、音読は必須ですね。古文漢文も音読が有効です。うまく音読できないところがあれば、そこは理解が不十分なところです。朗読は、親が子どもを寝かしつけるのに枕元で本を読んでいるイメージです。あとは、紙芝居ですね。私も子どもが寝る時に読み聞かせをしましたが、感情を込めて大げさに読んでいました。日本昔話のナレーションみたいな感じですね。

 感情を込めて読む訓練は、コミュニケーション力を高めるのにも役立つと思います。高校ではなかなか授業や学校行事で朗読する機会がないのが現状ですが、一日一回、意識的に朗読する時間をとってみてはいかかでしょう。住所や電話番号などを感情を込めて読む練習もあるということを聞いたことがあります。国語や英語以外の教科書を朗読するとどうなるのでしょうね。自分の好きな小説やマンガなら抵抗なくできるのではないでしょうか。楽しく表現力を高められるかもしれませんよ。眠気覚ましにもいいかも。ばかばかしいと思わず、ぜひ勉強の合間にやってみてください。

※今日は、元号の日でもあるそうですが、645年の事件をきっかけに、日本初の元号が制定されたことに由来しています。その時の元号は何でしたっけ?日本史で勉強したばかりですよね。現在の「令和」までいくつの元号が定められているでしょう?元号をなくして西暦だけにしろという意見も昔ありましたが、日本人は元号で時代を意識してきましたので、なかなか難しいですね。天皇制とも絡んできますし。

交通安全を自分事に

 今日は、6限のLHRの時間に交通安全教室を実施しました。普通、交通安全教室というと、警察から交通安全担当部署の方がいらしてビデオを見ながら、交通安全講話をしたり、校庭で安全運転講習をするとともに、スタントマンの方に自動車と自転車の事故を再現してもらったりというのが定番でした。普遍的な交通安全について学習することも、もちろん大事ですが、その学校の生徒が実際に通学する経路での危険個所について知り、どのように行動することが自分の身の安全を守るのかについて考えてもらうことも大切です。

 具体的な実施内容は、①交通委員2名がHR教室でクロームブックとプロジェクタを用いてクラスの生徒に自転車の安全運転とマナーの向上を呼び掛け、②学校近くの信号を左折する際の自転車走行についての動画や学校南側の道路での斜め横断の動画を視聴し、自動車のドライバー目線も見てもらい、正しい走行方法についての学習。③グーグルマップを用いて太田市中高生交通ハザードマップにアクセスし、自分の通学路上の危険個所を知り、クラスで共有する活動です。交通係の先生方が動画を撮影してくれて、自分事となる交通安全教室が実施できました。

 先日、第一回マナーアップ運動が行われましたが、ヘルメットの着用をしていない人、イヤホンをつけて運転している人、2列以上並列して運転している人、後方確認をしない人、そんな人は、ほとんど見られなかったようでよかったですが、地域の人から注意されることもあるのが事実ですので、太東生として看板を背負っているという意識をもって交通ルールとマナーを守って通学してくださいね。交通ルールを破らないための第一歩は、遅刻寸前に登校しないことです。生徒の皆さん、余裕をもって家を出てください。