日誌

2024年2月の記事一覧

運送業の未来は?

 今朝のニュースで「物流の2024年問題」に対する佐川急便の取組を見ました。2024年問題について簡単に説明すると、今年の4月から働き方改革関連法により、ドライバーの時間外労働時間の上限規制(960時間)が設けられることによって輸送能力が不足して輸送に支障が出る可能性があるという問題のことです。ドライバーの労働時間が減ることによって、人件費の高騰、運賃アップなどにより企業の売上減少と様々な影響が考えられます。そのため関連企業は、人材確保や業務効率化などの対策に取り組んでいます。2024年問題の発生によって最も大きな影響を受けるのは長時間労働になりやすい長距離トラックであり、宅配業界ではないようです。トラックの輸送量に占める宅配の割合は「1~2%」にすぎないということで驚きですね。我が家では、1か月に何個の荷物が届くのかというくらいアマゾンやメルカリなどで宅配を利用しています。特に配送料が無料なら、ガソリン代と時間を使って買いにいくよりも得なので、買うものが明確な場合は通販を選んでしまいます。店舗ではなかなか見つけられないものがネット上にはあるのも魅力です。そんな便利な宅配を利用している人は多いと思いますが、ヒト・モノを輸送する仕事は、滞れば経済が麻痺することになります。人間の血管が詰まるようなものです。ドローンによる輸送も将来は行われるようになるのでしょうが、大量の荷物を運べないのと空の交通整理の問題があるので根本的な輸送問題の解決にはならないでしょう。高校生の頃に読んだSF小説に、モニターを通して買ったものが瞬間移動装置で家に届くというのがありました。果たして未来に実現するのでしょうか。現在、人手不足に悩む業界は多く、アルバイトの時給も高騰しています。これから、どのような技術革新が起こり、業務の効率化が進み、働く人に優しい社会になるのでしょうか。皆さんの多くが、これから高校や大学でアルバイトを経験し、就職することになると思いますが、ブラックバイトやブラック企業にひっかからないように気を付けてください。

わからないを理解する

 今日は、2月26日発行の日本教育新聞のコラム「提言」の内容に共感したので、それについて書きたいと思います。以下に提言の内容を要約しました。

 授業を見ていて、教師が発した言葉を子どもがきちんと分かっているとは言えないケースも多々あり、子どもの声を聞くべきだとつくづく感じる。例をいくつかあげると、教師の「この方法についてまとめてください」という指示に対して、「まとめるってどういうこと」というつぶやきがチャットに書き込まれた。「式を簡単にしなさい」では「式を展開したら簡単にならないと思う」とつぶやかれる。確率で「同様に確からしい」は「確かなのか、確かでないのかどっち?」と質問される。「60は100の0.6にあたる」という説明を聞いて、「あたるって、どこにあたるの?」と友達に聞く。教師は、子どもが日頃使わない用語を伝えるときは、より注意すべきだ。対話的学習が単に自分の考えを発表しあっているだけの場合が少なくない。「子どもたちは先生方が望んでいる『対話』とはどういうことかわかっていないと思う。集会時に望ましい『対話』をしている劇を先生方でやって、子どもたちにしっかりしたイメージをもたせることで、話し合いの質は必ず変わってくると思う。

 私が以前に、式典や集会等で話す時に、言葉に気を付けているということを書きました。文字で読んだ時にわかる言葉が、話になるとわかりにくくなることも多いです。ですから、授業での指示や説明には特に気を付ける必要があります。昔、某高校の授業で、授業の終わり15分で教科書の次時の範囲を読んでもらい、わからない語句をすべて書かせ、意味がわからない文章や疑問に思ったことを書かせることを毎時間行っていました。その結果、どれだけ教師が生徒がわかっている前提で授業を進めていたかが判明しました。小学校で社会が嫌いになる原因は、わからない言葉の多さだそうですが、それは中高へ進むにつれて加速していきます。授業をする際に生徒の実態を把握しておくのは、今までの学習での知識・技能の習得度合いと体験等を知り、授業を組み立てる上で教材や学習活動に生かすためです。後半の『対話』については、「説明しなくてもわかるでしょ」という教師の思い込みによって、具体的に何のために何をどのようにするかを子どもがわかっていないためにねらいが達成できないということになります。教科学習だけでなく部活動においても、目的とやることを理解できるようにしっかりしたイメージを持たせて練習しないと効果が半減します。対話的学習では、「対話させる」ではなく「対話したくなるようにする」ために、よいロールモデルを示す必要があります。皆さん、わからないことははっきり言いましょうね。自分がわかっていない時は、他の人もわかっていないはずだと思って。

幸せを数えたら♬

 今から10年前に「幸せ」について少し長い文章を書いたことがありました。なぜか、その時のデータが見つかりません。以前にブログでも何か書いた記憶があるのですが、思い出せません。なので、新しく短めに「幸せ」について書いてみます。私が高校時代に、ばんばひろふみさんの「SACHIKO」という曲がヒットしました。最初の歌詞が「幸せを数えたら、片手にさえ余る。不幸せ数えたら一晩でも足りない」です。「幸せ」についての言葉はたくさんありますが、本質は1つではと思います。「幸せになりたいと思ったら、今の幸せに気付くこと」です。「幸せを数えたら、あなたはすぐに幸せになれる」とショーペンハウアー(独哲学者)は言いました。不幸な人と幸せな人の違いは、同じもの(こと)に対する見方が違うだけなんです。幸せはなるものではなく、気付くものなんですね。そうは言われても、なかなかそんな心境にはなれないという人もいるでしょう。ただ、「生きてるだけで丸儲け」という明石家さんまさんの名言から実感することは「幸せは、その人の心が決める」ということです。「幸せ」については、死ぬ間際にわかるのかもしれませんが、生きている限り考え続けることになるのでしょうね。こうした答えのない問題を考えて、モヤモヤすることも生きていく上では大事ですよ。

そうだ、♨に行こう!

 受検生の皆さんは、昨夜はよく眠れたでしょうか。今日も、朝からあいにくの雨となりましたが、面接も無事終了しました。「人事を尽くして天命を待つ」という気持ちで、合格発表をお待ちください。

 さて、昨年の今日2月22日は「ニャンニャンニャン」で猫の日にちなんで猫について書きました。今日は、群馬に関係ある日で「温泉マーク」の日でもあります。群馬県安中市の磯部温泉組合が制定しました。江戸時代の磯部の古文書に温泉記号(温泉マーク)が記されていることから「日本最古の温泉記号の地」であることを広く知ってもらいたいと制定されました。群馬県高等学校教育研究会が作成した「ぐんまの日本一88」という本でも紹介されています。日付は温泉マークの3本の曲線の湯気が逆から見ると数字の「2」が3つ並んでいるように見えることと、温泉地らしい3つの言葉(風情、風景、風味)の頭文字である「ふ=2」を3つ並べた日付からだそうです。後半のこじつけは苦しいですが、「温泉マーク♨」自体は、わかりやすくて素晴らしいマークだと思います。日本人は、簡略化した記号を作る才能があるらしく、携帯電話で使われるようになった絵文字も日本人の発明ですし、現在目にしている「ピクトグラム」の形が世に広まったのは1964年以降で、そのきっかけは日本で開催された東京オリンピックでした。当時の日本人の英語力では、日本に来た外国人と十分なコミュニケーションをとれる状態ではなかったため、「誰が見てもわかるマークを作ろう」と第一線で活躍するデザイナーを終結させ考案されたのが、オリンピック競技種目や食堂などのピクトグラムだそうです。その種類はオリンピック競技なども含めて約39種類で、デザイナーたちが「社会に還元すべき」と著作権を持たなかったため、便利なピクトグラムは東京オリンピックをきっかけに世界中に発信されて広まりました。他には、交通関係や非常口などのピクトグラムがよく知られています。誰にでもわかるようにという、先日のパキスタンの投票用紙のマークと使われ方は一緒ですね。地図記号は小学校で多くを習いますが、わかりやすく覚えやすいものもあれば、意味を知らないとわからないものもあります。わかりやすいのは、博物館や図書館、老人ホームなどで、意味がわかれば覚えやすいのは、警察署(警棒)や税務署(そろばんの玉)、消防署(さすまた)などでしょうか。私は、茶畑のマークが茶の実を半分に切った時に見える形というのに感動しました(大袈裟?)私たちの身の回りには、たくさんのマークや記号があふれています。気を付けて見て、興味をもったらすぐに意味を調べてみてください。「へぇ~」と思うものがたくさんありますよ。※なぜ、消防署が「さすまた」なのか疑問に思った人は、すぐに調べてみましょう。

日本語プライド

 入学者選抜の1日目の学力検査が無事終了しました。受検生の皆さん、お疲れ様でした。今日は、ゆっくり頭と体を休めて、明日の面接に臨んでください。明日は今日よりも寒くなるようなので、防寒に気を付けてください。

 今日はユネスコによって1999年に制定された国際母語デーです。言語と文化の多様性、多言語の使用、母語の尊重を推進することが目的だそうです。世界には非常にたくさんの言語があり、多くの民族と言語が存在する国もあります。15年以上にわたり、世界の言語に関する目録を発表している機関によれば、第1言語および第2言語の話者総数の順位は、1位英語(13億4800万人)、2位標準中国語(11億2000万人)、3位ヒンディー語(6億人)、4位スペイン語(5億4300万人)、5位標準アラビア語(2億7400万人)です。日本語は1億2600万人で世界13位です。(2021年配信)英語が最も多い理由は、イギリスの植民地になったところが多いためです。世界史で勉強しましたね。

 世界中の人間が国を越えて意志疎通をするために、1887年に世界共通言語としてエスペラントという人工言語が作られました。国際補助語としてはもっとも世界的に認知され、エスペラントを話す人は世界中に100万人程度存在すると推定されており、普及の成果を収めた言語となっています。皆さんは、息をするように普通に母語の日本語を読み書きしていると思いますが、その母語について先日パキスタンの総選挙のニュースを見て驚きました。パキスタンには読み書きできない国民が4割いるので、投票用紙には候補者名とともにシンボルが並んで印刷されていて、有権者はシンボルの上にスタンプを押すだけでいい仕組みとなっています。識字率の低い隣国アフガニスタンでも、似た仕組みが採用されているそうです。母語の読み書きができないということが、どれくらい国の政治経済や文化の発展を阻害するのか想像に難くありません。言語は、単に意思疎通の手段だけでなく、その国や地域、民族の文化と密接に関係しています。ですから、エスペラントで試みられたものの、文化の違いからくる世界の言語の微妙なニュアンスをすべて表現できるような一つの言語を作るのは不可能だと思います。以前にも母語の大切さについて書きましたが、多くの言語を習得し(文化も同様に)国際人として活躍するとしても、その基盤となる母語は家の土台と一緒で、非常に大事です。皆さんには、美しい日本語を身に付けて日本の文化を大切にしてほしいと思います。それと同時に他国の言語や文化を尊重してくれることを願います。

春近し!でも三寒四温に注意!

 今日は21日、22日の高校入試の準備のため、生徒は午前中で完全放課となり部活動ができません。そのため、7時ころから朝練している部活動もいくつかありました。今日は、本当に暑いくらい温かくなりましたので、午後に部活動をやりたかった生徒も多いことでしょう。私も体を動かしたくなりました。「三寒四温」という言葉があります。本来は冬に使われる言葉ですが、日本では寒暖の変化がはっきりと現れる2月の終わりころから3月初めの春先に用いられるようになりました。だんだんと暖かくなり春が近いという意味で使われます。温暖化が進んでいるために、さらに早くから用いられるようになるかもしれません。明日から、また寒くなるということで、受検生の皆さんは寒さ対策をしっかりして万全の体調で2日間の試験を乗り切ってください。応援しています。

頑張れ!受検生!

 今週は、高校受検ウィークです。各高校で準備に大忙しで、ミスが許されない入試業務で気疲れする日々が続きます。在校生は自宅学習日が多くなって嬉しいのでしょうけどね。1年次生は、昨年の自分たちのことを思い出していることでしょう。受検生の皆さんは、ここまできたら最高の体調(頭調)で受検できるようにすることを第一に考えて過ごしてください。    

 さて、スタジオジブリの『君たちはどう生きるか』は、日本ではそれほどヒットしなかったものの、海外でヒットしたようですね。キャリア教育の教材になりそうなタイトル名ですが、皆さんは新書や漫画本で読みましたか。皆さんは、高校入学後に、将来どんな仕事をしたいのか、そのためにはどんな進路にすすむべきなのかについて悩んでいると思います。中高校生は生きてきた中で得た経験や知識はまだわずかであり、3万以上あると言われている職業で知っているものなんてほんのわずかです。働く経験はアルバイトやインターンシップくらいで、社会で本当に働いたことがないのだから、仕事はわからなくて当たり前です。だから、やりたいことや夢が見つからない、将来何をしたらいいのかわからないのも当たり前です。多くの中高生が、「やりたいことがわからないから、勉強する意味がわからない。だから勉強する気にならない。今勉強していることが人生で役に立つのか?」などと思っています。「勉強するから、何をしたいか分かる。勉強しないから、何をしたいか分からない。」とビートたけしさんが言っていますが、わからないからこそ勉強するべきなんです。やりたいことが決まっている人は、いいんです。やりたいことを実現するために必要な情報を収集して思考して判断すればいいのですから。やりたいことが何かわからない人は、何の選択肢ももっていないか、選択肢が多すぎて思考停止に陥っているかのどちらかです。とにかく勉強して選択するための知識・技能という材料を増やさなければなりません。私は高校1年の時に、小説家の城山三郎さんの『素直な戦士たち』をNHKの連続ドラマで見て、小説も読みました。小学生から東大受験を目指す家庭の物語です。主人公の母親は、親の愛情として子どもが自由に育って社会に出るときにどんな職業でも選べるようにしてやりたいと考えました。その象徴的な言葉が「大蔵省にも入れるし、ルンペン(ここでは乞食の意味)にもなれる」でした。この家庭は悲劇的結末を迎えますが、興味をもった人は読んでみてください。高校入試でも大学入試でも、勉強する意味をわかってしているかどうかが、勉強の効果と効率という意味で大変重要だと思います。先人の本を読み、対話して、色々と深く考えてみてください。 

もうすぐ春ですね♪

 気象庁から昨日2月15日に北陸、関東、四国の順に「春一番」が吹いたことが発表されました。例年より14日早いそうです。年々春の訪れが早まり、桜と言えば入学式の頃のイメージが今や卒業式のイメージになりそうです。小中学校の卒業式は3月の中下旬で、高校は、ほとんどが3月1日なので、小中学校では卒業式に桜が咲いていることも多くなりました。今年は、入学式の4月9日まで桜は待ってくれるでしょうか。

 さて、「春一番」を知らない人は、いないと思いますが、何を指して「春一番」というのか定義まで知っている人はそう多くはないと思います。私も知りませんでした。「春一番」とは群馬の「空っ風」と逆で、春先の日本海周辺の低気圧に太平洋側の高気圧から吹き込む南風のことです。関東地方ではその条件として、①立春から春分までの間に、②日本海に低気圧があり、③最大風速がおおむね風力5(風速8m/s)以上の南よりの風が吹いて、昇温した場合。となっています。なお、北海道、東北、甲信、沖縄地方では春一番の発表は行われていないそうです。

 昭和のアイドル、キャンディーズのヒット曲に「春一番」がありますが、「♪雪が溶けて川になって流れていきます つくしの子がはずかしげに顔を出します もうすぐ春ですね♪」のフレーズが明るく、春が来るウキウキ感を出していました。(雪が「溶ける」は「融ける」の間違いではと思いましたが・・・) 春は「別れ」と「出会い」の季節ですので、歌も明るい曲としんみりする曲に2分されます。卒業の別れを明るく歌った曲だと、AKB48の「10年桜」と「Give me five!」が思い出されます。3年次生の皆さん、最後は笑顔でハイタッチして卒業してください。

男子家を出ずれば七人の敵あり?

 学年末考査も3日目が終わりました。お疲れ様です。あと1日です。最後まで気を抜かずに頑張ってください。
 2013年に出版されてベストセラーになった本にアドラー心理学を基にした「嫌われる勇気」があります。嫌われないために自分の意思に反しても全ての人にいい顔をするのはいいことでしょうか?孔子の言葉に「10人いて10人味方、是即ち偽善者なり。10人いて10人敵、是即ち悪人なり。5人敵5人味方、是君子なり」というものがあります。以前にも書きましたが、日本では調和を重んじ争いを好まないことから同調圧力が強く、「出る杭は打たれる」風潮があります。一方、外国では個性を重視するので、自分の意見がなく人と同じということは恥ずかしいという、日本とは逆の風潮があります。「人と違うことをして目立つ」といじめられると思って自分の意見をはっきり言わないことと、「間違う」と恥ずかしいということの気持ちの根っこは「人からどう思われるか」という点で同じだと思います。教室は「学び合い」の場であり、「間違い」からも学べることは多く、教室で間違っても恥ずかしいことではなく「みんなに気付きを与える」という雰囲気が小学校の時から授業でできているところもあると思います。「何をしても責められる社会」を風刺した「ロバと老夫婦」という漫画を紹介します。すべての人を納得させることなんかできないのだから、後悔しないためにも自分の意思を貫くのが一番ですね。ただし、必要以上に嫌われないようにすることも大事です。自分勝手が一番ということではありませんので。

※タイトルの意味は調べてみてください。なぜ、女子ではないのか、現在だとどうかも合わせて考えてみてください。

今でしょ!

 学年末考査も2日目が終わりました。「バッチリ」ですか、それとも「トホホ」でしょうか。まだ2日ありますので、頑張ってくださいね。さて、2月9日発行の「内外教育」という教育小冊子の巻末の記事に次のようなものがありましたので、読んでみてください。自分に当てはまると思いますか。

 『大学生の学びは、大学に入ってからでは遅すぎるという見方もある。高校時代に勉強しなかった学生は大学でも勉強しない。読書や部活動や交友に関しても、高校時代の生活と大学生活は関連している(「モノグラフ高校生」vol.7、ベネッセ1982年)。大学生の「資質・能力」は高校時代までに形成されたものがそのまま継続されることが、大規模な時系列調査で明らかにされている(溝上慎一編著「高校・大学・社会 学びと成長のリアル」学事出版、2023年)』

 私が以前に読んだ記事に似たようなものがあったなと思い、記録しておいたものを検索すると次のようなものがありました。

『「大学生白書2018」の「10年トランジション調査」によれば、「他者理解力」「計画実行力」「コミュニケーション・リーダーシップ力」「社会文化探究心」などの資質・能力は高校2年におけるレベルが大学1年次にも強く影響を及ぼしていることが明らかにされている。「この結果は、高校2年生の秋には、ある程度資質・能力は仕上がっていると言わざるを得ず、大学に入学してきた学生の資質・能力を、大学教育でゼロベースで育てることが難しいことを示唆している。』

 いかがですか。下線部分には、ドキっとさせられますね。もちろん、全ての人に当てはまるわけではなく、そういう傾向が強いということですが、やはり高校生のうちに学習習慣や自分なりの学習方法、そして色々なことに取り組む態度というのは、確立しておくのがよいのではないでしょうか。「まだ、本気出してないだけ」と言う言い訳がありますが、イソップの寓話に「ここがロドスだ、ここで跳べ」というのもあります。ここで、できない人間が他の場所や明日できるのかということですね。大学生でも社会人でも、必要な基礎力は変わりませんので、高校生のうちに身に付けておいたほうがよい力は、できるだけ身に付けられるように努力しましょう。

テスト最終考

 今日から、令和5年度最後の定期考査が始まりました。コロナやインフルエンザで休んでいた人が先週は多かったですが、学年末考査1日目の今日は欠席者がかなり少なくなりよかったです。3年次生が今日から家庭学習に入ったので、今朝から登校する生徒数が減り、校内も寂しくなりました。1、2年次生は、全力で4日間の考査を乗り切って、4月からの新年次によいスタートができるように願っています。

 さて、定期考査の度にテスト関連のことを書いてきましたが、流石にネタが尽きてきました。人生で、果たしてテストはどれくらい受けるのだろうかと考えてみると、「入園」「入塾」「入学」「入部」「入社」「入団」「採用」など、人生の節目で受けるテストはもちろん、普段の生活の中でも小テストや定期考査、模擬試験など、本当にたくさんのテストを受けています。芸能関係のオーディションやミスコンなどのコンテスト等もそうですが、全てのテストは評価されるということを意味します。そして、資格試験のように一定の評価規準を満たせばよいものと、競争試験のように受験者の中から合格者を選ぶために絶対的合格規準がないものもあります。ですから、競争試験には「運」が必要になります。この「運」も、普段の地道な努力の積み重ねが引き寄せると自分に言い聞かせていないと、不合格が続けば心が折れることもあるかと思います。普段の心掛けと言ってしまっては身もふたもないのかもしれませんが、次の言葉を読んでください。

『一流は、通りすがりの人の何気ない一言からも学ぶ。二流はテストに出るところだけを教わる。何かをして効果効能があることだけを聞くのです。人間はたった一言の言葉でも人生が変わります。その一言は、「これから大切なことを言うぞ」という時の言葉ではありません。』

 ある医学部の生化学の教授の話です。学生から「授業では必要最低限の知識だけ教えてほしい」と言われたそうです。効率よく勉強し、最低限の努力だけで国家試験に合格したいのだろうとのことです。 しかし、現実には必要最低限の知識だけでは、患者に臨機応変に対応することはできません。医者の専門化と診療科の細分化が進み、総合医が減ることで色々な問題が生じてくるようです。

 皆さんは、テスト前に先生に「どこが出るんですか?」と質問したことはありますか。学習が深まると、自分でどこが重要かがわかるようになるものです。そうなって初めて自分の身になる勉強になります。テストに出るところを聞いて乗り切っても、すぐに忘れてしまうでしょう。自分の血肉にならずに、そのまま排泄されてしまうようなものです。「まず、テストに受からなきゃ・・・」という現実もあるかもしれませんが、本当に身に付けたいことは「急がば回れ」の精神でやることが大事ではないでしょうか。テストをどう捉えるかで、日頃の取組も変わってくることでしょう。

LonelinessよりSolitude

 先日読んだ小冊子の特集が、『「ひとりを楽しむ 「孤独」を味わう』でした。最近、有名人の著書や言葉などの影響も大きいのかもしれませんが、「孤独」や「ぼっち」を肯定的に捉える風潮が感じられるようになってきました。「ソロキャンプ」に代表されるような「ソロ〇〇」の増加も、そうした傾向によるものでしょう。少年~青年期は、「孤独」に対する感受性が強い時期とも言えますが、「友だち」に対する考え方はそれと表裏一体になっているように思えます。人間の悩みの第一は「対人関係の悩み」らしいですが、けやき坂46のヒット曲の「アンビバレント」には、孤独でいたいけれど孤独じゃいられないという相反する気持ちをもつことによる葛藤が歌われています。人間関係に疲れるけれど一人は寂しいというような内容の小説や歌は、今までにもたくさんありました。皆さんも人間関係に悩んだら、同じことを考えた人たちが出した本がたくさん書店や図書館にありますので、読んでみてください。私が大学生の頃、孤独に関する言葉でそのとおりだと思ったのが、『孤独は山になく、街にある。 一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある。』でした。今日は「孤独」に関する言葉をいくつか紹介しますので、「孤独」について考えてみてください。また、似た言葉である「孤高」については、今回触れませんでしたが、調べて違いを考えてみてください。

〇孤独は悪いことでもみじめなことでもなく、むしろ人間を強く、豊かにしてくれるものなんだと気付きました。田村セツ子(イラストレーター85歳)

〇孤独って人生で唯一失わないものなのかも。孤独があるから大切な人や時間が輝いてみえるんだ。

〇「生まれてきた時も一人なら、死ぬ時も一人である。ならば人と共に生きていても結局は一人なのだ。共に生きた人とだって死を共有することはできないのだから」(一遍上人語録)

〇人は孤独を嫌いますが、孤独でなければ感動は得られません。孤独であるという一種の絶望に立って初めて、他者を愛し共存していく感動を味わい、希望を見出していくわけです。絶望こそ感動につながる最大のチャンスなんです。盲目の画家エムナマエ

〇老人になると、孤独感の先には多幸感が待っている。筒井康隆

 老人ホームでいつもひっそりと一人でいる老婦人に退屈ではないかと訊ねたら、こんな返事が返ってきた。「これまでの愉しかったことを順に思い出しているだけでもう愉しくて愉しくて、時間が足りないくらいよ」

〇孤独を知るということが自立ということであり、孤独の中でしか自分が自分であることの確認はできないものだということは確認しておいてほしい。永田和宏

※タイトルの意味は、「消極的孤独より積極的孤独」です。

わかりやすさの評価

 校長として式典や学校行事などで話をするときは、なるべく聞いている人がわかりやすい話をするように心がけてきました。普通は話す相手を見て、言葉を選んで話すと思います。ですから、テレビ番組やCMでやたら横文字の言葉が多いと、日本語に訳し辛い言葉は別として、どれくらいの人が意味がわかるのだろうと思ってしまいます。先日、神戸のお寺で副住職を務めている方の文を読んで考えるところがありました。以下のような内容でした。

『話をする時に、「相手に伝わらなければ意味がない」と考えていましたが、そこにこだわると、どうしても「わかりやすさ」に偏っていきます。タモリの「テレビを過度にわかりやすくしようするのは、テレビを見ている人をバカにしているのではないか。子どもからお年寄りまでわかるような番組をやろうと思ったことは一度もないです。わからないところはわからないでいい。見ている側に立って何かをやったりすることは、ほとんどないのかもしれない。自分が面白いと思うことをやっている」という言葉は衝撃的でした。(中略)仏教の法話では、言葉で言い表せないことを、必死に言葉で伝えようとする矛盾をはらんでいます。言葉は不思議です。「わかりやすさ」よりも「分かり難さ」が印象に残ることもあります。そして「わからないこと」が人生を豊かにしてくれることもあると思うのです。』

 私は、わからないことが出てくるとすぐに調べます。そこで悩み、深く考えることもあります。世の中はわからないことだらけですから、勉強したくなるのです。子どもの頃にわからなかったことが大人になってわかることも少なくありません。知的好奇心をもち、主体的に勉強し続けることが人生を豊かにしてくれると思います。皆さんはどう思いますか?

IQ、EQ、AQって?

 数年前から、GRIT(困難に直面してもやり抜く力)とかレジリエンス(逆境から回復する力)について書かれたビジネス書が売れています。皆さんは、今までに困難や逆境と呼ばれる状況に直面した時にどうやって乗り越えてきましたか。面接でよく聞かれる質問ですね。人生で出会う困難について述べた言葉はたくさんあります。「艱難汝を玉にす」(多くの困難を乗り越えてこそ立派な人間になるという意味)という言葉がある一方で、「三十六計逃げるに如かず」「逃げるが勝ち」という言葉があります。『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマが少し前にヒットしましたが、今、自分が置かれている状況にしがみつく必要がなければ、さっさと自分の得意なことが活かせる場所に行こうという意味のハンガリーのことわざだそうです。超えるべき目標が高いことをハードルが高いと言いますが、「ハードルが高ければ下をくぐれば簡単だ」と言った人もいました。渋沢栄一は、「逆境に立たされる人は、ぜひともその生じたる原因を探り、それが『人の作った逆境』なのか、それとも『人にはどうしようもない逆境』なのかを区別すべきである」と言っています。対処しがたい逆境にあっても「これが今の自分に与えられた役割だ」と腹を決めれば自ずと心穏やかに、しかし本気で頑張ることができるというのが渋沢さんの考え方でした。逆境を、むしろ面白がる、楽しむという考え方もあります。作家の吉川英治さんは「登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生のおもしろさはその山頂にはなく、かえって逆境の山の中腹にある」と言っています。「世の中は、思い通りにいけばラッキーだ」くらいに達観していれば、戦争や自然災害や病気のような自分ではコントロールできないよほどのことがない限り、困難も逆境もないと考えられます。そうすれば目の前の仕事に必要以上に気負わずに心穏やかに取り組むことができるはずです。「しゃーないなー(仕方ないな)」という言葉を、私は時々使いますが、これは諦める意味の言葉ではなく、「やるしかないか、頑張ろう」という言葉が後に続く言葉です。「大丈夫!なんとかなる!」という話を以前にしましたが、たかが逆境と捉えて前向きに取り組むことで、うまくいくことも増えるのではと考えます。            

 人の能力を測る指標には色々なものがあります。その一つとしてIQ(知能指数)はよく知られていますね。基準値が100で、130以上が非常に高い知能とされています。かつてはIQさえ高ければ「頭がいい」と判断されてきましたが、人間のすべての能力を測れるほど万能なテストではありません。他にEQ(心の知能指数)やAQ(達成指数」や「成就指数」もしくは「逆境指数」)などが開発されました。EQが重視するのは対人関係能力です。EQを伸ばしていけば、自分の感情と上手く付き合うことで前向きな行動ができたり、相手の状況をくみ取って配慮することができたりするとされています。AQ(達成指数」や「成就指数」)は、IQの研究が進むにつれ、IQが学習状況や住まいの環境によって変動する事が分かってきたため、「その子の現段階の知能に対して、学校教育はどれくらいの到達度にあるのか?」を測るために考えられました。そして、もう一つのAQ(「逆境指数」)ですが、これは逆境に対する反応を表す指数です。低ければ逃避し、高ければ解決したり、成長の糧にしたりする傾向があるということです。IQやEQに次ぐ新たなビジネス成功のための指標として、注目されるようになってきました。学校において「非認知能力」の育成が目指されるようになってきたのも、よく生きていくためには学力だけでなく、むしろその他の能力が重要なのではないかと考えられるようになってきたからです。幼稚園や小学校の頃から、遊びや学習を通して対人関係を学ぶということは行われてきていますが、いつまでたっても対人関係の悩みが減らないのはなぜでしょうか?

雪やこんこ♪とは?

 昨日は、久しぶりのまとまった雪となりました。多くの学校で下校が早まり、今日も1~2時間遅れというところがほとんどのようです。今朝は、湿雪で滑りやすい雪でしたが、道路にはあまり雪がなく心配していたより影響は少ないようです。小学生は、昨日の午後は校庭で喜んで遊んでいたようですが、寒い中一緒に遊んでくれていた先生方、お疲れ様です。今日は朝会の後、生徒の動線上の雪かきでは先生方に大変お世話になりました。御蔭様で自転車通学の生徒も安全に構内を走れると思います。ありがとうございました。

 ところで、生徒の皆さんの中で、雪道で自転車運転中に滑って怖い思いをした人はいるでしょうか。私は車で2回スピンしたことがあり、その時は風景がスローモーションになって流れました。2回とも20代前半の教員になる前でした。早朝スキーに行く高速道路上でのことで、他に車がいなかったので事故にはなりませんでしたが、初スピンでしたので今でもよく覚えています。雪道では滑り始めると制御がききませんので、滑ったら運を天にまかせるしかありません。高速道路上のサービスエリアの駐車場で滑った時は、フィギュアスケーターのように何回転も回り、遊園地のコーヒーカップのようでした。これから何年か後に車の免許を取る人も多いと思いますが、雪道の運転は気を付けてください。私が子どもの頃は、節分の時期である2月の上旬は、雪が降ることが多かったですが、最近は温暖化の影響で雪が降るのが珍しくなりました。せっかくスタッドレスタイヤに履き替えても一度も雪道を走ることなくシーズンを終えることが普通になりました。今後は1年中オールシーズンタイヤでいいかもしれません。

 西高東低の冬型の気圧配置だと、日本海側は雪で太平洋側は晴れということが多くなります。雪景色が非日常で「きれい」と感じる我々と違って、雪国の人にとっては、「雪は白い悪魔」というのが近い感情らしいです。私もスキー場で車にどんどん降り積もる雪や前が見えないくらい真っ白の風景に怖いと感じたことがありますが、家が雪の重みでつぶれたり、屋根からの落雪で窒息死したり、雪下ろしで屋根から落ちたりと雪国ならではの苦労と怖さがあるようです。日本は、地域差がありますが台風や地震による災害が多く、特に今後は地震への備えが急務になってきます。関東平野は比較的災害が少ないので、危機感をもっている人は多くないように思えます。「備えあれば憂いなし」と言いますが、防災グッズや非常食等は準備してありますか?

ごんぎつねと読解力

 昨年12月に「PISA2022の結果概要(日本)」が報道されましたが、それによると、日本は数学的リテラシー(1位/5位)、読解力(2位/3位)、科学的リテラシー(1位/2位)の3分野全てにおいて世界トップレベルとなりました。〔( )の左側はOECD加盟国中、右側は全参加国・地域中における日本の順位〕この結果については、様々な分析がなされていますが、手放しでは喜べないようです。共通テストはかなり読解力が求められるようになってきていますが、高校では新しい学習指導要領の下、今までの「現代文」という科目がなくなり、「論理国語」と「文学国語」の選択となりました。それに対して、文学者や国語の教員らからは、文学に親しむ機会が格段に減るのではないかという批判の声が多くあげられました。どちらも必修なら問題とならなかったと思いますが、実用的な文章の読解力は中学生までで十分で、高校生はやはり思考力を養成するような、深い内容の文章の読解でいいのではないかという意見があります。契約書やマニュアルが理解できないようでは困るのですが、それは高校でやるべきことでしょうか。ただ、国語力の向上はすぐに達成できるものではありませんので、生徒の実態に合わせて内容が柔軟に変えられるように、「論理国語」と「文学国語」は、同じ教科書の中で学校の実態に合わせて配分を変えられるようにはできなかったのでしょうか。義務教育において国語は算数と並んで最も重要な教科であり、時間を削ってはいけないと思います。全ての学習の土台となるのが母語の習得です。「読む」「書く」を繰り返す訓練を、小中学校ではしっかりやってほしいと思います。

 皆さんは、小学生の時に「ごんぎつね」という話を国語の時間に学習したことを覚えていますか。この童話のあらすじは、次のとおりです。いたずら好きなごんという狐が、兵十という男の獲ったうなぎや魚を逃していました。ある日、兵十の家で母の葬儀が行われているのを目にして、魚が病気の母のためのものだったことを知って反省し、罪滅ぼしに毎日栗や松茸を届けましたが、兵十にいたずらに来たと誤解され射殺されてしまいます。そして、誤解に気付いた兵十は泣きます。「ごんぎつね」だけではないのですが、昔話を国語で扱う時は子どもの読解力以前の問題で苦労するようです。兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があります。教師が「鍋で何を煮ているのか」と子どもたちに尋ねると各グループで話し合った子どもたちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたのです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。これは一例に過ぎませんが、もう誤読以前の問題なわけで、お葬式はなんのためにやるものなのか、母を亡くして兵十はどれほどの悲しみを抱えているかといった、社会常識や人間的な感情への想像力がすっぽり抜け落ちている。単なる文章の読み間違えは、国語の練習問題と同じで、訂正すれば正しく読めます。でも、人の心情へのごく基本的な理解が欠如していると、本来間違えようのない箇所で珍解釈が出てきてしまうし、物語のテーマ性や情感をまったく把握できません。以上は、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を書いた石井光太さんのお話から引用しましたが、他にも自分の感情や考えを言葉で説明できない子どもが増えているということで、感情のグラデーションを言葉で把握できないと、大人になってからも様々なトラブルを起こしがちと警鐘を鳴らしています。感情を適切にとらえ表現する国語力は、社会のなかで自分と他者が心地よく生きていく力と密接に結びついています。皆さんが生きているこの世界の事象と人の心情を適切に表現するためには、様々な言葉が必要です。どうか国語を大事にして、しっかり勉強してください。

交番と治安

 昨日から本格的に私大の一般入試が始まりました。3年次では多くの生徒が受験に行っています。今日は、寒くなりそうですが、受験生の皆さんの健闘をお祈りします。一方で、2年次生は今日の放課後と明日1日、共通テスト模試に挑みます。先輩方のアドバイスでは、受験勉強のスタートは2年次の秋からがいいという話を聞きますが、この模試を受験勉強スタートの号砲として、ゆっくりでもいいのでスタートしてください。「もっと早く始めればよかった」と1年後に後悔しないように、すぐ始めてください。

 今日2月2日は、交番設置記念日だそうです。 1874年に東京警視庁が設置した「交番所」(交番舎)が世界初のもので当初は、交番の建物はなく、街中の交差点などに警察署から警察官が出向いていたそうです。1881年の今日、1つの警察署の管内に7つの「交番」を設置することが定められました。町の中に常設の建物を置き、そこを中心に制服の警察官が活動するという交番の制度が始まりました。1888年10月に全国で「派出所」(警察官の詰め所)、「駐在所」(外勤警察官が居住する施設)という名称に統一されましたが、「交番」という呼び名が定着し、国際的にも通用する言葉になっているということから、1994年11月1日に「交番」(KOBAN)を正式名称とすることになりました。日本の治安の良さは世界中に知られていますが、アメリカの大学教授が日本に犯罪が少なく治安が良い大きな理由は、都市に交番が設けられ、全国各地に駐在所があり、警察官が地域において住民と良好な関係を築いていることだという研究を発表しています。外国でもKOBANで通用し、今や世界に広がりつつあります。 現在アメリカやラテンアメリカ諸国、およびアジア諸国で導入されています。ブラジルのサンパウロ州のラニエリ地区は「世界一危険な地区」と国連が認定するほど治安の悪いところでしたが、KOBANを導入してから10年後には、殺人の件数は2割程度にまで激減したそうです。日本の制度が世界の平和と安全に貢献していると思うとうれしいですね。

 少年ジャンプで連載され、アニメ化もされた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は警官を描いた漫画としては断トツに有名です。「こち亀」として親しまれ、単行本は全201巻に及び、2021年に『ゴルゴ13』に抜かれるまでは「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定されていました。私も半分くらいは持っています。私が中学生の時に連載が始まり、40年間一度の休載もなく続いたのですから、驚異的です。この漫画は、ほとんど警察組織とは関係ない内容ですが、様々なマニアに受ける内容が盛り込まれ、作者の知識と感性、そして先を見通す力に驚かされます。この漫画が日本の派出所を世界に広める一助になったことは否定できないでしょう。

魔法少女と「Kawaii」

 今日から2月です。令和6年も、もう1月が終わってしまいました。本当に月日が過ぎるのが早く感じます。2月は3連休が2回あり、高校入試で家庭学習になる日が多いので、登校日が14日しかありません。すぐ卒業式です。このブログも終業式で400回となる予定ですが、今日を含めてあと34回です。ただ、3月に入っても家庭学習があるので、1・2年次生の皆さんの現年次での登校日はあと28日です。あと28日ですよ!そのうちの4日は学年末考査です。残された日を大事にして過ごしましょう。

 さて、今日は少し明るい?ことを書きたいと思います。今日2月1日は平成16年に初代『ふたりはプリキュア』の放送が始まったことにちなんで「プリキュアの日」だそうです。平成30年に放送開始から15年となったことを記念して登録されたそうです。プリキュアシリーズは、テレビ朝日系列(ANN)で毎週日曜8:30~9:00に放送されており、『ふたりはプリキュア』が放映され大ヒットしたことで、以降10年以上にわたってシリーズを重ねています。本校の女子生徒も見ていた人が多いのではないでしょうか。東映アニメーションの女児向け作品としては、『美少女戦士セーラームーン』シリーズ以来の新風を巻き起こしました。2018年に公開されたプリキュアシリーズ15周年記念作品の『映画HUGっと! プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』は、当時の全プリキュア55人の夢のタッグが実現したスペシャルな作品で、「アニメ映画に登場する最も多いマジカル戦士の数」でギネス世界記録に認定されているそうです。何かウルトラマンや仮面ライダーがたくさんいるのと同じですね。玩具メーカーとタイアップしているので、親としては新しい番組に変わるとキャラクターグッズの出費が増えて大変です。私は娘が二人いて、ちょうどプリキュアが始まった時が幼稚園の年長と小学校3年生だったので、一緒に見ていました。あとは「おジャ魔女どれみ」や「スーパードール☆リカちゃん」なども見ていましたね。むさしの村遊園地に「おジャ魔女どれみ」ショーを見に行ったこともありました。「プリキュア」というタイトルの由来は「プリティー(PRETTY=かわいい)」と「キュア(CURE=癒す・治す)」という女の子らしいイメージを合わせた造語であり、この名前に至るまでには相当の時間を要したそうです。日本語の「かわいい」は外国でも「Kawaii」として通用します。 サンリオのキティちゃんなどのキャラクターを「Kawaii」とするファンが世界中にいます。プリキュアに通ずる「かわいい」と似た英語にはcuteやprettyがありますが、「かわいい」はそれだけで世界に通じる日本独自の美意識といえます。今では「かわいい」をテーマにした日本画展も開催されています。ただ、なんでもかんでも「カワイイ!」は、「やばい」を連発するのと一緒で、表現力の欠如になってしまいますので、「カワイイ」を説明できるようにできるだけ語彙を増やし、使いこなせるようになってください。