日誌

2023年6月の記事一覧

外国由来のモノはどれくらい?

 今日は、貿易の日だそうで、通商産業省(現:経済産業省)が1963年に制定したそうです。皆さんは、中学校までの歴史で勉強した安政の五か国条約を覚えていますか。1858年に日米修好通商条約を始めとして、オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結んだ一連の通商条約です。1859年6月28日、江戸幕府がこれらの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出したことから貿易の日となりました。しかし、これらの大きな問題点は、不平等条約だったことです。高校入試でもよく出る①領事裁判権を認めたこと、②関税自主権がないこと、③片務的最恵国待遇(ロシアを除く)です。この撤廃のために明治政府は、大変な苦労をしました。また、この条約は天皇の許可(勅許)が得られないまま結ばれたことにより、安政の大獄や桜田門外の変(井伊直弼の暗殺)などの事件を引き起こすことになりました。(日本史の授業みたいになりそうなのでこのへんでやめておきます)            

 日本は外国と様々なモノ・サービスの取引を行っています。多くの場合、それでお互いに利益を得るわけですが、取引総額が不均衡になると外交問題に発展する場合もあります。日本とアメリカとの戦後の貿易摩擦の歴史は長く、「ジャパンバッシング(日本たたき)」という言葉も生まれました。また、特殊な輸出品がある国は、それを外交上優位に立つためのカードに使う場合もあります。最近だと中国のレアアースの輸出規制が、それに当たります。日本は、資源を輸入して付加価値を高めた製品を生産し輸出して、外貨を稼ぐ「加工貿易国」ですから、資源の輸入リスクを減らすために多くの国と貿易しています。しかし、一部の国に産出が偏った資源はどうにもなりません。ただ、日本は資源がない分を補うため、持ち前の技術力によって製品だけでなく新しいエネルギーの開発を進め、世界が驚く成果をあげています。近い将来、他国に依存しないエネルギーが確保できるのではと期待しています。国同士の安全保障は、もとは戦争を避けるためのシステムでしたが、今は「食糧安全保障」や「エネルギー安全保障」など戦争に至る前の段階が重要になってきています。「食糧安全保障」には、穀物などだけでなく水も重要です。他国に多くを依存していれば、「食糧」と「エネルギー」は国民の生死にかかわる問題になります。SDGsばやりの昨今ですが、今、皆さんの身の回りにあるモノは、どこから来ているのか調べてみてください。そして、それがどんな人々によってどのように生産されているのかを知ってください。(政治経済の授業か?)

試験って、ホントに・・・

 今日から1学期の期末考査が始まりました。中間考査の結果を振り返り、しっかり準備ができたでしょうか。小学生になってから、たくさんの試験を受けて来て、これから進学したり就職したりしても試験を受ける機会は、まだまだあることでしょう。自分の努力を「見える化」する機会が試験ですので、前向きに取り組んでください。試験には、社会で必要な「相手の意図を読み取る力」の練習という役割もあります。試験のヤマが当たるというのは、当てずっぽうではなく、しっかりと授業を受けて、先生の意図(どこが重要か)を読み取れるから当たるのです。問題には、必ずねらいや意図があるので、それがわからなければ解答以前にアウトです。小論文や面接などは特にそうですね。私も試験については、いろいろ思い出があり、準備が十分できずに試験を受けて、単位を落とす不安に怯えたこともありました。ですから、白紙の答案のまま時間切れになってうなされる夢を何度も見ています。今日は試験に関する話を三つ載せました。皆さんの心に残るものが一つでもあればと思います。 

 仕事や人生一般でがんばることは大切だが、「幸せをキャッチできるかどうか」は、脳科学的に見ると、その人の努力の総量だけでは説明できない。伝説として、松下幸之助さんが就職の面接試験で「君は運がいいのか?」と聞いたという話がある。それで「運がいい」と答えた人を採用したというのである。松下幸之助自身も「自分は運がいい」と思っていたらしい。 

 「ちびまる子ちゃん」で有名なさくらももこさんが、漫画家になる決心をする転機となったエピソードです。何気なく受けた作文の模擬試験で「わたしの好きな言葉」という課題に取り組みました。その試験の結果は思いがけない高得点で、さらに採点者からは「高校生が書いたとは思えない、エッセイ調の文体がすばらしい。まるで清少納言が現代にきて書いたのかと思うような作文でした」という一言がありました。ももこはとても喜び、自分が「エッセイ」を書くことが得意なのではないかと気付きました。そしてエッセイをマンガで描いてみるのはどうだろうとひらめいたのです。そこから寝る間も惜しんでマンガを描き、マンガ雑誌に投稿を繰り返し、ついに卒業を目前にした冬、デビューが決まったのでした。 

 小学校で「だっこの宿題」というものがあります。「家族みんなにだっこしてもらうこと」が宿題だということです。ある小学校1年生の男の子が、家族みんなにだっこしてもらえて、うれしくて「また、だっこの宿題がでないかな」と作文にかいたそうです。その話を聞いた近藤さんという80代半ばのおじいさんが、「だっこ」について忘れられない思い出があると語りました。近藤さんが鹿児島県男子師範附属小学校3年生の時でした。この小学校は入学試験があり、合格した生徒全員勉強ができる子でした。しかし、クラスにどういうわけか一人だけ、みんなについていけない子がいました。その子はA君といい、お父さんは市内の小学校の校長先生で、性格はとても純粋で優しく好人物でした。でも勉強のほうは、まったくダメだったようです。当時クラスは42人で、一列7人の6列で授業を受けていました。そして毎週書き取りと算数の試験があり、各列7人の合計点が最高だった列の子どもたちには、ご褒美に鉛筆が1本ずつ配られたそうです。80年前ですから鉛筆は貴重です。みんな鉛筆がほしくて頑張りました。ところが、A君のいる列はどんなに自分が頑張って勉強しても、明らかに合計点が低くなり、みんなA君が同じ列になることを嫌ったそうです。担任の先生は有川先生という男の先生でした。みんなが有川先生に「A君を他の列にいれてください」と言って、クラス全体が殺伐としたそうです。有川先生もほとほと困り果て、一番前にいるA君に尋ねたそうです。「A君、どうしてほしいかね」すると、A君は叫んだそうです。「先生、だっこして」。それを聞いた有川先生は「おお、そうか、そうか」と言ってA君を抱きしめて、そして号泣されたそうです。これには、生徒全員が目を丸くして驚き、一瞬教室は凍り付いたそうです。それからは誰もA君を自分の列から外してくださいとは言わなくなったそうです。A君には教室でも、おそらく家庭においても居場所がなかったのでしょう。その小さな生命が限界だったのでしょう。「先生、だっこして」は限界の叫びだったのです。その叫びに気付いた有川先生は、A君があまりに痛々しくて、愛おしくて、堪えられなかったのでしょう。だからこそ抱きしめて号泣されたのです。とても尊い光景だったそうです。福間義朝(浄土真宗本願寺派教専寺住職)

 

自己評価と他者評価、どっちが大事?

 今日は「露天風呂の日」「世界格闘技の日」だそうで、それらについて書くことはできますが、教育的?にまとめるのが難しそうだったので、「評価」について書きます。ちなみに露天風呂の東の横綱は群馬の宝川温泉だそうです。世界格闘技の日は、アントニオ猪木とモハメド=アリの異種格闘技戦からです。

さて、なぜ「評価」について書こうと思ったかというと、最近見た記事に次のようなものがあったからです。

 「お前たちは自己評価が高すぎる」「試合に出られないと、すぐ『なんで俺を使ってくれないんだ』と言うだろう。でも悲しいかな、人生は他人の評価で成り立っている。監督がどうしたら使いたくなるか、チームにどんな選手が求められているか考えろ」野村克也(元プロ野球チーム監督)

 皆さんは、自分の自己評価は高いと思いますか、低いと思いますか。日本人の自己肯定感が低い理由を、自己評価が高いのに、他人からの評価が低いという現実があると、「なぜ他人は自分を認めてくれないんだ」という苦しみが生まれるから、初めから自己肯定感を下げておけば、苦しむ必要がないからと分析していた人がいました。心理学の防衛機制ですかね。 

評価に関する言葉として以下のものを紹介します。他人の評価が気になってしまう人は、読んでみてください。

〇風向きが変わると人の評価が変わるというのが世の常です。ユダヤ人を救った杉原千畝は正しいと思ったことは何があってもやるという強い姿勢を貫きました。 歴史上の人物で評価が変わった人はたくさんいます。

〇第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。イチロー 

〇人の評価はまちまちなのが、当たり前だ。だから、そのことで振り回されて、一喜一憂しない。

〇評価は本来ならば、自分が変わっていくのを自覚できるのが理想。それを助けるために、教師が示唆する。

〇「他のグループからの評価に納得できない」という生徒が現れる。その納得できない気持ちこそが「最高の学び」につながる。

〇自己評価を何度も行い、内省的な力が高まるにつれ、自分を客観視できるようになる。教師の評価と生徒の自己評価をすりあわせることが大切で、差異がある時は、生徒にとっては自分を見つめ直すチャンスに、教師にとっては指導方法や評価手法を振り返るチャンスとなる。イギリスの私立名門校の目標は、生徒の自己評価と教師の評価が卒業までに一致するようになることだそうです。

〇目標で大事なのは、その目標を学習者が理解できること。そして、学習者が自ら評価できること。

社会の中で生きていく以上、全ての人が他者から評価されるのは避けられません。他者の評価も受け入れつつ、自分を客観的に評価できるようになることが、自分らしさを確立し、自己肯定感を高めるために必要なのではないでしょうか。皆さんは、自己評価と他者評価のどちらを重視しますか?それともヒフティヒフティ(50:50)ですか。

感情を込めて読んで、歌って?

 今日は、「朗読の日」だそうで、2001年に制定された、まだ新しい記念日です。「ろう(6)ど(10)く(9)」(朗読)と読む語呂合わせから日本朗読文化協会が定めたそうです。

 「朗読」と「音読」の違いはと言うと、「音読」には正確性が求められるのに対して、「朗読」は文章や詩歌の内容をくみ取り、感情を込めて読み上げるという表現力が求められる、というように目的が違うようです。朗読を芸術や学問、教育としてとらえる考え方もあり、「朗読」は「音読」の「芸術的形態」であると昔の学習指導要領書には書いてありました。中学校では、小学校での「音読=朗読」の基礎の上に(音読の芸術的形態として)「朗読」まで指導する、ということだったようです。

 平成29年度小学校学習指導要領国語科編の「解説書・文部科学省発行」には下記のように書いてあります。
 音読では、これまでに身に付けてきた、声の大きさや抑揚、速さや間の取り方といった音読の技能を生かすことが重要である。
 朗読は、読者として自分が思ったことや考えたことを踏まえ、聞き手に伝えようと表現性を高めて、文章を声に出して読むことである。音読が、文章の内容や表現をよく理解し伝えることに重点があるのに対して、朗読は、児童一人一人が思ったり考えたりしたことを、表現性を高めて伝えることに重点がある。 

 覚えたいことがあれば、黙読ではなく音読したほうがよいと言われます。小学校の時は、音読をよくしていたと思います。英語は、音読は必須ですね。古文漢文も音読が有効です。うまく音読できないところがあれば、そこは理解が不十分なところです。朗読は、親が子どもを寝かしつけるのに枕元で本を読んでいるイメージです。あとは、紙芝居ですね。私も子どもが寝る時に読み聞かせをしましたが、感情を込めて大げさに読んでいました。日本昔話のナレーションみたいな感じですね。

 感情を込めて読む訓練は、コミュニケーション力を高めるのにも役立つと思います。高校ではなかなか授業や学校行事で朗読する機会がないのが現状ですが、一日一回、意識的に朗読する時間をとってみてはいかかでしょう。住所や電話番号などを感情を込めて読む練習もあるということを聞いたことがあります。国語や英語以外の教科書を朗読するとどうなるのでしょうね。自分の好きな小説やマンガなら抵抗なくできるのではないでしょうか。楽しく表現力を高められるかもしれませんよ。眠気覚ましにもいいかも。ばかばかしいと思わず、ぜひ勉強の合間にやってみてください。

※今日は、元号の日でもあるそうですが、645年の事件をきっかけに、日本初の元号が制定されたことに由来しています。その時の元号は何でしたっけ?日本史で勉強したばかりですよね。現在の「令和」までいくつの元号が定められているでしょう?元号をなくして西暦だけにしろという意見も昔ありましたが、日本人は元号で時代を意識してきましたので、なかなか難しいですね。天皇制とも絡んできますし。

「自分探し」より「自分作り」

 今日は、「〇〇らしさ」について思いつくまま書いてみます。世の中には「男らしさ」「高校生らしさ」「子どもらしさ」「先生らしさ」など、たくさんの「らしさ」があふれています。「らしさ」とは「思い込みと偏見」の押し付けだと思いますが、果たして100%間違っているかというと、そうとも思えません。多様性を認めれば、「らしさ」は消えるのでしょうか。

 「自分らしさ」とは何か、悩んだことがある人も少なくないと思います。自分は平凡だと思えば、なおさらでしょう。「自分らしさ」を探そうとすると、絶対的基準ではなく、どうしても他人と比較する相対評価が顔を出します。私という存在の実感は、誰かとの違いを明確にすることで確かめられるのでしょうか。だから、「自分らしさ」を見つけようとすれば、必然的に自分と他人を注意深く比較し、頭一つ抜けた自分の特徴を探し出すことが必要なのでしょうか。現在では、それを多くの他人の手に委ねて「自分らしさ」を認めてもらうために、SNSでフォロワーやいいね!をどうやって増やすかといった、数による承認欲求の充足という泥沼にはまってしまっています。「自分らしさ」は、自分以外の誰かとの比較競争に身を投じて勝利するしか、見つけられないのでしょうか。「自分らしさ」の3つのポイントとして①価値観を大切にして自然体でいる状態 ②他の人にはない自分の特性 ③自分自身で認める個性 を挙げているブログがありました。周りを気にして自然体でいられない人も多いのではないでしょうか。また、自己肯定感が低い日本人にとって「自分自身で認める個性」も見つからない人が少なくないのではないでしょうか。

 「自分の本当の適性というものは、やってみなければわからないという側面がある。何もしないのが一番いけない。まず第一歩を踏み出すこと。踏み出すという実践の中から視野は広がる。あまり狭く考えないほうがよい」と益川敏英(ノーベル物理学賞受賞)さんは、おっしゃっていますが、言い換えれば「自分らしさ」を見つけるためには、いろいろなことにチャレンジしたほうがよいということですね。先日、皆さんにとったアンケートの「身に付けたい力」の2位が「行動力」でしたから、ぜひ行動力を身に付けて、高校時代にいろいろなことにチャレンジし、「自分らしさ」を見つける、というより「自分らしさ」を育ててください。