日誌

2023年3月の記事一覧

弥生の空をか~ざしに♬

 昨日、東京の靖国神社の桜(ソメイヨシノ)の標本木で、桜の開花が発表されました。東京としては統計開始以来、2021年と2020年と並び最も早い記録だそうです。本校の校庭南側の桜は、まだ開花は見られません。入学式には、葉桜になってしまうか、少しは残ってくれているか、今後の天気次第です。22日の合格者説明会の日には、東京では満開の予想ですが、太田は、何分咲きくらいでしょうか。

 さて、日本の春を代表する桜には話題がたくさんあります。今日は桜が日本の国の花になるまでの意外な歴史について少し書きたいと思います。桜は奈良時代の万葉集で歌われており、1300年ほど前には栽培して観賞することが行われていたと考えられています。桜の一番の美しさは、その儚さにあると思いますが、江戸時代まではその散りゆくさまが“死”や“物事の終わり”と結び付けられ、マイナスイメージを持たれていたようです。また、散った花びらは薄桃色からすぐに土気色に変わるため、“心変わり”を意味するとも考えられていました。そのため、桜は縁起の悪いものだと考えられていたのでしょう。桜の散り際のよさから、いつも死に直面していた武士にとっては「潔さ」の象徴と見られていました。それで「花は桜木、人は武士」という有名な言葉が語り継がれるようになりました。江戸幕府が倒された後、桜は封建時代の象徴とされて、欧化政策と廃仏毀釈など日本古来の伝統を否定する運動によって各地の桜の木が伐採されてしまい、多くの品種が絶滅してしまったそうです。昭和になって欧米列強と対峙するようになると、桜は今度は「軍人」とその精神の象徴として復権を果たし、学校に植えられるようになりました。戦後は国の政策でソメイヨシノが全国に広められ、桜の花は日本のシンボルとなりました。

 今年は、上野公園での飲食を伴う花見が解禁されたようで、お花見に出かける人が大幅に増えそうですが、花見は日本だけのものではありません。今や人気の名所となった米国の首都ワシントンD.C.の全米桜祭りには百万人以上の人が訪れるそうです。明治の終わりに友好のあかしとして日本から贈られた桜が始まりというのは有名な話ですね。では、その返礼として1915年、米国から日本に送られた花があることをご存じでしょうか。今では公園や街路樹で多く見受けられるようになった花です。今年で108年、その花とはハナミズキだそうです。校長室の外にもあります。自宅の庭にもあります。

 桜は600種類以上ありますが、日本の国花は厳密には「ヤマザクラ」であり、「ソメイヨシノ」ではありません。あと菊も日本の国花です。皆さんの持っている100円硬貨の表にも桜があります。お札にはすべて桜が描かれていますのでどこにあるのか探してみてください。簡単に桜の歴史を紹介しましたが、みなさんには、この時期、あらためて桜の儚くも美しいところを感じてもらえればと思います。

 日本の自然を代表する植物には、梅・桜・たんぽぽ・菜の花・つつじ・紫陽花・ひまわり・菊・紅葉などがありますが、その中でも桜を歌ったものが断トツに多いようで、千曲以上あるようです。個人的には、森山直太朗さんの「さくら」、いきものがかりの「SAKURA」、AKB48の「桜の花びらたち」「10年桜」、初音ミクの「千本桜」が好きですが、福山雅治、コブクロ、レミオロメン、ケツメイシなどたくさんの有名なアーティストが桜ソングを歌っています。桜の時期は卒業・入学シーズンですが、どちらかといえば卒業の別れをテーマにした歌が多いようです。ですから、AKB48の「10年桜」のような明るい歌は少数派ですね。コロナ禍になってから、カラオケには行けていませんが、今年は気兼ねなく歌えるようになるでしょうか。校歌もマスクを外して、体育館でみんなで歌えるようになることを切に願っています。最後に有名な和歌を紹介します。

「世の中にたえて桜のなかりせば 春のこころはのどけからまし」在原業平 現代語訳「もし世の中にまったく桜がなかったなら、桜の花が咲くのを待ち望んだり、散っていくことを悲しんだりすることもなく、春のひとの心はもっとのどかだっただろうに」皆さんは、どう思いますか。

「あいまいな」vs「美しい」

 ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんが亡くなりました。もう一人のノーベル文学賞作家に川端康成さんがいますが、この二人の授賞式での講演が対比されます。大江さんの「あいまいな日本の私」は、川端さんの「美しい日本の私」を意識し、批判的に書いたようですが、ここでどちらかの立場で私的な意見を書くのは控えます。突っ込むと日本の特殊性や歴史的価値観の論争になってしまいますので。興味をもった人は二人の講演が新書で読めますので読んでみてください。どう読み取るかは人それぞれですが、言外の意図も読み取るとなると難しいですね。

 「あいまい」は、普通いい意味では使われませんが、客観的に定義できる言葉です。逆に「美しい」は、普通悪い意味では使われませんが、主観的な言葉で客観的に定義できるものではありません。日本語には、世界的に見てあいまいな表現が多いと言われますが、「YES」「NO」のどちらともとれる言葉は、外国人にとっては悩むところでしょう。例えば「大丈夫です」は、「けっこうです」と同じく肯定的意味と否定的意味の両方で使われます。「YES」「NO」をはっきりさせず、相手にこちらの意図をくんでもらうことを託しています。あいまいな表現には、相手に不快な思いをさせてたくない、傷つけたくないという、日本人の「思いやりの心」が詰まっているのです。「はっきり言うと角が立つ」という表現がありますが、以前にブログで書いた聖徳太子の憲法十七条の「和をもって貴しとなす」が国民性になっているのが日本なのです。ただ、他にも「主語がはっきりしない」や、「程度が不明確な言葉が多い」など、ビジネスの場では問題となるあいまいさが日本語にはあるので、具体的な表現に言い換える必要があります。「すぐに」「十分な」「処理する」などは程度が不明な言葉の例です。     

 日本は、幕末に開国してから西洋列強に追いつき追い越せと、殖産興業・富国強兵策をとりました。その際に、外国の製品が「舶来品」としてもてはやされ、日本のものは低く見られ、多くの文化遺産が外国に流出しました。日本の文化の価値を認め、尊重したのは皮肉にも外国人でした。そうした物質的に目に見える日本のよさだけでなく、日本人のマナーや礼儀正しさが、スポーツの国際試合での会場やロッカールームの清掃、そして今回のWBCでの佐々木朗希選手のチェコ選手へのデッドボールへの対応など、広く海外に報道されて称賛されています。

 「令和」は、英語で「ビューティフル=ハーモニー」と訳されますが、「美しき調和」と言い換えたとき、スマートに調和に至るために「謙譲の美徳」という言葉が思い浮かびます。「生き馬の目を抜く」グローバルな世界で勝ち抜くためには、甘いことは言っていられないのかもしれませんが、多面的多角的に日本のよいところを捉え、独りよがりになることを避けつつ、学校という場で日本のよさを伝えていきたいと考えます。

略語の未来(RGM)

 このブログは、学校でのことを第一にして話を広げていくようにしていますが、それができないときは「今日は何の日」や「時事ネタ」から発展させて書き、それでもこれはというものがないときは「ネタ帳」から探してきます。今日は略語について書こうと思います。

 さて、3月9日のブログで私が日本語の中で美しいと思っている言葉として「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」をあげました。ただ、これらの言葉が略されることも運動部では多いようで、「こんにちは」が「ちはっ」に、「ありがとうございます」が「あざすっ」に略されて普通に使われています。残念ながら美しい言葉とは言えません。言葉は生きているので、時代によって変わっていくのはある程度仕方ないとは思いますが、省略されたものが広まりすぎないようにしてもらいたいです。ただ、「こんにちは」「さようなら」も略語なので、これ以上短くなってほしくないですね。11月30日のブログで書きましたが、「こんにちは」は「今日(こんにち)は、お元気ですか。」「今日は、ご機嫌いかがですか。」などが略されたものですし、「さようなら」は、「左様(さよう)ならば、ご機嫌よう。(また、お会いしましょう)」の略語です。私は「気にするな」という意味の「ドンマイ(Don’t mind)」というかけ声が好きですが、最近あまり聞かなくなったような気がします。「試合中のミスに萎縮して、また失敗しないように励ます言葉で、「ガンバレ」というソフトな圧力がある言葉ではないので好きです。

 略語とは認識していない言葉もたくさんあります。「ボールペン」「シャーペン」「食パン」「経済」「教科書」などは、皆さんがよく知っていて普段使っている言葉ですね。このくらいならば許容範囲だと思いますが、高校生の頃に読んだ「産業士官候補生」(眉村卓著)という小説の中で、効率を極端に進めた結果、最小限の言葉による人間味のないロボットのような会話がされるシーンがあり、印象に残っています。言葉を略しすぎて、日本人同士でも翻訳機が必要になる、そんな未来がこないことを祈っています。

あなたは、神仏を信じますか?

 WBCが開幕し、昨日は日本VS中国で日本が快勝しました。現在、ラグビー、サッカーに続いて野球が盛り上がっていますが、連日報道されている大谷選手の経済的効果はすごいですね。次は8月にバスケットボールワールドカップが日本、インドネシア、フィリピンで開催されます。楽しみです。

 さて、最近、気になっているニュースの中で宗教2世問題があります。昨年の7月8日に安倍晋三元首相が殺害された事件の犯人の動機から、宗教団体と政治家の関係が取り沙汰され、多くの問題が報道されるようになってきました。一つは多額の献金によって、家計が影響を受けて家庭が崩壊する問題で、もう一つは、保護者による子どもへの信仰の強制や虐待です。それに関連してエホバの証人による輸血拒否が、最近のニュースで取り上げられましたが、1992年に起こった信仰による輸血拒否事件は、私も現代社会や政治経済の授業において取り上げました。宗教教育と政治教育は、教師の考えを押し付けることなく多くの資料から公平公正な授業を行わなければなりません。多くの人の意見や考えから学び合うことが必要です。成人であれば、信仰の自由と人格権を主張して、輸血しない場合に死んでもかまわないと覚悟して輸血を拒否するのなら仕方ないのかもしれませんが、未成年、特に小学生以下の子どもについて信仰を強制したり教義に基づいて意に添わぬことを強制したりすることは、親権の濫用であり、人権尊重の観点から許容できないと私は考えます。日本人は、よく「無宗教」と言われますが、決してそんなことはなく、特定の宗教に深く関わっていない人が多いだけで信仰心はほとんどの人がもっていると思います。この我々が生きている地球と宇宙の存在と神を同一視して畏れる心が、無意識下にあるといっていいでしょうか。宗教は、本来、人が心の平安を求めて創始したはずです。その宗教によって苦しんでいる人が多くいることは、なんとも皮肉です。「信ずる者は、救われん」(聖書に語源)「いわしの頭も信心から」(一旦信じてしまえば、どんなものもありがたく思える)という言葉がありますが、「苦しい時の神頼み」が多くの日本人の実感に合っているのかもしれません。皆さんは、最後の心のよりどころをもっていますか。

ありがとう

 今日3月9日は、サンキューの語呂合わせから「サンキューの日」「感謝の日」「ありがとうを届ける日」などとなっています。

 さて、日本語の中で好きな言葉、美しいと思う言葉と聞かれた時に、皆さんは何と答えるでしょうか。私は、以前にブログで書いた「こんにちは」「さようなら」に加えて「ありがとう」が、日本語の中で美しい言葉だと思っています。だから、マンガ「あたしンち」のアニメ主題歌『さらば』で「こんにちは、ありがと~、さよなら~、また会いましょう♪」と歌われていたのを聞いたときは、びっくりしました。感謝を歌った歌は、たくさんありますが、「ありがとう」が21回出てくる井上陽水と奥田民生の『ありがとう』は別格ですね。個人的に最も好きなのは、朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」の主題歌になった、いきものがかりの『ありがとう』です。泣ける歌だと思います。あと、私が小学生のころ、「ありがとう」というテレビドラマがあったのですが、水前寺清子さんが歌っていた主題歌『ありがとう』を、今でも覚えています。サビは「今日も明日も ありがとう」です。

 「ありがとう」の語源は、お釈迦様の「盲亀浮木のたとえ」にあると言われていますが、人間に生まれるということが普通ありえないくらい難しいことだということを「有り難し」と表現しました。だから、仏教では人間に生まれてきたことは、大変喜ぶべきことだと教えられています。それと同様に「他人から何かしてもらうことは、めったにないことであり、有り難いこと」というところから「有り難い」、それがくずれて「有り難う(ありがとう)」となりました。

 朝、起きたときに生きていることに感謝する。ごはんが食べられることに感謝する。衣服があることに感謝する。学校に行って勉強できることに感謝する。仕事があることに感謝する。住む家があることに感謝する。お風呂に入れることに感謝する。眠れる布団があることに感謝する。朝起きてから夜寝るまで感謝することだらけですね。一方で、すべて当たり前と思えば、感謝することなど一つもありません。感謝の心がない人は、不平不満だらけだと思います。皆さんは、感謝と不平不満の人生のどちらを選びますか。