日誌

2023年10月の記事一覧

災い転じて福となる

 「災い転じて福となす」という諺があります。 身にふりかかってきた災難を,立場や見方を変えてみることによって,うまく活用し,逆に自分の役に立つようにするという意味ですが、タイトルは「なす」ではなく「なる」です。

なぜ、「災い転じて福となる」なのか?それに結びつく印象的なニユースがあったからです。今朝、秋田県の知事が、23日に地元で行った講演での失言のニュースが流れました。 知事は、全国知事会議で四国を訪れた際の体験を「四国なんか、もう大変ですよ。酒もうまくないし」と言い、さらに「メインディッシュがいいステーキだと思って開けたら、じゃこ天です。貧乏くさい」と発言していたのだそうです。 じゃこ天は、小魚のすり身を揚げて作る“愛媛県のソウルフード”。それを県のトップが、「貧乏くさい」とけなしたので問題となりました。じゃこ天を作っている会社は、売上が減ることを覚悟したそうですが、逆に1.5倍に増えました。なんと秋田からの注文が全体の6割を占めたそうです。注文した秋田県民が、「うちの知事が大変失礼なことを言って申し訳ない」と謝罪の言葉を述べていたそうです。皆さん、この秋田県民の対応は、どうですか。素晴らしいですね。よく、政治家の失言がニュースになりますが、心の中でそう思っているからつい口に出てしまうのであって、思っていないことは口から出ません。「口は禍の門」「口は災いの元」とよく言いますが、私も、今まで失敗した経験がありますので、自戒しています。今回は、秋田県トップの失態によって秋田県民が恥ずかしい思いをしたところを、県民によって名誉挽回され、かえって有名になって売り上げが増えました。災い転じて福となったのです。「めでたし、めでたし」と言ってもいいくらい、本当によかったですね。

「スマホを捨てよ、書を読もう」

 今日から「読書週間」ということですが、皆さんは、本を一ヶ月にどれくらい読んでいますか。「読書週間は」は、1924年に図書館の利用PRを目的に日本図書館協会が制定した「図書館週間」(11月17日~23日)を母体としています。「読書週間」の目的は、読書の力によって、平和な文化国家を作ろうというものだそうです。最初は、一週間でしたが、1948年の第二回「読書週間」から、11月3日の「文化の日」の前後にまたがる現在の10月27日~11月9日の二週間に期間が延長されました。「読書週間」の一日目の10月27日は「文字・活字文化の日」に制定されています。

 書店には、雑誌や本があふれているのに、読書量は減り続けています。全国学校図書館協議会が毎日新聞社と共同で調査を行った第67回学校読書調査(2022年)によると、5月1か月間の平均読書冊数は、小学生は13.2冊(前回比+0.5冊)、中学生は4.7冊(前回比-0.6冊)、高校生は1.6冊(前回と同じ)です。小学生の平均読書冊数は4回連続で増加しており、前回に引き続き、過去31年分の調査のうち最高値でした。5月1か月間に読んだ本が0冊である「不読者」の割合は、小学生は6.4%(前回比+0.9%)、中学生は18.6%(前回比+8.5%)、高校生は51.1%(前回比+1.3%)となり、全体的に増加しています。特に、前回は過去最低値であった中学生の不読者の割合が、著しく増加しました。

 皆さんは、上記の結果を見て、読書量の減少の原因は何だと思いますか?私は先日のテレビ番組で、スマホを見ている時間が病的に多いの人たちを見て、恐怖を感じました。平日1日当たりの平均スマホ利用時間は、高校生5時間45分、中学生4時間37分、10歳以上の小学生3時間34分でそうですが、1日15時間以上スマホを見ている人もいて、正常な生活が送れているのかと思いました。どこに行くにもスマホがないと落ち着かない依存症の人はいませんか。電車の中で、本を読んでいる人は昔はけっこう見かけましたが、今はほとんどの人がスマホを見ているか寝ているかです。読書量が減り続けるのも当然ですね。読書とは、色々な人たちの考えや思いを手軽に知ることができる活動であり、人生の師匠をたくさん得られる活動です。じっくりと文章を味わって読む、繰り返して読むという行為のよさをぜひ知ってほしいと思います。そして、できれば電子書籍ではなく紙の本のよさを知ってください。

楽 < 楽しい

 今日は、関東地区代表高等学校長研究協議会・群馬大会に出席してきました。午後は群馬大学副学長で大学院理工学府の教授である板橋英之先生の講演がありました。「大学発ベンチャーの挑戦」と題して株式会社グッドアイの取締役会長として、健全な地球環境と豊かで快適な暮らしの創生を目指して、どのような事業に取り組んでいるのかを傾聴しました。群馬大学は企業から高い評価を得ているそうです。右のデータが、日本の国立86、公立101、私立620の大学の中での群馬大学のランキングです。板橋先生は、本当に楽しそうに話しをされる方で、大学の先生でこれほど楽しそうに話しをされる先生は初めてです。板橋先生の研究室で学ぶ学生は幸せだろうなと感じました。講演最後の高校生へのメッセージの中の「真剣にやれば何でも楽しい」「楽より楽しい」が印象に残りました。
 受検生の皆さんも、真剣に勉強すれば楽しいんだと思って、頑張ってください。

トゥース!

 皆さんは、「8020運動」というものを知っていますか。1989年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動です。20本以上の歯があれば、食生活にほぼ満足することができると言われています。やはり、固いせんべいをバリバリ食べられたほうが気持ちいいですよね。そのため、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえるように」との願いを込めてこの運動が始まりました。テレビの入れ歯安定剤のCMなどを見ると、入れ歯だと色々と不便で食べ物が自分の歯に比べると気持ちよく噛めないんだなと思います。歯医者に行くと、インプラントやブリッジの方法についての解説動画に中で「自分の歯で噛める幸せ」という画面が出てきます。

 歯の本数は、本来なら32本らしいですが、私は上下で4本少なかったため、歯間があいてしまい高校時代に矯正をしていましたが、矯正って痛みが続くんだなということを初めて知りましたね。私は虫歯になりやすかったのか、小さい頃から歯医者さんのお世話になることが多く、義歯が何本も入っています。前歯は2本差し歯です。先週末、歯が痛くなり先日1年ぶりに歯科医院に行ってきました。歯が痛いと頭や首まで痛くなってきたりして、思考力と集中力がそがれます。ちゃんと1日3回歯磨きしているのになぁと思いながら、歯医者さんに診てもらうと虫歯ではなかったものの奥歯の詰め物を全部ほじくり返すことになりました。痛みがないのは幸せだなぁと昨日は思い、丁寧に歯磨きしました。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といいますが、歯磨きを適当にせず、20年後に歯を20本残すことを目標に、今後は歯磨きを頑張りたいと思います。

 噛むという行為に必要な歯は、よく生きる上で特別に大事なものです。その理由は、3つあります。まず、噛むことによって、唾液の分泌がよくなること。 唾液には、消化を助け、口腔内を清潔にする働きがあります。 次に、噛むという機械的な刺激が、頭やあごの骨、顔の筋肉の発育を促し、表情豊かな顔をつくるほか、大脳の働きを活性化すること。 そして、かたいものをかみくだく爽快感はストレス解消になるといわれていること。10代の生徒の皆さんは8020なんてとんでもなく先の話だと笑うでしょうが、よく噛めるように、若い時から歯と歯茎の健康には気をつけましょう。

みんな違ってみんないい!

 皆さんは、自分は外向的・内向的のどちらだと思いますか。昔、勉強の仕方とか職業の選び方とかを診断するのに、どちらに入るかテストみたいなものが学習雑誌でありましたが、今はキャリア教育関係で性格や嗜好などから「あなたに合った勉強方法や職業」を教育関連企業が教えてくれるようですね。

 少し前に、外向的・内向的性格についての記事を読んで、驚いたことがあります。それは、内向型か外向型かは生まれついての脳の仕組みで決まるもので、本人のやる気の問題ではないということです。気質は変えられないけれど、性格は外向性以外は変えられると、7月18日のブログで書きましたが、そういうことかと思いました。

 内向型人間と外向型人間の最大の違いは「刺激への感受性」であると言われています。ドーパミンの感受性が違うのです。ドーパミンが出ると、テンションが上がったりいい気分になったりするのですが、内向型人間はこのトーパミンの量が少なくても満足することができます。一人で本を読んだり絵を描いたりしているだけでも十分楽しいし、しょっちゅう飲みにいかなくても、仲の良い友達とたまに会えれば満足なのです。内向型人間は、即断即決は苦手ですが、過去の失敗を踏まえて改善点を見つけたり、慎重な判断を下したりといったことに長けていると言えます。昔、「先生方が、みんな明石家さんまみたいだったら困るんじゃないか」と話したことがあります。色々な種類の楽器がハーモニーを奏でるオーケストラのように、色々なタイプの人間がいてお互いに得意なことで協力し合っているのが社会なので、先生も同じようなタイプの先生ばかりになったら生徒が困るということです。会社の人事部では、採用試験で同じタイプばかりにならないように考えています。同じようなタイプばかりになると会社が停滞してしまうからだそうです。

 外向型でも内向型でも、どちらが優れているというわけではありませんので、自分の長所短所を理解した上で長所を生かせる進路を選択し、仕事や生き方に生かしてください。

♪よ~く考えよ~♪ 仕事は大事だよ~♪

 以前にパワハラ・セクハラなどハラスメントについて書いた記憶がありますが、ハラスメントとは、相手の意に反する行為によって不快にさせたり、相手の人間としての尊厳を傷づけたり、脅したりすることを言います。

 プレジデントという雑誌で文学者の内田樹さんが、次のように書いています。『高部大問さんの「ドリーム・ハラスメント」には、中学三年生の夏休み前に「2学期までに人生の夢を具体的に決めてきなさい」という宿題が出され、子どもたちが暗い顔をするという実体験が書かれています。どの大学のどの学部に入学し、どんな資格やスキルを身に付け、どんな企業に就職したいのかの決定を、10代半ばの子どもたちに求めてくる。これは高部さんが言う通り、子どもたちに対する「ハラスメント」だと思います。』というものでした。この意見に対して、皆さんは共感しますか?自分の生き方について考えてもらうことはハラスメントなのでしょうか。もちろん、何の事前学習もせずに考えさせても無理に決まっています。小・中・高の発達段階に合わせて、少しずつ考えを深めてもらえばいいことかと思います。

 2003年に「13歳のハローワーク」という本が出版され、2010年には改訂版『新 13歳のハローワーク』が出版され、600以上の職業が紹介されています。13歳のハローワーク公式サイトもあります。キッザニアという子どもが職業体験できるアクティビティも全国に3か所あります。キャリア教育が出てきた背景には、中・高等学校の進路指導が学業成績に基づく「出口指導」に矮小化されたことや、職業につかない若者が増加して社会問題になっていたことがありました。高校受験で、普通科・職業科を選ぶには厳密でなくとも将来どんな職業に就きたいか、どんな仕事をしたいか考える必要があります。大学受験では、さらに細かく学部・学科が分かれているので資格が必要な職業に就きたいなら、ここで選択しなければなりません。好むと好まざるとに関わらず、いずれ社会人となって自立することがほとんどの人に求められている以上は、自分が何をして生計を立てていくかについて考えなければなりません。その場合、世の中にはざっと3万種類の職業があると言われ、AIの進化やロボットの開発で、なくなる職業も増える一方で、新しい職業も生まれてきて、それらの中から自分に合ったやりたい職業を見つけなければならないのですから、大変と言えば大変です。選ばなくても収入が得られる仕事を作ってしまってもいいわけです。「自分のことは自分が一番よくわかっている」という言葉は一面では真理でも、「自分がどんな人間かは、自分でなく自分の周りの人が判断する」という言葉もあるので、自分とはどんな人間かをよくよく考える必要があるようです。決断するのは皆さん自身です。やる気があればやり直しはききます。でも、その前によ~く考えましょう。

 最後に仕事についての言葉を一つ紹介します。「思い通りにうまくいく仕事なんて世の中にはひとつもない」(絶対悲観主義) 仕事とは、100%自分以外の誰かの役に立つためにすること。自分のためにすることは趣味です。仕事は自分以外の他者=お客様に価値を提供して喜んでいただくことです。

フリース¥980~ 何年着ますか?

 今日はリサイクルの日だそうです。「ひとまわり(10)、ふたまわり(20)」と読む語呂合わせから日本リサイクルネットワーク会議と地域交流センターが1990年に制定しました。通商産業省(現:経済産業省)ほか8省庁が10月を「リサイクル推進月間」とし、その後に現在の「リデュース・リユース・リサイクル推進月間」(略称:3R推進月間)となりました。皆さんも公民や家庭科の授業で勉強しましたよね。食については、世界食料デーや食育の日その他で取り上げましたが、今日は「衣」についてとりあげようと思います。以下の文は、「倫風」という雑誌からの引用です。

 『食品リサイクル法や建設リサイクル法が施行されている「食」・「住」の業界に比べると、「衣」は法制度の整備も進んでいません。さらに、日本の衣類は海外への依存度がかなり高く、小売市場で売られている衣料品の約98%が海外からの輸入です。現状では衣類の7割近くがごみとして廃棄され、その中で再資源化されるのは5%ほどです。服一着を作るのに、二酸化炭素約25.5キロ(500mlのペットボトル255本分)を排出します。石油由来の合成繊維を材料とした製品製造にかかる温室効果ガス排出量は、世界全体で12億トンの二酸化炭素に相当し、国際航空業界と海運業界を足した量よりも多い。また、服一着あたり約2300リットル(浴槽約11杯分)の水を消費する。綿花生産を含む繊維生産には1年で93兆リットルの水を消費し、これは500万人の1年間の需要を満たす量にあたる。本来であれば、企業が価格は高めでも長く着用できる質の高い製品を提供し、消費者もそうした服を長く使うことが環境への負荷低減に繋がります。しかし、国内における衣類の供給量は1990年の約20億着から2019年には約40億着とほぼ2倍になっています。その一方で一着あたりの価格は安くなり、大量生産・大量消費が進んでいるのです。』

 皆さんは上記の文章を読んで、どう思いましたか?また、自分が着る衣類について、どんな考えをもっていますか?ユニクロやGUなどをよく利用しますか?買ったものは長く着ますか、それとも数回着て新しいものを買うほうですか?私は気に入ったものを長く着るほうなので、季節によって週末はほぼ同じような恰好をしていることが多いです。スーツやワイシャツ、ネクタイなどは本当に気に入ったものしか買わないし、迷ったら何日か待って、それでも欲しかったら買うようにしているので、タンスの肥やしになることは少ないと思います。それでも、1年に1回も着ないものが出てくるので、断捨離することになります。「あ~っ失敗した。次からはもっとよく考えて買おう。」と思いながら。確かに昔みたいに「安かろう悪かろう」という製品は減っていて「安くて品質もよい」製品も増えています。ただ、衣料品店に行って大量の衣料品を見ると、どれくらい売れ残るのだろうと思ってしまいます。それは食料品店へ行っても本屋へ行ってもそうです。資本主義社会での競争によって、そうした光景が当たり前になってしまい感覚が麻痺してしまっているようです。今年は、地球温暖化ではなく「地球沸騰」という過激なキーワードが出てきましたが、国際社会は制御できずに行き着くところまでいってしまうのでしょうか。生産量を法律で割り当てしなければならない時代が来るのでしょうか。そして資源の無駄遣いを減らすためにオーダーメイドが増えるのでしょうか。

※リデュース(Reduce)は、製品を作る時に使う資源の量を少なくすることや、マイバックの使用や簡易包装により廃棄物の発生を少なくすること。リユース(Reuse)は、使用済製品やその部品などを繰り返し使用すること。リサイクル(Recycle)は、廃棄物などを原材料やエネルギー源として有効利用すること。

♫人生はワン・ツー・パンチ♪♬

 人生について考えさせられる説として「人生無意味説」と「人生ペルシャ絨毯説」というものがあります。「人生無意味説」は、『人は生まれ、苦しみ、死ぬ。人生に意味はなく、人は生きることで何かの役に立つことはない。生まれようが生まれまいが、生きようが死のうが、どうでもいいのだ。生きることにも死ぬことにも意味はない。』という、ニヒリズム(虚無主義)の極致みたいな説です。一方、「人生ペルシャ絨毯説」は、『過去に生じた不幸や苦悩、惨めさなどは、念入りに織り上げられた美しい装飾の一部でしかない。美しい絨毯には、光沢だけでなく、陰影も必要であることを思い出そう。それは、ネガティブな出来事であってもそのすべてを喜んで受け入れる態度と相通ずる。』です。前者はネガティブ思考、後者はポジティブ思考と言えるかもしれませんが、前者は「どうでもいいのならどうにでも自由に生きられる」と捉えることもできます。「人生ペルシャ絨毯説」は中国の故事「人間万事塞翁が馬」と同質のものだと思います。

 今、受験勉強真っ只中の3年次の皆さんだけでなく、1、2年次の皆さんも多かれ少なかれ勉強や部活、その他の悩み(恋?)をかかえていると思います。『人は努力する限り悩むものだ』という言葉があります。アナウンサーの古舘伊知郎さんは、『本来ならウジウジする時間こそ大切にすべきなんです。僕が自由闊達に話せているとしたら、そうした時間をたくさん費やしたからに他なりません。悩む時間は、自信の源になります。自信がつけば、どんなことも思い切って言える胆力がつく。悩む時間こそが説得力を生むんです。』と言っています。悩みが陰影ならば、その隣には光沢の幸せがあるはずです。『たいした苦労もない代わりに、たいした喜びもない、ぬるま湯につかっている人がなんと多いことか』というセリフが出て来る漫画がありましたが、苦労したからこそ喜びもそれに比例して大きくなるのではないでしょうか。もちろん苦労すれば成功するという訳ではありませんが、自分がした努力と、それによって自分がどれくらい成長したかは自分が一番よくわかっているはずです。その努力を無駄とは考えられません。ここに生きているという事実がある限り、「人生に意味がないと諦めたら、そこで人生終了ですよ」とスラムダンクの安西先生なら言うでしょう。皆さんは「人生に意味はあるのか?」という問いについて考えることは無意味だと思いますか?

心の可視化は是か非か

内外教育という教育冊子の巻頭に長崎県立大学長の浅田和伸さんのコラムが掲載されていました。皆さんにも考えてほしい内容と思ったので以下に引用します。

 『ある中学校では、生徒が手首に着けたリストバンド型端末で脈拍を測り、授業中の「集中度」を測定する実証研究を、企業の費用負担で行っているという。狙いは授業の改善や、生徒が「自分のデータを見て、次はもっと集中してみようかなと思ってくれるといいですね」ということだそうだ。別の小学校では昨年度まで端末のカメラで顔を映し、額の血流や体の動きを測定して、今の感情を「わくわく」「たいくつ」など4種類に分類するという実証実験をしていたらしい。企業やどこかの役所から頼まれたのかもしれないが、学校関係者はこれらを「気持ち悪い」と感じないのだろうか。私が生徒なら心の内など人に知られたくないし、まずは大人が職員室で使ったらどうですか、教育委員会や議会でも使って、次はもっと集中してみようかなと思ってくれるようになるといいですね、と言うのだろうか。』 

 俗にいうところのウソ発見器は、皮膚電気活動や呼吸,心拍などを測定して、その乱れから知っていることを隠しているかどうかを判定する機械ですが、授業をまじめに集中しているかどうかを測定する端末実験が行われているなんて知りませんでした。小学校での顔をカメラで分析して感情を4分類する実験は怖いですね。以前に観点別評価の一つである「関心・意欲・態度」を本当に適正に評価できるのかという議論がありましたが、心の中(頭の中)を調べようとするのは、人権侵害ではないかと思います。「人間に与えられた真の自由は、頭の中の考えるという行為だけである」と言った人がいました。言動となって表出すると社会では制限の対象になります。科学が進むと人類は未来にすべての自由を奪われるのでしょうか。以下の文章を読んでください。(たしか茂木健一郎さんのものだと思います)

 『脳が一つのことに集中できる時間は、4分半しかありません。それ以上考えると、脳は別の考えが出てくるようになっています。その時はいったんほかの作業をしましょう。その間、脳内では関連情報と結びつける作業が始まっているので、再び同じことを考えたら答えが出ていることが多いのです。また、人間は、約16分に一度、今考えていることと違うことを考えてしまいます。「マインド・ワンダリング」と呼ばれる状態です。これを防ぐために、一つの作業は15分までとし、15分たったら別の作業をすることです。たとえ理想的な姿勢であっても30分で血流は滞ります。脳に血を巡らすために、30分に1度立ち上がったり、少し歩いたりするなどちょっとした運動をしましょう。最後に知的作業を集中して続けられる限界は90分だと言われています。大学の講義が90分で区切られているのも、この理由からです。』

 45~50分の授業を、15分から20分のユニットで分けて異なる学習活動を児童・生徒にさせるのは理にかなっていると言えます。「読む・話す・聴く・考える・書く」などの活動を授業の中に計画的に組み込むのは、一つの活動を長時間続けると学習効果が低下するからです。前述の実験は、生徒一人一人について集中しているかどうかをパソコンで教師が見られるようにでもするつもりなのでしょうか。今や世界中に監視カメラがあり、偵察衛星には自動車のナンバープレートが読み取れる直前まで性能が進んでいるものがあります。歩き方の特徴から人物を特定できるソフトもあります。顔認証は、はるか宇宙からされてしまう時代がすぐそこまできています。もしかしたら、コナンの眼鏡が進化して、見えるものすべてが解析されてしまう時代がくるのかもしれません。そうしたらそれをプロテクトするマシンや仮面が売れるようになるのかもしれませんね。顔を完全にゴーグルとマスクで隠して声も変えられるようになった未来のコミユニケーションとは一体どんなものなのでしょう。過去に人間が想像したことは、現実化していますが、結婚してから死ぬまで素顔を見たことがないというSF小説がありました。さて、今日のブログは過去最長となってしまったようです。皆さんは、今日の内容から何を考えましたか。答えは出ないと思いますが、頭の中で温めていてください。

さらば青春の時

 昨年の 10 月3日のブログにプロレスラーのアントニオ猪木さんが亡くなったことについて書きましたが、今日は、昨日訃報が報道された歌手の谷村新司さんのことについて書きたいと思います。谷村さんと言えば、今の高校生に認知されているのは24時間テレビの「サライ」でしょうね。私は、中学高校時代が、フォーク・ニューミュージック全盛時代であり、YMOなどテクノポップが流行った時代でもありました。谷村さんがリーダーを務めていたアリスがブレイクしたのが中3の時で、「チャンピオン」のヒットでたくさんの人に認知されるようになりました。アリスのデビューは1972年なので売れるまで時間がかかりました。私がギターを始めた高1の時に、アリスや松山千春、さだまさし、中島みゆきなどの曲をコピーしていましたので、思い出深いものがあります。多くの歌に勇気付けられたり、癒されたりしました。皆さんにもそんな歌があると思います。谷村さんの歌はキーが低いので歌いやすく、今でも山口百恵がJRのCMソングとして歌いヒットした「いい日旅立ち」はカラオケで歌うことがあります。アリスの曲はほとんど歌えますが、カラオケではなかなか歌う機会はありませんね。話がそれましたが、谷村さんは文化放送の「セイヤング」やニッポン放送の「オールナイトニッポン」など多くの番組でラジオのパーソナリティーもしていました。最近の若者でラジオを聴く人が増えているという話も聞きますが、私の中高校生時代は、深夜ラジオを聴きながら勉強している人が多かったんですよ。セイヤングの「天才・秀才・バカ」のコーナーは人気があり、本にもなりました。

 自分が若かったころに活躍していた人が年を取った姿を見たり、訃報を聞いたりすると、時代が終わったような寂しい感覚にとらわれます。あと4、50年後に皆さんも、こんな気持ちを味わうと思いますよ。ただ、アイドルが40、50歳になっても活躍している時代です。郷ひろみは明日68歳になります。アンチエイジングが進んで、アイドルの寿命もどんどん長くなっていくのでしょうね。日本だけでなく、海外でも年をとっても活躍しているミュージシャンはたくさんいます。好きなことができる幸せを忘れずにファンを喜ばせられるように頑張ってほしいです。谷村さんの御冥福をお祈りします。

秋の夜長に考える

 今日は世界食料デーで、国連食糧農業機関(FAO)が1981年に制定しました。10月5日のブログで書いた195の国際デーの一つです。FAOは開発途上国における飢餓や貧困について考え、世界の食料生産と分配の改善と生活向上を通して、これらを克服することを目的として1945年に設立されました。現在、世界では全ての人が食べられるだけの食料が生産されているにもかかわらず、9人に1人が十分に食べられていません。飽食が食品ロスを呼び、まだ食べられるのに廃棄される食品が日本では、523万トン出ています(農林水産省及び環境省「令和3年度推計」より)。 これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2021年で年間約440万トン)の1.2倍に相当します。食欲の秋ですが、ダイエットのために食欲と戦っている人もいると思います。それって実はぜいたくなことなんだって気付いていましたか。

少し話は変わりますが、「日本は、『生活に満足している』と答えた子どもの割合が最も低い国の一つ」だそうです。ユニセフ・イノチェンティ研究所が2020年9月に発表した報告書「レポートガード16『子どもたちに影響する世界:先進国の子どもたちの幸福度を形作るもは何か』」は、先進国の子どもたちの精神的・身体的な健康と、学力・社会的スキルについてランキングしています。日本の子どもの幸福度の総合順位は20位(38か国中)で、冒頭の指摘がなされています。身体的健康は1位でありながら、精神的幸福度は37位という最下位に近い成績でした。この結果を見て、皆さんはどんな原因があると考えるでしょうか。なぜ、身体的健康と精神的幸福度がこんなにも日本は乖離しているのか。私見ですが、「足るを知る」心が不十分で、自分の中での絶対評価ではなく、他人との相対評価による比較の度合いが高いからなのではないでしょうか。食べ物・飲み物・衣服が十分にある、そして娯楽もあふれている環境にもかかわらず、精神的幸福度が低い。「衣食足りて礼節を知る」という言葉のとおり、物質的な豊かさが満たされれば精神的豊かさが手に入るはずなのに、日本の子どもたちがぜいたくになってしまったのでしょうか。

 日本の高校生は仕事に対し「生活のため」というイメージをもっている割合が米国、中国、韓国に比べ突出して高いことが6月22日、国立青少年教育振興機構の調査でわかりました。一方、「楽しい」との割合は最も低かったのです。調査は2022年9月~2023年2月、4か国で各約1800~4800人を対象に実施されました。仕事が「生活のため」かどうか問う質問に「とてもそう思う」と回答したのは、米国16.3%、中国17.7%、韓国32.4%でしたが、日本は68.6%と目立って高い数値でした。「楽しい」と回答したのは米国34.5%、中国26%、韓国29%に対して、日本は18.8%と低い数値でした。「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」との質問に、日本は4か国中最多の49.9%がとてもそう思うと回答し、10年前の調査から約16ポイント増加しました。将来の職業などを座学したとする割合は、日本は8割を超えてトップでしたが、実際の職場見学や就業体験、ボランティア活動は7.4~16.8%と低く、他の3か国を大きく下回りました。

 今日は自分で書いていて暗くなってしまいましたので、明るい言葉で締めたいと思います。「授業は教師も楽しむ時間である。仕事は楽しくていいのだ。教師が楽しんでいる授業は生き生きとしている。」「楽しい仕事があるのではない。自分が仕事を楽しくすればいいのだ。」皆さんも、自分の幸福度について考えてみてください。

後生畏るべし

 先日、将棋で藤井聡太さんが前人未到の8冠を達成しました。彼は14歳2ヶ月でプロ棋士になり最年少記録を樹立してから、数々の最年少記録を打ち立ててきました。これがどれだけすごいことなのかは、数字の上ではわかっても、将棋の内容からはほとんどの人はわからないと思います。将棋を知れば知るほど、彼のすごさはわかるものなのでしょう。私の実家には足付きの将棋盤があり、小学生の時に父親にルールを教わってやるようになりました。最後に将棋を指したのは、小学校6年生だったと記憶しています。将棋を勉強していたわけではなく遊びで差していたので、残念ながら本当の意味で藤井さんのすごさは理解できません。藤井さんのエピソードに、「AIが22億手読んで発見できる最善手を36分で指した。」というのがあります。人間は、脳全体のうちわずか2%しか使っていないといわれていますが、彼は何%使えているのでしょうね。将棋の神様にお願いするなら?と聞かれた藤井さんは「せっかく神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい」と回答しました。「神の一手」を追求することが囲碁の漫画で描かれていましたが、勝負事のどんな分野でも極めた人なら神様と戦いたいと思うのは、自然なことなのでしょう。(ドラゴンボールの悟空のように) この先にどんな目標が?と聞かれて、連覇を目標とするのではなく、「面白い将棋を指すのが一番の目標」という回答は印象的でした。イチローの「人に勝つという価値観では野球をやっていない。もっと野球がうまくなりたい」という言葉と相通ずるものがありますね。この場合の「面白い将棋」とは今までにない戦法による将棋だと思いますが、スポーツでも新しい戦術が考え出され、それを破る戦術が考えられということが繰り返されて、ゲームがどんどん高度になっていき、面白くなっていきます。7冠となった羽生さんの時には、彼の記録が破られることはないだろうと言われたようですが、「後生畏るべし」という言葉のとおり、藤井さんの記録も破られる時がくると思います。本校の生徒会誌や同窓会名、文化祭名で使われている青藍は、生徒が先生を(後輩が先輩をでもいいですね)越えていってほしいという願いが込められています。皆さんも、ぜひ頑張って越えていってください。

憎しみの連鎖は断てるか?

 昨年の10月12日は、コロンブス・デーについて書きました。歴史的事実とそれに対する評価は異なるもので、歴史が勝者によって記され、敗者の歴史は抹殺されることも珍しくはありません。日本のマスコミは、取るに足らない事件を報道し、世界で起こっている重要なニュースを報道しない(無視する?)傾向があります。ですから、テレビしか見ていなければネットで取り上げられているようなニュースは知りようもありません。日本人が海外のニュースにあまり関心を示さないことや営利企業であるマスコミの方針であるのかもしれませんが、世界の国々は昔に比べてはるかに情報や物流網で相互に大きな影響を与え合っており、他国と付き合っていく上で、国際情勢についてよく知っておくことは不可欠です。さすがに今回のイスラエルとパレスチナの紛争については、早くから報道されていますが、なぜ、こんな事態になってしまったのかについては、ほとんど解説されていません。そのうち特集番組がNHKあたりで組まれるかもしれませんが、皆さんは世界史で勉強しているはずなので、説明できますか。私は試しにChatGPTに「イスラエルとパレスチナが、なぜ争っているのかを歴史的背景と経緯を高校生にわかるように説明してください」と問いましたが、残念ながら満足のいく回答が得られませんでした。

 まず、この問題の根源にあるのが、ユダヤ人が自分たちの王国をローマ帝国に滅ぼされてから2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきたという歴史です。1948年に悲願であったユダヤ人の国家であるイスラエルがパレスチナに建国されましたが、そこは、ユダヤ人にとって旧約聖書で「神が与えた約束の地」と書かれている土地でした。一方で、パレスチナに住んでいたアラブ人であるパレスチナ人は、イスラエルの建国で故郷を追われました。いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区という場所で、今回紛争が起こっているのがガザ地区です。

 イスラエルの建国とアラブとの問題は、第一次世界大戦中のイギリスのいわゆる三枚舌外交にあります。1915年のフセイン・マクマホン協定でアラブ人に独立国家を約束し、1916年にサイクス・ピコ協定で英仏が中東を分割支配することを密約し、1917年にバルフォア宣言で、イギリスがユダヤ人に戦費の調達を依頼しようと考え、「連合国側の味方をすれば、パレスチナの地でのユダヤ人の国の建設を支持する」と約束しました。これらの矛盾した外交により、パレスチナと周辺アラブ諸国は混乱し、1947年に国連でパレスチナ分割決議が採択されてイスラエルが建国された後も、禍根を残し紛争が絶えなかったわけです。第1次から4次までのイスラエルとアラブ諸国との中東戦争の歴史と1993年のパレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)に代表される和平交渉の歴史をここで書く紙幅はありません。興味をもった人は調べてみてください。ユダヤ人がなぜ迫害されてきたのか、ユダヤ人の現在の世界での影響力、エルサレムという場所の特異性など、素朴な疑問はたくさん出てくると思います。そんな時に、すぐ調べる習慣を身に付けてください。それが大きな差になって表れてきます。

 ウクライナとロシアの紛争が続いているように、領土・民族・宗教が紛争の火種となって世界に影響を与える状況は、いつになったら終わるのでしょうか。平和と思われている日本も、近い将来紛争に巻き込まれる日がくるのでしょうか。周辺諸国に対抗するために2023年度予算の防衛費は過去最大の6兆8219億円で2022年度の当初予算と比べて1兆4000億円余り多く、およそ1.3倍と大幅な増額となっており、11年連続の増額だそうです。「教養とは歴史である」と言った方がいましたが、歴史をよく知った上で、日本の世界での身の振り方を決定するために、私たちは選挙で政治家を選ぶ必要があります。政治は一部の頭の良い人に任せておけばいいと考える国民が増えれば、日本がどんな道に進んでも文句は言えません。皆さんは18歳で選挙権をもつようになりましたが、若年人口はただでさえ少ないので、選挙に行かなければ高齢者の考えが政策に反映されがちになってしまいますよ。課題意識をもって、これからも勉強に励み、政治に無関心にならないようにお願いします。

♪明日があるさ♪

 今日から2学期の中間考査が始まりました。定期考査について書くのは、昨年から数えて今回で5回目になります。だんだん書くネタがなくなってくるなぁと感じていますが、視点を変えれば書くことはなんとか出てきます。テストは、計画的に十分準備をして臨む人もいれば、計画は立てたものの一夜漬けになってしまう人もいると思います。その結果、毎度「ちゃんと2週間前から計画的にやっておけばよかった」と後悔することになり、進歩がないなぁと落ち込むわけですが、皆さんはどうですか?昔、坂本九という国民的歌手がいました。「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」などのヒット曲がありますが、「明日があるさ」は歌詞を現代風にアレンジし、ウルフルズがカバーしてヒットしました。テストができなかった時、「明日があるさ」という歌詞には元気付けられるものがあります。私が高校生の時、岸田智史の『重いつばさ』という歌の歌詞に「どうしようもない昨日をもってしまったが、どうにかできる明日が 明日があるさ」というものがあるのですが、定期考査でできなかった時に、よく慰められていた記憶があります。人間の意志の弱さを、実感してしまうのがテスト勉強ですね。今日は、私が収集してきたテストに関する言葉を紹介します。

〇IQや他の共通テストの成績よりも、根性が将来の成績を予測する材料になる。どの分野においても高い目標を成し遂げるには、才能と同じくらい根気と根性が必要になる。→よく受験勉強は忍耐力をテストする意味もあると言われますが、何をするにも根気は必要ですよね。

〇自分が発した言葉は、情動を司る脳の奥の扁桃体という部位に影響を与えます。ポジティブな言葉なら、扁桃体もポジティブに反応して、感情が前向きになりますが、ネガティブな言葉なら、反対に感情が落ち込みます。ある心理学の研究では『緊張する』と話した人は『ワクワクする』と話した人より、テストの成績が10%も悪かったそうです。→言霊おそるべし。

〇テストの点が高いのは参考書を何度も読む人より、問題集を何度も解く人のほうで、出力を磨くほうが脳は成長します。仕入れた情報を人に話して、出力を心がけるのが大切です。→私も受験勉強では、覚えたらすぐに問題集で確認していました。インプットとアウトプットのバランスは大事です。

〇点数の悪いテストを見て「算数が苦手ね」と言うのか、「ここはできたね」と言うのか。それだけの違いで、子どもの自信も次の行動も変わってきます。→できないところをフォーカスされると自己肯定感がどんどん下がっていきますね。

〇テストの点数について、本人の感想を聞いたら「よかったね、うれしかったね」とか「悔しかったね」と共感します。極端な話、それだけでいいのです。本人が成功だとか失敗だとか思っていることに対して共感を示せば、自然に頑張ろうと思うものです。→テストだけでなく、社会に出ても同じですね。

視力回復祈願

 今日10月10日は、昔なら体育の日でしたが、体育の日は「スポーツの日」となり10月の第2月曜日になりました。他にも記念日はたくさんありますが、「10」「10」を横に倒した形が眉と目に見えることから中央盲人福祉協会が1931年に「視力保存デー」として制定し、戦後、厚生省(現:厚生労働省)が「目の愛護デー」に改称しました。スマホやタブレットの普及で小さい子どもも早くから目が悪くなる傾向にあります。皆さんは、1日何時間スマホを見ていますか?自分の視力の低下に危機感は感じませんか?目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりすると危険を察知できなかったり、察知が遅れてしまいます。感覚器官は、人間が生きていく上で非常に大切です。私は大学生までは視力が2.0でしたが(勉強しなかったからというわけではありませんよ)、IT関係の会社に勤務して1年で1.0まで下がりました。1日中パソコンとにらめっこしていたからだと思います。現在は0.5ありませんので、必要に応じて眼鏡をかけています。近眼・老眼・霞目など、よく見えないというのは大きなストレスです。視力回復のために色々努力しましたが、だめでした。皆さん!スマホやパソコン、タブレット等は、見る時間を制限して、目を大切にしましょう。近い未来に目が簡単によくなる技術が開発されるかもしれませんが、いつになるか保証はありませんからね。

 先日読んだ雑誌におもしろいことが書いてありました。今も昔も人間は変わらないと感じられる例えとして、最近は「ユーチューブばかり見ていちゃダメだ」なんて言われるが、家庭にテレビが普及した何十年か前は1億総白痴論といって、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう。だから、テレビばかり見ていちゃダメだ」と言われていました。もっと遡ると、活版印刷の発明によって大量に本が生み出されるようになったのを見て、ドイツの哲学者ショーペンハウエルが「本なんか読んじゃだめだ」「こんなのずっと見ていたら自分が思考しなくなる」と言っていたそうです。「え~っ?何それ!」ですよね。「漫画ばかり読んでいたらバカになる。本を読みなさい。」と子どもの頃に散々言われたのは何だったの?って感じです。人類は得られる情報量が急激に増える情報爆発を何度か経験してきました。本・新聞→ラジオ→テレビ→パソコン・スマホとメディアの変遷はありますが、AIが幅を利かすビッグデータの時代では、自分の頭を使って情報を得ているか、得た情報について自分で考えて判断しているかによって影響は異なってくると思います。人間の五感による知覚の割合は、視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚は1%といわれています。人間が受け取る情報のうち、8割は視覚からの情報です。ということは、目を最も大切にしないといけないということですね。今日は「目の愛護デー」です。皆さん、目をいたわりましょう。

 

生成AIに「問う!」

 先日、群馬県教育委員会より「学校における生成AIの利用に関する解説動画」視聴のお願いを皆さんにしました。見てもらえましたか?今までに何度か生成AIについて取り上げましたが、既に高校でも生成AIを使った授業が行われていたり、レポートや探究課題に生成AIを利用していたりと、よい面もあれば悪い面もあります。AIが作成した文章かどうかを判別するアプリも出ていますが、まだ信用できるレベルまではいっていないようです。Appliv という企業が10〜20代の男女533人に対し、夏休みの宿題における生成AIの利用実態調査を実施したところ、3人に1人が夏休みの宿題に生成AIを活用したと回答したそうです。再度、肝に銘じてほしいことは、生成AIは必ずしも正確ではないこと、納得できる答えを求めて、質問を変える”問う力”を身に付けることが必要であることです。アインシュタインも「重要なことは問うのをやめないことだ」と言っています。

 小学校の道徳の授業で「ある出来事に対して生徒たちと一緒に生成AIにも意見を出させて、みんなでそれについて話し合う」という試みがありました。生成AIに複数の立場からの意見を並列して提示させることが、子どもたちが様々な考え方に触れ、自分の頭で判断する力をつけるきっかけにしようとしたのです。先生も子どもたちも考えつかない意見が出てくるかもしれません。対話的学習活動を補完することになります。

 苫野一徳という熊本大学大学院准教授が「本質観取」という哲学対話を、多くの子どもたちと続けているそうです。「〇〇とは何か」という問いに対する答えを言葉で編み上げあっていく活動です。子どもたちは「学びとは何か」に対して「学びとは、自分自身の問いと気付きを通して、生が豊かになっていく営みである」、「存在とは何か」に対して「存在とは、言葉になるすべてのものである」という答えを見つけ出しました。生成AIは便利なので使いたくなる気持ちもわかりますが、考えることの楽しさや自分の能力の可能性を知らず知らずのうちに捨ててしまわないように注意してください。生成AIに依存し自分の力を育てられなくならないように、自らの力を生かして生成AIを使いこなせるようになってください。

世界教師デーに思う

 今日は、「世界教師デー」です。ほとんどの人には知られていないと思いますが、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が1994年に制定した国際デーの一つです。調べて驚きましたが、国際デーは、全部で195もあるんですね。その中でユネスコが制定したものは11あります。9月8日に触れた「国際識字デー」はそのうちの一つです。「世界教師デー」が制定されたきっかけは、1966年10月5日に、「教師の地位向上に関する勧告」が調印されたことです。教師への支援を求めることと、将来を担う世代の子供たちに、充分な教育を施せるよう求めることを目的としています。教師の教育権だけでなく、子供たちが教育を受ける権利の重要性についての認識や理解を求めています。世界100ヵ国以上で世界教師デーが実施され、UNESCOはこの日を中心に国際会議を開催しています。さて、私は日本の教師の仕事量が世界の中でも多いことは知っていましたが、ついこの前までは給与等の地位的なことは、世界の中でも上位だと思っていました。それが、先日OECD加盟国の中で平均以下という記事を読んで、間違いであることに気付き、驚きました。近年、教師はブラックだという評判が広まり、初任者(小中特)が年間で400人以上辞めていることや、教員採用試験の倍率の低下(群馬は全国66の自治体の中で18番目でよいほう)、過労死ラインを超える残業時間の多さ(教職調整額という名の下に残業手当はありません)、教職員定数を充足できない学校の増加(臨時的任用教員の減少)、精神疾患による休職者が6000人弱など、書いていて気が滅入ってきます。「教育は国家百年の大計」であり、教育がうまく機能しないと、将来に禍根を残すことになります。「1年先を思う人は花を育てなさい。10年先を思う人は木を育てなさい。100年先を思う人は人を育てなさい」という言葉(原文は中国の古典「管子」?)がありますが、日本の学校現場の改善は、「待ったなし」のところに来ているようです。先生方が疲弊し、教育の質が落ちて、不利益を被るのは子どもたちです。田中角栄は、「人材確保法」を作り、教員給与を引き上げましたが、「できれば先生方の月給を倍にしたい。」と言っていました。また、「特に小学校の先生を大事にしなければならない」とも言っています。もちろん、保育士や幼稚園の先生の待遇改善も必要です。教育改革で仕事が増える一方なのに、教員数は増えずに、35人学級を40人にに戻さざるを得ない学校も出てきました。皆さんの子どもが、小学生になるのは15~20年先になるでしょうか。その頃、学校はどうなっているのでしょうか。一昨日に文科省が発表した調査結果によれば2022年度不登校の小中学生は過去最多の約29万9千人。いじめは小中高などで約68万2千件が認知され、被害が深刻な「重大事態」は923件。いずれも過去最多ということです。こんな暗いニュースを聞いても、教育の未来に明るい希望を持ち続けなければと思います。先生方は、子どもたちのために真摯に頑張っているのですから。教育実習に行って「先生になりたいという思いが強くなった」ではなく「先生は私には無理!」とならないように、教員志望の皆さんにお願いします。

天使と悪魔

 今日は、たくさんの記念日がありましたが、その中でも想定内の天使(10/4)に関わるものが5つありました。その中でも「エンゼルマーク」で知られ、「天使」の商標登録を持つ森永製菓株式会社が制定したものは別格でしょうか。同社の「チョコボール」は子どもの頃によく食べましたが、箱に「金のエンゼル」または「銀のエンゼル」が一定数印刷されており、金は1枚、銀は5枚で「おもちゃのカンヅメ」と交換できました。今でも新たなシリーズが追加されてプレゼントも時代の変化で変わっています。本当にロングセラー商品ですね。
 さて、天使と言えば悪魔ですが、「天使と悪魔って何だかわかりますか?」と問われて「わかりません」と答える人は、そうはいないと思います。天使は、天からの使者、つまり神の使者であり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖典や伝承に登場し、神のお告げを伝える伝令としての役目を負っています。それ以上の大きな役目を担う天使もヨハネの黙示録には登場しています。天使として有名なのはガブリエル、ラファエル、ミカエルですが、堕天使ルシファー(堕天使の長であるサタンの別名)もよく知られていますね。
 皆さんは、永井豪の「デビルマン」を読んだことがありますか。ヒーロー物アニメと原作はかなり違うので、知らない人はぜひ原作を読んでみてください。人間の善と悪について考えさせる漫画はたくさんあります。横山光輝の『マーズ』や比較的新しいところでは『DEATH NOTE』が最も該当すると思います。新約聖書 「ヨハネの黙示録」16章16節に記述された、終末に行われる善と悪の最終決戦であるアルマゲドン(ハルマゲドン)は有名ですが、人間の心の中では、事の大小はあれ、善と悪の葛藤が日々続いていますね。受験生の皆さんは「食べたい、寝たい、遊びたい」などの悪魔の誘惑と日々戦っていると思いますが、勝率はどれくらいですか?ぜひ、勝ち越して目標を達成してください。

♪どうしておなかがへるのかな♪

 今日は、1988年10月3日にテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」(原作:やなせたかし)が日本テレビ系列で放送が始まった日で2016年に一般社団法人・日本記念日協会により「アンパンマンの日」として認定・登録されました。作者のやなせたかしさんは、2013年の10月13日に亡くなっていますが、私はもう10年もたったのかと驚いています。今、親子で見られる国民的アニメと言われて思い浮かぶのは、「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「それいけ!アンパンマン」「ドラえもん」などでしょうか。この中で小さい子と一緒に見るのは、やはり「それいけ!アンパンマン」でしょう。私も娘と一緒にビデオを何回見たかわかりません。主題歌の「アンパンマンのマーチ」を歌える人は、たくさんいるのではないでしょうか。ちなみに皆さんが知っている『手のひらを太陽に』を作詞したのは、やなせさんです。

 Wikipediaの「アンパンマン」の記述の中に、ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景に触れた箇所があります。やなせさんは従軍経験の中で、戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、とくに戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感していました。しかし、これまでのヒーローは「正義」こそ口にするが飢えや空腹に苦しむ人間へ手をさしのべることはしませんでした。戦中、戦後の深刻な食糧事情もあり、当時からやなせさんは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっていたということです。自分の身体を食べさせて、おなかが空いている人を救うという異色の正義のヒーローはこうして生まれたんですね。ネガティブな考えにとらわれた時、「おいしいものを食べて、あったかくするんだ」と言われます。空腹や寒さは、マイナス思考を増幅させるということです。昔はおなかが空いたことを大げさに言う「おなかと背中がくっつくぞ」という歌詞がある歌がありましたが、皆さんはそんな経験をしたことがありますか。ACジャパンのCMに、きれいなお皿が映され、「最後の一粒までちゃんと食べたのではありません。最初の一粒もない子がいます。」というものがあります。アンパンマンに救ってほしいのは、こんな子供たちです。日本にも満足にごはんが食べられていない子どもたちがいます。みなさん、感謝してごはんを食べましょう。残さずに。

明るく元気に、みんな仲良く・・・無理?

 今日 10 月2日は語呂合わせから東武鉄道が2005年に制定した「東武の日」だそうです。通学でお世話になっている皆さんも多いですよね。東武鉄道株式会社は、1897年11月1日に設立された会社で、「東武」の名称は「武蔵国(むさしのくに)の東部」に由来し、創立は日本の大手私鉄の中では最も古い老舗企業だそうです。私は不勉強で初めて知りました。皆さんは知っていましたか。

 さて、今日はルールについて少し書きます。学校では、学校教育目標や学級目標などと違って明文化されていないルールも多いですが、日本教育新聞の社説に小学校での話が載っていました。『小学校の担任教師が子どもたちに「みんな仲良く」という暗黙のルールについて「どう思うか」と問いかけて、話し合いをした。子どもたちは「好きな人と嫌いな人がいるから無理」といった結論を出した。その結論に対して、担任教師が「でも学校行事など、学級内で協力をしなければならないことがたくさんあるよね」と尋ねると、子どもたちは再度話し合い、「いざとなったら協力しよう」という結論を出した。』みんなが心の中で思っていることを、この先生はあぶり出して考えさせましたね。

 この話を読んで、皆さんはどんな考えをもちましたか。みんなと仲良くするのは理想だし、できればそうしたいけれど、人はそれぞれ考え方や価値観が違うし相性もあるから、無理だと思うこともありますよね。その時、お互いに話し合って歩み寄って協力できるかどうかかが、社会で生活する上で求められる力です。「自分が正しく、相手が間違っている」と一歩も譲らなければ、何も進展しません。人の好き嫌いがある、性格が合う合わないのは人間なのだから仕方ないことであることを前提として、それでも人のいいところを見つける目を育てて歩み寄って協力できるようにしていくことが、学校という集団活動を通して勉強できることなのでしょう。それが、皆さんに卒業までに身に付けてほしい非認知能力の一部でもあります。