日誌
2024年1月の記事一覧
評価って難しい!
今日は今年度2回目の学校評議員会があり、5人の評議員の方から学校評価結果に対して助言をいただきました。学校評価は、学校の課題を改善し、学校をよりよくするために始まった事業ですが、課題から目標を設定し、目標を達成するために具体的に何をするかを考え、実行し、達成度をできるだけ数値で検証します。総合評価が低い項目と内部評価と外部評価が異なっている項目が更なる課題となります。以前にも少し評価について書いたことがありますが、再度評価について書いてみたいと思います。
評価は本当に難しいです。真に公平公正な評価をしようとするなら、誰が評価してもぶれないようにできるだけ具体的な評価規準を作らなければなりません。イギリスの名門校の生徒心得には「ジェントルマンたれ」のみ記され、目標は「卒業までに教師の評価と自己評価が一致するようになること」だそうです。自己評価を何度も行い、内省的な力が高まれば、自分を客観視できるようになります。教師の評価と生徒の自己評価に差異がある時は、生徒にとっては自分を見つめ直すチャンスに、教師にとっては指導方法や評価手法を振り返るチャンスとなります。自分を主体的に伸ばすためには、自分を正しく評価する力が必要です。ただ、評価については様々な考え方がありますので、以下の文を読んで皆さん一人ひとりが考えてみてください。
〇特定の誰かに認められたいという発想はやめるべきです。他人の評価を気にするのは、受け身で主体性のないことの表れ。他者に認めてもらうのではなく、自分が自分を認めればいいのです。
〇「他者からの評価なんて気にしなくていい」「無理に好かれなくてもいい」という言葉からは、頑張れない人に誤解が生じてしまう可能性があります。
〇実は、この社会は”他者からの評価が全て”なはずです。集団で生活している以上、他者との関わりは避けられません。人からよく思われないとますます生きにくくなってしまうのです。
〇自己評価をあげるには、他者から評価されることが絶対に必要です。達成感も自信も、成し遂げたことへの周囲からの承認があって初めて成り立ちます。成し遂げたこと自体からではありせん。
次の言葉から、新しい企画ができそうです。
「評価する者が最も学ぶ。他校の学校評価も教員が行うとよい。教える者が最も学ぶ。自校のよさを他校に教えることで自校のよさを深く学ぶことができる。」 評価は、対象をよく調べ勉強し、観察していないとできません。近隣の学校の先生が相互に評議員となってお互いの学校をよく知って評価し合えたら、面白いと思います。同様に各高校の生徒代表が、ビブリオバトルのように自校のよさをプレゼンして他校の生徒にジャッジしてもらうというのはどうでしょう。異なる視点から各校を知ることができ、お互いに高め合えるのではないでしょうか。
SNSは寸鉄だ
昨日のブログで「笑顔」について書いたばかりなのに、今日書く内容は悲しく、あまり気が進みません。それでも書かなくてはと思いました。
昨日から、漫画「セクシー田中さん」の作者である芦原妃名子さんが自殺した件について、多くの報道がなされています。今後、後追い記事が出て来てYouTubeでも取り上げられると思いますので、ここで詳細について書くことは控えます。「のだめカンタービレ」の作者の二ノ宮知子さんが自身のX(旧Twitter)で、「辛い…。辛すぎる。」、「自分の作品を一番大事に思っているのは自分なんだと号泣した日の事を思い出して、また涙が止まらない」と発信しました。同じように漫画が実写ドラマ化され、アニメ化された身として芦原さんの気持ちが痛いほどわかるのだと思います。私はこのニュースに接して、フジテレビの番組「テラスハウス」に出演していてSNSでの誹謗中傷が原因で自殺した女子プロレスラー木村花さんが思い出されました。(今回の件はSNS以前の問題でもありますが。)SNSでの言葉のやりとりが原因で、傷ついている人がどれくらいいるのか、自殺にまで追い込まれてしまった人がどれくらいいるかは不明ですが、明らかに通信技術の発達によって生じた負の部分です。
「寸鉄人を殺す(刺す)」ということわざがあります。意味は、短い刃物で人を刺し殺すことから、短く鋭い言葉で人の急所をつくことです。このことわざは、言葉の力が実際の武器と同じくらいの影響を持つことを示しています。そして、言葉の選び方や話し方がどれほど人の感情や心に大きな影響を与えるのかを警告してくれています。似た言葉でいい意味に使うものに「ペンは剣よりも強し」がありますね。このような御時世ですので、学校では小学校から高校まで、情報モラルに関する学習を毎年しています。しかし、SNSを巡るトラブルは一向になくなりません。そのすべての原因は匿名性と発信の簡単さにあると思います。匿名のものは責任をもって発信していないということで信用しないということが当たり前になればいいのですが、「デジタルタトゥー」という言葉があるとおり一旦世界中に広まってしまったものを消すのは至難の業であり、発信された側としては、対応しないわけにはいきません。ネット上の問題は、法整備が追い付いていないのが現状ですが、早く泣き寝入りする人がいなくなるようにしてほしいです。今のところ、トラブルを避けるためには発信する前に1日待つ。そして、第三者に読んだり見てもらったりすることです。生徒の皆さんも、今後SNSでのトラブルの被害者にも加害者にもならないために十分気を付けましょう。
笑顔のパワー!パワー!パワー!
今日は、思うところがあって「笑顔」について書くことにしました。令和4年の6月10日に「笑顔の力」というタイトルで書いていますが、再度書きたいと思います。「叶う」「吐く」については、3回話をしましたのが、記憶してほしいことは何度も繰り返すことが大事と言ったとおり、「笑顔」について繰り返したいと思います。
まずは有名人の言葉から。〇単なる笑顔であっても想像できないほどの可能性があるのよ。(マザーテレサ) 〇「笑顔は1ドルの元手もいらないが、1000万ドルの価値を生み出す」(カーネギー) 〇笑顔は万言に勝るインターナショナル・サインである (中村天風) 〇「いいことが起きたから笑顔になるのではなく、笑顔だからいいことが起きる」中井俊已(教育評論家) 〇 「笑」という漢字は、万葉集や古事記の時代には「花が咲く」という意味で使用されていた。だから、笑顔は、その人の心の花が顔に咲いたということ。
笑顔の効用について。〇楽しい感情には、問題解決を容易にしたり、記憶力を高めたり、集中力を高めたりする効果があることが報告されています。笑顔をつくると楽しくなるという逆効果が、私たちの脳にはある。失敗したときは笑いましょう。失敗したときも笑顔でいると、脳がその失敗はなかったように把握するのです。〇怒り顔の人と笑顔の人の写真を用意して、その顔を覚えてもらい、後日同じ人たちの無表情の写真で「この顔を覚えているか」と確認する実験がありました。その結果、実際に覚えているのは、圧倒的に笑顔だった人の顔でした(「笑顔優位性効果」)笑顔でいる人のほうが記憶に残りやすい。〇表情は感情の出力だが、実は入力にもなる。人はうれしいから笑顔になるわけだけど、つられて笑顔になった時には「うれしい時の神経信号」が誘発され、笑顔の時と同じ気持ちになれる。つまり、周囲を笑顔にする人は、自分の表情を周囲に伝染させ、結果、周囲の脳に「やる気と好奇心」を喚起しているのである。当然、その人のチームはいい結果を出す。〇仏教用語の「和顔愛語」(わげんあいご)は、「和やかな笑顔」と「思いやりのある言葉遣い」で人に接することで、人間関係をスムーズにするための知恵です。仏教には、他にも顔施(がんせ)というものがあります。にこやかな表情で人に接するということで、和顔施(わがんせ・わげんせ)ともいいます。〇実に単純な世渡り法は、「笑顔」と「挨拶」と「返事」です。
いかがでしたか。笑顔の効用の最初の三つは、以前に紹介したものです。社会に出ると、本当に「笑顔」と「挨拶」と「返事」が評価されることを実感すると思います。「笑顔」と「挨拶」と「返事」ができる人は印象に残るので、よく覚えてもらえます。体調が悪い時や精神的に落ち込んでいる時に笑顔を作るのは、難しいかもしれませんが、意識的に笑顔を作ることで回復が早まると思います。(となりのトトロのサツキちゃんとメイちゃんがお父さんと一緒にお風呂に入っている時の笑いのように) 病院にこそ笑顔が必要であり、疲れていても笑顔で接してくれる看護師さんに助けられている患者さんも多いでしょう。落語会を開催している病院もあります。マスクをしていると笑顔が見られません。皆さんもコロナやインフルエンザ感染に注意しながらも、マスクを外せる時は外して笑顔を見せてください。
主体的に余白を作ろう!
「キャリアガイダンス」というリクルートの進路指導・キャリア教育専門誌がありますが、その449号の特集が「余白を生む未来」でした。片づけコンサルタントとして有名な近藤麻理恵さんのオープニングメッセージに次のような言葉がありました。
「いつか時間の余裕ができたら、自分にとって大切なことに時間を割こう」と思っていても、永遠にその時間はやってきません。今の自分を見つめなおし、自分にとって本当に大切なものとそうでないものを分けて、いらないものを手放す。手放して初めて、そこに自由に使える余白ができます。余白とは、人生を主体的に選択すること、すなわち「片付け」から生まれるものなのです。
彼女は、残したいものを選ぶ基準に「手に取った時にときめくか」と表現し、片づけ本が世界的ベストセラーとなりました。2015年には、『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出されました。「断捨離」が流行語に選ばれたのが2010年、ミニマリストは2015年ですが、いかに現代人が物に囲まれ整理ができていないかがわかります。令和4年6月24日のブログで、整理整頓について書きました。時間や空間に余白を生み出す。頭の中にも余白を生み出す。「余白の美」についても以前に書きましたが、書道や水墨画などで、何も書かれていない場所に何が見えるか。その意味が捉えられるか。アウトプットとインプットについて、インプットばかりしていると頭の中が整理できずにごちゃごちゃでいっぱいになってきます。新しく必要なことをインプットしていくためには、情報を整理してまとめてアウトプットし、余白を作る必要があります。パソコンのハードディスクをデフラグして整理して空きスペースを作るようなものですね。「時間がないと言って、好きなことを後回しにする人は、本当はそのことが好きではないのだ」ということを以前に書きましたが、余白を主体的に作るのは自分自身です。余白ができれば、余裕が生まれます。「人には余裕というものがなくては、とても大事はできないよ」という勝海舟の言葉を以前に紹介しましたが、皆さんも主体性を身に付けることで余白を生み出し、社会に出て大事ができるようになってください。
1、2、3で自立!?
今日1月23日は、「ワン(1)ツー(2)スリー(3)」と読む語呂合わせから、そのまま「ワンツースリーの日」だそうです。人生に対してジャンプする気持ちを持とうとする日だそうです。昔、女性3人組のキャンディーズというアイドルがいました。人気絶頂の時に「私たち9月に解散します。普通の女の子に戻りたいんです!」と有名な引退宣言をしました。彼女らのシングル曲として最後にレコーディングされた曲が「微笑がえし」で、オリコンでは最初で最後の1位を獲得しました。その中には今までのヒット曲のタイトルがちりばめられ、サビでは「ワンツースリー」「イチニサン」「アンドゥトロワ」の掛け声が入っていました。最後は「それぞれの道 私たち 歩いて行くんですね」で終わっています。そんなわけで、少し強引ですが今日は「自立」について書いてみたいと思います。
皆さんは「自立」ってどんな状態だと考えますか。誰かに頼らず一人で生きていけることですか?自由を手に入れるためには自立することが必要ですか?自立について、脳性まひがありながら医師として活躍する日本の研究者の熊谷晋一郎さんは、次のように言っています。「自立するとは、頼れる人を増やすことです。これは障害の有無に関わらず、すべての人に通ずる普遍的なことだと私は思います」つまり、自立とは、「一人ですべてをできるようになることではなく、自分で生活をするために、社会の中でコミュニケーションをとり、自分に必要なものや助けがあればそれを他者から受け取って、それを使って生きていくこと」ですね。完全な人間などいませんし、誰でも年を取れば不自由なところが出てきます。不自由になってしまった身体能力を補完するために器具や他人の力を借りることは、弱さでも依存でもなく、心の自立を守るために必要不可欠なことです。「生活的自立」「経済的自立」「精神的自立」が三大自立と言われますが、人間としての尊厳を守るために「精神的自立」が大切なのです。
教師は教えるのが仕事ですが、教える側の強制によって学ぶ側の自立、自主性をどう育てていくかという矛盾に悩みながら生徒に接しています。子育てでは「初めは時間がかかるけれど、その時間がかかるときにこそ、子どもは育っているのだ」と、忍耐力が求められます。「ある期間を過ぎて、次第に子どもの自立が見られるようになると、そこからの展開は速い。この境地を体験できないと、いつまでも子どもは世話をしなければならないものだと思い続けることになる」ということです。何事もすぐにできるようになるなら先生などいらないのであって、子どもを自立に導くには、親と先生には忍耐強さが必要です。「教師の仕事は、生徒が教師を必要としないようにすること」「教師の仕事で一番大事なのは、生徒の意欲に火をつけること」という言葉を胸に、今後も生徒の主体性を育てていけるように努めてまいりたいと思います。
空気は空ではない
今日、1月19日は、「い(1)い(1)く(9)うき」と読む語呂合わせから「いい空気の日」だそうで、一般社団法人・日本電機工業会(JEMA)が平成18年に制定しました。空気清浄機の認知度向上と正しい使い方を広めることが目的だそうです。日本は外国に比べて空気と水がきれいなことが知られていますので、ひと昔前の日本なら、そんなに売れるとは考えられなかった機械です。豊かになった証拠ですが、花粉症が国民病とも言えるくらい広まったことや子どものアレルギー疾患の増加も売れるようになった原因でしょう。私の家のリビングでも10年以上前から加湿器付の空気清浄機が活躍しており、先日買い換えたばかりです。家の中の空気がそれほど汚いとは思いませんが、加湿も兼ねていて、ないと落ち着かないようになってしまいました。
空気清浄機の歴史は19世紀はじめの産業革命当時のイギリスから始まったとされています。石炭を燃やすことによって出る煤煙の除去を目的として作られたと伝えられています。それまで、空気は換気によってきれいにするようにしていましたが、すべての場所が汚染されはじめたため、能動的に空中の汚染物質を取り除く必要に迫られたということです。日本で初の家庭用空気清浄機(フィルターを備えたもの)は1962年ごろ松下電器産業(現在のパナソニック)によって発売されました。私が生まれる前に発売されていたとは驚きでした。1960年代は、「所得倍増計画」が発表された高度経済成長期の真っ只中です。この後、日本では公害が社会問題となり、大気汚染による四日市ぜんそくなど公害病に苦しめられる人が増えました。イギリスでは、ロンドンスモッグ事件の前夜ともいえる時期に空気清浄機が出てきましたが、日本でも同様の原因で出てきたことになります。
さて、空気は(正確には酸素ですが)人間が生きていくにあたって、太陽光と同じく重要なものです。水はその次に重要です。重要だからこそ、「空気を読む」という言葉があるのでしょう。ただ、海外では空気を読むという曖昧なニュアンスは無く、日本独自のものです。「場の雰囲気や状況に配慮して行動できる」ということが日本人独自の奥ゆかしさであり、機微ともいえます。日本は、はっきり物を言わずに察してもらう文化ですので、いい面もあれば悪い面もあります。時には、普段、空気に配慮して飲み込んでしまう言葉も、場合によっては出す必要があるでしょう。海外の偉人の言葉には、そうしたものがあります。日本人は同質性の高い民族のため、高度なコミュニケーション力を身に付けましたが、「言わなければわからないこと」を言わないがために問題になることも多々あります。学校の中でも職場でも家庭でも、友人同士、同僚や夫婦恋人同士で言わなくても察してくれるだろうと思うことは危険です。謝罪や感謝の言葉も依頼も口に出して態度で示すことが、人間関係を円満にする上で絶対必要なことだと思います。皆さんは、ちゃんと態度と言葉で伝えていますか。
蛇足ですが、マスクをしていると新鮮な空気が脳に行かないので、学習に影響が出てテストの点が下がると言われています。子供がマスクの着用を続けると慢性的な酸欠状態になるとして、2020年に警鐘を鳴らしたドイツの医師がいます。「酸欠の一時的な警告症状として頭痛や眠気、めまい、集中力の低下などが起こります。しかし、慢性的に酸素が少ない状態が続けば、人体はそれに慣れていくので、頭痛などの警告症状は消えます。とはいえ、脳の酸素不足は進行し続けます。成長期の子供にとってマスクは絶対によくありません。子供と青年は非常に活発な適応免疫システムを持っています。若い人は脳も非常に活発で、学ぶことがたくさんあります。若者たちの脳は、常に酸素を渇望しているのです」「マスクをしていると呼吸をするときに抵抗がかかり、息をすべて吸い込めないので息苦しくなります。その際、通常よりも多く、肺の活動を助ける肋間筋肉や横隔膜を使って呼吸するので、疲労して倦怠感が生じます。そのため自律神経が乱れて動悸や息切れをしやすくなり、集中力や記憶力などにも影響が出る可能性があります」
※四日市ぜんそく・・・1950年代末から1970年代にかけて問題化した大気汚染による集団喘息障害。日本の公害問題の一つで、水俣病・イタイイタイ病・新潟水俣病とあわせて、四大公害病という。
※ロンドンスモッグ事件・・・1952年の12月5日から9日にかけて、英国の首都ロンドンは高気圧のもとで安定な大気条件となり、濃霧に覆われた。そして、ロンドンに特有の冬の気象条件によって地表付近にすすや亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質が滞留して呼吸困難、チアノーゼ、発熱などを呈する人が多発し、この期間を含めた数週間の死亡者数は前年度の同時期よりも約4,000人程多かった。死因の大部分は、慢性気管支炎、気管支肺炎、心臓病であり、死亡者の多くは慢性呼吸器疾患を有する高齢者であった。
「叱る」と「褒める」難しいのは?
今日は何を書こうか迷ったすえ、先日「叱らない教育の弊害」について述べた文に激しく同意したので、「叱る」ことについて書くことにしました。
そもそも「叱る」とは、語気を強めたりして,また,諭すように相手に伝える動作であり、相手を正しい方向へ導くために何が良くないのかを「気付かせる」ことです。よく、「叱る」は理性的な行為であり、「怒る」は感情的な行為であると言われます。「叱る」とは逆に、「褒める」教育も確かに大事ですが、なんでもかんでも褒めればいいというわけではありません。しっかりと相手を見ていて、褒める根拠がしっかりしていなければ、褒めても相手の心には届かないでしょう。ただ、褒めすぎるほうが、全く褒めないより弊害が少ないとは思います。では、「叱る」はどうでしょうか。部下を叱れない上司や、児童生徒を叱れない先生が増えているという話を近年、よく聞きます。前者の場合は、叱られた経験がない若者が増えているので下手に叱るとすぐに辞めてしまうという恐怖感があるようですが、後者は、若い先生自身があまり叱られた経験がなく、叱り方がわからないという根本的な問題があります。調査データがあるわけではないので、真偽は不明ですが、学級崩壊の原因は、「授業がうまくいかない」「ほめる、叱るがうまくできない」です。後者は、授業中の生徒指導にも関係あります。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、私が同意した「叱らない教育の弊害」は、下記のとおりです。
①叱ってくる、たしなめてくる、自分に対する反対意見を言ってくる人に対して自分の意見をちゃんとまとめて相手を説得できるための思考能力を養う機会を失う。
②そもそも叱られないってことは、日々逆境に対する耐性が育たたない。
③叱られないってことは、根拠のない自己肯定感が強くなりすぎる。
④肯定され続け、叱られることがないと、自分の意見が全部通って当たり前だと頭の中に刷り込まれてしまう。
①はコミュニケーション能力、②は忍耐力がつかないということですね。③については、日本の若者は他国に比べ、自己肯定感が低いと国際比較データで明らかになっていますが、自己肯定感って主観ですから、単純に比較できないと思います。根拠のない自信をもっている人が多いと現場では感じられているようです。
子ども時代に叱られる経験をもたないってことは、大人になって社会で生活していく上でいろいろなところで軋轢が起きる可能性が大きいと考えられます。私は、小さい頃から随分と叱られて育った記憶がありますが(ビンタやゲンコツは当たり前でした)、納得したこともあれば納得しなかったこともありました。小中学校でもげんこつやビンタはされました。反抗してさらにぶたれたこともありました。自分が悪いと自覚していても、ちゃんと理由を聞いてくれずに一方的に怒られると、口答えしてさらに怒られました。だから、自分の経験から、ちゃんと話を聞くというのは大事だと実感しています。納得できるように諭すのも叱る側の責任かなと思います。皆さんは、どう思いますか。叱られた経験がないからわからないと言われてしまうと困りますが。
チャレンジ3年次生!
共通テストの自己採点も終わり、全国の受験生のデータが収集されて集計され、志願状況が明確になります。自分の志望校の合格可能性についてA~Eの判定が出た時に、どう捉えるかが重要です。B社とK社で微妙に判定が異なるように、A判定は「安心するな」、C判定は「チャレンジせよ」と自分で思えるかどうかです。私の友達でA判定の第三志望校が不合格で、C判定の第一志望校に合格した人がいますが、これからの頑張りと試験問題が自分の得意分野だったなどの運不運で結果はどうなるかはわかりません。最終的には、どれだけ志望校に対する思い入れが強いかにかかっている気がします。春は、すぐそこまで来ています。最後まで自分を信じて頑張ってください。それでは、これから勉強を頑張る皆さんに、私がメモしていた中から簡単なアドバイスをします。
勉強前に、もしくは途中で軽い運動をすることで脳には次のようないい影響があります。①脳のエネルギーを持続的に生み出す脳細胞ミトコンドリアが増える ②自律神経が整い、心と体が元気になる ③認知機能が高まり、知的作業の能力があがる これらによって「思考力」や「集中力」「記憶力」「モチベーション」「コミュニケーション力」など多くの能力が高まります。そして、心配事や不安で心が不安定になることも、極力防ぐことができるのです。
机に座って考えていてもいいアイデアがでないのに、散歩していて出るのは、動くことで視線が動き、それまで収集していた情報が整理されたからです。だからこそ運動をすると思考力が高まるのです。ではどのような運動をすればいいのかというと、席を立って10秒歩いてまた戻ってくるだけで大丈夫。同じ姿勢で30分いるだけで脳の血流は滞り、思考力は鈍ります。30分に1回は立って歩けば、筋肉が動いて血流が改善し、脳に血液が集まります。多くの人にとって運動とはいえない程度の動きをするだけで、脳を最適な覚醒状態に導くことができます。これ以上強い運動をしてしまうと、全身の筋肉に血流がいって脳へ血流が集まらなくなってしまうので逆効果です。
「悪い緊張は、準備不足や自信のなさからくる、不安なザワザワです。良い緊張は、やるべきことをやってきた、という静かなドキドキです」と言っていた人がいます。静かなドキドキをもって試験に臨めるように頑張ってください。
一息ついて、これからが大事!
今年も共通テストが無事終わりました。試験を受けた3年次生の皆さん、お疲れさまでした。既に自己採点を終えている人も、学校でやろうとしている人も、これで終わりではありません。一喜一憂しても、すぐに第二のスタートを切る号砲が鳴るわけですから、各自の目標と様々な事情を考慮して、後悔しない出願をしてください。悩んだら先生方に相談してください。経験値とデータを駆使して、的確なアドバイスをしてもらえるはずです。一刻も早く気持ちを切り替えて、油断せずあせらず残りの期間を無理のない計画を立てて乗り切ってください。この世の出来事を評価し、価値付けるのは個々の人間です。試験で失敗があったとしても、自分の実力を過大評価して落ち込まずに、この程度は想定内と考え、「大丈夫!」とプラスの言葉をつぶやいて、次の手を打つためにすぐに動き出せる人になりたいですね。こんなはずではなかったと結果を引きずっていても、何もいい方向には行きませんので、「勝負の日までできることをやりきるぞ」と決意を新たにして、頑張ってください。
やれることをやったら、あとは神頼み!
明日は、いよいよ大学入学共通テストです。被災地の受験生の皆さんは大変な思いをしながら明日を迎えることになったと思いますが、無事受験会場に行って受けられることを祈っています。今日は、4時間目に恒例の共通テスト激励会が実施されました。昔は格技場でやっていましたが、寒いこととコロナやインフルエンザ感染等が心配なため昨年同様リモートで行いました。あいさつでは、昨年とほぼ同じことを話しましたが、短くしました。40年以上前に自分が共通一次試験を受けた時の数学での失敗談から、もし頭が真っ白になってしまったら、4秒吸って8秒かけて吐く深呼吸を1分間続けてくださいという話をしました。試験でも試合でも、実力を発揮するためには平常心が大事です。なんでこんな問題がわからなかったんだとならないように、落ち着くことを第一にしてください。そして、最後のツキや運を呼ぶのは、普段の地道な努力の積み重ねです。ぜひ、運を呼び込んで100%以上の力が発揮できることを祈っています。みんな切磋琢磨してきた「太東団体戦」のメンバーです。各クラスで担任の先生方からいただいた激励の言葉を胸に力を出し切って、笑顔で月曜日を迎えてください。