日誌

榎本校長のつぶやき

今でしょ!

 学年末考査も2日目が終わりました。「バッチリ」ですか、それとも「トホホ」でしょうか。まだ2日ありますので、頑張ってくださいね。さて、2月9日発行の「内外教育」という教育小冊子の巻末の記事に次のようなものがありましたので、読んでみてください。自分に当てはまると思いますか。

 『大学生の学びは、大学に入ってからでは遅すぎるという見方もある。高校時代に勉強しなかった学生は大学でも勉強しない。読書や部活動や交友に関しても、高校時代の生活と大学生活は関連している(「モノグラフ高校生」vol.7、ベネッセ1982年)。大学生の「資質・能力」は高校時代までに形成されたものがそのまま継続されることが、大規模な時系列調査で明らかにされている(溝上慎一編著「高校・大学・社会 学びと成長のリアル」学事出版、2023年)』

 私が以前に読んだ記事に似たようなものがあったなと思い、記録しておいたものを検索すると次のようなものがありました。

『「大学生白書2018」の「10年トランジション調査」によれば、「他者理解力」「計画実行力」「コミュニケーション・リーダーシップ力」「社会文化探究心」などの資質・能力は高校2年におけるレベルが大学1年次にも強く影響を及ぼしていることが明らかにされている。「この結果は、高校2年生の秋には、ある程度資質・能力は仕上がっていると言わざるを得ず、大学に入学してきた学生の資質・能力を、大学教育でゼロベースで育てることが難しいことを示唆している。』

 いかがですか。下線部分には、ドキっとさせられますね。もちろん、全ての人に当てはまるわけではなく、そういう傾向が強いということですが、やはり高校生のうちに学習習慣や自分なりの学習方法、そして色々なことに取り組む態度というのは、確立しておくのがよいのではないでしょうか。「まだ、本気出してないだけ」と言う言い訳がありますが、イソップの寓話に「ここがロドスだ、ここで跳べ」というのもあります。ここで、できない人間が他の場所や明日できるのかということですね。大学生でも社会人でも、必要な基礎力は変わりませんので、高校生のうちに身に付けておいたほうがよい力は、できるだけ身に付けられるように努力しましょう。

テスト最終考

 今日から、令和5年度最後の定期考査が始まりました。コロナやインフルエンザで休んでいた人が先週は多かったですが、学年末考査1日目の今日は欠席者がかなり少なくなりよかったです。3年次生が今日から家庭学習に入ったので、今朝から登校する生徒数が減り、校内も寂しくなりました。1、2年次生は、全力で4日間の考査を乗り切って、4月からの新年次によいスタートができるように願っています。

 さて、定期考査の度にテスト関連のことを書いてきましたが、流石にネタが尽きてきました。人生で、果たしてテストはどれくらい受けるのだろうかと考えてみると、「入園」「入塾」「入学」「入部」「入社」「入団」「採用」など、人生の節目で受けるテストはもちろん、普段の生活の中でも小テストや定期考査、模擬試験など、本当にたくさんのテストを受けています。芸能関係のオーディションやミスコンなどのコンテスト等もそうですが、全てのテストは評価されるということを意味します。そして、資格試験のように一定の評価規準を満たせばよいものと、競争試験のように受験者の中から合格者を選ぶために絶対的合格規準がないものもあります。ですから、競争試験には「運」が必要になります。この「運」も、普段の地道な努力の積み重ねが引き寄せると自分に言い聞かせていないと、不合格が続けば心が折れることもあるかと思います。普段の心掛けと言ってしまっては身もふたもないのかもしれませんが、次の言葉を読んでください。

『一流は、通りすがりの人の何気ない一言からも学ぶ。二流はテストに出るところだけを教わる。何かをして効果効能があることだけを聞くのです。人間はたった一言の言葉でも人生が変わります。その一言は、「これから大切なことを言うぞ」という時の言葉ではありません。』

 ある医学部の生化学の教授の話です。学生から「授業では必要最低限の知識だけ教えてほしい」と言われたそうです。効率よく勉強し、最低限の努力だけで国家試験に合格したいのだろうとのことです。 しかし、現実には必要最低限の知識だけでは、患者に臨機応変に対応することはできません。医者の専門化と診療科の細分化が進み、総合医が減ることで色々な問題が生じてくるようです。

 皆さんは、テスト前に先生に「どこが出るんですか?」と質問したことはありますか。学習が深まると、自分でどこが重要かがわかるようになるものです。そうなって初めて自分の身になる勉強になります。テストに出るところを聞いて乗り切っても、すぐに忘れてしまうでしょう。自分の血肉にならずに、そのまま排泄されてしまうようなものです。「まず、テストに受からなきゃ・・・」という現実もあるかもしれませんが、本当に身に付けたいことは「急がば回れ」の精神でやることが大事ではないでしょうか。テストをどう捉えるかで、日頃の取組も変わってくることでしょう。

LonelinessよりSolitude

 先日読んだ小冊子の特集が、『「ひとりを楽しむ 「孤独」を味わう』でした。最近、有名人の著書や言葉などの影響も大きいのかもしれませんが、「孤独」や「ぼっち」を肯定的に捉える風潮が感じられるようになってきました。「ソロキャンプ」に代表されるような「ソロ〇〇」の増加も、そうした傾向によるものでしょう。少年~青年期は、「孤独」に対する感受性が強い時期とも言えますが、「友だち」に対する考え方はそれと表裏一体になっているように思えます。人間の悩みの第一は「対人関係の悩み」らしいですが、けやき坂46のヒット曲の「アンビバレント」には、孤独でいたいけれど孤独じゃいられないという相反する気持ちをもつことによる葛藤が歌われています。人間関係に疲れるけれど一人は寂しいというような内容の小説や歌は、今までにもたくさんありました。皆さんも人間関係に悩んだら、同じことを考えた人たちが出した本がたくさん書店や図書館にありますので、読んでみてください。私が大学生の頃、孤独に関する言葉でそのとおりだと思ったのが、『孤独は山になく、街にある。 一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある。』でした。今日は「孤独」に関する言葉をいくつか紹介しますので、「孤独」について考えてみてください。また、似た言葉である「孤高」については、今回触れませんでしたが、調べて違いを考えてみてください。

〇孤独は悪いことでもみじめなことでもなく、むしろ人間を強く、豊かにしてくれるものなんだと気付きました。田村セツ子(イラストレーター85歳)

〇孤独って人生で唯一失わないものなのかも。孤独があるから大切な人や時間が輝いてみえるんだ。

〇「生まれてきた時も一人なら、死ぬ時も一人である。ならば人と共に生きていても結局は一人なのだ。共に生きた人とだって死を共有することはできないのだから」(一遍上人語録)

〇人は孤独を嫌いますが、孤独でなければ感動は得られません。孤独であるという一種の絶望に立って初めて、他者を愛し共存していく感動を味わい、希望を見出していくわけです。絶望こそ感動につながる最大のチャンスなんです。盲目の画家エムナマエ

〇老人になると、孤独感の先には多幸感が待っている。筒井康隆

 老人ホームでいつもひっそりと一人でいる老婦人に退屈ではないかと訊ねたら、こんな返事が返ってきた。「これまでの愉しかったことを順に思い出しているだけでもう愉しくて愉しくて、時間が足りないくらいよ」

〇孤独を知るということが自立ということであり、孤独の中でしか自分が自分であることの確認はできないものだということは確認しておいてほしい。永田和宏

※タイトルの意味は、「消極的孤独より積極的孤独」です。

わかりやすさの評価

 校長として式典や学校行事などで話をするときは、なるべく聞いている人がわかりやすい話をするように心がけてきました。普通は話す相手を見て、言葉を選んで話すと思います。ですから、テレビ番組やCMでやたら横文字の言葉が多いと、日本語に訳し辛い言葉は別として、どれくらいの人が意味がわかるのだろうと思ってしまいます。先日、神戸のお寺で副住職を務めている方の文を読んで考えるところがありました。以下のような内容でした。

『話をする時に、「相手に伝わらなければ意味がない」と考えていましたが、そこにこだわると、どうしても「わかりやすさ」に偏っていきます。タモリの「テレビを過度にわかりやすくしようするのは、テレビを見ている人をバカにしているのではないか。子どもからお年寄りまでわかるような番組をやろうと思ったことは一度もないです。わからないところはわからないでいい。見ている側に立って何かをやったりすることは、ほとんどないのかもしれない。自分が面白いと思うことをやっている」という言葉は衝撃的でした。(中略)仏教の法話では、言葉で言い表せないことを、必死に言葉で伝えようとする矛盾をはらんでいます。言葉は不思議です。「わかりやすさ」よりも「分かり難さ」が印象に残ることもあります。そして「わからないこと」が人生を豊かにしてくれることもあると思うのです。』

 私は、わからないことが出てくるとすぐに調べます。そこで悩み、深く考えることもあります。世の中はわからないことだらけですから、勉強したくなるのです。子どもの頃にわからなかったことが大人になってわかることも少なくありません。知的好奇心をもち、主体的に勉強し続けることが人生を豊かにしてくれると思います。皆さんはどう思いますか?

IQ、EQ、AQって?

 数年前から、GRIT(困難に直面してもやり抜く力)とかレジリエンス(逆境から回復する力)について書かれたビジネス書が売れています。皆さんは、今までに困難や逆境と呼ばれる状況に直面した時にどうやって乗り越えてきましたか。面接でよく聞かれる質問ですね。人生で出会う困難について述べた言葉はたくさんあります。「艱難汝を玉にす」(多くの困難を乗り越えてこそ立派な人間になるという意味)という言葉がある一方で、「三十六計逃げるに如かず」「逃げるが勝ち」という言葉があります。『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマが少し前にヒットしましたが、今、自分が置かれている状況にしがみつく必要がなければ、さっさと自分の得意なことが活かせる場所に行こうという意味のハンガリーのことわざだそうです。超えるべき目標が高いことをハードルが高いと言いますが、「ハードルが高ければ下をくぐれば簡単だ」と言った人もいました。渋沢栄一は、「逆境に立たされる人は、ぜひともその生じたる原因を探り、それが『人の作った逆境』なのか、それとも『人にはどうしようもない逆境』なのかを区別すべきである」と言っています。対処しがたい逆境にあっても「これが今の自分に与えられた役割だ」と腹を決めれば自ずと心穏やかに、しかし本気で頑張ることができるというのが渋沢さんの考え方でした。逆境を、むしろ面白がる、楽しむという考え方もあります。作家の吉川英治さんは「登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生のおもしろさはその山頂にはなく、かえって逆境の山の中腹にある」と言っています。「世の中は、思い通りにいけばラッキーだ」くらいに達観していれば、戦争や自然災害や病気のような自分ではコントロールできないよほどのことがない限り、困難も逆境もないと考えられます。そうすれば目の前の仕事に必要以上に気負わずに心穏やかに取り組むことができるはずです。「しゃーないなー(仕方ないな)」という言葉を、私は時々使いますが、これは諦める意味の言葉ではなく、「やるしかないか、頑張ろう」という言葉が後に続く言葉です。「大丈夫!なんとかなる!」という話を以前にしましたが、たかが逆境と捉えて前向きに取り組むことで、うまくいくことも増えるのではと考えます。            

 人の能力を測る指標には色々なものがあります。その一つとしてIQ(知能指数)はよく知られていますね。基準値が100で、130以上が非常に高い知能とされています。かつてはIQさえ高ければ「頭がいい」と判断されてきましたが、人間のすべての能力を測れるほど万能なテストではありません。他にEQ(心の知能指数)やAQ(達成指数」や「成就指数」もしくは「逆境指数」)などが開発されました。EQが重視するのは対人関係能力です。EQを伸ばしていけば、自分の感情と上手く付き合うことで前向きな行動ができたり、相手の状況をくみ取って配慮することができたりするとされています。AQ(達成指数」や「成就指数」)は、IQの研究が進むにつれ、IQが学習状況や住まいの環境によって変動する事が分かってきたため、「その子の現段階の知能に対して、学校教育はどれくらいの到達度にあるのか?」を測るために考えられました。そして、もう一つのAQ(「逆境指数」)ですが、これは逆境に対する反応を表す指数です。低ければ逃避し、高ければ解決したり、成長の糧にしたりする傾向があるということです。IQやEQに次ぐ新たなビジネス成功のための指標として、注目されるようになってきました。学校において「非認知能力」の育成が目指されるようになってきたのも、よく生きていくためには学力だけでなく、むしろその他の能力が重要なのではないかと考えられるようになってきたからです。幼稚園や小学校の頃から、遊びや学習を通して対人関係を学ぶということは行われてきていますが、いつまでたっても対人関係の悩みが減らないのはなぜでしょうか?

雪やこんこ♪とは?

 昨日は、久しぶりのまとまった雪となりました。多くの学校で下校が早まり、今日も1~2時間遅れというところがほとんどのようです。今朝は、湿雪で滑りやすい雪でしたが、道路にはあまり雪がなく心配していたより影響は少ないようです。小学生は、昨日の午後は校庭で喜んで遊んでいたようですが、寒い中一緒に遊んでくれていた先生方、お疲れ様です。今日は朝会の後、生徒の動線上の雪かきでは先生方に大変お世話になりました。御蔭様で自転車通学の生徒も安全に構内を走れると思います。ありがとうございました。

 ところで、生徒の皆さんの中で、雪道で自転車運転中に滑って怖い思いをした人はいるでしょうか。私は車で2回スピンしたことがあり、その時は風景がスローモーションになって流れました。2回とも20代前半の教員になる前でした。早朝スキーに行く高速道路上でのことで、他に車がいなかったので事故にはなりませんでしたが、初スピンでしたので今でもよく覚えています。雪道では滑り始めると制御がききませんので、滑ったら運を天にまかせるしかありません。高速道路上のサービスエリアの駐車場で滑った時は、フィギュアスケーターのように何回転も回り、遊園地のコーヒーカップのようでした。これから何年か後に車の免許を取る人も多いと思いますが、雪道の運転は気を付けてください。私が子どもの頃は、節分の時期である2月の上旬は、雪が降ることが多かったですが、最近は温暖化の影響で雪が降るのが珍しくなりました。せっかくスタッドレスタイヤに履き替えても一度も雪道を走ることなくシーズンを終えることが普通になりました。今後は1年中オールシーズンタイヤでいいかもしれません。

 西高東低の冬型の気圧配置だと、日本海側は雪で太平洋側は晴れということが多くなります。雪景色が非日常で「きれい」と感じる我々と違って、雪国の人にとっては、「雪は白い悪魔」というのが近い感情らしいです。私もスキー場で車にどんどん降り積もる雪や前が見えないくらい真っ白の風景に怖いと感じたことがありますが、家が雪の重みでつぶれたり、屋根からの落雪で窒息死したり、雪下ろしで屋根から落ちたりと雪国ならではの苦労と怖さがあるようです。日本は、地域差がありますが台風や地震による災害が多く、特に今後は地震への備えが急務になってきます。関東平野は比較的災害が少ないので、危機感をもっている人は多くないように思えます。「備えあれば憂いなし」と言いますが、防災グッズや非常食等は準備してありますか?

評価って難しい!

 今日は今年度2回目の学校評議員会があり、5人の評議員の方から学校評価結果に対して助言をいただきました。学校評価は、学校の課題を改善し、学校をよりよくするために始まった事業ですが、課題から目標を設定し、目標を達成するために具体的に何をするかを考え、実行し、達成度をできるだけ数値で検証します。総合評価が低い項目と内部評価と外部評価が異なっている項目が更なる課題となります。以前にも少し評価について書いたことがありますが、再度評価について書いてみたいと思います。

 評価は本当に難しいです。真に公平公正な評価をしようとするなら、誰が評価してもぶれないようにできるだけ具体的な評価規準を作らなければなりません。イギリスの名門校の生徒心得には「ジェントルマンたれ」のみ記され、目標は「卒業までに教師の評価と自己評価が一致するようになること」だそうです。自己評価を何度も行い、内省的な力が高まれば、自分を客観視できるようになります。教師の評価と生徒の自己評価に差異がある時は、生徒にとっては自分を見つめ直すチャンスに、教師にとっては指導方法や評価手法を振り返るチャンスとなります。自分を主体的に伸ばすためには、自分を正しく評価する力が必要です。ただ、評価については様々な考え方がありますので、以下の文を読んで皆さん一人ひとりが考えてみてください。

〇特定の誰かに認められたいという発想はやめるべきです。他人の評価を気にするのは、受け身で主体性のないことの表れ。他者に認めてもらうのではなく、自分が自分を認めればいいのです。

〇「他者からの評価なんて気にしなくていい」「無理に好かれなくてもいい」という言葉からは、頑張れない人に誤解が生じてしまう可能性があります。

〇実は、この社会は”他者からの評価が全て”なはずです。集団で生活している以上、他者との関わりは避けられません。人からよく思われないとますます生きにくくなってしまうのです。

〇自己評価をあげるには、他者から評価されることが絶対に必要です。達成感も自信も、成し遂げたことへの周囲からの承認があって初めて成り立ちます。成し遂げたこと自体からではありせん。

 次の言葉から、新しい企画ができそうです。

 「評価する者が最も学ぶ。他校の学校評価も教員が行うとよい。教える者が最も学ぶ。自校のよさを他校に教えることで自校のよさを深く学ぶことができる。」 評価は、対象をよく調べ勉強し、観察していないとできません。近隣の学校の先生が相互に評議員となってお互いの学校をよく知って評価し合えたら、面白いと思います。同様に各高校の生徒代表が、ビブリオバトルのように自校のよさをプレゼンして他校の生徒にジャッジしてもらうというのはどうでしょう。異なる視点から各校を知ることができ、お互いに高め合えるのではないでしょうか。

SNSは寸鉄だ

 昨日のブログで「笑顔」について書いたばかりなのに、今日書く内容は悲しく、あまり気が進みません。それでも書かなくてはと思いました。

 昨日から、漫画「セクシー田中さん」の作者である芦原妃名子さんが自殺した件について、多くの報道がなされています。今後、後追い記事が出て来てYouTubeでも取り上げられると思いますので、ここで詳細について書くことは控えます。「のだめカンタービレ」の作者の二ノ宮知子さんが自身のX(旧Twitter)で、「辛い…。辛すぎる。」、「自分の作品を一番大事に思っているのは自分なんだと号泣した日の事を思い出して、また涙が止まらない」と発信しました。同じように漫画が実写ドラマ化され、アニメ化された身として芦原さんの気持ちが痛いほどわかるのだと思います。私はこのニュースに接して、フジテレビの番組「テラスハウス」に出演していてSNSでの誹謗中傷が原因で自殺した女子プロレスラー木村花さんが思い出されました。(今回の件はSNS以前の問題でもありますが。)SNSでの言葉のやりとりが原因で、傷ついている人がどれくらいいるのか、自殺にまで追い込まれてしまった人がどれくらいいるかは不明ですが、明らかに通信技術の発達によって生じた負の部分です。

 「寸鉄人を殺す(刺す)」ということわざがあります。意味は、短い刃物で人を刺し殺すことから、短く鋭い言葉で人の急所をつくことです。このことわざは、言葉の力が実際の武器と同じくらいの影響を持つことを示しています。そして、言葉の選び方や話し方がどれほど人の感情や心に大きな影響を与えるのかを警告してくれています。似た言葉でいい意味に使うものに「ペンは剣よりも強し」がありますね。このような御時世ですので、学校では小学校から高校まで、情報モラルに関する学習を毎年しています。しかし、SNSを巡るトラブルは一向になくなりません。そのすべての原因は匿名性と発信の簡単さにあると思います。匿名のものは責任をもって発信していないということで信用しないということが当たり前になればいいのですが、「デジタルタトゥー」という言葉があるとおり一旦世界中に広まってしまったものを消すのは至難の業であり、発信された側としては、対応しないわけにはいきません。ネット上の問題は、法整備が追い付いていないのが現状ですが、早く泣き寝入りする人がいなくなるようにしてほしいです。今のところ、トラブルを避けるためには発信する前に1日待つ。そして、第三者に読んだり見てもらったりすることです。生徒の皆さんも、今後SNSでのトラブルの被害者にも加害者にもならないために十分気を付けましょう。

笑顔のパワー!パワー!パワー!

 今日は、思うところがあって「笑顔」について書くことにしました。令和4年の6月10日に「笑顔の力」というタイトルで書いていますが、再度書きたいと思います。「叶う」「吐く」については、3回話をしましたのが、記憶してほしいことは何度も繰り返すことが大事と言ったとおり、「笑顔」について繰り返したいと思います。              

 まずは有名人の言葉から。〇単なる笑顔であっても想像できないほどの可能性があるのよ。(マザーテレサ) 〇「笑顔は1ドルの元手もいらないが、1000万ドルの価値を生み出す」(カーネギー) 〇笑顔は万言に勝るインターナショナル・サインである (中村天風) 〇「いいことが起きたから笑顔になるのではなく、笑顔だからいいことが起きる」中井俊已(教育評論家) 〇 「笑」という漢字は、万葉集や古事記の時代には「花が咲く」という意味で使用されていた。だから、笑顔は、その人の心の花が顔に咲いたということ。

 笑顔の効用について。〇楽しい感情には、問題解決を容易にしたり、記憶力を高めたり、集中力を高めたりする効果があることが報告されています。笑顔をつくると楽しくなるという逆効果が、私たちの脳にはある。失敗したときは笑いましょう。失敗したときも笑顔でいると、脳がその失敗はなかったように把握するのです。〇怒り顔の人と笑顔の人の写真を用意して、その顔を覚えてもらい、後日同じ人たちの無表情の写真で「この顔を覚えているか」と確認する実験がありました。その結果、実際に覚えているのは、圧倒的に笑顔だった人の顔でした(「笑顔優位性効果」)笑顔でいる人のほうが記憶に残りやすい。〇表情は感情の出力だが、実は入力にもなる。人はうれしいから笑顔になるわけだけど、つられて笑顔になった時には「うれしい時の神経信号」が誘発され、笑顔の時と同じ気持ちになれる。つまり、周囲を笑顔にする人は、自分の表情を周囲に伝染させ、結果、周囲の脳に「やる気と好奇心」を喚起しているのである。当然、その人のチームはいい結果を出す。〇仏教用語の「和顔愛語」(わげんあいご)は、「和やかな笑顔」と「思いやりのある言葉遣い」で人に接することで、人間関係をスムーズにするための知恵です。仏教には、他にも顔施(がんせ)というものがあります。にこやかな表情で人に接するということで、和顔施(わがんせ・わげんせ)ともいいます。〇実に単純な世渡り法は、「笑顔」と「挨拶」と「返事」です。

 いかがでしたか。笑顔の効用の最初の三つは、以前に紹介したものです。社会に出ると、本当に「笑顔」と「挨拶」と「返事」が評価されることを実感すると思います。「笑顔」と「挨拶」と「返事」ができる人は印象に残るので、よく覚えてもらえます。体調が悪い時や精神的に落ち込んでいる時に笑顔を作るのは、難しいかもしれませんが、意識的に笑顔を作ることで回復が早まると思います。(となりのトトロのサツキちゃんとメイちゃんがお父さんと一緒にお風呂に入っている時の笑いのように) 病院にこそ笑顔が必要であり、疲れていても笑顔で接してくれる看護師さんに助けられている患者さんも多いでしょう。落語会を開催している病院もあります。マスクをしていると笑顔が見られません。皆さんもコロナやインフルエンザ感染に注意しながらも、マスクを外せる時は外して笑顔を見せてください。

主体的に余白を作ろう!

 「キャリアガイダンス」というリクルートの進路指導・キャリア教育専門誌がありますが、その449号の特集が「余白を生む未来」でした。片づけコンサルタントとして有名な近藤麻理恵さんのオープニングメッセージに次のような言葉がありました。

 「いつか時間の余裕ができたら、自分にとって大切なことに時間を割こう」と思っていても、永遠にその時間はやってきません。今の自分を見つめなおし、自分にとって本当に大切なものとそうでないものを分けて、いらないものを手放す。手放して初めて、そこに自由に使える余白ができます。余白とは、人生を主体的に選択すること、すなわち「片付け」から生まれるものなのです。

 彼女は、残したいものを選ぶ基準に「手に取った時にときめくか」と表現し、片づけ本が世界的ベストセラーとなりました。2015年には、『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出されました。「断捨離」が流行語に選ばれたのが2010年、ミニマリストは2015年ですが、いかに現代人が物に囲まれ整理ができていないかがわかります。令和4年6月24日のブログで、整理整頓について書きました。時間や空間に余白を生み出す。頭の中にも余白を生み出す。「余白の美」についても以前に書きましたが、書道や水墨画などで、何も書かれていない場所に何が見えるか。その意味が捉えられるか。アウトプットとインプットについて、インプットばかりしていると頭の中が整理できずにごちゃごちゃでいっぱいになってきます。新しく必要なことをインプットしていくためには、情報を整理してまとめてアウトプットし、余白を作る必要があります。パソコンのハードディスクをデフラグして整理して空きスペースを作るようなものですね。「時間がないと言って、好きなことを後回しにする人は、本当はそのことが好きではないのだ」ということを以前に書きましたが、余白を主体的に作るのは自分自身です。余白ができれば、余裕が生まれます。「人には余裕というものがなくては、とても大事はできないよ」という勝海舟の言葉を以前に紹介しましたが、皆さんも主体性を身に付けることで余白を生み出し、社会に出て大事ができるようになってください。