日誌

榎本校長のつぶやき

祝ブログ連載400回!さらば太東、また来る日まで。

 今日は、令和5年度第3学期の終業式、離退任式が行われました。終業式前に校歌隊による校歌の披露がピアノ伴奏で行われ、男女のきれいなハーモニーを聴かせてくれました。本校の校歌は、本当にメロディーも歌詞も格式と品があって素晴らしいと思います。「清きいのち」という特定の名前がついた校歌も非常に珍しく、普通は〇〇高校校歌のみです。校歌隊と同じように全校生徒の歌声が響き渡る日がくることを祈っています。

 離退任式では、14名の離退任者の中であいさつのトップバッターを務め、校歌の最後の二行を歌って締めました。私は、20年前に2年、今回2年と合計4年、太東で務めさせてもらいました。長くはありませんでしたが、充実した4年間でした。卒業式の時の失敗を踏まえて、今回は他の先生方のあいさつでもらい泣きしてもよいようにハンカチを用意しましたが、2番目の教頭が涙声になったのに反応して早くもうるうるしてしまい、そのほかにも声が詰まった先生方が何人もいて、ハンカチの出番が多くあり、鼻水もついて湿っぽくなりました。最後に生徒会の皆さんから花束をもらい、私は生徒会長と握手をし「青藍祭、がんばってね」と声をかけました。退場では、生徒が花道を作ってくれ拍手の中見送ってもらいました。みなさん、本当にありがとうございました。このブログも今回でちょうど400回を迎え、よく2年間続いたなと自分を褒めてやりたいです。読んでいただいた皆さん、ありがどうございました。

叱られて

 このブログも明日で終わりです。今日は、先日「叱らない教育の弊害」について述べた文に激しく同意したので、「叱る」ことについて書くことにしました。

そもそも「叱る」とは、語気を強めたりして,また,諭すように相手に伝える動作であり、相手を正しい方向へ導くために何が良くないのかを「気付かせる」ことです。よく、「叱る」は理性的な行為であり、「怒る」は感情的な行為であると言われます。「叱る」とは逆に、褒める教育も確かに大事ですが、なんでもかんでも褒めればいいというわけではありません。しっかりと相手を見ていて、褒める根拠がしっかりしていなければ、褒めても相手の心には届かないでしょう。ただ、褒めすぎるほうが、全く褒めないより弊害が少ないとは思います。では、「叱る」はどうでしょうか。部下を叱れない上司や、児童生徒を叱れない先生が増えているという話を近年、よく聞きます。前者の場合は、叱られた経験がない若者が増えているので下手に叱るとすぐに辞めてしまうという恐怖感があるようですが、後者は、若い先生自身があまり叱られた経験がなく、叱り方がわからないという根本的な問題があります。調査データがあるわけではないので、真偽は不明ですが、学級崩壊の原因は、「授業がうまくいかない」「ほめる、叱るがうまくできない」です。後者は、授業中の生徒指導にも関係あります。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、私が同意した「叱らない教育の弊害」は、下記のとおりです。

①叱ってくる、たしなめてくる、自分に対する反対意見を言ってくる人に対して、自分の意見をちゃんとまとめて相手を説得できるための思考能力を養う機会を失う。

②そもそも叱られないってことは、日々逆境に対する耐性が育たたない。

③叱られないってことは、根拠のない自己肯定感が強くなりすぎる。

④肯定され続け、叱られることがないと、自分の意見が全部通って当たり前だと頭の中に刷り込まれてしまう。

①はコミュニケーション能力、②は忍耐力がつかないということですね。③については、日本の若者は他国に比べ、自己肯定感が低いと国際比較データで明らかになっていますが、自己肯定感って主観ですから、単純に比較できないと思います。根拠のない自信をもっている人が多いと現場では感じられているようです。

 子ども時代に叱られる経験をもたないってことは、大人になって社会で生活していく上でいろいろなところで軋轢が起きる可能性が大きいと考えられます。私は、小さい頃から随分と叱られて育った記憶がありますが(ビンタやゲンコツは当たり前でした)、納得したこともあれば納得しなかったこともありました。反抗してさらにぶたれたこともありました。自分が悪いと自覚していても、ちゃんと理由を聞いてくれずに一方的に怒られると、口答えしてさらに怒られました。だから、自分の経験から、ちゃんと話を聞くというのは大事だと実感しています。納得できるように諭すのも叱る側の責任かなと思います。皆さんは、どう思いますか。叱られた経験がないからわからないと言われてしまうと困りますが。

飲酒運転の悲劇を知ろう

 今日、飲酒運転により家族を失った方の記事を読み、交通事故について私の考えを書きます。事故には自ら起こす事故と、もらい事故があります。私は、もらい事故を5回経験しており、そのうち追突が4回で、側面からぶつけられたのが1回です。こちらに非がなくても修理してもらっても自分の車が事故車になってしまうし、ケガもするしで、何もいいことはありません。飲酒運転によるもらい事故は最低のものです。わざわざ判断能力を低くして運転しているのですから。           

 戦後の交通事故死者数は昭和20年代後半から著しい増加傾向を示すようになり、45年には1万6,765人に達し、その状況は「交通戦争」と呼ばれました(第1次交通戦争)。その後、交通安全対策が進み、交通事故死者は減少傾向を示し、54年には8,466人と45年に比べてほぼ半減しました。ところが、50年代後半から再び増加し始め、63年からは8年連続して1万人を超えるなど、第2次交通戦争と呼ばれました。平成8年には、交通事故死者は9,942人と9年振りに1万人を下回ったものの、交通事故件数は77万件を超え、史上最悪を記録するなど、交通事故はなかなか減りませんでした。ここ数年、死者数は3000人を下回っているものの、飲酒運転撲滅にはほど遠いのが現状です。北米やオーストラリアなどでは飲酒運転で検挙された人を対象にアルコールインターロックの装着が義務づけられていますが、日本では義務化されていません。装置を製造している企業によりますと、一部の運送業者などで導入されていますが、一般の車への普及は進んでいないということです。国土交通大臣に飲酒運転の検挙者を対象としたアルコールインターロックの装着を義務化するよう陳情もされていますが、なかなか進まないようです。去年12月には、車を使う事業者に対し、業務前のアルコールチェックが義務化されるなど、飲酒運転を失くす取り組みは少しずつ進んでいます。学校現場でも先生方にアルコールチェックが義務付けられ、出張する時にチェックしています。すべての自動車が、呼気のチェックをしたり、ハンドルで血中濃度を測って基準値を超えたらエンジンがかからないシステムを取り入れることを義務付けてほしいですね。そして、普及が進むようにその費用は国が負担してほしいです。皆さん、数年後には自動車に乗れるようになると思いますが、飲んだら乗るな!ですよ。

精霊と彼岸

 今日は、38期生と39期生の卒業生32名に、「卒業生からのアドバイス」というキャリア教育部の行事の講師として1、2年次生に学校生活や進路決定へ向けてアドバイスをしてもらいました。強風の中、貴重な春休みの時間を割いて後輩のために来ていただき、ありがとうございました。10年後は「みらい学」の講師として、また来ていただけるとうれしいです。

 今日は「精霊(しょうりょう)の日」だそうです。『万葉集』を代表する歌人の柿本人麻呂、女流歌人の和泉式部と小野小町、この3人の忌日がこの日であると古くから伝えられていることから、亡くなった偉大な歌人たちの霊魂を偲ぶ日となっているそうです。あまり知られていないと思いますが、私も初めて知りました。「精霊」は「せいれい」とも読む場合と「しょうりょう」と読む場合があります。死者の霊魂を意味する場合は「しょうりょう」です。「精霊流し」というさだまさしのかなり古いヒット曲がありますが、精霊流しは長崎県などの一部地域での行事であり、死者を弔って精霊船で送り火として行うものです。今年は、昨日が「彼岸の入り」で中日である春分の日が20日です。以前にも彼岸については書きましたが、「春分(3月21日頃)」と「秋分(9月23日頃)」を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間であり、1年で計14日あります。この期間に行う仏教の行事を「彼岸会(ひがんえ)」と呼び、一般的にはこの期間に「お墓参り」をします。「精霊」は普通は御先祖様の霊を指すわけですが、天寿をまっとうして普通に死んだ者の霊は、死後33年または50年の弔い上げを終わると、死体から分離して清らかな霊質(祖霊)となり、正月・盆・農耕儀式の折々に子孫のもとを訪れて見守ってくれるものと考えられているそうです。霊魂を信じる信じないは別として、御先祖様がいなければ今の私たちは存在しないわけですから、1年に2度くらいは御先祖様に感謝する日があってもいいかと思います。25歳で子ができるとして計算すると700年弱遡るとみんな親戚になるそうです。よく「遠い親戚」と言いますが、そういう意味ではみんな程度の差はあれ「遠い親戚」なんですね。不思議な感じがします。

人の可能性とすごさ

 今日は午前中の授業を5分短縮にし、全国大会の壮行会を昼休みに実施しました。少林寺拳法部が3月22~24日まで香川県善通寺市で、チアリーディング部が3月25日に東京の幕張メッセで行われます。体調管理をしっかりして、実力を発揮できるように頑張ってきてほしいと思います。以前にチアの全国大会と少林寺の関東大会の応援に行きましたが、運動部の大会を見ているときに、人間は鍛えるとこんな動きができるようになるんだなと感動する時があります。最近のブレイクダンスの大会やスケートボードの大会では、若い人の活躍が目立ち、どんな練習をしてきたのかと感心してしまいます。スポーツではありませんが、中国雑技団や有名なサーカス団の演技も人間技ではないと思えるものがあります。AIの進歩が話題になり、人間型ロボットも進化していますが、人間と同等の動きができるようになるまで、あとどれくらいかかるでしょうか。人間の身体の構造の複雑さや脳のすごさについて知れば知るほど、生命というもののすごさを思い知ります。何事も憧れをもったら、自分にもできると思って少しずつ近づけるように頑張りましょう。イチローさんも言っています。「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。」とんでもなところを目指してみませんか。