日誌

榎本校長のつぶやき

祝ブログ連載400回!さらば太東、また来る日まで。

 今日は、令和5年度第3学期の終業式、離退任式が行われました。終業式前に校歌隊による校歌の披露がピアノ伴奏で行われ、男女のきれいなハーモニーを聴かせてくれました。本校の校歌は、本当にメロディーも歌詞も格式と品があって素晴らしいと思います。「清きいのち」という特定の名前がついた校歌も非常に珍しく、普通は〇〇高校校歌のみです。校歌隊と同じように全校生徒の歌声が響き渡る日がくることを祈っています。

 離退任式では、14名の離退任者の中であいさつのトップバッターを務め、校歌の最後の二行を歌って締めました。私は、20年前に2年、今回2年と合計4年、太東で務めさせてもらいました。長くはありませんでしたが、充実した4年間でした。卒業式の時の失敗を踏まえて、今回は他の先生方のあいさつでもらい泣きしてもよいようにハンカチを用意しましたが、2番目の教頭が涙声になったのに反応して早くもうるうるしてしまい、そのほかにも声が詰まった先生方が何人もいて、ハンカチの出番が多くあり、鼻水もついて湿っぽくなりました。最後に生徒会の皆さんから花束をもらい、私は生徒会長と握手をし「青藍祭、がんばってね」と声をかけました。退場では、生徒が花道を作ってくれ拍手の中見送ってもらいました。みなさん、本当にありがとうございました。このブログも今回でちょうど400回を迎え、よく2年間続いたなと自分を褒めてやりたいです。読んでいただいた皆さん、ありがどうございました。

叱られて

 このブログも明日で終わりです。今日は、先日「叱らない教育の弊害」について述べた文に激しく同意したので、「叱る」ことについて書くことにしました。

そもそも「叱る」とは、語気を強めたりして,また,諭すように相手に伝える動作であり、相手を正しい方向へ導くために何が良くないのかを「気付かせる」ことです。よく、「叱る」は理性的な行為であり、「怒る」は感情的な行為であると言われます。「叱る」とは逆に、褒める教育も確かに大事ですが、なんでもかんでも褒めればいいというわけではありません。しっかりと相手を見ていて、褒める根拠がしっかりしていなければ、褒めても相手の心には届かないでしょう。ただ、褒めすぎるほうが、全く褒めないより弊害が少ないとは思います。では、「叱る」はどうでしょうか。部下を叱れない上司や、児童生徒を叱れない先生が増えているという話を近年、よく聞きます。前者の場合は、叱られた経験がない若者が増えているので下手に叱るとすぐに辞めてしまうという恐怖感があるようですが、後者は、若い先生自身があまり叱られた経験がなく、叱り方がわからないという根本的な問題があります。調査データがあるわけではないので、真偽は不明ですが、学級崩壊の原因は、「授業がうまくいかない」「ほめる、叱るがうまくできない」です。後者は、授業中の生徒指導にも関係あります。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、私が同意した「叱らない教育の弊害」は、下記のとおりです。

①叱ってくる、たしなめてくる、自分に対する反対意見を言ってくる人に対して、自分の意見をちゃんとまとめて相手を説得できるための思考能力を養う機会を失う。

②そもそも叱られないってことは、日々逆境に対する耐性が育たたない。

③叱られないってことは、根拠のない自己肯定感が強くなりすぎる。

④肯定され続け、叱られることがないと、自分の意見が全部通って当たり前だと頭の中に刷り込まれてしまう。

①はコミュニケーション能力、②は忍耐力がつかないということですね。③については、日本の若者は他国に比べ、自己肯定感が低いと国際比較データで明らかになっていますが、自己肯定感って主観ですから、単純に比較できないと思います。根拠のない自信をもっている人が多いと現場では感じられているようです。

 子ども時代に叱られる経験をもたないってことは、大人になって社会で生活していく上でいろいろなところで軋轢が起きる可能性が大きいと考えられます。私は、小さい頃から随分と叱られて育った記憶がありますが(ビンタやゲンコツは当たり前でした)、納得したこともあれば納得しなかったこともありました。反抗してさらにぶたれたこともありました。自分が悪いと自覚していても、ちゃんと理由を聞いてくれずに一方的に怒られると、口答えしてさらに怒られました。だから、自分の経験から、ちゃんと話を聞くというのは大事だと実感しています。納得できるように諭すのも叱る側の責任かなと思います。皆さんは、どう思いますか。叱られた経験がないからわからないと言われてしまうと困りますが。

飲酒運転の悲劇を知ろう

 今日、飲酒運転により家族を失った方の記事を読み、交通事故について私の考えを書きます。事故には自ら起こす事故と、もらい事故があります。私は、もらい事故を5回経験しており、そのうち追突が4回で、側面からぶつけられたのが1回です。こちらに非がなくても修理してもらっても自分の車が事故車になってしまうし、ケガもするしで、何もいいことはありません。飲酒運転によるもらい事故は最低のものです。わざわざ判断能力を低くして運転しているのですから。           

 戦後の交通事故死者数は昭和20年代後半から著しい増加傾向を示すようになり、45年には1万6,765人に達し、その状況は「交通戦争」と呼ばれました(第1次交通戦争)。その後、交通安全対策が進み、交通事故死者は減少傾向を示し、54年には8,466人と45年に比べてほぼ半減しました。ところが、50年代後半から再び増加し始め、63年からは8年連続して1万人を超えるなど、第2次交通戦争と呼ばれました。平成8年には、交通事故死者は9,942人と9年振りに1万人を下回ったものの、交通事故件数は77万件を超え、史上最悪を記録するなど、交通事故はなかなか減りませんでした。ここ数年、死者数は3000人を下回っているものの、飲酒運転撲滅にはほど遠いのが現状です。北米やオーストラリアなどでは飲酒運転で検挙された人を対象にアルコールインターロックの装着が義務づけられていますが、日本では義務化されていません。装置を製造している企業によりますと、一部の運送業者などで導入されていますが、一般の車への普及は進んでいないということです。国土交通大臣に飲酒運転の検挙者を対象としたアルコールインターロックの装着を義務化するよう陳情もされていますが、なかなか進まないようです。去年12月には、車を使う事業者に対し、業務前のアルコールチェックが義務化されるなど、飲酒運転を失くす取り組みは少しずつ進んでいます。学校現場でも先生方にアルコールチェックが義務付けられ、出張する時にチェックしています。すべての自動車が、呼気のチェックをしたり、ハンドルで血中濃度を測って基準値を超えたらエンジンがかからないシステムを取り入れることを義務付けてほしいですね。そして、普及が進むようにその費用は国が負担してほしいです。皆さん、数年後には自動車に乗れるようになると思いますが、飲んだら乗るな!ですよ。

精霊と彼岸

 今日は、38期生と39期生の卒業生32名に、「卒業生からのアドバイス」というキャリア教育部の行事の講師として1、2年次生に学校生活や進路決定へ向けてアドバイスをしてもらいました。強風の中、貴重な春休みの時間を割いて後輩のために来ていただき、ありがとうございました。10年後は「みらい学」の講師として、また来ていただけるとうれしいです。

 今日は「精霊(しょうりょう)の日」だそうです。『万葉集』を代表する歌人の柿本人麻呂、女流歌人の和泉式部と小野小町、この3人の忌日がこの日であると古くから伝えられていることから、亡くなった偉大な歌人たちの霊魂を偲ぶ日となっているそうです。あまり知られていないと思いますが、私も初めて知りました。「精霊」は「せいれい」とも読む場合と「しょうりょう」と読む場合があります。死者の霊魂を意味する場合は「しょうりょう」です。「精霊流し」というさだまさしのかなり古いヒット曲がありますが、精霊流しは長崎県などの一部地域での行事であり、死者を弔って精霊船で送り火として行うものです。今年は、昨日が「彼岸の入り」で中日である春分の日が20日です。以前にも彼岸については書きましたが、「春分(3月21日頃)」と「秋分(9月23日頃)」を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間であり、1年で計14日あります。この期間に行う仏教の行事を「彼岸会(ひがんえ)」と呼び、一般的にはこの期間に「お墓参り」をします。「精霊」は普通は御先祖様の霊を指すわけですが、天寿をまっとうして普通に死んだ者の霊は、死後33年または50年の弔い上げを終わると、死体から分離して清らかな霊質(祖霊)となり、正月・盆・農耕儀式の折々に子孫のもとを訪れて見守ってくれるものと考えられているそうです。霊魂を信じる信じないは別として、御先祖様がいなければ今の私たちは存在しないわけですから、1年に2度くらいは御先祖様に感謝する日があってもいいかと思います。25歳で子ができるとして計算すると700年弱遡るとみんな親戚になるそうです。よく「遠い親戚」と言いますが、そういう意味ではみんな程度の差はあれ「遠い親戚」なんですね。不思議な感じがします。

人の可能性とすごさ

 今日は午前中の授業を5分短縮にし、全国大会の壮行会を昼休みに実施しました。少林寺拳法部が3月22~24日まで香川県善通寺市で、チアリーディング部が3月25日に東京の幕張メッセで行われます。体調管理をしっかりして、実力を発揮できるように頑張ってきてほしいと思います。以前にチアの全国大会と少林寺の関東大会の応援に行きましたが、運動部の大会を見ているときに、人間は鍛えるとこんな動きができるようになるんだなと感動する時があります。最近のブレイクダンスの大会やスケートボードの大会では、若い人の活躍が目立ち、どんな練習をしてきたのかと感心してしまいます。スポーツではありませんが、中国雑技団や有名なサーカス団の演技も人間技ではないと思えるものがあります。AIの進歩が話題になり、人間型ロボットも進化していますが、人間と同等の動きができるようになるまで、あとどれくらいかかるでしょうか。人間の身体の構造の複雑さや脳のすごさについて知れば知るほど、生命というもののすごさを思い知ります。何事も憧れをもったら、自分にもできると思って少しずつ近づけるように頑張りましょう。イチローさんも言っています。「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。」とんでもなところを目指してみませんか。

3.14考

 今日は、皆さんご存じのホワイトデーですが、歴史はそれほど古くはありません。バレンタインデーは私が小学校6年生の時に初めて経験しましたが、業界の利益増大のために広まった記念日の最初かなと思います。1978年に全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980年に第1回の「ホワイトデー」が開催されました。ホワイトデーを3月14日に定めた理由については、バレンタイン司教が殉教した1ヵ月後であることや、古事記および日本書紀で日本において初めて飴が製造されたとされる日など諸説あります。今では、キャンデー、マシュマロ、マカロン、バウムクーヘンなど返すお菓子で意味が違うなどと言われていますが、誰が決めたのでしょうか。孫の日や夫婦の日、ハロウィンなど記念日に乗じて商品を売らんかなという日本人の商魂には恐れ入ります。日本人は基本的に記念日好きなんですかね。贈答文化もありますし。贈り贈られで、経済が活性化すれば「WinWin」でいいかもしれませんが、無駄な買い物が増えて資源の無駄遣いになるかもしれません。最近は義理チョコとか友チョコとかも疲れるので廃れてきた感もありますが、実態はどうなっているでしょうか。義理チョコって本当に日本人らしい文化ですよね。

 今日3月14日は、「3.14」と表記され、円周率の小数表記の上3桁に一致することから「円周率の日」「数学の日」「パイ(π)の日」などが制定されています。「数学の日」は数学を生涯学習として、子どもから大人まで楽しめるものに発展させようと制定されたそうです。また、「パイの日」は、永遠の愛を誓う日として制定され、「男の割り切れない気持ち(無理数だもんね)」「まあーるい円で円満」「エンドレスラブ」「パイをお返ししてまーるくおさめましょう」などと洒落たのがはじまりだそうです。以前に円周率について書いた記憶があるのですが、円周率がアバウトだと、ロケットなどで使う科学計算でとんでもない誤差が出てしまうので、小数点以下15桁までの数字を使います。それと、円周率暗唱世界記録保持者の原口さんの言葉を紹介した覚えがあります。それは『頑張りすぎる→苦しむ→目標に届かず挫折、という悪循環に陥ってしまいがち。「大事なのは続けることではなく、続けられること。肝心なのは、楽しくやることではなく、楽しくやれること」』というものです。円周率をそんなに覚えて何になるんだ?何かの役に立つのか?と思った人はいますか?確かにそのとおりかもしれません。ただ、役に立つか立たないかで考えると、人生はすごく貧しいものになるような気がします。自分が好きなこと、楽しいことをやるのに、人に迷惑をかけなければ文句を言われる筋合いはありません。何事も楽しくやれることを続けられるように工夫しましょう。

感謝総括

 今まで、式辞やブログの中で、「感謝」について話したり書いたりしてきましたが、私のブログも残り少なくなってきましたので、「感謝」についてまとめて書いておきたいと思います。「感謝」についての言葉は、たくさんストックがありますが、厳選して紹介します。

〇「一日一生」仏教の教え。朝、起きると自分が生きて呼吸していることに感謝する。昼は、自分が平和な世界にいることに感謝する。そして、夜は1日が無事に終わったことに感謝する。それさえできれば、1日は一生と同じくらい貴重なものになる。似た言葉に、「朝は希望に生き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る」があります。どちらも夜は感謝です。

〇ありがとうの反対は当たり前。当たり前と考えていれば感謝の気持ちはでてこない。

〇試合は目的ではなく、確認の場です。勝っても負けても反省することは山ほどある。同時に相手に感謝もする。勝っておごらず、負けて悔やまず。それは武士道に通ずる。

〇つらいことが多いのは感謝を知らないからだ。苦しいことが多いのは自分に甘えがあるからだ。悲しいことが多いのは自分のことしかわからないからだ。心配することが多いのは今を懸命に生きていないからだ。行き詰まりが多いのは自分が裸になれないからだ。

〇「感謝」「希望」「くよくよするな」「健康」「行動」で「かきくけこ」 この5つは仕事でも人生でも大事じゃないですかね。コシノジュンコ

〇運というのは、運をつかむために自らをコントロールしている人のもとにしかこない。コントロールするのは「言葉」「表情、態度、姿勢、身だしなみ」「感謝」「謙虚」佐々木洋(花巻東高校硬式野球部監督)

〇人生では、投げかけたものだけが返ってきます。それが宇宙の法則です。笑顔を投げかければ笑顔が返ってくる。感謝を投げかければ、感謝が返ってくる。喜びを投げかければ、あなたに戻ってくるのは喜びです。

〇「さまざまな人生相談を受ける中で、人生がうまくいく人となかなかうまくいかない人の差はここではないか。『自分ばかり損をしている』と思った瞬間から、被害者意識で周りへの感謝を失い、本当に自分ばかり損をするようになるという悪循環があると考えました」「一方、『自分はいつも人生から新しいことを習っている』と考える人は、常に周りへの感謝の念を忘れません。不運なこと辛いことがあったとしても、そこから自分にとっての幸運の種を見つけることができているのです。」

〇老子は「足るを知る」と言いましたが、これは今あるもので我慢しておこうという意味ではなく、むしろ、今あるものにこそ感謝しようということ。

〇ユダヤ人のジョークに「ユダヤ人は足を折っても、片足でよかったと思い、両足を折っても、首でなくてよかったと思う。首を折れば、もう何も心配することはない」失ったものを数えるな。残っているものを数えよ。そして、残っているものがあることに感謝し、それを最大限に生かそう。これは真実である。

〇「よくできたね」と褒める必要はない。ただ「ありがとう」と感謝を伝えるだけでいい。感謝される喜びを知れば自ら進んで周囲に貢献しようとする人間になる。アドラー

 いかがでしたか。何か心に刺さる言葉はありましたか。「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」という俳句があるとおり、人間は歳をとるほど、感謝の心をもち、謙虚になるものです。人間は生まれる時は裸で、何も持っていません。若いうちから感謝の心を持てるようになれば、きっと人間関係もうまくいき、幸せを感じられる人生になることでしょう。皆さんが高校生活が「幸せ」だったと思えるように、感謝の心を持てるようになることを願っています。

ヘルメット着用推進!

 今日から「自転車ヘルメット着用推進強化週間」が始まりました。まだ、自転車のヘルメット着用は努力義務であり罰金等もありませんが、全県下で自転車通学の生徒のヘルメット着用の推進がなされています。今朝8時から15分間、昇降口で見ていた限りでは、ヘルメットを着用していない生徒はいませんでしたが、SHRが終わってから係の先生に聞いたところ、全体でも7人でした。多くの生徒の皆さんが、指導に従ってくれて感動しました。ヘルメットの購入が間に合わなかった人も今後は着用してくれることを期待しています。自分を守るためのものですから、他人事と思わずに着用してくれることを望みます。私は高校生の時に自転車で片道11キロの道を通っていましたが、パンクは7回、事故に遭ったのが2回でした。1回目は自分は無事でしたが自転車が廃車になってしまい、2回目は軽傷でしたがぶつかった車の側面は大きくへこみ、自転車もフレームが歪みました。両方とも雨天で、私に非はなかったものの、嫌な思いをしました。私は、運よく頭を打つようなことはありませんでしたが、頭を車や地面にぶつけるようなことがあれば無事ではすみません。昔と比べて今のヘルメットはデザインもよく通気性に優れているので、ぜひ着用してください。そのうち義務化されると思いますが、義務だからではなく自分のために着用してください。強化週間が終わったら着用しなくなっては意味がありませんし、学校の近辺だけしているのでも意味がありません。万が一の事故に遭った時に頭部を守るのが目的ですから、する振りをしていても自分は守れません。また、しっかり装着することが大事で、ただヘルメットを頭に載せているだけでは頭部は守れません。自転車に乗る時は、正しくヘルメットを着用してください。校長からのお願いでした。

いのちの日

 今日で、東日本大震災が起こってから13年が経過しました。屋上の日の丸が半旗となっていることに気付いた人はいたでしょうか。生徒の皆さんは、当時3~5歳だったでしょうから地震のことをよく覚えていない人も多いかもしれません。私は震災時、総合教育センターで働いており、8階建てのセンターは上の階ほど被害が出て、家庭科室や理科室で食器や実験機器が壊れ、水槽の水が揺れで飛び出て水浸しになりました。全員が外に避難して建物を見上げると、揺れのためほとんどの窓が全開しており、揺れの大きさを物語っていました。その後は計画停電で信号機が点いていない道路を恐る恐る通勤し、石油ストーブで暖をとり、カセットコンロで料理するといった日々が続きました。当時の津波の動画や被害状況を伝えるニュースなど、まだ記憶に生々しく残っています。

 今日3月11日は、「災害時医療を考える会」によって「いのちの日」として記念日に制定されています。東日本大震災では多くの命が失われたことから、命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えることが目的だそうです。9月1日が関東大震災発生に関連して「防災の日・防災用品点検の日」として防災訓練が行われるように、3月11日には健康、医療、災害時の体制などを考える機会を設けたいとの思いから記念日としたそうです。12月1日も「いのちの日」ですが、こちらは厚生労働省が自殺予防活動の一環として制定した記念日です。

 今日のブログの内容に関わるものとして、私がストックしてある言葉から一つ紹介します。

『なにか嫌なこと、困難なことに出くわした時、その最良の解決方法は、それらに「向き合う」ことしかありません。良寛さんの言葉に「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」というのがあります。災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかないという意味の言葉です。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかなく、そのことを「災難」としてしか捉えることができないならば、どこまでもその不運を嘆いて生きて行くしかありません。子供を亡くし悲嘆にくれる友人に対しそのことに一切触れることなく、「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」という仏教の教えを語ることで励ましました。』

 皆さんは、テレビで災害時に外国の人は泣き叫んでいる人が多いのに対して、日本人は取り乱さずにいる人が多いのを見たことがありますか。この理由として、自然災害が多い日本で、日本人は理不尽にも降りかかる災害を人間の力では対抗できないもの、仕方ないものとして納得しようとしてきたことが考えられます。仏教の影響で日本人には「すべてのものは変化し消滅し、永遠のものはない」という無常観が備わっています。人間の力ではどうにもならないことに対して順応して逆らわず生きていこうという意識と無常観とが結びついて,日本人独特の諦観が生まれたのではないでしょうか。心の安定を図る防衛機制なのかもしれません。いずれにせよ、平和に暮らすために自分たちにできることはやっていきましょう。

蜜蜂で蜜を集めるのは全部メス!

 今日3月8日は、「みつ(3)ばち(8)」と読む語呂合わせから「みつばちの日」だそうです。全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が制定しました。ちなみに8月3日は「はちみつの日」です。我が家では毎朝、バナナ・キュウイ・みかん・ブルーベリーなどにヨーグルトをかけ、それから蜂蜜をかけて食べているので、蜂蜜の消費量が多いです。ネットで色々な店を調べて、国産のものを通販で購入しています。ミツバチというと、小学生のころ指先を刺されて痛い思いをしたことや、「みなしごハッチ」というミツバチの男の子が女王バチの母親を探して旅するアニメが思い出されます。

 日本ではニホンミツバチ、セイヨウミツバチの2種が飼育(養蜂)され蜜の採取が行われていますが、セイヨウミツバチの方が蜂蜜を大量に生産することができるため安価であり、スーパーなどで販売されている蜂蜜はほとんど全てセイヨウミツバチから得られたものだそうです。一方、二ホンミツバチの蜂蜜は小量しか取れず高価ではあるが、コクと深みがあるそうです。私も初めて知ったのですが、ミツバチの働きバチは全てメスだそうで、働きバチの頭部から分泌されるローヤルゼリーのみで育てられたメスは交尾産卵能力を有する女王バチになるのだそうです。オスは、巣の中では働き蜂に餌をもらう以外特に何もしないので、オスバチを指す英語「drone」は「なまけもの」という意味があるそうです。リモコン操作で空中を飛ぶドローンは、飛行音が蜂の羽音に似ていることから結び付けられたと言われています。蟻の世界でも、2割は働かないと言われていますが、その理由として環境変動があったときにすぐ対応できるように、働いていないアリという「余力」を残していると言われています。ミツバチの方は、ちょっと悲惨なので、興味をもったら調べてみてください。私は、小学生のころから「ファーブル昆虫記」「シートン動物記」などを読み、特に昆虫に興味をもっていましたが、知らないことやまだわかっていないことは多いですね。命の不思議さを昆虫を見ていると感じます。皆さんはどうですか。 

※『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』の作者として有名な漫画家の鳥山明先生が、先日の3月1日に急性硬膜下血腫により68歳で亡くなっていたニユースが流れました。私は、高校・大学と鳥山先生の漫画を愛読していました。今読んでも面白いです。鳥山先生の御冥福をお祈りします。

火の用心!

 今日3月7日は「消防記念日」だそうです。広く消防関係職員及び住民の人々に「自らの地域を自らの手で火災その他の災害から守る」ということへの理解と認識を深めてもらうことを目的としているそうです。1948年に「消防組織法」の施行により警察の所管から市町村長が消防を管理する「自治体消防制度」となり、各市町村に消防本部・消防署・消防団の全部または一部を設置することが義務付けられました。皆さんの住む地域にも消防団があると思います。「春季全国火災予防運動」が3月1日~7日にかけて行われていますが、最終日の今日は全国の消防本部などにおいて、消防訓練や記念式典、消防防災功労者に対する表彰、消防のPR活動など、様々な消防関係行事が行われています。小学生が描いたポスターが貼ってあるのを見たことがあると思います。皆さんの住む市町村のホームページに入選者のポスターが掲載されていますので、見てみてください。太田市の最優秀賞は消防車をバックに消防士の後ろ姿を描いたもので、コピーは「俺らの出番がなくなるその日まで」でした。小学校6年生女子の作品ですが、なかなか味がある大人の感覚のポスターだなと思いました。

 江戸時代を起源として、昔は消防団の人が輪番で拍子木を鳴らしながら「火の用心!マッチ1本家事の元~」と言って地域を回っていました。今は消防車で鐘を鳴らしながら走っていますね。豆腐屋さんや納豆売りの方を見たことがないのと同じで、生徒の皆さんは見たこともなければ聞いたこともない人がほとんどでしょう。マッチも擦ったことがない人がほとんどかもしれません。今はチャッカ(着火)マンが主流でしょうから。私は、火災現場を何度か見たことがありますが、やはり悲惨です。焼け死んだ方が運び出されるところも見たことがあります。日本の家屋は、その材質から燃えやすいことと、密集している場所も多く延焼しやすいことから、火災の被害が広がりやすいです。2月22日のブログで、消防署の地図記号が「さすまた」なのはなぜか調べてみましょうと書きましたが、現在のように消防車が放水できる時代ではなかった江戸時代は延焼を防ぐために家屋を壊すことが行われましたが、その時使われたのが「さすまた」です。「さすまた」は、火事を食い止める象徴だったのです。皆さん、火災防止意識を高めることと、起こってしまった場合の正しく迅速な対処を学んでください。

二つのニュースから

 今日は予想外に雪が積もっていて1日寒かったので、虫も出てこられなかったでしょうね。さて、日経株価が4万円を超えたというのは庶民にとって実感がないものの、これからの景気回復に向けて明るいニュースでした。先日と今日、驚いたニュースが他に二つあったので、それらについて書きます。

 アメリカの人気歌手テイラー・スウィフトさんが、アメリカ大統領選挙の候補者選びのヤマ場となる「スーパーチューズデー」にあわせて5日、自身のインスタグラムに「みんな、自分を最も代表すると思う人に投票することを忘れないでほしい。まだ投票していないのであれば今日投票することを計画しよう」などと投稿しました。特定の候補者の名前はあげなかったものの、若い世代への影響力が大きいことから言動に注目が集まっています。スウィフトさんのインスタグラムのフォロワーは2億8200万人余りで、前回の2020年の大統領選挙ではバイデン大統領への支持を表明し、その影響力に対してトランプ元大統領が警戒心を露わにしているといニュースでした。日本でも、影響力のある芸能人が「選挙に行こう」と呼びかければ、投票者が増えるのでしょうか。テイラーさんの場合、27万人がテイラーさんの呼びかけで投票したとされています。今、日本の政治は派閥と金銭問題で揺れていますが、政治に関心を持っている有名芸能人がYouTubeなどで語りかければ、若者の政治意識は向上するのでしょうか。ある政治家が、政治に無関心な若者について「悪いことではない。政治について考えなきゃ生きられない国のほうがよほど問題」と語り、総選挙を人間の定期健診に例え、「総選挙で投票するためには普段から政治に関心を持っていないと自身で判断ができない」「幅広い情報に触れておく必要がある」とまとめました。政治に関心をもたなくてもすむことは幸せなのかもしれませんが、やがては、いいように利用され、搾取されることになるかもしれません。「もっと国民の生活はよくなるはずなのに」と考えるようにするのは、大人の責任かと思います。皆さんは、政治は一部の意識が高い人に任せておけばいいと思いますか。少しばかり損しても、面倒くさいからいいやと思いますか。

 もう一つの驚いたニュースは、小学生の金銭トラブルで同級生に総額百万円弱だまし取られた事件です。なぜ小学生が百万円も持っているんだという疑問は、親のタンス預金が原資だったことが判明し、それはそれですごいと思いましたが、金銭感覚のズレに呆れました。他にも子どもの金銭感覚がずれている例は、聞いていますが、日本は豊かすぎるのかと思ってしまいます。金銭教育をしっかりするという話がありましたが、お金と労働の関係、有難さについて、知識ではなく体験を通して理解させなければ本当にはわからないと思います。アルバイトの平均時給が1200円前後となり、北海道のニセコのホテルでは、時給1800円の職種も出てきている中で、昔はアルバイトの時給と言えば600~700円くらいだったなぁと思う私は、古い人間です。本校の生徒の中にも許可を得てアルバイトをしている人が少なからずいますが、自分で働いて得たお金は、安易な使い方はしないと思います。皆さんも進学してアルバイトするなら、楽して稼げるものではなく、大変なアルバイトも一度は経験してみてください。そして、世の中で働いている人たちの大変さを想像し、感謝の心をもってください。皆さんもやがて感謝される日がきます。

合格おめでとう!

 今日は、10時からWeb上で県下一斉に令和6年度の高校入学者選抜の合格者が発表されました。合格された皆さん、おめでとうございます。入学式へ向けて、準備を進めてください。合格掲示板による各高校ごとの発表はなくなり、寂しい気もしますが、掲示板を見てうつむいて帰る中学生を見るのは辛いので、学校での合格者番号の掲示がなくなってよかったかなと思います。

 今日は「啓蟄」です。大地が温まり、冬眠をしていた地中の虫が春の陽気に誘われて穴から出てくるとされる日ですが、今日は寒くて明日以降にしようと虫も思っているかもしれません。明日も天気は悪そうなので、皆さん気を付けて登校してくださいね。「啓蟄」の「啓」には「ひらく、開放する」の意味があり、「蟄」には「虫が土の中に隠れる、閉じこもる」の意味があります。「啓」を使った歴史で勉強する「啓蒙」は、「無知蒙昧な人に教育を施して良い方向へ導くこと」であり、上から目線の言葉ですね。「蒙昧」は、蒙も昧も、物事の道理に暗いことをいいます。「蟄」を使った 「蟄居」という言葉も歴史で出てきます。「家に閉じこもって外出しないこと」ですが、中世から近世(特に江戸時代)の武士または公家に対して科せられた刑罰のひとつで、閉門の上、自宅の一室に謹慎させることを言います。日本史上の有名どころでは、徳川斉昭・佐久間象山・渡辺崋山らがいます。

 春になると、自宅の庭で蛙やトカゲ、みみず、モンシロチョウなどが見られるようになります。ただ、桜の木を食い荒らすクビアカツヤカミキリには登場しないでもらいたいです。本校の南の桜が、咲かなくなったら本当に寂しくなりますから。

合格発表前夜

 明日は、いよいよ高校の入学者選抜の合格発表ですね。全県下で多くの受検生が、ドキドキして待っていることでしょう。明日は、新たなスタートに立つ日でもあります。そんな皆さんに、次の言葉を贈ります。

『やる気がなくなったのではない「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。「変われない」のではない。「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。』

上記の言葉は、心理学者のアドラーのものですが、何をするにも自分が前進するためには「やる気」、つまり主体性が必要です。ただ、その「やる気」も出て来るまで待っているのではなく、動き出すことで生み出すものです。ぜひ、春に向けて新たな気持ちで主体的に動き出してください。

涙の卒業式

 御蔭様で、無事卒業式を終えることができました。御列席いただきました皆様に感謝申し上げます。心配していた天候も、保護者の受付時間の前に雨が止み、陽がさしてきて卒業生の皆さんを祝福してくれているように感じました。終了する頃には本当に晴天になり、よい卒業式になったと思います。ただ、強風になってしまったのは残念ですが。昨年は、サッカー部が正面玄関前で集まって歌っていましたが、雨が降っていてはなかなか外でそんなこともできませんし、写真を撮っても映えません。また、昨年は1、2年次生は卒業式に出席できず、卒業式中継のYouTubeを自宅で見てもらうことになってしまいましたが、今年は久しぶりに全校生徒が揃っての卒業式ができました。卒業式の空気は入学式と違い、また独特で、その場にいないと味わえないものがあります。2年次生は、卒業まであと1年と自覚したと思います。晴れやかな顔で卒業式を迎えられるように、時間を大切にして残りの太東での生活を送ってください。1年次生は、「あと2年ある」ではなく、「あと2年しかない」と思って、様々な場面で学校の中心となって活躍を期待される2年次を過ごしてください。今年は青藍祭がありますので、力を合わせて素晴らしい青藍祭を創り上げてください。

 さて、卒業式で校歌はしっかり歌えたでしょうか。予行よりも声が出ていてよかったです。私は、最後で詰まってしまって「太田東高校」で声が出ず、「ハンカチの出番」になったのですが、ハンカチを忘れてしまい両頬に流れた涙を拭くことができず、しばらくそのままで立ち尽くすことになりました。今年は泣かずに終えられると油断していたら、最後に落とし穴がありました。卒業祝賀会で、担任の先生の一人から生徒が私が泣いているのを見てもらい泣きしたと日誌に書いていましたと言われ、もらい泣きする側がもらい泣きされていたとは、と驚きました。今まで、ブログが翌日に持ち越されることはなかったのですが、3月1日分は1日遅くなってしまいました。改めて、3年次生の皆さん、御卒業おめでとうございます。元気で4月からの新しい生活をスタートしてください。

※日の丸の旗は、ボロボロになっていたので卒業式に合わせて新調してもらったものです。

 

うるう年と卒業式の涙と校歌

 今年はうるう年で、今日は4年に一度の2月29日です。今日が誕生日の人は、「年齢計算ニ関スル法律」により、誕生日前日の終了時(午後12時)をもって加齢するため、平年・閏年を問わず、毎年2月28日午後12時に年をとります。誕生日に年を一つとると思っている人が多いと思いますが、実際には誕生日前日に年を取ります。ですから、学年で一番誕生日が早い人は4月1日ではなく2日になります。余談ですが、1288年、スコットランドのマーガレット女王が「未婚の女性はうるう年ごとに、好きな男性に対してプロポーズすることができる。男性がプロポーズを拒むには、罰金を払うか、絹のドレスを与えなければならない」という法律を制定しました!うるう年の一年間はプロポーズを拒めないとは、男性も大変です。その後、うるう日のみに改正されたそうですが。フランスにも同じような法律があり、15世紀のイタリアでも慣習になっていたそうです。それだけ男性優位の階級社会だったということでもあるようです。第二次世界大戦中まではその習慣が正式に行われていたそうです。さて、皆さんは、この話を信じましたか。私は「へぇ~」と思いつつ、本当か疑わしかったので調べてみると、スコットランドの国立公文書館が、2000年にこの件に関して調査をし、そういう事実はないと結論付けられました。ただ、こんな話がまことしやかに広まったことには何かしら意味があると思いますので、興味をもった人は調べてみてください。

 もう2月も終わりで、本当に今年は月日が経つのが早く感じます。高校入試の前期後期が一本化されて例年とスケジュールが変わったこともあり、感慨に浸る間もなく慌ただしく卒業式前日を迎えてしまいました。昨年の2月28日のブログでは、卒業式予行と卒業式の意義について書きつつ、卒業式で泣くことについて書きました。「♪卒業式で泣かないと~冷たい人と言われそう~♪」と80年代アイドルの斉藤由貴の「卒業」の歌詞にあります。涙腺の強い弱いがありますので、泣かないから冷たいというわけではないと思いますが、退場時に男子生徒が泣いているのを見るともらい泣きしてしまいますね。それ以前に壇上に座っていると、目立つ動きはできないので泣かないように我慢しているのが辛いです。元々涙腺が弱いのに、年を取ってさらに弱くなったので困りものです。今日の予行では、校歌を少し練習してもらいましたが、効果はあったでしょうか。卒業生は、太東で歌う最後の校歌であり、在校生は卒業生と一緒に歌う最後の校歌です。大きな声で歌って、卒業生を送り出してくれると、ハンカチの出番になります。明日は、よろしくお願いします。

運送業の未来は?

 今朝のニュースで「物流の2024年問題」に対する佐川急便の取組を見ました。2024年問題について簡単に説明すると、今年の4月から働き方改革関連法により、ドライバーの時間外労働時間の上限規制(960時間)が設けられることによって輸送能力が不足して輸送に支障が出る可能性があるという問題のことです。ドライバーの労働時間が減ることによって、人件費の高騰、運賃アップなどにより企業の売上減少と様々な影響が考えられます。そのため関連企業は、人材確保や業務効率化などの対策に取り組んでいます。2024年問題の発生によって最も大きな影響を受けるのは長時間労働になりやすい長距離トラックであり、宅配業界ではないようです。トラックの輸送量に占める宅配の割合は「1~2%」にすぎないということで驚きですね。我が家では、1か月に何個の荷物が届くのかというくらいアマゾンやメルカリなどで宅配を利用しています。特に配送料が無料なら、ガソリン代と時間を使って買いにいくよりも得なので、買うものが明確な場合は通販を選んでしまいます。店舗ではなかなか見つけられないものがネット上にはあるのも魅力です。そんな便利な宅配を利用している人は多いと思いますが、ヒト・モノを輸送する仕事は、滞れば経済が麻痺することになります。人間の血管が詰まるようなものです。ドローンによる輸送も将来は行われるようになるのでしょうが、大量の荷物を運べないのと空の交通整理の問題があるので根本的な輸送問題の解決にはならないでしょう。高校生の頃に読んだSF小説に、モニターを通して買ったものが瞬間移動装置で家に届くというのがありました。果たして未来に実現するのでしょうか。現在、人手不足に悩む業界は多く、アルバイトの時給も高騰しています。これから、どのような技術革新が起こり、業務の効率化が進み、働く人に優しい社会になるのでしょうか。皆さんの多くが、これから高校や大学でアルバイトを経験し、就職することになると思いますが、ブラックバイトやブラック企業にひっかからないように気を付けてください。

わからないを理解する

 今日は、2月26日発行の日本教育新聞のコラム「提言」の内容に共感したので、それについて書きたいと思います。以下に提言の内容を要約しました。

 授業を見ていて、教師が発した言葉を子どもがきちんと分かっているとは言えないケースも多々あり、子どもの声を聞くべきだとつくづく感じる。例をいくつかあげると、教師の「この方法についてまとめてください」という指示に対して、「まとめるってどういうこと」というつぶやきがチャットに書き込まれた。「式を簡単にしなさい」では「式を展開したら簡単にならないと思う」とつぶやかれる。確率で「同様に確からしい」は「確かなのか、確かでないのかどっち?」と質問される。「60は100の0.6にあたる」という説明を聞いて、「あたるって、どこにあたるの?」と友達に聞く。教師は、子どもが日頃使わない用語を伝えるときは、より注意すべきだ。対話的学習が単に自分の考えを発表しあっているだけの場合が少なくない。「子どもたちは先生方が望んでいる『対話』とはどういうことかわかっていないと思う。集会時に望ましい『対話』をしている劇を先生方でやって、子どもたちにしっかりしたイメージをもたせることで、話し合いの質は必ず変わってくると思う。

 私が以前に、式典や集会等で話す時に、言葉に気を付けているということを書きました。文字で読んだ時にわかる言葉が、話になるとわかりにくくなることも多いです。ですから、授業での指示や説明には特に気を付ける必要があります。昔、某高校の授業で、授業の終わり15分で教科書の次時の範囲を読んでもらい、わからない語句をすべて書かせ、意味がわからない文章や疑問に思ったことを書かせることを毎時間行っていました。その結果、どれだけ教師が生徒がわかっている前提で授業を進めていたかが判明しました。小学校で社会が嫌いになる原因は、わからない言葉の多さだそうですが、それは中高へ進むにつれて加速していきます。授業をする際に生徒の実態を把握しておくのは、今までの学習での知識・技能の習得度合いと体験等を知り、授業を組み立てる上で教材や学習活動に生かすためです。後半の『対話』については、「説明しなくてもわかるでしょ」という教師の思い込みによって、具体的に何のために何をどのようにするかを子どもがわかっていないためにねらいが達成できないということになります。教科学習だけでなく部活動においても、目的とやることを理解できるようにしっかりしたイメージを持たせて練習しないと効果が半減します。対話的学習では、「対話させる」ではなく「対話したくなるようにする」ために、よいロールモデルを示す必要があります。皆さん、わからないことははっきり言いましょうね。自分がわかっていない時は、他の人もわかっていないはずだと思って。

幸せを数えたら♬

 今から10年前に「幸せ」について少し長い文章を書いたことがありました。なぜか、その時のデータが見つかりません。以前にブログでも何か書いた記憶があるのですが、思い出せません。なので、新しく短めに「幸せ」について書いてみます。私が高校時代に、ばんばひろふみさんの「SACHIKO」という曲がヒットしました。最初の歌詞が「幸せを数えたら、片手にさえ余る。不幸せ数えたら一晩でも足りない」です。「幸せ」についての言葉はたくさんありますが、本質は1つではと思います。「幸せになりたいと思ったら、今の幸せに気付くこと」です。「幸せを数えたら、あなたはすぐに幸せになれる」とショーペンハウアー(独哲学者)は言いました。不幸な人と幸せな人の違いは、同じもの(こと)に対する見方が違うだけなんです。幸せはなるものではなく、気付くものなんですね。そうは言われても、なかなかそんな心境にはなれないという人もいるでしょう。ただ、「生きてるだけで丸儲け」という明石家さんまさんの名言から実感することは「幸せは、その人の心が決める」ということです。「幸せ」については、死ぬ間際にわかるのかもしれませんが、生きている限り考え続けることになるのでしょうね。こうした答えのない問題を考えて、モヤモヤすることも生きていく上では大事ですよ。

そうだ、♨に行こう!

 受検生の皆さんは、昨夜はよく眠れたでしょうか。今日も、朝からあいにくの雨となりましたが、面接も無事終了しました。「人事を尽くして天命を待つ」という気持ちで、合格発表をお待ちください。

 さて、昨年の今日2月22日は「ニャンニャンニャン」で猫の日にちなんで猫について書きました。今日は、群馬に関係ある日で「温泉マーク」の日でもあります。群馬県安中市の磯部温泉組合が制定しました。江戸時代の磯部の古文書に温泉記号(温泉マーク)が記されていることから「日本最古の温泉記号の地」であることを広く知ってもらいたいと制定されました。群馬県高等学校教育研究会が作成した「ぐんまの日本一88」という本でも紹介されています。日付は温泉マークの3本の曲線の湯気が逆から見ると数字の「2」が3つ並んでいるように見えることと、温泉地らしい3つの言葉(風情、風景、風味)の頭文字である「ふ=2」を3つ並べた日付からだそうです。後半のこじつけは苦しいですが、「温泉マーク♨」自体は、わかりやすくて素晴らしいマークだと思います。日本人は、簡略化した記号を作る才能があるらしく、携帯電話で使われるようになった絵文字も日本人の発明ですし、現在目にしている「ピクトグラム」の形が世に広まったのは1964年以降で、そのきっかけは日本で開催された東京オリンピックでした。当時の日本人の英語力では、日本に来た外国人と十分なコミュニケーションをとれる状態ではなかったため、「誰が見てもわかるマークを作ろう」と第一線で活躍するデザイナーを終結させ考案されたのが、オリンピック競技種目や食堂などのピクトグラムだそうです。その種類はオリンピック競技なども含めて約39種類で、デザイナーたちが「社会に還元すべき」と著作権を持たなかったため、便利なピクトグラムは東京オリンピックをきっかけに世界中に発信されて広まりました。他には、交通関係や非常口などのピクトグラムがよく知られています。誰にでもわかるようにという、先日のパキスタンの投票用紙のマークと使われ方は一緒ですね。地図記号は小学校で多くを習いますが、わかりやすく覚えやすいものもあれば、意味を知らないとわからないものもあります。わかりやすいのは、博物館や図書館、老人ホームなどで、意味がわかれば覚えやすいのは、警察署(警棒)や税務署(そろばんの玉)、消防署(さすまた)などでしょうか。私は、茶畑のマークが茶の実を半分に切った時に見える形というのに感動しました(大袈裟?)私たちの身の回りには、たくさんのマークや記号があふれています。気を付けて見て、興味をもったらすぐに意味を調べてみてください。「へぇ~」と思うものがたくさんありますよ。※なぜ、消防署が「さすまた」なのか疑問に思った人は、すぐに調べてみましょう。

日本語プライド

 入学者選抜の1日目の学力検査が無事終了しました。受検生の皆さん、お疲れ様でした。今日は、ゆっくり頭と体を休めて、明日の面接に臨んでください。明日は今日よりも寒くなるようなので、防寒に気を付けてください。

 今日はユネスコによって1999年に制定された国際母語デーです。言語と文化の多様性、多言語の使用、母語の尊重を推進することが目的だそうです。世界には非常にたくさんの言語があり、多くの民族と言語が存在する国もあります。15年以上にわたり、世界の言語に関する目録を発表している機関によれば、第1言語および第2言語の話者総数の順位は、1位英語(13億4800万人)、2位標準中国語(11億2000万人)、3位ヒンディー語(6億人)、4位スペイン語(5億4300万人)、5位標準アラビア語(2億7400万人)です。日本語は1億2600万人で世界13位です。(2021年配信)英語が最も多い理由は、イギリスの植民地になったところが多いためです。世界史で勉強しましたね。

 世界中の人間が国を越えて意志疎通をするために、1887年に世界共通言語としてエスペラントという人工言語が作られました。国際補助語としてはもっとも世界的に認知され、エスペラントを話す人は世界中に100万人程度存在すると推定されており、普及の成果を収めた言語となっています。皆さんは、息をするように普通に母語の日本語を読み書きしていると思いますが、その母語について先日パキスタンの総選挙のニュースを見て驚きました。パキスタンには読み書きできない国民が4割いるので、投票用紙には候補者名とともにシンボルが並んで印刷されていて、有権者はシンボルの上にスタンプを押すだけでいい仕組みとなっています。識字率の低い隣国アフガニスタンでも、似た仕組みが採用されているそうです。母語の読み書きができないということが、どれくらい国の政治経済や文化の発展を阻害するのか想像に難くありません。言語は、単に意思疎通の手段だけでなく、その国や地域、民族の文化と密接に関係しています。ですから、エスペラントで試みられたものの、文化の違いからくる世界の言語の微妙なニュアンスをすべて表現できるような一つの言語を作るのは不可能だと思います。以前にも母語の大切さについて書きましたが、多くの言語を習得し(文化も同様に)国際人として活躍するとしても、その基盤となる母語は家の土台と一緒で、非常に大事です。皆さんには、美しい日本語を身に付けて日本の文化を大切にしてほしいと思います。それと同時に他国の言語や文化を尊重してくれることを願います。

春近し!でも三寒四温に注意!

 今日は21日、22日の高校入試の準備のため、生徒は午前中で完全放課となり部活動ができません。そのため、7時ころから朝練している部活動もいくつかありました。今日は、本当に暑いくらい温かくなりましたので、午後に部活動をやりたかった生徒も多いことでしょう。私も体を動かしたくなりました。「三寒四温」という言葉があります。本来は冬に使われる言葉ですが、日本では寒暖の変化がはっきりと現れる2月の終わりころから3月初めの春先に用いられるようになりました。だんだんと暖かくなり春が近いという意味で使われます。温暖化が進んでいるために、さらに早くから用いられるようになるかもしれません。明日から、また寒くなるということで、受検生の皆さんは寒さ対策をしっかりして万全の体調で2日間の試験を乗り切ってください。応援しています。

頑張れ!受検生!

 今週は、高校受検ウィークです。各高校で準備に大忙しで、ミスが許されない入試業務で気疲れする日々が続きます。在校生は自宅学習日が多くなって嬉しいのでしょうけどね。1年次生は、昨年の自分たちのことを思い出していることでしょう。受検生の皆さんは、ここまできたら最高の体調(頭調)で受検できるようにすることを第一に考えて過ごしてください。    

 さて、スタジオジブリの『君たちはどう生きるか』は、日本ではそれほどヒットしなかったものの、海外でヒットしたようですね。キャリア教育の教材になりそうなタイトル名ですが、皆さんは新書や漫画本で読みましたか。皆さんは、高校入学後に、将来どんな仕事をしたいのか、そのためにはどんな進路にすすむべきなのかについて悩んでいると思います。中高校生は生きてきた中で得た経験や知識はまだわずかであり、3万以上あると言われている職業で知っているものなんてほんのわずかです。働く経験はアルバイトやインターンシップくらいで、社会で本当に働いたことがないのだから、仕事はわからなくて当たり前です。だから、やりたいことや夢が見つからない、将来何をしたらいいのかわからないのも当たり前です。多くの中高生が、「やりたいことがわからないから、勉強する意味がわからない。だから勉強する気にならない。今勉強していることが人生で役に立つのか?」などと思っています。「勉強するから、何をしたいか分かる。勉強しないから、何をしたいか分からない。」とビートたけしさんが言っていますが、わからないからこそ勉強するべきなんです。やりたいことが決まっている人は、いいんです。やりたいことを実現するために必要な情報を収集して思考して判断すればいいのですから。やりたいことが何かわからない人は、何の選択肢ももっていないか、選択肢が多すぎて思考停止に陥っているかのどちらかです。とにかく勉強して選択するための知識・技能という材料を増やさなければなりません。私は高校1年の時に、小説家の城山三郎さんの『素直な戦士たち』をNHKの連続ドラマで見て、小説も読みました。小学生から東大受験を目指す家庭の物語です。主人公の母親は、親の愛情として子どもが自由に育って社会に出るときにどんな職業でも選べるようにしてやりたいと考えました。その象徴的な言葉が「大蔵省にも入れるし、ルンペン(ここでは乞食の意味)にもなれる」でした。この家庭は悲劇的結末を迎えますが、興味をもった人は読んでみてください。高校入試でも大学入試でも、勉強する意味をわかってしているかどうかが、勉強の効果と効率という意味で大変重要だと思います。先人の本を読み、対話して、色々と深く考えてみてください。 

もうすぐ春ですね♪

 気象庁から昨日2月15日に北陸、関東、四国の順に「春一番」が吹いたことが発表されました。例年より14日早いそうです。年々春の訪れが早まり、桜と言えば入学式の頃のイメージが今や卒業式のイメージになりそうです。小中学校の卒業式は3月の中下旬で、高校は、ほとんどが3月1日なので、小中学校では卒業式に桜が咲いていることも多くなりました。今年は、入学式の4月9日まで桜は待ってくれるでしょうか。

 さて、「春一番」を知らない人は、いないと思いますが、何を指して「春一番」というのか定義まで知っている人はそう多くはないと思います。私も知りませんでした。「春一番」とは群馬の「空っ風」と逆で、春先の日本海周辺の低気圧に太平洋側の高気圧から吹き込む南風のことです。関東地方ではその条件として、①立春から春分までの間に、②日本海に低気圧があり、③最大風速がおおむね風力5(風速8m/s)以上の南よりの風が吹いて、昇温した場合。となっています。なお、北海道、東北、甲信、沖縄地方では春一番の発表は行われていないそうです。

 昭和のアイドル、キャンディーズのヒット曲に「春一番」がありますが、「♪雪が溶けて川になって流れていきます つくしの子がはずかしげに顔を出します もうすぐ春ですね♪」のフレーズが明るく、春が来るウキウキ感を出していました。(雪が「溶ける」は「融ける」の間違いではと思いましたが・・・) 春は「別れ」と「出会い」の季節ですので、歌も明るい曲としんみりする曲に2分されます。卒業の別れを明るく歌った曲だと、AKB48の「10年桜」と「Give me five!」が思い出されます。3年次生の皆さん、最後は笑顔でハイタッチして卒業してください。

男子家を出ずれば七人の敵あり?

 学年末考査も3日目が終わりました。お疲れ様です。あと1日です。最後まで気を抜かずに頑張ってください。
 2013年に出版されてベストセラーになった本にアドラー心理学を基にした「嫌われる勇気」があります。嫌われないために自分の意思に反しても全ての人にいい顔をするのはいいことでしょうか?孔子の言葉に「10人いて10人味方、是即ち偽善者なり。10人いて10人敵、是即ち悪人なり。5人敵5人味方、是君子なり」というものがあります。以前にも書きましたが、日本では調和を重んじ争いを好まないことから同調圧力が強く、「出る杭は打たれる」風潮があります。一方、外国では個性を重視するので、自分の意見がなく人と同じということは恥ずかしいという、日本とは逆の風潮があります。「人と違うことをして目立つ」といじめられると思って自分の意見をはっきり言わないことと、「間違う」と恥ずかしいということの気持ちの根っこは「人からどう思われるか」という点で同じだと思います。教室は「学び合い」の場であり、「間違い」からも学べることは多く、教室で間違っても恥ずかしいことではなく「みんなに気付きを与える」という雰囲気が小学校の時から授業でできているところもあると思います。「何をしても責められる社会」を風刺した「ロバと老夫婦」という漫画を紹介します。すべての人を納得させることなんかできないのだから、後悔しないためにも自分の意思を貫くのが一番ですね。ただし、必要以上に嫌われないようにすることも大事です。自分勝手が一番ということではありませんので。

※タイトルの意味は調べてみてください。なぜ、女子ではないのか、現在だとどうかも合わせて考えてみてください。

今でしょ!

 学年末考査も2日目が終わりました。「バッチリ」ですか、それとも「トホホ」でしょうか。まだ2日ありますので、頑張ってくださいね。さて、2月9日発行の「内外教育」という教育小冊子の巻末の記事に次のようなものがありましたので、読んでみてください。自分に当てはまると思いますか。

 『大学生の学びは、大学に入ってからでは遅すぎるという見方もある。高校時代に勉強しなかった学生は大学でも勉強しない。読書や部活動や交友に関しても、高校時代の生活と大学生活は関連している(「モノグラフ高校生」vol.7、ベネッセ1982年)。大学生の「資質・能力」は高校時代までに形成されたものがそのまま継続されることが、大規模な時系列調査で明らかにされている(溝上慎一編著「高校・大学・社会 学びと成長のリアル」学事出版、2023年)』

 私が以前に読んだ記事に似たようなものがあったなと思い、記録しておいたものを検索すると次のようなものがありました。

『「大学生白書2018」の「10年トランジション調査」によれば、「他者理解力」「計画実行力」「コミュニケーション・リーダーシップ力」「社会文化探究心」などの資質・能力は高校2年におけるレベルが大学1年次にも強く影響を及ぼしていることが明らかにされている。「この結果は、高校2年生の秋には、ある程度資質・能力は仕上がっていると言わざるを得ず、大学に入学してきた学生の資質・能力を、大学教育でゼロベースで育てることが難しいことを示唆している。』

 いかがですか。下線部分には、ドキっとさせられますね。もちろん、全ての人に当てはまるわけではなく、そういう傾向が強いということですが、やはり高校生のうちに学習習慣や自分なりの学習方法、そして色々なことに取り組む態度というのは、確立しておくのがよいのではないでしょうか。「まだ、本気出してないだけ」と言う言い訳がありますが、イソップの寓話に「ここがロドスだ、ここで跳べ」というのもあります。ここで、できない人間が他の場所や明日できるのかということですね。大学生でも社会人でも、必要な基礎力は変わりませんので、高校生のうちに身に付けておいたほうがよい力は、できるだけ身に付けられるように努力しましょう。

テスト最終考

 今日から、令和5年度最後の定期考査が始まりました。コロナやインフルエンザで休んでいた人が先週は多かったですが、学年末考査1日目の今日は欠席者がかなり少なくなりよかったです。3年次生が今日から家庭学習に入ったので、今朝から登校する生徒数が減り、校内も寂しくなりました。1、2年次生は、全力で4日間の考査を乗り切って、4月からの新年次によいスタートができるように願っています。

 さて、定期考査の度にテスト関連のことを書いてきましたが、流石にネタが尽きてきました。人生で、果たしてテストはどれくらい受けるのだろうかと考えてみると、「入園」「入塾」「入学」「入部」「入社」「入団」「採用」など、人生の節目で受けるテストはもちろん、普段の生活の中でも小テストや定期考査、模擬試験など、本当にたくさんのテストを受けています。芸能関係のオーディションやミスコンなどのコンテスト等もそうですが、全てのテストは評価されるということを意味します。そして、資格試験のように一定の評価規準を満たせばよいものと、競争試験のように受験者の中から合格者を選ぶために絶対的合格規準がないものもあります。ですから、競争試験には「運」が必要になります。この「運」も、普段の地道な努力の積み重ねが引き寄せると自分に言い聞かせていないと、不合格が続けば心が折れることもあるかと思います。普段の心掛けと言ってしまっては身もふたもないのかもしれませんが、次の言葉を読んでください。

『一流は、通りすがりの人の何気ない一言からも学ぶ。二流はテストに出るところだけを教わる。何かをして効果効能があることだけを聞くのです。人間はたった一言の言葉でも人生が変わります。その一言は、「これから大切なことを言うぞ」という時の言葉ではありません。』

 ある医学部の生化学の教授の話です。学生から「授業では必要最低限の知識だけ教えてほしい」と言われたそうです。効率よく勉強し、最低限の努力だけで国家試験に合格したいのだろうとのことです。 しかし、現実には必要最低限の知識だけでは、患者に臨機応変に対応することはできません。医者の専門化と診療科の細分化が進み、総合医が減ることで色々な問題が生じてくるようです。

 皆さんは、テスト前に先生に「どこが出るんですか?」と質問したことはありますか。学習が深まると、自分でどこが重要かがわかるようになるものです。そうなって初めて自分の身になる勉強になります。テストに出るところを聞いて乗り切っても、すぐに忘れてしまうでしょう。自分の血肉にならずに、そのまま排泄されてしまうようなものです。「まず、テストに受からなきゃ・・・」という現実もあるかもしれませんが、本当に身に付けたいことは「急がば回れ」の精神でやることが大事ではないでしょうか。テストをどう捉えるかで、日頃の取組も変わってくることでしょう。

LonelinessよりSolitude

 先日読んだ小冊子の特集が、『「ひとりを楽しむ 「孤独」を味わう』でした。最近、有名人の著書や言葉などの影響も大きいのかもしれませんが、「孤独」や「ぼっち」を肯定的に捉える風潮が感じられるようになってきました。「ソロキャンプ」に代表されるような「ソロ〇〇」の増加も、そうした傾向によるものでしょう。少年~青年期は、「孤独」に対する感受性が強い時期とも言えますが、「友だち」に対する考え方はそれと表裏一体になっているように思えます。人間の悩みの第一は「対人関係の悩み」らしいですが、けやき坂46のヒット曲の「アンビバレント」には、孤独でいたいけれど孤独じゃいられないという相反する気持ちをもつことによる葛藤が歌われています。人間関係に疲れるけれど一人は寂しいというような内容の小説や歌は、今までにもたくさんありました。皆さんも人間関係に悩んだら、同じことを考えた人たちが出した本がたくさん書店や図書館にありますので、読んでみてください。私が大学生の頃、孤独に関する言葉でそのとおりだと思ったのが、『孤独は山になく、街にある。 一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある。』でした。今日は「孤独」に関する言葉をいくつか紹介しますので、「孤独」について考えてみてください。また、似た言葉である「孤高」については、今回触れませんでしたが、調べて違いを考えてみてください。

〇孤独は悪いことでもみじめなことでもなく、むしろ人間を強く、豊かにしてくれるものなんだと気付きました。田村セツ子(イラストレーター85歳)

〇孤独って人生で唯一失わないものなのかも。孤独があるから大切な人や時間が輝いてみえるんだ。

〇「生まれてきた時も一人なら、死ぬ時も一人である。ならば人と共に生きていても結局は一人なのだ。共に生きた人とだって死を共有することはできないのだから」(一遍上人語録)

〇人は孤独を嫌いますが、孤独でなければ感動は得られません。孤独であるという一種の絶望に立って初めて、他者を愛し共存していく感動を味わい、希望を見出していくわけです。絶望こそ感動につながる最大のチャンスなんです。盲目の画家エムナマエ

〇老人になると、孤独感の先には多幸感が待っている。筒井康隆

 老人ホームでいつもひっそりと一人でいる老婦人に退屈ではないかと訊ねたら、こんな返事が返ってきた。「これまでの愉しかったことを順に思い出しているだけでもう愉しくて愉しくて、時間が足りないくらいよ」

〇孤独を知るということが自立ということであり、孤独の中でしか自分が自分であることの確認はできないものだということは確認しておいてほしい。永田和宏

※タイトルの意味は、「消極的孤独より積極的孤独」です。

わかりやすさの評価

 校長として式典や学校行事などで話をするときは、なるべく聞いている人がわかりやすい話をするように心がけてきました。普通は話す相手を見て、言葉を選んで話すと思います。ですから、テレビ番組やCMでやたら横文字の言葉が多いと、日本語に訳し辛い言葉は別として、どれくらいの人が意味がわかるのだろうと思ってしまいます。先日、神戸のお寺で副住職を務めている方の文を読んで考えるところがありました。以下のような内容でした。

『話をする時に、「相手に伝わらなければ意味がない」と考えていましたが、そこにこだわると、どうしても「わかりやすさ」に偏っていきます。タモリの「テレビを過度にわかりやすくしようするのは、テレビを見ている人をバカにしているのではないか。子どもからお年寄りまでわかるような番組をやろうと思ったことは一度もないです。わからないところはわからないでいい。見ている側に立って何かをやったりすることは、ほとんどないのかもしれない。自分が面白いと思うことをやっている」という言葉は衝撃的でした。(中略)仏教の法話では、言葉で言い表せないことを、必死に言葉で伝えようとする矛盾をはらんでいます。言葉は不思議です。「わかりやすさ」よりも「分かり難さ」が印象に残ることもあります。そして「わからないこと」が人生を豊かにしてくれることもあると思うのです。』

 私は、わからないことが出てくるとすぐに調べます。そこで悩み、深く考えることもあります。世の中はわからないことだらけですから、勉強したくなるのです。子どもの頃にわからなかったことが大人になってわかることも少なくありません。知的好奇心をもち、主体的に勉強し続けることが人生を豊かにしてくれると思います。皆さんはどう思いますか?

IQ、EQ、AQって?

 数年前から、GRIT(困難に直面してもやり抜く力)とかレジリエンス(逆境から回復する力)について書かれたビジネス書が売れています。皆さんは、今までに困難や逆境と呼ばれる状況に直面した時にどうやって乗り越えてきましたか。面接でよく聞かれる質問ですね。人生で出会う困難について述べた言葉はたくさんあります。「艱難汝を玉にす」(多くの困難を乗り越えてこそ立派な人間になるという意味)という言葉がある一方で、「三十六計逃げるに如かず」「逃げるが勝ち」という言葉があります。『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマが少し前にヒットしましたが、今、自分が置かれている状況にしがみつく必要がなければ、さっさと自分の得意なことが活かせる場所に行こうという意味のハンガリーのことわざだそうです。超えるべき目標が高いことをハードルが高いと言いますが、「ハードルが高ければ下をくぐれば簡単だ」と言った人もいました。渋沢栄一は、「逆境に立たされる人は、ぜひともその生じたる原因を探り、それが『人の作った逆境』なのか、それとも『人にはどうしようもない逆境』なのかを区別すべきである」と言っています。対処しがたい逆境にあっても「これが今の自分に与えられた役割だ」と腹を決めれば自ずと心穏やかに、しかし本気で頑張ることができるというのが渋沢さんの考え方でした。逆境を、むしろ面白がる、楽しむという考え方もあります。作家の吉川英治さんは「登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生のおもしろさはその山頂にはなく、かえって逆境の山の中腹にある」と言っています。「世の中は、思い通りにいけばラッキーだ」くらいに達観していれば、戦争や自然災害や病気のような自分ではコントロールできないよほどのことがない限り、困難も逆境もないと考えられます。そうすれば目の前の仕事に必要以上に気負わずに心穏やかに取り組むことができるはずです。「しゃーないなー(仕方ないな)」という言葉を、私は時々使いますが、これは諦める意味の言葉ではなく、「やるしかないか、頑張ろう」という言葉が後に続く言葉です。「大丈夫!なんとかなる!」という話を以前にしましたが、たかが逆境と捉えて前向きに取り組むことで、うまくいくことも増えるのではと考えます。            

 人の能力を測る指標には色々なものがあります。その一つとしてIQ(知能指数)はよく知られていますね。基準値が100で、130以上が非常に高い知能とされています。かつてはIQさえ高ければ「頭がいい」と判断されてきましたが、人間のすべての能力を測れるほど万能なテストではありません。他にEQ(心の知能指数)やAQ(達成指数」や「成就指数」もしくは「逆境指数」)などが開発されました。EQが重視するのは対人関係能力です。EQを伸ばしていけば、自分の感情と上手く付き合うことで前向きな行動ができたり、相手の状況をくみ取って配慮することができたりするとされています。AQ(達成指数」や「成就指数」)は、IQの研究が進むにつれ、IQが学習状況や住まいの環境によって変動する事が分かってきたため、「その子の現段階の知能に対して、学校教育はどれくらいの到達度にあるのか?」を測るために考えられました。そして、もう一つのAQ(「逆境指数」)ですが、これは逆境に対する反応を表す指数です。低ければ逃避し、高ければ解決したり、成長の糧にしたりする傾向があるということです。IQやEQに次ぐ新たなビジネス成功のための指標として、注目されるようになってきました。学校において「非認知能力」の育成が目指されるようになってきたのも、よく生きていくためには学力だけでなく、むしろその他の能力が重要なのではないかと考えられるようになってきたからです。幼稚園や小学校の頃から、遊びや学習を通して対人関係を学ぶということは行われてきていますが、いつまでたっても対人関係の悩みが減らないのはなぜでしょうか?

雪やこんこ♪とは?

 昨日は、久しぶりのまとまった雪となりました。多くの学校で下校が早まり、今日も1~2時間遅れというところがほとんどのようです。今朝は、湿雪で滑りやすい雪でしたが、道路にはあまり雪がなく心配していたより影響は少ないようです。小学生は、昨日の午後は校庭で喜んで遊んでいたようですが、寒い中一緒に遊んでくれていた先生方、お疲れ様です。今日は朝会の後、生徒の動線上の雪かきでは先生方に大変お世話になりました。御蔭様で自転車通学の生徒も安全に構内を走れると思います。ありがとうございました。

 ところで、生徒の皆さんの中で、雪道で自転車運転中に滑って怖い思いをした人はいるでしょうか。私は車で2回スピンしたことがあり、その時は風景がスローモーションになって流れました。2回とも20代前半の教員になる前でした。早朝スキーに行く高速道路上でのことで、他に車がいなかったので事故にはなりませんでしたが、初スピンでしたので今でもよく覚えています。雪道では滑り始めると制御がききませんので、滑ったら運を天にまかせるしかありません。高速道路上のサービスエリアの駐車場で滑った時は、フィギュアスケーターのように何回転も回り、遊園地のコーヒーカップのようでした。これから何年か後に車の免許を取る人も多いと思いますが、雪道の運転は気を付けてください。私が子どもの頃は、節分の時期である2月の上旬は、雪が降ることが多かったですが、最近は温暖化の影響で雪が降るのが珍しくなりました。せっかくスタッドレスタイヤに履き替えても一度も雪道を走ることなくシーズンを終えることが普通になりました。今後は1年中オールシーズンタイヤでいいかもしれません。

 西高東低の冬型の気圧配置だと、日本海側は雪で太平洋側は晴れということが多くなります。雪景色が非日常で「きれい」と感じる我々と違って、雪国の人にとっては、「雪は白い悪魔」というのが近い感情らしいです。私もスキー場で車にどんどん降り積もる雪や前が見えないくらい真っ白の風景に怖いと感じたことがありますが、家が雪の重みでつぶれたり、屋根からの落雪で窒息死したり、雪下ろしで屋根から落ちたりと雪国ならではの苦労と怖さがあるようです。日本は、地域差がありますが台風や地震による災害が多く、特に今後は地震への備えが急務になってきます。関東平野は比較的災害が少ないので、危機感をもっている人は多くないように思えます。「備えあれば憂いなし」と言いますが、防災グッズや非常食等は準備してありますか?

ごんぎつねと読解力

 昨年12月に「PISA2022の結果概要(日本)」が報道されましたが、それによると、日本は数学的リテラシー(1位/5位)、読解力(2位/3位)、科学的リテラシー(1位/2位)の3分野全てにおいて世界トップレベルとなりました。〔( )の左側はOECD加盟国中、右側は全参加国・地域中における日本の順位〕この結果については、様々な分析がなされていますが、手放しでは喜べないようです。共通テストはかなり読解力が求められるようになってきていますが、高校では新しい学習指導要領の下、今までの「現代文」という科目がなくなり、「論理国語」と「文学国語」の選択となりました。それに対して、文学者や国語の教員らからは、文学に親しむ機会が格段に減るのではないかという批判の声が多くあげられました。どちらも必修なら問題とならなかったと思いますが、実用的な文章の読解力は中学生までで十分で、高校生はやはり思考力を養成するような、深い内容の文章の読解でいいのではないかという意見があります。契約書やマニュアルが理解できないようでは困るのですが、それは高校でやるべきことでしょうか。ただ、国語力の向上はすぐに達成できるものではありませんので、生徒の実態に合わせて内容が柔軟に変えられるように、「論理国語」と「文学国語」は、同じ教科書の中で学校の実態に合わせて配分を変えられるようにはできなかったのでしょうか。義務教育において国語は算数と並んで最も重要な教科であり、時間を削ってはいけないと思います。全ての学習の土台となるのが母語の習得です。「読む」「書く」を繰り返す訓練を、小中学校ではしっかりやってほしいと思います。

 皆さんは、小学生の時に「ごんぎつね」という話を国語の時間に学習したことを覚えていますか。この童話のあらすじは、次のとおりです。いたずら好きなごんという狐が、兵十という男の獲ったうなぎや魚を逃していました。ある日、兵十の家で母の葬儀が行われているのを目にして、魚が病気の母のためのものだったことを知って反省し、罪滅ぼしに毎日栗や松茸を届けましたが、兵十にいたずらに来たと誤解され射殺されてしまいます。そして、誤解に気付いた兵十は泣きます。「ごんぎつね」だけではないのですが、昔話を国語で扱う時は子どもの読解力以前の問題で苦労するようです。兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があります。教師が「鍋で何を煮ているのか」と子どもたちに尋ねると各グループで話し合った子どもたちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたのです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。これは一例に過ぎませんが、もう誤読以前の問題なわけで、お葬式はなんのためにやるものなのか、母を亡くして兵十はどれほどの悲しみを抱えているかといった、社会常識や人間的な感情への想像力がすっぽり抜け落ちている。単なる文章の読み間違えは、国語の練習問題と同じで、訂正すれば正しく読めます。でも、人の心情へのごく基本的な理解が欠如していると、本来間違えようのない箇所で珍解釈が出てきてしまうし、物語のテーマ性や情感をまったく把握できません。以上は、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を書いた石井光太さんのお話から引用しましたが、他にも自分の感情や考えを言葉で説明できない子どもが増えているということで、感情のグラデーションを言葉で把握できないと、大人になってからも様々なトラブルを起こしがちと警鐘を鳴らしています。感情を適切にとらえ表現する国語力は、社会のなかで自分と他者が心地よく生きていく力と密接に結びついています。皆さんが生きているこの世界の事象と人の心情を適切に表現するためには、様々な言葉が必要です。どうか国語を大事にして、しっかり勉強してください。

交番と治安

 昨日から本格的に私大の一般入試が始まりました。3年次では多くの生徒が受験に行っています。今日は、寒くなりそうですが、受験生の皆さんの健闘をお祈りします。一方で、2年次生は今日の放課後と明日1日、共通テスト模試に挑みます。先輩方のアドバイスでは、受験勉強のスタートは2年次の秋からがいいという話を聞きますが、この模試を受験勉強スタートの号砲として、ゆっくりでもいいのでスタートしてください。「もっと早く始めればよかった」と1年後に後悔しないように、すぐ始めてください。

 今日2月2日は、交番設置記念日だそうです。 1874年に東京警視庁が設置した「交番所」(交番舎)が世界初のもので当初は、交番の建物はなく、街中の交差点などに警察署から警察官が出向いていたそうです。1881年の今日、1つの警察署の管内に7つの「交番」を設置することが定められました。町の中に常設の建物を置き、そこを中心に制服の警察官が活動するという交番の制度が始まりました。1888年10月に全国で「派出所」(警察官の詰め所)、「駐在所」(外勤警察官が居住する施設)という名称に統一されましたが、「交番」という呼び名が定着し、国際的にも通用する言葉になっているということから、1994年11月1日に「交番」(KOBAN)を正式名称とすることになりました。日本の治安の良さは世界中に知られていますが、アメリカの大学教授が日本に犯罪が少なく治安が良い大きな理由は、都市に交番が設けられ、全国各地に駐在所があり、警察官が地域において住民と良好な関係を築いていることだという研究を発表しています。外国でもKOBANで通用し、今や世界に広がりつつあります。 現在アメリカやラテンアメリカ諸国、およびアジア諸国で導入されています。ブラジルのサンパウロ州のラニエリ地区は「世界一危険な地区」と国連が認定するほど治安の悪いところでしたが、KOBANを導入してから10年後には、殺人の件数は2割程度にまで激減したそうです。日本の制度が世界の平和と安全に貢献していると思うとうれしいですね。

 少年ジャンプで連載され、アニメ化もされた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は警官を描いた漫画としては断トツに有名です。「こち亀」として親しまれ、単行本は全201巻に及び、2021年に『ゴルゴ13』に抜かれるまでは「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定されていました。私も半分くらいは持っています。私が中学生の時に連載が始まり、40年間一度の休載もなく続いたのですから、驚異的です。この漫画は、ほとんど警察組織とは関係ない内容ですが、様々なマニアに受ける内容が盛り込まれ、作者の知識と感性、そして先を見通す力に驚かされます。この漫画が日本の派出所を世界に広める一助になったことは否定できないでしょう。

魔法少女と「Kawaii」

 今日から2月です。令和6年も、もう1月が終わってしまいました。本当に月日が過ぎるのが早く感じます。2月は3連休が2回あり、高校入試で家庭学習になる日が多いので、登校日が14日しかありません。すぐ卒業式です。このブログも終業式で400回となる予定ですが、今日を含めてあと34回です。ただ、3月に入っても家庭学習があるので、1・2年次生の皆さんの現年次での登校日はあと28日です。あと28日ですよ!そのうちの4日は学年末考査です。残された日を大事にして過ごしましょう。

 さて、今日は少し明るい?ことを書きたいと思います。今日2月1日は平成16年に初代『ふたりはプリキュア』の放送が始まったことにちなんで「プリキュアの日」だそうです。平成30年に放送開始から15年となったことを記念して登録されたそうです。プリキュアシリーズは、テレビ朝日系列(ANN)で毎週日曜8:30~9:00に放送されており、『ふたりはプリキュア』が放映され大ヒットしたことで、以降10年以上にわたってシリーズを重ねています。本校の女子生徒も見ていた人が多いのではないでしょうか。東映アニメーションの女児向け作品としては、『美少女戦士セーラームーン』シリーズ以来の新風を巻き起こしました。2018年に公開されたプリキュアシリーズ15周年記念作品の『映画HUGっと! プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』は、当時の全プリキュア55人の夢のタッグが実現したスペシャルな作品で、「アニメ映画に登場する最も多いマジカル戦士の数」でギネス世界記録に認定されているそうです。何かウルトラマンや仮面ライダーがたくさんいるのと同じですね。玩具メーカーとタイアップしているので、親としては新しい番組に変わるとキャラクターグッズの出費が増えて大変です。私は娘が二人いて、ちょうどプリキュアが始まった時が幼稚園の年長と小学校3年生だったので、一緒に見ていました。あとは「おジャ魔女どれみ」や「スーパードール☆リカちゃん」なども見ていましたね。むさしの村遊園地に「おジャ魔女どれみ」ショーを見に行ったこともありました。「プリキュア」というタイトルの由来は「プリティー(PRETTY=かわいい)」と「キュア(CURE=癒す・治す)」という女の子らしいイメージを合わせた造語であり、この名前に至るまでには相当の時間を要したそうです。日本語の「かわいい」は外国でも「Kawaii」として通用します。 サンリオのキティちゃんなどのキャラクターを「Kawaii」とするファンが世界中にいます。プリキュアに通ずる「かわいい」と似た英語にはcuteやprettyがありますが、「かわいい」はそれだけで世界に通じる日本独自の美意識といえます。今では「かわいい」をテーマにした日本画展も開催されています。ただ、なんでもかんでも「カワイイ!」は、「やばい」を連発するのと一緒で、表現力の欠如になってしまいますので、「カワイイ」を説明できるようにできるだけ語彙を増やし、使いこなせるようになってください。

 

評価って難しい!

 今日は今年度2回目の学校評議員会があり、5人の評議員の方から学校評価結果に対して助言をいただきました。学校評価は、学校の課題を改善し、学校をよりよくするために始まった事業ですが、課題から目標を設定し、目標を達成するために具体的に何をするかを考え、実行し、達成度をできるだけ数値で検証します。総合評価が低い項目と内部評価と外部評価が異なっている項目が更なる課題となります。以前にも少し評価について書いたことがありますが、再度評価について書いてみたいと思います。

 評価は本当に難しいです。真に公平公正な評価をしようとするなら、誰が評価してもぶれないようにできるだけ具体的な評価規準を作らなければなりません。イギリスの名門校の生徒心得には「ジェントルマンたれ」のみ記され、目標は「卒業までに教師の評価と自己評価が一致するようになること」だそうです。自己評価を何度も行い、内省的な力が高まれば、自分を客観視できるようになります。教師の評価と生徒の自己評価に差異がある時は、生徒にとっては自分を見つめ直すチャンスに、教師にとっては指導方法や評価手法を振り返るチャンスとなります。自分を主体的に伸ばすためには、自分を正しく評価する力が必要です。ただ、評価については様々な考え方がありますので、以下の文を読んで皆さん一人ひとりが考えてみてください。

〇特定の誰かに認められたいという発想はやめるべきです。他人の評価を気にするのは、受け身で主体性のないことの表れ。他者に認めてもらうのではなく、自分が自分を認めればいいのです。

〇「他者からの評価なんて気にしなくていい」「無理に好かれなくてもいい」という言葉からは、頑張れない人に誤解が生じてしまう可能性があります。

〇実は、この社会は”他者からの評価が全て”なはずです。集団で生活している以上、他者との関わりは避けられません。人からよく思われないとますます生きにくくなってしまうのです。

〇自己評価をあげるには、他者から評価されることが絶対に必要です。達成感も自信も、成し遂げたことへの周囲からの承認があって初めて成り立ちます。成し遂げたこと自体からではありせん。

 次の言葉から、新しい企画ができそうです。

 「評価する者が最も学ぶ。他校の学校評価も教員が行うとよい。教える者が最も学ぶ。自校のよさを他校に教えることで自校のよさを深く学ぶことができる。」 評価は、対象をよく調べ勉強し、観察していないとできません。近隣の学校の先生が相互に評議員となってお互いの学校をよく知って評価し合えたら、面白いと思います。同様に各高校の生徒代表が、ビブリオバトルのように自校のよさをプレゼンして他校の生徒にジャッジしてもらうというのはどうでしょう。異なる視点から各校を知ることができ、お互いに高め合えるのではないでしょうか。

SNSは寸鉄だ

 昨日のブログで「笑顔」について書いたばかりなのに、今日書く内容は悲しく、あまり気が進みません。それでも書かなくてはと思いました。

 昨日から、漫画「セクシー田中さん」の作者である芦原妃名子さんが自殺した件について、多くの報道がなされています。今後、後追い記事が出て来てYouTubeでも取り上げられると思いますので、ここで詳細について書くことは控えます。「のだめカンタービレ」の作者の二ノ宮知子さんが自身のX(旧Twitter)で、「辛い…。辛すぎる。」、「自分の作品を一番大事に思っているのは自分なんだと号泣した日の事を思い出して、また涙が止まらない」と発信しました。同じように漫画が実写ドラマ化され、アニメ化された身として芦原さんの気持ちが痛いほどわかるのだと思います。私はこのニュースに接して、フジテレビの番組「テラスハウス」に出演していてSNSでの誹謗中傷が原因で自殺した女子プロレスラー木村花さんが思い出されました。(今回の件はSNS以前の問題でもありますが。)SNSでの言葉のやりとりが原因で、傷ついている人がどれくらいいるのか、自殺にまで追い込まれてしまった人がどれくらいいるかは不明ですが、明らかに通信技術の発達によって生じた負の部分です。

 「寸鉄人を殺す(刺す)」ということわざがあります。意味は、短い刃物で人を刺し殺すことから、短く鋭い言葉で人の急所をつくことです。このことわざは、言葉の力が実際の武器と同じくらいの影響を持つことを示しています。そして、言葉の選び方や話し方がどれほど人の感情や心に大きな影響を与えるのかを警告してくれています。似た言葉でいい意味に使うものに「ペンは剣よりも強し」がありますね。このような御時世ですので、学校では小学校から高校まで、情報モラルに関する学習を毎年しています。しかし、SNSを巡るトラブルは一向になくなりません。そのすべての原因は匿名性と発信の簡単さにあると思います。匿名のものは責任をもって発信していないということで信用しないということが当たり前になればいいのですが、「デジタルタトゥー」という言葉があるとおり一旦世界中に広まってしまったものを消すのは至難の業であり、発信された側としては、対応しないわけにはいきません。ネット上の問題は、法整備が追い付いていないのが現状ですが、早く泣き寝入りする人がいなくなるようにしてほしいです。今のところ、トラブルを避けるためには発信する前に1日待つ。そして、第三者に読んだり見てもらったりすることです。生徒の皆さんも、今後SNSでのトラブルの被害者にも加害者にもならないために十分気を付けましょう。

笑顔のパワー!パワー!パワー!

 今日は、思うところがあって「笑顔」について書くことにしました。令和4年の6月10日に「笑顔の力」というタイトルで書いていますが、再度書きたいと思います。「叶う」「吐く」については、3回話をしましたのが、記憶してほしいことは何度も繰り返すことが大事と言ったとおり、「笑顔」について繰り返したいと思います。              

 まずは有名人の言葉から。〇単なる笑顔であっても想像できないほどの可能性があるのよ。(マザーテレサ) 〇「笑顔は1ドルの元手もいらないが、1000万ドルの価値を生み出す」(カーネギー) 〇笑顔は万言に勝るインターナショナル・サインである (中村天風) 〇「いいことが起きたから笑顔になるのではなく、笑顔だからいいことが起きる」中井俊已(教育評論家) 〇 「笑」という漢字は、万葉集や古事記の時代には「花が咲く」という意味で使用されていた。だから、笑顔は、その人の心の花が顔に咲いたということ。

 笑顔の効用について。〇楽しい感情には、問題解決を容易にしたり、記憶力を高めたり、集中力を高めたりする効果があることが報告されています。笑顔をつくると楽しくなるという逆効果が、私たちの脳にはある。失敗したときは笑いましょう。失敗したときも笑顔でいると、脳がその失敗はなかったように把握するのです。〇怒り顔の人と笑顔の人の写真を用意して、その顔を覚えてもらい、後日同じ人たちの無表情の写真で「この顔を覚えているか」と確認する実験がありました。その結果、実際に覚えているのは、圧倒的に笑顔だった人の顔でした(「笑顔優位性効果」)笑顔でいる人のほうが記憶に残りやすい。〇表情は感情の出力だが、実は入力にもなる。人はうれしいから笑顔になるわけだけど、つられて笑顔になった時には「うれしい時の神経信号」が誘発され、笑顔の時と同じ気持ちになれる。つまり、周囲を笑顔にする人は、自分の表情を周囲に伝染させ、結果、周囲の脳に「やる気と好奇心」を喚起しているのである。当然、その人のチームはいい結果を出す。〇仏教用語の「和顔愛語」(わげんあいご)は、「和やかな笑顔」と「思いやりのある言葉遣い」で人に接することで、人間関係をスムーズにするための知恵です。仏教には、他にも顔施(がんせ)というものがあります。にこやかな表情で人に接するということで、和顔施(わがんせ・わげんせ)ともいいます。〇実に単純な世渡り法は、「笑顔」と「挨拶」と「返事」です。

 いかがでしたか。笑顔の効用の最初の三つは、以前に紹介したものです。社会に出ると、本当に「笑顔」と「挨拶」と「返事」が評価されることを実感すると思います。「笑顔」と「挨拶」と「返事」ができる人は印象に残るので、よく覚えてもらえます。体調が悪い時や精神的に落ち込んでいる時に笑顔を作るのは、難しいかもしれませんが、意識的に笑顔を作ることで回復が早まると思います。(となりのトトロのサツキちゃんとメイちゃんがお父さんと一緒にお風呂に入っている時の笑いのように) 病院にこそ笑顔が必要であり、疲れていても笑顔で接してくれる看護師さんに助けられている患者さんも多いでしょう。落語会を開催している病院もあります。マスクをしていると笑顔が見られません。皆さんもコロナやインフルエンザ感染に注意しながらも、マスクを外せる時は外して笑顔を見せてください。

心も体も温まりたい

 最近、寒い日が続いていますね。インフルエンザよりも今は感染力の強いコロナが流行していますので、皆さん予防に気を付けください。暦の上では、2024年の大寒は1月20日(土)で、2月3日(土)の節分までの15日間が「大寒期」とされていますので、寒いのも仕方ないかもしれません。寒いとこたつやお風呂が恋しくなりますね。毎月26日は風呂の日です。先日の朝のテレビ番組の特集で草津温泉が取り上げられていました。草津温泉は群馬県が全国に誇る温泉地であり、温泉番付では西の横綱別府温泉と並び、東の横綱に君臨しています。リピーターの数では全国一だそうです。どんな観光施設やレストランなどでもそうですが、リピーターをいかに増やすかが経営を続けられるかどうかの鍵になります。TDLやTDC、USJなどは、その典型でしょう(新しいエリアやアトラクションができるとはいっても料金値上げが続き、前ほど行けなくなる人が増えそうですが)。草津温泉は、王者の地位に胡坐をかくことなく、お客さんにリピーターになってもらえる努力をしてきたようです。「♪草津よいと~こ 一度は~お出で (ア ドッコイショ) お湯の中に~も(コーリャ) 花が咲くよ(チョイナチョイナ)♪」の草津節は有名ですが、高校生の皆さんはわからない人が多いかもしれませんね。私は、日帰りも含めると草津温泉は7回訪れていて、私が訪れた温泉地の中では最多です。スキーとセットで行くことがほとんどですが、若い時は温泉は年寄り臭く感じてそれほどいいものとは思っていませんでした。そして、子どものころは、家族旅行で温泉に行くとつまらないと思っていましたが、今は積極的に行きたいと思っているのですから、年を取ると変わるものですね。皆さんも卒業したら友人と旅行に行くこともあると思いますが、伊香保や万座、水上、四万など全国的に有名なところが多い地元群馬の温泉をぜひアピールして、一緒に行ってみてください。

萬画とは

 昨年の今日は、カノッサの屈辱と謝罪について書きましたが、今日1月25日は漫画家の石ノ森章太郎先生の誕生日ということで、石ノ森章太郎先生について書こうと思います。今の高校生には石ノ森章太郎といってもピンとこないかもしれませんが、仮面ライダーや戦隊シリーズは知っていると思います。早いもので石ノ森先生が亡くなられてから、26年がたちましたが、今でも映画で「シン・仮面ライダー」が作成されたり、テレビでの仮面ライダーシリーズやゴレンジャーから始まる戦隊シリーズなどの放映が続いていたりで、その作品の影響力は健在です。特に等身大のヒーローものは、巨大ヒーローもののウルトラマンと並び、子ども達に絶大な人気を誇り、現在まで50年以上続いているのがすごいです。彼は生前、マンガというメディアが持つ無限の可能性を提唱する「萬画宣言」を行い、自身も「漫画家」ではなく「萬画家」と称しました。この「萬画」という言葉には、「あらゆるものを表現でき、あらゆる世代の嗜好に合い、無限の可能性をもつメディアであり、そしてミリオンアートである」という意味が込められているのです。『石ノ森章太郎萬画大全集』は、770タイトル全500巻で、一人の著者が描いたコミックの出版作品数が世界一多いとしてギネスブックにも認定されています。手塚治虫先生の業績も超人的で「漫画の神様」と呼ばれていますが、石ノ森先生も、SF漫画から学習漫画まで幅広い分野で作品を量産し「漫画の王様」「漫画の帝王」と評されています。私が実際に読んだ作品には『サイボーグ009』『仮面ライダー』『人造人間キカイダー』『イナズマン』『ロボット刑事』『秘密戦隊ゴレンジャー』『佐武と市捕物控』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』などがあります。

 私が初めてコマ割りをして16ページの漫画を描いたのは小学3年生の時でしたが、題材はテレビの仮面ライダーでした。ペン入れやホワイト、トーン貼りなどはもちろんなく、サインペン1本で描いたもので拙いものでしたが、セリフとコマ割りをテレビのシーンを思い出しながら描きました。今でもよく覚えています。当時は、漫画は低俗なものという偏見もあり、特に父親からはいい顔をされず、描いていると怒られました。今や紙ベースでもWebでも漫画があふれており、日本のクールなサブカルチャーとして世界に発信されているのですから、時代は変わったものです。漫画の表現力は進歩し続けていますが、果たしてAIが代替してしまう時代がくるのか、絵や音楽、文学などすべての表現者にとって今までとは全く異なる時代が到来するかもしれません。皆さんも、今後はAIに代替されないもので勝負するか、AIを活用することで勝負するか、いずれにせよ自分の様々な力を伸ばせるよう努めてください。

主体的に余白を作ろう!

 「キャリアガイダンス」というリクルートの進路指導・キャリア教育専門誌がありますが、その449号の特集が「余白を生む未来」でした。片づけコンサルタントとして有名な近藤麻理恵さんのオープニングメッセージに次のような言葉がありました。

 「いつか時間の余裕ができたら、自分にとって大切なことに時間を割こう」と思っていても、永遠にその時間はやってきません。今の自分を見つめなおし、自分にとって本当に大切なものとそうでないものを分けて、いらないものを手放す。手放して初めて、そこに自由に使える余白ができます。余白とは、人生を主体的に選択すること、すなわち「片付け」から生まれるものなのです。

 彼女は、残したいものを選ぶ基準に「手に取った時にときめくか」と表現し、片づけ本が世界的ベストセラーとなりました。2015年には、『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出されました。「断捨離」が流行語に選ばれたのが2010年、ミニマリストは2015年ですが、いかに現代人が物に囲まれ整理ができていないかがわかります。令和4年6月24日のブログで、整理整頓について書きました。時間や空間に余白を生み出す。頭の中にも余白を生み出す。「余白の美」についても以前に書きましたが、書道や水墨画などで、何も書かれていない場所に何が見えるか。その意味が捉えられるか。アウトプットとインプットについて、インプットばかりしていると頭の中が整理できずにごちゃごちゃでいっぱいになってきます。新しく必要なことをインプットしていくためには、情報を整理してまとめてアウトプットし、余白を作る必要があります。パソコンのハードディスクをデフラグして整理して空きスペースを作るようなものですね。「時間がないと言って、好きなことを後回しにする人は、本当はそのことが好きではないのだ」ということを以前に書きましたが、余白を主体的に作るのは自分自身です。余白ができれば、余裕が生まれます。「人には余裕というものがなくては、とても大事はできないよ」という勝海舟の言葉を以前に紹介しましたが、皆さんも主体性を身に付けることで余白を生み出し、社会に出て大事ができるようになってください。

1、2、3で自立!?

 今日1月23日は、「ワン(1)ツー(2)スリー(3)」と読む語呂合わせから、そのまま「ワンツースリーの日」だそうです。人生に対してジャンプする気持ちを持とうとする日だそうです。昔、女性3人組のキャンディーズというアイドルがいました。人気絶頂の時に「私たち9月に解散します。普通の女の子に戻りたいんです!」と有名な引退宣言をしました。彼女らのシングル曲として最後にレコーディングされた曲が「微笑がえし」で、オリコンでは最初で最後の1位を獲得しました。その中には今までのヒット曲のタイトルがちりばめられ、サビでは「ワンツースリー」「イチニサン」「アンドゥトロワ」の掛け声が入っていました。最後は「それぞれの道 私たち 歩いて行くんですね」で終わっています。そんなわけで、少し強引ですが今日は「自立」について書いてみたいと思います。

 皆さんは「自立」ってどんな状態だと考えますか。誰かに頼らず一人で生きていけることですか?自由を手に入れるためには自立することが必要ですか?自立について、脳性まひがありながら医師として活躍する日本の研究者の熊谷晋一郎さんは、次のように言っています。「自立するとは、頼れる人を増やすことです。これは障害の有無に関わらず、すべての人に通ずる普遍的なことだと私は思います」つまり、自立とは、「一人ですべてをできるようになることではなく、自分で生活をするために、社会の中でコミュニケーションをとり、自分に必要なものや助けがあればそれを他者から受け取って、それを使って生きていくこと」ですね。完全な人間などいませんし、誰でも年を取れば不自由なところが出てきます。不自由になってしまった身体能力を補完するために器具や他人の力を借りることは、弱さでも依存でもなく、心の自立を守るために必要不可欠なことです。「生活的自立」「経済的自立」「精神的自立」が三大自立と言われますが、人間としての尊厳を守るために「精神的自立」が大切なのです。

 教師は教えるのが仕事ですが、教える側の強制によって学ぶ側の自立、自主性をどう育てていくかという矛盾に悩みながら生徒に接しています。子育てでは「初めは時間がかかるけれど、その時間がかかるときにこそ、子どもは育っているのだ」と、忍耐力が求められます。「ある期間を過ぎて、次第に子どもの自立が見られるようになると、そこからの展開は速い。この境地を体験できないと、いつまでも子どもは世話をしなければならないものだと思い続けることになる」ということです。何事もすぐにできるようになるなら先生などいらないのであって、子どもを自立に導くには、親と先生には忍耐強さが必要です。「教師の仕事は、生徒が教師を必要としないようにすること」「教師の仕事で一番大事なのは、生徒の意欲に火をつけること」という言葉を胸に、今後も生徒の主体性を育てていけるように努めてまいりたいと思います。

日本でのカレー発展に学ぶこと

 1982年(昭和57年)の今日、1月22日は、学校給食創立35周年を記念して、全国学校栄養士協議会が学校給食試食会を実施し、全国の小中学校の児童約800万人にカレーライスの給食が出されたそうです。私はこの時高校3年でしたので、残念ながらこの時のカレーは食べていません。この試食会を記念して、カレーを製造する事業者の全国団体である全日本カレー工業協同組合がこの日を「カレーの日」に制定したそうです。カレーは、1976年(昭和51年)に正式導入された米飯給食の普及にも大いに貢献しました。私も中学生の時に、カレーが給食で初めて出た時のことを覚えています。給食といえば、コッペパンか食パン、ソフト麺でしたので、ごはんにカレーが加わってうれしかったですね。

 私は、小学生が好きな食べ物のベスト3は、カレー・すし・ハンバーグという記事を記憶していたので、現在はどうか調べてみました。株式会社ぐるなびが小学生の子供を持つ親を対象に行った小学生が好きな食べ物についてのアンケートによれば、平成生まれと昭和生まれの小学生ともに、好きな食べ物の1位は、『カレーライス』だったそうです。最近の子どもは、私の感覚からすると信じられないもの(プリンやみかんなど)が嫌いで食べられないという話を聞きますが、カレーライスを嫌いな子どもは聞いたことがありません。

 これだけ人気があるカレーライスですが、ラーメンやハンバーグに比べて外食専門店が少ないのを不思議に思ったことはありませんか。おにぎりやお茶がコンビニで売られるようになったとき、それらは家庭で作られるもので買うものではないという観念が日本人にはあったので売れるはずがないと思われていました。カレーライスも市販のルーを使って家庭で作って食べるものという概念が日本人には根強いのでしょう。私の知人でカレー専門店を開いた人がいたのですが、残念ながら客足が伸びずに店を閉めざるをなくなってしまったこともそれを裏付けています。

 カレーはインドから伝わったと思われていますが、まずインドからイギリスに伝わり、イギリスから明治時代に日本に伝わったそうです。イギリスでは、シチューが牛乳を使うため日持ちしないので航海中にも食べられるカレーライスが定着したとされています。日本では明治時代に手軽な牛肉の食べ方としてカレーライスが紹介されました。明治末期には「じゃがいも、玉ねぎ、人参」が定番のカレーの具材として定着しましたが、これは日本独自のものだそうです。カレーやラーメンはもちろん、それ以外の外国の料理も日本人はアレンジして日本独特のものに発展させてきました。これも日本人の探究心と創意工夫のなせる技なのでしょう。皆さんも今後、社会に出て様々な分野で活躍することと思いますが、そのために高校で探究力の基礎を身に付けてください。

 私はカレーというと思い出すのが、「包丁人味平」という漫画の中の「カレー戦争」です。料理をテーマにした漫画は今では珍しくありませんが、料理漫画の魁となり少年ジャンプで1973年から連載され、小学生の時に読んでいました。色々なジャンルの料理で一流の料理人を相手に、主人公の塩見味平が勝負して成長していくストーリーでした。今読んでも色褪せてはいません。「カレー戦争」は、デパートのレストランでの客引き戦争でもあり、時代をよく表しています。

空気は空ではない

 今日、1月19日は、「い(1)い(1)く(9)うき」と読む語呂合わせから「いい空気の日」だそうで、一般社団法人・日本電機工業会(JEMA)が平成18年に制定しました。空気清浄機の認知度向上と正しい使い方を広めることが目的だそうです。日本は外国に比べて空気と水がきれいなことが知られていますので、ひと昔前の日本なら、そんなに売れるとは考えられなかった機械です。豊かになった証拠ですが、花粉症が国民病とも言えるくらい広まったことや子どものアレルギー疾患の増加も売れるようになった原因でしょう。私の家のリビングでも10年以上前から加湿器付の空気清浄機が活躍しており、先日買い換えたばかりです。家の中の空気がそれほど汚いとは思いませんが、加湿も兼ねていて、ないと落ち着かないようになってしまいました。

 空気清浄機の歴史は19世紀はじめの産業革命当時のイギリスから始まったとされています。石炭を燃やすことによって出る煤煙の除去を目的として作られたと伝えられています。それまで、空気は換気によってきれいにするようにしていましたが、すべての場所が汚染されはじめたため、能動的に空中の汚染物質を取り除く必要に迫られたということです。日本で初の家庭用空気清浄機(フィルターを備えたもの)は1962年ごろ松下電器産業(現在のパナソニック)によって発売されました。私が生まれる前に発売されていたとは驚きでした。1960年代は、「所得倍増計画」が発表された高度経済成長期の真っ只中です。この後、日本では公害が社会問題となり、大気汚染による四日市ぜんそくなど公害病に苦しめられる人が増えました。イギリスでは、ロンドンスモッグ事件の前夜ともいえる時期に空気清浄機が出てきましたが、日本でも同様の原因で出てきたことになります。

 さて、空気は(正確には酸素ですが)人間が生きていくにあたって、太陽光と同じく重要なものです。水はその次に重要です。重要だからこそ、「空気を読む」という言葉があるのでしょう。ただ、海外では空気を読むという曖昧なニュアンスは無く、日本独自のものです。「場の雰囲気や状況に配慮して行動できる」ということが日本人独自の奥ゆかしさであり、機微ともいえます。日本は、はっきり物を言わずに察してもらう文化ですので、いい面もあれば悪い面もあります。時には、普段、空気に配慮して飲み込んでしまう言葉も、場合によっては出す必要があるでしょう。海外の偉人の言葉には、そうしたものがあります。日本人は同質性の高い民族のため、高度なコミュニケーション力を身に付けましたが、「言わなければわからないこと」を言わないがために問題になることも多々あります。学校の中でも職場でも家庭でも、友人同士、同僚や夫婦恋人同士で言わなくても察してくれるだろうと思うことは危険です。謝罪や感謝の言葉も依頼も口に出して態度で示すことが、人間関係を円満にする上で絶対必要なことだと思います。皆さんは、ちゃんと態度と言葉で伝えていますか。

 蛇足ですが、マスクをしていると新鮮な空気が脳に行かないので、学習に影響が出てテストの点が下がると言われています。子供がマスクの着用を続けると慢性的な酸欠状態になるとして、2020年に警鐘を鳴らしたドイツの医師がいます。「酸欠の一時的な警告症状として頭痛や眠気、めまい、集中力の低下などが起こります。しかし、慢性的に酸素が少ない状態が続けば、人体はそれに慣れていくので、頭痛などの警告症状は消えます。とはいえ、脳の酸素不足は進行し続けます。成長期の子供にとってマスクは絶対によくありません。子供と青年は非常に活発な適応免疫システムを持っています。若い人は脳も非常に活発で、学ぶことがたくさんあります。若者たちの脳は、常に酸素を渇望しているのです」「マスクをしていると呼吸をするときに抵抗がかかり、息をすべて吸い込めないので息苦しくなります。その際、通常よりも多く、肺の活動を助ける肋間筋肉や横隔膜を使って呼吸するので、疲労して倦怠感が生じます。そのため自律神経が乱れて動悸や息切れをしやすくなり、集中力や記憶力などにも影響が出る可能性があります」 

※四日市ぜんそく・・・1950年代末から1970年代にかけて問題化した大気汚染による集団喘息障害。日本の公害問題の一つで、水俣病・イタイイタイ病・新潟水俣病とあわせて、四大公害病という。

※ロンドンスモッグ事件・・・1952年の12月5日から9日にかけて、英国の首都ロンドンは高気圧のもとで安定な大気条件となり、濃霧に覆われた。そして、ロンドンに特有の冬の気象条件によって地表付近にすすや亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質が滞留して呼吸困難、チアノーゼ、発熱などを呈する人が多発し、この期間を含めた数週間の死亡者数は前年度の同時期よりも約4,000人程多かった。死因の大部分は、慢性気管支炎、気管支肺炎、心臓病であり、死亡者の多くは慢性呼吸器疾患を有する高齢者であった。

「叱る」と「褒める」難しいのは?

 今日は何を書こうか迷ったすえ、先日「叱らない教育の弊害」について述べた文に激しく同意したので、「叱る」ことについて書くことにしました。

そもそも「叱る」とは、語気を強めたりして,また,諭すように相手に伝える動作であり、相手を正しい方向へ導くために何が良くないのかを「気付かせる」ことです。よく、「叱る」は理性的な行為であり、「怒る」は感情的な行為であると言われます。「叱る」とは逆に、「褒める」教育も確かに大事ですが、なんでもかんでも褒めればいいというわけではありません。しっかりと相手を見ていて、褒める根拠がしっかりしていなければ、褒めても相手の心には届かないでしょう。ただ、褒めすぎるほうが、全く褒めないより弊害が少ないとは思います。では、「叱る」はどうでしょうか。部下を叱れない上司や、児童生徒を叱れない先生が増えているという話を近年、よく聞きます。前者の場合は、叱られた経験がない若者が増えているので下手に叱るとすぐに辞めてしまうという恐怖感があるようですが、後者は、若い先生自身があまり叱られた経験がなく、叱り方がわからないという根本的な問題があります。調査データがあるわけではないので、真偽は不明ですが、学級崩壊の原因は、「授業がうまくいかない」「ほめる、叱るがうまくできない」です。後者は、授業中の生徒指導にも関係あります。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、私が同意した「叱らない教育の弊害」は、下記のとおりです。

①叱ってくる、たしなめてくる、自分に対する反対意見を言ってくる人に対して自分の意見をちゃんとまとめて相手を説得できるための思考能力を養う機会を失う。

②そもそも叱られないってことは、日々逆境に対する耐性が育たたない。

③叱られないってことは、根拠のない自己肯定感が強くなりすぎる。

④肯定され続け、叱られることがないと、自分の意見が全部通って当たり前だと頭の中に刷り込まれてしまう。

①はコミュニケーション能力、②は忍耐力がつかないということですね。③については、日本の若者は他国に比べ、自己肯定感が低いと国際比較データで明らかになっていますが、自己肯定感って主観ですから、単純に比較できないと思います。根拠のない自信をもっている人が多いと現場では感じられているようです。

 子ども時代に叱られる経験をもたないってことは、大人になって社会で生活していく上でいろいろなところで軋轢が起きる可能性が大きいと考えられます。私は、小さい頃から随分と叱られて育った記憶がありますが(ビンタやゲンコツは当たり前でした)、納得したこともあれば納得しなかったこともありました。小中学校でもげんこつやビンタはされました。反抗してさらにぶたれたこともありました。自分が悪いと自覚していても、ちゃんと理由を聞いてくれずに一方的に怒られると、口答えしてさらに怒られました。だから、自分の経験から、ちゃんと話を聞くというのは大事だと実感しています。納得できるように諭すのも叱る側の責任かなと思います。皆さんは、どう思いますか。叱られた経験がないからわからないと言われてしまうと困りますが。

チャレンジ3年次生!

 共通テストの自己採点も終わり、全国の受験生のデータが収集されて集計され、志願状況が明確になります。自分の志望校の合格可能性についてA~Eの判定が出た時に、どう捉えるかが重要です。B社とK社で微妙に判定が異なるように、A判定は「安心するな」、C判定は「チャレンジせよ」と自分で思えるかどうかです。私の友達でA判定の第三志望校が不合格で、C判定の第一志望校に合格した人がいますが、これからの頑張りと試験問題が自分の得意分野だったなどの運不運で結果はどうなるかはわかりません。最終的には、どれだけ志望校に対する思い入れが強いかにかかっている気がします。春は、すぐそこまで来ています。最後まで自分を信じて頑張ってください。それでは、これから勉強を頑張る皆さんに、私がメモしていた中から簡単なアドバイスをします。

 勉強前に、もしくは途中で軽い運動をすることで脳には次のようないい影響があります。①脳のエネルギーを持続的に生み出す脳細胞ミトコンドリアが増える ②自律神経が整い、心と体が元気になる ③認知機能が高まり、知的作業の能力があがる これらによって「思考力」や「集中力」「記憶力」「モチベーション」「コミュニケーション力」など多くの能力が高まります。そして、心配事や不安で心が不安定になることも、極力防ぐことができるのです。

 机に座って考えていてもいいアイデアがでないのに、散歩していて出るのは、動くことで視線が動き、それまで収集していた情報が整理されたからです。だからこそ運動をすると思考力が高まるのです。ではどのような運動をすればいいのかというと、席を立って10秒歩いてまた戻ってくるだけで大丈夫。同じ姿勢で30分いるだけで脳の血流は滞り、思考力は鈍ります。30分に1回は立って歩けば、筋肉が動いて血流が改善し、脳に血液が集まります。多くの人にとって運動とはいえない程度の動きをするだけで、脳を最適な覚醒状態に導くことができます。これ以上強い運動をしてしまうと、全身の筋肉に血流がいって脳へ血流が集まらなくなってしまうので逆効果です。

「悪い緊張は、準備不足や自信のなさからくる、不安なザワザワです。良い緊張は、やるべきことをやってきた、という静かなドキドキです」と言っていた人がいます。静かなドキドキをもって試験に臨めるように頑張ってください。

あなたの心に閻魔様

 今日、1月16日は、仏教では「閻魔(えんま)参り」または「初閻魔」「閻魔賽日(さいじつ)」というそうです。今日と7月16日は地獄の釜の蓋が開いて、亡者も責め苦から免れ、鬼も休む日とされているそうで、私は今日初めてこのことについて知り、鬼も休むというのが面白いなと思いました。閻魔大王と言えば、死者の生前の行いに対して裁判を行い、死者の魂が地獄に行くか極楽へ行くかを決定する仕事をしているわけですが、今日は閻魔様と閻魔様に仕えている者たちも仕事を休むのですね。今日と7月16日は閻魔堂にお参りすることで日頃の悪い行いを許してもらえるそうです。閻魔堂は、近いところでは太田市世良田町と伊勢崎市境平塚にあります。群馬県ではあと高崎に2か所あるだけです。世良田は近いですが、行ってみますか。閻魔大王は普段は死者の生前の行いを監視して閻魔帳と呼ばれるノートに記録するなどの仕事をしているそうです。今や完全に死語ですが、昔は先生が生徒の情報を書き込む手帳を閻魔帳と呼んでいました。閻魔帳には何がどのように書かれているのでしょうか。私は個人的に生前の行いの評価基準と地獄行と極楽行を分けるボーダーラインを知りたいですね。ただ、それを教えてしまうと悪事もこれくらいならまだ大丈夫などと考える不逞な輩が出てくるので非公開なのでしょう。嘘をつくと閻魔様に舌を引っこ抜かれるぞと言われます。「嘘も方便」と言われますが、特に嘘の善悪の判断をどうするのか知りたいですね。閻魔大王は、色々な漫画に出てきますが、四コマ漫画で死者の話をよく聞いてくれる閻魔大王の話がありました。「決めつけはよくないよね」と嘘を探しださなくちゃと焦って疑り深くなっている自分を反省していて、ほっこりしました。教師は特にそうですが、人の話を偏見を持たずに傾聴することは大事ですよね。以前のブログで敏腕営業マンは、お客さんに対して、しゃべるより聞くほうが圧倒的に多いと書きましたが、皆さんも、聞き上手な人を目指しましょう。

一息ついて、これからが大事!

 今年も共通テストが無事終わりました。試験を受けた3年次生の皆さん、お疲れさまでした。既に自己採点を終えている人も、学校でやろうとしている人も、これで終わりではありません。一喜一憂しても、すぐに第二のスタートを切る号砲が鳴るわけですから、各自の目標と様々な事情を考慮して、後悔しない出願をしてください。悩んだら先生方に相談してください。経験値とデータを駆使して、的確なアドバイスをしてもらえるはずです。一刻も早く気持ちを切り替えて、油断せずあせらず残りの期間を無理のない計画を立てて乗り切ってください。この世の出来事を評価し、価値付けるのは個々の人間です。試験で失敗があったとしても、自分の実力を過大評価して落ち込まずに、この程度は想定内と考え、「大丈夫!」とプラスの言葉をつぶやいて、次の手を打つためにすぐに動き出せる人になりたいですね。こんなはずではなかったと結果を引きずっていても、何もいい方向には行きませんので、「勝負の日までできることをやりきるぞ」と決意を新たにして、頑張ってください。 

必勝祈願、みんなガンバレ!!

 共通テスト初日、風もなく暖かくなりよかったです。夕方の雪の予報が信じられないくらいの快晴です。私は、新田義貞公を祀った生品神社に今週末の共通テストと各運動部の新人戦の必勝を祈願してから、共通テスト会場の関東学園大学に向かいました。入り口で生徒たちと挨拶を交わし、生徒たちは3年次団の先生方からチョコと激励をもらい、元気よく会場へ入っていきました。皆さん、落ち着いて普段通りの力を発揮してください。

やれることをやったら、あとは神頼み!

 明日は、いよいよ大学入学共通テストです。被災地の受験生の皆さんは大変な思いをしながら明日を迎えることになったと思いますが、無事受験会場に行って受けられることを祈っています。今日は、4時間目に恒例の共通テスト激励会が実施されました。昔は格技場でやっていましたが、寒いこととコロナやインフルエンザ感染等が心配なため昨年同様リモートで行いました。あいさつでは、昨年とほぼ同じことを話しましたが、短くしました。40年以上前に自分が共通一次試験を受けた時の数学での失敗談から、もし頭が真っ白になってしまったら、4秒吸って8秒かけて吐く深呼吸を1分間続けてくださいという話をしました。試験でも試合でも、実力を発揮するためには平常心が大事です。なんでこんな問題がわからなかったんだとならないように、落ち着くことを第一にしてください。そして、最後のツキや運を呼ぶのは、普段の地道な努力の積み重ねです。ぜひ、運を呼び込んで100%以上の力が発揮できることを祈っています。みんな切磋琢磨してきた「太東団体戦」のメンバーです。各クラスで担任の先生方からいただいた激励の言葉を胸に力を出し切って、笑顔で月曜日を迎えてください。

Open the rice cake and Luck!?

 今日は鏡開きです。皆さんの家では正月に年神様や仏様に鏡餅をお供えしましたか。お供えした餅を神仏に感謝し、また無病息災などを祈って、汁粉や雑煮などで食べるわけですが、今はどれくらいの家でされているでしょうか。私も久しくやっていません。もともとは武家で鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し、女性は鏡台に供えた鏡餅を食したわけです。鏡餅という呼び名は、文字通り鏡に由来します。 昔の鏡は丸い形をしており、神器の一つでした。 日光を反射し太陽のように光ることから、鏡には神様が宿ると考えられ、伊勢神宮など多くの神社で鏡を御神体として祀っています。天皇家の三種の神器の一つが八咫鏡ですね。鏡餅を食べるためには、固くなった餅を金槌でたたいてほどよい大きさにする必要があります。(木槌だと厳しいです) 武家では鏡餅を刃物で切ることは切腹を連想させるため、手や木槌で割る風習がありました。同様に縁起が悪いので「切る」「割る」という言葉は避けて「開く」という言葉が使われました。鏡は円満を、開くは末広がりを意味して縁起がいいわけです。また、鏡餅を食すことを「歯固め」と言うそうで、硬いものを食べて歯を丈夫にして年神様に長寿を祈るのだそうです。鏡開きの後14、15日に、お正月飾りを燃やして、1年の無病息災や五穀豊穣を祈る火祭り「どんど焼き」が終われば、正月気分も終わりです。気持ちを引き締めなおして、新たな1年を頑張っていきましょう。ちなみにタイトルの英語は正しくありませんので、信用しないでください。