日誌

2022年12月の記事一覧

令和4年ブログ納め

 令和4年も、あと1週間余りとなりました。2学期の終業式を迎え、このブログも今日で147回に達しました。途中、読んでもらうために積極的にイラストを入れたりもしました。また、途中で「つぶやきじゃないだろ」と突っ込みを入れられても仕方ないほど長文になる傾向もありました。毎回、生徒の皆さんに向けた教育的な落ちがつくように考えてきましたが、ネタが思いつかない日は、「今日は何の日」に頼ることも多くありました。3学期の終業式まで199回に達する予定ですが、どこかで1回増やして200回にしようかと思案しています。

 さて、今日は北風が冷たく、日本海側は寒波の影響で大雪になっています。大雪というものを、ほとんど経験したことがない生徒の皆さんには、本当に雪が恐いという気持ちは皆無だと思います。新潟の人が雪を悪魔と呼んでいるのを昔テレビで見たことがありますが、私も以前は、よくスキーに行っていたので、恐い思いをしたことがあります。まず、「白い闇」と呼ばれるホワイトアウトです。濃霧より恐いです。視界が真っ白になり、雪の粒しか本当に見えません。雪が深いと道路との境界もわからず、車を運転していて一番恐い経験でした。あとは、スキー場で雪が激しく降ってきたので早く帰ろうと準備している側から、雪が降り積もっていき、あっという間に車が雪に埋もれてしまったことがありました。雪国の人が雪に家を潰されるかもしれないという恐怖を感じるのも、わかる気がしました。               

 話は変わりますが、皆さんは雪に関する歌で好きな歌は何がありますか?私は、山下達郎の「クリスマス・イブ」、レミオロメンの「粉雪」、イルカの「なごり雪」、倉木麻衣の「Winter Bells」、ユーミンの「サーフ天国、スキー天国」などが思い浮かびます。雪を歌った名曲はたくさんありますが、変わり種だと、TOM★CATの『ふられ気分でRock'n' Roll』があります。雪がメインの歌ではありませんが、「歩道のすみに横たわる とけて行けない哀しい雪たち みじめによごれて」という歌詞が印象に残っています。降ったばかりのきれいな雪ではなく、アスファルトの道端で黒くなって溶けずに残ってしまっている雪の表現が、小野小町の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」という歌を思い出させ、無常を感じます。本校の校歌の三番の歌詞には、「若き日は ふたたび無きを」「努めずや 力のかぎり」とあります。私もそうであったように、若い時は歳をとった自分をなかなか想像できません。それでも、そういう気持ちを心の片隅にもっているかどうかで、随分と違った高校生活になると思います。ダイヤモンドの意志をもって、過ごしてください。

泣き笑いで送りましょう

 予餞会が終わりました。泣き笑いのある、いい予餞会でした。生徒会の導入から吹奏楽部のクリスマスメドレーに始まって、部活動や2年次生各クラスの映像作品と舞台パフォーマンス、1年次生全員の合唱、3学年団の出し物、PTAからのプレゼントと盛りだくさんで楽しませてもらいました。1,2年次生の感謝と応援のエールを、3年次生もしっかりと受け止めてもらえたと思います。1年次生全員の合唱をビデオで聴いたときは、「あっ、これならマスクをしていれば体育館で校歌を歌っても大丈夫だな」と思いました。1年次生だけでもこれだけ迫力のあるきれいな歌が歌えるなら、全校生徒がそろってしっかり歌えたらどんなに素晴らしい校歌が歌えることだろうと期待に胸がふくらんでしまいました。3年次学年団の出し物は、流石に3年間の付き合いがあるだけに、ドッカンドッカンうけていましたね。私も涙がでるほど笑わせてもらいました。普段見られない先生方の意外な特技や姿が見られ、また、異動した先生方のビデオレターもよかったです。PTAからは、先日、護摩焚きをしていただいた230人分の達磨とお菓子を、各クラス代表者2名に壇上で渡していただき、PTA会長から、心温まる御言葉をいただきました。天気予報どおりには、なかなか気温が上がらず、寒い中での予餞会となりましたが、3年次生の心はポカポカになったと思います。企画・準備・運営に携わってくれた生徒会を中心とする生徒の皆さん、御指導いただいた先生方、PTA本部役員の皆様、本当にありがとうございました。来年の予餞会は、全校生徒がそろってできることを祈願しています。

3年次生へ感謝とエールを

 明日は、いよいよ予餞会ですね。予餞という言葉は普段使わないので、意味を知らない人も多いようです。中学校だと3年生を送る会ということで、三送会としているところも多いようですね。「予餞会」は予め(あらかじめ)、餞(はなむけ)をする会ということで、餞(はなむけ)は、旅立ちや門出を祝って、 詩歌や贈り物をすることです。 それを卒業式の前にあらかじめ行なうことから 予餞会といいます。人と別れる時に贈る金品という意味の餞別という言葉は、就職するとよく使います。「はなむけ」という言葉は、旅立つ人のために道中の無事を祈って、その人の馬の「鼻」を、これから向かう方向に「向け」てやる習慣が語源で、 旅立ちや門出を祝福して金品・詩歌・激励のことばなどを送るという意味になりました。

 私が高校生のころは、歌手を呼ぶことが多かったようですが、他には漫才師や落語家なども呼んでいたようです。今では、1、2年生や先生方による出し物をするところが、ほとんどだと思います。下級生が感謝の意を込めた手作りの予餞会は、温かみがあっていいものです。コロナのせいで中止になっているところも少なくないようですが、ビデオに撮って流したり、リモートで実施したりと、何とか工夫して実施しているところも多いと思います。本校でも、ここ何日か昼休みに参加団体がリハーサルをしていましたが、明日は、どんなパフォーマンスで3年次生を泣き笑いさせてくれるのでしょうか、楽しみです。

ダルマに目を入れよう!

 今日は、本校近くの真言宗正願寺で3年次生に予餞会で渡す達磨に護摩焚きをしていただきました。3年次生全員が希望の進路を決め、無事卒業できることをお願いしてきました。

PTA会長の澁澤さんと前後援会長の高櫻さんと一緒に230個の達磨を護摩壇の前後に並べ、3年次生の皆さんの「学業成就・交通安全・無病息災」を祈願して参りました。住職の倉嶋さんのお話では、不動明王が背負っている炎の力を借りて煩悩を焼き払うのだそうです。

 私は、毎年何かしら自分や家族の厄除けや祈願の護摩を焚いてもらいに、聖天様や文殊様に1月4日前後に行っていますが、護摩木を自分で炎に投じたのは初めてでした。貴重な経験をさせていただきました。

朝焼けの光の中に・・・

 今朝は、放射冷却が起こって寒かったですが、朝焼けが大変きれいでした。きれいな朝焼けを見ると、つい「朝焼けの光の中に立つ影は~」というミラーマンの主題歌が頭の中を流れてしまいます。1966年に始まった特撮ヒーローものの先駆けであるウルトラマンは今の世代にも形を変えて引き継がれているので、高校生の皆さんも知っていますよね。ミラーマンは、1971年から始まった特撮ヒーローで、鏡や水面など光を反射する物体に強烈な光とともに飛び込んで変身します。先日、霧の話をしましたが、霧の中から登場するヒーローもいました。水をエネルギー源としており、帽子についたバッジからアンテナが伸び、アンテナから発する霧状の蒸気に包まれながら巨大化し変身を完了するアイアンキングというヒーローです。ウルトラマンは3分しか地球上では戦えませんでしたが、アイアンキングの活動時間はなんとわずか1分でした。このように私が小学生だった当時、特撮変身ヒーロー物はたくさんあって、しのぎを削っている状態でした。その中でも特にユニークだと思ったのが、「超人バロム・1(ワン)」でした。このヒーローは、二人の小学5年生の男の子が合体して変身するのですが、腕をクロスに組んで友情の力で変身するので、ケンカしていると変身できません。面白い設定でしょ?少年ジャンプの連載漫画のスローガン「友情・努力・勝利」を体現するヒーローでした。なんと、原作は「ゴルゴ13」の作者のさいとうたかお先生です。主題歌を歌っていたのは先日亡くなったアニソンの帝王水木一郎さんです。話が脱線してとんでもないところに行ってしまいそうなので、元に戻しますね。朝焼けの話でしたが、夕焼けを歌った歌は、「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」「とんぼのめがね」「人間っていいな」(まんが日本昔ばなしエンディング)など、いくつか思い浮かぶのに、朝焼けを歌った歌は出てこないんですよね。きっと夕焼けのほうが、日本人の感性にあっているから歌にしやすいのでしょう。1日の終わりのもの悲しさ、郷愁が夕焼けの風景にはあります。水木一郎さんには、「マジンガ~Z!」の元気よさから朝焼けが似合います。夕方から夜は、どうしても朝や昼間よりネガティブな気分になりますので、そんな時は、早く寝て早朝に勉強や仕事をしたほうがいいですよ。ポジティブな気持ちでないと、勉強も仕事もはかどりませんから。受験生の皆さん、頑張ってくださいね。

鍛錬の鍛は、高校時代に!

 今日は、本校の少林寺拳法部の関東選抜大会出場にあたって壮行会が開かれました。大会場所は深谷市のビッグタートルと呼ばれる総合体育館で、18日に行われます。会場の体育館はミニバスの大会で何度か行ったことがあり、自宅からも25分程度と近いので応援に行けるなと思いました。ところが顧問の先生に聞いたら関係者以外入れないとのことで、がっかりしました。(校長は関係者に入れてくれよ~)と思いましたが仕方ありません。先日、県の教育委員会から体育施設で危険箇所がないかの視察に見えたときに、格技場にもお邪魔しましたが、少林寺拳法部と空手部が練習しており、気合いが入っているなぁと頼もしく思いました。

 少林寺と言えば、武術で有名な中国の寺で、映画「少林寺」は世界的に大ヒットしました。今から40年前の話ですが、それよりも以前に拳法をテーマとした映画と言えば、ブルース=リーのドラゴンシリーズがあります。「ドラゴン危機一髪」「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」「燃えよドラゴン」などです。(格闘技に興味がある人はぜひ観てみてください) 私は、ブルース=リーのファンで、大学生の時に「ドラゴンへの道」のリバイバルを小田原まで観に行ったことがあります。遺作となった「死亡遊戯」を見たのは中3の時でした。彼は残念ながら32歳という若さで亡くなってしまいました。私が小学校4年生の時ですね。当時は、まだ映画を観たことはありませんでしたが、「アチョーッ!」と怪鳥音を叫びながら、プラスチック製のヌンチャクで遊んでいた記憶があります。ブルース=リーの有名な言葉であり、私の好きな言葉として「燃えよドラゴン」の中で弟子に稽古をつけている時の「考えるな、感じるんだ」というものがあります。どんな武術やスポーツでもそうだと思いますが、達人に近づけば近づくほど、頭で考えるより身体が先に動くのではないでしょうか。それは鍛錬の賜だと思います。宮本武蔵の名言に「千日の稽古をもって 鍛となし、 万日の稽古をもって 錬となす」があります。千日は約3年、万日は約30年です。一つの技でも、継続することなしに修得することはできないということを言っているのだと思います。先は長いですが、皆さんも「鍛錬」の言葉をかみしめて勉強に部活に頑張ってください。
※イラストは、高校生の時に描いたブルース=リーです。高1の時に油絵も描いたのですが、たぶん実家のどこかにあるんじゃないかと思います。

現状認識できてますか?

 先日、以前に紹介した「受験勉強で君は史上最高の自分となる」という本を読んだことを書きました。今日は、その中の言葉から二つ紹介します。一つ目は、

『「現状認識」という精神的にツライ作業の後にこそ、成功が待っている。』です。以前に受験や部活の試合で、孫子の兵法で有名な「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず」が大事ということを書きましたが、現実に向き合うのが怖くて逃げていれば、もしくは意識しないようにしていれば、進歩はありません。今、映画がヒットしているスラムダンクの安西先生が、桜木花道にミドルシュート2万本の特訓をしたときにシュートフォームのビデオを撮って、花道に見せました。自分のフォームにショックを受けている花道に言った言葉が「下手糞の 上級者への 道のりは 己が下手さを 知りて一歩目」です。自分自身を超越した場所から客観的に見ることに加えて、自分自身をコントロールでき、冷静な判断や行動ができる能力をメタ認知能力と言いますが、勉強でも運動でもこれができる人は強いです。「現状認識」できても、どうしたらわからない人のために指導者がいるのですから、大いに指導を仰いでください。

 二つ目は、「好きな本だけ読んでください。好きな本だけ読んでも、一生の間には読みきれません。本には、著者の人生観、その人が人生をかけてつかんだ真実が詰め込まれています。それを数時間で手に入れられる、こんな宝物はそうそうありません。」です。『「超」整理法』という本がベストセラーになった、一橋大学の名誉教授で経済学者の野口悠紀雄さんの言葉で印象に残っているものがあります。それは、「残りの人生で、モーツァルトの曲が全曲聴けないことがわかり愕然とした」です。野口さんは、もうすぐ82歳になられますが、今ではなく、少し昔の言葉です。自分が平均寿命まで生きると仮定して、自由になる時間を計算して出た言葉だったと記憶しています。高校生の皆さんは、若いので、野口先生のようなことは考えたこともないでしょうが、そうした意識をもって生きることは大事かなと思います。「人間一寸先は・・・」ですからね。私は、そう考えると蔵書を全部読み返すのは不可能かなと思います。(漫画のほうが多いですが) 私は映画を1.5倍速では見ませんが、音楽など早送りでは作品を損なうもの以外のユーチューブは1.5倍速で見ます。時間の節約のためですが、それでも買ったのに読めていない本がどんどん増えてしまっているのが現状です。

「時間がないから〇〇できない」と言っている人は、それは本当にしたいことではないのだ。ということを以前にも書きましたが、本当にしたいことなら最優先でスケジュールにいれるはずです。皆さんも、本当にしたいことがあるなら、迷わず一歩を踏み出してください。誰にでも1日24時間あるのは平等ですが、人生の長さは平等ではありません。

霧が晴れたとき

 今朝は、久しぶりに霧が濃かったですね。霧と言えば、3年次生の修学旅行の夜が思い出されます。宿泊地が湖畔だったので、サプライズで花火を上げようと先生方がせっかく計画していたのに濃霧で全く見えず、明るさと音だけ楽しんだのが思い出に残っています。生徒の皆さんにとってもたぶん2度と経験できない花火だったと思います。皆さんは霧に対して、どんなイメージをもっていますか?「五里霧中」という四字熟語がありますが、五里(約19.6km)にわたる霧を起こし、自分の姿をくらます道教の秘術「五里霧」が語源だそうです。さすが中国、大げさな表現「白髪三千丈」の国だなと思いました。山中で霧にまかれると遭難や滑落の危険性があります。私は、中学生の時に家族旅行で福島県に行った時に、山中で濃霧になり10mくらいしか見通しがなくなった経験があります。父親が運転していましたが、先が見えないカーブの多い山道を車で走るのには、神経をすり減らしたと思います。霧を「隠す」「消える」という装置として使用しているSF小説を高校生の時に読み、今でも記憶に残っています。深い谷に阻まれた隠れ里が、霧で普段は隠されており、霧が晴れた時、吊り橋が現れます。隠れ里に住んでいるのは、大昔に地球に漂着した宇宙人の子孫という設定でした。霧は、人工的に発生させていました。また、濃霧に包まれて、霧が晴れた時、自分以外の人間が全て消えていた話。有名なバミューダトライアングルで船および飛行機が行方不明となったり、船の乗組員たちのみ蒸発してしまったりする怪事件が昔話題となりましたが、今ではNHKの取材によって事実無根となっているそうです。霧の中から現れた船に乗り込んだら、人がいた形跡があるのに誰も乗っていなかったという話は、どこかで聞いたことはありませんか?

 計画を立てて見通しをもつことは、何をする時にも大事です。皆さんの前に、霧はかかっていますか?それは、濃いですか?しっかりと考えて着実に行動していけば、必ず霧は晴れて、素晴らしい景色を見ることができますよ。写真は、校長室からの今朝の霧がかかった校庭と晴れた日の校庭風景です。

 

器の大きさ

 今やユーチューバーが小学生のなりたい職業ランキング上位に入る御時世ですが、皆さんはYouTubeでどんな動画を見ていますか?私はと言えば、昔は音楽やスポーツ、アニメ関係がほとんどでしたが、3年ほど前から政治関係が最も多くなっています。たまに家族の影響で猫の動画も見ています。動画は、見ているとすぐに1時間くらい経ってしまいますので、気をつけるようにしています。また、仏教関係のものも見ますが、先日見たものに「器が小さいと思われる大人の言動3つ」というのがあり、つい見てしまいました。「器が小さい」は、言い換えると「心が狭い」ということかなと思いますが、あまり言われたくない言葉ですね。3つというのは、「すぐ不機嫌になる」「自分の非を認めない(謝れない)」「話を聞かない(自分が正しいと思っている)」でした。共通するのは、相手のことを考えないことだと思います。一人で生きられるならいいですが、人間社会の中で暮らしていくためには、最低限必要なことですよね。周りに気を遣いすぎて、疲れ果ててしまってもダメなので、その塩梅が難しいという人もいるでしょう。何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。器が大きい歴史上の人物というと、私の偏見かもしれませんが、「西郷隆盛」「勝海舟」「坂本龍馬」が思い浮かびます。皆さんは、歴史上の人物にかかわらず「器が大きいと思う人は誰?」と問われて思い浮かぶ人は誰ですか?身近な人にいますか?

24時間戦えま・・せん

 今日から3年次生は三者面談が始まりました。受験を目前に控えて、悔いのない進路選択をしてほしいと思います。皆さんは、三者面談って何が一番大切だと思いますか?担任の先生が、各生徒の進路決定に役立つデータを準備しておくことはもちろんですが、第一に親子のコミュニケーションがとれていることが大事だと思います。各家庭で色々と事情はあるでしょうが、十分話し合ったうえで、学校側の意見・助言を聞いていただき、更にそれを参考にして御家庭で話し合いを深め、親子共に納得して進路実現に邁進してほしいです。間違っても、面談の場でけんかはしないでもらいたいですね。今日、今年の漢字は「戦」に決まったようですが、皆さんが戦う相手は全国の受験生であり、親や先生ではありません。ロシアとウクライナの戦争のような命が失われる「戦」ではなく、受験戦争は頭脳で戦う平和な「戦」です。皆さんが、本校でよい環境と友人を得たように、進路先で得られる環境と友人は、人生において非常に大切なものです。ぜひ、熟考して自分にとって最適な進路先を選んで、勝ち取ってください。

友人と同じ人を好きになっちゃいけない?

 今日12月9日は、夏目漱石の命日で漱石忌と呼ばれますが、文豪の命日として有名なものには、他に梶井基次郎の檸檬忌(3/24)、太宰治の桜桃忌(6/13)、芥川龍之介の河童忌(7/24)などがありますね。彼らの著作は、中・高校生のころに有名なものは読みましたが、今読むとまた違った感想をもつのでしょうね。

 ある先生の話です。高校生が『こころ』を読み、学ぶ意義は何か。この問いに、授業の冒頭では「友人と同じ人を好きになっちゃいけない」とシートに記した生徒は、協調学習(学び合い)を終えた後では、このように回答している。「負の感情が生じたとき、どうすれば一番よかったかを考える」「対照的な二人の感情にふれ、心情の変化を学び、今まで知らなかった自分、自分の感情、問い、存在に気付く」「自己を作る手助けとなる」

 様々な作家の作品を読み、文体や表現方法、言葉について学び、感じたことを学び合う。国語学習で大事なことですね。頭の中で考えたこと、思ったことが、すべてわかってしまう機械が発明されれば別ですが、少なくとも今は言葉に出さなければ自分の気持ちや考えは相手には、伝わりません。ただ、言葉にしても伝わるとは限りません。言外の言葉を読む、建前と本音、日本は高度なコミュニケーションを必要とする国です。また、素晴らしく多様な美しい言葉がある国です。言葉が時代によって変化していくのは、歴史の必然ですが、新しい言葉を使いつつも、美しい日本語を未来に残せるようにしたいです。

リメンバー!パール判事

 私もとりあえず「なんちゃって日本史教師」ですので、今日12月8日は「真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争(大東亜戦争)が始まった日」ということでつぶやきたいと思います。ただ、日本は、アメリカに嵌められたとか、禁輸措置で日本を追い詰めたアメリカが悪いということを言いたいのでは、ありません。また、暗号電文の解読によって日本が真珠湾を攻めることも、宣戦布告があることもわかっていて、アメリカ国民の戦意高揚のために、ずるい日本人というイメージを演出して「リメンバーパールハーバー」を利用したということを強調したいわけでもありません。戦争は、結局きれいごとではありません。近現代の戦争で「人道的な」という言葉が使われるようになりましたが、東京大空襲も広島・長崎の原爆も「非人道的」と言わざるをえないものでした。戦後のWGIP(War Guilt Information Program)によって戦争への罪悪感を日本人は心に植えつけられました。つまり、洗脳されたわけです。戦後のアメリカの占領政策が、日本を再びアメリカの危険な敵にさせないようにするものであったことは、教科書にも書いてあります。今では、アメリカは日本の一番の友好国ですので、教科書に悪いことを書けば外交問題に発展するかもしれません。東京裁判が戦勝国による私刑であり、罪刑法定主義に反していて、「勝てば官軍」を体現していることは、明らかです。東京裁判で判事11名の中ただ一人日本の無罪を主張した唯一の国際法学者であるインドのパール判事は、その著書「パール判事の日本無罪論」によって理路整然と日本が裁かれること、ABC級戦犯の扱いについておかしいことを主張してくれています。固い内容になってしまいますので、このくらいにしておきますが、今、世界で起こっている国同士の紛争は、全て自国の国益を主張してのことです。国益には、古くは領土(付随する労働力)、そしてエネルギー資源、食料、現在は水の争奪が絡んでいます。日本も領土問題を、ロシア・中国・韓国との間に抱えています。

 皆さんは、多かれ少なかれ人付き合いに苦労していると思います。歴史を勉強するとは、価値観や考え方の異なる多様な人との付き合い方を学ぶことだと言ってもいいかもしれません。そして、それを基にして世界がうまくいく方法を考えることだと思います。歴史は暗記科目ではなく、歴史的事実を基に多様な価値観をもって議論し学び合う学問です。人名や事件名を覚えるのに汲々として、歴史の本質を学ばないことがないようにしたいものです。

Oh!マイ ブッダ!

 今日は、少しガックリきたことがありました。今朝、自宅のプリンタの黒インクがなくなって、ブログ通信の印刷ができなかったので、帰宅する時にケーズデンキで買って帰ったのですが、交換しようとしたら、前に使っていたプリンタのインクだと気付きました。黒が早くなくなることを考慮し、今回は大容量のものを2個買ってきたのでダメージは4倍でした。「あ~っ、バカだ~!何やってんだよ!」と思わず声をあげていました。もう開けてしまっているので返品もできません。「高い授業料を払ったな」と気持ちを切り替えることにしましたが、皆さんには、せっかく払ったお金が無駄になったことはありますか?高いお金を出して買ったもので後悔したことはありますか?すでに持っているものを買ってしまったことはありますか?高い授業料を払ったことがありますか?ミスと失敗の違いについて、ミスは挽回できるもの、失敗は取り返しがつかないもの、と言った人がいましたが、そう考えると失敗なんてほとんどないということになります。ミスを恐れてチャレンジできないという人が、外国人と比べて日本人は多いと言われますが、ミスしても「たいしたことじゃねぇよ」と高笑いし、見事挽回して「おおーっ!」と言われる人になりたいです。そうは言ってもミスしないに越したことはありません。ミスすれば、少なからず人に迷惑をかけることになりますので。徒然草の「高名の木登り」じゃありませんが、慣れによる油断が一番禁物で、「なぜ、こんなミスを?」というミスは、ミスはありえないと高をくくって注意しないことから生じています。(つい最近、笑ってしまうミスがありました) 必要以上にミスを恐れることはありませんが、細心の注意は怠らないようにしたいものです。

入試ってホントに・・・

 今日は「音の日」「姉の日」だそうですが、二日連続で「今日は何の日」に頼るのはやめておきます。ただ、「姉の日」はクリスマスのある風習に関係しているみたいで面白かったです。興味をもった人は調べてみてください。「音の日」に関係するのは、あの偉人ですね。そう、エ〇〇〇です。エノモトじゃありませんよ。最近は、アナログレコードが若い人に人気だそうで、プレーヤーも売れてるそうですね。針を落とすという構造や大きなレコードジャケットが新鮮なのでしょうかね。おっと、つい「今日は何の日」ネタに足を突っ込んでしまったので、抜いて話題を変えましょう。今、以前にブログで取り上げた「受験勉強で君は史上最高の自分になる」という本を買って、読みました。読むのが速い人なら2~3時間で読めると思うので、読むなら1年生のうちに読んでおいたほうがいいですよ。(別に著者から宣伝料はもらっていません) 内容について「そうだ!」と思うか「違う!」と思うかは、人それぞれだと思いますが、自分で自分の進路について深く考えるきっかけにはなるでしょう。内容について疑問に思ったら、何人かの先生に聞いてみてもいいと思います。先日の地区校長会と今日の県の校長会の中の委員会で、前期後期が一本化される令和6年度の高校入試について情報交換がされました。高校入試も大学入試も本質は一緒です。皆さんはどんな方式の入試がいいですか?公平性?総合力?一芸(特色)?日本の入試は世界一公平だと言われているそうですが、それは調査書が参考程度で筆記試験の点がすべてな場合ですね。そこに色々な推薦制度が入ってくると、途端に合格基準が全体として曖昧になってきます。大学は勉強するところだから、テストの点だけで合否を決めてほしいと思いますか?それとも多様な学生がいたほうが学び合いになるから、色々な方式で試験をして違う判定基準で合否を決めたほうがいいと思いますか?今は、昔に比べて非常に入試が複雑になって、同じ大学の学部を何度も受験できるようになった反面、受験料もたくさんかかるようになりました。大学も経営がかかっているので必死ですが、自分が本当に行きたいと思える大学かどうか、よくよく調べて決めましょう。ところで、「入試ってホントに・・・」の「・・・」には、どんな言葉が思い浮かびましたか?

アルバムの日

 12月5日は、フエルアルバムで有名なナカバヤシ株式会社が制定したアルバムの日だそうです。(開き直って、今日は何の日に頼ることにしました)「いつか時間が出来たら」「いつか子どもが大きくなったら」「いつか、いつか…」と後回しにされることなくアルバムづくりをしてもらいたいとの願いを込めて、12月はその年の思い出をアルバムにまとめてほしいとし、その5日(いつか)を記念日としたそうです。今は、デジタル全盛なので、ほとんどは、スマホで撮って保存するだけなのでしょうか。たくさんあると整理が大変ですよね。みんなで写真を見るときも、TVやプロジェクターなどに繋いで見ているのかと思います。私は外付けHDDの中に年毎にフォルダを作って写真と動画を保存しています。かなりの量になっていますが、とりあえず整理はできています。ただ、もう何年も印刷した紙のアルバムは作成していません。最後に作成したのが子どもの成人祝いに、20年分の写真を20ページで一冊にまとめたものです。そうしたアルバムを作るキットを利用して、時間はかかりましたが、20年を振り返ることができて感慨深いものがありました。子どものアルバムは、最初は薄かったものが、「フエルアルバム」という名前のとおり、ページを足して厚くなっていきます。紙のアルバムは、すぐ見られるところがいいところで、また、手触りや色褪せで年代を感じることができてデジタルにはない良さがあると思います。ユーミンの作品に「悲しいことがあると 開く皮の表紙」で始まる『卒業写真』という名曲がありますが、皆さんが卒業アルバムを開く時は何を思うのでしょうか。

折れない心

 サッカーWカップの対スペイン戦は、「ブラボーッ!」な結果になりましたね。コスタリカ戦に負けて、奮起していい試合をしてくれるだろうと思い、期待はしてい ましたが、本当に勝つとは思いませんでした。今日、久しぶりにNHKの「チコちゃんに叱られる」を見ましたが、「心が折れる」の意味は?という話がありました。女子プロレスラーの神取忍さんが、使ったのが最初で辞書にも載っているそうです。「心が折れる」は,「心の支えがなくなり精神的に立ち直れないくらい落ち込み意欲がなくなる」という意味で使っていると思いますが、あまり頻繁に使う言葉ではありませんよね。今回、日本チームはコスタリカに負けて心が折れたでしょうか?皆さんは、心が折れたことはありますか?折れても折れても修復して、心を強くする。「七転び八起き」といういい言葉がありますね。転んでもただでは起きないというしたたかさも必要なのかもしれません。そもそも折れるのは、心が固いからで、柔軟な心をもっていれば、柳が風を受け流すように折れることはないのかもしれません。すべてのことは大したことではないと、固執する心を捨て、感謝する心で暮らせば、心が折れることはないのでしょう。言うのは簡単ですけどね。皆さんは「折れない心」をもっていますか?

師歩

 今日から12月、師走です。全く早いもので令和4年もあと1月となりました。これから1週間は寒い日が続くそうなので、受験生の皆さん、体調を崩さないように気を付けてくださいね。さて、師走の師は、諸説ありますが、お坊さんを指すのがやはり一般的でしょう。年末は法会がたくさんあり走って移動しなければならないくらい忙しいからだそうです。現在では、教師の師でも間違ってはいない気がします。昔は、大晦日や元旦から補習をやっている先生もいました。働き方改革を進める現在からは考えられませんけどね。3年生は、追い込みで先生と一緒に走る(歩く?競歩並?)と思いますが、体と頭と心のコンディションを整えることを第一に考えてくださいね。これまでの努力が報われるように。先日、三者面談を控えて志望校検討会議がありました。3年次団の先生方が3年次生の皆さんの進路実現に向けて、どう助言するかについて検討を重ねました。受験を目前に不安な気持ちでいる人も少なくないと思います。ただ、不安を抱えているのは、あなただけではありません。こんな時こそ、仲間と励まし合いましょう。

「成果が出ないときこそ、不安がらずに、恐れずに、迷わずに一歩一歩進めるかどうかが、成長の分岐点であると考えています。」国民栄誉賞を受賞した棋士の羽生善治さんの言葉です。