日誌

2023年2月の記事一覧

運命の1冊

 「1万円選書」というのを聞いたことがありますか?2018年4月23日のNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で「運命の1冊、あなたのもとへ~書店店主・岩田徹~」というタイトルで放送され話題になりました。それは、1万円分の本を選び、届けるサービスで、経営難に喘いだ岩田徹さんという本屋の店主が始めました。お客さんに本に関するカルテに記入していただき、その内容からお客さんに合った本を紹介するものでしたが、始めた当初は7年間で、月に1件注文がはいるかどうかで店がつぶれる瀬戸際でした。そんなとき、ある深夜番組で「1万円選書」が取り上げられ、瞬く間にSNSで拡散されたのです。翌朝には「1万円選書」が、インターネットの検索急上昇ワードにトレンド入りし、選書の申込は、放送3日後には、550件に達し、いったん締め切る事態となりました。「本屋の神様はいたんだ!」と岩田さんの奥さんがつぶやいたのが岩田さんは忘れられないそうです。明日何が起こるかわからないからこそ、今を一生懸命に打ち込む、それが岩田さんのモットーです。彼はこうも言っています。「地方の本屋のおやじに過ぎない自分が、本を通じて全国の人々の役にたち、ありがとうと感謝してもらえる。こんな幸せな仕事はありません。」

 私は、なかなか書店に置いていない本や、中身が確認できなくても書評を信じた本は、Amazonで購入してしまうので、書店の方には申し訳ないと思っています。今、Amazonによって既存の書店は、大型書店も含めて存続の危機に立たされています。次に危機に立つのは薬局だとも言われています。Amazonは基本的に送料がかからないために、購入する本が決まっているのであれば手間とお金がかからないので、そちらに流れてしまうのも致し方ないのかもしれません。今は、ネットで本を買っていると、その人の嗜好をAIが分析してお薦めの本を勝手に紹介してくれる便利な(気持ち悪い)世の中になりました。古書も神田やブックオフなどに行かなくても、ネットで検索して買える時代になりました。しかし、本屋や図書館で思いがけない本に出会うドキドキ感は、ネット通販にはありません。出版される本が多すぎて、巡り会えずに終わってしまうことのほうが圧倒的に多いですよね。だから、自分に合った本に出会いたいと思っている人にとっては、「1万円選書」という試みは、AIでなく人間が推薦書を選んでくれるところが人間味があっていいということで支持されたのだと思います。「これだ!」という1冊に出会うためには行動あるのみです。皆さんも、ぜひ「運命の1冊」を探してみてください。

どうする、学校?

 文科省は2月7日、いじめ問題への対策として学校と警察の連携を強化するよう全国の教育委員会へ通知しました。いじめ問題は、法整備等がなされ、以前よりもいじめ認定や解決へ向けて前進しているはずなのに、劇的に減ったという話は聞きません。学校は、以前から少年非行防止のために警察と連携はしていますが、教育者としての矜持から警察沙汰にすることは避ける傾向にありました。ただ、それによっていじめの加害者は登校しているのに、被害者は登校できず、場合によっては転校を余儀なくされるという、被害者と家族にとっては納得できないこともありました。今回の通知は、被害者の生命・心身・財産に重大な被害の恐れがある場合など、直ちに警察に相談・通報し、援助を求めなければならないことを強調しています。具体的な加害行為を挙げて、「暴行」「傷害」「恐喝」「窃盗」「器物損壊」「名誉棄損、侮辱」など刑法などが定めるどのような犯罪にあてはまるかも明記しています。「万引き」は「どろぼう」であり、表現で軽く考えてしまうことを助長しているのではないかと思いますが、それと同様に「暴行」「傷害」「恐喝」に当たる行為は、「いじめ」と呼ぶことはやめた方がいいと個人的に思います。教員の「体罰」も「暴行」「傷害」です。また、いじめ対応で学校が警察への通報をためらうことがあるが、「学校として適切な対応を行っているとして評価されるものである」と通報することの意義を強調しています。保護者にもあらかじめ犯罪にあたる場合には警察に通報することもあることを周知し、いじめ防止への協力を求めるとしています。そうは言っても、教育に熱心な教師ほど、まだまだ警察への通報はためらわれるでしょう。ただ、旭川女子中学生いじめ凍死事件のような事件が今後起きないように、いじめ被害者の人権と安全を第一に考えて、今後はいじめ事案には警察と協力する勇気も必要と考えます。

 いじめは、その行為が人の心に与える影響に対する想像力と共感力の欠如から、起こるのだと思います。ただ、小学校では、「さよなら」と言ったのに無視されたと、聞こえなかっただけなのにいじめとされたり、運動会で「明日頑張ろうね」と言ったら、「運動が苦手な僕へのいじめだ」となってしまったり、明らかにコミュニケーション不全と思われる事例も学校現場ではたくさんあると思います。社会に出るとコミュニケーション能力などの非認知スキルが重要だということが近年強調されていますが、いじめ問題の解決にも非認知スキルを育成することが重要だと考えます。もちろん現在もやっているはずですが、就学前から発達段階に応じて計画的に身に付けられるように学校の教育活動全体に位置づけて重視するべきことだと思います。読み書きや計算などの知識・技能などの学力、運動能力など、試験やテストで計測しやすい認知的スキルも大切ですが、テストなどで数値化することが難しい非認知スキル、具体的には「やりぬく力」「意欲」「発想力」「コミュニケーション能力」といった力が社会に出ると仕事をする上で大事になってきます。皆さんも、ぜひ非認知スキルの向上を意識して高校生活を送ってください。なお、写真は本文と全く関係ありませんが、今朝の朝日に耀う校舎です。

自撮り棒の未来

 皆さんが、スマホで写真を撮るときに使う「自撮り棒」が世に出てから今年で40年になるそうです。これには、私も驚きました。私が20歳の時に自撮り棒があったとは、思いもしませんでした。もっとも、出た当時は、小型カメラ(しかもデジタルでなく、フィルム式)を付けるタイプだったので、広まりませんでしたから、ほとんどの人にとっては、スマホが普及してからできたというイメージが強いと思います。

 昔は、カメラは一家に1台であり、高価なものでした。個人で1台持つようになったのは、使い捨てカメラ(というより、リユースカメラ?)の「写ルンです」が出てからで、さらに小型デジタルカメラが普及してからです。カメラと言えば、自撮りするものではなく、例えば観光地などで近くの人に頼んで撮ってもらうのが普通でした。そのため近くに人がいないと、家族や友人と一緒に写ることができず、不便でした。また、昔のフィルム式カメラは、現像されて写真ができあがってこないとよく撮れているかどうかわからないので、できあがった写真を見てガッカリすることも珍しくありませんでした。今は、その場で確認できるのでいいですね。もっとも、予想以上にきれいに撮れていて感動することもなくなってしまいましたが。

 自撮り棒で写真を撮るという行為は、当の日本人が広めたというより、中国人観光客によって広められた節もあるようです。一人で自分を撮るのは恥ずかしいと思う人が日本人には多かったということでしょうか。

 携帯電話にカメラがついて、SNSを誰もが使うようになって、いつでもどこでも写真を撮る文化が生まれました。「インスタ映え」という言葉も生まれました。また、現像代を気にせず何枚でも写真を撮れるようになったので、整理できずに大量の写真に埋もれるようになりました。写真一枚を撮る重み、写真そのものの重みが、昔より格段に軽くなったような気がするのは、私が歳を取ったせいでしょうね。たくさん写真を撮って、ベストの一枚を選び出す。現代では、それが当たり前だし、それでいいのかもしれません。最近は、スマホのカメラの進化で、自撮り棒を見かけることが少なくなりました。そのうち、スマホに超小型ドローンカメラがついてスマホで操縦して自撮りできるようになるかもしれませんね。

 今日は、自撮り棒からカメラと写真の話になりましたが、デジタル写真になって容易に編集・加工ができるようになったので、写真に騙されることも格段に多くなりました。卒業アルバムなどで編集できると都合がいい場合もありますが、撮影者、撮影日時、撮影場所が明確でない写真を安易に信じることがないように注意しましょう。もちろん、安易にSNSに写真をアップすることもしないように。一旦拡散したら回収できませんよ。

忘れてはならぬもの

 今日はバレンタインデーですが、その話題はさり気なく避けて101歳の現役最高齢のピアニスト室井摩耶子さんの言葉を紹介します。「私は突然101歳になったわけじゃなくて、一日一日を精一杯生きてきて今があります。だから過去や未来ではなく、今日というこの一日を大切にしたいんです。大切な一日に死ぬ準備なんてしていられないから、終活にも、まったく興味がないんです。」テレビでは80、90歳になっても元気なお年寄りの姿をよく見ますが、みんな一日一日を大切にして年を取ったなりに人生を楽しんでいるのだと思います。「年を取ると、生きるのが仕事」と言っていた人がいましたが、「生きるのが趣味」もいいんじゃないかなと思います。

 ナチスの強制収容所で瀕死のユダヤ人の少女が、「こんなにひどい目に遭わせてくれた運命に感謝している」とつぶやいたそうです。何不自由なく暮らしていた時には、これほどまで自分に向き合うことはなかったというのです。「ならぬもの十訓」の一番目に「忘れてはならぬもの…感謝」があります。あなたは、朝目覚めた時に「今日も生きている。ありがたい。」と思ったことがありますか。最近のトルコ地震で、既に1週間以上経過しているにも関わらず、瓦礫の中から子どもたちが救出されるのを見て思いました。

ビューティフルネーム

 1875年(明治8年)の今日2月13日は「平民苗字必称義務令」が出され、平民も苗字を名乗ることが義務づけられた日で「苗字制定記念日」となっています。「苗字帯刀」は、江戸時代は貴族と武士の特権でしたが、1870年(明治3年)9月19日、平民が苗字を名乗ることを許可する「平民苗字許可令」が出され、この日は「苗字の日」となっています。ところが、そのころはまだ、明治新政府は国民に信用されていなかったので、苗字を付けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、苗字をつける人はなかなか増えませんでした。それで「平民も必ず姓を称し、不詳のものは新たにつけるように」と「平民苗字必称義務令」が制定されたのです。日本は世界の中でも苗字の数が多い国で約27万あるそうですが、明治以降に爆発的に増えました。変わった苗字が多いのもそのせいです。苗字を新しくつける(考える?)苦心談も残っています。「小鳥遊」(たかなし)や「春夏冬」(あきなし)、四月一日(わたぬき)、「神風」、「日本」など珍しい苗字はたくさんあります。だから、教員を長年やっていても初めて見る苗字や、読めない苗字はたくさんあります。近年は、それに加えて名前も読めないものが増えてきました。ちなみに、世界で一番苗字が多い国はアメリカで約150万種類あるそうです。移民の国なので世界中の苗字が集まっているのだから当然かもしれません。逆に、お隣の中国は約4000種類、韓国は約250種類と多くはありません。サッカーワールドカップで、韓国代表のゴールキーパーとディフェンダーの全員がキムという苗字で話題になりましたが、韓国では5人に1人がキムさんらしいですね。名前は、人間のアイデンティティですから大事にしたいですね。小学校で、自分の名前には親のどんな願いが込められているのかを聴き取りしてくるという宿題があるところも多いようです。皆さんは、自分の苗字と名前の意味や由来を知っていますか?