日誌

2023年2月の記事一覧

Believe in yourself.

 誰でも口癖の一つや二つはもっています。なくて七癖とは言いますが、「えーと」「あのー」とかは、一般に無意味なつなぎ言葉「フィラー」(英語だと「well」「um」など)と呼ばれます。口癖は、基本的には無害ですが、あまり多いと気になりますね。ただ多ければ多いほど、話にスピード感とキレとリズムがなくなりますので、少ないに越したことはありません。生徒が先生の口癖を1時間の授業で何回言うかを数えた話も珍しくありません。20年ほど前から自分の授業をビデオで撮影して検討する研修を行っていますので、現在では多くの先生が自分の授業を客観的に見た経験があり、改善を図っていると思います。

 口癖の中で「でも」「だって」「どうせ」の三つは3D(だめ)言葉です。口癖になっている人は、気をつけましょう。「でも」「だって」「どうせ」は、相手の気分を害すると同時に自分の気持ちも下げる言葉です。発した言葉には魂が宿る「言魂(霊)」を信じるならば、後ろ向きの言葉を発していれば、どんどん運気を下げることになってしまいます。「でも」「だって」は、口答えの言葉であり、言い訳、反抗の言葉です。この言葉を出さずに「なるほど、確かにそうですね」というクッション言葉が出れば、その後の提案が受け入れられやすくなるのではないでしょうか。もちろん「申し訳ありませんでした」「ごめんなさい」という言葉を先に言ったほうがいい場合もあるでしょう。「どうせ」の後には、「(自分なんか、私たちなんか)~できる(になれる)はずがない」という言葉が続くことが多いと思いますが、個人でも集団でも、見限ったら、諦めたら、そこで終わりです。最後まで自分(たち)を信じてやれるのは自分(たち)しかいません。本日、後期入学者選抜の願書受付が始まりました。太東を志願してくれている中学3年生の皆さんが、自分を信じて本番の3月8日、9日を迎えてくれることを祈っています。

仮面とマスク

 今日は、月光仮面登場の日だそうです。1958年(昭和33年)の今日、ラジオ東京(現:TBS)で国産初の連続テレビ放送が始まりました。日本のヒーロー番組の元祖でもあり、時代劇と探偵活劇の要素を組み合わせた作風は、その後のヒーロー番組に多大な影響を与えました。1959年(昭和34年)まで、130回が放送され、1958年(昭和33年)からテレビ版の漫画化と、実写映画化がされています。その後、1972年(昭和47年)にアニメテレビドラマ化、1981年(昭和56年)に再び実写映画化されています。私は、最初の放送時はまだ生まれていませんので、初めて見たのは小学校の時のアニメでした。今思えば、実写版の最初はヒーローというより「怪しいおじさん」という感じです。「どこの誰かは知らないけれど~誰もがみんな知っている~♪」は、誰もが知っているテーマソングでした。パロディーもたくさん作られ、ギャグにもされました。仮面ヒーローものの元祖でしたが、その後「仮面」が付くヒーローは、「七色仮面」「仮面の忍者赤影」「遊星仮面」「仮面ライダー」「シルバー仮面」などがありました。「仮面」の名がつかなくても、仮面のヒーローは枚挙に暇がありません。プロレスの「タイガーマスク」も仮面のヒーローでした。

 仮面の文化は、世界中にあります。なぜ、人は仮面をかぶるのでしょうか。正体を隠すため?威厳をもたせ強くみせるため?月光仮面は前者、ツタンカーメンの黄金のマスクは後者でしょうか。違う自分、なりたい自分に変身するためとも考えられます。日本の文化である能の面は、一つの面で全ての感情を表現します。演者が演技によって、観客に様々な表情に見えるようにすると言ってもいいかもしれません。歌舞伎の化粧も程度の差はあっても仮面の一種かもしれません。お化粧をすることで気分がピシッとし、仕事モードに切り替わったり、振る舞いがよくなったりといった経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。パーソナリティ(性格)の語源は仮面(ペルソナ)という話を以前書きました。人は様々な仮面をもっていて、少なからずTPOに応じて使い分けていると思います。いきすぎると多重人格者になってしまいますが。本当の自分を引き出すために、自信をもつために仮面をかぶることも必要かもしれません。かぶったままじゃだめですけどね。思い出されるのは映画「MASK」です。仮面による人間の深層心理(欲望)の発現が大袈裟にコミカルに描かれていて笑うとともに考えさせられました。反対に「隠す」という意味で最も記憶に残っているのが「オペラ座の怪人」です。ミュージカルや映画で有名すぎるくらい有名な作品ですが、観た後、切ない気持ちになります。高校生だと観たことがない人が多いと思いますので、ぜひ観てみてください。ところで、今はコロナ禍で、マスクが仮面の代替物になってしまっている気がします。皆さんは、どう思いますか。

ニャン♫ニャン♪ニャン♬

 今日は、2月22日が「ニャン、ニャン、ニャン」と読めることから「猫の日」だそうです。それでは犬の日は?と聞かれれば、予想どおり「ワン、ワン、ワン」で11月1日です。1月11日のほうが猫の日と並んできれいな気がしたのですが、なぜ11月1日なのかは不明です。記念日は語呂合わせが多いですが、この語呂合わせは日本しか通用しなさそうですね。英語圏では「ミュー」「ミャオウ」、中国では「ミャオミャオ」ですから。「猫の日」は世界各国で制定されており、ヨーロッパの多くの国は2月17日を「World Cat Day」、アメリカは10月29日を「National Cat Day」としています。また、8月8日は世界最大の動物愛護団体である国際動物福祉基金(IFAW)が制定した「世界猫の日(International Cat Day)」となっています。やはり、猫は犬と並んで、ペットの王様なんですね。皆さんは、どちらかと言えば「猫派」ですか「犬派」ですか。少し前にテレビで見たアンケートでは、犬派が多かったようです。動物の動画は、たくさんアップされていますが、猫の「もち〇日記」がすごく人気のようですね。癒されている人が多いようです。ペットの癒し効果というのも研究されていますが、ペットと触れ合うと脳内にオキシトシンという物質が分泌されるそうです。オキシトシンは、自律神経を整えて脳の疲れを癒し、気分を安定させるそうです。「猫の日」は「猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、猫とともにこの喜びをかみしめる記念日を」という趣旨で制定されたそうですが、現代人は昔の人よりはるかにストレスが多く疲れている人が多いので、ペット人気は衰えないでしょうね。ただ、ペットはおもちゃではなく生き物なので、最期まで面倒を見る覚悟で飼ってもらいたいです。それができない人は猫カフェで我慢しましょう。下の写真は、私の書斎に住む招き猫たちです。もう一つの画像は『What's Michael?』という猫を主人公?にした漫画で、1980年代後半にヒットしました。猫を描いた漫画は、他にもたくさんありますが(近いところでは「おじさまと猫とか)、私は個人的にマイケルが好きです。

サクラ咲く、まだまだこれから

 今日は、高校入学者前期選抜の合格発表が午前10時から各学校及びweb上で行われました。喜ぶ人が半分、後期選抜に向けて気合を入れ直す人が半分です。合格した皆さん、おめでとうございます。残念ながら合格できなかった皆さん、後期選抜まで2週間、気持ちを一新してできることをやりきって検査に臨んでください。2週間で、前期合格者を追い抜く気持ちで、勉強してください。4月からの高校生活に必ず生きてきます。

 さて、web上で合格発表がされるようになってから、学校まで発表を見に来る人はほとんどいなくなってしまい、発表現場は寂しい限りです。合格発表で私の記憶に残っている光景は、30年以上前の初任校での発表です。受験番号をマジックで書いた模造紙を同窓会館の2階の手すりから下げていました。たくさんの受検生がこちらを見上げています。発表時間になって、バサッと掲示すると、一瞬間を置いて「ワーッ!」と歓声があがります。「受かった!」「やった!」という声が聞こえてきます。しかし、たくさんの笑顔の中で落胆の表情を浮かべ、会場を背にする生徒を見ると複雑な気持ちになります。科ごとに合格発表の掲示板を立て、その横で合格手続きをしていた高校で勤務していた時は、受検生がすぐ近くにきて落胆して背を向けて帰る姿を見るのは辛かったですね。「艱難汝を玉にす」という言葉がありますが、逆境や挫折を知らないと、真に強くはなれないと思います。自分の心を強くするとともに、人の気持ちがわかる人間になるために、困難に遭遇した時に「ありがたい」と思える心の余裕を持ちたいものです。

恋は一種のアレルギー?

 今日は、アレルギーの日だそうです。1966年(昭和41年)に免疫学者の石坂公成さんがアレルギーの原因となる抗体の一種、免疫グロブリンEを発見し、2月20日にアメリカで開催されたアレルギー学会において、共同研究者である妻の石坂照子さんと共に発表したことに由来するそうです。

 先日、テレビのニュースで佐賀大学医学部の教授らがアトピー性皮膚炎の“かゆみ”の原因の一つとそれを防ぐ物質を突き止めたと発表しました。今後は治療薬の開発も期待されています。私が30年前に担任した生徒は、アトピー性皮膚炎がひどく、「かゆくて夜眠れない」「集中力がでない」などの悩みを抱えていてかわいそうでした。日本人の20代以下の約10%が悩んでいるというアトピー性皮膚炎ですが、本校の保健調査によれば、全校でアトピー性皮膚炎は37人で、全国平均よりは低いようですね。ただ、アレルギー疾患をもっている生徒の数は300人を超え、46%の生徒が何かしらのアレルギーを抱えています。最も多いのは花粉症を含むアレルギー性鼻炎ですが、40%を超えていて、50%を超える日も近いのではないでしょうか。私は、20歳の時に花粉症を発症し、40年の付き合いになりますが、ひどいときには授業にBOXテッシュを持ちこんでいました。どんな病気の痛みや辛さもそうですが、花粉症の辛さもなった人しかわからないでしょうね。目のかゆみ、くしゃみ、鼻水、微熱などでだるく、眠気もあり集中力が出ません。年を取ったら症状が軽くなってきたのでありがたいですが、今年は花粉が非常に多いそうなので、コロナが収まってもマスクが外せるかどうかわかりません。マスクをしていると表情がわからず顔も覚えられないので、早くマスクのない生活がしたいです。

 本日、漫画家の松本零士さんが85歳で亡くなられたことをニュースで知りました。御冥福をお祈りします。私は小学生の時に「宇宙戦艦ヤマト」を、中学生の時に「銀河鉄道999」をテレビで見ていました。女性とメカが非常に個性的でした。ヤマトのオープニングソングは、吹奏楽部がよく演奏していたのを覚えています。今でもカラオケでは、ささきいさおさんが歌っていた宇宙戦艦ヤマトの「真っ赤なスカーフ」と「銀河鉄道999」は「十八番」です。宇宙戦艦ヤマトは、映画になってあまりにも続編が多く作られてしまい、ドラゴンボールと同じく興ざめしてしまいましたが、そういう意味で「スラムダンク」は対象的でしたね。宇宙や戦闘をテーマにした漫画では、松本先生は第1人者であることは間違いありません。これから、テレビで特番が組まれるでしょうから、知らない人も見てみてください。

 タイトルは、さだまさしの「恋愛症候群―その発病及び傾向と対策に関する一考察」の歌詞から拝借しました。興味をもった人は調べてみてください。

写真は、今朝撮影した校訓石碑の梅です。

運命の1冊

 「1万円選書」というのを聞いたことがありますか?2018年4月23日のNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で「運命の1冊、あなたのもとへ~書店店主・岩田徹~」というタイトルで放送され話題になりました。それは、1万円分の本を選び、届けるサービスで、経営難に喘いだ岩田徹さんという本屋の店主が始めました。お客さんに本に関するカルテに記入していただき、その内容からお客さんに合った本を紹介するものでしたが、始めた当初は7年間で、月に1件注文がはいるかどうかで店がつぶれる瀬戸際でした。そんなとき、ある深夜番組で「1万円選書」が取り上げられ、瞬く間にSNSで拡散されたのです。翌朝には「1万円選書」が、インターネットの検索急上昇ワードにトレンド入りし、選書の申込は、放送3日後には、550件に達し、いったん締め切る事態となりました。「本屋の神様はいたんだ!」と岩田さんの奥さんがつぶやいたのが岩田さんは忘れられないそうです。明日何が起こるかわからないからこそ、今を一生懸命に打ち込む、それが岩田さんのモットーです。彼はこうも言っています。「地方の本屋のおやじに過ぎない自分が、本を通じて全国の人々の役にたち、ありがとうと感謝してもらえる。こんな幸せな仕事はありません。」

 私は、なかなか書店に置いていない本や、中身が確認できなくても書評を信じた本は、Amazonで購入してしまうので、書店の方には申し訳ないと思っています。今、Amazonによって既存の書店は、大型書店も含めて存続の危機に立たされています。次に危機に立つのは薬局だとも言われています。Amazonは基本的に送料がかからないために、購入する本が決まっているのであれば手間とお金がかからないので、そちらに流れてしまうのも致し方ないのかもしれません。今は、ネットで本を買っていると、その人の嗜好をAIが分析してお薦めの本を勝手に紹介してくれる便利な(気持ち悪い)世の中になりました。古書も神田やブックオフなどに行かなくても、ネットで検索して買える時代になりました。しかし、本屋や図書館で思いがけない本に出会うドキドキ感は、ネット通販にはありません。出版される本が多すぎて、巡り会えずに終わってしまうことのほうが圧倒的に多いですよね。だから、自分に合った本に出会いたいと思っている人にとっては、「1万円選書」という試みは、AIでなく人間が推薦書を選んでくれるところが人間味があっていいということで支持されたのだと思います。「これだ!」という1冊に出会うためには行動あるのみです。皆さんも、ぜひ「運命の1冊」を探してみてください。

どうする、学校?

 文科省は2月7日、いじめ問題への対策として学校と警察の連携を強化するよう全国の教育委員会へ通知しました。いじめ問題は、法整備等がなされ、以前よりもいじめ認定や解決へ向けて前進しているはずなのに、劇的に減ったという話は聞きません。学校は、以前から少年非行防止のために警察と連携はしていますが、教育者としての矜持から警察沙汰にすることは避ける傾向にありました。ただ、それによっていじめの加害者は登校しているのに、被害者は登校できず、場合によっては転校を余儀なくされるという、被害者と家族にとっては納得できないこともありました。今回の通知は、被害者の生命・心身・財産に重大な被害の恐れがある場合など、直ちに警察に相談・通報し、援助を求めなければならないことを強調しています。具体的な加害行為を挙げて、「暴行」「傷害」「恐喝」「窃盗」「器物損壊」「名誉棄損、侮辱」など刑法などが定めるどのような犯罪にあてはまるかも明記しています。「万引き」は「どろぼう」であり、表現で軽く考えてしまうことを助長しているのではないかと思いますが、それと同様に「暴行」「傷害」「恐喝」に当たる行為は、「いじめ」と呼ぶことはやめた方がいいと個人的に思います。教員の「体罰」も「暴行」「傷害」です。また、いじめ対応で学校が警察への通報をためらうことがあるが、「学校として適切な対応を行っているとして評価されるものである」と通報することの意義を強調しています。保護者にもあらかじめ犯罪にあたる場合には警察に通報することもあることを周知し、いじめ防止への協力を求めるとしています。そうは言っても、教育に熱心な教師ほど、まだまだ警察への通報はためらわれるでしょう。ただ、旭川女子中学生いじめ凍死事件のような事件が今後起きないように、いじめ被害者の人権と安全を第一に考えて、今後はいじめ事案には警察と協力する勇気も必要と考えます。

 いじめは、その行為が人の心に与える影響に対する想像力と共感力の欠如から、起こるのだと思います。ただ、小学校では、「さよなら」と言ったのに無視されたと、聞こえなかっただけなのにいじめとされたり、運動会で「明日頑張ろうね」と言ったら、「運動が苦手な僕へのいじめだ」となってしまったり、明らかにコミュニケーション不全と思われる事例も学校現場ではたくさんあると思います。社会に出るとコミュニケーション能力などの非認知スキルが重要だということが近年強調されていますが、いじめ問題の解決にも非認知スキルを育成することが重要だと考えます。もちろん現在もやっているはずですが、就学前から発達段階に応じて計画的に身に付けられるように学校の教育活動全体に位置づけて重視するべきことだと思います。読み書きや計算などの知識・技能などの学力、運動能力など、試験やテストで計測しやすい認知的スキルも大切ですが、テストなどで数値化することが難しい非認知スキル、具体的には「やりぬく力」「意欲」「発想力」「コミュニケーション能力」といった力が社会に出ると仕事をする上で大事になってきます。皆さんも、ぜひ非認知スキルの向上を意識して高校生活を送ってください。なお、写真は本文と全く関係ありませんが、今朝の朝日に耀う校舎です。

自撮り棒の未来

 皆さんが、スマホで写真を撮るときに使う「自撮り棒」が世に出てから今年で40年になるそうです。これには、私も驚きました。私が20歳の時に自撮り棒があったとは、思いもしませんでした。もっとも、出た当時は、小型カメラ(しかもデジタルでなく、フィルム式)を付けるタイプだったので、広まりませんでしたから、ほとんどの人にとっては、スマホが普及してからできたというイメージが強いと思います。

 昔は、カメラは一家に1台であり、高価なものでした。個人で1台持つようになったのは、使い捨てカメラ(というより、リユースカメラ?)の「写ルンです」が出てからで、さらに小型デジタルカメラが普及してからです。カメラと言えば、自撮りするものではなく、例えば観光地などで近くの人に頼んで撮ってもらうのが普通でした。そのため近くに人がいないと、家族や友人と一緒に写ることができず、不便でした。また、昔のフィルム式カメラは、現像されて写真ができあがってこないとよく撮れているかどうかわからないので、できあがった写真を見てガッカリすることも珍しくありませんでした。今は、その場で確認できるのでいいですね。もっとも、予想以上にきれいに撮れていて感動することもなくなってしまいましたが。

 自撮り棒で写真を撮るという行為は、当の日本人が広めたというより、中国人観光客によって広められた節もあるようです。一人で自分を撮るのは恥ずかしいと思う人が日本人には多かったということでしょうか。

 携帯電話にカメラがついて、SNSを誰もが使うようになって、いつでもどこでも写真を撮る文化が生まれました。「インスタ映え」という言葉も生まれました。また、現像代を気にせず何枚でも写真を撮れるようになったので、整理できずに大量の写真に埋もれるようになりました。写真一枚を撮る重み、写真そのものの重みが、昔より格段に軽くなったような気がするのは、私が歳を取ったせいでしょうね。たくさん写真を撮って、ベストの一枚を選び出す。現代では、それが当たり前だし、それでいいのかもしれません。最近は、スマホのカメラの進化で、自撮り棒を見かけることが少なくなりました。そのうち、スマホに超小型ドローンカメラがついてスマホで操縦して自撮りできるようになるかもしれませんね。

 今日は、自撮り棒からカメラと写真の話になりましたが、デジタル写真になって容易に編集・加工ができるようになったので、写真に騙されることも格段に多くなりました。卒業アルバムなどで編集できると都合がいい場合もありますが、撮影者、撮影日時、撮影場所が明確でない写真を安易に信じることがないように注意しましょう。もちろん、安易にSNSに写真をアップすることもしないように。一旦拡散したら回収できませんよ。

忘れてはならぬもの

 今日はバレンタインデーですが、その話題はさり気なく避けて101歳の現役最高齢のピアニスト室井摩耶子さんの言葉を紹介します。「私は突然101歳になったわけじゃなくて、一日一日を精一杯生きてきて今があります。だから過去や未来ではなく、今日というこの一日を大切にしたいんです。大切な一日に死ぬ準備なんてしていられないから、終活にも、まったく興味がないんです。」テレビでは80、90歳になっても元気なお年寄りの姿をよく見ますが、みんな一日一日を大切にして年を取ったなりに人生を楽しんでいるのだと思います。「年を取ると、生きるのが仕事」と言っていた人がいましたが、「生きるのが趣味」もいいんじゃないかなと思います。

 ナチスの強制収容所で瀕死のユダヤ人の少女が、「こんなにひどい目に遭わせてくれた運命に感謝している」とつぶやいたそうです。何不自由なく暮らしていた時には、これほどまで自分に向き合うことはなかったというのです。「ならぬもの十訓」の一番目に「忘れてはならぬもの…感謝」があります。あなたは、朝目覚めた時に「今日も生きている。ありがたい。」と思ったことがありますか。最近のトルコ地震で、既に1週間以上経過しているにも関わらず、瓦礫の中から子どもたちが救出されるのを見て思いました。

ビューティフルネーム

 1875年(明治8年)の今日2月13日は「平民苗字必称義務令」が出され、平民も苗字を名乗ることが義務づけられた日で「苗字制定記念日」となっています。「苗字帯刀」は、江戸時代は貴族と武士の特権でしたが、1870年(明治3年)9月19日、平民が苗字を名乗ることを許可する「平民苗字許可令」が出され、この日は「苗字の日」となっています。ところが、そのころはまだ、明治新政府は国民に信用されていなかったので、苗字を付けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、苗字をつける人はなかなか増えませんでした。それで「平民も必ず姓を称し、不詳のものは新たにつけるように」と「平民苗字必称義務令」が制定されたのです。日本は世界の中でも苗字の数が多い国で約27万あるそうですが、明治以降に爆発的に増えました。変わった苗字が多いのもそのせいです。苗字を新しくつける(考える?)苦心談も残っています。「小鳥遊」(たかなし)や「春夏冬」(あきなし)、四月一日(わたぬき)、「神風」、「日本」など珍しい苗字はたくさんあります。だから、教員を長年やっていても初めて見る苗字や、読めない苗字はたくさんあります。近年は、それに加えて名前も読めないものが増えてきました。ちなみに、世界で一番苗字が多い国はアメリカで約150万種類あるそうです。移民の国なので世界中の苗字が集まっているのだから当然かもしれません。逆に、お隣の中国は約4000種類、韓国は約250種類と多くはありません。サッカーワールドカップで、韓国代表のゴールキーパーとディフェンダーの全員がキムという苗字で話題になりましたが、韓国では5人に1人がキムさんらしいですね。名前は、人間のアイデンティティですから大事にしたいですね。小学校で、自分の名前には親のどんな願いが込められているのかを聴き取りしてくるという宿題があるところも多いようです。皆さんは、自分の苗字と名前の意味や由来を知っていますか?

走れ!手品師

 「道徳」って、皆さんはどんなイメージをもっていますか?小中学校では、どんな教材で教わりましたか?先日見たYouTubeで、道徳の授業についての相談に答えるものがありました。それは「手品師」という教材についてでした。内容を簡単に紹介します。
 あるところに腕は良いがその日のパンも買うのもやっとというありさまの貧しい手品師がいた。彼は大ステージを夢見て日々腕を磨いていた。ある日、町を歩いていると小さなしょんぼりとした男の子に出会った。声をかけるとその少年は父親が死んだ後、母親が働きにでてずっと帰ってこないので寂しがっているとのこと。そこで手品師は手品を見せて喜ばせたところ、大喜びしたその少年から「明日も来てくれるか」と問われ「必ず来る」と約束して別れた。その夜、手品師のところに仲のよい友人から電話がかかってきた。その内容は、明日の大劇場で手品が催されるが、予定した手品師が急病のため代行者を探しているというものであり、友人はこの手品師を推薦したという。彼は考える。手品師として世間に認められる千載一遇のチャンスではあるが、そのためには今夜出発しなければならない。だが、明日は少年と交わした約束がある。しばしの葛藤の末、手品師は友人にこう答える。「せっかくだが先約があるので明日は行けない。」そして手品師は次の日、大劇場ではなく一人の観客のまえで手品を演じるのであった。
 皆さん、授業でやった記憶がありますか?私は覚えていました。この話の道徳的価値とは何だか、わかりますよね。そう「約束」です。約束を守らない人は信用されません。社会人になれば、なおさらですが、子どもや学生なら許されるというわけではありません。有名な「走れメロス」も約束がテーマですね。高校生の皆さんなら小学生に、この「手品師」の教材を使って、どんな授業をしますか?先生が誘導したい解答ではなく、手品師が少年との約束を守らず、大劇場に行くほうを選んだとしたら、そこにどんな道徳的価値を見いだしますか。実は、この話にはもう一つの約束が隠されているというのです。これは、何か夢を叶えようとするすべての人に共通した約束です。考えてみてください。社会に出ると、学校で勉強するような正解のある問題はありません。人と協働して、最適解を探すのみです。すっきりしない、モヤっとするからこそ、終わりのない勉強が続けられるとも言えます。一方的に教えられたものは忘れてしまうことが多いですが、自分で気付いたことは忘れません。気付くためには、答えをすぐ教えてもらうのではなく悩みながら自分の頭でよく考えることが必要です。この「手品師」の話を道徳について考えられるように、大劇場へ行く話に書き直してもらうとしたら、あなたはどのように書きますか?

医学部出て漫画家

 以前に「河童忌」や「桜桃忌」など文豪が亡くなった日について書いたことがありましたが、1989年(平成元年)の今日は、漫画家の手塚治虫が60歳で亡くなった日で、「治虫忌」とも呼ばれ、「漫画の日」となっています。また、1841年(天保12年)の7月17日も、イギリスの絵入り風刺週刊誌『パンチ』が発刊されたとして「漫画の日」とされています。日本史の教科書や図説に載っているので見たことがある人も多いと思います。そして、なんともう1日「まんがの日」があります。国民の祝日「文化の日」と手塚治虫の誕生日に由来して11月3日は「まんがの日」です。手塚治虫は、存命中から「漫画の神様」と称され、代表作に『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『火の鳥』『ブッダ』『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『アドルフに告ぐ』などがあります。皆さんは、読んだことがあるでしょうか。『ブッダ』『ブラック・ジャック』『アドルフに告ぐ』などは、学校や公立の図書館に置いてあるところも多いと思います。

 昭和46年(1971年)から少年ジャンプで少年向けストーリー漫画の新人募集企画として「手塚賞」が開催されています。多くの漫画家を排出していますが、知名度が高いのは、『ONE PIECE』の尾田栄一郎氏、『SLAM DUNK』の井上雄彦氏でしょうか。漫画家を目指している人は、たくさんいるでしょうし、ウェブコミックの隆盛で漫画家の数も昔とは比較にならないほど増えています。しかし、その中で漫画家として生活していける人は、ほんの一握りです。ミュージシャンと同じく厳しい世界です。ストーリーを考え、キャラクターを設定し、絵コンテを描き、下書きをし、ペン入れをし、トーンを貼り、背景を描き、ホワイトを入れて完成まで、小説家と画家、映画監督を一人でこなすようなものです。今はデジタルで作成している人が多いでしょうから、昔よりは修正が楽になっていると思いますが。ですから、『君の名は。』で全国的に有名になった新海誠さんはすごいです。なにしろ、彼が2002年に発表した、約25分のフルデジタルアニメーションの短編『ほしのこえ』は約8ヵ月間部屋にこもりながら、 監督・脚本・演出・作画・美術・3DCG・撮影・編集・声の出演とほとんどの作業を1人でこなし、自宅のパソコンを使って作り上げたものだからです。売れている漫画家は例外なく読書家であり、映画を多く見ているそうですが、つまり面白い話と構成・構図を考えるためには、勉強し続けること、新しい情報を仕入れ、色々な体験をすること、感性を磨くことが必要不可欠だということです。一発屋はミュージシャンだけでなく漫画家にも多いです。それくらい、面白い漫画を作り続けることは非常に困難だということです。スポーツ選手や絵や音楽などの表現者になるには、才能と努力が必要です。好きなことを職業にできることは、非常に幸せなことですが、苦しむことも多々あります。それでも一度きりの人生ですから、覚悟を決めてチャレンジするのもありですね。「医者は生活の安定を約束していた。しかし、僕は画が描きたかったのだ。」という言葉を手塚治虫は残しています。「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがよい」という意味の言葉を世界の優れた先人たちが残してくれています。あなたは、どうしますか?

〇〇バイアスの打破!

 日本教育新聞の「管理職の独り言」という連載コラムに、「学校バイアスを見直す」というテーマの文がありました。バイアスとは、簡単に言うと「思い込み」です。バイアスと言えば東日本大震災などの災害時にテレビなどで解説される「そんな災害は起こらないであろう」と考えて判断を誤る正常性バイアスと、「他の人も逃げていないから、まだ大丈夫」と考えて逃げ遅れる同調性バイアスが有名ですね。タイトルの「学校バイアス」には、「生徒は学校行事が好き(特に体育的)」や「校則を緩めると学校が荒れる」などがあるそうです(筆者の考えでは)。スポーツが苦手な筆者は、句会や茶会や読書会とかやってくれないかな…と思えど叶わなかったそうです。体育的行事にしろ、音楽的行事にしろ、旅行的行事にしろ、苦手な生徒が一定数いることは否定できません。筆者は中学校長ですが、生徒に「みんなが楽しめる」というコンセプトを伝え、企画を考えさせると、「学校の大人のバイアス」を壊すアイデアが次々出てきたそうです。

 皆さんなら、どんな学校行事もしくはクラス行事を考えますか。もちろん、どんな教育的意義や効果があるかを説明できなければいけませんよ。学校生活は、主に授業・学校行事・委員会活動・HR活動・部活動で成り立っていますが、楽しく意義あるものにするには、〇〇バイアスを疑って、自分の頭で考え、みんなで対話することが大事です。近年、話題になっている「女性は理数系が苦手」もバイアスですね。

未来の、そして現在の太東生へ

 本日、高校入試の前期選抜の入学願書の受付が終了しました。明日の朝刊で各校の志願状況が判明します。自分が受ける高校の志願倍率が気になっている受検生もたくさんいると思います。本校を志願してくれている受検生の皆さん、今まで培った力を十二分に発揮できるように、万全の体調で来週の本番に臨んでください。後期選抜はないものと考え、背水の陣で自分の力を目いっぱい引きずりだそうという心構えで取り組んでください。それが、今後に生きてきます。検査室に入るまで、自分は伸びると信じて、あと5日間を頑張って過ごしてください。受検当日、問題用紙を開くときに、「多くの仲間に支えられ、ずっと励まし合ってやってきた」そして、「自分は一人じゃないんだ」と思えることで、より力が発揮できると思います。皆さんが、試験終了後に「力を出し切った」と晴れ晴れとした顔で帰路につけるように願っています。3年次生の皆さんも、受験真っ只中で頑張っていると思います。未来の、そして現在の太東生、「ガンバレ!」

人間っていいな~♪

 2月6日は、「ブ(2)ロ(6)グ」と読む語呂合わせからブログの日だそうです。「WebをLog(記録)する」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになりました。私が書いているこれは、「つぶやき」となっていますが140文字以内のものは一つもありませんでした。看板に偽りありなので、途中で変えたほうがよかったですね。A4用紙両面に収まる量になったら「校長ブログ通信」として印刷して各クラス1枚配付しているので、名前はそのほうがいいかなと思います。

 それと、今日は風呂の日でもあります。意外なことに、記念日として認定されたのは、2016年(平成28年)で、まだ7年しか経っていません。10数年前に「テルマエ・ロマエ」(ラテン語でローマの浴場の意味)という古代ローマ時代の浴場と、現代日本の風呂をテーマとした漫画がヒットし、阿部寛主演で映画にもなりました。現代日本にタイムスリップした古代ローマ人の浴場設計技師が、日本の風呂文化にカルチャーショックを覚え、古代ローマと現代日本を行ったり来たりして、日本の風呂のアイデアをローマの浴場設計に生かして成功します。風呂の文化は日本の専売特許ではありませんが、日本の風呂や温泉の文化は世界に誇れるものだと思います。子どものころは親と温泉に行っても面白くもなんともありませんでしたが、年を取って体のあちこちが痛くなってくると、「温泉に行きたい~」と思うようになります。群馬県は、草津温泉を始めとして、いい温泉がたくさんあります。スキーと温泉のセットは最強だと個人的には思っています。ぜひ、皆さんも卒業したら他の都道府県の友達を誘って群馬の温泉巡りをしてみてください。風呂と言えば、銭湯についてもふれなければ、と思いましたが、長くなってしまいますので10月10日の銭湯の日にとっておきたいと思います。

 最後に「こたつは一丁たきび三丁風呂八丁」という諺を紹介します。こたつのぬくもりは一丁まで、たきびは三丁まで、風呂のぬくもりは八丁まで体のしんまで暖めてくれる。風呂に入れる喜びと感謝を意味します。まんが日本昔ばなしのエンディング「人間っていいな」の歌詞に「みんなでなかよくポチャポチャおふろ」というのがありますが、お風呂に入れることを当たり前と思わずに、お風呂に使える水があること、お湯を沸かせる灯油や電気があることに感謝して「あ~気持ちいい~」とつぶやきつつ、水とエネルギーを節約して入りましょう。

福、呼び込みたいですか?

 今日は節分ですね。節分といえば普通は2月3日のことを指しますが、もともとは季節の始まりである立春(2月4日頃)・立夏(5月5日頃)・立秋(8月7日頃)・立冬(11月7日頃)の前日を指す言葉です。節分は、季節を分けるという意味でもあるんですね。節分は、旧暦の立春が新年であったため、その前の日に邪気を払う目的で始まったのだそうです。 年の変わり目に邪気を払い、1年の無病息災を願って豆まきをしたり、恵方巻やイワシを食べたりするのが風習として今も残っているのです。

 私が子どものころは、節分には雪が降ることが多かった記憶がありますが、温暖化のせいなのか雪自体が最近は降りませんね。今日は「のり巻きの日」(1987制定)「巻きずしの日」(2011制定)でもあるそうですが、節分と「恵方巻」がセットになっているようですね。バレンタインデーやホワイトデー、ハロウィン、「いい夫婦の日」「孫の日」などと同様に、業界の戦略がまんまと当たったようです。恵方巻きは、江戸時代から明治時代にかけての大阪で、商売繁盛を祈ったりしたのが発祥といわれています。節分の日に巻寿司を恵方(その年の縁起のよい方向)に向かって丸かぶりすると幸福が訪れると言われていることから記念日を制定しました。1989年に、某コンビニエンスチェーンが広島県で太巻きを売りだした際に、「恵方巻き」と名前をつけ、販売を始めたというのが、全国に広まるきっかけだったようです。私の実感としては、我が家で恵方巻を食べるようになったのは、ここ10年くらいからだったような気がしますが、正確にはわかりません。ここ数年、帰宅時に恵方巻難民になって買うのに苦労していますが、今年は買うかどうか悩んでいます。

 皆さんの家では、豆まきをしているでしょうか。我が家では、毎年4人で豆まきをしています。もう27年目になります。鬼役は私で、鬼のお面をかぶって豆をぶつけられて玄関とリビングから追い出されています。「鬼は外、鬼は外、福は内」と豆(煎った大豆)をまいて、邪気を祓った後に、年齢の数だけ豆を食べて、1年間の幸せを祈る行事ですが、さすがに60個の味付けのない豆を食べるのは、きついですね。 豆には米と同じようにエネルギー源として霊力が宿っていると考えられていたから、食べるようです。

 これからどんどんAIが発達して世の中が変化しても、日本の伝統行事にはどんな意味があるかを知ることは、大切なことだと思います。国際化とかグローバル化とか言われるようになって久しいですが、自国のことをよく知っていることが前提なのを忘れないでください。鬼についても書きたかったのですが、字数が増えてしまったので、別の機会にします。

おわれて見たのは?

 今日は「おんぶの日」だそうです。昔の写真を見ると、赤ん坊の時に親におんぶされているものがありましたが、記憶にはありません。自分の娘二人もおんぶした記憶がなく、抱っこでした。あとは肩車ですね。おんぶというと、世界的に有名な日本のテレビドラマ「おしん」が頭に浮かびます。昔は赤ちゃんをおんぶして家事や仕事をしている女性が多かったですね。今は抱っこのほうが顔が見られて安心なのかもしれません。

 唱歌「赤とんぼ」の歌詞に「おわれてみたのはいつの日か」とありますが、小学校の時は「追われて」と勘違いしていて、「赤とんぼの大群に追われて夕日を見たのか」ととんでもないバカな解釈をしていました。「背中に負われて」つまり「おんぶされて」が正しいわけです。歌詞の意味を間違えていることって少なくないと思いますが、皆さんはどうですか。日本語には、同音異義語がたくさんありますので、それも原因の一つですね。日本には、ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字・外来語とたくさんあって難しいから、全部ローマ字にしようという動きが明治以後にあり、日本語の表記法として正式に採用しようとする「国字ローマ字化運動」と呼ばれました。そんなことになったら、とんでもなく不便になったと思います。豊かな日本文化を形成している土台は日本語ですので、多様な表現がなくなってしまうところでした。例えば「私」「わたし」「ワタシ」で同じ意味の言葉なのにニュアンスが違うので使われる場面も違ってきます。

 「おんぶ」の話から逸れてしまいましたが、「おんぶに抱っこ」で「他人の好意に甘えて、迷惑をも顧みずに頼りきること」を意味します。される側でなく、する側になりたいものですが、人生は帳尻が合うようにできているので、いつかはされる側になる可能性が高いです。人を頼れることも大事ですが、自分でできることを増やす努力はしていきましょう。

ロボット考(後編)

 さて、今日は昨日の続きということで、現実のロボットと今後のロボットについて書きたいと思います。現在、身近なところでロボットというと、SONYのペット型ロボットaibo、ホンダのASIMO、ソフトバンクのPepper、お掃除ロボットのルンバなどが有名ですね。自動車業界を筆頭に工業用ロボットは、日本全国で活躍しています。スバルの工場見学で見た人も多いと思います。今は、調理用ロボットの開発も進んでいて、近い将来、自宅でロボットが料理を作ってくれる日も来そうです。介護用ロボットも開発が進んでいます。介護は体力勝負で腰を痛めやすいので、少ない力で人を移動できるパワースーツの開発が行われていますが、まだ実用化には課題があるようです。家電がしゃべるようになって久しいですが、翻訳機の進化も著しいので世界中に旅しても、人間同士のコミュニケーションだけでなくロボットとの意思疎通もできるようになるのでしょう。ここまでだとロボットの発達でバラ色の未来が広がっているように思われますが、実は大きな問題もあるようです。SF作家アイザック・モシエルによって書かれた「ロボット三原則」というものがあります。それは、

第1条:ロボットは人間に危害を与えてはならない。 ...

第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。 ...

第3条:ロボットは前掲第1条及び第2条に反する恐れがない限り、自己を守らなければならない。というものです。

石ノ森章太郎先生の「人造人間キカイダー」では、機械が自らの意志で善悪を判別し、その場において最善の行動をとる事を可能とする良心回路が組み込まれていました。それが不完全だったためにキカイダーは苦しむわけですが、より人間に近いわけです。ターミネーターなどでは未来の地球で人間とロボットの戦争が描かれています。「ロボット三原則」に則ってロボットが作られていれば、そんなことにはならないはずですが、兵器としてロボットを作るようになれば、原則は無視されるのは、火を見るよりも明らかです。

 現在、自動車の自動運転技術が進んで、テレビで盛んに宣伝されていますが、完全自動運転には重大な障壁があるようです。以前に倫理に関するもので「トロッコ問題」について書きました。暴走トロッコをポイント切り替えで、5人と一人のどちらを助けるかの判断です。これと本質的には一緒ですが、自動運転の車に対向車が迫り、ハンドルを切らねば正面衝突するシチュエーションで、右には幼稚園児、左にはお年寄りがいた場合、判断を機械に委ねられるのかという問題です。もちろん、残酷ですが年齢の若いほうを助けるというふうにプログラミングされているとしても、実際の年齢はわかりませんし、他人か自分の身内かという選択も考えられます。機械に判断を委ねると、機械を作ったメーカーに損害賠償が求められることになってしまうので、最後の判断は人間がしなくてはならないようにセッティングされると考えられます。ですから、車の人工知能から「どちらによけますか?」と聞かれて躊躇しているうちに正面衝突して自分が死ぬということもありえます。ロボットが発達して、人間が肉体労働から解放されて筋力が衰えたため、外骨格となるようなスーツを人類が着ている未来を描いたSFがありましたが、考える、判断するということまで機械に委ねるようになると人間の存在価値はどうなるのでしょうか。「人間は考える葦である」とパスカルは言いましたが、人間が人間であるために、どんなにロボットが日常生活に入ってこようとも、自分で考える力というのを培う努力を怠ってはいけないと思います。皆さんも、本校での生活中はもちろん、卒業後も「思考・判断・表現力」を磨き続ける努力をしてください。