日誌

2023年5月の記事一覧

黒板と板書に関する考察

 今日5月9日は、黒板の日だそうです。全国黒板工業連盟が、創立50周年を記念して2000年に制定し、翌年から実施しているそうです。語呂合わせと、アメリカから黒板が初めて輸入されたのが1872年5月頃だということから5月9日となったそうです。黒板の名前は、もちろん英語の「blackboard」に由来しますが、緑色なのになぜ?と思いますよね。当時の国産品の黒板は、木の板に墨汁を塗った上に柿渋を上塗りしたものや、漆を塗ったものが作られていて、文字通り黒板だったようです。その後、チョークの白い文字を見るのは、緑色のほうが目が疲れないなどの理由から、1954年に日本工業規格(JIS規格)の規定により、黒板の色は黒色から緑色に変更されたそうです。現在は、ホワイトボードが全教室に整備されている学校もあります。チョークとホワイトボード用のペンのどちらがいいかは、個人の好みによるでしょうが、チョークは粉で指が荒れるのが難点でした。そのためコーティングしてあるチョークもあります。指を汚したくない人のためにチョークホルダーなるものも販売されていますが、これも個人の好みによって評価が分かれます。書き味が、チョークで黒板に書く場合と、ホワイトボードに書く場合では随分と異なります。チョークのほうが手の力がいるので、たくさん書くと疲れます。指の力は鍛えられますけどね(笑)
 戦後、焼け野原で学校が再開したときは、青空教室と呼ばれましたが、もちろん黒板はありませんでした。昔、研修で先生方に黒板がなかったらどんな授業をしますかと問いかけたことがあります。皆さんは、黒板を使わない授業は想像できますか?もちろんパソコンもプロジェクタもありませんよ。プロジェクタで色々なものが映せるようになったことで、板書の役割も変わってきました。1時間の授業が終わった時、板書を見れば授業での思考の流れと重要事項がわかるようになっているかが大事です。あらかじめノートに書いてあることを板書するなら、ノートに貼れるようにプリントしたものを配付したほうがよいのではないかとは思いませんか。板書する時間と生徒が写す時間が節約できて、生徒の「思考・判断・表現力」を高める学習活動の時間がとれるのではないでしょうか。ICTを活用する一人1台パソコンの時代では、板書の意義は、授業のねらいを理解してもらい、見通しをもたせ、問いに対して授業の中で出てきた意見の整理とさらなる深化の視覚化と共有を図ることではないかと思います。これらをパソコンの画面で各自が見るのと、黒板を全員が前を向いて見るのとでは違います。パソコンの画面を見ていると生徒の表情が見られませんからね。生徒の表情を授業中に確認することは大事です。それでは限られた学習時間を、どんな学習活動に費やすのが「知識・技能」「思考・判断・表現力」を高めるのに有効なのか、皆さんも自分の学習を見直してみてください。

※下の黒板アートは、数年前に妻が勤めていた小学校の卒業式前日に、担任した6年生のクラスの黒板に娘二人と協働して描いたものです。

生きている or 生かされている

 GWも終わり、今週は高校総体ウィークです。皆さんは、どんなGWを過ごしたでしょうか。

 今日からコロナが5類感染症に移行しましたが、今後はコロナ感染が珍しいことになってくれればありがたいですね。我が家はコロナの影響(後遺症?)か、3人がGW中も体調不良だったため外出はほとんどしませんでしたが、5日の本校吹奏楽部の定期演奏会は行かせていただきました。本校の先生方や生徒がたくさん来てくれていて、チアリーディング部とフラ同好会の応援もあり、来場していただいた多くのお客様に楽しんでもらえたと思います。テーマの「日幸」にふさわしい演奏会になりました。それと4日に義父母の墓参りに行ってきました。昨年も5月3日のブログで書いていますが、菩提寺に二つの掲示板があり、そこに言葉が書かれた紙が貼ってあります。少なくとも月毎に変わっていると思いますが、昨年は「すぐやる 必ずやる できるまでやる」「なりたい自分になるのに 遅すぎるということはない」でした。今年は「何のために生きているのかだと行き詰る 何のために生かされているのか考えると やるべきことが見えてくる」「人生はご恩返し」でした。以前に、私たちは何か大きな力によって生かされているのではないか。それが「神」かどうかは別として。というようなことを書いた記憶があります。人間の生死には、運不運がつきまとうと思います。神風特攻隊で生き残った人が、「仲間はみんな死んでしまった。俺だけ、なぜ生き残ったのか」と嘆き、「何か理由があって生かされたのなら、それを考えて生きていこう」と思ったそうです。自分が生きている不思議なんて、普段は考えもしないことですが、心の持ち方ひとつで生き方は変えられるかもしれません。「生きているのが当たり前」と思うか、「生かされている奇跡」を感じるか。4月27日のブログ「哲学ってホント・・・」で「どう生きるべきか」という問いを取り上げましたが、ソクラテスの言葉と伝えられる「善く生きる」の意味を考えてみてください。ちなみにBenesse(ベネッセ)はラテン語の造語で「よく生きる」という意味です。

八十八夜

 今日は「お茶の日」だそうで、茶摘みの最盛期である「八十八夜」に当たる日を公益社団法人・日本茶業中央会が制定しました。「立春」から数えて88日目となる八十八夜は、年によって日付が変わり、近年では5月1日または5月2日となっています。今年は5月2日です。同会では国民の祝日「昭和の日」の4月29日から「こどもの日」の5月5日までの一週間を「緑茶の週間」としていて、全国的に茶摘み体験や新茶の試飲会など緑茶・日本茶に関するイベントが開催されているそうです。古くから「仙薬」と称されるほど八十八夜の新茶は栄養価が高いといわれているそうですが、「茶摘(ちゃつみ)」という歌を皆さんは、学校で習ったでしょうか。歌えますか。

夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る 

あれに見えるは茶摘みじゃないか 茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠

 皆さんは、普段普通にペットボトルでお茶を飲んでいると思いますが、昔はお茶は自宅でいれて飲むもので、缶やペットボトルで買って飲むようなものではありませんでした。コンビニのおむすびが普通になったように、缶やペットボトルのお茶を買って飲むのもごく普通になっています。伊藤園が缶の中に窒素ガスを噴射し酸素を追い出す方法により、茶の主成分カテキンの酸化を抑えて自然のままの味わいで製品化することに成功したことで、1980年に缶入りウーロン茶を開発したのを皮切りに、1985年には缶入り煎茶が発売され、1990年代後半にはペットボトルが普及して、さらにアウトドアで飲まれるようになりました。

 今年は、卒業生の記念になればと思って、伊藤園の卒業生へメッセージ付きオリジナルお~いお茶プレゼントに応募し卒業生分のお~いお茶が送られてきました。応募した学校から1校だけ、有村架純さんがサプライズで卒業式に来てもらえるという企画でしたが、そちらは流石に当たりませんでした。来年も同じ企画があれば応募したいと思います。

令和と皐月

 今日は、新しい元号「令和」が始まった日ですね。「令和」は「大化」以降248番目の元号ですが、元号は天皇の御代を意識させるものです。天皇の代替わりごとに元号が変わる「一世一元の制」が定められたのは明治からですが、それ以前は1代で何回も改元したり、数代の間1つの元号で通したりといったこともありました。これまでの改元時とは異なり、コンピュータが生活のあらゆる場所で影響を及ぼしている現在、新元号への対応準備の期間を確保する必要がありました。西暦だけなら問題なかったのでしょうが、2000年問題の騒ぎが思い出されます。憲政史上初めて新元号が改元の一ヵ月前となる2019年(平成31年)4月1日に「事前公表」されたのです。

 さて、今日から5月ですが、すっかり木々の若葉の緑が目に染みる季節になりました。5月は旧暦では「皐月」、英語では「MAY」です。ここでピンときた人は、「となりのトトロ」が好きな人ですね。そう、主人公の姉妹は「さつき」と「メイ」です。旧暦の月で女の子の名前に使われているのは「やよい」「さつき」「はづき」くらいで、英語は「メイ」以外見当たりません。最初は姉妹ではなく、女の子一人だったらしいですが、真偽のほどはわかりません。5月が若葉、青葉の季節であり、トトロの世界に合っていた季節なので、つけられたかどうかも不明です。旧暦では、4月から6月が「夏」になります。このため、5月である「皐月」が、夏の真ん中の月で田植の月という意味の早苗月(さなえづき)が省略されて「さつき」になったという説があります。ですから、「五月晴れ」は、もともとは「梅雨の晴れ間」のことです。ただ、現在は「5月のさわやかな晴れ」を指す言葉としても使われています。トトロの映画の中で、雨が降っているバス停で、隣にトトロが立っているシーンが思い浮かびます。高校総体が、「五月晴れ」の中でできることを祈っています。

※ちなみに、同じように誤解されやすいのが「小春日和」ですが、こちらは「晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天の日」を指します。