日誌

2023年9月の記事一覧

汚名返上!

 今朝は、7時45分からマナーアップ運動を実施しました。韮川駅から学校までの通学路と南から自転車で通学する生徒の通学路で保護者の方と先生方に、生徒の通学時の交通ルールの遵守とマナーについて観察してもらいました。私が見ていた限りは、概ね良好でしたがイヤホンをしている生徒が何人か見受けられました。周囲の音が聞こえないと危険を察知するのが遅れますので、イヤホンはしないようにしてください。

 今朝の上毛新聞に、自転車乗車中のヘルメット着用が努力義務化されてから初めての着用率の調査結果が警察庁により発表されたとの記事が載っていました。それによると群馬県は43.8%で、都道府県別で第3位だそうです。全国平均は13.5%だったそうなので、大変好成績でした。群馬県は2021年4月に、条例で全国に先駆けて努力義務化しました。その効果が出ていると言えます。ただ、自転車の安全利用推進委員会が2023年9月7日に発表した、2022年の全国都道府県別、中高生の通学時における自転車事故発生件数についての調査・分析結果によれば、2021年に比べ、中学生はやや増加、高校生は減少したものの、中高生ともにワースト1位の都道府県は「群馬県」でした。不名誉な記録ですので、県一丸となって努力しているわけです。自転車乗用中の交通事故で亡くなられた方は、約6割が頭部に致命傷を負っており、ヘルメットを着用していなかった方の致死率(死傷者のうち死者の割合)は、着用者に比べ約2倍も高くなっていることがわかっています(警察庁)。まだ、ヘルメット着用が習慣になっていない生徒の皆さん、「ヘルメットをしておけばよかった」と思った時は手遅れです。自分の命を守るためにヘルメットを着用しましょう。これから気温が低くなってきて、夏より着用しやすくなるので、ヘルメットを着用する習慣付けのチャンスですよ。

皆さんの土台は?

 今日は、最近の教育冊子や教育新聞で読んだ記事を元に皆さんに考えてほしいことを書きます。

 まず、コロナ禍で一人一台パソコンが教育現場で一気に進み、ICT活用が勧められている現在の日本ですが、効果とともにもちろん課題も出てきています。次の①②の記事を読んでみてください。

①佐藤学(東京大学名誉教授)によれば、PISA委員会によるOECD加盟29か国を対象とする調査報告(2015)によると、教室でのコンピュータ利用時間が長ければ長いほど学力が低下する結果を示している。アメリカに本社を置く大手コンサルティング会社であるマッキンゼー・アンド・カンパニーが2018年に51か国34万人の生徒を調査した報告(2020)では、教室のコンピュータは教師一人が活用するときにのみ若干の効果(プロジェクターとしての活用は効果)があり、一人一台使う場合最もダメージが大きい(アジア諸国でダメージが最も大きい)。 

②フィンランドは、欧州のデジタル経済・社会指数を示す「DES1」ランキング(2022)で1位を獲得したデジタル強国であるが、ノートとペンでじっくり取り組む時間が減り、画面上で次々とページをスクロールする作業が増えた。すると、子どもたちの集中力や忍耐力が低下した。教員らは、デジタルの過度な使用と集中力の低下に明確な因果関係があるとし、「人間の深い思考力が奪われている」と強い危機感を抱いている。

①②の記事を読んで、皆さんの反応は「え~っ!本当?」「そうだろうな!」のどちらでしたか。このブログには立場上なかなか書けないことも多いのですが、もし①が本当ならば、現在のGIGAスクール構想を見直さなければならなくなります。ただ、しっかり判断できるだけのデータが示されていないので、これらの記事だけではわからないというのが正直な感想です。こうした政策に関する記事を読んだ時に、利益を得るのは誰なのかという観点から考えることも重要です。歴史では、戦争の大義名分と本音(誰が利益を得るのか)を考えないと、戦争を防ぐためにどうしたらよいかを考えることができません。何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですので、ICT活用も他の活動とのバランスをとることが大事で、「特に義務教育においては慎重であるべきだ」とまとめてしまうのは簡単なのですが、皆さんはどう考えますか。それでは、次の③④の記事を読んでみてください。

③「『教育七五三』の現場から」(瀧井宏臣著)が刊行されたのは平成20年。同書は副題などで授業の内容を理解できない子どもの割合は、小学校3割、中学校5割、高校7割と指摘している。哲学者ホワイトヘッドは「あまりに多くのことを教えることなかれ。しかし、教えるべきことは徹底して教えるべし」と基礎・基本の重要性を説明している。

④「成長を欲する者は、まず根を確かにおろさなくてはならぬ」「上にのびる事のみ欲するな。まず下に食い入ることを努めよ」(『偶像再興』和辻哲郎) 確かな読み書きの能力は、思考や学習の基盤であり、個々人の一生を支える土台である。国語教育者大村はま先生は、卒業式で、「若い時は別れが悲しくて涙したが、後年には、これから世に出ていく子どもたち一人ひとりに、本当に確かな力を身に付けさせてやることができたか」という自責の念に駆られ、悔恨の涙に暮れたという。

 1学期に高校3年間で身に付けたい力について、皆さんにアンケートを採りましたが、それは中学校までに身に付けた力を土台にします。基礎・基本の重視は、教育界では当たり前のことですが、9月8日のブログで書いた「読み書き」が正にそれで、それがしっかり身につかないまま進級したり進学したりすれば、土台がしっかりしていないところに家を建てることになります。必然的に大きな家は建てられなくなります。

 コンピュータの進化によって、私が高校生だった頃と比較すると、世の中は大きく変わりました。これからも加速度的に変わっていくことでしょう。ただ、漫画や小説などで理想として描かれる世界連邦や国境のなくなった世界の実現は、宇宙人という黒船でも来ない限り、夢まぼろしのままかもしれません。日本という枠組みは続きます。ですから、母語をしっかりと身に付けることが、自分を大きくするための土台であることを自覚して、学習してください。日本語は、日本人としてのアイデンティティを形成している大事なものですから。

我が生涯に、一片の悔いなし!!!

 最近は、「今日は何の日」に頼ることが多くなってしまいましたが、本当に色々な記念日があるなぁと興味深く「雑学ネタ帳」を読んでいます。そして、今日は驚きました。まさか、漫画『北斗の拳』の日があるとは思いませんでした。記念日は2018年(平成30年)に認定・登録されたので、かなり新しい部類です。『北斗の拳』は『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載されていたバイオレンスアクションマンガです。1983年(昭和58年)9月13日から連載が始まりました。その時の私は20歳で、文中のイラストを描きました。今年2023年に『北斗の拳』は連載開始から40周年を迎えました。本校が開校して1年後に連載が始まったわけですね。

  『北斗の拳』は最終戦争後の199X年の暴力が支配する弱肉強食の世界を舞台とし、一子相伝の伝説の暗殺拳「北斗神拳」の伝承者であり胸に北斗七星の傷をもつケンシロウの生き様を描き、今なお人気があるマンガです。拳をくりだす時の「あたたたたっ!」や敵が体の内部から破壊されて死ぬ時の「ひでぶっ」「あべしっ」などの特徴ある声や「経絡秘孔の〇〇を突いた。お前はもう死んでいる!」というケンシロウの決め台詞は有名です。「キャプテン翼」や「スラムダンク」ほどではありませんが、このマンガもまた、『週刊少年ジャンプ』(集英社)掲載漫画に必要な三大原則として語られることが多い「友情・努力・勝利」の要素を満たしています。「キャプテン翼」や「スラムダンク」を読んでサッカーやバスケを始めた子どもはたくさんいて、現在プロの選手にも多くいます。漫画のもつ影響力は、日本だけでなく世界に拡大しています。様々な職業について描かれていますし、人生について考えさせられる漫画もあります。部活動や受験について描かれた漫画も多いです。ジャズのサックス奏者を主人公にした漫画で、脇役のウッドベーシストが、「いいミュージシャンかどうかは、もう一度聴きたくなるかどうかだ。うまいだけのミュージシャンには用がない。」と言っていましたが、漫画や小説にも同じことが言えると思います。繰り返し読みたいと思えるかどうかです。皆さんには、繰り返し読んだ小説や漫画はありますか。自分に影響を与えた言葉、心の中に大切にしまっている言葉はありますか。ちなみにタイトルの言葉は、ケンシロウの兄ラオウの言葉です。※イラストのPLOWは、北斗七星の意味ですが、あまり使われる単語ではありません。「Big Dipper」より収まりがいいのでこちらにした記憶があります。

苦しさ < 楽しさ

 今日は、マラソンの日です。マラソンの名前の由来と、42.195kmという中途半端な距離の理由は、以下のとおりです。ただし、真偽のほどは定かではなく諸説ありますので、御注意を。

 紀元前450年の9月12日、アテネのマラトンに上陸したペルシャの大軍をアテネの名将が撃退し、アテネの勝利を告げるために兵士が伝令となってアテネの城門まで走り、絶命したという故事があります。その故事から1896年にアテネで第1回オリンピックが開かれるに当たり、マラトンからアテネ競技場までの約40kmの競走が加えられ、初めての「マラソン競走」が行われたそうです。私も調べて驚いたのは、1920年の第7回オリンピックまでは距離の統一はされておらず、約40kmであればよいとされていたことです。そんないい加減なと普通は思いますよね。同じ距離を全員で走ればよいという認識だったようです。規格統一が検討されたのは、1924年の第8回パリオリンピックからで、その際に1908年の第4回ロンドンオリンピックのマラソン距離42.195kmが採用されて、現在に至るそうです。実は、当初41.843kmの予定だったのが、王妃がバルコニーから見物できるようにスタート地点を変えたため0.352km延びて42.195kmになったという説があります。

 私は、10kmを4回走ったことがあるだけで、マラソンを走ったことがないため、どれだけ苦しく大変かはわかりません。ただ、長距離走が自分のペースをわかった上で走らなければならないことや、苦しくて止まりたいという気持ちとの闘いではないか(個人差はあると思いますが)ということはわかります。心と体の忍耐力を同時に鍛えられるのが、マラソンなのではと考えます。交通事情の変化によりマラソン大会が実施されなくなった高校もありますが、マラソンに限らず同様な学校行事は少なからず必要ではないかと思います。忍耐力というのは一朝一夕に身につくものではなく、小さい時から少しずつ身に付けていくものです。アメリカでは肥満の子どもに運動してもらうために任天堂のwiiスポーツを取り入れているというニュースを昔見ました。苦しいだけでは長続きしないので背に腹は代えられないという思いで取り入れたのだと思いますが、苦しさよりほんの少し楽しさが勝るような活動がいいなと思います。2学期は、体育的行事として球技大会とマラソン大会がありますが、それぞれ何のためにやるのかを皆さん一人ひとりに考えてほしいです。

 今日は、また「ク(9)イ(1)ズ(2)」と読む語呂合わせから「クイズの日」でもあります。日本は、クイズ番組が人気があるので、昔からあったと思いきや2021年に認定されたばかりだそうです。

 クイズの魅力、面白さ、奥深さをさらに多くの人に知ってもらうのが目的だそうですが、子どもだとクイズより「なぞなぞ」のほうが身近かもしれません。知識があれば、すぐ答えられるものと考えないと答えられないものの二種類に分かれると思いますが、この記念日を提案した日本初のクイズの総合商社として知られる株式会社キュービックは、クイズを『「問い」と「答え」で構成されたコンテンツの総称』と定義しています。これからの皆さんに求められているのは、自ら「問い」を設定する力、課題を発見し、解決する方法を考える力です。この場合、答えは一つではありません。ですから、現実社会はクイズとは違います。多くの知識があったほうが、課題解決のために活用できる武器が増えるので、多いにこしたことはありません。逆に知識を活用して結びつけ、新たなものを創造できなければ、せっかく知識を身に付けても無駄になってしまいます。以前にも書きましたが、スマホやパソコンですぐ調べられるから覚えることは少なくていいというのは間違っています。様々な知識が自分の中にあって思いもしないところで結びつくからこそ、それらが反応して新たな考えが生まれるのです。クイズ番組を見るのでもいいので、考える習慣を増やし、インプットとアウトプットをバランスよく行い、脳の活性化を図ってください。苦しさより楽しさが勝るように勉強も部活も考えてやってください。

読み書きができるって幸せなんだよ!

 皆さんは、1800年代後半(江戸時代後期)の日本人の識字率が世界一だったことを知っていますか?当時の日本全体で50%くらい、江戸に限って言えばおそらく70%を超えていたのではと言われています。同じ頃のロンドンが20%ほどだと言われています。今日は、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)が制定した「国際識字デー」です。1990年(平成2年)は「国際識字年」でした。ユネスコでは、識字率を「日常生活の簡単な内容についての読み書きができる15歳以上の人口の割合」と定義づけています。1965年(昭和40年)の今日、イランのテヘランで開かれた世界文相会議でイランのパーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回すことを提案しました。「国際識字デー」はこれに由来し、世界の識字率の向上を目的としました。また、世界中の国や人々に識字の重要性を強調する日でもあります。この国際デーや国際年のような取組により世界の識字率は着実に向上していますが、世界には紛争や貧困、差別などが原因で、読み書きのできない人が約8億人いると言われています。そして、その3分の2が女性です。日本も昔は、女性には学問は必要ないと言われていた時代がありました。識字率が低い国はアフリカなどの開発途上国に集中しており、国の経済発展にも影響を及ぼしているのです。

 皆さんは、毎日当たり前のように日本語を読み書きしていますよね。それは小さい頃から、勉強できたからです。もし、読み書きができないとどうなるでしょうか。薬の注意書きが読めなかったら、様々な製品のマニュアルが読めなかったら、役所や学校等に提出しなければならない文書が読めなかったら、契約書が読めなかったら、申請書や申込書などに書けなかったら、カラオケで画面の歌詞が読めなかったら(笑)・・・、SNSも使えません。読み書きにもレベルがありますので、兵士が兵器のハイテク化についていけず、マニュアルが読めないので操作の仕方がわからなくて困っているという笑えない話もあります。「読む・書く」と「聞く・話す」は別物でしょうか。翻訳機がすごく進歩しているので、しっかり話すことができれば意思の疎通はできると思います。話すことができれば、音声認識ソフトで文章に起こすこともできます。文章を読み上げてくれるソフトもありますので、字が読めなくても済む時代がくるかもしれません。でも、それで大丈夫ですか。最初は、親が話すのを聞いて、まねてしゃべるようになります。そして、母語を使って「読む・書く」ことを通して脳が発達し「考える」力が養われると私は考えます。「聞く・話す・読む・書く」は段階的に身に付き、高度になっていくと考えます。国語の学習は、社会で生きる上でのすべての活動の基盤となるものですので、疎かにせずできるだけ高めるように取り組んでいきましょう。AIにとって代わられないように。