日誌

榎本校長のつぶやき

1、2、3で自立!?

 今日1月23日は、「ワン(1)ツー(2)スリー(3)」と読む語呂合わせから、そのまま「ワンツースリーの日」だそうです。人生に対してジャンプする気持ちを持とうとする日だそうです。昔、女性3人組のキャンディーズというアイドルがいました。人気絶頂の時に「私たち9月に解散します。普通の女の子に戻りたいんです!」と有名な引退宣言をしました。彼女らのシングル曲として最後にレコーディングされた曲が「微笑がえし」で、オリコンでは最初で最後の1位を獲得しました。その中には今までのヒット曲のタイトルがちりばめられ、サビでは「ワンツースリー」「イチニサン」「アンドゥトロワ」の掛け声が入っていました。最後は「それぞれの道 私たち 歩いて行くんですね」で終わっています。そんなわけで、少し強引ですが今日は「自立」について書いてみたいと思います。

 皆さんは「自立」ってどんな状態だと考えますか。誰かに頼らず一人で生きていけることですか?自由を手に入れるためには自立することが必要ですか?自立について、脳性まひがありながら医師として活躍する日本の研究者の熊谷晋一郎さんは、次のように言っています。「自立するとは、頼れる人を増やすことです。これは障害の有無に関わらず、すべての人に通ずる普遍的なことだと私は思います」つまり、自立とは、「一人ですべてをできるようになることではなく、自分で生活をするために、社会の中でコミュニケーションをとり、自分に必要なものや助けがあればそれを他者から受け取って、それを使って生きていくこと」ですね。完全な人間などいませんし、誰でも年を取れば不自由なところが出てきます。不自由になってしまった身体能力を補完するために器具や他人の力を借りることは、弱さでも依存でもなく、心の自立を守るために必要不可欠なことです。「生活的自立」「経済的自立」「精神的自立」が三大自立と言われますが、人間としての尊厳を守るために「精神的自立」が大切なのです。

 教師は教えるのが仕事ですが、教える側の強制によって学ぶ側の自立、自主性をどう育てていくかという矛盾に悩みながら生徒に接しています。子育てでは「初めは時間がかかるけれど、その時間がかかるときにこそ、子どもは育っているのだ」と、忍耐力が求められます。「ある期間を過ぎて、次第に子どもの自立が見られるようになると、そこからの展開は速い。この境地を体験できないと、いつまでも子どもは世話をしなければならないものだと思い続けることになる」ということです。何事もすぐにできるようになるなら先生などいらないのであって、子どもを自立に導くには、親と先生には忍耐強さが必要です。「教師の仕事は、生徒が教師を必要としないようにすること」「教師の仕事で一番大事なのは、生徒の意欲に火をつけること」という言葉を胸に、今後も生徒の主体性を育てていけるように努めてまいりたいと思います。

日本でのカレー発展に学ぶこと

 1982年(昭和57年)の今日、1月22日は、学校給食創立35周年を記念して、全国学校栄養士協議会が学校給食試食会を実施し、全国の小中学校の児童約800万人にカレーライスの給食が出されたそうです。私はこの時高校3年でしたので、残念ながらこの時のカレーは食べていません。この試食会を記念して、カレーを製造する事業者の全国団体である全日本カレー工業協同組合がこの日を「カレーの日」に制定したそうです。カレーは、1976年(昭和51年)に正式導入された米飯給食の普及にも大いに貢献しました。私も中学生の時に、カレーが給食で初めて出た時のことを覚えています。給食といえば、コッペパンか食パン、ソフト麺でしたので、ごはんにカレーが加わってうれしかったですね。

 私は、小学生が好きな食べ物のベスト3は、カレー・すし・ハンバーグという記事を記憶していたので、現在はどうか調べてみました。株式会社ぐるなびが小学生の子供を持つ親を対象に行った小学生が好きな食べ物についてのアンケートによれば、平成生まれと昭和生まれの小学生ともに、好きな食べ物の1位は、『カレーライス』だったそうです。最近の子どもは、私の感覚からすると信じられないもの(プリンやみかんなど)が嫌いで食べられないという話を聞きますが、カレーライスを嫌いな子どもは聞いたことがありません。

 これだけ人気があるカレーライスですが、ラーメンやハンバーグに比べて外食専門店が少ないのを不思議に思ったことはありませんか。おにぎりやお茶がコンビニで売られるようになったとき、それらは家庭で作られるもので買うものではないという観念が日本人にはあったので売れるはずがないと思われていました。カレーライスも市販のルーを使って家庭で作って食べるものという概念が日本人には根強いのでしょう。私の知人でカレー専門店を開いた人がいたのですが、残念ながら客足が伸びずに店を閉めざるをなくなってしまったこともそれを裏付けています。

 カレーはインドから伝わったと思われていますが、まずインドからイギリスに伝わり、イギリスから明治時代に日本に伝わったそうです。イギリスでは、シチューが牛乳を使うため日持ちしないので航海中にも食べられるカレーライスが定着したとされています。日本では明治時代に手軽な牛肉の食べ方としてカレーライスが紹介されました。明治末期には「じゃがいも、玉ねぎ、人参」が定番のカレーの具材として定着しましたが、これは日本独自のものだそうです。カレーやラーメンはもちろん、それ以外の外国の料理も日本人はアレンジして日本独特のものに発展させてきました。これも日本人の探究心と創意工夫のなせる技なのでしょう。皆さんも今後、社会に出て様々な分野で活躍することと思いますが、そのために高校で探究力の基礎を身に付けてください。

 私はカレーというと思い出すのが、「包丁人味平」という漫画の中の「カレー戦争」です。料理をテーマにした漫画は今では珍しくありませんが、料理漫画の魁となり少年ジャンプで1973年から連載され、小学生の時に読んでいました。色々なジャンルの料理で一流の料理人を相手に、主人公の塩見味平が勝負して成長していくストーリーでした。今読んでも色褪せてはいません。「カレー戦争」は、デパートのレストランでの客引き戦争でもあり、時代をよく表しています。

空気は空ではない

 今日、1月19日は、「い(1)い(1)く(9)うき」と読む語呂合わせから「いい空気の日」だそうで、一般社団法人・日本電機工業会(JEMA)が平成18年に制定しました。空気清浄機の認知度向上と正しい使い方を広めることが目的だそうです。日本は外国に比べて空気と水がきれいなことが知られていますので、ひと昔前の日本なら、そんなに売れるとは考えられなかった機械です。豊かになった証拠ですが、花粉症が国民病とも言えるくらい広まったことや子どものアレルギー疾患の増加も売れるようになった原因でしょう。私の家のリビングでも10年以上前から加湿器付の空気清浄機が活躍しており、先日買い換えたばかりです。家の中の空気がそれほど汚いとは思いませんが、加湿も兼ねていて、ないと落ち着かないようになってしまいました。

 空気清浄機の歴史は19世紀はじめの産業革命当時のイギリスから始まったとされています。石炭を燃やすことによって出る煤煙の除去を目的として作られたと伝えられています。それまで、空気は換気によってきれいにするようにしていましたが、すべての場所が汚染されはじめたため、能動的に空中の汚染物質を取り除く必要に迫られたということです。日本で初の家庭用空気清浄機(フィルターを備えたもの)は1962年ごろ松下電器産業(現在のパナソニック)によって発売されました。私が生まれる前に発売されていたとは驚きでした。1960年代は、「所得倍増計画」が発表された高度経済成長期の真っ只中です。この後、日本では公害が社会問題となり、大気汚染による四日市ぜんそくなど公害病に苦しめられる人が増えました。イギリスでは、ロンドンスモッグ事件の前夜ともいえる時期に空気清浄機が出てきましたが、日本でも同様の原因で出てきたことになります。

 さて、空気は(正確には酸素ですが)人間が生きていくにあたって、太陽光と同じく重要なものです。水はその次に重要です。重要だからこそ、「空気を読む」という言葉があるのでしょう。ただ、海外では空気を読むという曖昧なニュアンスは無く、日本独自のものです。「場の雰囲気や状況に配慮して行動できる」ということが日本人独自の奥ゆかしさであり、機微ともいえます。日本は、はっきり物を言わずに察してもらう文化ですので、いい面もあれば悪い面もあります。時には、普段、空気に配慮して飲み込んでしまう言葉も、場合によっては出す必要があるでしょう。海外の偉人の言葉には、そうしたものがあります。日本人は同質性の高い民族のため、高度なコミュニケーション力を身に付けましたが、「言わなければわからないこと」を言わないがために問題になることも多々あります。学校の中でも職場でも家庭でも、友人同士、同僚や夫婦恋人同士で言わなくても察してくれるだろうと思うことは危険です。謝罪や感謝の言葉も依頼も口に出して態度で示すことが、人間関係を円満にする上で絶対必要なことだと思います。皆さんは、ちゃんと態度と言葉で伝えていますか。

 蛇足ですが、マスクをしていると新鮮な空気が脳に行かないので、学習に影響が出てテストの点が下がると言われています。子供がマスクの着用を続けると慢性的な酸欠状態になるとして、2020年に警鐘を鳴らしたドイツの医師がいます。「酸欠の一時的な警告症状として頭痛や眠気、めまい、集中力の低下などが起こります。しかし、慢性的に酸素が少ない状態が続けば、人体はそれに慣れていくので、頭痛などの警告症状は消えます。とはいえ、脳の酸素不足は進行し続けます。成長期の子供にとってマスクは絶対によくありません。子供と青年は非常に活発な適応免疫システムを持っています。若い人は脳も非常に活発で、学ぶことがたくさんあります。若者たちの脳は、常に酸素を渇望しているのです」「マスクをしていると呼吸をするときに抵抗がかかり、息をすべて吸い込めないので息苦しくなります。その際、通常よりも多く、肺の活動を助ける肋間筋肉や横隔膜を使って呼吸するので、疲労して倦怠感が生じます。そのため自律神経が乱れて動悸や息切れをしやすくなり、集中力や記憶力などにも影響が出る可能性があります」 

※四日市ぜんそく・・・1950年代末から1970年代にかけて問題化した大気汚染による集団喘息障害。日本の公害問題の一つで、水俣病・イタイイタイ病・新潟水俣病とあわせて、四大公害病という。

※ロンドンスモッグ事件・・・1952年の12月5日から9日にかけて、英国の首都ロンドンは高気圧のもとで安定な大気条件となり、濃霧に覆われた。そして、ロンドンに特有の冬の気象条件によって地表付近にすすや亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質が滞留して呼吸困難、チアノーゼ、発熱などを呈する人が多発し、この期間を含めた数週間の死亡者数は前年度の同時期よりも約4,000人程多かった。死因の大部分は、慢性気管支炎、気管支肺炎、心臓病であり、死亡者の多くは慢性呼吸器疾患を有する高齢者であった。

「叱る」と「褒める」難しいのは?

 今日は何を書こうか迷ったすえ、先日「叱らない教育の弊害」について述べた文に激しく同意したので、「叱る」ことについて書くことにしました。

そもそも「叱る」とは、語気を強めたりして,また,諭すように相手に伝える動作であり、相手を正しい方向へ導くために何が良くないのかを「気付かせる」ことです。よく、「叱る」は理性的な行為であり、「怒る」は感情的な行為であると言われます。「叱る」とは逆に、「褒める」教育も確かに大事ですが、なんでもかんでも褒めればいいというわけではありません。しっかりと相手を見ていて、褒める根拠がしっかりしていなければ、褒めても相手の心には届かないでしょう。ただ、褒めすぎるほうが、全く褒めないより弊害が少ないとは思います。では、「叱る」はどうでしょうか。部下を叱れない上司や、児童生徒を叱れない先生が増えているという話を近年、よく聞きます。前者の場合は、叱られた経験がない若者が増えているので下手に叱るとすぐに辞めてしまうという恐怖感があるようですが、後者は、若い先生自身があまり叱られた経験がなく、叱り方がわからないという根本的な問題があります。調査データがあるわけではないので、真偽は不明ですが、学級崩壊の原因は、「授業がうまくいかない」「ほめる、叱るがうまくできない」です。後者は、授業中の生徒指導にも関係あります。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、私が同意した「叱らない教育の弊害」は、下記のとおりです。

①叱ってくる、たしなめてくる、自分に対する反対意見を言ってくる人に対して自分の意見をちゃんとまとめて相手を説得できるための思考能力を養う機会を失う。

②そもそも叱られないってことは、日々逆境に対する耐性が育たたない。

③叱られないってことは、根拠のない自己肯定感が強くなりすぎる。

④肯定され続け、叱られることがないと、自分の意見が全部通って当たり前だと頭の中に刷り込まれてしまう。

①はコミュニケーション能力、②は忍耐力がつかないということですね。③については、日本の若者は他国に比べ、自己肯定感が低いと国際比較データで明らかになっていますが、自己肯定感って主観ですから、単純に比較できないと思います。根拠のない自信をもっている人が多いと現場では感じられているようです。

 子ども時代に叱られる経験をもたないってことは、大人になって社会で生活していく上でいろいろなところで軋轢が起きる可能性が大きいと考えられます。私は、小さい頃から随分と叱られて育った記憶がありますが(ビンタやゲンコツは当たり前でした)、納得したこともあれば納得しなかったこともありました。小中学校でもげんこつやビンタはされました。反抗してさらにぶたれたこともありました。自分が悪いと自覚していても、ちゃんと理由を聞いてくれずに一方的に怒られると、口答えしてさらに怒られました。だから、自分の経験から、ちゃんと話を聞くというのは大事だと実感しています。納得できるように諭すのも叱る側の責任かなと思います。皆さんは、どう思いますか。叱られた経験がないからわからないと言われてしまうと困りますが。

チャレンジ3年次生!

 共通テストの自己採点も終わり、全国の受験生のデータが収集されて集計され、志願状況が明確になります。自分の志望校の合格可能性についてA~Eの判定が出た時に、どう捉えるかが重要です。B社とK社で微妙に判定が異なるように、A判定は「安心するな」、C判定は「チャレンジせよ」と自分で思えるかどうかです。私の友達でA判定の第三志望校が不合格で、C判定の第一志望校に合格した人がいますが、これからの頑張りと試験問題が自分の得意分野だったなどの運不運で結果はどうなるかはわかりません。最終的には、どれだけ志望校に対する思い入れが強いかにかかっている気がします。春は、すぐそこまで来ています。最後まで自分を信じて頑張ってください。それでは、これから勉強を頑張る皆さんに、私がメモしていた中から簡単なアドバイスをします。

 勉強前に、もしくは途中で軽い運動をすることで脳には次のようないい影響があります。①脳のエネルギーを持続的に生み出す脳細胞ミトコンドリアが増える ②自律神経が整い、心と体が元気になる ③認知機能が高まり、知的作業の能力があがる これらによって「思考力」や「集中力」「記憶力」「モチベーション」「コミュニケーション力」など多くの能力が高まります。そして、心配事や不安で心が不安定になることも、極力防ぐことができるのです。

 机に座って考えていてもいいアイデアがでないのに、散歩していて出るのは、動くことで視線が動き、それまで収集していた情報が整理されたからです。だからこそ運動をすると思考力が高まるのです。ではどのような運動をすればいいのかというと、席を立って10秒歩いてまた戻ってくるだけで大丈夫。同じ姿勢で30分いるだけで脳の血流は滞り、思考力は鈍ります。30分に1回は立って歩けば、筋肉が動いて血流が改善し、脳に血液が集まります。多くの人にとって運動とはいえない程度の動きをするだけで、脳を最適な覚醒状態に導くことができます。これ以上強い運動をしてしまうと、全身の筋肉に血流がいって脳へ血流が集まらなくなってしまうので逆効果です。

「悪い緊張は、準備不足や自信のなさからくる、不安なザワザワです。良い緊張は、やるべきことをやってきた、という静かなドキドキです」と言っていた人がいます。静かなドキドキをもって試験に臨めるように頑張ってください。

あなたの心に閻魔様

 今日、1月16日は、仏教では「閻魔(えんま)参り」または「初閻魔」「閻魔賽日(さいじつ)」というそうです。今日と7月16日は地獄の釜の蓋が開いて、亡者も責め苦から免れ、鬼も休む日とされているそうで、私は今日初めてこのことについて知り、鬼も休むというのが面白いなと思いました。閻魔大王と言えば、死者の生前の行いに対して裁判を行い、死者の魂が地獄に行くか極楽へ行くかを決定する仕事をしているわけですが、今日は閻魔様と閻魔様に仕えている者たちも仕事を休むのですね。今日と7月16日は閻魔堂にお参りすることで日頃の悪い行いを許してもらえるそうです。閻魔堂は、近いところでは太田市世良田町と伊勢崎市境平塚にあります。群馬県ではあと高崎に2か所あるだけです。世良田は近いですが、行ってみますか。閻魔大王は普段は死者の生前の行いを監視して閻魔帳と呼ばれるノートに記録するなどの仕事をしているそうです。今や完全に死語ですが、昔は先生が生徒の情報を書き込む手帳を閻魔帳と呼んでいました。閻魔帳には何がどのように書かれているのでしょうか。私は個人的に生前の行いの評価基準と地獄行と極楽行を分けるボーダーラインを知りたいですね。ただ、それを教えてしまうと悪事もこれくらいならまだ大丈夫などと考える不逞な輩が出てくるので非公開なのでしょう。嘘をつくと閻魔様に舌を引っこ抜かれるぞと言われます。「嘘も方便」と言われますが、特に嘘の善悪の判断をどうするのか知りたいですね。閻魔大王は、色々な漫画に出てきますが、四コマ漫画で死者の話をよく聞いてくれる閻魔大王の話がありました。「決めつけはよくないよね」と嘘を探しださなくちゃと焦って疑り深くなっている自分を反省していて、ほっこりしました。教師は特にそうですが、人の話を偏見を持たずに傾聴することは大事ですよね。以前のブログで敏腕営業マンは、お客さんに対して、しゃべるより聞くほうが圧倒的に多いと書きましたが、皆さんも、聞き上手な人を目指しましょう。

一息ついて、これからが大事!

 今年も共通テストが無事終わりました。試験を受けた3年次生の皆さん、お疲れさまでした。既に自己採点を終えている人も、学校でやろうとしている人も、これで終わりではありません。一喜一憂しても、すぐに第二のスタートを切る号砲が鳴るわけですから、各自の目標と様々な事情を考慮して、後悔しない出願をしてください。悩んだら先生方に相談してください。経験値とデータを駆使して、的確なアドバイスをしてもらえるはずです。一刻も早く気持ちを切り替えて、油断せずあせらず残りの期間を無理のない計画を立てて乗り切ってください。この世の出来事を評価し、価値付けるのは個々の人間です。試験で失敗があったとしても、自分の実力を過大評価して落ち込まずに、この程度は想定内と考え、「大丈夫!」とプラスの言葉をつぶやいて、次の手を打つためにすぐに動き出せる人になりたいですね。こんなはずではなかったと結果を引きずっていても、何もいい方向には行きませんので、「勝負の日までできることをやりきるぞ」と決意を新たにして、頑張ってください。 

必勝祈願、みんなガンバレ!!

 共通テスト初日、風もなく暖かくなりよかったです。夕方の雪の予報が信じられないくらいの快晴です。私は、新田義貞公を祀った生品神社に今週末の共通テストと各運動部の新人戦の必勝を祈願してから、共通テスト会場の関東学園大学に向かいました。入り口で生徒たちと挨拶を交わし、生徒たちは3年次団の先生方からチョコと激励をもらい、元気よく会場へ入っていきました。皆さん、落ち着いて普段通りの力を発揮してください。

やれることをやったら、あとは神頼み!

 明日は、いよいよ大学入学共通テストです。被災地の受験生の皆さんは大変な思いをしながら明日を迎えることになったと思いますが、無事受験会場に行って受けられることを祈っています。今日は、4時間目に恒例の共通テスト激励会が実施されました。昔は格技場でやっていましたが、寒いこととコロナやインフルエンザ感染等が心配なため昨年同様リモートで行いました。あいさつでは、昨年とほぼ同じことを話しましたが、短くしました。40年以上前に自分が共通一次試験を受けた時の数学での失敗談から、もし頭が真っ白になってしまったら、4秒吸って8秒かけて吐く深呼吸を1分間続けてくださいという話をしました。試験でも試合でも、実力を発揮するためには平常心が大事です。なんでこんな問題がわからなかったんだとならないように、落ち着くことを第一にしてください。そして、最後のツキや運を呼ぶのは、普段の地道な努力の積み重ねです。ぜひ、運を呼び込んで100%以上の力が発揮できることを祈っています。みんな切磋琢磨してきた「太東団体戦」のメンバーです。各クラスで担任の先生方からいただいた激励の言葉を胸に力を出し切って、笑顔で月曜日を迎えてください。

Open the rice cake and Luck!?

 今日は鏡開きです。皆さんの家では正月に年神様や仏様に鏡餅をお供えしましたか。お供えした餅を神仏に感謝し、また無病息災などを祈って、汁粉や雑煮などで食べるわけですが、今はどれくらいの家でされているでしょうか。私も久しくやっていません。もともとは武家で鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し、女性は鏡台に供えた鏡餅を食したわけです。鏡餅という呼び名は、文字通り鏡に由来します。 昔の鏡は丸い形をしており、神器の一つでした。 日光を反射し太陽のように光ることから、鏡には神様が宿ると考えられ、伊勢神宮など多くの神社で鏡を御神体として祀っています。天皇家の三種の神器の一つが八咫鏡ですね。鏡餅を食べるためには、固くなった餅を金槌でたたいてほどよい大きさにする必要があります。(木槌だと厳しいです) 武家では鏡餅を刃物で切ることは切腹を連想させるため、手や木槌で割る風習がありました。同様に縁起が悪いので「切る」「割る」という言葉は避けて「開く」という言葉が使われました。鏡は円満を、開くは末広がりを意味して縁起がいいわけです。また、鏡餅を食すことを「歯固め」と言うそうで、硬いものを食べて歯を丈夫にして年神様に長寿を祈るのだそうです。鏡開きの後14、15日に、お正月飾りを燃やして、1年の無病息災や五穀豊穣を祈る火祭り「どんど焼き」が終われば、正月気分も終わりです。気持ちを引き締めなおして、新たな1年を頑張っていきましょう。ちなみにタイトルの英語は正しくありませんので、信用しないでください。