日誌

榎本校長のつぶやき

あなたのソウルフードは?

 今日は、「お茶漬けの日」だそうです。永谷園が開発した「お茶づけ海苔」は、2012年に発売60周年を迎えたのを記念して創業者の永谷宗七郎の命日である1778年5月17日にちなんで記念日として制定したそうです。皆さんは、お茶漬けは好きですか。日本人のソウルフードといえば、何が思い浮かびますか。私は、塩むすびと味噌汁かなと思います。群馬県人だと、焼きまんじゅうもありですね。太田なら焼きそばですか。
 「フェルマーの料理」という数学と料理を結びつけたマンガがあります。(※「フェルマーの定理」は、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理です。多くの数学者が挑み、フェルマーの死後330年経った1995年に完全に証明されました。)このマンガの中に「数学と料理は似ている」というセリフがあります。「どこが似ているの?」と皆さんは思いますか。マンガの中で「甘鯛のポワレ 干し貝柱と生ハムのスープ仕立て」というお茶漬けを西洋風にアレンジした料理が出てきます。イノシン酸とグルタミン酸の相乗効果によって「旨味」の成分数値が跳ね上がるそうです。数学的思考が、料理に生かされるという設定がおもしろいマンガです。実際に数学的力を背景に日本人で三つ星を獲得した米田肇さんというシェフがいるそうです。彼は、高校で数学に没頭し全国模試で1位をとったほどで、大学では電子工学を学びエンジニアから料理人に転職した異色の経歴の持ち主です。皆さんが数学を学ぶことで身に付けている数学的思考力は、どんなところで役に立っているのでしょう。お茶漬けを食べながら、考えてみてください。

俺たちの旅

 1689年5月16日に、松尾芭蕉は江戸を立ち、東北・北陸を旅しました。『おくのほそ道』(奥の細道)は、全行程約600里(約2400km)に及ぶ徒歩による旅行記です。そんなことから今日は「旅の日」だそうです。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という冒頭部分は有名ですね。意味がわからない人は、すぐ調べましょう。芭蕉の生前最後の句であるとされる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」も有名です。旅というと、皆さんはどんなイメージをもつでしょうか。人生は、よく旅に例えられますが、様々な人との出会いがあり、楽しいことも辛いこともあります。「かわいい子には旅をさせよ」は、独り立ちするためには世間でもまれる必要があるという親心からでた言葉ですね。NHKの「小さな旅」が、ほのぼのとしつつも何か胸を締め付けられるような寂しさを感じるのはテーマ曲のせいでしょうか。「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」では、壮大な宇宙の旅が描かれています。旅の目的は何だったでしょうか。旅は一人でするもの、旅行は複数でするものというイメージがありますが、皆さんはどうですか。1978年に「いい日旅立ち」という歌を、山口百恵さんが歌ってJRのCMに使われてヒットしましたが、この旅も一人です。
 とんちの一休さんでお馴染みの一休宗純和尚の句に、「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」というものがあります。直訳すると「正月に飾る門松は、あの世までの旅中の私たちの道標である。正月を迎えるということは死に一歩近づくということだ。正月の何がめでたいものか」となるでしょうか。この句を通して、一休さんは何が言いたかったのでしょうか。「私たちは、いつ死ぬかわからないからこそ、明日死んだとしても悔いのないよう、今この瞬間瞬間を大切に一所懸命に精一杯生きようではないか」こんな感じに解釈できるかもしれません。戦乱や疫病などで、現在の安心安全な日本と比べものにならない時代ですので、なおさらでしょう。
 つらつらと旅について思いつくことを書き連ねてきましたが、最後に1日の旅のあとに起こったことの話を紹介します。
「今している勉強は、何の役に立つのか」という疑問をもったことはありませんか。次の物語を読んで考えてみてください。
 ある晩、遊牧民の群れが夜を過ごすための支度をしていました。すると突然あたりが厳かな光に包まれ、ついに天の声が聞こえてきたのです。「できるだけたくさんの小石を拾いなさい。その小石を袋に入れ、一日旅をするがよい。明日の夜になって、お前たちは喜び、また悲しむであろう」人々は失望と怒りを口にしました。神から大いなる啓示が下されると思っていたからです。ところが与えられたのは、小石を拾うというつまらない、彼らにとってはわけのわからない作業だけでした。それでも、人々はぶつぶつ言いながら、いくつかの小石を拾って袋に入れました。聖なる方の神々しさが、まだあたりに残っていたからでした。人々は一日旅をし、夜になりました。野営を張りながら小石のことを思い出し、袋から取り出してみたのです。すると、どの小石もひとつ残らずダイヤモンドになっていたのです。人々は、小石がダイヤモンドに変わったことに喜び、もっと小石を拾ってこなかったことを悲しみました」(『こころのチキンスープ 魔法の小石』ダイヤモンド社より)
小石とダイヤモンドは何を比喩しているのでしょうか。皆さんが、自分のこれからの人生で役に立たないと思いながら勉強していることがあると思いますが、そんな勉強によって何が身につくのか考えてみてください。

実力発揮!

 好天に恵まれ、高校総体1日目が終わりました。選手の皆さん、お疲れ様でした。引率された先生方、競技役員の先生方、ありがとうございました。

 選手の皆さんは、普段の練習の成果が発揮できたでしょうか。それとも残念ながら固くなってしまって、実力が出せずに終わってしまったでしょうか。本当は、「実力が出せずに」という言い方は、おかしいのですけどね。なぜなら、実力とは本番で発揮されるものをいうわけで、練習でのうまさは実力とはみなされないからです。残酷ですが、心技体がそろって実力と呼べるわけで、メンタルが弱くて本番に弱いとか、体調管理ができないとかは実力があるとは言えないわけですね。スポーツ選手にとって「メンタルトレーニング」というのは、非常に重要で、専門のトレーナーがいるくらいです。もちろん、受験もメンタルが重要ですよね。集中力やあきらめない心とか粘り強さ、レジリエンス(精神的回復力)とかは、一朝一夕に身につくものではなく、経験を繰り返すことで育まれるものです。

 以前にも書きましたが、最近では、テストで測れる認知能力ではなく、日常生活・社会活動において重要な影響を及ぼす能力である非認知能力が重要視されるようになってきています。学校行事やHR活動、部活動などの集団的活動、体験的活動は、非認知能力を育むのに有効であると考えられています。皆さん、教科学習以外の学校での様々な活動を通して、楽しみながら非認知能力を磨いてください。そうすれば、高校生活は益々充実したものになりますよ。

 それと、自分が試合をしていても、人の試合を見ていても気になることは、勝者と敗者の気持ちです。勝敗がついたときに、お互いにどんな気持ちになるのか。もちろん、勝った方はうれしいでしょうが、力を尽くして戦った相手をリスペクトしているかどうか。よく、健闘を讃え合うと言いますが、敗者は「悔しいけれどあなたのほうが強かった。次の試合、頑張ってね」と思えるか。勝者は、「今日はありがとう。次の試合は、あなたの分まで頑張るよ」と思っているか。試合に勝っても負けても色々な意味で成長しています。振り返りで気付き、自分の成長に生かせるかどうかが重要です。勝負を通して自分の心を育ててください。

明日は、天候が心配されますが、選手の皆さんの実力が発揮できることを祈っています。

人間の可能性

 今日は、ALSOKぐんま武道館で県高校総体の総合開会式があり、出席してきました。激励メッセージということで、郷土芸能、ペップアーツ、バトン、ダンスなどが披露され、最後に県内19校の生徒200人ほどによるダンス専門部の公開演技がありました。フロア一杯に広がってのダンスは見応えがありました。
 先日の5/6(土)に放映された「THE DANCE DAY 2023」のパフォーマンスでは、個性や創造性も素晴らしいですが、人間は練習すればどこまでできるようになるのだろう、どれくらい練習してここまで到達したのだろうと思うとともに、高校生の演技を見ても同様に感じました。そして、最近のAIの著しい進化を見ても、まだまだ人間の動きに近づけるロボットはできないだろうなと実感しました。開会式でのパフォーマンスは高校生らしく、見るものを感動させるものがありました。
 最後のダンスは、4色のTシャツで分けられた集団によるものでしたが、本校の体育祭での応援合戦で6団全員が踊っているかのように錯覚しました。6月には体育祭がありますが、応援合戦を楽しみにしています。ぜひ、独創的なダンスを作り上げてください。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。

ファイト~、一発!

 今日は、体育館で高校総体の壮行会が行われました。ここ3年は、コロナのせいで壮行会というと会議室からリモートで行われることが多かったですが、パソコンの画面に向かってあいさつや決意表明、応援のお願いをするのは寂しいものです。昨年は、暑い中でしたが、校庭で全校生徒を集めて実施できました。太東の看板を背負って戦いに出かける仲間へエールを送れてよかったです。今年は、出張のため生徒の皆さんに話をすることができずに残念でしたが、教頭先生が代わりによい話をしてくれたと思います。
 昨年は、「最も手強い敵は、自分自身である」という話をしました。他人は騙せても自分は騙せません。勉強にしても、部活動にしても、困難なことに粘り強く取り組めているかを評価するのは自分自身です。「眠い」「疲れた」、どこまで頑張れば自分に勝ったことになるのか。そのラインを決めるのは自分自身です。人間は、自分の弱い心と常に戦っていると思います。勝負の時、自分はこれだけ練習(勉強)を頑張ったのだから大丈夫だと自信をもって臨めるか、それとも不安で緊張して実力を発揮できないか。大きな分かれ目ですね。ホームラン世界記録をもつ王貞治さんのエピソードと言葉を紹介します。
チームの優勝がかかった9回裏満塁の打席で。苦手なピッチャーを前に固くなっている自分に気付き、タイムをとった。バッターボックスを外してピッチャーや野手、観客席を見て気付いた。自分がホームランを打つためには、そのボールを投げてくれるピッチャーがいなくては始まらないではないか。考えてみれば「敵のピッチャー」とは、私がホームランを打つためのボールを投げてくれる「パートナー」ではないか。と思えた瞬間から肩の力がスーっと抜けたそうです。
「敵と戦う時間は短い。自分との戦いこそが明暗を分ける。」王貞治
皆さんの戦いは、まだまだこれからです。自分との戦いを勝ち越せるように願っています。

今日は「ファイトの日」だそうです。ファイトが出るエールをもらえた選手の皆さん、総体での活躍を祈っています。

黒板と板書に関する考察

 今日5月9日は、黒板の日だそうです。全国黒板工業連盟が、創立50周年を記念して2000年に制定し、翌年から実施しているそうです。語呂合わせと、アメリカから黒板が初めて輸入されたのが1872年5月頃だということから5月9日となったそうです。黒板の名前は、もちろん英語の「blackboard」に由来しますが、緑色なのになぜ?と思いますよね。当時の国産品の黒板は、木の板に墨汁を塗った上に柿渋を上塗りしたものや、漆を塗ったものが作られていて、文字通り黒板だったようです。その後、チョークの白い文字を見るのは、緑色のほうが目が疲れないなどの理由から、1954年に日本工業規格(JIS規格)の規定により、黒板の色は黒色から緑色に変更されたそうです。現在は、ホワイトボードが全教室に整備されている学校もあります。チョークとホワイトボード用のペンのどちらがいいかは、個人の好みによるでしょうが、チョークは粉で指が荒れるのが難点でした。そのためコーティングしてあるチョークもあります。指を汚したくない人のためにチョークホルダーなるものも販売されていますが、これも個人の好みによって評価が分かれます。書き味が、チョークで黒板に書く場合と、ホワイトボードに書く場合では随分と異なります。チョークのほうが手の力がいるので、たくさん書くと疲れます。指の力は鍛えられますけどね(笑)
 戦後、焼け野原で学校が再開したときは、青空教室と呼ばれましたが、もちろん黒板はありませんでした。昔、研修で先生方に黒板がなかったらどんな授業をしますかと問いかけたことがあります。皆さんは、黒板を使わない授業は想像できますか?もちろんパソコンもプロジェクタもありませんよ。プロジェクタで色々なものが映せるようになったことで、板書の役割も変わってきました。1時間の授業が終わった時、板書を見れば授業での思考の流れと重要事項がわかるようになっているかが大事です。あらかじめノートに書いてあることを板書するなら、ノートに貼れるようにプリントしたものを配付したほうがよいのではないかとは思いませんか。板書する時間と生徒が写す時間が節約できて、生徒の「思考・判断・表現力」を高める学習活動の時間がとれるのではないでしょうか。ICTを活用する一人1台パソコンの時代では、板書の意義は、授業のねらいを理解してもらい、見通しをもたせ、問いに対して授業の中で出てきた意見の整理とさらなる深化の視覚化と共有を図ることではないかと思います。これらをパソコンの画面で各自が見るのと、黒板を全員が前を向いて見るのとでは違います。パソコンの画面を見ていると生徒の表情が見られませんからね。生徒の表情を授業中に確認することは大事です。それでは限られた学習時間を、どんな学習活動に費やすのが「知識・技能」「思考・判断・表現力」を高めるのに有効なのか、皆さんも自分の学習を見直してみてください。

※下の黒板アートは、数年前に妻が勤めていた小学校の卒業式前日に、担任した6年生のクラスの黒板に娘二人と協働して描いたものです。

生きている or 生かされている

 GWも終わり、今週は高校総体ウィークです。皆さんは、どんなGWを過ごしたでしょうか。

 今日からコロナが5類感染症に移行しましたが、今後はコロナ感染が珍しいことになってくれればありがたいですね。我が家はコロナの影響(後遺症?)か、3人がGW中も体調不良だったため外出はほとんどしませんでしたが、5日の本校吹奏楽部の定期演奏会は行かせていただきました。本校の先生方や生徒がたくさん来てくれていて、チアリーディング部とフラ同好会の応援もあり、来場していただいた多くのお客様に楽しんでもらえたと思います。テーマの「日幸」にふさわしい演奏会になりました。それと4日に義父母の墓参りに行ってきました。昨年も5月3日のブログで書いていますが、菩提寺に二つの掲示板があり、そこに言葉が書かれた紙が貼ってあります。少なくとも月毎に変わっていると思いますが、昨年は「すぐやる 必ずやる できるまでやる」「なりたい自分になるのに 遅すぎるということはない」でした。今年は「何のために生きているのかだと行き詰る 何のために生かされているのか考えると やるべきことが見えてくる」「人生はご恩返し」でした。以前に、私たちは何か大きな力によって生かされているのではないか。それが「神」かどうかは別として。というようなことを書いた記憶があります。人間の生死には、運不運がつきまとうと思います。神風特攻隊で生き残った人が、「仲間はみんな死んでしまった。俺だけ、なぜ生き残ったのか」と嘆き、「何か理由があって生かされたのなら、それを考えて生きていこう」と思ったそうです。自分が生きている不思議なんて、普段は考えもしないことですが、心の持ち方ひとつで生き方は変えられるかもしれません。「生きているのが当たり前」と思うか、「生かされている奇跡」を感じるか。4月27日のブログ「哲学ってホント・・・」で「どう生きるべきか」という問いを取り上げましたが、ソクラテスの言葉と伝えられる「善く生きる」の意味を考えてみてください。ちなみにBenesse(ベネッセ)はラテン語の造語で「よく生きる」という意味です。

八十八夜

 今日は「お茶の日」だそうで、茶摘みの最盛期である「八十八夜」に当たる日を公益社団法人・日本茶業中央会が制定しました。「立春」から数えて88日目となる八十八夜は、年によって日付が変わり、近年では5月1日または5月2日となっています。今年は5月2日です。同会では国民の祝日「昭和の日」の4月29日から「こどもの日」の5月5日までの一週間を「緑茶の週間」としていて、全国的に茶摘み体験や新茶の試飲会など緑茶・日本茶に関するイベントが開催されているそうです。古くから「仙薬」と称されるほど八十八夜の新茶は栄養価が高いといわれているそうですが、「茶摘(ちゃつみ)」という歌を皆さんは、学校で習ったでしょうか。歌えますか。

夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る 

あれに見えるは茶摘みじゃないか 茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠

 皆さんは、普段普通にペットボトルでお茶を飲んでいると思いますが、昔はお茶は自宅でいれて飲むもので、缶やペットボトルで買って飲むようなものではありませんでした。コンビニのおむすびが普通になったように、缶やペットボトルのお茶を買って飲むのもごく普通になっています。伊藤園が缶の中に窒素ガスを噴射し酸素を追い出す方法により、茶の主成分カテキンの酸化を抑えて自然のままの味わいで製品化することに成功したことで、1980年に缶入りウーロン茶を開発したのを皮切りに、1985年には缶入り煎茶が発売され、1990年代後半にはペットボトルが普及して、さらにアウトドアで飲まれるようになりました。

 今年は、卒業生の記念になればと思って、伊藤園の卒業生へメッセージ付きオリジナルお~いお茶プレゼントに応募し卒業生分のお~いお茶が送られてきました。応募した学校から1校だけ、有村架純さんがサプライズで卒業式に来てもらえるという企画でしたが、そちらは流石に当たりませんでした。来年も同じ企画があれば応募したいと思います。

令和と皐月

 今日は、新しい元号「令和」が始まった日ですね。「令和」は「大化」以降248番目の元号ですが、元号は天皇の御代を意識させるものです。天皇の代替わりごとに元号が変わる「一世一元の制」が定められたのは明治からですが、それ以前は1代で何回も改元したり、数代の間1つの元号で通したりといったこともありました。これまでの改元時とは異なり、コンピュータが生活のあらゆる場所で影響を及ぼしている現在、新元号への対応準備の期間を確保する必要がありました。西暦だけなら問題なかったのでしょうが、2000年問題の騒ぎが思い出されます。憲政史上初めて新元号が改元の一ヵ月前となる2019年(平成31年)4月1日に「事前公表」されたのです。

 さて、今日から5月ですが、すっかり木々の若葉の緑が目に染みる季節になりました。5月は旧暦では「皐月」、英語では「MAY」です。ここでピンときた人は、「となりのトトロ」が好きな人ですね。そう、主人公の姉妹は「さつき」と「メイ」です。旧暦の月で女の子の名前に使われているのは「やよい」「さつき」「はづき」くらいで、英語は「メイ」以外見当たりません。最初は姉妹ではなく、女の子一人だったらしいですが、真偽のほどはわかりません。5月が若葉、青葉の季節であり、トトロの世界に合っていた季節なので、つけられたかどうかも不明です。旧暦では、4月から6月が「夏」になります。このため、5月である「皐月」が、夏の真ん中の月で田植の月という意味の早苗月(さなえづき)が省略されて「さつき」になったという説があります。ですから、「五月晴れ」は、もともとは「梅雨の晴れ間」のことです。ただ、現在は「5月のさわやかな晴れ」を指す言葉としても使われています。トトロの映画の中で、雨が降っているバス停で、隣にトトロが立っているシーンが思い浮かびます。高校総体が、「五月晴れ」の中でできることを祈っています。

※ちなみに、同じように誤解されやすいのが「小春日和」ですが、こちらは「晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天の日」を指します。

缶ジュースからの未来考

 今日は、日本初の缶ジュースが発売されたことから「缶ジュースの日」だそうです。1954年の今日、明治製菓株式会社が「明治天然オレンジジュース」を発売しました。当時は「ビン詰」のジュースが一般的で新発売の「缶詰」のジュースには、現在のように缶を開けるプルトップは付いておらず、缶切りで開ける必要がありました。1957年、明治製菓から缶の上部に小さな缶切り(オープナー)を付け、缶切りで飲み口と空気穴の2ヵ所を開けて飲む「缶切り付缶ジュース」が発売されました。私もギリギリ、この穴を開けて飲むジュースを覚えています。今の子どもたちは、缶切りさえ使ったことがない子がほとんどだと思いますので、この缶ジュースはどうやって飲めばよいかわからないのではないでしょうか。今は、ペットボトルとアルミ缶が主流ですが、びんのジュースもほんの少し残っていますね。昔は、酒屋さんにビールやキリンレモンや三ツ矢サイダー、リボンシトロンなど、びん入りの飲み物を1ダースのケースで頼むことが多かったです。再利用のため空きびんを返すことで、1本あたり5~10円のお金が戻ってきました。今ではびんビールなどのびんの飲み物は一般家庭で飲むことはほとんどなく、飲食店のみのような感じですね。私が中学生の頃は、部活帰りにびんのコーラやファンタなどを買って、自販機についている栓抜きで開けて飲むのが普通でした。びんのふたの内側に「当たり」で50円とかもらえるものもありました。

 新しい技術が開発されれば、失業する人たちが出て来ることは歴史の必然です。アニメ「母を訪ねて三千里」の中で、マルコ少年のびん洗いの仕事が、びんを洗浄する機械が発明されたため、なくなってしまう話がありました。産業革命の時のラッダイト運動(機械破壊)のように、仕事がなくなってしまう人が抗議行動を起こすことは、当たり前です。明治時代には鉄道や路面電車の開通で、人力車夫が労働組合の原型ともいうべきものを作って反対しました。OA化の波、ワープロの普及により、タイピストの仕事がなくなるとか、事務員が減らされるということもありました。現在はというと、AI化の波によって、2045年と予想されたシンギュラリティ(AIの発達が人間の生活を大幅に変える特異点)が大幅に早まる可能性が出てきました。先日取り上げたChatGPTが、現在地方自治体や大学などで、その使用の是非について論議が続いています。以前に「生き残る職業、淘汰される職業」という風に、メディアで特集が組まれることもありましたが、それも現在では更に変わっているようです。将来的に、どの程度まで人間がAIに追いつかれ、追い越されることになるのかはわかりませんが、AIに代替されない能力を身に付けていく必要があることは明らかです。例えば、家電メーカーの開発者は、電気炊飯器やパン焼き機などに、職人の技をいかに数値化して再現できるかを研究してきました。人間のもつ感覚をどれだけ数値化して機械に再現させられるか、ロボットの開発はその追究です。ただ、SF小説のフランケンシュタイン博士が作ったような人造人間を創り出すことは、まだまだ無理です。「生命の創造」は「神の領域」です。人造人間と人間の共生をテーマにした小説もありましたが、人間が考えたことは現実化してきましたので、そんな社会がくることを否定はできません。私たちは、「働かなくても生きていける世界がやってくるのか、その世界は幸せな世界か」ということを考えつつ、今後人間として身に付けるべき人間らしい力とは何かを考えていかなければなりません。皆さん、頑張って勉強して思考力と非認知能力をつけましょう。

哲学ってホント・・・

 今日は、紀元前399年に古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、獄中で毒を飲んで亡くなった日ということで「哲学の日」だそうです。高校の現代社会や世界史、倫理の授業で教わる人ですが、倫理の授業以外では詳しくは勉強しないので、知らない人も多いかもしれません。ソクラテスと言えば「問答法」「無知の知」「善く生きる」などがキーワードです。現在、新しい学習指導要領のもと「主体的対話的で深い学び」ができるように、学習活動が工夫されているわけですが、「対話的」とは、生徒同士を始めとして、様々な人との交流を通して学び気付く学習活動です。そこには書物を通した先人との対話も含まれます。ルーツはソクラテスの問答法ですね。ソクラテスは、対話的問答を通じて相手にその無知を自覚させようとした(無知の知)わけです。

 哲学って難しそうなので、わかりやすい説明はないかと思って探してみました。世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問という説明がありました。私は、哲学とは、この世の中のあらゆる「なぜ?」について探究する学問であり、人間についていえば「どう生きるべきか」を考え続ける学問であると思います。最後に対話の大切さについて述べた文?を紹介します。自分の周りにどんなピースがあって、その中からどんな自分が浮かび上がるのでしょう?

 「結局、人はジグソーパズルの最後に残ったピースみたいなもの。周りが埋まって初めて、残った空洞の形=自分が浮かび上がってくる。つまり、周りにいる人や環境がとても大切だということです。いろいろな人と交わり刺激を受けないと、物事も自分も進化しません。」樋口直哉(小説家)

豊かさと安全

 1986年の今日、旧ソ連のウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で、大爆発事故が発生しました。放射性物質の拡散により、周辺30kmの住民が避難を余儀なくされました。数十年間に及ぶ地球規模の汚染が心配され、事故後、欧州では放射能パニックが起こりました。国際原子力事象評価尺度によれば、レベル7で、福島の事故と同レベルです。当時は、小麦をはじめとする多くの食物が放射能に汚染されたとニュースになり、ミュージシャンは原発反対の曲を作り、漫画家は原発を風刺するマンガを発表しました。「危険な話 チェルノブイリと日本の運命(広瀬隆著)」はベストセラーとなりました。マンガの宇宙戦艦ヤマトは、ガミラスの遊星爆弾による放射能に汚染された地球を救うために、放射能除去装置(コスモクリーナー)を受け取りにイスカンダルへ旅立ちましたが、テレビ放映は1974年です。放射能を無害化する装置が発明されれば、間違いなくノーベル賞ものでしょうが、まだ発明されそうもありません。今年3月になって、核融合科学研究所(岐阜県土岐市)が米核融合スタートアップのTAEテクノロジーズ(カリフォルニア州)と共同で、水素とホウ素という新たな燃料の組み合わせによる核融合実験に成功したというニュースがありました。今回の方法は放射線である中性子が発生しない点で優れているということですが、安全なエネルギーが開発されることに期待したいと思います。原発や原爆では、核分裂エネルギーが使われますが、水素爆弾では核分裂反応を引き金に核融合反応を起こさせて、原爆よりも桁違いの爆発を起こします。安全な核融合エネルギーが実用化されれば、すごいことです。水・食糧・エネルギー問題は、人類の歴史上変わることなく続いていますが、戦争なく豊かさを世界の人々が享受できるために、科学者の方々には頑張ってもらいたいです。

もっと癒やしを!

 今日は、「ギロチンの日」「世界ペンギンの日」というのが目を引きました。1792年の4月25日、フランス議会でギロチンが正式に処刑道具として認められたことから、「ギロチンの日」となりました。ギロチンは発明した人の名前からきていますが、もともとは残酷な処刑道具ではなく人道的な処刑道具として開発されました。フランス革命で教わりますが、知らない人は調べてみてください。

 さて、ギロチンで話を広げると、処刑道具や処刑方法の話に発展してしまい物騒なのでやめて、ペンギンについて書きたいと思います。私は、ペンギンが好きなので、書斎にペンギンのぬいぐるみやフィギュアがあります。特にイワトビペンギンが好きです。池袋のサンシャインシティ水族館の空飛ぶペンギンを観に行きたいと常々思っているのですが、行けそうで行けないでいます。水族館で、魚たちをぼーっと眺めていると癒やされますね。特にクラゲやマンタやジンベエザメなど、ゆったりとした動きのものがいいです。昔、パソコンのスクリーンセーバーで水槽で泳ぐ熱帯魚を使っていましたが、疲れた目に心地よかったです。皆さんが疲れた時に癒やしてくれるものは何ですか。

※本日、コロナから復帰し部活動編成はどうなったかなと、各部の入部者名簿を覗いてみました。まだ入力されていない部もありましたが、それでも1年次生の入部者数の合計が200名ほどになっていたので、大変嬉しく思いました。これで入部を締め切ったというわけではありませんので、これからも友達を誘ったり誘われたりしながら、楽しく活動できる部活動を見つけてください。

世界で一番美しい花は?

 昨日4月23日は「ぐんま花の日」だったのですが、皆さんはご存じでしたか?群馬県と、県内の花と緑に関する26団体が2002年(平成14年)に制定したそうです。4月23日~29日が「ぐんま花と緑の週間」であり、これらの日を中心に、群馬県前橋市にある「ぐんまフラワーパーク」を主会場として「ぐんま花の日 県民フェスティバル」などのイベントが開催されているそうです。皆さんは、「ぐんまフラワーパーク」に行ったことはありますか?私は、数回行ったことがありますが、最後に行ったのは2015年でした。そのフラワーパークも1992年4月に開園してから30年たつため、3月から休園になり、リニューアルして2025年4月にオープン予定です。どんなふうにリニューアルされて、また様々な花を見せてもらえるのか楽しみです。
 先日は桜とハナミズキのことを書きましたが、皆さんは花と言えば何を思い浮かべますか。本校でもたくさんの花が見られますが、じっくりと見たことはありますか?人間、余裕がないと道端の花にも気付きませんよね。作家の加藤周一さんのコラムに「小さな花」というのがあります。その冒頭は「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」です。加藤さんは、1960年代の後半にヴェトナム戦争に抗議してワシントンに集まった人たちが、武装した兵士達と相対して地面に座り込み、その中の一人の若い女性が眼の前の無表情な兵士に向かって差し出した一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろうと書いています。それは、星の王子様が愛した薔薇や、聖書に書かれた野の百合と同じくらい美しいと例えています。彼は、なぜ一輪の小さな花を美しいと感じたのでしょうか。小さな花は、何を表しているのでしょうか。この花から私が連想した曲は、SMAP.の「世界に一つだけの花」やORANGE RANGEの「花」ですが、皆さんは「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」で思い浮かぶ曲は何ですか?これから「世界で一番美しいと自分が感じる花」を探していきましょう。

「やる気」はどこから?

 私は、「やる気」について1学期の始業式の式辞と新入生のオリエンテーションの講話で昨年に引き続き、皆さんに話をしました。某学習塾のCMで「やる気スイッチ」が使われるようになったのは、2009年のことで、まだ皆さんが幼稚園に行っていた頃のことでしたが、まだ続いているようですね。このCMを親子で見ていて、どんな会話がされているか興味がありますが、「〇〇のやる気スイッチは、どこにあるんだろうねぇ」などと言われて、嫌な気持ちになった子どもも少なからずいたことと思います。「やる気」は、大人になると「モチベーション」という言葉に変わり、「社員のモチベーションを高めるには、どうしたらよいか」がテーマになってきます。

 やる気は、同じ人ならすべての活動に同じように出るものではありませんし、それを測る物差しを誰も持っていません。好きなものや興味のあるものならまだしも、そうでないものに「やる気」を出すのは、口で言うほど簡単なことではありません。ただ、「やる気がでないからできない」は間違いで、「やる気スイッチ」は誰かに入れてもらうものでも、自分で入れるものでもなく勝手に入るものだと私は思っています。勝手にスイッチが入るためには、次のステップが必要です。まず①やってみる。②できるようになる。(勉強や仕事の見通しがつく)③やる気がでる。(目標を達成できる目途が立つ)これが本当だと思います。①やる気がでる。②やってみる。③できるようになる。ではないと思うのです。もちろん、人によって個人差はあるので、一概には言い切れません。(色々なことにやる気をもって取り組める人もいます) 私事で言えば、手をつけるのを躊躇している仕事(やる気がでない仕事)でも、えいやっと始めれば意外とやる気モードになって仕事が進んだりします。勉強も、10分だけやろうと始めて気がついたら1時間過ぎていたというのが理想じゃないかなと思います。1時間、2時間やらなくちゃと思って始めるよりも、結果的に2時間勉強してしまったというほうが気分がいいと思います。最後に一つ、言葉を紹介します。
 「自分を鏡で見ることができる人は練習します。モチベーションのスタートは恥ずかしさです。”このままの自分では終わりたくない”ということです。」
今の自分を客観視して、高い目標を定めて一歩を踏み出してください。3年間は短いです。
※皆さんにとっては、「やる気」「モチベーション」「意欲」のどれが最もしっくりきますか?

「生・命・健」

 昨年10月に、こども園の送迎バスの車中に置き去りにされ、熱射病で当時3歳の女児が亡くなる事件がありました。今朝のニュースで、事件後半年経って父親が胸中を明らかにしていました。私も二人の娘の父親ですので、娘の小さい頃と重なって涙なしには見られませんでした。

 保育園・幼稚園・こども園・小学校・中学校・高校といった幼児・児童・生徒を預かる施設は、命を預かっているので「安全・安心」が第一です。それが保障されなければ生活や勉強どころではありません。事故やいじめがないように先生方は日々細心の注意をして子どもたちを見守っています。体育的行事や体育、部活動などでケガをしたり熱中症にならないように事前指導を行い、活動中も様子をよく見ています。「エピペン」や「AED」の校内研修を行い、運動や食事などで注意を要する生徒の情報を共有し、万が一に備えています。県の教育委員会からも体育施設の視察があり、危険箇所のチェックと指導があります。将来の危険を予測する力が求められるわけですが、「このくらい大丈夫だろう」という気持ちが事故につながります。雷が遠くで鳴った時に、昔なら「まだ大丈夫」でしたが、死亡事故が起こってからは、すぐに活動を中止して避難するようになっています。
 親にとっては、子どもが元気でいてくれることが第一ですので、皆さんも校訓の「健」にあるとおり、より健全な心身をつくれるよう主体的に鍛練し、心身の自己管理ができるようになってください。

同好の士を!PART2

 昨日は、コロナ感染のため高熱でブログを書くことができませんでしたが、なんとか今日は平熱近くまで下がったので、短時間で書こうと思いました。

 本日は、部活動編成の日で、各部への入部希望者が割り当てられた場所で入部届けを提出します。昨年もこの時期に2日間かけて活動している部活は全部見て廻りました。今年は、来週廻りたいと思います。1年次生が入ってくると、活気が出てくるし、先輩としてしっかりしなくちゃと思って生徒の皆さんも気が引き締まりますよね。運動部でも文化部でも、同じ趣味嗜好の人の集まりですから、きっとHRのクラスとは違った友達ができると思います。運動部で言えば、集団競技と個人競技、個人競技でも団体戦がありますね。集団競技でも敵と入り乱れるものとそうでないもの、敵と入り乱れるものでも接触が当たり前のものとそうでないものなど様々なバリエーションがあります。たくさんあるスポーツの中から自分に合ったものを選んだわけですから、それを選んだ皆さんは同好の士ということになります。文化部の皆さんは、活動日数が1~6日と幅があると思いますが、兼部して新しいことにチャレンジすることで、新しい自分を見つけられるかも知れませんよ。ぜひ、気の合う仲間をたくさん作って高校生活を楽しいものにしてください。

ChatGPTからの未来予想図

 今日は、巷で話題になっているChatGPTについて書きたいと思います。私は新し物好きなので、面白いなとかいいなと思ったものは、すぐに試したり買ったりしてしまうのですが、ChatGPTとAIによる画像作成ソフトもすぐに試してみました。正直言って大変驚きました。「ChatGPTの普及によって予想される問題を教えて」に対する回答を受けて、さらに「小学5年生でもわかるように教えて」と質問すると、以下の回答がありました。
1 ウソの情報が広まる問題: ChatGPTは多くの情報を学習しているため、ウソの情報も学んでしまうことがあります。それが広まると、みんなが間違ったことを信じてしまうことがあります。
2 人間が仕事を失う問題: ChatGPTが進化すると、人間がやっていた仕事を機械がやることができるようになるため、人間がやる仕事がなくなってしまうかもしれません。
3 感情や文化の理解が難しい問題: ChatGPTは、人間の感情や文化の理解が難しいため、間違った返答を返すことがあります。それが原因で、人々が不快になることもあります。
以上のような問題が起こる可能性がありますが、ChatGPTは、私たちの生活をより便利にするためにも、とても役立つ技術です。ただし、この技術をうまく使うためには、正しい情報を見分ける力や、機械に仕事を奪われないためにも、自分たちが何ができるかを考えていく必要があると言えます。
 どうでしょうか。この回答は1秒と待たずに出てきました。現在、ChatGPTを始めとするAIを活用したソフトについて解説する動画がたくさんアップされています。作文や感想文を書き、要約もしてくれます。相談に対してカウンセラーのように答えてもくれます。作成したい画像のキーワードや注文を書き込めば、たくさんの画像を作成してくれます。そのクオリティは普通のイラストレーターを失業に追い込むほどです。そのほかに動画作成や作曲ソフトもあります。音声認識と翻訳機能が発達して、AIと会話しながら仕事を進める未来も近いのかもしれません。皆さん、そんな未来を見据えて、汎用的な能力を身に付けられるよう頑張っていきましょう。
※「いじめをなくすにはどうしたらいいの?」「なぜ、人を殺してはいけないの?」などAIならどんな回答をしてくれるだろうという質問をいくつかしてみました。十分満足のいく回答は得られませんでしたが、教科書的な模範解答は得られました。質問を繰り返して深掘りしていけば、もっと違う回答も返ってくるのかもしれません。出てきた回答に対して無条件にそれを受け入れてしまえば、人間は「考える葦」ではなくなってしいます。AIを活用して、さらによいものを作り上げていくための努力を怠らないようにしたいものです。

夢と道

 私は学校にいる時の昼食は、大体ヤフーニュースを眺めながら食べています。今日見たトピックに今年の東大入学式での祝辞がSNSで話題を呼んでいるという記事があったので、読んでみました。祝辞をしたのは、低・中所得国での感染症対策を支援する国際機関「グローバルファンド」で保健システム及びパンデミック対策部長を務める馬渕俊介さんです。祝辞の中で印象に残ったところは下記のとおりです。

〇自分の夢に関わる本当に好きなことをやらないと、それを徹底的に突き詰めることはできません。また、好きなことをやってないと、幸せの尺度が「自分が他人にどう評価されているか」になってしまう。それではうまくいかないときに持たないです。他人の評価を気にする他人の人生ではなく、自分がやりたいことに突き進む自分の人生を生きてください。

〇夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見つけることはできないということです。夢が見つけられないというのは、ほとんどすべての人が抱え続ける悩みですが、夢は、待っていれば突然降ってくるものではありません。探し続けて、行動してみて、その中で少しずつ「彫刻」のように形作っていくものだと思います。周りに流されず、自分の興味のままに、探し続けてください。そしてそれが一番自由にできるのは、今からの4年間です。

 以下は馬淵さんが、松下幸之助の「道」という書から引用した座右の銘です。

“自分には自分に与えられた道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。”

 道と言えば、高村光太郎の「道程」にある“僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る”や徳川家康の“人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。”が有名ですが、俗っぽいところでは、テレビドラマ「水戸黄門」の主題歌の歌詞“人生楽ありゃ苦もあるさ涙の後には虹も出る 歩いてゆくんだしっかりと自分の道をふみしめて”も年配の方には、よく知られていると思います。

 3月16日のニュースで、第一生命保険による「大人になったらなりたいもの」の調査で、男子は小・中・高校ともに「会社員」が三年連続の1位となり、女子も3年連続で「パティシエ」が1位に輝きました。この結果に「夢がないねぇ」というのは簡単なのですが、子どもは世の中と大人を冷静によく見ているとも言えます。会社員と言っても色々な業種・職種がありますので、幅がありすぎて参考にならない解答とも言えます。

 夢は、ただ待っていても叶えられるものではありません。自分の夢を見出し、叶えるために、自分の行く道をしっかりと見据えることができるかは、皆さんの主体性にかかっています。生徒の皆さんが、高校で、もしくは大学で夢を叶える自分の道を見つけられるように願っています。そのサポートは太東の先生方に任せてください。

主体的に高校生活に取り組む態度「A」

 今日は、対面式と部活動紹介、体育祭の団色決めがありました。体育館に全校生徒が集まったのは3年ぶりです。幸せな光景でした。私が高校1年生で対面式での洗礼を受けたのは、45年前のことでしたが、上級生に圧迫されて入場したのを覚えています。太東では、優しく面倒見のよい先輩が、入場と退場時に花道を通る1年次生に温かい拍手を送ってくれました。部活動紹介では、凝った動画による紹介やステージ上での部員による紹介、ステージ下でのパフォーマンスなど、盛りだくさんで、1年次生だけでなく、上級生も楽しんでいました。吹奏楽部の演奏からチアリーディング部の締めのパフォーマンスまで、長時間に渡りましたが、中身が濃く短く感じました。ボクシング部の練習風景やフラダンス同好会のダンス、少林寺拳法部の演舞、チアリーディング部のパフォーマンスはなかなか間近で見る機会はないので、1年次生は「高校ってすごい!」と思って見ていたと思います。体育祭は、1年次生から3年次生をクラスごとに立て割りにして6団作り、6団での対抗戦になります。3年次の各クラスから一人ずつ団長が選ばれ、団色決めを行い、必勝表明をし気勢をあげました。きっと盛り上げてくれることでしょう。

 高校は小・中学校と違って生徒数が多いので、色々なことに興味をもって、チャレンジすれば、必ず自分と趣味の合う友達、気が合う友達が見つかるはずです。体育祭を手伝ってくれる有志を募っていましたが、自分から動くことで得られるものも多くなります。ぜひ積極的に参加してください。部活動では、2足の草鞋を履いている人も多いので、時間を有効に使って勉強以外にも打ち込める好きなものを見つけてください。それが勉強にもいい影響を与えて相乗効果を得ることができます。高校生活を充実したものにするために、ぜひ主体的に取り組んでくれることを期待します。