日誌

榎本校長のつぶやき

授業参観日記スタート!

 6月に入ってから、先生方の授業を参観させてもらっています。本校のウェブページのトップに校長挨拶・ブログ通信というボタンがありますが、その右に「授業参観日記」というボタンを作ってもらいました。これから夏季休業に入るまでにすべての先生方の授業を見て、先生方がどのような授業をしてくれているかを綴ってウェブにアップしていきます。先生方がよい授業をしていても、外部はもとより、なかなか校内の先生方にも知ってもらう機会が少ないので、情報交換と広報を兼ねて、発信することにしました。今年の授業研究のテーマは「対話的学習活動」と「ICTの活用」です。これからの社会で生きていく上で、どのような力を身に付ける必要があるか、その力を身に付けてもらうためにどのような授業をしたらよいのか、日々悩んでいるところです。「不易流行」という言葉のとおり、教育の本質は変わらないとしても、時代が変われば、必要に応じて変わるものも出てきます。一人1台端末の活用もそのうちの一つでしょう。高校の教師にとっては専門科目の授業が「命」のはずなので、最も力を注ぐべきものです。しかし、実際には、授業以外にHR経営や校務分掌の業務、部活動指導、その他にも多くの業務があり、授業研究や準備にかけられる時間が十分とれているとは決して言えません。それでも、生徒の皆さんに自分が教える科目を好きになってもらって、できるようになってほしいという願いをもって、先生方は日々の授業の準備を一生懸命にして、教壇に立っています。授業は、先生と生徒が作り上げるライブです。教室はライブ会場です。ぜひ、みんなで盛り上がるように協力してください。

天災は忘れたころに・・・

 今日は、短縮授業で6限終了後に地震避難訓練が実施されました。日本海側、太平洋側と、最近、地震が多いですよね。北朝鮮のミサイル発射でJアラートが話題となり、沖縄の人は不安だと思います。東日本大震災から12年が過ぎ、いまだに悲痛な叫びを伴った津波の動画はネット上でたくさん見られます。

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあるとおり、年に数回は危機管理の心構えを持ち直すことが必要だと考えます。学校は鉄筋コンクリートで通路も複雑ではないので、地震や火災などに強いと言えます。本校は海や大きな川の近くでもなく、山が側にあるわけでもなく、比較的安全な場所にあります。それでも避難訓練をするということは、実際の危険に対処する以外に、どこに行ってもその場所に合った避難をできるようにすること、つまり自分の頭で考えて安全を守る行動ができるようになることが目標だからです。これから先、旅行等でどんな場所で災害に遭遇するかはわかりません。避難経路の確認と万が一の時に冷静に周りの状況を見て、落ち着いて行動できるようになってほしいのです。

 学校は、校舎は頑丈で外に出やすいし校庭は広いので、避難自体はそれほど困難なことではありません。ただ、生徒と職員全部で800名近くになりますので、パニックを起こさず落ち着いて避難しないと、階段や通路で将棋倒しになって、地震や火災以外の面で怪我をする危険性があります。冷静に迅速に避難できるかが、どんな災害の場合でも求められます。1分1秒が生死を分ける避難もあります。「慌てず急げ」が合言葉ですよ。

常識と非常識が逆転する日

 今日5月29日は、語呂合わせで「幸福の日」らしいですが、幸福について書こうとすると、かなり長文になりそうな嫌な予感がするのでやめておきます。
 というわけで、今日は当たり前と一般に思われていること、つまり常識を疑うことについて書きます。ユーチューブにビジネス書をボイスコミックで紹介するものがあるのですが、先日見たものに「ニュースは見るな」というものがありました。なぜ、ニュースは見ないほうがいいのでしょう?私もニュースは同じものが飽きるほど繰り返されるし、肝心なことはテレビ局に都合が悪いのか報道されないことも多いし、時間の無駄と思うことが多々あります。週末に1週間の主なニュースをまとめて見るだけで十分な気がします。ニュースは報道する価値があるからニュースになるのではなく、視聴率がとれるものをニュースにするという側面があります。コロナの報道も視聴者の不安を煽ったほうが視聴率がとれると言われました。ニュースの中で本当に報道する価値のあるものは、果たしてどれくらいあるのでしょう。若者の犯罪の増加や凶悪事件の増加、高齢者の事故の増加、外国人犯罪の増加などは、ニュースによって間違ったイメージが作られたものです。「ニュースを見た(読んだ)ほうが世の中のことがわかるからいい」という常識や思い込みを、もたされてはいませんか。
 「重役の7割が賛成するプランは時すでに遅く、7割が反対するプランくらいでやっと先手をとれる。」と松下幸之助さんは言っていますが、独創的発想、斬新なアイディア、これらは世間の常識を裏切って生まれてくるということですね。逆説的ですが常識の範疇を超えたアイデアを出すためには、まず常識を知り尽くさねばなりません。そのために学校は大事です。社会の常識を学ぶところですから。
「本当の意味で勉強するということは、常識を学ぶことではない。常識を知り、そこから外れてもいいということを学ぶことである」と言語学者の外山滋比古さんは言っています。
皆さんが、当たり前と思って少しも疑っていないことが、世の中にはたくさんあると思います。身近なところで何があるか、考えてみてください。そして、それが当たり前でなくなった先には、どんな社会が待っているのでしょう。

失敗は成功の・・・

 今年度最初の定期考査が終了しました。努力に見合った満足する結果が得られたでしょうか。中間考査初日のブログでは、成功について触れましたので、今日は「失敗」について、私が書き留めてきた言葉の中から抜粋したものを紹介します。今回の考査で、失敗したと落ち込んでいる人がいたら、よく読んでください。失敗を前向きにとらえられるかどうかが、成長の鍵です。

〇早稲田大学の創設者である大隈重信のいた佐賀鍋島藩は、藩士教育に熱心なあまり、成績不良な学生の家禄を半分にする、といった罰則まで設けていました。現代では、受験地獄がいくら厳しくても失敗すると親の給料まで半分にされてしまうというようなことはありません。それほど当時の藩の経営は厳しく、また武士たるものの責任は重かったのです。大隈重信は次のような言葉を残しています。「諸君は必ず失敗する。ずいぶん失敗する。成功があるかもしれませぬけれど、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たなければならぬ。たびたび失敗すると、そこで大切な経験を得る。この経験によって、もっと成功を期さなければならぬのである。」  

〇失敗からは必ず新たな発見がある。最近は、失敗するのが楽しみになってきました。田中耕一(ノーベル化学賞を受賞)

〇失敗すればするほど幸運はくる。若い間に、いっぱい失敗して挫折してください。」山中伸弥(京都大学教授 世界で初めてiPS細胞の作製に成功し、ノーベル医学・生理学賞を受賞)

〇失敗をただの失敗と思うか、おいしいと思うかの違いなんです。失敗って視点を変えると結構面白かったりしますから」東国原英夫(元宮崎県知事)

〇「失敗したからって何なのだ。失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか」ウォルト=ディズニー

〇そもそも失敗は、脳にとって最高のエクササイズである。失敗して痛い思いをすると、その晩、失敗に使われた関連回路の閾値が上がり、電気信号が行きにくくなる。胸の痛い失敗を重ねれば、要らない回路が消え、失敗しにくい脳に変わるとともに、とっさに余分な回路に電気信号が行かないので、本質を見抜き、勘が働く、センスのいい脳になる。

〇人が成長する上で、必ず経験しなければならない失敗があるのです。これが「よい失敗」で、別の言葉を使えば、「必要な失敗」といえます。

〇人は正解を教えてもらったら、盲目的にそれしかやらなくなります。試行錯誤をしなくなるんですね。絶対に失敗させて、試行錯誤させれば、どれだけセンスのないやつでも成功できるんです。全員失敗させて、全員成功させるんです。

いかがでしょうか。失敗を単なる失敗で終わらせるか、「勉強させてもらった」と感謝して、成長と次の成功に生かせる糧とするか。それはあなた次第です。

3.14・・・楽しめる!?

 昨日、興味深いニュースを見ました。兵庫県の西宮市立西宮高校3年の4人が「三角比の定理」などを用いて「円周率の新しい求め方」を証明し、まとめた論文がオーストラリアの国立ニューサウスウェールズ大学が発行する数学雑誌に特に注目すべき記事として掲載されました。高校までで学ぶ公式などを使って証明することは困難とされていて、新たな証明方法として評価されたそうです。研究を始めたのは彼らが1年生だった2021年9月で、身近な疑問を出発点に深く探究する授業の中で、「円の面積と内接する多角形の面積は近似する」というテーマの着想を高校受験の問題集から得たとのことです。半年ほどかけて挑んだ末、高校1年で習う「三角比の定理」などを用いて、スムーズに証明できることが分かりました。指導した先生は「私がほとんど口を挟むことなくやってのけた。円周率の証明は伝統があるが、高校生が学ぶ知識で解けたということに大きな意義がある。数学界でいうと“エレガント”な証明」と太鼓判を押しました。生徒たちは「答えにたどり着くまでの過程を導くために、自分たちなりに試すことに楽しさを感じた」「諦めないで続けていけば道は開ける、という自信につながった。これからも大好きな数学に関わっていきたい」と述べています。研究の原動力は、尽きぬ探究心だそうです。皆さんも、ぜひ探究心をもって好きなことに取り組んでください。

 さて、円周率についての話をもう少し書きたいと思います。1999年秋に某N学習塾が2002年の学習指導要領改訂をとりあげ『ウッソー!?円の面積を求める公式 半径×半径×3!?』、『円周率を3.14ではなく、「およそ3」として円の求積計算を行います』と書かれた広告を首都圏の通勤電車の中に大量に張り出すなどして大々的なキャンペーンを行いました。この衝撃的な情報は全国に広まり、マスコミによって拡散され、首都圏の学習塾の思惑(公立学校に行かせるとこんな事になっちゃいますよ。いいんですか?)を助けることになりました。そしてゆとり世代は"円周率を3として習っている"という認識が世間一般で広がってしまいましたが、この話はデマです。正確には 「円周率は3.14だが、実際の計算では3として取り扱っても良い」 ということです。これは、小学校5年で習う小数の計算では、小数点以下1桁までしか扱わなくなったことに関連しています。これに関連して2003年に話題になったのが東大理系の前期試験の「円周率が3.05よりも大きいことを証明せよ」です。メディアは、「東大がゆとり教育を否定した」などとセンセーショナルに取り上げ、もっとも有名な大学入試問題の一つになりました。興味をもった人は、ネットでたくさん取り上げられていますので考えてから解答を見てみてください。3.14がどんな数字なのかを考える人と単に円周率として覚える人では、学年を重ねるごとに数学だけでなくすべての学習で大きな差がつくことでしょう。

 そのほか円周率に関するトピックでは、2019年3月14日に、グーグル社で日本出身の岩尾エマはるかさんが、円周率を小数点以下31兆4000億桁まで計算することに成功したことや、19世紀末のアメリカのインディアナ州で円周率を3.2という間違った値に勝手に決める内容を含んでいる法案が通りそうになったことなどが、興味深いです。円周率がアバウトだと失敗してしまう国家プロジェクトもあります。日本の小惑星探査機はやぶさの軌道計算には「3.141592653589793」が使われましたが、もし「3.14」を使っていたら最大で約15万キロも軌道がずれてしまう可能性がありました。日本には円周率11万桁を覚えた世界記録保持者原口證さん(77歳)がいますが、原口さんは意味のない数字の並びである円周率に、独自の語呂合わせで770以上の物語を作り、記憶しています。最後に彼の言葉を紹介します。

「『実行八分目』が大切。精一杯頑張ったら、翌日は疲れてやりたくなくなる。でも、物足りなさを残してやめておけば次の日も楽しみながら実行できる。その繰り返しが、継続へとつながるのです。目標も決して定めない。達成しなければという義務感が生じ、つい頑張ってしまうから。頑張りすぎる→苦しむ→目標に届かず挫折、という悪循環に陥ってしまいがち。「大事なのは続けることではなく、続けられること。肝心なのは、楽しくやることではなく、楽しくやれること」 

『論語』にある孔子の言葉「之れを知る者は、之を好む者に如かず 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」が思い出されました。「学ぶことにおいて、その知識を知っているだけの人間は、勉強を好きな人間には及ばない。勉強を好きな人間は、勉強を楽しんでいる人間には、及ばない。」何かをできるようになりたかったら、楽しんでやるのが1番!ということですね。「楽してやる」ということではなく、「真剣に、でも、楽しんでやれる」ということだと思います。何事も楽しんでやれる工夫ができるかどうかですね。 

中間考査初日「はじめの一歩」

 本日から令和5年度最初の定期考査が始まりました。1年次生は、高校入学後初めての定期考査になりますが、十分準備をして臨めたでしょうか。2週間以上前から準備している人もいる一方で、一夜漬けになってしまった人もいるかもしれません。中学校までは、一夜漬けでもある程度いい成績がとれていても高校ではそうはいきません。手遅れになる前に計画的に学習する習慣をつけましょう。「習慣は第二の天性」です。発明王エジソンの最も有名な言葉に「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」がありますが、「あきらめずに努力を継続できる力」こそが、夢を叶えるために必要な力だと考えます。また、エジソンはこうも言っています。「人生の落後者の多くは、あきらめた時に自分がどれだけ成功に近づいていたかに気づかなかった人たちだ。」同じように、松下幸之助さんは、「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。」と言っています。吉田松陰の名言に「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし、故に、夢なき者に成功なし。」がありますが、非常にわかりやすいですね。似たような論法の言葉に元英国首相のマーガレット・サッチャーの言葉があります。「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。」 

 某企業の人事担当者が「筆記試験だけで合否を決めると、合格者が女性ばかりになってしまう」と嘆いているのを読んだことがあります。定期考査の話から、少し大げさな話題に発展してしまいましたが、男子は女子に比べてコツコツ頑張るというのができない人が多いようで、前述の人事担当者の話のようなことになりがちです。

 勉強だけでなく、部活動においても正しい習慣をつけることが大事です。何事も小さな一歩の確実な積み重ねですよ。どこの進学校でも、初めての定期考査の結果に落胆し、心折れる人が少なからずいますが、その結果を真摯に受け止められるなら、大丈夫です。挽回できますから、頑張っていきましょう。

「PR」どんな意味?

 先週の金曜日の「総合的な探究の時間」に「学びみらいPASS」の事後指導が2、3年次生に対して行われました。その中で「自己PR」について触れられていましたが、入学試験でも入社試験でも書類や面接での自己PRは大事です。PRはプロパガンダなら宣伝の意味で、ある政治的意図のもとに主義や思想を強調することとして使われます。ヒトラーのナチスが行ったことや社会主義・共産主義国で行われたことなどが典型的です。「自己PR」のPRは「パブリックリレーションズ」のことであり、本来は組織体とその存続を左右する一般市民との間に、相互に利益をもたらす関係性を構築し、維持するマネジメント機能という意味です。言い換えると「自己PR」は企業と自分との間に相互の利益をもたらす関係を作ろうとする行為ということになります。もっとわかりやすく言うと自分のセールスポイントをアピールして自分がその企業に貢献できる人間であることを、面接官に評価してもらうための行為となります。つまり、大学入試の自己PRなら「自分の過去現在未来の勉強について語り、将来の夢に向けてどんな勉強や活動がしていきたいのかを具体的に説明でき、大学の活性化に貢献できる人物か」が評価されます。入社試験の自己PRなら、「自分はどんな勉強や経験をしてきて、どのようなスキルがあり、どんな仕事で会社に貢献できる人物か」が評価されます。日本人は、自己肯定感が低く、謙虚なため、自己PRが苦手であるという見方がありますが、だからこそ、「主体的で対話的な学習活動」が重視されるようになったのです。生徒の皆さん、本校で様々な活動に取り組み、非認知能力を高め、自信をもって自己PRができるようになってください。 

※「学びみらいPASS」は、生徒たちの進路に関わる興味・関心をひろげ、“変化の時代”に求められる力を客観的に測定するアセスメントテストです。ジェネリックスキルが1年前と比較してどうなったのか結果を分析し、解説して今後の学習に役立てます。

※ジェネリックスキルとは、特定の専門分野に関係なく、全ての人に求められる能力であり、コミュニケーションスキルや論理的思考力といった「汎用的な技能」の他、チームワークやリーダシップ、倫理観などを含む「態度・志向性」、「統合的な学修経験と想像的思考力」なども含みます。

もしもPTAがなかったら・・・

 今日は4年ぶりに対面でのPTA及び後援会の総会を開催することができました。心配していた雨もあがり、気温もそれほどあがらずほっとしました。300人を超える保護者の皆様に御来校いただき、誠に有難く思います。教室棟の1階から3階まで、授業参観の保護者の方があふれていて(笑)、久しぶりの光景でした。高校では、保護者が授業や学校行事、部活の様子を見る機会がもともと少ないと思いますが、コロナの影響で少ない機会が、さらに少なくなった、というよりなくなってしまいました。今後は、御子様の様子を見られる機会が増えるのではと思います。ただ、本校は教室が狭いため、特別教室以外では教室後方に入れるスペースがほとんどなく、廊下から見ることが多くなってしまうのが残念です。学校によっては机の大きさが2倍ほどあり、1教室20人という環境のところもありますが、もう少し高校の教室環境を改善してほしいと思います。今は教室にエアコンがついていて、20年以上前、39℃の教室で意識が朦朧としながら授業していたころに比べればよくなりましたが、教室の人口密度は変わっていません。中学校では、必要教員数を満たせず、本来は35人学級なのに40人でやらざるを得ないところも出てきていて、時代に逆行しています。日本は、2021年のGDPの中で公的教育費の占める割合で見ると世界で138位です。どう思いますか。「教育は国家百年の大計」といいますが、国の将来を担う子どものための教育予算をもっと増やしてほしいと思います。ここには書けないこともたくさんありますが、今できることをやるしかないと考えて頑張ります。さて、タイトルの「もしPTAがなかったら・・・」のあとに続く言葉は何か、生徒の皆さんにはわかってほしいです。

G7広島サミットの行方

 G7広島サミットが、今日開幕しました。 核兵器保有国の米英仏の首脳が、そろって広島を訪れるのは初めてであり、今回、最も大きな関心事は米英仏の首脳に原爆資料館を見学してもらえるかでした。2016年にオバマ大統領が訪れた時も資料館を見学しましたが10分足らずで本当に見てほしいものを見てもらえたかどうか疑問です。今回、およそ40分間にわたって、首脳が揃って原爆資料館を視察したのは歴史的出来事だったと思います。岸田総理は、今回のサミットについて「核兵器のない世界に向け、『あのとき、流れが変わった』と言われるぐらいの大きなメッセージを発していきたい」と意欲を示していました。各国首脳がどういった展示を見たかは明らかではありませんが、核廃絶に向けての新しい一歩になったと思います。原爆投下の是非については、いまだに「戦争を早く終わらせ、被害を広げないために仕方ないことだった」ということを考えているアメリカ人が大半です。(ただ、若い人は4人に1人くらいというデータもあります。)日本でも原爆投下までにどのような経緯があったかについては、学校で詳しく教わることはありません。アメリカでは尚更でしょう。(なぜ、そうなるのかは皆さんが考えてみてください)原爆や東京大空襲は、極東国際軍事裁判(東京裁判)における「人道に反する罪」にあたるはずですが、戦勝国が裁かれることはありません。どんな戦争も正義を自分の側に引き寄せるために「大義名分」を掲げます。ロシアのウクライナ侵攻もそうですね。原爆投下の大義名分「戦争の早期終結を図り、これ以上犠牲者を出さないため」も然りです。日本の「大東亜共栄圏」(欧米の植民地支配からアジア諸国を解放する)もそうです。歴史を振り返れば、核兵器を含む軍縮と軍拡は繰り返されてきました。軍事に使うお金があるなら、他のことに使ったほうがよいことはみんなわかっています。しかし、軍事力のバランスをとることが戦争を抑止するという考えが、相互不信のため捨てられず、軍需産業(死の商人)の利害も加わって、「核兵器廃絶」は絵に描いた餅となっています。今回のサミットが、核兵器廃絶に向けた新たな一歩になることに期待したいと思います。生徒の皆さん、歴史をしっかり勉強して社会的事象の本質がつかめるようになってください。2年次生は11月に修学旅行で広島に行きますね。事前学習をしっかりやってください。

言の葉の園生

 何か、最近は「今日は何の日」に頼りっぱなしです。昨日今日と「全国高校長協会」の総会と研究協議会が大宮のソニックシティホールで開催されたので、行ってきましたが、それについて書いても仕方ないので、「今日は何の日」に頼らせてもらうことにしました。今日は「ことばの日」だそうです。2019年に制定された新しい記念日です。日付は言葉の「葉」が5月の新緑の瑞々しさを表しているとの思いと、「こ(5)と(10)ば(8)」と読む語呂合わせから。「ことば」を大切に使い、「ことば」によって人と人とが通じ合えることに感謝し、「ことば」を正しく使って、暮らしをより豊かにすることが目的だそうです。漢字の「言葉の日」ではなく、ひらがなの「ことばの日」としたことには手話や点字など広い意味での「ことば」を知ってもらいたいとの思いが込められているそうです。言葉の大切さについて異論を差しはさむ人はいないでしょう。以下に「言葉」について私が書き留めてきたものを紹介します。皆さんも高校生活を通して、自分の言葉を増やし、大切に育ててください。

〇新約聖書に有名な言葉があります。「はじめに言葉ありき」です。これは、「言葉があるから、人は世界にある全ての物を、認知できるので、言葉は大変大事です。」と多くの人に誤解されている言葉です。言葉の重要性を説いているものではなく、「アルケーはロゴスなり」=「根源的原理は、キリスト(神の言葉)である。」という意味だそうです。言葉の大切さがわかっているから、逆に誤った解釈をしてしまうという皮肉な例です。

〇平安時代前期の『古今和歌集 仮名序』に「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」(和歌というのは、人の心をもととして、様々な言葉となったものである)とあるように、和歌に「言の葉」が使われていました。その後、「言の葉」が多く用いられるとともに、「ことば」にも「言の葉」の意味が含まれていき、「言葉」は言語を表す最も一般的な語となったようです。

〇戦国時代初期の武将の北条早雲の家法と伝えられる「早雲寺殿廿一箇条」に「歌道を心得ていれば、常に出言の慎みがある」とあります。これは、「歌道の心得のない人は、品がない。良く学び、常に言葉遣いに注意しなさい。迂闊な一言で胸中が悟られてしまうものだ。」という教訓です。歌は、きわめて短い言葉で自分の思いを表現しなければならない。そうした鍛錬が、日常の何気ない言葉にも顕れてくるとみていました。

〇口から出た言葉には魂が宿る。例え思っていなくても、「ありがとう」って言えば、「ありがとう」の心が出てくる。言霊(魂)は、よい言葉に宿らせたいですね。

〇古典落語の演目は、前座が演じるか真打ちが演じるかで、おもしろさがまったく異なってくる。話し方や間の取り方によって、言葉はまったく別物になるのだ。

〇言葉が相手に届き、理解されるためには、まず相手の身体に『響く』必要がある。

〇言葉が途切れる沈黙の時間は、語られる言葉と同じくらい人々の心に届いた。

〇社会の変化で辞書に載る言葉は今後も増えていくのでしょうが、日本語の使い手として大事なのは、いかに多くの言葉を知っているかより、使いたい言葉、使いたくない言葉の仕分けがきちんとできるかどうかでしょう。

〇言葉を使うというのは、ある意味で化粧をすることだ。言葉の力をつけるためにも、そして読解力をつけるためにも、一つの言い方ではない、もっと別の表現が      あることを知り、様々な表現を自分のものにすることが大事なのだ。そうすることによって語彙が身につき、読解力がついてくる。樋口裕一

〇人間は言葉でものごとを考えていますから、複雑な思考のためには自在に扱える言葉を増やさなければなりません。

〇自分が発した言葉は、情動を司る脳の奥の扁桃体という部位に影響を与えます。ポジティブな言葉なら、扁桃体もポジティブに反応して、感情が前向きになりますが、ネガティブな言葉なら、反対に感情が落ち込みます。ある心理学の研究では『緊張する』と話した人は『ワクワクする』と話した人より、テストの成績が10%も悪かったそうです。

〇自分の発した言葉で一番影響を受けるのは、実は自分だということもわかってきました。自分の言葉を一番多く聞いているのは、自分だからです。

〇「ことばを育てることは、こころを育てることである。人を育てることである。教育そのものである。」大村はま(国語教師、国語教育研究家)

〇ひとつの言葉でけんかして ひとつの言葉で仲直り ひとつの言葉で涙を流し ひとつの言葉で笑い合う
 ひとつの言葉であたまが下がり、ひとつの言葉でいがみ合う ひとつの言葉はそれぞれにひとつの心をもっている

実力発揮!

 好天に恵まれ、高校総体1日目が終わりました。選手の皆さん、お疲れ様でした。引率された先生方、競技役員の先生方、ありがとうございました。

 選手の皆さんは、普段の練習の成果が発揮できたでしょうか。それとも残念ながら固くなってしまって、実力が出せずに終わってしまったでしょうか。本当は、「実力が出せずに」という言い方は、おかしいのですけどね。なぜなら、実力とは本番で発揮されるものをいうわけで、練習でのうまさは実力とはみなされないからです。残酷ですが、心技体がそろって実力と呼べるわけで、メンタルが弱くて本番に弱いとか、体調管理ができないとかは実力があるとは言えないわけですね。スポーツ選手にとって「メンタルトレーニング」というのは、非常に重要で、専門のトレーナーがいるくらいです。もちろん、受験もメンタルが重要ですよね。集中力やあきらめない心とか粘り強さ、レジリエンス(精神的回復力)とかは、一朝一夕に身につくものではなく、経験を繰り返すことで育まれるものです。

 以前にも書きましたが、最近では、テストで測れる認知能力ではなく、日常生活・社会活動において重要な影響を及ぼす能力である非認知能力が重要視されるようになってきています。学校行事やHR活動、部活動などの集団的活動、体験的活動は、非認知能力を育むのに有効であると考えられています。皆さん、教科学習以外の学校での様々な活動を通して、楽しみながら非認知能力を磨いてください。そうすれば、高校生活は益々充実したものになりますよ。

 それと、自分が試合をしていても、人の試合を見ていても気になることは、勝者と敗者の気持ちです。勝敗がついたときに、お互いにどんな気持ちになるのか。もちろん、勝った方はうれしいでしょうが、力を尽くして戦った相手をリスペクトしているかどうか。よく、健闘を讃え合うと言いますが、敗者は「悔しいけれどあなたのほうが強かった。次の試合、頑張ってね」と思えるか。勝者は、「今日はありがとう。次の試合は、あなたの分まで頑張るよ」と思っているか。試合に勝っても負けても色々な意味で成長しています。振り返りで気付き、自分の成長に生かせるかどうかが重要です。勝負を通して自分の心を育ててください。

明日は、天候が心配されますが、選手の皆さんの実力が発揮できることを祈っています。

人間の可能性

 今日は、ALSOKぐんま武道館で県高校総体の総合開会式があり、出席してきました。激励メッセージということで、郷土芸能、ペップアーツ、バトン、ダンスなどが披露され、最後に県内19校の生徒200人ほどによるダンス専門部の公開演技がありました。フロア一杯に広がってのダンスは見応えがありました。
 先日の5/6(土)に放映された「THE DANCE DAY 2023」のパフォーマンスでは、個性や創造性も素晴らしいですが、人間は練習すればどこまでできるようになるのだろう、どれくらい練習してここまで到達したのだろうと思うとともに、高校生の演技を見ても同様に感じました。そして、最近のAIの著しい進化を見ても、まだまだ人間の動きに近づけるロボットはできないだろうなと実感しました。開会式でのパフォーマンスは高校生らしく、見るものを感動させるものがありました。
 最後のダンスは、4色のTシャツで分けられた集団によるものでしたが、本校の体育祭での応援合戦で6団全員が踊っているかのように錯覚しました。6月には体育祭がありますが、応援合戦を楽しみにしています。ぜひ、独創的なダンスを作り上げてください。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。

生きている or 生かされている

 GWも終わり、今週は高校総体ウィークです。皆さんは、どんなGWを過ごしたでしょうか。

 今日からコロナが5類感染症に移行しましたが、今後はコロナ感染が珍しいことになってくれればありがたいですね。我が家はコロナの影響(後遺症?)か、3人がGW中も体調不良だったため外出はほとんどしませんでしたが、5日の本校吹奏楽部の定期演奏会は行かせていただきました。本校の先生方や生徒がたくさん来てくれていて、チアリーディング部とフラ同好会の応援もあり、来場していただいた多くのお客様に楽しんでもらえたと思います。テーマの「日幸」にふさわしい演奏会になりました。それと4日に義父母の墓参りに行ってきました。昨年も5月3日のブログで書いていますが、菩提寺に二つの掲示板があり、そこに言葉が書かれた紙が貼ってあります。少なくとも月毎に変わっていると思いますが、昨年は「すぐやる 必ずやる できるまでやる」「なりたい自分になるのに 遅すぎるということはない」でした。今年は「何のために生きているのかだと行き詰る 何のために生かされているのか考えると やるべきことが見えてくる」「人生はご恩返し」でした。以前に、私たちは何か大きな力によって生かされているのではないか。それが「神」かどうかは別として。というようなことを書いた記憶があります。人間の生死には、運不運がつきまとうと思います。神風特攻隊で生き残った人が、「仲間はみんな死んでしまった。俺だけ、なぜ生き残ったのか」と嘆き、「何か理由があって生かされたのなら、それを考えて生きていこう」と思ったそうです。自分が生きている不思議なんて、普段は考えもしないことですが、心の持ち方ひとつで生き方は変えられるかもしれません。「生きているのが当たり前」と思うか、「生かされている奇跡」を感じるか。4月27日のブログ「哲学ってホント・・・」で「どう生きるべきか」という問いを取り上げましたが、ソクラテスの言葉と伝えられる「善く生きる」の意味を考えてみてください。ちなみにBenesse(ベネッセ)はラテン語の造語で「よく生きる」という意味です。

哲学ってホント・・・

 今日は、紀元前399年に古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、獄中で毒を飲んで亡くなった日ということで「哲学の日」だそうです。高校の現代社会や世界史、倫理の授業で教わる人ですが、倫理の授業以外では詳しくは勉強しないので、知らない人も多いかもしれません。ソクラテスと言えば「問答法」「無知の知」「善く生きる」などがキーワードです。現在、新しい学習指導要領のもと「主体的対話的で深い学び」ができるように、学習活動が工夫されているわけですが、「対話的」とは、生徒同士を始めとして、様々な人との交流を通して学び気付く学習活動です。そこには書物を通した先人との対話も含まれます。ルーツはソクラテスの問答法ですね。ソクラテスは、対話的問答を通じて相手にその無知を自覚させようとした(無知の知)わけです。

 哲学って難しそうなので、わかりやすい説明はないかと思って探してみました。世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問という説明がありました。私は、哲学とは、この世の中のあらゆる「なぜ?」について探究する学問であり、人間についていえば「どう生きるべきか」を考え続ける学問であると思います。最後に対話の大切さについて述べた文?を紹介します。自分の周りにどんなピースがあって、その中からどんな自分が浮かび上がるのでしょう?

 「結局、人はジグソーパズルの最後に残ったピースみたいなもの。周りが埋まって初めて、残った空洞の形=自分が浮かび上がってくる。つまり、周りにいる人や環境がとても大切だということです。いろいろな人と交わり刺激を受けないと、物事も自分も進化しません。」樋口直哉(小説家)

世界で一番美しい花は?

 昨日4月23日は「ぐんま花の日」だったのですが、皆さんはご存じでしたか?群馬県と、県内の花と緑に関する26団体が2002年(平成14年)に制定したそうです。4月23日~29日が「ぐんま花と緑の週間」であり、これらの日を中心に、群馬県前橋市にある「ぐんまフラワーパーク」を主会場として「ぐんま花の日 県民フェスティバル」などのイベントが開催されているそうです。皆さんは、「ぐんまフラワーパーク」に行ったことはありますか?私は、数回行ったことがありますが、最後に行ったのは2015年でした。そのフラワーパークも1992年4月に開園してから30年たつため、3月から休園になり、リニューアルして2025年4月にオープン予定です。どんなふうにリニューアルされて、また様々な花を見せてもらえるのか楽しみです。
 先日は桜とハナミズキのことを書きましたが、皆さんは花と言えば何を思い浮かべますか。本校でもたくさんの花が見られますが、じっくりと見たことはありますか?人間、余裕がないと道端の花にも気付きませんよね。作家の加藤周一さんのコラムに「小さな花」というのがあります。その冒頭は「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」です。加藤さんは、1960年代の後半にヴェトナム戦争に抗議してワシントンに集まった人たちが、武装した兵士達と相対して地面に座り込み、その中の一人の若い女性が眼の前の無表情な兵士に向かって差し出した一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろうと書いています。それは、星の王子様が愛した薔薇や、聖書に書かれた野の百合と同じくらい美しいと例えています。彼は、なぜ一輪の小さな花を美しいと感じたのでしょうか。小さな花は、何を表しているのでしょうか。この花から私が連想した曲は、SMAP.の「世界に一つだけの花」やORANGE RANGEの「花」ですが、皆さんは「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」で思い浮かぶ曲は何ですか?これから「世界で一番美しいと自分が感じる花」を探していきましょう。

「やる気」はどこから?

 私は、「やる気」について1学期の始業式の式辞と新入生のオリエンテーションの講話で昨年に引き続き、皆さんに話をしました。某学習塾のCMで「やる気スイッチ」が使われるようになったのは、2009年のことで、まだ皆さんが幼稚園に行っていた頃のことでしたが、まだ続いているようですね。このCMを親子で見ていて、どんな会話がされているか興味がありますが、「〇〇のやる気スイッチは、どこにあるんだろうねぇ」などと言われて、嫌な気持ちになった子どもも少なからずいたことと思います。「やる気」は、大人になると「モチベーション」という言葉に変わり、「社員のモチベーションを高めるには、どうしたらよいか」がテーマになってきます。

 やる気は、同じ人ならすべての活動に同じように出るものではありませんし、それを測る物差しを誰も持っていません。好きなものや興味のあるものならまだしも、そうでないものに「やる気」を出すのは、口で言うほど簡単なことではありません。ただ、「やる気がでないからできない」は間違いで、「やる気スイッチ」は誰かに入れてもらうものでも、自分で入れるものでもなく勝手に入るものだと私は思っています。勝手にスイッチが入るためには、次のステップが必要です。まず①やってみる。②できるようになる。(勉強や仕事の見通しがつく)③やる気がでる。(目標を達成できる目途が立つ)これが本当だと思います。①やる気がでる。②やってみる。③できるようになる。ではないと思うのです。もちろん、人によって個人差はあるので、一概には言い切れません。(色々なことにやる気をもって取り組める人もいます) 私事で言えば、手をつけるのを躊躇している仕事(やる気がでない仕事)でも、えいやっと始めれば意外とやる気モードになって仕事が進んだりします。勉強も、10分だけやろうと始めて気がついたら1時間過ぎていたというのが理想じゃないかなと思います。1時間、2時間やらなくちゃと思って始めるよりも、結果的に2時間勉強してしまったというほうが気分がいいと思います。最後に一つ、言葉を紹介します。
 「自分を鏡で見ることができる人は練習します。モチベーションのスタートは恥ずかしさです。”このままの自分では終わりたくない”ということです。」
今の自分を客観視して、高い目標を定めて一歩を踏み出してください。3年間は短いです。
※皆さんにとっては、「やる気」「モチベーション」「意欲」のどれが最もしっくりきますか?

「生・命・健」

 昨年10月に、こども園の送迎バスの車中に置き去りにされ、熱射病で当時3歳の女児が亡くなる事件がありました。今朝のニュースで、事件後半年経って父親が胸中を明らかにしていました。私も二人の娘の父親ですので、娘の小さい頃と重なって涙なしには見られませんでした。

 保育園・幼稚園・こども園・小学校・中学校・高校といった幼児・児童・生徒を預かる施設は、命を預かっているので「安全・安心」が第一です。それが保障されなければ生活や勉強どころではありません。事故やいじめがないように先生方は日々細心の注意をして子どもたちを見守っています。体育的行事や体育、部活動などでケガをしたり熱中症にならないように事前指導を行い、活動中も様子をよく見ています。「エピペン」や「AED」の校内研修を行い、運動や食事などで注意を要する生徒の情報を共有し、万が一に備えています。県の教育委員会からも体育施設の視察があり、危険箇所のチェックと指導があります。将来の危険を予測する力が求められるわけですが、「このくらい大丈夫だろう」という気持ちが事故につながります。雷が遠くで鳴った時に、昔なら「まだ大丈夫」でしたが、死亡事故が起こってからは、すぐに活動を中止して避難するようになっています。
 親にとっては、子どもが元気でいてくれることが第一ですので、皆さんも校訓の「健」にあるとおり、より健全な心身をつくれるよう主体的に鍛練し、心身の自己管理ができるようになってください。

同好の士を!PART2

 昨日は、コロナ感染のため高熱でブログを書くことができませんでしたが、なんとか今日は平熱近くまで下がったので、短時間で書こうと思いました。

 本日は、部活動編成の日で、各部への入部希望者が割り当てられた場所で入部届けを提出します。昨年もこの時期に2日間かけて活動している部活は全部見て廻りました。今年は、来週廻りたいと思います。1年次生が入ってくると、活気が出てくるし、先輩としてしっかりしなくちゃと思って生徒の皆さんも気が引き締まりますよね。運動部でも文化部でも、同じ趣味嗜好の人の集まりですから、きっとHRのクラスとは違った友達ができると思います。運動部で言えば、集団競技と個人競技、個人競技でも団体戦がありますね。集団競技でも敵と入り乱れるものとそうでないもの、敵と入り乱れるものでも接触が当たり前のものとそうでないものなど様々なバリエーションがあります。たくさんあるスポーツの中から自分に合ったものを選んだわけですから、それを選んだ皆さんは同好の士ということになります。文化部の皆さんは、活動日数が1~6日と幅があると思いますが、兼部して新しいことにチャレンジすることで、新しい自分を見つけられるかも知れませんよ。ぜひ、気の合う仲間をたくさん作って高校生活を楽しいものにしてください。

ChatGPTからの未来予想図

 今日は、巷で話題になっているChatGPTについて書きたいと思います。私は新し物好きなので、面白いなとかいいなと思ったものは、すぐに試したり買ったりしてしまうのですが、ChatGPTとAIによる画像作成ソフトもすぐに試してみました。正直言って大変驚きました。「ChatGPTの普及によって予想される問題を教えて」に対する回答を受けて、さらに「小学5年生でもわかるように教えて」と質問すると、以下の回答がありました。
1 ウソの情報が広まる問題: ChatGPTは多くの情報を学習しているため、ウソの情報も学んでしまうことがあります。それが広まると、みんなが間違ったことを信じてしまうことがあります。
2 人間が仕事を失う問題: ChatGPTが進化すると、人間がやっていた仕事を機械がやることができるようになるため、人間がやる仕事がなくなってしまうかもしれません。
3 感情や文化の理解が難しい問題: ChatGPTは、人間の感情や文化の理解が難しいため、間違った返答を返すことがあります。それが原因で、人々が不快になることもあります。
以上のような問題が起こる可能性がありますが、ChatGPTは、私たちの生活をより便利にするためにも、とても役立つ技術です。ただし、この技術をうまく使うためには、正しい情報を見分ける力や、機械に仕事を奪われないためにも、自分たちが何ができるかを考えていく必要があると言えます。
 どうでしょうか。この回答は1秒と待たずに出てきました。現在、ChatGPTを始めとするAIを活用したソフトについて解説する動画がたくさんアップされています。作文や感想文を書き、要約もしてくれます。相談に対してカウンセラーのように答えてもくれます。作成したい画像のキーワードや注文を書き込めば、たくさんの画像を作成してくれます。そのクオリティは普通のイラストレーターを失業に追い込むほどです。そのほかに動画作成や作曲ソフトもあります。音声認識と翻訳機能が発達して、AIと会話しながら仕事を進める未来も近いのかもしれません。皆さん、そんな未来を見据えて、汎用的な能力を身に付けられるよう頑張っていきましょう。
※「いじめをなくすにはどうしたらいいの?」「なぜ、人を殺してはいけないの?」などAIならどんな回答をしてくれるだろうという質問をいくつかしてみました。十分満足のいく回答は得られませんでしたが、教科書的な模範解答は得られました。質問を繰り返して深掘りしていけば、もっと違う回答も返ってくるのかもしれません。出てきた回答に対して無条件にそれを受け入れてしまえば、人間は「考える葦」ではなくなってしいます。AIを活用して、さらによいものを作り上げていくための努力を怠らないようにしたいものです。

夢と道

 私は学校にいる時の昼食は、大体ヤフーニュースを眺めながら食べています。今日見たトピックに今年の東大入学式での祝辞がSNSで話題を呼んでいるという記事があったので、読んでみました。祝辞をしたのは、低・中所得国での感染症対策を支援する国際機関「グローバルファンド」で保健システム及びパンデミック対策部長を務める馬渕俊介さんです。祝辞の中で印象に残ったところは下記のとおりです。

〇自分の夢に関わる本当に好きなことをやらないと、それを徹底的に突き詰めることはできません。また、好きなことをやってないと、幸せの尺度が「自分が他人にどう評価されているか」になってしまう。それではうまくいかないときに持たないです。他人の評価を気にする他人の人生ではなく、自分がやりたいことに突き進む自分の人生を生きてください。

〇夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見つけることはできないということです。夢が見つけられないというのは、ほとんどすべての人が抱え続ける悩みですが、夢は、待っていれば突然降ってくるものではありません。探し続けて、行動してみて、その中で少しずつ「彫刻」のように形作っていくものだと思います。周りに流されず、自分の興味のままに、探し続けてください。そしてそれが一番自由にできるのは、今からの4年間です。

 以下は馬淵さんが、松下幸之助の「道」という書から引用した座右の銘です。

“自分には自分に与えられた道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。”

 道と言えば、高村光太郎の「道程」にある“僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る”や徳川家康の“人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。”が有名ですが、俗っぽいところでは、テレビドラマ「水戸黄門」の主題歌の歌詞“人生楽ありゃ苦もあるさ涙の後には虹も出る 歩いてゆくんだしっかりと自分の道をふみしめて”も年配の方には、よく知られていると思います。

 3月16日のニュースで、第一生命保険による「大人になったらなりたいもの」の調査で、男子は小・中・高校ともに「会社員」が三年連続の1位となり、女子も3年連続で「パティシエ」が1位に輝きました。この結果に「夢がないねぇ」というのは簡単なのですが、子どもは世の中と大人を冷静によく見ているとも言えます。会社員と言っても色々な業種・職種がありますので、幅がありすぎて参考にならない解答とも言えます。

 夢は、ただ待っていても叶えられるものではありません。自分の夢を見出し、叶えるために、自分の行く道をしっかりと見据えることができるかは、皆さんの主体性にかかっています。生徒の皆さんが、高校で、もしくは大学で夢を叶える自分の道を見つけられるように願っています。そのサポートは太東の先生方に任せてください。