日誌

榎本校長のつぶやき

決戦の前日金曜日(ドリカム?)

 明日、明後日と大学入試の一般受験の第一関門である大学入学共通テストが、実施されます。1979年に大学共通第1次学力試験が始まり、1990年からの大学入試センター試験、そして2021年度から現在の大学入学共通テストとなりました。私の年代は共通1次と呼ばれ、5教科7科目で1000点満点でした。今までになかったマークシート方式の試験でしたが、国立大学の受験機会が2回から1回になり、「ちゃんと学力が測れるのか」「2次試験もあり受験地獄をかえって悪化させている」「大学の序列化を不当に招いている」などの批判を各方面から受けました。全国の国立大学の序列化と、私立大学が3科目入試であったことから、負担を嫌った受験生が私大に流れ、私大の難化現象を招きました。そして、紆余曲折がありましたが、今日まで続いています。

 解説はこれくらいにして、前日となる今日の4時間目に3年次生への激励会が行われました。3年1組からリモートで各クラスへ、年次主任・各担任の先生方の激励の言葉が届けられました。私は2003年度の3年1組の担任でしたので、感慨深いものがありました。コロナ以前は、格技場に集まって激励会をやっていましたので、寂しい気がしましたが仕方がないですね。また、受験会場で3年の先生方がのぼり旗を立てて、教え子に「頑張ってこい!」と励ましていた風景も見られなくなりました。今日の激励会では、「深呼吸」と「ツキと運」の話をしました。私は、数学で頭の中が真っ白になり大失敗した経験から、とにかく落ち着いて普段通りの力を発揮するために「深呼吸」を忘れずにと助言しました。また、「勝利へのツキと運を呼ぶのは、日頃の地道な練習の積み重ねだ」という、マンガの中の野球部の監督の言葉を紹介し、「人事を尽くして天命を待つと言いますが、日頃から、地道に勉強を積み重ねてきた皆さんには、運が味方してくれるでしょう。頑張ってください」と締めました。大学受験は、競争試験ですので一見他の受験生が敵に見えますが、「最も手ごわい敵は、自分自身である」という言葉もあるとおり、自分に勝つという意識で臨めば、周りの受験生は目に入らなくなると思います。それにしても、明日は雪にならなくてよかったです。3年次生の健闘を祈って今夜は写経をします。(笑)

新教科「情報」の大切さ

 今日は、5時間目に1年4組の情報の授業にお邪魔して、生徒が作成したアプリケーションの発表を見てきました。全員がお互いに見合って、デザインとアルゴリズムの2部門で、最もよいと思った作品に投票しました。すぐに投票結果が集計され、最優秀賞者が発表され、拍手で讃えられていました。それぞれが、思い思いのキャラクターや背景をデザインし、キーボードや画面上のコマンドで動くようにプログラミングできていました。クラスメイトの作品から自分とは違うよさに気付くことも多く、よい学び合いになったと思います。楽しく授業での活動に取り組めることが、学習効果をあげることに繋がりますので、生徒にどんな学習活動をさせれば、学習内容がよりよく身につくのかについて、先生方は腐心しているわけです。2025年の大学入学共通テストから、国立大入試では原則として新教科「情報」を課すと正式に決められました。今の1年次生から受験科目になるわけですが、コロナで一気に1人1台端末が進み、情報処理能力があらゆるところで重視される世の中になっていきますので、皆さん、楽しんで情報処理能力をつけていきましょう。

希望の轍

 今日の午後は、前橋で校長会があって出かけてきましたが、その後半に今年度で退職される教育次長の講話がありました。テーマは「学校教育はキャリア教育」です。詳しくは書けませんが、堅苦しい内容にならず大変おもしろく拝聴しました。                                         

 キャリア教育という聞き慣れない教育が学校現場に入ってきたのは、もう20年近く前です。本校では、平成19年度に進路指導部からキャリア教育部に名称を変更し、総合的な学習の時間とキャリア教育に関連する学校行事の企画・運営を中心に行ってきました。そして、平成25年度から平成27年度まで文部科学省から研究指定され、各教科・科目等においてもキャリア教育の実践を意識した研究を実施しました。その際命名した研究名が、「EAST(Embark on Adventures and Seek Treasures!)プロジェクト」ですね。本校の生徒なら全員知っていますよね。本校を受験する中学3年生もみんな知っていると思います。

 キャリア教育は、横文字など使わずに生き方教育と言ったほうが私はわかりやすいと思うのですが、「これからの変化の激しい世の中を自分らしく後悔しないで生きていくためには、どんな力をつけたらよいのか」を考え、実践していくのがキャリア教育だと思います。別に新しいことではなく、昔からやっていることだと思いますけどね。「今でしょ!」の林修先生は、「好きなことと、得意なことのどちらを仕事にしますか?」と言ったそうです。MIT(マサチューセッツ工科大学)の名誉教授のエドガー・シャインは、キャリアを歩む上でビジネスマンが必ず直面する3つの問いを、①自分のできることは何か(CAN)、②自分がすべきことは何か(MUST)、③自分がしたいことは何か (WILL)としました。生き方は、一つではありません。死ぬまで生き方に悩み、選択をしていくのが人間だと思います。生徒の皆さんには、そのために必要な認知スキルと非認知スキルを本校の教育活動を通して、バランスよく身に付けられることを願っています。

今日の風を大切に

 昨晩から今日にかけて、風が非常に強かったですね。群馬は、冬になると「からっ風」が吹くことが多いので、登下校、体育の授業、部活動で苦労します。前橋の某高校では、一冬に校庭からダンプカー1台分の土が飛ばされると言われています。そんなわけですから、学校の近隣からは洗濯物が土埃で汚れるので土埃避けのネットを張って欲しいという要望が出て、対処しているところも多いようです。

 私は、高校は片道10㎞を超える通学路を自転車で通っていましたので、この時期の自転車通学の生徒の皆さんの苦労は、よくわかります。強い向かい風で、自転車が進まないのも辛いですが、自転車が横風でふらつくので車が側を通る道路では非常に危険でした。体育は、冬場はラグビーかサッカーでしたので、寒く土埃がひどい中の授業はキツかったですね。そんな「からっ風」の中でも、外の部活動はやっていましたので高校生は元気よかったなあと思います(今もそうですが)。
 台風や季節風の強風は、あまり有難くないですが、風が吹かないとどんな不都合があるでしょうか?昔なら、帆船が動かなくて世界の歴史は変わっていたでしょうね。風力発電もできません。凧をあげることもできません。フランクリンが、凧を使って雷が電気であることを証明した実験もできませんでしたね。それよりも、全然風が吹かない世界というのを、皆さんは想像できますか。川や水田の上を吹き渡る風が、涼しさを運んでくれることもありません。汗をかいた体から、風が気化熱を奪ってくれて涼しくなることもありません。世界の自然環境は今とは全く違うものになってしまい、人間は生きられないでしょう。雨が降り、風が吹く原理から考えれば、風が吹かないということは、地球上から水がなくなることを意味しているのでしょうから。「風が吹けば桶屋が儲かる」という因果関係を極端に誇張した言葉がありますが、桶屋は単なる桶屋ではなく棺桶屋を指すという説もあります。群馬県民だとよく実感できると思いますが、強風で砂埃が舞い、目に入って目を悪くする人が増え、目が悪い人は三味線弾きになり、三味線の材料として猫の皮が使われるので、猫が減り、ねずみが増える。ねずみは米など人間の食べ物を食い荒らし、飢饉が起こって死人がたくさん出る。すると棺桶屋が儲かる。これに倣うと、「風が吹かないと、桶屋が儲かる」とも言えるのでしょうか。
 風は、いい意味でも悪い意味でも使われますが、凧が一番高く上がるのは、風に向かっているときですし、ヨットは、向かい風でも前進することができます。スキージャンパーは向かい風を受けて飛距離を伸ばします。逆風は、自分が向きを変えれば追い風になります。逆風に吹かれたら、否定的なエネルギーをも前進する力に変えてみましょう。「明日は明日の風が吹く」「だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう」ですよ。

こころの駒に鞭打とう!

 1年の締めくくりの3学期が今日から始まりました。昨日、群馬県のコロナ感染者数が4000人を超えて過去最悪になりましたが、本校も47人欠席中33人が出席停止で、1年の始めとしては、寂しく残念なスタートとなりました。今日登校できなかった生徒の皆さんの元気な顔が早く見られるよう祈っています。

 今日の始業式の式辞では、よく「1年の計は元旦にあり」とは言うけれども、日本は4月から新しい生活が始まるので実情に合っていないですね、という話から始まって、1月から3月の期間に実現可能な目標と具体的手段を考えて、4月に「やった」という実感をもって桜の花を眺めてくださいと言いました。そして、「最初が肝心」「終わりよければすべてよし」という言葉を取り上げ、落ち着いて物事を進めるためには、十分準備をして余裕をもつことが大切であり、いいスタートができないと、それを挽回するために心も体力も消耗してしまうので、4月までに十分な準備、ウォーミングアップをしてくださいと話しました。また、昨年の自分に満足できていない人は、あと3ヶ月で挽回して「最後はよく頑張った」と自分をほめて、4月を迎えましょうと言いました。すべてがうまくいくなんてことはありませんので、「終わりよければ」ということが、事実としての結果だけでなく、自分の心の持ちようを意味しているということを自覚してほしいです。

 令和4年度も、あと3ヶ月。3年次生はあと27日、1、2年次生もあと42日しか登校日はありません。校歌にあるように、こころの駒に鞭打って、「最初が肝心」「終わりよければすべてよし」の二つを満足させられるように、3学期を皆さんが過ごしてくれることを期待し、皆さんの心と身体が健康であることを願っています。

金山の丘に望めばひんがしの わが学び舎に初日耀う

 皆様、新年明けましておめでとうございます。私は、今朝5時46分に金山の新田神社まで登り、初日の出を拝んで参りました。下から40分くらいかかって歩いて登ったため、結構疲れました(歳なので…)。新田神社で太東の発展と皆さんの無病息災と大願成就を願って参りました。寒さに震えながら日の出まで1時間待ちましたが、夜景から朝焼け、日の出へと美しい夜明けを見ることができました。神主さんが万歳三唱を唱え、後ろでは君が代を数人で歌っていました。校歌は心の中で歌ってきました。青藍同窓会長の半田さんと御家族の皆さんに挨拶して下山しました。下りは登りより楽でしたが、膝にきました。改めて箱根駅伝で登りと下りを走っている選手のすごさを実感しました。私は例年なら利根川の刀水橋の上から初日の出を拝んでいるところでしたが、今年は縁あって金山から拝ませてもらいました。皆さんも来年は、金山から初日の出を拝んで校歌を歌いませんか?

令和4年ブログ納め

 令和4年も、あと1週間余りとなりました。2学期の終業式を迎え、このブログも今日で147回に達しました。途中、読んでもらうために積極的にイラストを入れたりもしました。また、途中で「つぶやきじゃないだろ」と突っ込みを入れられても仕方ないほど長文になる傾向もありました。毎回、生徒の皆さんに向けた教育的な落ちがつくように考えてきましたが、ネタが思いつかない日は、「今日は何の日」に頼ることも多くありました。3学期の終業式まで199回に達する予定ですが、どこかで1回増やして200回にしようかと思案しています。

 さて、今日は北風が冷たく、日本海側は寒波の影響で大雪になっています。大雪というものを、ほとんど経験したことがない生徒の皆さんには、本当に雪が恐いという気持ちは皆無だと思います。新潟の人が雪を悪魔と呼んでいるのを昔テレビで見たことがありますが、私も以前は、よくスキーに行っていたので、恐い思いをしたことがあります。まず、「白い闇」と呼ばれるホワイトアウトです。濃霧より恐いです。視界が真っ白になり、雪の粒しか本当に見えません。雪が深いと道路との境界もわからず、車を運転していて一番恐い経験でした。あとは、スキー場で雪が激しく降ってきたので早く帰ろうと準備している側から、雪が降り積もっていき、あっという間に車が雪に埋もれてしまったことがありました。雪国の人が雪に家を潰されるかもしれないという恐怖を感じるのも、わかる気がしました。               

 話は変わりますが、皆さんは雪に関する歌で好きな歌は何がありますか?私は、山下達郎の「クリスマス・イブ」、レミオロメンの「粉雪」、イルカの「なごり雪」、倉木麻衣の「Winter Bells」、ユーミンの「サーフ天国、スキー天国」などが思い浮かびます。雪を歌った名曲はたくさんありますが、変わり種だと、TOM★CATの『ふられ気分でRock'n' Roll』があります。雪がメインの歌ではありませんが、「歩道のすみに横たわる とけて行けない哀しい雪たち みじめによごれて」という歌詞が印象に残っています。降ったばかりのきれいな雪ではなく、アスファルトの道端で黒くなって溶けずに残ってしまっている雪の表現が、小野小町の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」という歌を思い出させ、無常を感じます。本校の校歌の三番の歌詞には、「若き日は ふたたび無きを」「努めずや 力のかぎり」とあります。私もそうであったように、若い時は歳をとった自分をなかなか想像できません。それでも、そういう気持ちを心の片隅にもっているかどうかで、随分と違った高校生活になると思います。ダイヤモンドの意志をもって、過ごしてください。

泣き笑いで送りましょう

 予餞会が終わりました。泣き笑いのある、いい予餞会でした。生徒会の導入から吹奏楽部のクリスマスメドレーに始まって、部活動や2年次生各クラスの映像作品と舞台パフォーマンス、1年次生全員の合唱、3学年団の出し物、PTAからのプレゼントと盛りだくさんで楽しませてもらいました。1,2年次生の感謝と応援のエールを、3年次生もしっかりと受け止めてもらえたと思います。1年次生全員の合唱をビデオで聴いたときは、「あっ、これならマスクをしていれば体育館で校歌を歌っても大丈夫だな」と思いました。1年次生だけでもこれだけ迫力のあるきれいな歌が歌えるなら、全校生徒がそろってしっかり歌えたらどんなに素晴らしい校歌が歌えることだろうと期待に胸がふくらんでしまいました。3年次学年団の出し物は、流石に3年間の付き合いがあるだけに、ドッカンドッカンうけていましたね。私も涙がでるほど笑わせてもらいました。普段見られない先生方の意外な特技や姿が見られ、また、異動した先生方のビデオレターもよかったです。PTAからは、先日、護摩焚きをしていただいた230人分の達磨とお菓子を、各クラス代表者2名に壇上で渡していただき、PTA会長から、心温まる御言葉をいただきました。天気予報どおりには、なかなか気温が上がらず、寒い中での予餞会となりましたが、3年次生の心はポカポカになったと思います。企画・準備・運営に携わってくれた生徒会を中心とする生徒の皆さん、御指導いただいた先生方、PTA本部役員の皆様、本当にありがとうございました。来年の予餞会は、全校生徒がそろってできることを祈願しています。

3年次生へ感謝とエールを

 明日は、いよいよ予餞会ですね。予餞という言葉は普段使わないので、意味を知らない人も多いようです。中学校だと3年生を送る会ということで、三送会としているところも多いようですね。「予餞会」は予め(あらかじめ)、餞(はなむけ)をする会ということで、餞(はなむけ)は、旅立ちや門出を祝って、 詩歌や贈り物をすることです。 それを卒業式の前にあらかじめ行なうことから 予餞会といいます。人と別れる時に贈る金品という意味の餞別という言葉は、就職するとよく使います。「はなむけ」という言葉は、旅立つ人のために道中の無事を祈って、その人の馬の「鼻」を、これから向かう方向に「向け」てやる習慣が語源で、 旅立ちや門出を祝福して金品・詩歌・激励のことばなどを送るという意味になりました。

 私が高校生のころは、歌手を呼ぶことが多かったようですが、他には漫才師や落語家なども呼んでいたようです。今では、1、2年生や先生方による出し物をするところが、ほとんどだと思います。下級生が感謝の意を込めた手作りの予餞会は、温かみがあっていいものです。コロナのせいで中止になっているところも少なくないようですが、ビデオに撮って流したり、リモートで実施したりと、何とか工夫して実施しているところも多いと思います。本校でも、ここ何日か昼休みに参加団体がリハーサルをしていましたが、明日は、どんなパフォーマンスで3年次生を泣き笑いさせてくれるのでしょうか、楽しみです。

ダルマに目を入れよう!

 今日は、本校近くの真言宗正願寺で3年次生に予餞会で渡す達磨に護摩焚きをしていただきました。3年次生全員が希望の進路を決め、無事卒業できることをお願いしてきました。

PTA会長の澁澤さんと前後援会長の高櫻さんと一緒に230個の達磨を護摩壇の前後に並べ、3年次生の皆さんの「学業成就・交通安全・無病息災」を祈願して参りました。住職の倉嶋さんのお話では、不動明王が背負っている炎の力を借りて煩悩を焼き払うのだそうです。

 私は、毎年何かしら自分や家族の厄除けや祈願の護摩を焚いてもらいに、聖天様や文殊様に1月4日前後に行っていますが、護摩木を自分で炎に投じたのは初めてでした。貴重な経験をさせていただきました。