日誌

榎本校長のつぶやき

しあわせってなんだっけ?

 最近、朝のニュースでWBCに関するものを見ることが多くなりました。オオタニサンも合流して盛り上がってきました。先日、佐々木朗希が大谷翔平に並ぶ球速165㎞をマークして話題となりました。昔は、160㎞は夢の球速でした。1981年から少年マガジンで連載された水島新司先生の「光の小次郎」という漫画の中で160㎞のボールが光って見えたわけですが、43年後の今、160㎞超えは珍しくなくなりました。人類の肉体的記録はどこまで伸びるのでしょうか。今日はアスリートの収入について書こうと思っていたのに話が逸れてしまいました。テレビで、プロスポーツ選手、特に野球、サッカー、バスケットボールを紹介するのに年収も一緒に紹介されることが多いです。年収が数十億円というのを見るたびに、それは適正か?と疑問に思ってしまいます。資本主義社会だから仕方ないと言ってしまえばそれまでですし、プロスポーツ選手は夢を与える職業だからという人もいるかもしれませんが、なにかおかしいと思ってしまいます。サラリーマンの生涯平均収入は3億円弱、平均年収は460万円ほどです。内閣総理大臣と最高裁長官の年収が4000万円超で、公務員で最高です。昔、日本は「総中流社会」と言われましたが、2016年に発表された世界の貧困率における日本の位置は14番目の15.7%となっています。これは先進国の中で中国やアメリカに次いで3番目の高さとなっており、先進国の中では最悪のレベルに近いです。日本の貧困は「絶対的貧困」ではなく「相対的貧困」です。絶対的貧困は生活を維持していくことが難しい状態であるのに対し、相対的貧困はその国の生活水準や文化水準を下回る状態に陥っていることを指します。日本ではこの相対的貧困率が経済大国の中でも特に高いとされています。つまり、総中流ではなく格差社会になってしまったということですね。現在、年収が200万円台で結婚に踏み切れない若者が多いそうです。少子化が進み、ついに出生数が80万人を割りました。子育て支援も大事ですが、若者の結婚支援が急務ではないかとも思います。2015年にノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のアンガス・ディートン教授の研究によれば、年収が7.5万ドル(約800万円)を超えるとそれ以降は、年収と幸福度の相関があまり見られないというのです。宝くじが当たってかえって不幸せになったという話もよく聞きますが、いろいろな年収を経験した人による面白い考察があります。「年収600~800万円くらいが生活するうえで特にストレスを感じることもなく、我慢もしながらたまに贅沢する、だからこそ贅沢が楽しく感じられる」ラインだと結論を述べています。この人の体感としては、年収800万円を超えると「同じ水準で遊べる友人が少なくなる」「欲があまりなくなる」のだそうです。お金と幸福度については、昔から議論されていますが、貧困と違って何に価値を置くかで変わってくるものです。年をとるとお金より健康が第一だと思いますし、若者で収入より自分の好きな仕事をすることを重視する人もいます。この世の物事を価値付けるのは自分自身なので、「足ることを知る」そして「感謝する」ことが、幸せを感じる土台だと思います。

あかりをつけましょ♪

 今日は、女の子の健やかな成長を願う伝統行事である「桃の節句」「雛祭り(ひなまつり)」ですね。私の居住地では新暦でやっていますので3月3日にお雛様を飾って、4月3日にしまっています。旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であるため「桃の節句」と呼ばれています。「桃の節句」は五節句の一つですが、「五節句」とは、1月7日(1月1日の元旦は別格とされ、1月7日となりました)の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき)、9月9日の重陽(ちょうよう)の5つです。9月9日のブログでも書いています。古代の中国の陰陽道では、奇数は陽、すなわち縁起のよい数とされていたのですが、奇数が重なる日は、逆に「強い陰をなす日」つまり不吉な日として恐れられていたため、人々は身を清めてお供えをするようになりました。それがのちに5つの厄払いをする日、五節句として残ったそうです。「桃の節句」では、紙製の小さな人形に穢れ(けがれ)を移して川や海に流して、災厄を祓う(はらう)祭礼を行っていました。この「流し雛」の風習は平安時代からあり、現在でも日本各地にその風習が残っています。その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展していきました。雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていましたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には女の子の「人形遊び」と「節句の儀式」が結び付けられ、庶民の行事となりました。「ひな祭り」も「子どもの日」も、元々は縁起の悪い日、不吉な日なので身を清めて、お供えをする日だったというのは意外でしたか。ひな祭りの「桃の花」や子どもの日の「よもぎ」や「菖蒲」には、邪気を払い厄災を防ぐ力があるとされたのです。端午の節句は菖蒲(しょうぶ)の節句とも言われることから、尚武(しょうぶ:武道・武勇を重んじること)と同じ読みであることや、菖蒲の葉の形が剣を連想させることから、鎌倉時代以降、男の子の成長と将来の武運を願う日本固有の節句文化となりました。鯉のぼりには、武家の社会での立身出世を願う意義がこめられています。これは、鯉は、滝を登って竜になると信じられていたためです。端午の節句は、今では性別に関係なく、全ての子どもの成長を祈願する行事となりましたが、男の子の節句というイメージが強いですね。5月5日は、祝日でブログを休みますので、「雛祭り」と合わせて書きました。    

 蛇足ですが、最上段の男女のお雛様がお内裏様で、天皇と皇后です。お雛様は、ひな人形の総称です。ですから、童謡の「うれしいひなまつり」で「お内裏様とおひな様、二人ならんですまし顔♪」と昭和10年に作詞したサトウハチローさんは、後にこの間違いを知り、「できるなら歌に関する権利を全部買い取って、この歌を捨ててしまいたい」 と悔やんだそうです。これだけ有名な歌なのに、そんなことってあるんですね。

アンテナ感度は良好?

 日本教育新聞のコラムにゲゲゲの鬼太郎の「妖怪アンテナ」から、教員の気付きに発展させたものがありました。「サザエさん」と一緒で、「ゲゲゲの鬼太郎」を知らない人は、いないですよね。「妖怪アンテナ」は妖怪の気配を感じとる便利なセンサーですが、様々な専門家にもそれぞれのアンテナがあり、祇園のお茶屋で長年下足番を務めている男性の例をあげていました。この下足番の男性は、常連さんの靴の減り方の異変に気付き、受診を強く勧めたそうです。半信半疑で医者にかかった客に思いもよらない病気が見つかったということです。よく人の変わったところ(特に女性の髪)に気付く人と気付かない人がいますが、髪型や服装だけでなく、様子がいつもと違うことに敏感に気付けるかどうかが、教員に必要な資質かもしれません。(もっとも、気付いていても、口にださないとだめですが。)朝のSHRの点呼で、顔や声から「いつもと違うな」と気付けるかどうか。特にいじめに敏感なセンサーをもっているかは重要です。学校で生徒に「ちゃんとやりなさい」と授業態度や課題の提出について注意するのは誰にでもできます。プロの教師としては、目に見えている事象の向こう側を見つめ、どう声掛けするかを考えることが求められます。本当に困っている時に学校に相談できない生徒や保護者も多いので、「困り感センサー」を高く張って、教員からなるべく声掛けができるようにしたいです。そのためにも、働き方改革が進み、先生方が余裕をもって教育活動ができるようにしてもらいたいです。

 現在、必要な教員数を満たせず、困っている学校が全国にたくさんあります。定められた教員数が満たされないのは論外ですが、まず、小学校にせめて2クラスに1人副担任を配置してもらいたいですね。「教育で一番大切なのは義務教育だ。小中の教育をしっかりやればいいのだ。それにはいい先生を集めなければならない。そのためには月給を高くしなければならない。一般公務員よりも先生の給料を3割高くしろ」と田中角栄は言い、人材確保法が成立しました。高校の教員である私がこんなことを言うのもなんですが、やはり、小学校が大事だと思いますので、先生方の善意に頼った「定額働かせ放題」と揶揄されるようなことはやめて、文科省には小学校にいい先生が集まるように施策を考えてほしいものです。

いざ往かん 新たな道を

 御蔭様で卒業式が無事終了しました。朝、昨日に比べて曇り空で少し寒いなと思っていましたが、だんだんと陽が射してきて青空も広がり暖かくなってきました。風もなく穏やかな卒業式となりました。今日は花粉がたくさん飛ぶと朝のニュースで言っていたので、念のためアレルギー性鼻炎の薬を飲んで式に臨みました。そのせいか水分の分泌が抑制され、ハンカチを少し使うだけで済みました。答辞の最後のほうでうるっときて、校歌のところで目尻のダムが決壊し、右目から一筋流れ出てしまいました。期待していた校歌は予行の時に比べ、声が出ていたのでよかったです。また、卒業生の式中の態度も立派なものでした。それと3年次団の担任の先生方が全員着物で、インパクト大でした。担任として3年間頑張ると達成感と成就感で、満たされます。3年次団の先生方、大変お疲れ様でした。まだ、受験が残っている生徒がいると思いますが、御指導よろしくお願いいたします。1、2年次生の皆さんは、YouTubeで見ていて、どんな感想をもったでしょうか。すぐに自分の番になって、校歌の「速しこの三年」を実感することになりますよ、1日1日を大事にしてくださいね。今回、まだ在校生が参列することができず、部活の先輩を見送ることができず残念に思った生徒も多いと思います。来年は、以前と同じようにみんなで3年次生を送り出せるようになることを祈っています。

 卒業生の皆さんの今後の活躍と、公開みらい学の講師として後輩に熱く語れる大人になって母校を訪れてくれることを願っています。

左の花は壇上に飾られたもので、右の胡蝶蘭は卒業生の保護者から贈られたものです。卒業式の受付に飾らせていただきました。

こころの駒に最後の鞭を!

 早いもので、令和5年も2か月が過ぎてしまいました。今日は卒業式予行と表彰式、同窓会入会式が行われました。久しぶりに登校した3年次生は、卒業アルバムや生徒会誌、各種たより、新聞を渡されて、明日卒業するんだなと改めて実感したことでしょう。予行をすることについては、「しないほうが感動があっていいんじゃないか」という意見、また「予行で卒業への気持ちを高められる、心の準備ができる」という意見もあることでしょう。卒業式は、卒業パーティーではなく、儀式的行事として定められていますので厳粛な雰囲気の中で行われることが普通です。入学式や卒業式の緊張感は、普段なかなか感じられないものなので貴重な機会だと思います。卒業生の皆さんは、小・中学校の卒業式で式歌として「旅立ちの日に」、「仰げば尊し」、「蛍の光」、「手紙」などを歌った人も多いかもしれません。ここ3年コロナで卒業式での歌唱がなくなっていて寂しい感じがします。これらの歌を聴いていると、卒業を実感して涙腺が緩んでしまいます。私は恥ずかしながら卒業式で泣かずに済んだことがなく、泣いている卒業生を見ることでもらい泣きしてしまうことはもちろん、校歌・式歌・送辞・答辞・謝辞が涙腺を攻撃してきてうるうるしてしまうため、なるべく見たり聞いたりすることに注意を集中しないようにしています。特に壇上にいる時は、ハンカチで拭くことができませんので、必死で我慢しています。「男は人前でむやみに涙をみせるものではない」という考えは、現在では男女差別につながるのでNGだと思いますが、なかなかそう簡単に意識は変えられないようです。「嬉し涙ならいいかっ!」と開き直って明日の卒業式に臨みます。3年次生の皆さん、明日は思い出に残る卒業式にしましょう。それと、皆さんの校歌が聞こえないと泣けません。よろしく!