日誌

2022年7月の記事一覧

学問に王道なし

 私は、ことわざや四字熟語が好きで、中学生の頃からその類の本を読んでいました。英語を勉強するようになって、英語のことわざとそれに該当する日本や中国のことわざの比較がおもしろいと思うようになりました。いくつか、好きなことわざを紹介します。

「It is no use crying over spilt milk」は、直訳すれば「こぼれたミルクを嘆いても無駄だ」で、日本では「覆水盆に返らず」の意味で使われますが、微妙にニュアンスが異なります。このことわざには「ミルクはまた注げばいいので嘆かなくてもいい」といった前向きな意味合いも含まれているのです。一方、「覆水盆に返らず」は、四字熟語では「覆水不返」と書き、類語には「後悔先に立たず」「時すでに遅し」「後の祭り」などがあります。「It is no use crying over spilt milk」と違い、深刻で取り戻せない事態を嘆く言葉です。誤解されやすいですが、中国語の「盆」は日本語の「お盆」ではなく、鉢・ボウル状の容器のことです。

「The early bird catches the worm.」は直訳すれば、「早起きの鳥は虫を捕まえる」で、日本では「早起きは三文の徳」に相当し、早起きするといいことがあるという意味で使われますね。英語圏では、Early birdは早起きな人という意味でよく使われるそうです。このことわざは中国に由来しますが、日本では2つの説が言い伝えられています。高知説によれば、「堤防の土を朝早く踏み固めることで、三文のお金をもらえる」というお触れが由来。また、奈良説によれば、「鹿が家の前で死んでいると、三文の罰金になる」という江戸時代の「生類憐みの令」が由来。中国の意味では「三文の徳」、日本の意味では「三文の得」と表現され、どちらも間違いではないそうです。ただ、よく目にするのは「徳」のほうですね。また、「三文」は、江戸時代の通貨価値の平均から現在の 「三百円」くらいで、江戸時代のそば一杯分くらいみたいです。このように「三文」には「取るに足らない価値」という意味合いも含まれているため、ことわざの意味と矛盾する感じもしますが、「朝起き千両夜起き百両」ということわざもあります。これは「夜に仕事をするより、朝早起きして仕事をした方が効率的である」という意味です。お金の桁が違いますね。武将の真田幸村で有名になった真田家の家紋の六文銭の由来は、仏教での「六道銭」という三途の川の渡し賃だそうで、決死の覚悟で戦うという意気込みからという説があります。実は、この六文もそば一杯分の価値(300円)と考えられているんです。

ちなみに私の起床時間は、ここ20数年1~3時くらいですが、1日300円で換算すると250万円くらい得したことになりますね。多いか少ないか微妙?

最後に「There is no royal road to learning.」は直訳すれば「学問に王道なし」で、ことわざどおりです。 古代ギリシアの数学・天文学者で「幾何学の父」と呼ばれたユークリッド がエジプト王に言ったといわれる言葉が由来だそうです。 学問を修めるのに簡単な方法はなく、誰であろうと努力して苦労して習得していくほかはないという意味です。テストに出るところだけ勉強するのでは、学問は修められないよということですね。

地球は青かった

 今日は、有名な言葉で、後に続く言葉が以外と知られていないものを紹介します。
①北海道開拓の父であるクラーク博士の名言として知られる「Boys, be ambitious」(少年よ大志を抱け)は「Boys, be ambitious like this old man.」(少年よ、この老人のごとく大志を抱け)なのだそう。北海道に旅行すると、クラーク像の前で同じポーズで写真を撮るのが鉄板になっています。「like this old man.」に込められたクラークの気持ちを想像してみましょう。
②「地球は青かった」は、世界初の有人宇宙飛行を成功させたガガーリンの有名な言葉ですが、この後に「しかし、どこを見回しても神はいなかった」と続きます。正確な記録は無いようですが、海外ではこちらの方がよく知られているのだとか。宇宙から肉眼で地球を見たとき、どんな感覚に襲われるのでしょうか。
③「柔よく剛を制す」は、格闘技などで使われることが多く、柔らかさのあるものが固く強靭なものをいなす場合もあるという意味です。しかし、実は「剛よく柔を断つ」という「固いものが柔らかいものに打ち勝つ」という意味の続きもあるのです。「逆もまた真なり」ということですかね。私は、漫画の「ドラゴンボール」の中で、主人公の孫悟空がゴムのような柔らかい敵に苦戦して、凍らせてやっつけるシーンを思い出しました。今の生徒には、「ワンピース」のルフィの例の方がわかりやすいですかね。
④「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」は、「井戸の中にいる蛙はずっと井戸の中の狭い世界しか見たことがなく大きな海を見たことがないので、視野が狭くありきたりの知識しかない」という意味で、ネガティブな意味で使われます。この後、「されど空の深さ(青さ)を知る」と続きます。中国から日本に伝わって、付け加えられたようです。「狭い世界で自分の道を突き詰めたからこそ、その道で深いところまで究めることができた」とポジティブに解釈できるでしょうか。新学習指導要領のいう「深い学び」に通じるところがあるのでしょうか。

ぼやき>つぶやき

 期末考査中は、ブログ通信の発行を控えていたら、また2号同時に出すことになってしまいました。前よりも1話が長くなりがちで、1号に5話入れるつもりが、イラストも入れるようになったら3話の号が出てきてしまいました。内容を削って短くする努力はしているんですが、なかなか短くなりません。文字だけで長いと読む気がなくなるだろうなぁと思って、イラストを入れるようにしたら余計時間がかかるようになって、どうしようかと今悩んでいるところです。毎日、何かしらその日に関連ある話題で書いて教育的にまとめることが、きつくなってきたので、とにかく無理しないように書けることを書こうと思い始めました。
 それはそうと、イラストを私が描いていることを生徒が信じないということをS先生から聞きました。私は、高校生の頃からイラストや似顔絵、色紙やTシャツのデザインやポスターなどを多く手がけてきました。太東では女子テニス部の生徒の卒業記念に似顔絵やイラスト入りの色紙や写真と組み合わせたイラストを作りました。アンパンマンのキャラクターをテニス仕様にしました。(生徒の顔は肖像権があるので隠してあります。)
シティハンターのパロディマンガは選挙も近いし、おまけで載せました。大昔に日本史のレジュメに載せたものです。

雨雨ふれふれ♪

 早いもので、令和4年も半分が過ぎ、7月となりました。皆さんは、睦月から師走まで旧暦の月の呼び方を古典で学習していると思いますが、わかりやすいものもあれば、現在の感覚では昔と季節のずれを考慮しても理解し難いものもありますね。よく耳にするものは、弥生・皐月・師走でしょうか。
 旧暦の7月は、文月(ふづき、ふみづき)と呼ばれますが、書道の上達を祈って、短冊に歌や願い事などを書く、七夕の行事にちなんだ呼び方だという説があります。ほかには、収穫が近づくにつれて稲穂が膨らむことから「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくむづき)」が転じて「文月(ふづき)」になったという説、稲穂の膨らみが見られる月であることから「穂見月(ほみづき)」が転じたという説もあります。今年は、梅雨期間が短かったことから西日本では、ダムの貯水率が非常に低く、水不足で稲の発育に悪影響が出そうだと心配されています。以前の「雨にぬれても」のブログで「農業者にすれば、想定外も実は想定内。雨が降り続いても彼らは案外明るい。明るくあきらめている。」と書きましたが、今回は、その逆となります。体育祭の時とは逆に、てるてる坊主を逆さにつるそうかと思います。
 私は日本史が専門でしたので、旧暦の月の中では「神無月」が好みです。10月に出雲に全国から神様が集まります。ですから出雲では「神在月」といい、その他のところでは「神無月」となるそうです。ただ、全部の神様が集結すると困るからなのか、留守番の神様もいるようで、恵比須様や、金比羅様、道祖神、かまどの神様などは出かけないみたいですね。それで、集まった神様は何をするかというと、出雲大社で「神議り(かみはかり)」という議論をし、我が国や私たちの繁栄や安寧、それに縁結びや五穀豊穣など、とてもありがたいことを決められるそうです。これは絶対神がすべての権限を有している一神教では考えられないことですね。縁結びも神議りで決められるみたいなので、9月の終わりに、よくお願いしておいたほうがいいかもしれませんよ。

知識・技能+勇気

 昨日は、先生方が救急救命講習で、AEDの使い方を研修しました。セミナーハウスの2階の和室2部屋に分かれて行いました。もう何回も受けている講習ですが、1年に1回なので忘れていることや新たな気付きがあります。私が感心したのは、先生方から講師の方にたくさん質問が出たことです。アクティブラーニングを先生方自身が体現できているなと思いました。ただ、アクティブラーニングは、特別なことではありません。教科書を読むという行為でも、漫然と読むのではなく、わからないところや疑問に思ったところをチェックしながら読むだけでアクティブラーニングになります。それは先生の説明を聞くときも一緒です。ただ、受動的にやらさられているだけの学習活動を、意識を変えるだけで思考力が高められる活動になります。
 AEDの研修をしていて、いつも思うことは、学んだ知識・技能を生かすためには勇気が必要だということです。心肺停止の人を目の前にしたときに、「自分がやって、大丈夫だろうか」と不安に思って躊躇してしまうのが普通ではないでしょうか。ただ、学校内では、先生方が協力して生徒を助けるために動いてくれるので、心配はいらないと思います。問題は、学校外で起こった時です。周りに協力してくれる人を見つけて、一人で重荷を背負わないようにすることも大切です。人の命がかかった場面に遭遇することは、なかなかありません。その少ない場面のために、知識・技能を身に付け、心構えをしておくことが大事だと思いました。改めて、救急救命医療に携わっているお医者さんたちは、すごいなと思います。