日誌

榎本校長のつぶやき

心の可視化は是か非か

内外教育という教育冊子の巻頭に長崎県立大学長の浅田和伸さんのコラムが掲載されていました。皆さんにも考えてほしい内容と思ったので以下に引用します。

 『ある中学校では、生徒が手首に着けたリストバンド型端末で脈拍を測り、授業中の「集中度」を測定する実証研究を、企業の費用負担で行っているという。狙いは授業の改善や、生徒が「自分のデータを見て、次はもっと集中してみようかなと思ってくれるといいですね」ということだそうだ。別の小学校では昨年度まで端末のカメラで顔を映し、額の血流や体の動きを測定して、今の感情を「わくわく」「たいくつ」など4種類に分類するという実証実験をしていたらしい。企業やどこかの役所から頼まれたのかもしれないが、学校関係者はこれらを「気持ち悪い」と感じないのだろうか。私が生徒なら心の内など人に知られたくないし、まずは大人が職員室で使ったらどうですか、教育委員会や議会でも使って、次はもっと集中してみようかなと思ってくれるようになるといいですね、と言うのだろうか。』 

 俗にいうところのウソ発見器は、皮膚電気活動や呼吸,心拍などを測定して、その乱れから知っていることを隠しているかどうかを判定する機械ですが、授業をまじめに集中しているかどうかを測定する端末実験が行われているなんて知りませんでした。小学校での顔をカメラで分析して感情を4分類する実験は怖いですね。以前に観点別評価の一つである「関心・意欲・態度」を本当に適正に評価できるのかという議論がありましたが、心の中(頭の中)を調べようとするのは、人権侵害ではないかと思います。「人間に与えられた真の自由は、頭の中の考えるという行為だけである」と言った人がいました。言動となって表出すると社会では制限の対象になります。科学が進むと人類は未来にすべての自由を奪われるのでしょうか。以下の文章を読んでください。(たしか茂木健一郎さんのものだと思います)

 『脳が一つのことに集中できる時間は、4分半しかありません。それ以上考えると、脳は別の考えが出てくるようになっています。その時はいったんほかの作業をしましょう。その間、脳内では関連情報と結びつける作業が始まっているので、再び同じことを考えたら答えが出ていることが多いのです。また、人間は、約16分に一度、今考えていることと違うことを考えてしまいます。「マインド・ワンダリング」と呼ばれる状態です。これを防ぐために、一つの作業は15分までとし、15分たったら別の作業をすることです。たとえ理想的な姿勢であっても30分で血流は滞ります。脳に血を巡らすために、30分に1度立ち上がったり、少し歩いたりするなどちょっとした運動をしましょう。最後に知的作業を集中して続けられる限界は90分だと言われています。大学の講義が90分で区切られているのも、この理由からです。』

 45~50分の授業を、15分から20分のユニットで分けて異なる学習活動を児童・生徒にさせるのは理にかなっていると言えます。「読む・話す・聴く・考える・書く」などの活動を授業の中に計画的に組み込むのは、一つの活動を長時間続けると学習効果が低下するからです。前述の実験は、生徒一人一人について集中しているかどうかをパソコンで教師が見られるようにでもするつもりなのでしょうか。今や世界中に監視カメラがあり、偵察衛星には自動車のナンバープレートが読み取れる直前まで性能が進んでいるものがあります。歩き方の特徴から人物を特定できるソフトもあります。顔認証は、はるか宇宙からされてしまう時代がすぐそこまできています。もしかしたら、コナンの眼鏡が進化して、見えるものすべてが解析されてしまう時代がくるのかもしれません。そうしたらそれをプロテクトするマシンや仮面が売れるようになるのかもしれませんね。顔を完全にゴーグルとマスクで隠して声も変えられるようになった未来のコミユニケーションとは一体どんなものなのでしょう。過去に人間が想像したことは、現実化していますが、結婚してから死ぬまで素顔を見たことがないというSF小説がありました。さて、今日のブログは過去最長となってしまったようです。皆さんは、今日の内容から何を考えましたか。答えは出ないと思いますが、頭の中で温めていてください。

秋の夜長に考える

 今日は世界食料デーで、国連食糧農業機関(FAO)が1981年に制定しました。10月5日のブログで書いた195の国際デーの一つです。FAOは開発途上国における飢餓や貧困について考え、世界の食料生産と分配の改善と生活向上を通して、これらを克服することを目的として1945年に設立されました。現在、世界では全ての人が食べられるだけの食料が生産されているにもかかわらず、9人に1人が十分に食べられていません。飽食が食品ロスを呼び、まだ食べられるのに廃棄される食品が日本では、523万トン出ています(農林水産省及び環境省「令和3年度推計」より)。 これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2021年で年間約440万トン)の1.2倍に相当します。食欲の秋ですが、ダイエットのために食欲と戦っている人もいると思います。それって実はぜいたくなことなんだって気付いていましたか。

少し話は変わりますが、「日本は、『生活に満足している』と答えた子どもの割合が最も低い国の一つ」だそうです。ユニセフ・イノチェンティ研究所が2020年9月に発表した報告書「レポートガード16『子どもたちに影響する世界:先進国の子どもたちの幸福度を形作るもは何か』」は、先進国の子どもたちの精神的・身体的な健康と、学力・社会的スキルについてランキングしています。日本の子どもの幸福度の総合順位は20位(38か国中)で、冒頭の指摘がなされています。身体的健康は1位でありながら、精神的幸福度は37位という最下位に近い成績でした。この結果を見て、皆さんはどんな原因があると考えるでしょうか。なぜ、身体的健康と精神的幸福度がこんなにも日本は乖離しているのか。私見ですが、「足るを知る」心が不十分で、自分の中での絶対評価ではなく、他人との相対評価による比較の度合いが高いからなのではないでしょうか。食べ物・飲み物・衣服が十分にある、そして娯楽もあふれている環境にもかかわらず、精神的幸福度が低い。「衣食足りて礼節を知る」という言葉のとおり、物質的な豊かさが満たされれば精神的豊かさが手に入るはずなのに、日本の子どもたちがぜいたくになってしまったのでしょうか。

 日本の高校生は仕事に対し「生活のため」というイメージをもっている割合が米国、中国、韓国に比べ突出して高いことが6月22日、国立青少年教育振興機構の調査でわかりました。一方、「楽しい」との割合は最も低かったのです。調査は2022年9月~2023年2月、4か国で各約1800~4800人を対象に実施されました。仕事が「生活のため」かどうか問う質問に「とてもそう思う」と回答したのは、米国16.3%、中国17.7%、韓国32.4%でしたが、日本は68.6%と目立って高い数値でした。「楽しい」と回答したのは米国34.5%、中国26%、韓国29%に対して、日本は18.8%と低い数値でした。「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」との質問に、日本は4か国中最多の49.9%がとてもそう思うと回答し、10年前の調査から約16ポイント増加しました。将来の職業などを座学したとする割合は、日本は8割を超えてトップでしたが、実際の職場見学や就業体験、ボランティア活動は7.4~16.8%と低く、他の3か国を大きく下回りました。

 今日は自分で書いていて暗くなってしまいましたので、明るい言葉で締めたいと思います。「授業は教師も楽しむ時間である。仕事は楽しくていいのだ。教師が楽しんでいる授業は生き生きとしている。」「楽しい仕事があるのではない。自分が仕事を楽しくすればいいのだ。」皆さんも、自分の幸福度について考えてみてください。

憎しみの連鎖は断てるか?

 昨年の10月12日は、コロンブス・デーについて書きました。歴史的事実とそれに対する評価は異なるもので、歴史が勝者によって記され、敗者の歴史は抹殺されることも珍しくはありません。日本のマスコミは、取るに足らない事件を報道し、世界で起こっている重要なニュースを報道しない(無視する?)傾向があります。ですから、テレビしか見ていなければネットで取り上げられているようなニュースは知りようもありません。日本人が海外のニュースにあまり関心を示さないことや営利企業であるマスコミの方針であるのかもしれませんが、世界の国々は昔に比べてはるかに情報や物流網で相互に大きな影響を与え合っており、他国と付き合っていく上で、国際情勢についてよく知っておくことは不可欠です。さすがに今回のイスラエルとパレスチナの紛争については、早くから報道されていますが、なぜ、こんな事態になってしまったのかについては、ほとんど解説されていません。そのうち特集番組がNHKあたりで組まれるかもしれませんが、皆さんは世界史で勉強しているはずなので、説明できますか。私は試しにChatGPTに「イスラエルとパレスチナが、なぜ争っているのかを歴史的背景と経緯を高校生にわかるように説明してください」と問いましたが、残念ながら満足のいく回答が得られませんでした。

 まず、この問題の根源にあるのが、ユダヤ人が自分たちの王国をローマ帝国に滅ぼされてから2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきたという歴史です。1948年に悲願であったユダヤ人の国家であるイスラエルがパレスチナに建国されましたが、そこは、ユダヤ人にとって旧約聖書で「神が与えた約束の地」と書かれている土地でした。一方で、パレスチナに住んでいたアラブ人であるパレスチナ人は、イスラエルの建国で故郷を追われました。いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区という場所で、今回紛争が起こっているのがガザ地区です。

 イスラエルの建国とアラブとの問題は、第一次世界大戦中のイギリスのいわゆる三枚舌外交にあります。1915年のフセイン・マクマホン協定でアラブ人に独立国家を約束し、1916年にサイクス・ピコ協定で英仏が中東を分割支配することを密約し、1917年にバルフォア宣言で、イギリスがユダヤ人に戦費の調達を依頼しようと考え、「連合国側の味方をすれば、パレスチナの地でのユダヤ人の国の建設を支持する」と約束しました。これらの矛盾した外交により、パレスチナと周辺アラブ諸国は混乱し、1947年に国連でパレスチナ分割決議が採択されてイスラエルが建国された後も、禍根を残し紛争が絶えなかったわけです。第1次から4次までのイスラエルとアラブ諸国との中東戦争の歴史と1993年のパレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)に代表される和平交渉の歴史をここで書く紙幅はありません。興味をもった人は調べてみてください。ユダヤ人がなぜ迫害されてきたのか、ユダヤ人の現在の世界での影響力、エルサレムという場所の特異性など、素朴な疑問はたくさん出てくると思います。そんな時に、すぐ調べる習慣を身に付けてください。それが大きな差になって表れてきます。

 ウクライナとロシアの紛争が続いているように、領土・民族・宗教が紛争の火種となって世界に影響を与える状況は、いつになったら終わるのでしょうか。平和と思われている日本も、近い将来紛争に巻き込まれる日がくるのでしょうか。周辺諸国に対抗するために2023年度予算の防衛費は過去最大の6兆8219億円で2022年度の当初予算と比べて1兆4000億円余り多く、およそ1.3倍と大幅な増額となっており、11年連続の増額だそうです。「教養とは歴史である」と言った方がいましたが、歴史をよく知った上で、日本の世界での身の振り方を決定するために、私たちは選挙で政治家を選ぶ必要があります。政治は一部の頭の良い人に任せておけばいいと考える国民が増えれば、日本がどんな道に進んでも文句は言えません。皆さんは18歳で選挙権をもつようになりましたが、若年人口はただでさえ少ないので、選挙に行かなければ高齢者の考えが政策に反映されがちになってしまいますよ。課題意識をもって、これからも勉強に励み、政治に無関心にならないようにお願いします。

視力回復祈願

 今日10月10日は、昔なら体育の日でしたが、体育の日は「スポーツの日」となり10月の第2月曜日になりました。他にも記念日はたくさんありますが、「10」「10」を横に倒した形が眉と目に見えることから中央盲人福祉協会が1931年に「視力保存デー」として制定し、戦後、厚生省(現:厚生労働省)が「目の愛護デー」に改称しました。スマホやタブレットの普及で小さい子どもも早くから目が悪くなる傾向にあります。皆さんは、1日何時間スマホを見ていますか?自分の視力の低下に危機感は感じませんか?目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりすると危険を察知できなかったり、察知が遅れてしまいます。感覚器官は、人間が生きていく上で非常に大切です。私は大学生までは視力が2.0でしたが(勉強しなかったからというわけではありませんよ)、IT関係の会社に勤務して1年で1.0まで下がりました。1日中パソコンとにらめっこしていたからだと思います。現在は0.5ありませんので、必要に応じて眼鏡をかけています。近眼・老眼・霞目など、よく見えないというのは大きなストレスです。視力回復のために色々努力しましたが、だめでした。皆さん!スマホやパソコン、タブレット等は、見る時間を制限して、目を大切にしましょう。近い未来に目が簡単によくなる技術が開発されるかもしれませんが、いつになるか保証はありませんからね。

 先日読んだ雑誌におもしろいことが書いてありました。今も昔も人間は変わらないと感じられる例えとして、最近は「ユーチューブばかり見ていちゃダメだ」なんて言われるが、家庭にテレビが普及した何十年か前は1億総白痴論といって、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう。だから、テレビばかり見ていちゃダメだ」と言われていました。もっと遡ると、活版印刷の発明によって大量に本が生み出されるようになったのを見て、ドイツの哲学者ショーペンハウエルが「本なんか読んじゃだめだ」「こんなのずっと見ていたら自分が思考しなくなる」と言っていたそうです。「え~っ?何それ!」ですよね。「漫画ばかり読んでいたらバカになる。本を読みなさい。」と子どもの頃に散々言われたのは何だったの?って感じです。人類は得られる情報量が急激に増える情報爆発を何度か経験してきました。本・新聞→ラジオ→テレビ→パソコン・スマホとメディアの変遷はありますが、AIが幅を利かすビッグデータの時代では、自分の頭を使って情報を得ているか、得た情報について自分で考えて判断しているかによって影響は異なってくると思います。人間の五感による知覚の割合は、視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚は1%といわれています。人間が受け取る情報のうち、8割は視覚からの情報です。ということは、目を最も大切にしないといけないということですね。今日は「目の愛護デー」です。皆さん、目をいたわりましょう。

 

生成AIに「問う!」

 先日、群馬県教育委員会より「学校における生成AIの利用に関する解説動画」視聴のお願いを皆さんにしました。見てもらえましたか?今までに何度か生成AIについて取り上げましたが、既に高校でも生成AIを使った授業が行われていたり、レポートや探究課題に生成AIを利用していたりと、よい面もあれば悪い面もあります。AIが作成した文章かどうかを判別するアプリも出ていますが、まだ信用できるレベルまではいっていないようです。Appliv という企業が10〜20代の男女533人に対し、夏休みの宿題における生成AIの利用実態調査を実施したところ、3人に1人が夏休みの宿題に生成AIを活用したと回答したそうです。再度、肝に銘じてほしいことは、生成AIは必ずしも正確ではないこと、納得できる答えを求めて、質問を変える”問う力”を身に付けることが必要であることです。アインシュタインも「重要なことは問うのをやめないことだ」と言っています。

 小学校の道徳の授業で「ある出来事に対して生徒たちと一緒に生成AIにも意見を出させて、みんなでそれについて話し合う」という試みがありました。生成AIに複数の立場からの意見を並列して提示させることが、子どもたちが様々な考え方に触れ、自分の頭で判断する力をつけるきっかけにしようとしたのです。先生も子どもたちも考えつかない意見が出てくるかもしれません。対話的学習活動を補完することになります。

 苫野一徳という熊本大学大学院准教授が「本質観取」という哲学対話を、多くの子どもたちと続けているそうです。「〇〇とは何か」という問いに対する答えを言葉で編み上げあっていく活動です。子どもたちは「学びとは何か」に対して「学びとは、自分自身の問いと気付きを通して、生が豊かになっていく営みである」、「存在とは何か」に対して「存在とは、言葉になるすべてのものである」という答えを見つけ出しました。生成AIは便利なので使いたくなる気持ちもわかりますが、考えることの楽しさや自分の能力の可能性を知らず知らずのうちに捨ててしまわないように注意してください。生成AIに依存し自分の力を育てられなくならないように、自らの力を生かして生成AIを使いこなせるようになってください。