日誌
榎本校長のつぶやき
実力発揮!
好天に恵まれ、高校総体1日目が終わりました。選手の皆さん、お疲れ様でした。引率された先生方、競技役員の先生方、ありがとうございました。
選手の皆さんは、普段の練習の成果が発揮できたでしょうか。それとも残念ながら固くなってしまって、実力が出せずに終わってしまったでしょうか。本当は、「実力が出せずに」という言い方は、おかしいのですけどね。なぜなら、実力とは本番で発揮されるものをいうわけで、練習でのうまさは実力とはみなされないからです。残酷ですが、心技体がそろって実力と呼べるわけで、メンタルが弱くて本番に弱いとか、体調管理ができないとかは実力があるとは言えないわけですね。スポーツ選手にとって「メンタルトレーニング」というのは、非常に重要で、専門のトレーナーがいるくらいです。もちろん、受験もメンタルが重要ですよね。集中力やあきらめない心とか粘り強さ、レジリエンス(精神的回復力)とかは、一朝一夕に身につくものではなく、経験を繰り返すことで育まれるものです。
以前にも書きましたが、最近では、テストで測れる認知能力ではなく、日常生活・社会活動において重要な影響を及ぼす能力である非認知能力が重要視されるようになってきています。学校行事やHR活動、部活動などの集団的活動、体験的活動は、非認知能力を育むのに有効であると考えられています。皆さん、教科学習以外の学校での様々な活動を通して、楽しみながら非認知能力を磨いてください。そうすれば、高校生活は益々充実したものになりますよ。
それと、自分が試合をしていても、人の試合を見ていても気になることは、勝者と敗者の気持ちです。勝敗がついたときに、お互いにどんな気持ちになるのか。もちろん、勝った方はうれしいでしょうが、力を尽くして戦った相手をリスペクトしているかどうか。よく、健闘を讃え合うと言いますが、敗者は「悔しいけれどあなたのほうが強かった。次の試合、頑張ってね」と思えるか。勝者は、「今日はありがとう。次の試合は、あなたの分まで頑張るよ」と思っているか。試合に勝っても負けても色々な意味で成長しています。振り返りで気付き、自分の成長に生かせるかどうかが重要です。勝負を通して自分の心を育ててください。
明日は、天候が心配されますが、選手の皆さんの実力が発揮できることを祈っています。
人間の可能性
今日は、ALSOKぐんま武道館で県高校総体の総合開会式があり、出席してきました。激励メッセージということで、郷土芸能、ペップアーツ、バトン、ダンスなどが披露され、最後に県内19校の生徒200人ほどによるダンス専門部の公開演技がありました。フロア一杯に広がってのダンスは見応えがありました。
先日の5/6(土)に放映された「THE DANCE DAY 2023」のパフォーマンスでは、個性や創造性も素晴らしいですが、人間は練習すればどこまでできるようになるのだろう、どれくらい練習してここまで到達したのだろうと思うとともに、高校生の演技を見ても同様に感じました。そして、最近のAIの著しい進化を見ても、まだまだ人間の動きに近づけるロボットはできないだろうなと実感しました。開会式でのパフォーマンスは高校生らしく、見るものを感動させるものがありました。
最後のダンスは、4色のTシャツで分けられた集団によるものでしたが、本校の体育祭での応援合戦で6団全員が踊っているかのように錯覚しました。6月には体育祭がありますが、応援合戦を楽しみにしています。ぜひ、独創的なダンスを作り上げてください。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。
生きている or 生かされている
GWも終わり、今週は高校総体ウィークです。皆さんは、どんなGWを過ごしたでしょうか。
今日からコロナが5類感染症に移行しましたが、今後はコロナ感染が珍しいことになってくれればありがたいですね。我が家はコロナの影響(後遺症?)か、3人がGW中も体調不良だったため外出はほとんどしませんでしたが、5日の本校吹奏楽部の定期演奏会は行かせていただきました。本校の先生方や生徒がたくさん来てくれていて、チアリーディング部とフラ同好会の応援もあり、来場していただいた多くのお客様に楽しんでもらえたと思います。テーマの「日幸」にふさわしい演奏会になりました。それと4日に義父母の墓参りに行ってきました。昨年も5月3日のブログで書いていますが、菩提寺に二つの掲示板があり、そこに言葉が書かれた紙が貼ってあります。少なくとも月毎に変わっていると思いますが、昨年は「すぐやる 必ずやる できるまでやる」「なりたい自分になるのに 遅すぎるということはない」でした。今年は「何のために生きているのかだと行き詰る 何のために生かされているのか考えると やるべきことが見えてくる」「人生はご恩返し」でした。以前に、私たちは何か大きな力によって生かされているのではないか。それが「神」かどうかは別として。というようなことを書いた記憶があります。人間の生死には、運不運がつきまとうと思います。神風特攻隊で生き残った人が、「仲間はみんな死んでしまった。俺だけ、なぜ生き残ったのか」と嘆き、「何か理由があって生かされたのなら、それを考えて生きていこう」と思ったそうです。自分が生きている不思議なんて、普段は考えもしないことですが、心の持ち方ひとつで生き方は変えられるかもしれません。「生きているのが当たり前」と思うか、「生かされている奇跡」を感じるか。4月27日のブログ「哲学ってホント・・・」で「どう生きるべきか」という問いを取り上げましたが、ソクラテスの言葉と伝えられる「善く生きる」の意味を考えてみてください。ちなみにBenesse(ベネッセ)はラテン語の造語で「よく生きる」という意味です。
哲学ってホント・・・
今日は、紀元前399年に古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、獄中で毒を飲んで亡くなった日ということで「哲学の日」だそうです。高校の現代社会や世界史、倫理の授業で教わる人ですが、倫理の授業以外では詳しくは勉強しないので、知らない人も多いかもしれません。ソクラテスと言えば「問答法」「無知の知」「善く生きる」などがキーワードです。現在、新しい学習指導要領のもと「主体的対話的で深い学び」ができるように、学習活動が工夫されているわけですが、「対話的」とは、生徒同士を始めとして、様々な人との交流を通して学び気付く学習活動です。そこには書物を通した先人との対話も含まれます。ルーツはソクラテスの問答法ですね。ソクラテスは、対話的問答を通じて相手にその無知を自覚させようとした(無知の知)わけです。
哲学って難しそうなので、わかりやすい説明はないかと思って探してみました。世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問という説明がありました。私は、哲学とは、この世の中のあらゆる「なぜ?」について探究する学問であり、人間についていえば「どう生きるべきか」を考え続ける学問であると思います。最後に対話の大切さについて述べた文?を紹介します。自分の周りにどんなピースがあって、その中からどんな自分が浮かび上がるのでしょう?
「結局、人はジグソーパズルの最後に残ったピースみたいなもの。周りが埋まって初めて、残った空洞の形=自分が浮かび上がってくる。つまり、周りにいる人や環境がとても大切だということです。いろいろな人と交わり刺激を受けないと、物事も自分も進化しません。」樋口直哉(小説家)
世界で一番美しい花は?
昨日4月23日は「ぐんま花の日」だったのですが、皆さんはご存じでしたか?群馬県と、県内の花と緑に関する26団体が2002年(平成14年)に制定したそうです。4月23日~29日が「ぐんま花と緑の週間」であり、これらの日を中心に、群馬県前橋市にある「ぐんまフラワーパーク」を主会場として「ぐんま花の日 県民フェスティバル」などのイベントが開催されているそうです。皆さんは、「ぐんまフラワーパーク」に行ったことはありますか?私は、数回行ったことがありますが、最後に行ったのは2015年でした。そのフラワーパークも1992年4月に開園してから30年たつため、3月から休園になり、リニューアルして2025年4月にオープン予定です。どんなふうにリニューアルされて、また様々な花を見せてもらえるのか楽しみです。
先日は桜とハナミズキのことを書きましたが、皆さんは花と言えば何を思い浮かべますか。本校でもたくさんの花が見られますが、じっくりと見たことはありますか?人間、余裕がないと道端の花にも気付きませんよね。作家の加藤周一さんのコラムに「小さな花」というのがあります。その冒頭は「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」です。加藤さんは、1960年代の後半にヴェトナム戦争に抗議してワシントンに集まった人たちが、武装した兵士達と相対して地面に座り込み、その中の一人の若い女性が眼の前の無表情な兵士に向かって差し出した一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろうと書いています。それは、星の王子様が愛した薔薇や、聖書に書かれた野の百合と同じくらい美しいと例えています。彼は、なぜ一輪の小さな花を美しいと感じたのでしょうか。小さな花は、何を表しているのでしょうか。この花から私が連想した曲は、SMAP.の「世界に一つだけの花」やORANGE RANGEの「花」ですが、皆さんは「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」で思い浮かぶ曲は何ですか?これから「世界で一番美しいと自分が感じる花」を探していきましょう。