日誌

榎本校長のつぶやき

校歌「清きいのち」

 今日は、1年次生のオリエンテーション2日目です。今日は校歌指導がありました。1番の練習をしていましたが、1年次生の皆さんはどんな感想をもったでしょうか。音楽の授業で、2番3番もしっかり練習すると思いますが、歌詞の意味も理解した上で、歌えるようになってほしいと思います。入学式では有志の生徒36人の混成四部合唱による校歌披露がありましたが、美しい校歌だなと感じてくれたでしょうか。本校のウェブページの学校概要の中に校歌があり生徒有志が歌っている音源と楽譜があります。新入生には、入学前に国英数の課題が出されていましたが、「校歌を歌えるようにしておく」という課題を出しておけばよかったと後悔しています。昨年、考えていたのに失念していました。

 男子校の校歌は、テンポよく勢いのあるものが多いのですが、共学校の本校は女性の声のよさがでるような曲調になっていると思います。ただ、全体的にキーが高いので男性だと難しく感じるかもしれませんが。私が勤務した学校は実質6校で、校歌を今でも歌えるのは3校です。他の3校も聞けば思い出して歌えるとは思いますが、きちんと歌詞を覚えたのは3校です。高校はもちろんですが、実は卒業した小・中学校の校歌もまだ覚えていて歌えます。母校の小学校のウェブページを覗いてみたら、先生方が合唱している動画がありました。小学校らしくていいなと思いました。もし、本校でそれをやったらかなり話題になるでしょうね。小・中学校は合唱コンクールがありますが、クラス対抗校歌コンクールが本校でできたらいいなあと、ふと思いましたが働き方改革に逆行する恐れがあるなぁとブレーキをかけてしまう自分がいて残念です。今年度中に、全校生徒による大きな声での校歌が体育館に響き渡るのを聞きたいです。生徒の皆さん、ぜひ私の願いを叶えてください。写真は、本校南門のところの八重桜です。

みんなで外せば怖くない?

 今日、明日と1年次生は、オリエンテーションです。コロナ前は1年生のオリエンテーションを宿泊研修でやっていた学校も多かったですが、残念ながら、まだ宿泊研修できる状況にはありません。1年次生にとっては、特に4月は高校生活のスタートを切る大事な時期であり、高校総体も控えています。もしコロナに罹患すると1週間、濃厚接触でも5日間の出席停止になってしまいますので、5月8日にコロナが5類扱いになるまで慎重にいきたいと思います。昨日の入学式でも生徒・保護者全員が、マスクをつけていたと思いますが、街中でもマスクを外している人がほとんど見られません。一人で自動車に乗っている人、田舎道で犬の散歩をしている人、自転車に乗っている人、空いている店内など、外してもいいんじゃないかと思われるシチュエーションでも外している人が滅多に見られません。私は何度かマスクを外してコンビニに入りましたが、私以外はみんなマスクをしていました。とにかく、周りに人がいない、しゃべらないなら積極的に外したほうがいいんじゃないかと思います。ツービートの「赤信号 みんなで渡れば怖くない」が流行語になったのは、もう40年以上前ですが、2021年に三省堂の国語辞書に載りニュースになりました。別にマスクを外すのは法令違反でもなく、政府も奨励しているわけですが、日本人の集団心理からすると抵抗なくマスクが外せるようになるのは、まだ時間がかかるかもしれませんね。今日は夏日になる予報が出ていますが、少しマスク外してみませんか? 

ようこそ太東へ!

 今日は、令和5年度第1学期の始業式と入学式です。卒業式以降、3年生がいなくなって寂しくなった校内に初々しい1年生が入ってきて、また活気が出てくることでしょう。年々、春の訪れが早くなり入学式まで桜の花びらが枝にしがみついて新入生を待っていられなくなってきました。その代役をハナミズキがしてくれています。

 日本から贈られた米国ワシントン・ポトマック川の桜並木は、”日米親善”の象徴であることはよく知られています。1912年、当時の尾崎行雄東京市長が桜の苗木6040本を米国へ贈った返礼として、タフト米大統領が1915年にハナミズキを60本寄贈しました。ハナミズキの花言葉は、「答礼」「私の思いを受けて下さい」などです。100年前の寄贈の後、2000年にはタフト大統領の孫にあたるタフト・オハイオ州知事から「第2世代」のハナミズキ150本が寄贈されています。

 私は、以前に式辞で話すために桜のことについて調べたことがありますが、その時にハナミズキのエピソードとして知った中で印象的だったのは、一青 窈(ひとと・よう)さんが、2004年に歌って大ヒットした「ハナミズキ」の歌詞の意味です。歌詞に「薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように」「君と好きな人が 百年続きますように」とありますが、この歌は2001年の「9.11」同時多発テロで、 一青さんの友人が亡くなり、しかもその友人に子供がいたことから、その切ない気持ちを歌ったものだそうです。「ハナミズキ」は恋愛ではなく、平和への思いを歌ったものだったのですね。他に恋愛を歌っていながら、反戦の意味を持っているものに沖縄戦を歌っている「島唄」があります。桜は、散り際のよさから武士や軍人に好まれましたが、ハナミズキは、キリストが架けられた十字架に使われた木でした。「クリスチャンにとって、ハナミズキはとても大事な木。背があまり高くならないのは、2度とハナミズキを十字架にしないようにという想いがこもっているからだといわれている」そうです。桜にもハナミズキにも罪はありません。罪を負わせているのは人間です。世界情勢は、きな臭い状況が続いていますが、コロナもようやく収まってきつつあり、今年度は生徒の皆さんが安心して以前と変わらぬ高校生活が送れることを願っています。

※写真は今年の本校の桜とハナミズキです。

あたたかき われらが団居

 本日は、令和4年度終業式と離退任式が行われました。今回は大会議室からのリモートではなく、今年度最初で最後の1、2年次生全員が体育館に集まっての式ができました。終業式の前に有志の生徒40名が混生四部合唱で校歌を披露してくれました。本校の校歌は、曲も歌詞も美しく優しいイメージですが、素晴らしくきれいな歌声を聞かせてもらいました。有志の皆さん、ありがとうございました。離退任される先生方も、吹奏楽部の演奏で1、2年次の生徒全員による校歌によって送ることができ、よい離退任式ができたと思います。それぞれの先生の離退任の挨拶から太東と生徒たちを愛する気持ちが伝わってきました。生徒の皆さんも、それを感じ取ってくれたものと思います。やはり、リモートでは空気や熱量というものは伝わりませんので、生徒と教職員の温かい拍手で、異動される先生方を送ることができてよかったです。令和4年度の校長のつぶやきは本日で197回となり、最後となります。1年間読んでいただいた皆様、ありがとうございました。令和5年度は1学期始業式の日から再開します。本校のニュースを、いち早く発信していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

先輩から後輩へ

 今日は、卒業生33名が在校生のために「卒業生からのアドバイス」という進路行事のために来校してくれました。1年次生は体育館で、2年次生は各クラスに分かれて座談会方式で実施しました。プライベートな時間を割いて後輩のために集まってくれた卒業生の皆さんに感謝です。身近な先輩方が、高校時代にどのようなことを考え、勉強と部活の両立を図っていたのか、自分に合ったどのような勉強を工夫していたのか、が聞けてこれから残りの高校生活の過ごし方の参考になったと思います。ぜひ、今度は1、2年次生の皆さんが後輩のためにアドバイスできるように、進路実現に向けて頑張ってください。それと、今日の入学者選抜合格者説明会に来た皆さん、来月10日は入学式です。最高の高校生活のスタートができるように準備してください。

「幸」と「辛」

 昨年4月27日のブログで「吐く」から「マイナス」をとると「叶う」になるという話を書きました。漢字ができたときに「マイナス」という観念はないので、完全にこじつけですが、妙に納得できるきれいさがありました。同様に「幸」は「マイナス」をとると「辛」になります。「叶う」と同じ論理ではおかしくなります。では、「辛」に「一」を足すと「幸」になると考えるとどうでしょうか。この「一」が何を意味するかは、人それぞれでしょう。細かいことを言えば「一」ではなく部首の「なべぶた」が乗る感じですが、そこは突っ込まないでください。私は「辛い」は、どちらかと言えば、肉体的よりも精神的に苦しいときに使う気がします。辛い時に自分で何をすれば「幸」に変えられますか。また、人からどんな言葉をかけてもらえたり、どんなことをしてもらえたりしたら「幸」になりますか。ザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」という曲に「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう」という歌詞があります。皆さんは、この気持ちがわかりますか。

MSJC

 今日は、漫画週刊誌の日だそうです。1959年(昭和34年)のこの日、日本初の少年向け週刊誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が発刊されました。当初は、『少年サンデー』が部数でリードしていたそうですが、1965年(昭和40年)のちばてつや「ハリスの旋風」を皮切りに、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとし、その後「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年(昭和42年)1月にはついに100万部を突破しました。漫画雑誌で100万部というのは、当時としてはすごいものでした。1969年には「ジャンプ」と「チャンピオン」が週刊漫画雑誌として創刊され、4強がそろいました。私が、少年漫画週刊誌を読み始めたのは、小学校4年生くらいでしたが、「サンデー」「マガジン」「ジャンプ」「チャンピオン」を友達から借りて読んでいました。当時は確か一冊70~90円くらいで、私が小学校6年生のとき120~130円くらいだったと記憶しています。お小遣いが月1000円でしたので、なかなか買うことはできませんでした。当時は、「ジャンプ」が月曜日、「サンデー」と「マガジン」が水曜日、「チャンピオン」が金曜日に発売されていました。なぜ、「サンデー」は水曜日なんだ?と思っていましたが、「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という理由で初代編集長・豊田亀市が名付けたものだそうです。

 この後、少年月刊誌、少女漫画週刊誌、青年誌など漫画雑誌が多数発刊され、電車の中で漫画雑誌を読む大人の姿が嘆かれるようになりました。要は、漫画は低俗なもので、いい大人が読むなんて情けないということです。しかし、その低俗なマンガの少年ジャンプは、1995年の3ー4合併号で653万部発行され、ギネスにも登録されており、この記録は未だ破られていません。クールジャパンの代名詞ともいうものが日本の漫画文化です。大人が読んでも面白い、感動できるのが日本の漫画です。日本の漫画の原型は、平安から鎌倉時代にかけて描かれた「鳥獣戯画」にあると言われますが、1000年の時を経て日本の漫画の表現技法は、擬音や心理描写などに他国では見られない独特のものに発達しました。4コマ漫画の落ちのセリフを考えさせたり、1ページ分のセリフを英訳させたりする授業がありましたが、思考力・表現力が育まれると思います。また、漫画を小説に直したり、小説を漫画にしたりすることも表現力を鍛える勉強になると思います。何事も勉強になると思えば、勉強になるものです。皆さんも「〇〇の勉強は役に立たない」とは思わず、若い内は貪欲に色々なものを吸収するようにしてください。

うわさを信じちゃいけないよ♪

 皆さんは、日本史や世界史、そして政治経済などで「金融恐慌」や「世界恐慌」を学んだと思います。「金融恐慌」とは、天災・内乱、景気の悪化などで、企業を結ぶ貸借の決済が不可能となり、信用関係が急激に崩壊して、預金の取り付け、銀行の支払停止および連鎖倒産などで、金融界全般に混乱が起こることです。日本では関東大震災からの「震災恐慌」、その後の「金融恐慌」が有名です。

 信用経済と言われる経済活動の中で、多くの企業と金融機関が関係してお金とモノ・サービスが世界中で取引されています。ただ、お金そのものには価値はありませんので、モノ・サービスの供給量によっては、お金の価値が暴落するということが起こります。先日、3月10日にアメリカのシリコンバレーバンクで預金者の取り付け騒ぎが起こり、経営破綻に追い込まれました。日本では1927年に大蔵大臣の失言から銀行で取り付け騒ぎが起こり、昭和金融恐慌に発展しました。銀行が倒産するかもしれないと思えば、預金者が自分の預金を確保するために引き出しに走るのは、当然です。アメリカでは預金が3000万円までなら法的に保護されるのですが、シリコンバレー銀行の9割の預金は3000万円以上だったため、預金者を守ることで危機を回避しようと「預金全額を保護する」という異例の措置で収拾を図りました。金融機関が本当の危機にあるのか、それとも流言(デマ)による危機の誇張かに関わらず、預金が大量に引き出されて倒産に追い込まれるという事態が起こると、それは一銀行だけでなく連鎖して他の銀行や企業に及び、一国の経済だけでなく世界経済に影響を与えることもありえます。2008年のリーマン・ショックは世界経済に大きな影響を与えました。今回のシリコンバレーバンクの破綻は、主な取引先がIT業界であることから、事態は大部分がオンラインで展開されたことによるものです。大量の預金がオンラインで引き出され、その発端は非公開のチャットグループだったと伝えられており、SNSでパニックに火が付いて、預金引き出しが加速化しました。この事態を後に米下院金融サービス委員会のパトリック・マクヘンリー委員長は、「ツイッターにあおられた初の銀行破綻」と表現しました。世界恐慌の時のような大勢の預金者が銀行に詰めかけた取り付け騒ぎはなく(少しはありましたが)、昔とは様変わりしたようです。

 金融機関で、噂の恐さを物語る事件が昔ありました。1973年、登校中の列車内で高校生BとCが、豊川信用金庫に就職が決まった友人の女子高校生Aに対し「信用金庫は危ないよ」とからかいました。この発言は信用金庫の経営状況を指摘したものではなく、「信用金庫(などの金融機関)には強盗が入るため危険」という意味の冗談でしたが、Aはそれを真に受け、その夜、親戚に「信用金庫は危ないのか?」と尋ねました。Aは具体的な信用金庫の名称は言わなかったものの、親戚の人は豊川信金のことだと自分で判断して同信金本店の近くに住む親戚に「豊川信金は危ないのか?」と電話で問い合わせました。そこからは、噂に尾ひれがついて広まり、預金を下ろす人が殺到して取り付け騒ぎとなり、日本銀行と警察が動いて沈静化を図るという事態にまで発展しました。日本では、この事件より前の1971年に成立した預金保険法で、預金保険機構の裏付けのもと、預金保険制度に加盟している金融機関が破綻した場合、当時は100万円まで「預金者への保険金の直接支払い」が保証されていましたが、一般の認知度が十分ではなかったことも騒ぎが大きくなった原因です。現在は、1000万円まで補償されています。

 「火のないところに煙は立たない」とは言いますが、現在はSNSであっという間に様々なことが拡散される時代ですので、悪意のある噂が流されれば、それを消すのは容易ではありません。デジタルタトゥー(刺青)の名のとおり、ずっとデジタル空間に残り漂い続けます。飲食店が悪意のある口コミによって苦境に陥ることもあります。言葉にせよ、写真や動画にせよ、デジタル全盛の時代では、すべてのことを一度疑ってかかることが必要なのかもしれません。悲しいことですが、だまされないために。

弥生の空をか~ざしに♬

 昨日、東京の靖国神社の桜(ソメイヨシノ)の標本木で、桜の開花が発表されました。東京としては統計開始以来、2021年と2020年と並び最も早い記録だそうです。本校の校庭南側の桜は、まだ開花は見られません。入学式には、葉桜になってしまうか、少しは残ってくれているか、今後の天気次第です。22日の合格者説明会の日には、東京では満開の予想ですが、太田は、何分咲きくらいでしょうか。

 さて、日本の春を代表する桜には話題がたくさんあります。今日は桜が日本の国の花になるまでの意外な歴史について少し書きたいと思います。桜は奈良時代の万葉集で歌われており、1300年ほど前には栽培して観賞することが行われていたと考えられています。桜の一番の美しさは、その儚さにあると思いますが、江戸時代まではその散りゆくさまが“死”や“物事の終わり”と結び付けられ、マイナスイメージを持たれていたようです。また、散った花びらは薄桃色からすぐに土気色に変わるため、“心変わり”を意味するとも考えられていました。そのため、桜は縁起の悪いものだと考えられていたのでしょう。桜の散り際のよさから、いつも死に直面していた武士にとっては「潔さ」の象徴と見られていました。それで「花は桜木、人は武士」という有名な言葉が語り継がれるようになりました。江戸幕府が倒された後、桜は封建時代の象徴とされて、欧化政策と廃仏毀釈など日本古来の伝統を否定する運動によって各地の桜の木が伐採されてしまい、多くの品種が絶滅してしまったそうです。昭和になって欧米列強と対峙するようになると、桜は今度は「軍人」とその精神の象徴として復権を果たし、学校に植えられるようになりました。戦後は国の政策でソメイヨシノが全国に広められ、桜の花は日本のシンボルとなりました。

 今年は、上野公園での飲食を伴う花見が解禁されたようで、お花見に出かける人が大幅に増えそうですが、花見は日本だけのものではありません。今や人気の名所となった米国の首都ワシントンD.C.の全米桜祭りには百万人以上の人が訪れるそうです。明治の終わりに友好のあかしとして日本から贈られた桜が始まりというのは有名な話ですね。では、その返礼として1915年、米国から日本に送られた花があることをご存じでしょうか。今では公園や街路樹で多く見受けられるようになった花です。今年で108年、その花とはハナミズキだそうです。校長室の外にもあります。自宅の庭にもあります。

 桜は600種類以上ありますが、日本の国花は厳密には「ヤマザクラ」であり、「ソメイヨシノ」ではありません。あと菊も日本の国花です。皆さんの持っている100円硬貨の表にも桜があります。お札にはすべて桜が描かれていますのでどこにあるのか探してみてください。簡単に桜の歴史を紹介しましたが、みなさんには、この時期、あらためて桜の儚くも美しいところを感じてもらえればと思います。

 日本の自然を代表する植物には、梅・桜・たんぽぽ・菜の花・つつじ・紫陽花・ひまわり・菊・紅葉などがありますが、その中でも桜を歌ったものが断トツに多いようで、千曲以上あるようです。個人的には、森山直太朗さんの「さくら」、いきものがかりの「SAKURA」、AKB48の「桜の花びらたち」「10年桜」、初音ミクの「千本桜」が好きですが、福山雅治、コブクロ、レミオロメン、ケツメイシなどたくさんの有名なアーティストが桜ソングを歌っています。桜の時期は卒業・入学シーズンですが、どちらかといえば卒業の別れをテーマにした歌が多いようです。ですから、AKB48の「10年桜」のような明るい歌は少数派ですね。コロナ禍になってから、カラオケには行けていませんが、今年は気兼ねなく歌えるようになるでしょうか。校歌もマスクを外して、体育館でみんなで歌えるようになることを切に願っています。最後に有名な和歌を紹介します。

「世の中にたえて桜のなかりせば 春のこころはのどけからまし」在原業平 現代語訳「もし世の中にまったく桜がなかったなら、桜の花が咲くのを待ち望んだり、散っていくことを悲しんだりすることもなく、春のひとの心はもっとのどかだっただろうに」皆さんは、どう思いますか。

「あいまいな」vs「美しい」

 ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんが亡くなりました。もう一人のノーベル文学賞作家に川端康成さんがいますが、この二人の授賞式での講演が対比されます。大江さんの「あいまいな日本の私」は、川端さんの「美しい日本の私」を意識し、批判的に書いたようですが、ここでどちらかの立場で私的な意見を書くのは控えます。突っ込むと日本の特殊性や歴史的価値観の論争になってしまいますので。興味をもった人は二人の講演が新書で読めますので読んでみてください。どう読み取るかは人それぞれですが、言外の意図も読み取るとなると難しいですね。

 「あいまい」は、普通いい意味では使われませんが、客観的に定義できる言葉です。逆に「美しい」は、普通悪い意味では使われませんが、主観的な言葉で客観的に定義できるものではありません。日本語には、世界的に見てあいまいな表現が多いと言われますが、「YES」「NO」のどちらともとれる言葉は、外国人にとっては悩むところでしょう。例えば「大丈夫です」は、「けっこうです」と同じく肯定的意味と否定的意味の両方で使われます。「YES」「NO」をはっきりさせず、相手にこちらの意図をくんでもらうことを託しています。あいまいな表現には、相手に不快な思いをさせてたくない、傷つけたくないという、日本人の「思いやりの心」が詰まっているのです。「はっきり言うと角が立つ」という表現がありますが、以前にブログで書いた聖徳太子の憲法十七条の「和をもって貴しとなす」が国民性になっているのが日本なのです。ただ、他にも「主語がはっきりしない」や、「程度が不明確な言葉が多い」など、ビジネスの場では問題となるあいまいさが日本語にはあるので、具体的な表現に言い換える必要があります。「すぐに」「十分な」「処理する」などは程度が不明な言葉の例です。     

 日本は、幕末に開国してから西洋列強に追いつき追い越せと、殖産興業・富国強兵策をとりました。その際に、外国の製品が「舶来品」としてもてはやされ、日本のものは低く見られ、多くの文化遺産が外国に流出しました。日本の文化の価値を認め、尊重したのは皮肉にも外国人でした。そうした物質的に目に見える日本のよさだけでなく、日本人のマナーや礼儀正しさが、スポーツの国際試合での会場やロッカールームの清掃、そして今回のWBCでの佐々木朗希選手のチェコ選手へのデッドボールへの対応など、広く海外に報道されて称賛されています。

 「令和」は、英語で「ビューティフル=ハーモニー」と訳されますが、「美しき調和」と言い換えたとき、スマートに調和に至るために「謙譲の美徳」という言葉が思い浮かびます。「生き馬の目を抜く」グローバルな世界で勝ち抜くためには、甘いことは言っていられないのかもしれませんが、多面的多角的に日本のよいところを捉え、独りよがりになることを避けつつ、学校という場で日本のよさを伝えていきたいと考えます。