日誌

榎本校長のつぶやき

主体的に高校生活に取り組む態度「A」

 今日は、対面式と部活動紹介、体育祭の団色決めがありました。体育館に全校生徒が集まったのは3年ぶりです。幸せな光景でした。私が高校1年生で対面式での洗礼を受けたのは、45年前のことでしたが、上級生に圧迫されて入場したのを覚えています。太東では、優しく面倒見のよい先輩が、入場と退場時に花道を通る1年次生に温かい拍手を送ってくれました。部活動紹介では、凝った動画による紹介やステージ上での部員による紹介、ステージ下でのパフォーマンスなど、盛りだくさんで、1年次生だけでなく、上級生も楽しんでいました。吹奏楽部の演奏からチアリーディング部の締めのパフォーマンスまで、長時間に渡りましたが、中身が濃く短く感じました。ボクシング部の練習風景やフラダンス同好会のダンス、少林寺拳法部の演舞、チアリーディング部のパフォーマンスはなかなか間近で見る機会はないので、1年次生は「高校ってすごい!」と思って見ていたと思います。体育祭は、1年次生から3年次生をクラスごとに立て割りにして6団作り、6団での対抗戦になります。3年次の各クラスから一人ずつ団長が選ばれ、団色決めを行い、必勝表明をし気勢をあげました。きっと盛り上げてくれることでしょう。

 高校は小・中学校と違って生徒数が多いので、色々なことに興味をもって、チャレンジすれば、必ず自分と趣味の合う友達、気が合う友達が見つかるはずです。体育祭を手伝ってくれる有志を募っていましたが、自分から動くことで得られるものも多くなります。ぜひ積極的に参加してください。部活動では、2足の草鞋を履いている人も多いので、時間を有効に使って勉強以外にも打ち込める好きなものを見つけてください。それが勉強にもいい影響を与えて相乗効果を得ることができます。高校生活を充実したものにするために、ぜひ主体的に取り組んでくれることを期待します。

みんなで外せば怖くない?

 今日、明日と1年次生は、オリエンテーションです。コロナ前は1年生のオリエンテーションを宿泊研修でやっていた学校も多かったですが、残念ながら、まだ宿泊研修できる状況にはありません。1年次生にとっては、特に4月は高校生活のスタートを切る大事な時期であり、高校総体も控えています。もしコロナに罹患すると1週間、濃厚接触でも5日間の出席停止になってしまいますので、5月8日にコロナが5類扱いになるまで慎重にいきたいと思います。昨日の入学式でも生徒・保護者全員が、マスクをつけていたと思いますが、街中でもマスクを外している人がほとんど見られません。一人で自動車に乗っている人、田舎道で犬の散歩をしている人、自転車に乗っている人、空いている店内など、外してもいいんじゃないかと思われるシチュエーションでも外している人が滅多に見られません。私は何度かマスクを外してコンビニに入りましたが、私以外はみんなマスクをしていました。とにかく、周りに人がいない、しゃべらないなら積極的に外したほうがいいんじゃないかと思います。ツービートの「赤信号 みんなで渡れば怖くない」が流行語になったのは、もう40年以上前ですが、2021年に三省堂の国語辞書に載りニュースになりました。別にマスクを外すのは法令違反でもなく、政府も奨励しているわけですが、日本人の集団心理からすると抵抗なくマスクが外せるようになるのは、まだ時間がかかるかもしれませんね。今日は夏日になる予報が出ていますが、少しマスク外してみませんか? 

先輩から後輩へ

 今日は、卒業生33名が在校生のために「卒業生からのアドバイス」という進路行事のために来校してくれました。1年次生は体育館で、2年次生は各クラスに分かれて座談会方式で実施しました。プライベートな時間を割いて後輩のために集まってくれた卒業生の皆さんに感謝です。身近な先輩方が、高校時代にどのようなことを考え、勉強と部活の両立を図っていたのか、自分に合ったどのような勉強を工夫していたのか、が聞けてこれから残りの高校生活の過ごし方の参考になったと思います。ぜひ、今度は1、2年次生の皆さんが後輩のためにアドバイスできるように、進路実現に向けて頑張ってください。それと、今日の入学者選抜合格者説明会に来た皆さん、来月10日は入学式です。最高の高校生活のスタートができるように準備してください。

「幸」と「辛」

 昨年4月27日のブログで「吐く」から「マイナス」をとると「叶う」になるという話を書きました。漢字ができたときに「マイナス」という観念はないので、完全にこじつけですが、妙に納得できるきれいさがありました。同様に「幸」は「マイナス」をとると「辛」になります。「叶う」と同じ論理ではおかしくなります。では、「辛」に「一」を足すと「幸」になると考えるとどうでしょうか。この「一」が何を意味するかは、人それぞれでしょう。細かいことを言えば「一」ではなく部首の「なべぶた」が乗る感じですが、そこは突っ込まないでください。私は「辛い」は、どちらかと言えば、肉体的よりも精神的に苦しいときに使う気がします。辛い時に自分で何をすれば「幸」に変えられますか。また、人からどんな言葉をかけてもらえたり、どんなことをしてもらえたりしたら「幸」になりますか。ザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」という曲に「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう」という歌詞があります。皆さんは、この気持ちがわかりますか。

うわさを信じちゃいけないよ♪

 皆さんは、日本史や世界史、そして政治経済などで「金融恐慌」や「世界恐慌」を学んだと思います。「金融恐慌」とは、天災・内乱、景気の悪化などで、企業を結ぶ貸借の決済が不可能となり、信用関係が急激に崩壊して、預金の取り付け、銀行の支払停止および連鎖倒産などで、金融界全般に混乱が起こることです。日本では関東大震災からの「震災恐慌」、その後の「金融恐慌」が有名です。

 信用経済と言われる経済活動の中で、多くの企業と金融機関が関係してお金とモノ・サービスが世界中で取引されています。ただ、お金そのものには価値はありませんので、モノ・サービスの供給量によっては、お金の価値が暴落するということが起こります。先日、3月10日にアメリカのシリコンバレーバンクで預金者の取り付け騒ぎが起こり、経営破綻に追い込まれました。日本では1927年に大蔵大臣の失言から銀行で取り付け騒ぎが起こり、昭和金融恐慌に発展しました。銀行が倒産するかもしれないと思えば、預金者が自分の預金を確保するために引き出しに走るのは、当然です。アメリカでは預金が3000万円までなら法的に保護されるのですが、シリコンバレー銀行の9割の預金は3000万円以上だったため、預金者を守ることで危機を回避しようと「預金全額を保護する」という異例の措置で収拾を図りました。金融機関が本当の危機にあるのか、それとも流言(デマ)による危機の誇張かに関わらず、預金が大量に引き出されて倒産に追い込まれるという事態が起こると、それは一銀行だけでなく連鎖して他の銀行や企業に及び、一国の経済だけでなく世界経済に影響を与えることもありえます。2008年のリーマン・ショックは世界経済に大きな影響を与えました。今回のシリコンバレーバンクの破綻は、主な取引先がIT業界であることから、事態は大部分がオンラインで展開されたことによるものです。大量の預金がオンラインで引き出され、その発端は非公開のチャットグループだったと伝えられており、SNSでパニックに火が付いて、預金引き出しが加速化しました。この事態を後に米下院金融サービス委員会のパトリック・マクヘンリー委員長は、「ツイッターにあおられた初の銀行破綻」と表現しました。世界恐慌の時のような大勢の預金者が銀行に詰めかけた取り付け騒ぎはなく(少しはありましたが)、昔とは様変わりしたようです。

 金融機関で、噂の恐さを物語る事件が昔ありました。1973年、登校中の列車内で高校生BとCが、豊川信用金庫に就職が決まった友人の女子高校生Aに対し「信用金庫は危ないよ」とからかいました。この発言は信用金庫の経営状況を指摘したものではなく、「信用金庫(などの金融機関)には強盗が入るため危険」という意味の冗談でしたが、Aはそれを真に受け、その夜、親戚に「信用金庫は危ないのか?」と尋ねました。Aは具体的な信用金庫の名称は言わなかったものの、親戚の人は豊川信金のことだと自分で判断して同信金本店の近くに住む親戚に「豊川信金は危ないのか?」と電話で問い合わせました。そこからは、噂に尾ひれがついて広まり、預金を下ろす人が殺到して取り付け騒ぎとなり、日本銀行と警察が動いて沈静化を図るという事態にまで発展しました。日本では、この事件より前の1971年に成立した預金保険法で、預金保険機構の裏付けのもと、預金保険制度に加盟している金融機関が破綻した場合、当時は100万円まで「預金者への保険金の直接支払い」が保証されていましたが、一般の認知度が十分ではなかったことも騒ぎが大きくなった原因です。現在は、1000万円まで補償されています。

 「火のないところに煙は立たない」とは言いますが、現在はSNSであっという間に様々なことが拡散される時代ですので、悪意のある噂が流されれば、それを消すのは容易ではありません。デジタルタトゥー(刺青)の名のとおり、ずっとデジタル空間に残り漂い続けます。飲食店が悪意のある口コミによって苦境に陥ることもあります。言葉にせよ、写真や動画にせよ、デジタル全盛の時代では、すべてのことを一度疑ってかかることが必要なのかもしれません。悲しいことですが、だまされないために。