日誌

榎本校長のつぶやき

略語の未来(RGM)

 このブログは、学校でのことを第一にして話を広げていくようにしていますが、それができないときは「今日は何の日」や「時事ネタ」から発展させて書き、それでもこれはというものがないときは「ネタ帳」から探してきます。今日は略語について書こうと思います。

 さて、3月9日のブログで私が日本語の中で美しいと思っている言葉として「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」をあげました。ただ、これらの言葉が略されることも運動部では多いようで、「こんにちは」が「ちはっ」に、「ありがとうございます」が「あざすっ」に略されて普通に使われています。残念ながら美しい言葉とは言えません。言葉は生きているので、時代によって変わっていくのはある程度仕方ないとは思いますが、省略されたものが広まりすぎないようにしてもらいたいです。ただ、「こんにちは」「さようなら」も略語なので、これ以上短くなってほしくないですね。11月30日のブログで書きましたが、「こんにちは」は「今日(こんにち)は、お元気ですか。」「今日は、ご機嫌いかがですか。」などが略されたものですし、「さようなら」は、「左様(さよう)ならば、ご機嫌よう。(また、お会いしましょう)」の略語です。私は「気にするな」という意味の「ドンマイ(Don’t mind)」というかけ声が好きですが、最近あまり聞かなくなったような気がします。「試合中のミスに萎縮して、また失敗しないように励ます言葉で、「ガンバレ」というソフトな圧力がある言葉ではないので好きです。

 略語とは認識していない言葉もたくさんあります。「ボールペン」「シャーペン」「食パン」「経済」「教科書」などは、皆さんがよく知っていて普段使っている言葉ですね。このくらいならば許容範囲だと思いますが、高校生の頃に読んだ「産業士官候補生」(眉村卓著)という小説の中で、効率を極端に進めた結果、最小限の言葉による人間味のないロボットのような会話がされるシーンがあり、印象に残っています。言葉を略しすぎて、日本人同士でも翻訳機が必要になる、そんな未来がこないことを祈っています。

あなたは、神仏を信じますか?

 WBCが開幕し、昨日は日本VS中国で日本が快勝しました。現在、ラグビー、サッカーに続いて野球が盛り上がっていますが、連日報道されている大谷選手の経済的効果はすごいですね。次は8月にバスケットボールワールドカップが日本、インドネシア、フィリピンで開催されます。楽しみです。

 さて、最近、気になっているニュースの中で宗教2世問題があります。昨年の7月8日に安倍晋三元首相が殺害された事件の犯人の動機から、宗教団体と政治家の関係が取り沙汰され、多くの問題が報道されるようになってきました。一つは多額の献金によって、家計が影響を受けて家庭が崩壊する問題で、もう一つは、保護者による子どもへの信仰の強制や虐待です。それに関連してエホバの証人による輸血拒否が、最近のニュースで取り上げられましたが、1992年に起こった信仰による輸血拒否事件は、私も現代社会や政治経済の授業において取り上げました。宗教教育と政治教育は、教師の考えを押し付けることなく多くの資料から公平公正な授業を行わなければなりません。多くの人の意見や考えから学び合うことが必要です。成人であれば、信仰の自由と人格権を主張して、輸血しない場合に死んでもかまわないと覚悟して輸血を拒否するのなら仕方ないのかもしれませんが、未成年、特に小学生以下の子どもについて信仰を強制したり教義に基づいて意に添わぬことを強制したりすることは、親権の濫用であり、人権尊重の観点から許容できないと私は考えます。日本人は、よく「無宗教」と言われますが、決してそんなことはなく、特定の宗教に深く関わっていない人が多いだけで信仰心はほとんどの人がもっていると思います。この我々が生きている地球と宇宙の存在と神を同一視して畏れる心が、無意識下にあるといっていいでしょうか。宗教は、本来、人が心の平安を求めて創始したはずです。その宗教によって苦しんでいる人が多くいることは、なんとも皮肉です。「信ずる者は、救われん」(聖書に語源)「いわしの頭も信心から」(一旦信じてしまえば、どんなものもありがたく思える)という言葉がありますが、「苦しい時の神頼み」が多くの日本人の実感に合っているのかもしれません。皆さんは、最後の心のよりどころをもっていますか。

明日は明日の風が吹く

 本日は、後期入学者選抜の1日目で、国語・数学・社会の3科目の学力検査が実施されました。天候に恵まれ、コロナとインフルエンザ等の欠席者や遅刻者もなく、志願者全員が最後まで受検することができました。受検生の皆さん、今日の試験を終えて一喜一憂していることかと思いますが、今日のことは一旦忘れて、気持ちを切り替えて明日の理科と英語の学力検査に臨んでください。「やめっ! 筆記用具を置いてください」の声を聞くまで、どうなるかわかりません。最後まであきらめることなく検査問題に取り組んでください。それでは明日、無事に忘れ物なく本校に到着するように願っています。今夜はしっかり睡眠をとってくださいね。

こころの駒に最後の鞭を!

 早いもので、令和5年も2か月が過ぎてしまいました。今日は卒業式予行と表彰式、同窓会入会式が行われました。久しぶりに登校した3年次生は、卒業アルバムや生徒会誌、各種たより、新聞を渡されて、明日卒業するんだなと改めて実感したことでしょう。予行をすることについては、「しないほうが感動があっていいんじゃないか」という意見、また「予行で卒業への気持ちを高められる、心の準備ができる」という意見もあることでしょう。卒業式は、卒業パーティーではなく、儀式的行事として定められていますので厳粛な雰囲気の中で行われることが普通です。入学式や卒業式の緊張感は、普段なかなか感じられないものなので貴重な機会だと思います。卒業生の皆さんは、小・中学校の卒業式で式歌として「旅立ちの日に」、「仰げば尊し」、「蛍の光」、「手紙」などを歌った人も多いかもしれません。ここ3年コロナで卒業式での歌唱がなくなっていて寂しい感じがします。これらの歌を聴いていると、卒業を実感して涙腺が緩んでしまいます。私は恥ずかしながら卒業式で泣かずに済んだことがなく、泣いている卒業生を見ることでもらい泣きしてしまうことはもちろん、校歌・式歌・送辞・答辞・謝辞が涙腺を攻撃してきてうるうるしてしまうため、なるべく見たり聞いたりすることに注意を集中しないようにしています。特に壇上にいる時は、ハンカチで拭くことができませんので、必死で我慢しています。「男は人前でむやみに涙をみせるものではない」という考えは、現在では男女差別につながるのでNGだと思いますが、なかなかそう簡単に意識は変えられないようです。「嬉し涙ならいいかっ!」と開き直って明日の卒業式に臨みます。3年次生の皆さん、明日は思い出に残る卒業式にしましょう。それと、皆さんの校歌が聞こえないと泣けません。よろしく!

Believe in yourself.

 誰でも口癖の一つや二つはもっています。なくて七癖とは言いますが、「えーと」「あのー」とかは、一般に無意味なつなぎ言葉「フィラー」(英語だと「well」「um」など)と呼ばれます。口癖は、基本的には無害ですが、あまり多いと気になりますね。ただ多ければ多いほど、話にスピード感とキレとリズムがなくなりますので、少ないに越したことはありません。生徒が先生の口癖を1時間の授業で何回言うかを数えた話も珍しくありません。20年ほど前から自分の授業をビデオで撮影して検討する研修を行っていますので、現在では多くの先生が自分の授業を客観的に見た経験があり、改善を図っていると思います。

 口癖の中で「でも」「だって」「どうせ」の三つは3D(だめ)言葉です。口癖になっている人は、気をつけましょう。「でも」「だって」「どうせ」は、相手の気分を害すると同時に自分の気持ちも下げる言葉です。発した言葉には魂が宿る「言魂(霊)」を信じるならば、後ろ向きの言葉を発していれば、どんどん運気を下げることになってしまいます。「でも」「だって」は、口答えの言葉であり、言い訳、反抗の言葉です。この言葉を出さずに「なるほど、確かにそうですね」というクッション言葉が出れば、その後の提案が受け入れられやすくなるのではないでしょうか。もちろん「申し訳ありませんでした」「ごめんなさい」という言葉を先に言ったほうがいい場合もあるでしょう。「どうせ」の後には、「(自分なんか、私たちなんか)~できる(になれる)はずがない」という言葉が続くことが多いと思いますが、個人でも集団でも、見限ったら、諦めたら、そこで終わりです。最後まで自分(たち)を信じてやれるのは自分(たち)しかいません。本日、後期入学者選抜の願書受付が始まりました。太東を志願してくれている中学3年生の皆さんが、自分を信じて本番の3月8日、9日を迎えてくれることを祈っています。