日誌

榎本校長のつぶやき

求む!異次元の教育政策

 子どもがいる世帯は、今や日本社会の少数派です。厚生労働省が実施している「国民生活基礎調査」によれば、2021年度に18歳未満の子どものいる世帯は1073万7000世帯で全世帯の20.7%でした。1989年は41.7%だったのと比べると半分になっています。2023年4月に発足した「こども家庭庁」は「こどもまんなか社会」の実現に向け、子ども政策に全力で取り組むとうたっています。以上は6月30日付の内外教育という教育冊子の巻頭コラムにあった文の一部です。
 私は、「異次元の少子化対策」で「異次元」な政策をぜひ実現してほしいです。経済的支援の強化と若い世代の所得向上、子育て世帯への支援拡充、共働き・共育ての推進、社会全体の意識改革という4つの柱があるようですが、財源問題が大きく横たわっているようです。「こども家庭庁」も理念は素晴らしいと思いますので、結婚・妊娠・出産・子育てに夢や希望を感じられる社会の実現、少子化の克服のために、ぜひお金と人を手当して効果的な政策を実施してほしいと思っています。

 子育て・教育政策として「保育所待機児童ゼロ」と「義務教育における1クラス当たりの児童生徒数を欧米並みに減らすこと」を、ぜひお願いしたいと思っています。少人数クラスのほうが学力が向上するかどうかが不明なことが、財務省がなかなか予算増加を認めない理由のようですが、小学校教員になることの不安を取り除いて志望者を増やすために、「専科教員」も大事ですが2クラスに一人副担任をつけてほしいというのが切実な願いです、残念ながら日本は先進国の中でも特に教育と子育てにおける家計負担が大きく、国が最もお金をかけない国です(義務教育までは手厚いようですが。OECDの調査結果を見ると暗くなります)。

 現在の少子化対策で最も優先すべきは、既に子どもがいる世帯への補助よりも、若者が結婚できる精神的経済的環境作りではないかと識者が言っていましたが、私もそうだと思います。(若者が結婚したくないと考えているなら話は別ですが。戦前戦中の「産めよ殖やせよ」は通用しなく、結婚も出産も個人の自由なので。) 若者の経済的安定と結婚問題は、すぐにどうにかできる問題ではないし、予算が確保できない(増税もできないし、国債も発行できない)のであるならば、少子化が止められないと仮定して、各政党は将来どのような社会になるかを予測して国民に対策をきちんと説明し、選挙を通して考えてもらうしかないでしょう。周辺諸国のことを考えると防衛費の増額も喫緊の課題ですが、人口問題と教育問題は社会を変えてしまいますので、ぜひ大胆な政策をお願いしたいと思います。ただ、数十年後に日本の人口が大幅に減少しても、科学技術がその分進歩していれば状況が悪化しているとは限りません。(例えば、若返りの薬の発明、高齢者でも力仕事ができるパワースーツの発明、ロボットによる肉体労働の代替、安全で安価なクリーンエネルギーの開発など)
 こうした正解のない問いに対して、よりよい解答、「納得解」を考える力をつけるための勉強を、生徒の皆さんはしているわけです。現代社会の課題を多面的多角的に捉えて考え、判断し、自分の意見を表明できるようになってください。自分たちの将来にかかわることですから。

子ども神輿と少子化問題

 昨日、自治会の子ども神輿が「わっしょい!わっしょい!」と暑い中を練り歩いていました。こちらもコロナ禍で中止が続き、4年ぶりでした。娘二人が小学校を卒業してからもしばらくお手伝いをしていましたが、世代交代し手伝いに出なくなってから随分たちます。昔は、途中で4回ほど休憩し、果物や麦茶やアイスなどをもらったり、ホースで水をかけてもらったりして、お賽銭を集めながら地区内の家を回っていました。疲れてくると子どもが御神輿にぶらさがるので、持っている大人は大変です。暑い中、御神輿を担ぐのを手伝いながら、声も出していましたので、大人も大変ですが、途中の飲食店で冷えたビールをいただけるのが楽しみでした。ビールを飲めるのを楽しみにして参加している人もいましたので。

 私が住む地区は、新興住宅地で小学生が比較的多いため、子ども神輿も賑やかですが、少子化のため、地区によっては小学生が一人しかいなくなってしまったところもあります。私の子どもが通った小学校も近隣の小学校2校と統合し、統合される2校の児童は通学バスで通うことになります。今後10~20年で、高校も統合や学級減が進むことになりますが、生徒数の減少によって学校行事や部活動が影響を受けて、活気がなくなるのが心配です。日本の人口が、このまま減少していった時、日本人はどのような選択をするのか、よく考える必要があります。農業や工業などの経済活動を維持するための労働力をどう確保したらよいか。生徒の皆さんは、地歴公民科目をしっかり学習し、根拠とともに自分の考えがもてるようになってください。

WALKMAN 訳すと?

 1979年の7月1日は、ソニーが携帯式ヘッドホンステレオ「ウォークマン」の第1号機「TPS-L2」を発売したことで「ウォークマンの日」となっています。カップルで楽しめるようにヘッドホンの端子が2つあり、定価は33,000円でした(当時の大卒初任給は11万円だったそうなので、現在に換算すると6万5千円弱ですね。皆さん、買いますか?)。

 昔、「プロジェクトX(挑戦者たち)」という戦後日本を支えた技術者達の記録ドキュメンタリー番組があり、中島みゆきが歌った主題歌「地上の星」が話題になりました。その中でソニーが関わったものに「ビデオの規格争い、VHS対ベータ」がありました。ウォークマンも取り上げられてもおかしくないのに、なぜ番組にならなかったかというと、当時の開発者が亡くなっていたことや放映できない事情があったからだそうです。気になった人は調べてみてください。録音機能なしでは売れないとの社内外の反対の声もありましたし、ネーミングでも揉めたみたいです。発売当初はマスコミの反応が芳しくなく、新聞掲載もごくわずかだったために、発売1ヵ月での売上はわずか3,000台に留まっていたそうです。しかし、「重役の7割が反対するプランくらいでやっと先手をとれる。」とパナソニックの松下幸之助さんの金言どおり、このあと大ヒットすることになります。宣伝部や国内営業部隊のスタッフらによる広告・宣伝活動により、当時の若者たちの間に評判が広がり、8月に初回生産の3万台を完売すると、需要に供給が追い付かない状態が年内いっぱい続いたそうです。ソニー内部での金言に「市場は調査するものではなく、創造するもの」というのがあるそうですが、市場調査で売れるものがわかるならみんな儲かりますよね。

 私は、大学生になってから初めてウォークマンを購入し、現在まで7台購入しています。スマホで音楽を聴くようになってからは使っていませんが、大学時代は、外出時はいつも持ち歩いていました。(主に聴いていたのは、ヘヴィメタルとハードロックでした。違いがわからない人は調べてください) カセットウォークマンに続き、CDウォークマン、MDウォークマン、メモリースティックウォークマンなどが発売されていますが、私はCDウォークマン以外、全て購入しています。その後、i-Podなど他のメーカーからも同様のものが発売されていますが、「ウォークマン」は携帯音楽再生機の代名詞です。場所を選ばず、いつでもどこでも音楽を聴くことのできる製品は画期的で、世界的な大ヒットとなりました。「何でも多機能にすればいい」の反対路線でヒットしたのです。音楽再生機器の進歩とイヤホンやヘッドホンの進化は、歩を同じくしていますが、未来はどんなものが開発されるのでしょうか。普通の眼鏡型で、「動画も音楽もOK!」というものが発売されるのも近いかもしれません。音楽がない生活というのは考えられませんが、どんな奇想天外な商品が開発されるのか楽しみです。その商品開発に皆さんの中の誰かが関わるかもしれません。そうしたら周年記念講演会に来て、話をしてくださいね。

※「ウォークマン」は英語としては通用しない和製英語だったので、当初は国ごとに名前がバラバラでした。しかし、日本での「ウォークマン」の人気が世界に広まり、いつしか「ウォークマン」のネーミングは海外でも広く認知されるようになっていきました。そこで盛田会長が決断し、全世界で名称は「ウォークマン」に統一されることになるのです。そして1986年には、世界で最も権威のある英語辞典Oxford English DictionaryにもWalkmanは掲載され、正しい英語として認定されるまでになったのでした。

ぜひ聴いて、読んでみて

 今日は「ビートルズの日」だそうで、最初で最後の来日を果たした1966年6月29日が記念日となりました。当時人気絶頂のイギリスのロックグループ「ザ・ビートルズ」(The Beatles)が羽田空港に到着した様子は、今でもテレビでよく見られます。翌日から東京・日本武道館で3日間5回の公演を行ったわけですが、学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されました。生徒の皆さんは驚くと思いますが、それくらい当時の若者に大きな影響を与えたわけです。ロックは不良のするものというレッテルを貼られたことも、皆さんには想像できないでしょう。「Help!」「イスタディ」「レット・イット・ビー」などは、皆さんもどこかで聞いたことがあると思います。私は、中学生の時に担任の先生がギターを弾いてクラス全員で「イエスタディ」を歌った思い出があります。1970年代に入ってからビートルズの曲が音楽の教科書に載るようになり、1970年代後半から1980年代にかけて、音楽教育において重要なアーティストとして扱われるようになったようです。ほかにも古典的名曲がたくさんありますので、ぜひ聴いてみてください。
 今日は『星の王子さま』の日でもあります。作者のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの誕生日です。1999年(平成11年)のこの日、神奈川県箱根町に世界で最初の記念館「箱根サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」がオープンし、記念日が設けられたそうです。「星の王子さまミュージアム」の開館はサン=テグジュペリの生誕100年を祝した世界的な記念行事の一環として企画されたもので、同館ではサン=テグジュペリの写真や手紙、愛用品の資料展示などが行われたそうです。「星の王子様」の中で、最も有名な文は「心で見なければものごとはよく見えないってこと。 大切なことは目に見えないんだ」でしょう。あと、「星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね……」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね・・・」などは、スタジオジブリの「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」を聞いた時に、頭に浮かびました。有名だけれども、読んだことがない本というのはたくさんありますが、この本は短編なので時間はかかりません。興味をもった人は、ぜひ読んでみてください。

外国由来のモノはどれくらい?

 今日は、貿易の日だそうで、通商産業省(現:経済産業省)が1963年に制定したそうです。皆さんは、中学校までの歴史で勉強した安政の五か国条約を覚えていますか。1858年に日米修好通商条約を始めとして、オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結んだ一連の通商条約です。1859年6月28日、江戸幕府がこれらの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出したことから貿易の日となりました。しかし、これらの大きな問題点は、不平等条約だったことです。高校入試でもよく出る①領事裁判権を認めたこと、②関税自主権がないこと、③片務的最恵国待遇(ロシアを除く)です。この撤廃のために明治政府は、大変な苦労をしました。また、この条約は天皇の許可(勅許)が得られないまま結ばれたことにより、安政の大獄や桜田門外の変(井伊直弼の暗殺)などの事件を引き起こすことになりました。(日本史の授業みたいになりそうなのでこのへんでやめておきます)            

 日本は外国と様々なモノ・サービスの取引を行っています。多くの場合、それでお互いに利益を得るわけですが、取引総額が不均衡になると外交問題に発展する場合もあります。日本とアメリカとの戦後の貿易摩擦の歴史は長く、「ジャパンバッシング(日本たたき)」という言葉も生まれました。また、特殊な輸出品がある国は、それを外交上優位に立つためのカードに使う場合もあります。最近だと中国のレアアースの輸出規制が、それに当たります。日本は、資源を輸入して付加価値を高めた製品を生産し輸出して、外貨を稼ぐ「加工貿易国」ですから、資源の輸入リスクを減らすために多くの国と貿易しています。しかし、一部の国に産出が偏った資源はどうにもなりません。ただ、日本は資源がない分を補うため、持ち前の技術力によって製品だけでなく新しいエネルギーの開発を進め、世界が驚く成果をあげています。近い将来、他国に依存しないエネルギーが確保できるのではと期待しています。国同士の安全保障は、もとは戦争を避けるためのシステムでしたが、今は「食糧安全保障」や「エネルギー安全保障」など戦争に至る前の段階が重要になってきています。「食糧安全保障」には、穀物などだけでなく水も重要です。他国に多くを依存していれば、「食糧」と「エネルギー」は国民の生死にかかわる問題になります。SDGsばやりの昨今ですが、今、皆さんの身の回りにあるモノは、どこから来ているのか調べてみてください。そして、それがどんな人々によってどのように生産されているのかを知ってください。(政治経済の授業か?)