日誌

榎本校長のつぶやき

探究心で「もろびとの幸福」を招かん

 今日、7月11日は、「ラーメンの日」と「セブン-イレブンの日」だそうです。この二つについて書こうと思ったのは、二つとも日本文化に大きな影響を与えていると思ったからです。

「ラーメンの日」は「7」を「レンゲ」に、「11」を「箸」に見立てたことと、ラーメンを最初に食べた人物とされる水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門でおなじみ)の誕生日にちなんでだそうで、ラーメン産業の振興・発展とともに、日本独自のラーメン文化を支えることを目的として2017年に認定・登録されました。

 2023年(令和5年)にセブン-イレブン・ジャパンは創業50周年を迎えました。「セブン-イレブン」という抜群の認知度と、社名がそのまま日付に置き換えられるわかりやすさで、記念日の登録を行うことで、更なる情報発信をするのを目的として偶然にも「ラーメンの日」と同じ2017年に認定・登録されました。 

 私は、麺類は「ラーメン」「そば」「うどん」「スパゲッティ」何でも好きですが、どれか一つ選べと言われたら「ラーメン」ですね。外国人にも人気ですが、日本人の研究熱心さから「ラーメン」は素晴らしい発展を遂げ、日本の食文化を代表するものになっています。「カップヌードル」をはじめとするインスタント麺の進歩はとどまるところがありません。他の麺類も工夫が重ねられていますが、ラーメンの種類の多さには敵わないと思います。日本人の食に対する探究心はすごいです。

 セブン-イレブンを始めとするコンビニもまた、歴史は浅いですが日本文化を代表するものになっていると思います。2002年にプロジェクトXで「日米逆転!コンビニを作った素人たち」で放映されましたが、ここでもまた、日本人の探究心が発揮されました。今や、セブン-イレブンだけでなく、ローソンやミニストップ、ファミリーマートなどコンビニはいたるところにあります。そして、そのサービスも日々進化し続けています。外国人が「日本のコンビニはすごい」という感想は、当たり前と感じている私たちには本当の意味で理解できていないでしょう。20年以上前になりますが、「POSシステムによって神の見えざる手を見えるようにする」という内容の番組を見て、コンビニ経営者の苦悩、利益を最大化するにはどうしたらよいか、24時間営業の大変さ、商品の仕入れと陳列の工夫などについて、政治経済の授業で取り上げました。陳列できる商品は限られています。1店舗で2500~3000種類と言われています。何をどれくらい仕入れたらよいのか、どのように陳列すれば一番売り上げが伸びるのか、全てはデータによって最適化が図られていきます。データの収集を担ったのがPOSシステムでした。「何、それ?」と思った人は、すぐ調べてみてくださいね。先日、「みらい学」でたくさんの卒業生の皆さんにお世話になりましたが、社会に出たら常に探究心をもって仕事に取り組み、自分の仕事がどのように「もろびとの幸福」に役立っているのか、考えてみてください。

納豆好きですか?

 7月10日は、1966年にTBSテレビで『ウルトラマン』の放送が開始されたことにちなみ、ウルトラマンシリーズの制作を手がける円谷プロダクションが「ウルトラマンの日」として制定しました。ウルトラマンについて書くと長くなるのは「火を見るより明らか」ですので、ここでやめて「納豆」について書きます。
 今日は、7月10日で語呂合わせとして大変わかりやすい「納豆の日」です。大体記念日というのは、宣伝のために制定することが多いですが、皆さんもご存じのとおり、納豆は関西では関東ほど食べられていません。そこで関西納豆工業協同組合が関西での納豆の消費拡大を目的に、関西地域限定の記念日として1981年(昭和56年)に制定したそうです。昔、「納豆(710)うまいよ平城京」なんて年号の覚え方をしましたが、納豆は奈良時代にあったかどうかは疑問です(笑)。納豆の起源については、諸説ありますが、平安時代後期の武将だった源義家が、前九年の役、後三年の役の際に奥州(現在の東北地方)へ遠征に行った際に納豆が誕生した説が東北では有力なようです。戦が長引いたことで馬の飼料が不足したため、義家は農民たちに飼料となる大豆を差し出すように命じました。急な命令だったことから、農民たちは煮たばかりの熱い大豆を冷ます間もなく俵に詰めて差し出したそうです。すると数日後、大豆は糸を引くようになっていました。これを試しに食べてみたところ美味しかったため、大豆は兵士たちの食料になったそうです。この食べ物はやがて農民たちにも広まり、農民たちも自作して食べるようになったとのことです。ほかに弥生時代説もありますが、「納豆」という語句が確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に儒学者・藤原明衡によって書かれた『新猿楽記(しんさるがくき)』であり、平安時代には「納豆」という言葉が存在していたことが確認されています。ただ、後三年の役は、11世紀の終わりですので、『新猿楽記』に書かれた納豆は糸をひく納豆ではないかもしれません。
 見かけが悪いものを最初に食べた人は勇気があると言われますが(特になまこ)、納豆も糸を引いているのによく食べたなと思います。1994年に刊行された「もの食う人びと」辺見庸 (著)は、世界各地で様々なものを食べるルポルタージュで、日本だと想像もできない食べ物もあり、かなり話題になりましたが、人間は生きるためにはとにかく食べなければなりません。地理の授業で世界の衣食住を学ぶとき、地形や気候、文化によって食べ物も異なってくることを学んだと思います。ただ、食べるものの違いについて学ぶだけでは不十分です。
 消費者庁ウェブページには、次のような文章が載っています。日本では、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」が523万トン(令和3年度推計)もあります。これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2021年で年間約440万トン)の1.2倍に相当します。また、食品ロスを国民一人当たりに換算すると"お茶碗約1杯分(約114g)の食べもの"が毎日捨てられていることになるのです。「もったいない」と思いませんか?
 納豆の話から、食品ロスの話に発展してしまいましたが、「食べ物を粗末にすると罰が当たる」といった昔の人は正しいと思います。残さず食べるということは、食べられる分だけ注文するか、作ることです。SDGsに関係なく、食べ物を大事にしましょう。そして感謝していただきましょう。

「みらい」のために君は何を学ぶのか?

 今日は、28名の卒業生を講師にお迎えして、1、2年次生に「みらい学」を実施しました。講師一人につき生徒4人の座談会方式で各教室に5班をセッティングし、1年次生は2、3限に、2年次生は4、5限に、実施しました。今回の「みらい学」の目的は、社会生活に対する視野と関心を広げ、高校生活で身に付けるべき力を理解すること、それらを踏まえて進路目標を具体化し、目標を達成するために必要な力を理解すること、です。1年次生は、①「働くこと」とは、どのようなことか、②高校で身に付けるべき力はどのようなものか、2年次生は、①その職業は、誰にどのように役立つのか、②役立てるようになるための力を伸ばすために何をしたのか、に焦点を当て、講師の先生を中心に対話的学習をしました。講師の方には、2コマ100分で、4回お話をしていただきました。生徒は質疑応答を通して学び合うことができました。

 本日は平日にも関わらず、後輩のために御協力いただいた卒業生の皆様に心より御礼申し上げます。はるばる関西から駆けつけてくれた講師の方もいらっしゃいました。頭が下がる思いです。生徒の皆さんも、本日の貴重な勉強を今後の進路決定のための学習に生かしてください。そして、将来皆さんが本校に来て、後輩のために話をしてくれることを期待しています。

※今日はたくさん記念日がありました。その中から「ポニーテールの日」を選びました。1995年に日本ポニーテール協会が制定したそうです。7月7日が「七夕」「ゆかたの日」であり、七夕伝説の織姫や浴衣にポニーテールがよく似合うことからだそうです。(笑) 正確には数えていませんが、本校の女生徒の8割くらいは、ポニーテールだと思いますので、付け足しました。

とこしえの0(ゼロ)

 1939年7月6日、零式艦上戦闘機の試作機の試験飛行が始まったことから、今日は「ゼロ戦の日」だそうです。零戦の設計者である堀越二郎をモデルにした映画として、2013年に公開されたスタジオジブリの『風立ちぬ』がありますが、皆さんはご覧になりましたか?私は、小学生のころゼロ戦をはじめとする戦闘機や大和などの戦艦、戦車、潜水艦などのプラモデルを作るのが好きでした。かっこいいと思っていましたが、自国を守る=敵をやっつける(殺す)機械なんですよね。身近に戦争がないので実感はわきませんが、カズレーザーの体験入隊などの番組で自衛隊の演習やブルーインパルスの飛行などを見て、「けしからん」ではなく「かっこいい、すごい」と思ってしまう自分がいます。兵器にも兵隊にも莫大なお金がかかっていますが、ロシアのように使わないでほしいものです。

 零式艦上戦闘機は、ゼロ戦の略称で知られていて、その性能と日本人パイロットの優秀さから恐れられ、敵パイロットから「ゼロファイター(Zero Fighter)」と呼ばれました。「小回りが利き、飛行距離の長い戦闘機を」という海軍の要求で堀越二郎が設計し、時速533km、航続距離3,500kmでした。しかし、速度や航続距離、旋回能力のために軽さが求められたため、防弾装備は優先順位が低くなってしまったようです。1940年の中国戦線から実戦に投入され、第二次大戦中に1万機以上が生産されました。戦争末期の1944年には、最初の神風特別攻撃隊に零戦を改修したものが使われました。科学者や技術者は、自分が作ったものが戦争によって大勢の人間を殺すことになることは仕方がないと思っていたのでしょうか。自分が作らなくても誰かが作ってしまうなら、自分が作ろうと思ったのでしょうか。原爆を作ったオッペンハイマーは、戦後原爆の使用に関して「科学者(物理学者)は罪を知った」との言葉を残しています。戦争が科学技術の進歩を促したのは、歴史上の事実ですが、科学者の探究欲求というものは倫理観では抑えきれないものなのでしょうか。これから科学技術ととともに医学も同時に進歩していきますが、医学も人体実験や臓器売買など非合法なことが行われて発展していくのでしょうか。これから先、正解のない世界で、人類はどのような答えを出していくのか。人任せにせず、考えていきしょう。

※当時の日本の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていました。そのため零戦の「零式」の名称は、採用された1940年が皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であることからつけられました。(日本は紀元前660年に神武天皇が即位したとし、この年を皇紀元年としました。)

 

ムダじゃ・・・ない?

 皆さんは、ムーミンを知っていますか。埼玉県飯能市にムーミンバレーパークが2019年に開業して話題になりましたね。私は初期のアニメを見ていましたので、現代風のムーミンには少し違和感があります。ゲゲゲの鬼太郎やルパン3世なども初期のものと現代のものがかなり違うので(かわいくなっていて)昔のほうが私はいいですね。『ムーミン』のアニメを世界で最初に作ったのは日本だって知っていましたか。アニメの主題歌で「ねえ、ムーミン、こっち向いて」というフレーズは同年代の方ならみんな知っていることでしょう。サザエさんと同じく家族で見る番組でした。スナフキンやミーのファンは多いですが、二人とも妖精だって知っていましたか。私は人間だと思っていました。ムーミン谷のキャラクターの中にジャコウネズミのマスクラットという自称哲学博士で、哲学書を好む偏屈なおじいさんが登場します。いつも、「ムダじゃムダじゃ、まったくムダじゃよ」とつぶやきます。いつも読んでいる本は『すべてがむだである事について』でした。私は、今でもよく覚えていて、このフレーズは好きです。
 というわけで、今日は「ムダ」について少し書きます。皆さんにとってムダって何ですか?どんな時に「ムダ」という言葉を使いますか?「やるだけ無駄」「無駄な努力」「時間の無駄」とか使ったことはありますか。ポジティブに考えれば自分がしたことが無駄かどうかは、死ぬまでわかりません。「幸せ」と同じように「無駄」かどうかを決めるのは、自分自身です。例えば、ぼーっとして何もしていない時間は無駄でしょうか。生産性のないことは、すべて無駄でしょうか。人生には無駄があるからこそ、気付くことも多いのではないかと思います。スケジュール帳が埋まっていないと不安で暇な時間が恐い。そうならないためにも、無駄と思えることも大切にしましょう。余裕があれば無駄も認められます。無駄が人生を豊かにするかもしれませんよ。
※残念ながら、1969年と1972年からの二期にわたってフジテレビ系で放送された『ムーミン』、通称「昭和ムーミン」は原作とあまりにも違っていたため、現在では放映もソフト化も許可されていません。YouTubeなら見られますので、興味をもった人は「昭和のムーミン」を見てみてください。