日誌

榎本校長のつぶやき

探究心で「もろびとの幸福」を招かん

 今日、7月11日は、「ラーメンの日」と「セブン-イレブンの日」だそうです。この二つについて書こうと思ったのは、二つとも日本文化に大きな影響を与えていると思ったからです。

「ラーメンの日」は「7」を「レンゲ」に、「11」を「箸」に見立てたことと、ラーメンを最初に食べた人物とされる水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門でおなじみ)の誕生日にちなんでだそうで、ラーメン産業の振興・発展とともに、日本独自のラーメン文化を支えることを目的として2017年に認定・登録されました。

 2023年(令和5年)にセブン-イレブン・ジャパンは創業50周年を迎えました。「セブン-イレブン」という抜群の認知度と、社名がそのまま日付に置き換えられるわかりやすさで、記念日の登録を行うことで、更なる情報発信をするのを目的として偶然にも「ラーメンの日」と同じ2017年に認定・登録されました。 

 私は、麺類は「ラーメン」「そば」「うどん」「スパゲッティ」何でも好きですが、どれか一つ選べと言われたら「ラーメン」ですね。外国人にも人気ですが、日本人の研究熱心さから「ラーメン」は素晴らしい発展を遂げ、日本の食文化を代表するものになっています。「カップヌードル」をはじめとするインスタント麺の進歩はとどまるところがありません。他の麺類も工夫が重ねられていますが、ラーメンの種類の多さには敵わないと思います。日本人の食に対する探究心はすごいです。

 セブン-イレブンを始めとするコンビニもまた、歴史は浅いですが日本文化を代表するものになっていると思います。2002年にプロジェクトXで「日米逆転!コンビニを作った素人たち」で放映されましたが、ここでもまた、日本人の探究心が発揮されました。今や、セブン-イレブンだけでなく、ローソンやミニストップ、ファミリーマートなどコンビニはいたるところにあります。そして、そのサービスも日々進化し続けています。外国人が「日本のコンビニはすごい」という感想は、当たり前と感じている私たちには本当の意味で理解できていないでしょう。20年以上前になりますが、「POSシステムによって神の見えざる手を見えるようにする」という内容の番組を見て、コンビニ経営者の苦悩、利益を最大化するにはどうしたらよいか、24時間営業の大変さ、商品の仕入れと陳列の工夫などについて、政治経済の授業で取り上げました。陳列できる商品は限られています。1店舗で2500~3000種類と言われています。何をどれくらい仕入れたらよいのか、どのように陳列すれば一番売り上げが伸びるのか、全てはデータによって最適化が図られていきます。データの収集を担ったのがPOSシステムでした。「何、それ?」と思った人は、すぐ調べてみてくださいね。先日、「みらい学」でたくさんの卒業生の皆さんにお世話になりましたが、社会に出たら常に探究心をもって仕事に取り組み、自分の仕事がどのように「もろびとの幸福」に役立っているのか、考えてみてください。

納豆好きですか?

 7月10日は、1966年にTBSテレビで『ウルトラマン』の放送が開始されたことにちなみ、ウルトラマンシリーズの制作を手がける円谷プロダクションが「ウルトラマンの日」として制定しました。ウルトラマンについて書くと長くなるのは「火を見るより明らか」ですので、ここでやめて「納豆」について書きます。
 今日は、7月10日で語呂合わせとして大変わかりやすい「納豆の日」です。大体記念日というのは、宣伝のために制定することが多いですが、皆さんもご存じのとおり、納豆は関西では関東ほど食べられていません。そこで関西納豆工業協同組合が関西での納豆の消費拡大を目的に、関西地域限定の記念日として1981年(昭和56年)に制定したそうです。昔、「納豆(710)うまいよ平城京」なんて年号の覚え方をしましたが、納豆は奈良時代にあったかどうかは疑問です(笑)。納豆の起源については、諸説ありますが、平安時代後期の武将だった源義家が、前九年の役、後三年の役の際に奥州(現在の東北地方)へ遠征に行った際に納豆が誕生した説が東北では有力なようです。戦が長引いたことで馬の飼料が不足したため、義家は農民たちに飼料となる大豆を差し出すように命じました。急な命令だったことから、農民たちは煮たばかりの熱い大豆を冷ます間もなく俵に詰めて差し出したそうです。すると数日後、大豆は糸を引くようになっていました。これを試しに食べてみたところ美味しかったため、大豆は兵士たちの食料になったそうです。この食べ物はやがて農民たちにも広まり、農民たちも自作して食べるようになったとのことです。ほかに弥生時代説もありますが、「納豆」という語句が確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に儒学者・藤原明衡によって書かれた『新猿楽記(しんさるがくき)』であり、平安時代には「納豆」という言葉が存在していたことが確認されています。ただ、後三年の役は、11世紀の終わりですので、『新猿楽記』に書かれた納豆は糸をひく納豆ではないかもしれません。
 見かけが悪いものを最初に食べた人は勇気があると言われますが(特になまこ)、納豆も糸を引いているのによく食べたなと思います。1994年に刊行された「もの食う人びと」辺見庸 (著)は、世界各地で様々なものを食べるルポルタージュで、日本だと想像もできない食べ物もあり、かなり話題になりましたが、人間は生きるためにはとにかく食べなければなりません。地理の授業で世界の衣食住を学ぶとき、地形や気候、文化によって食べ物も異なってくることを学んだと思います。ただ、食べるものの違いについて学ぶだけでは不十分です。
 消費者庁ウェブページには、次のような文章が載っています。日本では、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」が523万トン(令和3年度推計)もあります。これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2021年で年間約440万トン)の1.2倍に相当します。また、食品ロスを国民一人当たりに換算すると"お茶碗約1杯分(約114g)の食べもの"が毎日捨てられていることになるのです。「もったいない」と思いませんか?
 納豆の話から、食品ロスの話に発展してしまいましたが、「食べ物を粗末にすると罰が当たる」といった昔の人は正しいと思います。残さず食べるということは、食べられる分だけ注文するか、作ることです。SDGsに関係なく、食べ物を大事にしましょう。そして感謝していただきましょう。

「みらい」のために君は何を学ぶのか?

 今日は、28名の卒業生を講師にお迎えして、1、2年次生に「みらい学」を実施しました。講師一人につき生徒4人の座談会方式で各教室に5班をセッティングし、1年次生は2、3限に、2年次生は4、5限に、実施しました。今回の「みらい学」の目的は、社会生活に対する視野と関心を広げ、高校生活で身に付けるべき力を理解すること、それらを踏まえて進路目標を具体化し、目標を達成するために必要な力を理解すること、です。1年次生は、①「働くこと」とは、どのようなことか、②高校で身に付けるべき力はどのようなものか、2年次生は、①その職業は、誰にどのように役立つのか、②役立てるようになるための力を伸ばすために何をしたのか、に焦点を当て、講師の先生を中心に対話的学習をしました。講師の方には、2コマ100分で、4回お話をしていただきました。生徒は質疑応答を通して学び合うことができました。

 本日は平日にも関わらず、後輩のために御協力いただいた卒業生の皆様に心より御礼申し上げます。はるばる関西から駆けつけてくれた講師の方もいらっしゃいました。頭が下がる思いです。生徒の皆さんも、本日の貴重な勉強を今後の進路決定のための学習に生かしてください。そして、将来皆さんが本校に来て、後輩のために話をしてくれることを期待しています。

※今日はたくさん記念日がありました。その中から「ポニーテールの日」を選びました。1995年に日本ポニーテール協会が制定したそうです。7月7日が「七夕」「ゆかたの日」であり、七夕伝説の織姫や浴衣にポニーテールがよく似合うことからだそうです。(笑) 正確には数えていませんが、本校の女生徒の8割くらいは、ポニーテールだと思いますので、付け足しました。

とこしえの0(ゼロ)

 1939年7月6日、零式艦上戦闘機の試作機の試験飛行が始まったことから、今日は「ゼロ戦の日」だそうです。零戦の設計者である堀越二郎をモデルにした映画として、2013年に公開されたスタジオジブリの『風立ちぬ』がありますが、皆さんはご覧になりましたか?私は、小学生のころゼロ戦をはじめとする戦闘機や大和などの戦艦、戦車、潜水艦などのプラモデルを作るのが好きでした。かっこいいと思っていましたが、自国を守る=敵をやっつける(殺す)機械なんですよね。身近に戦争がないので実感はわきませんが、カズレーザーの体験入隊などの番組で自衛隊の演習やブルーインパルスの飛行などを見て、「けしからん」ではなく「かっこいい、すごい」と思ってしまう自分がいます。兵器にも兵隊にも莫大なお金がかかっていますが、ロシアのように使わないでほしいものです。

 零式艦上戦闘機は、ゼロ戦の略称で知られていて、その性能と日本人パイロットの優秀さから恐れられ、敵パイロットから「ゼロファイター(Zero Fighter)」と呼ばれました。「小回りが利き、飛行距離の長い戦闘機を」という海軍の要求で堀越二郎が設計し、時速533km、航続距離3,500kmでした。しかし、速度や航続距離、旋回能力のために軽さが求められたため、防弾装備は優先順位が低くなってしまったようです。1940年の中国戦線から実戦に投入され、第二次大戦中に1万機以上が生産されました。戦争末期の1944年には、最初の神風特別攻撃隊に零戦を改修したものが使われました。科学者や技術者は、自分が作ったものが戦争によって大勢の人間を殺すことになることは仕方がないと思っていたのでしょうか。自分が作らなくても誰かが作ってしまうなら、自分が作ろうと思ったのでしょうか。原爆を作ったオッペンハイマーは、戦後原爆の使用に関して「科学者(物理学者)は罪を知った」との言葉を残しています。戦争が科学技術の進歩を促したのは、歴史上の事実ですが、科学者の探究欲求というものは倫理観では抑えきれないものなのでしょうか。これから科学技術ととともに医学も同時に進歩していきますが、医学も人体実験や臓器売買など非合法なことが行われて発展していくのでしょうか。これから先、正解のない世界で、人類はどのような答えを出していくのか。人任せにせず、考えていきしょう。

※当時の日本の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていました。そのため零戦の「零式」の名称は、採用された1940年が皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であることからつけられました。(日本は紀元前660年に神武天皇が即位したとし、この年を皇紀元年としました。)

 

ムダじゃ・・・ない?

 皆さんは、ムーミンを知っていますか。埼玉県飯能市にムーミンバレーパークが2019年に開業して話題になりましたね。私は初期のアニメを見ていましたので、現代風のムーミンには少し違和感があります。ゲゲゲの鬼太郎やルパン3世なども初期のものと現代のものがかなり違うので(かわいくなっていて)昔のほうが私はいいですね。『ムーミン』のアニメを世界で最初に作ったのは日本だって知っていましたか。アニメの主題歌で「ねえ、ムーミン、こっち向いて」というフレーズは同年代の方ならみんな知っていることでしょう。サザエさんと同じく家族で見る番組でした。スナフキンやミーのファンは多いですが、二人とも妖精だって知っていましたか。私は人間だと思っていました。ムーミン谷のキャラクターの中にジャコウネズミのマスクラットという自称哲学博士で、哲学書を好む偏屈なおじいさんが登場します。いつも、「ムダじゃムダじゃ、まったくムダじゃよ」とつぶやきます。いつも読んでいる本は『すべてがむだである事について』でした。私は、今でもよく覚えていて、このフレーズは好きです。
 というわけで、今日は「ムダ」について少し書きます。皆さんにとってムダって何ですか?どんな時に「ムダ」という言葉を使いますか?「やるだけ無駄」「無駄な努力」「時間の無駄」とか使ったことはありますか。ポジティブに考えれば自分がしたことが無駄かどうかは、死ぬまでわかりません。「幸せ」と同じように「無駄」かどうかを決めるのは、自分自身です。例えば、ぼーっとして何もしていない時間は無駄でしょうか。生産性のないことは、すべて無駄でしょうか。人生には無駄があるからこそ、気付くことも多いのではないかと思います。スケジュール帳が埋まっていないと不安で暇な時間が恐い。そうならないためにも、無駄と思えることも大切にしましょう。余裕があれば無駄も認められます。無駄が人生を豊かにするかもしれませんよ。
※残念ながら、1969年と1972年からの二期にわたってフジテレビ系で放送された『ムーミン』、通称「昭和ムーミン」は原作とあまりにも違っていたため、現在では放映もソフト化も許可されていません。YouTubeなら見られますので、興味をもった人は「昭和のムーミン」を見てみてください。

求む!異次元の教育政策

 子どもがいる世帯は、今や日本社会の少数派です。厚生労働省が実施している「国民生活基礎調査」によれば、2021年度に18歳未満の子どものいる世帯は1073万7000世帯で全世帯の20.7%でした。1989年は41.7%だったのと比べると半分になっています。2023年4月に発足した「こども家庭庁」は「こどもまんなか社会」の実現に向け、子ども政策に全力で取り組むとうたっています。以上は6月30日付の内外教育という教育冊子の巻頭コラムにあった文の一部です。
 私は、「異次元の少子化対策」で「異次元」な政策をぜひ実現してほしいです。経済的支援の強化と若い世代の所得向上、子育て世帯への支援拡充、共働き・共育ての推進、社会全体の意識改革という4つの柱があるようですが、財源問題が大きく横たわっているようです。「こども家庭庁」も理念は素晴らしいと思いますので、結婚・妊娠・出産・子育てに夢や希望を感じられる社会の実現、少子化の克服のために、ぜひお金と人を手当して効果的な政策を実施してほしいと思っています。

 子育て・教育政策として「保育所待機児童ゼロ」と「義務教育における1クラス当たりの児童生徒数を欧米並みに減らすこと」を、ぜひお願いしたいと思っています。少人数クラスのほうが学力が向上するかどうかが不明なことが、財務省がなかなか予算増加を認めない理由のようですが、小学校教員になることの不安を取り除いて志望者を増やすために、「専科教員」も大事ですが2クラスに一人副担任をつけてほしいというのが切実な願いです、残念ながら日本は先進国の中でも特に教育と子育てにおける家計負担が大きく、国が最もお金をかけない国です(義務教育までは手厚いようですが。OECDの調査結果を見ると暗くなります)。

 現在の少子化対策で最も優先すべきは、既に子どもがいる世帯への補助よりも、若者が結婚できる精神的経済的環境作りではないかと識者が言っていましたが、私もそうだと思います。(若者が結婚したくないと考えているなら話は別ですが。戦前戦中の「産めよ殖やせよ」は通用しなく、結婚も出産も個人の自由なので。) 若者の経済的安定と結婚問題は、すぐにどうにかできる問題ではないし、予算が確保できない(増税もできないし、国債も発行できない)のであるならば、少子化が止められないと仮定して、各政党は将来どのような社会になるかを予測して国民に対策をきちんと説明し、選挙を通して考えてもらうしかないでしょう。周辺諸国のことを考えると防衛費の増額も喫緊の課題ですが、人口問題と教育問題は社会を変えてしまいますので、ぜひ大胆な政策をお願いしたいと思います。ただ、数十年後に日本の人口が大幅に減少しても、科学技術がその分進歩していれば状況が悪化しているとは限りません。(例えば、若返りの薬の発明、高齢者でも力仕事ができるパワースーツの発明、ロボットによる肉体労働の代替、安全で安価なクリーンエネルギーの開発など)
 こうした正解のない問いに対して、よりよい解答、「納得解」を考える力をつけるための勉強を、生徒の皆さんはしているわけです。現代社会の課題を多面的多角的に捉えて考え、判断し、自分の意見を表明できるようになってください。自分たちの将来にかかわることですから。

子ども神輿と少子化問題

 昨日、自治会の子ども神輿が「わっしょい!わっしょい!」と暑い中を練り歩いていました。こちらもコロナ禍で中止が続き、4年ぶりでした。娘二人が小学校を卒業してからもしばらくお手伝いをしていましたが、世代交代し手伝いに出なくなってから随分たちます。昔は、途中で4回ほど休憩し、果物や麦茶やアイスなどをもらったり、ホースで水をかけてもらったりして、お賽銭を集めながら地区内の家を回っていました。疲れてくると子どもが御神輿にぶらさがるので、持っている大人は大変です。暑い中、御神輿を担ぐのを手伝いながら、声も出していましたので、大人も大変ですが、途中の飲食店で冷えたビールをいただけるのが楽しみでした。ビールを飲めるのを楽しみにして参加している人もいましたので。

 私が住む地区は、新興住宅地で小学生が比較的多いため、子ども神輿も賑やかですが、少子化のため、地区によっては小学生が一人しかいなくなってしまったところもあります。私の子どもが通った小学校も近隣の小学校2校と統合し、統合される2校の児童は通学バスで通うことになります。今後10~20年で、高校も統合や学級減が進むことになりますが、生徒数の減少によって学校行事や部活動が影響を受けて、活気がなくなるのが心配です。日本の人口が、このまま減少していった時、日本人はどのような選択をするのか、よく考える必要があります。農業や工業などの経済活動を維持するための労働力をどう確保したらよいか。生徒の皆さんは、地歴公民科目をしっかり学習し、根拠とともに自分の考えがもてるようになってください。

WALKMAN 訳すと?

 1979年の7月1日は、ソニーが携帯式ヘッドホンステレオ「ウォークマン」の第1号機「TPS-L2」を発売したことで「ウォークマンの日」となっています。カップルで楽しめるようにヘッドホンの端子が2つあり、定価は33,000円でした(当時の大卒初任給は11万円だったそうなので、現在に換算すると6万5千円弱ですね。皆さん、買いますか?)。

 昔、「プロジェクトX(挑戦者たち)」という戦後日本を支えた技術者達の記録ドキュメンタリー番組があり、中島みゆきが歌った主題歌「地上の星」が話題になりました。その中でソニーが関わったものに「ビデオの規格争い、VHS対ベータ」がありました。ウォークマンも取り上げられてもおかしくないのに、なぜ番組にならなかったかというと、当時の開発者が亡くなっていたことや放映できない事情があったからだそうです。気になった人は調べてみてください。録音機能なしでは売れないとの社内外の反対の声もありましたし、ネーミングでも揉めたみたいです。発売当初はマスコミの反応が芳しくなく、新聞掲載もごくわずかだったために、発売1ヵ月での売上はわずか3,000台に留まっていたそうです。しかし、「重役の7割が反対するプランくらいでやっと先手をとれる。」とパナソニックの松下幸之助さんの金言どおり、このあと大ヒットすることになります。宣伝部や国内営業部隊のスタッフらによる広告・宣伝活動により、当時の若者たちの間に評判が広がり、8月に初回生産の3万台を完売すると、需要に供給が追い付かない状態が年内いっぱい続いたそうです。ソニー内部での金言に「市場は調査するものではなく、創造するもの」というのがあるそうですが、市場調査で売れるものがわかるならみんな儲かりますよね。

 私は、大学生になってから初めてウォークマンを購入し、現在まで7台購入しています。スマホで音楽を聴くようになってからは使っていませんが、大学時代は、外出時はいつも持ち歩いていました。(主に聴いていたのは、ヘヴィメタルとハードロックでした。違いがわからない人は調べてください) カセットウォークマンに続き、CDウォークマン、MDウォークマン、メモリースティックウォークマンなどが発売されていますが、私はCDウォークマン以外、全て購入しています。その後、i-Podなど他のメーカーからも同様のものが発売されていますが、「ウォークマン」は携帯音楽再生機の代名詞です。場所を選ばず、いつでもどこでも音楽を聴くことのできる製品は画期的で、世界的な大ヒットとなりました。「何でも多機能にすればいい」の反対路線でヒットしたのです。音楽再生機器の進歩とイヤホンやヘッドホンの進化は、歩を同じくしていますが、未来はどんなものが開発されるのでしょうか。普通の眼鏡型で、「動画も音楽もOK!」というものが発売されるのも近いかもしれません。音楽がない生活というのは考えられませんが、どんな奇想天外な商品が開発されるのか楽しみです。その商品開発に皆さんの中の誰かが関わるかもしれません。そうしたら周年記念講演会に来て、話をしてくださいね。

※「ウォークマン」は英語としては通用しない和製英語だったので、当初は国ごとに名前がバラバラでした。しかし、日本での「ウォークマン」の人気が世界に広まり、いつしか「ウォークマン」のネーミングは海外でも広く認知されるようになっていきました。そこで盛田会長が決断し、全世界で名称は「ウォークマン」に統一されることになるのです。そして1986年には、世界で最も権威のある英語辞典Oxford English DictionaryにもWalkmanは掲載され、正しい英語として認定されるまでになったのでした。

ぜひ聴いて、読んでみて

 今日は「ビートルズの日」だそうで、最初で最後の来日を果たした1966年6月29日が記念日となりました。当時人気絶頂のイギリスのロックグループ「ザ・ビートルズ」(The Beatles)が羽田空港に到着した様子は、今でもテレビでよく見られます。翌日から東京・日本武道館で3日間5回の公演を行ったわけですが、学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されました。生徒の皆さんは驚くと思いますが、それくらい当時の若者に大きな影響を与えたわけです。ロックは不良のするものというレッテルを貼られたことも、皆さんには想像できないでしょう。「Help!」「イスタディ」「レット・イット・ビー」などは、皆さんもどこかで聞いたことがあると思います。私は、中学生の時に担任の先生がギターを弾いてクラス全員で「イエスタディ」を歌った思い出があります。1970年代に入ってからビートルズの曲が音楽の教科書に載るようになり、1970年代後半から1980年代にかけて、音楽教育において重要なアーティストとして扱われるようになったようです。ほかにも古典的名曲がたくさんありますので、ぜひ聴いてみてください。
 今日は『星の王子さま』の日でもあります。作者のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの誕生日です。1999年(平成11年)のこの日、神奈川県箱根町に世界で最初の記念館「箱根サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」がオープンし、記念日が設けられたそうです。「星の王子さまミュージアム」の開館はサン=テグジュペリの生誕100年を祝した世界的な記念行事の一環として企画されたもので、同館ではサン=テグジュペリの写真や手紙、愛用品の資料展示などが行われたそうです。「星の王子様」の中で、最も有名な文は「心で見なければものごとはよく見えないってこと。 大切なことは目に見えないんだ」でしょう。あと、「星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね……」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね・・・」などは、スタジオジブリの「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」を聞いた時に、頭に浮かびました。有名だけれども、読んだことがない本というのはたくさんありますが、この本は短編なので時間はかかりません。興味をもった人は、ぜひ読んでみてください。

外国由来のモノはどれくらい?

 今日は、貿易の日だそうで、通商産業省(現:経済産業省)が1963年に制定したそうです。皆さんは、中学校までの歴史で勉強した安政の五か国条約を覚えていますか。1858年に日米修好通商条約を始めとして、オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結んだ一連の通商条約です。1859年6月28日、江戸幕府がこれらの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出したことから貿易の日となりました。しかし、これらの大きな問題点は、不平等条約だったことです。高校入試でもよく出る①領事裁判権を認めたこと、②関税自主権がないこと、③片務的最恵国待遇(ロシアを除く)です。この撤廃のために明治政府は、大変な苦労をしました。また、この条約は天皇の許可(勅許)が得られないまま結ばれたことにより、安政の大獄や桜田門外の変(井伊直弼の暗殺)などの事件を引き起こすことになりました。(日本史の授業みたいになりそうなのでこのへんでやめておきます)            

 日本は外国と様々なモノ・サービスの取引を行っています。多くの場合、それでお互いに利益を得るわけですが、取引総額が不均衡になると外交問題に発展する場合もあります。日本とアメリカとの戦後の貿易摩擦の歴史は長く、「ジャパンバッシング(日本たたき)」という言葉も生まれました。また、特殊な輸出品がある国は、それを外交上優位に立つためのカードに使う場合もあります。最近だと中国のレアアースの輸出規制が、それに当たります。日本は、資源を輸入して付加価値を高めた製品を生産し輸出して、外貨を稼ぐ「加工貿易国」ですから、資源の輸入リスクを減らすために多くの国と貿易しています。しかし、一部の国に産出が偏った資源はどうにもなりません。ただ、日本は資源がない分を補うため、持ち前の技術力によって製品だけでなく新しいエネルギーの開発を進め、世界が驚く成果をあげています。近い将来、他国に依存しないエネルギーが確保できるのではと期待しています。国同士の安全保障は、もとは戦争を避けるためのシステムでしたが、今は「食糧安全保障」や「エネルギー安全保障」など戦争に至る前の段階が重要になってきています。「食糧安全保障」には、穀物などだけでなく水も重要です。他国に多くを依存していれば、「食糧」と「エネルギー」は国民の生死にかかわる問題になります。SDGsばやりの昨今ですが、今、皆さんの身の回りにあるモノは、どこから来ているのか調べてみてください。そして、それがどんな人々によってどのように生産されているのかを知ってください。(政治経済の授業か?)

試験って、ホントに・・・

 今日から1学期の期末考査が始まりました。中間考査の結果を振り返り、しっかり準備ができたでしょうか。小学生になってから、たくさんの試験を受けて来て、これから進学したり就職したりしても試験を受ける機会は、まだまだあることでしょう。自分の努力を「見える化」する機会が試験ですので、前向きに取り組んでください。試験には、社会で必要な「相手の意図を読み取る力」の練習という役割もあります。試験のヤマが当たるというのは、当てずっぽうではなく、しっかりと授業を受けて、先生の意図(どこが重要か)を読み取れるから当たるのです。問題には、必ずねらいや意図があるので、それがわからなければ解答以前にアウトです。小論文や面接などは特にそうですね。私も試験については、いろいろ思い出があり、準備が十分できずに試験を受けて、単位を落とす不安に怯えたこともありました。ですから、白紙の答案のまま時間切れになってうなされる夢を何度も見ています。今日は試験に関する話を三つ載せました。皆さんの心に残るものが一つでもあればと思います。 

 仕事や人生一般でがんばることは大切だが、「幸せをキャッチできるかどうか」は、脳科学的に見ると、その人の努力の総量だけでは説明できない。伝説として、松下幸之助さんが就職の面接試験で「君は運がいいのか?」と聞いたという話がある。それで「運がいい」と答えた人を採用したというのである。松下幸之助自身も「自分は運がいい」と思っていたらしい。 

 「ちびまる子ちゃん」で有名なさくらももこさんが、漫画家になる決心をする転機となったエピソードです。何気なく受けた作文の模擬試験で「わたしの好きな言葉」という課題に取り組みました。その試験の結果は思いがけない高得点で、さらに採点者からは「高校生が書いたとは思えない、エッセイ調の文体がすばらしい。まるで清少納言が現代にきて書いたのかと思うような作文でした」という一言がありました。ももこはとても喜び、自分が「エッセイ」を書くことが得意なのではないかと気付きました。そしてエッセイをマンガで描いてみるのはどうだろうとひらめいたのです。そこから寝る間も惜しんでマンガを描き、マンガ雑誌に投稿を繰り返し、ついに卒業を目前にした冬、デビューが決まったのでした。 

 小学校で「だっこの宿題」というものがあります。「家族みんなにだっこしてもらうこと」が宿題だということです。ある小学校1年生の男の子が、家族みんなにだっこしてもらえて、うれしくて「また、だっこの宿題がでないかな」と作文にかいたそうです。その話を聞いた近藤さんという80代半ばのおじいさんが、「だっこ」について忘れられない思い出があると語りました。近藤さんが鹿児島県男子師範附属小学校3年生の時でした。この小学校は入学試験があり、合格した生徒全員勉強ができる子でした。しかし、クラスにどういうわけか一人だけ、みんなについていけない子がいました。その子はA君といい、お父さんは市内の小学校の校長先生で、性格はとても純粋で優しく好人物でした。でも勉強のほうは、まったくダメだったようです。当時クラスは42人で、一列7人の6列で授業を受けていました。そして毎週書き取りと算数の試験があり、各列7人の合計点が最高だった列の子どもたちには、ご褒美に鉛筆が1本ずつ配られたそうです。80年前ですから鉛筆は貴重です。みんな鉛筆がほしくて頑張りました。ところが、A君のいる列はどんなに自分が頑張って勉強しても、明らかに合計点が低くなり、みんなA君が同じ列になることを嫌ったそうです。担任の先生は有川先生という男の先生でした。みんなが有川先生に「A君を他の列にいれてください」と言って、クラス全体が殺伐としたそうです。有川先生もほとほと困り果て、一番前にいるA君に尋ねたそうです。「A君、どうしてほしいかね」すると、A君は叫んだそうです。「先生、だっこして」。それを聞いた有川先生は「おお、そうか、そうか」と言ってA君を抱きしめて、そして号泣されたそうです。これには、生徒全員が目を丸くして驚き、一瞬教室は凍り付いたそうです。それからは誰もA君を自分の列から外してくださいとは言わなくなったそうです。A君には教室でも、おそらく家庭においても居場所がなかったのでしょう。その小さな生命が限界だったのでしょう。「先生、だっこして」は限界の叫びだったのです。その叫びに気付いた有川先生は、A君があまりに痛々しくて、愛おしくて、堪えられなかったのでしょう。だからこそ抱きしめて号泣されたのです。とても尊い光景だったそうです。福間義朝(浄土真宗本願寺派教専寺住職)

 

自己評価と他者評価、どっちが大事?

 今日は「露天風呂の日」「世界格闘技の日」だそうで、それらについて書くことはできますが、教育的?にまとめるのが難しそうだったので、「評価」について書きます。ちなみに露天風呂の東の横綱は群馬の宝川温泉だそうです。世界格闘技の日は、アントニオ猪木とモハメド=アリの異種格闘技戦からです。

さて、なぜ「評価」について書こうと思ったかというと、最近見た記事に次のようなものがあったからです。

 「お前たちは自己評価が高すぎる」「試合に出られないと、すぐ『なんで俺を使ってくれないんだ』と言うだろう。でも悲しいかな、人生は他人の評価で成り立っている。監督がどうしたら使いたくなるか、チームにどんな選手が求められているか考えろ」野村克也(元プロ野球チーム監督)

 皆さんは、自分の自己評価は高いと思いますか、低いと思いますか。日本人の自己肯定感が低い理由を、自己評価が高いのに、他人からの評価が低いという現実があると、「なぜ他人は自分を認めてくれないんだ」という苦しみが生まれるから、初めから自己肯定感を下げておけば、苦しむ必要がないからと分析していた人がいました。心理学の防衛機制ですかね。 

評価に関する言葉として以下のものを紹介します。他人の評価が気になってしまう人は、読んでみてください。

〇風向きが変わると人の評価が変わるというのが世の常です。ユダヤ人を救った杉原千畝は正しいと思ったことは何があってもやるという強い姿勢を貫きました。 歴史上の人物で評価が変わった人はたくさんいます。

〇第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。イチロー 

〇人の評価はまちまちなのが、当たり前だ。だから、そのことで振り回されて、一喜一憂しない。

〇評価は本来ならば、自分が変わっていくのを自覚できるのが理想。それを助けるために、教師が示唆する。

〇「他のグループからの評価に納得できない」という生徒が現れる。その納得できない気持ちこそが「最高の学び」につながる。

〇自己評価を何度も行い、内省的な力が高まるにつれ、自分を客観視できるようになる。教師の評価と生徒の自己評価をすりあわせることが大切で、差異がある時は、生徒にとっては自分を見つめ直すチャンスに、教師にとっては指導方法や評価手法を振り返るチャンスとなる。イギリスの私立名門校の目標は、生徒の自己評価と教師の評価が卒業までに一致するようになることだそうです。

〇目標で大事なのは、その目標を学習者が理解できること。そして、学習者が自ら評価できること。

社会の中で生きていく以上、全ての人が他者から評価されるのは避けられません。他者の評価も受け入れつつ、自分を客観的に評価できるようになることが、自分らしさを確立し、自己肯定感を高めるために必要なのではないでしょうか。皆さんは、自己評価と他者評価のどちらを重視しますか?それともヒフティヒフティ(50:50)ですか。

ざわわ ざわわ ざわわ・・・

 昨日に引き続き戦争関連の話題になりますが、1945年の今日、太平洋戦争における沖縄戦が終結しました。この日を沖縄県が「慰霊の日」と決めて条例で休日としています。沖縄戦について知る場所としては、糸満市摩文仁の平和祈念公園、沖縄県平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館、ガマと呼ばれる住民が避難した自然壕などがあり、修学旅行で訪れる生徒が多く、私も数回見学しています。

 1944年3月26日慶良間列島に上陸した米軍は、4月1日に1,500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員をもって沖縄本島に上陸を開始しました。ここから一般住民を巻き込み、ひめゆり部隊や集団自決などの悲劇を生んだ沖縄戦が始まったのです。そして最後は第32軍の司令官・牛島満大将が自決したことにより、組織的戦闘は終結しました。しかし、その後もすぐに戦闘が終わったわけではなく、死ななくてもよかった人が多くいたのです。米軍が投降を呼びかけても、捕まればひどい目にあわされると信じていた島民は、手榴弾で集団自決したり崖から飛び降りたりするなどしました。沖縄戦では、住民を中心におよそ20万人もの犠牲者が出ました。

 私が日本史の授業で、この日付は覚えてほしいと生徒にずっと言い続けてきたのが、「12月8日」「3月10日」「6月23日」「8月6日」「8月9日」「8月15日」です。何の日かわからない人は、すぐ調べてみてください。

 今日は生徒会役員選挙の立会演説会と投票がありました。選挙管理委員の皆さん、立候補者・推薦者の皆さん、御指導いただいた先生方、ありがとうございました。

演説を聞いていた生徒の皆さんの聞く態度もとても素晴らしいものでした。26日に新しい本部役員が発表されますが、今後の太東を主体性をもってリードしていくことになる皆さんに期待したいと思います。

蛍の光と領土問題

 今朝のニュースで、ロシア議会下院が、9月3日を「軍国主義日本に対する勝利の日と第2次大戦終結の日」とする法案を可決したというのを見ました。ロシアは、旧ソ連時代の「対日戦勝記念日」にあたる9月3日を、2020年に「第2次大戦終結の日」としていましたが、わざわざ、今度は「軍国主義日本に対する勝利の日」という語句を加えて名称変更するみたいです。今後、上院での審議を経て、プーチン大統領の署名で成立する見通しですが、報道のとおり、今回の名称変更がウクライナ侵攻に対して対ロ制裁を科す日本への対抗措置ならば「ウクライナを侵略しているロシア」に「軍国主義」なんて言われたくないよ、ですね。もっともロシアは侵略しているなんて思っていないんでしょうけど。

 また、1965年の今日は「日韓基本条約」などの調印式が行われた日です。この条約をもとに日韓の国交が回復し、戦前の両国関係の清算や戦後賠償などの取り決めが行われましたが、現在は「竹島領土問題」「元徴用工問題」「慰安婦問題」「レーダー照射問題」「輸出管理優遇措置撤廃問題」「旭日旗問題」などを抱え、大統領が替わっても日韓関係は戦後最悪の状態を抜け出せていません。なぜ、このような状況になったのかを、よく理解するためには近現代の日本史を勉強してください。

 現在、日本は中国・韓国・ロシアと領土問題を抱えていますが、これらと絡めて皆さんがよく知っている「蛍の光」について書きたいと思います。昔の卒業式で歌う歌の定番といえば、「仰げば尊し」と「蛍の光」でした。コロナ禍の中で、歌われることがかなり少なくなりました。「蛍の光」には「蛍雪の功」の故事が入っており、共に努力した友との別れを歌っていると思われています。しかし、もともと蛍の光は、学生同士の別れの歌などではなく、国防のために任地へ赴く兄弟(あるいは夫や親戚)との別れに際して彼らを鼓舞する形をとった「日本の領土」を歌ったものなのです。下に歌詞を載せましたが、この歌詞が作られたのが1885年で日清戦争や日露戦争の前です。明治政府が領土も含めて近代日本の確立を図ろうとしていた時期に、大いなる危機感を抱いて国民に国を守る意識をもってもらいたいと考えて作ったのでしょう。

 戦後、アメリカの占領下で日本政府がGHQに忖度したのか、はたまたGHQから直接削除の指示があったのかは不明ですが、3番と4番の歌詞は国家主義的(軍国主義、滅私奉公)だとされました。また、日本固有の領土である沖縄がアメリカに占領され、千島がソ連に占領されていたという事情もあって、教育現場への指導で、3番と4番の歌詞は歌われなくなったのだそうです。

3番4番をわかりやすい言葉になおしたものが、下記のものです。まあ、戦中の軍歌に近いものがありますね。

九州の果てでも 東北でも 海や山で遠く隔てられても 真心は隔てられることなく ひたすらに力を尽くせ 国のために

千島列島の奥も 沖縄も 日本国の護りの要 統治の及ばぬ異国には勇敢に尽力せよ 我が兄弟 無事であれ 

 国家という大きな枠組みがあり、世界から国境が消えない限り、領土問題は存在し、資源・エネルギー・食糧・防衛問題がそこに横たわっています。決して他人事ではありません。今後の世界の枠組みがどうなっていくのか、日本はどういう立場をとっていくのか。それらについて考え、国の行方を決定する政治家を選ぶ(それともなる?)のは皆さんです。すぐに選挙権をもつ日がやってきます。地歴公民科目を勉強して、よく考えてくださいね。

明るいうちに何をする?

 今日は「夏至」ですね。今年は、6月21日ですが、近年では6月21日または6月22日であり、年によって異なります。北半球では一年のうちで昼(日の出から日没まで)が最も長く、夜が最も短くなる日ですね。日の出の時刻は4時30分頃、日没は19時頃で、昼の時間は約14時間30分、夜の時間は約9時間30分となります。ただ、この時期は「梅雨」の期間ですので、日照時間は冬よりも短くなることも多いようです。最近、水が入れられている田をよく見るようになりましたが、夏至から10日程度までを目途に水を入れるそうです。農家は田植えなどで忙しくなる時期ですね。冬至には「かぼちゃを食べる」「ゆず湯に入る」などの風習が全国的にありますが、夏至には全国的なものはなく、食べるものは地域によって異なるようです。関西では夏至にタコを食べる風習があり、「タコの8本の足のように、稲が根を張りますように」という願いが込められているそうです。大体この時期の「夏至には〇〇を食べるとよい」という風習には、「暑い夏に備えて体力をつけよう」という意味があります。

ところで、生徒の皆さんは、地理や地学で勉強しているはずなので、昼間の長さがなぜ変わるのか説明できますよね。なぜ、極地では白夜や極夜があるのかも。

小学生に説明するとしたら、どう説明するか下の図を利用して考えてみてください。

リカちゃん人形の行き着く先は?

 父の日に映画ミーガン(M3GAN…Model 3 Generative ANdroidの略称)を観てきました。「リング」や「呪怨」といった怖さとは違う怖さがある映画でした。妻と娘は恐いものが苦手なので付き合ってはもらえず一人で観てきましたが、劇場内はいっぱいで前から2列目で観る羽目になりました。子どものおもちゃは年々ハイテク化が進み、「たまごっち」とかが懐かしく感じられる昨今ですが、ミーガンは近未来としては凄すぎるおもちゃ?です。一言で言えばターミネーターの子ども版です。しゃべるおもちゃは今では珍しくもありませんが、ミーガンは第三世代のアンドロイドということで、学習機能があり、自らの意思をもつようになります。

 この映画のあらすじは、次のとおりです。おもちゃ会社の優れた研究者であるジェマという女性が、まるで人間のようなAI人形を開発しました。それは子供にとって最高の友達であり、親にとって最大の協力者となるようにプログラムされていました。会社でのプレゼンが成功し、発売へゴーサインが出ます。たしか100万円以上で販売される予定でした。それより以前に、交通事故で両親を亡くし孤児となった姪のケイディを引き取ることになったジェマは、販売前の実験段階のミーガンに対し「あらゆる出来事からケイディを守るように」と指示し、力を借りる事にしましたが、ミーガンが徐々に言うことを聞かなくなり暴走し始めます。結末は、とりあえずハッピーエンドなのかもしれませんが、ターミネーター2の結末のように切ない気持ちになりました。この映画は、近未来のAIが発達した世界に潜む危険性を描いてはいますが、同時に親と子、友達同士といった人間同士のコミュニケーションの大切さを描き、子どもが小さい時からスマホやタブレットを与え、親子の直接的コミュニケーションが不足する現在および未来への警鐘を鳴らしているようにも思えます。

 子育てには五つの態度が欠かせないと言われます。一つは常に子供に「寄り添う」こと、二つ目は「見守る」こと、三つ目は子どもをあるがまま「受け入れる」こと、四つ目は「待つ」こと、そして最後の五つ目は、子どもの声に「耳を傾ける」こと、です。映画の中でミーガンは、まさにこれらを実行していました。ミーガンが子どもにとって愛情の麻薬みたいなものになってしまう危険性を映画で感じられました。

 また、児童心理学者ベティー・ハートとトッド・リズリーの研究によれば、0歳から3歳の終わりまでの3年間で親が子どもにかけた言葉の数には、一番多い人と少ない人では平均で3000万語の差があるということです。驚きですね。発達の初期に子どもにかける言葉の数がその後の子どもの能力に比例するという結果でした。また、言葉の数だけでなく、どんな言葉がどのように発せられたかという言葉の質にも影響を受けることがわかりました。果たして、アンドロイドが親や友達の代わりになる日が来るのでしょうか。すると完璧な子育てができ、完璧な友達によっていじめはなくなるのでしょうか。人間とアンドロイドが共存する社会を描いたSFがありましたが、人間そっくりになって見分けがつかなくなったアンドロイドとの間にどんな問題が発生するのでしょうか。生徒の皆さんが子育てをする頃は、どんな世界になっているのでしょう。対応できるように汎用的能力、非認知能力を磨いていきましょう。

感情を込めて読んで、歌って?

 今日は、「朗読の日」だそうで、2001年に制定された、まだ新しい記念日です。「ろう(6)ど(10)く(9)」(朗読)と読む語呂合わせから日本朗読文化協会が定めたそうです。

 「朗読」と「音読」の違いはと言うと、「音読」には正確性が求められるのに対して、「朗読」は文章や詩歌の内容をくみ取り、感情を込めて読み上げるという表現力が求められる、というように目的が違うようです。朗読を芸術や学問、教育としてとらえる考え方もあり、「朗読」は「音読」の「芸術的形態」であると昔の学習指導要領書には書いてありました。中学校では、小学校での「音読=朗読」の基礎の上に(音読の芸術的形態として)「朗読」まで指導する、ということだったようです。

 平成29年度小学校学習指導要領国語科編の「解説書・文部科学省発行」には下記のように書いてあります。
 音読では、これまでに身に付けてきた、声の大きさや抑揚、速さや間の取り方といった音読の技能を生かすことが重要である。
 朗読は、読者として自分が思ったことや考えたことを踏まえ、聞き手に伝えようと表現性を高めて、文章を声に出して読むことである。音読が、文章の内容や表現をよく理解し伝えることに重点があるのに対して、朗読は、児童一人一人が思ったり考えたりしたことを、表現性を高めて伝えることに重点がある。 

 覚えたいことがあれば、黙読ではなく音読したほうがよいと言われます。小学校の時は、音読をよくしていたと思います。英語は、音読は必須ですね。古文漢文も音読が有効です。うまく音読できないところがあれば、そこは理解が不十分なところです。朗読は、親が子どもを寝かしつけるのに枕元で本を読んでいるイメージです。あとは、紙芝居ですね。私も子どもが寝る時に読み聞かせをしましたが、感情を込めて大げさに読んでいました。日本昔話のナレーションみたいな感じですね。

 感情を込めて読む訓練は、コミュニケーション力を高めるのにも役立つと思います。高校ではなかなか授業や学校行事で朗読する機会がないのが現状ですが、一日一回、意識的に朗読する時間をとってみてはいかかでしょう。住所や電話番号などを感情を込めて読む練習もあるということを聞いたことがあります。国語や英語以外の教科書を朗読するとどうなるのでしょうね。自分の好きな小説やマンガなら抵抗なくできるのではないでしょうか。楽しく表現力を高められるかもしれませんよ。眠気覚ましにもいいかも。ばかばかしいと思わず、ぜひ勉強の合間にやってみてください。

※今日は、元号の日でもあるそうですが、645年の事件をきっかけに、日本初の元号が制定されたことに由来しています。その時の元号は何でしたっけ?日本史で勉強したばかりですよね。現在の「令和」までいくつの元号が定められているでしょう?元号をなくして西暦だけにしろという意見も昔ありましたが、日本人は元号で時代を意識してきましたので、なかなか難しいですね。天皇制とも絡んできますし。

交通安全を自分事に

 今日は、6限のLHRの時間に交通安全教室を実施しました。普通、交通安全教室というと、警察から交通安全担当部署の方がいらしてビデオを見ながら、交通安全講話をしたり、校庭で安全運転講習をするとともに、スタントマンの方に自動車と自転車の事故を再現してもらったりというのが定番でした。普遍的な交通安全について学習することも、もちろん大事ですが、その学校の生徒が実際に通学する経路での危険個所について知り、どのように行動することが自分の身の安全を守るのかについて考えてもらうことも大切です。

 具体的な実施内容は、①交通委員2名がHR教室でクロームブックとプロジェクタを用いてクラスの生徒に自転車の安全運転とマナーの向上を呼び掛け、②学校近くの信号を左折する際の自転車走行についての動画や学校南側の道路での斜め横断の動画を視聴し、自動車のドライバー目線も見てもらい、正しい走行方法についての学習。③グーグルマップを用いて太田市中高生交通ハザードマップにアクセスし、自分の通学路上の危険個所を知り、クラスで共有する活動です。交通係の先生方が動画を撮影してくれて、自分事となる交通安全教室が実施できました。

 先日、第一回マナーアップ運動が行われましたが、ヘルメットの着用をしていない人、イヤホンをつけて運転している人、2列以上並列して運転している人、後方確認をしない人、そんな人は、ほとんど見られなかったようでよかったですが、地域の人から注意されることもあるのが事実ですので、太東生として看板を背負っているという意識をもって交通ルールとマナーを守って通学してくださいね。交通ルールを破らないための第一歩は、遅刻寸前に登校しないことです。生徒の皆さん、余裕をもって家を出てください。

「自分探し」より「自分作り」

 今日は、「〇〇らしさ」について思いつくまま書いてみます。世の中には「男らしさ」「高校生らしさ」「子どもらしさ」「先生らしさ」など、たくさんの「らしさ」があふれています。「らしさ」とは「思い込みと偏見」の押し付けだと思いますが、果たして100%間違っているかというと、そうとも思えません。多様性を認めれば、「らしさ」は消えるのでしょうか。

 「自分らしさ」とは何か、悩んだことがある人も少なくないと思います。自分は平凡だと思えば、なおさらでしょう。「自分らしさ」を探そうとすると、絶対的基準ではなく、どうしても他人と比較する相対評価が顔を出します。私という存在の実感は、誰かとの違いを明確にすることで確かめられるのでしょうか。だから、「自分らしさ」を見つけようとすれば、必然的に自分と他人を注意深く比較し、頭一つ抜けた自分の特徴を探し出すことが必要なのでしょうか。現在では、それを多くの他人の手に委ねて「自分らしさ」を認めてもらうために、SNSでフォロワーやいいね!をどうやって増やすかといった、数による承認欲求の充足という泥沼にはまってしまっています。「自分らしさ」は、自分以外の誰かとの比較競争に身を投じて勝利するしか、見つけられないのでしょうか。「自分らしさ」の3つのポイントとして①価値観を大切にして自然体でいる状態 ②他の人にはない自分の特性 ③自分自身で認める個性 を挙げているブログがありました。周りを気にして自然体でいられない人も多いのではないでしょうか。また、自己肯定感が低い日本人にとって「自分自身で認める個性」も見つからない人が少なくないのではないでしょうか。

 「自分の本当の適性というものは、やってみなければわからないという側面がある。何もしないのが一番いけない。まず第一歩を踏み出すこと。踏み出すという実践の中から視野は広がる。あまり狭く考えないほうがよい」と益川敏英(ノーベル物理学賞受賞)さんは、おっしゃっていますが、言い換えれば「自分らしさ」を見つけるためには、いろいろなことにチャレンジしたほうがよいということですね。先日、皆さんにとったアンケートの「身に付けたい力」の2位が「行動力」でしたから、ぜひ行動力を身に付けて、高校時代にいろいろなことにチャレンジし、「自分らしさ」を見つける、というより「自分らしさ」を育ててください。

虫どうですか?

 最近、ヤスデの大量発生に悩まされています。ヤスデって何?という人のために写真を載せたいところですが、気持ちのいいものではないのでやめておきます。隣の畑から発生しているらしいので、塀際と家の周りに忌避剤をまいていますが、完全に防ぐことはできません。家の中にも出没し、妻と娘が毎日叫んでいます。
 女性で虫が好きという人は、あまり見ませんが、私は小さい頃から百科事典の虫や動物の巻をページが手垢で汚れるほど読んでいましたので、あまり苦手意識はありません。さすがに毛虫とゴキブリは素手で触れませんが、母親の実家で蚕を飼っていて、手伝ったりしていたので、芋虫は大丈夫です。先日、庭と玄関先の鉢植えに2センチほどのかまきりの赤ちゃんを見つけ、可愛いと思いました。昔、ぐんま昆虫の森で、私の手のひらより大きいかまきりを見ましたが、素手で捕まえるのはあきらめました。虫を近くで観察するのは、おもしろいですよ。
 日本では、虫に親しむ文化がありますが、外国ではあまりないようです。例えば、鈴虫などの秋の虫の音は日本人は風流に感じますが、外国人には雑音でしかないようです。セミやカブト虫、くわがた、蝶などを捕りに行って標本にする昆虫採集や、幼虫から育てるなどの文化は、外国にはないようで、家の中で昆虫を育てたり飼ったりすることには驚かれるようです。ということは、ぐんま昆虫の森みたいな施設は外国にはないのでしょうね。もちろん、藪塚の蛇センターみたいな施設もないのでしょうね。キリスト教では、蛇はアダムとイブをそそのかして神の怒りにふれ、地上で地べたをはうことになってしまった動物ですから。
 虫を題材にしたことわざはたくさんありますが、「一寸の虫にも五分の魂」はよく知られていると思います。どんなに小さな虫にも魂があり、命の尊さを表していますが、転じて、小さくて弱い者でも、それ相応の意地や根性があるため、どんな相手でも侮ってはならないという意味があります。昔、読んだ楳図かずおのマンガに昆虫採集をして手当たり次第に虫を標本にしている少年が虫の姿にされてしまい、一本足の巨大な妖怪少女が釘となって巨木に標本のように少年を打ち付けるというものがありましたが、虫をテーマにしたマンガには恐いものが多かったです。「ある朝、 グレゴール・ザムザが目をさますと、 自分が一匹の巨大な毒虫に変わっているのを 発見した。」で始まるカフカの「変身」は有名ですが、もし自分がそうなったらと思うと身の毛がよだちます。ゴキブリは殺して、蝶は助けるというのは、人間のエゴですよね。私は、家の中に出る虫でも、蜘蛛はなるべく捕まえて庭に逃がすようにしています。害虫と益虫の区別は人間の御都合ですが、これもエゴでしょうか。皆さんはどう思いますか。生理的な嫌悪感はどうにもならないものですし、理性的に対応しようと思っても厳しいものがありますよね。
 虫の能力は、実はすごいというのが「仮面ライダー」で表現されていますが、「アラクニド」や「キャタピラー」というマンガにも、虫のすごさが描かれていて詳しい説明もあり、勉強になります。地球上に存在する種は総数180万と言われていて、そのうち100万種以上が昆虫であり、昆虫は地球上の王者です。人類が滅亡しても生き延びるでしょう。人類は、科学の力で昆虫のすごいところを取り入れて、生き延びることができるでしょうか。

※問題 文中の4コマ漫画は、カフカの「変身」のパロディですが、『サラリーマン』という語句を用いて、どこが面白いのかを100字程度で説明しなさい。(出典 《サラリーマン講座》情呆辞典 山科けいすけ著)

解答例 甲虫に変身して慌てている理由がネクタイが締められないというオチと、遅刻しそうだと飛んで出勤するオチで、甲虫になってしまった重大さよりも会社を優先してしまう悲しいサラリーマンの習性を描いているところ。(99字)