日誌

榎本校長のつぶやき

後生畏るべし

 先日、将棋で藤井聡太さんが前人未到の8冠を達成しました。彼は14歳2ヶ月でプロ棋士になり最年少記録を樹立してから、数々の最年少記録を打ち立ててきました。これがどれだけすごいことなのかは、数字の上ではわかっても、将棋の内容からはほとんどの人はわからないと思います。将棋を知れば知るほど、彼のすごさはわかるものなのでしょう。私の実家には足付きの将棋盤があり、小学生の時に父親にルールを教わってやるようになりました。最後に将棋を指したのは、小学校6年生だったと記憶しています。将棋を勉強していたわけではなく遊びで差していたので、残念ながら本当の意味で藤井さんのすごさは理解できません。藤井さんのエピソードに、「AIが22億手読んで発見できる最善手を36分で指した。」というのがあります。人間は、脳全体のうちわずか2%しか使っていないといわれていますが、彼は何%使えているのでしょうね。将棋の神様にお願いするなら?と聞かれた藤井さんは「せっかく神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい」と回答しました。「神の一手」を追求することが囲碁の漫画で描かれていましたが、勝負事のどんな分野でも極めた人なら神様と戦いたいと思うのは、自然なことなのでしょう。(ドラゴンボールの悟空のように) この先にどんな目標が?と聞かれて、連覇を目標とするのではなく、「面白い将棋を指すのが一番の目標」という回答は印象的でした。イチローの「人に勝つという価値観では野球をやっていない。もっと野球がうまくなりたい」という言葉と相通ずるものがありますね。この場合の「面白い将棋」とは今までにない戦法による将棋だと思いますが、スポーツでも新しい戦術が考え出され、それを破る戦術が考えられということが繰り返されて、ゲームがどんどん高度になっていき、面白くなっていきます。7冠となった羽生さんの時には、彼の記録が破られることはないだろうと言われたようですが、「後生畏るべし」という言葉のとおり、藤井さんの記録も破られる時がくると思います。本校の生徒会誌や同窓会名、文化祭名で使われている青藍は、生徒が先生を(後輩が先輩をでもいいですね)越えていってほしいという願いが込められています。皆さんも、ぜひ頑張って越えていってください。

憎しみの連鎖は断てるか?

 昨年の10月12日は、コロンブス・デーについて書きました。歴史的事実とそれに対する評価は異なるもので、歴史が勝者によって記され、敗者の歴史は抹殺されることも珍しくはありません。日本のマスコミは、取るに足らない事件を報道し、世界で起こっている重要なニュースを報道しない(無視する?)傾向があります。ですから、テレビしか見ていなければネットで取り上げられているようなニュースは知りようもありません。日本人が海外のニュースにあまり関心を示さないことや営利企業であるマスコミの方針であるのかもしれませんが、世界の国々は昔に比べてはるかに情報や物流網で相互に大きな影響を与え合っており、他国と付き合っていく上で、国際情勢についてよく知っておくことは不可欠です。さすがに今回のイスラエルとパレスチナの紛争については、早くから報道されていますが、なぜ、こんな事態になってしまったのかについては、ほとんど解説されていません。そのうち特集番組がNHKあたりで組まれるかもしれませんが、皆さんは世界史で勉強しているはずなので、説明できますか。私は試しにChatGPTに「イスラエルとパレスチナが、なぜ争っているのかを歴史的背景と経緯を高校生にわかるように説明してください」と問いましたが、残念ながら満足のいく回答が得られませんでした。

 まず、この問題の根源にあるのが、ユダヤ人が自分たちの王国をローマ帝国に滅ぼされてから2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきたという歴史です。1948年に悲願であったユダヤ人の国家であるイスラエルがパレスチナに建国されましたが、そこは、ユダヤ人にとって旧約聖書で「神が与えた約束の地」と書かれている土地でした。一方で、パレスチナに住んでいたアラブ人であるパレスチナ人は、イスラエルの建国で故郷を追われました。いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区という場所で、今回紛争が起こっているのがガザ地区です。

 イスラエルの建国とアラブとの問題は、第一次世界大戦中のイギリスのいわゆる三枚舌外交にあります。1915年のフセイン・マクマホン協定でアラブ人に独立国家を約束し、1916年にサイクス・ピコ協定で英仏が中東を分割支配することを密約し、1917年にバルフォア宣言で、イギリスがユダヤ人に戦費の調達を依頼しようと考え、「連合国側の味方をすれば、パレスチナの地でのユダヤ人の国の建設を支持する」と約束しました。これらの矛盾した外交により、パレスチナと周辺アラブ諸国は混乱し、1947年に国連でパレスチナ分割決議が採択されてイスラエルが建国された後も、禍根を残し紛争が絶えなかったわけです。第1次から4次までのイスラエルとアラブ諸国との中東戦争の歴史と1993年のパレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)に代表される和平交渉の歴史をここで書く紙幅はありません。興味をもった人は調べてみてください。ユダヤ人がなぜ迫害されてきたのか、ユダヤ人の現在の世界での影響力、エルサレムという場所の特異性など、素朴な疑問はたくさん出てくると思います。そんな時に、すぐ調べる習慣を身に付けてください。それが大きな差になって表れてきます。

 ウクライナとロシアの紛争が続いているように、領土・民族・宗教が紛争の火種となって世界に影響を与える状況は、いつになったら終わるのでしょうか。平和と思われている日本も、近い将来紛争に巻き込まれる日がくるのでしょうか。周辺諸国に対抗するために2023年度予算の防衛費は過去最大の6兆8219億円で2022年度の当初予算と比べて1兆4000億円余り多く、およそ1.3倍と大幅な増額となっており、11年連続の増額だそうです。「教養とは歴史である」と言った方がいましたが、歴史をよく知った上で、日本の世界での身の振り方を決定するために、私たちは選挙で政治家を選ぶ必要があります。政治は一部の頭の良い人に任せておけばいいと考える国民が増えれば、日本がどんな道に進んでも文句は言えません。皆さんは18歳で選挙権をもつようになりましたが、若年人口はただでさえ少ないので、選挙に行かなければ高齢者の考えが政策に反映されがちになってしまいますよ。課題意識をもって、これからも勉強に励み、政治に無関心にならないようにお願いします。

♪明日があるさ♪

 今日から2学期の中間考査が始まりました。定期考査について書くのは、昨年から数えて今回で5回目になります。だんだん書くネタがなくなってくるなぁと感じていますが、視点を変えれば書くことはなんとか出てきます。テストは、計画的に十分準備をして臨む人もいれば、計画は立てたものの一夜漬けになってしまう人もいると思います。その結果、毎度「ちゃんと2週間前から計画的にやっておけばよかった」と後悔することになり、進歩がないなぁと落ち込むわけですが、皆さんはどうですか?昔、坂本九という国民的歌手がいました。「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」などのヒット曲がありますが、「明日があるさ」は歌詞を現代風にアレンジし、ウルフルズがカバーしてヒットしました。テストができなかった時、「明日があるさ」という歌詞には元気付けられるものがあります。私が高校生の時、岸田智史の『重いつばさ』という歌の歌詞に「どうしようもない昨日をもってしまったが、どうにかできる明日が 明日があるさ」というものがあるのですが、定期考査でできなかった時に、よく慰められていた記憶があります。人間の意志の弱さを、実感してしまうのがテスト勉強ですね。今日は、私が収集してきたテストに関する言葉を紹介します。

〇IQや他の共通テストの成績よりも、根性が将来の成績を予測する材料になる。どの分野においても高い目標を成し遂げるには、才能と同じくらい根気と根性が必要になる。→よく受験勉強は忍耐力をテストする意味もあると言われますが、何をするにも根気は必要ですよね。

〇自分が発した言葉は、情動を司る脳の奥の扁桃体という部位に影響を与えます。ポジティブな言葉なら、扁桃体もポジティブに反応して、感情が前向きになりますが、ネガティブな言葉なら、反対に感情が落ち込みます。ある心理学の研究では『緊張する』と話した人は『ワクワクする』と話した人より、テストの成績が10%も悪かったそうです。→言霊おそるべし。

〇テストの点が高いのは参考書を何度も読む人より、問題集を何度も解く人のほうで、出力を磨くほうが脳は成長します。仕入れた情報を人に話して、出力を心がけるのが大切です。→私も受験勉強では、覚えたらすぐに問題集で確認していました。インプットとアウトプットのバランスは大事です。

〇点数の悪いテストを見て「算数が苦手ね」と言うのか、「ここはできたね」と言うのか。それだけの違いで、子どもの自信も次の行動も変わってきます。→できないところをフォーカスされると自己肯定感がどんどん下がっていきますね。

〇テストの点数について、本人の感想を聞いたら「よかったね、うれしかったね」とか「悔しかったね」と共感します。極端な話、それだけでいいのです。本人が成功だとか失敗だとか思っていることに対して共感を示せば、自然に頑張ろうと思うものです。→テストだけでなく、社会に出ても同じですね。

視力回復祈願

 今日10月10日は、昔なら体育の日でしたが、体育の日は「スポーツの日」となり10月の第2月曜日になりました。他にも記念日はたくさんありますが、「10」「10」を横に倒した形が眉と目に見えることから中央盲人福祉協会が1931年に「視力保存デー」として制定し、戦後、厚生省(現:厚生労働省)が「目の愛護デー」に改称しました。スマホやタブレットの普及で小さい子どもも早くから目が悪くなる傾向にあります。皆さんは、1日何時間スマホを見ていますか?自分の視力の低下に危機感は感じませんか?目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりすると危険を察知できなかったり、察知が遅れてしまいます。感覚器官は、人間が生きていく上で非常に大切です。私は大学生までは視力が2.0でしたが(勉強しなかったからというわけではありませんよ)、IT関係の会社に勤務して1年で1.0まで下がりました。1日中パソコンとにらめっこしていたからだと思います。現在は0.5ありませんので、必要に応じて眼鏡をかけています。近眼・老眼・霞目など、よく見えないというのは大きなストレスです。視力回復のために色々努力しましたが、だめでした。皆さん!スマホやパソコン、タブレット等は、見る時間を制限して、目を大切にしましょう。近い未来に目が簡単によくなる技術が開発されるかもしれませんが、いつになるか保証はありませんからね。

 先日読んだ雑誌におもしろいことが書いてありました。今も昔も人間は変わらないと感じられる例えとして、最近は「ユーチューブばかり見ていちゃダメだ」なんて言われるが、家庭にテレビが普及した何十年か前は1億総白痴論といって、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう。だから、テレビばかり見ていちゃダメだ」と言われていました。もっと遡ると、活版印刷の発明によって大量に本が生み出されるようになったのを見て、ドイツの哲学者ショーペンハウエルが「本なんか読んじゃだめだ」「こんなのずっと見ていたら自分が思考しなくなる」と言っていたそうです。「え~っ?何それ!」ですよね。「漫画ばかり読んでいたらバカになる。本を読みなさい。」と子どもの頃に散々言われたのは何だったの?って感じです。人類は得られる情報量が急激に増える情報爆発を何度か経験してきました。本・新聞→ラジオ→テレビ→パソコン・スマホとメディアの変遷はありますが、AIが幅を利かすビッグデータの時代では、自分の頭を使って情報を得ているか、得た情報について自分で考えて判断しているかによって影響は異なってくると思います。人間の五感による知覚の割合は、視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚は1%といわれています。人間が受け取る情報のうち、8割は視覚からの情報です。ということは、目を最も大切にしないといけないということですね。今日は「目の愛護デー」です。皆さん、目をいたわりましょう。

 

生成AIに「問う!」

 先日、群馬県教育委員会より「学校における生成AIの利用に関する解説動画」視聴のお願いを皆さんにしました。見てもらえましたか?今までに何度か生成AIについて取り上げましたが、既に高校でも生成AIを使った授業が行われていたり、レポートや探究課題に生成AIを利用していたりと、よい面もあれば悪い面もあります。AIが作成した文章かどうかを判別するアプリも出ていますが、まだ信用できるレベルまではいっていないようです。Appliv という企業が10〜20代の男女533人に対し、夏休みの宿題における生成AIの利用実態調査を実施したところ、3人に1人が夏休みの宿題に生成AIを活用したと回答したそうです。再度、肝に銘じてほしいことは、生成AIは必ずしも正確ではないこと、納得できる答えを求めて、質問を変える”問う力”を身に付けることが必要であることです。アインシュタインも「重要なことは問うのをやめないことだ」と言っています。

 小学校の道徳の授業で「ある出来事に対して生徒たちと一緒に生成AIにも意見を出させて、みんなでそれについて話し合う」という試みがありました。生成AIに複数の立場からの意見を並列して提示させることが、子どもたちが様々な考え方に触れ、自分の頭で判断する力をつけるきっかけにしようとしたのです。先生も子どもたちも考えつかない意見が出てくるかもしれません。対話的学習活動を補完することになります。

 苫野一徳という熊本大学大学院准教授が「本質観取」という哲学対話を、多くの子どもたちと続けているそうです。「〇〇とは何か」という問いに対する答えを言葉で編み上げあっていく活動です。子どもたちは「学びとは何か」に対して「学びとは、自分自身の問いと気付きを通して、生が豊かになっていく営みである」、「存在とは何か」に対して「存在とは、言葉になるすべてのものである」という答えを見つけ出しました。生成AIは便利なので使いたくなる気持ちもわかりますが、考えることの楽しさや自分の能力の可能性を知らず知らずのうちに捨ててしまわないように注意してください。生成AIに依存し自分の力を育てられなくならないように、自らの力を生かして生成AIを使いこなせるようになってください。

世界教師デーに思う

 今日は、「世界教師デー」です。ほとんどの人には知られていないと思いますが、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が1994年に制定した国際デーの一つです。調べて驚きましたが、国際デーは、全部で195もあるんですね。その中でユネスコが制定したものは11あります。9月8日に触れた「国際識字デー」はそのうちの一つです。「世界教師デー」が制定されたきっかけは、1966年10月5日に、「教師の地位向上に関する勧告」が調印されたことです。教師への支援を求めることと、将来を担う世代の子供たちに、充分な教育を施せるよう求めることを目的としています。教師の教育権だけでなく、子供たちが教育を受ける権利の重要性についての認識や理解を求めています。世界100ヵ国以上で世界教師デーが実施され、UNESCOはこの日を中心に国際会議を開催しています。さて、私は日本の教師の仕事量が世界の中でも多いことは知っていましたが、ついこの前までは給与等の地位的なことは、世界の中でも上位だと思っていました。それが、先日OECD加盟国の中で平均以下という記事を読んで、間違いであることに気付き、驚きました。近年、教師はブラックだという評判が広まり、初任者(小中特)が年間で400人以上辞めていることや、教員採用試験の倍率の低下(群馬は全国66の自治体の中で18番目でよいほう)、過労死ラインを超える残業時間の多さ(教職調整額という名の下に残業手当はありません)、教職員定数を充足できない学校の増加(臨時的任用教員の減少)、精神疾患による休職者が6000人弱など、書いていて気が滅入ってきます。「教育は国家百年の大計」であり、教育がうまく機能しないと、将来に禍根を残すことになります。「1年先を思う人は花を育てなさい。10年先を思う人は木を育てなさい。100年先を思う人は人を育てなさい」という言葉(原文は中国の古典「管子」?)がありますが、日本の学校現場の改善は、「待ったなし」のところに来ているようです。先生方が疲弊し、教育の質が落ちて、不利益を被るのは子どもたちです。田中角栄は、「人材確保法」を作り、教員給与を引き上げましたが、「できれば先生方の月給を倍にしたい。」と言っていました。また、「特に小学校の先生を大事にしなければならない」とも言っています。もちろん、保育士や幼稚園の先生の待遇改善も必要です。教育改革で仕事が増える一方なのに、教員数は増えずに、35人学級を40人にに戻さざるを得ない学校も出てきました。皆さんの子どもが、小学生になるのは15~20年先になるでしょうか。その頃、学校はどうなっているのでしょうか。一昨日に文科省が発表した調査結果によれば2022年度不登校の小中学生は過去最多の約29万9千人。いじめは小中高などで約68万2千件が認知され、被害が深刻な「重大事態」は923件。いずれも過去最多ということです。こんな暗いニュースを聞いても、教育の未来に明るい希望を持ち続けなければと思います。先生方は、子どもたちのために真摯に頑張っているのですから。教育実習に行って「先生になりたいという思いが強くなった」ではなく「先生は私には無理!」とならないように、教員志望の皆さんにお願いします。

天使と悪魔

 今日は、たくさんの記念日がありましたが、その中でも想定内の天使(10/4)に関わるものが5つありました。その中でも「エンゼルマーク」で知られ、「天使」の商標登録を持つ森永製菓株式会社が制定したものは別格でしょうか。同社の「チョコボール」は子どもの頃によく食べましたが、箱に「金のエンゼル」または「銀のエンゼル」が一定数印刷されており、金は1枚、銀は5枚で「おもちゃのカンヅメ」と交換できました。今でも新たなシリーズが追加されてプレゼントも時代の変化で変わっています。本当にロングセラー商品ですね。
 さて、天使と言えば悪魔ですが、「天使と悪魔って何だかわかりますか?」と問われて「わかりません」と答える人は、そうはいないと思います。天使は、天からの使者、つまり神の使者であり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖典や伝承に登場し、神のお告げを伝える伝令としての役目を負っています。それ以上の大きな役目を担う天使もヨハネの黙示録には登場しています。天使として有名なのはガブリエル、ラファエル、ミカエルですが、堕天使ルシファー(堕天使の長であるサタンの別名)もよく知られていますね。
 皆さんは、永井豪の「デビルマン」を読んだことがありますか。ヒーロー物アニメと原作はかなり違うので、知らない人はぜひ原作を読んでみてください。人間の善と悪について考えさせる漫画はたくさんあります。横山光輝の『マーズ』や比較的新しいところでは『DEATH NOTE』が最も該当すると思います。新約聖書 「ヨハネの黙示録」16章16節に記述された、終末に行われる善と悪の最終決戦であるアルマゲドン(ハルマゲドン)は有名ですが、人間の心の中では、事の大小はあれ、善と悪の葛藤が日々続いていますね。受験生の皆さんは「食べたい、寝たい、遊びたい」などの悪魔の誘惑と日々戦っていると思いますが、勝率はどれくらいですか?ぜひ、勝ち越して目標を達成してください。

♪どうしておなかがへるのかな♪

 今日は、1988年10月3日にテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」(原作:やなせたかし)が日本テレビ系列で放送が始まった日で2016年に一般社団法人・日本記念日協会により「アンパンマンの日」として認定・登録されました。作者のやなせたかしさんは、2013年の10月13日に亡くなっていますが、私はもう10年もたったのかと驚いています。今、親子で見られる国民的アニメと言われて思い浮かぶのは、「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「それいけ!アンパンマン」「ドラえもん」などでしょうか。この中で小さい子と一緒に見るのは、やはり「それいけ!アンパンマン」でしょう。私も娘と一緒にビデオを何回見たかわかりません。主題歌の「アンパンマンのマーチ」を歌える人は、たくさんいるのではないでしょうか。ちなみに皆さんが知っている『手のひらを太陽に』を作詞したのは、やなせさんです。

 Wikipediaの「アンパンマン」の記述の中に、ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景に触れた箇所があります。やなせさんは従軍経験の中で、戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、とくに戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感していました。しかし、これまでのヒーローは「正義」こそ口にするが飢えや空腹に苦しむ人間へ手をさしのべることはしませんでした。戦中、戦後の深刻な食糧事情もあり、当時からやなせさんは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっていたということです。自分の身体を食べさせて、おなかが空いている人を救うという異色の正義のヒーローはこうして生まれたんですね。ネガティブな考えにとらわれた時、「おいしいものを食べて、あったかくするんだ」と言われます。空腹や寒さは、マイナス思考を増幅させるということです。昔はおなかが空いたことを大げさに言う「おなかと背中がくっつくぞ」という歌詞がある歌がありましたが、皆さんはそんな経験をしたことがありますか。ACジャパンのCMに、きれいなお皿が映され、「最後の一粒までちゃんと食べたのではありません。最初の一粒もない子がいます。」というものがあります。アンパンマンに救ってほしいのは、こんな子供たちです。日本にも満足にごはんが食べられていない子どもたちがいます。みなさん、感謝してごはんを食べましょう。残さずに。

明るく元気に、みんな仲良く・・・無理?

 今日 10 月2日は語呂合わせから東武鉄道が2005年に制定した「東武の日」だそうです。通学でお世話になっている皆さんも多いですよね。東武鉄道株式会社は、1897年11月1日に設立された会社で、「東武」の名称は「武蔵国(むさしのくに)の東部」に由来し、創立は日本の大手私鉄の中では最も古い老舗企業だそうです。私は不勉強で初めて知りました。皆さんは知っていましたか。

 さて、今日はルールについて少し書きます。学校では、学校教育目標や学級目標などと違って明文化されていないルールも多いですが、日本教育新聞の社説に小学校での話が載っていました。『小学校の担任教師が子どもたちに「みんな仲良く」という暗黙のルールについて「どう思うか」と問いかけて、話し合いをした。子どもたちは「好きな人と嫌いな人がいるから無理」といった結論を出した。その結論に対して、担任教師が「でも学校行事など、学級内で協力をしなければならないことがたくさんあるよね」と尋ねると、子どもたちは再度話し合い、「いざとなったら協力しよう」という結論を出した。』みんなが心の中で思っていることを、この先生はあぶり出して考えさせましたね。

 この話を読んで、皆さんはどんな考えをもちましたか。みんなと仲良くするのは理想だし、できればそうしたいけれど、人はそれぞれ考え方や価値観が違うし相性もあるから、無理だと思うこともありますよね。その時、お互いに話し合って歩み寄って協力できるかどうかかが、社会で生活する上で求められる力です。「自分が正しく、相手が間違っている」と一歩も譲らなければ、何も進展しません。人の好き嫌いがある、性格が合う合わないのは人間なのだから仕方ないことであることを前提として、それでも人のいいところを見つける目を育てて歩み寄って協力できるようにしていくことが、学校という集団活動を通して勉強できることなのでしょう。それが、皆さんに卒業までに身に付けてほしい非認知能力の一部でもあります。

タンキュー!!

 今夜は、十五夜ですね。スマホばかり見ていないで、たまにはきれいな月を眺めてのんびりまったりするのもいいものです。夜は雲が多くなりそうなので、早めに見た方がいいかもしれません。     

 今日は、1年次生に対して、進路ガイダンスとして近県の大学から 12 名の先生をお招きし、生徒に大学の授業を体験してもらいました。テーマは多岐にわたり、どれも興味深く面白そうなものでした。すべての講義を参観して回りましたが、生徒たちの受講態度は立派でした。みんな真剣に講義に耳を傾けていました。何を考え、何を思いながら、皆さんは講義を聴いたでしょうか。

 2005年に「女王の教室」という小学校の女教師が主人公のテレビドラマが高視聴率をあげました。従来の学園教師ドラマとは違い、その異色さで色々と物議をかもしました。その中の女教師のセリフを一部紹介します。

「これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません。」「いい加減目覚めなさい。まだそんなこともわからないの? 勉強は…しなきゃいけないものではありません。”したい”と思うものです。」「勉強は受験のためにするのではありません。立派な大人になるためにするんです。」

 こんな実験もありました。6歳から15歳までの総勢600名の生徒に対して、「行儀の悪い生徒には、教室の外に出て遊ぶという罰を与える。行儀のよい生徒には、教室で勉強を続けられるという褒美を与える。」生徒の全員が1、2日以内に「自分は遊びよりも勉強のほうを好んでいること」に気付くことになった。

 ここで、「立派な大人」の定義は何かという問いを立てられたあなたは素晴らしい。そして、「立派な大人になるためにはどうしたらよいか」という問いが続きます。大学で勉強するということは、知識を与えられるのではなくて、自ら好奇心や探究心をもって問い続け、知識や技能を獲得していくということです。もちろん、その過程で「思考力・判断力・表現力」が鍛えられます。進学だけでなく、社会に出れば、なおさら好奇心や探究心がなければ、仕事はつまらないものになるでしょう。学校で勉強する時間よりも社会で働く(勉強する)時間のほうが、ずっと長いのですから、人生を面白くするためには好奇心と探究心が大事です。ぜひ、自分の好きなものを見つけ、仕事としていくために好奇心と探究心を持ち続けてください。

声の価値と信頼性

 ボーカロイドの「初音ミク」が誕生したのは2007年で、その後ボカロブームが起きましたが、昔SF小説で書かれていたとおりのことが現在、進行しています。先日、生成AIを使い、声優らの偽音声を作り出して無断利用した動画がSNSに投稿される事態が相次いでいるというニュースがありました(読売新聞)。AIに作成させた声で勝手に曲を歌わせたり、文章を朗読させたりするなどの行為により声優や歌手等の権利が侵害され、悪用されることを防止するためのAIの利用規制が叫ばれています。昔、ボイスチェンジャーというおもちゃがあって、マイクでしゃべると低音から高音に声を段階的に変換してくれるというものでした。テレビのニュースで一般人の音声を変えているものがありましたが、あんな感じです。自然な声ではありません。今では、自分の音声を他人のものに即時で変換できる「AIボイスチェンジャー」という技術も登場しています。海外のある企業は、「なりたい声になれる」とうたい、自分の声を、任天堂の人気キャラクターであるマリオやハリウッド俳優らの音声に変換できるとしたサービスをウェブ上で提供しているそうです。この企業は取材に対し、「犯罪や営利目的では使わないよう求めている」と回答していますが、当事者らの許可を取っているかについては、不明です。AIによって音声が手軽に生成できるようになったことで、悪用も懸念されています。海外では今年、英国の女優の偽音声でヒトラーの著書「わが闘争」を朗読する音声がネット上で流れ、波紋が広がりました。

 著作権法30条の4は、著作権者の許諾なくAIに著作物を学習させることを認めており、セリフを含めアニメや映画のシーンを学習することも違法ではないそうですが、著作権法に詳しい弁護士は、「著作権法の成り立ちからして、日本ではAI開発側が優遇されており、悪用されるリスクへの備えが不十分だ。例えば、AIで作られた音声が裁判で提出されれば、証拠の真正を常に疑う必要が生じ混乱するだろう。犯罪などへの悪用の可能性も念頭に、AIによる学習やAIの生成物の利用について、国は一定の規制やルール作りを急ぐべきだ」と警鐘を鳴らしています。

 知人や家族らにそっくりの電話音声で金銭を求められる事件も起こっており、そのうちの 77 %は「実際に被害に遭った」と回答しています。SNSに投稿した動画などの音声が無断で学習され、詐欺に悪用されている可能性があるそうです。日本では、回答者の3%が「遭遇した」とし、5%は「知人が遭遇した」と回答しました。

 私が昔に読んだ星新一のSFショートショートの中に、ものぐさな男が家で寝そべりながらできる仕事は何か考えて、孤独な老人の電話相手となり、そこで得た情報を生かそうと声帯模写を習い、その特技を生かして本人になりすまして様々な人に電話をかけ、色々な情報を引き出し、最後には世界を動かしてしまうという内容のものがありました。今回のAIの偽音声は、声帯模写の才能がなくても作れてしまうもので、もし規制されなければ、その影響力は計り知れないかもしれません。本人の声だと思っても疑ってかからないといけないわけですから。写真も動画も音声も信用できなくなる時代がきたら、皆さんはどうしますか。もう、そこに入ってしまっている気がしますが。

球技大会無事終了!ありがとうございました!

 2日間の球技大会が無事終了しました。二日目の今日は、予報で少し天候が心配されましたが、雨は降らずにかえって少し暑いくらいの良いコンディションで実施できました。怪我人はゼロというわけにはいきませんでしたが、昨年より人数は少なかったようで、よかったです。生徒会の皆さんを始めとして、企画運営を手伝ってくれた生徒の皆さん、御指導いただいた先生方、ありがとうございました。また、北京亭様とジュエル・クレープ様には、球技大会特別メニューの企画に快く賛同していただき、ありがとうございました。注文した皆さん、美味しかったですか?今回は、再びコロナが流行り始めているということで、応援を制限しなくてはならず残念でしたが、生徒の皆さんの生き生きとした姿が見られてうれしく思いました。先日のオープンスクールで来校してくれた中学3年生の皆さんにも見てもらいたかったですね。この2日間でクラスの親睦は深まったでしょうか。「学校行事での感動が大きいほど、受験への切り替えもうまくいく」ということを何度か書いたり言ったりしましたが、3年次生の皆さん、これから追い込みですね。頑張ってください。

球技大会初日、お疲れ様!

 今年も2日間に渡る校内球技大会がいよいよ始まりました。計画・準備に尽力してくれた生徒会の皆さん、ありがとうございました。皆さんの日頃の心掛けがよい御蔭で曇りで30℃以下の良いコンディションとなりました。色とりどりのクラスTシャツを着て、校庭と体育館でプレーし、応援する生徒の皆さんの姿は、輝いていました。体育館から思わずビクッとするくらいの大歓声が校長室までよく聞こえて来て、盛り上がっているなとうれしくなりました。(コロナ大丈夫かなという一抹の不安もありましたが)

 本日は、国語の教科書によく載っていた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)さんが亡くなった日で八雲忌と呼ばれています。著書として有名なのが、日本の怪談話を英語でまとめた短編小説集『怪談(かいだん)』(原題:Kwaidan、1904年)です。小学生の時、私は子ども用に書かれた『怪談』を買ってもらい何回も読みました。『耳無芳一』や『雪女』は、有名ですので知っている人も多いかと思います。毎年夏になると、『ほんとにあった怖い話』(通称:ほん怖)などテレビで恐い番組が放送されますが、日本の歴史上有名な怪談である『四谷怪談』『番町皿屋敷』『牡丹灯籠』『累ヶ淵』などは日本の文化として知っておいてほしいですね。日本史の授業や国語の文学史などで出てくる『今昔物語集』や『雨月物語』にも多数の怪談が収録されていますので、興味をもった人は読んでみてください。水木しげるの漫画としても出版されています。

胸に刺さる言葉その2

 先日の秋分の日に、義父母のお墓参りに行ってきました。昨年の5月3日のブログで、菩提寺には大小二つの掲示板があって、様々な言葉が月替わり?で掲示してあることを書き、二つ紹介しました。今回は、「やれる可能性のあるやつが 努力しないのを見ていると 胸ぐらをつかんで “俺と代われ”と言いたくなる 白血病の青年」という言葉が掲示してありました。この言葉は、口には出さなくても、自分ではどうにもならない不幸な境遇にある世界中の人の心の中にあるかもしれません。近年、嫌な言葉ですが「親ガチャ」を筆頭に「〇〇ガチャ」という言葉が、色々と生まれました。私は、大学生の頃、都会に住む同級生に住所の地名を笑われたことがあり、田舎を笑う同級生に「たまたま都会に生まれただけで偉いのか?」と言い返したことがあります。この場合、「出身地ガチャ」ですね。冒頭の白血病の青年の言葉には、運命を呪っても、何も好転しないのはわかっているので、口には出さないものの(なぜ、私が・・・)と思っている人の、「可能性のある人には自分の可能性を無駄にしないでほしい」という思いがこもっていると思います。私が今まで見た中で異質の強い言葉でした。明日から2日間、全校で親睦を深める楽しい行事である球技大会が開催されますが、球技大会に参加できるということに感謝して、プレーも応援も頑張りましょう。

「どうせ無理!」ではなく「大丈夫!あなたならできる!」

 今日は、午後に太田市社会教育総合センターにおいて2年次生の保護者を対象とした進路講演会と修学旅行説明会を実施しました。進路講演会では「2025年度入試に向けて」という演題で、話をしてもらいましたが、少子化が進んでいるにも関わらず、世の中の変化により大学の数は増え、新しい学部・学科が生まれ続け、大学も生き残りをかけて進化しています。生徒の皆さんには進路先と進路実現するための方法の情報収集力が求められますが、膨大な情報の中から自分に必要な情報を集めるのは、かなり大変です。そこでまずはプロの水先案内人にお願いすることになります。説明を聞いて基本的なことを押さえた上で方向性を確認し、自分で調べ、先生と相談しながら希望進路を決定し、実現するための方法を考えていきます。もちろん、本人が自分事として考えて進路選択の方法について勉強しなければならないのですが、保護者の皆さんにも基本的なことと自分にできることを知っておいてもらうほうが、お子さんとコミュニケーションする材料が持てて話がしやすくなってよいと思います。少しでも、この機会に現在の進路情報を仕入れていただければと思います。お話の最後に「どうせ無理!」は悪魔の言葉とありましたが、「大丈夫!あなたならできる!」という天使の言葉に置き換えて、お子さんを励まして、進路実現という団体戦を共に戦っていましょう。

 修学旅行説明会では、旅行社の方と先生方から色々と説明がありましたが、一番心配されるのは「コロナ」と「インフルエンザ」です。昨年は、なんとか旅行中にコロナ感染者が出ずに帰ってこられましたが、今冬はコロナだけでなくインフルエンザも流行しそうなので、十分感染防止に注意してもらえればと思います。昨年は、2年次生が中学校の時の修学旅行が中止になってしまい京都に行けていないことと、移動距離を短くして見学場所を増やせるように、広島から京都に行先を変更しましたが、今年は当初の予定どおり広島に行って平和学習ができます。厳島神社の顔である大鳥居も昨年12月に修復が終了しているので見ることができます。コロナで多くのことが自粛・中止になる中で、当たり前と思っていることが実は幸せなことなのだと気付いた人が多いと思います。生徒の皆さんは、旅行費用を捻出してくれた保護者の皆さんに、バスや新幹線などの交通機関で働いている方に、宿泊するホテルの従業員の方に、見学地で働いている方に、そして旅行代理店の方と引率の先生方への感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

レインサンダーズに注意!

 昨日は、雷が鳴り始めて北の空にきれいな稲光が縦に走ったのが見えたため、校庭で部活動をしている生徒に避難指示を放送してもらいました。その時は、まさか、あんなに激しい雷雨になるとは想像していませんでした。体育館の卓球場が横殴りの雨のため浸水してしまい、大変なことになりました。9月中旬にもなって雷で避難指示を出すことになるとは思いませんでした。

 「課外クラブ活動中の落雷事故に関する初の最高裁判決」が2005年にあり、その後高裁に差し戻され、損害賠償請求としては、総額で約4億8000万円の支払いを命じる判決となりました。この事案では、以下のような経緯の中で落雷事故が発生しました。豪雨→雷注意報発令→雨が止む。上空の大部分は明るくなるが、一部で暗雲が立ちこめ、雷鳴も聞こえた。ただし​雷鳴は大きな音ではなく、遠くの空で発生したと思われる程度のものであった。その中で試合を開始した。→試合中に競技者に落雷した。科学的には、雷鳴が聞こえるときは​、その音が遠くであっても落雷があるかもしれないことを予見できたとされ、責任を回避することはできませんでした。皆さんも、部活動中に限らず、雷を甘く見ないで行動してください。一生を棒に振ることになります。

 今日は、保健体育の教育実習生の研究授業がありました。体育館でバスケットボールでしたが、今日は涼しくてよかったですね。始業前から係の生徒を中心に準備運動や補強運動がしっかりできていました。先生の説明や指示をよく聞き、きびきびと動けていました。先生はグループ毎に見て回り、笑顔で褒めたり助言したりしていました。振り返りの学習活動の記録も、みんなよく書けていました。コロナと怪我に気を付けて、来週の球技大会を迎えられるようにしましょう。

バスの有難さ

 今日は、「バスの日」だそうです。日本バス協会が1987年に行った全国バス事業大会で制定しました。1903年9月20日、乗り合い自動車が京都市内を走ったのが日本初の営業バスとされています。今朝のテレビで、コロナ禍で経営不振に陥りバスの運転手の解雇が増えたため、現在は逆に観光バスの運転手不足で困っているというニュースがありました。2学期は修学旅行シーズンであり、他にもバスを使う行事が多いため、観光バスの予約が困難になっています。コロナが5類になったことで、観光にお客さんが戻ってきて、宿泊業も人手不足で困っています。様々な職業の人が、日々自分の仕事を遂行してくれているので世の中がまわっています。これから修学旅行や大学見学、芸術鑑賞教室とバスの運転手さんには御世話になりますので、感謝しましょう。

 本日から「彼岸の入り」です。23日が中日で秋分の日です。近頃暗くなるのが早くなりましたね。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があります。「冬の寒さ(残寒)や夏の暑さ(残暑)も彼岸を過ぎると和らぎ、しのぎやすくなる」という意味ですが、今年は特に暑かったので、彼岸を過ぎても真夏日が続くかもしれません。来週は球技大会もありますので、熱中症には注意しましょう。ところで、皆さんは「ぼた餅」や「おはぎ」は好きですか?日本では彼岸に供え物として、食べられていますが、名前の由来は、彼岸の頃に咲く花である春の牡丹(ぼたん)と秋の萩(はぎ)だそうです。以前にもブログで書いた記憶があります。「ぼた餅」と「おはぎ」の違いは、知っていますか。秋に食べる「おはぎ」は、とれたての小豆を使っているので、粒のままでも皮も柔らかく、美味しく食べられるので粒あんを使っています。一方、その小豆も春になると時間が経って固くなるため、春に食べる「ぼたもち」にはこしあんを使うというわけです。

 お彼岸には次の2つの意味が込められているといわれます。1. 迷いや煩悩のあるこの世「此岸(しがん)」に対し、悟りの開けたあの世(彼岸)のこと。2. 此岸から悟りの境地の彼岸に至るために、仏道の修行をおこなう期間のこと。彼岸の入りから彼岸明けまでの7日間のうち中日(春分の日、秋分の日)以外の6日間は修行する日なのです。

   春分の日と秋分の日には、太陽が真東から昇って真西へ沈みます。夏至の日のブログで太陽の運行図を載せましたが、覚えていますか。仏教の世界では「御先祖様のいる彼岸は西に(浄土は西にあります)、私たちがいる此岸は東にある」とされており、昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」へのゲートが開くといわれてきました。お墓参りをするのも、そのためです。お盆との違いは、此岸(家)に御先祖様を迎え入れるところです。彼岸会の行事は、日本特有のものらしいですが、「国民の祝日に関する法律」ではそれぞれ国民の祝日と定められ、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日とされています。春分の日と秋分の日は同じ意味ではなかったのが意外でした。年に3回、御先祖様との繫がりを意識する日を大事にしたいものです。御先祖様がいなければ、私たちは存在していないのですから。

アゲイン

 昨日は、敬老の日でしたが、皆さんは祖父や祖母に何か贈ったり会いに行ったりしましたか?もちろん一緒に住んでいれば、外食に行った人もいるでしょう。今や日本人の平均寿命は、男は 81.05年、女は87.09年で80歳以上は普通となり、100歳も珍しくなくなりました。元気なお年寄りも増えました。高齢者が増えたので、本屋に行くと、老後をどう過ごすかという内容の本がたくさん出ています。昔、老後の不安について老人に取材した戦後のテレビ報道を授業で使ったことがありますが、現在放映されても違和感がない内容で、高齢者の心情は今も昔も変わらないのだなと思いました。1950年の平均寿命は、男は59.57 年で,女は62.97年でした。本当に老後が長くなったものです。老後の資金や健康など、長生きすれば不安材料は増えていきます。幸せな老後を過ごすためには、穏やかな気持ちでいられることが大事だと思います。それには、老いていく自分とどう付き合っていくかを考えることが必要です。早い遅いはあれど、死は誰にでも平等に訪れます。メメント・モリという名前のゲームアプリがテレビで宣伝されていますが、ラテン語で意味は「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」です。日本では、死を考えることは縁起でも無いと避けられますが、人間は生まれた時から、死に向かって歩みを進めており、生と死は砂時計の砂のようなものです。小説家の宇野千代さんは、「よく生きることは、よく死ぬことでもある。」と言っています。一生懸命に生きたものは、納得して死を受け容れることが出来る、という意味です。一生懸命生きてきた老人に対するリスペクトの気持ちを、敬老の日に改めてもちたいと思います。(「不老不死の薬」を欲しがった権力者の気持ちは、子どものころはわかりませんでしたが、今ならわかります。若返りをテーマにしたマンガは、けっこうたくさんありますが、最近では「じいさんばあさん若返る」が好きです。テーマの「アゲイン」も若返りをギャグにした楳図かずおの漫画のタイトルです。)
 話は変わって、今日は、苗字の日だそうですが、以前に「日本人の名字は、なぜ多いのか」「変わった名字が多いのはなぜか」など名字について書いたことがありますので、少しだけ書きます。昔は「名字帯刀」は武士の特権でしたが、1870年9月19日、戸籍整理のため、「平民苗字許可令」により平民も苗字を名乗ることが許されました。しかし、当時国民は明治新政府を信用しておらず、読み書きできない人も多かったので、苗字を付けたら税金をとられるのではないかと警戒し、なかなか広まりませんでした。そこで、1875年2月13日、平民にも苗字を名乗ることを義務づける「平民苗字必称義務令」が出されました。「苗字」と「名字」は、どう違うの?と疑問に思っている人も多いと思いますが、意味は同じで、当用漢字表に「苗」の漢字の読み方として「みょう」が加えられなかったため、現在では「名字」を使用するのが一般的になっています。名前は、自分のアイデンティティの最たるものですので、自分の名字の由来や名前の意味を調べてみてください。そうすると、友達の名字も気になってきますよ。探究の始まりです。

みらいの太東生へ~オープンスクール編~

 本日は、受検生に本校の授業や部活を実際に見てもらうためのオープンスクールを実施しました。午前・午後の二部制で合計400人以上の中学3年生が暑い中、来校してくれました。昨日のように午後に雨が降らずによかったです。学校説明会に来られなかった人もいるので、まず初めに体育館で令和6年度入試について説明をしました。自分たちが注意すべき点について理解してくれたでしょうか。授業見学は、どうだったでしょうか。教室の中に入って見学する生徒は、それほど多くはありませんでしたが(教室が狭くて後ろの空きがないこともありますが)、教室と廊下の間の窓とドアを開けていたので、廊下から、どんな授業をしているかは見てもらえましたね。音楽室は入りきれずにドアの外で待っている生徒がいました。ICTを活用している授業が多く見られたと思います。本校の先生方がどんな授業をしているかは、本校Webページのトップページに「授業参観日記」があり、今年度の全ての先生の授業について写真付きで書いてありますので、興味をもったら見てみてください。昨年は、本校の生徒が同じ中学の後輩を見つけて小さく手を振っている光景が見られ、微笑ましかったです。今年は、ALTに廊下で話しかけられている生徒が見られました。部活動の見学をして、本校の部活動の雰囲気はどうだったでしょうか。今日のオープンスクールで、本校を第一志望とする意志を強くしてもらえたなら、大変うれしいです。受検生の皆さん、太東生となって4月にお会いできることを願って応援しています。

汚名返上!

 今朝は、7時45分からマナーアップ運動を実施しました。韮川駅から学校までの通学路と南から自転車で通学する生徒の通学路で保護者の方と先生方に、生徒の通学時の交通ルールの遵守とマナーについて観察してもらいました。私が見ていた限りは、概ね良好でしたがイヤホンをしている生徒が何人か見受けられました。周囲の音が聞こえないと危険を察知するのが遅れますので、イヤホンはしないようにしてください。

 今朝の上毛新聞に、自転車乗車中のヘルメット着用が努力義務化されてから初めての着用率の調査結果が警察庁により発表されたとの記事が載っていました。それによると群馬県は43.8%で、都道府県別で第3位だそうです。全国平均は13.5%だったそうなので、大変好成績でした。群馬県は2021年4月に、条例で全国に先駆けて努力義務化しました。その効果が出ていると言えます。ただ、自転車の安全利用推進委員会が2023年9月7日に発表した、2022年の全国都道府県別、中高生の通学時における自転車事故発生件数についての調査・分析結果によれば、2021年に比べ、中学生はやや増加、高校生は減少したものの、中高生ともにワースト1位の都道府県は「群馬県」でした。不名誉な記録ですので、県一丸となって努力しているわけです。自転車乗用中の交通事故で亡くなられた方は、約6割が頭部に致命傷を負っており、ヘルメットを着用していなかった方の致死率(死傷者のうち死者の割合)は、着用者に比べ約2倍も高くなっていることがわかっています(警察庁)。まだ、ヘルメット着用が習慣になっていない生徒の皆さん、「ヘルメットをしておけばよかった」と思った時は手遅れです。自分の命を守るためにヘルメットを着用しましょう。これから気温が低くなってきて、夏より着用しやすくなるので、ヘルメットを着用する習慣付けのチャンスですよ。