日誌

榎本校長のつぶやき

政治を知らなきゃソンする?・・・なぜ?

 今日は、追川徳信様と鈴木敦子様のお二人の県議会議員の方を2年次生の授業に迎えて、昨年に引き続き「GACHi(ガチ)高校生✕(かける)県議会議員」~政治を知らなきゃソンをする!~を実施しました。及川様と鈴木様、事務局の方には御多忙の中、大変御世話になりました。ありがとうございました。

 皆さんは、タイトルの「損をする」の意味がわかりますか? 昨年18歳で選挙権が行使できるようになりましたが、20代の有権者数と60代の有権者数を比較すると60代が1.5倍です。その上、投票率は20代が30%弱なのに60代は70%弱です。「政治家は選挙落ちればただの人」という川柳がありました。ここから志があってやりたいことがあっても、当選しなければ実現できないから、一票を入れてもらうためにどちらの年代の要望を聞こうとするかは考えてしまうと思います。そんな現実を直視すると、政治について考え、投票に行って自分たちの意思表示をしないと、若い人たちにとっては不利になることは避けられないでしょう。もっとも、少数者の利益を守るためにも議員さんは活動しているので、そんなに単純なことではありませんが。二人の議員さんに生徒からたくさんの質問が出ました。生徒の皆さんが熱心に話を聞いてくれて、質問をしてくれてよかったとお褒めの言葉をいただきました。生徒から出た質問は「議員になるためにどんな勉強をしましたか」「どこで県民の声を拾っているのですか」「議員生活で一番大切にしていることは何ですか」「議員で生活が窮屈だと思ったことは何ですか」「一番やりがいを感じた仕事は何ですか」「議員になろうと思ったきっかけは何ですか。いつ頃なろうと思いましたか」「政治や政党に関する情報はどこで見ればいいですか」「一番大変だったことは何ですか」などです。こうした質問への回答で、根底にあるのは「地域のため」「本当に困っている人のため」に県議として要望が通せるように頑張っているということでした。予算がつけてもらえないと、ほとんどの要望は叶えられませんから。県議会の提案で、学校では、全ての県立高校の普通教室へエアコンが設置され、トイレの洋式化が進んでいます。追川議員のお話で印象に残ったのは、自宅近くのコンビニで高校生に「議員さんですよね」と話しかけられ、「自分も議員になって日本の政治をよくしたい」(実際にはもっと過激な言葉でしたが)と熱く語られたということで、高校生で高い志をもっていて感心したという話でした。「人はパンのみにて生きるにあらず」と言いますが、どんな仕事につくとしても、自分のためだけにする仕事というのはないので、そこには何かしら志がほしいですね。

目標達成のためのシンプルな実践理論

 令和6年最初のつぶやきです。皆さんは、どのような冬休みを過ごしたでしょうか。昨年は元旦に金山の上で初日の出を拝んでブログを書きましたが、今年は行けなくて残念でした。その代わりに16代校長の上田先生が初日の出の写真を送ってくれました。

 今日は第3学期の始業式がありました。2学期の終業式の時に、コロナ禍が収束した今後は、また校歌を大きな声で歌えるようになってくださいとお願いしました。ただ、それだけでは弱いなと考えて、年末年始に活動していた運動部に「大きな声で歌って他の生徒を牽引してほしい」とお願いしました。そして、更に校長が率先垂範すべきだろうと考え、今日の校歌斉唱の前に壇上で校歌をアカペラで三行歌わせてもらいました。少しは気持ちが届いたでしょうか。卒業式では、大きな声が体育館に響くことを期待しています。

 始業式の式辞では、次のような話をしました。一言で言えば、目標を達成するためにしてほしいことです。「今日の私のネクタイは何色だかわかりますか。」と胸を隠して問いかけ、「人間は意識して見ていないと視界に入っていても見えていないことが多いです。皆さんは、1年の最初や年度の最初に勉強や部活動その他で目標を立てることが多いと思いますが、それを常に意識しているでしょうか。以前にも話をし、ブログでも書いていますが最後にもう一度話をします。目標ややるべきことを普段から意識することの重要性についてです。」

 そしてハーバード大学での研究「目標を達成できないのはなぜか」を取り上げ、「目標を達成できなかった人は、なぜ目標を達成できなかったかわかりますか。」と問いかけました。答えは、いたってシンプルでばかばかしいのですが、「目標を覚えていなかった」からです。せっかく立てた目標を意識していなかったからです。と話しました。

 なぜ、目標を意識することが重要なのか、どうすれば意識できるのかについて説明しました。強く念じれば、その通りに体が動くことをイデオモーター(観念運動)と呼んでいます。これは無意識の作用で、夢や目標を紙に書き出し、机の前に貼って眺めると、脳が自然と準備を始めるのです。紙に書いた目標を何度も見返すことにより、脳の中の潜在意識に刷り込まれます。その結果、目標を達成するために必要な情報が入ってきやすく(=敏感になる)なり、目標達成へ向けた行動を習慣づけやすくなるのです。これは仕事でも同じで、一ヶ月、1年の仕事を頭に入れておき、少し手を付けておくと、無意識に頭の中で準備しはじめるので普段の生活の中で関係するものに気付くようになり、準備に役立ちます。昨年と今年の2年次1組の生徒の皆さんは、校長室清掃時に私の机の周りに色々な言葉が貼ってあるのを見たことと思います。校歌も目の前に貼ってあります。毎日目にすることで心に深く刻まれていくのです。そして、同様に覚えておきたい言葉を記録しておき、後で見返すことで心に刻んでいきます。

 ですから、夢が実現しない原因は、「言語化」できていないことです。言語化のメリットを最大限に生かす方法は、「夢や目標を公言する」こと。古代より言葉には「言霊」が宿り、発した言葉通りの結果をもたらす力があると信じられてきました。自分が発した言葉は、相手に届くだけでなく自分にも返ってくるのです。夢や目標を公言することの有効性は脳科学的にも明らかになっています。そして、紙に書くことで目標が目に見えるものなり、より有効性が高まります。目標はできるだけ具体的であるほうがいいです。「総体でベスト4」という目標は、一見よさそうですが、そのために具体的に何をするのかということを言語化し、整理しないと動けません。

 目標達成のポイントは、「ワクワクする目標をつくる」「一歩を踏み出す勇気をもつ」「目標や夢を公言する」です。これらの根底にあるのは「主体的に行動することの大切さ」です。具体的な目標を立てて、実現に向かって一歩を踏み出してください。応援しています。

今年最後のつぶやきは・・・

 今日は、2学期の終業式と表彰伝達式を実施しました。午前中だったため昨日の予餞会よりも寒く、防寒着を着用してもいいとはいえ、寒がりの人はきつかったかなと申し訳なく思います。ただ、リモートで会議室から行う式は、学校としての一体感に欠けるところがあるので、なるべくなら避けたいという気持ちがあります。特に表彰伝達は全校生徒の前で祝ってあげたい気持ちが強いです。校長式辞だけならリモートでもかまいませんが(正直言ってパソコンの画面の前で話をするのは味気なくて嫌ですけどね)。

 式辞の前に校歌斉唱があり、私も息切れするくらい声を出して歌いました。しかし、残念ながら吹奏楽の音ばかりが響いて生徒の声が聞こえてこなかったので、式辞の最初に予定を変えて校歌の話をすることにしました。3年次生は、コロナ禍で校歌を歌う機会が大幅に減ったこともあるので気の毒ですが、現在はそれを理由にはできませんので、卒業式までには大きな声で歌えるようにしてくださいとお願いしました。本校の校歌は「清きいのち」という名前がついており、非常に珍しいものです。前奏が長いことと全部歌うと7分を超えるのも、特徴的です。校歌を全校生徒で大きな声で歌うというのは、太田東高校生としての一体感を得るためです。愛校心は、強制されるものではなく、自然と湧きあがるものですが、校歌については強制とは言わないまでも、できれば歌ってほしいですね。私は小中高の校歌を今でも歌えますし、異動先の学校の校歌もすぐ覚えるようにしています(通勤の車の中で聞きながら)。母校の校歌は、ぜひしっかり覚えてほしいです。

 式辞では、次のような話をしました。2、3年次生に、昨年の2学期の終業式で、私が何を話したか覚えていますかと問いかけました。「吐く」という漢字について3度目の話をしたことと、新入生への部活紹介で男子テニス部が私が式辞のために作った「吐」の漢字のボードを使ったことを話し、思い出してもらうようにしました。授業でも本当に覚えてほしいことは導入・展開・まとめで3回繰り返す必要があり、1年間の授業では最低30数時間、多ければ120時間以上、話せる機会がありますが、校長式辞は一発勝負ですので、皆さんの心に残すにはどうしたらよいだろうかと考えますということを話しました。私も今まで色々な方の話を聴いてきましたが、その人の話ぶりはすごかったという記憶はあっても残念ながら細かい内容はほとんど覚えていません。覚えているのは、話す人の迫力やエネルギーです。エネルギッシュに話す人、淡々と穏やかに話す人、タイプは違っても真剣さは伝わってきます。ただ、言葉を心に残そうとすれば、そしてそれを自分の中で消化して生かそうとすれば、メモして繰り返し見たり読んだりする必要があります。私は、昔二人の上司から正反対のことを言われて悩みました。それは「人の話はメモしながら聞くものだ」「メモなんかしないで、真剣に聞いてその場で頭に入れろ」というものです。私は、人間は忘れてしまうものなので、やはりメモしながら聞き、見返すことが大事だという結論に達しました。

 習得・活用・探究という過程を経て、学習したことは真に身に付きます。スマホですぐに検索できるから、AIに聞けば、すぐ答えてくれるからと、知識の習得を怠れば、頭の中での活用・探究に支障が出ます。多くの知識と経験があって、頭の中で関連付けが行われ新たなアイデアが生まれます。ただ、一問一答式のクイズの知識ではなく、それがなぜ重要なのかがわかる知識がリンクされないと、生きた知識にはなりません。活用・探究を通して生きた知識を身に付けてください。暗記すればいいという考えは、長い目で見て役に立たないということになりかねません。よく覚えておいて、今後の学習で気を付けてください。

 さて、令和5年度は、まだ3か月ありますが、令和5年は、あと少しで終わります。今年のお正月に立てた目標、もしくは4月に立てた目標は達成できたでしょうか。振り返って来年の目標に生かしてください。

 本当に色々な問題が今年も地球上で起きました。戦争がその最たるものですね。テレビやインターネットを通して多様な情報が毎日届けられます。それらの情報について考え、判断し、どう自分が生かしていくのかを考えることが大切です。「なるようにしかならない」「なるようになる」は精一杯努力した後に思うことなので、「なせばなる」の精神で、自分の道を切り拓いていきましょう。それでは、よい年を迎えてください。

美しき予餞会

 今日は、4年ぶりに全校生徒が体育館に集まっての予餞会が実施できました。昨年は残念ながら、1、2年次生は教室で中継された映像を見ることになってしまいましたが、今年は全校生徒一体となった予餞会ができました。一言で言えば、「素晴らしい予餞会」でした。予餞会の企画準備に携わってくれた生徒会の皆さん、動画の中や壇上でパフォーマンスをしてくれた1、2年次生の皆さん、御指導と御援助をいただいた先生方に感謝いたします。ありがとうございました。吊り看板や壁の飾りつけなども素晴らしいものでした。挨拶で「私は学校行事の中でも、この予餞会が最も美しい行事ではないかと思います。それは送る側も送られる側も感謝の気持ちが詰まった行事だからです。」と話しました。それと、「恩送り」の話をしました。恩返しと違って、「恩送り」は、別の人に返します。典型的な「恩送り」は、親から子へのものです。親に育ててもらった恩は大きすぎて返せないので、自分の子どもに返していきます。1、2年次生の皆さんが3年生から受けた恩は、それより多くして下級生に返してあげてください。それによって太東がさらによくなっていくことでしょう。私は、不覚にも最初の1年次生の合唱でほろりときてしまいました。その後は吹奏楽部の演奏や部活動・クラスの有志による動画、ステージ上でのパフォーマンスなど盛りだくさんで、色々な工夫と趣向が見られ、素晴らしいものでした。3年次生に楽しんでもらって激励しようという心意気が伝わってきました。時間をかけて練習したり、動画を撮って編集したりした努力を3年次生も感じ取ってくれたと思います。異動された先生方からの温かい激励の言葉が入ったビデオレターで先生方が画面に現れると大きな歓声が上がっていました。最後の3年次担任団の動画とパフォーマンスは笑いあり感動ありの素晴らしいものでした。鈴木年次主任の応援団の経験を生かしたエールは、生徒たちの心に強く届いたことでしょう。はなむけを3年次生に贈ってくれた皆さん、お疲れ様でした。

 

メシアらっきょう

 昨年の12月12日のブログで「今年の漢字」に選ばれた「戦」を取り上げましたが、今年は「税」が選ばれ、昨年も今年も明るい意味の漢字ではなかったのが残念です。10位に「楽」が入っています。日本教育新聞の記事によれば、ニフティのアンケートで、小中学生、高校生による今年の漢字に「楽」が選ばれたそうです。3年連続の1位で、2位は「推」、3位は「恋」でした。子どもたちの方が明るさを求めているのでしょうか。1か月間の調査で1192人が回答し、小学校5、6年生の回答が多かったそうです。「楽」はコロナの収束で学校生活が戻り「楽しい」と感じた子どもたちが多かったようで、「推」は「推し活」の「推」らしいですね。マンガ「推しの子」の影響も大きいのでしょう。「楽」は、大きく「らく」「たのしい」の二つの意味がありますが、今から45年前、漫画家のこばやしよしのりさんの作品に「救世主ラッキョウ」というハチャメチャなマンガがありました。彼のマンガは「東大一直線」「おぼっちゃまくん」などハチャメチャなマンガが多いですが「救世主らっきょう」はなんと新興宗教をテーマにしたマンガです。神と仏とキリストの血を引くという少年・中華楽狂が、自ら考案した宗教「ラッ教」(楽教)を世に広めるため、地道かつ破天荒な活動を続けていくギャグマンガです。現実世界の教祖は作者であったため、マンガであるにもかかわらず、入信希望のハガキが殺到し、会員制にしたところ会員証の印刷代が原稿料よりもかかるようになってしまい、ファンの会員とのトラブルもあって作者のこばやしさんは嫌気がさし、急遽連載は終了してしまったといういわくつきのマンガです。「人は楽しく生きねばならぬ、人は楽に生きねばならぬ」という主人公の言葉に共感した若い人が多かったのでしょうか。仏教では「一切皆苦」「四苦八苦」という言葉があるとおり、現世では「苦」を避けて生きることは不可能でしょう。そして「苦あれば楽あり」という言葉があるように、楽だけ存在するということもありません。(苦を全部楽と捉えれば別ですが) なぜなら「楽」は「苦」があってこそ実感できるからです。「楽しく勉強(部活)する」「楽して勉強(部活)する」皆さんは、どちらですか。「楽しく勉強する」のは皆さんの工夫次第です。(先生方の力添えもありますが)「楽して勉強して身につけることは、一見効率的でよさそうですが、しょせん楽して身に付けられることは程度がしれています。そこに真の喜びや満足はないですよ。」ではないでしょうか。楽しく学校生活を送ることは大切だと思いますが、楽して学校生活を送るのは貴重な青春時代を無駄にしているような気がします。皆さんは、どう思いますか。楽な生活がいいですか。

ライス→ライク→ライフ→ライト

 以前にキャリア教育について、「夢なし先生の進路指導」の話や「13歳のハローワーク」の話などを書きましたが、今日は次の文を読んでみてください。


 生活の糧を得るために働くことを「ライスワーク」といいます。仕事が面白くなってきた段階を「ライクワーク」といいます。さらに心を込めていけば、好きな仕事は人生をかけてもいいと思える仕事、則ち「ライフワーク」になります。「ライフワーク」を極めていくと、多くの人に喜びを与え、社会に光を当てられるようになっていきます。その仕事を「ライトワーク」といいます。問題は、仕事そのものではなく、仕事に対する考え方なのです。


 仕事について、とてもわかりやすくきれいにまとめてくれていますが、よほどのお金持ちでない限り、皆さんは生きていくためにいずれ働いて生活費を稼がなくてはならなくなります。その時、仕事についてどう考えるかが非常に大事です。今は昔と違って、懇切丁寧に「生き方・在り方」に関する進路指導を行っており、興味関心・能力・適性などを調べ、どんな職業が向いているかアドバイスしてくれます。なんていい時代・・・と思いますか?私は天職に巡り会えるのは「運」と「縁」だと思っています。そして、その「運」と「縁」も普段の自分の行いが引き寄せるものだと思っています。最初は「ライスワーク」でもよいので、仕事に打ち込んでいるうちに「ライトワーク」になることを祈っています。

どうなる?郵便

 今日は、びっくりするニュースが飛び込んできました。最近は値上げのニュースがあっても、またかという感じでしたが、25グラム以下の封書(定形郵便物)の郵便料金の上限を現行の84円から110円に、はがきも63円から85円に改正する省令案が総務省から発表されました。来年の秋ごろに値上げする方針らしいですが、封書料金は1994年以降据え置かれており、約30年ぶりの値上げになるということで、そこに驚きました。10年ひと昔と言いますが、そんなに値上げしていなかったんだと逆に大したものだと思いました。先日、年賀状の減少について書きましたが、スマホの普及とネット広告の増加によって郵便物数は減る一方です。賃上げや輸送コストの高騰もあり、日本郵便は昨年3月期決算で郵便事業が2007年の民営化以降では初めて赤字に転落し、料金値上げを検討していたようです。日本郵便は今回の値上げで重量区分をなくして料金を110円に統一する方針です。私が郵便料金を意識したのは、小学校で年賀状を出すようになった時ですが、その時ハガキは10円でした。下の表は途中を省略していますが、ハガキは47年間で6倍にもなっています。これは果たして高いのでしょうか。日本は郵便局が減ってきているとはいえ、2万5千弱あり、セブンイレブンよりも多いです。しかも、セブンイレブンがないような過疎地までカバーしています。お年寄りにとっては、なくてはならない機関です。ただ、昔は懸賞などハガキで行っていたことが、スマホやパソコンで代替されるようになってきているので、郵便が増える明るい見通しはないようです。今後は、価格やサービスの面で宅配便との競争は進むかもしれません。紙の郵便物が普通であった昔を知っている人間からすると、手書きのハガキや封書には、デジタルにはないよさを感じますが、そうでない世代にとっては、そういう感覚はないのかもしれません。近い将来、文字を手書きすることはなくなってしまうのでしょうか。硬筆・毛筆は文化として学校教育で続けてほしいと思います。皆さんは、文字を書くよりパソコンやスマホでの入力のほうがいいですか?

みんないい!何が?

 次の文章は、ある青年の回想です。(少し語尾を変えてあります)

 広汎性発達障害で友だちができず、集団行動がとれない自分に担任が面談で言ってくれた言葉が「ひとりでも堂々としていられるお前のキャラは、この先、確実に強みになる」でした。また、一人でいることへの批判と同じくらい自分を苦しめてきたのが「強くなれ」という言葉でした。上手に話せない、人の輪には入れない。「弱い」というのは、いけないことだと刷り込まれてきました。担任の「みんなが優しくあれたのは、お前の弱さがあったからだ」という言葉に今までの人生が許された気がしました。

 上記の文章を読んで、皆さんはどう思いましたか。昔は、発達障害という言葉は現在のようにポピュラーではありませんでした。先生方が研修等で勉強し始めてから20年はたっていません。平成17年4月から「発達障害者支援法」が施行されているので、それ以降です。発達障害を簡潔に説明すると、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)など、脳機能の発達に関係する障害です。 発達障害のある人は、他人との関係づくりやコミュニケーションなどがとても苦手ですが、優れた能力が発揮されている場合もあり、周りから見てアンバランスな様子が理解されにくい障害です。

 現在、発達障害に関する本が書店でたくさん並んでいます。それほど、悩んでいる大人や子どもをもつ保護者が多いということでしょうか。私が過去に担任した生徒の中にも、発達障害ではないかと思う生徒は少なからずいました。うまくコミュニケーションがとれないことで悩んでいた生徒も多かったと思います。黒柳徹子さんが発達障害であることをカミングアウトしていることや、「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞさんの言葉は、発達障害の子を勇気づける言葉でありました。長所も短所もありのままの自分を肯定する。ただ、発達障害だから全部仕方ないと思ってしまうと進歩はありません。自分にどんな特性があるのかを理解した上で、対策を考えることはできます。人間は社会的動物と言われるように社会と全く没交渉で生きることはできません。個別の色々な特性を理解して、寛容になれることが社会でみんなが幸せに暮らす上で必要なことではないでしょうか。昨今は、SNSの発達で寛容性が失われているような気もしますが、皆さんはどう思いますか。

難局物語

 今日は、赤穂浪士47人が江戸・本所松坂町の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちをした日であり、ノルウェーの探検家ロアール・アムンセンと4人の隊員が世界で初めて南極点に到達した日でもあります。毎年、この時期になるとテレビでも赤穂浪士討ち入りの番組が組まれるので、知っている人も多いと思います。南極には1957年に日本の昭和基地が開設され、現在は、世界の気象観測網の拠点にもなっています。約30名の隊員が1年間観測活動を行っています。その南極大陸での南極観測隊の苦難とそり犬たちの悲劇を描いた映画があります。1983年の「南極物語」です。南極大陸に残された兄弟犬タロとジロと越冬隊員が1年後に再会する実話を元に創作を交え、北極と南極でロケを実施し、撮影期間3年余をかけ描いた大作映画です。私が大学生の時の映画で、大変話題になりました。キャストも高倉健さんや夏目雅子さんなど豪華でした。

 現在、地球温暖化の影響で両極の氷が解け始めています。南極の氷の厚さは最も厚い所で4,500m、平均2,450mです。 南極の氷が溶けてなくなると、現在より海面が40〜70m上昇すると考えられています。関東平野がほとんど水没するかもしれません。ただ、日本史で勉強したと思いますが、地球が誕生してから46億年の歴史をさらに長い目で見ると、地球は約10万年ごとに暖かくなったり(間氷期)寒くなったり(氷期)を繰り返してきたことが分かっています。東京の内陸から貝塚が発見されるのは、海岸が現在より内側にまできていたことを示しています。地球温暖化は、二酸化炭素の増加が原因と考えられ、太陽光発電の推進や脱原発、ガソリン車からEV車へのシフトなどの対策が進められてきましたが、二酸化炭素が原因ではないとする科学者グループの声が大きくなり、EVの問題点もクローズアップされ、EV離れが進んでいます。二酸化炭素とは関係なく、温暖化は進んでいるというのです。これが本当なら、今までの対策は何だったのでしょうね。人間の力の及ばないところで、宇宙は動いており、人類は地球が沸騰するのを指をくわえて見ていることしかできないのでしょうか。 皆さんも今後の地球温暖化と二酸化炭素の問題を注視してください。

女の子のなりたい職業は?

 今日は美容室の日らしいですが、理由が笑えました。12月は美容室に多くの客が訪れる月だからというのはいいとして、13日は「13」をくっつけると「Beauty」の頭文字「B」になることからだそうです。                                                          

 皆さんは、美容院と床屋のどちらに行っているでしょうか。女生徒は、ほぼ美容院かと思いますが、男子はまだ床屋が多いのでしょうか。私は、高校までは小さい時から行っている近所の床屋に行っていて、美容院に行くようになったのは大学生になってからでした。今通っている美容院は、もう24年の付き合いです。皆さんは、理容師と美容師の違いはわかりますか。端的に言うと、理容師は「髭剃り、顏剃り」ができるが、美容師はできないということです。私は床屋さんで、顔をそってもらうとともに耳掃除もしてもらっていました。美容院に行くようになって、「あっ、美容院はやってくれないんだ」と知りました。顔剃りと耳掃除は気持ちよかったんですよ。    

 私が最後に担任した生徒の中に、美容師になって原宿で店長をしており、テレビにもでるくらい成功している子がいます。3年次の成績はクラスで1、2位を争うほどで部活も頑張っていて、昔から美容師になりたいという夢を忘れずに努力しました。夢を叶えて成功できてよかったと思います。小学生の女の子のなりたい職業で美容師とパティシエが10位内に入っていますが、女の子が手に職をつけるといった場合、この二つが双璧なのでしょうね。今はイラストレーターも入っています。医師・看護士が1位、2位で、薬剤師が6位、獣医が9位と医療関係は人気ですね。本校の生徒も看護士と薬剤師を目指している人は多いようです。ぜひ、頑張って夢を叶え、人の役に立てるようになってください。

ワクワクはチャレンジから

 昨日は、キャリア教育で自らの生きる道を選ぶにあたり、「夢なし先生」の話をしました。その続きとして、地元の偉人である向井千秋さんの言葉を紹介します。彼女は日本人女性初の宇宙飛行士であり、お医者さんでもありました。

 「若くして亡くなってしまう人、生まれてから病院を一度も出ることなく死んでしまう子どもを見てきました。それを思えば、宇宙に行くとか新しい分野の仕事をするとか、自ら道を選ぶことができる人って「選べる」だけで幸せだと思うんです。チョイスがある人は、ない人のためにも生き抜くべきだし、知らない世界に足を踏み入れたからといって、死ぬわけじゃないんだから、前に進んで、やりたいことをやりぬくべきだと思うんです。」「生きているものは何でも美しい」「努力って目標を達成したい気持ちさえ強ければ、周りが思うより大変じゃないんです。一番辛いのは、目標が見つけられないとき」

 以前に「胸に刺さる言葉」として「やれる可能性のあるやつが 努力しないのを見ていると 胸倉をつかんで “俺と代われ”と言いたくなる」という白血病の青年の言葉を紹介しました。向井さんの「選べるだけで幸せ」という言葉は、何に対しても感謝の念を持てれば、「幸せ」のハードルは限りなく低くなっていくということでもあります。次のお笑い芸人の言葉を読んでください。

「新しいことをする時、いつも決まって「ざわざわ」「どきどき」「びくびく」が現れて不安になるんです。と、友人に相談したら、「え~っ、もったいない。僕だったら楽しみ~!」って思うよ。わくわくするよ。」

 新しいことにチャレンジできることを「幸せ」と捉えれば、「ざわざわ」「どきどき」「びくびく」が「わくわく」になりますよね。本校の入学者の受け入れに関する方針(アドミッション・ポリシー)に「学校をワクワクする場所にしたいと考えている人」というのがあります。皆さんには、ぜひ新しいことに「ワクワク」しながらチャレンジしてもらいたいと思います。

夢はバラ色?それとも・・・

 「日本教育」という小冊子の連載コラムに「教師に読んでほしいマンガ」というものがあります。そこで紹介されていた「夢なし先生の進路指導」というマンガについて書きたいと思います。私は、紹介文を読んですぐに注文して読みました。それは、キャリア教育についてのマンガだったからです。本校の校務分掌では平成19年度に「進路指導部」から「キャリア教育部」という名前に変更されています。それから、本校は総合的な学習の時間とキャリア教育に関連する学校行事の企画・運営を中心に行ってきました。そして、それらの経験を生かして、平成25年度から平成27年度の3年間は文部科学省から研究指定され、各教科・科目等においてもキャリア教育の実践を意識した研究を実施してきたという経緯があります。

 「子どもには無限の可能性がある」という言葉を聞いたことがあると思います。美しい言葉でもありますが、小中学校と違って、高校では就職・進学といった現実的な出口指導をすることになります。「夢(希望)・適性・能力」が進路選択に必要になってきます。このマンガの主人公である、元キャリアコンサルタントの数学教師は、生徒の進路相談に対してネガティブな忠告をするために「夢なし」と呼ばれていました。教師は、生徒の夢が叶うようにどうしたらよいかを助言し背中を押す役目をもっています。しかし、その一方で現実について語り、生徒によくよく考えてもらうことがないと、無責任ということにもなってしまいます。この「夢なし」先生は、生徒の卒業後まで追跡し、声掛けします。「何かを諦めるのも悪くない」と夢の呪縛に苦しむ生徒に投げかけます。「諦める」は普通良い意味には使われませんが、その語源に「明らかにしてよく見極める」という肯定的な意味があるのです。自分の人生の道を一つに限定してしまうのではなく、よく考えて新しい道を探せるように動いてほしいというメッセージが受け止められました。将来の夢が明確にある人は、目標に向かって精一杯努力してほしいですが、実際に経験しないと気付けないことも多いので、「物事を明らかにして見極められる力」を身に付けてください。そして、新たな道を見つける勇気も大切です。

戦争と悟り

 今年は修学旅行で広島に行き、平和記念公園でガイドさんから、覚えておいてほしい日付の話がありました。8月6日、9日、15日です。順に広島、長崎へ原爆が投下された日、そして終戦記念日です。原爆資料館の入場待ちをしている時にガイドさんと話をしていて、「私が授業をもっていたころは、それらに加えて6月23日と12月8日も覚えておいてほしい日付として生徒に話しており、テストにも出していました」と伝えると、近現代史の学習が不十分と嘆かれていたガイドさんは喜んでいました。6月23日は沖縄戦終結の日、12月8日は太平洋戦争が始まった日です。昨年も太平洋戦争とパール判事の話と歴史を学ぶとはについて書きました。戦争を始める時は、他国から非難されないように自分の国に大義名分がある正義の戦争?というふうになるように策略して始めます。だから、戦争するどの国も自分の国が正しいと思っており、始末が悪いです。「勝てば官軍」という言葉があるとおり、勝ったほうが歴史を自分の都合の良いように書き換えますので、負けたほうの歴史は消されてしまうことも多いわけです。歴史は研究が進むと、新しい事実がでてきますので評価が変わることも珍しくありません。ただ、それは言論の自由や表現の自由がある民主主義国家に限りますが。アメリカと戦った太平洋戦争は、日本にとって大きな歴史の転換点になった戦争です。なぜ、日本はアメリカと戦うことになったのか。裏でどんな駆け引きがあったのか、原爆はなぜ落とされたのかについて多角的多面的観点から考えてみてください。

 さて、今日はお釈迦様が悟りを開かれた日でもあります。成道会といいます。 何を悟ったのかと言えば、人間の苦しみの原因と苦しみからの解放についての真理と知恵です。その内容は般若心経の中で平易に述べられています。こんなに簡単に言ってしまうと、専門家から怒られそうですが、この世のものはすべて「空」であるという真理が理解できれば、「苦」から救われるのでしょうか。心の持ち方一つで、「苦」は「楽」に変化するのでしょうか。日々生かされていることに感謝して、笑顔で過ごしたいものです。

大雪と冬至

 今日は、「二十四節気」の一つ「大雪(たいせつ)」です。日付は、年によって異なるようですが、近年では12月7日のようです。次の節気は「冬至」(12月22日頃)です。冬至は、1年の中でいちばん昼の時間が短く、夜の時間がいちばん長い日です。冬至には柚子湯に入る習慣がありますが、運を呼び込む前に体を清めるという意味があるそうです。冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りには邪気がおこらないという考えがありました。また、柚子は実るまでに長い年月がかかるので、長年の苦労が実りますようにとの願いも込められているそうです。12月22日は2学期の終業式なので、冬至については早いですが、ここで書かせてもらいました。

 さて、「大雪」はというと北風が吹いて雪が激しく降り始める頃という意味で、冬至までの期間も意味します。この時期に日本には「冬将軍」と呼ばれるシベリア寒気団がやってきて、日本海側には大雪を、太平洋側には冷たく乾燥した空っ風をもたらします。群馬県民の皆さんには御馴染みの赤城おろしですね。今シーズンは暖冬予想が出ていますが、2月に寒気と南岸低気圧のタイミングが合うと大雪の恐れもありと予想されています。受験シーズンですので、受験生・保護者・先生みんなが気にしています。大雪(おおゆき)にならないように祈りましょう。昨日と違って、今日は午後から突風といってよいほど強い風が吹きましたが、外で部活動をしている生徒の皆さんが、風邪をひかないように祈っています。

年賀状出してますか?

 日本教育新聞の一面に「不易流行」というコラムがあります。12月4日付の記事で年賀状について書かれていました。年賀状は、ここ20年で発行枚数が3分の1になり、昨年の発行枚数は16億4千万枚だったそうです。令和4年の日本郵便の調査によると、小学校6年生男子の18.6%、中学校3年生男子の22.9%が前年に1通も年賀状を受け取らなかったそうです。今では、スマホで「あけおめ」やスタンプで済んでしまうことから若い人は年賀状をほとんど書かないのではないかと思います。皆さんはどうでしょうか。私は最も多く年賀状を出していた時で100枚超、今では普段会わない人にだけ出しているので20~30枚です。私はかなり年賀状に凝るほうだったので、今や懐かしいプリントごっこで10色刷りの版画を刷ったことや、全てイラスト入りの手書きで一枚一枚違う年賀状を書いたこともあります。家族写真を使うようになってからは、デジタルで加工するくらいで作成にそれほど時間はかけなくなりましたが、昔は本当に年末に時間がかかる作業でした。

 さて、子どもが年賀状を書かなくなったことで何か問題でもあるの?ということですが、自分の家の住所を正しく言えない子どもが増えているそうです。小学校6年生で住所を正しく言える児童は60.6%で、平成24年の84.5%と比較して24%も減っています。昔なら小学生で迷子になって自分の家の住所が言えないと困るということもあったでしょうが、今はスマホに住所も電話番号も入っていて、地図アプリも入っているので自分の家の住所が言えなくてもいいんじゃないのと思う方もいることでしょう。ただ、コラムでは自分の住む地域社会の理解不足、ひいては地域社会の一員としての意識の低下につながると警鐘を鳴らしていました。皆さんは、自分の家の住所と郵便番号は言えますよね?それと、自分が住む地域のことをどれくらい知っていますか。

ゾンビ映画で探究?

 「日本教育」という教育冊子の12月号が届いたので、開いてみると、「ゾンビ映画でも探究はできる!?身近なテーマを見つけて掘り下げよう」というタイトルが目に飛び込んできました。近畿大学総合社会学部准教授の岡本健先生の巻頭インタビューでした。岡本さんは、中国文化の授業で「香港武侠映画を1本選び、授業で学んだ方法で分析せよ」という最終レポート課題が出されたので、レンタルビデオ店に行って作品を選んでいたところ、たまたま近くに並んでいたゾンビ映画を手に取ったそうです。そして、その作品のひどさに驚き、なぜ、レンタルビデオ店にこんなにひどいゾンビ映画が数多く並んでいるのか?という疑問をもったことが探究心に火がついたきっかけだと語っていました。皆さんも、なぜ、こんなものが売れるのだろうとか、人気があるのだろうと思ったことはありませんか。また、ゾンビ映画は全世界で作られていて、その国の文化や本音などが知れるという異国間の理解に資する一面もあるとも述べていました。どんなに人からバカげたものと思われても、自分が興味をもち探究してみたいと思えば、探究はできるのです。実際、世界には「えっ?こんなものを長年研究しているの?」という人もたくさんいます。テーマをどれだけ多角的多面的に捉え、分析し、疑問に思ったことを追究することができるかは、自分が選んだテーマを本気で面白いと思い、探究したいと強く思ったかにかかっています。今から25年ほど前に、少人数の日本史の選択授業を担当していた時、夏休みの宿題として探究したいテーマを生徒に決めさせてレポートを課したことがありました。そこで日本のファッションの歴史について調べて考察した女子生徒がいました。古代から現代までのファッションの変遷と「なぜ、そうしたファッションが生まれたのか」に疑問をもち、機能性とデザインに注目して自分の意見を書いていました。その生徒はアパレルメーカーに就職しましたが、好きなことなら調べていくうちに次々と疑問が生まれてくると思います。現在、総合的な探究の時間がすべての学校にありますが、自分の好きなことを見つけて探究し、それが大学で勉強できて職業にも生かせたなら最高ですね。

宇宙人と幽霊の存在を信じますか?

 先日は、映画の日ということで書きましたが、1982年の今日はアメリカのSF映画『E.T.』が日本で公開された日です。私は大学生でしたが、映画館には行かずにビデオで見ました。生徒の皆さんが生まれる前の映画ですので、見たことがある人は少ないかもしれませんが、実は大変な映画です。監督・製作は、かの超有名なスティーヴン・スピルバーグで約1000万ドルという予算で製作され、観客は1000万人を突破し、アメリカ国内だけでおよそ3億ドルという当時の映画史上、最大の興行収入を記録しました。全世界では1993年公開の『ジュラシック・パーク』、日本では1997年公開の『もののけ姫』に抜かれるまで、映画の配給収入の歴代1位を守っていたのです。「E.T.」は「Extra-Terrestrial」の略で「地球外生命体」のことですが、簡単に言うと宇宙人のことですね。宇宙人を描いた小説・漫画・映画は枚挙に暇がありませんが、宇宙人を描いた最初の小説として最も知られているのはウェルズの「宇宙戦争」かもしれません。火星のタコ型宇宙人が出てくるものです。日本のかぐや姫も月から来ているので宇宙人なのですが、外見が人間なのでそういう感じがしませんよね。「地球外生命体」というとエイリアンやプレデターを思い浮かべてしまいますが、どちらかというと友好より危険というイメージが強いです。以前にアメリカで宇宙から交信のような電波が届いたことに対して応答するなという命令があったという話を聞きました。なぜかというと、その相手が地球人より進んだ生命体で敵対しないとは限らないからだそうです。宇宙で地球以外に生命体がいないと考える人は、ほぼいないと思います。では、幽霊はどうでしょうか。こちらは、いないと答える人は宇宙人よりは増えるかもしれません。ただ、いないことを証明するのは「悪魔の証明」といって、証明することが不可能か非常に困難です。物質が原子や電子、中性子そして素粒子からなっていることが発見されましたが、霊魂が存在することは証明されていません。しかし、実は、今も昔も、まじめに科学者が幽霊は存在するかしないかを議論しているのです。まだまだ、この世の中はわからないことだらけです。宇宙から人間の身体の内部まで、研究する余地は無限です。皆さんの中に、将来これらのことについて研究する人も出てくるかもしれませんね。これ以外にも、わからないことに対して知的好奇心を持ち続ければ、人生は面白くなると思います。ぜひ、色々なことに興味をもって、これからの生活に生かしてください。

いやーっ映画ってホントにおもしろいですね。

 昨年の12月1日は、師走について書きましたが、今日は「映画」について書きたいと思います。今日は「映画の日」で、映画を劇場で観ることの魅力をより多くの人に知ってもらうことが目的として制定されましたが、映画の一般公開60周年を記念したものであり、日本における初めての映画の有料公開という「映画産業発祥」を記念した日でもあるそうです。ただ、この日に公開された映画は、今日のスクリーンに映写されるタイプではなく、1人ずつ覗き込んで観るタイプの「キネトスコープ」と呼ばれるもので、発明家エジソンにより発明されたそうです。映画と言えば大人数で大画面で見るものと考えている現在では、一人ずつ顕微鏡をのぞき込むように見るなんてなかなか想像できませんね。今日は、映画関連の多様な催しが行われるようですが、映画館の入場料割引もあります。鑑賞料金は、一般1800円で、普段から色々な割引がありますが、イオンシネマや他の映画館でも今日は1000円みたいですね。私が小学生の時は700円で2本立てで映画が見られました。一度に2本映画が見られるなんて、生徒の皆さんは「ホント?」って思うでしょうね、私が最近見た映画は「ゴジラ-1.0」ですが、怪獣映画でこれほど泣けるとは思いませんでした。ただ、怪獣映画とは言っても、社会問題がテーマですので大人に見てほしい映画です。特撮からCGへと画面は進化していますが、テーマ自体は変わっていません。高校生の皆さんにも、見てほしい映画ですね。タイトルは、今は亡き映画評論家の言葉です。

がんばれ、太東生!

 今日から2学期の期末考査が始まりました。初日の出来はどうでしたか。万全の準備をして臨めている人もいれば、ほぼ一夜漬けになってしまっている人もいると思います。3年次生は高校最後の定期考査になりますね。全力で取り組んでください。中学校までは一夜漬けでどうにかなっていた人もいると思いますが、高校のテストはそう甘くはありません。大学ではなおさらです。大学の試験は、前期と後期があり、後期一発勝負のものもあります。一般教養は別として、専門科目はほとんどが論述試験です。60点未満は単位不認定になります。高校と同じくレポート点や出席点もありますが、遙かに厳しいと思ってください。私は、30代くらいまで大学の試験の夢を見ることがありました。もちろん、いい点がとれて喜んでいる夢ではなく、答えが書けなくて終了のチャイムが鳴ってしまう夢で、うなされて起きて、夢でよかったということが何度もありました。初めて聞く人は驚くかもしれませんが、大学ではノートや参考書の持ち込みができる科目もあります。なぜ、許可されていると思いますか?それは、90分という限られた時間の中で、わからないことをいちいち調べていたら論述式の答案は完成しないし、もちろん及第点を取ることなどできないからです。ノートや参考書のどこに何が書いてあるのか頭に入っていて、初めて記憶が不十分な場合に役に立ちます。同様に、スマホですぐに検索できるからといって覚えていることが少なければ、勉強や仕事の能率は格段に落ちます。様々な知識が頭の中で結びついて記憶が強固なものになり、新しいアイデアが生まれるので、知識量は多いにこしたことはありません。ただ、一問一答式知識だけ多くても、それが活用できなければ意味がありません。数学や理科などの理系科目で汎用的な論理的思考力を養い、文系科目でその思考力を活用して知識を知恵に変え、深い学びができるようになってください。それでは、あと3日間、体調に気を付けつつ頑張ってください。

いい服でいい福を!

 今日、11月29日は、語呂合わせから「いい服の日」「いい肉の日」「いい文具の日」「いいふぐの日」などがあります。日本の文具は、外国からわざわざ買いにくるほどですから、よく工夫されていて優れていてオシャレなものが多く、日本にしか売っていないものも多いようです。文具だけの特集本が売れるのも、当たり前ですね。それでは、文具について書くのかと思わせつつ、今回は、文具ではなく、服について書こうと思います。

 皆さんは、ファッションについてこだわりがありますか、それとも無頓着なほうですか。ファッションに気を遣うのは、自分のためですか、それともそれを見る周りの人のためですか。服は、自分が着たいものを着るのがいいのか、自分に似合うものを着るのがいいのか、意見が分かれるとは思いますが、皆さんはどちらですか。私は、大学生になってから男性ファッション雑誌を買うようになり、高校生の時と違って普通に気を遣うようになりましたが(男子校は気を遣いません)、やはり色や形の好きなものは偏りますね。たとえ似合うと言われても、自分が気に入らなければ着る気にはなりませんし、それが個性だと思います。ただ、色については赤やピンクは一切着なかったのですが、ピンクのポロシャツと赤のTシャツをもらって着るようになってから、自分でも赤やピンクを選ぶようになりました。ファッションには多かれ少なかれ、その人の内面が色や形に出ますので、どんな人かを判断する材料にはなります。社会人、特に外部の人と会うことが多い営業関係の人が気を付けなくてはならないのも、そのためです。

 制服でもおしゃれに着こなそうと努力する人はいますよね。制服は清潔感があってきちんと着るのがおしゃれかと思いますが(年寄りの考えかな?)、昔は変形学生服を着ている人も多く、私もその一人でした。学生服はハイカラーの中ラン(丈が長めの学ラン)で、内側に虎と龍の刺繍がありました(笑)。そして、ズボンはというと、ストレートと太目(ボンタン)とパンタロン(ベルボトム)の3本を持っていました。私の高校時代は、まだ短ランはありませんでしたが、今では学生服のツッパリスタイルは、ほぼ死滅しているようですね。今から20年以上前は、女子生徒の短いスカート丈とルーズソックスと格闘していましたが、それも今ではほとんど見られなくなりました。「歴史は繰り返す」という言葉どおり、昔流行ったファッションが復活して、懐かしい思いをすることがあります。ダサくなったものが新鮮でおしゃれに感じられて復活するのですから面白いものです。筒井康隆のSF小説に「暗いピンクの時代」というのがありましたが、AIが発達した未来のファッションについての話です。人間の創造性について考えさせられるものでした。未来では、一着のボディースーツで温度や湿度を自動で最適に保ち、好きな形や色に変えられるものができるかもしれません。皆さんは、そういう服が着たいですか?

月がとっても青いから

 今日は、大変月がきれいに見えたので写真を撮りましたが、きれいに撮れなくてがっかりでした。夏は大気に水分が多いため、月は黄色く見えることがあります。黄色い満月をおっきなメロンパンだと言ったマンガの主人公もいました。冬は乾燥しているので青白く見えることが多いです。歌い出しが「月がとっても青いから 遠回りして帰ろう」という懐メロがあります。1955年に発表された菅原都々子さんの歌で『月がとっても青いから』は、大ヒットしました。帰り道の恋人同士を歌った歌ですが、月を見ることが風流と感じる日本人ならではの感性と、もう少し恋人と一緒にいたいという気持ちがマッチしてヒットしたのだと思います。月が歌詞に出てくる歌はたくさんありますが、童謡の「月の沙漠」や爆風スランプの「月光」など切ない感じの歌が多いですね。皆さんには好きな歌はありますか。「ムーンライト伝説」?「三日月」?
 月は太陽の光を反射して光って見えるので、自分では光り輝けません。日本の月のヒーロー?では「月光仮面」「セーラームーン」が有名ですが、月は奥ゆかしいところが支持されるのでしょうか。なぜか、太陽のヒーローはいないです(レインボーマンには太陽の化身がいますが)。世界中で太陽は信仰の対象になっていて当たり前すぎてヒーローにはならないのでしょう。自分では光り輝けない月には儚さがあります。朝に見られる月もそうです。月を詠んだ和歌もたくさんありますが、皆さんがよく知っているはずの和歌には「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」がありますね。わからない人は調べましょう。
 英語では「ありえないこと」「滅多にないこと」という意味で「ブルームーン」という言葉が使われていたそうです。最も一般的な定義では、ブルームーンとは「カレンダー上でのひと月の間に現れる、2度目の満月」のことで、2.5年に1回程度しか出ないそうですが、別に特別青いものではないそうです。太陽に比べて極端に弱い月の光のもとでは、人間の目が青い波長を強く感じてしまうために、何となく月下の景色は青っぽく見えてしまうようです。「ブルームーン」と言えば、私が思い出すのは、英一・英二という双子の兄弟を描いた森脇真末味さんの短編集です。大学生の時に読みましたが、お薦めします。勉強していて眠くなったら寒空の下で冷気を頬に感じて月を眺めるのもいいものです。期末考査が始まります。皆さん、頑張ってください。

愛情のこもった商品とは

 昨日の日曜日は全国的に非常に寒かったようですが、皆さんの家ではストーブやこたつがあって暖かく過ごせましたか。こたつは外国人に受けがいい日本製品の一つですが、他にも外国人に評判がよく、外国にはないものがたくさんあります。それらのものには日本人のどんな思いが反映されているのでしょうか。次の言葉を読んでください。「傘は、冷たい雨に濡れないように、考えて考えて作られた愛情のこもった商品である。世の中にある物は愛に満ち溢れている。使う人の幸せのために作られているのだ。」皆さんは、身近なものについて、こんな風に考えたことがありますか?外国人に人気のウォシュレットなら「ウォシュレットは、お尻が冷たい思いをしないように痛くならないように、考えて考えて作られた愛情のこもった商品である。」となるのでしょうか。左利きの人が使う商品専門店を開いた人がいます。その人は、左利きの人の幸せのために作られた道具を多くの左利きの人に使ってもらおうという愛に満ち溢れていたのだと思います。10人に1人は左利きですが、社会は左利きの人には不便になっています。どんなところが不便なのか考えてみてください。左利きの友達がいたら聞いてみてください。気付かないことがたくさんあると思います。さて、皆さんの周りには、どんな愛情のこもった商品があるでしょうか。

働いている人みんなに感謝!

 昨日は、国民の祝日である「勤労感謝の日」でしたが、皆さんは働いている保護者の方、そして働いている全ての人に対して感謝の気持ちをもちましたか。皆さんは、お父さんやお母さんの職場見学をして実際に働いているところを見たことがありますか。夏休みに「こども参観」を実施している企業や自治体もありました。アインシュタインは「私は一日100回は、自分に言い聞かせます。私の精神的ならびに物質的生活は、他者の労働の上に成り立っているということを。」と言っています。また、レーニンは「働かざる者、食うべからず」と言っていますが、これは労働者から搾取して不労所得でラクな生活を享受する資産家たちを戒めるための言葉であり、資本主義体制を批判する言葉でした。
 皆さんは、国民の三大義務と権利を答えられますか。三大義務は「教育・勤労・納税」ですね。誤解されやすいですが、教育の義務は、皆さんが小中学校に行って教育を受けなければならない義務ではなく、保護者が子供に教育を受けさせなければならない義務です。面白いのは勤労の義務で、「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」(日本国憲法第27条1項)と勤労の権利とセットになっています。これはどういう意味でしょうね。「権利を主張するなら義務を果たせ」なんてことが言われますが、そうした裏表の関係ではないです。勤労の権利とは、仕事をしたい人に対して、国が仕事をさせないと言うことができないということです。また、勤労の義務とは、国が働くことを強制しているのではなく、保険など国の保護をうける場合には、仕事をする必要があるというくらいの意味らしいです。義務が最も似合うのは「納税」でしょう。普通の人は働かなくては税金は払えませんから、勤労と納税はセットでおかしくありません。みんなが助け合って生きるのが社会ですから、お互いに働いて税金を払って暮らしやすい社会をみんなで作っていく。だから働いてくれる人に感謝するということですね。皆さんも自分の好きな仕事、やりたい仕事で感謝されるようになってください。
 ちなみに国民の三大権利は、「生存権(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)、教育を受ける権利、参政権」です。公民の授業では、他にもたくさん人権を勉強したと思います。皆さんにとっては「自由権」が一番記憶にあるかもしれません。「職業選択の自由」もその中にありましたね。自由はいいものですが、厳しくもあります。これから職業選択に大いに悩んでください。
※勤労感謝の日は、戦前は宮中行事の新嘗祭で、その年に収穫された新穀を神に捧げ、収穫を感謝する日です。具体的には、天皇陛下が新穀の収穫を天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとした神に感謝し、自らも新穀を食べる宮中行事で、現在も皇室に受け継がれている重要な祭祀の一つです。新嘗祭は、明治6(1873)年に祝日として11月23日に制定されました。

天災は忘れたころにやってくるから訓練が大事なのだ!

 今日は、50分短縮授業で6時間目終了直後に大地震発生とそれに伴う火災発生という設定で避難訓練を実施しました。生徒の皆さんは、落ち着いて整然と避難できており、前回より避難時間も短縮し、消防署の方からもほめられ、よい訓練ができたと思います。前回の訓練でも話しましたが、学校は比較的安全な建造物です。鉄筋コンクリートで単純な構造なので頑丈です。木造ではないので火災にも強いです。でも油断は禁物です。煙や落下物に注意しなければいけません。どこで災害に見舞われても対応できる力を身に付けましょう。

 東日本大震災から12年経ちました。皆さんは幼稚園生でしたね。怖かった記憶があるでしょうか。一般に大震災と呼ばれる災害ではそれぞれ死因に特徴があり、関東大震災では、昼食時だったため火災による焼死、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)では建造物倒壊による圧死、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では津波による溺死が多かったわけです。皆さんは、地震で自分がそのような被害にあうことが想像できますか。近い将来発生すると予想されている大規模地震には、南海トラフ地震、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震、首都直下地震、中部圏・近畿圏直下地震などがあります。その時、皆さんはどこにいるでしょうか。地元で自宅にいるかもしれないし、東京やその他の地方で一人暮らししているかもしれません。温泉旅館でのんびりしている人、高層ビルで働いている人、地下鉄で移動している人もいることでしょう。どこにいても、避難訓練で学んだことを生かして、状況判断し、冷静に行動することが大切です。「慌てず急げ」という言葉通り、冷静に、できるだけ急いで避難することが大切です。パニックになって急ぎすぎれば、階段等で将棋倒しになり圧死する危険性もあります。「天災は忘れたころにやってくる」という標語がありますが、危機意識を忘れずにいるために避難訓練を実施しています。今日やった消火器の訓練も忘れずにいてくださいね。

テレビの未来

 今日は「世界テレビ・デー」だそうです。 1996年12月の国連総会で「第1回世界テレビ・フォーラム」が開催されたのを記念して制定されたそうです。このフォーラムは、テレビが人や世論の意志決定の過程において大きな影響を及ぼすようになったことから実施されたそうですが、この国際デーはテレビの重要性や役割を再認識する日であり、いまだテレビの情報にアクセスできない人々へも情報提供を普及させようとする企図があるそうです。ネットにアクセスしないお年寄りは、テレビや新聞の情報がすべてでしょうから、ウクライナやパレスチナの紛争をテレビで見ていてよく知っていても、日本のテレビでは報道されない世界の重要な出来事は知りえません。テレビも新聞も民間企業である限り、真に公正・公平な報道はありません。NHKであっても、それは変わりません。NHKは国営企業のように誤解されますが、放送法に基づき設立された特殊法人で、 政府からの出資はなく、その経営が国民から徴収する「受信料」で 成り立っている公共放送局です。ですから、色々と問題も抱えています。テレビは、新聞と同様に若い人が離れているので、今ではネットの影響のほうが大きくなっているように思います。

 昔は娯楽というとテレビでしたし、家族で夕飯時は1台のテレビで同じ番組を見ていたので、チャンネル権争いが勃発していたものです。私は弟とテレビのリモコンスイッチ(手で回すタイプでテレビから外すことができた)を奪い合うこともありました。しかし、チャンネル権は父にあり、食事時は父が見る番組を見なければならず、プロ野球や時代劇の「水戸黄門」「大岡越前」「遠山の金さん」「暴れん坊将軍」などを見ていました。また、ドリフターズの「8時だョ!全員集合」はクラス全員が見ていると言って過言ではなく、最高視聴率50.5%のお化け番組でした。紅白歌合戦の最高視聴率は80%であり、大晦日は日本レコード大賞、紅白歌合戦、ゆく年くる年を見るのが日本人の定番であったようです。

 さて、くだらないことを書き連ねてしまいましたが、テレビの黄金時代は過ぎ、家の中に複数のテレビがあり、チャンネル権争いも過去のこととなり、さらにスマホの普及で個々に好きな動画を見る時代になりました。大画面のモニターが家の中にあっても、それで観るものはテレビ以外のものが多くなり、従来のテレビ番組は淘汰されていくと予想されています。やる気になれば一人でも番組ができてしまいますので。テレビやラジオが情報を素早く伝えるメディアであり、それを受動的に見る時代は終わりを告げ、自分で情報を探しに行き、発信する時代になりました。せっかくの「世界テレビ・デー」ですが、すぐに「世界スマホ・デー」に置き換えられるかもしれません。その時、何を再認識しなければならないかと言えば、自分の好みの情報だけに偏ることなく様々な情報に触れて公正に判断する力をつけるということです。情報リテラシーを身に付けることが、ますます重要になってきますので、皆さんもしっかり勉強してください。

先生の成長の陰に・・・

 今日は、県内各校から12名の地歴公民科の先生方が本校に集まり、中堅教諭資質向上研修(12年目研修)が実施されました。私が12年前に総合教育センターの初任者研修で担当した先生方でしたので、同窓会のような和やかな雰囲気?で行われました。研修内容は、まず本校の北爪先生が代表者授業を行い、授業研究が午前中に行われ、活発な研究協議がなされました。北爪先生の授業は1年次1組の「公共」で行われました。一人一台端末を活用し、法に関する単元で生徒の身近な「校則改正」を題材としたものでした。「法改正の適正手続き」についてジャムボードを使って意見をグループワークでまとめ、グループ間で発表し学び合う授業で、生徒たちはよく発言していました。午後は6名の先生方の授業ビデオを見て、協議が行われました。テーマは「指導と評価の一体化」です。私は、開会行事から始まって閉会行事まで1日付き合い、先生方の12年間の成長ぶりを見せてもらいました。主事・主任として、担任や部活顧問として、頑張っている様子を聞くことができ、大変うれしく思いました。数校の異動を経て、色々と経験した苦労を糧にして現在の職場で活躍しているようです。

 生徒の皆さんは、先生方が忙しい中でも研修を行い、教師としての資質能力を高めようと努力していることを知っていますか。すべては、生徒の皆さんが楽しく充実した高校生活を送り、様々な力を伸ばして希望する進学、就職ができるようにするため、そして生きる力を育むためです。努力して頑張っている先生方を応援してくれるとありがたいです。先生は「先に生まれた人」ではなく「先を生きる人」ですが、「先を生きる」から何でも知っていて、できるわけではありません。生徒に教えながら学び成長していく存在です。生徒のみなさんの御蔭で先生が成長できる面もあることを知っておいてください。それは親も同じです。子どもから教えられて親になります。謙虚な人は、成長し続けます。「まだまだ・・・」の精神で何事にも取り組みましょう。

PTA研修視察旅行記

 今日は、PTAの研修視察旅行で明治大学を見学してきました。東京の大学は、昔と様変わりして大変立派な高層ビルになっているところが多いようですが、明治大学駿河台キャンパスも近代的なビルが並び、圧倒されました。今日は23階立てのリバティタワーを見学させてもらいました。15階の教室で1~4年生の4人の学生ガイドの方にスライドで4つのキャンパスの説明をしてもらってから2班に分かれて、学生食堂と図書館、最上階の岸本辰雄ホールを見学させていただきました。もう一度大学に行きたくなるような素晴らしい環境でした。見学後に最初の教室に戻って、大学の授業や大学受験時にどんな勉強をしていたかの話を聞かせてもらいました。高2の2学期から受験勉強を始め、高3からは平日は5時間、休日は12時間くらいやっていたという話が印象的でした。また、明治大学に入りたくて、とにかく勉強したという明治愛を学生ガイドの皆さんから感じました。大学4年間は長いです。ぜひ、大学進学を希望している本校の皆さんも実際に大学を見学して、ここで勉強したいというところを見つけてモチベーションを高めてください。
 明治大学を後にして、『東京ドームホテル・リラッサ』で昼食をとり、少し散策をして全体写真を撮ってから帰途につきました。今日は、あいにくの空模様でしたが、多くの保護者の方に有意義で楽しい体験をしていただいたと感じました。ぜひ、来年は今回参加していただいた方々の口コミによって更に多くの方に参加していただければと思います。

幸せの色は?

 今日11月16日は、語呂合わせで「いい色」となることから、色にちなんだ記念日が多いようです。皆さんは、色がない世界を想像できるでしょうか。動物や昆虫、魚などは見え方が違うということを知っている人は多いと思います。色覚のない世界や、紫外線などの不可視光線が見えている世界を想像するのは難しいですよね。そんな人間とは異なる犬・ネコ・鳥・ネズミ・ヘビ・ハエ、サメ、魚などの動物たちが見ている世界を再現したムービーがあります。「How Animals See The World」です。興味があれば見てみてください。私は赤緑色弱ですので、そうでない皆さんと見えている色が違います。人によって視力や色覚など目の状態は様々なので、同じように見えている人は案外少ないかもしれません。

 色が心理に影響を与えることは、実感として皆さんもわかると思います。いくつか紹介します。

〇グーグルは、テキストリンクの色によって、クリックやタップする確率が異なることを示しました。色には人の行動に影響を与える力があることが明らかになったのです。

〇スーパーやショッピングセンターなどのように、売り場の内装に寒色系を用いると、来店客はリラックスし、滞在時間が長くなります。逆にファーストフード店のように客の滞在時間を短くし、回転率を高めたい店舗では、内装に暖色系を取り入れています。赤の補色である緑を並べておくと、肉の赤みが強調され、鮮度が高く感じられます。ハムやソーセージには、肉の加工品の色をピンク色の赤みをきれいに発色させるために用いられる発色剤という添加物が加えられています。紫の結束テープを巻くと、葉物野菜がみずみずしく見えます。2つの異なる色が互いに隣接した場合に、互いに溶け込んでその中間の色に見える現象を色の同化現象と呼びますが、みかんを赤いネットに入れるとより赤みをおびたオレンジ色に見えます。牛乳のパッケージは、さっぱりとした印象を与える青がよく用いられます。パッケージの青をじっと見続けてから、白い牛乳に目を移すとクリーム色に見えることがあります。これは心理補色、継時対比と呼ばれる現象で、青の捕色である黄色が残像として現れるために起きます。

 色については、他にもおもしろい話題があります。人間は実際の色よりも鮮やかに記憶する傾向があり、これを「記憶色」あるいは「印象色」と呼ぶそうです。そのため、写真や映像は、実際の色ではなく、記憶色を再現するよう調整されています。なぜなら、実際の色を再現しても、私たちの脳は違和感を覚えるからです。面積の違いによって、明るさや色みに差が出ることを「色の面積効果」と呼びますが、それを私が実感したのは家の壁の色を決めた時でした。パソコン上で家の設計図に着色して確かめたところ、色見本とは違って見えました。多くの調査で、赤は脈を速くし、呼吸頻度をあげ、脳波のα波を減少させ、脳幹が覚醒することが確認されています。信号機の「とまれ」が赤になったのは、危険に備えて緊張を高めるからでないかと言われています。赤は集中力を高めるとともに、短期記憶を促進する一方で、赤を見ると原始的な知能が優勢になり、論理的な思考能力は低下するそうです。そのため、熟考を要する場面で、赤を使用するのは控えたほうがよいそうです。赤とは対照的に、青は脈拍や呼吸数を減らし、動脈圧を下げ、リラックスした状態へと導きます。これに適しているのは単純作業です。

 さて、最後に違う意味の色について書きたいと思います。百人一首の中にある短歌で好きなものはいくつかありますが、平兼盛の「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」は、その中の一つです。昔も今も変わらない恋の歌だなと思います。高校生の皆さんにも共感できる歌ではないでしょうか。この場合の「色」は具体的な色のことではなく、表情を指しています。皆さんは色が出やすいですか、出にくいですか。

第41回マラソン大会無事終了に感謝

 今日は、朝のマナーアップ運動が7時50分から8時30分まで行われ、保護者の方々に御協力いただき、登校時の交通ルールと挨拶のマナーを見ていただきました。事前にイヤホンをつけている生徒がいないかを見てくださいと係からありましたが、私が南門と昇降口で見ている限り、いませんでした。ただ、ヘルメットをかぶっていない生徒は多く見られたので、今後の課題です。各場所で早朝から御協力いただいた保護者の皆様、先生方、ありがとうございました。

 校内マラソン大会が9時45分に女子がスタートして始まりました。夜に少し雨が降ったようで、天候が心配されましたが、曇り時々晴れで、風もなく絶好のマラソン日和となりました。昨年は少し暑いくらいでしたので、記録を狙う生徒にとってはよいコンディションになったと思います。開会式の挨拶では、次のような話をしました。

 「マラソンは肉体的にも精神的にも苦しく、学校行事の中でも気が重いと感じる人が多いかと思いますが、学校行事には教育的意義があるわけです。楽は苦があってこそわかるものであり、知力は体力と気力の土台の上に築かれるものなので、若いうちに体力をつける努力が必要です。受験勉強で運動部が追い込みに強いのは、最後は体力と気力がものをいうからです。マラソンは自分との闘いであり、全力で走ったか、50%で走ったかは自分が一番よくわかっているはずです。ただ、全力で走ることは大事ですが、安全と健康が第一ですので、自分のペースを守り、体調に留意して完走し、達成感を味わってください。」

 数人の体調不良と転倒によるケガがあったものの、AEDを使うことも救急車を呼ぶこともなく、昨年よりも参加者数が30人ほど多く、無事終えることができました。安全確保や集計作業等に携わっていただいた先生方、生徒の皆さん、ありがとうございました。昨年も、笑顔でゴールする生徒が多かったですが、今年も多くの笑顔が見られ、うれしく思いました。女子生徒の声援で、校庭に入ってから短距離走のごとく走る男子生徒も数名見られ、微笑ましかったです。また、グループホーム太田サンフラワーの方たちにはホーム前で旗を振って応援していただきました。ありがとうございました。閉会式も太陽が顔を出して暖かい中で、実施することができ、成績発表と表彰の後には、先生方から多数のラッキー賞が贈られ、笑顔の中でマラソン大会を終えることができました。

3文字に込められた思い

 現在、スマホで様々な動画が手軽に見られるようになり、ちょっとした時間を潰すのに苦労はしなくなりました。逆にスマホに時間をとられて依存症になり、貴重な時間を無駄にしてしまう人も増えています。ここでも、大量の情報の中から、何を選択するか、その判断力が問われています。私も普通に1日30分から1時間程度動画を見るようになってしまいましたが、日本のよいところを紹介する動画を見ることも多いです。謙虚さが日本人の美徳でもありますので、自画自賛するようなものはいただけませんが、そこのところは割り引いて見ています。

 最近見た動画に「海外TVで紹介された日本語の奥深さ たった3文字の手紙に世界中が涙」というものがありました。内容を要約して以下に紹介します。

 海外のあるテレビ番組が日本の手紙の文化について紹介したところ、大きな反響を呼びました。日本の手紙は、とても少ない文字数で相手に対する深い感情や思いやりを伝えることができるというのです。番組で取り上げたエピソードは、南極へ遠征している夫に妻が送った「あなた」という3文字だけの電報でした。番組の出演者は、この言葉に込められた意味を考える時間を与えられていましたが、わからずに困惑していました。この電報を受け取った夫と周りの同僚の様子が紹介されました。夫の目からは感動のあまりぼろぼろと涙があふれ、その電報を見せられた同僚たちも同じように感動して涙を流したというのです。番組の出演者たちは、考えたけれど意味がわからず解説を聞くことになりました。

 この「あなた」という3文字は南極で勤務する夫宛に、妻が言葉に収まりきらないありったけの感情を込めて書いたものでした。当時の日本では通信技術があまり進んでおらず、電報での通信方法がモールス信号方式だったこともあり、電報では長い文章を送ることが難しかったのです。しかし、遠く南極にいる夫へ妻は自分の多くの思いや心配、そして愛情を伝えたくてたまりませんでした。そこで彼女は、そのすべての感情を詰め込むようにして、たった3文字「あなた」という単語を電報で送ったのです。実際には、伝えたいことが山のようにあったのでしょう。「あなた、体は大丈夫ですか?風邪をひいていないか心配です」「あなた、子どもも私も健康ですよ」「あなた、帰ってきたら、あなたの好きな料理を作って待っていますね」「あなた、愛しています」こんなにも多くのことを伝えたいと思いながら、最終的に彼女が選んだのは「あなた」というたった3文字でした。そして、その電報を受け取った夫は、わずか3文字から妻の溢れる思いを感じ取り、ぼろぼろと涙を流したのです。夫は、妻が自分をどれほど想っているか、心配しているか、愛しているかを、その短いメッセージから受け取り、深く理解したのです。また、その手紙を目にした彼の日本人の同僚たちも、その深い愛情に心打たれ、感動の涙を見せたのでした。

 この話は世界中のメディアで「3文字だけの手紙」と取り上げられ、大きな話題となったそうです。この話は、日本語の深い意味や様々な解釈ができることを示す一例として世界に知られました。

 皆さんは、この話を読んで何を思いましたか。私は、この話の背景には、日本の俳句や短歌といった短い言葉で気持ちを表現する文化や直接的な表現ではなく婉曲的な表現を用いて気持ちを相手にくみとってもらう文化があると考えます。例えば、「月が綺麗ですね」の真意を、「私はあなたに惹かれています」と読み取ったり、「雨が降ってきましたね」を「あなたともう少し一緒にいたいです」と読み取ったりできるのも日本人ならではと思います。もっとも全員が読み取れるわけではありませんが。日本人は、聖徳太子の憲法十七条にある「和をもって貴しとなす」の精神を受け継いできているので、なるべく争いを避けるように言動に気を付けます。これは相手の気持ちや状況を慮り、文脈を見極め、言葉の背後に潜む意味を探る能力に長けているということです。「空気を読む」力は、日本社会では、好むと好まざるにかかわらず求められる能力のようです。個人よりも集団を尊重し、秩序を大切にする日本の長い歴史の中で育まれてきました。その結果、率直さよりも含みがある言い回しを好む傾向が強くなっているようです。

 視聴者の反応に「たった3文字でそこまで伝えられるのもすごいし、読み解く側もすごい。日本人は本当に感性が豊かだと思う」というのがありました。電報と言えば合格を伝える「サクラサク」や田舎の親に無心する「カネオクレ」がありますが、ちゃんと動詞が入っています。「あなた」という名詞だけでは、読み取る側の力がなければ通じません。この話は、「あなた」と送った妻と「あなた」から読み取った夫がいて、初めて成り立つ話でした。本校の生徒の皆さんが卒業までに身に付けたい力の1位はコミュニケーション能力でしたが、日本人が高度なコミュニケーション能力を駆使していることがわかっているからでしょうね。コミュニケーション力とは簡単にいうと以下の①~④の力です。皆さんは、どれくらいできると自己評価しますか。

①相手が話している内容が理解できる。

②相手の感情を察知することができる。

③相手に伝わるように言葉にすることができる。

④相手の感情を動かすような伝え方ができる。

ひざは大事!

 今日11月13日は、「いい(11)ひざ(13)」と読む語呂合わせから「いいひざの日」だそうです。寒さが増してひざが痛み出す時期に、ひざ関節痛の治療や予防を広く呼びかけるために制定されました。と言っても製薬会社主導ですけどね。高校生の皆さんには、ひざの痛みなんて全然ぴんとこないことでしょう。私も還暦を迎えて、自分ではまだ若いつもりでいても、朝起きた時に体が痛かったり、寒くなると膝や節々が痛くなったりするようになると、年をとったことを痛感してしまいます。先週の修学旅行中には就寝前に背中の右側がつりそうになってベッドの上で痛みが去るのを待っていました。今日も6時間目にのびをした時に足裏がつりそうになり痛みと戦っていました。時々顔を出しているテニス部の練習でサーブの球出しをしている時にふくらはぎがつりそうになったこともあります。運動不足やストレッチ不足なのはわかっているのですが、なかなか解消できずに今に至っています。私も若い頃は(20代)は、かなり運動していたほうだと思いますし、教員になってからもずっと運動部の顧問でしたので、生徒と一緒に汗を流していました。それでも、この体たらくです。本校の校訓の「誠・明・健」の「健」は、一生を通してのことですので、「若い皆さんも今のうちに運動する習慣をつけ、体はできるだけ鍛えておいたほうがいいですよ」と老婆心ながら忠告しておきます。小学生が放課後にみんなで校庭で遊ばなくなって久しく、スポーツ少年団に入っている子どもと入っていない子どもの体力格差が大きくなっている現在、意識して運動し、健康的な生活を心掛けることは大事ですよ。もちろん、体だけでなく、心の健康も忘れずに。

ぬくもり

 修学旅行から無事帰ってきたものの、本日は体調不良や発熱などで欠席者が多く出て、心配です。修学旅行中は11月にも関わらず、少し暑いくらいでしたが、来週はいきなり12月の寒さになるようです。15日にはマラソン大会もありますので、体調管理をしっかりしてください。今日は久しぶりに寒いと感じましたが、教室や職員室と違って、校長室は人がいないため寒いです。寒くなると「ぬくもり」が欲しくなりますが、昨年は、石川啄木の短歌を取り上げました。皆さんは「ぬくもり」というと、好きなアーティストの歌で何が思い浮かびますか。私は、尾崎豊の「15の夜」にある「100円玉で買えるぬくもり熱い缶コーヒー握りしめ」が思い浮かびます。あと一つは中村雅俊の「ふれあい」にある「なぐさめも涙もいらないさ ぬくもりがほしいだけ」です。ぬくもりは心地よいと感じる温かさだと思います。3年次生の皆さん、眠くならない「ぬくもり」の中で、受験勉強を頑張ってください。

修学旅行最終日

 修学旅行も遂に最終日となりました。今日は、清水寺コースと伏見稲荷コースに分かれて見学です。伏見稲荷は外国人観光客が、非常に多く、千本鳥居が大渋滞で進まず、断念する人も多かったようですが、その分、お土産を買う時間は十分とれたようです。清水寺は、思ったほど混雑していなかったようで、よかったですね。

 帰りの新幹線は、京都からだったこともあり短く感じました。東京駅からバスで無事出発し、羽生SAで帰着先別にバスを乗り換えて、各自帰路につきました。今回の旅行で、最も心配されたインフルエンザ、コロナに罹患する生徒も出ず、無事に帰ることができました。旅行中御世話になった方々及び引率された先生方、そして太東生として恥ずかしくない行動をしてくれた生徒の皆さんに改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。今夜は土産話もたくさんあるでしょうが、ゆっくり休んで明日に備えてください。まだ、振り返りの事後指導がありますので、修学旅行は終わっていません。ぜひ、学びを深めてください。

修学旅行3日目

 今日は、USJに来ています。京橋駅から電車で来ましたが、通勤ラッシュに当たって久しぶりに混雑した電車に乗りました。平日だというのに、9時前からすごい人出です。さて、生徒の皆さんは、今日何を学んでくれるのでしょうか?気付きがたくさんあるといいのですが。入口を入ってすぐにチケットの落とし物を拾いましたが、本校の生徒でないことを祈ります。本部を離れて見廻りしていても、混んでいて広いので、ほとんど生徒に会うことはありません。昔と違って、各班の定時連絡は電話ではなく、各クラスのクラスルームに班員が揃っている写真を上げることになっています。アトラクションに乗っていたとかで遅れた班もありましたが、全員大丈夫のようです。皆さん、クラスルームに送られた写真から、楽しく過ごせたようですね。そして、8時までに全ての班がホテルに帰って来られました。遅れそうな班は、連絡ができました。流石、太東生ですね。集団行動がしっかりできていました。明日の最終日も、無事に帰宅できるように、時間を守って行動してくださいね。

修学旅行2日目

 今日は、午前中が広島での平和学習、午後は大阪の海遊館での見学です。広島平和記念公園では、全員がガイドさんの説明に真剣に耳を傾けていました。原爆資料館の混雑ぶりには閉口しましたが、沢山の外国人の方が熱心に見学している姿を見て、有り難いと思いました。日本史・世界史・地理が必修だった昔と違い、理系の生徒は日本史を履修しない人がほとんどですので、大学までも含めて原爆について学ぶのは、これが最後かもしれません。ですから、今日学んだことは、しっかり心に刻んでおいてほしいと思います。教科書には書いていないこともガイドさんが熱心に説明してくださっていました。原爆や戦争の悲惨さだけでなく、歴史について「なぜ?」と問うことを忘れずに自分の頭で考えることを大切にしてください。さて、海遊館見学では、水棲動物の生態系を、道頓堀散策では大阪の食文化を学びましたが、明日のUSJでは何を学ぶのでしょうか?経済と文化について、考えてみてください。

  

修学旅行初日

 本日から三泊四日で、広島・大阪・京都に修学旅行です。午前6時前に本校を出発し、無事、熊谷駅から広島に向けて新幹線に乗車しました。広島までは新幹線とは言え道中は長く、お尻が痛いのを紛らわしながらの4時間弱でした。広島到着後フェリーで宮島に渡りました。風が強く、広島の降水確率は90%でしたが、雨は降っていなかったので何とか天気がもってくれることを祈っていました。各クラスごとに大鳥居をバックに集合写真を無事撮ることができ、ほっとしました。観光地慣れしている鹿が、写真屋さんの誘導で写真の真ん中でポーズをし、お手までする姿に生徒たちから歓声が起き、笑顔で写真を撮ることができました。ガイドさんに案内されて厳島神社を見学しました。見学後、土産物屋を回っている途中で雨が降ってきて、バスに移動している時にかなり雨脚が強まったため、けっこう濡れてしまいました。明日以降は晴れるようですので、よかったです。ホテルでは、夕食時に旅行中に誕生日を迎える生徒3人にサプライズのお祝いをしました。プレゼントとハッピーバースデーの歌が全員から贈られ、生徒は照れながらも嬉しそうでした。食後から行われた健康相談には、一人も生徒は訪れず、初日を無事終えることができました。

 

 

永字八法

 今日、11月2日は、「いい(11)もじ(02)」(いい文字)と読む語呂合わせから書道の日・習字の日だそうです。多くの人に文字を書くことに親しみを持ってもらい、手書きで文字を書くことの大切さを伝えていきたいとの願いを込めて制定されたそうです。

 小学校の先生は、鉛筆の持ち方から硬筆・習字と教える中で、苦労されていると思います。高校生を見ても、正しく筆記用具を持てていない生徒を授業参観でたくさん見かけます。上手な字を書く、早く字を書くためには正しく持たなければ無理です。小学校の頃に習字の塾に行っていた経験がある人も少なくないのではと思います。書道というと大げさな感じがして、「書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である」なんて聞くと、更にハードルが上がりますね。2009年に中国の書道が、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。文字は始め実用として生まれましたが、文化の進展につれ絵画と同じように芸術的な価値が見出されるようになりました。

 私は以前に漫画の話で、今は本当に様々なジャンルの漫画があり、「こんなものまでというものもありますよ」と紹介しました。書道の漫画はもちろん、フォントをテーマにした漫画まであります。高校の書道部を描いた『とめはねっ!』は、大変おもしろく勉強にもなりますので、書道に興味がない人にもぜひ読んでみてもらいたい漫画です。

 スマホの普及や学校現場での1人1台端末が進んで、更に文字を手書きする時間が減っています。文字を書くことが減ると、どんなデメリットがあるのでしょうか。文字を書くことの効用は「脳の活性化、集中力の養成、ストレス解消」です。何度も紙に書くことで記憶に残りやすくなり、覚えることが必要な暗記の際には効率的といえます。 (タイプによって異なりますが) 指先を動かすことで、効果的に脳を刺激します。指先を動かすためには、かなり繊細に脳から司令を出す必要があり、脳の神経細胞であるニューロンの連結が促進される、という仕組みになっているのです。それと、これはワープロでも同じですが、”文字を書く”ということは、情報を整理しさらに再構築することが必要なため、より脳を刺激することになります。また、目の前にある物理的な「紙」と「ペン」に向き合うことで集中力を養うことができます。書くという作業に集中することより、ストレスから離れるとともに、自分の気持ちや思いを紙に書き出すことでモヤモヤを吐き出すことができ、気持ちを落ち着かせることができます。

 私は、小学校の時に硬筆も習字もたくさん練習しました(させられた)ので、「書」についての関心は人並み以上にあります。書くことも得意なので、それは仕事以外のことでも役立っています。私が社会人になったころ、ワープロやパソコンが仕事で本格的に使われるようになりました。最初は手書きだった授業プリントもワープロで作るようになり、ICT機器の活用が進んだ現在では、プロジェクタで黒板に投影することも多くなり、手書きで板書することが昔よりかなり減っているのではないでしょうか。皆さんは、まだノートは手書きでしょうが、将来キーボ―ドで打ち込む日がくるかもしれません。ただ、文字を書く感覚というのは上記で述べたとおり大事だと思いますので、今はなるべく意識して書くことを多くしてください。未来は、音声入力はもちろん頭で考えたことが文章入力できるようになり、書くことが激減するかもしれないのですから。

※タイトルの「永字八法」の意味は、わからなかったら調べてください。そのほうが頭に残ります。

41回目の「清きいのち」の集い

 今日、本校は41回目の開校記念日を迎え、午後に記念式典を挙行しました。記念講演では第27期生の中島様を迎え、「好きを見つけて幸せに~研究者として伝えたいこと~」という演題で、高校~大学~大学院~会社において自分がどう過ごしてきたかを振り返り、本校生徒に「幸せ」について考えさせてくださいました。久しぶりに全校生徒が体育館に集まり、吹奏楽部の伴奏で校歌も歌うことができて、よかったです。

 また、今日は多くの都道府県や市町村で、「教育の日」に定められ、11月1日から7日までを「教育週間」としている県もあります。この1週間に、教育・文化に関する行事を集中的に実施し、我が国の教育・文化に関して、広く関心と理解を深めてもらい、その充実・振興を図ることを目的として、昭和34年から毎年開催されています。18の都道府県で「教育の日」や「教育週間」が定められていて、関東では、茨城県・群馬県・埼玉県で定められています。今までも現在の教育問題について書いてきましたが、本当に小学校が「待ったなし」の状況になっているようです。経済も大切ですが、教育がだめになると未来に大きな負債を抱えることになりますので、この機会に皆さんによくよく考えてほしいと思います。

これでいいのだ!

 今日10月31日は、語呂合わせで「テン・サイ」と読み、「天才の日」だそうです。昨年は、ハロウィンについて書きましたので、他に何かないかと探して見つけました。皆さんは、「天才」についてどんなイメージをもっていますか?天才に生まれたかったですか?まず、以下の天才についての文を読んでみてください。共通していることは何でしょうか?

〇 天才は1%のインスピレーションと99%の発汗(パースピレーション)である。 エジソン

〇 努力だ。勉強だ。それが天才だ。だれよりも、3倍、4倍、5倍、勉強する者、それが天才だ。  野口英世

〇 天才とは、努力する凡才のことである。私は天才ではない。ただ人より長く問題と付き合っているだけだ。  アインシュタイン

〇 どれだけの労力を注ぎ込んだかを知れば、天才なんて呼べないはずだ。 ミケランジェロ

〇 必要なのは才能じゃない。練習、練習、練習、それだけだ。 マイルス・デイヴィス(ジャズ・トランペット奏者)

〇 甲子園は天才も待っているが、甲子園は努力で磨いた普通をいちばん待っている  阿久悠(作詞家)

〇 努力せずに何かできるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを『天才』というのな   ら、僕はそうだと思う。人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。 イチロー

 以上の文の中で、特に有名なのはエジソンの言葉ですが、「発汗」は言い換えれば「努力」です。天才は持って生まれた才能だけの人を指すのではなく、とんでもない努力をした結果すごいことができるようになった人を指すと言えるのではないかと思います。本当に能力のある人は謙虚であることが多いですが、天才と呼ばれる人も本人は自分のことを天才どころか凡人であると思っていることが多いようです。才能に恵まれていたことよりも、目標に向かって好きなことを地道に努力し続けられる能力があったからと思っているみたいですね。ポール・ヴァレリー(仏詩人)は「世の中には創造する天才があるように、探す天才もあり、書く天才があるように、読む天才もある。」と言っていますが、人は多様な才能があると考え、自分の才能を信じて努力して育てようとすることが大事ではないでしょうか。最後に、才能と仕事について述べた文を紹介しますので、先日の仕事について述べたブログに引き続き考えてみてください。

〇 『自分が好きな仕事、楽しい仕事を選びなさい』という人もいるけれど、それは天才だからできること。われわれ凡人が現況の未熟な判断力で、『楽しい仕事』を選んだとしても、うまくいかないことも多い。それより、任された仕事を苦労してこなすうちに、だんだん楽しさがわかってくるほうがいい。

〇 人の総合的な能力の差というのは、天才は例外としても、秀才を含めてせいぜい五倍、普通は二、三倍程度の違いしかありません。しかし、ヤル気、意欲、意識の差は百倍の開きがあると感じています。ですから採用は能力よりヤル気を重視したほうが、はるかに戦力になります。 日本電産社長永守重信

災い転じて福となる

 「災い転じて福となす」という諺があります。 身にふりかかってきた災難を,立場や見方を変えてみることによって,うまく活用し,逆に自分の役に立つようにするという意味ですが、タイトルは「なす」ではなく「なる」です。

なぜ、「災い転じて福となる」なのか?それに結びつく印象的なニユースがあったからです。今朝、秋田県の知事が、23日に地元で行った講演での失言のニュースが流れました。 知事は、全国知事会議で四国を訪れた際の体験を「四国なんか、もう大変ですよ。酒もうまくないし」と言い、さらに「メインディッシュがいいステーキだと思って開けたら、じゃこ天です。貧乏くさい」と発言していたのだそうです。 じゃこ天は、小魚のすり身を揚げて作る“愛媛県のソウルフード”。それを県のトップが、「貧乏くさい」とけなしたので問題となりました。じゃこ天を作っている会社は、売上が減ることを覚悟したそうですが、逆に1.5倍に増えました。なんと秋田からの注文が全体の6割を占めたそうです。注文した秋田県民が、「うちの知事が大変失礼なことを言って申し訳ない」と謝罪の言葉を述べていたそうです。皆さん、この秋田県民の対応は、どうですか。素晴らしいですね。よく、政治家の失言がニュースになりますが、心の中でそう思っているからつい口に出てしまうのであって、思っていないことは口から出ません。「口は禍の門」「口は災いの元」とよく言いますが、私も、今まで失敗した経験がありますので、自戒しています。今回は、秋田県トップの失態によって秋田県民が恥ずかしい思いをしたところを、県民によって名誉挽回され、かえって有名になって売り上げが増えました。災い転じて福となったのです。「めでたし、めでたし」と言ってもいいくらい、本当によかったですね。

「スマホを捨てよ、書を読もう」

 今日から「読書週間」ということですが、皆さんは、本を一ヶ月にどれくらい読んでいますか。「読書週間は」は、1924年に図書館の利用PRを目的に日本図書館協会が制定した「図書館週間」(11月17日~23日)を母体としています。「読書週間」の目的は、読書の力によって、平和な文化国家を作ろうというものだそうです。最初は、一週間でしたが、1948年の第二回「読書週間」から、11月3日の「文化の日」の前後にまたがる現在の10月27日~11月9日の二週間に期間が延長されました。「読書週間」の一日目の10月27日は「文字・活字文化の日」に制定されています。

 書店には、雑誌や本があふれているのに、読書量は減り続けています。全国学校図書館協議会が毎日新聞社と共同で調査を行った第67回学校読書調査(2022年)によると、5月1か月間の平均読書冊数は、小学生は13.2冊(前回比+0.5冊)、中学生は4.7冊(前回比-0.6冊)、高校生は1.6冊(前回と同じ)です。小学生の平均読書冊数は4回連続で増加しており、前回に引き続き、過去31年分の調査のうち最高値でした。5月1か月間に読んだ本が0冊である「不読者」の割合は、小学生は6.4%(前回比+0.9%)、中学生は18.6%(前回比+8.5%)、高校生は51.1%(前回比+1.3%)となり、全体的に増加しています。特に、前回は過去最低値であった中学生の不読者の割合が、著しく増加しました。

 皆さんは、上記の結果を見て、読書量の減少の原因は何だと思いますか?私は先日のテレビ番組で、スマホを見ている時間が病的に多いの人たちを見て、恐怖を感じました。平日1日当たりの平均スマホ利用時間は、高校生5時間45分、中学生4時間37分、10歳以上の小学生3時間34分でそうですが、1日15時間以上スマホを見ている人もいて、正常な生活が送れているのかと思いました。どこに行くにもスマホがないと落ち着かない依存症の人はいませんか。電車の中で、本を読んでいる人は昔はけっこう見かけましたが、今はほとんどの人がスマホを見ているか寝ているかです。読書量が減り続けるのも当然ですね。読書とは、色々な人たちの考えや思いを手軽に知ることができる活動であり、人生の師匠をたくさん得られる活動です。じっくりと文章を味わって読む、繰り返して読むという行為のよさをぜひ知ってほしいと思います。そして、できれば電子書籍ではなく紙の本のよさを知ってください。

楽 < 楽しい

 今日は、関東地区代表高等学校長研究協議会・群馬大会に出席してきました。午後は群馬大学副学長で大学院理工学府の教授である板橋英之先生の講演がありました。「大学発ベンチャーの挑戦」と題して株式会社グッドアイの取締役会長として、健全な地球環境と豊かで快適な暮らしの創生を目指して、どのような事業に取り組んでいるのかを傾聴しました。群馬大学は企業から高い評価を得ているそうです。右のデータが、日本の国立86、公立101、私立620の大学の中での群馬大学のランキングです。板橋先生は、本当に楽しそうに話しをされる方で、大学の先生でこれほど楽しそうに話しをされる先生は初めてです。板橋先生の研究室で学ぶ学生は幸せだろうなと感じました。講演最後の高校生へのメッセージの中の「真剣にやれば何でも楽しい」「楽より楽しい」が印象に残りました。
 受検生の皆さんも、真剣に勉強すれば楽しいんだと思って、頑張ってください。

トゥース!

 皆さんは、「8020運動」というものを知っていますか。1989年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動です。20本以上の歯があれば、食生活にほぼ満足することができると言われています。やはり、固いせんべいをバリバリ食べられたほうが気持ちいいですよね。そのため、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえるように」との願いを込めてこの運動が始まりました。テレビの入れ歯安定剤のCMなどを見ると、入れ歯だと色々と不便で食べ物が自分の歯に比べると気持ちよく噛めないんだなと思います。歯医者に行くと、インプラントやブリッジの方法についての解説動画に中で「自分の歯で噛める幸せ」という画面が出てきます。

 歯の本数は、本来なら32本らしいですが、私は上下で4本少なかったため、歯間があいてしまい高校時代に矯正をしていましたが、矯正って痛みが続くんだなということを初めて知りましたね。私は虫歯になりやすかったのか、小さい頃から歯医者さんのお世話になることが多く、義歯が何本も入っています。前歯は2本差し歯です。先週末、歯が痛くなり先日1年ぶりに歯科医院に行ってきました。歯が痛いと頭や首まで痛くなってきたりして、思考力と集中力がそがれます。ちゃんと1日3回歯磨きしているのになぁと思いながら、歯医者さんに診てもらうと虫歯ではなかったものの奥歯の詰め物を全部ほじくり返すことになりました。痛みがないのは幸せだなぁと昨日は思い、丁寧に歯磨きしました。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といいますが、歯磨きを適当にせず、20年後に歯を20本残すことを目標に、今後は歯磨きを頑張りたいと思います。

 噛むという行為に必要な歯は、よく生きる上で特別に大事なものです。その理由は、3つあります。まず、噛むことによって、唾液の分泌がよくなること。 唾液には、消化を助け、口腔内を清潔にする働きがあります。 次に、噛むという機械的な刺激が、頭やあごの骨、顔の筋肉の発育を促し、表情豊かな顔をつくるほか、大脳の働きを活性化すること。 そして、かたいものをかみくだく爽快感はストレス解消になるといわれていること。10代の生徒の皆さんは8020なんてとんでもなく先の話だと笑うでしょうが、よく噛めるように、若い時から歯と歯茎の健康には気をつけましょう。

みんな違ってみんないい!

 皆さんは、自分は外向的・内向的のどちらだと思いますか。昔、勉強の仕方とか職業の選び方とかを診断するのに、どちらに入るかテストみたいなものが学習雑誌でありましたが、今はキャリア教育関係で性格や嗜好などから「あなたに合った勉強方法や職業」を教育関連企業が教えてくれるようですね。

 少し前に、外向的・内向的性格についての記事を読んで、驚いたことがあります。それは、内向型か外向型かは生まれついての脳の仕組みで決まるもので、本人のやる気の問題ではないということです。気質は変えられないけれど、性格は外向性以外は変えられると、7月18日のブログで書きましたが、そういうことかと思いました。

 内向型人間と外向型人間の最大の違いは「刺激への感受性」であると言われています。ドーパミンの感受性が違うのです。ドーパミンが出ると、テンションが上がったりいい気分になったりするのですが、内向型人間はこのトーパミンの量が少なくても満足することができます。一人で本を読んだり絵を描いたりしているだけでも十分楽しいし、しょっちゅう飲みにいかなくても、仲の良い友達とたまに会えれば満足なのです。内向型人間は、即断即決は苦手ですが、過去の失敗を踏まえて改善点を見つけたり、慎重な判断を下したりといったことに長けていると言えます。昔、「先生方が、みんな明石家さんまみたいだったら困るんじゃないか」と話したことがあります。色々な種類の楽器がハーモニーを奏でるオーケストラのように、色々なタイプの人間がいてお互いに得意なことで協力し合っているのが社会なので、先生も同じようなタイプの先生ばかりになったら生徒が困るということです。会社の人事部では、採用試験で同じタイプばかりにならないように考えています。同じようなタイプばかりになると会社が停滞してしまうからだそうです。

 外向型でも内向型でも、どちらが優れているというわけではありませんので、自分の長所短所を理解した上で長所を生かせる進路を選択し、仕事や生き方に生かしてください。

♪よ~く考えよ~♪ 仕事は大事だよ~♪

 以前にパワハラ・セクハラなどハラスメントについて書いた記憶がありますが、ハラスメントとは、相手の意に反する行為によって不快にさせたり、相手の人間としての尊厳を傷づけたり、脅したりすることを言います。

 プレジデントという雑誌で文学者の内田樹さんが、次のように書いています。『高部大問さんの「ドリーム・ハラスメント」には、中学三年生の夏休み前に「2学期までに人生の夢を具体的に決めてきなさい」という宿題が出され、子どもたちが暗い顔をするという実体験が書かれています。どの大学のどの学部に入学し、どんな資格やスキルを身に付け、どんな企業に就職したいのかの決定を、10代半ばの子どもたちに求めてくる。これは高部さんが言う通り、子どもたちに対する「ハラスメント」だと思います。』というものでした。この意見に対して、皆さんは共感しますか?自分の生き方について考えてもらうことはハラスメントなのでしょうか。もちろん、何の事前学習もせずに考えさせても無理に決まっています。小・中・高の発達段階に合わせて、少しずつ考えを深めてもらえばいいことかと思います。

 2003年に「13歳のハローワーク」という本が出版され、2010年には改訂版『新 13歳のハローワーク』が出版され、600以上の職業が紹介されています。13歳のハローワーク公式サイトもあります。キッザニアという子どもが職業体験できるアクティビティも全国に3か所あります。キャリア教育が出てきた背景には、中・高等学校の進路指導が学業成績に基づく「出口指導」に矮小化されたことや、職業につかない若者が増加して社会問題になっていたことがありました。高校受験で、普通科・職業科を選ぶには厳密でなくとも将来どんな職業に就きたいか、どんな仕事をしたいか考える必要があります。大学受験では、さらに細かく学部・学科が分かれているので資格が必要な職業に就きたいなら、ここで選択しなければなりません。好むと好まざるとに関わらず、いずれ社会人となって自立することがほとんどの人に求められている以上は、自分が何をして生計を立てていくかについて考えなければなりません。その場合、世の中にはざっと3万種類の職業があると言われ、AIの進化やロボットの開発で、なくなる職業も増える一方で、新しい職業も生まれてきて、それらの中から自分に合ったやりたい職業を見つけなければならないのですから、大変と言えば大変です。選ばなくても収入が得られる仕事を作ってしまってもいいわけです。「自分のことは自分が一番よくわかっている」という言葉は一面では真理でも、「自分がどんな人間かは、自分でなく自分の周りの人が判断する」という言葉もあるので、自分とはどんな人間かをよくよく考える必要があるようです。決断するのは皆さん自身です。やる気があればやり直しはききます。でも、その前によ~く考えましょう。

 最後に仕事についての言葉を一つ紹介します。「思い通りにうまくいく仕事なんて世の中にはひとつもない」(絶対悲観主義) 仕事とは、100%自分以外の誰かの役に立つためにすること。自分のためにすることは趣味です。仕事は自分以外の他者=お客様に価値を提供して喜んでいただくことです。

フリース¥980~ 何年着ますか?

 今日はリサイクルの日だそうです。「ひとまわり(10)、ふたまわり(20)」と読む語呂合わせから日本リサイクルネットワーク会議と地域交流センターが1990年に制定しました。通商産業省(現:経済産業省)ほか8省庁が10月を「リサイクル推進月間」とし、その後に現在の「リデュース・リユース・リサイクル推進月間」(略称:3R推進月間)となりました。皆さんも公民や家庭科の授業で勉強しましたよね。食については、世界食料デーや食育の日その他で取り上げましたが、今日は「衣」についてとりあげようと思います。以下の文は、「倫風」という雑誌からの引用です。

 『食品リサイクル法や建設リサイクル法が施行されている「食」・「住」の業界に比べると、「衣」は法制度の整備も進んでいません。さらに、日本の衣類は海外への依存度がかなり高く、小売市場で売られている衣料品の約98%が海外からの輸入です。現状では衣類の7割近くがごみとして廃棄され、その中で再資源化されるのは5%ほどです。服一着を作るのに、二酸化炭素約25.5キロ(500mlのペットボトル255本分)を排出します。石油由来の合成繊維を材料とした製品製造にかかる温室効果ガス排出量は、世界全体で12億トンの二酸化炭素に相当し、国際航空業界と海運業界を足した量よりも多い。また、服一着あたり約2300リットル(浴槽約11杯分)の水を消費する。綿花生産を含む繊維生産には1年で93兆リットルの水を消費し、これは500万人の1年間の需要を満たす量にあたる。本来であれば、企業が価格は高めでも長く着用できる質の高い製品を提供し、消費者もそうした服を長く使うことが環境への負荷低減に繋がります。しかし、国内における衣類の供給量は1990年の約20億着から2019年には約40億着とほぼ2倍になっています。その一方で一着あたりの価格は安くなり、大量生産・大量消費が進んでいるのです。』

 皆さんは上記の文章を読んで、どう思いましたか?また、自分が着る衣類について、どんな考えをもっていますか?ユニクロやGUなどをよく利用しますか?買ったものは長く着ますか、それとも数回着て新しいものを買うほうですか?私は気に入ったものを長く着るほうなので、季節によって週末はほぼ同じような恰好をしていることが多いです。スーツやワイシャツ、ネクタイなどは本当に気に入ったものしか買わないし、迷ったら何日か待って、それでも欲しかったら買うようにしているので、タンスの肥やしになることは少ないと思います。それでも、1年に1回も着ないものが出てくるので、断捨離することになります。「あ~っ失敗した。次からはもっとよく考えて買おう。」と思いながら。確かに昔みたいに「安かろう悪かろう」という製品は減っていて「安くて品質もよい」製品も増えています。ただ、衣料品店に行って大量の衣料品を見ると、どれくらい売れ残るのだろうと思ってしまいます。それは食料品店へ行っても本屋へ行ってもそうです。資本主義社会での競争によって、そうした光景が当たり前になってしまい感覚が麻痺してしまっているようです。今年は、地球温暖化ではなく「地球沸騰」という過激なキーワードが出てきましたが、国際社会は制御できずに行き着くところまでいってしまうのでしょうか。生産量を法律で割り当てしなければならない時代が来るのでしょうか。そして資源の無駄遣いを減らすためにオーダーメイドが増えるのでしょうか。

※リデュース(Reduce)は、製品を作る時に使う資源の量を少なくすることや、マイバックの使用や簡易包装により廃棄物の発生を少なくすること。リユース(Reuse)は、使用済製品やその部品などを繰り返し使用すること。リサイクル(Recycle)は、廃棄物などを原材料やエネルギー源として有効利用すること。

♫人生はワン・ツー・パンチ♪♬

 人生について考えさせられる説として「人生無意味説」と「人生ペルシャ絨毯説」というものがあります。「人生無意味説」は、『人は生まれ、苦しみ、死ぬ。人生に意味はなく、人は生きることで何かの役に立つことはない。生まれようが生まれまいが、生きようが死のうが、どうでもいいのだ。生きることにも死ぬことにも意味はない。』という、ニヒリズム(虚無主義)の極致みたいな説です。一方、「人生ペルシャ絨毯説」は、『過去に生じた不幸や苦悩、惨めさなどは、念入りに織り上げられた美しい装飾の一部でしかない。美しい絨毯には、光沢だけでなく、陰影も必要であることを思い出そう。それは、ネガティブな出来事であってもそのすべてを喜んで受け入れる態度と相通ずる。』です。前者はネガティブ思考、後者はポジティブ思考と言えるかもしれませんが、前者は「どうでもいいのならどうにでも自由に生きられる」と捉えることもできます。「人生ペルシャ絨毯説」は中国の故事「人間万事塞翁が馬」と同質のものだと思います。

 今、受験勉強真っ只中の3年次の皆さんだけでなく、1、2年次の皆さんも多かれ少なかれ勉強や部活、その他の悩み(恋?)をかかえていると思います。『人は努力する限り悩むものだ』という言葉があります。アナウンサーの古舘伊知郎さんは、『本来ならウジウジする時間こそ大切にすべきなんです。僕が自由闊達に話せているとしたら、そうした時間をたくさん費やしたからに他なりません。悩む時間は、自信の源になります。自信がつけば、どんなことも思い切って言える胆力がつく。悩む時間こそが説得力を生むんです。』と言っています。悩みが陰影ならば、その隣には光沢の幸せがあるはずです。『たいした苦労もない代わりに、たいした喜びもない、ぬるま湯につかっている人がなんと多いことか』というセリフが出て来る漫画がありましたが、苦労したからこそ喜びもそれに比例して大きくなるのではないでしょうか。もちろん苦労すれば成功するという訳ではありませんが、自分がした努力と、それによって自分がどれくらい成長したかは自分が一番よくわかっているはずです。その努力を無駄とは考えられません。ここに生きているという事実がある限り、「人生に意味がないと諦めたら、そこで人生終了ですよ」とスラムダンクの安西先生なら言うでしょう。皆さんは「人生に意味はあるのか?」という問いについて考えることは無意味だと思いますか?

心の可視化は是か非か

内外教育という教育冊子の巻頭に長崎県立大学長の浅田和伸さんのコラムが掲載されていました。皆さんにも考えてほしい内容と思ったので以下に引用します。

 『ある中学校では、生徒が手首に着けたリストバンド型端末で脈拍を測り、授業中の「集中度」を測定する実証研究を、企業の費用負担で行っているという。狙いは授業の改善や、生徒が「自分のデータを見て、次はもっと集中してみようかなと思ってくれるといいですね」ということだそうだ。別の小学校では昨年度まで端末のカメラで顔を映し、額の血流や体の動きを測定して、今の感情を「わくわく」「たいくつ」など4種類に分類するという実証実験をしていたらしい。企業やどこかの役所から頼まれたのかもしれないが、学校関係者はこれらを「気持ち悪い」と感じないのだろうか。私が生徒なら心の内など人に知られたくないし、まずは大人が職員室で使ったらどうですか、教育委員会や議会でも使って、次はもっと集中してみようかなと思ってくれるようになるといいですね、と言うのだろうか。』 

 俗にいうところのウソ発見器は、皮膚電気活動や呼吸,心拍などを測定して、その乱れから知っていることを隠しているかどうかを判定する機械ですが、授業をまじめに集中しているかどうかを測定する端末実験が行われているなんて知りませんでした。小学校での顔をカメラで分析して感情を4分類する実験は怖いですね。以前に観点別評価の一つである「関心・意欲・態度」を本当に適正に評価できるのかという議論がありましたが、心の中(頭の中)を調べようとするのは、人権侵害ではないかと思います。「人間に与えられた真の自由は、頭の中の考えるという行為だけである」と言った人がいました。言動となって表出すると社会では制限の対象になります。科学が進むと人類は未来にすべての自由を奪われるのでしょうか。以下の文章を読んでください。(たしか茂木健一郎さんのものだと思います)

 『脳が一つのことに集中できる時間は、4分半しかありません。それ以上考えると、脳は別の考えが出てくるようになっています。その時はいったんほかの作業をしましょう。その間、脳内では関連情報と結びつける作業が始まっているので、再び同じことを考えたら答えが出ていることが多いのです。また、人間は、約16分に一度、今考えていることと違うことを考えてしまいます。「マインド・ワンダリング」と呼ばれる状態です。これを防ぐために、一つの作業は15分までとし、15分たったら別の作業をすることです。たとえ理想的な姿勢であっても30分で血流は滞ります。脳に血を巡らすために、30分に1度立ち上がったり、少し歩いたりするなどちょっとした運動をしましょう。最後に知的作業を集中して続けられる限界は90分だと言われています。大学の講義が90分で区切られているのも、この理由からです。』

 45~50分の授業を、15分から20分のユニットで分けて異なる学習活動を児童・生徒にさせるのは理にかなっていると言えます。「読む・話す・聴く・考える・書く」などの活動を授業の中に計画的に組み込むのは、一つの活動を長時間続けると学習効果が低下するからです。前述の実験は、生徒一人一人について集中しているかどうかをパソコンで教師が見られるようにでもするつもりなのでしょうか。今や世界中に監視カメラがあり、偵察衛星には自動車のナンバープレートが読み取れる直前まで性能が進んでいるものがあります。歩き方の特徴から人物を特定できるソフトもあります。顔認証は、はるか宇宙からされてしまう時代がすぐそこまできています。もしかしたら、コナンの眼鏡が進化して、見えるものすべてが解析されてしまう時代がくるのかもしれません。そうしたらそれをプロテクトするマシンや仮面が売れるようになるのかもしれませんね。顔を完全にゴーグルとマスクで隠して声も変えられるようになった未来のコミユニケーションとは一体どんなものなのでしょう。過去に人間が想像したことは、現実化していますが、結婚してから死ぬまで素顔を見たことがないというSF小説がありました。さて、今日のブログは過去最長となってしまったようです。皆さんは、今日の内容から何を考えましたか。答えは出ないと思いますが、頭の中で温めていてください。

さらば青春の時

 昨年の 10 月3日のブログにプロレスラーのアントニオ猪木さんが亡くなったことについて書きましたが、今日は、昨日訃報が報道された歌手の谷村新司さんのことについて書きたいと思います。谷村さんと言えば、今の高校生に認知されているのは24時間テレビの「サライ」でしょうね。私は、中学高校時代が、フォーク・ニューミュージック全盛時代であり、YMOなどテクノポップが流行った時代でもありました。谷村さんがリーダーを務めていたアリスがブレイクしたのが中3の時で、「チャンピオン」のヒットでたくさんの人に認知されるようになりました。アリスのデビューは1972年なので売れるまで時間がかかりました。私がギターを始めた高1の時に、アリスや松山千春、さだまさし、中島みゆきなどの曲をコピーしていましたので、思い出深いものがあります。多くの歌に勇気付けられたり、癒されたりしました。皆さんにもそんな歌があると思います。谷村さんの歌はキーが低いので歌いやすく、今でも山口百恵がJRのCMソングとして歌いヒットした「いい日旅立ち」はカラオケで歌うことがあります。アリスの曲はほとんど歌えますが、カラオケではなかなか歌う機会はありませんね。話がそれましたが、谷村さんは文化放送の「セイヤング」やニッポン放送の「オールナイトニッポン」など多くの番組でラジオのパーソナリティーもしていました。最近の若者でラジオを聴く人が増えているという話も聞きますが、私の中高校生時代は、深夜ラジオを聴きながら勉強している人が多かったんですよ。セイヤングの「天才・秀才・バカ」のコーナーは人気があり、本にもなりました。

 自分が若かったころに活躍していた人が年を取った姿を見たり、訃報を聞いたりすると、時代が終わったような寂しい感覚にとらわれます。あと4、50年後に皆さんも、こんな気持ちを味わうと思いますよ。ただ、アイドルが40、50歳になっても活躍している時代です。郷ひろみは明日68歳になります。アンチエイジングが進んで、アイドルの寿命もどんどん長くなっていくのでしょうね。日本だけでなく、海外でも年をとっても活躍しているミュージシャンはたくさんいます。好きなことができる幸せを忘れずにファンを喜ばせられるように頑張ってほしいです。谷村さんの御冥福をお祈りします。

秋の夜長に考える

 今日は世界食料デーで、国連食糧農業機関(FAO)が1981年に制定しました。10月5日のブログで書いた195の国際デーの一つです。FAOは開発途上国における飢餓や貧困について考え、世界の食料生産と分配の改善と生活向上を通して、これらを克服することを目的として1945年に設立されました。現在、世界では全ての人が食べられるだけの食料が生産されているにもかかわらず、9人に1人が十分に食べられていません。飽食が食品ロスを呼び、まだ食べられるのに廃棄される食品が日本では、523万トン出ています(農林水産省及び環境省「令和3年度推計」より)。 これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2021年で年間約440万トン)の1.2倍に相当します。食欲の秋ですが、ダイエットのために食欲と戦っている人もいると思います。それって実はぜいたくなことなんだって気付いていましたか。

少し話は変わりますが、「日本は、『生活に満足している』と答えた子どもの割合が最も低い国の一つ」だそうです。ユニセフ・イノチェンティ研究所が2020年9月に発表した報告書「レポートガード16『子どもたちに影響する世界:先進国の子どもたちの幸福度を形作るもは何か』」は、先進国の子どもたちの精神的・身体的な健康と、学力・社会的スキルについてランキングしています。日本の子どもの幸福度の総合順位は20位(38か国中)で、冒頭の指摘がなされています。身体的健康は1位でありながら、精神的幸福度は37位という最下位に近い成績でした。この結果を見て、皆さんはどんな原因があると考えるでしょうか。なぜ、身体的健康と精神的幸福度がこんなにも日本は乖離しているのか。私見ですが、「足るを知る」心が不十分で、自分の中での絶対評価ではなく、他人との相対評価による比較の度合いが高いからなのではないでしょうか。食べ物・飲み物・衣服が十分にある、そして娯楽もあふれている環境にもかかわらず、精神的幸福度が低い。「衣食足りて礼節を知る」という言葉のとおり、物質的な豊かさが満たされれば精神的豊かさが手に入るはずなのに、日本の子どもたちがぜいたくになってしまったのでしょうか。

 日本の高校生は仕事に対し「生活のため」というイメージをもっている割合が米国、中国、韓国に比べ突出して高いことが6月22日、国立青少年教育振興機構の調査でわかりました。一方、「楽しい」との割合は最も低かったのです。調査は2022年9月~2023年2月、4か国で各約1800~4800人を対象に実施されました。仕事が「生活のため」かどうか問う質問に「とてもそう思う」と回答したのは、米国16.3%、中国17.7%、韓国32.4%でしたが、日本は68.6%と目立って高い数値でした。「楽しい」と回答したのは米国34.5%、中国26%、韓国29%に対して、日本は18.8%と低い数値でした。「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」との質問に、日本は4か国中最多の49.9%がとてもそう思うと回答し、10年前の調査から約16ポイント増加しました。将来の職業などを座学したとする割合は、日本は8割を超えてトップでしたが、実際の職場見学や就業体験、ボランティア活動は7.4~16.8%と低く、他の3か国を大きく下回りました。

 今日は自分で書いていて暗くなってしまいましたので、明るい言葉で締めたいと思います。「授業は教師も楽しむ時間である。仕事は楽しくていいのだ。教師が楽しんでいる授業は生き生きとしている。」「楽しい仕事があるのではない。自分が仕事を楽しくすればいいのだ。」皆さんも、自分の幸福度について考えてみてください。