日誌
榎本校長のつぶやき
二つのニュースから
今日は予想外に雪が積もっていて1日寒かったので、虫も出てこられなかったでしょうね。さて、日経株価が4万円を超えたというのは庶民にとって実感がないものの、これからの景気回復に向けて明るいニュースでした。先日と今日、驚いたニュースが他に二つあったので、それらについて書きます。
アメリカの人気歌手テイラー・スウィフトさんが、アメリカ大統領選挙の候補者選びのヤマ場となる「スーパーチューズデー」にあわせて5日、自身のインスタグラムに「みんな、自分を最も代表すると思う人に投票することを忘れないでほしい。まだ投票していないのであれば今日投票することを計画しよう」などと投稿しました。特定の候補者の名前はあげなかったものの、若い世代への影響力が大きいことから言動に注目が集まっています。スウィフトさんのインスタグラムのフォロワーは2億8200万人余りで、前回の2020年の大統領選挙ではバイデン大統領への支持を表明し、その影響力に対してトランプ元大統領が警戒心を露わにしているといニュースでした。日本でも、影響力のある芸能人が「選挙に行こう」と呼びかければ、投票者が増えるのでしょうか。テイラーさんの場合、27万人がテイラーさんの呼びかけで投票したとされています。今、日本の政治は派閥と金銭問題で揺れていますが、政治に関心を持っている有名芸能人がYouTubeなどで語りかければ、若者の政治意識は向上するのでしょうか。ある政治家が、政治に無関心な若者について「悪いことではない。政治について考えなきゃ生きられない国のほうがよほど問題」と語り、総選挙を人間の定期健診に例え、「総選挙で投票するためには普段から政治に関心を持っていないと自身で判断ができない」「幅広い情報に触れておく必要がある」とまとめました。政治に関心をもたなくてもすむことは幸せなのかもしれませんが、やがては、いいように利用され、搾取されることになるかもしれません。「もっと国民の生活はよくなるはずなのに」と考えるようにするのは、大人の責任かと思います。皆さんは、政治は一部の意識が高い人に任せておけばいいと思いますか。少しばかり損しても、面倒くさいからいいやと思いますか。
もう一つの驚いたニュースは、小学生の金銭トラブルで同級生に総額百万円弱だまし取られた事件です。なぜ小学生が百万円も持っているんだという疑問は、親のタンス預金が原資だったことが判明し、それはそれですごいと思いましたが、金銭感覚のズレに呆れました。他にも子どもの金銭感覚がずれている例は、聞いていますが、日本は豊かすぎるのかと思ってしまいます。金銭教育をしっかりするという話がありましたが、お金と労働の関係、有難さについて、知識ではなく体験を通して理解させなければ本当にはわからないと思います。アルバイトの平均時給が1200円前後となり、北海道のニセコのホテルでは、時給1800円の職種も出てきている中で、昔はアルバイトの時給と言えば600~700円くらいだったなぁと思う私は、古い人間です。本校の生徒の中にも許可を得てアルバイトをしている人が少なからずいますが、自分で働いて得たお金は、安易な使い方はしないと思います。皆さんも進学してアルバイトするなら、楽して稼げるものではなく、大変なアルバイトも一度は経験してみてください。そして、世の中で働いている人たちの大変さを想像し、感謝の心をもってください。皆さんもやがて感謝される日がきます。
合格おめでとう!
今日は、10時からWeb上で県下一斉に令和6年度の高校入学者選抜の合格者が発表されました。合格された皆さん、おめでとうございます。入学式へ向けて、準備を進めてください。合格掲示板による各高校ごとの発表はなくなり、寂しい気もしますが、掲示板を見てうつむいて帰る中学生を見るのは辛いので、学校での合格者番号の掲示がなくなってよかったかなと思います。
今日は「啓蟄」です。大地が温まり、冬眠をしていた地中の虫が春の陽気に誘われて穴から出てくるとされる日ですが、今日は寒くて明日以降にしようと虫も思っているかもしれません。明日も天気は悪そうなので、皆さん気を付けて登校してくださいね。「啓蟄」の「啓」には「ひらく、開放する」の意味があり、「蟄」には「虫が土の中に隠れる、閉じこもる」の意味があります。「啓」を使った歴史で勉強する「啓蒙」は、「無知蒙昧な人に教育を施して良い方向へ導くこと」であり、上から目線の言葉ですね。「蒙昧」は、蒙も昧も、物事の道理に暗いことをいいます。「蟄」を使った 「蟄居」という言葉も歴史で出てきます。「家に閉じこもって外出しないこと」ですが、中世から近世(特に江戸時代)の武士または公家に対して科せられた刑罰のひとつで、閉門の上、自宅の一室に謹慎させることを言います。日本史上の有名どころでは、徳川斉昭・佐久間象山・渡辺崋山らがいます。
春になると、自宅の庭で蛙やトカゲ、みみず、モンシロチョウなどが見られるようになります。ただ、桜の木を食い荒らすクビアカツヤカミキリには登場しないでもらいたいです。本校の南の桜が、咲かなくなったら本当に寂しくなりますから。
合格発表前夜
明日は、いよいよ高校の入学者選抜の合格発表ですね。全県下で多くの受検生が、ドキドキして待っていることでしょう。明日は、新たなスタートに立つ日でもあります。そんな皆さんに、次の言葉を贈ります。
『やる気がなくなったのではない「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。「変われない」のではない。「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。』
上記の言葉は、心理学者のアドラーのものですが、何をするにも自分が前進するためには「やる気」、つまり主体性が必要です。ただ、その「やる気」も出て来るまで待っているのではなく、動き出すことで生み出すものです。ぜひ、春に向けて新たな気持ちで主体的に動き出してください。
うるう年と卒業式の涙と校歌
今年はうるう年で、今日は4年に一度の2月29日です。今日が誕生日の人は、「年齢計算ニ関スル法律」により、誕生日前日の終了時(午後12時)をもって加齢するため、平年・閏年を問わず、毎年2月28日午後12時に年をとります。誕生日に年を一つとると思っている人が多いと思いますが、実際には誕生日前日に年を取ります。ですから、学年で一番誕生日が早い人は4月1日ではなく2日になります。余談ですが、1288年、スコットランドのマーガレット女王が「未婚の女性はうるう年ごとに、好きな男性に対してプロポーズすることができる。男性がプロポーズを拒むには、罰金を払うか、絹のドレスを与えなければならない」という法律を制定しました!うるう年の一年間はプロポーズを拒めないとは、男性も大変です。その後、うるう日のみに改正されたそうですが。フランスにも同じような法律があり、15世紀のイタリアでも慣習になっていたそうです。それだけ男性優位の階級社会だったということでもあるようです。第二次世界大戦中まではその習慣が正式に行われていたそうです。さて、皆さんは、この話を信じましたか。私は「へぇ~」と思いつつ、本当か疑わしかったので調べてみると、スコットランドの国立公文書館が、2000年にこの件に関して調査をし、そういう事実はないと結論付けられました。ただ、こんな話がまことしやかに広まったことには何かしら意味があると思いますので、興味をもった人は調べてみてください。
もう2月も終わりで、本当に今年は月日が経つのが早く感じます。高校入試の前期後期が一本化されて例年とスケジュールが変わったこともあり、感慨に浸る間もなく慌ただしく卒業式前日を迎えてしまいました。昨年の2月28日のブログでは、卒業式予行と卒業式の意義について書きつつ、卒業式で泣くことについて書きました。「♪卒業式で泣かないと~冷たい人と言われそう~♪」と80年代アイドルの斉藤由貴の「卒業」の歌詞にあります。涙腺の強い弱いがありますので、泣かないから冷たいというわけではないと思いますが、退場時に男子生徒が泣いているのを見るともらい泣きしてしまいますね。それ以前に壇上に座っていると、目立つ動きはできないので泣かないように我慢しているのが辛いです。元々涙腺が弱いのに、年を取ってさらに弱くなったので困りものです。今日の予行では、校歌を少し練習してもらいましたが、効果はあったでしょうか。卒業生は、太東で歌う最後の校歌であり、在校生は卒業生と一緒に歌う最後の校歌です。大きな声で歌って、卒業生を送り出してくれると、ハンカチの出番になります。明日は、よろしくお願いします。
運送業の未来は?
今朝のニュースで「物流の2024年問題」に対する佐川急便の取組を見ました。2024年問題について簡単に説明すると、今年の4月から働き方改革関連法により、ドライバーの時間外労働時間の上限規制(960時間)が設けられることによって輸送能力が不足して輸送に支障が出る可能性があるという問題のことです。ドライバーの労働時間が減ることによって、人件費の高騰、運賃アップなどにより企業の売上減少と様々な影響が考えられます。そのため関連企業は、人材確保や業務効率化などの対策に取り組んでいます。2024年問題の発生によって最も大きな影響を受けるのは長時間労働になりやすい長距離トラックであり、宅配業界ではないようです。トラックの輸送量に占める宅配の割合は「1~2%」にすぎないということで驚きですね。我が家では、1か月に何個の荷物が届くのかというくらいアマゾンやメルカリなどで宅配を利用しています。特に配送料が無料なら、ガソリン代と時間を使って買いにいくよりも得なので、買うものが明確な場合は通販を選んでしまいます。店舗ではなかなか見つけられないものがネット上にはあるのも魅力です。そんな便利な宅配を利用している人は多いと思いますが、ヒト・モノを輸送する仕事は、滞れば経済が麻痺することになります。人間の血管が詰まるようなものです。ドローンによる輸送も将来は行われるようになるのでしょうが、大量の荷物を運べないのと空の交通整理の問題があるので根本的な輸送問題の解決にはならないでしょう。高校生の頃に読んだSF小説に、モニターを通して買ったものが瞬間移動装置で家に届くというのがありました。果たして未来に実現するのでしょうか。現在、人手不足に悩む業界は多く、アルバイトの時給も高騰しています。これから、どのような技術革新が起こり、業務の効率化が進み、働く人に優しい社会になるのでしょうか。皆さんの多くが、これから高校や大学でアルバイトを経験し、就職することになると思いますが、ブラックバイトやブラック企業にひっかからないように気を付けてください。
幸せを数えたら♬
今から10年前に「幸せ」について少し長い文章を書いたことがありました。なぜか、その時のデータが見つかりません。以前にブログでも何か書いた記憶があるのですが、思い出せません。なので、新しく短めに「幸せ」について書いてみます。私が高校時代に、ばんばひろふみさんの「SACHIKO」という曲がヒットしました。最初の歌詞が「幸せを数えたら、片手にさえ余る。不幸せ数えたら一晩でも足りない」です。「幸せ」についての言葉はたくさんありますが、本質は1つではと思います。「幸せになりたいと思ったら、今の幸せに気付くこと」です。「幸せを数えたら、あなたはすぐに幸せになれる」とショーペンハウアー(独哲学者)は言いました。不幸な人と幸せな人の違いは、同じもの(こと)に対する見方が違うだけなんです。幸せはなるものではなく、気付くものなんですね。そうは言われても、なかなかそんな心境にはなれないという人もいるでしょう。ただ、「生きてるだけで丸儲け」という明石家さんまさんの名言から実感することは「幸せは、その人の心が決める」ということです。「幸せ」については、死ぬ間際にわかるのかもしれませんが、生きている限り考え続けることになるのでしょうね。こうした答えのない問題を考えて、モヤモヤすることも生きていく上では大事ですよ。
日本語プライド
入学者選抜の1日目の学力検査が無事終了しました。受検生の皆さん、お疲れ様でした。今日は、ゆっくり頭と体を休めて、明日の面接に臨んでください。明日は今日よりも寒くなるようなので、防寒に気を付けてください。
今日はユネスコによって1999年に制定された国際母語デーです。言語と文化の多様性、多言語の使用、母語の尊重を推進することが目的だそうです。世界には非常にたくさんの言語があり、多くの民族と言語が存在する国もあります。15年以上にわたり、世界の言語に関する目録を発表している機関によれば、第1言語および第2言語の話者総数の順位は、1位英語(13億4800万人)、2位標準中国語(11億2000万人)、3位ヒンディー語(6億人)、4位スペイン語(5億4300万人)、5位標準アラビア語(2億7400万人)です。日本語は1億2600万人で世界13位です。(2021年配信)英語が最も多い理由は、イギリスの植民地になったところが多いためです。世界史で勉強しましたね。
世界中の人間が国を越えて意志疎通をするために、1887年に世界共通言語としてエスペラントという人工言語が作られました。国際補助語としてはもっとも世界的に認知され、エスペラントを話す人は世界中に100万人程度存在すると推定されており、普及の成果を収めた言語となっています。皆さんは、息をするように普通に母語の日本語を読み書きしていると思いますが、その母語について先日パキスタンの総選挙のニュースを見て驚きました。パキスタンには読み書きできない国民が4割いるので、投票用紙には候補者名とともにシンボルが並んで印刷されていて、有権者はシンボルの上にスタンプを押すだけでいい仕組みとなっています。識字率の低い隣国アフガニスタンでも、似た仕組みが採用されているそうです。母語の読み書きができないということが、どれくらい国の政治経済や文化の発展を阻害するのか想像に難くありません。言語は、単に意思疎通の手段だけでなく、その国や地域、民族の文化と密接に関係しています。ですから、エスペラントで試みられたものの、文化の違いからくる世界の言語の微妙なニュアンスをすべて表現できるような一つの言語を作るのは不可能だと思います。以前にも母語の大切さについて書きましたが、多くの言語を習得し(文化も同様に)国際人として活躍するとしても、その基盤となる母語は家の土台と一緒で、非常に大事です。皆さんには、美しい日本語を身に付けて日本の文化を大切にしてほしいと思います。それと同時に他国の言語や文化を尊重してくれることを願います。
春近し!でも三寒四温に注意!
今日は21日、22日の高校入試の準備のため、生徒は午前中で完全放課となり部活動ができません。そのため、7時ころから朝練している部活動もいくつかありました。今日は、本当に暑いくらい温かくなりましたので、午後に部活動をやりたかった生徒も多いことでしょう。私も体を動かしたくなりました。「三寒四温」という言葉があります。本来は冬に使われる言葉ですが、日本では寒暖の変化がはっきりと現れる2月の終わりころから3月初めの春先に用いられるようになりました。だんだんと暖かくなり春が近いという意味で使われます。温暖化が進んでいるために、さらに早くから用いられるようになるかもしれません。明日から、また寒くなるということで、受検生の皆さんは寒さ対策をしっかりして万全の体調で2日間の試験を乗り切ってください。応援しています。
頑張れ!受検生!
今週は、高校受検ウィークです。各高校で準備に大忙しで、ミスが許されない入試業務で気疲れする日々が続きます。在校生は自宅学習日が多くなって嬉しいのでしょうけどね。1年次生は、昨年の自分たちのことを思い出していることでしょう。受検生の皆さんは、ここまできたら最高の体調(頭調)で受検できるようにすることを第一に考えて過ごしてください。
さて、スタジオジブリの『君たちはどう生きるか』は、日本ではそれほどヒットしなかったものの、海外でヒットしたようですね。キャリア教育の教材になりそうなタイトル名ですが、皆さんは新書や漫画本で読みましたか。皆さんは、高校入学後に、将来どんな仕事をしたいのか、そのためにはどんな進路にすすむべきなのかについて悩んでいると思います。中高校生は生きてきた中で得た経験や知識はまだわずかであり、3万以上あると言われている職業で知っているものなんてほんのわずかです。働く経験はアルバイトやインターンシップくらいで、社会で本当に働いたことがないのだから、仕事はわからなくて当たり前です。だから、やりたいことや夢が見つからない、将来何をしたらいいのかわからないのも当たり前です。多くの中高生が、「やりたいことがわからないから、勉強する意味がわからない。だから勉強する気にならない。今勉強していることが人生で役に立つのか?」などと思っています。「勉強するから、何をしたいか分かる。勉強しないから、何をしたいか分からない。」とビートたけしさんが言っていますが、わからないからこそ勉強するべきなんです。やりたいことが決まっている人は、いいんです。やりたいことを実現するために必要な情報を収集して思考して判断すればいいのですから。やりたいことが何かわからない人は、何の選択肢ももっていないか、選択肢が多すぎて思考停止に陥っているかのどちらかです。とにかく勉強して選択するための知識・技能という材料を増やさなければなりません。私は高校1年の時に、小説家の城山三郎さんの『素直な戦士たち』をNHKの連続ドラマで見て、小説も読みました。小学生から東大受験を目指す家庭の物語です。主人公の母親は、親の愛情として子どもが自由に育って社会に出るときにどんな職業でも選べるようにしてやりたいと考えました。その象徴的な言葉が「大蔵省にも入れるし、ルンペン(ここでは乞食の意味)にもなれる」でした。この家庭は悲劇的結末を迎えますが、興味をもった人は読んでみてください。高校入試でも大学入試でも、勉強する意味をわかってしているかどうかが、勉強の効果と効率という意味で大変重要だと思います。先人の本を読み、対話して、色々と深く考えてみてください。
もうすぐ春ですね♪
気象庁から昨日2月15日に北陸、関東、四国の順に「春一番」が吹いたことが発表されました。例年より14日早いそうです。年々春の訪れが早まり、桜と言えば入学式の頃のイメージが今や卒業式のイメージになりそうです。小中学校の卒業式は3月の中下旬で、高校は、ほとんどが3月1日なので、小中学校では卒業式に桜が咲いていることも多くなりました。今年は、入学式の4月9日まで桜は待ってくれるでしょうか。
さて、「春一番」を知らない人は、いないと思いますが、何を指して「春一番」というのか定義まで知っている人はそう多くはないと思います。私も知りませんでした。「春一番」とは群馬の「空っ風」と逆で、春先の日本海周辺の低気圧に太平洋側の高気圧から吹き込む南風のことです。関東地方ではその条件として、①立春から春分までの間に、②日本海に低気圧があり、③最大風速がおおむね風力5(風速8m/s)以上の南よりの風が吹いて、昇温した場合。となっています。なお、北海道、東北、甲信、沖縄地方では春一番の発表は行われていないそうです。
昭和のアイドル、キャンディーズのヒット曲に「春一番」がありますが、「♪雪が溶けて川になって流れていきます つくしの子がはずかしげに顔を出します もうすぐ春ですね♪」のフレーズが明るく、春が来るウキウキ感を出していました。(雪が「溶ける」は「融ける」の間違いではと思いましたが・・・) 春は「別れ」と「出会い」の季節ですので、歌も明るい曲としんみりする曲に2分されます。卒業の別れを明るく歌った曲だと、AKB48の「10年桜」と「Give me five!」が思い出されます。3年次生の皆さん、最後は笑顔でハイタッチして卒業してください。
今でしょ!
学年末考査も2日目が終わりました。「バッチリ」ですか、それとも「トホホ」でしょうか。まだ2日ありますので、頑張ってくださいね。さて、2月9日発行の「内外教育」という教育小冊子の巻末の記事に次のようなものがありましたので、読んでみてください。自分に当てはまると思いますか。
『大学生の学びは、大学に入ってからでは遅すぎるという見方もある。高校時代に勉強しなかった学生は大学でも勉強しない。読書や部活動や交友に関しても、高校時代の生活と大学生活は関連している(「モノグラフ高校生」vol.7、ベネッセ1982年)。大学生の「資質・能力」は高校時代までに形成されたものがそのまま継続されることが、大規模な時系列調査で明らかにされている(溝上慎一編著「高校・大学・社会 学びと成長のリアル」学事出版、2023年)』
私が以前に読んだ記事に似たようなものがあったなと思い、記録しておいたものを検索すると次のようなものがありました。
『「大学生白書2018」の「10年トランジション調査」によれば、「他者理解力」「計画実行力」「コミュニケーション・リーダーシップ力」「社会文化探究心」などの資質・能力は高校2年におけるレベルが大学1年次にも強く影響を及ぼしていることが明らかにされている。「この結果は、高校2年生の秋には、ある程度資質・能力は仕上がっていると言わざるを得ず、大学に入学してきた学生の資質・能力を、大学教育でゼロベースで育てることが難しいことを示唆している。』
いかがですか。下線部分には、ドキっとさせられますね。もちろん、全ての人に当てはまるわけではなく、そういう傾向が強いということですが、やはり高校生のうちに学習習慣や自分なりの学習方法、そして色々なことに取り組む態度というのは、確立しておくのがよいのではないでしょうか。「まだ、本気出してないだけ」と言う言い訳がありますが、イソップの寓話に「ここがロドスだ、ここで跳べ」というのもあります。ここで、できない人間が他の場所や明日できるのかということですね。大学生でも社会人でも、必要な基礎力は変わりませんので、高校生のうちに身に付けておいたほうがよい力は、できるだけ身に付けられるように努力しましょう。
テスト最終考
今日から、令和5年度最後の定期考査が始まりました。コロナやインフルエンザで休んでいた人が先週は多かったですが、学年末考査1日目の今日は欠席者がかなり少なくなりよかったです。3年次生が今日から家庭学習に入ったので、今朝から登校する生徒数が減り、校内も寂しくなりました。1、2年次生は、全力で4日間の考査を乗り切って、4月からの新年次によいスタートができるように願っています。
さて、定期考査の度にテスト関連のことを書いてきましたが、流石にネタが尽きてきました。人生で、果たしてテストはどれくらい受けるのだろうかと考えてみると、「入園」「入塾」「入学」「入部」「入社」「入団」「採用」など、人生の節目で受けるテストはもちろん、普段の生活の中でも小テストや定期考査、模擬試験など、本当にたくさんのテストを受けています。芸能関係のオーディションやミスコンなどのコンテスト等もそうですが、全てのテストは評価されるということを意味します。そして、資格試験のように一定の評価規準を満たせばよいものと、競争試験のように受験者の中から合格者を選ぶために絶対的合格規準がないものもあります。ですから、競争試験には「運」が必要になります。この「運」も、普段の地道な努力の積み重ねが引き寄せると自分に言い聞かせていないと、不合格が続けば心が折れることもあるかと思います。普段の心掛けと言ってしまっては身もふたもないのかもしれませんが、次の言葉を読んでください。
『一流は、通りすがりの人の何気ない一言からも学ぶ。二流はテストに出るところだけを教わる。何かをして効果効能があることだけを聞くのです。人間はたった一言の言葉でも人生が変わります。その一言は、「これから大切なことを言うぞ」という時の言葉ではありません。』
ある医学部の生化学の教授の話です。学生から「授業では必要最低限の知識だけ教えてほしい」と言われたそうです。効率よく勉強し、最低限の努力だけで国家試験に合格したいのだろうとのことです。 しかし、現実には必要最低限の知識だけでは、患者に臨機応変に対応することはできません。医者の専門化と診療科の細分化が進み、総合医が減ることで色々な問題が生じてくるようです。
皆さんは、テスト前に先生に「どこが出るんですか?」と質問したことはありますか。学習が深まると、自分でどこが重要かがわかるようになるものです。そうなって初めて自分の身になる勉強になります。テストに出るところを聞いて乗り切っても、すぐに忘れてしまうでしょう。自分の血肉にならずに、そのまま排泄されてしまうようなものです。「まず、テストに受からなきゃ・・・」という現実もあるかもしれませんが、本当に身に付けたいことは「急がば回れ」の精神でやることが大事ではないでしょうか。テストをどう捉えるかで、日頃の取組も変わってくることでしょう。
LonelinessよりSolitude
先日読んだ小冊子の特集が、『「ひとりを楽しむ 「孤独」を味わう』でした。最近、有名人の著書や言葉などの影響も大きいのかもしれませんが、「孤独」や「ぼっち」を肯定的に捉える風潮が感じられるようになってきました。「ソロキャンプ」に代表されるような「ソロ〇〇」の増加も、そうした傾向によるものでしょう。少年~青年期は、「孤独」に対する感受性が強い時期とも言えますが、「友だち」に対する考え方はそれと表裏一体になっているように思えます。人間の悩みの第一は「対人関係の悩み」らしいですが、けやき坂46のヒット曲の「アンビバレント」には、孤独でいたいけれど孤独じゃいられないという相反する気持ちをもつことによる葛藤が歌われています。人間関係に疲れるけれど一人は寂しいというような内容の小説や歌は、今までにもたくさんありました。皆さんも人間関係に悩んだら、同じことを考えた人たちが出した本がたくさん書店や図書館にありますので、読んでみてください。私が大学生の頃、孤独に関する言葉でそのとおりだと思ったのが、『孤独は山になく、街にある。 一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある。』でした。今日は「孤独」に関する言葉をいくつか紹介しますので、「孤独」について考えてみてください。また、似た言葉である「孤高」については、今回触れませんでしたが、調べて違いを考えてみてください。
〇孤独は悪いことでもみじめなことでもなく、むしろ人間を強く、豊かにしてくれるものなんだと気付きました。田村セツ子(イラストレーター85歳)
〇孤独って人生で唯一失わないものなのかも。孤独があるから大切な人や時間が輝いてみえるんだ。
〇「生まれてきた時も一人なら、死ぬ時も一人である。ならば人と共に生きていても結局は一人なのだ。共に生きた人とだって死を共有することはできないのだから」(一遍上人語録)
〇人は孤独を嫌いますが、孤独でなければ感動は得られません。孤独であるという一種の絶望に立って初めて、他者を愛し共存していく感動を味わい、希望を見出していくわけです。絶望こそ感動につながる最大のチャンスなんです。盲目の画家エムナマエ
〇老人になると、孤独感の先には多幸感が待っている。筒井康隆
老人ホームでいつもひっそりと一人でいる老婦人に退屈ではないかと訊ねたら、こんな返事が返ってきた。「これまでの愉しかったことを順に思い出しているだけでもう愉しくて愉しくて、時間が足りないくらいよ」
〇孤独を知るということが自立ということであり、孤独の中でしか自分が自分であることの確認はできないものだということは確認しておいてほしい。永田和宏
※タイトルの意味は、「消極的孤独より積極的孤独」です。
わかりやすさの評価
校長として式典や学校行事などで話をするときは、なるべく聞いている人がわかりやすい話をするように心がけてきました。普通は話す相手を見て、言葉を選んで話すと思います。ですから、テレビ番組やCMでやたら横文字の言葉が多いと、日本語に訳し辛い言葉は別として、どれくらいの人が意味がわかるのだろうと思ってしまいます。先日、神戸のお寺で副住職を務めている方の文を読んで考えるところがありました。以下のような内容でした。
『話をする時に、「相手に伝わらなければ意味がない」と考えていましたが、そこにこだわると、どうしても「わかりやすさ」に偏っていきます。タモリの「テレビを過度にわかりやすくしようするのは、テレビを見ている人をバカにしているのではないか。子どもからお年寄りまでわかるような番組をやろうと思ったことは一度もないです。わからないところはわからないでいい。見ている側に立って何かをやったりすることは、ほとんどないのかもしれない。自分が面白いと思うことをやっている」という言葉は衝撃的でした。(中略)仏教の法話では、言葉で言い表せないことを、必死に言葉で伝えようとする矛盾をはらんでいます。言葉は不思議です。「わかりやすさ」よりも「分かり難さ」が印象に残ることもあります。そして「わからないこと」が人生を豊かにしてくれることもあると思うのです。』
私は、わからないことが出てくるとすぐに調べます。そこで悩み、深く考えることもあります。世の中はわからないことだらけですから、勉強したくなるのです。子どもの頃にわからなかったことが大人になってわかることも少なくありません。知的好奇心をもち、主体的に勉強し続けることが人生を豊かにしてくれると思います。皆さんはどう思いますか?
IQ、EQ、AQって?
数年前から、GRIT(困難に直面してもやり抜く力)とかレジリエンス(逆境から回復する力)について書かれたビジネス書が売れています。皆さんは、今までに困難や逆境と呼ばれる状況に直面した時にどうやって乗り越えてきましたか。面接でよく聞かれる質問ですね。人生で出会う困難について述べた言葉はたくさんあります。「艱難汝を玉にす」(多くの困難を乗り越えてこそ立派な人間になるという意味)という言葉がある一方で、「三十六計逃げるに如かず」「逃げるが勝ち」という言葉があります。『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマが少し前にヒットしましたが、今、自分が置かれている状況にしがみつく必要がなければ、さっさと自分の得意なことが活かせる場所に行こうという意味のハンガリーのことわざだそうです。超えるべき目標が高いことをハードルが高いと言いますが、「ハードルが高ければ下をくぐれば簡単だ」と言った人もいました。渋沢栄一は、「逆境に立たされる人は、ぜひともその生じたる原因を探り、それが『人の作った逆境』なのか、それとも『人にはどうしようもない逆境』なのかを区別すべきである」と言っています。対処しがたい逆境にあっても「これが今の自分に与えられた役割だ」と腹を決めれば自ずと心穏やかに、しかし本気で頑張ることができるというのが渋沢さんの考え方でした。逆境を、むしろ面白がる、楽しむという考え方もあります。作家の吉川英治さんは「登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生のおもしろさはその山頂にはなく、かえって逆境の山の中腹にある」と言っています。「世の中は、思い通りにいけばラッキーだ」くらいに達観していれば、戦争や自然災害や病気のような自分ではコントロールできないよほどのことがない限り、困難も逆境もないと考えられます。そうすれば目の前の仕事に必要以上に気負わずに心穏やかに取り組むことができるはずです。「しゃーないなー(仕方ないな)」という言葉を、私は時々使いますが、これは諦める意味の言葉ではなく、「やるしかないか、頑張ろう」という言葉が後に続く言葉です。「大丈夫!なんとかなる!」という話を以前にしましたが、たかが逆境と捉えて前向きに取り組むことで、うまくいくことも増えるのではと考えます。
人の能力を測る指標には色々なものがあります。その一つとしてIQ(知能指数)はよく知られていますね。基準値が100で、130以上が非常に高い知能とされています。かつてはIQさえ高ければ「頭がいい」と判断されてきましたが、人間のすべての能力を測れるほど万能なテストではありません。他にEQ(心の知能指数)やAQ(達成指数」や「成就指数」もしくは「逆境指数」)などが開発されました。EQが重視するのは対人関係能力です。EQを伸ばしていけば、自分の感情と上手く付き合うことで前向きな行動ができたり、相手の状況をくみ取って配慮することができたりするとされています。AQ(達成指数」や「成就指数」)は、IQの研究が進むにつれ、IQが学習状況や住まいの環境によって変動する事が分かってきたため、「その子の現段階の知能に対して、学校教育はどれくらいの到達度にあるのか?」を測るために考えられました。そして、もう一つのAQ(「逆境指数」)ですが、これは逆境に対する反応を表す指数です。低ければ逃避し、高ければ解決したり、成長の糧にしたりする傾向があるということです。IQやEQに次ぐ新たなビジネス成功のための指標として、注目されるようになってきました。学校において「非認知能力」の育成が目指されるようになってきたのも、よく生きていくためには学力だけでなく、むしろその他の能力が重要なのではないかと考えられるようになってきたからです。幼稚園や小学校の頃から、遊びや学習を通して対人関係を学ぶということは行われてきていますが、いつまでたっても対人関係の悩みが減らないのはなぜでしょうか?
雪やこんこ♪とは?
昨日は、久しぶりのまとまった雪となりました。多くの学校で下校が早まり、今日も1~2時間遅れというところがほとんどのようです。今朝は、湿雪で滑りやすい雪でしたが、道路にはあまり雪がなく心配していたより影響は少ないようです。小学生は、昨日の午後は校庭で喜んで遊んでいたようですが、寒い中一緒に遊んでくれていた先生方、お疲れ様です。今日は朝会の後、生徒の動線上の雪かきでは先生方に大変お世話になりました。御蔭様で自転車通学の生徒も安全に構内を走れると思います。ありがとうございました。
ところで、生徒の皆さんの中で、雪道で自転車運転中に滑って怖い思いをした人はいるでしょうか。私は車で2回スピンしたことがあり、その時は風景がスローモーションになって流れました。2回とも20代前半の教員になる前でした。早朝スキーに行く高速道路上でのことで、他に車がいなかったので事故にはなりませんでしたが、初スピンでしたので今でもよく覚えています。雪道では滑り始めると制御がききませんので、滑ったら運を天にまかせるしかありません。高速道路上のサービスエリアの駐車場で滑った時は、フィギュアスケーターのように何回転も回り、遊園地のコーヒーカップのようでした。これから何年か後に車の免許を取る人も多いと思いますが、雪道の運転は気を付けてください。私が子どもの頃は、節分の時期である2月の上旬は、雪が降ることが多かったですが、最近は温暖化の影響で雪が降るのが珍しくなりました。せっかくスタッドレスタイヤに履き替えても一度も雪道を走ることなくシーズンを終えることが普通になりました。今後は1年中オールシーズンタイヤでいいかもしれません。
西高東低の冬型の気圧配置だと、日本海側は雪で太平洋側は晴れということが多くなります。雪景色が非日常で「きれい」と感じる我々と違って、雪国の人にとっては、「雪は白い悪魔」というのが近い感情らしいです。私もスキー場で車にどんどん降り積もる雪や前が見えないくらい真っ白の風景に怖いと感じたことがありますが、家が雪の重みでつぶれたり、屋根からの落雪で窒息死したり、雪下ろしで屋根から落ちたりと雪国ならではの苦労と怖さがあるようです。日本は、地域差がありますが台風や地震による災害が多く、特に今後は地震への備えが急務になってきます。関東平野は比較的災害が少ないので、危機感をもっている人は多くないように思えます。「備えあれば憂いなし」と言いますが、防災グッズや非常食等は準備してありますか?
評価って難しい!
今日は今年度2回目の学校評議員会があり、5人の評議員の方から学校評価結果に対して助言をいただきました。学校評価は、学校の課題を改善し、学校をよりよくするために始まった事業ですが、課題から目標を設定し、目標を達成するために具体的に何をするかを考え、実行し、達成度をできるだけ数値で検証します。総合評価が低い項目と内部評価と外部評価が異なっている項目が更なる課題となります。以前にも少し評価について書いたことがありますが、再度評価について書いてみたいと思います。
評価は本当に難しいです。真に公平公正な評価をしようとするなら、誰が評価してもぶれないようにできるだけ具体的な評価規準を作らなければなりません。イギリスの名門校の生徒心得には「ジェントルマンたれ」のみ記され、目標は「卒業までに教師の評価と自己評価が一致するようになること」だそうです。自己評価を何度も行い、内省的な力が高まれば、自分を客観視できるようになります。教師の評価と生徒の自己評価に差異がある時は、生徒にとっては自分を見つめ直すチャンスに、教師にとっては指導方法や評価手法を振り返るチャンスとなります。自分を主体的に伸ばすためには、自分を正しく評価する力が必要です。ただ、評価については様々な考え方がありますので、以下の文を読んで皆さん一人ひとりが考えてみてください。
〇特定の誰かに認められたいという発想はやめるべきです。他人の評価を気にするのは、受け身で主体性のないことの表れ。他者に認めてもらうのではなく、自分が自分を認めればいいのです。
〇「他者からの評価なんて気にしなくていい」「無理に好かれなくてもいい」という言葉からは、頑張れない人に誤解が生じてしまう可能性があります。
〇実は、この社会は”他者からの評価が全て”なはずです。集団で生活している以上、他者との関わりは避けられません。人からよく思われないとますます生きにくくなってしまうのです。
〇自己評価をあげるには、他者から評価されることが絶対に必要です。達成感も自信も、成し遂げたことへの周囲からの承認があって初めて成り立ちます。成し遂げたこと自体からではありせん。
次の言葉から、新しい企画ができそうです。
「評価する者が最も学ぶ。他校の学校評価も教員が行うとよい。教える者が最も学ぶ。自校のよさを他校に教えることで自校のよさを深く学ぶことができる。」 評価は、対象をよく調べ勉強し、観察していないとできません。近隣の学校の先生が相互に評議員となってお互いの学校をよく知って評価し合えたら、面白いと思います。同様に各高校の生徒代表が、ビブリオバトルのように自校のよさをプレゼンして他校の生徒にジャッジしてもらうというのはどうでしょう。異なる視点から各校を知ることができ、お互いに高め合えるのではないでしょうか。
SNSは寸鉄だ
昨日のブログで「笑顔」について書いたばかりなのに、今日書く内容は悲しく、あまり気が進みません。それでも書かなくてはと思いました。
昨日から、漫画「セクシー田中さん」の作者である芦原妃名子さんが自殺した件について、多くの報道がなされています。今後、後追い記事が出て来てYouTubeでも取り上げられると思いますので、ここで詳細について書くことは控えます。「のだめカンタービレ」の作者の二ノ宮知子さんが自身のX(旧Twitter)で、「辛い…。辛すぎる。」、「自分の作品を一番大事に思っているのは自分なんだと号泣した日の事を思い出して、また涙が止まらない」と発信しました。同じように漫画が実写ドラマ化され、アニメ化された身として芦原さんの気持ちが痛いほどわかるのだと思います。私はこのニュースに接して、フジテレビの番組「テラスハウス」に出演していてSNSでの誹謗中傷が原因で自殺した女子プロレスラー木村花さんが思い出されました。(今回の件はSNS以前の問題でもありますが。)SNSでの言葉のやりとりが原因で、傷ついている人がどれくらいいるのか、自殺にまで追い込まれてしまった人がどれくらいいるかは不明ですが、明らかに通信技術の発達によって生じた負の部分です。
「寸鉄人を殺す(刺す)」ということわざがあります。意味は、短い刃物で人を刺し殺すことから、短く鋭い言葉で人の急所をつくことです。このことわざは、言葉の力が実際の武器と同じくらいの影響を持つことを示しています。そして、言葉の選び方や話し方がどれほど人の感情や心に大きな影響を与えるのかを警告してくれています。似た言葉でいい意味に使うものに「ペンは剣よりも強し」がありますね。このような御時世ですので、学校では小学校から高校まで、情報モラルに関する学習を毎年しています。しかし、SNSを巡るトラブルは一向になくなりません。そのすべての原因は匿名性と発信の簡単さにあると思います。匿名のものは責任をもって発信していないということで信用しないということが当たり前になればいいのですが、「デジタルタトゥー」という言葉があるとおり一旦世界中に広まってしまったものを消すのは至難の業であり、発信された側としては、対応しないわけにはいきません。ネット上の問題は、法整備が追い付いていないのが現状ですが、早く泣き寝入りする人がいなくなるようにしてほしいです。今のところ、トラブルを避けるためには発信する前に1日待つ。そして、第三者に読んだり見てもらったりすることです。生徒の皆さんも、今後SNSでのトラブルの被害者にも加害者にもならないために十分気を付けましょう。
笑顔のパワー!パワー!パワー!
今日は、思うところがあって「笑顔」について書くことにしました。令和4年の6月10日に「笑顔の力」というタイトルで書いていますが、再度書きたいと思います。「叶う」「吐く」については、3回話をしましたのが、記憶してほしいことは何度も繰り返すことが大事と言ったとおり、「笑顔」について繰り返したいと思います。
まずは有名人の言葉から。〇単なる笑顔であっても想像できないほどの可能性があるのよ。(マザーテレサ) 〇「笑顔は1ドルの元手もいらないが、1000万ドルの価値を生み出す」(カーネギー) 〇笑顔は万言に勝るインターナショナル・サインである (中村天風) 〇「いいことが起きたから笑顔になるのではなく、笑顔だからいいことが起きる」中井俊已(教育評論家) 〇 「笑」という漢字は、万葉集や古事記の時代には「花が咲く」という意味で使用されていた。だから、笑顔は、その人の心の花が顔に咲いたということ。
笑顔の効用について。〇楽しい感情には、問題解決を容易にしたり、記憶力を高めたり、集中力を高めたりする効果があることが報告されています。笑顔をつくると楽しくなるという逆効果が、私たちの脳にはある。失敗したときは笑いましょう。失敗したときも笑顔でいると、脳がその失敗はなかったように把握するのです。〇怒り顔の人と笑顔の人の写真を用意して、その顔を覚えてもらい、後日同じ人たちの無表情の写真で「この顔を覚えているか」と確認する実験がありました。その結果、実際に覚えているのは、圧倒的に笑顔だった人の顔でした(「笑顔優位性効果」)笑顔でいる人のほうが記憶に残りやすい。〇表情は感情の出力だが、実は入力にもなる。人はうれしいから笑顔になるわけだけど、つられて笑顔になった時には「うれしい時の神経信号」が誘発され、笑顔の時と同じ気持ちになれる。つまり、周囲を笑顔にする人は、自分の表情を周囲に伝染させ、結果、周囲の脳に「やる気と好奇心」を喚起しているのである。当然、その人のチームはいい結果を出す。〇仏教用語の「和顔愛語」(わげんあいご)は、「和やかな笑顔」と「思いやりのある言葉遣い」で人に接することで、人間関係をスムーズにするための知恵です。仏教には、他にも顔施(がんせ)というものがあります。にこやかな表情で人に接するということで、和顔施(わがんせ・わげんせ)ともいいます。〇実に単純な世渡り法は、「笑顔」と「挨拶」と「返事」です。
いかがでしたか。笑顔の効用の最初の三つは、以前に紹介したものです。社会に出ると、本当に「笑顔」と「挨拶」と「返事」が評価されることを実感すると思います。「笑顔」と「挨拶」と「返事」ができる人は印象に残るので、よく覚えてもらえます。体調が悪い時や精神的に落ち込んでいる時に笑顔を作るのは、難しいかもしれませんが、意識的に笑顔を作ることで回復が早まると思います。(となりのトトロのサツキちゃんとメイちゃんがお父さんと一緒にお風呂に入っている時の笑いのように) 病院にこそ笑顔が必要であり、疲れていても笑顔で接してくれる看護師さんに助けられている患者さんも多いでしょう。落語会を開催している病院もあります。マスクをしていると笑顔が見られません。皆さんもコロナやインフルエンザ感染に注意しながらも、マスクを外せる時は外して笑顔を見せてください。
主体的に余白を作ろう!
「キャリアガイダンス」というリクルートの進路指導・キャリア教育専門誌がありますが、その449号の特集が「余白を生む未来」でした。片づけコンサルタントとして有名な近藤麻理恵さんのオープニングメッセージに次のような言葉がありました。
「いつか時間の余裕ができたら、自分にとって大切なことに時間を割こう」と思っていても、永遠にその時間はやってきません。今の自分を見つめなおし、自分にとって本当に大切なものとそうでないものを分けて、いらないものを手放す。手放して初めて、そこに自由に使える余白ができます。余白とは、人生を主体的に選択すること、すなわち「片付け」から生まれるものなのです。
彼女は、残したいものを選ぶ基準に「手に取った時にときめくか」と表現し、片づけ本が世界的ベストセラーとなりました。2015年には、『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出されました。「断捨離」が流行語に選ばれたのが2010年、ミニマリストは2015年ですが、いかに現代人が物に囲まれ整理ができていないかがわかります。令和4年6月24日のブログで、整理整頓について書きました。時間や空間に余白を生み出す。頭の中にも余白を生み出す。「余白の美」についても以前に書きましたが、書道や水墨画などで、何も書かれていない場所に何が見えるか。その意味が捉えられるか。アウトプットとインプットについて、インプットばかりしていると頭の中が整理できずにごちゃごちゃでいっぱいになってきます。新しく必要なことをインプットしていくためには、情報を整理してまとめてアウトプットし、余白を作る必要があります。パソコンのハードディスクをデフラグして整理して空きスペースを作るようなものですね。「時間がないと言って、好きなことを後回しにする人は、本当はそのことが好きではないのだ」ということを以前に書きましたが、余白を主体的に作るのは自分自身です。余白ができれば、余裕が生まれます。「人には余裕というものがなくては、とても大事はできないよ」という勝海舟の言葉を以前に紹介しましたが、皆さんも主体性を身に付けることで余白を生み出し、社会に出て大事ができるようになってください。
1、2、3で自立!?
今日1月23日は、「ワン(1)ツー(2)スリー(3)」と読む語呂合わせから、そのまま「ワンツースリーの日」だそうです。人生に対してジャンプする気持ちを持とうとする日だそうです。昔、女性3人組のキャンディーズというアイドルがいました。人気絶頂の時に「私たち9月に解散します。普通の女の子に戻りたいんです!」と有名な引退宣言をしました。彼女らのシングル曲として最後にレコーディングされた曲が「微笑がえし」で、オリコンでは最初で最後の1位を獲得しました。その中には今までのヒット曲のタイトルがちりばめられ、サビでは「ワンツースリー」「イチニサン」「アンドゥトロワ」の掛け声が入っていました。最後は「それぞれの道 私たち 歩いて行くんですね」で終わっています。そんなわけで、少し強引ですが今日は「自立」について書いてみたいと思います。
皆さんは「自立」ってどんな状態だと考えますか。誰かに頼らず一人で生きていけることですか?自由を手に入れるためには自立することが必要ですか?自立について、脳性まひがありながら医師として活躍する日本の研究者の熊谷晋一郎さんは、次のように言っています。「自立するとは、頼れる人を増やすことです。これは障害の有無に関わらず、すべての人に通ずる普遍的なことだと私は思います」つまり、自立とは、「一人ですべてをできるようになることではなく、自分で生活をするために、社会の中でコミュニケーションをとり、自分に必要なものや助けがあればそれを他者から受け取って、それを使って生きていくこと」ですね。完全な人間などいませんし、誰でも年を取れば不自由なところが出てきます。不自由になってしまった身体能力を補完するために器具や他人の力を借りることは、弱さでも依存でもなく、心の自立を守るために必要不可欠なことです。「生活的自立」「経済的自立」「精神的自立」が三大自立と言われますが、人間としての尊厳を守るために「精神的自立」が大切なのです。
教師は教えるのが仕事ですが、教える側の強制によって学ぶ側の自立、自主性をどう育てていくかという矛盾に悩みながら生徒に接しています。子育てでは「初めは時間がかかるけれど、その時間がかかるときにこそ、子どもは育っているのだ」と、忍耐力が求められます。「ある期間を過ぎて、次第に子どもの自立が見られるようになると、そこからの展開は速い。この境地を体験できないと、いつまでも子どもは世話をしなければならないものだと思い続けることになる」ということです。何事もすぐにできるようになるなら先生などいらないのであって、子どもを自立に導くには、親と先生には忍耐強さが必要です。「教師の仕事は、生徒が教師を必要としないようにすること」「教師の仕事で一番大事なのは、生徒の意欲に火をつけること」という言葉を胸に、今後も生徒の主体性を育てていけるように努めてまいりたいと思います。
空気は空ではない
今日、1月19日は、「い(1)い(1)く(9)うき」と読む語呂合わせから「いい空気の日」だそうで、一般社団法人・日本電機工業会(JEMA)が平成18年に制定しました。空気清浄機の認知度向上と正しい使い方を広めることが目的だそうです。日本は外国に比べて空気と水がきれいなことが知られていますので、ひと昔前の日本なら、そんなに売れるとは考えられなかった機械です。豊かになった証拠ですが、花粉症が国民病とも言えるくらい広まったことや子どものアレルギー疾患の増加も売れるようになった原因でしょう。私の家のリビングでも10年以上前から加湿器付の空気清浄機が活躍しており、先日買い換えたばかりです。家の中の空気がそれほど汚いとは思いませんが、加湿も兼ねていて、ないと落ち着かないようになってしまいました。
空気清浄機の歴史は19世紀はじめの産業革命当時のイギリスから始まったとされています。石炭を燃やすことによって出る煤煙の除去を目的として作られたと伝えられています。それまで、空気は換気によってきれいにするようにしていましたが、すべての場所が汚染されはじめたため、能動的に空中の汚染物質を取り除く必要に迫られたということです。日本で初の家庭用空気清浄機(フィルターを備えたもの)は1962年ごろ松下電器産業(現在のパナソニック)によって発売されました。私が生まれる前に発売されていたとは驚きでした。1960年代は、「所得倍増計画」が発表された高度経済成長期の真っ只中です。この後、日本では公害が社会問題となり、大気汚染による四日市ぜんそくなど公害病に苦しめられる人が増えました。イギリスでは、ロンドンスモッグ事件の前夜ともいえる時期に空気清浄機が出てきましたが、日本でも同様の原因で出てきたことになります。
さて、空気は(正確には酸素ですが)人間が生きていくにあたって、太陽光と同じく重要なものです。水はその次に重要です。重要だからこそ、「空気を読む」という言葉があるのでしょう。ただ、海外では空気を読むという曖昧なニュアンスは無く、日本独自のものです。「場の雰囲気や状況に配慮して行動できる」ということが日本人独自の奥ゆかしさであり、機微ともいえます。日本は、はっきり物を言わずに察してもらう文化ですので、いい面もあれば悪い面もあります。時には、普段、空気に配慮して飲み込んでしまう言葉も、場合によっては出す必要があるでしょう。海外の偉人の言葉には、そうしたものがあります。日本人は同質性の高い民族のため、高度なコミュニケーション力を身に付けましたが、「言わなければわからないこと」を言わないがために問題になることも多々あります。学校の中でも職場でも家庭でも、友人同士、同僚や夫婦恋人同士で言わなくても察してくれるだろうと思うことは危険です。謝罪や感謝の言葉も依頼も口に出して態度で示すことが、人間関係を円満にする上で絶対必要なことだと思います。皆さんは、ちゃんと態度と言葉で伝えていますか。
蛇足ですが、マスクをしていると新鮮な空気が脳に行かないので、学習に影響が出てテストの点が下がると言われています。子供がマスクの着用を続けると慢性的な酸欠状態になるとして、2020年に警鐘を鳴らしたドイツの医師がいます。「酸欠の一時的な警告症状として頭痛や眠気、めまい、集中力の低下などが起こります。しかし、慢性的に酸素が少ない状態が続けば、人体はそれに慣れていくので、頭痛などの警告症状は消えます。とはいえ、脳の酸素不足は進行し続けます。成長期の子供にとってマスクは絶対によくありません。子供と青年は非常に活発な適応免疫システムを持っています。若い人は脳も非常に活発で、学ぶことがたくさんあります。若者たちの脳は、常に酸素を渇望しているのです」「マスクをしていると呼吸をするときに抵抗がかかり、息をすべて吸い込めないので息苦しくなります。その際、通常よりも多く、肺の活動を助ける肋間筋肉や横隔膜を使って呼吸するので、疲労して倦怠感が生じます。そのため自律神経が乱れて動悸や息切れをしやすくなり、集中力や記憶力などにも影響が出る可能性があります」
※四日市ぜんそく・・・1950年代末から1970年代にかけて問題化した大気汚染による集団喘息障害。日本の公害問題の一つで、水俣病・イタイイタイ病・新潟水俣病とあわせて、四大公害病という。
※ロンドンスモッグ事件・・・1952年の12月5日から9日にかけて、英国の首都ロンドンは高気圧のもとで安定な大気条件となり、濃霧に覆われた。そして、ロンドンに特有の冬の気象条件によって地表付近にすすや亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質が滞留して呼吸困難、チアノーゼ、発熱などを呈する人が多発し、この期間を含めた数週間の死亡者数は前年度の同時期よりも約4,000人程多かった。死因の大部分は、慢性気管支炎、気管支肺炎、心臓病であり、死亡者の多くは慢性呼吸器疾患を有する高齢者であった。
「叱る」と「褒める」難しいのは?
今日は何を書こうか迷ったすえ、先日「叱らない教育の弊害」について述べた文に激しく同意したので、「叱る」ことについて書くことにしました。
そもそも「叱る」とは、語気を強めたりして,また,諭すように相手に伝える動作であり、相手を正しい方向へ導くために何が良くないのかを「気付かせる」ことです。よく、「叱る」は理性的な行為であり、「怒る」は感情的な行為であると言われます。「叱る」とは逆に、「褒める」教育も確かに大事ですが、なんでもかんでも褒めればいいというわけではありません。しっかりと相手を見ていて、褒める根拠がしっかりしていなければ、褒めても相手の心には届かないでしょう。ただ、褒めすぎるほうが、全く褒めないより弊害が少ないとは思います。では、「叱る」はどうでしょうか。部下を叱れない上司や、児童生徒を叱れない先生が増えているという話を近年、よく聞きます。前者の場合は、叱られた経験がない若者が増えているので下手に叱るとすぐに辞めてしまうという恐怖感があるようですが、後者は、若い先生自身があまり叱られた経験がなく、叱り方がわからないという根本的な問題があります。調査データがあるわけではないので、真偽は不明ですが、学級崩壊の原因は、「授業がうまくいかない」「ほめる、叱るがうまくできない」です。後者は、授業中の生徒指導にも関係あります。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、私が同意した「叱らない教育の弊害」は、下記のとおりです。
①叱ってくる、たしなめてくる、自分に対する反対意見を言ってくる人に対して自分の意見をちゃんとまとめて相手を説得できるための思考能力を養う機会を失う。
②そもそも叱られないってことは、日々逆境に対する耐性が育たたない。
③叱られないってことは、根拠のない自己肯定感が強くなりすぎる。
④肯定され続け、叱られることがないと、自分の意見が全部通って当たり前だと頭の中に刷り込まれてしまう。
①はコミュニケーション能力、②は忍耐力がつかないということですね。③については、日本の若者は他国に比べ、自己肯定感が低いと国際比較データで明らかになっていますが、自己肯定感って主観ですから、単純に比較できないと思います。根拠のない自信をもっている人が多いと現場では感じられているようです。
子ども時代に叱られる経験をもたないってことは、大人になって社会で生活していく上でいろいろなところで軋轢が起きる可能性が大きいと考えられます。私は、小さい頃から随分と叱られて育った記憶がありますが(ビンタやゲンコツは当たり前でした)、納得したこともあれば納得しなかったこともありました。小中学校でもげんこつやビンタはされました。反抗してさらにぶたれたこともありました。自分が悪いと自覚していても、ちゃんと理由を聞いてくれずに一方的に怒られると、口答えしてさらに怒られました。だから、自分の経験から、ちゃんと話を聞くというのは大事だと実感しています。納得できるように諭すのも叱る側の責任かなと思います。皆さんは、どう思いますか。叱られた経験がないからわからないと言われてしまうと困りますが。
チャレンジ3年次生!
共通テストの自己採点も終わり、全国の受験生のデータが収集されて集計され、志願状況が明確になります。自分の志望校の合格可能性についてA~Eの判定が出た時に、どう捉えるかが重要です。B社とK社で微妙に判定が異なるように、A判定は「安心するな」、C判定は「チャレンジせよ」と自分で思えるかどうかです。私の友達でA判定の第三志望校が不合格で、C判定の第一志望校に合格した人がいますが、これからの頑張りと試験問題が自分の得意分野だったなどの運不運で結果はどうなるかはわかりません。最終的には、どれだけ志望校に対する思い入れが強いかにかかっている気がします。春は、すぐそこまで来ています。最後まで自分を信じて頑張ってください。それでは、これから勉強を頑張る皆さんに、私がメモしていた中から簡単なアドバイスをします。
勉強前に、もしくは途中で軽い運動をすることで脳には次のようないい影響があります。①脳のエネルギーを持続的に生み出す脳細胞ミトコンドリアが増える ②自律神経が整い、心と体が元気になる ③認知機能が高まり、知的作業の能力があがる これらによって「思考力」や「集中力」「記憶力」「モチベーション」「コミュニケーション力」など多くの能力が高まります。そして、心配事や不安で心が不安定になることも、極力防ぐことができるのです。
机に座って考えていてもいいアイデアがでないのに、散歩していて出るのは、動くことで視線が動き、それまで収集していた情報が整理されたからです。だからこそ運動をすると思考力が高まるのです。ではどのような運動をすればいいのかというと、席を立って10秒歩いてまた戻ってくるだけで大丈夫。同じ姿勢で30分いるだけで脳の血流は滞り、思考力は鈍ります。30分に1回は立って歩けば、筋肉が動いて血流が改善し、脳に血液が集まります。多くの人にとって運動とはいえない程度の動きをするだけで、脳を最適な覚醒状態に導くことができます。これ以上強い運動をしてしまうと、全身の筋肉に血流がいって脳へ血流が集まらなくなってしまうので逆効果です。
「悪い緊張は、準備不足や自信のなさからくる、不安なザワザワです。良い緊張は、やるべきことをやってきた、という静かなドキドキです」と言っていた人がいます。静かなドキドキをもって試験に臨めるように頑張ってください。
一息ついて、これからが大事!
今年も共通テストが無事終わりました。試験を受けた3年次生の皆さん、お疲れさまでした。既に自己採点を終えている人も、学校でやろうとしている人も、これで終わりではありません。一喜一憂しても、すぐに第二のスタートを切る号砲が鳴るわけですから、各自の目標と様々な事情を考慮して、後悔しない出願をしてください。悩んだら先生方に相談してください。経験値とデータを駆使して、的確なアドバイスをしてもらえるはずです。一刻も早く気持ちを切り替えて、油断せずあせらず残りの期間を無理のない計画を立てて乗り切ってください。この世の出来事を評価し、価値付けるのは個々の人間です。試験で失敗があったとしても、自分の実力を過大評価して落ち込まずに、この程度は想定内と考え、「大丈夫!」とプラスの言葉をつぶやいて、次の手を打つためにすぐに動き出せる人になりたいですね。こんなはずではなかったと結果を引きずっていても、何もいい方向には行きませんので、「勝負の日までできることをやりきるぞ」と決意を新たにして、頑張ってください。
やれることをやったら、あとは神頼み!
明日は、いよいよ大学入学共通テストです。被災地の受験生の皆さんは大変な思いをしながら明日を迎えることになったと思いますが、無事受験会場に行って受けられることを祈っています。今日は、4時間目に恒例の共通テスト激励会が実施されました。昔は格技場でやっていましたが、寒いこととコロナやインフルエンザ感染等が心配なため昨年同様リモートで行いました。あいさつでは、昨年とほぼ同じことを話しましたが、短くしました。40年以上前に自分が共通一次試験を受けた時の数学での失敗談から、もし頭が真っ白になってしまったら、4秒吸って8秒かけて吐く深呼吸を1分間続けてくださいという話をしました。試験でも試合でも、実力を発揮するためには平常心が大事です。なんでこんな問題がわからなかったんだとならないように、落ち着くことを第一にしてください。そして、最後のツキや運を呼ぶのは、普段の地道な努力の積み重ねです。ぜひ、運を呼び込んで100%以上の力が発揮できることを祈っています。みんな切磋琢磨してきた「太東団体戦」のメンバーです。各クラスで担任の先生方からいただいた激励の言葉を胸に力を出し切って、笑顔で月曜日を迎えてください。
Open the rice cake and Luck!?
今日は鏡開きです。皆さんの家では正月に年神様や仏様に鏡餅をお供えしましたか。お供えした餅を神仏に感謝し、また無病息災などを祈って、汁粉や雑煮などで食べるわけですが、今はどれくらいの家でされているでしょうか。私も久しくやっていません。もともとは武家で鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し、女性は鏡台に供えた鏡餅を食したわけです。鏡餅という呼び名は、文字通り鏡に由来します。 昔の鏡は丸い形をしており、神器の一つでした。 日光を反射し太陽のように光ることから、鏡には神様が宿ると考えられ、伊勢神宮など多くの神社で鏡を御神体として祀っています。天皇家の三種の神器の一つが八咫鏡ですね。鏡餅を食べるためには、固くなった餅を金槌でたたいてほどよい大きさにする必要があります。(木槌だと厳しいです) 武家では鏡餅を刃物で切ることは切腹を連想させるため、手や木槌で割る風習がありました。同様に縁起が悪いので「切る」「割る」という言葉は避けて「開く」という言葉が使われました。鏡は円満を、開くは末広がりを意味して縁起がいいわけです。また、鏡餅を食すことを「歯固め」と言うそうで、硬いものを食べて歯を丈夫にして年神様に長寿を祈るのだそうです。鏡開きの後14、15日に、お正月飾りを燃やして、1年の無病息災や五穀豊穣を祈る火祭り「どんど焼き」が終われば、正月気分も終わりです。気持ちを引き締めなおして、新たな1年を頑張っていきましょう。ちなみにタイトルの英語は正しくありませんので、信用しないでください。
政治を知らなきゃソンする?・・・なぜ?
今日は、追川徳信様と鈴木敦子様のお二人の県議会議員の方を2年次生の授業に迎えて、昨年に引き続き「GACHi(ガチ)高校生✕(かける)県議会議員」~政治を知らなきゃソンをする!~を実施しました。及川様と鈴木様、事務局の方には御多忙の中、大変御世話になりました。ありがとうございました。
皆さんは、タイトルの「損をする」の意味がわかりますか? 昨年18歳で選挙権が行使できるようになりましたが、20代の有権者数と60代の有権者数を比較すると60代が1.5倍です。その上、投票率は20代が30%弱なのに60代は70%弱です。「政治家は選挙落ちればただの人」という川柳がありました。ここから志があってやりたいことがあっても、当選しなければ実現できないから、一票を入れてもらうためにどちらの年代の要望を聞こうとするかは考えてしまうと思います。そんな現実を直視すると、政治について考え、投票に行って自分たちの意思表示をしないと、若い人たちにとっては不利になることは避けられないでしょう。もっとも、少数者の利益を守るためにも議員さんは活動しているので、そんなに単純なことではありませんが。二人の議員さんに生徒からたくさんの質問が出ました。生徒の皆さんが熱心に話を聞いてくれて、質問をしてくれてよかったとお褒めの言葉をいただきました。生徒から出た質問は「議員になるためにどんな勉強をしましたか」「どこで県民の声を拾っているのですか」「議員生活で一番大切にしていることは何ですか」「議員で生活が窮屈だと思ったことは何ですか」「一番やりがいを感じた仕事は何ですか」「議員になろうと思ったきっかけは何ですか。いつ頃なろうと思いましたか」「政治や政党に関する情報はどこで見ればいいですか」「一番大変だったことは何ですか」などです。こうした質問への回答で、根底にあるのは「地域のため」「本当に困っている人のため」に県議として要望が通せるように頑張っているということでした。予算がつけてもらえないと、ほとんどの要望は叶えられませんから。県議会の提案で、学校では、全ての県立高校の普通教室へエアコンが設置され、トイレの洋式化が進んでいます。追川議員のお話で印象に残ったのは、自宅近くのコンビニで高校生に「議員さんですよね」と話しかけられ、「自分も議員になって日本の政治をよくしたい」(実際にはもっと過激な言葉でしたが)と熱く語られたということで、高校生で高い志をもっていて感心したという話でした。「人はパンのみにて生きるにあらず」と言いますが、どんな仕事につくとしても、自分のためだけにする仕事というのはないので、そこには何かしら志がほしいですね。
ライス→ライク→ライフ→ライト
以前にキャリア教育について、「夢なし先生の進路指導」の話や「13歳のハローワーク」の話などを書きましたが、今日は次の文を読んでみてください。
生活の糧を得るために働くことを「ライスワーク」といいます。仕事が面白くなってきた段階を「ライクワーク」といいます。さらに心を込めていけば、好きな仕事は人生をかけてもいいと思える仕事、則ち「ライフワーク」になります。「ライフワーク」を極めていくと、多くの人に喜びを与え、社会に光を当てられるようになっていきます。その仕事を「ライトワーク」といいます。問題は、仕事そのものではなく、仕事に対する考え方なのです。
仕事について、とてもわかりやすくきれいにまとめてくれていますが、よほどのお金持ちでない限り、皆さんは生きていくためにいずれ働いて生活費を稼がなくてはならなくなります。その時、仕事についてどう考えるかが非常に大事です。今は昔と違って、懇切丁寧に「生き方・在り方」に関する進路指導を行っており、興味関心・能力・適性などを調べ、どんな職業が向いているかアドバイスしてくれます。なんていい時代・・・と思いますか?私は天職に巡り会えるのは「運」と「縁」だと思っています。そして、その「運」と「縁」も普段の自分の行いが引き寄せるものだと思っています。最初は「ライスワーク」でもよいので、仕事に打ち込んでいるうちに「ライトワーク」になることを祈っています。
みんないい!何が?
次の文章は、ある青年の回想です。(少し語尾を変えてあります)
広汎性発達障害で友だちができず、集団行動がとれない自分に担任が面談で言ってくれた言葉が「ひとりでも堂々としていられるお前のキャラは、この先、確実に強みになる」でした。また、一人でいることへの批判と同じくらい自分を苦しめてきたのが「強くなれ」という言葉でした。上手に話せない、人の輪には入れない。「弱い」というのは、いけないことだと刷り込まれてきました。担任の「みんなが優しくあれたのは、お前の弱さがあったからだ」という言葉に今までの人生が許された気がしました。
上記の文章を読んで、皆さんはどう思いましたか。昔は、発達障害という言葉は現在のようにポピュラーではありませんでした。先生方が研修等で勉強し始めてから20年はたっていません。平成17年4月から「発達障害者支援法」が施行されているので、それ以降です。発達障害を簡潔に説明すると、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)など、脳機能の発達に関係する障害です。 発達障害のある人は、他人との関係づくりやコミュニケーションなどがとても苦手ですが、優れた能力が発揮されている場合もあり、周りから見てアンバランスな様子が理解されにくい障害です。
現在、発達障害に関する本が書店でたくさん並んでいます。それほど、悩んでいる大人や子どもをもつ保護者が多いということでしょうか。私が過去に担任した生徒の中にも、発達障害ではないかと思う生徒は少なからずいました。うまくコミュニケーションがとれないことで悩んでいた生徒も多かったと思います。黒柳徹子さんが発達障害であることをカミングアウトしていることや、「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞさんの言葉は、発達障害の子を勇気づける言葉でありました。長所も短所もありのままの自分を肯定する。ただ、発達障害だから全部仕方ないと思ってしまうと進歩はありません。自分にどんな特性があるのかを理解した上で、対策を考えることはできます。人間は社会的動物と言われるように社会と全く没交渉で生きることはできません。個別の色々な特性を理解して、寛容になれることが社会でみんなが幸せに暮らす上で必要なことではないでしょうか。昨今は、SNSの発達で寛容性が失われているような気もしますが、皆さんはどう思いますか。
女の子のなりたい職業は?
今日は美容室の日らしいですが、理由が笑えました。12月は美容室に多くの客が訪れる月だからというのはいいとして、13日は「13」をくっつけると「Beauty」の頭文字「B」になることからだそうです。
皆さんは、美容院と床屋のどちらに行っているでしょうか。女生徒は、ほぼ美容院かと思いますが、男子はまだ床屋が多いのでしょうか。私は、高校までは小さい時から行っている近所の床屋に行っていて、美容院に行くようになったのは大学生になってからでした。今通っている美容院は、もう24年の付き合いです。皆さんは、理容師と美容師の違いはわかりますか。端的に言うと、理容師は「髭剃り、顏剃り」ができるが、美容師はできないということです。私は床屋さんで、顔をそってもらうとともに耳掃除もしてもらっていました。美容院に行くようになって、「あっ、美容院はやってくれないんだ」と知りました。顔剃りと耳掃除は気持ちよかったんですよ。
私が最後に担任した生徒の中に、美容師になって原宿で店長をしており、テレビにもでるくらい成功している子がいます。3年次の成績はクラスで1、2位を争うほどで部活も頑張っていて、昔から美容師になりたいという夢を忘れずに努力しました。夢を叶えて成功できてよかったと思います。小学生の女の子のなりたい職業で美容師とパティシエが10位内に入っていますが、女の子が手に職をつけるといった場合、この二つが双璧なのでしょうね。今はイラストレーターも入っています。医師・看護士が1位、2位で、薬剤師が6位、獣医が9位と医療関係は人気ですね。本校の生徒も看護士と薬剤師を目指している人は多いようです。ぜひ、頑張って夢を叶え、人の役に立てるようになってください。
大雪と冬至
今日は、「二十四節気」の一つ「大雪(たいせつ)」です。日付は、年によって異なるようですが、近年では12月7日のようです。次の節気は「冬至」(12月22日頃)です。冬至は、1年の中でいちばん昼の時間が短く、夜の時間がいちばん長い日です。冬至には柚子湯に入る習慣がありますが、運を呼び込む前に体を清めるという意味があるそうです。冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りには邪気がおこらないという考えがありました。また、柚子は実るまでに長い年月がかかるので、長年の苦労が実りますようにとの願いも込められているそうです。12月22日は2学期の終業式なので、冬至については早いですが、ここで書かせてもらいました。
さて、「大雪」はというと北風が吹いて雪が激しく降り始める頃という意味で、冬至までの期間も意味します。この時期に日本には「冬将軍」と呼ばれるシベリア寒気団がやってきて、日本海側には大雪を、太平洋側には冷たく乾燥した空っ風をもたらします。群馬県民の皆さんには御馴染みの赤城おろしですね。今シーズンは暖冬予想が出ていますが、2月に寒気と南岸低気圧のタイミングが合うと大雪の恐れもありと予想されています。受験シーズンですので、受験生・保護者・先生みんなが気にしています。大雪(おおゆき)にならないように祈りましょう。昨日と違って、今日は午後から突風といってよいほど強い風が吹きましたが、外で部活動をしている生徒の皆さんが、風邪をひかないように祈っています。
年賀状出してますか?
日本教育新聞の一面に「不易流行」というコラムがあります。12月4日付の記事で年賀状について書かれていました。年賀状は、ここ20年で発行枚数が3分の1になり、昨年の発行枚数は16億4千万枚だったそうです。令和4年の日本郵便の調査によると、小学校6年生男子の18.6%、中学校3年生男子の22.9%が前年に1通も年賀状を受け取らなかったそうです。今では、スマホで「あけおめ」やスタンプで済んでしまうことから若い人は年賀状をほとんど書かないのではないかと思います。皆さんはどうでしょうか。私は最も多く年賀状を出していた時で100枚超、今では普段会わない人にだけ出しているので20~30枚です。私はかなり年賀状に凝るほうだったので、今や懐かしいプリントごっこで10色刷りの版画を刷ったことや、全てイラスト入りの手書きで一枚一枚違う年賀状を書いたこともあります。家族写真を使うようになってからは、デジタルで加工するくらいで作成にそれほど時間はかけなくなりましたが、昔は本当に年末に時間がかかる作業でした。
さて、子どもが年賀状を書かなくなったことで何か問題でもあるの?ということですが、自分の家の住所を正しく言えない子どもが増えているそうです。小学校6年生で住所を正しく言える児童は60.6%で、平成24年の84.5%と比較して24%も減っています。昔なら小学生で迷子になって自分の家の住所が言えないと困るということもあったでしょうが、今はスマホに住所も電話番号も入っていて、地図アプリも入っているので自分の家の住所が言えなくてもいいんじゃないのと思う方もいることでしょう。ただ、コラムでは自分の住む地域社会の理解不足、ひいては地域社会の一員としての意識の低下につながると警鐘を鳴らしていました。皆さんは、自分の家の住所と郵便番号は言えますよね?それと、自分が住む地域のことをどれくらい知っていますか。
ゾンビ映画で探究?
「日本教育」という教育冊子の12月号が届いたので、開いてみると、「ゾンビ映画でも探究はできる!?身近なテーマを見つけて掘り下げよう」というタイトルが目に飛び込んできました。近畿大学総合社会学部准教授の岡本健先生の巻頭インタビューでした。岡本さんは、中国文化の授業で「香港武侠映画を1本選び、授業で学んだ方法で分析せよ」という最終レポート課題が出されたので、レンタルビデオ店に行って作品を選んでいたところ、たまたま近くに並んでいたゾンビ映画を手に取ったそうです。そして、その作品のひどさに驚き、なぜ、レンタルビデオ店にこんなにひどいゾンビ映画が数多く並んでいるのか?という疑問をもったことが探究心に火がついたきっかけだと語っていました。皆さんも、なぜ、こんなものが売れるのだろうとか、人気があるのだろうと思ったことはありませんか。また、ゾンビ映画は全世界で作られていて、その国の文化や本音などが知れるという異国間の理解に資する一面もあるとも述べていました。どんなに人からバカげたものと思われても、自分が興味をもち探究してみたいと思えば、探究はできるのです。実際、世界には「えっ?こんなものを長年研究しているの?」という人もたくさんいます。テーマをどれだけ多角的多面的に捉え、分析し、疑問に思ったことを追究することができるかは、自分が選んだテーマを本気で面白いと思い、探究したいと強く思ったかにかかっています。今から25年ほど前に、少人数の日本史の選択授業を担当していた時、夏休みの宿題として探究したいテーマを生徒に決めさせてレポートを課したことがありました。そこで日本のファッションの歴史について調べて考察した女子生徒がいました。古代から現代までのファッションの変遷と「なぜ、そうしたファッションが生まれたのか」に疑問をもち、機能性とデザインに注目して自分の意見を書いていました。その生徒はアパレルメーカーに就職しましたが、好きなことなら調べていくうちに次々と疑問が生まれてくると思います。現在、総合的な探究の時間がすべての学校にありますが、自分の好きなことを見つけて探究し、それが大学で勉強できて職業にも生かせたなら最高ですね。
いやーっ映画ってホントにおもしろいですね。
昨年の12月1日は、師走について書きましたが、今日は「映画」について書きたいと思います。今日は「映画の日」で、映画を劇場で観ることの魅力をより多くの人に知ってもらうことが目的として制定されましたが、映画の一般公開60周年を記念したものであり、日本における初めての映画の有料公開という「映画産業発祥」を記念した日でもあるそうです。ただ、この日に公開された映画は、今日のスクリーンに映写されるタイプではなく、1人ずつ覗き込んで観るタイプの「キネトスコープ」と呼ばれるもので、発明家エジソンにより発明されたそうです。映画と言えば大人数で大画面で見るものと考えている現在では、一人ずつ顕微鏡をのぞき込むように見るなんてなかなか想像できませんね。今日は、映画関連の多様な催しが行われるようですが、映画館の入場料割引もあります。鑑賞料金は、一般1800円で、普段から色々な割引がありますが、イオンシネマや他の映画館でも今日は1000円みたいですね。私が小学生の時は700円で2本立てで映画が見られました。一度に2本映画が見られるなんて、生徒の皆さんは「ホント?」って思うでしょうね、私が最近見た映画は「ゴジラ-1.0」ですが、怪獣映画でこれほど泣けるとは思いませんでした。ただ、怪獣映画とは言っても、社会問題がテーマですので大人に見てほしい映画です。特撮からCGへと画面は進化していますが、テーマ自体は変わっていません。高校生の皆さんにも、見てほしい映画ですね。タイトルは、今は亡き映画評論家の言葉です。
がんばれ、太東生!
今日から2学期の期末考査が始まりました。初日の出来はどうでしたか。万全の準備をして臨めている人もいれば、ほぼ一夜漬けになってしまっている人もいると思います。3年次生は高校最後の定期考査になりますね。全力で取り組んでください。中学校までは一夜漬けでどうにかなっていた人もいると思いますが、高校のテストはそう甘くはありません。大学ではなおさらです。大学の試験は、前期と後期があり、後期一発勝負のものもあります。一般教養は別として、専門科目はほとんどが論述試験です。60点未満は単位不認定になります。高校と同じくレポート点や出席点もありますが、遙かに厳しいと思ってください。私は、30代くらいまで大学の試験の夢を見ることがありました。もちろん、いい点がとれて喜んでいる夢ではなく、答えが書けなくて終了のチャイムが鳴ってしまう夢で、うなされて起きて、夢でよかったということが何度もありました。初めて聞く人は驚くかもしれませんが、大学ではノートや参考書の持ち込みができる科目もあります。なぜ、許可されていると思いますか?それは、90分という限られた時間の中で、わからないことをいちいち調べていたら論述式の答案は完成しないし、もちろん及第点を取ることなどできないからです。ノートや参考書のどこに何が書いてあるのか頭に入っていて、初めて記憶が不十分な場合に役に立ちます。同様に、スマホですぐに検索できるからといって覚えていることが少なければ、勉強や仕事の能率は格段に落ちます。様々な知識が頭の中で結びついて記憶が強固なものになり、新しいアイデアが生まれるので、知識量は多いにこしたことはありません。ただ、一問一答式知識だけ多くても、それが活用できなければ意味がありません。数学や理科などの理系科目で汎用的な論理的思考力を養い、文系科目でその思考力を活用して知識を知恵に変え、深い学びができるようになってください。それでは、あと3日間、体調に気を付けつつ頑張ってください。
いい服でいい福を!
今日、11月29日は、語呂合わせから「いい服の日」「いい肉の日」「いい文具の日」「いいふぐの日」などがあります。日本の文具は、外国からわざわざ買いにくるほどですから、よく工夫されていて優れていてオシャレなものが多く、日本にしか売っていないものも多いようです。文具だけの特集本が売れるのも、当たり前ですね。それでは、文具について書くのかと思わせつつ、今回は、文具ではなく、服について書こうと思います。
皆さんは、ファッションについてこだわりがありますか、それとも無頓着なほうですか。ファッションに気を遣うのは、自分のためですか、それともそれを見る周りの人のためですか。服は、自分が着たいものを着るのがいいのか、自分に似合うものを着るのがいいのか、意見が分かれるとは思いますが、皆さんはどちらですか。私は、大学生になってから男性ファッション雑誌を買うようになり、高校生の時と違って普通に気を遣うようになりましたが(男子校は気を遣いません)、やはり色や形の好きなものは偏りますね。たとえ似合うと言われても、自分が気に入らなければ着る気にはなりませんし、それが個性だと思います。ただ、色については赤やピンクは一切着なかったのですが、ピンクのポロシャツと赤のTシャツをもらって着るようになってから、自分でも赤やピンクを選ぶようになりました。ファッションには多かれ少なかれ、その人の内面が色や形に出ますので、どんな人かを判断する材料にはなります。社会人、特に外部の人と会うことが多い営業関係の人が気を付けなくてはならないのも、そのためです。
制服でもおしゃれに着こなそうと努力する人はいますよね。制服は清潔感があってきちんと着るのがおしゃれかと思いますが(年寄りの考えかな?)、昔は変形学生服を着ている人も多く、私もその一人でした。学生服はハイカラーの中ラン(丈が長めの学ラン)で、内側に虎と龍の刺繍がありました(笑)。そして、ズボンはというと、ストレートと太目(ボンタン)とパンタロン(ベルボトム)の3本を持っていました。私の高校時代は、まだ短ランはありませんでしたが、今では学生服のツッパリスタイルは、ほぼ死滅しているようですね。今から20年以上前は、女子生徒の短いスカート丈とルーズソックスと格闘していましたが、それも今ではほとんど見られなくなりました。「歴史は繰り返す」という言葉どおり、昔流行ったファッションが復活して、懐かしい思いをすることがあります。ダサくなったものが新鮮でおしゃれに感じられて復活するのですから面白いものです。筒井康隆のSF小説に「暗いピンクの時代」というのがありましたが、AIが発達した未来のファッションについての話です。人間の創造性について考えさせられるものでした。未来では、一着のボディースーツで温度や湿度を自動で最適に保ち、好きな形や色に変えられるものができるかもしれません。皆さんは、そういう服が着たいですか?
愛情のこもった商品とは
昨日の日曜日は全国的に非常に寒かったようですが、皆さんの家ではストーブやこたつがあって暖かく過ごせましたか。こたつは外国人に受けがいい日本製品の一つですが、他にも外国人に評判がよく、外国にはないものがたくさんあります。それらのものには日本人のどんな思いが反映されているのでしょうか。次の言葉を読んでください。「傘は、冷たい雨に濡れないように、考えて考えて作られた愛情のこもった商品である。世の中にある物は愛に満ち溢れている。使う人の幸せのために作られているのだ。」皆さんは、身近なものについて、こんな風に考えたことがありますか?外国人に人気のウォシュレットなら「ウォシュレットは、お尻が冷たい思いをしないように痛くならないように、考えて考えて作られた愛情のこもった商品である。」となるのでしょうか。左利きの人が使う商品専門店を開いた人がいます。その人は、左利きの人の幸せのために作られた道具を多くの左利きの人に使ってもらおうという愛に満ち溢れていたのだと思います。10人に1人は左利きですが、社会は左利きの人には不便になっています。どんなところが不便なのか考えてみてください。左利きの友達がいたら聞いてみてください。気付かないことがたくさんあると思います。さて、皆さんの周りには、どんな愛情のこもった商品があるでしょうか。
働いている人みんなに感謝!
昨日は、国民の祝日である「勤労感謝の日」でしたが、皆さんは働いている保護者の方、そして働いている全ての人に対して感謝の気持ちをもちましたか。皆さんは、お父さんやお母さんの職場見学をして実際に働いているところを見たことがありますか。夏休みに「こども参観」を実施している企業や自治体もありました。アインシュタインは「私は一日100回は、自分に言い聞かせます。私の精神的ならびに物質的生活は、他者の労働の上に成り立っているということを。」と言っています。また、レーニンは「働かざる者、食うべからず」と言っていますが、これは労働者から搾取して不労所得でラクな生活を享受する資産家たちを戒めるための言葉であり、資本主義体制を批判する言葉でした。
皆さんは、国民の三大義務と権利を答えられますか。三大義務は「教育・勤労・納税」ですね。誤解されやすいですが、教育の義務は、皆さんが小中学校に行って教育を受けなければならない義務ではなく、保護者が子供に教育を受けさせなければならない義務です。面白いのは勤労の義務で、「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」(日本国憲法第27条1項)と勤労の権利とセットになっています。これはどういう意味でしょうね。「権利を主張するなら義務を果たせ」なんてことが言われますが、そうした裏表の関係ではないです。勤労の権利とは、仕事をしたい人に対して、国が仕事をさせないと言うことができないということです。また、勤労の義務とは、国が働くことを強制しているのではなく、保険など国の保護をうける場合には、仕事をする必要があるというくらいの意味らしいです。義務が最も似合うのは「納税」でしょう。普通の人は働かなくては税金は払えませんから、勤労と納税はセットでおかしくありません。みんなが助け合って生きるのが社会ですから、お互いに働いて税金を払って暮らしやすい社会をみんなで作っていく。だから働いてくれる人に感謝するということですね。皆さんも自分の好きな仕事、やりたい仕事で感謝されるようになってください。
ちなみに国民の三大権利は、「生存権(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)、教育を受ける権利、参政権」です。公民の授業では、他にもたくさん人権を勉強したと思います。皆さんにとっては「自由権」が一番記憶にあるかもしれません。「職業選択の自由」もその中にありましたね。自由はいいものですが、厳しくもあります。これから職業選択に大いに悩んでください。
※勤労感謝の日は、戦前は宮中行事の新嘗祭で、その年に収穫された新穀を神に捧げ、収穫を感謝する日です。具体的には、天皇陛下が新穀の収穫を天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとした神に感謝し、自らも新穀を食べる宮中行事で、現在も皇室に受け継がれている重要な祭祀の一つです。新嘗祭は、明治6(1873)年に祝日として11月23日に制定されました。
テレビの未来
今日は「世界テレビ・デー」だそうです。 1996年12月の国連総会で「第1回世界テレビ・フォーラム」が開催されたのを記念して制定されたそうです。このフォーラムは、テレビが人や世論の意志決定の過程において大きな影響を及ぼすようになったことから実施されたそうですが、この国際デーはテレビの重要性や役割を再認識する日であり、いまだテレビの情報にアクセスできない人々へも情報提供を普及させようとする企図があるそうです。ネットにアクセスしないお年寄りは、テレビや新聞の情報がすべてでしょうから、ウクライナやパレスチナの紛争をテレビで見ていてよく知っていても、日本のテレビでは報道されない世界の重要な出来事は知りえません。テレビも新聞も民間企業である限り、真に公正・公平な報道はありません。NHKであっても、それは変わりません。NHKは国営企業のように誤解されますが、放送法に基づき設立された特殊法人で、 政府からの出資はなく、その経営が国民から徴収する「受信料」で 成り立っている公共放送局です。ですから、色々と問題も抱えています。テレビは、新聞と同様に若い人が離れているので、今ではネットの影響のほうが大きくなっているように思います。
昔は娯楽というとテレビでしたし、家族で夕飯時は1台のテレビで同じ番組を見ていたので、チャンネル権争いが勃発していたものです。私は弟とテレビのリモコンスイッチ(手で回すタイプでテレビから外すことができた)を奪い合うこともありました。しかし、チャンネル権は父にあり、食事時は父が見る番組を見なければならず、プロ野球や時代劇の「水戸黄門」「大岡越前」「遠山の金さん」「暴れん坊将軍」などを見ていました。また、ドリフターズの「8時だョ!全員集合」はクラス全員が見ていると言って過言ではなく、最高視聴率50.5%のお化け番組でした。紅白歌合戦の最高視聴率は80%であり、大晦日は日本レコード大賞、紅白歌合戦、ゆく年くる年を見るのが日本人の定番であったようです。
さて、くだらないことを書き連ねてしまいましたが、テレビの黄金時代は過ぎ、家の中に複数のテレビがあり、チャンネル権争いも過去のこととなり、さらにスマホの普及で個々に好きな動画を見る時代になりました。大画面のモニターが家の中にあっても、それで観るものはテレビ以外のものが多くなり、従来のテレビ番組は淘汰されていくと予想されています。やる気になれば一人でも番組ができてしまいますので。テレビやラジオが情報を素早く伝えるメディアであり、それを受動的に見る時代は終わりを告げ、自分で情報を探しに行き、発信する時代になりました。せっかくの「世界テレビ・デー」ですが、すぐに「世界スマホ・デー」に置き換えられるかもしれません。その時、何を再認識しなければならないかと言えば、自分の好みの情報だけに偏ることなく様々な情報に触れて公正に判断する力をつけるということです。情報リテラシーを身に付けることが、ますます重要になってきますので、皆さんもしっかり勉強してください。
先生の成長の陰に・・・
今日は、県内各校から12名の地歴公民科の先生方が本校に集まり、中堅教諭資質向上研修(12年目研修)が実施されました。私が12年前に総合教育センターの初任者研修で担当した先生方でしたので、同窓会のような和やかな雰囲気?で行われました。研修内容は、まず本校の北爪先生が代表者授業を行い、授業研究が午前中に行われ、活発な研究協議がなされました。北爪先生の授業は1年次1組の「公共」で行われました。一人一台端末を活用し、法に関する単元で生徒の身近な「校則改正」を題材としたものでした。「法改正の適正手続き」についてジャムボードを使って意見をグループワークでまとめ、グループ間で発表し学び合う授業で、生徒たちはよく発言していました。午後は6名の先生方の授業ビデオを見て、協議が行われました。テーマは「指導と評価の一体化」です。私は、開会行事から始まって閉会行事まで1日付き合い、先生方の12年間の成長ぶりを見せてもらいました。主事・主任として、担任や部活顧問として、頑張っている様子を聞くことができ、大変うれしく思いました。数校の異動を経て、色々と経験した苦労を糧にして現在の職場で活躍しているようです。
生徒の皆さんは、先生方が忙しい中でも研修を行い、教師としての資質能力を高めようと努力していることを知っていますか。すべては、生徒の皆さんが楽しく充実した高校生活を送り、様々な力を伸ばして希望する進学、就職ができるようにするため、そして生きる力を育むためです。努力して頑張っている先生方を応援してくれるとありがたいです。先生は「先に生まれた人」ではなく「先を生きる人」ですが、「先を生きる」から何でも知っていて、できるわけではありません。生徒に教えながら学び成長していく存在です。生徒のみなさんの御蔭で先生が成長できる面もあることを知っておいてください。それは親も同じです。子どもから教えられて親になります。謙虚な人は、成長し続けます。「まだまだ・・・」の精神で何事にも取り組みましょう。
幸せの色は?
今日11月16日は、語呂合わせで「いい色」となることから、色にちなんだ記念日が多いようです。皆さんは、色がない世界を想像できるでしょうか。動物や昆虫、魚などは見え方が違うということを知っている人は多いと思います。色覚のない世界や、紫外線などの不可視光線が見えている世界を想像するのは難しいですよね。そんな人間とは異なる犬・ネコ・鳥・ネズミ・ヘビ・ハエ、サメ、魚などの動物たちが見ている世界を再現したムービーがあります。「How Animals See The World」です。興味があれば見てみてください。私は赤緑色弱ですので、そうでない皆さんと見えている色が違います。人によって視力や色覚など目の状態は様々なので、同じように見えている人は案外少ないかもしれません。
色が心理に影響を与えることは、実感として皆さんもわかると思います。いくつか紹介します。
〇グーグルは、テキストリンクの色によって、クリックやタップする確率が異なることを示しました。色には人の行動に影響を与える力があることが明らかになったのです。
〇スーパーやショッピングセンターなどのように、売り場の内装に寒色系を用いると、来店客はリラックスし、滞在時間が長くなります。逆にファーストフード店のように客の滞在時間を短くし、回転率を高めたい店舗では、内装に暖色系を取り入れています。赤の補色である緑を並べておくと、肉の赤みが強調され、鮮度が高く感じられます。ハムやソーセージには、肉の加工品の色をピンク色の赤みをきれいに発色させるために用いられる発色剤という添加物が加えられています。紫の結束テープを巻くと、葉物野菜がみずみずしく見えます。2つの異なる色が互いに隣接した場合に、互いに溶け込んでその中間の色に見える現象を色の同化現象と呼びますが、みかんを赤いネットに入れるとより赤みをおびたオレンジ色に見えます。牛乳のパッケージは、さっぱりとした印象を与える青がよく用いられます。パッケージの青をじっと見続けてから、白い牛乳に目を移すとクリーム色に見えることがあります。これは心理補色、継時対比と呼ばれる現象で、青の捕色である黄色が残像として現れるために起きます。
色については、他にもおもしろい話題があります。人間は実際の色よりも鮮やかに記憶する傾向があり、これを「記憶色」あるいは「印象色」と呼ぶそうです。そのため、写真や映像は、実際の色ではなく、記憶色を再現するよう調整されています。なぜなら、実際の色を再現しても、私たちの脳は違和感を覚えるからです。面積の違いによって、明るさや色みに差が出ることを「色の面積効果」と呼びますが、それを私が実感したのは家の壁の色を決めた時でした。パソコン上で家の設計図に着色して確かめたところ、色見本とは違って見えました。多くの調査で、赤は脈を速くし、呼吸頻度をあげ、脳波のα波を減少させ、脳幹が覚醒することが確認されています。信号機の「とまれ」が赤になったのは、危険に備えて緊張を高めるからでないかと言われています。赤は集中力を高めるとともに、短期記憶を促進する一方で、赤を見ると原始的な知能が優勢になり、論理的な思考能力は低下するそうです。そのため、熟考を要する場面で、赤を使用するのは控えたほうがよいそうです。赤とは対照的に、青は脈拍や呼吸数を減らし、動脈圧を下げ、リラックスした状態へと導きます。これに適しているのは単純作業です。
さて、最後に違う意味の色について書きたいと思います。百人一首の中にある短歌で好きなものはいくつかありますが、平兼盛の「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」は、その中の一つです。昔も今も変わらない恋の歌だなと思います。高校生の皆さんにも共感できる歌ではないでしょうか。この場合の「色」は具体的な色のことではなく、表情を指しています。皆さんは色が出やすいですか、出にくいですか。
3文字に込められた思い
現在、スマホで様々な動画が手軽に見られるようになり、ちょっとした時間を潰すのに苦労はしなくなりました。逆にスマホに時間をとられて依存症になり、貴重な時間を無駄にしてしまう人も増えています。ここでも、大量の情報の中から、何を選択するか、その判断力が問われています。私も普通に1日30分から1時間程度動画を見るようになってしまいましたが、日本のよいところを紹介する動画を見ることも多いです。謙虚さが日本人の美徳でもありますので、自画自賛するようなものはいただけませんが、そこのところは割り引いて見ています。
最近見た動画に「海外TVで紹介された日本語の奥深さ たった3文字の手紙に世界中が涙」というものがありました。内容を要約して以下に紹介します。
海外のあるテレビ番組が日本の手紙の文化について紹介したところ、大きな反響を呼びました。日本の手紙は、とても少ない文字数で相手に対する深い感情や思いやりを伝えることができるというのです。番組で取り上げたエピソードは、南極へ遠征している夫に妻が送った「あなた」という3文字だけの電報でした。番組の出演者は、この言葉に込められた意味を考える時間を与えられていましたが、わからずに困惑していました。この電報を受け取った夫と周りの同僚の様子が紹介されました。夫の目からは感動のあまりぼろぼろと涙があふれ、その電報を見せられた同僚たちも同じように感動して涙を流したというのです。番組の出演者たちは、考えたけれど意味がわからず解説を聞くことになりました。
この「あなた」という3文字は南極で勤務する夫宛に、妻が言葉に収まりきらないありったけの感情を込めて書いたものでした。当時の日本では通信技術があまり進んでおらず、電報での通信方法がモールス信号方式だったこともあり、電報では長い文章を送ることが難しかったのです。しかし、遠く南極にいる夫へ妻は自分の多くの思いや心配、そして愛情を伝えたくてたまりませんでした。そこで彼女は、そのすべての感情を詰め込むようにして、たった3文字「あなた」という単語を電報で送ったのです。実際には、伝えたいことが山のようにあったのでしょう。「あなた、体は大丈夫ですか?風邪をひいていないか心配です」「あなた、子どもも私も健康ですよ」「あなた、帰ってきたら、あなたの好きな料理を作って待っていますね」「あなた、愛しています」こんなにも多くのことを伝えたいと思いながら、最終的に彼女が選んだのは「あなた」というたった3文字でした。そして、その電報を受け取った夫は、わずか3文字から妻の溢れる思いを感じ取り、ぼろぼろと涙を流したのです。夫は、妻が自分をどれほど想っているか、心配しているか、愛しているかを、その短いメッセージから受け取り、深く理解したのです。また、その手紙を目にした彼の日本人の同僚たちも、その深い愛情に心打たれ、感動の涙を見せたのでした。
この話は世界中のメディアで「3文字だけの手紙」と取り上げられ、大きな話題となったそうです。この話は、日本語の深い意味や様々な解釈ができることを示す一例として世界に知られました。
皆さんは、この話を読んで何を思いましたか。私は、この話の背景には、日本の俳句や短歌といった短い言葉で気持ちを表現する文化や直接的な表現ではなく婉曲的な表現を用いて気持ちを相手にくみとってもらう文化があると考えます。例えば、「月が綺麗ですね」の真意を、「私はあなたに惹かれています」と読み取ったり、「雨が降ってきましたね」を「あなたともう少し一緒にいたいです」と読み取ったりできるのも日本人ならではと思います。もっとも全員が読み取れるわけではありませんが。日本人は、聖徳太子の憲法十七条にある「和をもって貴しとなす」の精神を受け継いできているので、なるべく争いを避けるように言動に気を付けます。これは相手の気持ちや状況を慮り、文脈を見極め、言葉の背後に潜む意味を探る能力に長けているということです。「空気を読む」力は、日本社会では、好むと好まざるにかかわらず求められる能力のようです。個人よりも集団を尊重し、秩序を大切にする日本の長い歴史の中で育まれてきました。その結果、率直さよりも含みがある言い回しを好む傾向が強くなっているようです。
視聴者の反応に「たった3文字でそこまで伝えられるのもすごいし、読み解く側もすごい。日本人は本当に感性が豊かだと思う」というのがありました。電報と言えば合格を伝える「サクラサク」や田舎の親に無心する「カネオクレ」がありますが、ちゃんと動詞が入っています。「あなた」という名詞だけでは、読み取る側の力がなければ通じません。この話は、「あなた」と送った妻と「あなた」から読み取った夫がいて、初めて成り立つ話でした。本校の生徒の皆さんが卒業までに身に付けたい力の1位はコミュニケーション能力でしたが、日本人が高度なコミュニケーション能力を駆使していることがわかっているからでしょうね。コミュニケーション力とは簡単にいうと以下の①~④の力です。皆さんは、どれくらいできると自己評価しますか。
①相手が話している内容が理解できる。
②相手の感情を察知することができる。
③相手に伝わるように言葉にすることができる。
④相手の感情を動かすような伝え方ができる。
ひざは大事!
今日11月13日は、「いい(11)ひざ(13)」と読む語呂合わせから「いいひざの日」だそうです。寒さが増してひざが痛み出す時期に、ひざ関節痛の治療や予防を広く呼びかけるために制定されました。と言っても製薬会社主導ですけどね。高校生の皆さんには、ひざの痛みなんて全然ぴんとこないことでしょう。私も還暦を迎えて、自分ではまだ若いつもりでいても、朝起きた時に体が痛かったり、寒くなると膝や節々が痛くなったりするようになると、年をとったことを痛感してしまいます。先週の修学旅行中には就寝前に背中の右側がつりそうになってベッドの上で痛みが去るのを待っていました。今日も6時間目にのびをした時に足裏がつりそうになり痛みと戦っていました。時々顔を出しているテニス部の練習でサーブの球出しをしている時にふくらはぎがつりそうになったこともあります。運動不足やストレッチ不足なのはわかっているのですが、なかなか解消できずに今に至っています。私も若い頃は(20代)は、かなり運動していたほうだと思いますし、教員になってからもずっと運動部の顧問でしたので、生徒と一緒に汗を流していました。それでも、この体たらくです。本校の校訓の「誠・明・健」の「健」は、一生を通してのことですので、「若い皆さんも今のうちに運動する習慣をつけ、体はできるだけ鍛えておいたほうがいいですよ」と老婆心ながら忠告しておきます。小学生が放課後にみんなで校庭で遊ばなくなって久しく、スポーツ少年団に入っている子どもと入っていない子どもの体力格差が大きくなっている現在、意識して運動し、健康的な生活を心掛けることは大事ですよ。もちろん、体だけでなく、心の健康も忘れずに。
41回目の「清きいのち」の集い
今日、本校は41回目の開校記念日を迎え、午後に記念式典を挙行しました。記念講演では第27期生の中島様を迎え、「好きを見つけて幸せに~研究者として伝えたいこと~」という演題で、高校~大学~大学院~会社において自分がどう過ごしてきたかを振り返り、本校生徒に「幸せ」について考えさせてくださいました。久しぶりに全校生徒が体育館に集まり、吹奏楽部の伴奏で校歌も歌うことができて、よかったです。
また、今日は多くの都道府県や市町村で、「教育の日」に定められ、11月1日から7日までを「教育週間」としている県もあります。この1週間に、教育・文化に関する行事を集中的に実施し、我が国の教育・文化に関して、広く関心と理解を深めてもらい、その充実・振興を図ることを目的として、昭和34年から毎年開催されています。18の都道府県で「教育の日」や「教育週間」が定められていて、関東では、茨城県・群馬県・埼玉県で定められています。今までも現在の教育問題について書いてきましたが、本当に小学校が「待ったなし」の状況になっているようです。経済も大切ですが、教育がだめになると未来に大きな負債を抱えることになりますので、この機会に皆さんによくよく考えてほしいと思います。
災い転じて福となる
「災い転じて福となす」という諺があります。 身にふりかかってきた災難を,立場や見方を変えてみることによって,うまく活用し,逆に自分の役に立つようにするという意味ですが、タイトルは「なす」ではなく「なる」です。
なぜ、「災い転じて福となる」なのか?それに結びつく印象的なニユースがあったからです。今朝、秋田県の知事が、23日に地元で行った講演での失言のニュースが流れました。 知事は、全国知事会議で四国を訪れた際の体験を「四国なんか、もう大変ですよ。酒もうまくないし」と言い、さらに「メインディッシュがいいステーキだと思って開けたら、じゃこ天です。貧乏くさい」と発言していたのだそうです。 じゃこ天は、小魚のすり身を揚げて作る“愛媛県のソウルフード”。それを県のトップが、「貧乏くさい」とけなしたので問題となりました。じゃこ天を作っている会社は、売上が減ることを覚悟したそうですが、逆に1.5倍に増えました。なんと秋田からの注文が全体の6割を占めたそうです。注文した秋田県民が、「うちの知事が大変失礼なことを言って申し訳ない」と謝罪の言葉を述べていたそうです。皆さん、この秋田県民の対応は、どうですか。素晴らしいですね。よく、政治家の失言がニュースになりますが、心の中でそう思っているからつい口に出てしまうのであって、思っていないことは口から出ません。「口は禍の門」「口は災いの元」とよく言いますが、私も、今まで失敗した経験がありますので、自戒しています。今回は、秋田県トップの失態によって秋田県民が恥ずかしい思いをしたところを、県民によって名誉挽回され、かえって有名になって売り上げが増えました。災い転じて福となったのです。「めでたし、めでたし」と言ってもいいくらい、本当によかったですね。
「スマホを捨てよ、書を読もう」
今日から「読書週間」ということですが、皆さんは、本を一ヶ月にどれくらい読んでいますか。「読書週間は」は、1924年に図書館の利用PRを目的に日本図書館協会が制定した「図書館週間」(11月17日~23日)を母体としています。「読書週間」の目的は、読書の力によって、平和な文化国家を作ろうというものだそうです。最初は、一週間でしたが、1948年の第二回「読書週間」から、11月3日の「文化の日」の前後にまたがる現在の10月27日~11月9日の二週間に期間が延長されました。「読書週間」の一日目の10月27日は「文字・活字文化の日」に制定されています。
書店には、雑誌や本があふれているのに、読書量は減り続けています。全国学校図書館協議会が毎日新聞社と共同で調査を行った第67回学校読書調査(2022年)によると、5月1か月間の平均読書冊数は、小学生は13.2冊(前回比+0.5冊)、中学生は4.7冊(前回比-0.6冊)、高校生は1.6冊(前回と同じ)です。小学生の平均読書冊数は4回連続で増加しており、前回に引き続き、過去31年分の調査のうち最高値でした。5月1か月間に読んだ本が0冊である「不読者」の割合は、小学生は6.4%(前回比+0.9%)、中学生は18.6%(前回比+8.5%)、高校生は51.1%(前回比+1.3%)となり、全体的に増加しています。特に、前回は過去最低値であった中学生の不読者の割合が、著しく増加しました。
皆さんは、上記の結果を見て、読書量の減少の原因は何だと思いますか?私は先日のテレビ番組で、スマホを見ている時間が病的に多いの人たちを見て、恐怖を感じました。平日1日当たりの平均スマホ利用時間は、高校生5時間45分、中学生4時間37分、10歳以上の小学生3時間34分でそうですが、1日15時間以上スマホを見ている人もいて、正常な生活が送れているのかと思いました。どこに行くにもスマホがないと落ち着かない依存症の人はいませんか。電車の中で、本を読んでいる人は昔はけっこう見かけましたが、今はほとんどの人がスマホを見ているか寝ているかです。読書量が減り続けるのも当然ですね。読書とは、色々な人たちの考えや思いを手軽に知ることができる活動であり、人生の師匠をたくさん得られる活動です。じっくりと文章を味わって読む、繰り返して読むという行為のよさをぜひ知ってほしいと思います。そして、できれば電子書籍ではなく紙の本のよさを知ってください。
トゥース!
皆さんは、「8020運動」というものを知っていますか。1989年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動です。20本以上の歯があれば、食生活にほぼ満足することができると言われています。やはり、固いせんべいをバリバリ食べられたほうが気持ちいいですよね。そのため、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえるように」との願いを込めてこの運動が始まりました。テレビの入れ歯安定剤のCMなどを見ると、入れ歯だと色々と不便で食べ物が自分の歯に比べると気持ちよく噛めないんだなと思います。歯医者に行くと、インプラントやブリッジの方法についての解説動画に中で「自分の歯で噛める幸せ」という画面が出てきます。
歯の本数は、本来なら32本らしいですが、私は上下で4本少なかったため、歯間があいてしまい高校時代に矯正をしていましたが、矯正って痛みが続くんだなということを初めて知りましたね。私は虫歯になりやすかったのか、小さい頃から歯医者さんのお世話になることが多く、義歯が何本も入っています。前歯は2本差し歯です。先週末、歯が痛くなり先日1年ぶりに歯科医院に行ってきました。歯が痛いと頭や首まで痛くなってきたりして、思考力と集中力がそがれます。ちゃんと1日3回歯磨きしているのになぁと思いながら、歯医者さんに診てもらうと虫歯ではなかったものの奥歯の詰め物を全部ほじくり返すことになりました。痛みがないのは幸せだなぁと昨日は思い、丁寧に歯磨きしました。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といいますが、歯磨きを適当にせず、20年後に歯を20本残すことを目標に、今後は歯磨きを頑張りたいと思います。
噛むという行為に必要な歯は、よく生きる上で特別に大事なものです。その理由は、3つあります。まず、噛むことによって、唾液の分泌がよくなること。 唾液には、消化を助け、口腔内を清潔にする働きがあります。 次に、噛むという機械的な刺激が、頭やあごの骨、顔の筋肉の発育を促し、表情豊かな顔をつくるほか、大脳の働きを活性化すること。 そして、かたいものをかみくだく爽快感はストレス解消になるといわれていること。10代の生徒の皆さんは8020なんてとんでもなく先の話だと笑うでしょうが、よく噛めるように、若い時から歯と歯茎の健康には気をつけましょう。
みんな違ってみんないい!
皆さんは、自分は外向的・内向的のどちらだと思いますか。昔、勉強の仕方とか職業の選び方とかを診断するのに、どちらに入るかテストみたいなものが学習雑誌でありましたが、今はキャリア教育関係で性格や嗜好などから「あなたに合った勉強方法や職業」を教育関連企業が教えてくれるようですね。
少し前に、外向的・内向的性格についての記事を読んで、驚いたことがあります。それは、内向型か外向型かは生まれついての脳の仕組みで決まるもので、本人のやる気の問題ではないということです。気質は変えられないけれど、性格は外向性以外は変えられると、7月18日のブログで書きましたが、そういうことかと思いました。
内向型人間と外向型人間の最大の違いは「刺激への感受性」であると言われています。ドーパミンの感受性が違うのです。ドーパミンが出ると、テンションが上がったりいい気分になったりするのですが、内向型人間はこのトーパミンの量が少なくても満足することができます。一人で本を読んだり絵を描いたりしているだけでも十分楽しいし、しょっちゅう飲みにいかなくても、仲の良い友達とたまに会えれば満足なのです。内向型人間は、即断即決は苦手ですが、過去の失敗を踏まえて改善点を見つけたり、慎重な判断を下したりといったことに長けていると言えます。昔、「先生方が、みんな明石家さんまみたいだったら困るんじゃないか」と話したことがあります。色々な種類の楽器がハーモニーを奏でるオーケストラのように、色々なタイプの人間がいてお互いに得意なことで協力し合っているのが社会なので、先生も同じようなタイプの先生ばかりになったら生徒が困るということです。会社の人事部では、採用試験で同じタイプばかりにならないように考えています。同じようなタイプばかりになると会社が停滞してしまうからだそうです。
外向型でも内向型でも、どちらが優れているというわけではありませんので、自分の長所短所を理解した上で長所を生かせる進路を選択し、仕事や生き方に生かしてください。
♫人生はワン・ツー・パンチ♪♬
人生について考えさせられる説として「人生無意味説」と「人生ペルシャ絨毯説」というものがあります。「人生無意味説」は、『人は生まれ、苦しみ、死ぬ。人生に意味はなく、人は生きることで何かの役に立つことはない。生まれようが生まれまいが、生きようが死のうが、どうでもいいのだ。生きることにも死ぬことにも意味はない。』という、ニヒリズム(虚無主義)の極致みたいな説です。一方、「人生ペルシャ絨毯説」は、『過去に生じた不幸や苦悩、惨めさなどは、念入りに織り上げられた美しい装飾の一部でしかない。美しい絨毯には、光沢だけでなく、陰影も必要であることを思い出そう。それは、ネガティブな出来事であってもそのすべてを喜んで受け入れる態度と相通ずる。』です。前者はネガティブ思考、後者はポジティブ思考と言えるかもしれませんが、前者は「どうでもいいのならどうにでも自由に生きられる」と捉えることもできます。「人生ペルシャ絨毯説」は中国の故事「人間万事塞翁が馬」と同質のものだと思います。
今、受験勉強真っ只中の3年次の皆さんだけでなく、1、2年次の皆さんも多かれ少なかれ勉強や部活、その他の悩み(恋?)をかかえていると思います。『人は努力する限り悩むものだ』という言葉があります。アナウンサーの古舘伊知郎さんは、『本来ならウジウジする時間こそ大切にすべきなんです。僕が自由闊達に話せているとしたら、そうした時間をたくさん費やしたからに他なりません。悩む時間は、自信の源になります。自信がつけば、どんなことも思い切って言える胆力がつく。悩む時間こそが説得力を生むんです。』と言っています。悩みが陰影ならば、その隣には光沢の幸せがあるはずです。『たいした苦労もない代わりに、たいした喜びもない、ぬるま湯につかっている人がなんと多いことか』というセリフが出て来る漫画がありましたが、苦労したからこそ喜びもそれに比例して大きくなるのではないでしょうか。もちろん苦労すれば成功するという訳ではありませんが、自分がした努力と、それによって自分がどれくらい成長したかは自分が一番よくわかっているはずです。その努力を無駄とは考えられません。ここに生きているという事実がある限り、「人生に意味がないと諦めたら、そこで人生終了ですよ」とスラムダンクの安西先生なら言うでしょう。皆さんは「人生に意味はあるのか?」という問いについて考えることは無意味だと思いますか?