日誌
榎本校長のつぶやき
心の可視化は是か非か
内外教育という教育冊子の巻頭に長崎県立大学長の浅田和伸さんのコラムが掲載されていました。皆さんにも考えてほしい内容と思ったので以下に引用します。
『ある中学校では、生徒が手首に着けたリストバンド型端末で脈拍を測り、授業中の「集中度」を測定する実証研究を、企業の費用負担で行っているという。狙いは授業の改善や、生徒が「自分のデータを見て、次はもっと集中してみようかなと思ってくれるといいですね」ということだそうだ。別の小学校では昨年度まで端末のカメラで顔を映し、額の血流や体の動きを測定して、今の感情を「わくわく」「たいくつ」など4種類に分類するという実証実験をしていたらしい。企業やどこかの役所から頼まれたのかもしれないが、学校関係者はこれらを「気持ち悪い」と感じないのだろうか。私が生徒なら心の内など人に知られたくないし、まずは大人が職員室で使ったらどうですか、教育委員会や議会でも使って、次はもっと集中してみようかなと思ってくれるようになるといいですね、と言うのだろうか。』
俗にいうところのウソ発見器は、皮膚電気活動や呼吸,心拍などを測定して、その乱れから知っていることを隠しているかどうかを判定する機械ですが、授業をまじめに集中しているかどうかを測定する端末実験が行われているなんて知りませんでした。小学校での顔をカメラで分析して感情を4分類する実験は怖いですね。以前に観点別評価の一つである「関心・意欲・態度」を本当に適正に評価できるのかという議論がありましたが、心の中(頭の中)を調べようとするのは、人権侵害ではないかと思います。「人間に与えられた真の自由は、頭の中の考えるという行為だけである」と言った人がいました。言動となって表出すると社会では制限の対象になります。科学が進むと人類は未来にすべての自由を奪われるのでしょうか。以下の文章を読んでください。(たしか茂木健一郎さんのものだと思います)
『脳が一つのことに集中できる時間は、4分半しかありません。それ以上考えると、脳は別の考えが出てくるようになっています。その時はいったんほかの作業をしましょう。その間、脳内では関連情報と結びつける作業が始まっているので、再び同じことを考えたら答えが出ていることが多いのです。また、人間は、約16分に一度、今考えていることと違うことを考えてしまいます。「マインド・ワンダリング」と呼ばれる状態です。これを防ぐために、一つの作業は15分までとし、15分たったら別の作業をすることです。たとえ理想的な姿勢であっても30分で血流は滞ります。脳に血を巡らすために、30分に1度立ち上がったり、少し歩いたりするなどちょっとした運動をしましょう。最後に知的作業を集中して続けられる限界は90分だと言われています。大学の講義が90分で区切られているのも、この理由からです。』
45~50分の授業を、15分から20分のユニットで分けて異なる学習活動を児童・生徒にさせるのは理にかなっていると言えます。「読む・話す・聴く・考える・書く」などの活動を授業の中に計画的に組み込むのは、一つの活動を長時間続けると学習効果が低下するからです。前述の実験は、生徒一人一人について集中しているかどうかをパソコンで教師が見られるようにでもするつもりなのでしょうか。今や世界中に監視カメラがあり、偵察衛星には自動車のナンバープレートが読み取れる直前まで性能が進んでいるものがあります。歩き方の特徴から人物を特定できるソフトもあります。顔認証は、はるか宇宙からされてしまう時代がすぐそこまできています。もしかしたら、コナンの眼鏡が進化して、見えるものすべてが解析されてしまう時代がくるのかもしれません。そうしたらそれをプロテクトするマシンや仮面が売れるようになるのかもしれませんね。顔を完全にゴーグルとマスクで隠して声も変えられるようになった未来のコミユニケーションとは一体どんなものなのでしょう。過去に人間が想像したことは、現実化していますが、結婚してから死ぬまで素顔を見たことがないというSF小説がありました。さて、今日のブログは過去最長となってしまったようです。皆さんは、今日の内容から何を考えましたか。答えは出ないと思いますが、頭の中で温めていてください。
秋の夜長に考える
今日は世界食料デーで、国連食糧農業機関(FAO)が1981年に制定しました。10月5日のブログで書いた195の国際デーの一つです。FAOは開発途上国における飢餓や貧困について考え、世界の食料生産と分配の改善と生活向上を通して、これらを克服することを目的として1945年に設立されました。現在、世界では全ての人が食べられるだけの食料が生産されているにもかかわらず、9人に1人が十分に食べられていません。飽食が食品ロスを呼び、まだ食べられるのに廃棄される食品が日本では、523万トン出ています(農林水産省及び環境省「令和3年度推計」より)。 これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2021年で年間約440万トン)の1.2倍に相当します。食欲の秋ですが、ダイエットのために食欲と戦っている人もいると思います。それって実はぜいたくなことなんだって気付いていましたか。
少し話は変わりますが、「日本は、『生活に満足している』と答えた子どもの割合が最も低い国の一つ」だそうです。ユニセフ・イノチェンティ研究所が2020年9月に発表した報告書「レポートガード16『子どもたちに影響する世界:先進国の子どもたちの幸福度を形作るもは何か』」は、先進国の子どもたちの精神的・身体的な健康と、学力・社会的スキルについてランキングしています。日本の子どもの幸福度の総合順位は20位(38か国中)で、冒頭の指摘がなされています。身体的健康は1位でありながら、精神的幸福度は37位という最下位に近い成績でした。この結果を見て、皆さんはどんな原因があると考えるでしょうか。なぜ、身体的健康と精神的幸福度がこんなにも日本は乖離しているのか。私見ですが、「足るを知る」心が不十分で、自分の中での絶対評価ではなく、他人との相対評価による比較の度合いが高いからなのではないでしょうか。食べ物・飲み物・衣服が十分にある、そして娯楽もあふれている環境にもかかわらず、精神的幸福度が低い。「衣食足りて礼節を知る」という言葉のとおり、物質的な豊かさが満たされれば精神的豊かさが手に入るはずなのに、日本の子どもたちがぜいたくになってしまったのでしょうか。
日本の高校生は仕事に対し「生活のため」というイメージをもっている割合が米国、中国、韓国に比べ突出して高いことが6月22日、国立青少年教育振興機構の調査でわかりました。一方、「楽しい」との割合は最も低かったのです。調査は2022年9月~2023年2月、4か国で各約1800~4800人を対象に実施されました。仕事が「生活のため」かどうか問う質問に「とてもそう思う」と回答したのは、米国16.3%、中国17.7%、韓国32.4%でしたが、日本は68.6%と目立って高い数値でした。「楽しい」と回答したのは米国34.5%、中国26%、韓国29%に対して、日本は18.8%と低い数値でした。「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」との質問に、日本は4か国中最多の49.9%がとてもそう思うと回答し、10年前の調査から約16ポイント増加しました。将来の職業などを座学したとする割合は、日本は8割を超えてトップでしたが、実際の職場見学や就業体験、ボランティア活動は7.4~16.8%と低く、他の3か国を大きく下回りました。
今日は自分で書いていて暗くなってしまいましたので、明るい言葉で締めたいと思います。「授業は教師も楽しむ時間である。仕事は楽しくていいのだ。教師が楽しんでいる授業は生き生きとしている。」「楽しい仕事があるのではない。自分が仕事を楽しくすればいいのだ。」皆さんも、自分の幸福度について考えてみてください。
憎しみの連鎖は断てるか?
昨年の10月12日は、コロンブス・デーについて書きました。歴史的事実とそれに対する評価は異なるもので、歴史が勝者によって記され、敗者の歴史は抹殺されることも珍しくはありません。日本のマスコミは、取るに足らない事件を報道し、世界で起こっている重要なニュースを報道しない(無視する?)傾向があります。ですから、テレビしか見ていなければネットで取り上げられているようなニュースは知りようもありません。日本人が海外のニュースにあまり関心を示さないことや営利企業であるマスコミの方針であるのかもしれませんが、世界の国々は昔に比べてはるかに情報や物流網で相互に大きな影響を与え合っており、他国と付き合っていく上で、国際情勢についてよく知っておくことは不可欠です。さすがに今回のイスラエルとパレスチナの紛争については、早くから報道されていますが、なぜ、こんな事態になってしまったのかについては、ほとんど解説されていません。そのうち特集番組がNHKあたりで組まれるかもしれませんが、皆さんは世界史で勉強しているはずなので、説明できますか。私は試しにChatGPTに「イスラエルとパレスチナが、なぜ争っているのかを歴史的背景と経緯を高校生にわかるように説明してください」と問いましたが、残念ながら満足のいく回答が得られませんでした。
まず、この問題の根源にあるのが、ユダヤ人が自分たちの王国をローマ帝国に滅ぼされてから2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきたという歴史です。1948年に悲願であったユダヤ人の国家であるイスラエルがパレスチナに建国されましたが、そこは、ユダヤ人にとって旧約聖書で「神が与えた約束の地」と書かれている土地でした。一方で、パレスチナに住んでいたアラブ人であるパレスチナ人は、イスラエルの建国で故郷を追われました。いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区という場所で、今回紛争が起こっているのがガザ地区です。
イスラエルの建国とアラブとの問題は、第一次世界大戦中のイギリスのいわゆる三枚舌外交にあります。1915年のフセイン・マクマホン協定でアラブ人に独立国家を約束し、1916年にサイクス・ピコ協定で英仏が中東を分割支配することを密約し、1917年にバルフォア宣言で、イギリスがユダヤ人に戦費の調達を依頼しようと考え、「連合国側の味方をすれば、パレスチナの地でのユダヤ人の国の建設を支持する」と約束しました。これらの矛盾した外交により、パレスチナと周辺アラブ諸国は混乱し、1947年に国連でパレスチナ分割決議が採択されてイスラエルが建国された後も、禍根を残し紛争が絶えなかったわけです。第1次から4次までのイスラエルとアラブ諸国との中東戦争の歴史と1993年のパレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)に代表される和平交渉の歴史をここで書く紙幅はありません。興味をもった人は調べてみてください。ユダヤ人がなぜ迫害されてきたのか、ユダヤ人の現在の世界での影響力、エルサレムという場所の特異性など、素朴な疑問はたくさん出てくると思います。そんな時に、すぐ調べる習慣を身に付けてください。それが大きな差になって表れてきます。
ウクライナとロシアの紛争が続いているように、領土・民族・宗教が紛争の火種となって世界に影響を与える状況は、いつになったら終わるのでしょうか。平和と思われている日本も、近い将来紛争に巻き込まれる日がくるのでしょうか。周辺諸国に対抗するために2023年度予算の防衛費は過去最大の6兆8219億円で2022年度の当初予算と比べて1兆4000億円余り多く、およそ1.3倍と大幅な増額となっており、11年連続の増額だそうです。「教養とは歴史である」と言った方がいましたが、歴史をよく知った上で、日本の世界での身の振り方を決定するために、私たちは選挙で政治家を選ぶ必要があります。政治は一部の頭の良い人に任せておけばいいと考える国民が増えれば、日本がどんな道に進んでも文句は言えません。皆さんは18歳で選挙権をもつようになりましたが、若年人口はただでさえ少ないので、選挙に行かなければ高齢者の考えが政策に反映されがちになってしまいますよ。課題意識をもって、これからも勉強に励み、政治に無関心にならないようにお願いします。
視力回復祈願
今日10月10日は、昔なら体育の日でしたが、体育の日は「スポーツの日」となり10月の第2月曜日になりました。他にも記念日はたくさんありますが、「10」「10」を横に倒した形が眉と目に見えることから中央盲人福祉協会が1931年に「視力保存デー」として制定し、戦後、厚生省(現:厚生労働省)が「目の愛護デー」に改称しました。スマホやタブレットの普及で小さい子どもも早くから目が悪くなる傾向にあります。皆さんは、1日何時間スマホを見ていますか?自分の視力の低下に危機感は感じませんか?目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりすると危険を察知できなかったり、察知が遅れてしまいます。感覚器官は、人間が生きていく上で非常に大切です。私は大学生までは視力が2.0でしたが(勉強しなかったからというわけではありませんよ)、IT関係の会社に勤務して1年で1.0まで下がりました。1日中パソコンとにらめっこしていたからだと思います。現在は0.5ありませんので、必要に応じて眼鏡をかけています。近眼・老眼・霞目など、よく見えないというのは大きなストレスです。視力回復のために色々努力しましたが、だめでした。皆さん!スマホやパソコン、タブレット等は、見る時間を制限して、目を大切にしましょう。近い未来に目が簡単によくなる技術が開発されるかもしれませんが、いつになるか保証はありませんからね。
先日読んだ雑誌におもしろいことが書いてありました。今も昔も人間は変わらないと感じられる例えとして、最近は「ユーチューブばかり見ていちゃダメだ」なんて言われるが、家庭にテレビが普及した何十年か前は1億総白痴論といって、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう。だから、テレビばかり見ていちゃダメだ」と言われていました。もっと遡ると、活版印刷の発明によって大量に本が生み出されるようになったのを見て、ドイツの哲学者ショーペンハウエルが「本なんか読んじゃだめだ」「こんなのずっと見ていたら自分が思考しなくなる」と言っていたそうです。「え~っ?何それ!」ですよね。「漫画ばかり読んでいたらバカになる。本を読みなさい。」と子どもの頃に散々言われたのは何だったの?って感じです。人類は得られる情報量が急激に増える情報爆発を何度か経験してきました。本・新聞→ラジオ→テレビ→パソコン・スマホとメディアの変遷はありますが、AIが幅を利かすビッグデータの時代では、自分の頭を使って情報を得ているか、得た情報について自分で考えて判断しているかによって影響は異なってくると思います。人間の五感による知覚の割合は、視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚は1%といわれています。人間が受け取る情報のうち、8割は視覚からの情報です。ということは、目を最も大切にしないといけないということですね。今日は「目の愛護デー」です。皆さん、目をいたわりましょう。
生成AIに「問う!」
先日、群馬県教育委員会より「学校における生成AIの利用に関する解説動画」視聴のお願いを皆さんにしました。見てもらえましたか?今までに何度か生成AIについて取り上げましたが、既に高校でも生成AIを使った授業が行われていたり、レポートや探究課題に生成AIを利用していたりと、よい面もあれば悪い面もあります。AIが作成した文章かどうかを判別するアプリも出ていますが、まだ信用できるレベルまではいっていないようです。Appliv という企業が10〜20代の男女533人に対し、夏休みの宿題における生成AIの利用実態調査を実施したところ、3人に1人が夏休みの宿題に生成AIを活用したと回答したそうです。再度、肝に銘じてほしいことは、生成AIは必ずしも正確ではないこと、納得できる答えを求めて、質問を変える”問う力”を身に付けることが必要であることです。アインシュタインも「重要なことは問うのをやめないことだ」と言っています。
小学校の道徳の授業で「ある出来事に対して生徒たちと一緒に生成AIにも意見を出させて、みんなでそれについて話し合う」という試みがありました。生成AIに複数の立場からの意見を並列して提示させることが、子どもたちが様々な考え方に触れ、自分の頭で判断する力をつけるきっかけにしようとしたのです。先生も子どもたちも考えつかない意見が出てくるかもしれません。対話的学習活動を補完することになります。
苫野一徳という熊本大学大学院准教授が「本質観取」という哲学対話を、多くの子どもたちと続けているそうです。「〇〇とは何か」という問いに対する答えを言葉で編み上げあっていく活動です。子どもたちは「学びとは何か」に対して「学びとは、自分自身の問いと気付きを通して、生が豊かになっていく営みである」、「存在とは何か」に対して「存在とは、言葉になるすべてのものである」という答えを見つけ出しました。生成AIは便利なので使いたくなる気持ちもわかりますが、考えることの楽しさや自分の能力の可能性を知らず知らずのうちに捨ててしまわないように注意してください。生成AIに依存し自分の力を育てられなくならないように、自らの力を生かして生成AIを使いこなせるようになってください。
世界教師デーに思う
今日は、「世界教師デー」です。ほとんどの人には知られていないと思いますが、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が1994年に制定した国際デーの一つです。調べて驚きましたが、国際デーは、全部で195もあるんですね。その中でユネスコが制定したものは11あります。9月8日に触れた「国際識字デー」はそのうちの一つです。「世界教師デー」が制定されたきっかけは、1966年10月5日に、「教師の地位向上に関する勧告」が調印されたことです。教師への支援を求めることと、将来を担う世代の子供たちに、充分な教育を施せるよう求めることを目的としています。教師の教育権だけでなく、子供たちが教育を受ける権利の重要性についての認識や理解を求めています。世界100ヵ国以上で世界教師デーが実施され、UNESCOはこの日を中心に国際会議を開催しています。さて、私は日本の教師の仕事量が世界の中でも多いことは知っていましたが、ついこの前までは給与等の地位的なことは、世界の中でも上位だと思っていました。それが、先日OECD加盟国の中で平均以下という記事を読んで、間違いであることに気付き、驚きました。近年、教師はブラックだという評判が広まり、初任者(小中特)が年間で400人以上辞めていることや、教員採用試験の倍率の低下(群馬は全国66の自治体の中で18番目でよいほう)、過労死ラインを超える残業時間の多さ(教職調整額という名の下に残業手当はありません)、教職員定数を充足できない学校の増加(臨時的任用教員の減少)、精神疾患による休職者が6000人弱など、書いていて気が滅入ってきます。「教育は国家百年の大計」であり、教育がうまく機能しないと、将来に禍根を残すことになります。「1年先を思う人は花を育てなさい。10年先を思う人は木を育てなさい。100年先を思う人は人を育てなさい」という言葉(原文は中国の古典「管子」?)がありますが、日本の学校現場の改善は、「待ったなし」のところに来ているようです。先生方が疲弊し、教育の質が落ちて、不利益を被るのは子どもたちです。田中角栄は、「人材確保法」を作り、教員給与を引き上げましたが、「できれば先生方の月給を倍にしたい。」と言っていました。また、「特に小学校の先生を大事にしなければならない」とも言っています。もちろん、保育士や幼稚園の先生の待遇改善も必要です。教育改革で仕事が増える一方なのに、教員数は増えずに、35人学級を40人にに戻さざるを得ない学校も出てきました。皆さんの子どもが、小学生になるのは15~20年先になるでしょうか。その頃、学校はどうなっているのでしょうか。一昨日に文科省が発表した調査結果によれば2022年度不登校の小中学生は過去最多の約29万9千人。いじめは小中高などで約68万2千件が認知され、被害が深刻な「重大事態」は923件。いずれも過去最多ということです。こんな暗いニュースを聞いても、教育の未来に明るい希望を持ち続けなければと思います。先生方は、子どもたちのために真摯に頑張っているのですから。教育実習に行って「先生になりたいという思いが強くなった」ではなく「先生は私には無理!」とならないように、教員志望の皆さんにお願いします。
明るく元気に、みんな仲良く・・・無理?
今日 10 月2日は語呂合わせから東武鉄道が2005年に制定した「東武の日」だそうです。通学でお世話になっている皆さんも多いですよね。東武鉄道株式会社は、1897年11月1日に設立された会社で、「東武」の名称は「武蔵国(むさしのくに)の東部」に由来し、創立は日本の大手私鉄の中では最も古い老舗企業だそうです。私は不勉強で初めて知りました。皆さんは知っていましたか。
さて、今日はルールについて少し書きます。学校では、学校教育目標や学級目標などと違って明文化されていないルールも多いですが、日本教育新聞の社説に小学校での話が載っていました。『小学校の担任教師が子どもたちに「みんな仲良く」という暗黙のルールについて「どう思うか」と問いかけて、話し合いをした。子どもたちは「好きな人と嫌いな人がいるから無理」といった結論を出した。その結論に対して、担任教師が「でも学校行事など、学級内で協力をしなければならないことがたくさんあるよね」と尋ねると、子どもたちは再度話し合い、「いざとなったら協力しよう」という結論を出した。』みんなが心の中で思っていることを、この先生はあぶり出して考えさせましたね。
この話を読んで、皆さんはどんな考えをもちましたか。みんなと仲良くするのは理想だし、できればそうしたいけれど、人はそれぞれ考え方や価値観が違うし相性もあるから、無理だと思うこともありますよね。その時、お互いに話し合って歩み寄って協力できるかどうかかが、社会で生活する上で求められる力です。「自分が正しく、相手が間違っている」と一歩も譲らなければ、何も進展しません。人の好き嫌いがある、性格が合う合わないのは人間なのだから仕方ないことであることを前提として、それでも人のいいところを見つける目を育てて歩み寄って協力できるようにしていくことが、学校という集団活動を通して勉強できることなのでしょう。それが、皆さんに卒業までに身に付けてほしい非認知能力の一部でもあります。
胸に刺さる言葉その2
先日の秋分の日に、義父母のお墓参りに行ってきました。昨年の5月3日のブログで、菩提寺には大小二つの掲示板があって、様々な言葉が月替わり?で掲示してあることを書き、二つ紹介しました。今回は、「やれる可能性のあるやつが 努力しないのを見ていると 胸ぐらをつかんで “俺と代われ”と言いたくなる 白血病の青年」という言葉が掲示してありました。この言葉は、口には出さなくても、自分ではどうにもならない不幸な境遇にある世界中の人の心の中にあるかもしれません。近年、嫌な言葉ですが「親ガチャ」を筆頭に「〇〇ガチャ」という言葉が、色々と生まれました。私は、大学生の頃、都会に住む同級生に住所の地名を笑われたことがあり、田舎を笑う同級生に「たまたま都会に生まれただけで偉いのか?」と言い返したことがあります。この場合、「出身地ガチャ」ですね。冒頭の白血病の青年の言葉には、運命を呪っても、何も好転しないのはわかっているので、口には出さないものの(なぜ、私が・・・)と思っている人の、「可能性のある人には自分の可能性を無駄にしないでほしい」という思いがこもっていると思います。私が今まで見た中で異質の強い言葉でした。明日から2日間、全校で親睦を深める楽しい行事である球技大会が開催されますが、球技大会に参加できるということに感謝して、プレーも応援も頑張りましょう。
「どうせ無理!」ではなく「大丈夫!あなたならできる!」
今日は、午後に太田市社会教育総合センターにおいて2年次生の保護者を対象とした進路講演会と修学旅行説明会を実施しました。進路講演会では「2025年度入試に向けて」という演題で、話をしてもらいましたが、少子化が進んでいるにも関わらず、世の中の変化により大学の数は増え、新しい学部・学科が生まれ続け、大学も生き残りをかけて進化しています。生徒の皆さんには進路先と進路実現するための方法の情報収集力が求められますが、膨大な情報の中から自分に必要な情報を集めるのは、かなり大変です。そこでまずはプロの水先案内人にお願いすることになります。説明を聞いて基本的なことを押さえた上で方向性を確認し、自分で調べ、先生と相談しながら希望進路を決定し、実現するための方法を考えていきます。もちろん、本人が自分事として考えて進路選択の方法について勉強しなければならないのですが、保護者の皆さんにも基本的なことと自分にできることを知っておいてもらうほうが、お子さんとコミュニケーションする材料が持てて話がしやすくなってよいと思います。少しでも、この機会に現在の進路情報を仕入れていただければと思います。お話の最後に「どうせ無理!」は悪魔の言葉とありましたが、「大丈夫!あなたならできる!」という天使の言葉に置き換えて、お子さんを励まして、進路実現という団体戦を共に戦っていましょう。
修学旅行説明会では、旅行社の方と先生方から色々と説明がありましたが、一番心配されるのは「コロナ」と「インフルエンザ」です。昨年は、なんとか旅行中にコロナ感染者が出ずに帰ってこられましたが、今冬はコロナだけでなくインフルエンザも流行しそうなので、十分感染防止に注意してもらえればと思います。昨年は、2年次生が中学校の時の修学旅行が中止になってしまい京都に行けていないことと、移動距離を短くして見学場所を増やせるように、広島から京都に行先を変更しましたが、今年は当初の予定どおり広島に行って平和学習ができます。厳島神社の顔である大鳥居も昨年12月に修復が終了しているので見ることができます。コロナで多くのことが自粛・中止になる中で、当たり前と思っていることが実は幸せなことなのだと気付いた人が多いと思います。生徒の皆さんは、旅行費用を捻出してくれた保護者の皆さんに、バスや新幹線などの交通機関で働いている方に、宿泊するホテルの従業員の方に、見学地で働いている方に、そして旅行代理店の方と引率の先生方への感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。
レインサンダーズに注意!
昨日は、雷が鳴り始めて北の空にきれいな稲光が縦に走ったのが見えたため、校庭で部活動をしている生徒に避難指示を放送してもらいました。その時は、まさか、あんなに激しい雷雨になるとは想像していませんでした。体育館の卓球場が横殴りの雨のため浸水してしまい、大変なことになりました。9月中旬にもなって雷で避難指示を出すことになるとは思いませんでした。
「課外クラブ活動中の落雷事故に関する初の最高裁判決」が2005年にあり、その後高裁に差し戻され、損害賠償請求としては、総額で約4億8000万円の支払いを命じる判決となりました。この事案では、以下のような経緯の中で落雷事故が発生しました。豪雨→雷注意報発令→雨が止む。上空の大部分は明るくなるが、一部で暗雲が立ちこめ、雷鳴も聞こえた。ただし雷鳴は大きな音ではなく、遠くの空で発生したと思われる程度のものであった。その中で試合を開始した。→試合中に競技者に落雷した。科学的には、雷鳴が聞こえるときは、その音が遠くであっても落雷があるかもしれないことを予見できたとされ、責任を回避することはできませんでした。皆さんも、部活動中に限らず、雷を甘く見ないで行動してください。一生を棒に振ることになります。
今日は、保健体育の教育実習生の研究授業がありました。体育館でバスケットボールでしたが、今日は涼しくてよかったですね。始業前から係の生徒を中心に準備運動や補強運動がしっかりできていました。先生の説明や指示をよく聞き、きびきびと動けていました。先生はグループ毎に見て回り、笑顔で褒めたり助言したりしていました。振り返りの学習活動の記録も、みんなよく書けていました。コロナと怪我に気を付けて、来週の球技大会を迎えられるようにしましょう。
バスの有難さ
今日は、「バスの日」だそうです。日本バス協会が1987年に行った全国バス事業大会で制定しました。1903年9月20日、乗り合い自動車が京都市内を走ったのが日本初の営業バスとされています。今朝のテレビで、コロナ禍で経営不振に陥りバスの運転手の解雇が増えたため、現在は逆に観光バスの運転手不足で困っているというニュースがありました。2学期は修学旅行シーズンであり、他にもバスを使う行事が多いため、観光バスの予約が困難になっています。コロナが5類になったことで、観光にお客さんが戻ってきて、宿泊業も人手不足で困っています。様々な職業の人が、日々自分の仕事を遂行してくれているので世の中がまわっています。これから修学旅行や大学見学、芸術鑑賞教室とバスの運転手さんには御世話になりますので、感謝しましょう。
本日から「彼岸の入り」です。23日が中日で秋分の日です。近頃暗くなるのが早くなりましたね。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があります。「冬の寒さ(残寒)や夏の暑さ(残暑)も彼岸を過ぎると和らぎ、しのぎやすくなる」という意味ですが、今年は特に暑かったので、彼岸を過ぎても真夏日が続くかもしれません。来週は球技大会もありますので、熱中症には注意しましょう。ところで、皆さんは「ぼた餅」や「おはぎ」は好きですか?日本では彼岸に供え物として、食べられていますが、名前の由来は、彼岸の頃に咲く花である春の牡丹(ぼたん)と秋の萩(はぎ)だそうです。以前にもブログで書いた記憶があります。「ぼた餅」と「おはぎ」の違いは、知っていますか。秋に食べる「おはぎ」は、とれたての小豆を使っているので、粒のままでも皮も柔らかく、美味しく食べられるので粒あんを使っています。一方、その小豆も春になると時間が経って固くなるため、春に食べる「ぼたもち」にはこしあんを使うというわけです。
お彼岸には次の2つの意味が込められているといわれます。1. 迷いや煩悩のあるこの世「此岸(しがん)」に対し、悟りの開けたあの世(彼岸)のこと。2. 此岸から悟りの境地の彼岸に至るために、仏道の修行をおこなう期間のこと。彼岸の入りから彼岸明けまでの7日間のうち中日(春分の日、秋分の日)以外の6日間は修行する日なのです。
春分の日と秋分の日には、太陽が真東から昇って真西へ沈みます。夏至の日のブログで太陽の運行図を載せましたが、覚えていますか。仏教の世界では「御先祖様のいる彼岸は西に(浄土は西にあります)、私たちがいる此岸は東にある」とされており、昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」へのゲートが開くといわれてきました。お墓参りをするのも、そのためです。お盆との違いは、此岸(家)に御先祖様を迎え入れるところです。彼岸会の行事は、日本特有のものらしいですが、「国民の祝日に関する法律」ではそれぞれ国民の祝日と定められ、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日とされています。春分の日と秋分の日は同じ意味ではなかったのが意外でした。年に3回、御先祖様との繫がりを意識する日を大事にしたいものです。御先祖様がいなければ、私たちは存在していないのですから。
みらいの太東生へ~オープンスクール編~
本日は、受検生に本校の授業や部活を実際に見てもらうためのオープンスクールを実施しました。午前・午後の二部制で合計400人以上の中学3年生が暑い中、来校してくれました。昨日のように午後に雨が降らずによかったです。学校説明会に来られなかった人もいるので、まず初めに体育館で令和6年度入試について説明をしました。自分たちが注意すべき点について理解してくれたでしょうか。授業見学は、どうだったでしょうか。教室の中に入って見学する生徒は、それほど多くはありませんでしたが(教室が狭くて後ろの空きがないこともありますが)、教室と廊下の間の窓とドアを開けていたので、廊下から、どんな授業をしているかは見てもらえましたね。音楽室は入りきれずにドアの外で待っている生徒がいました。ICTを活用している授業が多く見られたと思います。本校の先生方がどんな授業をしているかは、本校Webページのトップページに「授業参観日記」があり、今年度の全ての先生の授業について写真付きで書いてありますので、興味をもったら見てみてください。昨年は、本校の生徒が同じ中学の後輩を見つけて小さく手を振っている光景が見られ、微笑ましかったです。今年は、ALTに廊下で話しかけられている生徒が見られました。部活動の見学をして、本校の部活動の雰囲気はどうだったでしょうか。今日のオープンスクールで、本校を第一志望とする意志を強くしてもらえたなら、大変うれしいです。受検生の皆さん、太東生となって4月にお会いできることを願って応援しています。
皆さんの土台は?
今日は、最近の教育冊子や教育新聞で読んだ記事を元に皆さんに考えてほしいことを書きます。
まず、コロナ禍で一人一台パソコンが教育現場で一気に進み、ICT活用が勧められている現在の日本ですが、効果とともにもちろん課題も出てきています。次の①②の記事を読んでみてください。
①佐藤学(東京大学名誉教授)によれば、PISA委員会によるOECD加盟29か国を対象とする調査報告(2015)によると、教室でのコンピュータ利用時間が長ければ長いほど学力が低下する結果を示している。アメリカに本社を置く大手コンサルティング会社であるマッキンゼー・アンド・カンパニーが2018年に51か国34万人の生徒を調査した報告(2020)では、教室のコンピュータは教師一人が活用するときにのみ若干の効果(プロジェクターとしての活用は効果)があり、一人一台使う場合最もダメージが大きい(アジア諸国でダメージが最も大きい)。
②フィンランドは、欧州のデジタル経済・社会指数を示す「DES1」ランキング(2022)で1位を獲得したデジタル強国であるが、ノートとペンでじっくり取り組む時間が減り、画面上で次々とページをスクロールする作業が増えた。すると、子どもたちの集中力や忍耐力が低下した。教員らは、デジタルの過度な使用と集中力の低下に明確な因果関係があるとし、「人間の深い思考力が奪われている」と強い危機感を抱いている。
①②の記事を読んで、皆さんの反応は「え~っ!本当?」「そうだろうな!」のどちらでしたか。このブログには立場上なかなか書けないことも多いのですが、もし①が本当ならば、現在のGIGAスクール構想を見直さなければならなくなります。ただ、しっかり判断できるだけのデータが示されていないので、これらの記事だけではわからないというのが正直な感想です。こうした政策に関する記事を読んだ時に、利益を得るのは誰なのかという観点から考えることも重要です。歴史では、戦争の大義名分と本音(誰が利益を得るのか)を考えないと、戦争を防ぐためにどうしたらよいかを考えることができません。何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですので、ICT活用も他の活動とのバランスをとることが大事で、「特に義務教育においては慎重であるべきだ」とまとめてしまうのは簡単なのですが、皆さんはどう考えますか。それでは、次の③④の記事を読んでみてください。
③「『教育七五三』の現場から」(瀧井宏臣著)が刊行されたのは平成20年。同書は副題などで授業の内容を理解できない子どもの割合は、小学校3割、中学校5割、高校7割と指摘している。哲学者ホワイトヘッドは「あまりに多くのことを教えることなかれ。しかし、教えるべきことは徹底して教えるべし」と基礎・基本の重要性を説明している。
④「成長を欲する者は、まず根を確かにおろさなくてはならぬ」「上にのびる事のみ欲するな。まず下に食い入ることを努めよ」(『偶像再興』和辻哲郎) 確かな読み書きの能力は、思考や学習の基盤であり、個々人の一生を支える土台である。国語教育者大村はま先生は、卒業式で、「若い時は別れが悲しくて涙したが、後年には、これから世に出ていく子どもたち一人ひとりに、本当に確かな力を身に付けさせてやることができたか」という自責の念に駆られ、悔恨の涙に暮れたという。
1学期に高校3年間で身に付けたい力について、皆さんにアンケートを採りましたが、それは中学校までに身に付けた力を土台にします。基礎・基本の重視は、教育界では当たり前のことですが、9月8日のブログで書いた「読み書き」が正にそれで、それがしっかり身につかないまま進級したり進学したりすれば、土台がしっかりしていないところに家を建てることになります。必然的に大きな家は建てられなくなります。
コンピュータの進化によって、私が高校生だった頃と比較すると、世の中は大きく変わりました。これからも加速度的に変わっていくことでしょう。ただ、漫画や小説などで理想として描かれる世界連邦や国境のなくなった世界の実現は、宇宙人という黒船でも来ない限り、夢まぼろしのままかもしれません。日本という枠組みは続きます。ですから、母語をしっかりと身に付けることが、自分を大きくするための土台であることを自覚して、学習してください。日本語は、日本人としてのアイデンティティを形成している大事なものですから。
苦しさ < 楽しさ
今日は、マラソンの日です。マラソンの名前の由来と、42.195kmという中途半端な距離の理由は、以下のとおりです。ただし、真偽のほどは定かではなく諸説ありますので、御注意を。
紀元前450年の9月12日、アテネのマラトンに上陸したペルシャの大軍をアテネの名将が撃退し、アテネの勝利を告げるために兵士が伝令となってアテネの城門まで走り、絶命したという故事があります。その故事から1896年にアテネで第1回オリンピックが開かれるに当たり、マラトンからアテネ競技場までの約40kmの競走が加えられ、初めての「マラソン競走」が行われたそうです。私も調べて驚いたのは、1920年の第7回オリンピックまでは距離の統一はされておらず、約40kmであればよいとされていたことです。そんないい加減なと普通は思いますよね。同じ距離を全員で走ればよいという認識だったようです。規格統一が検討されたのは、1924年の第8回パリオリンピックからで、その際に1908年の第4回ロンドンオリンピックのマラソン距離42.195kmが採用されて、現在に至るそうです。実は、当初41.843kmの予定だったのが、王妃がバルコニーから見物できるようにスタート地点を変えたため0.352km延びて42.195kmになったという説があります。
私は、10kmを4回走ったことがあるだけで、マラソンを走ったことがないため、どれだけ苦しく大変かはわかりません。ただ、長距離走が自分のペースをわかった上で走らなければならないことや、苦しくて止まりたいという気持ちとの闘いではないか(個人差はあると思いますが)ということはわかります。心と体の忍耐力を同時に鍛えられるのが、マラソンなのではと考えます。交通事情の変化によりマラソン大会が実施されなくなった高校もありますが、マラソンに限らず同様な学校行事は少なからず必要ではないかと思います。忍耐力というのは一朝一夕に身につくものではなく、小さい時から少しずつ身に付けていくものです。アメリカでは肥満の子どもに運動してもらうために任天堂のwiiスポーツを取り入れているというニュースを昔見ました。苦しいだけでは長続きしないので背に腹は代えられないという思いで取り入れたのだと思いますが、苦しさよりほんの少し楽しさが勝るような活動がいいなと思います。2学期は、体育的行事として球技大会とマラソン大会がありますが、それぞれ何のためにやるのかを皆さん一人ひとりに考えてほしいです。
今日は、また「ク(9)イ(1)ズ(2)」と読む語呂合わせから「クイズの日」でもあります。日本は、クイズ番組が人気があるので、昔からあったと思いきや2021年に認定されたばかりだそうです。
クイズの魅力、面白さ、奥深さをさらに多くの人に知ってもらうのが目的だそうですが、子どもだとクイズより「なぞなぞ」のほうが身近かもしれません。知識があれば、すぐ答えられるものと考えないと答えられないものの二種類に分かれると思いますが、この記念日を提案した日本初のクイズの総合商社として知られる株式会社キュービックは、クイズを『「問い」と「答え」で構成されたコンテンツの総称』と定義しています。これからの皆さんに求められているのは、自ら「問い」を設定する力、課題を発見し、解決する方法を考える力です。この場合、答えは一つではありません。ですから、現実社会はクイズとは違います。多くの知識があったほうが、課題解決のために活用できる武器が増えるので、多いにこしたことはありません。逆に知識を活用して結びつけ、新たなものを創造できなければ、せっかく知識を身に付けても無駄になってしまいます。以前にも書きましたが、スマホやパソコンですぐ調べられるから覚えることは少なくていいというのは間違っています。様々な知識が自分の中にあって思いもしないところで結びつくからこそ、それらが反応して新たな考えが生まれるのです。クイズ番組を見るのでもいいので、考える習慣を増やし、インプットとアウトプットをバランスよく行い、脳の活性化を図ってください。苦しさより楽しさが勝るように勉強も部活も考えてやってください。
これから逆転の後半だ!
3月は、大谷選手の活躍で野球のWBCが盛り上がっていましたが、最近はバスケットボールとラグビーのワールドカップの話題で盛り上がっていますね。私はバスケ好きなので、今のところバスケットボールの全試合を見ています。フィンランド戦の後半もそうですが、ベネズエラ戦の第4クォーターは本当に興奮しました。第4クォーターの最初で逆転は無理かなと思い書斎に行きましたが、何か気になって冷たいものでも飲もうとリビングに戻ったところ点差が縮まっていて、ちょっと見ていたら5点差までいって、これは逆転するのではと最後まで見ていたら、逆転どころか9点差をつけて勝利したのには「ミラクル!」と驚きました。本当にあきらめずに勝利を信じてプレーした結果、勝利の女神を呼び寄せたんだなと心底感動しました。そして、スラムダンクで安西先生が三井にかけた「諦めたら、そこで試合終了ですよ」の言葉を思い出しました。エンゼルスの大谷選手が、ドーピングの疑いをかけられていましたが、2021年のインタビューで「(無観客から有観客になってファンの声援は)一番のドーピングではないかと思っている。」という神対応がありました。今回のバスケも観客のすごい応援が選手を後押ししていました。生徒の皆さんも、勉強に運動に最後まであきらめずにお互いに鼓舞し合っていきましょう。国公立大学を目指す3年次生は、後期試験まで第一志望を譲らず貫いてください。応援しています。
『人には余裕というものが無くては、とても大事はできないよ』勝海舟
記録的な暑さの夏休みが終わり、2学期が始まりました。まだまだ暑い日が続くようで、いつになったら過ごしやすい秋がくるのかなという感じですね。部活で真っ黒になっている人、勉強漬けの日々を送った人、普段できない活動をした人、人によって千差万別な夏休みを過ごしたと思いますが、夏休み前に計画したことは達成できたでしょうか。私は、たまっていた本をできるだけ読もうと考えていましたが、読んだ分以上に買ってしまったので、たまっている本が増えてしまいました。仕事については、片付いたものもありますが、できたらやってしまおうと思っていたものは先延ばしになってしまいました。ただ、優先順位の高いものから片付けたので、まあよしとしています。
私が皆さんと同じ受験生だったころは(42年前)、入試科目の問題集を一冊終わらせるとか、英単語2000・古文単語400・日本史用語集などを一通り最後までやるとか、目標を立てていましたが、達成率は自信をもって書けるほどではありません。計画通り終わらなかったと嘆いている人も多いと思いますが、大丈夫です。計画した量が多すぎたと思えばいいのです。ほとんどの人は、あれもこれもと欲張って、自分のキャパをオーバーした計画を立てがちだからです。80%しか達成できずに落ち込むより、100%達成して、余裕があれは+20%追加できたほうが、精神的に充実感と達成感が得られます。3年次生は、これから受験まで5か月以上ありますので、自分に必要な勉強を見極め、見通しをもって余裕のある計画を立て、達成できたらプラスアルファの勉強をしてください。勉強に部活に学校行事と、2学期は忙しくも充実した日々が続くと思います。心も体も余裕をもって頑張ってください。無理して体を壊して休めば、時間とともに精神的余裕もなくなります。何事もいいコンディションで継続できることが大事ですよ。
みらいの太東生へ
本日は、太田市民会館で午前(太田市内の方)・午後(太田市外の方)の2部構成で本校の「学校説明会」を実施しました。中学生と保護者あわせて1200名を超える方々に酷暑の中、お越しいただきました。改めまして感謝申し上げます。本校に対する理解を深め、志望校検討の材料を手に入れてもらえましたでしょうか。部活動紹介動画や生徒会の学校紹介動画で、本校の様子が伝わったでしょうか。生徒会所有のドローンで撮影した映像はいかがでしたか。生徒が主体的に活動している様子が、わかっていただければうれしいです。9月のオープンスクールにも、ぜひ来校して、自分の目で確かめてください。お待ちしております。
生徒会、吹奏楽部、チアリーディング部、ボクシング部、陸上部、少林寺拳法部のお手伝いいただいた皆さん、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。皆さんの姿を見て、本日来場した中学生で本校志望の意志を増々強くした人も多いと思います。また、暑い中、交通整理をしていただいた先生方、会場準備や片付け、生徒の指導をしていただいた先生方、ありがとうございました。無事、混乱もなく終了することができました。感謝申し上げます。
本日、参加していただいた中学3年生の皆さんの一番の関心は、前期・後期がなくなって一本化された入学者選抜の方法と内容についてだと思います。高校によって方法と内容は異なりますので、どうしても入りたい高校があるならば、よく調べて対応できるよう準備するしかありません。まだ、入試まで半年ありますので、最後まであきらめずに努力してください。「みらいの太東生」に会えるのを楽しみにしています。
1日10時間(量だけでなく質もね)
国連事務総長が、地球温暖化でなく地球沸騰の時代だと発言するくらい猛暑が続いていますが、今日から3年次生を中心とした夏季学習会が始まりました。約100名の生徒が毎日7時間の勉強を5日間続けます。コロナ以前は、進学校と呼ばれている高校は、夏季休業中に避暑地や温泉地などで学習合宿を行っていました。100名以上の生徒がホテルにこもって、1日10時間以上の勉強を仲間とともに励まし合って行い、長時間勉強を続ける集中力、気力などを高め、長い受験勉強の第二のスタートにしようとしていたのです。(第一のスタートは、もうしているはずです。)私も本校で20年前に栃木県の益子や埼玉県の施設に学習合宿の引率で行った経験があります。当時と現在の違いは、各教室にエアコンが入っているかどうかです。現在は、普通教室と学習室などはすべてエアコンが入っていますので、わざわざ高いお金を払ってバスに乗って遠くに行かなくてもいいのではないかとコロナ禍で考えられ、学校で実施することになりました。
日本では、小学生が中学受験するのに平日帰宅後6時間、土日は10時間以上勉強するという話も聞きますが、1日10時間以上勉強するというのは、かなり目的意識が高く、精神力が強くないとできないと思います。また、勉強には知力・気力だけでなく体力も必要ですので、部活引退後に運動部は受験勉強の追い込みがきくなどと言われるのはそういうことです。勉強は、大学までで終わりというわけではなく、一生勉強だと思いますが、大学受験の勉強期間は、長い人生の中でも特別な期間です。(と、私は思っています) たとえ、なかなか勉強の成果が出なくても、自分を信じて努力を続けてください。必ず成果は出ます。努力が空回りしないように間違ったやり方でなく自分に合ったやり方を見つけてくださいね、「やりきったぞ!」という清々しい顔で、2学期に皆さんに会えることを楽しみにしています。
※ブログは、授業日以外は休む予定でしたが、それでも続ければ3学期の終業式に400回になる予定です。ただ、400回ちょうどにこだわることもないと思ったので、長期休業中でも何か話題があれば、書こうと思って本日は書きました。
速しこの1学期
早いもので、1学期も今日で終わりです。私は短く感じましたが、皆さんにとってはどうだったでしょうか。1年次生は、入学した時の気持ちを忘れずに1学期を頑張れたでしょうか。思っていたよりも高校生活は大変だと気を引き締めなおしたでしょうか。これから3年次生は、本格的に受験勉強に突入し、2年次生は、部活を頑張りながらも進路について考えていかなければならない夏休みです。時間があると思って油断していると、あっという間に夏休みは終わります。適度に心と体を休めながら、計画的に夏休みを過ごしてください。1学期を振り返って、無理なく実行できる自分だけの再チャレンジ計画を立て、達成感を味わえるようにしてください。余裕を残して、プラスアルファの実行を加えられるほうが精神的にもいいはずです。2学期は長いです。充実した2学期にするためにも、夏休み中に下準備しておくことが必要です。ロケットスタートができるように心身を整えて、8月30日を迎えてください。
今日の生徒総会は、熱中症とコロナ感染を懸念して残念ながらオンラインとなりました。旧役員の皆さんは全校生徒の前で挨拶ができず、本当に申し訳なく思いました。太東を盛り上げるために、縁の下の力持ちとして1年間尽力してくれたことに感謝します。ありがとうございました。新役員となった皆さん、来年は「青藍祭」があります。このままコロナがフェードアウトしてくれれば、生徒会もさらに活発に動けるようになるでしょう。活動方針にある「居心地がよい」とは、色々な意見が受け入れられる、意見が出しやすいという意味にも取れます。色々な企画を提案して、太東をワクワクする場所にしてください。
考えるのは今でしょ!
昨日から三者面談が始まりましたが、夏季休業へ向けて有意義な面談ができているでしょうか。先生に丸投げで、主体的に自分がしたいことやなりたいものについて相談できないようだと時間内には終わらないかと思います。自分はどのように今後生きていきたいのか、様々な選択肢があり、考えれば考えるほど悩みは尽きないと思います。ただ、ここでしっかり考えないと、将来「七五三現象」の体現者になってしまいますよ。
「七五三現象」とは、1990年代から2000年代にかけて話題になった、早期離職率と学歴に関わる言葉です。就職して3年以内に、中卒新入社員の7割、高卒新入社員の5割、大卒新入社員の3割が離職する現象を指します。2020年度の離職率は、中卒55%、高卒36.9%、大卒31.2%で七五三現象が問題視されていた1994年頃に比べて、中卒や高卒の離職率は大きく改善されてはいますが、大卒の3年以内の離職率はあまり変わっていません。バブル経済のころは超売り手市場でしたので、転職は難しくありませんでしたが、現在はそうではありません。転職するには、ある程度の技能と経験が必要です。「石の上にも三年」と忍耐を説くことわざがありますが、日本ではすぐに仕事や会社を辞めると忍耐力がないといって信用されない傾向があります。アメリカでは、「終身雇用」が特徴だった日本と違い、キャリアを積んで転職するのが普通のようですが、日本では非正規雇用のためキャリアも積めない若者が増えています。それが若者の未婚率の増加と少子化に拍車をかけている原因の一つとなっています。「ブラック企業」という言葉を知らない人はいないと思いますが、心や体を壊してまで企業にしがみつくことはやめましょう。ただ、自分では判断ができなくなっている場合もありますので、身近に相談できる人がほしいですね。転職についての次の話を読んでみてください。
「1年ごとに転職を繰り返せば、いずれ雇ってもらえなくなるかもしれないけれど、それも仕方がない。だって自分に合った場所を探すというのは、そういうことだから。」という意見があった。しかし、そもそも、自分に合った場所で働くというその感覚がちょっと図々しい。自分自身も、職場も、日々変化していく。職場とはただの場所ではなく、一人一人が集まってできた人間の集合体です。人の出入りがあれば、当然その場所自体も変化する。自分自身の気持ちの動きも含め、永遠に自分にあった場所で働くというのは不可能。本気で向き合い、ぶつかれば、自分自身も、その対象も変わる。自分に合わない場所で、それでも必死にもがきながら、初めて相手から求められる存在になれた時の喜びは何ものにも代えがたかった。
厚生労働省『平成30年若年者雇用実態調査』によると、「初めて勤務した会社をやめた主な理由」として最も多く上がったのが、大卒では「労働時間・休日・休暇の条件がよくなかった」で33.2%。「人間関係がよくなかった」21.3%、「賃金の条件がよくなかった」20.9%、「仕事が自分に合わない」19.2%と続きます。また勤務3ヵ月未満に限ると「人間関係がよくなかった」が最も多く38.7%、僅差で「仕事が自分に合わない」で38.6%でした。皆さんは、上記の話とデータを読んで、どう思いましたか。自分に合わないと思ったら、さっさと辞めたほうがよいのでしょうか。どの程度合わなければ辞めるのが得策なのでしょうか。
以前に「非認知能力」について書いたことがありますが、「自信をもって意欲的に取り組む」「他人の気持ちを汲み、人の境遇や気持ちに共感できる」「異なる価値観を柔軟に受け止められる」「忍耐強く取り組める」「人と協働して取り組める」……そんな生きていく上で必要な社会的スキルのことをいいます。それ以外にも時間を管理する能力や、失敗から立ち上がる精神的強さ、芸術作品や自然を見て感動する心など、主に感情面や情緒面での感性や能力も非認知能力です。一方「認知能力」とは一般的には知能検査で測定できる能力のことを言い、簡単に言えばテストで客観的に点数化できる能力です。どちらも重要ですが、社会に出た時に重要視されるのは「非認知能力」が優勢のようです。社会人基礎力や汎用的能力など、これと重複するものもありますが、今後は意識して「非認知能力」を高める取組を、学校での学習活動全体を通して行っていくことが求められると思います。皆さんも意識して、活動してください。将来「七五三現象」を自ら体現しないように。
キャラ変、可!
皆さんは、自分の性格を変えたいと思ったことはありますか?変えたいと思う人の多くは、内向的な性格を外向的にしたいのではないでしょうか。日本人は、血液型による性格占いが好きですが、皆さんは信じますか?話の種としては使うけれど、信じてはいないという人も多いと思います。献血で自分の血液型がA型ではなく、B型とわかって性格が変わってしまった人がいるくらいですから、思い込みや自己暗示は恐いですね。ただ、これをうまく使えば、性格を変えることはできそうです。
日本人の多くは心配性になりやすいという研究結果があるそうです。心の安定をもたらす「幸せホルモン」と呼ばれる脳内物質のセロトニンが出にくくなる遺伝子があり、日本人の8割がその遺伝子をもっているためだそうです。皆さんは、自分はもっていると思いますか。性格は遺伝的な要素と後天的な要素が半々というのが、様々な研究結果から判明しているそうなので、自分次第で性格の半分は変えられるということです、自分で変えていくには、行動を継続することが必要です。もっと積極的な自分になりたいのであれば、無理矢理にでもそのように振る舞うことが大切です。まずは行動することでスイッチが入って、変わりたいという思いが深層意識にも働いて、それがだんだんと表面に出てくるということです。ですから自分を変えていくようにチャレンジすることが大事なのです。
人間の性格が年齢や環境によって変化することも、心理学の研究によって明らかになってきました。米国の心理学者クリストファー・ソトーらは、120万人以上の10~65歳を対象に、外向性・神経症傾向・開放性・協調性・勤勉性の平均値が年齢とともにどう変化するか調べたそうです。その結果、外向性には大きな変化がなかったものの、年齢が高まるにつれて神経症傾向は低下し、開放性、協調性、勤勉性は上昇することがわかりました。つまり、同じ人間でも、年齢を重ねれば、心理的な安定性、柔軟性が高い「できた人間」になるというわけです。「歳をとると人間がまるくなる」という言葉は嘘ではなかったんですね。大学生を被験者にして「自分の性格を変える」という実験を行った研究もあります。自分の性格は自分で変えることもできるということも知っておいてください。要は、本当に心の底から変わりたい、変えたいと思っているかどうかです。自分を変えたいと思っている人、あきらめずにがんばってください。「信ずる者は、変えられる」ですよ。
「私と付き合ってください!」「ごめんなさい!」「よろこんで!」どっち?
文科省が、7月4日に「チャットGPT」などの生成AIの活用について小中高校などでどう活用するかの指針を発表しました。そのポイントは、以下のとおりです。
【適切でないと考えられる例】〇コンクール作品や小論文で生成物をそのまま成果物として提出、〇詩や俳句の創作、音楽や美術の表現・鑑賞で安易に使わせる、〇定期テストや小テストで使わせる 【活用が考えられる例】〇生成物の誤りを教材として使用し、生成AIの性質や限界に気付かせる、〇グループの考えをまとめる活動で、足りない視点を見つける目的で使用、〇英会話の相手として活用 【学校での利用の際のチェックリスト】〇年齢制限、保護者同意といった利用規約を遵守しているか、〇個人情報を入力しないよう指導しているか、〇長期休業中の課題で、生成物を応募、提出すること不適切・不正な行為と指導しているか
中央公論7月号に慶應義塾大学の今井むつみ氏へのインタビュー「AI時代のことば力 言語習得に見る知性の本質」が載っています。今井氏は、人間が言語を習得する際の「記号接地」体験の大切さを強調しています。「記号接地」とは、「ことばと身体感覚や経験とをつなげること。『りんご』と聞けば、その色や模様、匂い、果肉の色や食感、味、舌触りなど様々な特徴を思い出すことができますよね。」「人間が言語を習得するとは、そういうことなのです。」と説明しています。「しかし、AIはそうではありません」「チャットGPTとは『次にくることば予測機』です。」「チャットGPTが作る文章は、文法的な誤りや不自然さがなく、学生のレポートよりずっと整っているかもしれません。しかし、体験に接地せず、統計から導き出した情報を繋ぎ合わせているだけなので、内容がとても表面的です。新しい視点も独自の観点もありません。(中略)もしこれでいいと思う子どもが増えるとしたら、それは人類にとって危険です」「記号接地は創造性の源です」「今こそ記号接地の重要性を認識し、身体化された、経験に根ざした知識を習得していくべきだと思っています」
以前に生成AIについて2回ブログに書きましたが、今も世界中で議論が続いています。皆さんは今井さんの話を読んで、どう思いましたか。私は、多くの語彙と様々な経験(読書経験含む)があって自分らしい文章が書けると考えています。自分が積み重ねてきたものがベースにあって、チャットGPTを活用するのであれば、おかしなところに気付くこともできると思いますが、そうしたものがなくチャットGPTを利用するならば、AIに思考・表現を支配されてしまうことにもなりかねません。スマホもそうですが、様々な弊害が報告される中、上手に付き合うこともできるはずです。これからAIが加速度的に進化していくことは避けられませんので、皆さんも自分の頭でAIとの付き合い方をよ~く考えてください。
求む!異次元の教育政策
子どもがいる世帯は、今や日本社会の少数派です。厚生労働省が実施している「国民生活基礎調査」によれば、2021年度に18歳未満の子どものいる世帯は1073万7000世帯で全世帯の20.7%でした。1989年は41.7%だったのと比べると半分になっています。2023年4月に発足した「こども家庭庁」は「こどもまんなか社会」の実現に向け、子ども政策に全力で取り組むとうたっています。以上は6月30日付の内外教育という教育冊子の巻頭コラムにあった文の一部です。
私は、「異次元の少子化対策」で「異次元」な政策をぜひ実現してほしいです。経済的支援の強化と若い世代の所得向上、子育て世帯への支援拡充、共働き・共育ての推進、社会全体の意識改革という4つの柱があるようですが、財源問題が大きく横たわっているようです。「こども家庭庁」も理念は素晴らしいと思いますので、結婚・妊娠・出産・子育てに夢や希望を感じられる社会の実現、少子化の克服のために、ぜひお金と人を手当して効果的な政策を実施してほしいと思っています。
子育て・教育政策として「保育所待機児童ゼロ」と「義務教育における1クラス当たりの児童生徒数を欧米並みに減らすこと」を、ぜひお願いしたいと思っています。少人数クラスのほうが学力が向上するかどうかが不明なことが、財務省がなかなか予算増加を認めない理由のようですが、小学校教員になることの不安を取り除いて志望者を増やすために、「専科教員」も大事ですが2クラスに一人副担任をつけてほしいというのが切実な願いです、残念ながら日本は先進国の中でも特に教育と子育てにおける家計負担が大きく、国が最もお金をかけない国です(義務教育までは手厚いようですが。OECDの調査結果を見ると暗くなります)。
現在の少子化対策で最も優先すべきは、既に子どもがいる世帯への補助よりも、若者が結婚できる精神的経済的環境作りではないかと識者が言っていましたが、私もそうだと思います。(若者が結婚したくないと考えているなら話は別ですが。戦前戦中の「産めよ殖やせよ」は通用しなく、結婚も出産も個人の自由なので。) 若者の経済的安定と結婚問題は、すぐにどうにかできる問題ではないし、予算が確保できない(増税もできないし、国債も発行できない)のであるならば、少子化が止められないと仮定して、各政党は将来どのような社会になるかを予測して国民に対策をきちんと説明し、選挙を通して考えてもらうしかないでしょう。周辺諸国のことを考えると防衛費の増額も喫緊の課題ですが、人口問題と教育問題は社会を変えてしまいますので、ぜひ大胆な政策をお願いしたいと思います。ただ、数十年後に日本の人口が大幅に減少しても、科学技術がその分進歩していれば状況が悪化しているとは限りません。(例えば、若返りの薬の発明、高齢者でも力仕事ができるパワースーツの発明、ロボットによる肉体労働の代替、安全で安価なクリーンエネルギーの開発など)
こうした正解のない問いに対して、よりよい解答、「納得解」を考える力をつけるための勉強を、生徒の皆さんはしているわけです。現代社会の課題を多面的多角的に捉えて考え、判断し、自分の意見を表明できるようになってください。自分たちの将来にかかわることですから。
外国由来のモノはどれくらい?
今日は、貿易の日だそうで、通商産業省(現:経済産業省)が1963年に制定したそうです。皆さんは、中学校までの歴史で勉強した安政の五か国条約を覚えていますか。1858年に日米修好通商条約を始めとして、オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結んだ一連の通商条約です。1859年6月28日、江戸幕府がこれらの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出したことから貿易の日となりました。しかし、これらの大きな問題点は、不平等条約だったことです。高校入試でもよく出る①領事裁判権を認めたこと、②関税自主権がないこと、③片務的最恵国待遇(ロシアを除く)です。この撤廃のために明治政府は、大変な苦労をしました。また、この条約は天皇の許可(勅許)が得られないまま結ばれたことにより、安政の大獄や桜田門外の変(井伊直弼の暗殺)などの事件を引き起こすことになりました。(日本史の授業みたいになりそうなのでこのへんでやめておきます)
日本は外国と様々なモノ・サービスの取引を行っています。多くの場合、それでお互いに利益を得るわけですが、取引総額が不均衡になると外交問題に発展する場合もあります。日本とアメリカとの戦後の貿易摩擦の歴史は長く、「ジャパンバッシング(日本たたき)」という言葉も生まれました。また、特殊な輸出品がある国は、それを外交上優位に立つためのカードに使う場合もあります。最近だと中国のレアアースの輸出規制が、それに当たります。日本は、資源を輸入して付加価値を高めた製品を生産し輸出して、外貨を稼ぐ「加工貿易国」ですから、資源の輸入リスクを減らすために多くの国と貿易しています。しかし、一部の国に産出が偏った資源はどうにもなりません。ただ、日本は資源がない分を補うため、持ち前の技術力によって製品だけでなく新しいエネルギーの開発を進め、世界が驚く成果をあげています。近い将来、他国に依存しないエネルギーが確保できるのではと期待しています。国同士の安全保障は、もとは戦争を避けるためのシステムでしたが、今は「食糧安全保障」や「エネルギー安全保障」など戦争に至る前の段階が重要になってきています。「食糧安全保障」には、穀物などだけでなく水も重要です。他国に多くを依存していれば、「食糧」と「エネルギー」は国民の生死にかかわる問題になります。SDGsばやりの昨今ですが、今、皆さんの身の回りにあるモノは、どこから来ているのか調べてみてください。そして、それがどんな人々によってどのように生産されているのかを知ってください。(政治経済の授業か?)
試験って、ホントに・・・
今日から1学期の期末考査が始まりました。中間考査の結果を振り返り、しっかり準備ができたでしょうか。小学生になってから、たくさんの試験を受けて来て、これから進学したり就職したりしても試験を受ける機会は、まだまだあることでしょう。自分の努力を「見える化」する機会が試験ですので、前向きに取り組んでください。試験には、社会で必要な「相手の意図を読み取る力」の練習という役割もあります。試験のヤマが当たるというのは、当てずっぽうではなく、しっかりと授業を受けて、先生の意図(どこが重要か)を読み取れるから当たるのです。問題には、必ずねらいや意図があるので、それがわからなければ解答以前にアウトです。小論文や面接などは特にそうですね。私も試験については、いろいろ思い出があり、準備が十分できずに試験を受けて、単位を落とす不安に怯えたこともありました。ですから、白紙の答案のまま時間切れになってうなされる夢を何度も見ています。今日は試験に関する話を三つ載せました。皆さんの心に残るものが一つでもあればと思います。
仕事や人生一般でがんばることは大切だが、「幸せをキャッチできるかどうか」は、脳科学的に見ると、その人の努力の総量だけでは説明できない。伝説として、松下幸之助さんが就職の面接試験で「君は運がいいのか?」と聞いたという話がある。それで「運がいい」と答えた人を採用したというのである。松下幸之助自身も「自分は運がいい」と思っていたらしい。
「ちびまる子ちゃん」で有名なさくらももこさんが、漫画家になる決心をする転機となったエピソードです。何気なく受けた作文の模擬試験で「わたしの好きな言葉」という課題に取り組みました。その試験の結果は思いがけない高得点で、さらに採点者からは「高校生が書いたとは思えない、エッセイ調の文体がすばらしい。まるで清少納言が現代にきて書いたのかと思うような作文でした」という一言がありました。ももこはとても喜び、自分が「エッセイ」を書くことが得意なのではないかと気付きました。そしてエッセイをマンガで描いてみるのはどうだろうとひらめいたのです。そこから寝る間も惜しんでマンガを描き、マンガ雑誌に投稿を繰り返し、ついに卒業を目前にした冬、デビューが決まったのでした。
小学校で「だっこの宿題」というものがあります。「家族みんなにだっこしてもらうこと」が宿題だということです。ある小学校1年生の男の子が、家族みんなにだっこしてもらえて、うれしくて「また、だっこの宿題がでないかな」と作文にかいたそうです。その話を聞いた近藤さんという80代半ばのおじいさんが、「だっこ」について忘れられない思い出があると語りました。近藤さんが鹿児島県男子師範附属小学校3年生の時でした。この小学校は入学試験があり、合格した生徒全員勉強ができる子でした。しかし、クラスにどういうわけか一人だけ、みんなについていけない子がいました。その子はA君といい、お父さんは市内の小学校の校長先生で、性格はとても純粋で優しく好人物でした。でも勉強のほうは、まったくダメだったようです。当時クラスは42人で、一列7人の6列で授業を受けていました。そして毎週書き取りと算数の試験があり、各列7人の合計点が最高だった列の子どもたちには、ご褒美に鉛筆が1本ずつ配られたそうです。80年前ですから鉛筆は貴重です。みんな鉛筆がほしくて頑張りました。ところが、A君のいる列はどんなに自分が頑張って勉強しても、明らかに合計点が低くなり、みんなA君が同じ列になることを嫌ったそうです。担任の先生は有川先生という男の先生でした。みんなが有川先生に「A君を他の列にいれてください」と言って、クラス全体が殺伐としたそうです。有川先生もほとほと困り果て、一番前にいるA君に尋ねたそうです。「A君、どうしてほしいかね」すると、A君は叫んだそうです。「先生、だっこして」。それを聞いた有川先生は「おお、そうか、そうか」と言ってA君を抱きしめて、そして号泣されたそうです。これには、生徒全員が目を丸くして驚き、一瞬教室は凍り付いたそうです。それからは誰もA君を自分の列から外してくださいとは言わなくなったそうです。A君には教室でも、おそらく家庭においても居場所がなかったのでしょう。その小さな生命が限界だったのでしょう。「先生、だっこして」は限界の叫びだったのです。その叫びに気付いた有川先生は、A君があまりに痛々しくて、愛おしくて、堪えられなかったのでしょう。だからこそ抱きしめて号泣されたのです。とても尊い光景だったそうです。福間義朝(浄土真宗本願寺派教専寺住職)
自己評価と他者評価、どっちが大事?
今日は「露天風呂の日」「世界格闘技の日」だそうで、それらについて書くことはできますが、教育的?にまとめるのが難しそうだったので、「評価」について書きます。ちなみに露天風呂の東の横綱は群馬の宝川温泉だそうです。世界格闘技の日は、アントニオ猪木とモハメド=アリの異種格闘技戦からです。
さて、なぜ「評価」について書こうと思ったかというと、最近見た記事に次のようなものがあったからです。
「お前たちは自己評価が高すぎる」「試合に出られないと、すぐ『なんで俺を使ってくれないんだ』と言うだろう。でも悲しいかな、人生は他人の評価で成り立っている。監督がどうしたら使いたくなるか、チームにどんな選手が求められているか考えろ」野村克也(元プロ野球チーム監督)
皆さんは、自分の自己評価は高いと思いますか、低いと思いますか。日本人の自己肯定感が低い理由を、自己評価が高いのに、他人からの評価が低いという現実があると、「なぜ他人は自分を認めてくれないんだ」という苦しみが生まれるから、初めから自己肯定感を下げておけば、苦しむ必要がないからと分析していた人がいました。心理学の防衛機制ですかね。
評価に関する言葉として以下のものを紹介します。他人の評価が気になってしまう人は、読んでみてください。
〇風向きが変わると人の評価が変わるというのが世の常です。ユダヤ人を救った杉原千畝は正しいと思ったことは何があってもやるという強い姿勢を貫きました。 歴史上の人物で評価が変わった人はたくさんいます。
〇第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。イチロー
〇人の評価はまちまちなのが、当たり前だ。だから、そのことで振り回されて、一喜一憂しない。
〇評価は本来ならば、自分が変わっていくのを自覚できるのが理想。それを助けるために、教師が示唆する。
〇「他のグループからの評価に納得できない」という生徒が現れる。その納得できない気持ちこそが「最高の学び」につながる。
〇自己評価を何度も行い、内省的な力が高まるにつれ、自分を客観視できるようになる。教師の評価と生徒の自己評価をすりあわせることが大切で、差異がある時は、生徒にとっては自分を見つめ直すチャンスに、教師にとっては指導方法や評価手法を振り返るチャンスとなる。イギリスの私立名門校の目標は、生徒の自己評価と教師の評価が卒業までに一致するようになることだそうです。
〇目標で大事なのは、その目標を学習者が理解できること。そして、学習者が自ら評価できること。
社会の中で生きていく以上、全ての人が他者から評価されるのは避けられません。他者の評価も受け入れつつ、自分を客観的に評価できるようになることが、自分らしさを確立し、自己肯定感を高めるために必要なのではないでしょうか。皆さんは、自己評価と他者評価のどちらを重視しますか?それともヒフティヒフティ(50:50)ですか。
感情を込めて読んで、歌って?
今日は、「朗読の日」だそうで、2001年に制定された、まだ新しい記念日です。「ろう(6)ど(10)く(9)」(朗読)と読む語呂合わせから日本朗読文化協会が定めたそうです。
「朗読」と「音読」の違いはと言うと、「音読」には正確性が求められるのに対して、「朗読」は文章や詩歌の内容をくみ取り、感情を込めて読み上げるという表現力が求められる、というように目的が違うようです。朗読を芸術や学問、教育としてとらえる考え方もあり、「朗読」は「音読」の「芸術的形態」であると昔の学習指導要領書には書いてありました。中学校では、小学校での「音読=朗読」の基礎の上に(音読の芸術的形態として)「朗読」まで指導する、ということだったようです。
平成29年度小学校学習指導要領国語科編の「解説書・文部科学省発行」には下記のように書いてあります。
音読では、これまでに身に付けてきた、声の大きさや抑揚、速さや間の取り方といった音読の技能を生かすことが重要である。
朗読は、読者として自分が思ったことや考えたことを踏まえ、聞き手に伝えようと表現性を高めて、文章を声に出して読むことである。音読が、文章の内容や表現をよく理解し伝えることに重点があるのに対して、朗読は、児童一人一人が思ったり考えたりしたことを、表現性を高めて伝えることに重点がある。
覚えたいことがあれば、黙読ではなく音読したほうがよいと言われます。小学校の時は、音読をよくしていたと思います。英語は、音読は必須ですね。古文漢文も音読が有効です。うまく音読できないところがあれば、そこは理解が不十分なところです。朗読は、親が子どもを寝かしつけるのに枕元で本を読んでいるイメージです。あとは、紙芝居ですね。私も子どもが寝る時に読み聞かせをしましたが、感情を込めて大げさに読んでいました。日本昔話のナレーションみたいな感じですね。
感情を込めて読む訓練は、コミュニケーション力を高めるのにも役立つと思います。高校ではなかなか授業や学校行事で朗読する機会がないのが現状ですが、一日一回、意識的に朗読する時間をとってみてはいかかでしょう。住所や電話番号などを感情を込めて読む練習もあるということを聞いたことがあります。国語や英語以外の教科書を朗読するとどうなるのでしょうね。自分の好きな小説やマンガなら抵抗なくできるのではないでしょうか。楽しく表現力を高められるかもしれませんよ。眠気覚ましにもいいかも。ばかばかしいと思わず、ぜひ勉強の合間にやってみてください。
※今日は、元号の日でもあるそうですが、645年の事件をきっかけに、日本初の元号が制定されたことに由来しています。その時の元号は何でしたっけ?日本史で勉強したばかりですよね。現在の「令和」までいくつの元号が定められているでしょう?元号をなくして西暦だけにしろという意見も昔ありましたが、日本人は元号で時代を意識してきましたので、なかなか難しいですね。天皇制とも絡んできますし。
「自分探し」より「自分作り」
今日は、「〇〇らしさ」について思いつくまま書いてみます。世の中には「男らしさ」「高校生らしさ」「子どもらしさ」「先生らしさ」など、たくさんの「らしさ」があふれています。「らしさ」とは「思い込みと偏見」の押し付けだと思いますが、果たして100%間違っているかというと、そうとも思えません。多様性を認めれば、「らしさ」は消えるのでしょうか。
「自分らしさ」とは何か、悩んだことがある人も少なくないと思います。自分は平凡だと思えば、なおさらでしょう。「自分らしさ」を探そうとすると、絶対的基準ではなく、どうしても他人と比較する相対評価が顔を出します。私という存在の実感は、誰かとの違いを明確にすることで確かめられるのでしょうか。だから、「自分らしさ」を見つけようとすれば、必然的に自分と他人を注意深く比較し、頭一つ抜けた自分の特徴を探し出すことが必要なのでしょうか。現在では、それを多くの他人の手に委ねて「自分らしさ」を認めてもらうために、SNSでフォロワーやいいね!をどうやって増やすかといった、数による承認欲求の充足という泥沼にはまってしまっています。「自分らしさ」は、自分以外の誰かとの比較競争に身を投じて勝利するしか、見つけられないのでしょうか。「自分らしさ」の3つのポイントとして①価値観を大切にして自然体でいる状態 ②他の人にはない自分の特性 ③自分自身で認める個性 を挙げているブログがありました。周りを気にして自然体でいられない人も多いのではないでしょうか。また、自己肯定感が低い日本人にとって「自分自身で認める個性」も見つからない人が少なくないのではないでしょうか。
「自分の本当の適性というものは、やってみなければわからないという側面がある。何もしないのが一番いけない。まず第一歩を踏み出すこと。踏み出すという実践の中から視野は広がる。あまり狭く考えないほうがよい」と益川敏英(ノーベル物理学賞受賞)さんは、おっしゃっていますが、言い換えれば「自分らしさ」を見つけるためには、いろいろなことにチャレンジしたほうがよいということですね。先日、皆さんにとったアンケートの「身に付けたい力」の2位が「行動力」でしたから、ぜひ行動力を身に付けて、高校時代にいろいろなことにチャレンジし、「自分らしさ」を見つける、というより「自分らしさ」を育ててください。
小さな親切してますか?
1963年(昭和38年)の6月13日、「小さな親切」運動本部が発足しました。この年の東京大学の卒業式の告辞で、茅誠司総長が「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことがきっかけとなりました。その後、実践例が新聞などで報じられ、社会から幅広い共感が寄せられ、6月13日のこの日に茅さんを始めとする学者・ジャーナリストなど8名の提唱者が運動を発足させたそうです。「できる親切はみんなでしよう 。それが社会の習慣となるように」、「人を信じ、人を愛し、人に尽くす」をスローガンに運動が進められています。
私が生まれた年に「小さな親切運動」が始まったのは興味深く、小中学校で覚えがあります。「大きな親切」は無理でも「小さな親切」はできるから、それを積み重ねていけば、よい社会になるはずという考え方は、至極真っ当で、文句のつけようがありません。一方で、「小さな親切大きなお世話」という言葉があることは、皆さんご存じでしょうか。「有難迷惑」という言葉もあります。自分では親切だと思ってやっていたことが、実は相手にとっては却って余計で迷惑以外の何物でもなかったという状況を表す言葉です。こんなことを言うのは教育的ではないかもしれませんが、みんながもっともだと思うことには落とし穴がありますので、さらによい意見が生成されると考え、大目に見てください。
「地獄への道は善意で舗装されている」「地獄は善意で満ちているが、天国は善行で満ちている」という格言がヨーロッパにはあります。「人の善意は悪意より恐ろしい」という言葉が日本にもあります。この解説として、「善意は基本的に気まぐれであり、継続性に難があるため、それを前提とした付き合いは、むしろ危険である。また、善意はそれだけで善いとされるため、生産性が問われることも少ない。故に、しばしば善意は悪意よりもたちが悪い。悪意を排除するのは大義名分もあり、容易いが、善意は排除しにくいからだ。」とあります。この「善意は排除しにくい」というのが曲者です。「善意でやってくれているのだから・・・」と拒否したいけどできなかったという経験はありませんか。
私は、被災地の支援に必要なものを送るという行為をニュースで見て、「小さな親切大きなお世話」を感じました。とても被災地で役に立たないものや、古着などゴミに近いものを送られても、それを整理しなければならない人にとっては「有難迷惑」のなにものでもないでしょう。実際、現場で被災した人たちが必要としているのは「善意」ではなく、必要なのは成果であり、生産性の高い活動であり、効率的な支援でしょう。自分の思い込みだけで気配りや心遣いが無いような親切心では、一方的に自身の行為を相手に押しつけるような形になってしまい、かえって相手に迷惑をかけ、最悪人間関係が壊れてしまうことにもなりかねません。
「自分がされたら嫌なことは他人にしてはいけない」と論語にあります。もっともらしいですが、自分と他者の感覚が同じであるという隠れた前提があります。では、自分が嫌じゃなければ問題ないのでしょうか。自分がされて嫌じゃなくても、相手が嫌がったらだめなんです。逆に「小さな親切」の場合、「自分がされてうれしいことは、他人もうれしい」という前提があって成り立ちます。何をするにしても、よくよく相手のことを考えてする必要があるってことですね。考えすぎると何もできなくなってしまいそうですが、お互い様ですから、多少は我慢しましょう。私は中学校の校外学習の帰りに電車の中でおじいさんに席を譲ろうとして「よろしければ、かけてください」と言ったら「私は、そんな年ではない」と断られてしまいました。白髪の十分なおじいさんだったんですけどね。それ以来、席を譲ろうと思っても、声掛けせずに席を立って移動することにしました。「小さな親切」が「大きなお世話」になってしまった思い出です。
楽器、弾けますか?
今日は「楽器の日」だそうで、一般社団法人・全国楽器協会(全楽協)が楽器を演奏する楽しさを知り、始めるきっかけの日としてもらうことを目的として1970年(昭和45年)に制定しました。一方で「恐怖の日」でもあるみたいで、キリスト教の聖典『新約聖書』の中で、世界の終末を描いた『ヨハネの黙示録』の13章16~18節に「獣の数字」として「666」という数字が登場します。キリスト教の影響下にある文化では、悪魔サタンや悪魔主義的なもの、反キリストにつながる数字とされ、「悪魔の数字」「不吉な数字」とされています。私が中学生の時に見た「オーメン」という映画は、頭に666のアザをもつ悪魔の子の物語でした。今日は、「恐怖」の話題は避けて、「楽器の日」にちなみ明るい話題にしたいと思います。
「楽器の日」が6月6日なのは、昔から「習い事・芸事は6歳の6月6日から始めると上達する」という言い伝えがあるからだそうです。また、数を指で折って数えると6の数字の時に小指が立つ形になり、「子が立つ」ともいわれ、縁起の良さもその由来とされています。昔は、栄養事情が悪く6歳までで死んでしまう子どもが多かったため、7歳未満の子どもは「神様」であり、神聖なものとして取り扱うべきだという「7つ前は神のうち」という言葉がありました。戦後、栄養事情がよくなり子どもが死ななくなり、生活に余裕が出て来ると、ピアノやヴァイオリンなどを習う子も出てきました。昭和45年というと私は小学2年生でしたが、ピアノ・ヴァイオリン・トランペットを習っている友達がいて、お金持ちだなと思っていました。
私は音楽の成績がほぼ「3」で「4」をとったのは2回くらしか記憶にありません。そんなわけで楽譜は読めませんでしたが、高校1年生の時に独学でアコースティックギターを練習して、タブ譜があれば弾けるようにはなりました。自分が好きな曲が弾けるようになったときは、うれしかったですね。弦を押さえる指先はかなり固くなりました。先日、軽音楽部について書きました。一人でメロディー楽器を弾くのもいいですが、リードギター・リズムギター・ベース・ドラム・キーボードなどが協力して一つの音楽を作り上げる喜びは、また別物だと思います。オーケストラが美しいシンフォニーを奏でるためには、異なる楽器が数多く存在し、それぞれが他の楽器の演奏にじっくり耳を傾けながら、自分の持ち味を最大限に発揮して演奏をします。演奏者相互の信頼と敬意、協調する気持ちが存在して初めて美しいシンフォニーが可能になります。社会や組織はオーケストラに例えられます。自分とは異なる個性をもった人々が協働しながら、自分の持ち味を最大限に発揮して貢献することで、より多くの人を幸せにできると信じて、最善を尽くすことで社会が発展していきます。皆さんも、自分の個性・長所を伸ばして、様々な人と協働できるようになってください。
※昨年の6月13日のブログに「音楽」が「音学」でない理由について書きましたが、音楽の「音」は歌声、「楽」は楽器の発する音を意味します。文学の学は学問の意味であり、音楽の「楽」は「かなでる」意味です。ですから、楽器は「音を奏でる器」という意味になります。
授業参観日記スタート!
6月に入ってから、先生方の授業を参観させてもらっています。本校のウェブページのトップに校長挨拶・ブログ通信というボタンがありますが、その右に「授業参観日記」というボタンを作ってもらいました。これから夏季休業に入るまでにすべての先生方の授業を見て、先生方がどのような授業をしてくれているかを綴ってウェブにアップしていきます。先生方がよい授業をしていても、外部はもとより、なかなか校内の先生方にも知ってもらう機会が少ないので、情報交換と広報を兼ねて、発信することにしました。今年の授業研究のテーマは「対話的学習活動」と「ICTの活用」です。これからの社会で生きていく上で、どのような力を身に付ける必要があるか、その力を身に付けてもらうためにどのような授業をしたらよいのか、日々悩んでいるところです。「不易流行」という言葉のとおり、教育の本質は変わらないとしても、時代が変われば、必要に応じて変わるものも出てきます。一人1台端末の活用もそのうちの一つでしょう。高校の教師にとっては専門科目の授業が「命」のはずなので、最も力を注ぐべきものです。しかし、実際には、授業以外にHR経営や校務分掌の業務、部活動指導、その他にも多くの業務があり、授業研究や準備にかけられる時間が十分とれているとは決して言えません。それでも、生徒の皆さんに自分が教える科目を好きになってもらって、できるようになってほしいという願いをもって、先生方は日々の授業の準備を一生懸命にして、教壇に立っています。授業は、先生と生徒が作り上げるライブです。教室はライブ会場です。ぜひ、みんなで盛り上がるように協力してください。
天災は忘れたころに・・・
今日は、短縮授業で6限終了後に地震避難訓練が実施されました。日本海側、太平洋側と、最近、地震が多いですよね。北朝鮮のミサイル発射でJアラートが話題となり、沖縄の人は不安だと思います。東日本大震災から12年が過ぎ、いまだに悲痛な叫びを伴った津波の動画はネット上でたくさん見られます。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあるとおり、年に数回は危機管理の心構えを持ち直すことが必要だと考えます。学校は鉄筋コンクリートで通路も複雑ではないので、地震や火災などに強いと言えます。本校は海や大きな川の近くでもなく、山が側にあるわけでもなく、比較的安全な場所にあります。それでも避難訓練をするということは、実際の危険に対処する以外に、どこに行ってもその場所に合った避難をできるようにすること、つまり自分の頭で考えて安全を守る行動ができるようになることが目標だからです。これから先、旅行等でどんな場所で災害に遭遇するかはわかりません。避難経路の確認と万が一の時に冷静に周りの状況を見て、落ち着いて行動できるようになってほしいのです。
学校は、校舎は頑丈で外に出やすいし校庭は広いので、避難自体はそれほど困難なことではありません。ただ、生徒と職員全部で800名近くになりますので、パニックを起こさず落ち着いて避難しないと、階段や通路で将棋倒しになって、地震や火災以外の面で怪我をする危険性があります。冷静に迅速に避難できるかが、どんな災害の場合でも求められます。1分1秒が生死を分ける避難もあります。「慌てず急げ」が合言葉ですよ。
常識と非常識が逆転する日
今日5月29日は、語呂合わせで「幸福の日」らしいですが、幸福について書こうとすると、かなり長文になりそうな嫌な予感がするのでやめておきます。
というわけで、今日は当たり前と一般に思われていること、つまり常識を疑うことについて書きます。ユーチューブにビジネス書をボイスコミックで紹介するものがあるのですが、先日見たものに「ニュースは見るな」というものがありました。なぜ、ニュースは見ないほうがいいのでしょう?私もニュースは同じものが飽きるほど繰り返されるし、肝心なことはテレビ局に都合が悪いのか報道されないことも多いし、時間の無駄と思うことが多々あります。週末に1週間の主なニュースをまとめて見るだけで十分な気がします。ニュースは報道する価値があるからニュースになるのではなく、視聴率がとれるものをニュースにするという側面があります。コロナの報道も視聴者の不安を煽ったほうが視聴率がとれると言われました。ニュースの中で本当に報道する価値のあるものは、果たしてどれくらいあるのでしょう。若者の犯罪の増加や凶悪事件の増加、高齢者の事故の増加、外国人犯罪の増加などは、ニュースによって間違ったイメージが作られたものです。「ニュースを見た(読んだ)ほうが世の中のことがわかるからいい」という常識や思い込みを、もたされてはいませんか。
「重役の7割が賛成するプランは時すでに遅く、7割が反対するプランくらいでやっと先手をとれる。」と松下幸之助さんは言っていますが、独創的発想、斬新なアイディア、これらは世間の常識を裏切って生まれてくるということですね。逆説的ですが常識の範疇を超えたアイデアを出すためには、まず常識を知り尽くさねばなりません。そのために学校は大事です。社会の常識を学ぶところですから。
「本当の意味で勉強するということは、常識を学ぶことではない。常識を知り、そこから外れてもいいということを学ぶことである」と言語学者の外山滋比古さんは言っています。
皆さんが、当たり前と思って少しも疑っていないことが、世の中にはたくさんあると思います。身近なところで何があるか、考えてみてください。そして、それが当たり前でなくなった先には、どんな社会が待っているのでしょう。
失敗は成功の・・・
今年度最初の定期考査が終了しました。努力に見合った満足する結果が得られたでしょうか。中間考査初日のブログでは、成功について触れましたので、今日は「失敗」について、私が書き留めてきた言葉の中から抜粋したものを紹介します。今回の考査で、失敗したと落ち込んでいる人がいたら、よく読んでください。失敗を前向きにとらえられるかどうかが、成長の鍵です。
〇早稲田大学の創設者である大隈重信のいた佐賀鍋島藩は、藩士教育に熱心なあまり、成績不良な学生の家禄を半分にする、といった罰則まで設けていました。現代では、受験地獄がいくら厳しくても失敗すると親の給料まで半分にされてしまうというようなことはありません。それほど当時の藩の経営は厳しく、また武士たるものの責任は重かったのです。大隈重信は次のような言葉を残しています。「諸君は必ず失敗する。ずいぶん失敗する。成功があるかもしれませぬけれど、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たなければならぬ。たびたび失敗すると、そこで大切な経験を得る。この経験によって、もっと成功を期さなければならぬのである。」
〇失敗からは必ず新たな発見がある。最近は、失敗するのが楽しみになってきました。田中耕一(ノーベル化学賞を受賞)
〇失敗すればするほど幸運はくる。若い間に、いっぱい失敗して挫折してください。」山中伸弥(京都大学教授 世界で初めてiPS細胞の作製に成功し、ノーベル医学・生理学賞を受賞)
〇失敗をただの失敗と思うか、おいしいと思うかの違いなんです。失敗って視点を変えると結構面白かったりしますから」東国原英夫(元宮崎県知事)
〇「失敗したからって何なのだ。失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか」ウォルト=ディズニー
〇そもそも失敗は、脳にとって最高のエクササイズである。失敗して痛い思いをすると、その晩、失敗に使われた関連回路の閾値が上がり、電気信号が行きにくくなる。胸の痛い失敗を重ねれば、要らない回路が消え、失敗しにくい脳に変わるとともに、とっさに余分な回路に電気信号が行かないので、本質を見抜き、勘が働く、センスのいい脳になる。
〇人が成長する上で、必ず経験しなければならない失敗があるのです。これが「よい失敗」で、別の言葉を使えば、「必要な失敗」といえます。
〇人は正解を教えてもらったら、盲目的にそれしかやらなくなります。試行錯誤をしなくなるんですね。絶対に失敗させて、試行錯誤させれば、どれだけセンスのないやつでも成功できるんです。全員失敗させて、全員成功させるんです。
いかがでしょうか。失敗を単なる失敗で終わらせるか、「勉強させてもらった」と感謝して、成長と次の成功に生かせる糧とするか。それはあなた次第です。
3.14・・・楽しめる!?
昨日、興味深いニュースを見ました。兵庫県の西宮市立西宮高校3年の4人が「三角比の定理」などを用いて「円周率の新しい求め方」を証明し、まとめた論文がオーストラリアの国立ニューサウスウェールズ大学が発行する数学雑誌に特に注目すべき記事として掲載されました。高校までで学ぶ公式などを使って証明することは困難とされていて、新たな証明方法として評価されたそうです。研究を始めたのは彼らが1年生だった2021年9月で、身近な疑問を出発点に深く探究する授業の中で、「円の面積と内接する多角形の面積は近似する」というテーマの着想を高校受験の問題集から得たとのことです。半年ほどかけて挑んだ末、高校1年で習う「三角比の定理」などを用いて、スムーズに証明できることが分かりました。指導した先生は「私がほとんど口を挟むことなくやってのけた。円周率の証明は伝統があるが、高校生が学ぶ知識で解けたということに大きな意義がある。数学界でいうと“エレガント”な証明」と太鼓判を押しました。生徒たちは「答えにたどり着くまでの過程を導くために、自分たちなりに試すことに楽しさを感じた」「諦めないで続けていけば道は開ける、という自信につながった。これからも大好きな数学に関わっていきたい」と述べています。研究の原動力は、尽きぬ探究心だそうです。皆さんも、ぜひ探究心をもって好きなことに取り組んでください。
さて、円周率についての話をもう少し書きたいと思います。1999年秋に某N学習塾が2002年の学習指導要領改訂をとりあげ『ウッソー!?円の面積を求める公式 半径×半径×3!?』、『円周率を3.14ではなく、「およそ3」として円の求積計算を行います』と書かれた広告を首都圏の通勤電車の中に大量に張り出すなどして大々的なキャンペーンを行いました。この衝撃的な情報は全国に広まり、マスコミによって拡散され、首都圏の学習塾の思惑(公立学校に行かせるとこんな事になっちゃいますよ。いいんですか?)を助けることになりました。そしてゆとり世代は"円周率を3として習っている"という認識が世間一般で広がってしまいましたが、この話はデマです。正確には 「円周率は3.14だが、実際の計算では3として取り扱っても良い」 ということです。これは、小学校5年で習う小数の計算では、小数点以下1桁までしか扱わなくなったことに関連しています。これに関連して2003年に話題になったのが東大理系の前期試験の「円周率が3.05よりも大きいことを証明せよ」です。メディアは、「東大がゆとり教育を否定した」などとセンセーショナルに取り上げ、もっとも有名な大学入試問題の一つになりました。興味をもった人は、ネットでたくさん取り上げられていますので考えてから解答を見てみてください。3.14がどんな数字なのかを考える人と単に円周率として覚える人では、学年を重ねるごとに数学だけでなくすべての学習で大きな差がつくことでしょう。
そのほか円周率に関するトピックでは、2019年3月14日に、グーグル社で日本出身の岩尾エマはるかさんが、円周率を小数点以下31兆4000億桁まで計算することに成功したことや、19世紀末のアメリカのインディアナ州で円周率を3.2という間違った値に勝手に決める内容を含んでいる法案が通りそうになったことなどが、興味深いです。円周率がアバウトだと失敗してしまう国家プロジェクトもあります。日本の小惑星探査機はやぶさの軌道計算には「3.141592653589793」が使われましたが、もし「3.14」を使っていたら最大で約15万キロも軌道がずれてしまう可能性がありました。日本には円周率11万桁を覚えた世界記録保持者原口證さん(77歳)がいますが、原口さんは意味のない数字の並びである円周率に、独自の語呂合わせで770以上の物語を作り、記憶しています。最後に彼の言葉を紹介します。
「『実行八分目』が大切。精一杯頑張ったら、翌日は疲れてやりたくなくなる。でも、物足りなさを残してやめておけば次の日も楽しみながら実行できる。その繰り返しが、継続へとつながるのです。目標も決して定めない。達成しなければという義務感が生じ、つい頑張ってしまうから。頑張りすぎる→苦しむ→目標に届かず挫折、という悪循環に陥ってしまいがち。「大事なのは続けることではなく、続けられること。肝心なのは、楽しくやることではなく、楽しくやれること」
『論語』にある孔子の言葉「之れを知る者は、之を好む者に如かず 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」が思い出されました。「学ぶことにおいて、その知識を知っているだけの人間は、勉強を好きな人間には及ばない。勉強を好きな人間は、勉強を楽しんでいる人間には、及ばない。」何かをできるようになりたかったら、楽しんでやるのが1番!ということですね。「楽してやる」ということではなく、「真剣に、でも、楽しんでやれる」ということだと思います。何事も楽しんでやれる工夫ができるかどうかですね。
中間考査初日「はじめの一歩」
本日から令和5年度最初の定期考査が始まりました。1年次生は、高校入学後初めての定期考査になりますが、十分準備をして臨めたでしょうか。2週間以上前から準備している人もいる一方で、一夜漬けになってしまった人もいるかもしれません。中学校までは、一夜漬けでもある程度いい成績がとれていても高校ではそうはいきません。手遅れになる前に計画的に学習する習慣をつけましょう。「習慣は第二の天性」です。発明王エジソンの最も有名な言葉に「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」がありますが、「あきらめずに努力を継続できる力」こそが、夢を叶えるために必要な力だと考えます。また、エジソンはこうも言っています。「人生の落後者の多くは、あきらめた時に自分がどれだけ成功に近づいていたかに気づかなかった人たちだ。」同じように、松下幸之助さんは、「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。」と言っています。吉田松陰の名言に「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし、故に、夢なき者に成功なし。」がありますが、非常にわかりやすいですね。似たような論法の言葉に元英国首相のマーガレット・サッチャーの言葉があります。「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。」
某企業の人事担当者が「筆記試験だけで合否を決めると、合格者が女性ばかりになってしまう」と嘆いているのを読んだことがあります。定期考査の話から、少し大げさな話題に発展してしまいましたが、男子は女子に比べてコツコツ頑張るというのができない人が多いようで、前述の人事担当者の話のようなことになりがちです。
勉強だけでなく、部活動においても正しい習慣をつけることが大事です。何事も小さな一歩の確実な積み重ねですよ。どこの進学校でも、初めての定期考査の結果に落胆し、心折れる人が少なからずいますが、その結果を真摯に受け止められるなら、大丈夫です。挽回できますから、頑張っていきましょう。
「PR」どんな意味?
先週の金曜日の「総合的な探究の時間」に「学びみらいPASS」の事後指導が2、3年次生に対して行われました。その中で「自己PR」について触れられていましたが、入学試験でも入社試験でも書類や面接での自己PRは大事です。PRはプロパガンダなら宣伝の意味で、ある政治的意図のもとに主義や思想を強調することとして使われます。ヒトラーのナチスが行ったことや社会主義・共産主義国で行われたことなどが典型的です。「自己PR」のPRは「パブリックリレーションズ」のことであり、本来は組織体とその存続を左右する一般市民との間に、相互に利益をもたらす関係性を構築し、維持するマネジメント機能という意味です。言い換えると「自己PR」は企業と自分との間に相互の利益をもたらす関係を作ろうとする行為ということになります。もっとわかりやすく言うと自分のセールスポイントをアピールして自分がその企業に貢献できる人間であることを、面接官に評価してもらうための行為となります。つまり、大学入試の自己PRなら「自分の過去現在未来の勉強について語り、将来の夢に向けてどんな勉強や活動がしていきたいのかを具体的に説明でき、大学の活性化に貢献できる人物か」が評価されます。入社試験の自己PRなら、「自分はどんな勉強や経験をしてきて、どのようなスキルがあり、どんな仕事で会社に貢献できる人物か」が評価されます。日本人は、自己肯定感が低く、謙虚なため、自己PRが苦手であるという見方がありますが、だからこそ、「主体的で対話的な学習活動」が重視されるようになったのです。生徒の皆さん、本校で様々な活動に取り組み、非認知能力を高め、自信をもって自己PRができるようになってください。
※「学びみらいPASS」は、生徒たちの進路に関わる興味・関心をひろげ、“変化の時代”に求められる力を客観的に測定するアセスメントテストです。ジェネリックスキルが1年前と比較してどうなったのか結果を分析し、解説して今後の学習に役立てます。
※ジェネリックスキルとは、特定の専門分野に関係なく、全ての人に求められる能力であり、コミュニケーションスキルや論理的思考力といった「汎用的な技能」の他、チームワークやリーダシップ、倫理観などを含む「態度・志向性」、「統合的な学修経験と想像的思考力」なども含みます。
もしもPTAがなかったら・・・
今日は4年ぶりに対面でのPTA及び後援会の総会を開催することができました。心配していた雨もあがり、気温もそれほどあがらずほっとしました。300人を超える保護者の皆様に御来校いただき、誠に有難く思います。教室棟の1階から3階まで、授業参観の保護者の方があふれていて(笑)、久しぶりの光景でした。高校では、保護者が授業や学校行事、部活の様子を見る機会がもともと少ないと思いますが、コロナの影響で少ない機会が、さらに少なくなった、というよりなくなってしまいました。今後は、御子様の様子を見られる機会が増えるのではと思います。ただ、本校は教室が狭いため、特別教室以外では教室後方に入れるスペースがほとんどなく、廊下から見ることが多くなってしまうのが残念です。学校によっては机の大きさが2倍ほどあり、1教室20人という環境のところもありますが、もう少し高校の教室環境を改善してほしいと思います。今は教室にエアコンがついていて、20年以上前、39℃の教室で意識が朦朧としながら授業していたころに比べればよくなりましたが、教室の人口密度は変わっていません。中学校では、必要教員数を満たせず、本来は35人学級なのに40人でやらざるを得ないところも出てきていて、時代に逆行しています。日本は、2021年のGDPの中で公的教育費の占める割合で見ると世界で138位です。どう思いますか。「教育は国家百年の大計」といいますが、国の将来を担う子どものための教育予算をもっと増やしてほしいと思います。ここには書けないこともたくさんありますが、今できることをやるしかないと考えて頑張ります。さて、タイトルの「もしPTAがなかったら・・・」のあとに続く言葉は何か、生徒の皆さんにはわかってほしいです。
G7広島サミットの行方
G7広島サミットが、今日開幕しました。 核兵器保有国の米英仏の首脳が、そろって広島を訪れるのは初めてであり、今回、最も大きな関心事は米英仏の首脳に原爆資料館を見学してもらえるかでした。2016年にオバマ大統領が訪れた時も資料館を見学しましたが10分足らずで本当に見てほしいものを見てもらえたかどうか疑問です。今回、およそ40分間にわたって、首脳が揃って原爆資料館を視察したのは歴史的出来事だったと思います。岸田総理は、今回のサミットについて「核兵器のない世界に向け、『あのとき、流れが変わった』と言われるぐらいの大きなメッセージを発していきたい」と意欲を示していました。各国首脳がどういった展示を見たかは明らかではありませんが、核廃絶に向けての新しい一歩になったと思います。原爆投下の是非については、いまだに「戦争を早く終わらせ、被害を広げないために仕方ないことだった」ということを考えているアメリカ人が大半です。(ただ、若い人は4人に1人くらいというデータもあります。)日本でも原爆投下までにどのような経緯があったかについては、学校で詳しく教わることはありません。アメリカでは尚更でしょう。(なぜ、そうなるのかは皆さんが考えてみてください)原爆や東京大空襲は、極東国際軍事裁判(東京裁判)における「人道に反する罪」にあたるはずですが、戦勝国が裁かれることはありません。どんな戦争も正義を自分の側に引き寄せるために「大義名分」を掲げます。ロシアのウクライナ侵攻もそうですね。原爆投下の大義名分「戦争の早期終結を図り、これ以上犠牲者を出さないため」も然りです。日本の「大東亜共栄圏」(欧米の植民地支配からアジア諸国を解放する)もそうです。歴史を振り返れば、核兵器を含む軍縮と軍拡は繰り返されてきました。軍事に使うお金があるなら、他のことに使ったほうがよいことはみんなわかっています。しかし、軍事力のバランスをとることが戦争を抑止するという考えが、相互不信のため捨てられず、軍需産業(死の商人)の利害も加わって、「核兵器廃絶」は絵に描いた餅となっています。今回のサミットが、核兵器廃絶に向けた新たな一歩になることに期待したいと思います。生徒の皆さん、歴史をしっかり勉強して社会的事象の本質がつかめるようになってください。2年次生は11月に修学旅行で広島に行きますね。事前学習をしっかりやってください。
言の葉の園生
何か、最近は「今日は何の日」に頼りっぱなしです。昨日今日と「全国高校長協会」の総会と研究協議会が大宮のソニックシティホールで開催されたので、行ってきましたが、それについて書いても仕方ないので、「今日は何の日」に頼らせてもらうことにしました。今日は「ことばの日」だそうです。2019年に制定された新しい記念日です。日付は言葉の「葉」が5月の新緑の瑞々しさを表しているとの思いと、「こ(5)と(10)ば(8)」と読む語呂合わせから。「ことば」を大切に使い、「ことば」によって人と人とが通じ合えることに感謝し、「ことば」を正しく使って、暮らしをより豊かにすることが目的だそうです。漢字の「言葉の日」ではなく、ひらがなの「ことばの日」としたことには手話や点字など広い意味での「ことば」を知ってもらいたいとの思いが込められているそうです。言葉の大切さについて異論を差しはさむ人はいないでしょう。以下に「言葉」について私が書き留めてきたものを紹介します。皆さんも高校生活を通して、自分の言葉を増やし、大切に育ててください。
〇新約聖書に有名な言葉があります。「はじめに言葉ありき」です。これは、「言葉があるから、人は世界にある全ての物を、認知できるので、言葉は大変大事です。」と多くの人に誤解されている言葉です。言葉の重要性を説いているものではなく、「アルケーはロゴスなり」=「根源的原理は、キリスト(神の言葉)である。」という意味だそうです。言葉の大切さがわかっているから、逆に誤った解釈をしてしまうという皮肉な例です。
〇平安時代前期の『古今和歌集 仮名序』に「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」(和歌というのは、人の心をもととして、様々な言葉となったものである)とあるように、和歌に「言の葉」が使われていました。その後、「言の葉」が多く用いられるとともに、「ことば」にも「言の葉」の意味が含まれていき、「言葉」は言語を表す最も一般的な語となったようです。
〇戦国時代初期の武将の北条早雲の家法と伝えられる「早雲寺殿廿一箇条」に「歌道を心得ていれば、常に出言の慎みがある」とあります。これは、「歌道の心得のない人は、品がない。良く学び、常に言葉遣いに注意しなさい。迂闊な一言で胸中が悟られてしまうものだ。」という教訓です。歌は、きわめて短い言葉で自分の思いを表現しなければならない。そうした鍛錬が、日常の何気ない言葉にも顕れてくるとみていました。
〇口から出た言葉には魂が宿る。例え思っていなくても、「ありがとう」って言えば、「ありがとう」の心が出てくる。言霊(魂)は、よい言葉に宿らせたいですね。
〇古典落語の演目は、前座が演じるか真打ちが演じるかで、おもしろさがまったく異なってくる。話し方や間の取り方によって、言葉はまったく別物になるのだ。
〇言葉が相手に届き、理解されるためには、まず相手の身体に『響く』必要がある。
〇言葉が途切れる沈黙の時間は、語られる言葉と同じくらい人々の心に届いた。
〇社会の変化で辞書に載る言葉は今後も増えていくのでしょうが、日本語の使い手として大事なのは、いかに多くの言葉を知っているかより、使いたい言葉、使いたくない言葉の仕分けがきちんとできるかどうかでしょう。
〇言葉を使うというのは、ある意味で化粧をすることだ。言葉の力をつけるためにも、そして読解力をつけるためにも、一つの言い方ではない、もっと別の表現が あることを知り、様々な表現を自分のものにすることが大事なのだ。そうすることによって語彙が身につき、読解力がついてくる。樋口裕一
〇人間は言葉でものごとを考えていますから、複雑な思考のためには自在に扱える言葉を増やさなければなりません。
〇自分が発した言葉は、情動を司る脳の奥の扁桃体という部位に影響を与えます。ポジティブな言葉なら、扁桃体もポジティブに反応して、感情が前向きになりますが、ネガティブな言葉なら、反対に感情が落ち込みます。ある心理学の研究では『緊張する』と話した人は『ワクワクする』と話した人より、テストの成績が10%も悪かったそうです。
〇自分の発した言葉で一番影響を受けるのは、実は自分だということもわかってきました。自分の言葉を一番多く聞いているのは、自分だからです。
〇「ことばを育てることは、こころを育てることである。人を育てることである。教育そのものである。」大村はま(国語教師、国語教育研究家)
〇ひとつの言葉でけんかして ひとつの言葉で仲直り ひとつの言葉で涙を流し ひとつの言葉で笑い合う
ひとつの言葉であたまが下がり、ひとつの言葉でいがみ合う ひとつの言葉はそれぞれにひとつの心をもっている
実力発揮!
好天に恵まれ、高校総体1日目が終わりました。選手の皆さん、お疲れ様でした。引率された先生方、競技役員の先生方、ありがとうございました。
選手の皆さんは、普段の練習の成果が発揮できたでしょうか。それとも残念ながら固くなってしまって、実力が出せずに終わってしまったでしょうか。本当は、「実力が出せずに」という言い方は、おかしいのですけどね。なぜなら、実力とは本番で発揮されるものをいうわけで、練習でのうまさは実力とはみなされないからです。残酷ですが、心技体がそろって実力と呼べるわけで、メンタルが弱くて本番に弱いとか、体調管理ができないとかは実力があるとは言えないわけですね。スポーツ選手にとって「メンタルトレーニング」というのは、非常に重要で、専門のトレーナーがいるくらいです。もちろん、受験もメンタルが重要ですよね。集中力やあきらめない心とか粘り強さ、レジリエンス(精神的回復力)とかは、一朝一夕に身につくものではなく、経験を繰り返すことで育まれるものです。
以前にも書きましたが、最近では、テストで測れる認知能力ではなく、日常生活・社会活動において重要な影響を及ぼす能力である非認知能力が重要視されるようになってきています。学校行事やHR活動、部活動などの集団的活動、体験的活動は、非認知能力を育むのに有効であると考えられています。皆さん、教科学習以外の学校での様々な活動を通して、楽しみながら非認知能力を磨いてください。そうすれば、高校生活は益々充実したものになりますよ。
それと、自分が試合をしていても、人の試合を見ていても気になることは、勝者と敗者の気持ちです。勝敗がついたときに、お互いにどんな気持ちになるのか。もちろん、勝った方はうれしいでしょうが、力を尽くして戦った相手をリスペクトしているかどうか。よく、健闘を讃え合うと言いますが、敗者は「悔しいけれどあなたのほうが強かった。次の試合、頑張ってね」と思えるか。勝者は、「今日はありがとう。次の試合は、あなたの分まで頑張るよ」と思っているか。試合に勝っても負けても色々な意味で成長しています。振り返りで気付き、自分の成長に生かせるかどうかが重要です。勝負を通して自分の心を育ててください。
明日は、天候が心配されますが、選手の皆さんの実力が発揮できることを祈っています。
人間の可能性
今日は、ALSOKぐんま武道館で県高校総体の総合開会式があり、出席してきました。激励メッセージということで、郷土芸能、ペップアーツ、バトン、ダンスなどが披露され、最後に県内19校の生徒200人ほどによるダンス専門部の公開演技がありました。フロア一杯に広がってのダンスは見応えがありました。
先日の5/6(土)に放映された「THE DANCE DAY 2023」のパフォーマンスでは、個性や創造性も素晴らしいですが、人間は練習すればどこまでできるようになるのだろう、どれくらい練習してここまで到達したのだろうと思うとともに、高校生の演技を見ても同様に感じました。そして、最近のAIの著しい進化を見ても、まだまだ人間の動きに近づけるロボットはできないだろうなと実感しました。開会式でのパフォーマンスは高校生らしく、見るものを感動させるものがありました。
最後のダンスは、4色のTシャツで分けられた集団によるものでしたが、本校の体育祭での応援合戦で6団全員が踊っているかのように錯覚しました。6月には体育祭がありますが、応援合戦を楽しみにしています。ぜひ、独創的なダンスを作り上げてください。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。
生きている or 生かされている
GWも終わり、今週は高校総体ウィークです。皆さんは、どんなGWを過ごしたでしょうか。
今日からコロナが5類感染症に移行しましたが、今後はコロナ感染が珍しいことになってくれればありがたいですね。我が家はコロナの影響(後遺症?)か、3人がGW中も体調不良だったため外出はほとんどしませんでしたが、5日の本校吹奏楽部の定期演奏会は行かせていただきました。本校の先生方や生徒がたくさん来てくれていて、チアリーディング部とフラ同好会の応援もあり、来場していただいた多くのお客様に楽しんでもらえたと思います。テーマの「日幸」にふさわしい演奏会になりました。それと4日に義父母の墓参りに行ってきました。昨年も5月3日のブログで書いていますが、菩提寺に二つの掲示板があり、そこに言葉が書かれた紙が貼ってあります。少なくとも月毎に変わっていると思いますが、昨年は「すぐやる 必ずやる できるまでやる」「なりたい自分になるのに 遅すぎるということはない」でした。今年は「何のために生きているのかだと行き詰る 何のために生かされているのか考えると やるべきことが見えてくる」「人生はご恩返し」でした。以前に、私たちは何か大きな力によって生かされているのではないか。それが「神」かどうかは別として。というようなことを書いた記憶があります。人間の生死には、運不運がつきまとうと思います。神風特攻隊で生き残った人が、「仲間はみんな死んでしまった。俺だけ、なぜ生き残ったのか」と嘆き、「何か理由があって生かされたのなら、それを考えて生きていこう」と思ったそうです。自分が生きている不思議なんて、普段は考えもしないことですが、心の持ち方ひとつで生き方は変えられるかもしれません。「生きているのが当たり前」と思うか、「生かされている奇跡」を感じるか。4月27日のブログ「哲学ってホント・・・」で「どう生きるべきか」という問いを取り上げましたが、ソクラテスの言葉と伝えられる「善く生きる」の意味を考えてみてください。ちなみにBenesse(ベネッセ)はラテン語の造語で「よく生きる」という意味です。
哲学ってホント・・・
今日は、紀元前399年に古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、獄中で毒を飲んで亡くなった日ということで「哲学の日」だそうです。高校の現代社会や世界史、倫理の授業で教わる人ですが、倫理の授業以外では詳しくは勉強しないので、知らない人も多いかもしれません。ソクラテスと言えば「問答法」「無知の知」「善く生きる」などがキーワードです。現在、新しい学習指導要領のもと「主体的対話的で深い学び」ができるように、学習活動が工夫されているわけですが、「対話的」とは、生徒同士を始めとして、様々な人との交流を通して学び気付く学習活動です。そこには書物を通した先人との対話も含まれます。ルーツはソクラテスの問答法ですね。ソクラテスは、対話的問答を通じて相手にその無知を自覚させようとした(無知の知)わけです。
哲学って難しそうなので、わかりやすい説明はないかと思って探してみました。世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問という説明がありました。私は、哲学とは、この世の中のあらゆる「なぜ?」について探究する学問であり、人間についていえば「どう生きるべきか」を考え続ける学問であると思います。最後に対話の大切さについて述べた文?を紹介します。自分の周りにどんなピースがあって、その中からどんな自分が浮かび上がるのでしょう?
「結局、人はジグソーパズルの最後に残ったピースみたいなもの。周りが埋まって初めて、残った空洞の形=自分が浮かび上がってくる。つまり、周りにいる人や環境がとても大切だということです。いろいろな人と交わり刺激を受けないと、物事も自分も進化しません。」樋口直哉(小説家)
世界で一番美しい花は?
昨日4月23日は「ぐんま花の日」だったのですが、皆さんはご存じでしたか?群馬県と、県内の花と緑に関する26団体が2002年(平成14年)に制定したそうです。4月23日~29日が「ぐんま花と緑の週間」であり、これらの日を中心に、群馬県前橋市にある「ぐんまフラワーパーク」を主会場として「ぐんま花の日 県民フェスティバル」などのイベントが開催されているそうです。皆さんは、「ぐんまフラワーパーク」に行ったことはありますか?私は、数回行ったことがありますが、最後に行ったのは2015年でした。そのフラワーパークも1992年4月に開園してから30年たつため、3月から休園になり、リニューアルして2025年4月にオープン予定です。どんなふうにリニューアルされて、また様々な花を見せてもらえるのか楽しみです。
先日は桜とハナミズキのことを書きましたが、皆さんは花と言えば何を思い浮かべますか。本校でもたくさんの花が見られますが、じっくりと見たことはありますか?人間、余裕がないと道端の花にも気付きませんよね。作家の加藤周一さんのコラムに「小さな花」というのがあります。その冒頭は「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」です。加藤さんは、1960年代の後半にヴェトナム戦争に抗議してワシントンに集まった人たちが、武装した兵士達と相対して地面に座り込み、その中の一人の若い女性が眼の前の無表情な兵士に向かって差し出した一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろうと書いています。それは、星の王子様が愛した薔薇や、聖書に書かれた野の百合と同じくらい美しいと例えています。彼は、なぜ一輪の小さな花を美しいと感じたのでしょうか。小さな花は、何を表しているのでしょうか。この花から私が連想した曲は、SMAP.の「世界に一つだけの花」やORANGE RANGEの「花」ですが、皆さんは「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」で思い浮かぶ曲は何ですか?これから「世界で一番美しいと自分が感じる花」を探していきましょう。
「やる気」はどこから?
私は、「やる気」について1学期の始業式の式辞と新入生のオリエンテーションの講話で昨年に引き続き、皆さんに話をしました。某学習塾のCMで「やる気スイッチ」が使われるようになったのは、2009年のことで、まだ皆さんが幼稚園に行っていた頃のことでしたが、まだ続いているようですね。このCMを親子で見ていて、どんな会話がされているか興味がありますが、「〇〇のやる気スイッチは、どこにあるんだろうねぇ」などと言われて、嫌な気持ちになった子どもも少なからずいたことと思います。「やる気」は、大人になると「モチベーション」という言葉に変わり、「社員のモチベーションを高めるには、どうしたらよいか」がテーマになってきます。
やる気は、同じ人ならすべての活動に同じように出るものではありませんし、それを測る物差しを誰も持っていません。好きなものや興味のあるものならまだしも、そうでないものに「やる気」を出すのは、口で言うほど簡単なことではありません。ただ、「やる気がでないからできない」は間違いで、「やる気スイッチ」は誰かに入れてもらうものでも、自分で入れるものでもなく勝手に入るものだと私は思っています。勝手にスイッチが入るためには、次のステップが必要です。まず①やってみる。②できるようになる。(勉強や仕事の見通しがつく)③やる気がでる。(目標を達成できる目途が立つ)これが本当だと思います。①やる気がでる。②やってみる。③できるようになる。ではないと思うのです。もちろん、人によって個人差はあるので、一概には言い切れません。(色々なことにやる気をもって取り組める人もいます) 私事で言えば、手をつけるのを躊躇している仕事(やる気がでない仕事)でも、えいやっと始めれば意外とやる気モードになって仕事が進んだりします。勉強も、10分だけやろうと始めて気がついたら1時間過ぎていたというのが理想じゃないかなと思います。1時間、2時間やらなくちゃと思って始めるよりも、結果的に2時間勉強してしまったというほうが気分がいいと思います。最後に一つ、言葉を紹介します。
「自分を鏡で見ることができる人は練習します。モチベーションのスタートは恥ずかしさです。”このままの自分では終わりたくない”ということです。」
今の自分を客観視して、高い目標を定めて一歩を踏み出してください。3年間は短いです。
※皆さんにとっては、「やる気」「モチベーション」「意欲」のどれが最もしっくりきますか?
「生・命・健」
昨年10月に、こども園の送迎バスの車中に置き去りにされ、熱射病で当時3歳の女児が亡くなる事件がありました。今朝のニュースで、事件後半年経って父親が胸中を明らかにしていました。私も二人の娘の父親ですので、娘の小さい頃と重なって涙なしには見られませんでした。
保育園・幼稚園・こども園・小学校・中学校・高校といった幼児・児童・生徒を預かる施設は、命を預かっているので「安全・安心」が第一です。それが保障されなければ生活や勉強どころではありません。事故やいじめがないように先生方は日々細心の注意をして子どもたちを見守っています。体育的行事や体育、部活動などでケガをしたり熱中症にならないように事前指導を行い、活動中も様子をよく見ています。「エピペン」や「AED」の校内研修を行い、運動や食事などで注意を要する生徒の情報を共有し、万が一に備えています。県の教育委員会からも体育施設の視察があり、危険箇所のチェックと指導があります。将来の危険を予測する力が求められるわけですが、「このくらい大丈夫だろう」という気持ちが事故につながります。雷が遠くで鳴った時に、昔なら「まだ大丈夫」でしたが、死亡事故が起こってからは、すぐに活動を中止して避難するようになっています。
親にとっては、子どもが元気でいてくれることが第一ですので、皆さんも校訓の「健」にあるとおり、より健全な心身をつくれるよう主体的に鍛練し、心身の自己管理ができるようになってください。
同好の士を!PART2
昨日は、コロナ感染のため高熱でブログを書くことができませんでしたが、なんとか今日は平熱近くまで下がったので、短時間で書こうと思いました。
本日は、部活動編成の日で、各部への入部希望者が割り当てられた場所で入部届けを提出します。昨年もこの時期に2日間かけて活動している部活は全部見て廻りました。今年は、来週廻りたいと思います。1年次生が入ってくると、活気が出てくるし、先輩としてしっかりしなくちゃと思って生徒の皆さんも気が引き締まりますよね。運動部でも文化部でも、同じ趣味嗜好の人の集まりですから、きっとHRのクラスとは違った友達ができると思います。運動部で言えば、集団競技と個人競技、個人競技でも団体戦がありますね。集団競技でも敵と入り乱れるものとそうでないもの、敵と入り乱れるものでも接触が当たり前のものとそうでないものなど様々なバリエーションがあります。たくさんあるスポーツの中から自分に合ったものを選んだわけですから、それを選んだ皆さんは同好の士ということになります。文化部の皆さんは、活動日数が1~6日と幅があると思いますが、兼部して新しいことにチャレンジすることで、新しい自分を見つけられるかも知れませんよ。ぜひ、気の合う仲間をたくさん作って高校生活を楽しいものにしてください。
ChatGPTからの未来予想図
今日は、巷で話題になっているChatGPTについて書きたいと思います。私は新し物好きなので、面白いなとかいいなと思ったものは、すぐに試したり買ったりしてしまうのですが、ChatGPTとAIによる画像作成ソフトもすぐに試してみました。正直言って大変驚きました。「ChatGPTの普及によって予想される問題を教えて」に対する回答を受けて、さらに「小学5年生でもわかるように教えて」と質問すると、以下の回答がありました。
1 ウソの情報が広まる問題: ChatGPTは多くの情報を学習しているため、ウソの情報も学んでしまうことがあります。それが広まると、みんなが間違ったことを信じてしまうことがあります。
2 人間が仕事を失う問題: ChatGPTが進化すると、人間がやっていた仕事を機械がやることができるようになるため、人間がやる仕事がなくなってしまうかもしれません。
3 感情や文化の理解が難しい問題: ChatGPTは、人間の感情や文化の理解が難しいため、間違った返答を返すことがあります。それが原因で、人々が不快になることもあります。
以上のような問題が起こる可能性がありますが、ChatGPTは、私たちの生活をより便利にするためにも、とても役立つ技術です。ただし、この技術をうまく使うためには、正しい情報を見分ける力や、機械に仕事を奪われないためにも、自分たちが何ができるかを考えていく必要があると言えます。
どうでしょうか。この回答は1秒と待たずに出てきました。現在、ChatGPTを始めとするAIを活用したソフトについて解説する動画がたくさんアップされています。作文や感想文を書き、要約もしてくれます。相談に対してカウンセラーのように答えてもくれます。作成したい画像のキーワードや注文を書き込めば、たくさんの画像を作成してくれます。そのクオリティは普通のイラストレーターを失業に追い込むほどです。そのほかに動画作成や作曲ソフトもあります。音声認識と翻訳機能が発達して、AIと会話しながら仕事を進める未来も近いのかもしれません。皆さん、そんな未来を見据えて、汎用的な能力を身に付けられるよう頑張っていきましょう。
※「いじめをなくすにはどうしたらいいの?」「なぜ、人を殺してはいけないの?」などAIならどんな回答をしてくれるだろうという質問をいくつかしてみました。十分満足のいく回答は得られませんでしたが、教科書的な模範解答は得られました。質問を繰り返して深掘りしていけば、もっと違う回答も返ってくるのかもしれません。出てきた回答に対して無条件にそれを受け入れてしまえば、人間は「考える葦」ではなくなってしいます。AIを活用して、さらによいものを作り上げていくための努力を怠らないようにしたいものです。
夢と道
私は学校にいる時の昼食は、大体ヤフーニュースを眺めながら食べています。今日見たトピックに今年の東大入学式での祝辞がSNSで話題を呼んでいるという記事があったので、読んでみました。祝辞をしたのは、低・中所得国での感染症対策を支援する国際機関「グローバルファンド」で保健システム及びパンデミック対策部長を務める馬渕俊介さんです。祝辞の中で印象に残ったところは下記のとおりです。
〇自分の夢に関わる本当に好きなことをやらないと、それを徹底的に突き詰めることはできません。また、好きなことをやってないと、幸せの尺度が「自分が他人にどう評価されているか」になってしまう。それではうまくいかないときに持たないです。他人の評価を気にする他人の人生ではなく、自分がやりたいことに突き進む自分の人生を生きてください。
〇夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見つけることはできないということです。夢が見つけられないというのは、ほとんどすべての人が抱え続ける悩みですが、夢は、待っていれば突然降ってくるものではありません。探し続けて、行動してみて、その中で少しずつ「彫刻」のように形作っていくものだと思います。周りに流されず、自分の興味のままに、探し続けてください。そしてそれが一番自由にできるのは、今からの4年間です。
以下は馬淵さんが、松下幸之助の「道」という書から引用した座右の銘です。
“自分には自分に与えられた道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。”
道と言えば、高村光太郎の「道程」にある“僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る”や徳川家康の“人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。”が有名ですが、俗っぽいところでは、テレビドラマ「水戸黄門」の主題歌の歌詞“人生楽ありゃ苦もあるさ涙の後には虹も出る 歩いてゆくんだしっかりと自分の道をふみしめて”も年配の方には、よく知られていると思います。
3月16日のニュースで、第一生命保険による「大人になったらなりたいもの」の調査で、男子は小・中・高校ともに「会社員」が三年連続の1位となり、女子も3年連続で「パティシエ」が1位に輝きました。この結果に「夢がないねぇ」というのは簡単なのですが、子どもは世の中と大人を冷静によく見ているとも言えます。会社員と言っても色々な業種・職種がありますので、幅がありすぎて参考にならない解答とも言えます。
夢は、ただ待っていても叶えられるものではありません。自分の夢を見出し、叶えるために、自分の行く道をしっかりと見据えることができるかは、皆さんの主体性にかかっています。生徒の皆さんが、高校で、もしくは大学で夢を叶える自分の道を見つけられるように願っています。そのサポートは太東の先生方に任せてください。