日誌

榎本校長のつぶやき

後生畏るべし

 先日、将棋で藤井聡太さんが前人未到の8冠を達成しました。彼は14歳2ヶ月でプロ棋士になり最年少記録を樹立してから、数々の最年少記録を打ち立ててきました。これがどれだけすごいことなのかは、数字の上ではわかっても、将棋の内容からはほとんどの人はわからないと思います。将棋を知れば知るほど、彼のすごさはわかるものなのでしょう。私の実家には足付きの将棋盤があり、小学生の時に父親にルールを教わってやるようになりました。最後に将棋を指したのは、小学校6年生だったと記憶しています。将棋を勉強していたわけではなく遊びで差していたので、残念ながら本当の意味で藤井さんのすごさは理解できません。藤井さんのエピソードに、「AIが22億手読んで発見できる最善手を36分で指した。」というのがあります。人間は、脳全体のうちわずか2%しか使っていないといわれていますが、彼は何%使えているのでしょうね。将棋の神様にお願いするなら?と聞かれた藤井さんは「せっかく神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい」と回答しました。「神の一手」を追求することが囲碁の漫画で描かれていましたが、勝負事のどんな分野でも極めた人なら神様と戦いたいと思うのは、自然なことなのでしょう。(ドラゴンボールの悟空のように) この先にどんな目標が?と聞かれて、連覇を目標とするのではなく、「面白い将棋を指すのが一番の目標」という回答は印象的でした。イチローの「人に勝つという価値観では野球をやっていない。もっと野球がうまくなりたい」という言葉と相通ずるものがありますね。この場合の「面白い将棋」とは今までにない戦法による将棋だと思いますが、スポーツでも新しい戦術が考え出され、それを破る戦術が考えられということが繰り返されて、ゲームがどんどん高度になっていき、面白くなっていきます。7冠となった羽生さんの時には、彼の記録が破られることはないだろうと言われたようですが、「後生畏るべし」という言葉のとおり、藤井さんの記録も破られる時がくると思います。本校の生徒会誌や同窓会名、文化祭名で使われている青藍は、生徒が先生を(後輩が先輩をでもいいですね)越えていってほしいという願いが込められています。皆さんも、ぜひ頑張って越えていってください。

憎しみの連鎖は断てるか?

 昨年の10月12日は、コロンブス・デーについて書きました。歴史的事実とそれに対する評価は異なるもので、歴史が勝者によって記され、敗者の歴史は抹殺されることも珍しくはありません。日本のマスコミは、取るに足らない事件を報道し、世界で起こっている重要なニュースを報道しない(無視する?)傾向があります。ですから、テレビしか見ていなければネットで取り上げられているようなニュースは知りようもありません。日本人が海外のニュースにあまり関心を示さないことや営利企業であるマスコミの方針であるのかもしれませんが、世界の国々は昔に比べてはるかに情報や物流網で相互に大きな影響を与え合っており、他国と付き合っていく上で、国際情勢についてよく知っておくことは不可欠です。さすがに今回のイスラエルとパレスチナの紛争については、早くから報道されていますが、なぜ、こんな事態になってしまったのかについては、ほとんど解説されていません。そのうち特集番組がNHKあたりで組まれるかもしれませんが、皆さんは世界史で勉強しているはずなので、説明できますか。私は試しにChatGPTに「イスラエルとパレスチナが、なぜ争っているのかを歴史的背景と経緯を高校生にわかるように説明してください」と問いましたが、残念ながら満足のいく回答が得られませんでした。

 まず、この問題の根源にあるのが、ユダヤ人が自分たちの王国をローマ帝国に滅ぼされてから2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきたという歴史です。1948年に悲願であったユダヤ人の国家であるイスラエルがパレスチナに建国されましたが、そこは、ユダヤ人にとって旧約聖書で「神が与えた約束の地」と書かれている土地でした。一方で、パレスチナに住んでいたアラブ人であるパレスチナ人は、イスラエルの建国で故郷を追われました。いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区という場所で、今回紛争が起こっているのがガザ地区です。

 イスラエルの建国とアラブとの問題は、第一次世界大戦中のイギリスのいわゆる三枚舌外交にあります。1915年のフセイン・マクマホン協定でアラブ人に独立国家を約束し、1916年にサイクス・ピコ協定で英仏が中東を分割支配することを密約し、1917年にバルフォア宣言で、イギリスがユダヤ人に戦費の調達を依頼しようと考え、「連合国側の味方をすれば、パレスチナの地でのユダヤ人の国の建設を支持する」と約束しました。これらの矛盾した外交により、パレスチナと周辺アラブ諸国は混乱し、1947年に国連でパレスチナ分割決議が採択されてイスラエルが建国された後も、禍根を残し紛争が絶えなかったわけです。第1次から4次までのイスラエルとアラブ諸国との中東戦争の歴史と1993年のパレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)に代表される和平交渉の歴史をここで書く紙幅はありません。興味をもった人は調べてみてください。ユダヤ人がなぜ迫害されてきたのか、ユダヤ人の現在の世界での影響力、エルサレムという場所の特異性など、素朴な疑問はたくさん出てくると思います。そんな時に、すぐ調べる習慣を身に付けてください。それが大きな差になって表れてきます。

 ウクライナとロシアの紛争が続いているように、領土・民族・宗教が紛争の火種となって世界に影響を与える状況は、いつになったら終わるのでしょうか。平和と思われている日本も、近い将来紛争に巻き込まれる日がくるのでしょうか。周辺諸国に対抗するために2023年度予算の防衛費は過去最大の6兆8219億円で2022年度の当初予算と比べて1兆4000億円余り多く、およそ1.3倍と大幅な増額となっており、11年連続の増額だそうです。「教養とは歴史である」と言った方がいましたが、歴史をよく知った上で、日本の世界での身の振り方を決定するために、私たちは選挙で政治家を選ぶ必要があります。政治は一部の頭の良い人に任せておけばいいと考える国民が増えれば、日本がどんな道に進んでも文句は言えません。皆さんは18歳で選挙権をもつようになりましたが、若年人口はただでさえ少ないので、選挙に行かなければ高齢者の考えが政策に反映されがちになってしまいますよ。課題意識をもって、これからも勉強に励み、政治に無関心にならないようにお願いします。

♪明日があるさ♪

 今日から2学期の中間考査が始まりました。定期考査について書くのは、昨年から数えて今回で5回目になります。だんだん書くネタがなくなってくるなぁと感じていますが、視点を変えれば書くことはなんとか出てきます。テストは、計画的に十分準備をして臨む人もいれば、計画は立てたものの一夜漬けになってしまう人もいると思います。その結果、毎度「ちゃんと2週間前から計画的にやっておけばよかった」と後悔することになり、進歩がないなぁと落ち込むわけですが、皆さんはどうですか?昔、坂本九という国民的歌手がいました。「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」などのヒット曲がありますが、「明日があるさ」は歌詞を現代風にアレンジし、ウルフルズがカバーしてヒットしました。テストができなかった時、「明日があるさ」という歌詞には元気付けられるものがあります。私が高校生の時、岸田智史の『重いつばさ』という歌の歌詞に「どうしようもない昨日をもってしまったが、どうにかできる明日が 明日があるさ」というものがあるのですが、定期考査でできなかった時に、よく慰められていた記憶があります。人間の意志の弱さを、実感してしまうのがテスト勉強ですね。今日は、私が収集してきたテストに関する言葉を紹介します。

〇IQや他の共通テストの成績よりも、根性が将来の成績を予測する材料になる。どの分野においても高い目標を成し遂げるには、才能と同じくらい根気と根性が必要になる。→よく受験勉強は忍耐力をテストする意味もあると言われますが、何をするにも根気は必要ですよね。

〇自分が発した言葉は、情動を司る脳の奥の扁桃体という部位に影響を与えます。ポジティブな言葉なら、扁桃体もポジティブに反応して、感情が前向きになりますが、ネガティブな言葉なら、反対に感情が落ち込みます。ある心理学の研究では『緊張する』と話した人は『ワクワクする』と話した人より、テストの成績が10%も悪かったそうです。→言霊おそるべし。

〇テストの点が高いのは参考書を何度も読む人より、問題集を何度も解く人のほうで、出力を磨くほうが脳は成長します。仕入れた情報を人に話して、出力を心がけるのが大切です。→私も受験勉強では、覚えたらすぐに問題集で確認していました。インプットとアウトプットのバランスは大事です。

〇点数の悪いテストを見て「算数が苦手ね」と言うのか、「ここはできたね」と言うのか。それだけの違いで、子どもの自信も次の行動も変わってきます。→できないところをフォーカスされると自己肯定感がどんどん下がっていきますね。

〇テストの点数について、本人の感想を聞いたら「よかったね、うれしかったね」とか「悔しかったね」と共感します。極端な話、それだけでいいのです。本人が成功だとか失敗だとか思っていることに対して共感を示せば、自然に頑張ろうと思うものです。→テストだけでなく、社会に出ても同じですね。

視力回復祈願

 今日10月10日は、昔なら体育の日でしたが、体育の日は「スポーツの日」となり10月の第2月曜日になりました。他にも記念日はたくさんありますが、「10」「10」を横に倒した形が眉と目に見えることから中央盲人福祉協会が1931年に「視力保存デー」として制定し、戦後、厚生省(現:厚生労働省)が「目の愛護デー」に改称しました。スマホやタブレットの普及で小さい子どもも早くから目が悪くなる傾向にあります。皆さんは、1日何時間スマホを見ていますか?自分の視力の低下に危機感は感じませんか?目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりすると危険を察知できなかったり、察知が遅れてしまいます。感覚器官は、人間が生きていく上で非常に大切です。私は大学生までは視力が2.0でしたが(勉強しなかったからというわけではありませんよ)、IT関係の会社に勤務して1年で1.0まで下がりました。1日中パソコンとにらめっこしていたからだと思います。現在は0.5ありませんので、必要に応じて眼鏡をかけています。近眼・老眼・霞目など、よく見えないというのは大きなストレスです。視力回復のために色々努力しましたが、だめでした。皆さん!スマホやパソコン、タブレット等は、見る時間を制限して、目を大切にしましょう。近い未来に目が簡単によくなる技術が開発されるかもしれませんが、いつになるか保証はありませんからね。

 先日読んだ雑誌におもしろいことが書いてありました。今も昔も人間は変わらないと感じられる例えとして、最近は「ユーチューブばかり見ていちゃダメだ」なんて言われるが、家庭にテレビが普及した何十年か前は1億総白痴論といって、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう。だから、テレビばかり見ていちゃダメだ」と言われていました。もっと遡ると、活版印刷の発明によって大量に本が生み出されるようになったのを見て、ドイツの哲学者ショーペンハウエルが「本なんか読んじゃだめだ」「こんなのずっと見ていたら自分が思考しなくなる」と言っていたそうです。「え~っ?何それ!」ですよね。「漫画ばかり読んでいたらバカになる。本を読みなさい。」と子どもの頃に散々言われたのは何だったの?って感じです。人類は得られる情報量が急激に増える情報爆発を何度か経験してきました。本・新聞→ラジオ→テレビ→パソコン・スマホとメディアの変遷はありますが、AIが幅を利かすビッグデータの時代では、自分の頭を使って情報を得ているか、得た情報について自分で考えて判断しているかによって影響は異なってくると思います。人間の五感による知覚の割合は、視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚は1%といわれています。人間が受け取る情報のうち、8割は視覚からの情報です。ということは、目を最も大切にしないといけないということですね。今日は「目の愛護デー」です。皆さん、目をいたわりましょう。

 

生成AIに「問う!」

 先日、群馬県教育委員会より「学校における生成AIの利用に関する解説動画」視聴のお願いを皆さんにしました。見てもらえましたか?今までに何度か生成AIについて取り上げましたが、既に高校でも生成AIを使った授業が行われていたり、レポートや探究課題に生成AIを利用していたりと、よい面もあれば悪い面もあります。AIが作成した文章かどうかを判別するアプリも出ていますが、まだ信用できるレベルまではいっていないようです。Appliv という企業が10〜20代の男女533人に対し、夏休みの宿題における生成AIの利用実態調査を実施したところ、3人に1人が夏休みの宿題に生成AIを活用したと回答したそうです。再度、肝に銘じてほしいことは、生成AIは必ずしも正確ではないこと、納得できる答えを求めて、質問を変える”問う力”を身に付けることが必要であることです。アインシュタインも「重要なことは問うのをやめないことだ」と言っています。

 小学校の道徳の授業で「ある出来事に対して生徒たちと一緒に生成AIにも意見を出させて、みんなでそれについて話し合う」という試みがありました。生成AIに複数の立場からの意見を並列して提示させることが、子どもたちが様々な考え方に触れ、自分の頭で判断する力をつけるきっかけにしようとしたのです。先生も子どもたちも考えつかない意見が出てくるかもしれません。対話的学習活動を補完することになります。

 苫野一徳という熊本大学大学院准教授が「本質観取」という哲学対話を、多くの子どもたちと続けているそうです。「〇〇とは何か」という問いに対する答えを言葉で編み上げあっていく活動です。子どもたちは「学びとは何か」に対して「学びとは、自分自身の問いと気付きを通して、生が豊かになっていく営みである」、「存在とは何か」に対して「存在とは、言葉になるすべてのものである」という答えを見つけ出しました。生成AIは便利なので使いたくなる気持ちもわかりますが、考えることの楽しさや自分の能力の可能性を知らず知らずのうちに捨ててしまわないように注意してください。生成AIに依存し自分の力を育てられなくならないように、自らの力を生かして生成AIを使いこなせるようになってください。

世界教師デーに思う

 今日は、「世界教師デー」です。ほとんどの人には知られていないと思いますが、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が1994年に制定した国際デーの一つです。調べて驚きましたが、国際デーは、全部で195もあるんですね。その中でユネスコが制定したものは11あります。9月8日に触れた「国際識字デー」はそのうちの一つです。「世界教師デー」が制定されたきっかけは、1966年10月5日に、「教師の地位向上に関する勧告」が調印されたことです。教師への支援を求めることと、将来を担う世代の子供たちに、充分な教育を施せるよう求めることを目的としています。教師の教育権だけでなく、子供たちが教育を受ける権利の重要性についての認識や理解を求めています。世界100ヵ国以上で世界教師デーが実施され、UNESCOはこの日を中心に国際会議を開催しています。さて、私は日本の教師の仕事量が世界の中でも多いことは知っていましたが、ついこの前までは給与等の地位的なことは、世界の中でも上位だと思っていました。それが、先日OECD加盟国の中で平均以下という記事を読んで、間違いであることに気付き、驚きました。近年、教師はブラックだという評判が広まり、初任者(小中特)が年間で400人以上辞めていることや、教員採用試験の倍率の低下(群馬は全国66の自治体の中で18番目でよいほう)、過労死ラインを超える残業時間の多さ(教職調整額という名の下に残業手当はありません)、教職員定数を充足できない学校の増加(臨時的任用教員の減少)、精神疾患による休職者が6000人弱など、書いていて気が滅入ってきます。「教育は国家百年の大計」であり、教育がうまく機能しないと、将来に禍根を残すことになります。「1年先を思う人は花を育てなさい。10年先を思う人は木を育てなさい。100年先を思う人は人を育てなさい」という言葉(原文は中国の古典「管子」?)がありますが、日本の学校現場の改善は、「待ったなし」のところに来ているようです。先生方が疲弊し、教育の質が落ちて、不利益を被るのは子どもたちです。田中角栄は、「人材確保法」を作り、教員給与を引き上げましたが、「できれば先生方の月給を倍にしたい。」と言っていました。また、「特に小学校の先生を大事にしなければならない」とも言っています。もちろん、保育士や幼稚園の先生の待遇改善も必要です。教育改革で仕事が増える一方なのに、教員数は増えずに、35人学級を40人にに戻さざるを得ない学校も出てきました。皆さんの子どもが、小学生になるのは15~20年先になるでしょうか。その頃、学校はどうなっているのでしょうか。一昨日に文科省が発表した調査結果によれば2022年度不登校の小中学生は過去最多の約29万9千人。いじめは小中高などで約68万2千件が認知され、被害が深刻な「重大事態」は923件。いずれも過去最多ということです。こんな暗いニュースを聞いても、教育の未来に明るい希望を持ち続けなければと思います。先生方は、子どもたちのために真摯に頑張っているのですから。教育実習に行って「先生になりたいという思いが強くなった」ではなく「先生は私には無理!」とならないように、教員志望の皆さんにお願いします。

天使と悪魔

 今日は、たくさんの記念日がありましたが、その中でも想定内の天使(10/4)に関わるものが5つありました。その中でも「エンゼルマーク」で知られ、「天使」の商標登録を持つ森永製菓株式会社が制定したものは別格でしょうか。同社の「チョコボール」は子どもの頃によく食べましたが、箱に「金のエンゼル」または「銀のエンゼル」が一定数印刷されており、金は1枚、銀は5枚で「おもちゃのカンヅメ」と交換できました。今でも新たなシリーズが追加されてプレゼントも時代の変化で変わっています。本当にロングセラー商品ですね。
 さて、天使と言えば悪魔ですが、「天使と悪魔って何だかわかりますか?」と問われて「わかりません」と答える人は、そうはいないと思います。天使は、天からの使者、つまり神の使者であり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖典や伝承に登場し、神のお告げを伝える伝令としての役目を負っています。それ以上の大きな役目を担う天使もヨハネの黙示録には登場しています。天使として有名なのはガブリエル、ラファエル、ミカエルですが、堕天使ルシファー(堕天使の長であるサタンの別名)もよく知られていますね。
 皆さんは、永井豪の「デビルマン」を読んだことがありますか。ヒーロー物アニメと原作はかなり違うので、知らない人はぜひ原作を読んでみてください。人間の善と悪について考えさせる漫画はたくさんあります。横山光輝の『マーズ』や比較的新しいところでは『DEATH NOTE』が最も該当すると思います。新約聖書 「ヨハネの黙示録」16章16節に記述された、終末に行われる善と悪の最終決戦であるアルマゲドン(ハルマゲドン)は有名ですが、人間の心の中では、事の大小はあれ、善と悪の葛藤が日々続いていますね。受験生の皆さんは「食べたい、寝たい、遊びたい」などの悪魔の誘惑と日々戦っていると思いますが、勝率はどれくらいですか?ぜひ、勝ち越して目標を達成してください。

♪どうしておなかがへるのかな♪

 今日は、1988年10月3日にテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」(原作:やなせたかし)が日本テレビ系列で放送が始まった日で2016年に一般社団法人・日本記念日協会により「アンパンマンの日」として認定・登録されました。作者のやなせたかしさんは、2013年の10月13日に亡くなっていますが、私はもう10年もたったのかと驚いています。今、親子で見られる国民的アニメと言われて思い浮かぶのは、「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「それいけ!アンパンマン」「ドラえもん」などでしょうか。この中で小さい子と一緒に見るのは、やはり「それいけ!アンパンマン」でしょう。私も娘と一緒にビデオを何回見たかわかりません。主題歌の「アンパンマンのマーチ」を歌える人は、たくさんいるのではないでしょうか。ちなみに皆さんが知っている『手のひらを太陽に』を作詞したのは、やなせさんです。

 Wikipediaの「アンパンマン」の記述の中に、ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景に触れた箇所があります。やなせさんは従軍経験の中で、戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、とくに戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感していました。しかし、これまでのヒーローは「正義」こそ口にするが飢えや空腹に苦しむ人間へ手をさしのべることはしませんでした。戦中、戦後の深刻な食糧事情もあり、当時からやなせさんは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっていたということです。自分の身体を食べさせて、おなかが空いている人を救うという異色の正義のヒーローはこうして生まれたんですね。ネガティブな考えにとらわれた時、「おいしいものを食べて、あったかくするんだ」と言われます。空腹や寒さは、マイナス思考を増幅させるということです。昔はおなかが空いたことを大げさに言う「おなかと背中がくっつくぞ」という歌詞がある歌がありましたが、皆さんはそんな経験をしたことがありますか。ACジャパンのCMに、きれいなお皿が映され、「最後の一粒までちゃんと食べたのではありません。最初の一粒もない子がいます。」というものがあります。アンパンマンに救ってほしいのは、こんな子供たちです。日本にも満足にごはんが食べられていない子どもたちがいます。みなさん、感謝してごはんを食べましょう。残さずに。

明るく元気に、みんな仲良く・・・無理?

 今日 10 月2日は語呂合わせから東武鉄道が2005年に制定した「東武の日」だそうです。通学でお世話になっている皆さんも多いですよね。東武鉄道株式会社は、1897年11月1日に設立された会社で、「東武」の名称は「武蔵国(むさしのくに)の東部」に由来し、創立は日本の大手私鉄の中では最も古い老舗企業だそうです。私は不勉強で初めて知りました。皆さんは知っていましたか。

 さて、今日はルールについて少し書きます。学校では、学校教育目標や学級目標などと違って明文化されていないルールも多いですが、日本教育新聞の社説に小学校での話が載っていました。『小学校の担任教師が子どもたちに「みんな仲良く」という暗黙のルールについて「どう思うか」と問いかけて、話し合いをした。子どもたちは「好きな人と嫌いな人がいるから無理」といった結論を出した。その結論に対して、担任教師が「でも学校行事など、学級内で協力をしなければならないことがたくさんあるよね」と尋ねると、子どもたちは再度話し合い、「いざとなったら協力しよう」という結論を出した。』みんなが心の中で思っていることを、この先生はあぶり出して考えさせましたね。

 この話を読んで、皆さんはどんな考えをもちましたか。みんなと仲良くするのは理想だし、できればそうしたいけれど、人はそれぞれ考え方や価値観が違うし相性もあるから、無理だと思うこともありますよね。その時、お互いに話し合って歩み寄って協力できるかどうかかが、社会で生活する上で求められる力です。「自分が正しく、相手が間違っている」と一歩も譲らなければ、何も進展しません。人の好き嫌いがある、性格が合う合わないのは人間なのだから仕方ないことであることを前提として、それでも人のいいところを見つける目を育てて歩み寄って協力できるようにしていくことが、学校という集団活動を通して勉強できることなのでしょう。それが、皆さんに卒業までに身に付けてほしい非認知能力の一部でもあります。

タンキュー!!

 今夜は、十五夜ですね。スマホばかり見ていないで、たまにはきれいな月を眺めてのんびりまったりするのもいいものです。夜は雲が多くなりそうなので、早めに見た方がいいかもしれません。     

 今日は、1年次生に対して、進路ガイダンスとして近県の大学から 12 名の先生をお招きし、生徒に大学の授業を体験してもらいました。テーマは多岐にわたり、どれも興味深く面白そうなものでした。すべての講義を参観して回りましたが、生徒たちの受講態度は立派でした。みんな真剣に講義に耳を傾けていました。何を考え、何を思いながら、皆さんは講義を聴いたでしょうか。

 2005年に「女王の教室」という小学校の女教師が主人公のテレビドラマが高視聴率をあげました。従来の学園教師ドラマとは違い、その異色さで色々と物議をかもしました。その中の女教師のセリフを一部紹介します。

「これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません。」「いい加減目覚めなさい。まだそんなこともわからないの? 勉強は…しなきゃいけないものではありません。”したい”と思うものです。」「勉強は受験のためにするのではありません。立派な大人になるためにするんです。」

 こんな実験もありました。6歳から15歳までの総勢600名の生徒に対して、「行儀の悪い生徒には、教室の外に出て遊ぶという罰を与える。行儀のよい生徒には、教室で勉強を続けられるという褒美を与える。」生徒の全員が1、2日以内に「自分は遊びよりも勉強のほうを好んでいること」に気付くことになった。

 ここで、「立派な大人」の定義は何かという問いを立てられたあなたは素晴らしい。そして、「立派な大人になるためにはどうしたらよいか」という問いが続きます。大学で勉強するということは、知識を与えられるのではなくて、自ら好奇心や探究心をもって問い続け、知識や技能を獲得していくということです。もちろん、その過程で「思考力・判断力・表現力」が鍛えられます。進学だけでなく、社会に出れば、なおさら好奇心や探究心がなければ、仕事はつまらないものになるでしょう。学校で勉強する時間よりも社会で働く(勉強する)時間のほうが、ずっと長いのですから、人生を面白くするためには好奇心と探究心が大事です。ぜひ、自分の好きなものを見つけ、仕事としていくために好奇心と探究心を持ち続けてください。

声の価値と信頼性

 ボーカロイドの「初音ミク」が誕生したのは2007年で、その後ボカロブームが起きましたが、昔SF小説で書かれていたとおりのことが現在、進行しています。先日、生成AIを使い、声優らの偽音声を作り出して無断利用した動画がSNSに投稿される事態が相次いでいるというニュースがありました(読売新聞)。AIに作成させた声で勝手に曲を歌わせたり、文章を朗読させたりするなどの行為により声優や歌手等の権利が侵害され、悪用されることを防止するためのAIの利用規制が叫ばれています。昔、ボイスチェンジャーというおもちゃがあって、マイクでしゃべると低音から高音に声を段階的に変換してくれるというものでした。テレビのニュースで一般人の音声を変えているものがありましたが、あんな感じです。自然な声ではありません。今では、自分の音声を他人のものに即時で変換できる「AIボイスチェンジャー」という技術も登場しています。海外のある企業は、「なりたい声になれる」とうたい、自分の声を、任天堂の人気キャラクターであるマリオやハリウッド俳優らの音声に変換できるとしたサービスをウェブ上で提供しているそうです。この企業は取材に対し、「犯罪や営利目的では使わないよう求めている」と回答していますが、当事者らの許可を取っているかについては、不明です。AIによって音声が手軽に生成できるようになったことで、悪用も懸念されています。海外では今年、英国の女優の偽音声でヒトラーの著書「わが闘争」を朗読する音声がネット上で流れ、波紋が広がりました。

 著作権法30条の4は、著作権者の許諾なくAIに著作物を学習させることを認めており、セリフを含めアニメや映画のシーンを学習することも違法ではないそうですが、著作権法に詳しい弁護士は、「著作権法の成り立ちからして、日本ではAI開発側が優遇されており、悪用されるリスクへの備えが不十分だ。例えば、AIで作られた音声が裁判で提出されれば、証拠の真正を常に疑う必要が生じ混乱するだろう。犯罪などへの悪用の可能性も念頭に、AIによる学習やAIの生成物の利用について、国は一定の規制やルール作りを急ぐべきだ」と警鐘を鳴らしています。

 知人や家族らにそっくりの電話音声で金銭を求められる事件も起こっており、そのうちの 77 %は「実際に被害に遭った」と回答しています。SNSに投稿した動画などの音声が無断で学習され、詐欺に悪用されている可能性があるそうです。日本では、回答者の3%が「遭遇した」とし、5%は「知人が遭遇した」と回答しました。

 私が昔に読んだ星新一のSFショートショートの中に、ものぐさな男が家で寝そべりながらできる仕事は何か考えて、孤独な老人の電話相手となり、そこで得た情報を生かそうと声帯模写を習い、その特技を生かして本人になりすまして様々な人に電話をかけ、色々な情報を引き出し、最後には世界を動かしてしまうという内容のものがありました。今回のAIの偽音声は、声帯模写の才能がなくても作れてしまうもので、もし規制されなければ、その影響力は計り知れないかもしれません。本人の声だと思っても疑ってかからないといけないわけですから。写真も動画も音声も信用できなくなる時代がきたら、皆さんはどうしますか。もう、そこに入ってしまっている気がしますが。

球技大会無事終了!ありがとうございました!

 2日間の球技大会が無事終了しました。二日目の今日は、予報で少し天候が心配されましたが、雨は降らずにかえって少し暑いくらいの良いコンディションで実施できました。怪我人はゼロというわけにはいきませんでしたが、昨年より人数は少なかったようで、よかったです。生徒会の皆さんを始めとして、企画運営を手伝ってくれた生徒の皆さん、御指導いただいた先生方、ありがとうございました。また、北京亭様とジュエル・クレープ様には、球技大会特別メニューの企画に快く賛同していただき、ありがとうございました。注文した皆さん、美味しかったですか?今回は、再びコロナが流行り始めているということで、応援を制限しなくてはならず残念でしたが、生徒の皆さんの生き生きとした姿が見られてうれしく思いました。先日のオープンスクールで来校してくれた中学3年生の皆さんにも見てもらいたかったですね。この2日間でクラスの親睦は深まったでしょうか。「学校行事での感動が大きいほど、受験への切り替えもうまくいく」ということを何度か書いたり言ったりしましたが、3年次生の皆さん、これから追い込みですね。頑張ってください。

球技大会初日、お疲れ様!

 今年も2日間に渡る校内球技大会がいよいよ始まりました。計画・準備に尽力してくれた生徒会の皆さん、ありがとうございました。皆さんの日頃の心掛けがよい御蔭で曇りで30℃以下の良いコンディションとなりました。色とりどりのクラスTシャツを着て、校庭と体育館でプレーし、応援する生徒の皆さんの姿は、輝いていました。体育館から思わずビクッとするくらいの大歓声が校長室までよく聞こえて来て、盛り上がっているなとうれしくなりました。(コロナ大丈夫かなという一抹の不安もありましたが)

 本日は、国語の教科書によく載っていた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)さんが亡くなった日で八雲忌と呼ばれています。著書として有名なのが、日本の怪談話を英語でまとめた短編小説集『怪談(かいだん)』(原題:Kwaidan、1904年)です。小学生の時、私は子ども用に書かれた『怪談』を買ってもらい何回も読みました。『耳無芳一』や『雪女』は、有名ですので知っている人も多いかと思います。毎年夏になると、『ほんとにあった怖い話』(通称:ほん怖)などテレビで恐い番組が放送されますが、日本の歴史上有名な怪談である『四谷怪談』『番町皿屋敷』『牡丹灯籠』『累ヶ淵』などは日本の文化として知っておいてほしいですね。日本史の授業や国語の文学史などで出てくる『今昔物語集』や『雨月物語』にも多数の怪談が収録されていますので、興味をもった人は読んでみてください。水木しげるの漫画としても出版されています。

胸に刺さる言葉その2

 先日の秋分の日に、義父母のお墓参りに行ってきました。昨年の5月3日のブログで、菩提寺には大小二つの掲示板があって、様々な言葉が月替わり?で掲示してあることを書き、二つ紹介しました。今回は、「やれる可能性のあるやつが 努力しないのを見ていると 胸ぐらをつかんで “俺と代われ”と言いたくなる 白血病の青年」という言葉が掲示してありました。この言葉は、口には出さなくても、自分ではどうにもならない不幸な境遇にある世界中の人の心の中にあるかもしれません。近年、嫌な言葉ですが「親ガチャ」を筆頭に「〇〇ガチャ」という言葉が、色々と生まれました。私は、大学生の頃、都会に住む同級生に住所の地名を笑われたことがあり、田舎を笑う同級生に「たまたま都会に生まれただけで偉いのか?」と言い返したことがあります。この場合、「出身地ガチャ」ですね。冒頭の白血病の青年の言葉には、運命を呪っても、何も好転しないのはわかっているので、口には出さないものの(なぜ、私が・・・)と思っている人の、「可能性のある人には自分の可能性を無駄にしないでほしい」という思いがこもっていると思います。私が今まで見た中で異質の強い言葉でした。明日から2日間、全校で親睦を深める楽しい行事である球技大会が開催されますが、球技大会に参加できるということに感謝して、プレーも応援も頑張りましょう。

「どうせ無理!」ではなく「大丈夫!あなたならできる!」

 今日は、午後に太田市社会教育総合センターにおいて2年次生の保護者を対象とした進路講演会と修学旅行説明会を実施しました。進路講演会では「2025年度入試に向けて」という演題で、話をしてもらいましたが、少子化が進んでいるにも関わらず、世の中の変化により大学の数は増え、新しい学部・学科が生まれ続け、大学も生き残りをかけて進化しています。生徒の皆さんには進路先と進路実現するための方法の情報収集力が求められますが、膨大な情報の中から自分に必要な情報を集めるのは、かなり大変です。そこでまずはプロの水先案内人にお願いすることになります。説明を聞いて基本的なことを押さえた上で方向性を確認し、自分で調べ、先生と相談しながら希望進路を決定し、実現するための方法を考えていきます。もちろん、本人が自分事として考えて進路選択の方法について勉強しなければならないのですが、保護者の皆さんにも基本的なことと自分にできることを知っておいてもらうほうが、お子さんとコミュニケーションする材料が持てて話がしやすくなってよいと思います。少しでも、この機会に現在の進路情報を仕入れていただければと思います。お話の最後に「どうせ無理!」は悪魔の言葉とありましたが、「大丈夫!あなたならできる!」という天使の言葉に置き換えて、お子さんを励まして、進路実現という団体戦を共に戦っていましょう。

 修学旅行説明会では、旅行社の方と先生方から色々と説明がありましたが、一番心配されるのは「コロナ」と「インフルエンザ」です。昨年は、なんとか旅行中にコロナ感染者が出ずに帰ってこられましたが、今冬はコロナだけでなくインフルエンザも流行しそうなので、十分感染防止に注意してもらえればと思います。昨年は、2年次生が中学校の時の修学旅行が中止になってしまい京都に行けていないことと、移動距離を短くして見学場所を増やせるように、広島から京都に行先を変更しましたが、今年は当初の予定どおり広島に行って平和学習ができます。厳島神社の顔である大鳥居も昨年12月に修復が終了しているので見ることができます。コロナで多くのことが自粛・中止になる中で、当たり前と思っていることが実は幸せなことなのだと気付いた人が多いと思います。生徒の皆さんは、旅行費用を捻出してくれた保護者の皆さんに、バスや新幹線などの交通機関で働いている方に、宿泊するホテルの従業員の方に、見学地で働いている方に、そして旅行代理店の方と引率の先生方への感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

レインサンダーズに注意!

 昨日は、雷が鳴り始めて北の空にきれいな稲光が縦に走ったのが見えたため、校庭で部活動をしている生徒に避難指示を放送してもらいました。その時は、まさか、あんなに激しい雷雨になるとは想像していませんでした。体育館の卓球場が横殴りの雨のため浸水してしまい、大変なことになりました。9月中旬にもなって雷で避難指示を出すことになるとは思いませんでした。

 「課外クラブ活動中の落雷事故に関する初の最高裁判決」が2005年にあり、その後高裁に差し戻され、損害賠償請求としては、総額で約4億8000万円の支払いを命じる判決となりました。この事案では、以下のような経緯の中で落雷事故が発生しました。豪雨→雷注意報発令→雨が止む。上空の大部分は明るくなるが、一部で暗雲が立ちこめ、雷鳴も聞こえた。ただし​雷鳴は大きな音ではなく、遠くの空で発生したと思われる程度のものであった。その中で試合を開始した。→試合中に競技者に落雷した。科学的には、雷鳴が聞こえるときは​、その音が遠くであっても落雷があるかもしれないことを予見できたとされ、責任を回避することはできませんでした。皆さんも、部活動中に限らず、雷を甘く見ないで行動してください。一生を棒に振ることになります。

 今日は、保健体育の教育実習生の研究授業がありました。体育館でバスケットボールでしたが、今日は涼しくてよかったですね。始業前から係の生徒を中心に準備運動や補強運動がしっかりできていました。先生の説明や指示をよく聞き、きびきびと動けていました。先生はグループ毎に見て回り、笑顔で褒めたり助言したりしていました。振り返りの学習活動の記録も、みんなよく書けていました。コロナと怪我に気を付けて、来週の球技大会を迎えられるようにしましょう。

バスの有難さ

 今日は、「バスの日」だそうです。日本バス協会が1987年に行った全国バス事業大会で制定しました。1903年9月20日、乗り合い自動車が京都市内を走ったのが日本初の営業バスとされています。今朝のテレビで、コロナ禍で経営不振に陥りバスの運転手の解雇が増えたため、現在は逆に観光バスの運転手不足で困っているというニュースがありました。2学期は修学旅行シーズンであり、他にもバスを使う行事が多いため、観光バスの予約が困難になっています。コロナが5類になったことで、観光にお客さんが戻ってきて、宿泊業も人手不足で困っています。様々な職業の人が、日々自分の仕事を遂行してくれているので世の中がまわっています。これから修学旅行や大学見学、芸術鑑賞教室とバスの運転手さんには御世話になりますので、感謝しましょう。

 本日から「彼岸の入り」です。23日が中日で秋分の日です。近頃暗くなるのが早くなりましたね。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があります。「冬の寒さ(残寒)や夏の暑さ(残暑)も彼岸を過ぎると和らぎ、しのぎやすくなる」という意味ですが、今年は特に暑かったので、彼岸を過ぎても真夏日が続くかもしれません。来週は球技大会もありますので、熱中症には注意しましょう。ところで、皆さんは「ぼた餅」や「おはぎ」は好きですか?日本では彼岸に供え物として、食べられていますが、名前の由来は、彼岸の頃に咲く花である春の牡丹(ぼたん)と秋の萩(はぎ)だそうです。以前にもブログで書いた記憶があります。「ぼた餅」と「おはぎ」の違いは、知っていますか。秋に食べる「おはぎ」は、とれたての小豆を使っているので、粒のままでも皮も柔らかく、美味しく食べられるので粒あんを使っています。一方、その小豆も春になると時間が経って固くなるため、春に食べる「ぼたもち」にはこしあんを使うというわけです。

 お彼岸には次の2つの意味が込められているといわれます。1. 迷いや煩悩のあるこの世「此岸(しがん)」に対し、悟りの開けたあの世(彼岸)のこと。2. 此岸から悟りの境地の彼岸に至るために、仏道の修行をおこなう期間のこと。彼岸の入りから彼岸明けまでの7日間のうち中日(春分の日、秋分の日)以外の6日間は修行する日なのです。

   春分の日と秋分の日には、太陽が真東から昇って真西へ沈みます。夏至の日のブログで太陽の運行図を載せましたが、覚えていますか。仏教の世界では「御先祖様のいる彼岸は西に(浄土は西にあります)、私たちがいる此岸は東にある」とされており、昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」へのゲートが開くといわれてきました。お墓参りをするのも、そのためです。お盆との違いは、此岸(家)に御先祖様を迎え入れるところです。彼岸会の行事は、日本特有のものらしいですが、「国民の祝日に関する法律」ではそれぞれ国民の祝日と定められ、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日とされています。春分の日と秋分の日は同じ意味ではなかったのが意外でした。年に3回、御先祖様との繫がりを意識する日を大事にしたいものです。御先祖様がいなければ、私たちは存在していないのですから。

アゲイン

 昨日は、敬老の日でしたが、皆さんは祖父や祖母に何か贈ったり会いに行ったりしましたか?もちろん一緒に住んでいれば、外食に行った人もいるでしょう。今や日本人の平均寿命は、男は 81.05年、女は87.09年で80歳以上は普通となり、100歳も珍しくなくなりました。元気なお年寄りも増えました。高齢者が増えたので、本屋に行くと、老後をどう過ごすかという内容の本がたくさん出ています。昔、老後の不安について老人に取材した戦後のテレビ報道を授業で使ったことがありますが、現在放映されても違和感がない内容で、高齢者の心情は今も昔も変わらないのだなと思いました。1950年の平均寿命は、男は59.57 年で,女は62.97年でした。本当に老後が長くなったものです。老後の資金や健康など、長生きすれば不安材料は増えていきます。幸せな老後を過ごすためには、穏やかな気持ちでいられることが大事だと思います。それには、老いていく自分とどう付き合っていくかを考えることが必要です。早い遅いはあれど、死は誰にでも平等に訪れます。メメント・モリという名前のゲームアプリがテレビで宣伝されていますが、ラテン語で意味は「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」です。日本では、死を考えることは縁起でも無いと避けられますが、人間は生まれた時から、死に向かって歩みを進めており、生と死は砂時計の砂のようなものです。小説家の宇野千代さんは、「よく生きることは、よく死ぬことでもある。」と言っています。一生懸命に生きたものは、納得して死を受け容れることが出来る、という意味です。一生懸命生きてきた老人に対するリスペクトの気持ちを、敬老の日に改めてもちたいと思います。(「不老不死の薬」を欲しがった権力者の気持ちは、子どものころはわかりませんでしたが、今ならわかります。若返りをテーマにしたマンガは、けっこうたくさんありますが、最近では「じいさんばあさん若返る」が好きです。テーマの「アゲイン」も若返りをギャグにした楳図かずおの漫画のタイトルです。)
 話は変わって、今日は、苗字の日だそうですが、以前に「日本人の名字は、なぜ多いのか」「変わった名字が多いのはなぜか」など名字について書いたことがありますので、少しだけ書きます。昔は「名字帯刀」は武士の特権でしたが、1870年9月19日、戸籍整理のため、「平民苗字許可令」により平民も苗字を名乗ることが許されました。しかし、当時国民は明治新政府を信用しておらず、読み書きできない人も多かったので、苗字を付けたら税金をとられるのではないかと警戒し、なかなか広まりませんでした。そこで、1875年2月13日、平民にも苗字を名乗ることを義務づける「平民苗字必称義務令」が出されました。「苗字」と「名字」は、どう違うの?と疑問に思っている人も多いと思いますが、意味は同じで、当用漢字表に「苗」の漢字の読み方として「みょう」が加えられなかったため、現在では「名字」を使用するのが一般的になっています。名前は、自分のアイデンティティの最たるものですので、自分の名字の由来や名前の意味を調べてみてください。そうすると、友達の名字も気になってきますよ。探究の始まりです。

みらいの太東生へ~オープンスクール編~

 本日は、受検生に本校の授業や部活を実際に見てもらうためのオープンスクールを実施しました。午前・午後の二部制で合計400人以上の中学3年生が暑い中、来校してくれました。昨日のように午後に雨が降らずによかったです。学校説明会に来られなかった人もいるので、まず初めに体育館で令和6年度入試について説明をしました。自分たちが注意すべき点について理解してくれたでしょうか。授業見学は、どうだったでしょうか。教室の中に入って見学する生徒は、それほど多くはありませんでしたが(教室が狭くて後ろの空きがないこともありますが)、教室と廊下の間の窓とドアを開けていたので、廊下から、どんな授業をしているかは見てもらえましたね。音楽室は入りきれずにドアの外で待っている生徒がいました。ICTを活用している授業が多く見られたと思います。本校の先生方がどんな授業をしているかは、本校Webページのトップページに「授業参観日記」があり、今年度の全ての先生の授業について写真付きで書いてありますので、興味をもったら見てみてください。昨年は、本校の生徒が同じ中学の後輩を見つけて小さく手を振っている光景が見られ、微笑ましかったです。今年は、ALTに廊下で話しかけられている生徒が見られました。部活動の見学をして、本校の部活動の雰囲気はどうだったでしょうか。今日のオープンスクールで、本校を第一志望とする意志を強くしてもらえたなら、大変うれしいです。受検生の皆さん、太東生となって4月にお会いできることを願って応援しています。

汚名返上!

 今朝は、7時45分からマナーアップ運動を実施しました。韮川駅から学校までの通学路と南から自転車で通学する生徒の通学路で保護者の方と先生方に、生徒の通学時の交通ルールの遵守とマナーについて観察してもらいました。私が見ていた限りは、概ね良好でしたがイヤホンをしている生徒が何人か見受けられました。周囲の音が聞こえないと危険を察知するのが遅れますので、イヤホンはしないようにしてください。

 今朝の上毛新聞に、自転車乗車中のヘルメット着用が努力義務化されてから初めての着用率の調査結果が警察庁により発表されたとの記事が載っていました。それによると群馬県は43.8%で、都道府県別で第3位だそうです。全国平均は13.5%だったそうなので、大変好成績でした。群馬県は2021年4月に、条例で全国に先駆けて努力義務化しました。その効果が出ていると言えます。ただ、自転車の安全利用推進委員会が2023年9月7日に発表した、2022年の全国都道府県別、中高生の通学時における自転車事故発生件数についての調査・分析結果によれば、2021年に比べ、中学生はやや増加、高校生は減少したものの、中高生ともにワースト1位の都道府県は「群馬県」でした。不名誉な記録ですので、県一丸となって努力しているわけです。自転車乗用中の交通事故で亡くなられた方は、約6割が頭部に致命傷を負っており、ヘルメットを着用していなかった方の致死率(死傷者のうち死者の割合)は、着用者に比べ約2倍も高くなっていることがわかっています(警察庁)。まだ、ヘルメット着用が習慣になっていない生徒の皆さん、「ヘルメットをしておけばよかった」と思った時は手遅れです。自分の命を守るためにヘルメットを着用しましょう。これから気温が低くなってきて、夏より着用しやすくなるので、ヘルメットを着用する習慣付けのチャンスですよ。

皆さんの土台は?

 今日は、最近の教育冊子や教育新聞で読んだ記事を元に皆さんに考えてほしいことを書きます。

 まず、コロナ禍で一人一台パソコンが教育現場で一気に進み、ICT活用が勧められている現在の日本ですが、効果とともにもちろん課題も出てきています。次の①②の記事を読んでみてください。

①佐藤学(東京大学名誉教授)によれば、PISA委員会によるOECD加盟29か国を対象とする調査報告(2015)によると、教室でのコンピュータ利用時間が長ければ長いほど学力が低下する結果を示している。アメリカに本社を置く大手コンサルティング会社であるマッキンゼー・アンド・カンパニーが2018年に51か国34万人の生徒を調査した報告(2020)では、教室のコンピュータは教師一人が活用するときにのみ若干の効果(プロジェクターとしての活用は効果)があり、一人一台使う場合最もダメージが大きい(アジア諸国でダメージが最も大きい)。 

②フィンランドは、欧州のデジタル経済・社会指数を示す「DES1」ランキング(2022)で1位を獲得したデジタル強国であるが、ノートとペンでじっくり取り組む時間が減り、画面上で次々とページをスクロールする作業が増えた。すると、子どもたちの集中力や忍耐力が低下した。教員らは、デジタルの過度な使用と集中力の低下に明確な因果関係があるとし、「人間の深い思考力が奪われている」と強い危機感を抱いている。

①②の記事を読んで、皆さんの反応は「え~っ!本当?」「そうだろうな!」のどちらでしたか。このブログには立場上なかなか書けないことも多いのですが、もし①が本当ならば、現在のGIGAスクール構想を見直さなければならなくなります。ただ、しっかり判断できるだけのデータが示されていないので、これらの記事だけではわからないというのが正直な感想です。こうした政策に関する記事を読んだ時に、利益を得るのは誰なのかという観点から考えることも重要です。歴史では、戦争の大義名分と本音(誰が利益を得るのか)を考えないと、戦争を防ぐためにどうしたらよいかを考えることができません。何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですので、ICT活用も他の活動とのバランスをとることが大事で、「特に義務教育においては慎重であるべきだ」とまとめてしまうのは簡単なのですが、皆さんはどう考えますか。それでは、次の③④の記事を読んでみてください。

③「『教育七五三』の現場から」(瀧井宏臣著)が刊行されたのは平成20年。同書は副題などで授業の内容を理解できない子どもの割合は、小学校3割、中学校5割、高校7割と指摘している。哲学者ホワイトヘッドは「あまりに多くのことを教えることなかれ。しかし、教えるべきことは徹底して教えるべし」と基礎・基本の重要性を説明している。

④「成長を欲する者は、まず根を確かにおろさなくてはならぬ」「上にのびる事のみ欲するな。まず下に食い入ることを努めよ」(『偶像再興』和辻哲郎) 確かな読み書きの能力は、思考や学習の基盤であり、個々人の一生を支える土台である。国語教育者大村はま先生は、卒業式で、「若い時は別れが悲しくて涙したが、後年には、これから世に出ていく子どもたち一人ひとりに、本当に確かな力を身に付けさせてやることができたか」という自責の念に駆られ、悔恨の涙に暮れたという。

 1学期に高校3年間で身に付けたい力について、皆さんにアンケートを採りましたが、それは中学校までに身に付けた力を土台にします。基礎・基本の重視は、教育界では当たり前のことですが、9月8日のブログで書いた「読み書き」が正にそれで、それがしっかり身につかないまま進級したり進学したりすれば、土台がしっかりしていないところに家を建てることになります。必然的に大きな家は建てられなくなります。

 コンピュータの進化によって、私が高校生だった頃と比較すると、世の中は大きく変わりました。これからも加速度的に変わっていくことでしょう。ただ、漫画や小説などで理想として描かれる世界連邦や国境のなくなった世界の実現は、宇宙人という黒船でも来ない限り、夢まぼろしのままかもしれません。日本という枠組みは続きます。ですから、母語をしっかりと身に付けることが、自分を大きくするための土台であることを自覚して、学習してください。日本語は、日本人としてのアイデンティティを形成している大事なものですから。

我が生涯に、一片の悔いなし!!!

 最近は、「今日は何の日」に頼ることが多くなってしまいましたが、本当に色々な記念日があるなぁと興味深く「雑学ネタ帳」を読んでいます。そして、今日は驚きました。まさか、漫画『北斗の拳』の日があるとは思いませんでした。記念日は2018年(平成30年)に認定・登録されたので、かなり新しい部類です。『北斗の拳』は『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載されていたバイオレンスアクションマンガです。1983年(昭和58年)9月13日から連載が始まりました。その時の私は20歳で、文中のイラストを描きました。今年2023年に『北斗の拳』は連載開始から40周年を迎えました。本校が開校して1年後に連載が始まったわけですね。

  『北斗の拳』は最終戦争後の199X年の暴力が支配する弱肉強食の世界を舞台とし、一子相伝の伝説の暗殺拳「北斗神拳」の伝承者であり胸に北斗七星の傷をもつケンシロウの生き様を描き、今なお人気があるマンガです。拳をくりだす時の「あたたたたっ!」や敵が体の内部から破壊されて死ぬ時の「ひでぶっ」「あべしっ」などの特徴ある声や「経絡秘孔の〇〇を突いた。お前はもう死んでいる!」というケンシロウの決め台詞は有名です。「キャプテン翼」や「スラムダンク」ほどではありませんが、このマンガもまた、『週刊少年ジャンプ』(集英社)掲載漫画に必要な三大原則として語られることが多い「友情・努力・勝利」の要素を満たしています。「キャプテン翼」や「スラムダンク」を読んでサッカーやバスケを始めた子どもはたくさんいて、現在プロの選手にも多くいます。漫画のもつ影響力は、日本だけでなく世界に拡大しています。様々な職業について描かれていますし、人生について考えさせられる漫画もあります。部活動や受験について描かれた漫画も多いです。ジャズのサックス奏者を主人公にした漫画で、脇役のウッドベーシストが、「いいミュージシャンかどうかは、もう一度聴きたくなるかどうかだ。うまいだけのミュージシャンには用がない。」と言っていましたが、漫画や小説にも同じことが言えると思います。繰り返し読みたいと思えるかどうかです。皆さんには、繰り返し読んだ小説や漫画はありますか。自分に影響を与えた言葉、心の中に大切にしまっている言葉はありますか。ちなみにタイトルの言葉は、ケンシロウの兄ラオウの言葉です。※イラストのPLOWは、北斗七星の意味ですが、あまり使われる単語ではありません。「Big Dipper」より収まりがいいのでこちらにした記憶があります。

苦しさ < 楽しさ

 今日は、マラソンの日です。マラソンの名前の由来と、42.195kmという中途半端な距離の理由は、以下のとおりです。ただし、真偽のほどは定かではなく諸説ありますので、御注意を。

 紀元前450年の9月12日、アテネのマラトンに上陸したペルシャの大軍をアテネの名将が撃退し、アテネの勝利を告げるために兵士が伝令となってアテネの城門まで走り、絶命したという故事があります。その故事から1896年にアテネで第1回オリンピックが開かれるに当たり、マラトンからアテネ競技場までの約40kmの競走が加えられ、初めての「マラソン競走」が行われたそうです。私も調べて驚いたのは、1920年の第7回オリンピックまでは距離の統一はされておらず、約40kmであればよいとされていたことです。そんないい加減なと普通は思いますよね。同じ距離を全員で走ればよいという認識だったようです。規格統一が検討されたのは、1924年の第8回パリオリンピックからで、その際に1908年の第4回ロンドンオリンピックのマラソン距離42.195kmが採用されて、現在に至るそうです。実は、当初41.843kmの予定だったのが、王妃がバルコニーから見物できるようにスタート地点を変えたため0.352km延びて42.195kmになったという説があります。

 私は、10kmを4回走ったことがあるだけで、マラソンを走ったことがないため、どれだけ苦しく大変かはわかりません。ただ、長距離走が自分のペースをわかった上で走らなければならないことや、苦しくて止まりたいという気持ちとの闘いではないか(個人差はあると思いますが)ということはわかります。心と体の忍耐力を同時に鍛えられるのが、マラソンなのではと考えます。交通事情の変化によりマラソン大会が実施されなくなった高校もありますが、マラソンに限らず同様な学校行事は少なからず必要ではないかと思います。忍耐力というのは一朝一夕に身につくものではなく、小さい時から少しずつ身に付けていくものです。アメリカでは肥満の子どもに運動してもらうために任天堂のwiiスポーツを取り入れているというニュースを昔見ました。苦しいだけでは長続きしないので背に腹は代えられないという思いで取り入れたのだと思いますが、苦しさよりほんの少し楽しさが勝るような活動がいいなと思います。2学期は、体育的行事として球技大会とマラソン大会がありますが、それぞれ何のためにやるのかを皆さん一人ひとりに考えてほしいです。

 今日は、また「ク(9)イ(1)ズ(2)」と読む語呂合わせから「クイズの日」でもあります。日本は、クイズ番組が人気があるので、昔からあったと思いきや2021年に認定されたばかりだそうです。

 クイズの魅力、面白さ、奥深さをさらに多くの人に知ってもらうのが目的だそうですが、子どもだとクイズより「なぞなぞ」のほうが身近かもしれません。知識があれば、すぐ答えられるものと考えないと答えられないものの二種類に分かれると思いますが、この記念日を提案した日本初のクイズの総合商社として知られる株式会社キュービックは、クイズを『「問い」と「答え」で構成されたコンテンツの総称』と定義しています。これからの皆さんに求められているのは、自ら「問い」を設定する力、課題を発見し、解決する方法を考える力です。この場合、答えは一つではありません。ですから、現実社会はクイズとは違います。多くの知識があったほうが、課題解決のために活用できる武器が増えるので、多いにこしたことはありません。逆に知識を活用して結びつけ、新たなものを創造できなければ、せっかく知識を身に付けても無駄になってしまいます。以前にも書きましたが、スマホやパソコンですぐ調べられるから覚えることは少なくていいというのは間違っています。様々な知識が自分の中にあって思いもしないところで結びつくからこそ、それらが反応して新たな考えが生まれるのです。クイズ番組を見るのでもいいので、考える習慣を増やし、インプットとアウトプットをバランスよく行い、脳の活性化を図ってください。苦しさより楽しさが勝るように勉強も部活も考えてやってください。

読み書きができるって幸せなんだよ!

 皆さんは、1800年代後半(江戸時代後期)の日本人の識字率が世界一だったことを知っていますか?当時の日本全体で50%くらい、江戸に限って言えばおそらく70%を超えていたのではと言われています。同じ頃のロンドンが20%ほどだと言われています。今日は、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)が制定した「国際識字デー」です。1990年(平成2年)は「国際識字年」でした。ユネスコでは、識字率を「日常生活の簡単な内容についての読み書きができる15歳以上の人口の割合」と定義づけています。1965年(昭和40年)の今日、イランのテヘランで開かれた世界文相会議でイランのパーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回すことを提案しました。「国際識字デー」はこれに由来し、世界の識字率の向上を目的としました。また、世界中の国や人々に識字の重要性を強調する日でもあります。この国際デーや国際年のような取組により世界の識字率は着実に向上していますが、世界には紛争や貧困、差別などが原因で、読み書きのできない人が約8億人いると言われています。そして、その3分の2が女性です。日本も昔は、女性には学問は必要ないと言われていた時代がありました。識字率が低い国はアフリカなどの開発途上国に集中しており、国の経済発展にも影響を及ぼしているのです。

 皆さんは、毎日当たり前のように日本語を読み書きしていますよね。それは小さい頃から、勉強できたからです。もし、読み書きができないとどうなるでしょうか。薬の注意書きが読めなかったら、様々な製品のマニュアルが読めなかったら、役所や学校等に提出しなければならない文書が読めなかったら、契約書が読めなかったら、申請書や申込書などに書けなかったら、カラオケで画面の歌詞が読めなかったら(笑)・・・、SNSも使えません。読み書きにもレベルがありますので、兵士が兵器のハイテク化についていけず、マニュアルが読めないので操作の仕方がわからなくて困っているという笑えない話もあります。「読む・書く」と「聞く・話す」は別物でしょうか。翻訳機がすごく進歩しているので、しっかり話すことができれば意思の疎通はできると思います。話すことができれば、音声認識ソフトで文章に起こすこともできます。文章を読み上げてくれるソフトもありますので、字が読めなくても済む時代がくるかもしれません。でも、それで大丈夫ですか。最初は、親が話すのを聞いて、まねてしゃべるようになります。そして、母語を使って「読む・書く」ことを通して脳が発達し「考える」力が養われると私は考えます。「聞く・話す・読む・書く」は段階的に身に付き、高度になっていくと考えます。国語の学習は、社会で生きる上でのすべての活動の基盤となるものですので、疎かにせずできるだけ高めるように取り組んでいきましょう。AIにとって代わられないように。

鳥が窓にぶつかるくらい・・・

 本日、3日の日曜日にあった金山清掃に青藍同窓会で参加したことについて、本校ウェブページの卒業生サポートの中の青藍同窓会にアップされました。開会行事の清水市長の挨拶の中で、青藍同窓会の旗と太田東高校に言及してもらえましたので、ちょっぴり宣伝になったかもしれません。呑龍様(大光院)から出発して、金山の頂上までゴミ拾いをし、新田神社でお参りをして下山しました。山道がきついのは仕方なかったですが、ゴミが落ちていないので、用意した燃えるゴミと燃えないゴミ用の袋が空気しか入っていない状態が続きました。「何か落ちてないか」と宝物でも探すかのように登っていき、缶やびんが見つかると歓声があがるほどでした。私は、土に埋もれた大きいビニール袋をゲットして何とか体裁を保ちました。

 日本は空港から道路までゴミが落ちていなくてきれいだと、訪日外国人は驚き、国際大会などの後に客席やロッカールームをきれいにして帰る日本人の行動がニュースになり、日本人のマナーのよさが世界中に知られるようになりました。スボーツにおけるグラウンドやコートの整備、武道における道場の掃除、工場などの製造現場での職場環境改善のための活動である「整理」「整頓」「清潔」「清掃」「しつけ」の5Sなど、日本人のきれい好きは身の回りのあらゆるところに表れています。教育現場でよく使われる「時を守り 場を浄め 礼を正す」の「場を浄め」は、人々の生活の場をきれいに保つということから「人のために尽くす」という意味なのだそうです。生徒の皆さんには、毎日太田東高校をきれいにしてもらっており、感謝しています。自分たちの使う場所は自分たちできれいにするという精神のもと、小学校から日本では清掃活動を教育に取り入れていて、当たり前と思っていますが、児童・生徒が学校の清掃をすることに教育的意義をもたせている国は、世界では少数派です。自分たちできれいにすれば、汚そうとは思いませんよね。

 16日にはオープンスクールがあり、皆さんの将来の後輩候補が本校を訪れます。生徒が通る廊下や窓をできるだけきれいにして、気持ちよく見学できるように迎えてあげましょう。よろしくお願いします。

まっくろくろすけのイメージは?

 今日は、9月6日なので、予想通り「黒」に関する記念日が多かったです。皆さんは、黒という色に対してどんなイメージを持っていますか?「クール(カッコいい)」それとも「闇」? そのイメージはどこからきていますか?

 昔、1950~60年代前半にイスラーム教信仰をもとにしたブラック=ムスリム運動を指導し、アメリカの黒人差別に対して戦ったマルコムXという人がいました。彼は、キング牧師らの非暴力主義による公民権運動とは一線を画し、白人に対する敵意を隠さずに運動を進め、暴力も肯定しました。残念ながら二人とも暗殺されてしまいました。彼には獄中で辞書の「ホワイト」と「ブラック」のところを読み、「ブラック」には悪いイメージが多く、「ホワイト」にはいいイメージの意味が多いことに怒ったエピソードがあります。白人によって黒が悪いイメージを植え付けられていると考えたのです。

 2020年の「ジョージ・フロイド事件」で有名になった「Black Lives Matter」とは、アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為をきっかけにアメリカで始まった人種差別抗議運動です。訳としては「黒人の命を粗末にするな」が適切という意見があります。アメリカの人種差別は黒人だけでなく、移民すべてに差別の歴史があります。もちろん、その中には日系人差別もあります。            

 話を元に戻しますが、「黒」という色自体に罪はありません。すべては人間が価値付けたことから問題が生じます。特定の価値観や偏見にとらわれないことが大事なのであって、アメリカと違って日本では黒人に対する差別がほとんどないと、黒人の人が言っている動画をいくつか見ました。色の話が、人種差別の話になってしまいましたね。「十人十色」という言葉がありますが、現在は多様性を認め合う方向に世界は進んでいます。「理性」の力によって、人種だけでなく個性の違いを認め合い、差別や争いがなくなる日がくることを願っています。皆さんも、多面的多角的に物事を見る目を養って、自分の中の色眼鏡をはずせるようになってください。

ミライを、明るい希望で満たそう!

 今日は、国民栄誉賞の日だそうです。生徒の皆さんの年代だと「国民栄誉賞をもらった人は誰が思い浮かびますか?」と聞かれたら、最近の羽生結弦さんか国枝慎吾さんになるのでしょうか。私が印象に残っているのは、団体として唯一受賞している女子サッカーチームですね。記念日としては1977年の今日、2日前の9月3日に通算ホームラン数756本で世界最高記録を作った王貞治選手が、日本初の国民栄誉賞を受賞したことによって定められました。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉をたたえること」が目的で、これに該当する個人や団体を内閣総理大臣が随時、表彰することとなっています。過去に受賞した人をスポーツ分野と文化分野に大きく分けると、前者が14、後者が13で、多いのはプロ野球選手の4人と作曲家の4人です。芸能関係は俳優4人に歌手2人、冒険家はスポーツ分野に入れ、囲碁・将棋・映画監督は文化分野に入れました。将棋と囲碁は、頭の格闘技なのでスポーツ分野に入れてもいいかもしれませんね。辞退した人は過去に4人います。イチローは3度も辞退しています。昔と比べて受賞年齢が若くなっている傾向があります。このように、明確な表彰基準がなく曖昧であり、表彰分野に偏りがあり恣意的になっているのではないかという疑問もあります。柔道少女を描いた漫画の「YAWARA!」の主人公猪熊柔の祖父猪熊滋悟郎の口癖が「オリンピックで金メダルをとって、国民栄誉賞じゃ!」でしたが、「ヤワラちゃん」の愛称で親しまれた谷亮子さんは柔道選手としてはオリンピックで2度、世界選手権で7度金メダルを獲得しましたが、国民栄誉賞は授与されませんでした。

 スポーツにはオリンピックやワールドカップなどに代表されるように政治利用の影がつきまといます。最近は商業利用の弊害も大きいようですが。ヒトラーのベルリンオリンピックは、国威発揚の宣伝に利用された最たるものであったと考えられています。ボイコットがあったモスクワやロサンゼルスも政治が絡んだ例です。4年に1度ですから、出られなかった選手は気の毒としかいいようがありません。1984年のロサンゼルス・オリンピックでは、大会組織委員会が徹底的な商業主義路線の運営を行い、現在の放映権料やスポンサー料などの高騰を招いたと言えます。

 スポーツの政治利用に関して「スポーツ・ウォッシング」という言葉があります。これは、米パシフィック大学教授のジュールズ・ボイコフ氏がオリンピックを批判する際の論点の一つで、権力者が自分たちに都合の悪いことをスポーツの喧騒で洗い流すという意味です。スポーツの健全なイメージを使って民衆の関心を集め、政治をはじめとする社会問題から国民の不満をそらそうとする手法です。国民の不満を政府から他国に向けてそらそうとする手法をとる国もありますね。

 国民栄誉賞の話が、いつのまにかスポーツの話になってしまいました。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった」という趣旨に反対はしませんが、スポーツのイメージを高め、国民が生涯スポーツに親しみ、心身ともに健康が増進できるような政策を政治家は考えてほしいと思います。生徒の皆さん、自分が明るい希望をもって、スポーツだけでなく、自分の好きなことに打ち込んでください。そして、社会に明るい希望を与えることができるようになれれば最高ですよ。

Come on!レインサンダーズ

 今日は、久しぶりに朝から雨が降っていて、心配されていたダムの貯水率も少しは持ち直すかなと思いました。 

 昔(私が小学生だったころ)は、夏は暑くても30℃くらいだったのにもかかわらず、雷や夕立は今よりもずっと多かったように思い出されます。暑い日に、「今日も夕立はきそうにないねぇ」と妻と話しますが、妻も昔の方が夏は頻繁に夕立があったと記憶しています。今は昔よりはるかに暑くなっているのに、なぜ夕立は少ないのかわかりませんでした。そこで、ネットで調べてみたところ、「地球温暖化や都市化によるヒートアイランド現象で一日中気温が高く、早朝や夜など夕方に限らず積乱雲が発生しやすい。そのため、突発的な降水が増えました。いわゆるゲリラ豪雨です。夕立は、それに紛れてしまっているといえます」という回答を見つけました。つまり、暑くなりすぎたために夕立が夕方に起こる現象ではなくなってしまったというわけですね。ただ、場所によっては豪雨になっているところもありますが、今夏降雨自体が少なくなっていると感じるのは、高気圧のせいで雨のもとになる湿った空気自体が少なくなっているということなのでしょうか。中途半端な暑さの夏に夕立が起こりやすいと言われると、じゃあ今後は期待してもだめなのかと落胆します。群馬といえぱ、雷が有名ですよね。雷が恐い人には申し訳ありませんが、夕立と雷が復活してくれることを願っています。夕立がきたときの土の匂いと去った後の涼風を昔のようにもっと感じられるようになればと思います。

これから逆転の後半だ!

 3月は、大谷選手の活躍で野球のWBCが盛り上がっていましたが、最近はバスケットボールとラグビーのワールドカップの話題で盛り上がっていますね。私はバスケ好きなので、今のところバスケットボールの全試合を見ています。フィンランド戦の後半もそうですが、ベネズエラ戦の第4クォーターは本当に興奮しました。第4クォーターの最初で逆転は無理かなと思い書斎に行きましたが、何か気になって冷たいものでも飲もうとリビングに戻ったところ点差が縮まっていて、ちょっと見ていたら5点差までいって、これは逆転するのではと最後まで見ていたら、逆転どころか9点差をつけて勝利したのには「ミラクル!」と驚きました。本当にあきらめずに勝利を信じてプレーした結果、勝利の女神を呼び寄せたんだなと心底感動しました。そして、スラムダンクで安西先生が三井にかけた「諦めたら、そこで試合終了ですよ」の言葉を思い出しました。エンゼルスの大谷選手が、ドーピングの疑いをかけられていましたが、2021年のインタビューで「(無観客から有観客になってファンの声援は)一番のドーピングではないかと思っている。」という神対応がありました。今回のバスケも観客のすごい応援が選手を後押ししていました。生徒の皆さんも、勉強に運動に最後まであきらめずにお互いに鼓舞し合っていきましょう。国公立大学を目指す3年次生は、後期試験まで第一志望を譲らず貫いてください。応援しています。

オーストレイリラ!

  昨日の始業式前に、新しくALTとして赴任されたカーデン・ジェイムズ先生が自己紹介してくれましたが、オーストラリアのシドニー出身という情報しかありませんでしたので、ここで少し詳しく紹介します。ジェイムズ先生は、2017~2019年にかけて長崎の小・中学校でALTをされていました。母国ではスイミングスクールのインストラクターもされていたそうです。私は、30年前に新婚旅行で訪れたのがオーストラリアのシドニーで、思い出の地でもありましたので、ジェイムズ先生に「いいところですよね」と話しました。オーストラリアでは、オペラハウスやグレートバリアリーフ、それとコアラを抱っこしたことが記憶に残っています。

 日本は、1976年に日豪友好協力基本条約(奈良条約)を結び、オーストラリアとの文化的交流を深めました。また、2007年の「安全保障協力に関する日豪共同宣言」(2022年に改定)や、2015年の日豪経済連携協定(JAEPA)に示されるように、日豪関係はその後、重要な政治・安全保障分野の目的を含む、多角的で成熟した関係へと変化を遂げました。日本は1970年代前半、オーストラリアにとって最大の貿易相手国となり、以後26年間にわたってこの地位を保ち続けました。日本がオーストラリアから輸入しているものは資源が多いです。液化天然ガス・石炭・鉄鉱石・銅鉱などですが、地理の授業で勉強した記憶はありますか。日本語学習者の数で見ると、オーストラリアは世界第4位、10万人当たりの日本語学習者数は世界第1位になります。日本とオーストラリアの間には、実に107件もの姉妹都市・友好都市関係(101市区町・6都府県)が設立されています。また、姉妹校提携をしている学校は日豪二国間で550校にも上ります。実は、日本の学校の海外修学旅行先として一番人気があり、日本の学校の姉妹校の一番多い海外の国はオーストラリアなのです。今日オーストラリアにとって、日本はアジアで最も緊密なパートナーとなっているのです。

 右はオーストラリアの国旗ですが、 右の5つの星で南十字星を、左の大きな七稜星でオーストラリアの6つの州と特別地域を表わしています。 海洋国家で世界中に植民地を持っていたイギリスとの歴史的な結び付きは、左上のユニオン・ジャック(イギリスの国旗のこと)に見ることができます。世界にはユニオンジャックが国旗に入っている国が5つ、地域では20弱あります。ユニオンジャックは、以下のようにイングランド、スコットランド、北アイルランドの国旗や旗を組み合わせてできています。「ユニオン」は連合王国、「ジャック」は船首に掲げて国旗を示す旗の意味です。

  これから、授業でジェイムズ先生が色々話してくれると思いますが、皆さんからも積極的に質問してみてください。

『人には余裕というものが無くては、とても大事はできないよ』勝海舟

 記録的な暑さの夏休みが終わり、2学期が始まりました。まだまだ暑い日が続くようで、いつになったら過ごしやすい秋がくるのかなという感じですね。部活で真っ黒になっている人、勉強漬けの日々を送った人、普段できない活動をした人、人によって千差万別な夏休みを過ごしたと思いますが、夏休み前に計画したことは達成できたでしょうか。私は、たまっていた本をできるだけ読もうと考えていましたが、読んだ分以上に買ってしまったので、たまっている本が増えてしまいました。仕事については、片付いたものもありますが、できたらやってしまおうと思っていたものは先延ばしになってしまいました。ただ、優先順位の高いものから片付けたので、まあよしとしています。

 私が皆さんと同じ受験生だったころは(42年前)、入試科目の問題集を一冊終わらせるとか、英単語2000・古文単語400・日本史用語集などを一通り最後までやるとか、目標を立てていましたが、達成率は自信をもって書けるほどではありません。計画通り終わらなかったと嘆いている人も多いと思いますが、大丈夫です。計画した量が多すぎたと思えばいいのです。ほとんどの人は、あれもこれもと欲張って、自分のキャパをオーバーした計画を立てがちだからです。80%しか達成できずに落ち込むより、100%達成して、余裕があれは+20%追加できたほうが、精神的に充実感と達成感が得られます。3年次生は、これから受験まで5か月以上ありますので、自分に必要な勉強を見極め、見通しをもって余裕のある計画を立て、達成できたらプラスアルファの勉強をしてください。勉強に部活に学校行事と、2学期は忙しくも充実した日々が続くと思います。心も体も余裕をもって頑張ってください。無理して体を壊して休めば、時間とともに精神的余裕もなくなります。何事もいいコンディションで継続できることが大事ですよ。

みらいの太東生へ

 本日は、太田市民会館で午前(太田市内の方)・午後(太田市外の方)の2部構成で本校の「学校説明会」を実施しました。中学生と保護者あわせて1200名を超える方々に酷暑の中、お越しいただきました。改めまして感謝申し上げます。本校に対する理解を深め、志望校検討の材料を手に入れてもらえましたでしょうか。部活動紹介動画や生徒会の学校紹介動画で、本校の様子が伝わったでしょうか。生徒会所有のドローンで撮影した映像はいかがでしたか。生徒が主体的に活動している様子が、わかっていただければうれしいです。9月のオープンスクールにも、ぜひ来校して、自分の目で確かめてください。お待ちしております。

 生徒会、吹奏楽部、チアリーディング部、ボクシング部、陸上部、少林寺拳法部のお手伝いいただいた皆さん、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。皆さんの姿を見て、本日来場した中学生で本校志望の意志を増々強くした人も多いと思います。また、暑い中、交通整理をしていただいた先生方、会場準備や片付け、生徒の指導をしていただいた先生方、ありがとうございました。無事、混乱もなく終了することができました。感謝申し上げます。

 本日、参加していただいた中学3年生の皆さんの一番の関心は、前期・後期がなくなって一本化された入学者選抜の方法と内容についてだと思います。高校によって方法と内容は異なりますので、どうしても入りたい高校があるならば、よく調べて対応できるよう準備するしかありません。まだ、入試まで半年ありますので、最後まであきらめずに努力してください。「みらいの太東生」に会えるのを楽しみにしています。

1日10時間(量だけでなく質もね)

 国連事務総長が、地球温暖化でなく地球沸騰の時代だと発言するくらい猛暑が続いていますが、今日から3年次生を中心とした夏季学習会が始まりました。約100名の生徒が毎日7時間の勉強を5日間続けます。コロナ以前は、進学校と呼ばれている高校は、夏季休業中に避暑地や温泉地などで学習合宿を行っていました。100名以上の生徒がホテルにこもって、1日10時間以上の勉強を仲間とともに励まし合って行い、長時間勉強を続ける集中力、気力などを高め、長い受験勉強の第二のスタートにしようとしていたのです。(第一のスタートは、もうしているはずです。)私も本校で20年前に栃木県の益子や埼玉県の施設に学習合宿の引率で行った経験があります。当時と現在の違いは、各教室にエアコンが入っているかどうかです。現在は、普通教室と学習室などはすべてエアコンが入っていますので、わざわざ高いお金を払ってバスに乗って遠くに行かなくてもいいのではないかとコロナ禍で考えられ、学校で実施することになりました。

 日本では、小学生が中学受験するのに平日帰宅後6時間、土日は10時間以上勉強するという話も聞きますが、1日10時間以上勉強するというのは、かなり目的意識が高く、精神力が強くないとできないと思います。また、勉強には知力・気力だけでなく体力も必要ですので、部活引退後に運動部は受験勉強の追い込みがきくなどと言われるのはそういうことです。勉強は、大学までで終わりというわけではなく、一生勉強だと思いますが、大学受験の勉強期間は、長い人生の中でも特別な期間です。(と、私は思っています) たとえ、なかなか勉強の成果が出なくても、自分を信じて努力を続けてください。必ず成果は出ます。努力が空回りしないように間違ったやり方でなく自分に合ったやり方を見つけてくださいね、「やりきったぞ!」という清々しい顔で、2学期に皆さんに会えることを楽しみにしています。

※ブログは、授業日以外は休む予定でしたが、それでも続ければ3学期の終業式に400回になる予定です。ただ、400回ちょうどにこだわることもないと思ったので、長期休業中でも何か話題があれば、書こうと思って本日は書きました。

速しこの1学期

 早いもので、1学期も今日で終わりです。私は短く感じましたが、皆さんにとってはどうだったでしょうか。1年次生は、入学した時の気持ちを忘れずに1学期を頑張れたでしょうか。思っていたよりも高校生活は大変だと気を引き締めなおしたでしょうか。これから3年次生は、本格的に受験勉強に突入し、2年次生は、部活を頑張りながらも進路について考えていかなければならない夏休みです。時間があると思って油断していると、あっという間に夏休みは終わります。適度に心と体を休めながら、計画的に夏休みを過ごしてください。1学期を振り返って、無理なく実行できる自分だけの再チャレンジ計画を立て、達成感を味わえるようにしてください。余裕を残して、プラスアルファの実行を加えられるほうが精神的にもいいはずです。2学期は長いです。充実した2学期にするためにも、夏休み中に下準備しておくことが必要です。ロケットスタートができるように心身を整えて、8月30日を迎えてください。

 今日の生徒総会は、熱中症とコロナ感染を懸念して残念ながらオンラインとなりました。旧役員の皆さんは全校生徒の前で挨拶ができず、本当に申し訳なく思いました。太東を盛り上げるために、縁の下の力持ちとして1年間尽力してくれたことに感謝します。ありがとうございました。新役員となった皆さん、来年は「青藍祭」があります。このままコロナがフェードアウトしてくれれば、生徒会もさらに活発に動けるようになるでしょう。活動方針にある「居心地がよい」とは、色々な意見が受け入れられる、意見が出しやすいという意味にも取れます。色々な企画を提案して、太東をワクワクする場所にしてください。

考えるのは今でしょ!

 昨日から三者面談が始まりましたが、夏季休業へ向けて有意義な面談ができているでしょうか。先生に丸投げで、主体的に自分がしたいことやなりたいものについて相談できないようだと時間内には終わらないかと思います。自分はどのように今後生きていきたいのか、様々な選択肢があり、考えれば考えるほど悩みは尽きないと思います。ただ、ここでしっかり考えないと、将来「七五三現象」の体現者になってしまいますよ。

 「七五三現象」とは、1990年代から2000年代にかけて話題になった、早期離職率と学歴に関わる言葉です。就職して3年以内に、中卒新入社員の7割、高卒新入社員の5割、大卒新入社員の3割が離職する現象を指します。2020年度の離職率は、中卒55%、高卒36.9%、大卒31.2%で七五三現象が問題視されていた1994年頃に比べて、中卒や高卒の離職率は大きく改善されてはいますが、大卒の3年以内の離職率はあまり変わっていません。バブル経済のころは超売り手市場でしたので、転職は難しくありませんでしたが、現在はそうではありません。転職するには、ある程度の技能と経験が必要です。「石の上にも三年」と忍耐を説くことわざがありますが、日本ではすぐに仕事や会社を辞めると忍耐力がないといって信用されない傾向があります。アメリカでは、「終身雇用」が特徴だった日本と違い、キャリアを積んで転職するのが普通のようですが、日本では非正規雇用のためキャリアも積めない若者が増えています。それが若者の未婚率の増加と少子化に拍車をかけている原因の一つとなっています。「ブラック企業」という言葉を知らない人はいないと思いますが、心や体を壊してまで企業にしがみつくことはやめましょう。ただ、自分では判断ができなくなっている場合もありますので、身近に相談できる人がほしいですね。転職についての次の話を読んでみてください。

 「1年ごとに転職を繰り返せば、いずれ雇ってもらえなくなるかもしれないけれど、それも仕方がない。だって自分に合った場所を探すというのは、そういうことだから。」という意見があった。しかし、そもそも、自分に合った場所で働くというその感覚がちょっと図々しい。自分自身も、職場も、日々変化していく。職場とはただの場所ではなく、一人一人が集まってできた人間の集合体です。人の出入りがあれば、当然その場所自体も変化する。自分自身の気持ちの動きも含め、永遠に自分にあった場所で働くというのは不可能。本気で向き合い、ぶつかれば、自分自身も、その対象も変わる。自分に合わない場所で、それでも必死にもがきながら、初めて相手から求められる存在になれた時の喜びは何ものにも代えがたかった。

 厚生労働省『平成30年若年者雇用実態調査』によると、「初めて勤務した会社をやめた主な理由」として最も多く上がったのが、大卒では「労働時間・休日・休暇の条件がよくなかった」で33.2%。「人間関係がよくなかった」21.3%、「賃金の条件がよくなかった」20.9%、「仕事が自分に合わない」19.2%と続きます。また勤務3ヵ月未満に限ると「人間関係がよくなかった」が最も多く38.7%、僅差で「仕事が自分に合わない」で38.6%でした。皆さんは、上記の話とデータを読んで、どう思いましたか。自分に合わないと思ったら、さっさと辞めたほうがよいのでしょうか。どの程度合わなければ辞めるのが得策なのでしょうか。

 以前に「非認知能力」について書いたことがありますが、「自信をもって意欲的に取り組む」「他人の気持ちを汲み、人の境遇や気持ちに共感できる」「異なる価値観を柔軟に受け止められる」「忍耐強く取り組める」「人と協働して取り組める」……そんな生きていく上で必要な社会的スキルのことをいいます。それ以外にも時間を管理する能力や、失敗から立ち上がる精神的強さ、芸術作品や自然を見て感動する心など、主に感情面や情緒面での感性や能力も非認知能力です。一方「認知能力」とは一般的には知能検査で測定できる能力のことを言い、簡単に言えばテストで客観的に点数化できる能力です。どちらも重要ですが、社会に出た時に重要視されるのは「非認知能力」が優勢のようです。社会人基礎力や汎用的能力など、これと重複するものもありますが、今後は意識して「非認知能力」を高める取組を、学校での学習活動全体を通して行っていくことが求められると思います。皆さんも意識して、活動してください。将来「七五三現象」を自ら体現しないように。

ポパイと言えば・・・

 国民運動として「食育」を推進するため、政府が毎年6月を「食育月間」、毎月19日を「食育の日」に制定しています。平成17年6月10日に食育基本法が成立し、それにより「食育の日」が定められました。「食育」という考え方自体は明治時代に既に存在していましたが、近年の「食」をめぐる状況の変化に伴う様々な問題を解決するために「食育」が行われるようになりました。
 食育基本法の前文には、『食育は、生きる上での基本であって、教育の三本の柱である知育、徳育、体育の基礎となるべきものと位置付けられるとともに、様々な経験を通じて、「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てるものとして、食育の推進が求められる』と書かれています。そして、このような食育の推進に当たっては、健全な食生活の実践としての単なる食生活の改善にとどまらず、食に関する感謝の念と理解を深めることや、伝統のある優れた食文化の継承地域の特性を生かした食生活に配慮すること等が求められています。地域の食材を使って給食は作られていますね。   

 皆さんは、給食を食べられなくて昼休みに残された経験はありますか?昔は、嫌いなものがあって食べられないと残されることもありました。食べてすぐ吐いてしまい、その食べ物は今も食べられないという人もいるのではと思います。私は、小学生の時にホウレン草を無理やり飲み込んで、吐いてしまった経験がありますが、今は食べられます。子どもが、ピーマンに代表される苦いものとか酸っぱいものが苦手というのは、毒と感じて体が拒否するからで、ある程度仕方ありません。大人になれば食べられるようになります。たぶん(笑)。今では、味や食感が嫌いで食べられないというよりアレルギーがあって食べられない子が増えています。また、小学校では、朝食を用意してもらえない子や給食が1日で唯一のしっかりした食事という子もいます。この飽食の日本で、餓死する人もいます。個の食事の栄養バランスを考える以前の問題ですね。自分がおいしくないと思うものを栄養があるからと無理して食べるのは、ストレスになります。必要な栄養が、その食べ物でしか摂れないというなら話は別ですが。信じられないかもしれませんが、世界にはチョコレートだけ食べて生きている人もいます。以前にテレビで見て、驚きました。人間の身体って不思議ですね。「食育」には、子どもたちが健全な食生活を営み、健康を維持できるようにするという目的が一番目にあります。ですが、それには食べ物があることが前提にあります。世界全体の食糧について、理解を深めることが大切です。そして、食糧問題と環境問題はセットになっています。7月10日のブログ「納豆好きですか?」で、人間は食べなければ生きていけないと書きましたが、必要以上に生産し、欲望のままに食べ過ぎれば、環境や人体にどんなことをもたらすのか、「食育」を通して考えてもらわなければなりません。3年次生は、近い将来一人暮らしをすることになる人もいると思いますが、「食育」の意義を個人のものから世界全体に広げて、考えてくださいね。

キャラ変、可!

 皆さんは、自分の性格を変えたいと思ったことはありますか?変えたいと思う人の多くは、内向的な性格を外向的にしたいのではないでしょうか。日本人は、血液型による性格占いが好きですが、皆さんは信じますか?話の種としては使うけれど、信じてはいないという人も多いと思います。献血で自分の血液型がA型ではなく、B型とわかって性格が変わってしまった人がいるくらいですから、思い込みや自己暗示は恐いですね。ただ、これをうまく使えば、性格を変えることはできそうです。
 日本人の多くは心配性になりやすいという研究結果があるそうです。心の安定をもたらす「幸せホルモン」と呼ばれる脳内物質のセロトニンが出にくくなる遺伝子があり、日本人の8割がその遺伝子をもっているためだそうです。皆さんは、自分はもっていると思いますか。性格は遺伝的な要素と後天的な要素が半々というのが、様々な研究結果から判明しているそうなので、自分次第で性格の半分は変えられるということです、自分で変えていくには、行動を継続することが必要です。もっと積極的な自分になりたいのであれば、無理矢理にでもそのように振る舞うことが大切です。まずは行動することでスイッチが入って、変わりたいという思いが深層意識にも働いて、それがだんだんと表面に出てくるということです。ですから自分を変えていくようにチャレンジすることが大事なのです。
 人間の性格が年齢や環境によって変化することも、心理学の研究によって明らかになってきました。米国の心理学者クリストファー・ソトーらは、120万人以上の10~65歳を対象に、外向性・神経症傾向・開放性・協調性・勤勉性の平均値が年齢とともにどう変化するか調べたそうです。その結果、外向性には大きな変化がなかったものの、年齢が高まるにつれて神経症傾向は低下し、開放性、協調性、勤勉性は上昇することがわかりました。つまり、同じ人間でも、年齢を重ねれば、心理的な安定性、柔軟性が高い「できた人間」になるというわけです。「歳をとると人間がまるくなる」という言葉は嘘ではなかったんですね。大学生を被験者にして「自分の性格を変える」という実験を行った研究もあります。自分の性格は自分で変えることもできるということも知っておいてください。要は、本当に心の底から変わりたい、変えたいと思っているかどうかです。自分を変えたいと思っている人、あきらめずにがんばってください。「信ずる者は、変えられる」ですよ。

笑う主権者になろう!

 今日は、3年次生に「主権者教育」の選挙出前授業を5、6時間目に行いました。令和2年度から県が実施している「教育イノベーションプロジェクト」の一環として、昨年度から、お笑い芸人による若者の主権者意識を高めるための授業を株式会社笑下村塾と連携して、県内の高校において実施しています。本校は、昨年は6月17日にも実施しています。なお、都道府県が笑下村塾と連携して、全ての高校での選挙授業実施を目指す取組は、群馬県が初めてだそうです。

 今日は、校長室に大音量のフレーズが飛び込んできました。「♪もしかしてだけど~、もしかしてだけど~♪」とギター伴奏とオチのある歌で笑いをとる「どぶろっく」さんでした。3年次生の皆さんの主権者意識は笑いとともに高まったでしょうか。ぜひ、よく考えて自分の一票を行使してください。日本史で勉強したと思いますが、その一票は先人たちが長い間戦って勝ち取ったものです。なくなって初めて有難みがわかるものなので大切にしましょう。残念ながら、明らかに現在の選挙制度は、制度疲労をおこしていると思います。投票率は過去最低を更新続け、それだけでなく、立候補者がいないため今年の統一地方選・前半戦の 41 道府県議選では、総定数(2260)のうち、無投票当選者が4分の1にあたる 565 人に上りました。根本的な問題として、一票の価値の格差の問題も、残っています。これから、日本をどんな国にしたいのか、色々と情報を収集し、政府の政策を判断し、一票を行使することが大切です。一票を粗末にすると泣くことになりますよ。皆さん、自分事として考えましょう。

勉強のススメ

 「なぜ、勉強しなくちゃならないんだろう。こんな勉強が何の役に立つのだろう。」こんな疑問をもち、実際に親に質問した人も少なくないかもしれません。 きっと、言っても無駄だと思って質問さえしない人のほうが多いでしょうね。
 伊藤理佐さんの「幸福のススメ」という漫画の単行本の中に、こんな話があります。遊びや恋愛もせず、小中高校・大学と親や先生の言うとおりにまじめに一生懸命勉強だけしてきたのに、就職難で就職できなかった女性の話です。この女性は仕方なくアルバイトをすることになりました。この女性は、接客業に向いているとはとても言えなかったのですが、あるお客さんとの会話をきっかけに「もしかして学校で習った勉強って今でも役に立つのでは?」と気付きました。現国は、「お客さんの心をよむ」、数学や理科は、「お客さんの話を筋道立てて理解できる」、社会は「いろいろな地方のお客さんと話を合わすことができる」、体育は「働ける体力をつけられる」、英語は「外国人のお客様と話しができる」、そして学力で1位を目指した野心、向上心、努力、忍耐力が役立つと考え、努力した結果、接客の世界で1位を目指すことにします。

 もう一つ、こんな話があります。「なぜ勉強は必要か」と母に聞いた時に、コップを指さして、〇国語なら「透明なコップに入った濁った茶」、〇算数なら「200mlのコップに半分残っている茶」、社会なら「中国産のコップに入った静岡県産のお茶」と色々な視点が持てるよ。多様な視点や価値観は心を豊かにするんだよ。というようなことを返されたという話です。素晴らしいお母さんですね。これはお茶は誰でも知っているが、様々な味わい(とらえ方)があるということであり、それを知っている分だけ心に豊かさをもたらしてくれるということだと考えます。そして、様々な知識があれば、それを足掛かりにさらに多様な疑問につながっていき、知的好奇心を満たすために主体的に勉強しようとする姿勢となり、それが新たな知識の扉を開き、さらに豊かな心のあり方や生き方につながると考えます。
 勉強は、「ただ生きるだけのため」であれば社会保障が行き届いている現在の日本なら、しなくても何とかなるかもしれませんが、「よりよく生きるため」にはしておいたほうがいいと思います。分野の垣根を作らず何でも広く知っておくと、それがベースの点となって様々な知識と関連づけられネットワークを形成し、可能性を広げてくれると考えます。「あ~っ、もっと勉強しておけばよかった!」と嘆くのは、社会人になってからと相場は決まっていますので、皆さんはそうならないようにしてくださいね。

「私と付き合ってください!」「ごめんなさい!」「よろこんで!」どっち?

 文科省が、7月4日に「チャットGPT」などの生成AIの活用について小中高校などでどう活用するかの指針を発表しました。そのポイントは、以下のとおりです。                    

【適切でないと考えられる例】〇コンクール作品や小論文で生成物をそのまま成果物として提出、〇詩や俳句の創作、音楽や美術の表現・鑑賞で安易に使わせる、〇定期テストや小テストで使わせる                                                                          【活用が考えられる例】〇生成物の誤りを教材として使用し、生成AIの性質や限界に気付かせる、〇グループの考えをまとめる活動で、足りない視点を見つける目的で使用、〇英会話の相手として活用                                                                                             【学校での利用の際のチェックリスト】〇年齢制限、保護者同意といった利用規約を遵守しているか、〇個人情報を入力しないよう指導しているか、〇長期休業中の課題で、生成物を応募、提出すること不適切・不正な行為と指導しているか                                                                                     

 中央公論7月号に慶應義塾大学の今井むつみ氏へのインタビュー「AI時代のことば力 言語習得に見る知性の本質」が載っています。今井氏は、人間が言語を習得する際の「記号接地」体験の大切さを強調しています。「記号接地」とは、「ことばと身体感覚や経験とをつなげること。『りんご』と聞けば、その色や模様、匂い、果肉の色や食感、味、舌触りなど様々な特徴を思い出すことができますよね。」「人間が言語を習得するとは、そういうことなのです。」と説明しています。「しかし、AIはそうではありません」「チャットGPTとは『次にくることば予測機』です。」「チャットGPTが作る文章は、文法的な誤りや不自然さがなく、学生のレポートよりずっと整っているかもしれません。しかし、体験に接地せず、統計から導き出した情報を繋ぎ合わせているだけなので、内容がとても表面的です。新しい視点も独自の観点もありません。(中略)もしこれでいいと思う子どもが増えるとしたら、それは人類にとって危険です」「記号接地は創造性の源です」「今こそ記号接地の重要性を認識し、身体化された、経験に根ざした知識を習得していくべきだと思っています」
 以前に生成AIについて2回ブログに書きましたが、今も世界中で議論が続いています。皆さんは今井さんの話を読んで、どう思いましたか。私は、多くの語彙と様々な経験(読書経験含む)があって自分らしい文章が書けると考えています。自分が積み重ねてきたものがベースにあって、チャットGPTを活用するのであれば、おかしなところに気付くこともできると思いますが、そうしたものがなくチャットGPTを利用するならば、AIに思考・表現を支配されてしまうことにもなりかねません。スマホもそうですが、様々な弊害が報告される中、上手に付き合うこともできるはずです。これからAIが加速度的に進化していくことは避けられませんので、皆さんも自分の頭でAIとの付き合い方をよ~く考えてください。                 

               

                                                                                                                                                              

探究心で「もろびとの幸福」を招かん

 今日、7月11日は、「ラーメンの日」と「セブン-イレブンの日」だそうです。この二つについて書こうと思ったのは、二つとも日本文化に大きな影響を与えていると思ったからです。

「ラーメンの日」は「7」を「レンゲ」に、「11」を「箸」に見立てたことと、ラーメンを最初に食べた人物とされる水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門でおなじみ)の誕生日にちなんでだそうで、ラーメン産業の振興・発展とともに、日本独自のラーメン文化を支えることを目的として2017年に認定・登録されました。

 2023年(令和5年)にセブン-イレブン・ジャパンは創業50周年を迎えました。「セブン-イレブン」という抜群の認知度と、社名がそのまま日付に置き換えられるわかりやすさで、記念日の登録を行うことで、更なる情報発信をするのを目的として偶然にも「ラーメンの日」と同じ2017年に認定・登録されました。 

 私は、麺類は「ラーメン」「そば」「うどん」「スパゲッティ」何でも好きですが、どれか一つ選べと言われたら「ラーメン」ですね。外国人にも人気ですが、日本人の研究熱心さから「ラーメン」は素晴らしい発展を遂げ、日本の食文化を代表するものになっています。「カップヌードル」をはじめとするインスタント麺の進歩はとどまるところがありません。他の麺類も工夫が重ねられていますが、ラーメンの種類の多さには敵わないと思います。日本人の食に対する探究心はすごいです。

 セブン-イレブンを始めとするコンビニもまた、歴史は浅いですが日本文化を代表するものになっていると思います。2002年にプロジェクトXで「日米逆転!コンビニを作った素人たち」で放映されましたが、ここでもまた、日本人の探究心が発揮されました。今や、セブン-イレブンだけでなく、ローソンやミニストップ、ファミリーマートなどコンビニはいたるところにあります。そして、そのサービスも日々進化し続けています。外国人が「日本のコンビニはすごい」という感想は、当たり前と感じている私たちには本当の意味で理解できていないでしょう。20年以上前になりますが、「POSシステムによって神の見えざる手を見えるようにする」という内容の番組を見て、コンビニ経営者の苦悩、利益を最大化するにはどうしたらよいか、24時間営業の大変さ、商品の仕入れと陳列の工夫などについて、政治経済の授業で取り上げました。陳列できる商品は限られています。1店舗で2500~3000種類と言われています。何をどれくらい仕入れたらよいのか、どのように陳列すれば一番売り上げが伸びるのか、全てはデータによって最適化が図られていきます。データの収集を担ったのがPOSシステムでした。「何、それ?」と思った人は、すぐ調べてみてくださいね。先日、「みらい学」でたくさんの卒業生の皆さんにお世話になりましたが、社会に出たら常に探究心をもって仕事に取り組み、自分の仕事がどのように「もろびとの幸福」に役立っているのか、考えてみてください。

納豆好きですか?

 7月10日は、1966年にTBSテレビで『ウルトラマン』の放送が開始されたことにちなみ、ウルトラマンシリーズの制作を手がける円谷プロダクションが「ウルトラマンの日」として制定しました。ウルトラマンについて書くと長くなるのは「火を見るより明らか」ですので、ここでやめて「納豆」について書きます。
 今日は、7月10日で語呂合わせとして大変わかりやすい「納豆の日」です。大体記念日というのは、宣伝のために制定することが多いですが、皆さんもご存じのとおり、納豆は関西では関東ほど食べられていません。そこで関西納豆工業協同組合が関西での納豆の消費拡大を目的に、関西地域限定の記念日として1981年(昭和56年)に制定したそうです。昔、「納豆(710)うまいよ平城京」なんて年号の覚え方をしましたが、納豆は奈良時代にあったかどうかは疑問です(笑)。納豆の起源については、諸説ありますが、平安時代後期の武将だった源義家が、前九年の役、後三年の役の際に奥州(現在の東北地方)へ遠征に行った際に納豆が誕生した説が東北では有力なようです。戦が長引いたことで馬の飼料が不足したため、義家は農民たちに飼料となる大豆を差し出すように命じました。急な命令だったことから、農民たちは煮たばかりの熱い大豆を冷ます間もなく俵に詰めて差し出したそうです。すると数日後、大豆は糸を引くようになっていました。これを試しに食べてみたところ美味しかったため、大豆は兵士たちの食料になったそうです。この食べ物はやがて農民たちにも広まり、農民たちも自作して食べるようになったとのことです。ほかに弥生時代説もありますが、「納豆」という語句が確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に儒学者・藤原明衡によって書かれた『新猿楽記(しんさるがくき)』であり、平安時代には「納豆」という言葉が存在していたことが確認されています。ただ、後三年の役は、11世紀の終わりですので、『新猿楽記』に書かれた納豆は糸をひく納豆ではないかもしれません。
 見かけが悪いものを最初に食べた人は勇気があると言われますが(特になまこ)、納豆も糸を引いているのによく食べたなと思います。1994年に刊行された「もの食う人びと」辺見庸 (著)は、世界各地で様々なものを食べるルポルタージュで、日本だと想像もできない食べ物もあり、かなり話題になりましたが、人間は生きるためにはとにかく食べなければなりません。地理の授業で世界の衣食住を学ぶとき、地形や気候、文化によって食べ物も異なってくることを学んだと思います。ただ、食べるものの違いについて学ぶだけでは不十分です。
 消費者庁ウェブページには、次のような文章が載っています。日本では、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」が523万トン(令和3年度推計)もあります。これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2021年で年間約440万トン)の1.2倍に相当します。また、食品ロスを国民一人当たりに換算すると"お茶碗約1杯分(約114g)の食べもの"が毎日捨てられていることになるのです。「もったいない」と思いませんか?
 納豆の話から、食品ロスの話に発展してしまいましたが、「食べ物を粗末にすると罰が当たる」といった昔の人は正しいと思います。残さず食べるということは、食べられる分だけ注文するか、作ることです。SDGsに関係なく、食べ物を大事にしましょう。そして感謝していただきましょう。

「みらい」のために君は何を学ぶのか?

 今日は、28名の卒業生を講師にお迎えして、1、2年次生に「みらい学」を実施しました。講師一人につき生徒4人の座談会方式で各教室に5班をセッティングし、1年次生は2、3限に、2年次生は4、5限に、実施しました。今回の「みらい学」の目的は、社会生活に対する視野と関心を広げ、高校生活で身に付けるべき力を理解すること、それらを踏まえて進路目標を具体化し、目標を達成するために必要な力を理解すること、です。1年次生は、①「働くこと」とは、どのようなことか、②高校で身に付けるべき力はどのようなものか、2年次生は、①その職業は、誰にどのように役立つのか、②役立てるようになるための力を伸ばすために何をしたのか、に焦点を当て、講師の先生を中心に対話的学習をしました。講師の方には、2コマ100分で、4回お話をしていただきました。生徒は質疑応答を通して学び合うことができました。

 本日は平日にも関わらず、後輩のために御協力いただいた卒業生の皆様に心より御礼申し上げます。はるばる関西から駆けつけてくれた講師の方もいらっしゃいました。頭が下がる思いです。生徒の皆さんも、本日の貴重な勉強を今後の進路決定のための学習に生かしてください。そして、将来皆さんが本校に来て、後輩のために話をしてくれることを期待しています。

※今日はたくさん記念日がありました。その中から「ポニーテールの日」を選びました。1995年に日本ポニーテール協会が制定したそうです。7月7日が「七夕」「ゆかたの日」であり、七夕伝説の織姫や浴衣にポニーテールがよく似合うことからだそうです。(笑) 正確には数えていませんが、本校の女生徒の8割くらいは、ポニーテールだと思いますので、付け足しました。

とこしえの0(ゼロ)

 1939年7月6日、零式艦上戦闘機の試作機の試験飛行が始まったことから、今日は「ゼロ戦の日」だそうです。零戦の設計者である堀越二郎をモデルにした映画として、2013年に公開されたスタジオジブリの『風立ちぬ』がありますが、皆さんはご覧になりましたか?私は、小学生のころゼロ戦をはじめとする戦闘機や大和などの戦艦、戦車、潜水艦などのプラモデルを作るのが好きでした。かっこいいと思っていましたが、自国を守る=敵をやっつける(殺す)機械なんですよね。身近に戦争がないので実感はわきませんが、カズレーザーの体験入隊などの番組で自衛隊の演習やブルーインパルスの飛行などを見て、「けしからん」ではなく「かっこいい、すごい」と思ってしまう自分がいます。兵器にも兵隊にも莫大なお金がかかっていますが、ロシアのように使わないでほしいものです。

 零式艦上戦闘機は、ゼロ戦の略称で知られていて、その性能と日本人パイロットの優秀さから恐れられ、敵パイロットから「ゼロファイター(Zero Fighter)」と呼ばれました。「小回りが利き、飛行距離の長い戦闘機を」という海軍の要求で堀越二郎が設計し、時速533km、航続距離3,500kmでした。しかし、速度や航続距離、旋回能力のために軽さが求められたため、防弾装備は優先順位が低くなってしまったようです。1940年の中国戦線から実戦に投入され、第二次大戦中に1万機以上が生産されました。戦争末期の1944年には、最初の神風特別攻撃隊に零戦を改修したものが使われました。科学者や技術者は、自分が作ったものが戦争によって大勢の人間を殺すことになることは仕方がないと思っていたのでしょうか。自分が作らなくても誰かが作ってしまうなら、自分が作ろうと思ったのでしょうか。原爆を作ったオッペンハイマーは、戦後原爆の使用に関して「科学者(物理学者)は罪を知った」との言葉を残しています。戦争が科学技術の進歩を促したのは、歴史上の事実ですが、科学者の探究欲求というものは倫理観では抑えきれないものなのでしょうか。これから科学技術ととともに医学も同時に進歩していきますが、医学も人体実験や臓器売買など非合法なことが行われて発展していくのでしょうか。これから先、正解のない世界で、人類はどのような答えを出していくのか。人任せにせず、考えていきしょう。

※当時の日本の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていました。そのため零戦の「零式」の名称は、採用された1940年が皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であることからつけられました。(日本は紀元前660年に神武天皇が即位したとし、この年を皇紀元年としました。)

 

ムダじゃ・・・ない?

 皆さんは、ムーミンを知っていますか。埼玉県飯能市にムーミンバレーパークが2019年に開業して話題になりましたね。私は初期のアニメを見ていましたので、現代風のムーミンには少し違和感があります。ゲゲゲの鬼太郎やルパン3世なども初期のものと現代のものがかなり違うので(かわいくなっていて)昔のほうが私はいいですね。『ムーミン』のアニメを世界で最初に作ったのは日本だって知っていましたか。アニメの主題歌で「ねえ、ムーミン、こっち向いて」というフレーズは同年代の方ならみんな知っていることでしょう。サザエさんと同じく家族で見る番組でした。スナフキンやミーのファンは多いですが、二人とも妖精だって知っていましたか。私は人間だと思っていました。ムーミン谷のキャラクターの中にジャコウネズミのマスクラットという自称哲学博士で、哲学書を好む偏屈なおじいさんが登場します。いつも、「ムダじゃムダじゃ、まったくムダじゃよ」とつぶやきます。いつも読んでいる本は『すべてがむだである事について』でした。私は、今でもよく覚えていて、このフレーズは好きです。
 というわけで、今日は「ムダ」について少し書きます。皆さんにとってムダって何ですか?どんな時に「ムダ」という言葉を使いますか?「やるだけ無駄」「無駄な努力」「時間の無駄」とか使ったことはありますか。ポジティブに考えれば自分がしたことが無駄かどうかは、死ぬまでわかりません。「幸せ」と同じように「無駄」かどうかを決めるのは、自分自身です。例えば、ぼーっとして何もしていない時間は無駄でしょうか。生産性のないことは、すべて無駄でしょうか。人生には無駄があるからこそ、気付くことも多いのではないかと思います。スケジュール帳が埋まっていないと不安で暇な時間が恐い。そうならないためにも、無駄と思えることも大切にしましょう。余裕があれば無駄も認められます。無駄が人生を豊かにするかもしれませんよ。
※残念ながら、1969年と1972年からの二期にわたってフジテレビ系で放送された『ムーミン』、通称「昭和ムーミン」は原作とあまりにも違っていたため、現在では放映もソフト化も許可されていません。YouTubeなら見られますので、興味をもった人は「昭和のムーミン」を見てみてください。

求む!異次元の教育政策

 子どもがいる世帯は、今や日本社会の少数派です。厚生労働省が実施している「国民生活基礎調査」によれば、2021年度に18歳未満の子どものいる世帯は1073万7000世帯で全世帯の20.7%でした。1989年は41.7%だったのと比べると半分になっています。2023年4月に発足した「こども家庭庁」は「こどもまんなか社会」の実現に向け、子ども政策に全力で取り組むとうたっています。以上は6月30日付の内外教育という教育冊子の巻頭コラムにあった文の一部です。
 私は、「異次元の少子化対策」で「異次元」な政策をぜひ実現してほしいです。経済的支援の強化と若い世代の所得向上、子育て世帯への支援拡充、共働き・共育ての推進、社会全体の意識改革という4つの柱があるようですが、財源問題が大きく横たわっているようです。「こども家庭庁」も理念は素晴らしいと思いますので、結婚・妊娠・出産・子育てに夢や希望を感じられる社会の実現、少子化の克服のために、ぜひお金と人を手当して効果的な政策を実施してほしいと思っています。

 子育て・教育政策として「保育所待機児童ゼロ」と「義務教育における1クラス当たりの児童生徒数を欧米並みに減らすこと」を、ぜひお願いしたいと思っています。少人数クラスのほうが学力が向上するかどうかが不明なことが、財務省がなかなか予算増加を認めない理由のようですが、小学校教員になることの不安を取り除いて志望者を増やすために、「専科教員」も大事ですが2クラスに一人副担任をつけてほしいというのが切実な願いです、残念ながら日本は先進国の中でも特に教育と子育てにおける家計負担が大きく、国が最もお金をかけない国です(義務教育までは手厚いようですが。OECDの調査結果を見ると暗くなります)。

 現在の少子化対策で最も優先すべきは、既に子どもがいる世帯への補助よりも、若者が結婚できる精神的経済的環境作りではないかと識者が言っていましたが、私もそうだと思います。(若者が結婚したくないと考えているなら話は別ですが。戦前戦中の「産めよ殖やせよ」は通用しなく、結婚も出産も個人の自由なので。) 若者の経済的安定と結婚問題は、すぐにどうにかできる問題ではないし、予算が確保できない(増税もできないし、国債も発行できない)のであるならば、少子化が止められないと仮定して、各政党は将来どのような社会になるかを予測して国民に対策をきちんと説明し、選挙を通して考えてもらうしかないでしょう。周辺諸国のことを考えると防衛費の増額も喫緊の課題ですが、人口問題と教育問題は社会を変えてしまいますので、ぜひ大胆な政策をお願いしたいと思います。ただ、数十年後に日本の人口が大幅に減少しても、科学技術がその分進歩していれば状況が悪化しているとは限りません。(例えば、若返りの薬の発明、高齢者でも力仕事ができるパワースーツの発明、ロボットによる肉体労働の代替、安全で安価なクリーンエネルギーの開発など)
 こうした正解のない問いに対して、よりよい解答、「納得解」を考える力をつけるための勉強を、生徒の皆さんはしているわけです。現代社会の課題を多面的多角的に捉えて考え、判断し、自分の意見を表明できるようになってください。自分たちの将来にかかわることですから。

子ども神輿と少子化問題

 昨日、自治会の子ども神輿が「わっしょい!わっしょい!」と暑い中を練り歩いていました。こちらもコロナ禍で中止が続き、4年ぶりでした。娘二人が小学校を卒業してからもしばらくお手伝いをしていましたが、世代交代し手伝いに出なくなってから随分たちます。昔は、途中で4回ほど休憩し、果物や麦茶やアイスなどをもらったり、ホースで水をかけてもらったりして、お賽銭を集めながら地区内の家を回っていました。疲れてくると子どもが御神輿にぶらさがるので、持っている大人は大変です。暑い中、御神輿を担ぐのを手伝いながら、声も出していましたので、大人も大変ですが、途中の飲食店で冷えたビールをいただけるのが楽しみでした。ビールを飲めるのを楽しみにして参加している人もいましたので。

 私が住む地区は、新興住宅地で小学生が比較的多いため、子ども神輿も賑やかですが、少子化のため、地区によっては小学生が一人しかいなくなってしまったところもあります。私の子どもが通った小学校も近隣の小学校2校と統合し、統合される2校の児童は通学バスで通うことになります。今後10~20年で、高校も統合や学級減が進むことになりますが、生徒数の減少によって学校行事や部活動が影響を受けて、活気がなくなるのが心配です。日本の人口が、このまま減少していった時、日本人はどのような選択をするのか、よく考える必要があります。農業や工業などの経済活動を維持するための労働力をどう確保したらよいか。生徒の皆さんは、地歴公民科目をしっかり学習し、根拠とともに自分の考えがもてるようになってください。

WALKMAN 訳すと?

 1979年の7月1日は、ソニーが携帯式ヘッドホンステレオ「ウォークマン」の第1号機「TPS-L2」を発売したことで「ウォークマンの日」となっています。カップルで楽しめるようにヘッドホンの端子が2つあり、定価は33,000円でした(当時の大卒初任給は11万円だったそうなので、現在に換算すると6万5千円弱ですね。皆さん、買いますか?)。

 昔、「プロジェクトX(挑戦者たち)」という戦後日本を支えた技術者達の記録ドキュメンタリー番組があり、中島みゆきが歌った主題歌「地上の星」が話題になりました。その中でソニーが関わったものに「ビデオの規格争い、VHS対ベータ」がありました。ウォークマンも取り上げられてもおかしくないのに、なぜ番組にならなかったかというと、当時の開発者が亡くなっていたことや放映できない事情があったからだそうです。気になった人は調べてみてください。録音機能なしでは売れないとの社内外の反対の声もありましたし、ネーミングでも揉めたみたいです。発売当初はマスコミの反応が芳しくなく、新聞掲載もごくわずかだったために、発売1ヵ月での売上はわずか3,000台に留まっていたそうです。しかし、「重役の7割が反対するプランくらいでやっと先手をとれる。」とパナソニックの松下幸之助さんの金言どおり、このあと大ヒットすることになります。宣伝部や国内営業部隊のスタッフらによる広告・宣伝活動により、当時の若者たちの間に評判が広がり、8月に初回生産の3万台を完売すると、需要に供給が追い付かない状態が年内いっぱい続いたそうです。ソニー内部での金言に「市場は調査するものではなく、創造するもの」というのがあるそうですが、市場調査で売れるものがわかるならみんな儲かりますよね。

 私は、大学生になってから初めてウォークマンを購入し、現在まで7台購入しています。スマホで音楽を聴くようになってからは使っていませんが、大学時代は、外出時はいつも持ち歩いていました。(主に聴いていたのは、ヘヴィメタルとハードロックでした。違いがわからない人は調べてください) カセットウォークマンに続き、CDウォークマン、MDウォークマン、メモリースティックウォークマンなどが発売されていますが、私はCDウォークマン以外、全て購入しています。その後、i-Podなど他のメーカーからも同様のものが発売されていますが、「ウォークマン」は携帯音楽再生機の代名詞です。場所を選ばず、いつでもどこでも音楽を聴くことのできる製品は画期的で、世界的な大ヒットとなりました。「何でも多機能にすればいい」の反対路線でヒットしたのです。音楽再生機器の進歩とイヤホンやヘッドホンの進化は、歩を同じくしていますが、未来はどんなものが開発されるのでしょうか。普通の眼鏡型で、「動画も音楽もOK!」というものが発売されるのも近いかもしれません。音楽がない生活というのは考えられませんが、どんな奇想天外な商品が開発されるのか楽しみです。その商品開発に皆さんの中の誰かが関わるかもしれません。そうしたら周年記念講演会に来て、話をしてくださいね。

※「ウォークマン」は英語としては通用しない和製英語だったので、当初は国ごとに名前がバラバラでした。しかし、日本での「ウォークマン」の人気が世界に広まり、いつしか「ウォークマン」のネーミングは海外でも広く認知されるようになっていきました。そこで盛田会長が決断し、全世界で名称は「ウォークマン」に統一されることになるのです。そして1986年には、世界で最も権威のある英語辞典Oxford English DictionaryにもWalkmanは掲載され、正しい英語として認定されるまでになったのでした。

ぜひ聴いて、読んでみて

 今日は「ビートルズの日」だそうで、最初で最後の来日を果たした1966年6月29日が記念日となりました。当時人気絶頂のイギリスのロックグループ「ザ・ビートルズ」(The Beatles)が羽田空港に到着した様子は、今でもテレビでよく見られます。翌日から東京・日本武道館で3日間5回の公演を行ったわけですが、学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されました。生徒の皆さんは驚くと思いますが、それくらい当時の若者に大きな影響を与えたわけです。ロックは不良のするものというレッテルを貼られたことも、皆さんには想像できないでしょう。「Help!」「イスタディ」「レット・イット・ビー」などは、皆さんもどこかで聞いたことがあると思います。私は、中学生の時に担任の先生がギターを弾いてクラス全員で「イエスタディ」を歌った思い出があります。1970年代に入ってからビートルズの曲が音楽の教科書に載るようになり、1970年代後半から1980年代にかけて、音楽教育において重要なアーティストとして扱われるようになったようです。ほかにも古典的名曲がたくさんありますので、ぜひ聴いてみてください。
 今日は『星の王子さま』の日でもあります。作者のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの誕生日です。1999年(平成11年)のこの日、神奈川県箱根町に世界で最初の記念館「箱根サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」がオープンし、記念日が設けられたそうです。「星の王子さまミュージアム」の開館はサン=テグジュペリの生誕100年を祝した世界的な記念行事の一環として企画されたもので、同館ではサン=テグジュペリの写真や手紙、愛用品の資料展示などが行われたそうです。「星の王子様」の中で、最も有名な文は「心で見なければものごとはよく見えないってこと。 大切なことは目に見えないんだ」でしょう。あと、「星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね……」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね・・・」などは、スタジオジブリの「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」を聞いた時に、頭に浮かびました。有名だけれども、読んだことがない本というのはたくさんありますが、この本は短編なので時間はかかりません。興味をもった人は、ぜひ読んでみてください。

外国由来のモノはどれくらい?

 今日は、貿易の日だそうで、通商産業省(現:経済産業省)が1963年に制定したそうです。皆さんは、中学校までの歴史で勉強した安政の五か国条約を覚えていますか。1858年に日米修好通商条約を始めとして、オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結んだ一連の通商条約です。1859年6月28日、江戸幕府がこれらの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出したことから貿易の日となりました。しかし、これらの大きな問題点は、不平等条約だったことです。高校入試でもよく出る①領事裁判権を認めたこと、②関税自主権がないこと、③片務的最恵国待遇(ロシアを除く)です。この撤廃のために明治政府は、大変な苦労をしました。また、この条約は天皇の許可(勅許)が得られないまま結ばれたことにより、安政の大獄や桜田門外の変(井伊直弼の暗殺)などの事件を引き起こすことになりました。(日本史の授業みたいになりそうなのでこのへんでやめておきます)            

 日本は外国と様々なモノ・サービスの取引を行っています。多くの場合、それでお互いに利益を得るわけですが、取引総額が不均衡になると外交問題に発展する場合もあります。日本とアメリカとの戦後の貿易摩擦の歴史は長く、「ジャパンバッシング(日本たたき)」という言葉も生まれました。また、特殊な輸出品がある国は、それを外交上優位に立つためのカードに使う場合もあります。最近だと中国のレアアースの輸出規制が、それに当たります。日本は、資源を輸入して付加価値を高めた製品を生産し輸出して、外貨を稼ぐ「加工貿易国」ですから、資源の輸入リスクを減らすために多くの国と貿易しています。しかし、一部の国に産出が偏った資源はどうにもなりません。ただ、日本は資源がない分を補うため、持ち前の技術力によって製品だけでなく新しいエネルギーの開発を進め、世界が驚く成果をあげています。近い将来、他国に依存しないエネルギーが確保できるのではと期待しています。国同士の安全保障は、もとは戦争を避けるためのシステムでしたが、今は「食糧安全保障」や「エネルギー安全保障」など戦争に至る前の段階が重要になってきています。「食糧安全保障」には、穀物などだけでなく水も重要です。他国に多くを依存していれば、「食糧」と「エネルギー」は国民の生死にかかわる問題になります。SDGsばやりの昨今ですが、今、皆さんの身の回りにあるモノは、どこから来ているのか調べてみてください。そして、それがどんな人々によってどのように生産されているのかを知ってください。(政治経済の授業か?)