日誌

榎本校長のつぶやき

主体的に高校生活に取り組む態度「A」

 今日は、対面式と部活動紹介、体育祭の団色決めがありました。体育館に全校生徒が集まったのは3年ぶりです。幸せな光景でした。私が高校1年生で対面式での洗礼を受けたのは、45年前のことでしたが、上級生に圧迫されて入場したのを覚えています。太東では、優しく面倒見のよい先輩が、入場と退場時に花道を通る1年次生に温かい拍手を送ってくれました。部活動紹介では、凝った動画による紹介やステージ上での部員による紹介、ステージ下でのパフォーマンスなど、盛りだくさんで、1年次生だけでなく、上級生も楽しんでいました。吹奏楽部の演奏からチアリーディング部の締めのパフォーマンスまで、長時間に渡りましたが、中身が濃く短く感じました。ボクシング部の練習風景やフラダンス同好会のダンス、少林寺拳法部の演舞、チアリーディング部のパフォーマンスはなかなか間近で見る機会はないので、1年次生は「高校ってすごい!」と思って見ていたと思います。体育祭は、1年次生から3年次生をクラスごとに立て割りにして6団作り、6団での対抗戦になります。3年次の各クラスから一人ずつ団長が選ばれ、団色決めを行い、必勝表明をし気勢をあげました。きっと盛り上げてくれることでしょう。

 高校は小・中学校と違って生徒数が多いので、色々なことに興味をもって、チャレンジすれば、必ず自分と趣味の合う友達、気が合う友達が見つかるはずです。体育祭を手伝ってくれる有志を募っていましたが、自分から動くことで得られるものも多くなります。ぜひ積極的に参加してください。部活動では、2足の草鞋を履いている人も多いので、時間を有効に使って勉強以外にも打ち込める好きなものを見つけてください。それが勉強にもいい影響を与えて相乗効果を得ることができます。高校生活を充実したものにするために、ぜひ主体的に取り組んでくれることを期待します。

みんなで外せば怖くない?

 今日、明日と1年次生は、オリエンテーションです。コロナ前は1年生のオリエンテーションを宿泊研修でやっていた学校も多かったですが、残念ながら、まだ宿泊研修できる状況にはありません。1年次生にとっては、特に4月は高校生活のスタートを切る大事な時期であり、高校総体も控えています。もしコロナに罹患すると1週間、濃厚接触でも5日間の出席停止になってしまいますので、5月8日にコロナが5類扱いになるまで慎重にいきたいと思います。昨日の入学式でも生徒・保護者全員が、マスクをつけていたと思いますが、街中でもマスクを外している人がほとんど見られません。一人で自動車に乗っている人、田舎道で犬の散歩をしている人、自転車に乗っている人、空いている店内など、外してもいいんじゃないかと思われるシチュエーションでも外している人が滅多に見られません。私は何度かマスクを外してコンビニに入りましたが、私以外はみんなマスクをしていました。とにかく、周りに人がいない、しゃべらないなら積極的に外したほうがいいんじゃないかと思います。ツービートの「赤信号 みんなで渡れば怖くない」が流行語になったのは、もう40年以上前ですが、2021年に三省堂の国語辞書に載りニュースになりました。別にマスクを外すのは法令違反でもなく、政府も奨励しているわけですが、日本人の集団心理からすると抵抗なくマスクが外せるようになるのは、まだ時間がかかるかもしれませんね。今日は夏日になる予報が出ていますが、少しマスク外してみませんか? 

先輩から後輩へ

 今日は、卒業生33名が在校生のために「卒業生からのアドバイス」という進路行事のために来校してくれました。1年次生は体育館で、2年次生は各クラスに分かれて座談会方式で実施しました。プライベートな時間を割いて後輩のために集まってくれた卒業生の皆さんに感謝です。身近な先輩方が、高校時代にどのようなことを考え、勉強と部活の両立を図っていたのか、自分に合ったどのような勉強を工夫していたのか、が聞けてこれから残りの高校生活の過ごし方の参考になったと思います。ぜひ、今度は1、2年次生の皆さんが後輩のためにアドバイスできるように、進路実現に向けて頑張ってください。それと、今日の入学者選抜合格者説明会に来た皆さん、来月10日は入学式です。最高の高校生活のスタートができるように準備してください。

「幸」と「辛」

 昨年4月27日のブログで「吐く」から「マイナス」をとると「叶う」になるという話を書きました。漢字ができたときに「マイナス」という観念はないので、完全にこじつけですが、妙に納得できるきれいさがありました。同様に「幸」は「マイナス」をとると「辛」になります。「叶う」と同じ論理ではおかしくなります。では、「辛」に「一」を足すと「幸」になると考えるとどうでしょうか。この「一」が何を意味するかは、人それぞれでしょう。細かいことを言えば「一」ではなく部首の「なべぶた」が乗る感じですが、そこは突っ込まないでください。私は「辛い」は、どちらかと言えば、肉体的よりも精神的に苦しいときに使う気がします。辛い時に自分で何をすれば「幸」に変えられますか。また、人からどんな言葉をかけてもらえたり、どんなことをしてもらえたりしたら「幸」になりますか。ザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」という曲に「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう」という歌詞があります。皆さんは、この気持ちがわかりますか。

うわさを信じちゃいけないよ♪

 皆さんは、日本史や世界史、そして政治経済などで「金融恐慌」や「世界恐慌」を学んだと思います。「金融恐慌」とは、天災・内乱、景気の悪化などで、企業を結ぶ貸借の決済が不可能となり、信用関係が急激に崩壊して、預金の取り付け、銀行の支払停止および連鎖倒産などで、金融界全般に混乱が起こることです。日本では関東大震災からの「震災恐慌」、その後の「金融恐慌」が有名です。

 信用経済と言われる経済活動の中で、多くの企業と金融機関が関係してお金とモノ・サービスが世界中で取引されています。ただ、お金そのものには価値はありませんので、モノ・サービスの供給量によっては、お金の価値が暴落するということが起こります。先日、3月10日にアメリカのシリコンバレーバンクで預金者の取り付け騒ぎが起こり、経営破綻に追い込まれました。日本では1927年に大蔵大臣の失言から銀行で取り付け騒ぎが起こり、昭和金融恐慌に発展しました。銀行が倒産するかもしれないと思えば、預金者が自分の預金を確保するために引き出しに走るのは、当然です。アメリカでは預金が3000万円までなら法的に保護されるのですが、シリコンバレー銀行の9割の預金は3000万円以上だったため、預金者を守ることで危機を回避しようと「預金全額を保護する」という異例の措置で収拾を図りました。金融機関が本当の危機にあるのか、それとも流言(デマ)による危機の誇張かに関わらず、預金が大量に引き出されて倒産に追い込まれるという事態が起こると、それは一銀行だけでなく連鎖して他の銀行や企業に及び、一国の経済だけでなく世界経済に影響を与えることもありえます。2008年のリーマン・ショックは世界経済に大きな影響を与えました。今回のシリコンバレーバンクの破綻は、主な取引先がIT業界であることから、事態は大部分がオンラインで展開されたことによるものです。大量の預金がオンラインで引き出され、その発端は非公開のチャットグループだったと伝えられており、SNSでパニックに火が付いて、預金引き出しが加速化しました。この事態を後に米下院金融サービス委員会のパトリック・マクヘンリー委員長は、「ツイッターにあおられた初の銀行破綻」と表現しました。世界恐慌の時のような大勢の預金者が銀行に詰めかけた取り付け騒ぎはなく(少しはありましたが)、昔とは様変わりしたようです。

 金融機関で、噂の恐さを物語る事件が昔ありました。1973年、登校中の列車内で高校生BとCが、豊川信用金庫に就職が決まった友人の女子高校生Aに対し「信用金庫は危ないよ」とからかいました。この発言は信用金庫の経営状況を指摘したものではなく、「信用金庫(などの金融機関)には強盗が入るため危険」という意味の冗談でしたが、Aはそれを真に受け、その夜、親戚に「信用金庫は危ないのか?」と尋ねました。Aは具体的な信用金庫の名称は言わなかったものの、親戚の人は豊川信金のことだと自分で判断して同信金本店の近くに住む親戚に「豊川信金は危ないのか?」と電話で問い合わせました。そこからは、噂に尾ひれがついて広まり、預金を下ろす人が殺到して取り付け騒ぎとなり、日本銀行と警察が動いて沈静化を図るという事態にまで発展しました。日本では、この事件より前の1971年に成立した預金保険法で、預金保険機構の裏付けのもと、預金保険制度に加盟している金融機関が破綻した場合、当時は100万円まで「預金者への保険金の直接支払い」が保証されていましたが、一般の認知度が十分ではなかったことも騒ぎが大きくなった原因です。現在は、1000万円まで補償されています。

 「火のないところに煙は立たない」とは言いますが、現在はSNSであっという間に様々なことが拡散される時代ですので、悪意のある噂が流されれば、それを消すのは容易ではありません。デジタルタトゥー(刺青)の名のとおり、ずっとデジタル空間に残り漂い続けます。飲食店が悪意のある口コミによって苦境に陥ることもあります。言葉にせよ、写真や動画にせよ、デジタル全盛の時代では、すべてのことを一度疑ってかかることが必要なのかもしれません。悲しいことですが、だまされないために。

略語の未来(RGM)

 このブログは、学校でのことを第一にして話を広げていくようにしていますが、それができないときは「今日は何の日」や「時事ネタ」から発展させて書き、それでもこれはというものがないときは「ネタ帳」から探してきます。今日は略語について書こうと思います。

 さて、3月9日のブログで私が日本語の中で美しいと思っている言葉として「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」をあげました。ただ、これらの言葉が略されることも運動部では多いようで、「こんにちは」が「ちはっ」に、「ありがとうございます」が「あざすっ」に略されて普通に使われています。残念ながら美しい言葉とは言えません。言葉は生きているので、時代によって変わっていくのはある程度仕方ないとは思いますが、省略されたものが広まりすぎないようにしてもらいたいです。ただ、「こんにちは」「さようなら」も略語なので、これ以上短くなってほしくないですね。11月30日のブログで書きましたが、「こんにちは」は「今日(こんにち)は、お元気ですか。」「今日は、ご機嫌いかがですか。」などが略されたものですし、「さようなら」は、「左様(さよう)ならば、ご機嫌よう。(また、お会いしましょう)」の略語です。私は「気にするな」という意味の「ドンマイ(Don’t mind)」というかけ声が好きですが、最近あまり聞かなくなったような気がします。「試合中のミスに萎縮して、また失敗しないように励ます言葉で、「ガンバレ」というソフトな圧力がある言葉ではないので好きです。

 略語とは認識していない言葉もたくさんあります。「ボールペン」「シャーペン」「食パン」「経済」「教科書」などは、皆さんがよく知っていて普段使っている言葉ですね。このくらいならば許容範囲だと思いますが、高校生の頃に読んだ「産業士官候補生」(眉村卓著)という小説の中で、効率を極端に進めた結果、最小限の言葉による人間味のないロボットのような会話がされるシーンがあり、印象に残っています。言葉を略しすぎて、日本人同士でも翻訳機が必要になる、そんな未来がこないことを祈っています。

あなたは、神仏を信じますか?

 WBCが開幕し、昨日は日本VS中国で日本が快勝しました。現在、ラグビー、サッカーに続いて野球が盛り上がっていますが、連日報道されている大谷選手の経済的効果はすごいですね。次は8月にバスケットボールワールドカップが日本、インドネシア、フィリピンで開催されます。楽しみです。

 さて、最近、気になっているニュースの中で宗教2世問題があります。昨年の7月8日に安倍晋三元首相が殺害された事件の犯人の動機から、宗教団体と政治家の関係が取り沙汰され、多くの問題が報道されるようになってきました。一つは多額の献金によって、家計が影響を受けて家庭が崩壊する問題で、もう一つは、保護者による子どもへの信仰の強制や虐待です。それに関連してエホバの証人による輸血拒否が、最近のニュースで取り上げられましたが、1992年に起こった信仰による輸血拒否事件は、私も現代社会や政治経済の授業において取り上げました。宗教教育と政治教育は、教師の考えを押し付けることなく多くの資料から公平公正な授業を行わなければなりません。多くの人の意見や考えから学び合うことが必要です。成人であれば、信仰の自由と人格権を主張して、輸血しない場合に死んでもかまわないと覚悟して輸血を拒否するのなら仕方ないのかもしれませんが、未成年、特に小学生以下の子どもについて信仰を強制したり教義に基づいて意に添わぬことを強制したりすることは、親権の濫用であり、人権尊重の観点から許容できないと私は考えます。日本人は、よく「無宗教」と言われますが、決してそんなことはなく、特定の宗教に深く関わっていない人が多いだけで信仰心はほとんどの人がもっていると思います。この我々が生きている地球と宇宙の存在と神を同一視して畏れる心が、無意識下にあるといっていいでしょうか。宗教は、本来、人が心の平安を求めて創始したはずです。その宗教によって苦しんでいる人が多くいることは、なんとも皮肉です。「信ずる者は、救われん」(聖書に語源)「いわしの頭も信心から」(一旦信じてしまえば、どんなものもありがたく思える)という言葉がありますが、「苦しい時の神頼み」が多くの日本人の実感に合っているのかもしれません。皆さんは、最後の心のよりどころをもっていますか。

明日は明日の風が吹く

 本日は、後期入学者選抜の1日目で、国語・数学・社会の3科目の学力検査が実施されました。天候に恵まれ、コロナとインフルエンザ等の欠席者や遅刻者もなく、志願者全員が最後まで受検することができました。受検生の皆さん、今日の試験を終えて一喜一憂していることかと思いますが、今日のことは一旦忘れて、気持ちを切り替えて明日の理科と英語の学力検査に臨んでください。「やめっ! 筆記用具を置いてください」の声を聞くまで、どうなるかわかりません。最後まであきらめることなく検査問題に取り組んでください。それでは明日、無事に忘れ物なく本校に到着するように願っています。今夜はしっかり睡眠をとってくださいね。

こころの駒に最後の鞭を!

 早いもので、令和5年も2か月が過ぎてしまいました。今日は卒業式予行と表彰式、同窓会入会式が行われました。久しぶりに登校した3年次生は、卒業アルバムや生徒会誌、各種たより、新聞を渡されて、明日卒業するんだなと改めて実感したことでしょう。予行をすることについては、「しないほうが感動があっていいんじゃないか」という意見、また「予行で卒業への気持ちを高められる、心の準備ができる」という意見もあることでしょう。卒業式は、卒業パーティーではなく、儀式的行事として定められていますので厳粛な雰囲気の中で行われることが普通です。入学式や卒業式の緊張感は、普段なかなか感じられないものなので貴重な機会だと思います。卒業生の皆さんは、小・中学校の卒業式で式歌として「旅立ちの日に」、「仰げば尊し」、「蛍の光」、「手紙」などを歌った人も多いかもしれません。ここ3年コロナで卒業式での歌唱がなくなっていて寂しい感じがします。これらの歌を聴いていると、卒業を実感して涙腺が緩んでしまいます。私は恥ずかしながら卒業式で泣かずに済んだことがなく、泣いている卒業生を見ることでもらい泣きしてしまうことはもちろん、校歌・式歌・送辞・答辞・謝辞が涙腺を攻撃してきてうるうるしてしまうため、なるべく見たり聞いたりすることに注意を集中しないようにしています。特に壇上にいる時は、ハンカチで拭くことができませんので、必死で我慢しています。「男は人前でむやみに涙をみせるものではない」という考えは、現在では男女差別につながるのでNGだと思いますが、なかなかそう簡単に意識は変えられないようです。「嬉し涙ならいいかっ!」と開き直って明日の卒業式に臨みます。3年次生の皆さん、明日は思い出に残る卒業式にしましょう。それと、皆さんの校歌が聞こえないと泣けません。よろしく!

Believe in yourself.

 誰でも口癖の一つや二つはもっています。なくて七癖とは言いますが、「えーと」「あのー」とかは、一般に無意味なつなぎ言葉「フィラー」(英語だと「well」「um」など)と呼ばれます。口癖は、基本的には無害ですが、あまり多いと気になりますね。ただ多ければ多いほど、話にスピード感とキレとリズムがなくなりますので、少ないに越したことはありません。生徒が先生の口癖を1時間の授業で何回言うかを数えた話も珍しくありません。20年ほど前から自分の授業をビデオで撮影して検討する研修を行っていますので、現在では多くの先生が自分の授業を客観的に見た経験があり、改善を図っていると思います。

 口癖の中で「でも」「だって」「どうせ」の三つは3D(だめ)言葉です。口癖になっている人は、気をつけましょう。「でも」「だって」「どうせ」は、相手の気分を害すると同時に自分の気持ちも下げる言葉です。発した言葉には魂が宿る「言魂(霊)」を信じるならば、後ろ向きの言葉を発していれば、どんどん運気を下げることになってしまいます。「でも」「だって」は、口答えの言葉であり、言い訳、反抗の言葉です。この言葉を出さずに「なるほど、確かにそうですね」というクッション言葉が出れば、その後の提案が受け入れられやすくなるのではないでしょうか。もちろん「申し訳ありませんでした」「ごめんなさい」という言葉を先に言ったほうがいい場合もあるでしょう。「どうせ」の後には、「(自分なんか、私たちなんか)~できる(になれる)はずがない」という言葉が続くことが多いと思いますが、個人でも集団でも、見限ったら、諦めたら、そこで終わりです。最後まで自分(たち)を信じてやれるのは自分(たち)しかいません。本日、後期入学者選抜の願書受付が始まりました。太東を志願してくれている中学3年生の皆さんが、自分を信じて本番の3月8日、9日を迎えてくれることを祈っています。

サクラ咲く、まだまだこれから

 今日は、高校入学者前期選抜の合格発表が午前10時から各学校及びweb上で行われました。喜ぶ人が半分、後期選抜に向けて気合を入れ直す人が半分です。合格した皆さん、おめでとうございます。残念ながら合格できなかった皆さん、後期選抜まで2週間、気持ちを一新してできることをやりきって検査に臨んでください。2週間で、前期合格者を追い抜く気持ちで、勉強してください。4月からの高校生活に必ず生きてきます。

 さて、web上で合格発表がされるようになってから、学校まで発表を見に来る人はほとんどいなくなってしまい、発表現場は寂しい限りです。合格発表で私の記憶に残っている光景は、30年以上前の初任校での発表です。受験番号をマジックで書いた模造紙を同窓会館の2階の手すりから下げていました。たくさんの受検生がこちらを見上げています。発表時間になって、バサッと掲示すると、一瞬間を置いて「ワーッ!」と歓声があがります。「受かった!」「やった!」という声が聞こえてきます。しかし、たくさんの笑顔の中で落胆の表情を浮かべ、会場を背にする生徒を見ると複雑な気持ちになります。科ごとに合格発表の掲示板を立て、その横で合格手続きをしていた高校で勤務していた時は、受検生がすぐ近くにきて落胆して背を向けて帰る姿を見るのは辛かったですね。「艱難汝を玉にす」という言葉がありますが、逆境や挫折を知らないと、真に強くはなれないと思います。自分の心を強くするとともに、人の気持ちがわかる人間になるために、困難に遭遇した時に「ありがたい」と思える心の余裕を持ちたいものです。

運命の1冊

 「1万円選書」というのを聞いたことがありますか?2018年4月23日のNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で「運命の1冊、あなたのもとへ~書店店主・岩田徹~」というタイトルで放送され話題になりました。それは、1万円分の本を選び、届けるサービスで、経営難に喘いだ岩田徹さんという本屋の店主が始めました。お客さんに本に関するカルテに記入していただき、その内容からお客さんに合った本を紹介するものでしたが、始めた当初は7年間で、月に1件注文がはいるかどうかで店がつぶれる瀬戸際でした。そんなとき、ある深夜番組で「1万円選書」が取り上げられ、瞬く間にSNSで拡散されたのです。翌朝には「1万円選書」が、インターネットの検索急上昇ワードにトレンド入りし、選書の申込は、放送3日後には、550件に達し、いったん締め切る事態となりました。「本屋の神様はいたんだ!」と岩田さんの奥さんがつぶやいたのが岩田さんは忘れられないそうです。明日何が起こるかわからないからこそ、今を一生懸命に打ち込む、それが岩田さんのモットーです。彼はこうも言っています。「地方の本屋のおやじに過ぎない自分が、本を通じて全国の人々の役にたち、ありがとうと感謝してもらえる。こんな幸せな仕事はありません。」

 私は、なかなか書店に置いていない本や、中身が確認できなくても書評を信じた本は、Amazonで購入してしまうので、書店の方には申し訳ないと思っています。今、Amazonによって既存の書店は、大型書店も含めて存続の危機に立たされています。次に危機に立つのは薬局だとも言われています。Amazonは基本的に送料がかからないために、購入する本が決まっているのであれば手間とお金がかからないので、そちらに流れてしまうのも致し方ないのかもしれません。今は、ネットで本を買っていると、その人の嗜好をAIが分析してお薦めの本を勝手に紹介してくれる便利な(気持ち悪い)世の中になりました。古書も神田やブックオフなどに行かなくても、ネットで検索して買える時代になりました。しかし、本屋や図書館で思いがけない本に出会うドキドキ感は、ネット通販にはありません。出版される本が多すぎて、巡り会えずに終わってしまうことのほうが圧倒的に多いですよね。だから、自分に合った本に出会いたいと思っている人にとっては、「1万円選書」という試みは、AIでなく人間が推薦書を選んでくれるところが人間味があっていいということで支持されたのだと思います。「これだ!」という1冊に出会うためには行動あるのみです。皆さんも、ぜひ「運命の1冊」を探してみてください。

自撮り棒の未来

 皆さんが、スマホで写真を撮るときに使う「自撮り棒」が世に出てから今年で40年になるそうです。これには、私も驚きました。私が20歳の時に自撮り棒があったとは、思いもしませんでした。もっとも、出た当時は、小型カメラ(しかもデジタルでなく、フィルム式)を付けるタイプだったので、広まりませんでしたから、ほとんどの人にとっては、スマホが普及してからできたというイメージが強いと思います。

 昔は、カメラは一家に1台であり、高価なものでした。個人で1台持つようになったのは、使い捨てカメラ(というより、リユースカメラ?)の「写ルンです」が出てからで、さらに小型デジタルカメラが普及してからです。カメラと言えば、自撮りするものではなく、例えば観光地などで近くの人に頼んで撮ってもらうのが普通でした。そのため近くに人がいないと、家族や友人と一緒に写ることができず、不便でした。また、昔のフィルム式カメラは、現像されて写真ができあがってこないとよく撮れているかどうかわからないので、できあがった写真を見てガッカリすることも珍しくありませんでした。今は、その場で確認できるのでいいですね。もっとも、予想以上にきれいに撮れていて感動することもなくなってしまいましたが。

 自撮り棒で写真を撮るという行為は、当の日本人が広めたというより、中国人観光客によって広められた節もあるようです。一人で自分を撮るのは恥ずかしいと思う人が日本人には多かったということでしょうか。

 携帯電話にカメラがついて、SNSを誰もが使うようになって、いつでもどこでも写真を撮る文化が生まれました。「インスタ映え」という言葉も生まれました。また、現像代を気にせず何枚でも写真を撮れるようになったので、整理できずに大量の写真に埋もれるようになりました。写真一枚を撮る重み、写真そのものの重みが、昔より格段に軽くなったような気がするのは、私が歳を取ったせいでしょうね。たくさん写真を撮って、ベストの一枚を選び出す。現代では、それが当たり前だし、それでいいのかもしれません。最近は、スマホのカメラの進化で、自撮り棒を見かけることが少なくなりました。そのうち、スマホに超小型ドローンカメラがついてスマホで操縦して自撮りできるようになるかもしれませんね。

 今日は、自撮り棒からカメラと写真の話になりましたが、デジタル写真になって容易に編集・加工ができるようになったので、写真に騙されることも格段に多くなりました。卒業アルバムなどで編集できると都合がいい場合もありますが、撮影者、撮影日時、撮影場所が明確でない写真を安易に信じることがないように注意しましょう。もちろん、安易にSNSに写真をアップすることもしないように。一旦拡散したら回収できませんよ。

忘れてはならぬもの

 今日はバレンタインデーですが、その話題はさり気なく避けて101歳の現役最高齢のピアニスト室井摩耶子さんの言葉を紹介します。「私は突然101歳になったわけじゃなくて、一日一日を精一杯生きてきて今があります。だから過去や未来ではなく、今日というこの一日を大切にしたいんです。大切な一日に死ぬ準備なんてしていられないから、終活にも、まったく興味がないんです。」テレビでは80、90歳になっても元気なお年寄りの姿をよく見ますが、みんな一日一日を大切にして年を取ったなりに人生を楽しんでいるのだと思います。「年を取ると、生きるのが仕事」と言っていた人がいましたが、「生きるのが趣味」もいいんじゃないかなと思います。

 ナチスの強制収容所で瀕死のユダヤ人の少女が、「こんなにひどい目に遭わせてくれた運命に感謝している」とつぶやいたそうです。何不自由なく暮らしていた時には、これほどまで自分に向き合うことはなかったというのです。「ならぬもの十訓」の一番目に「忘れてはならぬもの…感謝」があります。あなたは、朝目覚めた時に「今日も生きている。ありがたい。」と思ったことがありますか。最近のトルコ地震で、既に1週間以上経過しているにも関わらず、瓦礫の中から子どもたちが救出されるのを見て思いました。

ビューティフルネーム

 1875年(明治8年)の今日2月13日は「平民苗字必称義務令」が出され、平民も苗字を名乗ることが義務づけられた日で「苗字制定記念日」となっています。「苗字帯刀」は、江戸時代は貴族と武士の特権でしたが、1870年(明治3年)9月19日、平民が苗字を名乗ることを許可する「平民苗字許可令」が出され、この日は「苗字の日」となっています。ところが、そのころはまだ、明治新政府は国民に信用されていなかったので、苗字を付けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、苗字をつける人はなかなか増えませんでした。それで「平民も必ず姓を称し、不詳のものは新たにつけるように」と「平民苗字必称義務令」が制定されたのです。日本は世界の中でも苗字の数が多い国で約27万あるそうですが、明治以降に爆発的に増えました。変わった苗字が多いのもそのせいです。苗字を新しくつける(考える?)苦心談も残っています。「小鳥遊」(たかなし)や「春夏冬」(あきなし)、四月一日(わたぬき)、「神風」、「日本」など珍しい苗字はたくさんあります。だから、教員を長年やっていても初めて見る苗字や、読めない苗字はたくさんあります。近年は、それに加えて名前も読めないものが増えてきました。ちなみに、世界で一番苗字が多い国はアメリカで約150万種類あるそうです。移民の国なので世界中の苗字が集まっているのだから当然かもしれません。逆に、お隣の中国は約4000種類、韓国は約250種類と多くはありません。サッカーワールドカップで、韓国代表のゴールキーパーとディフェンダーの全員がキムという苗字で話題になりましたが、韓国では5人に1人がキムさんらしいですね。名前は、人間のアイデンティティですから大事にしたいですね。小学校で、自分の名前には親のどんな願いが込められているのかを聴き取りしてくるという宿題があるところも多いようです。皆さんは、自分の苗字と名前の意味や由来を知っていますか?

走れ!手品師

 「道徳」って、皆さんはどんなイメージをもっていますか?小中学校では、どんな教材で教わりましたか?先日見たYouTubeで、道徳の授業についての相談に答えるものがありました。それは「手品師」という教材についてでした。内容を簡単に紹介します。
 あるところに腕は良いがその日のパンも買うのもやっとというありさまの貧しい手品師がいた。彼は大ステージを夢見て日々腕を磨いていた。ある日、町を歩いていると小さなしょんぼりとした男の子に出会った。声をかけるとその少年は父親が死んだ後、母親が働きにでてずっと帰ってこないので寂しがっているとのこと。そこで手品師は手品を見せて喜ばせたところ、大喜びしたその少年から「明日も来てくれるか」と問われ「必ず来る」と約束して別れた。その夜、手品師のところに仲のよい友人から電話がかかってきた。その内容は、明日の大劇場で手品が催されるが、予定した手品師が急病のため代行者を探しているというものであり、友人はこの手品師を推薦したという。彼は考える。手品師として世間に認められる千載一遇のチャンスではあるが、そのためには今夜出発しなければならない。だが、明日は少年と交わした約束がある。しばしの葛藤の末、手品師は友人にこう答える。「せっかくだが先約があるので明日は行けない。」そして手品師は次の日、大劇場ではなく一人の観客のまえで手品を演じるのであった。
 皆さん、授業でやった記憶がありますか?私は覚えていました。この話の道徳的価値とは何だか、わかりますよね。そう「約束」です。約束を守らない人は信用されません。社会人になれば、なおさらですが、子どもや学生なら許されるというわけではありません。有名な「走れメロス」も約束がテーマですね。高校生の皆さんなら小学生に、この「手品師」の教材を使って、どんな授業をしますか?先生が誘導したい解答ではなく、手品師が少年との約束を守らず、大劇場に行くほうを選んだとしたら、そこにどんな道徳的価値を見いだしますか。実は、この話にはもう一つの約束が隠されているというのです。これは、何か夢を叶えようとするすべての人に共通した約束です。考えてみてください。社会に出ると、学校で勉強するような正解のある問題はありません。人と協働して、最適解を探すのみです。すっきりしない、モヤっとするからこそ、終わりのない勉強が続けられるとも言えます。一方的に教えられたものは忘れてしまうことが多いですが、自分で気付いたことは忘れません。気付くためには、答えをすぐ教えてもらうのではなく悩みながら自分の頭でよく考えることが必要です。この「手品師」の話を道徳について考えられるように、大劇場へ行く話に書き直してもらうとしたら、あなたはどのように書きますか?

医学部出て漫画家

 以前に「河童忌」や「桜桃忌」など文豪が亡くなった日について書いたことがありましたが、1989年(平成元年)の今日は、漫画家の手塚治虫が60歳で亡くなった日で、「治虫忌」とも呼ばれ、「漫画の日」となっています。また、1841年(天保12年)の7月17日も、イギリスの絵入り風刺週刊誌『パンチ』が発刊されたとして「漫画の日」とされています。日本史の教科書や図説に載っているので見たことがある人も多いと思います。そして、なんともう1日「まんがの日」があります。国民の祝日「文化の日」と手塚治虫の誕生日に由来して11月3日は「まんがの日」です。手塚治虫は、存命中から「漫画の神様」と称され、代表作に『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『火の鳥』『ブッダ』『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『アドルフに告ぐ』などがあります。皆さんは、読んだことがあるでしょうか。『ブッダ』『ブラック・ジャック』『アドルフに告ぐ』などは、学校や公立の図書館に置いてあるところも多いと思います。

 昭和46年(1971年)から少年ジャンプで少年向けストーリー漫画の新人募集企画として「手塚賞」が開催されています。多くの漫画家を排出していますが、知名度が高いのは、『ONE PIECE』の尾田栄一郎氏、『SLAM DUNK』の井上雄彦氏でしょうか。漫画家を目指している人は、たくさんいるでしょうし、ウェブコミックの隆盛で漫画家の数も昔とは比較にならないほど増えています。しかし、その中で漫画家として生活していける人は、ほんの一握りです。ミュージシャンと同じく厳しい世界です。ストーリーを考え、キャラクターを設定し、絵コンテを描き、下書きをし、ペン入れをし、トーンを貼り、背景を描き、ホワイトを入れて完成まで、小説家と画家、映画監督を一人でこなすようなものです。今はデジタルで作成している人が多いでしょうから、昔よりは修正が楽になっていると思いますが。ですから、『君の名は。』で全国的に有名になった新海誠さんはすごいです。なにしろ、彼が2002年に発表した、約25分のフルデジタルアニメーションの短編『ほしのこえ』は約8ヵ月間部屋にこもりながら、 監督・脚本・演出・作画・美術・3DCG・撮影・編集・声の出演とほとんどの作業を1人でこなし、自宅のパソコンを使って作り上げたものだからです。売れている漫画家は例外なく読書家であり、映画を多く見ているそうですが、つまり面白い話と構成・構図を考えるためには、勉強し続けること、新しい情報を仕入れ、色々な体験をすること、感性を磨くことが必要不可欠だということです。一発屋はミュージシャンだけでなく漫画家にも多いです。それくらい、面白い漫画を作り続けることは非常に困難だということです。スポーツ選手や絵や音楽などの表現者になるには、才能と努力が必要です。好きなことを職業にできることは、非常に幸せなことですが、苦しむことも多々あります。それでも一度きりの人生ですから、覚悟を決めてチャレンジするのもありですね。「医者は生活の安定を約束していた。しかし、僕は画が描きたかったのだ。」という言葉を手塚治虫は残しています。「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがよい」という意味の言葉を世界の優れた先人たちが残してくれています。あなたは、どうしますか?

〇〇バイアスの打破!

 日本教育新聞の「管理職の独り言」という連載コラムに、「学校バイアスを見直す」というテーマの文がありました。バイアスとは、簡単に言うと「思い込み」です。バイアスと言えば東日本大震災などの災害時にテレビなどで解説される「そんな災害は起こらないであろう」と考えて判断を誤る正常性バイアスと、「他の人も逃げていないから、まだ大丈夫」と考えて逃げ遅れる同調性バイアスが有名ですね。タイトルの「学校バイアス」には、「生徒は学校行事が好き(特に体育的)」や「校則を緩めると学校が荒れる」などがあるそうです(筆者の考えでは)。スポーツが苦手な筆者は、句会や茶会や読書会とかやってくれないかな…と思えど叶わなかったそうです。体育的行事にしろ、音楽的行事にしろ、旅行的行事にしろ、苦手な生徒が一定数いることは否定できません。筆者は中学校長ですが、生徒に「みんなが楽しめる」というコンセプトを伝え、企画を考えさせると、「学校の大人のバイアス」を壊すアイデアが次々出てきたそうです。

 皆さんなら、どんな学校行事もしくはクラス行事を考えますか。もちろん、どんな教育的意義や効果があるかを説明できなければいけませんよ。学校生活は、主に授業・学校行事・委員会活動・HR活動・部活動で成り立っていますが、楽しく意義あるものにするには、〇〇バイアスを疑って、自分の頭で考え、みんなで対話することが大事です。近年、話題になっている「女性は理数系が苦手」もバイアスですね。

未来の、そして現在の太東生へ

 本日、高校入試の前期選抜の入学願書の受付が終了しました。明日の朝刊で各校の志願状況が判明します。自分が受ける高校の志願倍率が気になっている受検生もたくさんいると思います。本校を志願してくれている受検生の皆さん、今まで培った力を十二分に発揮できるように、万全の体調で来週の本番に臨んでください。後期選抜はないものと考え、背水の陣で自分の力を目いっぱい引きずりだそうという心構えで取り組んでください。それが、今後に生きてきます。検査室に入るまで、自分は伸びると信じて、あと5日間を頑張って過ごしてください。受検当日、問題用紙を開くときに、「多くの仲間に支えられ、ずっと励まし合ってやってきた」そして、「自分は一人じゃないんだ」と思えることで、より力が発揮できると思います。皆さんが、試験終了後に「力を出し切った」と晴れ晴れとした顔で帰路につけるように願っています。3年次生の皆さんも、受験真っ只中で頑張っていると思います。未来の、そして現在の太東生、「ガンバレ!」

福、呼び込みたいですか?

 今日は節分ですね。節分といえば普通は2月3日のことを指しますが、もともとは季節の始まりである立春(2月4日頃)・立夏(5月5日頃)・立秋(8月7日頃)・立冬(11月7日頃)の前日を指す言葉です。節分は、季節を分けるという意味でもあるんですね。節分は、旧暦の立春が新年であったため、その前の日に邪気を払う目的で始まったのだそうです。 年の変わり目に邪気を払い、1年の無病息災を願って豆まきをしたり、恵方巻やイワシを食べたりするのが風習として今も残っているのです。

 私が子どものころは、節分には雪が降ることが多かった記憶がありますが、温暖化のせいなのか雪自体が最近は降りませんね。今日は「のり巻きの日」(1987制定)「巻きずしの日」(2011制定)でもあるそうですが、節分と「恵方巻」がセットになっているようですね。バレンタインデーやホワイトデー、ハロウィン、「いい夫婦の日」「孫の日」などと同様に、業界の戦略がまんまと当たったようです。恵方巻きは、江戸時代から明治時代にかけての大阪で、商売繁盛を祈ったりしたのが発祥といわれています。節分の日に巻寿司を恵方(その年の縁起のよい方向)に向かって丸かぶりすると幸福が訪れると言われていることから記念日を制定しました。1989年に、某コンビニエンスチェーンが広島県で太巻きを売りだした際に、「恵方巻き」と名前をつけ、販売を始めたというのが、全国に広まるきっかけだったようです。私の実感としては、我が家で恵方巻を食べるようになったのは、ここ10年くらいからだったような気がしますが、正確にはわかりません。ここ数年、帰宅時に恵方巻難民になって買うのに苦労していますが、今年は買うかどうか悩んでいます。

 皆さんの家では、豆まきをしているでしょうか。我が家では、毎年4人で豆まきをしています。もう27年目になります。鬼役は私で、鬼のお面をかぶって豆をぶつけられて玄関とリビングから追い出されています。「鬼は外、鬼は外、福は内」と豆(煎った大豆)をまいて、邪気を祓った後に、年齢の数だけ豆を食べて、1年間の幸せを祈る行事ですが、さすがに60個の味付けのない豆を食べるのは、きついですね。 豆には米と同じようにエネルギー源として霊力が宿っていると考えられていたから、食べるようです。

 これからどんどんAIが発達して世の中が変化しても、日本の伝統行事にはどんな意味があるかを知ることは、大切なことだと思います。国際化とかグローバル化とか言われるようになって久しいですが、自国のことをよく知っていることが前提なのを忘れないでください。鬼についても書きたかったのですが、字数が増えてしまったので、別の機会にします。

おわれて見たのは?

 今日は「おんぶの日」だそうです。昔の写真を見ると、赤ん坊の時に親におんぶされているものがありましたが、記憶にはありません。自分の娘二人もおんぶした記憶がなく、抱っこでした。あとは肩車ですね。おんぶというと、世界的に有名な日本のテレビドラマ「おしん」が頭に浮かびます。昔は赤ちゃんをおんぶして家事や仕事をしている女性が多かったですね。今は抱っこのほうが顔が見られて安心なのかもしれません。

 唱歌「赤とんぼ」の歌詞に「おわれてみたのはいつの日か」とありますが、小学校の時は「追われて」と勘違いしていて、「赤とんぼの大群に追われて夕日を見たのか」ととんでもないバカな解釈をしていました。「背中に負われて」つまり「おんぶされて」が正しいわけです。歌詞の意味を間違えていることって少なくないと思いますが、皆さんはどうですか。日本語には、同音異義語がたくさんありますので、それも原因の一つですね。日本には、ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字・外来語とたくさんあって難しいから、全部ローマ字にしようという動きが明治以後にあり、日本語の表記法として正式に採用しようとする「国字ローマ字化運動」と呼ばれました。そんなことになったら、とんでもなく不便になったと思います。豊かな日本文化を形成している土台は日本語ですので、多様な表現がなくなってしまうところでした。例えば「私」「わたし」「ワタシ」で同じ意味の言葉なのにニュアンスが違うので使われる場面も違ってきます。

 「おんぶ」の話から逸れてしまいましたが、「おんぶに抱っこ」で「他人の好意に甘えて、迷惑をも顧みずに頼りきること」を意味します。される側でなく、する側になりたいものですが、人生は帳尻が合うようにできているので、いつかはされる側になる可能性が高いです。人を頼れることも大事ですが、自分でできることを増やす努力はしていきましょう。

ロボット考(後編)

 さて、今日は昨日の続きということで、現実のロボットと今後のロボットについて書きたいと思います。現在、身近なところでロボットというと、SONYのペット型ロボットaibo、ホンダのASIMO、ソフトバンクのPepper、お掃除ロボットのルンバなどが有名ですね。自動車業界を筆頭に工業用ロボットは、日本全国で活躍しています。スバルの工場見学で見た人も多いと思います。今は、調理用ロボットの開発も進んでいて、近い将来、自宅でロボットが料理を作ってくれる日も来そうです。介護用ロボットも開発が進んでいます。介護は体力勝負で腰を痛めやすいので、少ない力で人を移動できるパワースーツの開発が行われていますが、まだ実用化には課題があるようです。家電がしゃべるようになって久しいですが、翻訳機の進化も著しいので世界中に旅しても、人間同士のコミュニケーションだけでなくロボットとの意思疎通もできるようになるのでしょう。ここまでだとロボットの発達でバラ色の未来が広がっているように思われますが、実は大きな問題もあるようです。SF作家アイザック・モシエルによって書かれた「ロボット三原則」というものがあります。それは、

第1条:ロボットは人間に危害を与えてはならない。 ...

第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。 ...

第3条:ロボットは前掲第1条及び第2条に反する恐れがない限り、自己を守らなければならない。というものです。

石ノ森章太郎先生の「人造人間キカイダー」では、機械が自らの意志で善悪を判別し、その場において最善の行動をとる事を可能とする良心回路が組み込まれていました。それが不完全だったためにキカイダーは苦しむわけですが、より人間に近いわけです。ターミネーターなどでは未来の地球で人間とロボットの戦争が描かれています。「ロボット三原則」に則ってロボットが作られていれば、そんなことにはならないはずですが、兵器としてロボットを作るようになれば、原則は無視されるのは、火を見るよりも明らかです。

 現在、自動車の自動運転技術が進んで、テレビで盛んに宣伝されていますが、完全自動運転には重大な障壁があるようです。以前に倫理に関するもので「トロッコ問題」について書きました。暴走トロッコをポイント切り替えで、5人と一人のどちらを助けるかの判断です。これと本質的には一緒ですが、自動運転の車に対向車が迫り、ハンドルを切らねば正面衝突するシチュエーションで、右には幼稚園児、左にはお年寄りがいた場合、判断を機械に委ねられるのかという問題です。もちろん、残酷ですが年齢の若いほうを助けるというふうにプログラミングされているとしても、実際の年齢はわかりませんし、他人か自分の身内かという選択も考えられます。機械に判断を委ねると、機械を作ったメーカーに損害賠償が求められることになってしまうので、最後の判断は人間がしなくてはならないようにセッティングされると考えられます。ですから、車の人工知能から「どちらによけますか?」と聞かれて躊躇しているうちに正面衝突して自分が死ぬということもありえます。ロボットが発達して、人間が肉体労働から解放されて筋力が衰えたため、外骨格となるようなスーツを人類が着ている未来を描いたSFがありましたが、考える、判断するということまで機械に委ねるようになると人間の存在価値はどうなるのでしょうか。「人間は考える葦である」とパスカルは言いましたが、人間が人間であるために、どんなにロボットが日常生活に入ってこようとも、自分で考える力というのを培う努力を怠ってはいけないと思います。皆さんも、本校での生活中はもちろん、卒業後も「思考・判断・表現力」を磨き続ける努力をしてください。

ロボット考(前編)

 今日は、先日見たユーチューブのロボット解説が非常にマニアックながらも面白く、考えさせられる内容でしたので、ロボットについて書きたいと思います。私もロボットものは好きなので、あまり長くならないように注意します。まず、ロボットの定義を調べたのですが、明確にはわかりませんでした。語源はチェコスロバキアの戯曲にあります。日本で実写やアニメで有名なロボットと言えば、「鉄腕アトム」「ドラえもん」「ジャイアントロボ」「マジンガーZ」「ゲッターロボ」「機動戦士ガンダム」などです。この中では、「鉄腕アトム」が人工知能と原子力エネルギーで動き、非常に人間に近いため、異質です。「ドラえもん」も自分の意思で動いているので同じです。他のロボットは人間が操縦するものです。「ジャイアントロボ」は腕時計型の命令装置で、操縦します。似たものに「鉄人28号」がありますが、こちらは操縦桿が3本ついた装置で操縦します。(これだけでどうやって複雑な動きができるかは不明です)「マジンガーZ」「ゲッターロボ」「機動戦士ガンダム」は人間がロボットに乗り込んで操縦します。「マジンガーZ」は、パイルダーという操縦機が頭に合体することで操縦できるようになります。「ゲッターロボ」は3台のパーツが合体することで3種類のロボットに変形し、3人で協力して操縦します。「機動戦士ガンダム」は、身体の内部で操縦します。(これらの巨大ロボットは、実際には、操縦するとロボットの上下動が大きすぎて酔ってしまって操縦不能と考えられていますが、何か対策を立てているのでしょう。)ガンダムとエヴァンゲリオンが、ロボットかどうかは賛否が分かれるようですが、人造人間(アンドロイド)は基本的に機械100%なのでロボットであり、生体部品を使っていてもロボットみたいですね。改造人間(サイボーグ)は、ヒトの身体の一部を機械や別のパーツに置き換えたモノで、基本的には人間として分類されるようです。仮面ライダーやサイボーグ009は、人間に分類されるのですね。ロボットは、二つに大きく分けられると思います。一つは、自分の意思をもち、人間のように経験を積み進化していくもの、もう一つは学習能力はあるが、基本的には人間が命令や操縦をしないと動かないものです。短くしようとしたのに、まだ本題に入れません。現実のロボットと問題点については、明日のブログに書きます。

勝負の日まで伸びる!

 今日は、第2回学校評議員会が午後にありました。学校評価制度に基づき、保護者代表、地域代表、地域の中学校長、同窓生代表、大学等有識者代表の5名の学校評議員の方々に学校の教育活動について知っていただき、改善意見等をいただくものです。コロナ以後は、なかなか学校行事を実際に見ていただく機会がなく、書類上での評価になってしまい残念に思っています。昨年6月の第1回目では、本校の教育活動についての説明と施設見学・授業参観をしていただきました。今回は、本校の取組の成果と課題について説明した後、質問と御意見、御感想をいただき、生徒会長(男子)と副会長(女子)と懇談していただきました。主体的に取り組むことの大切さや、先生と生徒とのコミュニケーションがよくとれていること、男女の格差解消と協働の大切さ、ICTの活用も必要だが、やはり対面授業がよいのでは、などの御意見をいただきました。生徒代表の二人は、大変緊張している様子でしたが、質問に一生懸命答えていました。「小中学校や他の高校と比較して、本校の自慢は何ですか?」と問われて、二人とも「男女の仲の良さ」と答え、同窓生代表の方も昔から男女の仲はよかったとおっしゃっていました。また、「高校生になって以前と変わったことはありますか?」という質問には「忙しくなって家族と過ごす時間が減りました」と二人とも答えると、「勉強をがんばっていて素晴らしいですね」とお褒めの言葉をいただきました。校則やみらい学に関する質問にも、しっかり答えていました。お二人ともお疲れさまでした。ありがとうございました。

 同窓生代表の方から、お子さんが先生に「現役は共通テストまで伸びるから頑張れ」と言われて頑張ったことや、大学見学に友達から誘われて研究室に行き、それが志望学部を決めるきっかけになったことなどの話を伺いました。在校生の皆さん、憧れでもいいので、ぜひ早めに大学見学に行ってモチベーションを高めてください。それと、現役生は、特に夏前まで部活を頑張っていた生徒は、後期試験まで伸びますから、最後まで気持ちを切らさず頑張ってください。国枝さんのように、鏡の前で言いましょう。「俺(私)は、勝負の日まで伸びる!」

脱サイレントマジョリティー

 今日は、5時間目相当の時間に3年次生の進路決定者を対象として、群馬県議会主催の事業が行われました。それは、若者の政治への関心を高めるため、議員が高校等を訪問し、生徒と意見交換する事業「GACHi(ガチ)高校生×(かける)県議会議員~政治を知らなきゃソンをする!~」です。GACHiは、群馬県議会アクティブ・シチズンシップ・ハイスクールの略だそうですが、ガチンコ(真剣勝負)とかけてあるのは言うまでもありません。亀山貴史議員と井田泰彦議員にお越しいただき、基本的な政治・選挙に関する説明とクイズ、質疑応答をしていただきました。お二人の議員は同じ高校のクラスメイトでまだお若く、わかりやすい説明と掛け合いで、和やかな雰囲気で勉強させていただきました。質疑応答では、6人の生徒が7つの質問をし、丁寧に答えていただきました。なかなか、その場で県議会議員に質問し議論まで行くのはハードルが高いですが、若者が現在の社会に対して不満、不安に思っていること、安心して暮らせる社会にするためにはどんな政策が必要か、みんなそれなりに意見をもっていると思いますので、もっと出してくれればなあと思いました。

 最初の挨拶で、こんな話をしました。多くの生徒は、政治って難しくて堅苦しいものというイメージをもっているかもしれません。昔、大手予備校の小論文模試で、難関大を受験する名門高校の生徒の答案に「政治は、一部の優れた人がやればよい」とあり、採点していた先生を嘆かせたということがありました。日本がおかしな方向に行きそうな感じがした時、ストップをかけられるかどうかは、一人ひとりの有権者にかかっています。今日は、よく話を聞いてしっかり勉強してください。

 日本もしくは世界をおかしな方向に行かせないためには、普段から政治に関心をもち、多面的に物事を捉えるようにし、投票権を行使することで、「ちゃんとみてるぞ」ということを政治家に認識してもらう必要があります。サイレントマジョリティーにならないように、3年次生の皆さん!春にある選挙には、ぜひ行ってくださいね。

寒波襲来!乾燥機発動!

 ここのところ、最強寒波襲来と連日テレビで報道されていますが、皆さんはどんな寒さ対策をしているでしょうか。今は、〇ニクロや〇-クマンなどから昔に比べて優れた防寒グッズがたくさん出ていますので、着ぶくれなくてもよくなりましたね。私は、昨日・今日とアンダータイツを履きました。スラックスがひっぱられて突っ張る感じが嫌いなので、よほど寒くない限り履かないのですが、今回は迷わず履きました。足元が冷えるのでひざ掛けも併用しています。それと、就寝前に布団乾燥機を使って布団を暖めたところ、いつもよりぐっすりと眠れ、寝覚めがよくびっくりしました。こんなことなら、もっと早く使っていればよかったと後悔しています。1月20日のブログで「頭寒足熱」で頑張ってくださいと書きましたが、やはり体のコンディションを整えないと頭が働いてくれず仕事も勉強も能率が上がりません。昔、脳の活動に最適な室温について書きましたが、人間が生身の動物である限り、環境からの影響は避けられませんので、最高のパフォーマンスが発揮できるように身の回りの環境を整えて、受験勉強の追い込みを頑張ってください。ちなみに、タイトルはエヴァンゲリオンの「使徒襲来!初号機発進!」のパロディーです。

カノッサの屈辱

 1077年の1月25日、「カノッサの屈辱」と呼ばれる世界史上の有名な事件がありました。それは教皇グレゴリウス7世に破門されたドイツ皇帝ハインリヒ4世(のちの神聖ローマ皇帝)が、破門を解いてもらうために、北イタリアのカノッサ城の門前で、雪の中、裸足に粗末な修道衣で3日3晩断食と祈りを続け、ようやく許しをもらったという史実です。日本人には、理解しづらいと思いますが、キリスト教世界では、破門されることは社会から抹殺されるに等しいことなのです。ヨーロッパでは、現在でも「強制されて屈服、謝罪すること」という意味の慣用句として「カノッサの屈辱」という言い方があるそうです。「カノッサの屈辱」は、結構記憶に残るものらしく、日本でも同名の教養風バラエティー番組が1990年ころにありました。というわけで、今日は「お詫びの日」だそうです。

 皆さんは、すぐ謝るほうですか。それとも意地を張って謝らないほうですか。「でも」と「だって」が口癖ですか。「日本人は、すぐ謝る」と外国人から言われますが、それは、「和を以て貴しとなす」の精神が聖徳太子の時代から脈々と受け継がれてきているからなのでしょう。外国だと、先に謝ったほうが負けみたいな文化もあるみたいですからね。今の子どもはケンカをしなくなっている、仲直りが難しいとか言われていますが、皆さんはどうですか。ケンカしてかえって仲良くなったという経験はありますか。

 阿部サダヲが謝罪のプロを演じた『謝罪の王様』という映画が2013年にありましたが、こんな映画がヒットするのは日本くらいでしょう。お詫びの手土産として『切腹最中』がヒットしました。これも洒落がわかる相手でないと、怒りに油を注ぐことになると思いますが。お詫びに必要なのは、やはり「真剣さ」と「誠実さ」と「心からの反省」でしょう。それがどれだけ相手に伝わるかに尽きると思います。本校の校訓「誠」は、やはり大事ですね。私も管理職になって、外部の人や保護者、上司など何回お詫びをしたかわかりませんが、お詫びをすることは、成長することと同義だと思います。お詫びと反省はセットですから。反省なしに形だけお詫びして、心の中で舌を出している人は成長しないと思います。理不尽なことに対するお詫びでも、そこから何かしら教訓を得ることはできます。何事も捉え方次第ですね。子どものうちはいいですが、大人になるといくら謝っても改善が見られなければ、相手にされなくなりますから気を付けましょう。

読書感想文て面白い?

 以下は、ネットで偶然見つけた記事です。 あるTwitterユーザーが中学1年生の時に読書感想文に「つまらん」と一言書いて提出したところ、国語が専門の教頭先生から「何がつまらないか箇条書きにして持っておいで」と言われたそうです。箇条書きにしたものを持っていくと、教頭先生はその場で内容をつなげていき、さらに2人で新しい要素を継ぎ足す作業を繰り返したそうです。教頭先生は最終的に完成した400字詰め原稿用紙10枚ほどの作品をもって「これが評論というものなんだよ。よくがんばったね」と一言。これをきっかけに、そのTwitterユーザーは国語が大好きになったそうです。「なんだ!つまらんとは!」と怒られ、残って書かせられたら、きっと国語が嫌いになっていたんでしょうね。

 おそらく、皆さんの中には、作文や読書感想文が苦手な人が少なくないと思います。私は作文は好きでしたが、読書感想文はそれほどでもありませんでした。本音が書けなかったからです。かと言って、作文に過激なことを書いていたわけではありませんが。ですから、「つまらん」と書ける前述のTwitterユーザーさんは、うらやましいですね。優等生だと、先生に忖度して先生が評価してくれそうなことを無難に書いておくかと、子どもらしからぬことを考えてしまうかもしれません。「ストーリーのここが不自然だ」「私ならこう書く、なぜなら〇〇だから」と、理路整然と書けるなら、相当読解力と表現力があると言えるでしょう。また、作者が意図していない登場人物の心理について書けるなら、それもまたすごいことです。

 文章は、素直に読むことも批判的に読むことも、どちらも大切だと思います。でないと、すぐに騙されますからね。読書感想文は物語を読んで書くことが多いと思いますが、登場人物にどれだけ感情移入できるか、はたまたできないか、自分の人生観や価値観と照らし合わせながら読みます。そして、それで自分の人生観や価値観が変わることもあります。物語でなくても、結局は著者の考えを読むことになるので、それに対して自問自答を繰り返すことになります。教科書一つとっても漫然と読むのではなく、わからないところや疑問をもったところをチェックしながら頭をフル回転させて読むことで、得られることも段違いに多くなることでしょう。これこそ、アクティブラーニングですね。人の話を聞く時に、聞き終わったら3つ質問をしてもらいますと言われたら、ボーッとせずに頭を回転させて話を聞くでしょう。子どもに、説明の後に友達に教えてもらいますと言ったほうが、テストをしますよりも真剣に授業を聞いたそうです。インプットとアウトプットは、思考・判断・表現という車の両輪です。主体的にインプットすれば、いいアウトプットに繋がります。アウトプットをすることで、何が足りていないかが自覚でき、いいインプットができるようになります。

 読書感想文の話から、結局何が言いたいのということになりますが、読むことと書くことは、考えて繰り返すことで相乗効果がありますから、どちらかに偏らずにやってくださいねということです。読解力が特に重視されるようになった昨今の入試状況を考えると、国語の力が全ての教科に影響を与えるようになってきていますので、ぜひ面倒くさがらずに考えて読んで書く活動を地道に続けてください。

希望や目標は、声に出そう!

 車いすテニスで世界王者の国枝慎吾選手(38)が、引退を表明したニュースを見ました。もしかしたら引退するんじゃないかなと思っていたので、それほど驚きはしませんでしたが、残念には思いました。 国際テニス連盟(ITF)も、国枝選手の驚異的キャリアを紹介して“真の特別な王者”と称賛しています。彼の主な成績は、『582週間』世界ランキング1位。『50回』の4大大会タイトル獲得。(シングルス28回、ダブルス22回)。ITFワールドチャンピオン『10回』。 パラリンピックでシングルス『22勝』。『5大会連続』でパラリンピックでメダルを獲得した唯一の選手です。4大大会とパラリンピック全てで優勝するキャリア・グランドスラムを達成しました。

 国枝さんは、『9歳』の時に脊髄腫瘍を発病し車いす生活になり、11歳から車いすテニスを始めました。そして、2006年から17年間世界1の座を守ったのですから本当にすごいとしか言いようがありません。テニスをやったことがある人なら、彼のプレーを見てどれくらいすごいかはわかることでしょう。彼はコメントの中で、「最後まで世界1位での引退は、カッコつけすぎと言われるかもしれませんが、許してください。」「10回目の年間王者になって、もう十分やりきったという感情が高まり、決意した次第です」と言っています。今が自分のピークだと感じている時点で辞めるか、肉体的精神的に続けられないと思うまで続けるか、プロの選手にとっては悩みどころでしょう。後者の代表は、55歳で現役を続けるサッカーのキングカズこと三浦知良さんですね。テニス界では、若くして世界一となり燃え尽きて引退してしまった選手もいます。国枝さんは、「もう十分やりきった」と言えるくらい長い間第一線で活躍してきたのですから、「お疲れ様、少し休んだら後進の指導をお願いします」と言って今までの活躍を労いたいです。

 彼は、ラケットのスロート部分に「俺は最強だ!」と書いたテープを貼っています。テニスは、コートでは一人で戦わなければならない孤独なスポーツです。長い試合だと5時間以上になります。競った試合になれば弱気になることもあります。そんな時に「俺は最強だ!」と書かれたテープを見て、自分自身を勇気づけているわけです。この言葉は、オーストラリア人メンタルトレーナーのクイン氏から贈られたそうです。2006年1月、当時世界ランキング10位前後だった国枝さんはクイン氏から「“世界一になりたい”ではなく“世界一になる”と毎日言いなさい」と言われ、選手用の食堂で「オレは最強だ!」と叫ぶように促されたそうです。その後は毎日のように、鏡の前で「オレは最強だ!」と言い続け、約9カ月後に世界ランキング1位になったのです。希望や目標は、紙に書いて、見えるところに貼り、声に出して読むことが大事です。ぜひ、皆さんも部活や進路について実行してみてください。

春遠からじ、がんばれ受験生!

 今日は「二十四節気」の一つ、大寒ですね。2月4日は立春で、暦の上ではもう春ですね。冬休み明けから立春のころに各地で一年の最低気温が記録されることが多いそうです。2021年(令和3年)11月時点で、「日本最低気温の日」は1月25日となっています。1902年のこの日、北海道旭川市でマイナス41.0℃を記録したそうです。私が、自然の中で体験した最低気温は、マイナス18℃でした。上越国際スキー場の一番上で吹雪いていた中で、スキーウェアの外に付けるスキー用の腕時計が表示しました。本当に寒かったです。修学旅行の引率で北海道に行った時に、確か旭川の施設でマイナス20℃を体験しましたが、マイナス41.0℃は想像できませんね。                                                                      

 昔、1977年に公開された「八甲田山」という映画をテレビで見ましたが、兵隊が寒さで発狂してしまうシーンを今でも覚えています。この映画は、青森の連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、210名中199名が死亡した事件を題材に作られました。「天は我々を見放した」は流行語になり、配給収入で1977年の日本映画第1位を記録しました。皆さんは、寒さで発狂するって想像できますか。

 私が小学生のころは、用水路の水が凍って上に乗って遊べましたが、今は氷が張っているのもほとんど見られません。霜柱も見られません。サクサク踏んで登校しましたが、今の子どもは見たことがないかもしれませんね。その反面、夏の気温は30℃くらいしかなかったのが、今や40℃になる日もでてきたわけですから、地球温暖化と言われて納得するしかありません。

 我々人間は、あるがままの自然を受け入れるしかないのかもしれません。人間の今までの行為に対するブーメランとして。しかし、海水面の上昇で国土が消失する危機に直面している国は、そんな悠長なことも言っていられません。人間の叡智をもって、各国の利害を打破できるかが、今後の地球環境を守れるかどうかのカギです。現在、環境にいいと思われているもの、ソーラー発電、電気自動車、風力発電にも色々な問題点があります。テレビや新聞等を妄信せず、多様なところから情報を収集して判断するようにしましょう。

それでは、受験生の皆さん、寒さに負けず、頭寒足熱で頑張ってください。

長い人生、そんなに急いで何を見る?

 以前に、動画を1.5倍速で見る若者のことを書きました。私も必要に応じて1.5倍速で動画を見ていますが、映画や音楽作品は、通常速度で見ます。映像作品を倍速で鑑賞する若者は多いのだそうですが、それは、効率を求めているわけではなく、「結論がでていない状態が長く続くのが耐えられない」からだと考える専門家もいます。すぐに答えが出てくる環境で育っているため「自分にとっておもしろい作品かどうか」という答えに1秒でも早くたどり着きたいのだそうです。これが本当なら、悲しいですね。じっくり考えることや味わうことが苦痛だとすると、考える喜びというのは感じられないということですから。数学の問題で、すぐ答えを見たがるのも同じ心情からでしょう。

 コロナのせいで(おかげで?)、学校や職場の環境は大きく変わりました。学校では、一人1台情報端末の普及が一気に進み、職場では在宅勤務が余儀なくされ、オンライン会議が行われるようになりました。リアル対面が基本であった学習に、オンデマンド(非同期遠隔)、オンライン(同期遠隔)といった方式が加わり、学習方法は多様化しました。内外教育の記事によれば、学習方式に関する近畿大学の令和4年の調査によると、前期授業では、78.7%の学生がオンデマンドを希望しており、48.5%が1.25倍速や1.5倍速で受講しているが、速度の違いと成績には相関が見られないそうです。今回の大学設置規準改正で遠隔授業修得単位数の上限の緩和が可能になったことでオンデマンド化は更に進むのだろうかと疑問をなげかけています。

 皆さんは、教室で友達と一緒に授業を受けたいですか。それとも、自宅でパソコン画面で受けるほうがいいですか。学校は単に知識を身に付ける場所ではなく、バランスよく体力や技能、社会性を身に付ける場でもあります。あたかもそこに本当に人が存在するかのようなホログラム技術が発明されれば、それで代替できることも増えるでしょうが、実用化にはまだ時間がかかることと思います。オンデマンドやオンラインでできる仕事は、全体の仕事から見れば少数派です。生身の人間同士の関わりは、まだまだなくならないはずですので、大事にしていきましょう。

 ちなみにタイトルは、1973年の交通標語「狭いニッポン、そんなに急いでどこへ行く」のパロディーです。

GUNMAリベンジャーズ

 累計部数7000万部の『東京卍リベンジャーズ』完結コミックス31巻が発売され、地域限定で7種類の新聞広告が掲載されたというニュースを今朝見ました。キャチコピーが「その手で、運命をひっくり返せ!」でした。 最愛の人を救うため、ダメフリーター・花垣タケミチが中学時代に戻り、関東最凶不良集団の頂点を目指す姿を描いたタイムリープ・サスペンスだそうです。本校の生徒で読んだ人は、どれくらいいるでしょうか。
 私は、売れている漫画のタイトルは情報として知ってはいますが、多すぎて全部読めるわけではありませんので,食指(読指?)が動かないと手にとりません。いわゆる不良が主人公の漫画は、今までたくさん読んできましたが、歳をとったせいか、エネルギーがなくなっているせいか、今はあまり読みたいという気が起こりません。現実的でなく、突き抜けているほうが漫画としては面白いので、不良ものも「こんなのありえねーだろ!」くらいのほうが売れると思います。私の中で、最も記憶に残っているのは、『疾風伝説 特攻の拓』という1991年から1997年まで、『週刊少年マガジン』で連載されていた暴走族の少年少女を描いた漫画です。不良ものは、どちらかといえば最初から強い主人公ではなく、気弱な少年が成長していくストーリーが多いですね。そのほうが、意外性があって多くの普通の読者に支持されるのでしょう。ただ、現実には、私の身近な人が3人バイクで命を落としています。高1の時に私の友達はノーヘルでうちの近くで、私の初任校では教え子が2人、亡くなっています。ですから、危険な行為はフィクションで楽しむに留めて、現実にはやってほしくないですね。

 群馬県は、1万人当たりの事故件数で高校生の自転車事故の割合が全国ワースト1位です。高校生は調査が始まった14年から9年連続という不名誉な記録を更新しています。今、命を守るために自転車においてもヘルメットの着用が推奨されていますが、なかなか着用率は高まりません。着用率が高いところでも、校外へ出ると脱いでしまう生徒が少なくないという話も聞きます。事故は「自分だけは大丈夫」という根拠のない自信は通用しません。今は昔と違ってカッコいいヘルメットがたくさんあるので、ぜひ自転車通学の人はヘルメットを着用してください。不良漫画から始まった話の落ちが、「ヘルメットを着用しよう?」と非難しないでくださいね。校長からのお願いでした。

ボランティアとおむすび

 今日は、防災とボランティアの日です。1995年1月17日(火)に発生した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)から今日で28年が経ちました。震災の際、学生を中心とした多くのボランティアが活躍したことから、1995年は日本の「ボランティア元年」とも呼ばれています。東日本大震災など、自然災害が起こると全国からボランティアが被災地に集まるようになりました。ただ、コロナの蔓延によって活動が制限されるようになってしまいました。特定非営利活動促進法(NPO法)が成立して今年3月で25年になりますが、震災を機に設立されたNPO法人の半数超が、活動資金の不足や、新たな人材確保が困難、世代交代が進まないなどの課題を抱えています。景気の悪化や高齢化、コロナ禍の継続などボランティア活動を阻害する要因が立ち塞がっていますが、特別なことではなく、自分に無理なくできることをやれればいいのではないかと思います。大変な時に、日本人は落ち着いて助け合える民族性があるようですので。

 さて、阪神・淡路大震災で、被災地に「おむすび」が届けられた温かい心の象徴として今日は「おむすびの日」でもあります。ごはんの「おむすび」だけでなく、人と人との心を結ぶ「おむすび」の意味があります。また、6月18日は「おにぎりの日」です。弥生時代の遺跡から「日本最古のおにぎり」の化石が発見された日だそうです。「おにぎり」と「おむすび」の違いについては諸説あり、明確な違いというのは難しいようです。2013年の調査によると、日本全国で「おにぎり」と呼ぶ人が89%、「おむすび」が10%で、現在では多くの人が「おにぎり」と呼ぶ傾向にあるそうです。皆さんはどちらですか?私は、個人的には「おむすび」の語感のほうが好きです。昔話の「おむすびころりん」は、「おにぎりころりん」だと、しっくりきませんね。おむすびは遠足、おにぎりは運動会のイメージです。おむすびは優しいイメージ、おにぎりは力がでるイメージです。ひと昔前には家庭で作るのが当たり前だったおにぎりは、コンビニやスーパーなどで買うのが珍しくなくなっています。時代は変わったなあと思いますが、生徒の皆さんには、わからないでしょうね。おむすびは、日本人のソウルフードだと思います。パンや麺類もいいですが、お米もたくさん食べて、日本の伝統的食文化を守っていきましょう。

どうする出願、どうする進路

 2日間の大学入学共通テストが、終わりました。今日は、自己採点日です。正確に採点して、出願してほしいと思います。昔、模試の自己採点で30点以上違っている生徒がいて、ちゃんとマークしたのかと聞いたことがありました。自己採点が間違っていると、少ないほうに間違えたならともかく、多く間違えたら悲惨なことになってしまいます。皆さん、2日間落ち着いて試験を受けられたでしょうか。しっかり問題用紙の解答番号に自分の解答の〇をつけてきたでしょうか。自己採点し、業者から分析結果が返ってきたら、あとはもう結果を真摯に受け止めて、腹を据えて試験日まで勉強するしかありません。予想以上によくできた人は、舞い上がることなく、油断せずに着実に優先順位をつけて、残された時間を勉強してください。逆だった人は、1分1秒を惜しんで気持ちを切り替えて、自分を信じて最後まで頑張りましょう。サッカーワールドカップでの「三苫の1mm」じゃありませんが、試合終了のホイッスルまで、絶対入ってやるという気持ちで勉強してください。「合格~合格~」と強く念じて応援しています。それと、今日1,2年次生の皆さんは共通テストチャレンジをやりましたね。2年次生は1年後に勝負だということを自覚したと思います。「先んずれば人を制す」です。少しずつでいいので1日でも早く受験勉強を始めましょう。進路先決定で悩みながらでも勉強はできますよ。

決戦の前日金曜日(ドリカム?)

 明日、明後日と大学入試の一般受験の第一関門である大学入学共通テストが、実施されます。1979年に大学共通第1次学力試験が始まり、1990年からの大学入試センター試験、そして2021年度から現在の大学入学共通テストとなりました。私の年代は共通1次と呼ばれ、5教科7科目で1000点満点でした。今までになかったマークシート方式の試験でしたが、国立大学の受験機会が2回から1回になり、「ちゃんと学力が測れるのか」「2次試験もあり受験地獄をかえって悪化させている」「大学の序列化を不当に招いている」などの批判を各方面から受けました。全国の国立大学の序列化と、私立大学が3科目入試であったことから、負担を嫌った受験生が私大に流れ、私大の難化現象を招きました。そして、紆余曲折がありましたが、今日まで続いています。

 解説はこれくらいにして、前日となる今日の4時間目に3年次生への激励会が行われました。3年1組からリモートで各クラスへ、年次主任・各担任の先生方の激励の言葉が届けられました。私は2003年度の3年1組の担任でしたので、感慨深いものがありました。コロナ以前は、格技場に集まって激励会をやっていましたので、寂しい気がしましたが仕方がないですね。また、受験会場で3年の先生方がのぼり旗を立てて、教え子に「頑張ってこい!」と励ましていた風景も見られなくなりました。今日の激励会では、「深呼吸」と「ツキと運」の話をしました。私は、数学で頭の中が真っ白になり大失敗した経験から、とにかく落ち着いて普段通りの力を発揮するために「深呼吸」を忘れずにと助言しました。また、「勝利へのツキと運を呼ぶのは、日頃の地道な練習の積み重ねだ」という、マンガの中の野球部の監督の言葉を紹介し、「人事を尽くして天命を待つと言いますが、日頃から、地道に勉強を積み重ねてきた皆さんには、運が味方してくれるでしょう。頑張ってください」と締めました。大学受験は、競争試験ですので一見他の受験生が敵に見えますが、「最も手ごわい敵は、自分自身である」という言葉もあるとおり、自分に勝つという意識で臨めば、周りの受験生は目に入らなくなると思います。それにしても、明日は雪にならなくてよかったです。3年次生の健闘を祈って今夜は写経をします。(笑)

新教科「情報」の大切さ

 今日は、5時間目に1年4組の情報の授業にお邪魔して、生徒が作成したアプリケーションの発表を見てきました。全員がお互いに見合って、デザインとアルゴリズムの2部門で、最もよいと思った作品に投票しました。すぐに投票結果が集計され、最優秀賞者が発表され、拍手で讃えられていました。それぞれが、思い思いのキャラクターや背景をデザインし、キーボードや画面上のコマンドで動くようにプログラミングできていました。クラスメイトの作品から自分とは違うよさに気付くことも多く、よい学び合いになったと思います。楽しく授業での活動に取り組めることが、学習効果をあげることに繋がりますので、生徒にどんな学習活動をさせれば、学習内容がよりよく身につくのかについて、先生方は腐心しているわけです。2025年の大学入学共通テストから、国立大入試では原則として新教科「情報」を課すと正式に決められました。今の1年次生から受験科目になるわけですが、コロナで一気に1人1台端末が進み、情報処理能力があらゆるところで重視される世の中になっていきますので、皆さん、楽しんで情報処理能力をつけていきましょう。

希望の轍

 今日の午後は、前橋で校長会があって出かけてきましたが、その後半に今年度で退職される教育次長の講話がありました。テーマは「学校教育はキャリア教育」です。詳しくは書けませんが、堅苦しい内容にならず大変おもしろく拝聴しました。                                         

 キャリア教育という聞き慣れない教育が学校現場に入ってきたのは、もう20年近く前です。本校では、平成19年度に進路指導部からキャリア教育部に名称を変更し、総合的な学習の時間とキャリア教育に関連する学校行事の企画・運営を中心に行ってきました。そして、平成25年度から平成27年度まで文部科学省から研究指定され、各教科・科目等においてもキャリア教育の実践を意識した研究を実施しました。その際命名した研究名が、「EAST(Embark on Adventures and Seek Treasures!)プロジェクト」ですね。本校の生徒なら全員知っていますよね。本校を受験する中学3年生もみんな知っていると思います。

 キャリア教育は、横文字など使わずに生き方教育と言ったほうが私はわかりやすいと思うのですが、「これからの変化の激しい世の中を自分らしく後悔しないで生きていくためには、どんな力をつけたらよいのか」を考え、実践していくのがキャリア教育だと思います。別に新しいことではなく、昔からやっていることだと思いますけどね。「今でしょ!」の林修先生は、「好きなことと、得意なことのどちらを仕事にしますか?」と言ったそうです。MIT(マサチューセッツ工科大学)の名誉教授のエドガー・シャインは、キャリアを歩む上でビジネスマンが必ず直面する3つの問いを、①自分のできることは何か(CAN)、②自分がすべきことは何か(MUST)、③自分がしたいことは何か (WILL)としました。生き方は、一つではありません。死ぬまで生き方に悩み、選択をしていくのが人間だと思います。生徒の皆さんには、そのために必要な認知スキルと非認知スキルを本校の教育活動を通して、バランスよく身に付けられることを願っています。

今日の風を大切に

 昨晩から今日にかけて、風が非常に強かったですね。群馬は、冬になると「からっ風」が吹くことが多いので、登下校、体育の授業、部活動で苦労します。前橋の某高校では、一冬に校庭からダンプカー1台分の土が飛ばされると言われています。そんなわけですから、学校の近隣からは洗濯物が土埃で汚れるので土埃避けのネットを張って欲しいという要望が出て、対処しているところも多いようです。

 私は、高校は片道10㎞を超える通学路を自転車で通っていましたので、この時期の自転車通学の生徒の皆さんの苦労は、よくわかります。強い向かい風で、自転車が進まないのも辛いですが、自転車が横風でふらつくので車が側を通る道路では非常に危険でした。体育は、冬場はラグビーかサッカーでしたので、寒く土埃がひどい中の授業はキツかったですね。そんな「からっ風」の中でも、外の部活動はやっていましたので高校生は元気よかったなあと思います(今もそうですが)。
 台風や季節風の強風は、あまり有難くないですが、風が吹かないとどんな不都合があるでしょうか?昔なら、帆船が動かなくて世界の歴史は変わっていたでしょうね。風力発電もできません。凧をあげることもできません。フランクリンが、凧を使って雷が電気であることを証明した実験もできませんでしたね。それよりも、全然風が吹かない世界というのを、皆さんは想像できますか。川や水田の上を吹き渡る風が、涼しさを運んでくれることもありません。汗をかいた体から、風が気化熱を奪ってくれて涼しくなることもありません。世界の自然環境は今とは全く違うものになってしまい、人間は生きられないでしょう。雨が降り、風が吹く原理から考えれば、風が吹かないということは、地球上から水がなくなることを意味しているのでしょうから。「風が吹けば桶屋が儲かる」という因果関係を極端に誇張した言葉がありますが、桶屋は単なる桶屋ではなく棺桶屋を指すという説もあります。群馬県民だとよく実感できると思いますが、強風で砂埃が舞い、目に入って目を悪くする人が増え、目が悪い人は三味線弾きになり、三味線の材料として猫の皮が使われるので、猫が減り、ねずみが増える。ねずみは米など人間の食べ物を食い荒らし、飢饉が起こって死人がたくさん出る。すると棺桶屋が儲かる。これに倣うと、「風が吹かないと、桶屋が儲かる」とも言えるのでしょうか。
 風は、いい意味でも悪い意味でも使われますが、凧が一番高く上がるのは、風に向かっているときですし、ヨットは、向かい風でも前進することができます。スキージャンパーは向かい風を受けて飛距離を伸ばします。逆風は、自分が向きを変えれば追い風になります。逆風に吹かれたら、否定的なエネルギーをも前進する力に変えてみましょう。「明日は明日の風が吹く」「だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう」ですよ。

こころの駒に鞭打とう!

 1年の締めくくりの3学期が今日から始まりました。昨日、群馬県のコロナ感染者数が4000人を超えて過去最悪になりましたが、本校も47人欠席中33人が出席停止で、1年の始めとしては、寂しく残念なスタートとなりました。今日登校できなかった生徒の皆さんの元気な顔が早く見られるよう祈っています。

 今日の始業式の式辞では、よく「1年の計は元旦にあり」とは言うけれども、日本は4月から新しい生活が始まるので実情に合っていないですね、という話から始まって、1月から3月の期間に実現可能な目標と具体的手段を考えて、4月に「やった」という実感をもって桜の花を眺めてくださいと言いました。そして、「最初が肝心」「終わりよければすべてよし」という言葉を取り上げ、落ち着いて物事を進めるためには、十分準備をして余裕をもつことが大切であり、いいスタートができないと、それを挽回するために心も体力も消耗してしまうので、4月までに十分な準備、ウォーミングアップをしてくださいと話しました。また、昨年の自分に満足できていない人は、あと3ヶ月で挽回して「最後はよく頑張った」と自分をほめて、4月を迎えましょうと言いました。すべてがうまくいくなんてことはありませんので、「終わりよければ」ということが、事実としての結果だけでなく、自分の心の持ちようを意味しているということを自覚してほしいです。

 令和4年度も、あと3ヶ月。3年次生はあと27日、1、2年次生もあと42日しか登校日はありません。校歌にあるように、こころの駒に鞭打って、「最初が肝心」「終わりよければすべてよし」の二つを満足させられるように、3学期を皆さんが過ごしてくれることを期待し、皆さんの心と身体が健康であることを願っています。

泣き笑いで送りましょう

 予餞会が終わりました。泣き笑いのある、いい予餞会でした。生徒会の導入から吹奏楽部のクリスマスメドレーに始まって、部活動や2年次生各クラスの映像作品と舞台パフォーマンス、1年次生全員の合唱、3学年団の出し物、PTAからのプレゼントと盛りだくさんで楽しませてもらいました。1,2年次生の感謝と応援のエールを、3年次生もしっかりと受け止めてもらえたと思います。1年次生全員の合唱をビデオで聴いたときは、「あっ、これならマスクをしていれば体育館で校歌を歌っても大丈夫だな」と思いました。1年次生だけでもこれだけ迫力のあるきれいな歌が歌えるなら、全校生徒がそろってしっかり歌えたらどんなに素晴らしい校歌が歌えることだろうと期待に胸がふくらんでしまいました。3年次学年団の出し物は、流石に3年間の付き合いがあるだけに、ドッカンドッカンうけていましたね。私も涙がでるほど笑わせてもらいました。普段見られない先生方の意外な特技や姿が見られ、また、異動した先生方のビデオレターもよかったです。PTAからは、先日、護摩焚きをしていただいた230人分の達磨とお菓子を、各クラス代表者2名に壇上で渡していただき、PTA会長から、心温まる御言葉をいただきました。天気予報どおりには、なかなか気温が上がらず、寒い中での予餞会となりましたが、3年次生の心はポカポカになったと思います。企画・準備・運営に携わってくれた生徒会を中心とする生徒の皆さん、御指導いただいた先生方、PTA本部役員の皆様、本当にありがとうございました。来年の予餞会は、全校生徒がそろってできることを祈願しています。

3年次生へ感謝とエールを

 明日は、いよいよ予餞会ですね。予餞という言葉は普段使わないので、意味を知らない人も多いようです。中学校だと3年生を送る会ということで、三送会としているところも多いようですね。「予餞会」は予め(あらかじめ)、餞(はなむけ)をする会ということで、餞(はなむけ)は、旅立ちや門出を祝って、 詩歌や贈り物をすることです。 それを卒業式の前にあらかじめ行なうことから 予餞会といいます。人と別れる時に贈る金品という意味の餞別という言葉は、就職するとよく使います。「はなむけ」という言葉は、旅立つ人のために道中の無事を祈って、その人の馬の「鼻」を、これから向かう方向に「向け」てやる習慣が語源で、 旅立ちや門出を祝福して金品・詩歌・激励のことばなどを送るという意味になりました。

 私が高校生のころは、歌手を呼ぶことが多かったようですが、他には漫才師や落語家なども呼んでいたようです。今では、1、2年生や先生方による出し物をするところが、ほとんどだと思います。下級生が感謝の意を込めた手作りの予餞会は、温かみがあっていいものです。コロナのせいで中止になっているところも少なくないようですが、ビデオに撮って流したり、リモートで実施したりと、何とか工夫して実施しているところも多いと思います。本校でも、ここ何日か昼休みに参加団体がリハーサルをしていましたが、明日は、どんなパフォーマンスで3年次生を泣き笑いさせてくれるのでしょうか、楽しみです。

朝焼けの光の中に・・・

 今朝は、放射冷却が起こって寒かったですが、朝焼けが大変きれいでした。きれいな朝焼けを見ると、つい「朝焼けの光の中に立つ影は~」というミラーマンの主題歌が頭の中を流れてしまいます。1966年に始まった特撮ヒーローものの先駆けであるウルトラマンは今の世代にも形を変えて引き継がれているので、高校生の皆さんも知っていますよね。ミラーマンは、1971年から始まった特撮ヒーローで、鏡や水面など光を反射する物体に強烈な光とともに飛び込んで変身します。先日、霧の話をしましたが、霧の中から登場するヒーローもいました。水をエネルギー源としており、帽子についたバッジからアンテナが伸び、アンテナから発する霧状の蒸気に包まれながら巨大化し変身を完了するアイアンキングというヒーローです。ウルトラマンは3分しか地球上では戦えませんでしたが、アイアンキングの活動時間はなんとわずか1分でした。このように私が小学生だった当時、特撮変身ヒーロー物はたくさんあって、しのぎを削っている状態でした。その中でも特にユニークだと思ったのが、「超人バロム・1(ワン)」でした。このヒーローは、二人の小学5年生の男の子が合体して変身するのですが、腕をクロスに組んで友情の力で変身するので、ケンカしていると変身できません。面白い設定でしょ?少年ジャンプの連載漫画のスローガン「友情・努力・勝利」を体現するヒーローでした。なんと、原作は「ゴルゴ13」の作者のさいとうたかお先生です。主題歌を歌っていたのは先日亡くなったアニソンの帝王水木一郎さんです。話が脱線してとんでもないところに行ってしまいそうなので、元に戻しますね。朝焼けの話でしたが、夕焼けを歌った歌は、「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」「とんぼのめがね」「人間っていいな」(まんが日本昔ばなしエンディング)など、いくつか思い浮かぶのに、朝焼けを歌った歌は出てこないんですよね。きっと夕焼けのほうが、日本人の感性にあっているから歌にしやすいのでしょう。1日の終わりのもの悲しさ、郷愁が夕焼けの風景にはあります。水木一郎さんには、「マジンガ~Z!」の元気よさから朝焼けが似合います。夕方から夜は、どうしても朝や昼間よりネガティブな気分になりますので、そんな時は、早く寝て早朝に勉強や仕事をしたほうがいいですよ。ポジティブな気持ちでないと、勉強も仕事もはかどりませんから。受験生の皆さん、頑張ってくださいね。

現状認識できてますか?

 先日、以前に紹介した「受験勉強で君は史上最高の自分となる」という本を読んだことを書きました。今日は、その中の言葉から二つ紹介します。一つ目は、

『「現状認識」という精神的にツライ作業の後にこそ、成功が待っている。』です。以前に受験や部活の試合で、孫子の兵法で有名な「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず」が大事ということを書きましたが、現実に向き合うのが怖くて逃げていれば、もしくは意識しないようにしていれば、進歩はありません。今、映画がヒットしているスラムダンクの安西先生が、桜木花道にミドルシュート2万本の特訓をしたときにシュートフォームのビデオを撮って、花道に見せました。自分のフォームにショックを受けている花道に言った言葉が「下手糞の 上級者への 道のりは 己が下手さを 知りて一歩目」です。自分自身を超越した場所から客観的に見ることに加えて、自分自身をコントロールでき、冷静な判断や行動ができる能力をメタ認知能力と言いますが、勉強でも運動でもこれができる人は強いです。「現状認識」できても、どうしたらわからない人のために指導者がいるのですから、大いに指導を仰いでください。

 二つ目は、「好きな本だけ読んでください。好きな本だけ読んでも、一生の間には読みきれません。本には、著者の人生観、その人が人生をかけてつかんだ真実が詰め込まれています。それを数時間で手に入れられる、こんな宝物はそうそうありません。」です。『「超」整理法』という本がベストセラーになった、一橋大学の名誉教授で経済学者の野口悠紀雄さんの言葉で印象に残っているものがあります。それは、「残りの人生で、モーツァルトの曲が全曲聴けないことがわかり愕然とした」です。野口さんは、もうすぐ82歳になられますが、今ではなく、少し昔の言葉です。自分が平均寿命まで生きると仮定して、自由になる時間を計算して出た言葉だったと記憶しています。高校生の皆さんは、若いので、野口先生のようなことは考えたこともないでしょうが、そうした意識をもって生きることは大事かなと思います。「人間一寸先は・・・」ですからね。私は、そう考えると蔵書を全部読み返すのは不可能かなと思います。(漫画のほうが多いですが) 私は映画を1.5倍速では見ませんが、音楽など早送りでは作品を損なうもの以外のユーチューブは1.5倍速で見ます。時間の節約のためですが、それでも買ったのに読めていない本がどんどん増えてしまっているのが現状です。

「時間がないから〇〇できない」と言っている人は、それは本当にしたいことではないのだ。ということを以前にも書きましたが、本当にしたいことなら最優先でスケジュールにいれるはずです。皆さんも、本当にしたいことがあるなら、迷わず一歩を踏み出してください。誰にでも1日24時間あるのは平等ですが、人生の長さは平等ではありません。

Oh!マイ ブッダ!

 今日は、少しガックリきたことがありました。今朝、自宅のプリンタの黒インクがなくなって、ブログ通信の印刷ができなかったので、帰宅する時にケーズデンキで買って帰ったのですが、交換しようとしたら、前に使っていたプリンタのインクだと気付きました。黒が早くなくなることを考慮し、今回は大容量のものを2個買ってきたのでダメージは4倍でした。「あ~っ、バカだ~!何やってんだよ!」と思わず声をあげていました。もう開けてしまっているので返品もできません。「高い授業料を払ったな」と気持ちを切り替えることにしましたが、皆さんには、せっかく払ったお金が無駄になったことはありますか?高いお金を出して買ったもので後悔したことはありますか?すでに持っているものを買ってしまったことはありますか?高い授業料を払ったことがありますか?ミスと失敗の違いについて、ミスは挽回できるもの、失敗は取り返しがつかないもの、と言った人がいましたが、そう考えると失敗なんてほとんどないということになります。ミスを恐れてチャレンジできないという人が、外国人と比べて日本人は多いと言われますが、ミスしても「たいしたことじゃねぇよ」と高笑いし、見事挽回して「おおーっ!」と言われる人になりたいです。そうは言ってもミスしないに越したことはありません。ミスすれば、少なからず人に迷惑をかけることになりますので。徒然草の「高名の木登り」じゃありませんが、慣れによる油断が一番禁物で、「なぜ、こんなミスを?」というミスは、ミスはありえないと高をくくって注意しないことから生じています。(つい最近、笑ってしまうミスがありました) 必要以上にミスを恐れることはありませんが、細心の注意は怠らないようにしたいものです。

入試ってホントに・・・

 今日は「音の日」「姉の日」だそうですが、二日連続で「今日は何の日」に頼るのはやめておきます。ただ、「姉の日」はクリスマスのある風習に関係しているみたいで面白かったです。興味をもった人は調べてみてください。「音の日」に関係するのは、あの偉人ですね。そう、エ〇〇〇です。エノモトじゃありませんよ。最近は、アナログレコードが若い人に人気だそうで、プレーヤーも売れてるそうですね。針を落とすという構造や大きなレコードジャケットが新鮮なのでしょうかね。おっと、つい「今日は何の日」ネタに足を突っ込んでしまったので、抜いて話題を変えましょう。今、以前にブログで取り上げた「受験勉強で君は史上最高の自分になる」という本を買って、読みました。読むのが速い人なら2~3時間で読めると思うので、読むなら1年生のうちに読んでおいたほうがいいですよ。(別に著者から宣伝料はもらっていません) 内容について「そうだ!」と思うか「違う!」と思うかは、人それぞれだと思いますが、自分で自分の進路について深く考えるきっかけにはなるでしょう。内容について疑問に思ったら、何人かの先生に聞いてみてもいいと思います。先日の地区校長会と今日の県の校長会の中の委員会で、前期後期が一本化される令和6年度の高校入試について情報交換がされました。高校入試も大学入試も本質は一緒です。皆さんはどんな方式の入試がいいですか?公平性?総合力?一芸(特色)?日本の入試は世界一公平だと言われているそうですが、それは調査書が参考程度で筆記試験の点がすべてな場合ですね。そこに色々な推薦制度が入ってくると、途端に合格基準が全体として曖昧になってきます。大学は勉強するところだから、テストの点だけで合否を決めてほしいと思いますか?それとも多様な学生がいたほうが学び合いになるから、色々な方式で試験をして違う判定基準で合否を決めたほうがいいと思いますか?今は、昔に比べて非常に入試が複雑になって、同じ大学の学部を何度も受験できるようになった反面、受験料もたくさんかかるようになりました。大学も経営がかかっているので必死ですが、自分が本当に行きたいと思える大学かどうか、よくよく調べて決めましょう。ところで、「入試ってホントに・・・」の「・・・」には、どんな言葉が思い浮かびましたか?

アルバムの日

 12月5日は、フエルアルバムで有名なナカバヤシ株式会社が制定したアルバムの日だそうです。(開き直って、今日は何の日に頼ることにしました)「いつか時間が出来たら」「いつか子どもが大きくなったら」「いつか、いつか…」と後回しにされることなくアルバムづくりをしてもらいたいとの願いを込めて、12月はその年の思い出をアルバムにまとめてほしいとし、その5日(いつか)を記念日としたそうです。今は、デジタル全盛なので、ほとんどは、スマホで撮って保存するだけなのでしょうか。たくさんあると整理が大変ですよね。みんなで写真を見るときも、TVやプロジェクターなどに繋いで見ているのかと思います。私は外付けHDDの中に年毎にフォルダを作って写真と動画を保存しています。かなりの量になっていますが、とりあえず整理はできています。ただ、もう何年も印刷した紙のアルバムは作成していません。最後に作成したのが子どもの成人祝いに、20年分の写真を20ページで一冊にまとめたものです。そうしたアルバムを作るキットを利用して、時間はかかりましたが、20年を振り返ることができて感慨深いものがありました。子どものアルバムは、最初は薄かったものが、「フエルアルバム」という名前のとおり、ページを足して厚くなっていきます。紙のアルバムは、すぐ見られるところがいいところで、また、手触りや色褪せで年代を感じることができてデジタルにはない良さがあると思います。ユーミンの作品に「悲しいことがあると 開く皮の表紙」で始まる『卒業写真』という名曲がありますが、皆さんが卒業アルバムを開く時は何を思うのでしょうか。

師歩

 今日から12月、師走です。全く早いもので令和4年もあと1月となりました。これから1週間は寒い日が続くそうなので、受験生の皆さん、体調を崩さないように気を付けてくださいね。さて、師走の師は、諸説ありますが、お坊さんを指すのがやはり一般的でしょう。年末は法会がたくさんあり走って移動しなければならないくらい忙しいからだそうです。現在では、教師の師でも間違ってはいない気がします。昔は、大晦日や元旦から補習をやっている先生もいました。働き方改革を進める現在からは考えられませんけどね。3年生は、追い込みで先生と一緒に走る(歩く?競歩並?)と思いますが、体と頭と心のコンディションを整えることを第一に考えてくださいね。これまでの努力が報われるように。先日、三者面談を控えて志望校検討会議がありました。3年次団の先生方が3年次生の皆さんの進路実現に向けて、どう助言するかについて検討を重ねました。受験を目前に不安な気持ちでいる人も少なくないと思います。ただ、不安を抱えているのは、あなただけではありません。こんな時こそ、仲間と励まし合いましょう。

「成果が出ないときこそ、不安がらずに、恐れずに、迷わずに一歩一歩進めるかどうかが、成長の分岐点であると考えています。」国民栄誉賞を受賞した棋士の羽生善治さんの言葉です。

暖かいって有難い

 寒くなってくると、太陽の有難みをひしひしと感じますね。今日は暖かくなりましたが、明日は、かなり寒くなるそうなので、しっかり防寒対策をしたほうが良さそうです。太陽は生命の源なので、太陽を崇拝している国は世界にたくさんありますが、日本のように国名・国旗とも太陽が入っている国はありません。「お日様」「お天道様」は太陽を敬って言う言葉ですね。「こんにちは」「さようなら」という挨拶にも、太陽が関係しています。もともとは「こんにちは」は、「今日は、お元気ですか」が省略されたもので、「今日」は古くは太陽の意味で、太陽のことを「今日様」と呼ぶ地方はたくさんあるそうです。意味は「あなたは、太陽のエネルギーのおかげで生きている体だということをよく知って太陽さんと一緒に明るく生きていますか」という意味の確認の挨拶だそうです。そして、「はい、元気です」の後の「さようなら」は、「さようなら(ば)、ごきげんよう」が省略されたもので「そのようならば(太陽さんと一緒に元気に生活しているならば)、ご気分がよろしいでしょう」という意味だそうです。太陽がなければ、私たちは生きていられませんので、感謝の念を心の隅に置いて過ごしましょう。

言いにくい日?

 今日11月29日は、いい肉の日ですね。なんてわかりやすいんでしょう。肉を食べてもらうために、飲食業界も色々とサービスを凝らしているようですね。皆さんは、今日どんな肉料理を食べるのでしょぅか。先日、水問題が世界で深刻になっているということを書きましたが、それと密接に関係して小麦やとうもろこしなど飼料問題があります。鶏・豚・牛などを育てるためには、飼料と水が必要です。飼料を作るためには、肥料と水が必要です。1キロの肉や飼料を作るのにどれくらい水が必要かは、以前にブログで書きました。ロシアのウクライナ侵攻によって、コロナや温暖化による被害に追い打ちをかけるようにロシアとウクライナ関連の輸出品の停滞で世界の経済は大打撃を受けています。光熱費や食費が上がっていることは、知っていると思いますが、本当に深刻な状況になるのはこれからだと言われています。日本は、先進国の中でも特に食糧自給率が低いと言われ、日本の食糧に関する安全保障問題は、現代社会や政治経済などで学びましたよね。
 戦後直後(1946)の日本の食料自給率は88%でしたが、高度経済成長期の1965年度に73%の水準を記録して以降、緩やかに下がり始め、2000年度以降は40%前後でほぼ横ばいに推移しています。海外では、カナダ264%、オーストラリア224%、アメリカ130%、フランス127%(2013年度、農水省試算)などとなっており、日本との差は歴然としています。ただ、これらの数字は「カロリーベース」によるもので、主要先進国をはじめとする国際標準の算出方法は、「生産額ベース」です。これに基づけば、日本の食料自給率は66%(2018)です。先述した各国の自給率は生産額ベースでは、カナダは121%、オーストラリア128%、アメリカ92%、フランス83%。、イタリア80%、ドイツとスイスが70%。イギリス58%です(いずれも農水省試算、2009年)。日本の数字は低いですが、カロリーベースに比べたら、かなりましですね。

 昔、「統計でウソをつく法」という本を読んだことがありましたが、数字のトリックは資料の読み取りという形で入試問題でも出ます。わかりやすい例をあげると、ある小学校で好きな料理のアンケートをとったところ寿司とハンバーグが50%で同率でした。「えっ?カレーライスは?」という問題ではありません。この小学校の児童は2人しかいなかったのです。数字やグラフなどで、人々を欺こうとすることは、国家・民間を問わず行われてきました。皆さんも騙されないように気をつけましょう。いい肉の日から、話が勉強みたいな内容になってしまいましたが、肉が食べられることに感謝し、世界の課題について関心をもってくれればと思います。

勝負の難しさ

 Wカップのコスタリカ戦は、まさかの敗北になりました。Wカップに出場しているチームは、どこも油断できないと言ってしまえばそれまでですが、「せっかくドイツに勝ったのに…」と正直落胆した人も多かったと思います。コスタリカが、守りを固めて前半が0-0で終了した時、私は嫌な感じがしていましたが、シュート数と勝敗が大きく食い違う試合となりました。私は「鎌倉殿の13人」をテレビで見ながら、ネットでコスタリカ戦を見ていましたが、1点入れられてから試合終了のホイッスルが鳴るまで複雑な気持ちで見ていました。スペインに0-7で負けたチームの背水の陣の気持ちに対して、ドイツに勝って「勝って兜の緒を締めよ」という気持ちで臨んでいたはずですが、どこかに「絶対勝つ!」ではなく「引き分けでもいいか」という気持ちが潜んでいたのかもしれません。

1次リーグE組は、混戦となり面白くなったとも言えますが、最終的には日本に突破してほしいと思います。ぜひ、次の試合はまた大番狂わせを見せてほしいですね。

 私の友達にC判定の第一志望校に合格して、A判定の第三志望校に落ちてしまった人がいますが、私大と国公立の二次の問題は、それぞれ特色がありますので対策を立てて勉強しなければなりません。自分との相性もあれば、その年の傾向もあります。特に難関校になればなるほど、ちょっとしたミスが明暗を分けます。3年生の皆さん、合格目指して最後まで焦らず、油断せず自分にできることをやりきってください。