日誌

榎本校長のつぶやき

混ぜるな危険!

 昨日は、化学の実験の授業を見て、生徒が楽しそうに集中してやっていたのが印象的でした。ただ、実験は準備と後片付けが大変なので、小・中・高校で昔より減っているのではないかと思います。逆に塾でやっているところもあるようですね。マンガやドラマの中では化学実験中に爆発するなんていうことがありますが、現実にはほとんどありえないですよね。
 そんな化学ですが、身近なところで役に立っていることはすぐにわかります。洗剤や漂白剤や農薬などはその典型例ですね。今、「混ぜるな危険」と書いてあるお風呂用洗剤やカビ取り洗剤などがあるのは、昔、塩素タイプと酸性タイプの洗剤を混ぜてしまい有毒な塩素ガスが発生するという事故があったためです。化学の知識があれば、下手に混ぜたりしないですよね。市販されているものとは別にヘロインや覚醒剤など、人間の体に影響を及ぼす化学物質はたくさんあります。「毒にも薬にもならない」という言葉がありますが、正しい容量なら薬になるが、多量に摂取すれば死に至るものもあります。
 水素と酸素の化学反応で発電し、モーターを回すことで走る仕組みの自動車は「燃料電池自動車(FCV)」と呼ばれていて、二酸化炭素を出しません。水素と酸素の反応を利用して走る水素自動車もそうです。本来なら冷蔵庫の2倍以上の電気を消費する電気自動車より、こちらを国は補助して国策として進めてほしいところろですが、特定のメーカーを利することになるからダメなんでしょうか。
 爆薬のダイナマイトは、ノーベル賞を創設したアルフレッド=ノーベルによって発明されましたが、正しく使えば土木工事に役立ち、間違って使われれば大量殺戮兵器になります。原子爆弾にせよ、生物化学兵器にせよ、化学の進歩は戦争の進歩?も意味しています。
化学だけでなく、科学全般の進歩は、常に軍事と医学の進歩と結びついています。その結果、人間の精神に作用する薬や生物兵器、人類を何回も絶滅させられるだけの核兵器が存在する世界となりました。文理を問わず、考えてほしい問題です。

カッコいい?

 若かりし頃に観た映画『トップガン』と、30年以上経って先日観た『トップガン マーヴェリック』。トム=クルーズは年取っても相変わらずカッコいいなぁと思いました。戦闘機のアクションもすごかったです。ただ、フィクションとして観ている分には娯楽作品ですが、現実だと思えばそうも言っていられません。
 子どもの頃、戦車や戦闘機、戦艦などのプラモデルをよく作りましたが、そうした兵器を「カッコいい!」と思ってしまう自分と、「しょせん人殺しの機械」と思う自分がいます。また、カズレーザーの自衛隊愛がわかる自衛隊のいいPRになっている番組を観て、同じく「カッコいい!」「自衛隊の皆さん、感謝します」と思ってしまいます。

 今回の映画では、敵国のウラン濃縮施設を攻撃するアメリカに正義があるわけですが、『勝てば官軍』という言葉があるとおり、歴史を勉強すると何が正しいのかわからなくなってしまうことがあります。日本が負けた太平洋戦争もその中の一つです。 何で読んだか忘れましたが、外務省では「外国と交渉するときは相手を宇宙人だと思ってやれ」と助言するそうです。 5.15事件で暗殺された犬養首相が海軍青年将校に「話せばわかる」と言い、「問答無用」と撃たれたという有名な話がありますが、 「話せばわかる」のは価値観の同じ人間同士のことだと考えます。例えば「人を殺してもよい」と考えている人間と、「人を殺してはいけない」と考えている人間がわかり合えるのでしょうか。歩み寄れることはあっても、本当にわかり合えるとは思えません。現在のウクライナ紛争で瓦礫と化した町と兵器を毎日ニユースで見ていて、そう思います。
 現在、今のままでは日本を守れないと考え、防衛費を大幅に増額する方向に動いていますが、 憲法9条の解釈から導かれる「自衛のための必要最小限度の戦力」とは、極端なことを言えば、世界一の戦力になります。2位だと1位の国にやられてしまうのですから。お互いを信用できれば、軍縮ができるはずですが、様々な障害があり、その難しさは歴史が証明しています。先日、3年生は笑下村塾の人による主権者教育を受けましたが、投票の前に政治家の政策の是非を判断するためには、歴史を勉強する必要があります。文型理型にかかわらず、歴史をしっかり勉強してもらいたいと思います。

よい授業って?

 1学期中に全ての先生の授業を見せていただく予定ですが、昨日は3人の先生方の授業を見ました。そのうち2人は教育実習生でした。2人とも準備をしっかりして説明と生徒の学習活動を交え、明るく堂々と授業をしていました。生徒のみなさんの授業態度もとてもよかったです。太東の卒業生としてよい先生になってもらえればうれしいですね。
 こんな話を思い出しました。ある学校での2人の教育実習生の話です。1人の実習生は、準備万端で研究授業に臨みましたが、あがってしまって笑顔もなく自信なさげに授業をしてしまいました。もう1人は、準備が十分にできなかったため、開き直って態度だけでも明るく堂々と授業をしようと心がけてやりました。結果、授業後のアンケートで生徒の評価が高かったのは、後者の先生だったのです。いかに態度が、相手の信頼感に影響を与えるかがわかります。
〇「スピーチは三日もたてば、話の90%は忘れてしまう。聞き手が覚えているのはスピーチしている人の態度や迫力、雰囲気などだ。」
〇「僕、バンドをやってるんで、月に一度はライブで歌ってます。ステージにいるとよくわかるんですよ。上手な演奏をしたからといって盛り上がるわけではないことが。お客さんと一緒にライブを作っていく感じにしないと絶対に盛り上がりません。店をやっていても同じです。お客さんを見て、みんなで一体感を出すにはどうすればいいか。そこが大事です。」猪俣剛聡(もつ焼き屋うっちゃん店長)
 授業は、生徒と一緒に作るライブであり、生徒が参加して盛り上がるようにしないとおもしろい授業にはなりません。この場合の盛り上がるとは、お笑いライブのようなことを言っているのではなく、授業内容に興味をもって、学習活動をおもしろく感じて主体的に参加しているかです。
 生徒のみなさんは、よい授業とはどんな授業だと思いますか?「受験に役立つ」という回答以外で。

雨にぬれても

 昨日は、あいにく「雨のマナーアップ運動となりました」。おかげで雨の日の皆さんの登校の様子を知ることができました。PTA会長に「あいさつが、よくできますね」とお褒めの言葉をいただき、うれしく思いました。登校時の西側道路の交通量が思っていたより多く、車での送迎が大変多いことを知りました。また、昨日に限りませんが、雨の中を傘もささずレインコートも着ないで登校する生徒がいることが理解不能です。新国劇「月形半平太 」の中で、主人公が傘を差し掛ける舞妓に言う有名なせりふに「春雨じゃ濡れて行こう」があります。小雨の中を傘なしで歩く時の気どった言葉として使われますが、生徒が傘をささないのは、そんな理由じゃないんでしょうね。
 タイトルの「雨にぬれても」は、映画『明日に向かって撃て』の挿入歌です。作曲者のB. J. トーマスは「雨にぬれても(Raindrops keep fallin’ on my head)」について、こう語っています――「これは実際のところ自由についての歌なんだ。雨の歌ではない。雨は誰にでも降って来る。でもあなたが自由である限り、すべてはOKなんだ」。
 日本は、雨が多く自然災害も多いですが、世界には全く雨が降らないところもあります。日本人は「水と安全」は無料(ただ)と思っていると外国人から言われてきましたが、日本が世界に誇れるところですね。「恵みの雨」「凶作の雨」と人間のとらえ方によって同じ自然現象が180度変わります。
以下に雨について、集めた言葉をいくつか紹介します。みなさんは、どう考えますか?
〇農業者にすれば、想定外も実は想定内。雨が降り続いても彼らは案外明るい。明るくあきらめている。
〇一年を通して晴れの日と雨の日を数えてみれば、晴れの日のほうが多いことに気づくはずだ。オウィディウス(古代ローマの詩人)
〇「雨と晴れは必ずやってくる。大切な事はその両方を幸運だと捉える心構えだ」孫正義
〇雨の運動会で思ったことは、マイナスの出来事によって、みんなが大きな感動をもらえたということ。マイナスだと思っていることは、実は豊かなプラスをもっているんだ。この気持ちをセリフにしてみようとある芝居の中でおばあさんに「悪いことにはきっと、いいことがくっついてくるんだよ」と書きました。山田太一(脚本家) 
〇「雨が降ってうっとうしい。これは何のチャンスでしょう?」困ったことを楽しく盛り上がりながら解決していくのが人生なんです。
〇「雨が降らなければ、虹は出ない」(ノーレイン・ノーレインボー)ハワイの人がよく使う言葉。

ドラマ「水戸黄門」の主題歌にも似たような歌詞がありましたね。「涙の後には虹もで~る」♪

音楽マンガの表現力

 一昨日の音楽の話題を受けて、今日は音楽をテーマとしたマンガについて書きます。大きな字では書けませんが、私はマンガ喫茶並のコミックを所蔵しています。以前はデータベースを作っていましたが、途中でやめてしまったので今は何冊あるか自分でも把握できていません。こんなことを書くと、校長はマンガばっかり読んでるのかと軽蔑されそうなので弁解しておきますが、マンガより普通の本をたくさん読んでいますので誤解なさらぬように。
 私が初めて音楽をテーマにしたマンガを読んだのは高校生の時で、今から40年以上前になります。森脇真末味著『緑茶夢』『おんなのこ物語』はロックバンドの人間模様を描いた作品です。音楽をどのようにマンガで表現するのか、どれだけ聞こえないはずの音楽が、画面から聞こえてくるのか。音楽マンガの醍醐味はここにあると思います。ロックバンドを描いた傑作には、他にハロルド作石著『BECK』がありますね。ピアノをテーマにした作品は多く、新川直司著『四月は君の嘘』や一色まこと著『ピアノの森』さそうあきら著『神童』などがあります。『四月は君の嘘』は泣けます。オーケストラとピアノの合体版が、大ヒットした二ノ宮知子著『のだめカンタービレ』、オーケストラがテーマで高校の部活動を描いたのが阿久井真著『青のオーケストラ』、プロオケの指揮者を描いたのがさそうあきら著『マエストロ』です。読んでいるだけでクラシックの曲や楽器に詳しくなりますよ。
高校の部活動を描いたものに武田綾乃著『響け!ユーフォニアム』(吹奏楽)、アミュー著『この音とまれ』(箏曲部)があります。このほか、ジャズのサックス奏者を描いた細野不二彦著『BLOW UP』、津軽三味線をテーマにした羅川真里茂著『ましろの音』など多彩なマンガがあります。
 日本のマンガは、間違いなく世界一だと思いますが、それは絵のきれいさやキャラクターやストーリーが個性的なことだけでなく、日本独自の表現、つまり心理や感情や音を絵や記号で表しているところです。その進化には目を見張るものがあります。私が紹介したもの以外にも音楽関係のマンガはたくさんあります。ぜひ、興味をもったものを試しに読んで、マンガ表現について考えてみてください。

とこしえに 栄光あれ 一太郎

 みなさんは、ワープロソフトは何を使っていますか?ワード?若い人は、ワードなんでしょうね。先日、ついに日本語ワープロソフトとしてマイクロソフト(以降MS)に対抗してきた一太郎が、教育現場から駆逐されてしまうことになったことを知らされました。(T_T)
 今から30年ほど前、ウィンドウズがOSとして席巻し始めたころ、ワープロと表計算ソフトは、パソコンを購入する時にセットになっていて選択できるようになっているものが多かったのです。一つはワードとエクセル、もう一つは一太郎とロータス123(ワンツースリー)です。ウィンドウズ95が世界標準となり、MSの圧倒的優位さ(抱き合わせ販売問題)から、一太郎とロータス123は駆逐されていきました。私も仕方なくロータス123 からエクセルに乗り換えました。しかし、一太郎からワードに乗り換えようとした時、その使い勝手の悪さに閉口し(あくまで個人的感想です)、一太郎を使い続けてきました。幸いにも教育界は、一太郎を排除しなかったので多数派としてやってこれました。ワード文書が増えてきても一太郎で読み込み、自分の土俵で戦ってきましたが、ワードで一太郎文書は読み込めないので、ついに刀折れ矢尽きました。しかし、個人的にレジスタンスは続けます。官公庁ではワードへの移行が進んでいますが、未だに法曹三者(弁護士、検察官、裁判官)の間では、特に愛用者が多いというウワサです。
 みなさんは、日本にはTRONという先進的なOSがあり、教育現場への普及を図った時にアメリカにつぶされたことを知っていますか。「コンピュータ ソフトなければ ただの箱」という川柳があります。ハードウェアが優れていることも大事ですが、ソフトウェアがそれ以上に重要になってきています。小学校にプログラミング教育が導入された背景には、今後のIT人材の不足があります。昨今話題の「GIGAスクール構想」の「GIGA」は「Global and Innovation Gateway for All(全ての児童・生徒のための世界につながる革新的な扉)」という意味ですが、ぜひ、みなさんも頑張ってソフト面で世界と戦えるようになってください。
※今回は、音楽マンガについて書こうと思っていましたが、急遽、一太郎への鎮魂歌として書きました。

「音楽」が「音学」でない理由

 昨日は、太田高校の吹奏楽委員会の第9回定期演奏会に出かけました。本校の吹奏楽部の定期演奏会に賛助出演していただいたことと、今回、本校の吹奏楽部も賛助出演している関係で聴きに行かせてもらいました。本校の定期演奏会で感じたように、やはりライブはいいと改めて実感しました。本校の生徒が合唱に参加しましたが、男性の歌声に女性が加わると世界が広がって気持ちがいいです。歌手の由紀さおりさんは、「合唱は、自分1人で歌っている時とは違い、数百倍もの音に包まれるわけですから、本当に気持ちいいですよ。皆で一緒に歌うというのは、『人を感じること』だと思うんです。」と話されていますが、聴いているほうも同じ気持ちです。
 美術における作品と違って、音楽は演奏された瞬間から消えていく儚さがあります。もちろん、昔と違って現在は録音技術の発達で再現度は高くなっていますが、ライブで聴いた音楽を完璧に再現することは不可能です。そこには、演奏家と聴衆の一体となった空気があるからです。
 私は、音楽の才能はなかったものの、ジャンルを問わず聴くのは好きだし歌うことも好きです。高校生の時、ギターも独学しましたが、楽譜が読めないため苦労しました。だから、楽譜を見て、音楽が頭の中に響く人がうらやましいです。私の高校時代は、美術と音楽は必修でした。私は芸術だけでなく、高校までは幅広く色々な分野のことを勉強したほうがよいと考えています。
 世界大学ランキングで10年連続ナンバーワンになったマサチューセッツ工科大学は、日本で言えば理系の大学ですが、創造的な問題解決法を生み出すために人文科学や芸術、特に音楽を重視しています。同2位、3位のスタンフォード大学やハーバード大学なども似た努力をしています。理系と文系とを分けて専門分野だけを学んでいても、この世界を知ることはできないのです。
 古代ギリシャの哲学者プラトンの言葉に、「音楽は、世界に魂を与え、精神に翼をあたえる。そして想像力に高揚を授け、あらゆるものに生命を授ける。」というものがあります。「mathematics」の語源は、ギリシャ語で「まなぶべきもの」を意味する「マテーマタ」であり、古代ギリシャにおけるマテーマタは、算術(静なる数)、音楽(動なる数)、幾何学(静なる量)、天文学(動なる量)の4つの科目から成っていました。これらは、プラトンがアカデミアにおけるカリキュラムを定める際に哲学的問答を学ぶための準備として、16~17歳までに特に訓練する必要があると考えたものだそうです。
予定より随分長くなってしまいましたが、最後に二つ言葉を紹介します。
〇人間にはもう一種類の食べ物がある。それは魂(精神)の食べ物である。魂の食べ物は、芸術(音楽・美術。書道) のことである。若いうちに一流の人や本物に触れさせることが後の人間形成に大きな影響を与える。
〇漫画から漫画の勉強をするのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。~手塚治虫

えっ?タイトルの答えは?自分で考えてから、調べてみましょう。

笑顔の力

 昨日の体育祭では、若さというものを、これでもかというくらい見せてもらいました。生徒のみなさんの笑顔と元気と一生懸命さに、私が感動して元気をもらいました。太東の各団120人で行う応援合戦を知っている者として、少人数でやる今回はどうなるかなと思っていたら、この短期間でよくあれだけまとめられたなと感心するくらい頑張って楽しませてくれました。審査員をやらせてもらって、ダンスそのものと同じくらい重視したのが、笑顔です。笑顔が多く、見る人に楽しんでもらいたいという気持ちが、より多く心に響いた団に高得点をつけました。笑顔の力を再認識した今回は、笑顔に関する話をいくつか紹介しましょう。

〇「笑」という漢字は、万葉集や古事記の時代には「花が咲く」という意味で使用されていた。だから、笑顔は、その人の心の花が顔に咲いたということ。    

〇怒り顔の人と笑顔の人の写真を用意して、その顔を覚えてもらい、後日同じ人たちの無表情の写真で「この顔を覚えているか」と確認する実験がありました。その結果、実際に覚えているのは、圧倒的に笑顔だった人の顔でした(「笑顔優位性効果」)笑顔でいる人のほうが記憶に残りやすいのです。

〇楽しい感情には、問題解決を容易にしたり、記憶力を高めたり、集中力を高めたりする効果があることが報告されています。笑顔をつくると楽しくなるという逆効果が、私たちの脳にはあります。

〇表情は感情の出力だが、実は入力にもなる。人はうれしいから笑顔になるわけだけど、つられて笑顔になった時には「うれしい時の神経信号」が誘発され、笑顔の時と同じ気持ちになれる。つまり、周囲を笑顔にする人は、自分の表情を周囲に伝染させ、結果、周囲の脳に「やる気と好奇心」を喚起しているのである。当然、その人のチームはいい結果を出す。

〇小出義雄監督は、Qちゃんにこう指導していました。「お前さんの仕事は、世界中の人に、マラソンは楽しいって教えることだよ。だから苦しくてもイヤな顔しちゃだめだよ。ゴールしたあと、下を向いちゃいけないよ」「その笑顔を、世界中の子どもたちが見るんだぞ。その爽やかさがマラソンの人口を増やすんだぞ」シドニーオリンピックで高橋尚子選手が金メダルを獲得したときのコメント「楽しい42キロでした」が、マラソンに対する日本人の意識を変えたのです。

感動が大きいほど…

 いよいよ、体育祭当日となりました。天気予報だと、昼間はなんとか雨は降らなそうです。みなさん、準備は万端ですか?昨日遅くまで応援合戦の練習をしている人もいましたね。コロナのせいで2年間、すべての面で学校での活動が制限されてきましたが、ようやく元の生活に戻る兆しも見えてきました。平和な戦いができることに感謝しつつ、みんなで盛り上がりましょう。
 体育祭や球技大会、文化祭や修学旅行といった学校行事での感動が大きいほど、受験への切り替えもうまく行きます。みんなで頑張る、楽しむといった体験は、受験の団体戦で必ずや力になります。思考力・判断力・表現力や学びに向かう力は、特定の教科・科目だけで育まれるものではありません。学校行事や部活動なども含めた様々な教育活動で分担して、資質・能力を育みます。そんな力を伸ばしていると思いつつ、コロナと怪我にだけは気をつけて(私が一番危ない?)目一杯楽しみましょう!

昨日の自分プラスαの意識

 昨日は、学校評議員会があり、5人の評議員の方々に本校の教育活動についての意見や感想をいただきました。挨拶が話題になったとき、地域の方から「絶対評価で言えば、太東の生徒はよく挨拶ができているのではないか」と評価していただき、大変うれしく思いました。ただ、「人というのは、自分のことは自分ではなかなかわかりません。 本来、自分らしさとは他者と比較して初めてわかることです。」という言葉があるとおり、社会で生きる限り、人は相対評価から逃れられません。SMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットしたのも、オンリーワンで絶対評価を肯定し、人が社会で常に他人と比較され続けることに対する否定を歌ったことが心地よかったからでしょう。
「努力すれば必ず勝てるのは、昨日の自分である」という言葉がありますが、昨日の自分よりよい挨拶ができるように努力してほしいと思います。挨拶で大事なのは、表情です。これについてジャネット・レーンという方の言葉を紹介します。「あなたが身に付けているもののうちであなたの表情ほど重要なものはない。次の機会に飾り窓やカウンターの向こうの鏡に映る自分を見たら、帽子の曲がり具合を気にする代わりに、その下にある表情をよく見てごらんなさい。そしてその陰鬱な表情をもっと魅力的にするために時間を割くのは、意義のあることだと決心しなさい。」

表情とは、心の中の感情が顔など外部、つまり表にその人の情報として現れたものです。これは声と顔と体の3つに現れます。
これから、ほんの少し、声と顔と体の表情を意識してみましょう。(昔、自分の欠点を指摘されて自覚して以来、私が自分に言い聞かせていることです)