日誌

榎本校長のつぶやき

後生畏るべし

 先日、将棋で藤井聡太さんが前人未到の8冠を達成しました。彼は14歳2ヶ月でプロ棋士になり最年少記録を樹立してから、数々の最年少記録を打ち立ててきました。これがどれだけすごいことなのかは、数字の上ではわかっても、将棋の内容からはほとんどの人はわからないと思います。将棋を知れば知るほど、彼のすごさはわかるものなのでしょう。私の実家には足付きの将棋盤があり、小学生の時に父親にルールを教わってやるようになりました。最後に将棋を指したのは、小学校6年生だったと記憶しています。将棋を勉強していたわけではなく遊びで差していたので、残念ながら本当の意味で藤井さんのすごさは理解できません。藤井さんのエピソードに、「AIが22億手読んで発見できる最善手を36分で指した。」というのがあります。人間は、脳全体のうちわずか2%しか使っていないといわれていますが、彼は何%使えているのでしょうね。将棋の神様にお願いするなら?と聞かれた藤井さんは「せっかく神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい」と回答しました。「神の一手」を追求することが囲碁の漫画で描かれていましたが、勝負事のどんな分野でも極めた人なら神様と戦いたいと思うのは、自然なことなのでしょう。(ドラゴンボールの悟空のように) この先にどんな目標が?と聞かれて、連覇を目標とするのではなく、「面白い将棋を指すのが一番の目標」という回答は印象的でした。イチローの「人に勝つという価値観では野球をやっていない。もっと野球がうまくなりたい」という言葉と相通ずるものがありますね。この場合の「面白い将棋」とは今までにない戦法による将棋だと思いますが、スポーツでも新しい戦術が考え出され、それを破る戦術が考えられということが繰り返されて、ゲームがどんどん高度になっていき、面白くなっていきます。7冠となった羽生さんの時には、彼の記録が破られることはないだろうと言われたようですが、「後生畏るべし」という言葉のとおり、藤井さんの記録も破られる時がくると思います。本校の生徒会誌や同窓会名、文化祭名で使われている青藍は、生徒が先生を(後輩が先輩をでもいいですね)越えていってほしいという願いが込められています。皆さんも、ぜひ頑張って越えていってください。

憎しみの連鎖は断てるか?

 昨年の10月12日は、コロンブス・デーについて書きました。歴史的事実とそれに対する評価は異なるもので、歴史が勝者によって記され、敗者の歴史は抹殺されることも珍しくはありません。日本のマスコミは、取るに足らない事件を報道し、世界で起こっている重要なニュースを報道しない(無視する?)傾向があります。ですから、テレビしか見ていなければネットで取り上げられているようなニュースは知りようもありません。日本人が海外のニュースにあまり関心を示さないことや営利企業であるマスコミの方針であるのかもしれませんが、世界の国々は昔に比べてはるかに情報や物流網で相互に大きな影響を与え合っており、他国と付き合っていく上で、国際情勢についてよく知っておくことは不可欠です。さすがに今回のイスラエルとパレスチナの紛争については、早くから報道されていますが、なぜ、こんな事態になってしまったのかについては、ほとんど解説されていません。そのうち特集番組がNHKあたりで組まれるかもしれませんが、皆さんは世界史で勉強しているはずなので、説明できますか。私は試しにChatGPTに「イスラエルとパレスチナが、なぜ争っているのかを歴史的背景と経緯を高校生にわかるように説明してください」と問いましたが、残念ながら満足のいく回答が得られませんでした。

 まず、この問題の根源にあるのが、ユダヤ人が自分たちの王国をローマ帝国に滅ぼされてから2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきたという歴史です。1948年に悲願であったユダヤ人の国家であるイスラエルがパレスチナに建国されましたが、そこは、ユダヤ人にとって旧約聖書で「神が与えた約束の地」と書かれている土地でした。一方で、パレスチナに住んでいたアラブ人であるパレスチナ人は、イスラエルの建国で故郷を追われました。いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区という場所で、今回紛争が起こっているのがガザ地区です。

 イスラエルの建国とアラブとの問題は、第一次世界大戦中のイギリスのいわゆる三枚舌外交にあります。1915年のフセイン・マクマホン協定でアラブ人に独立国家を約束し、1916年にサイクス・ピコ協定で英仏が中東を分割支配することを密約し、1917年にバルフォア宣言で、イギリスがユダヤ人に戦費の調達を依頼しようと考え、「連合国側の味方をすれば、パレスチナの地でのユダヤ人の国の建設を支持する」と約束しました。これらの矛盾した外交により、パレスチナと周辺アラブ諸国は混乱し、1947年に国連でパレスチナ分割決議が採択されてイスラエルが建国された後も、禍根を残し紛争が絶えなかったわけです。第1次から4次までのイスラエルとアラブ諸国との中東戦争の歴史と1993年のパレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)に代表される和平交渉の歴史をここで書く紙幅はありません。興味をもった人は調べてみてください。ユダヤ人がなぜ迫害されてきたのか、ユダヤ人の現在の世界での影響力、エルサレムという場所の特異性など、素朴な疑問はたくさん出てくると思います。そんな時に、すぐ調べる習慣を身に付けてください。それが大きな差になって表れてきます。

 ウクライナとロシアの紛争が続いているように、領土・民族・宗教が紛争の火種となって世界に影響を与える状況は、いつになったら終わるのでしょうか。平和と思われている日本も、近い将来紛争に巻き込まれる日がくるのでしょうか。周辺諸国に対抗するために2023年度予算の防衛費は過去最大の6兆8219億円で2022年度の当初予算と比べて1兆4000億円余り多く、およそ1.3倍と大幅な増額となっており、11年連続の増額だそうです。「教養とは歴史である」と言った方がいましたが、歴史をよく知った上で、日本の世界での身の振り方を決定するために、私たちは選挙で政治家を選ぶ必要があります。政治は一部の頭の良い人に任せておけばいいと考える国民が増えれば、日本がどんな道に進んでも文句は言えません。皆さんは18歳で選挙権をもつようになりましたが、若年人口はただでさえ少ないので、選挙に行かなければ高齢者の考えが政策に反映されがちになってしまいますよ。課題意識をもって、これからも勉強に励み、政治に無関心にならないようにお願いします。

♪明日があるさ♪

 今日から2学期の中間考査が始まりました。定期考査について書くのは、昨年から数えて今回で5回目になります。だんだん書くネタがなくなってくるなぁと感じていますが、視点を変えれば書くことはなんとか出てきます。テストは、計画的に十分準備をして臨む人もいれば、計画は立てたものの一夜漬けになってしまう人もいると思います。その結果、毎度「ちゃんと2週間前から計画的にやっておけばよかった」と後悔することになり、進歩がないなぁと落ち込むわけですが、皆さんはどうですか?昔、坂本九という国民的歌手がいました。「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」などのヒット曲がありますが、「明日があるさ」は歌詞を現代風にアレンジし、ウルフルズがカバーしてヒットしました。テストができなかった時、「明日があるさ」という歌詞には元気付けられるものがあります。私が高校生の時、岸田智史の『重いつばさ』という歌の歌詞に「どうしようもない昨日をもってしまったが、どうにかできる明日が 明日があるさ」というものがあるのですが、定期考査でできなかった時に、よく慰められていた記憶があります。人間の意志の弱さを、実感してしまうのがテスト勉強ですね。今日は、私が収集してきたテストに関する言葉を紹介します。

〇IQや他の共通テストの成績よりも、根性が将来の成績を予測する材料になる。どの分野においても高い目標を成し遂げるには、才能と同じくらい根気と根性が必要になる。→よく受験勉強は忍耐力をテストする意味もあると言われますが、何をするにも根気は必要ですよね。

〇自分が発した言葉は、情動を司る脳の奥の扁桃体という部位に影響を与えます。ポジティブな言葉なら、扁桃体もポジティブに反応して、感情が前向きになりますが、ネガティブな言葉なら、反対に感情が落ち込みます。ある心理学の研究では『緊張する』と話した人は『ワクワクする』と話した人より、テストの成績が10%も悪かったそうです。→言霊おそるべし。

〇テストの点が高いのは参考書を何度も読む人より、問題集を何度も解く人のほうで、出力を磨くほうが脳は成長します。仕入れた情報を人に話して、出力を心がけるのが大切です。→私も受験勉強では、覚えたらすぐに問題集で確認していました。インプットとアウトプットのバランスは大事です。

〇点数の悪いテストを見て「算数が苦手ね」と言うのか、「ここはできたね」と言うのか。それだけの違いで、子どもの自信も次の行動も変わってきます。→できないところをフォーカスされると自己肯定感がどんどん下がっていきますね。

〇テストの点数について、本人の感想を聞いたら「よかったね、うれしかったね」とか「悔しかったね」と共感します。極端な話、それだけでいいのです。本人が成功だとか失敗だとか思っていることに対して共感を示せば、自然に頑張ろうと思うものです。→テストだけでなく、社会に出ても同じですね。

視力回復祈願

 今日10月10日は、昔なら体育の日でしたが、体育の日は「スポーツの日」となり10月の第2月曜日になりました。他にも記念日はたくさんありますが、「10」「10」を横に倒した形が眉と目に見えることから中央盲人福祉協会が1931年に「視力保存デー」として制定し、戦後、厚生省(現:厚生労働省)が「目の愛護デー」に改称しました。スマホやタブレットの普及で小さい子どもも早くから目が悪くなる傾向にあります。皆さんは、1日何時間スマホを見ていますか?自分の視力の低下に危機感は感じませんか?目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりすると危険を察知できなかったり、察知が遅れてしまいます。感覚器官は、人間が生きていく上で非常に大切です。私は大学生までは視力が2.0でしたが(勉強しなかったからというわけではありませんよ)、IT関係の会社に勤務して1年で1.0まで下がりました。1日中パソコンとにらめっこしていたからだと思います。現在は0.5ありませんので、必要に応じて眼鏡をかけています。近眼・老眼・霞目など、よく見えないというのは大きなストレスです。視力回復のために色々努力しましたが、だめでした。皆さん!スマホやパソコン、タブレット等は、見る時間を制限して、目を大切にしましょう。近い未来に目が簡単によくなる技術が開発されるかもしれませんが、いつになるか保証はありませんからね。

 先日読んだ雑誌におもしろいことが書いてありました。今も昔も人間は変わらないと感じられる例えとして、最近は「ユーチューブばかり見ていちゃダメだ」なんて言われるが、家庭にテレビが普及した何十年か前は1億総白痴論といって、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう。だから、テレビばかり見ていちゃダメだ」と言われていました。もっと遡ると、活版印刷の発明によって大量に本が生み出されるようになったのを見て、ドイツの哲学者ショーペンハウエルが「本なんか読んじゃだめだ」「こんなのずっと見ていたら自分が思考しなくなる」と言っていたそうです。「え~っ?何それ!」ですよね。「漫画ばかり読んでいたらバカになる。本を読みなさい。」と子どもの頃に散々言われたのは何だったの?って感じです。人類は得られる情報量が急激に増える情報爆発を何度か経験してきました。本・新聞→ラジオ→テレビ→パソコン・スマホとメディアの変遷はありますが、AIが幅を利かすビッグデータの時代では、自分の頭を使って情報を得ているか、得た情報について自分で考えて判断しているかによって影響は異なってくると思います。人間の五感による知覚の割合は、視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚は1%といわれています。人間が受け取る情報のうち、8割は視覚からの情報です。ということは、目を最も大切にしないといけないということですね。今日は「目の愛護デー」です。皆さん、目をいたわりましょう。

 

生成AIに「問う!」

 先日、群馬県教育委員会より「学校における生成AIの利用に関する解説動画」視聴のお願いを皆さんにしました。見てもらえましたか?今までに何度か生成AIについて取り上げましたが、既に高校でも生成AIを使った授業が行われていたり、レポートや探究課題に生成AIを利用していたりと、よい面もあれば悪い面もあります。AIが作成した文章かどうかを判別するアプリも出ていますが、まだ信用できるレベルまではいっていないようです。Appliv という企業が10〜20代の男女533人に対し、夏休みの宿題における生成AIの利用実態調査を実施したところ、3人に1人が夏休みの宿題に生成AIを活用したと回答したそうです。再度、肝に銘じてほしいことは、生成AIは必ずしも正確ではないこと、納得できる答えを求めて、質問を変える”問う力”を身に付けることが必要であることです。アインシュタインも「重要なことは問うのをやめないことだ」と言っています。

 小学校の道徳の授業で「ある出来事に対して生徒たちと一緒に生成AIにも意見を出させて、みんなでそれについて話し合う」という試みがありました。生成AIに複数の立場からの意見を並列して提示させることが、子どもたちが様々な考え方に触れ、自分の頭で判断する力をつけるきっかけにしようとしたのです。先生も子どもたちも考えつかない意見が出てくるかもしれません。対話的学習活動を補完することになります。

 苫野一徳という熊本大学大学院准教授が「本質観取」という哲学対話を、多くの子どもたちと続けているそうです。「〇〇とは何か」という問いに対する答えを言葉で編み上げあっていく活動です。子どもたちは「学びとは何か」に対して「学びとは、自分自身の問いと気付きを通して、生が豊かになっていく営みである」、「存在とは何か」に対して「存在とは、言葉になるすべてのものである」という答えを見つけ出しました。生成AIは便利なので使いたくなる気持ちもわかりますが、考えることの楽しさや自分の能力の可能性を知らず知らずのうちに捨ててしまわないように注意してください。生成AIに依存し自分の力を育てられなくならないように、自らの力を生かして生成AIを使いこなせるようになってください。

世界教師デーに思う

 今日は、「世界教師デー」です。ほとんどの人には知られていないと思いますが、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が1994年に制定した国際デーの一つです。調べて驚きましたが、国際デーは、全部で195もあるんですね。その中でユネスコが制定したものは11あります。9月8日に触れた「国際識字デー」はそのうちの一つです。「世界教師デー」が制定されたきっかけは、1966年10月5日に、「教師の地位向上に関する勧告」が調印されたことです。教師への支援を求めることと、将来を担う世代の子供たちに、充分な教育を施せるよう求めることを目的としています。教師の教育権だけでなく、子供たちが教育を受ける権利の重要性についての認識や理解を求めています。世界100ヵ国以上で世界教師デーが実施され、UNESCOはこの日を中心に国際会議を開催しています。さて、私は日本の教師の仕事量が世界の中でも多いことは知っていましたが、ついこの前までは給与等の地位的なことは、世界の中でも上位だと思っていました。それが、先日OECD加盟国の中で平均以下という記事を読んで、間違いであることに気付き、驚きました。近年、教師はブラックだという評判が広まり、初任者(小中特)が年間で400人以上辞めていることや、教員採用試験の倍率の低下(群馬は全国66の自治体の中で18番目でよいほう)、過労死ラインを超える残業時間の多さ(教職調整額という名の下に残業手当はありません)、教職員定数を充足できない学校の増加(臨時的任用教員の減少)、精神疾患による休職者が6000人弱など、書いていて気が滅入ってきます。「教育は国家百年の大計」であり、教育がうまく機能しないと、将来に禍根を残すことになります。「1年先を思う人は花を育てなさい。10年先を思う人は木を育てなさい。100年先を思う人は人を育てなさい」という言葉(原文は中国の古典「管子」?)がありますが、日本の学校現場の改善は、「待ったなし」のところに来ているようです。先生方が疲弊し、教育の質が落ちて、不利益を被るのは子どもたちです。田中角栄は、「人材確保法」を作り、教員給与を引き上げましたが、「できれば先生方の月給を倍にしたい。」と言っていました。また、「特に小学校の先生を大事にしなければならない」とも言っています。もちろん、保育士や幼稚園の先生の待遇改善も必要です。教育改革で仕事が増える一方なのに、教員数は増えずに、35人学級を40人にに戻さざるを得ない学校も出てきました。皆さんの子どもが、小学生になるのは15~20年先になるでしょうか。その頃、学校はどうなっているのでしょうか。一昨日に文科省が発表した調査結果によれば2022年度不登校の小中学生は過去最多の約29万9千人。いじめは小中高などで約68万2千件が認知され、被害が深刻な「重大事態」は923件。いずれも過去最多ということです。こんな暗いニュースを聞いても、教育の未来に明るい希望を持ち続けなければと思います。先生方は、子どもたちのために真摯に頑張っているのですから。教育実習に行って「先生になりたいという思いが強くなった」ではなく「先生は私には無理!」とならないように、教員志望の皆さんにお願いします。

天使と悪魔

 今日は、たくさんの記念日がありましたが、その中でも想定内の天使(10/4)に関わるものが5つありました。その中でも「エンゼルマーク」で知られ、「天使」の商標登録を持つ森永製菓株式会社が制定したものは別格でしょうか。同社の「チョコボール」は子どもの頃によく食べましたが、箱に「金のエンゼル」または「銀のエンゼル」が一定数印刷されており、金は1枚、銀は5枚で「おもちゃのカンヅメ」と交換できました。今でも新たなシリーズが追加されてプレゼントも時代の変化で変わっています。本当にロングセラー商品ですね。
 さて、天使と言えば悪魔ですが、「天使と悪魔って何だかわかりますか?」と問われて「わかりません」と答える人は、そうはいないと思います。天使は、天からの使者、つまり神の使者であり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖典や伝承に登場し、神のお告げを伝える伝令としての役目を負っています。それ以上の大きな役目を担う天使もヨハネの黙示録には登場しています。天使として有名なのはガブリエル、ラファエル、ミカエルですが、堕天使ルシファー(堕天使の長であるサタンの別名)もよく知られていますね。
 皆さんは、永井豪の「デビルマン」を読んだことがありますか。ヒーロー物アニメと原作はかなり違うので、知らない人はぜひ原作を読んでみてください。人間の善と悪について考えさせる漫画はたくさんあります。横山光輝の『マーズ』や比較的新しいところでは『DEATH NOTE』が最も該当すると思います。新約聖書 「ヨハネの黙示録」16章16節に記述された、終末に行われる善と悪の最終決戦であるアルマゲドン(ハルマゲドン)は有名ですが、人間の心の中では、事の大小はあれ、善と悪の葛藤が日々続いていますね。受験生の皆さんは「食べたい、寝たい、遊びたい」などの悪魔の誘惑と日々戦っていると思いますが、勝率はどれくらいですか?ぜひ、勝ち越して目標を達成してください。

♪どうしておなかがへるのかな♪

 今日は、1988年10月3日にテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」(原作:やなせたかし)が日本テレビ系列で放送が始まった日で2016年に一般社団法人・日本記念日協会により「アンパンマンの日」として認定・登録されました。作者のやなせたかしさんは、2013年の10月13日に亡くなっていますが、私はもう10年もたったのかと驚いています。今、親子で見られる国民的アニメと言われて思い浮かぶのは、「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「それいけ!アンパンマン」「ドラえもん」などでしょうか。この中で小さい子と一緒に見るのは、やはり「それいけ!アンパンマン」でしょう。私も娘と一緒にビデオを何回見たかわかりません。主題歌の「アンパンマンのマーチ」を歌える人は、たくさんいるのではないでしょうか。ちなみに皆さんが知っている『手のひらを太陽に』を作詞したのは、やなせさんです。

 Wikipediaの「アンパンマン」の記述の中に、ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景に触れた箇所があります。やなせさんは従軍経験の中で、戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、とくに戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感していました。しかし、これまでのヒーローは「正義」こそ口にするが飢えや空腹に苦しむ人間へ手をさしのべることはしませんでした。戦中、戦後の深刻な食糧事情もあり、当時からやなせさんは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっていたということです。自分の身体を食べさせて、おなかが空いている人を救うという異色の正義のヒーローはこうして生まれたんですね。ネガティブな考えにとらわれた時、「おいしいものを食べて、あったかくするんだ」と言われます。空腹や寒さは、マイナス思考を増幅させるということです。昔はおなかが空いたことを大げさに言う「おなかと背中がくっつくぞ」という歌詞がある歌がありましたが、皆さんはそんな経験をしたことがありますか。ACジャパンのCMに、きれいなお皿が映され、「最後の一粒までちゃんと食べたのではありません。最初の一粒もない子がいます。」というものがあります。アンパンマンに救ってほしいのは、こんな子供たちです。日本にも満足にごはんが食べられていない子どもたちがいます。みなさん、感謝してごはんを食べましょう。残さずに。

明るく元気に、みんな仲良く・・・無理?

 今日 10 月2日は語呂合わせから東武鉄道が2005年に制定した「東武の日」だそうです。通学でお世話になっている皆さんも多いですよね。東武鉄道株式会社は、1897年11月1日に設立された会社で、「東武」の名称は「武蔵国(むさしのくに)の東部」に由来し、創立は日本の大手私鉄の中では最も古い老舗企業だそうです。私は不勉強で初めて知りました。皆さんは知っていましたか。

 さて、今日はルールについて少し書きます。学校では、学校教育目標や学級目標などと違って明文化されていないルールも多いですが、日本教育新聞の社説に小学校での話が載っていました。『小学校の担任教師が子どもたちに「みんな仲良く」という暗黙のルールについて「どう思うか」と問いかけて、話し合いをした。子どもたちは「好きな人と嫌いな人がいるから無理」といった結論を出した。その結論に対して、担任教師が「でも学校行事など、学級内で協力をしなければならないことがたくさんあるよね」と尋ねると、子どもたちは再度話し合い、「いざとなったら協力しよう」という結論を出した。』みんなが心の中で思っていることを、この先生はあぶり出して考えさせましたね。

 この話を読んで、皆さんはどんな考えをもちましたか。みんなと仲良くするのは理想だし、できればそうしたいけれど、人はそれぞれ考え方や価値観が違うし相性もあるから、無理だと思うこともありますよね。その時、お互いに話し合って歩み寄って協力できるかどうかかが、社会で生活する上で求められる力です。「自分が正しく、相手が間違っている」と一歩も譲らなければ、何も進展しません。人の好き嫌いがある、性格が合う合わないのは人間なのだから仕方ないことであることを前提として、それでも人のいいところを見つける目を育てて歩み寄って協力できるようにしていくことが、学校という集団活動を通して勉強できることなのでしょう。それが、皆さんに卒業までに身に付けてほしい非認知能力の一部でもあります。

タンキュー!!

 今夜は、十五夜ですね。スマホばかり見ていないで、たまにはきれいな月を眺めてのんびりまったりするのもいいものです。夜は雲が多くなりそうなので、早めに見た方がいいかもしれません。     

 今日は、1年次生に対して、進路ガイダンスとして近県の大学から 12 名の先生をお招きし、生徒に大学の授業を体験してもらいました。テーマは多岐にわたり、どれも興味深く面白そうなものでした。すべての講義を参観して回りましたが、生徒たちの受講態度は立派でした。みんな真剣に講義に耳を傾けていました。何を考え、何を思いながら、皆さんは講義を聴いたでしょうか。

 2005年に「女王の教室」という小学校の女教師が主人公のテレビドラマが高視聴率をあげました。従来の学園教師ドラマとは違い、その異色さで色々と物議をかもしました。その中の女教師のセリフを一部紹介します。

「これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません。」「いい加減目覚めなさい。まだそんなこともわからないの? 勉強は…しなきゃいけないものではありません。”したい”と思うものです。」「勉強は受験のためにするのではありません。立派な大人になるためにするんです。」

 こんな実験もありました。6歳から15歳までの総勢600名の生徒に対して、「行儀の悪い生徒には、教室の外に出て遊ぶという罰を与える。行儀のよい生徒には、教室で勉強を続けられるという褒美を与える。」生徒の全員が1、2日以内に「自分は遊びよりも勉強のほうを好んでいること」に気付くことになった。

 ここで、「立派な大人」の定義は何かという問いを立てられたあなたは素晴らしい。そして、「立派な大人になるためにはどうしたらよいか」という問いが続きます。大学で勉強するということは、知識を与えられるのではなくて、自ら好奇心や探究心をもって問い続け、知識や技能を獲得していくということです。もちろん、その過程で「思考力・判断力・表現力」が鍛えられます。進学だけでなく、社会に出れば、なおさら好奇心や探究心がなければ、仕事はつまらないものになるでしょう。学校で勉強する時間よりも社会で働く(勉強する)時間のほうが、ずっと長いのですから、人生を面白くするためには好奇心と探究心が大事です。ぜひ、自分の好きなものを見つけ、仕事としていくために好奇心と探究心を持ち続けてください。

声の価値と信頼性

 ボーカロイドの「初音ミク」が誕生したのは2007年で、その後ボカロブームが起きましたが、昔SF小説で書かれていたとおりのことが現在、進行しています。先日、生成AIを使い、声優らの偽音声を作り出して無断利用した動画がSNSに投稿される事態が相次いでいるというニュースがありました(読売新聞)。AIに作成させた声で勝手に曲を歌わせたり、文章を朗読させたりするなどの行為により声優や歌手等の権利が侵害され、悪用されることを防止するためのAIの利用規制が叫ばれています。昔、ボイスチェンジャーというおもちゃがあって、マイクでしゃべると低音から高音に声を段階的に変換してくれるというものでした。テレビのニュースで一般人の音声を変えているものがありましたが、あんな感じです。自然な声ではありません。今では、自分の音声を他人のものに即時で変換できる「AIボイスチェンジャー」という技術も登場しています。海外のある企業は、「なりたい声になれる」とうたい、自分の声を、任天堂の人気キャラクターであるマリオやハリウッド俳優らの音声に変換できるとしたサービスをウェブ上で提供しているそうです。この企業は取材に対し、「犯罪や営利目的では使わないよう求めている」と回答していますが、当事者らの許可を取っているかについては、不明です。AIによって音声が手軽に生成できるようになったことで、悪用も懸念されています。海外では今年、英国の女優の偽音声でヒトラーの著書「わが闘争」を朗読する音声がネット上で流れ、波紋が広がりました。

 著作権法30条の4は、著作権者の許諾なくAIに著作物を学習させることを認めており、セリフを含めアニメや映画のシーンを学習することも違法ではないそうですが、著作権法に詳しい弁護士は、「著作権法の成り立ちからして、日本ではAI開発側が優遇されており、悪用されるリスクへの備えが不十分だ。例えば、AIで作られた音声が裁判で提出されれば、証拠の真正を常に疑う必要が生じ混乱するだろう。犯罪などへの悪用の可能性も念頭に、AIによる学習やAIの生成物の利用について、国は一定の規制やルール作りを急ぐべきだ」と警鐘を鳴らしています。

 知人や家族らにそっくりの電話音声で金銭を求められる事件も起こっており、そのうちの 77 %は「実際に被害に遭った」と回答しています。SNSに投稿した動画などの音声が無断で学習され、詐欺に悪用されている可能性があるそうです。日本では、回答者の3%が「遭遇した」とし、5%は「知人が遭遇した」と回答しました。

 私が昔に読んだ星新一のSFショートショートの中に、ものぐさな男が家で寝そべりながらできる仕事は何か考えて、孤独な老人の電話相手となり、そこで得た情報を生かそうと声帯模写を習い、その特技を生かして本人になりすまして様々な人に電話をかけ、色々な情報を引き出し、最後には世界を動かしてしまうという内容のものがありました。今回のAIの偽音声は、声帯模写の才能がなくても作れてしまうもので、もし規制されなければ、その影響力は計り知れないかもしれません。本人の声だと思っても疑ってかからないといけないわけですから。写真も動画も音声も信用できなくなる時代がきたら、皆さんはどうしますか。もう、そこに入ってしまっている気がしますが。

球技大会無事終了!ありがとうございました!

 2日間の球技大会が無事終了しました。二日目の今日は、予報で少し天候が心配されましたが、雨は降らずにかえって少し暑いくらいの良いコンディションで実施できました。怪我人はゼロというわけにはいきませんでしたが、昨年より人数は少なかったようで、よかったです。生徒会の皆さんを始めとして、企画運営を手伝ってくれた生徒の皆さん、御指導いただいた先生方、ありがとうございました。また、北京亭様とジュエル・クレープ様には、球技大会特別メニューの企画に快く賛同していただき、ありがとうございました。注文した皆さん、美味しかったですか?今回は、再びコロナが流行り始めているということで、応援を制限しなくてはならず残念でしたが、生徒の皆さんの生き生きとした姿が見られてうれしく思いました。先日のオープンスクールで来校してくれた中学3年生の皆さんにも見てもらいたかったですね。この2日間でクラスの親睦は深まったでしょうか。「学校行事での感動が大きいほど、受験への切り替えもうまくいく」ということを何度か書いたり言ったりしましたが、3年次生の皆さん、これから追い込みですね。頑張ってください。

球技大会初日、お疲れ様!

 今年も2日間に渡る校内球技大会がいよいよ始まりました。計画・準備に尽力してくれた生徒会の皆さん、ありがとうございました。皆さんの日頃の心掛けがよい御蔭で曇りで30℃以下の良いコンディションとなりました。色とりどりのクラスTシャツを着て、校庭と体育館でプレーし、応援する生徒の皆さんの姿は、輝いていました。体育館から思わずビクッとするくらいの大歓声が校長室までよく聞こえて来て、盛り上がっているなとうれしくなりました。(コロナ大丈夫かなという一抹の不安もありましたが)

 本日は、国語の教科書によく載っていた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)さんが亡くなった日で八雲忌と呼ばれています。著書として有名なのが、日本の怪談話を英語でまとめた短編小説集『怪談(かいだん)』(原題:Kwaidan、1904年)です。小学生の時、私は子ども用に書かれた『怪談』を買ってもらい何回も読みました。『耳無芳一』や『雪女』は、有名ですので知っている人も多いかと思います。毎年夏になると、『ほんとにあった怖い話』(通称:ほん怖)などテレビで恐い番組が放送されますが、日本の歴史上有名な怪談である『四谷怪談』『番町皿屋敷』『牡丹灯籠』『累ヶ淵』などは日本の文化として知っておいてほしいですね。日本史の授業や国語の文学史などで出てくる『今昔物語集』や『雨月物語』にも多数の怪談が収録されていますので、興味をもった人は読んでみてください。水木しげるの漫画としても出版されています。

胸に刺さる言葉その2

 先日の秋分の日に、義父母のお墓参りに行ってきました。昨年の5月3日のブログで、菩提寺には大小二つの掲示板があって、様々な言葉が月替わり?で掲示してあることを書き、二つ紹介しました。今回は、「やれる可能性のあるやつが 努力しないのを見ていると 胸ぐらをつかんで “俺と代われ”と言いたくなる 白血病の青年」という言葉が掲示してありました。この言葉は、口には出さなくても、自分ではどうにもならない不幸な境遇にある世界中の人の心の中にあるかもしれません。近年、嫌な言葉ですが「親ガチャ」を筆頭に「〇〇ガチャ」という言葉が、色々と生まれました。私は、大学生の頃、都会に住む同級生に住所の地名を笑われたことがあり、田舎を笑う同級生に「たまたま都会に生まれただけで偉いのか?」と言い返したことがあります。この場合、「出身地ガチャ」ですね。冒頭の白血病の青年の言葉には、運命を呪っても、何も好転しないのはわかっているので、口には出さないものの(なぜ、私が・・・)と思っている人の、「可能性のある人には自分の可能性を無駄にしないでほしい」という思いがこもっていると思います。私が今まで見た中で異質の強い言葉でした。明日から2日間、全校で親睦を深める楽しい行事である球技大会が開催されますが、球技大会に参加できるということに感謝して、プレーも応援も頑張りましょう。

「どうせ無理!」ではなく「大丈夫!あなたならできる!」

 今日は、午後に太田市社会教育総合センターにおいて2年次生の保護者を対象とした進路講演会と修学旅行説明会を実施しました。進路講演会では「2025年度入試に向けて」という演題で、話をしてもらいましたが、少子化が進んでいるにも関わらず、世の中の変化により大学の数は増え、新しい学部・学科が生まれ続け、大学も生き残りをかけて進化しています。生徒の皆さんには進路先と進路実現するための方法の情報収集力が求められますが、膨大な情報の中から自分に必要な情報を集めるのは、かなり大変です。そこでまずはプロの水先案内人にお願いすることになります。説明を聞いて基本的なことを押さえた上で方向性を確認し、自分で調べ、先生と相談しながら希望進路を決定し、実現するための方法を考えていきます。もちろん、本人が自分事として考えて進路選択の方法について勉強しなければならないのですが、保護者の皆さんにも基本的なことと自分にできることを知っておいてもらうほうが、お子さんとコミュニケーションする材料が持てて話がしやすくなってよいと思います。少しでも、この機会に現在の進路情報を仕入れていただければと思います。お話の最後に「どうせ無理!」は悪魔の言葉とありましたが、「大丈夫!あなたならできる!」という天使の言葉に置き換えて、お子さんを励まして、進路実現という団体戦を共に戦っていましょう。

 修学旅行説明会では、旅行社の方と先生方から色々と説明がありましたが、一番心配されるのは「コロナ」と「インフルエンザ」です。昨年は、なんとか旅行中にコロナ感染者が出ずに帰ってこられましたが、今冬はコロナだけでなくインフルエンザも流行しそうなので、十分感染防止に注意してもらえればと思います。昨年は、2年次生が中学校の時の修学旅行が中止になってしまい京都に行けていないことと、移動距離を短くして見学場所を増やせるように、広島から京都に行先を変更しましたが、今年は当初の予定どおり広島に行って平和学習ができます。厳島神社の顔である大鳥居も昨年12月に修復が終了しているので見ることができます。コロナで多くのことが自粛・中止になる中で、当たり前と思っていることが実は幸せなことなのだと気付いた人が多いと思います。生徒の皆さんは、旅行費用を捻出してくれた保護者の皆さんに、バスや新幹線などの交通機関で働いている方に、宿泊するホテルの従業員の方に、見学地で働いている方に、そして旅行代理店の方と引率の先生方への感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

レインサンダーズに注意!

 昨日は、雷が鳴り始めて北の空にきれいな稲光が縦に走ったのが見えたため、校庭で部活動をしている生徒に避難指示を放送してもらいました。その時は、まさか、あんなに激しい雷雨になるとは想像していませんでした。体育館の卓球場が横殴りの雨のため浸水してしまい、大変なことになりました。9月中旬にもなって雷で避難指示を出すことになるとは思いませんでした。

 「課外クラブ活動中の落雷事故に関する初の最高裁判決」が2005年にあり、その後高裁に差し戻され、損害賠償請求としては、総額で約4億8000万円の支払いを命じる判決となりました。この事案では、以下のような経緯の中で落雷事故が発生しました。豪雨→雷注意報発令→雨が止む。上空の大部分は明るくなるが、一部で暗雲が立ちこめ、雷鳴も聞こえた。ただし​雷鳴は大きな音ではなく、遠くの空で発生したと思われる程度のものであった。その中で試合を開始した。→試合中に競技者に落雷した。科学的には、雷鳴が聞こえるときは​、その音が遠くであっても落雷があるかもしれないことを予見できたとされ、責任を回避することはできませんでした。皆さんも、部活動中に限らず、雷を甘く見ないで行動してください。一生を棒に振ることになります。

 今日は、保健体育の教育実習生の研究授業がありました。体育館でバスケットボールでしたが、今日は涼しくてよかったですね。始業前から係の生徒を中心に準備運動や補強運動がしっかりできていました。先生の説明や指示をよく聞き、きびきびと動けていました。先生はグループ毎に見て回り、笑顔で褒めたり助言したりしていました。振り返りの学習活動の記録も、みんなよく書けていました。コロナと怪我に気を付けて、来週の球技大会を迎えられるようにしましょう。

バスの有難さ

 今日は、「バスの日」だそうです。日本バス協会が1987年に行った全国バス事業大会で制定しました。1903年9月20日、乗り合い自動車が京都市内を走ったのが日本初の営業バスとされています。今朝のテレビで、コロナ禍で経営不振に陥りバスの運転手の解雇が増えたため、現在は逆に観光バスの運転手不足で困っているというニュースがありました。2学期は修学旅行シーズンであり、他にもバスを使う行事が多いため、観光バスの予約が困難になっています。コロナが5類になったことで、観光にお客さんが戻ってきて、宿泊業も人手不足で困っています。様々な職業の人が、日々自分の仕事を遂行してくれているので世の中がまわっています。これから修学旅行や大学見学、芸術鑑賞教室とバスの運転手さんには御世話になりますので、感謝しましょう。

 本日から「彼岸の入り」です。23日が中日で秋分の日です。近頃暗くなるのが早くなりましたね。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があります。「冬の寒さ(残寒)や夏の暑さ(残暑)も彼岸を過ぎると和らぎ、しのぎやすくなる」という意味ですが、今年は特に暑かったので、彼岸を過ぎても真夏日が続くかもしれません。来週は球技大会もありますので、熱中症には注意しましょう。ところで、皆さんは「ぼた餅」や「おはぎ」は好きですか?日本では彼岸に供え物として、食べられていますが、名前の由来は、彼岸の頃に咲く花である春の牡丹(ぼたん)と秋の萩(はぎ)だそうです。以前にもブログで書いた記憶があります。「ぼた餅」と「おはぎ」の違いは、知っていますか。秋に食べる「おはぎ」は、とれたての小豆を使っているので、粒のままでも皮も柔らかく、美味しく食べられるので粒あんを使っています。一方、その小豆も春になると時間が経って固くなるため、春に食べる「ぼたもち」にはこしあんを使うというわけです。

 お彼岸には次の2つの意味が込められているといわれます。1. 迷いや煩悩のあるこの世「此岸(しがん)」に対し、悟りの開けたあの世(彼岸)のこと。2. 此岸から悟りの境地の彼岸に至るために、仏道の修行をおこなう期間のこと。彼岸の入りから彼岸明けまでの7日間のうち中日(春分の日、秋分の日)以外の6日間は修行する日なのです。

   春分の日と秋分の日には、太陽が真東から昇って真西へ沈みます。夏至の日のブログで太陽の運行図を載せましたが、覚えていますか。仏教の世界では「御先祖様のいる彼岸は西に(浄土は西にあります)、私たちがいる此岸は東にある」とされており、昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」へのゲートが開くといわれてきました。お墓参りをするのも、そのためです。お盆との違いは、此岸(家)に御先祖様を迎え入れるところです。彼岸会の行事は、日本特有のものらしいですが、「国民の祝日に関する法律」ではそれぞれ国民の祝日と定められ、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日とされています。春分の日と秋分の日は同じ意味ではなかったのが意外でした。年に3回、御先祖様との繫がりを意識する日を大事にしたいものです。御先祖様がいなければ、私たちは存在していないのですから。

アゲイン

 昨日は、敬老の日でしたが、皆さんは祖父や祖母に何か贈ったり会いに行ったりしましたか?もちろん一緒に住んでいれば、外食に行った人もいるでしょう。今や日本人の平均寿命は、男は 81.05年、女は87.09年で80歳以上は普通となり、100歳も珍しくなくなりました。元気なお年寄りも増えました。高齢者が増えたので、本屋に行くと、老後をどう過ごすかという内容の本がたくさん出ています。昔、老後の不安について老人に取材した戦後のテレビ報道を授業で使ったことがありますが、現在放映されても違和感がない内容で、高齢者の心情は今も昔も変わらないのだなと思いました。1950年の平均寿命は、男は59.57 年で,女は62.97年でした。本当に老後が長くなったものです。老後の資金や健康など、長生きすれば不安材料は増えていきます。幸せな老後を過ごすためには、穏やかな気持ちでいられることが大事だと思います。それには、老いていく自分とどう付き合っていくかを考えることが必要です。早い遅いはあれど、死は誰にでも平等に訪れます。メメント・モリという名前のゲームアプリがテレビで宣伝されていますが、ラテン語で意味は「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」です。日本では、死を考えることは縁起でも無いと避けられますが、人間は生まれた時から、死に向かって歩みを進めており、生と死は砂時計の砂のようなものです。小説家の宇野千代さんは、「よく生きることは、よく死ぬことでもある。」と言っています。一生懸命に生きたものは、納得して死を受け容れることが出来る、という意味です。一生懸命生きてきた老人に対するリスペクトの気持ちを、敬老の日に改めてもちたいと思います。(「不老不死の薬」を欲しがった権力者の気持ちは、子どものころはわかりませんでしたが、今ならわかります。若返りをテーマにしたマンガは、けっこうたくさんありますが、最近では「じいさんばあさん若返る」が好きです。テーマの「アゲイン」も若返りをギャグにした楳図かずおの漫画のタイトルです。)
 話は変わって、今日は、苗字の日だそうですが、以前に「日本人の名字は、なぜ多いのか」「変わった名字が多いのはなぜか」など名字について書いたことがありますので、少しだけ書きます。昔は「名字帯刀」は武士の特権でしたが、1870年9月19日、戸籍整理のため、「平民苗字許可令」により平民も苗字を名乗ることが許されました。しかし、当時国民は明治新政府を信用しておらず、読み書きできない人も多かったので、苗字を付けたら税金をとられるのではないかと警戒し、なかなか広まりませんでした。そこで、1875年2月13日、平民にも苗字を名乗ることを義務づける「平民苗字必称義務令」が出されました。「苗字」と「名字」は、どう違うの?と疑問に思っている人も多いと思いますが、意味は同じで、当用漢字表に「苗」の漢字の読み方として「みょう」が加えられなかったため、現在では「名字」を使用するのが一般的になっています。名前は、自分のアイデンティティの最たるものですので、自分の名字の由来や名前の意味を調べてみてください。そうすると、友達の名字も気になってきますよ。探究の始まりです。

みらいの太東生へ~オープンスクール編~

 本日は、受検生に本校の授業や部活を実際に見てもらうためのオープンスクールを実施しました。午前・午後の二部制で合計400人以上の中学3年生が暑い中、来校してくれました。昨日のように午後に雨が降らずによかったです。学校説明会に来られなかった人もいるので、まず初めに体育館で令和6年度入試について説明をしました。自分たちが注意すべき点について理解してくれたでしょうか。授業見学は、どうだったでしょうか。教室の中に入って見学する生徒は、それほど多くはありませんでしたが(教室が狭くて後ろの空きがないこともありますが)、教室と廊下の間の窓とドアを開けていたので、廊下から、どんな授業をしているかは見てもらえましたね。音楽室は入りきれずにドアの外で待っている生徒がいました。ICTを活用している授業が多く見られたと思います。本校の先生方がどんな授業をしているかは、本校Webページのトップページに「授業参観日記」があり、今年度の全ての先生の授業について写真付きで書いてありますので、興味をもったら見てみてください。昨年は、本校の生徒が同じ中学の後輩を見つけて小さく手を振っている光景が見られ、微笑ましかったです。今年は、ALTに廊下で話しかけられている生徒が見られました。部活動の見学をして、本校の部活動の雰囲気はどうだったでしょうか。今日のオープンスクールで、本校を第一志望とする意志を強くしてもらえたなら、大変うれしいです。受検生の皆さん、太東生となって4月にお会いできることを願って応援しています。

汚名返上!

 今朝は、7時45分からマナーアップ運動を実施しました。韮川駅から学校までの通学路と南から自転車で通学する生徒の通学路で保護者の方と先生方に、生徒の通学時の交通ルールの遵守とマナーについて観察してもらいました。私が見ていた限りは、概ね良好でしたがイヤホンをしている生徒が何人か見受けられました。周囲の音が聞こえないと危険を察知するのが遅れますので、イヤホンはしないようにしてください。

 今朝の上毛新聞に、自転車乗車中のヘルメット着用が努力義務化されてから初めての着用率の調査結果が警察庁により発表されたとの記事が載っていました。それによると群馬県は43.8%で、都道府県別で第3位だそうです。全国平均は13.5%だったそうなので、大変好成績でした。群馬県は2021年4月に、条例で全国に先駆けて努力義務化しました。その効果が出ていると言えます。ただ、自転車の安全利用推進委員会が2023年9月7日に発表した、2022年の全国都道府県別、中高生の通学時における自転車事故発生件数についての調査・分析結果によれば、2021年に比べ、中学生はやや増加、高校生は減少したものの、中高生ともにワースト1位の都道府県は「群馬県」でした。不名誉な記録ですので、県一丸となって努力しているわけです。自転車乗用中の交通事故で亡くなられた方は、約6割が頭部に致命傷を負っており、ヘルメットを着用していなかった方の致死率(死傷者のうち死者の割合)は、着用者に比べ約2倍も高くなっていることがわかっています(警察庁)。まだ、ヘルメット着用が習慣になっていない生徒の皆さん、「ヘルメットをしておけばよかった」と思った時は手遅れです。自分の命を守るためにヘルメットを着用しましょう。これから気温が低くなってきて、夏より着用しやすくなるので、ヘルメットを着用する習慣付けのチャンスですよ。

皆さんの土台は?

 今日は、最近の教育冊子や教育新聞で読んだ記事を元に皆さんに考えてほしいことを書きます。

 まず、コロナ禍で一人一台パソコンが教育現場で一気に進み、ICT活用が勧められている現在の日本ですが、効果とともにもちろん課題も出てきています。次の①②の記事を読んでみてください。

①佐藤学(東京大学名誉教授)によれば、PISA委員会によるOECD加盟29か国を対象とする調査報告(2015)によると、教室でのコンピュータ利用時間が長ければ長いほど学力が低下する結果を示している。アメリカに本社を置く大手コンサルティング会社であるマッキンゼー・アンド・カンパニーが2018年に51か国34万人の生徒を調査した報告(2020)では、教室のコンピュータは教師一人が活用するときにのみ若干の効果(プロジェクターとしての活用は効果)があり、一人一台使う場合最もダメージが大きい(アジア諸国でダメージが最も大きい)。 

②フィンランドは、欧州のデジタル経済・社会指数を示す「DES1」ランキング(2022)で1位を獲得したデジタル強国であるが、ノートとペンでじっくり取り組む時間が減り、画面上で次々とページをスクロールする作業が増えた。すると、子どもたちの集中力や忍耐力が低下した。教員らは、デジタルの過度な使用と集中力の低下に明確な因果関係があるとし、「人間の深い思考力が奪われている」と強い危機感を抱いている。

①②の記事を読んで、皆さんの反応は「え~っ!本当?」「そうだろうな!」のどちらでしたか。このブログには立場上なかなか書けないことも多いのですが、もし①が本当ならば、現在のGIGAスクール構想を見直さなければならなくなります。ただ、しっかり判断できるだけのデータが示されていないので、これらの記事だけではわからないというのが正直な感想です。こうした政策に関する記事を読んだ時に、利益を得るのは誰なのかという観点から考えることも重要です。歴史では、戦争の大義名分と本音(誰が利益を得るのか)を考えないと、戦争を防ぐためにどうしたらよいかを考えることができません。何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですので、ICT活用も他の活動とのバランスをとることが大事で、「特に義務教育においては慎重であるべきだ」とまとめてしまうのは簡単なのですが、皆さんはどう考えますか。それでは、次の③④の記事を読んでみてください。

③「『教育七五三』の現場から」(瀧井宏臣著)が刊行されたのは平成20年。同書は副題などで授業の内容を理解できない子どもの割合は、小学校3割、中学校5割、高校7割と指摘している。哲学者ホワイトヘッドは「あまりに多くのことを教えることなかれ。しかし、教えるべきことは徹底して教えるべし」と基礎・基本の重要性を説明している。

④「成長を欲する者は、まず根を確かにおろさなくてはならぬ」「上にのびる事のみ欲するな。まず下に食い入ることを努めよ」(『偶像再興』和辻哲郎) 確かな読み書きの能力は、思考や学習の基盤であり、個々人の一生を支える土台である。国語教育者大村はま先生は、卒業式で、「若い時は別れが悲しくて涙したが、後年には、これから世に出ていく子どもたち一人ひとりに、本当に確かな力を身に付けさせてやることができたか」という自責の念に駆られ、悔恨の涙に暮れたという。

 1学期に高校3年間で身に付けたい力について、皆さんにアンケートを採りましたが、それは中学校までに身に付けた力を土台にします。基礎・基本の重視は、教育界では当たり前のことですが、9月8日のブログで書いた「読み書き」が正にそれで、それがしっかり身につかないまま進級したり進学したりすれば、土台がしっかりしていないところに家を建てることになります。必然的に大きな家は建てられなくなります。

 コンピュータの進化によって、私が高校生だった頃と比較すると、世の中は大きく変わりました。これからも加速度的に変わっていくことでしょう。ただ、漫画や小説などで理想として描かれる世界連邦や国境のなくなった世界の実現は、宇宙人という黒船でも来ない限り、夢まぼろしのままかもしれません。日本という枠組みは続きます。ですから、母語をしっかりと身に付けることが、自分を大きくするための土台であることを自覚して、学習してください。日本語は、日本人としてのアイデンティティを形成している大事なものですから。

我が生涯に、一片の悔いなし!!!

 最近は、「今日は何の日」に頼ることが多くなってしまいましたが、本当に色々な記念日があるなぁと興味深く「雑学ネタ帳」を読んでいます。そして、今日は驚きました。まさか、漫画『北斗の拳』の日があるとは思いませんでした。記念日は2018年(平成30年)に認定・登録されたので、かなり新しい部類です。『北斗の拳』は『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載されていたバイオレンスアクションマンガです。1983年(昭和58年)9月13日から連載が始まりました。その時の私は20歳で、文中のイラストを描きました。今年2023年に『北斗の拳』は連載開始から40周年を迎えました。本校が開校して1年後に連載が始まったわけですね。

  『北斗の拳』は最終戦争後の199X年の暴力が支配する弱肉強食の世界を舞台とし、一子相伝の伝説の暗殺拳「北斗神拳」の伝承者であり胸に北斗七星の傷をもつケンシロウの生き様を描き、今なお人気があるマンガです。拳をくりだす時の「あたたたたっ!」や敵が体の内部から破壊されて死ぬ時の「ひでぶっ」「あべしっ」などの特徴ある声や「経絡秘孔の〇〇を突いた。お前はもう死んでいる!」というケンシロウの決め台詞は有名です。「キャプテン翼」や「スラムダンク」ほどではありませんが、このマンガもまた、『週刊少年ジャンプ』(集英社)掲載漫画に必要な三大原則として語られることが多い「友情・努力・勝利」の要素を満たしています。「キャプテン翼」や「スラムダンク」を読んでサッカーやバスケを始めた子どもはたくさんいて、現在プロの選手にも多くいます。漫画のもつ影響力は、日本だけでなく世界に拡大しています。様々な職業について描かれていますし、人生について考えさせられる漫画もあります。部活動や受験について描かれた漫画も多いです。ジャズのサックス奏者を主人公にした漫画で、脇役のウッドベーシストが、「いいミュージシャンかどうかは、もう一度聴きたくなるかどうかだ。うまいだけのミュージシャンには用がない。」と言っていましたが、漫画や小説にも同じことが言えると思います。繰り返し読みたいと思えるかどうかです。皆さんには、繰り返し読んだ小説や漫画はありますか。自分に影響を与えた言葉、心の中に大切にしまっている言葉はありますか。ちなみにタイトルの言葉は、ケンシロウの兄ラオウの言葉です。※イラストのPLOWは、北斗七星の意味ですが、あまり使われる単語ではありません。「Big Dipper」より収まりがいいのでこちらにした記憶があります。

苦しさ < 楽しさ

 今日は、マラソンの日です。マラソンの名前の由来と、42.195kmという中途半端な距離の理由は、以下のとおりです。ただし、真偽のほどは定かではなく諸説ありますので、御注意を。

 紀元前450年の9月12日、アテネのマラトンに上陸したペルシャの大軍をアテネの名将が撃退し、アテネの勝利を告げるために兵士が伝令となってアテネの城門まで走り、絶命したという故事があります。その故事から1896年にアテネで第1回オリンピックが開かれるに当たり、マラトンからアテネ競技場までの約40kmの競走が加えられ、初めての「マラソン競走」が行われたそうです。私も調べて驚いたのは、1920年の第7回オリンピックまでは距離の統一はされておらず、約40kmであればよいとされていたことです。そんないい加減なと普通は思いますよね。同じ距離を全員で走ればよいという認識だったようです。規格統一が検討されたのは、1924年の第8回パリオリンピックからで、その際に1908年の第4回ロンドンオリンピックのマラソン距離42.195kmが採用されて、現在に至るそうです。実は、当初41.843kmの予定だったのが、王妃がバルコニーから見物できるようにスタート地点を変えたため0.352km延びて42.195kmになったという説があります。

 私は、10kmを4回走ったことがあるだけで、マラソンを走ったことがないため、どれだけ苦しく大変かはわかりません。ただ、長距離走が自分のペースをわかった上で走らなければならないことや、苦しくて止まりたいという気持ちとの闘いではないか(個人差はあると思いますが)ということはわかります。心と体の忍耐力を同時に鍛えられるのが、マラソンなのではと考えます。交通事情の変化によりマラソン大会が実施されなくなった高校もありますが、マラソンに限らず同様な学校行事は少なからず必要ではないかと思います。忍耐力というのは一朝一夕に身につくものではなく、小さい時から少しずつ身に付けていくものです。アメリカでは肥満の子どもに運動してもらうために任天堂のwiiスポーツを取り入れているというニュースを昔見ました。苦しいだけでは長続きしないので背に腹は代えられないという思いで取り入れたのだと思いますが、苦しさよりほんの少し楽しさが勝るような活動がいいなと思います。2学期は、体育的行事として球技大会とマラソン大会がありますが、それぞれ何のためにやるのかを皆さん一人ひとりに考えてほしいです。

 今日は、また「ク(9)イ(1)ズ(2)」と読む語呂合わせから「クイズの日」でもあります。日本は、クイズ番組が人気があるので、昔からあったと思いきや2021年に認定されたばかりだそうです。

 クイズの魅力、面白さ、奥深さをさらに多くの人に知ってもらうのが目的だそうですが、子どもだとクイズより「なぞなぞ」のほうが身近かもしれません。知識があれば、すぐ答えられるものと考えないと答えられないものの二種類に分かれると思いますが、この記念日を提案した日本初のクイズの総合商社として知られる株式会社キュービックは、クイズを『「問い」と「答え」で構成されたコンテンツの総称』と定義しています。これからの皆さんに求められているのは、自ら「問い」を設定する力、課題を発見し、解決する方法を考える力です。この場合、答えは一つではありません。ですから、現実社会はクイズとは違います。多くの知識があったほうが、課題解決のために活用できる武器が増えるので、多いにこしたことはありません。逆に知識を活用して結びつけ、新たなものを創造できなければ、せっかく知識を身に付けても無駄になってしまいます。以前にも書きましたが、スマホやパソコンですぐ調べられるから覚えることは少なくていいというのは間違っています。様々な知識が自分の中にあって思いもしないところで結びつくからこそ、それらが反応して新たな考えが生まれるのです。クイズ番組を見るのでもいいので、考える習慣を増やし、インプットとアウトプットをバランスよく行い、脳の活性化を図ってください。苦しさより楽しさが勝るように勉強も部活も考えてやってください。

読み書きができるって幸せなんだよ!

 皆さんは、1800年代後半(江戸時代後期)の日本人の識字率が世界一だったことを知っていますか?当時の日本全体で50%くらい、江戸に限って言えばおそらく70%を超えていたのではと言われています。同じ頃のロンドンが20%ほどだと言われています。今日は、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)が制定した「国際識字デー」です。1990年(平成2年)は「国際識字年」でした。ユネスコでは、識字率を「日常生活の簡単な内容についての読み書きができる15歳以上の人口の割合」と定義づけています。1965年(昭和40年)の今日、イランのテヘランで開かれた世界文相会議でイランのパーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回すことを提案しました。「国際識字デー」はこれに由来し、世界の識字率の向上を目的としました。また、世界中の国や人々に識字の重要性を強調する日でもあります。この国際デーや国際年のような取組により世界の識字率は着実に向上していますが、世界には紛争や貧困、差別などが原因で、読み書きのできない人が約8億人いると言われています。そして、その3分の2が女性です。日本も昔は、女性には学問は必要ないと言われていた時代がありました。識字率が低い国はアフリカなどの開発途上国に集中しており、国の経済発展にも影響を及ぼしているのです。

 皆さんは、毎日当たり前のように日本語を読み書きしていますよね。それは小さい頃から、勉強できたからです。もし、読み書きができないとどうなるでしょうか。薬の注意書きが読めなかったら、様々な製品のマニュアルが読めなかったら、役所や学校等に提出しなければならない文書が読めなかったら、契約書が読めなかったら、申請書や申込書などに書けなかったら、カラオケで画面の歌詞が読めなかったら(笑)・・・、SNSも使えません。読み書きにもレベルがありますので、兵士が兵器のハイテク化についていけず、マニュアルが読めないので操作の仕方がわからなくて困っているという笑えない話もあります。「読む・書く」と「聞く・話す」は別物でしょうか。翻訳機がすごく進歩しているので、しっかり話すことができれば意思の疎通はできると思います。話すことができれば、音声認識ソフトで文章に起こすこともできます。文章を読み上げてくれるソフトもありますので、字が読めなくても済む時代がくるかもしれません。でも、それで大丈夫ですか。最初は、親が話すのを聞いて、まねてしゃべるようになります。そして、母語を使って「読む・書く」ことを通して脳が発達し「考える」力が養われると私は考えます。「聞く・話す・読む・書く」は段階的に身に付き、高度になっていくと考えます。国語の学習は、社会で生きる上でのすべての活動の基盤となるものですので、疎かにせずできるだけ高めるように取り組んでいきましょう。AIにとって代わられないように。

鳥が窓にぶつかるくらい・・・

 本日、3日の日曜日にあった金山清掃に青藍同窓会で参加したことについて、本校ウェブページの卒業生サポートの中の青藍同窓会にアップされました。開会行事の清水市長の挨拶の中で、青藍同窓会の旗と太田東高校に言及してもらえましたので、ちょっぴり宣伝になったかもしれません。呑龍様(大光院)から出発して、金山の頂上までゴミ拾いをし、新田神社でお参りをして下山しました。山道がきついのは仕方なかったですが、ゴミが落ちていないので、用意した燃えるゴミと燃えないゴミ用の袋が空気しか入っていない状態が続きました。「何か落ちてないか」と宝物でも探すかのように登っていき、缶やびんが見つかると歓声があがるほどでした。私は、土に埋もれた大きいビニール袋をゲットして何とか体裁を保ちました。

 日本は空港から道路までゴミが落ちていなくてきれいだと、訪日外国人は驚き、国際大会などの後に客席やロッカールームをきれいにして帰る日本人の行動がニュースになり、日本人のマナーのよさが世界中に知られるようになりました。スボーツにおけるグラウンドやコートの整備、武道における道場の掃除、工場などの製造現場での職場環境改善のための活動である「整理」「整頓」「清潔」「清掃」「しつけ」の5Sなど、日本人のきれい好きは身の回りのあらゆるところに表れています。教育現場でよく使われる「時を守り 場を浄め 礼を正す」の「場を浄め」は、人々の生活の場をきれいに保つということから「人のために尽くす」という意味なのだそうです。生徒の皆さんには、毎日太田東高校をきれいにしてもらっており、感謝しています。自分たちの使う場所は自分たちできれいにするという精神のもと、小学校から日本では清掃活動を教育に取り入れていて、当たり前と思っていますが、児童・生徒が学校の清掃をすることに教育的意義をもたせている国は、世界では少数派です。自分たちできれいにすれば、汚そうとは思いませんよね。

 16日にはオープンスクールがあり、皆さんの将来の後輩候補が本校を訪れます。生徒が通る廊下や窓をできるだけきれいにして、気持ちよく見学できるように迎えてあげましょう。よろしくお願いします。

まっくろくろすけのイメージは?

 今日は、9月6日なので、予想通り「黒」に関する記念日が多かったです。皆さんは、黒という色に対してどんなイメージを持っていますか?「クール(カッコいい)」それとも「闇」? そのイメージはどこからきていますか?

 昔、1950~60年代前半にイスラーム教信仰をもとにしたブラック=ムスリム運動を指導し、アメリカの黒人差別に対して戦ったマルコムXという人がいました。彼は、キング牧師らの非暴力主義による公民権運動とは一線を画し、白人に対する敵意を隠さずに運動を進め、暴力も肯定しました。残念ながら二人とも暗殺されてしまいました。彼には獄中で辞書の「ホワイト」と「ブラック」のところを読み、「ブラック」には悪いイメージが多く、「ホワイト」にはいいイメージの意味が多いことに怒ったエピソードがあります。白人によって黒が悪いイメージを植え付けられていると考えたのです。

 2020年の「ジョージ・フロイド事件」で有名になった「Black Lives Matter」とは、アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為をきっかけにアメリカで始まった人種差別抗議運動です。訳としては「黒人の命を粗末にするな」が適切という意見があります。アメリカの人種差別は黒人だけでなく、移民すべてに差別の歴史があります。もちろん、その中には日系人差別もあります。            

 話を元に戻しますが、「黒」という色自体に罪はありません。すべては人間が価値付けたことから問題が生じます。特定の価値観や偏見にとらわれないことが大事なのであって、アメリカと違って日本では黒人に対する差別がほとんどないと、黒人の人が言っている動画をいくつか見ました。色の話が、人種差別の話になってしまいましたね。「十人十色」という言葉がありますが、現在は多様性を認め合う方向に世界は進んでいます。「理性」の力によって、人種だけでなく個性の違いを認め合い、差別や争いがなくなる日がくることを願っています。皆さんも、多面的多角的に物事を見る目を養って、自分の中の色眼鏡をはずせるようになってください。

ミライを、明るい希望で満たそう!

 今日は、国民栄誉賞の日だそうです。生徒の皆さんの年代だと「国民栄誉賞をもらった人は誰が思い浮かびますか?」と聞かれたら、最近の羽生結弦さんか国枝慎吾さんになるのでしょうか。私が印象に残っているのは、団体として唯一受賞している女子サッカーチームですね。記念日としては1977年の今日、2日前の9月3日に通算ホームラン数756本で世界最高記録を作った王貞治選手が、日本初の国民栄誉賞を受賞したことによって定められました。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉をたたえること」が目的で、これに該当する個人や団体を内閣総理大臣が随時、表彰することとなっています。過去に受賞した人をスポーツ分野と文化分野に大きく分けると、前者が14、後者が13で、多いのはプロ野球選手の4人と作曲家の4人です。芸能関係は俳優4人に歌手2人、冒険家はスポーツ分野に入れ、囲碁・将棋・映画監督は文化分野に入れました。将棋と囲碁は、頭の格闘技なのでスポーツ分野に入れてもいいかもしれませんね。辞退した人は過去に4人います。イチローは3度も辞退しています。昔と比べて受賞年齢が若くなっている傾向があります。このように、明確な表彰基準がなく曖昧であり、表彰分野に偏りがあり恣意的になっているのではないかという疑問もあります。柔道少女を描いた漫画の「YAWARA!」の主人公猪熊柔の祖父猪熊滋悟郎の口癖が「オリンピックで金メダルをとって、国民栄誉賞じゃ!」でしたが、「ヤワラちゃん」の愛称で親しまれた谷亮子さんは柔道選手としてはオリンピックで2度、世界選手権で7度金メダルを獲得しましたが、国民栄誉賞は授与されませんでした。

 スポーツにはオリンピックやワールドカップなどに代表されるように政治利用の影がつきまといます。最近は商業利用の弊害も大きいようですが。ヒトラーのベルリンオリンピックは、国威発揚の宣伝に利用された最たるものであったと考えられています。ボイコットがあったモスクワやロサンゼルスも政治が絡んだ例です。4年に1度ですから、出られなかった選手は気の毒としかいいようがありません。1984年のロサンゼルス・オリンピックでは、大会組織委員会が徹底的な商業主義路線の運営を行い、現在の放映権料やスポンサー料などの高騰を招いたと言えます。

 スポーツの政治利用に関して「スポーツ・ウォッシング」という言葉があります。これは、米パシフィック大学教授のジュールズ・ボイコフ氏がオリンピックを批判する際の論点の一つで、権力者が自分たちに都合の悪いことをスポーツの喧騒で洗い流すという意味です。スポーツの健全なイメージを使って民衆の関心を集め、政治をはじめとする社会問題から国民の不満をそらそうとする手法です。国民の不満を政府から他国に向けてそらそうとする手法をとる国もありますね。

 国民栄誉賞の話が、いつのまにかスポーツの話になってしまいました。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった」という趣旨に反対はしませんが、スポーツのイメージを高め、国民が生涯スポーツに親しみ、心身ともに健康が増進できるような政策を政治家は考えてほしいと思います。生徒の皆さん、自分が明るい希望をもって、スポーツだけでなく、自分の好きなことに打ち込んでください。そして、社会に明るい希望を与えることができるようになれれば最高ですよ。

Come on!レインサンダーズ

 今日は、久しぶりに朝から雨が降っていて、心配されていたダムの貯水率も少しは持ち直すかなと思いました。 

 昔(私が小学生だったころ)は、夏は暑くても30℃くらいだったのにもかかわらず、雷や夕立は今よりもずっと多かったように思い出されます。暑い日に、「今日も夕立はきそうにないねぇ」と妻と話しますが、妻も昔の方が夏は頻繁に夕立があったと記憶しています。今は昔よりはるかに暑くなっているのに、なぜ夕立は少ないのかわかりませんでした。そこで、ネットで調べてみたところ、「地球温暖化や都市化によるヒートアイランド現象で一日中気温が高く、早朝や夜など夕方に限らず積乱雲が発生しやすい。そのため、突発的な降水が増えました。いわゆるゲリラ豪雨です。夕立は、それに紛れてしまっているといえます」という回答を見つけました。つまり、暑くなりすぎたために夕立が夕方に起こる現象ではなくなってしまったというわけですね。ただ、場所によっては豪雨になっているところもありますが、今夏降雨自体が少なくなっていると感じるのは、高気圧のせいで雨のもとになる湿った空気自体が少なくなっているということなのでしょうか。中途半端な暑さの夏に夕立が起こりやすいと言われると、じゃあ今後は期待してもだめなのかと落胆します。群馬といえぱ、雷が有名ですよね。雷が恐い人には申し訳ありませんが、夕立と雷が復活してくれることを願っています。夕立がきたときの土の匂いと去った後の涼風を昔のようにもっと感じられるようになればと思います。

これから逆転の後半だ!

 3月は、大谷選手の活躍で野球のWBCが盛り上がっていましたが、最近はバスケットボールとラグビーのワールドカップの話題で盛り上がっていますね。私はバスケ好きなので、今のところバスケットボールの全試合を見ています。フィンランド戦の後半もそうですが、ベネズエラ戦の第4クォーターは本当に興奮しました。第4クォーターの最初で逆転は無理かなと思い書斎に行きましたが、何か気になって冷たいものでも飲もうとリビングに戻ったところ点差が縮まっていて、ちょっと見ていたら5点差までいって、これは逆転するのではと最後まで見ていたら、逆転どころか9点差をつけて勝利したのには「ミラクル!」と驚きました。本当にあきらめずに勝利を信じてプレーした結果、勝利の女神を呼び寄せたんだなと心底感動しました。そして、スラムダンクで安西先生が三井にかけた「諦めたら、そこで試合終了ですよ」の言葉を思い出しました。エンゼルスの大谷選手が、ドーピングの疑いをかけられていましたが、2021年のインタビューで「(無観客から有観客になってファンの声援は)一番のドーピングではないかと思っている。」という神対応がありました。今回のバスケも観客のすごい応援が選手を後押ししていました。生徒の皆さんも、勉強に運動に最後まであきらめずにお互いに鼓舞し合っていきましょう。国公立大学を目指す3年次生は、後期試験まで第一志望を譲らず貫いてください。応援しています。

オーストレイリラ!

  昨日の始業式前に、新しくALTとして赴任されたカーデン・ジェイムズ先生が自己紹介してくれましたが、オーストラリアのシドニー出身という情報しかありませんでしたので、ここで少し詳しく紹介します。ジェイムズ先生は、2017~2019年にかけて長崎の小・中学校でALTをされていました。母国ではスイミングスクールのインストラクターもされていたそうです。私は、30年前に新婚旅行で訪れたのがオーストラリアのシドニーで、思い出の地でもありましたので、ジェイムズ先生に「いいところですよね」と話しました。オーストラリアでは、オペラハウスやグレートバリアリーフ、それとコアラを抱っこしたことが記憶に残っています。

 日本は、1976年に日豪友好協力基本条約(奈良条約)を結び、オーストラリアとの文化的交流を深めました。また、2007年の「安全保障協力に関する日豪共同宣言」(2022年に改定)や、2015年の日豪経済連携協定(JAEPA)に示されるように、日豪関係はその後、重要な政治・安全保障分野の目的を含む、多角的で成熟した関係へと変化を遂げました。日本は1970年代前半、オーストラリアにとって最大の貿易相手国となり、以後26年間にわたってこの地位を保ち続けました。日本がオーストラリアから輸入しているものは資源が多いです。液化天然ガス・石炭・鉄鉱石・銅鉱などですが、地理の授業で勉強した記憶はありますか。日本語学習者の数で見ると、オーストラリアは世界第4位、10万人当たりの日本語学習者数は世界第1位になります。日本とオーストラリアの間には、実に107件もの姉妹都市・友好都市関係(101市区町・6都府県)が設立されています。また、姉妹校提携をしている学校は日豪二国間で550校にも上ります。実は、日本の学校の海外修学旅行先として一番人気があり、日本の学校の姉妹校の一番多い海外の国はオーストラリアなのです。今日オーストラリアにとって、日本はアジアで最も緊密なパートナーとなっているのです。

 右はオーストラリアの国旗ですが、 右の5つの星で南十字星を、左の大きな七稜星でオーストラリアの6つの州と特別地域を表わしています。 海洋国家で世界中に植民地を持っていたイギリスとの歴史的な結び付きは、左上のユニオン・ジャック(イギリスの国旗のこと)に見ることができます。世界にはユニオンジャックが国旗に入っている国が5つ、地域では20弱あります。ユニオンジャックは、以下のようにイングランド、スコットランド、北アイルランドの国旗や旗を組み合わせてできています。「ユニオン」は連合王国、「ジャック」は船首に掲げて国旗を示す旗の意味です。

  これから、授業でジェイムズ先生が色々話してくれると思いますが、皆さんからも積極的に質問してみてください。

『人には余裕というものが無くては、とても大事はできないよ』勝海舟

 記録的な暑さの夏休みが終わり、2学期が始まりました。まだまだ暑い日が続くようで、いつになったら過ごしやすい秋がくるのかなという感じですね。部活で真っ黒になっている人、勉強漬けの日々を送った人、普段できない活動をした人、人によって千差万別な夏休みを過ごしたと思いますが、夏休み前に計画したことは達成できたでしょうか。私は、たまっていた本をできるだけ読もうと考えていましたが、読んだ分以上に買ってしまったので、たまっている本が増えてしまいました。仕事については、片付いたものもありますが、できたらやってしまおうと思っていたものは先延ばしになってしまいました。ただ、優先順位の高いものから片付けたので、まあよしとしています。

 私が皆さんと同じ受験生だったころは(42年前)、入試科目の問題集を一冊終わらせるとか、英単語2000・古文単語400・日本史用語集などを一通り最後までやるとか、目標を立てていましたが、達成率は自信をもって書けるほどではありません。計画通り終わらなかったと嘆いている人も多いと思いますが、大丈夫です。計画した量が多すぎたと思えばいいのです。ほとんどの人は、あれもこれもと欲張って、自分のキャパをオーバーした計画を立てがちだからです。80%しか達成できずに落ち込むより、100%達成して、余裕があれは+20%追加できたほうが、精神的に充実感と達成感が得られます。3年次生は、これから受験まで5か月以上ありますので、自分に必要な勉強を見極め、見通しをもって余裕のある計画を立て、達成できたらプラスアルファの勉強をしてください。勉強に部活に学校行事と、2学期は忙しくも充実した日々が続くと思います。心も体も余裕をもって頑張ってください。無理して体を壊して休めば、時間とともに精神的余裕もなくなります。何事もいいコンディションで継続できることが大事ですよ。

みらいの太東生へ

 本日は、太田市民会館で午前(太田市内の方)・午後(太田市外の方)の2部構成で本校の「学校説明会」を実施しました。中学生と保護者あわせて1200名を超える方々に酷暑の中、お越しいただきました。改めまして感謝申し上げます。本校に対する理解を深め、志望校検討の材料を手に入れてもらえましたでしょうか。部活動紹介動画や生徒会の学校紹介動画で、本校の様子が伝わったでしょうか。生徒会所有のドローンで撮影した映像はいかがでしたか。生徒が主体的に活動している様子が、わかっていただければうれしいです。9月のオープンスクールにも、ぜひ来校して、自分の目で確かめてください。お待ちしております。

 生徒会、吹奏楽部、チアリーディング部、ボクシング部、陸上部、少林寺拳法部のお手伝いいただいた皆さん、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。皆さんの姿を見て、本日来場した中学生で本校志望の意志を増々強くした人も多いと思います。また、暑い中、交通整理をしていただいた先生方、会場準備や片付け、生徒の指導をしていただいた先生方、ありがとうございました。無事、混乱もなく終了することができました。感謝申し上げます。

 本日、参加していただいた中学3年生の皆さんの一番の関心は、前期・後期がなくなって一本化された入学者選抜の方法と内容についてだと思います。高校によって方法と内容は異なりますので、どうしても入りたい高校があるならば、よく調べて対応できるよう準備するしかありません。まだ、入試まで半年ありますので、最後まであきらめずに努力してください。「みらいの太東生」に会えるのを楽しみにしています。

1日10時間(量だけでなく質もね)

 国連事務総長が、地球温暖化でなく地球沸騰の時代だと発言するくらい猛暑が続いていますが、今日から3年次生を中心とした夏季学習会が始まりました。約100名の生徒が毎日7時間の勉強を5日間続けます。コロナ以前は、進学校と呼ばれている高校は、夏季休業中に避暑地や温泉地などで学習合宿を行っていました。100名以上の生徒がホテルにこもって、1日10時間以上の勉強を仲間とともに励まし合って行い、長時間勉強を続ける集中力、気力などを高め、長い受験勉強の第二のスタートにしようとしていたのです。(第一のスタートは、もうしているはずです。)私も本校で20年前に栃木県の益子や埼玉県の施設に学習合宿の引率で行った経験があります。当時と現在の違いは、各教室にエアコンが入っているかどうかです。現在は、普通教室と学習室などはすべてエアコンが入っていますので、わざわざ高いお金を払ってバスに乗って遠くに行かなくてもいいのではないかとコロナ禍で考えられ、学校で実施することになりました。

 日本では、小学生が中学受験するのに平日帰宅後6時間、土日は10時間以上勉強するという話も聞きますが、1日10時間以上勉強するというのは、かなり目的意識が高く、精神力が強くないとできないと思います。また、勉強には知力・気力だけでなく体力も必要ですので、部活引退後に運動部は受験勉強の追い込みがきくなどと言われるのはそういうことです。勉強は、大学までで終わりというわけではなく、一生勉強だと思いますが、大学受験の勉強期間は、長い人生の中でも特別な期間です。(と、私は思っています) たとえ、なかなか勉強の成果が出なくても、自分を信じて努力を続けてください。必ず成果は出ます。努力が空回りしないように間違ったやり方でなく自分に合ったやり方を見つけてくださいね、「やりきったぞ!」という清々しい顔で、2学期に皆さんに会えることを楽しみにしています。

※ブログは、授業日以外は休む予定でしたが、それでも続ければ3学期の終業式に400回になる予定です。ただ、400回ちょうどにこだわることもないと思ったので、長期休業中でも何か話題があれば、書こうと思って本日は書きました。

速しこの1学期

 早いもので、1学期も今日で終わりです。私は短く感じましたが、皆さんにとってはどうだったでしょうか。1年次生は、入学した時の気持ちを忘れずに1学期を頑張れたでしょうか。思っていたよりも高校生活は大変だと気を引き締めなおしたでしょうか。これから3年次生は、本格的に受験勉強に突入し、2年次生は、部活を頑張りながらも進路について考えていかなければならない夏休みです。時間があると思って油断していると、あっという間に夏休みは終わります。適度に心と体を休めながら、計画的に夏休みを過ごしてください。1学期を振り返って、無理なく実行できる自分だけの再チャレンジ計画を立て、達成感を味わえるようにしてください。余裕を残して、プラスアルファの実行を加えられるほうが精神的にもいいはずです。2学期は長いです。充実した2学期にするためにも、夏休み中に下準備しておくことが必要です。ロケットスタートができるように心身を整えて、8月30日を迎えてください。

 今日の生徒総会は、熱中症とコロナ感染を懸念して残念ながらオンラインとなりました。旧役員の皆さんは全校生徒の前で挨拶ができず、本当に申し訳なく思いました。太東を盛り上げるために、縁の下の力持ちとして1年間尽力してくれたことに感謝します。ありがとうございました。新役員となった皆さん、来年は「青藍祭」があります。このままコロナがフェードアウトしてくれれば、生徒会もさらに活発に動けるようになるでしょう。活動方針にある「居心地がよい」とは、色々な意見が受け入れられる、意見が出しやすいという意味にも取れます。色々な企画を提案して、太東をワクワクする場所にしてください。

考えるのは今でしょ!

 昨日から三者面談が始まりましたが、夏季休業へ向けて有意義な面談ができているでしょうか。先生に丸投げで、主体的に自分がしたいことやなりたいものについて相談できないようだと時間内には終わらないかと思います。自分はどのように今後生きていきたいのか、様々な選択肢があり、考えれば考えるほど悩みは尽きないと思います。ただ、ここでしっかり考えないと、将来「七五三現象」の体現者になってしまいますよ。

 「七五三現象」とは、1990年代から2000年代にかけて話題になった、早期離職率と学歴に関わる言葉です。就職して3年以内に、中卒新入社員の7割、高卒新入社員の5割、大卒新入社員の3割が離職する現象を指します。2020年度の離職率は、中卒55%、高卒36.9%、大卒31.2%で七五三現象が問題視されていた1994年頃に比べて、中卒や高卒の離職率は大きく改善されてはいますが、大卒の3年以内の離職率はあまり変わっていません。バブル経済のころは超売り手市場でしたので、転職は難しくありませんでしたが、現在はそうではありません。転職するには、ある程度の技能と経験が必要です。「石の上にも三年」と忍耐を説くことわざがありますが、日本ではすぐに仕事や会社を辞めると忍耐力がないといって信用されない傾向があります。アメリカでは、「終身雇用」が特徴だった日本と違い、キャリアを積んで転職するのが普通のようですが、日本では非正規雇用のためキャリアも積めない若者が増えています。それが若者の未婚率の増加と少子化に拍車をかけている原因の一つとなっています。「ブラック企業」という言葉を知らない人はいないと思いますが、心や体を壊してまで企業にしがみつくことはやめましょう。ただ、自分では判断ができなくなっている場合もありますので、身近に相談できる人がほしいですね。転職についての次の話を読んでみてください。

 「1年ごとに転職を繰り返せば、いずれ雇ってもらえなくなるかもしれないけれど、それも仕方がない。だって自分に合った場所を探すというのは、そういうことだから。」という意見があった。しかし、そもそも、自分に合った場所で働くというその感覚がちょっと図々しい。自分自身も、職場も、日々変化していく。職場とはただの場所ではなく、一人一人が集まってできた人間の集合体です。人の出入りがあれば、当然その場所自体も変化する。自分自身の気持ちの動きも含め、永遠に自分にあった場所で働くというのは不可能。本気で向き合い、ぶつかれば、自分自身も、その対象も変わる。自分に合わない場所で、それでも必死にもがきながら、初めて相手から求められる存在になれた時の喜びは何ものにも代えがたかった。

 厚生労働省『平成30年若年者雇用実態調査』によると、「初めて勤務した会社をやめた主な理由」として最も多く上がったのが、大卒では「労働時間・休日・休暇の条件がよくなかった」で33.2%。「人間関係がよくなかった」21.3%、「賃金の条件がよくなかった」20.9%、「仕事が自分に合わない」19.2%と続きます。また勤務3ヵ月未満に限ると「人間関係がよくなかった」が最も多く38.7%、僅差で「仕事が自分に合わない」で38.6%でした。皆さんは、上記の話とデータを読んで、どう思いましたか。自分に合わないと思ったら、さっさと辞めたほうがよいのでしょうか。どの程度合わなければ辞めるのが得策なのでしょうか。

 以前に「非認知能力」について書いたことがありますが、「自信をもって意欲的に取り組む」「他人の気持ちを汲み、人の境遇や気持ちに共感できる」「異なる価値観を柔軟に受け止められる」「忍耐強く取り組める」「人と協働して取り組める」……そんな生きていく上で必要な社会的スキルのことをいいます。それ以外にも時間を管理する能力や、失敗から立ち上がる精神的強さ、芸術作品や自然を見て感動する心など、主に感情面や情緒面での感性や能力も非認知能力です。一方「認知能力」とは一般的には知能検査で測定できる能力のことを言い、簡単に言えばテストで客観的に点数化できる能力です。どちらも重要ですが、社会に出た時に重要視されるのは「非認知能力」が優勢のようです。社会人基礎力や汎用的能力など、これと重複するものもありますが、今後は意識して「非認知能力」を高める取組を、学校での学習活動全体を通して行っていくことが求められると思います。皆さんも意識して、活動してください。将来「七五三現象」を自ら体現しないように。

ポパイと言えば・・・

 国民運動として「食育」を推進するため、政府が毎年6月を「食育月間」、毎月19日を「食育の日」に制定しています。平成17年6月10日に食育基本法が成立し、それにより「食育の日」が定められました。「食育」という考え方自体は明治時代に既に存在していましたが、近年の「食」をめぐる状況の変化に伴う様々な問題を解決するために「食育」が行われるようになりました。
 食育基本法の前文には、『食育は、生きる上での基本であって、教育の三本の柱である知育、徳育、体育の基礎となるべきものと位置付けられるとともに、様々な経験を通じて、「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てるものとして、食育の推進が求められる』と書かれています。そして、このような食育の推進に当たっては、健全な食生活の実践としての単なる食生活の改善にとどまらず、食に関する感謝の念と理解を深めることや、伝統のある優れた食文化の継承地域の特性を生かした食生活に配慮すること等が求められています。地域の食材を使って給食は作られていますね。   

 皆さんは、給食を食べられなくて昼休みに残された経験はありますか?昔は、嫌いなものがあって食べられないと残されることもありました。食べてすぐ吐いてしまい、その食べ物は今も食べられないという人もいるのではと思います。私は、小学生の時にホウレン草を無理やり飲み込んで、吐いてしまった経験がありますが、今は食べられます。子どもが、ピーマンに代表される苦いものとか酸っぱいものが苦手というのは、毒と感じて体が拒否するからで、ある程度仕方ありません。大人になれば食べられるようになります。たぶん(笑)。今では、味や食感が嫌いで食べられないというよりアレルギーがあって食べられない子が増えています。また、小学校では、朝食を用意してもらえない子や給食が1日で唯一のしっかりした食事という子もいます。この飽食の日本で、餓死する人もいます。個の食事の栄養バランスを考える以前の問題ですね。自分がおいしくないと思うものを栄養があるからと無理して食べるのは、ストレスになります。必要な栄養が、その食べ物でしか摂れないというなら話は別ですが。信じられないかもしれませんが、世界にはチョコレートだけ食べて生きている人もいます。以前にテレビで見て、驚きました。人間の身体って不思議ですね。「食育」には、子どもたちが健全な食生活を営み、健康を維持できるようにするという目的が一番目にあります。ですが、それには食べ物があることが前提にあります。世界全体の食糧について、理解を深めることが大切です。そして、食糧問題と環境問題はセットになっています。7月10日のブログ「納豆好きですか?」で、人間は食べなければ生きていけないと書きましたが、必要以上に生産し、欲望のままに食べ過ぎれば、環境や人体にどんなことをもたらすのか、「食育」を通して考えてもらわなければなりません。3年次生は、近い将来一人暮らしをすることになる人もいると思いますが、「食育」の意義を個人のものから世界全体に広げて、考えてくださいね。

キャラ変、可!

 皆さんは、自分の性格を変えたいと思ったことはありますか?変えたいと思う人の多くは、内向的な性格を外向的にしたいのではないでしょうか。日本人は、血液型による性格占いが好きですが、皆さんは信じますか?話の種としては使うけれど、信じてはいないという人も多いと思います。献血で自分の血液型がA型ではなく、B型とわかって性格が変わってしまった人がいるくらいですから、思い込みや自己暗示は恐いですね。ただ、これをうまく使えば、性格を変えることはできそうです。
 日本人の多くは心配性になりやすいという研究結果があるそうです。心の安定をもたらす「幸せホルモン」と呼ばれる脳内物質のセロトニンが出にくくなる遺伝子があり、日本人の8割がその遺伝子をもっているためだそうです。皆さんは、自分はもっていると思いますか。性格は遺伝的な要素と後天的な要素が半々というのが、様々な研究結果から判明しているそうなので、自分次第で性格の半分は変えられるということです、自分で変えていくには、行動を継続することが必要です。もっと積極的な自分になりたいのであれば、無理矢理にでもそのように振る舞うことが大切です。まずは行動することでスイッチが入って、変わりたいという思いが深層意識にも働いて、それがだんだんと表面に出てくるということです。ですから自分を変えていくようにチャレンジすることが大事なのです。
 人間の性格が年齢や環境によって変化することも、心理学の研究によって明らかになってきました。米国の心理学者クリストファー・ソトーらは、120万人以上の10~65歳を対象に、外向性・神経症傾向・開放性・協調性・勤勉性の平均値が年齢とともにどう変化するか調べたそうです。その結果、外向性には大きな変化がなかったものの、年齢が高まるにつれて神経症傾向は低下し、開放性、協調性、勤勉性は上昇することがわかりました。つまり、同じ人間でも、年齢を重ねれば、心理的な安定性、柔軟性が高い「できた人間」になるというわけです。「歳をとると人間がまるくなる」という言葉は嘘ではなかったんですね。大学生を被験者にして「自分の性格を変える」という実験を行った研究もあります。自分の性格は自分で変えることもできるということも知っておいてください。要は、本当に心の底から変わりたい、変えたいと思っているかどうかです。自分を変えたいと思っている人、あきらめずにがんばってください。「信ずる者は、変えられる」ですよ。

笑う主権者になろう!

 今日は、3年次生に「主権者教育」の選挙出前授業を5、6時間目に行いました。令和2年度から県が実施している「教育イノベーションプロジェクト」の一環として、昨年度から、お笑い芸人による若者の主権者意識を高めるための授業を株式会社笑下村塾と連携して、県内の高校において実施しています。本校は、昨年は6月17日にも実施しています。なお、都道府県が笑下村塾と連携して、全ての高校での選挙授業実施を目指す取組は、群馬県が初めてだそうです。

 今日は、校長室に大音量のフレーズが飛び込んできました。「♪もしかしてだけど~、もしかしてだけど~♪」とギター伴奏とオチのある歌で笑いをとる「どぶろっく」さんでした。3年次生の皆さんの主権者意識は笑いとともに高まったでしょうか。ぜひ、よく考えて自分の一票を行使してください。日本史で勉強したと思いますが、その一票は先人たちが長い間戦って勝ち取ったものです。なくなって初めて有難みがわかるものなので大切にしましょう。残念ながら、明らかに現在の選挙制度は、制度疲労をおこしていると思います。投票率は過去最低を更新続け、それだけでなく、立候補者がいないため今年の統一地方選・前半戦の 41 道府県議選では、総定数(2260)のうち、無投票当選者が4分の1にあたる 565 人に上りました。根本的な問題として、一票の価値の格差の問題も、残っています。これから、日本をどんな国にしたいのか、色々と情報を収集し、政府の政策を判断し、一票を行使することが大切です。一票を粗末にすると泣くことになりますよ。皆さん、自分事として考えましょう。

勉強のススメ

 「なぜ、勉強しなくちゃならないんだろう。こんな勉強が何の役に立つのだろう。」こんな疑問をもち、実際に親に質問した人も少なくないかもしれません。 きっと、言っても無駄だと思って質問さえしない人のほうが多いでしょうね。
 伊藤理佐さんの「幸福のススメ」という漫画の単行本の中に、こんな話があります。遊びや恋愛もせず、小中高校・大学と親や先生の言うとおりにまじめに一生懸命勉強だけしてきたのに、就職難で就職できなかった女性の話です。この女性は仕方なくアルバイトをすることになりました。この女性は、接客業に向いているとはとても言えなかったのですが、あるお客さんとの会話をきっかけに「もしかして学校で習った勉強って今でも役に立つのでは?」と気付きました。現国は、「お客さんの心をよむ」、数学や理科は、「お客さんの話を筋道立てて理解できる」、社会は「いろいろな地方のお客さんと話を合わすことができる」、体育は「働ける体力をつけられる」、英語は「外国人のお客様と話しができる」、そして学力で1位を目指した野心、向上心、努力、忍耐力が役立つと考え、努力した結果、接客の世界で1位を目指すことにします。

 もう一つ、こんな話があります。「なぜ勉強は必要か」と母に聞いた時に、コップを指さして、〇国語なら「透明なコップに入った濁った茶」、〇算数なら「200mlのコップに半分残っている茶」、社会なら「中国産のコップに入った静岡県産のお茶」と色々な視点が持てるよ。多様な視点や価値観は心を豊かにするんだよ。というようなことを返されたという話です。素晴らしいお母さんですね。これはお茶は誰でも知っているが、様々な味わい(とらえ方)があるということであり、それを知っている分だけ心に豊かさをもたらしてくれるということだと考えます。そして、様々な知識があれば、それを足掛かりにさらに多様な疑問につながっていき、知的好奇心を満たすために主体的に勉強しようとする姿勢となり、それが新たな知識の扉を開き、さらに豊かな心のあり方や生き方につながると考えます。
 勉強は、「ただ生きるだけのため」であれば社会保障が行き届いている現在の日本なら、しなくても何とかなるかもしれませんが、「よりよく生きるため」にはしておいたほうがいいと思います。分野の垣根を作らず何でも広く知っておくと、それがベースの点となって様々な知識と関連づけられネットワークを形成し、可能性を広げてくれると考えます。「あ~っ、もっと勉強しておけばよかった!」と嘆くのは、社会人になってからと相場は決まっていますので、皆さんはそうならないようにしてくださいね。

「私と付き合ってください!」「ごめんなさい!」「よろこんで!」どっち?

 文科省が、7月4日に「チャットGPT」などの生成AIの活用について小中高校などでどう活用するかの指針を発表しました。そのポイントは、以下のとおりです。                    

【適切でないと考えられる例】〇コンクール作品や小論文で生成物をそのまま成果物として提出、〇詩や俳句の創作、音楽や美術の表現・鑑賞で安易に使わせる、〇定期テストや小テストで使わせる                                                                          【活用が考えられる例】〇生成物の誤りを教材として使用し、生成AIの性質や限界に気付かせる、〇グループの考えをまとめる活動で、足りない視点を見つける目的で使用、〇英会話の相手として活用                                                                                             【学校での利用の際のチェックリスト】〇年齢制限、保護者同意といった利用規約を遵守しているか、〇個人情報を入力しないよう指導しているか、〇長期休業中の課題で、生成物を応募、提出すること不適切・不正な行為と指導しているか                                                                                     

 中央公論7月号に慶應義塾大学の今井むつみ氏へのインタビュー「AI時代のことば力 言語習得に見る知性の本質」が載っています。今井氏は、人間が言語を習得する際の「記号接地」体験の大切さを強調しています。「記号接地」とは、「ことばと身体感覚や経験とをつなげること。『りんご』と聞けば、その色や模様、匂い、果肉の色や食感、味、舌触りなど様々な特徴を思い出すことができますよね。」「人間が言語を習得するとは、そういうことなのです。」と説明しています。「しかし、AIはそうではありません」「チャットGPTとは『次にくることば予測機』です。」「チャットGPTが作る文章は、文法的な誤りや不自然さがなく、学生のレポートよりずっと整っているかもしれません。しかし、体験に接地せず、統計から導き出した情報を繋ぎ合わせているだけなので、内容がとても表面的です。新しい視点も独自の観点もありません。(中略)もしこれでいいと思う子どもが増えるとしたら、それは人類にとって危険です」「記号接地は創造性の源です」「今こそ記号接地の重要性を認識し、身体化された、経験に根ざした知識を習得していくべきだと思っています」
 以前に生成AIについて2回ブログに書きましたが、今も世界中で議論が続いています。皆さんは今井さんの話を読んで、どう思いましたか。私は、多くの語彙と様々な経験(読書経験含む)があって自分らしい文章が書けると考えています。自分が積み重ねてきたものがベースにあって、チャットGPTを活用するのであれば、おかしなところに気付くこともできると思いますが、そうしたものがなくチャットGPTを利用するならば、AIに思考・表現を支配されてしまうことにもなりかねません。スマホもそうですが、様々な弊害が報告される中、上手に付き合うこともできるはずです。これからAIが加速度的に進化していくことは避けられませんので、皆さんも自分の頭でAIとの付き合い方をよ~く考えてください。                 

               

                                                                                                                                                              

探究心で「もろびとの幸福」を招かん

 今日、7月11日は、「ラーメンの日」と「セブン-イレブンの日」だそうです。この二つについて書こうと思ったのは、二つとも日本文化に大きな影響を与えていると思ったからです。

「ラーメンの日」は「7」を「レンゲ」に、「11」を「箸」に見立てたことと、ラーメンを最初に食べた人物とされる水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門でおなじみ)の誕生日にちなんでだそうで、ラーメン産業の振興・発展とともに、日本独自のラーメン文化を支えることを目的として2017年に認定・登録されました。

 2023年(令和5年)にセブン-イレブン・ジャパンは創業50周年を迎えました。「セブン-イレブン」という抜群の認知度と、社名がそのまま日付に置き換えられるわかりやすさで、記念日の登録を行うことで、更なる情報発信をするのを目的として偶然にも「ラーメンの日」と同じ2017年に認定・登録されました。 

 私は、麺類は「ラーメン」「そば」「うどん」「スパゲッティ」何でも好きですが、どれか一つ選べと言われたら「ラーメン」ですね。外国人にも人気ですが、日本人の研究熱心さから「ラーメン」は素晴らしい発展を遂げ、日本の食文化を代表するものになっています。「カップヌードル」をはじめとするインスタント麺の進歩はとどまるところがありません。他の麺類も工夫が重ねられていますが、ラーメンの種類の多さには敵わないと思います。日本人の食に対する探究心はすごいです。

 セブン-イレブンを始めとするコンビニもまた、歴史は浅いですが日本文化を代表するものになっていると思います。2002年にプロジェクトXで「日米逆転!コンビニを作った素人たち」で放映されましたが、ここでもまた、日本人の探究心が発揮されました。今や、セブン-イレブンだけでなく、ローソンやミニストップ、ファミリーマートなどコンビニはいたるところにあります。そして、そのサービスも日々進化し続けています。外国人が「日本のコンビニはすごい」という感想は、当たり前と感じている私たちには本当の意味で理解できていないでしょう。20年以上前になりますが、「POSシステムによって神の見えざる手を見えるようにする」という内容の番組を見て、コンビニ経営者の苦悩、利益を最大化するにはどうしたらよいか、24時間営業の大変さ、商品の仕入れと陳列の工夫などについて、政治経済の授業で取り上げました。陳列できる商品は限られています。1店舗で2500~3000種類と言われています。何をどれくらい仕入れたらよいのか、どのように陳列すれば一番売り上げが伸びるのか、全てはデータによって最適化が図られていきます。データの収集を担ったのがPOSシステムでした。「何、それ?」と思った人は、すぐ調べてみてくださいね。先日、「みらい学」でたくさんの卒業生の皆さんにお世話になりましたが、社会に出たら常に探究心をもって仕事に取り組み、自分の仕事がどのように「もろびとの幸福」に役立っているのか、考えてみてください。

納豆好きですか?

 7月10日は、1966年にTBSテレビで『ウルトラマン』の放送が開始されたことにちなみ、ウルトラマンシリーズの制作を手がける円谷プロダクションが「ウルトラマンの日」として制定しました。ウルトラマンについて書くと長くなるのは「火を見るより明らか」ですので、ここでやめて「納豆」について書きます。
 今日は、7月10日で語呂合わせとして大変わかりやすい「納豆の日」です。大体記念日というのは、宣伝のために制定することが多いですが、皆さんもご存じのとおり、納豆は関西では関東ほど食べられていません。そこで関西納豆工業協同組合が関西での納豆の消費拡大を目的に、関西地域限定の記念日として1981年(昭和56年)に制定したそうです。昔、「納豆(710)うまいよ平城京」なんて年号の覚え方をしましたが、納豆は奈良時代にあったかどうかは疑問です(笑)。納豆の起源については、諸説ありますが、平安時代後期の武将だった源義家が、前九年の役、後三年の役の際に奥州(現在の東北地方)へ遠征に行った際に納豆が誕生した説が東北では有力なようです。戦が長引いたことで馬の飼料が不足したため、義家は農民たちに飼料となる大豆を差し出すように命じました。急な命令だったことから、農民たちは煮たばかりの熱い大豆を冷ます間もなく俵に詰めて差し出したそうです。すると数日後、大豆は糸を引くようになっていました。これを試しに食べてみたところ美味しかったため、大豆は兵士たちの食料になったそうです。この食べ物はやがて農民たちにも広まり、農民たちも自作して食べるようになったとのことです。ほかに弥生時代説もありますが、「納豆」という語句が確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に儒学者・藤原明衡によって書かれた『新猿楽記(しんさるがくき)』であり、平安時代には「納豆」という言葉が存在していたことが確認されています。ただ、後三年の役は、11世紀の終わりですので、『新猿楽記』に書かれた納豆は糸をひく納豆ではないかもしれません。
 見かけが悪いものを最初に食べた人は勇気があると言われますが(特になまこ)、納豆も糸を引いているのによく食べたなと思います。1994年に刊行された「もの食う人びと」辺見庸 (著)は、世界各地で様々なものを食べるルポルタージュで、日本だと想像もできない食べ物もあり、かなり話題になりましたが、人間は生きるためにはとにかく食べなければなりません。地理の授業で世界の衣食住を学ぶとき、地形や気候、文化によって食べ物も異なってくることを学んだと思います。ただ、食べるものの違いについて学ぶだけでは不十分です。
 消費者庁ウェブページには、次のような文章が載っています。日本では、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」が523万トン(令和3年度推計)もあります。これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2021年で年間約440万トン)の1.2倍に相当します。また、食品ロスを国民一人当たりに換算すると"お茶碗約1杯分(約114g)の食べもの"が毎日捨てられていることになるのです。「もったいない」と思いませんか?
 納豆の話から、食品ロスの話に発展してしまいましたが、「食べ物を粗末にすると罰が当たる」といった昔の人は正しいと思います。残さず食べるということは、食べられる分だけ注文するか、作ることです。SDGsに関係なく、食べ物を大事にしましょう。そして感謝していただきましょう。

「みらい」のために君は何を学ぶのか?

 今日は、28名の卒業生を講師にお迎えして、1、2年次生に「みらい学」を実施しました。講師一人につき生徒4人の座談会方式で各教室に5班をセッティングし、1年次生は2、3限に、2年次生は4、5限に、実施しました。今回の「みらい学」の目的は、社会生活に対する視野と関心を広げ、高校生活で身に付けるべき力を理解すること、それらを踏まえて進路目標を具体化し、目標を達成するために必要な力を理解すること、です。1年次生は、①「働くこと」とは、どのようなことか、②高校で身に付けるべき力はどのようなものか、2年次生は、①その職業は、誰にどのように役立つのか、②役立てるようになるための力を伸ばすために何をしたのか、に焦点を当て、講師の先生を中心に対話的学習をしました。講師の方には、2コマ100分で、4回お話をしていただきました。生徒は質疑応答を通して学び合うことができました。

 本日は平日にも関わらず、後輩のために御協力いただいた卒業生の皆様に心より御礼申し上げます。はるばる関西から駆けつけてくれた講師の方もいらっしゃいました。頭が下がる思いです。生徒の皆さんも、本日の貴重な勉強を今後の進路決定のための学習に生かしてください。そして、将来皆さんが本校に来て、後輩のために話をしてくれることを期待しています。

※今日はたくさん記念日がありました。その中から「ポニーテールの日」を選びました。1995年に日本ポニーテール協会が制定したそうです。7月7日が「七夕」「ゆかたの日」であり、七夕伝説の織姫や浴衣にポニーテールがよく似合うことからだそうです。(笑) 正確には数えていませんが、本校の女生徒の8割くらいは、ポニーテールだと思いますので、付け足しました。

とこしえの0(ゼロ)

 1939年7月6日、零式艦上戦闘機の試作機の試験飛行が始まったことから、今日は「ゼロ戦の日」だそうです。零戦の設計者である堀越二郎をモデルにした映画として、2013年に公開されたスタジオジブリの『風立ちぬ』がありますが、皆さんはご覧になりましたか?私は、小学生のころゼロ戦をはじめとする戦闘機や大和などの戦艦、戦車、潜水艦などのプラモデルを作るのが好きでした。かっこいいと思っていましたが、自国を守る=敵をやっつける(殺す)機械なんですよね。身近に戦争がないので実感はわきませんが、カズレーザーの体験入隊などの番組で自衛隊の演習やブルーインパルスの飛行などを見て、「けしからん」ではなく「かっこいい、すごい」と思ってしまう自分がいます。兵器にも兵隊にも莫大なお金がかかっていますが、ロシアのように使わないでほしいものです。

 零式艦上戦闘機は、ゼロ戦の略称で知られていて、その性能と日本人パイロットの優秀さから恐れられ、敵パイロットから「ゼロファイター(Zero Fighter)」と呼ばれました。「小回りが利き、飛行距離の長い戦闘機を」という海軍の要求で堀越二郎が設計し、時速533km、航続距離3,500kmでした。しかし、速度や航続距離、旋回能力のために軽さが求められたため、防弾装備は優先順位が低くなってしまったようです。1940年の中国戦線から実戦に投入され、第二次大戦中に1万機以上が生産されました。戦争末期の1944年には、最初の神風特別攻撃隊に零戦を改修したものが使われました。科学者や技術者は、自分が作ったものが戦争によって大勢の人間を殺すことになることは仕方がないと思っていたのでしょうか。自分が作らなくても誰かが作ってしまうなら、自分が作ろうと思ったのでしょうか。原爆を作ったオッペンハイマーは、戦後原爆の使用に関して「科学者(物理学者)は罪を知った」との言葉を残しています。戦争が科学技術の進歩を促したのは、歴史上の事実ですが、科学者の探究欲求というものは倫理観では抑えきれないものなのでしょうか。これから科学技術ととともに医学も同時に進歩していきますが、医学も人体実験や臓器売買など非合法なことが行われて発展していくのでしょうか。これから先、正解のない世界で、人類はどのような答えを出していくのか。人任せにせず、考えていきしょう。

※当時の日本の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていました。そのため零戦の「零式」の名称は、採用された1940年が皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であることからつけられました。(日本は紀元前660年に神武天皇が即位したとし、この年を皇紀元年としました。)

 

ムダじゃ・・・ない?

 皆さんは、ムーミンを知っていますか。埼玉県飯能市にムーミンバレーパークが2019年に開業して話題になりましたね。私は初期のアニメを見ていましたので、現代風のムーミンには少し違和感があります。ゲゲゲの鬼太郎やルパン3世なども初期のものと現代のものがかなり違うので(かわいくなっていて)昔のほうが私はいいですね。『ムーミン』のアニメを世界で最初に作ったのは日本だって知っていましたか。アニメの主題歌で「ねえ、ムーミン、こっち向いて」というフレーズは同年代の方ならみんな知っていることでしょう。サザエさんと同じく家族で見る番組でした。スナフキンやミーのファンは多いですが、二人とも妖精だって知っていましたか。私は人間だと思っていました。ムーミン谷のキャラクターの中にジャコウネズミのマスクラットという自称哲学博士で、哲学書を好む偏屈なおじいさんが登場します。いつも、「ムダじゃムダじゃ、まったくムダじゃよ」とつぶやきます。いつも読んでいる本は『すべてがむだである事について』でした。私は、今でもよく覚えていて、このフレーズは好きです。
 というわけで、今日は「ムダ」について少し書きます。皆さんにとってムダって何ですか?どんな時に「ムダ」という言葉を使いますか?「やるだけ無駄」「無駄な努力」「時間の無駄」とか使ったことはありますか。ポジティブに考えれば自分がしたことが無駄かどうかは、死ぬまでわかりません。「幸せ」と同じように「無駄」かどうかを決めるのは、自分自身です。例えば、ぼーっとして何もしていない時間は無駄でしょうか。生産性のないことは、すべて無駄でしょうか。人生には無駄があるからこそ、気付くことも多いのではないかと思います。スケジュール帳が埋まっていないと不安で暇な時間が恐い。そうならないためにも、無駄と思えることも大切にしましょう。余裕があれば無駄も認められます。無駄が人生を豊かにするかもしれませんよ。
※残念ながら、1969年と1972年からの二期にわたってフジテレビ系で放送された『ムーミン』、通称「昭和ムーミン」は原作とあまりにも違っていたため、現在では放映もソフト化も許可されていません。YouTubeなら見られますので、興味をもった人は「昭和のムーミン」を見てみてください。

求む!異次元の教育政策

 子どもがいる世帯は、今や日本社会の少数派です。厚生労働省が実施している「国民生活基礎調査」によれば、2021年度に18歳未満の子どものいる世帯は1073万7000世帯で全世帯の20.7%でした。1989年は41.7%だったのと比べると半分になっています。2023年4月に発足した「こども家庭庁」は「こどもまんなか社会」の実現に向け、子ども政策に全力で取り組むとうたっています。以上は6月30日付の内外教育という教育冊子の巻頭コラムにあった文の一部です。
 私は、「異次元の少子化対策」で「異次元」な政策をぜひ実現してほしいです。経済的支援の強化と若い世代の所得向上、子育て世帯への支援拡充、共働き・共育ての推進、社会全体の意識改革という4つの柱があるようですが、財源問題が大きく横たわっているようです。「こども家庭庁」も理念は素晴らしいと思いますので、結婚・妊娠・出産・子育てに夢や希望を感じられる社会の実現、少子化の克服のために、ぜひお金と人を手当して効果的な政策を実施してほしいと思っています。

 子育て・教育政策として「保育所待機児童ゼロ」と「義務教育における1クラス当たりの児童生徒数を欧米並みに減らすこと」を、ぜひお願いしたいと思っています。少人数クラスのほうが学力が向上するかどうかが不明なことが、財務省がなかなか予算増加を認めない理由のようですが、小学校教員になることの不安を取り除いて志望者を増やすために、「専科教員」も大事ですが2クラスに一人副担任をつけてほしいというのが切実な願いです、残念ながら日本は先進国の中でも特に教育と子育てにおける家計負担が大きく、国が最もお金をかけない国です(義務教育までは手厚いようですが。OECDの調査結果を見ると暗くなります)。

 現在の少子化対策で最も優先すべきは、既に子どもがいる世帯への補助よりも、若者が結婚できる精神的経済的環境作りではないかと識者が言っていましたが、私もそうだと思います。(若者が結婚したくないと考えているなら話は別ですが。戦前戦中の「産めよ殖やせよ」は通用しなく、結婚も出産も個人の自由なので。) 若者の経済的安定と結婚問題は、すぐにどうにかできる問題ではないし、予算が確保できない(増税もできないし、国債も発行できない)のであるならば、少子化が止められないと仮定して、各政党は将来どのような社会になるかを予測して国民に対策をきちんと説明し、選挙を通して考えてもらうしかないでしょう。周辺諸国のことを考えると防衛費の増額も喫緊の課題ですが、人口問題と教育問題は社会を変えてしまいますので、ぜひ大胆な政策をお願いしたいと思います。ただ、数十年後に日本の人口が大幅に減少しても、科学技術がその分進歩していれば状況が悪化しているとは限りません。(例えば、若返りの薬の発明、高齢者でも力仕事ができるパワースーツの発明、ロボットによる肉体労働の代替、安全で安価なクリーンエネルギーの開発など)
 こうした正解のない問いに対して、よりよい解答、「納得解」を考える力をつけるための勉強を、生徒の皆さんはしているわけです。現代社会の課題を多面的多角的に捉えて考え、判断し、自分の意見を表明できるようになってください。自分たちの将来にかかわることですから。

子ども神輿と少子化問題

 昨日、自治会の子ども神輿が「わっしょい!わっしょい!」と暑い中を練り歩いていました。こちらもコロナ禍で中止が続き、4年ぶりでした。娘二人が小学校を卒業してからもしばらくお手伝いをしていましたが、世代交代し手伝いに出なくなってから随分たちます。昔は、途中で4回ほど休憩し、果物や麦茶やアイスなどをもらったり、ホースで水をかけてもらったりして、お賽銭を集めながら地区内の家を回っていました。疲れてくると子どもが御神輿にぶらさがるので、持っている大人は大変です。暑い中、御神輿を担ぐのを手伝いながら、声も出していましたので、大人も大変ですが、途中の飲食店で冷えたビールをいただけるのが楽しみでした。ビールを飲めるのを楽しみにして参加している人もいましたので。

 私が住む地区は、新興住宅地で小学生が比較的多いため、子ども神輿も賑やかですが、少子化のため、地区によっては小学生が一人しかいなくなってしまったところもあります。私の子どもが通った小学校も近隣の小学校2校と統合し、統合される2校の児童は通学バスで通うことになります。今後10~20年で、高校も統合や学級減が進むことになりますが、生徒数の減少によって学校行事や部活動が影響を受けて、活気がなくなるのが心配です。日本の人口が、このまま減少していった時、日本人はどのような選択をするのか、よく考える必要があります。農業や工業などの経済活動を維持するための労働力をどう確保したらよいか。生徒の皆さんは、地歴公民科目をしっかり学習し、根拠とともに自分の考えがもてるようになってください。

WALKMAN 訳すと?

 1979年の7月1日は、ソニーが携帯式ヘッドホンステレオ「ウォークマン」の第1号機「TPS-L2」を発売したことで「ウォークマンの日」となっています。カップルで楽しめるようにヘッドホンの端子が2つあり、定価は33,000円でした(当時の大卒初任給は11万円だったそうなので、現在に換算すると6万5千円弱ですね。皆さん、買いますか?)。

 昔、「プロジェクトX(挑戦者たち)」という戦後日本を支えた技術者達の記録ドキュメンタリー番組があり、中島みゆきが歌った主題歌「地上の星」が話題になりました。その中でソニーが関わったものに「ビデオの規格争い、VHS対ベータ」がありました。ウォークマンも取り上げられてもおかしくないのに、なぜ番組にならなかったかというと、当時の開発者が亡くなっていたことや放映できない事情があったからだそうです。気になった人は調べてみてください。録音機能なしでは売れないとの社内外の反対の声もありましたし、ネーミングでも揉めたみたいです。発売当初はマスコミの反応が芳しくなく、新聞掲載もごくわずかだったために、発売1ヵ月での売上はわずか3,000台に留まっていたそうです。しかし、「重役の7割が反対するプランくらいでやっと先手をとれる。」とパナソニックの松下幸之助さんの金言どおり、このあと大ヒットすることになります。宣伝部や国内営業部隊のスタッフらによる広告・宣伝活動により、当時の若者たちの間に評判が広がり、8月に初回生産の3万台を完売すると、需要に供給が追い付かない状態が年内いっぱい続いたそうです。ソニー内部での金言に「市場は調査するものではなく、創造するもの」というのがあるそうですが、市場調査で売れるものがわかるならみんな儲かりますよね。

 私は、大学生になってから初めてウォークマンを購入し、現在まで7台購入しています。スマホで音楽を聴くようになってからは使っていませんが、大学時代は、外出時はいつも持ち歩いていました。(主に聴いていたのは、ヘヴィメタルとハードロックでした。違いがわからない人は調べてください) カセットウォークマンに続き、CDウォークマン、MDウォークマン、メモリースティックウォークマンなどが発売されていますが、私はCDウォークマン以外、全て購入しています。その後、i-Podなど他のメーカーからも同様のものが発売されていますが、「ウォークマン」は携帯音楽再生機の代名詞です。場所を選ばず、いつでもどこでも音楽を聴くことのできる製品は画期的で、世界的な大ヒットとなりました。「何でも多機能にすればいい」の反対路線でヒットしたのです。音楽再生機器の進歩とイヤホンやヘッドホンの進化は、歩を同じくしていますが、未来はどんなものが開発されるのでしょうか。普通の眼鏡型で、「動画も音楽もOK!」というものが発売されるのも近いかもしれません。音楽がない生活というのは考えられませんが、どんな奇想天外な商品が開発されるのか楽しみです。その商品開発に皆さんの中の誰かが関わるかもしれません。そうしたら周年記念講演会に来て、話をしてくださいね。

※「ウォークマン」は英語としては通用しない和製英語だったので、当初は国ごとに名前がバラバラでした。しかし、日本での「ウォークマン」の人気が世界に広まり、いつしか「ウォークマン」のネーミングは海外でも広く認知されるようになっていきました。そこで盛田会長が決断し、全世界で名称は「ウォークマン」に統一されることになるのです。そして1986年には、世界で最も権威のある英語辞典Oxford English DictionaryにもWalkmanは掲載され、正しい英語として認定されるまでになったのでした。

ぜひ聴いて、読んでみて

 今日は「ビートルズの日」だそうで、最初で最後の来日を果たした1966年6月29日が記念日となりました。当時人気絶頂のイギリスのロックグループ「ザ・ビートルズ」(The Beatles)が羽田空港に到着した様子は、今でもテレビでよく見られます。翌日から東京・日本武道館で3日間5回の公演を行ったわけですが、学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されました。生徒の皆さんは驚くと思いますが、それくらい当時の若者に大きな影響を与えたわけです。ロックは不良のするものというレッテルを貼られたことも、皆さんには想像できないでしょう。「Help!」「イスタディ」「レット・イット・ビー」などは、皆さんもどこかで聞いたことがあると思います。私は、中学生の時に担任の先生がギターを弾いてクラス全員で「イエスタディ」を歌った思い出があります。1970年代に入ってからビートルズの曲が音楽の教科書に載るようになり、1970年代後半から1980年代にかけて、音楽教育において重要なアーティストとして扱われるようになったようです。ほかにも古典的名曲がたくさんありますので、ぜひ聴いてみてください。
 今日は『星の王子さま』の日でもあります。作者のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの誕生日です。1999年(平成11年)のこの日、神奈川県箱根町に世界で最初の記念館「箱根サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」がオープンし、記念日が設けられたそうです。「星の王子さまミュージアム」の開館はサン=テグジュペリの生誕100年を祝した世界的な記念行事の一環として企画されたもので、同館ではサン=テグジュペリの写真や手紙、愛用品の資料展示などが行われたそうです。「星の王子様」の中で、最も有名な文は「心で見なければものごとはよく見えないってこと。 大切なことは目に見えないんだ」でしょう。あと、「星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね……」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね・・・」などは、スタジオジブリの「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」を聞いた時に、頭に浮かびました。有名だけれども、読んだことがない本というのはたくさんありますが、この本は短編なので時間はかかりません。興味をもった人は、ぜひ読んでみてください。

外国由来のモノはどれくらい?

 今日は、貿易の日だそうで、通商産業省(現:経済産業省)が1963年に制定したそうです。皆さんは、中学校までの歴史で勉強した安政の五か国条約を覚えていますか。1858年に日米修好通商条約を始めとして、オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結んだ一連の通商条約です。1859年6月28日、江戸幕府がこれらの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出したことから貿易の日となりました。しかし、これらの大きな問題点は、不平等条約だったことです。高校入試でもよく出る①領事裁判権を認めたこと、②関税自主権がないこと、③片務的最恵国待遇(ロシアを除く)です。この撤廃のために明治政府は、大変な苦労をしました。また、この条約は天皇の許可(勅許)が得られないまま結ばれたことにより、安政の大獄や桜田門外の変(井伊直弼の暗殺)などの事件を引き起こすことになりました。(日本史の授業みたいになりそうなのでこのへんでやめておきます)            

 日本は外国と様々なモノ・サービスの取引を行っています。多くの場合、それでお互いに利益を得るわけですが、取引総額が不均衡になると外交問題に発展する場合もあります。日本とアメリカとの戦後の貿易摩擦の歴史は長く、「ジャパンバッシング(日本たたき)」という言葉も生まれました。また、特殊な輸出品がある国は、それを外交上優位に立つためのカードに使う場合もあります。最近だと中国のレアアースの輸出規制が、それに当たります。日本は、資源を輸入して付加価値を高めた製品を生産し輸出して、外貨を稼ぐ「加工貿易国」ですから、資源の輸入リスクを減らすために多くの国と貿易しています。しかし、一部の国に産出が偏った資源はどうにもなりません。ただ、日本は資源がない分を補うため、持ち前の技術力によって製品だけでなく新しいエネルギーの開発を進め、世界が驚く成果をあげています。近い将来、他国に依存しないエネルギーが確保できるのではと期待しています。国同士の安全保障は、もとは戦争を避けるためのシステムでしたが、今は「食糧安全保障」や「エネルギー安全保障」など戦争に至る前の段階が重要になってきています。「食糧安全保障」には、穀物などだけでなく水も重要です。他国に多くを依存していれば、「食糧」と「エネルギー」は国民の生死にかかわる問題になります。SDGsばやりの昨今ですが、今、皆さんの身の回りにあるモノは、どこから来ているのか調べてみてください。そして、それがどんな人々によってどのように生産されているのかを知ってください。(政治経済の授業か?)

試験って、ホントに・・・

 今日から1学期の期末考査が始まりました。中間考査の結果を振り返り、しっかり準備ができたでしょうか。小学生になってから、たくさんの試験を受けて来て、これから進学したり就職したりしても試験を受ける機会は、まだまだあることでしょう。自分の努力を「見える化」する機会が試験ですので、前向きに取り組んでください。試験には、社会で必要な「相手の意図を読み取る力」の練習という役割もあります。試験のヤマが当たるというのは、当てずっぽうではなく、しっかりと授業を受けて、先生の意図(どこが重要か)を読み取れるから当たるのです。問題には、必ずねらいや意図があるので、それがわからなければ解答以前にアウトです。小論文や面接などは特にそうですね。私も試験については、いろいろ思い出があり、準備が十分できずに試験を受けて、単位を落とす不安に怯えたこともありました。ですから、白紙の答案のまま時間切れになってうなされる夢を何度も見ています。今日は試験に関する話を三つ載せました。皆さんの心に残るものが一つでもあればと思います。 

 仕事や人生一般でがんばることは大切だが、「幸せをキャッチできるかどうか」は、脳科学的に見ると、その人の努力の総量だけでは説明できない。伝説として、松下幸之助さんが就職の面接試験で「君は運がいいのか?」と聞いたという話がある。それで「運がいい」と答えた人を採用したというのである。松下幸之助自身も「自分は運がいい」と思っていたらしい。 

 「ちびまる子ちゃん」で有名なさくらももこさんが、漫画家になる決心をする転機となったエピソードです。何気なく受けた作文の模擬試験で「わたしの好きな言葉」という課題に取り組みました。その試験の結果は思いがけない高得点で、さらに採点者からは「高校生が書いたとは思えない、エッセイ調の文体がすばらしい。まるで清少納言が現代にきて書いたのかと思うような作文でした」という一言がありました。ももこはとても喜び、自分が「エッセイ」を書くことが得意なのではないかと気付きました。そしてエッセイをマンガで描いてみるのはどうだろうとひらめいたのです。そこから寝る間も惜しんでマンガを描き、マンガ雑誌に投稿を繰り返し、ついに卒業を目前にした冬、デビューが決まったのでした。 

 小学校で「だっこの宿題」というものがあります。「家族みんなにだっこしてもらうこと」が宿題だということです。ある小学校1年生の男の子が、家族みんなにだっこしてもらえて、うれしくて「また、だっこの宿題がでないかな」と作文にかいたそうです。その話を聞いた近藤さんという80代半ばのおじいさんが、「だっこ」について忘れられない思い出があると語りました。近藤さんが鹿児島県男子師範附属小学校3年生の時でした。この小学校は入学試験があり、合格した生徒全員勉強ができる子でした。しかし、クラスにどういうわけか一人だけ、みんなについていけない子がいました。その子はA君といい、お父さんは市内の小学校の校長先生で、性格はとても純粋で優しく好人物でした。でも勉強のほうは、まったくダメだったようです。当時クラスは42人で、一列7人の6列で授業を受けていました。そして毎週書き取りと算数の試験があり、各列7人の合計点が最高だった列の子どもたちには、ご褒美に鉛筆が1本ずつ配られたそうです。80年前ですから鉛筆は貴重です。みんな鉛筆がほしくて頑張りました。ところが、A君のいる列はどんなに自分が頑張って勉強しても、明らかに合計点が低くなり、みんなA君が同じ列になることを嫌ったそうです。担任の先生は有川先生という男の先生でした。みんなが有川先生に「A君を他の列にいれてください」と言って、クラス全体が殺伐としたそうです。有川先生もほとほと困り果て、一番前にいるA君に尋ねたそうです。「A君、どうしてほしいかね」すると、A君は叫んだそうです。「先生、だっこして」。それを聞いた有川先生は「おお、そうか、そうか」と言ってA君を抱きしめて、そして号泣されたそうです。これには、生徒全員が目を丸くして驚き、一瞬教室は凍り付いたそうです。それからは誰もA君を自分の列から外してくださいとは言わなくなったそうです。A君には教室でも、おそらく家庭においても居場所がなかったのでしょう。その小さな生命が限界だったのでしょう。「先生、だっこして」は限界の叫びだったのです。その叫びに気付いた有川先生は、A君があまりに痛々しくて、愛おしくて、堪えられなかったのでしょう。だからこそ抱きしめて号泣されたのです。とても尊い光景だったそうです。福間義朝(浄土真宗本願寺派教専寺住職)

 

自己評価と他者評価、どっちが大事?

 今日は「露天風呂の日」「世界格闘技の日」だそうで、それらについて書くことはできますが、教育的?にまとめるのが難しそうだったので、「評価」について書きます。ちなみに露天風呂の東の横綱は群馬の宝川温泉だそうです。世界格闘技の日は、アントニオ猪木とモハメド=アリの異種格闘技戦からです。

さて、なぜ「評価」について書こうと思ったかというと、最近見た記事に次のようなものがあったからです。

 「お前たちは自己評価が高すぎる」「試合に出られないと、すぐ『なんで俺を使ってくれないんだ』と言うだろう。でも悲しいかな、人生は他人の評価で成り立っている。監督がどうしたら使いたくなるか、チームにどんな選手が求められているか考えろ」野村克也(元プロ野球チーム監督)

 皆さんは、自分の自己評価は高いと思いますか、低いと思いますか。日本人の自己肯定感が低い理由を、自己評価が高いのに、他人からの評価が低いという現実があると、「なぜ他人は自分を認めてくれないんだ」という苦しみが生まれるから、初めから自己肯定感を下げておけば、苦しむ必要がないからと分析していた人がいました。心理学の防衛機制ですかね。 

評価に関する言葉として以下のものを紹介します。他人の評価が気になってしまう人は、読んでみてください。

〇風向きが変わると人の評価が変わるというのが世の常です。ユダヤ人を救った杉原千畝は正しいと思ったことは何があってもやるという強い姿勢を貫きました。 歴史上の人物で評価が変わった人はたくさんいます。

〇第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。イチロー 

〇人の評価はまちまちなのが、当たり前だ。だから、そのことで振り回されて、一喜一憂しない。

〇評価は本来ならば、自分が変わっていくのを自覚できるのが理想。それを助けるために、教師が示唆する。

〇「他のグループからの評価に納得できない」という生徒が現れる。その納得できない気持ちこそが「最高の学び」につながる。

〇自己評価を何度も行い、内省的な力が高まるにつれ、自分を客観視できるようになる。教師の評価と生徒の自己評価をすりあわせることが大切で、差異がある時は、生徒にとっては自分を見つめ直すチャンスに、教師にとっては指導方法や評価手法を振り返るチャンスとなる。イギリスの私立名門校の目標は、生徒の自己評価と教師の評価が卒業までに一致するようになることだそうです。

〇目標で大事なのは、その目標を学習者が理解できること。そして、学習者が自ら評価できること。

社会の中で生きていく以上、全ての人が他者から評価されるのは避けられません。他者の評価も受け入れつつ、自分を客観的に評価できるようになることが、自分らしさを確立し、自己肯定感を高めるために必要なのではないでしょうか。皆さんは、自己評価と他者評価のどちらを重視しますか?それともヒフティヒフティ(50:50)ですか。

ざわわ ざわわ ざわわ・・・

 昨日に引き続き戦争関連の話題になりますが、1945年の今日、太平洋戦争における沖縄戦が終結しました。この日を沖縄県が「慰霊の日」と決めて条例で休日としています。沖縄戦について知る場所としては、糸満市摩文仁の平和祈念公園、沖縄県平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館、ガマと呼ばれる住民が避難した自然壕などがあり、修学旅行で訪れる生徒が多く、私も数回見学しています。

 1944年3月26日慶良間列島に上陸した米軍は、4月1日に1,500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員をもって沖縄本島に上陸を開始しました。ここから一般住民を巻き込み、ひめゆり部隊や集団自決などの悲劇を生んだ沖縄戦が始まったのです。そして最後は第32軍の司令官・牛島満大将が自決したことにより、組織的戦闘は終結しました。しかし、その後もすぐに戦闘が終わったわけではなく、死ななくてもよかった人が多くいたのです。米軍が投降を呼びかけても、捕まればひどい目にあわされると信じていた島民は、手榴弾で集団自決したり崖から飛び降りたりするなどしました。沖縄戦では、住民を中心におよそ20万人もの犠牲者が出ました。

 私が日本史の授業で、この日付は覚えてほしいと生徒にずっと言い続けてきたのが、「12月8日」「3月10日」「6月23日」「8月6日」「8月9日」「8月15日」です。何の日かわからない人は、すぐ調べてみてください。

 今日は生徒会役員選挙の立会演説会と投票がありました。選挙管理委員の皆さん、立候補者・推薦者の皆さん、御指導いただいた先生方、ありがとうございました。

演説を聞いていた生徒の皆さんの聞く態度もとても素晴らしいものでした。26日に新しい本部役員が発表されますが、今後の太東を主体性をもってリードしていくことになる皆さんに期待したいと思います。

蛍の光と領土問題

 今朝のニュースで、ロシア議会下院が、9月3日を「軍国主義日本に対する勝利の日と第2次大戦終結の日」とする法案を可決したというのを見ました。ロシアは、旧ソ連時代の「対日戦勝記念日」にあたる9月3日を、2020年に「第2次大戦終結の日」としていましたが、わざわざ、今度は「軍国主義日本に対する勝利の日」という語句を加えて名称変更するみたいです。今後、上院での審議を経て、プーチン大統領の署名で成立する見通しですが、報道のとおり、今回の名称変更がウクライナ侵攻に対して対ロ制裁を科す日本への対抗措置ならば「ウクライナを侵略しているロシア」に「軍国主義」なんて言われたくないよ、ですね。もっともロシアは侵略しているなんて思っていないんでしょうけど。

 また、1965年の今日は「日韓基本条約」などの調印式が行われた日です。この条約をもとに日韓の国交が回復し、戦前の両国関係の清算や戦後賠償などの取り決めが行われましたが、現在は「竹島領土問題」「元徴用工問題」「慰安婦問題」「レーダー照射問題」「輸出管理優遇措置撤廃問題」「旭日旗問題」などを抱え、大統領が替わっても日韓関係は戦後最悪の状態を抜け出せていません。なぜ、このような状況になったのかを、よく理解するためには近現代の日本史を勉強してください。

 現在、日本は中国・韓国・ロシアと領土問題を抱えていますが、これらと絡めて皆さんがよく知っている「蛍の光」について書きたいと思います。昔の卒業式で歌う歌の定番といえば、「仰げば尊し」と「蛍の光」でした。コロナ禍の中で、歌われることがかなり少なくなりました。「蛍の光」には「蛍雪の功」の故事が入っており、共に努力した友との別れを歌っていると思われています。しかし、もともと蛍の光は、学生同士の別れの歌などではなく、国防のために任地へ赴く兄弟(あるいは夫や親戚)との別れに際して彼らを鼓舞する形をとった「日本の領土」を歌ったものなのです。下に歌詞を載せましたが、この歌詞が作られたのが1885年で日清戦争や日露戦争の前です。明治政府が領土も含めて近代日本の確立を図ろうとしていた時期に、大いなる危機感を抱いて国民に国を守る意識をもってもらいたいと考えて作ったのでしょう。

 戦後、アメリカの占領下で日本政府がGHQに忖度したのか、はたまたGHQから直接削除の指示があったのかは不明ですが、3番と4番の歌詞は国家主義的(軍国主義、滅私奉公)だとされました。また、日本固有の領土である沖縄がアメリカに占領され、千島がソ連に占領されていたという事情もあって、教育現場への指導で、3番と4番の歌詞は歌われなくなったのだそうです。

3番4番をわかりやすい言葉になおしたものが、下記のものです。まあ、戦中の軍歌に近いものがありますね。

九州の果てでも 東北でも 海や山で遠く隔てられても 真心は隔てられることなく ひたすらに力を尽くせ 国のために

千島列島の奥も 沖縄も 日本国の護りの要 統治の及ばぬ異国には勇敢に尽力せよ 我が兄弟 無事であれ 

 国家という大きな枠組みがあり、世界から国境が消えない限り、領土問題は存在し、資源・エネルギー・食糧・防衛問題がそこに横たわっています。決して他人事ではありません。今後の世界の枠組みがどうなっていくのか、日本はどういう立場をとっていくのか。それらについて考え、国の行方を決定する政治家を選ぶ(それともなる?)のは皆さんです。すぐに選挙権をもつ日がやってきます。地歴公民科目を勉強して、よく考えてくださいね。

明るいうちに何をする?

 今日は「夏至」ですね。今年は、6月21日ですが、近年では6月21日または6月22日であり、年によって異なります。北半球では一年のうちで昼(日の出から日没まで)が最も長く、夜が最も短くなる日ですね。日の出の時刻は4時30分頃、日没は19時頃で、昼の時間は約14時間30分、夜の時間は約9時間30分となります。ただ、この時期は「梅雨」の期間ですので、日照時間は冬よりも短くなることも多いようです。最近、水が入れられている田をよく見るようになりましたが、夏至から10日程度までを目途に水を入れるそうです。農家は田植えなどで忙しくなる時期ですね。冬至には「かぼちゃを食べる」「ゆず湯に入る」などの風習が全国的にありますが、夏至には全国的なものはなく、食べるものは地域によって異なるようです。関西では夏至にタコを食べる風習があり、「タコの8本の足のように、稲が根を張りますように」という願いが込められているそうです。大体この時期の「夏至には〇〇を食べるとよい」という風習には、「暑い夏に備えて体力をつけよう」という意味があります。

ところで、生徒の皆さんは、地理や地学で勉強しているはずなので、昼間の長さがなぜ変わるのか説明できますよね。なぜ、極地では白夜や極夜があるのかも。

小学生に説明するとしたら、どう説明するか下の図を利用して考えてみてください。

リカちゃん人形の行き着く先は?

 父の日に映画ミーガン(M3GAN…Model 3 Generative ANdroidの略称)を観てきました。「リング」や「呪怨」といった怖さとは違う怖さがある映画でした。妻と娘は恐いものが苦手なので付き合ってはもらえず一人で観てきましたが、劇場内はいっぱいで前から2列目で観る羽目になりました。子どものおもちゃは年々ハイテク化が進み、「たまごっち」とかが懐かしく感じられる昨今ですが、ミーガンは近未来としては凄すぎるおもちゃ?です。一言で言えばターミネーターの子ども版です。しゃべるおもちゃは今では珍しくもありませんが、ミーガンは第三世代のアンドロイドということで、学習機能があり、自らの意思をもつようになります。

 この映画のあらすじは、次のとおりです。おもちゃ会社の優れた研究者であるジェマという女性が、まるで人間のようなAI人形を開発しました。それは子供にとって最高の友達であり、親にとって最大の協力者となるようにプログラムされていました。会社でのプレゼンが成功し、発売へゴーサインが出ます。たしか100万円以上で販売される予定でした。それより以前に、交通事故で両親を亡くし孤児となった姪のケイディを引き取ることになったジェマは、販売前の実験段階のミーガンに対し「あらゆる出来事からケイディを守るように」と指示し、力を借りる事にしましたが、ミーガンが徐々に言うことを聞かなくなり暴走し始めます。結末は、とりあえずハッピーエンドなのかもしれませんが、ターミネーター2の結末のように切ない気持ちになりました。この映画は、近未来のAIが発達した世界に潜む危険性を描いてはいますが、同時に親と子、友達同士といった人間同士のコミュニケーションの大切さを描き、子どもが小さい時からスマホやタブレットを与え、親子の直接的コミュニケーションが不足する現在および未来への警鐘を鳴らしているようにも思えます。

 子育てには五つの態度が欠かせないと言われます。一つは常に子供に「寄り添う」こと、二つ目は「見守る」こと、三つ目は子どもをあるがまま「受け入れる」こと、四つ目は「待つ」こと、そして最後の五つ目は、子どもの声に「耳を傾ける」こと、です。映画の中でミーガンは、まさにこれらを実行していました。ミーガンが子どもにとって愛情の麻薬みたいなものになってしまう危険性を映画で感じられました。

 また、児童心理学者ベティー・ハートとトッド・リズリーの研究によれば、0歳から3歳の終わりまでの3年間で親が子どもにかけた言葉の数には、一番多い人と少ない人では平均で3000万語の差があるということです。驚きですね。発達の初期に子どもにかける言葉の数がその後の子どもの能力に比例するという結果でした。また、言葉の数だけでなく、どんな言葉がどのように発せられたかという言葉の質にも影響を受けることがわかりました。果たして、アンドロイドが親や友達の代わりになる日が来るのでしょうか。すると完璧な子育てができ、完璧な友達によっていじめはなくなるのでしょうか。人間とアンドロイドが共存する社会を描いたSFがありましたが、人間そっくりになって見分けがつかなくなったアンドロイドとの間にどんな問題が発生するのでしょうか。生徒の皆さんが子育てをする頃は、どんな世界になっているのでしょう。対応できるように汎用的能力、非認知能力を磨いていきましょう。

感情を込めて読んで、歌って?

 今日は、「朗読の日」だそうで、2001年に制定された、まだ新しい記念日です。「ろう(6)ど(10)く(9)」(朗読)と読む語呂合わせから日本朗読文化協会が定めたそうです。

 「朗読」と「音読」の違いはと言うと、「音読」には正確性が求められるのに対して、「朗読」は文章や詩歌の内容をくみ取り、感情を込めて読み上げるという表現力が求められる、というように目的が違うようです。朗読を芸術や学問、教育としてとらえる考え方もあり、「朗読」は「音読」の「芸術的形態」であると昔の学習指導要領書には書いてありました。中学校では、小学校での「音読=朗読」の基礎の上に(音読の芸術的形態として)「朗読」まで指導する、ということだったようです。

 平成29年度小学校学習指導要領国語科編の「解説書・文部科学省発行」には下記のように書いてあります。
 音読では、これまでに身に付けてきた、声の大きさや抑揚、速さや間の取り方といった音読の技能を生かすことが重要である。
 朗読は、読者として自分が思ったことや考えたことを踏まえ、聞き手に伝えようと表現性を高めて、文章を声に出して読むことである。音読が、文章の内容や表現をよく理解し伝えることに重点があるのに対して、朗読は、児童一人一人が思ったり考えたりしたことを、表現性を高めて伝えることに重点がある。 

 覚えたいことがあれば、黙読ではなく音読したほうがよいと言われます。小学校の時は、音読をよくしていたと思います。英語は、音読は必須ですね。古文漢文も音読が有効です。うまく音読できないところがあれば、そこは理解が不十分なところです。朗読は、親が子どもを寝かしつけるのに枕元で本を読んでいるイメージです。あとは、紙芝居ですね。私も子どもが寝る時に読み聞かせをしましたが、感情を込めて大げさに読んでいました。日本昔話のナレーションみたいな感じですね。

 感情を込めて読む訓練は、コミュニケーション力を高めるのにも役立つと思います。高校ではなかなか授業や学校行事で朗読する機会がないのが現状ですが、一日一回、意識的に朗読する時間をとってみてはいかかでしょう。住所や電話番号などを感情を込めて読む練習もあるということを聞いたことがあります。国語や英語以外の教科書を朗読するとどうなるのでしょうね。自分の好きな小説やマンガなら抵抗なくできるのではないでしょうか。楽しく表現力を高められるかもしれませんよ。眠気覚ましにもいいかも。ばかばかしいと思わず、ぜひ勉強の合間にやってみてください。

※今日は、元号の日でもあるそうですが、645年の事件をきっかけに、日本初の元号が制定されたことに由来しています。その時の元号は何でしたっけ?日本史で勉強したばかりですよね。現在の「令和」までいくつの元号が定められているでしょう?元号をなくして西暦だけにしろという意見も昔ありましたが、日本人は元号で時代を意識してきましたので、なかなか難しいですね。天皇制とも絡んできますし。

交通安全を自分事に

 今日は、6限のLHRの時間に交通安全教室を実施しました。普通、交通安全教室というと、警察から交通安全担当部署の方がいらしてビデオを見ながら、交通安全講話をしたり、校庭で安全運転講習をするとともに、スタントマンの方に自動車と自転車の事故を再現してもらったりというのが定番でした。普遍的な交通安全について学習することも、もちろん大事ですが、その学校の生徒が実際に通学する経路での危険個所について知り、どのように行動することが自分の身の安全を守るのかについて考えてもらうことも大切です。

 具体的な実施内容は、①交通委員2名がHR教室でクロームブックとプロジェクタを用いてクラスの生徒に自転車の安全運転とマナーの向上を呼び掛け、②学校近くの信号を左折する際の自転車走行についての動画や学校南側の道路での斜め横断の動画を視聴し、自動車のドライバー目線も見てもらい、正しい走行方法についての学習。③グーグルマップを用いて太田市中高生交通ハザードマップにアクセスし、自分の通学路上の危険個所を知り、クラスで共有する活動です。交通係の先生方が動画を撮影してくれて、自分事となる交通安全教室が実施できました。

 先日、第一回マナーアップ運動が行われましたが、ヘルメットの着用をしていない人、イヤホンをつけて運転している人、2列以上並列して運転している人、後方確認をしない人、そんな人は、ほとんど見られなかったようでよかったですが、地域の人から注意されることもあるのが事実ですので、太東生として看板を背負っているという意識をもって交通ルールとマナーを守って通学してくださいね。交通ルールを破らないための第一歩は、遅刻寸前に登校しないことです。生徒の皆さん、余裕をもって家を出てください。

「自分探し」より「自分作り」

 今日は、「〇〇らしさ」について思いつくまま書いてみます。世の中には「男らしさ」「高校生らしさ」「子どもらしさ」「先生らしさ」など、たくさんの「らしさ」があふれています。「らしさ」とは「思い込みと偏見」の押し付けだと思いますが、果たして100%間違っているかというと、そうとも思えません。多様性を認めれば、「らしさ」は消えるのでしょうか。

 「自分らしさ」とは何か、悩んだことがある人も少なくないと思います。自分は平凡だと思えば、なおさらでしょう。「自分らしさ」を探そうとすると、絶対的基準ではなく、どうしても他人と比較する相対評価が顔を出します。私という存在の実感は、誰かとの違いを明確にすることで確かめられるのでしょうか。だから、「自分らしさ」を見つけようとすれば、必然的に自分と他人を注意深く比較し、頭一つ抜けた自分の特徴を探し出すことが必要なのでしょうか。現在では、それを多くの他人の手に委ねて「自分らしさ」を認めてもらうために、SNSでフォロワーやいいね!をどうやって増やすかといった、数による承認欲求の充足という泥沼にはまってしまっています。「自分らしさ」は、自分以外の誰かとの比較競争に身を投じて勝利するしか、見つけられないのでしょうか。「自分らしさ」の3つのポイントとして①価値観を大切にして自然体でいる状態 ②他の人にはない自分の特性 ③自分自身で認める個性 を挙げているブログがありました。周りを気にして自然体でいられない人も多いのではないでしょうか。また、自己肯定感が低い日本人にとって「自分自身で認める個性」も見つからない人が少なくないのではないでしょうか。

 「自分の本当の適性というものは、やってみなければわからないという側面がある。何もしないのが一番いけない。まず第一歩を踏み出すこと。踏み出すという実践の中から視野は広がる。あまり狭く考えないほうがよい」と益川敏英(ノーベル物理学賞受賞)さんは、おっしゃっていますが、言い換えれば「自分らしさ」を見つけるためには、いろいろなことにチャレンジしたほうがよいということですね。先日、皆さんにとったアンケートの「身に付けたい力」の2位が「行動力」でしたから、ぜひ行動力を身に付けて、高校時代にいろいろなことにチャレンジし、「自分らしさ」を見つける、というより「自分らしさ」を育ててください。

虫どうですか?

 最近、ヤスデの大量発生に悩まされています。ヤスデって何?という人のために写真を載せたいところですが、気持ちのいいものではないのでやめておきます。隣の畑から発生しているらしいので、塀際と家の周りに忌避剤をまいていますが、完全に防ぐことはできません。家の中にも出没し、妻と娘が毎日叫んでいます。
 女性で虫が好きという人は、あまり見ませんが、私は小さい頃から百科事典の虫や動物の巻をページが手垢で汚れるほど読んでいましたので、あまり苦手意識はありません。さすがに毛虫とゴキブリは素手で触れませんが、母親の実家で蚕を飼っていて、手伝ったりしていたので、芋虫は大丈夫です。先日、庭と玄関先の鉢植えに2センチほどのかまきりの赤ちゃんを見つけ、可愛いと思いました。昔、ぐんま昆虫の森で、私の手のひらより大きいかまきりを見ましたが、素手で捕まえるのはあきらめました。虫を近くで観察するのは、おもしろいですよ。
 日本では、虫に親しむ文化がありますが、外国ではあまりないようです。例えば、鈴虫などの秋の虫の音は日本人は風流に感じますが、外国人には雑音でしかないようです。セミやカブト虫、くわがた、蝶などを捕りに行って標本にする昆虫採集や、幼虫から育てるなどの文化は、外国にはないようで、家の中で昆虫を育てたり飼ったりすることには驚かれるようです。ということは、ぐんま昆虫の森みたいな施設は外国にはないのでしょうね。もちろん、藪塚の蛇センターみたいな施設もないのでしょうね。キリスト教では、蛇はアダムとイブをそそのかして神の怒りにふれ、地上で地べたをはうことになってしまった動物ですから。
 虫を題材にしたことわざはたくさんありますが、「一寸の虫にも五分の魂」はよく知られていると思います。どんなに小さな虫にも魂があり、命の尊さを表していますが、転じて、小さくて弱い者でも、それ相応の意地や根性があるため、どんな相手でも侮ってはならないという意味があります。昔、読んだ楳図かずおのマンガに昆虫採集をして手当たり次第に虫を標本にしている少年が虫の姿にされてしまい、一本足の巨大な妖怪少女が釘となって巨木に標本のように少年を打ち付けるというものがありましたが、虫をテーマにしたマンガには恐いものが多かったです。「ある朝、 グレゴール・ザムザが目をさますと、 自分が一匹の巨大な毒虫に変わっているのを 発見した。」で始まるカフカの「変身」は有名ですが、もし自分がそうなったらと思うと身の毛がよだちます。ゴキブリは殺して、蝶は助けるというのは、人間のエゴですよね。私は、家の中に出る虫でも、蜘蛛はなるべく捕まえて庭に逃がすようにしています。害虫と益虫の区別は人間の御都合ですが、これもエゴでしょうか。皆さんはどう思いますか。生理的な嫌悪感はどうにもならないものですし、理性的に対応しようと思っても厳しいものがありますよね。
 虫の能力は、実はすごいというのが「仮面ライダー」で表現されていますが、「アラクニド」や「キャタピラー」というマンガにも、虫のすごさが描かれていて詳しい説明もあり、勉強になります。地球上に存在する種は総数180万と言われていて、そのうち100万種以上が昆虫であり、昆虫は地球上の王者です。人類が滅亡しても生き延びるでしょう。人類は、科学の力で昆虫のすごいところを取り入れて、生き延びることができるでしょうか。

※問題 文中の4コマ漫画は、カフカの「変身」のパロディですが、『サラリーマン』という語句を用いて、どこが面白いのかを100字程度で説明しなさい。(出典 《サラリーマン講座》情呆辞典 山科けいすけ著)

解答例 甲虫に変身して慌てている理由がネクタイが締められないというオチと、遅刻しそうだと飛んで出勤するオチで、甲虫になってしまった重大さよりも会社を優先してしまう悲しいサラリーマンの習性を描いているところ。(99字)

小さな親切してますか?

 1963年(昭和38年)の6月13日、「小さな親切」運動本部が発足しました。この年の東京大学の卒業式の告辞で、茅誠司総長が「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことがきっかけとなりました。その後、実践例が新聞などで報じられ、社会から幅広い共感が寄せられ、6月13日のこの日に茅さんを始めとする学者・ジャーナリストなど8名の提唱者が運動を発足させたそうです。「できる親切はみんなでしよう 。それが社会の習慣となるように」、「人を信じ、人を愛し、人に尽くす」をスローガンに運動が進められています。

 私が生まれた年に「小さな親切運動」が始まったのは興味深く、小中学校で覚えがあります。「大きな親切」は無理でも「小さな親切」はできるから、それを積み重ねていけば、よい社会になるはずという考え方は、至極真っ当で、文句のつけようがありません。一方で、「小さな親切大きなお世話」という言葉があることは、皆さんご存じでしょうか。「有難迷惑」という言葉もあります。自分では親切だと思ってやっていたことが、実は相手にとっては却って余計で迷惑以外の何物でもなかったという状況を表す言葉です。こんなことを言うのは教育的ではないかもしれませんが、みんながもっともだと思うことには落とし穴がありますので、さらによい意見が生成されると考え、大目に見てください。

 「地獄への道は善意で舗装されている」「地獄は善意で満ちているが、天国は善行で満ちている」という格言がヨーロッパにはあります。「人の善意は悪意より恐ろしい」という言葉が日本にもあります。この解説として、「善意は基本的に気まぐれであり、継続性に難があるため、それを前提とした付き合いは、むしろ危険である。また、善意はそれだけで善いとされるため、生産性が問われることも少ない。故に、しばしば善意は悪意よりもたちが悪い。悪意を排除するのは大義名分もあり、容易いが、善意は排除しにくいからだ。」とあります。この「善意は排除しにくい」というのが曲者です。「善意でやってくれているのだから・・・」と拒否したいけどできなかったという経験はありませんか。

 私は、被災地の支援に必要なものを送るという行為をニュースで見て、「小さな親切大きなお世話」を感じました。とても被災地で役に立たないものや、古着などゴミに近いものを送られても、それを整理しなければならない人にとっては「有難迷惑」のなにものでもないでしょう。実際、現場で被災した人たちが必要としているのは「善意」ではなく、必要なのは成果であり、生産性の高い活動であり、効率的な支援でしょう。自分の思い込みだけで気配りや心遣いが無いような親切心では、一方的に自身の行為を相手に押しつけるような形になってしまい、かえって相手に迷惑をかけ、最悪人間関係が壊れてしまうことにもなりかねません。

 「自分がされたら嫌なことは他人にしてはいけない」と論語にあります。もっともらしいですが、自分と他者の感覚が同じであるという隠れた前提があります。では、自分が嫌じゃなければ問題ないのでしょうか。自分がされて嫌じゃなくても、相手が嫌がったらだめなんです。逆に「小さな親切」の場合、「自分がされてうれしいことは、他人もうれしい」という前提があって成り立ちます。何をするにしても、よくよく相手のことを考えてする必要があるってことですね。考えすぎると何もできなくなってしまいそうですが、お互い様ですから、多少は我慢しましょう。私は中学校の校外学習の帰りに電車の中でおじいさんに席を譲ろうとして「よろしければ、かけてください」と言ったら「私は、そんな年ではない」と断られてしまいました。白髪の十分なおじいさんだったんですけどね。それ以来、席を譲ろうと思っても、声掛けせずに席を立って移動することにしました。「小さな親切」が「大きなお世話」になってしまった思い出です。

「大丈夫!」

 今日は、「ダウン症の書家」として知られる金澤翔子さんの誕生日です。私が彼女を知ったのは、PHPという雑誌の中の連載ですが、校長室の机の前には校歌とともに日めくりカレンダーが二つ掲示してあり、席の後ろの黒板には、書のコピーが9枚貼ってあります。彼女は、5歳から母の師事で書を始め、20歳で銀座書廊で個展を開催したのち、伊勢神宮や東大寺をはじめ、延暦寺、中尊寺、建仁寺、熊野大社、厳島神社、大宰府天満宮など名だたる神社仏閣の総本山にて奉納揮毫や個展を開催してきました。ニューヨーク、チェコ、シンガポール、ロシア、台湾など海外でも個展を多く開き、成功しています。また、バチカンに大作「祈」を寄贈しローマ教皇庁より金メダルが授与されています。 そのほか、国連本部でのスピーチや国体開会式での巨大文字揮毫、NHK大河ドラマ「平清盛」揮毫、天皇御製謹書など活動の幅は多岐にわたり、紺綬褒章を受章しています。

 絵でも書でも、「ただうまい」ものと「人に感動を与える」ものは、天と地の差があると思います。人の感性に訴える作品は、うまく言語化して説明できない場合もあります。表現できる言葉が見つからないのは,恋や愛の歌にもありますね。感動したり感激したりしたことを、言葉で伝えて共有するためには、やはり語彙力が必要になってきます。先日、グーグルフォームで生徒の皆さんに「高校で身に付けたい力を3つ選んでください」というアンケートをしましたが、1位は2位の「行動力」(33.2%)を大きく引き離して、48.2%と断トツでコミュニケーション力でした。コミュニケーション力も非認知能力として非常に大切ですが、その手段として大切なのが語彙力ですので、こちらも高める努力も怠らないようにしてください。

「くう ねる あそぶ」の意味

 皆さんは、「遊ぶ」ことに対して、どんなイメージを持っていますか。「遊ぶ」の対義語は何だと思いますか。諸説ありますが、正解は何でもよくて、自分がどう考えるかだなと思います。解答例には、「働く」「休む」「学ぶ」などがあります。

 「遊び」というと思い出されるのが、後白河法皇が編纂した今様集『梁塵秘抄』の中にある「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ」です。日本史を選択している皆さんは、授業で学びましたか?このうたを解釈すると「子どもたちは遊びたくて生まれてきたのだろうか。ふざけたりイタズラするのが楽しくて生まれてきたのだろうか。子どもたちの楽しそうな笑い声を聞くと、私も遊びたくなって体がムズムズしてしまうよ。」とでもなるのでしょうか。このうたは、立場から二つの解釈があるようですが、興味をもった人は調べてみてください。

 さて、「遊ぶ」ことについて、次のような文章を見つけたとき、私は「遊ぶ」の対義語は「休む」かなと思いました。「働く」ことにも「学ぶ」ことにも「遊び」の要素を取り入れてこそ、楽しくできるのではないかと考えます。

 「遊ぶこと」は、「決して楽なことでも、息抜きでも、気晴らしでもない」「自分自身のすべてをかけた緊張感や張りのあるスリリングでリスキーな行為であり、何かを学ぶための手段や方法におさまるようなものではない」「子どもにとっては、いつでも最も集中しているのは遊んでいるときであり、遊んでいる時以上に真剣な時はない」「子どもたちは、遊びの中で最高に洗練された人間らしい重要な能力を発揮しているのだ」 

 「遊び」の中で、学び、働き、能力を発揮する。なんてすばらしい。先日の体育祭も、遊びの中に学びがあったのか、学びながら遊んでいたのか、どちらでもいいですよね。準備の段階から実施まで、色々なことが楽しみながら学べたのなら。学校の教育活動が、すべて遊びの視点から捉えなおせたら、面白くなりますね。

※ちなみに「くう ねる あそぶ」は、1988年の車のCMのキャッチコピーです。ミュージシャンの井上陽水が、車の助手席から「皆さん、お元気ですか~」と言うのが話題になりましたが、ある事情で音声が消えました。気になった人は、調べてみてください。日本の社会について考えることができます。

体育祭を終えて、次なる団体戦へ!

 今日は、体育祭を実施しました。先日ほど暑くならず午後からは曇って気温も下がり、よいコンディションでできました。午前中は日が差して少し暑かったので、体調不良者が数名でましたが、足のケガ等、全体的に昨年よりも少なかったので、ほっとしています。午前中は、みごとな日がさと飛行機雲が空にあり、天気予報通り明日の雨を予想できました。今年も生徒会と有志の実行委員の皆さんが頑張って、生徒が主体性をもって体育祭を作れたことをうれしく、誇らしく思います。それを支援していただいた先生方、ありがとうございました。

 昨年の体育祭では、まだコロナ感染に留意して、競技種目を変更したり、応援もスティックバルーンを使って声を出さないようにしたりして、感染防止の工夫をしていました。今年もまだコロナが消滅したわけではないので、注意を促していました。ただ、コロナが5類に引き下げられたので、昨年よりマスクを外せるようになり、声も出せるようになり、円陣を組んでの声出しも見られ、活気ある体育祭ができました。

 私が年をとったからか、生徒の若いエネルギーに圧倒されるとともに、元気ももらっています。応援合戦は、よく短期間でこれだけのパフォーマンスができるように練習したなと相変わらず感心し、皆さん楽しそうにダンスしているので、一緒に踊りたくなりました。丸太取り合戦では、男女とも勝利への闘争心にあふれていて、つい見ていて力が入ってしまいました。

 得点集計までの時間に、チアリーディング部が1年次生のお披露目も兼ねて、パフォーマンスを披露してくれました。チアリーディング部の皆さんも疲れているのに大丈夫かなという心配をよそに、土の校庭の上で見事な演技をし、全校生徒をわかせ、盛り上げてくれました。ありがとうございました。

 来年は、さらに工夫して、(もっと)2盛り上がる体育祭にしてください。それと、昨年の体育祭の日のブログに「学校行事での感動が大きいほど、受験への切り替えもうまくいく」と書きましたが、3年次生の皆さん!今度は全員での団体戦になります。頑張ってください。

「真善美」と「誠明健」

 自分が何者なのかを考える一つの指針に「真善美」があるといいます。〈真〉は、自分は何を信じるのか、〈善〉は、何がよいことだと思うのか、〈美〉は、何を美しいと感じるのか、ということです。あなたの「真善美」は何ですか。『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』は、フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画の作品名です。彼は、故郷のフランスよりも素朴で単純な生活を求めて、1891年にタヒチ島に渡り、そこでこの絵画を描き上げました。素朴で根源的な疑問ですが、考えることがばかばかしいと思うか、それとも答えは出ないけれどもとことん考えてみようと思うか。皆さんは、どちらですか。「美しさ」と言えば、ブルーハーツの『リンダリンダ』を思い出します。その冒頭の歌詞は「ドブネズミみたいに 美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから」でした。考えれば考えるほど、絶対的な「真実」や「善」や「美」などないと思い至ります。人それぞれみんな答えが違うので、自分がどんな人間なのかを知る根拠になります。尾崎豊は『15の夜』で「自分の存在が何なのかさえわからず震えている15の夜」と歌いましたが、誰にもわからないことだと思います。一生懸命生きたら、死ぬ間際にわかることかもしれません。自分が何者かを考える材料に「誠明健」はどうでしょう。一般に定義されている意味ではなく、自分はどう解釈するのか。生徒の皆さんなら、「誠明健はそれぞれどんな意味なのか、自分なりに説明してください」と言われたら、どんな説明をしますか。

楽器、弾けますか?

 今日は「楽器の日」だそうで、一般社団法人・全国楽器協会(全楽協)が楽器を演奏する楽しさを知り、始めるきっかけの日としてもらうことを目的として1970年(昭和45年)に制定しました。一方で「恐怖の日」でもあるみたいで、キリスト教の聖典『新約聖書』の中で、世界の終末を描いた『ヨハネの黙示録』の13章16~18節に「獣の数字」として「666」という数字が登場します。キリスト教の影響下にある文化では、悪魔サタンや悪魔主義的なもの、反キリストにつながる数字とされ、「悪魔の数字」「不吉な数字」とされています。私が中学生の時に見た「オーメン」という映画は、頭に666のアザをもつ悪魔の子の物語でした。今日は、「恐怖」の話題は避けて、「楽器の日」にちなみ明るい話題にしたいと思います。

 「楽器の日」が6月6日なのは、昔から「習い事・芸事は6歳の6月6日から始めると上達する」という言い伝えがあるからだそうです。また、数を指で折って数えると6の数字の時に小指が立つ形になり、「子が立つ」ともいわれ、縁起の良さもその由来とされています。昔は、栄養事情が悪く6歳までで死んでしまう子どもが多かったため、7歳未満の子どもは「神様」であり、神聖なものとして取り扱うべきだという「7つ前は神のうち」という言葉がありました。戦後、栄養事情がよくなり子どもが死ななくなり、生活に余裕が出て来ると、ピアノやヴァイオリンなどを習う子も出てきました。昭和45年というと私は小学2年生でしたが、ピアノ・ヴァイオリン・トランペットを習っている友達がいて、お金持ちだなと思っていました。

 私は音楽の成績がほぼ「3」で「4」をとったのは2回くらしか記憶にありません。そんなわけで楽譜は読めませんでしたが、高校1年生の時に独学でアコースティックギターを練習して、タブ譜があれば弾けるようにはなりました。自分が好きな曲が弾けるようになったときは、うれしかったですね。弦を押さえる指先はかなり固くなりました。先日、軽音楽部について書きました。一人でメロディー楽器を弾くのもいいですが、リードギター・リズムギター・ベース・ドラム・キーボードなどが協力して一つの音楽を作り上げる喜びは、また別物だと思います。オーケストラが美しいシンフォニーを奏でるためには、異なる楽器が数多く存在し、それぞれが他の楽器の演奏にじっくり耳を傾けながら、自分の持ち味を最大限に発揮して演奏をします。演奏者相互の信頼と敬意、協調する気持ちが存在して初めて美しいシンフォニーが可能になります。社会や組織はオーケストラに例えられます。自分とは異なる個性をもった人々が協働しながら、自分の持ち味を最大限に発揮して貢献することで、より多くの人を幸せにできると信じて、最善を尽くすことで社会が発展していきます。皆さんも、自分の個性・長所を伸ばして、様々な人と協働できるようになってください。

※昨年の6月13日のブログに「音楽」が「音学」でない理由について書きましたが、音楽の「音」は歌声、「楽」は楽器の発する音を意味します。文学の学は学問の意味であり、音楽の「楽」は「かなでる」意味です。ですから、楽器は「音を奏でる器」という意味になります。

授業参観日記スタート!

 6月に入ってから、先生方の授業を参観させてもらっています。本校のウェブページのトップに校長挨拶・ブログ通信というボタンがありますが、その右に「授業参観日記」というボタンを作ってもらいました。これから夏季休業に入るまでにすべての先生方の授業を見て、先生方がどのような授業をしてくれているかを綴ってウェブにアップしていきます。先生方がよい授業をしていても、外部はもとより、なかなか校内の先生方にも知ってもらう機会が少ないので、情報交換と広報を兼ねて、発信することにしました。今年の授業研究のテーマは「対話的学習活動」と「ICTの活用」です。これからの社会で生きていく上で、どのような力を身に付ける必要があるか、その力を身に付けてもらうためにどのような授業をしたらよいのか、日々悩んでいるところです。「不易流行」という言葉のとおり、教育の本質は変わらないとしても、時代が変われば、必要に応じて変わるものも出てきます。一人1台端末の活用もそのうちの一つでしょう。高校の教師にとっては専門科目の授業が「命」のはずなので、最も力を注ぐべきものです。しかし、実際には、授業以外にHR経営や校務分掌の業務、部活動指導、その他にも多くの業務があり、授業研究や準備にかけられる時間が十分とれているとは決して言えません。それでも、生徒の皆さんに自分が教える科目を好きになってもらって、できるようになってほしいという願いをもって、先生方は日々の授業の準備を一生懸命にして、教壇に立っています。授業は、先生と生徒が作り上げるライブです。教室はライブ会場です。ぜひ、みんなで盛り上がるように協力してください。

裏切り者の名を受けて~♪

 今日6月2日は、「裏切りの日」だそうです。皆さんが、よく知っているはず?の本能寺の変があった日です(旧暦)。明智光秀が謀反を起こし、織田信長を自害に追い込んだ日です。襲撃を知った信長は近侍の森蘭丸に誰の襲撃かを尋ね、光秀と聴くと「是非もなし」(仕方がない)とつぶやいたそうですが、光秀にそうした行動をとらせた自分にも非があったと思ったからなのでしょうか。戦国武将のリーダーシップや人心掌握術についてビジネス書ではよくテーマになりますが、織田信長のように「相手も自分と同じくらい打たれ強い人間だ」と錯覚していて対処すれば、部下から恨みをかうことになるでしょう。当人は弱肉強食の社会を生き抜いてきただけに、少々の侮辱など気にしない強いメンタルをもっているのでしょうが、部下がすべてそんな人間であるはずはありません。自分と同じようになることを要求するリーダーは、組織は様々なタイプの人間が自分の長所を生かし短所を補い合って協働していくところだということが、わかっていないのでしょう。
 松下幸之助さんは、「豊臣秀吉は、主人である織田信長の長所を見ることに心がけて成功し、明智光秀はその短所が目について失敗した」と言っています。やはり、人の短所よりも長所に目を向けられる人、そして長所を見つけて自然と具体的にほめられる人はすごいと思います。女優のオードリー=ヘプバーンは「美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい」という言葉を残していますが、皆さんも他人の美点を探せる人になってください。
 「人を信じて傷つくほうがいい」と海援隊の「贈る言葉」の歌詞にあります。自分が人を裏切るよりも裏切られるほうが、まだましだと思える人は優しく強い人だと思います。人への言動が自分に返ってくる「ブーメランの法則」が真実なら、人を裏切れば裏切られるということになります。仏教で言えば「因果応報」になりますね。自分が行った善いことも悪いことも、巡り巡って自分に返ってくることをみんなが心に刻めば、戦争なんてなくなるはずなのですけどね。
 瀬戸内寂聴さんは「人間の苦しみの中で一番多いのが、これだけしてあげたのに返してくれないというもの」と言っています。「期待を裏切る」という言葉がありますが、これは、自分がしてやったことに対して返してくれるのが当たり前という期待をもっているから、それが叶わないときに裏切られた気持ちになって苦しむことになるということです。「お前には期待していたんだがなぁ。裏切られたよ。」というセリフを聞いたことはありませんか。「期待してくれなんて誰も頼んじゃいないよ。なんだよ、裏切られたって。」と言い返したくなりますね。期待されると、うれしいと感じて頑張れる人もいれば、プレッシャーに感じて気持ちが落ち込む人もいます。吉田兼好は、「他人に必要以上に期待するな。でないと期待はずれで怒ることも増す。」と言っています。期待通りに動いてくれた時にだけ、「ありがたい」と考えるようにすれば、いつまでも良好な関係でいられますよね。
「どうして~してくれないの?」と不満をもつより「~してくれてありがとう」と考えられるようになれば、心のモヤモヤも消えることでしょう。皆さんは、どう考えますか。

※「裏切る」の語源が気になったので、調べてみました。古い日本語では見た目の姿・形を「おもて」(ほそおもてなどは現在でも使われていますよね)、外から見えない内面を「うら」と表現していたそうです。この「うら」は裏とも書きますし、心(←この字を現在でも「うら」と読みます)とも書きますが語源は一緒だそうです。「裏切る」とは心(うら=外から見えない部分)の繋がりを断ち切ることであり、味方に背くことや、約束・期待などに反することを表現することばになったようです。ちなみにうらを心とする語源から派生した言葉としては「うらやむ」(心が病む)などがあります。

「裏切る」の語源は、上記のものがきれいだなと思って載せましたが、味方を後方(裏)から切るという説もあり、真偽は不明です。

生成型AIとどう付き合う?

 4月17日のブログで、チャットGPTについて書いてから1か月以上たちましたが、その後も多くの議論が起こっています。携帯電話やスマホの普及で問題が起こった時も、利用を禁じるより賢く扱う方法を一緒に考えてはどうかという意見がありました。生成型AIについても、同様の意見があります。13歳以上18歳未満のチャットGPT利用には、保護者の許可が必要とされています。ですから、高校生の皆さんは、学校の授業で使う場合には保護者の許可がないとほとんどの人はチャットGPTが使えません。ただし、実際には自宅で使えてしまいます。現在のように一人1台、スマホやパソコンを持っている状況では、便利だと広まってしまったものに規制をかけるのは至難の業です。行政や大学などでも対応が分かれていますが、やはり小・中・高の教育現場では、文章力が低下するという危惧が大きいです。ある教育関連企業が実施した調査によると、小学生のおよそ6割が作文に苦手意識をもっているそうです。公務員向けの文章作成講座の講師は、「作文が苦手」な人の割合は大人も変わらないと言っています。要するに、自分で文章を作成した経験値が学校教育や社会人生活でほとんど増えないのが問題で、チャットGPTに文章力を奪われることを気にする前に、学校教育での文章指導の在り方を見直す必要があるということです。

 現在では、まだAIの答えを信用できないので、批判的に受け止める力と間違いを修正する力が必要とされます。ただ、今後かなり早い段階でAIの答えの精度が劇的にあがることが予想されます。その時、私たちに必要とされる力は何でしょうか。そもそも『何を問い、何を解決したいのか』が明確でなければ、AIに聞くこともできません。新学習指導要領の下で、対話的活動が重視されていますが、対話型AIは、やりとりを重ねて子どもが考えを深めることができる相手になれる可能性があります。

 研究でAIは自然言語処理の過程でハルシネーション(幻覚)を起こす可能性があることがわかっています。ハルシネーションとは、もっともらしいウソ(=事実とは異なる内容や、文脈と無関係な内容)の出力が生成されることです。新井紀子氏(国立情報学研究所社会共有知研究センター長・教授) は「チャットGPTの『答え』が確率と統計に基づくものである限り、正しさについては今後も保証されることはない」「自分がよく知っていることに関する下書きにはチャットGPTは使える。しかし、自分がよく知らないことには使わないほうがいい。高い安全性や信頼性、真実性が必要なことには使ってはいけない。」と警鐘を鳴らしています。

 ダイナマイトは、土木作業に役立つ一方で、兵器に転用されれば人殺しの道具になります。同様にAIも道具です。コンピュータはハード面ソフト面双方で今後も加速度的に発達していくことは間違いないので、うまく付き合っていく方法を前向きに考えていったほうがいいでしょう。皆さんが、進学した時、就職した時、AIによって世の中はどう変わっているでしょうか。そうした変化に対応するためにも、高校時代にできるだけ汎用的能力を磨いてください。

写真の胡蝶蘭は、3月1日の卒業式にいただいたものと、6月1日現在のものです。3か月たつのに、まだこれだけ残っているのはすごいですよね。

天災は忘れたころに・・・

 今日は、短縮授業で6限終了後に地震避難訓練が実施されました。日本海側、太平洋側と、最近、地震が多いですよね。北朝鮮のミサイル発射でJアラートが話題となり、沖縄の人は不安だと思います。東日本大震災から12年が過ぎ、いまだに悲痛な叫びを伴った津波の動画はネット上でたくさん見られます。

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあるとおり、年に数回は危機管理の心構えを持ち直すことが必要だと考えます。学校は鉄筋コンクリートで通路も複雑ではないので、地震や火災などに強いと言えます。本校は海や大きな川の近くでもなく、山が側にあるわけでもなく、比較的安全な場所にあります。それでも避難訓練をするということは、実際の危険に対処する以外に、どこに行ってもその場所に合った避難をできるようにすること、つまり自分の頭で考えて安全を守る行動ができるようになることが目標だからです。これから先、旅行等でどんな場所で災害に遭遇するかはわかりません。避難経路の確認と万が一の時に冷静に周りの状況を見て、落ち着いて行動できるようになってほしいのです。

 学校は、校舎は頑丈で外に出やすいし校庭は広いので、避難自体はそれほど困難なことではありません。ただ、生徒と職員全部で800名近くになりますので、パニックを起こさず落ち着いて避難しないと、階段や通路で将棋倒しになって、地震や火災以外の面で怪我をする危険性があります。冷静に迅速に避難できるかが、どんな災害の場合でも求められます。1分1秒が生死を分ける避難もあります。「慌てず急げ」が合言葉ですよ。

けいおん!

 今日は、昼休みに大会議室で関東大会の壮行会がリモートでありました。出場するのは、陸上競技部、少林寺拳法部、ボクシング部、登山部(大会がまだ先なので、本日は不参加)です。ぜひ、ほどよい緊張感をもちながら、自分のベストの状態で臨んでくれればと思います。壮行会のあと軽音楽部のミニライブが視聴覚室でありました。手書きのかわいい招待状を前日に渡されていましたので、弁当をかっこんで視聴覚室へ行くと、まだ準備中で10分くらいしてから開演になりました。聴きに来ていた生徒の数は、ざっと数えて90人ほどで盛況でした。3バンドで3曲聴かせてもらいましたが、「青春してるなぁ」と羨ましくなりました。もうすぐ還暦の私としては、知っている曲がないのは仕方ないのですが、クラッシックとして「ビートルズ」や「ディープパープル」「レッドツェッペリン」など演奏してくれたらうれしいなぁと思いました。本校の軽音楽部は部員数が80名弱で、部員数断トツの1位ですが、そのせいで練習場所がないのが悩みですね。ギターは一人でも練習できますが、ドラムは厳しいですね。自宅に地下室でもあれば別ですが。練習して自分の好きな曲が弾けるようになったときはうれしいものです。軽音部の皆さんも、運動部に負けることなく目標に向かって練習してください。

常識と非常識が逆転する日

 今日5月29日は、語呂合わせで「幸福の日」らしいですが、幸福について書こうとすると、かなり長文になりそうな嫌な予感がするのでやめておきます。
 というわけで、今日は当たり前と一般に思われていること、つまり常識を疑うことについて書きます。ユーチューブにビジネス書をボイスコミックで紹介するものがあるのですが、先日見たものに「ニュースは見るな」というものがありました。なぜ、ニュースは見ないほうがいいのでしょう?私もニュースは同じものが飽きるほど繰り返されるし、肝心なことはテレビ局に都合が悪いのか報道されないことも多いし、時間の無駄と思うことが多々あります。週末に1週間の主なニュースをまとめて見るだけで十分な気がします。ニュースは報道する価値があるからニュースになるのではなく、視聴率がとれるものをニュースにするという側面があります。コロナの報道も視聴者の不安を煽ったほうが視聴率がとれると言われました。ニュースの中で本当に報道する価値のあるものは、果たしてどれくらいあるのでしょう。若者の犯罪の増加や凶悪事件の増加、高齢者の事故の増加、外国人犯罪の増加などは、ニュースによって間違ったイメージが作られたものです。「ニュースを見た(読んだ)ほうが世の中のことがわかるからいい」という常識や思い込みを、もたされてはいませんか。
 「重役の7割が賛成するプランは時すでに遅く、7割が反対するプランくらいでやっと先手をとれる。」と松下幸之助さんは言っていますが、独創的発想、斬新なアイディア、これらは世間の常識を裏切って生まれてくるということですね。逆説的ですが常識の範疇を超えたアイデアを出すためには、まず常識を知り尽くさねばなりません。そのために学校は大事です。社会の常識を学ぶところですから。
「本当の意味で勉強するということは、常識を学ぶことではない。常識を知り、そこから外れてもいいということを学ぶことである」と言語学者の外山滋比古さんは言っています。
皆さんが、当たり前と思って少しも疑っていないことが、世の中にはたくさんあると思います。身近なところで何があるか、考えてみてください。そして、それが当たり前でなくなった先には、どんな社会が待っているのでしょう。

アンテナ感度は良好?PART2

最近読んだ「内外教育」という小冊子に以下のような話が載っていました。(要約です)

 以前に教育実践のコンテストで審査員をしたときのこと。児童に毎朝、タブレット端末でその日の気分を入力させて心の健康をつかむという活動報告があった。私は感心して高い点をつけた。しかし、ほかの教員経験者の審査員の受けは悪かった。「指導の観察は教員がしっかり見るのが筋」という理由による。このような情報ツールで子どもの異変をつかむ手法は、教員の助けになろう。ただ、「心の健康は出席をとりながら顔を見てこそ」と反発した教員OBたちの姿勢は尊い。対話型人口知能が教育現場に入ってきたとしても、一人ひとりとしっかりつながる矜持(プライド)だけはAIの時代にも失ってはなるまい。

 皆さんは、この話を読んでどう思いましたか。欠席している生徒が誰かわかっていても、40人全部の顔を見ながら、声の調子を確かめつつ呼名をするのが理想だと思います。小学校のように20人学級なら十分できる余裕があるかもしれません。しかし、実際には朝の連絡事項が多すぎて、一人ずつ呼名できず、ざっと全員の顔を眺めるのが精いっぱいかもしれません。ですから、教員の多忙化の中で、「生徒と接する時間を増やしたい」と思っている先生が多い現状を考えれば、朝の体調や気分についてアイコンの顔マークを選んで、泣き顔や困った顔を選んだ生徒は、理由を簡単に書いてもらい生徒への声掛けや対応に役立てられるようにするソフトは、よいのではと思います。忙しかったり疲れていたりすれば、生徒の表情や雰囲気がいつもと違うということを見過ごすこともあるかもしれません。ただ、正直に入力しない生徒もいるかもしれませんので、最後は生徒をよく見て、対面して話をしっかり聴くことが大事なのはいうまでもありません。残業時間が100時間を超える先生が珍しくない状況では、そうしたソフトはありがたいと考える先生も少なくないのではと思います。また、生徒が入力してくれたことで話を聴くきっかけとなるだけでもいいのではないかと思います。皆さんも悩み等があるなら、一人で抱え込まずに、誰か話しやすい先生を見つけて、相談してくださいね。

失敗は成功の・・・

 今年度最初の定期考査が終了しました。努力に見合った満足する結果が得られたでしょうか。中間考査初日のブログでは、成功について触れましたので、今日は「失敗」について、私が書き留めてきた言葉の中から抜粋したものを紹介します。今回の考査で、失敗したと落ち込んでいる人がいたら、よく読んでください。失敗を前向きにとらえられるかどうかが、成長の鍵です。

〇早稲田大学の創設者である大隈重信のいた佐賀鍋島藩は、藩士教育に熱心なあまり、成績不良な学生の家禄を半分にする、といった罰則まで設けていました。現代では、受験地獄がいくら厳しくても失敗すると親の給料まで半分にされてしまうというようなことはありません。それほど当時の藩の経営は厳しく、また武士たるものの責任は重かったのです。大隈重信は次のような言葉を残しています。「諸君は必ず失敗する。ずいぶん失敗する。成功があるかもしれませぬけれど、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たなければならぬ。たびたび失敗すると、そこで大切な経験を得る。この経験によって、もっと成功を期さなければならぬのである。」  

〇失敗からは必ず新たな発見がある。最近は、失敗するのが楽しみになってきました。田中耕一(ノーベル化学賞を受賞)

〇失敗すればするほど幸運はくる。若い間に、いっぱい失敗して挫折してください。」山中伸弥(京都大学教授 世界で初めてiPS細胞の作製に成功し、ノーベル医学・生理学賞を受賞)

〇失敗をただの失敗と思うか、おいしいと思うかの違いなんです。失敗って視点を変えると結構面白かったりしますから」東国原英夫(元宮崎県知事)

〇「失敗したからって何なのだ。失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか」ウォルト=ディズニー

〇そもそも失敗は、脳にとって最高のエクササイズである。失敗して痛い思いをすると、その晩、失敗に使われた関連回路の閾値が上がり、電気信号が行きにくくなる。胸の痛い失敗を重ねれば、要らない回路が消え、失敗しにくい脳に変わるとともに、とっさに余分な回路に電気信号が行かないので、本質を見抜き、勘が働く、センスのいい脳になる。

〇人が成長する上で、必ず経験しなければならない失敗があるのです。これが「よい失敗」で、別の言葉を使えば、「必要な失敗」といえます。

〇人は正解を教えてもらったら、盲目的にそれしかやらなくなります。試行錯誤をしなくなるんですね。絶対に失敗させて、試行錯誤させれば、どれだけセンスのないやつでも成功できるんです。全員失敗させて、全員成功させるんです。

いかがでしょうか。失敗を単なる失敗で終わらせるか、「勉強させてもらった」と感謝して、成長と次の成功に生かせる糧とするか。それはあなた次第です。

3.14・・・楽しめる!?

 昨日、興味深いニュースを見ました。兵庫県の西宮市立西宮高校3年の4人が「三角比の定理」などを用いて「円周率の新しい求め方」を証明し、まとめた論文がオーストラリアの国立ニューサウスウェールズ大学が発行する数学雑誌に特に注目すべき記事として掲載されました。高校までで学ぶ公式などを使って証明することは困難とされていて、新たな証明方法として評価されたそうです。研究を始めたのは彼らが1年生だった2021年9月で、身近な疑問を出発点に深く探究する授業の中で、「円の面積と内接する多角形の面積は近似する」というテーマの着想を高校受験の問題集から得たとのことです。半年ほどかけて挑んだ末、高校1年で習う「三角比の定理」などを用いて、スムーズに証明できることが分かりました。指導した先生は「私がほとんど口を挟むことなくやってのけた。円周率の証明は伝統があるが、高校生が学ぶ知識で解けたということに大きな意義がある。数学界でいうと“エレガント”な証明」と太鼓判を押しました。生徒たちは「答えにたどり着くまでの過程を導くために、自分たちなりに試すことに楽しさを感じた」「諦めないで続けていけば道は開ける、という自信につながった。これからも大好きな数学に関わっていきたい」と述べています。研究の原動力は、尽きぬ探究心だそうです。皆さんも、ぜひ探究心をもって好きなことに取り組んでください。

 さて、円周率についての話をもう少し書きたいと思います。1999年秋に某N学習塾が2002年の学習指導要領改訂をとりあげ『ウッソー!?円の面積を求める公式 半径×半径×3!?』、『円周率を3.14ではなく、「およそ3」として円の求積計算を行います』と書かれた広告を首都圏の通勤電車の中に大量に張り出すなどして大々的なキャンペーンを行いました。この衝撃的な情報は全国に広まり、マスコミによって拡散され、首都圏の学習塾の思惑(公立学校に行かせるとこんな事になっちゃいますよ。いいんですか?)を助けることになりました。そしてゆとり世代は"円周率を3として習っている"という認識が世間一般で広がってしまいましたが、この話はデマです。正確には 「円周率は3.14だが、実際の計算では3として取り扱っても良い」 ということです。これは、小学校5年で習う小数の計算では、小数点以下1桁までしか扱わなくなったことに関連しています。これに関連して2003年に話題になったのが東大理系の前期試験の「円周率が3.05よりも大きいことを証明せよ」です。メディアは、「東大がゆとり教育を否定した」などとセンセーショナルに取り上げ、もっとも有名な大学入試問題の一つになりました。興味をもった人は、ネットでたくさん取り上げられていますので考えてから解答を見てみてください。3.14がどんな数字なのかを考える人と単に円周率として覚える人では、学年を重ねるごとに数学だけでなくすべての学習で大きな差がつくことでしょう。

 そのほか円周率に関するトピックでは、2019年3月14日に、グーグル社で日本出身の岩尾エマはるかさんが、円周率を小数点以下31兆4000億桁まで計算することに成功したことや、19世紀末のアメリカのインディアナ州で円周率を3.2という間違った値に勝手に決める内容を含んでいる法案が通りそうになったことなどが、興味深いです。円周率がアバウトだと失敗してしまう国家プロジェクトもあります。日本の小惑星探査機はやぶさの軌道計算には「3.141592653589793」が使われましたが、もし「3.14」を使っていたら最大で約15万キロも軌道がずれてしまう可能性がありました。日本には円周率11万桁を覚えた世界記録保持者原口證さん(77歳)がいますが、原口さんは意味のない数字の並びである円周率に、独自の語呂合わせで770以上の物語を作り、記憶しています。最後に彼の言葉を紹介します。

「『実行八分目』が大切。精一杯頑張ったら、翌日は疲れてやりたくなくなる。でも、物足りなさを残してやめておけば次の日も楽しみながら実行できる。その繰り返しが、継続へとつながるのです。目標も決して定めない。達成しなければという義務感が生じ、つい頑張ってしまうから。頑張りすぎる→苦しむ→目標に届かず挫折、という悪循環に陥ってしまいがち。「大事なのは続けることではなく、続けられること。肝心なのは、楽しくやることではなく、楽しくやれること」 

『論語』にある孔子の言葉「之れを知る者は、之を好む者に如かず 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」が思い出されました。「学ぶことにおいて、その知識を知っているだけの人間は、勉強を好きな人間には及ばない。勉強を好きな人間は、勉強を楽しんでいる人間には、及ばない。」何かをできるようになりたかったら、楽しんでやるのが1番!ということですね。「楽してやる」ということではなく、「真剣に、でも、楽しんでやれる」ということだと思います。何事も楽しんでやれる工夫ができるかどうかですね。 

中間考査初日「はじめの一歩」

 本日から令和5年度最初の定期考査が始まりました。1年次生は、高校入学後初めての定期考査になりますが、十分準備をして臨めたでしょうか。2週間以上前から準備している人もいる一方で、一夜漬けになってしまった人もいるかもしれません。中学校までは、一夜漬けでもある程度いい成績がとれていても高校ではそうはいきません。手遅れになる前に計画的に学習する習慣をつけましょう。「習慣は第二の天性」です。発明王エジソンの最も有名な言葉に「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」がありますが、「あきらめずに努力を継続できる力」こそが、夢を叶えるために必要な力だと考えます。また、エジソンはこうも言っています。「人生の落後者の多くは、あきらめた時に自分がどれだけ成功に近づいていたかに気づかなかった人たちだ。」同じように、松下幸之助さんは、「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。」と言っています。吉田松陰の名言に「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし、故に、夢なき者に成功なし。」がありますが、非常にわかりやすいですね。似たような論法の言葉に元英国首相のマーガレット・サッチャーの言葉があります。「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。」 

 某企業の人事担当者が「筆記試験だけで合否を決めると、合格者が女性ばかりになってしまう」と嘆いているのを読んだことがあります。定期考査の話から、少し大げさな話題に発展してしまいましたが、男子は女子に比べてコツコツ頑張るというのができない人が多いようで、前述の人事担当者の話のようなことになりがちです。

 勉強だけでなく、部活動においても正しい習慣をつけることが大事です。何事も小さな一歩の確実な積み重ねですよ。どこの進学校でも、初めての定期考査の結果に落胆し、心折れる人が少なからずいますが、その結果を真摯に受け止められるなら、大丈夫です。挽回できますから、頑張っていきましょう。

「PR」どんな意味?

 先週の金曜日の「総合的な探究の時間」に「学びみらいPASS」の事後指導が2、3年次生に対して行われました。その中で「自己PR」について触れられていましたが、入学試験でも入社試験でも書類や面接での自己PRは大事です。PRはプロパガンダなら宣伝の意味で、ある政治的意図のもとに主義や思想を強調することとして使われます。ヒトラーのナチスが行ったことや社会主義・共産主義国で行われたことなどが典型的です。「自己PR」のPRは「パブリックリレーションズ」のことであり、本来は組織体とその存続を左右する一般市民との間に、相互に利益をもたらす関係性を構築し、維持するマネジメント機能という意味です。言い換えると「自己PR」は企業と自分との間に相互の利益をもたらす関係を作ろうとする行為ということになります。もっとわかりやすく言うと自分のセールスポイントをアピールして自分がその企業に貢献できる人間であることを、面接官に評価してもらうための行為となります。つまり、大学入試の自己PRなら「自分の過去現在未来の勉強について語り、将来の夢に向けてどんな勉強や活動がしていきたいのかを具体的に説明でき、大学の活性化に貢献できる人物か」が評価されます。入社試験の自己PRなら、「自分はどんな勉強や経験をしてきて、どのようなスキルがあり、どんな仕事で会社に貢献できる人物か」が評価されます。日本人は、自己肯定感が低く、謙虚なため、自己PRが苦手であるという見方がありますが、だからこそ、「主体的で対話的な学習活動」が重視されるようになったのです。生徒の皆さん、本校で様々な活動に取り組み、非認知能力を高め、自信をもって自己PRができるようになってください。 

※「学びみらいPASS」は、生徒たちの進路に関わる興味・関心をひろげ、“変化の時代”に求められる力を客観的に測定するアセスメントテストです。ジェネリックスキルが1年前と比較してどうなったのか結果を分析し、解説して今後の学習に役立てます。

※ジェネリックスキルとは、特定の専門分野に関係なく、全ての人に求められる能力であり、コミュニケーションスキルや論理的思考力といった「汎用的な技能」の他、チームワークやリーダシップ、倫理観などを含む「態度・志向性」、「統合的な学修経験と想像的思考力」なども含みます。

もしもPTAがなかったら・・・

 今日は4年ぶりに対面でのPTA及び後援会の総会を開催することができました。心配していた雨もあがり、気温もそれほどあがらずほっとしました。300人を超える保護者の皆様に御来校いただき、誠に有難く思います。教室棟の1階から3階まで、授業参観の保護者の方があふれていて(笑)、久しぶりの光景でした。高校では、保護者が授業や学校行事、部活の様子を見る機会がもともと少ないと思いますが、コロナの影響で少ない機会が、さらに少なくなった、というよりなくなってしまいました。今後は、御子様の様子を見られる機会が増えるのではと思います。ただ、本校は教室が狭いため、特別教室以外では教室後方に入れるスペースがほとんどなく、廊下から見ることが多くなってしまうのが残念です。学校によっては机の大きさが2倍ほどあり、1教室20人という環境のところもありますが、もう少し高校の教室環境を改善してほしいと思います。今は教室にエアコンがついていて、20年以上前、39℃の教室で意識が朦朧としながら授業していたころに比べればよくなりましたが、教室の人口密度は変わっていません。中学校では、必要教員数を満たせず、本来は35人学級なのに40人でやらざるを得ないところも出てきていて、時代に逆行しています。日本は、2021年のGDPの中で公的教育費の占める割合で見ると世界で138位です。どう思いますか。「教育は国家百年の大計」といいますが、国の将来を担う子どものための教育予算をもっと増やしてほしいと思います。ここには書けないこともたくさんありますが、今できることをやるしかないと考えて頑張ります。さて、タイトルの「もしPTAがなかったら・・・」のあとに続く言葉は何か、生徒の皆さんにはわかってほしいです。

G7広島サミットの行方

 G7広島サミットが、今日開幕しました。 核兵器保有国の米英仏の首脳が、そろって広島を訪れるのは初めてであり、今回、最も大きな関心事は米英仏の首脳に原爆資料館を見学してもらえるかでした。2016年にオバマ大統領が訪れた時も資料館を見学しましたが10分足らずで本当に見てほしいものを見てもらえたかどうか疑問です。今回、およそ40分間にわたって、首脳が揃って原爆資料館を視察したのは歴史的出来事だったと思います。岸田総理は、今回のサミットについて「核兵器のない世界に向け、『あのとき、流れが変わった』と言われるぐらいの大きなメッセージを発していきたい」と意欲を示していました。各国首脳がどういった展示を見たかは明らかではありませんが、核廃絶に向けての新しい一歩になったと思います。原爆投下の是非については、いまだに「戦争を早く終わらせ、被害を広げないために仕方ないことだった」ということを考えているアメリカ人が大半です。(ただ、若い人は4人に1人くらいというデータもあります。)日本でも原爆投下までにどのような経緯があったかについては、学校で詳しく教わることはありません。アメリカでは尚更でしょう。(なぜ、そうなるのかは皆さんが考えてみてください)原爆や東京大空襲は、極東国際軍事裁判(東京裁判)における「人道に反する罪」にあたるはずですが、戦勝国が裁かれることはありません。どんな戦争も正義を自分の側に引き寄せるために「大義名分」を掲げます。ロシアのウクライナ侵攻もそうですね。原爆投下の大義名分「戦争の早期終結を図り、これ以上犠牲者を出さないため」も然りです。日本の「大東亜共栄圏」(欧米の植民地支配からアジア諸国を解放する)もそうです。歴史を振り返れば、核兵器を含む軍縮と軍拡は繰り返されてきました。軍事に使うお金があるなら、他のことに使ったほうがよいことはみんなわかっています。しかし、軍事力のバランスをとることが戦争を抑止するという考えが、相互不信のため捨てられず、軍需産業(死の商人)の利害も加わって、「核兵器廃絶」は絵に描いた餅となっています。今回のサミットが、核兵器廃絶に向けた新たな一歩になることに期待したいと思います。生徒の皆さん、歴史をしっかり勉強して社会的事象の本質がつかめるようになってください。2年次生は11月に修学旅行で広島に行きますね。事前学習をしっかりやってください。

言の葉の園生

 何か、最近は「今日は何の日」に頼りっぱなしです。昨日今日と「全国高校長協会」の総会と研究協議会が大宮のソニックシティホールで開催されたので、行ってきましたが、それについて書いても仕方ないので、「今日は何の日」に頼らせてもらうことにしました。今日は「ことばの日」だそうです。2019年に制定された新しい記念日です。日付は言葉の「葉」が5月の新緑の瑞々しさを表しているとの思いと、「こ(5)と(10)ば(8)」と読む語呂合わせから。「ことば」を大切に使い、「ことば」によって人と人とが通じ合えることに感謝し、「ことば」を正しく使って、暮らしをより豊かにすることが目的だそうです。漢字の「言葉の日」ではなく、ひらがなの「ことばの日」としたことには手話や点字など広い意味での「ことば」を知ってもらいたいとの思いが込められているそうです。言葉の大切さについて異論を差しはさむ人はいないでしょう。以下に「言葉」について私が書き留めてきたものを紹介します。皆さんも高校生活を通して、自分の言葉を増やし、大切に育ててください。

〇新約聖書に有名な言葉があります。「はじめに言葉ありき」です。これは、「言葉があるから、人は世界にある全ての物を、認知できるので、言葉は大変大事です。」と多くの人に誤解されている言葉です。言葉の重要性を説いているものではなく、「アルケーはロゴスなり」=「根源的原理は、キリスト(神の言葉)である。」という意味だそうです。言葉の大切さがわかっているから、逆に誤った解釈をしてしまうという皮肉な例です。

〇平安時代前期の『古今和歌集 仮名序』に「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」(和歌というのは、人の心をもととして、様々な言葉となったものである)とあるように、和歌に「言の葉」が使われていました。その後、「言の葉」が多く用いられるとともに、「ことば」にも「言の葉」の意味が含まれていき、「言葉」は言語を表す最も一般的な語となったようです。

〇戦国時代初期の武将の北条早雲の家法と伝えられる「早雲寺殿廿一箇条」に「歌道を心得ていれば、常に出言の慎みがある」とあります。これは、「歌道の心得のない人は、品がない。良く学び、常に言葉遣いに注意しなさい。迂闊な一言で胸中が悟られてしまうものだ。」という教訓です。歌は、きわめて短い言葉で自分の思いを表現しなければならない。そうした鍛錬が、日常の何気ない言葉にも顕れてくるとみていました。

〇口から出た言葉には魂が宿る。例え思っていなくても、「ありがとう」って言えば、「ありがとう」の心が出てくる。言霊(魂)は、よい言葉に宿らせたいですね。

〇古典落語の演目は、前座が演じるか真打ちが演じるかで、おもしろさがまったく異なってくる。話し方や間の取り方によって、言葉はまったく別物になるのだ。

〇言葉が相手に届き、理解されるためには、まず相手の身体に『響く』必要がある。

〇言葉が途切れる沈黙の時間は、語られる言葉と同じくらい人々の心に届いた。

〇社会の変化で辞書に載る言葉は今後も増えていくのでしょうが、日本語の使い手として大事なのは、いかに多くの言葉を知っているかより、使いたい言葉、使いたくない言葉の仕分けがきちんとできるかどうかでしょう。

〇言葉を使うというのは、ある意味で化粧をすることだ。言葉の力をつけるためにも、そして読解力をつけるためにも、一つの言い方ではない、もっと別の表現が      あることを知り、様々な表現を自分のものにすることが大事なのだ。そうすることによって語彙が身につき、読解力がついてくる。樋口裕一

〇人間は言葉でものごとを考えていますから、複雑な思考のためには自在に扱える言葉を増やさなければなりません。

〇自分が発した言葉は、情動を司る脳の奥の扁桃体という部位に影響を与えます。ポジティブな言葉なら、扁桃体もポジティブに反応して、感情が前向きになりますが、ネガティブな言葉なら、反対に感情が落ち込みます。ある心理学の研究では『緊張する』と話した人は『ワクワクする』と話した人より、テストの成績が10%も悪かったそうです。

〇自分の発した言葉で一番影響を受けるのは、実は自分だということもわかってきました。自分の言葉を一番多く聞いているのは、自分だからです。

〇「ことばを育てることは、こころを育てることである。人を育てることである。教育そのものである。」大村はま(国語教師、国語教育研究家)

〇ひとつの言葉でけんかして ひとつの言葉で仲直り ひとつの言葉で涙を流し ひとつの言葉で笑い合う
 ひとつの言葉であたまが下がり、ひとつの言葉でいがみ合う ひとつの言葉はそれぞれにひとつの心をもっている

あなたのソウルフードは?

 今日は、「お茶漬けの日」だそうです。永谷園が開発した「お茶づけ海苔」は、2012年に発売60周年を迎えたのを記念して創業者の永谷宗七郎の命日である1778年5月17日にちなんで記念日として制定したそうです。皆さんは、お茶漬けは好きですか。日本人のソウルフードといえば、何が思い浮かびますか。私は、塩むすびと味噌汁かなと思います。群馬県人だと、焼きまんじゅうもありですね。太田なら焼きそばですか。
 「フェルマーの料理」という数学と料理を結びつけたマンガがあります。(※「フェルマーの定理」は、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理です。多くの数学者が挑み、フェルマーの死後330年経った1995年に完全に証明されました。)このマンガの中に「数学と料理は似ている」というセリフがあります。「どこが似ているの?」と皆さんは思いますか。マンガの中で「甘鯛のポワレ 干し貝柱と生ハムのスープ仕立て」というお茶漬けを西洋風にアレンジした料理が出てきます。イノシン酸とグルタミン酸の相乗効果によって「旨味」の成分数値が跳ね上がるそうです。数学的思考が、料理に生かされるという設定がおもしろいマンガです。実際に数学的力を背景に日本人で三つ星を獲得した米田肇さんというシェフがいるそうです。彼は、高校で数学に没頭し全国模試で1位をとったほどで、大学では電子工学を学びエンジニアから料理人に転職した異色の経歴の持ち主です。皆さんが数学を学ぶことで身に付けている数学的思考力は、どんなところで役に立っているのでしょう。お茶漬けを食べながら、考えてみてください。

俺たちの旅

 1689年5月16日に、松尾芭蕉は江戸を立ち、東北・北陸を旅しました。『おくのほそ道』(奥の細道)は、全行程約600里(約2400km)に及ぶ徒歩による旅行記です。そんなことから今日は「旅の日」だそうです。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という冒頭部分は有名ですね。意味がわからない人は、すぐ調べましょう。芭蕉の生前最後の句であるとされる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」も有名です。旅というと、皆さんはどんなイメージをもつでしょうか。人生は、よく旅に例えられますが、様々な人との出会いがあり、楽しいことも辛いこともあります。「かわいい子には旅をさせよ」は、独り立ちするためには世間でもまれる必要があるという親心からでた言葉ですね。NHKの「小さな旅」が、ほのぼのとしつつも何か胸を締め付けられるような寂しさを感じるのはテーマ曲のせいでしょうか。「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」では、壮大な宇宙の旅が描かれています。旅の目的は何だったでしょうか。旅は一人でするもの、旅行は複数でするものというイメージがありますが、皆さんはどうですか。1978年に「いい日旅立ち」という歌を、山口百恵さんが歌ってJRのCMに使われてヒットしましたが、この旅も一人です。
 とんちの一休さんでお馴染みの一休宗純和尚の句に、「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」というものがあります。直訳すると「正月に飾る門松は、あの世までの旅中の私たちの道標である。正月を迎えるということは死に一歩近づくということだ。正月の何がめでたいものか」となるでしょうか。この句を通して、一休さんは何が言いたかったのでしょうか。「私たちは、いつ死ぬかわからないからこそ、明日死んだとしても悔いのないよう、今この瞬間瞬間を大切に一所懸命に精一杯生きようではないか」こんな感じに解釈できるかもしれません。戦乱や疫病などで、現在の安心安全な日本と比べものにならない時代ですので、なおさらでしょう。
 つらつらと旅について思いつくことを書き連ねてきましたが、最後に1日の旅のあとに起こったことの話を紹介します。
「今している勉強は、何の役に立つのか」という疑問をもったことはありませんか。次の物語を読んで考えてみてください。
 ある晩、遊牧民の群れが夜を過ごすための支度をしていました。すると突然あたりが厳かな光に包まれ、ついに天の声が聞こえてきたのです。「できるだけたくさんの小石を拾いなさい。その小石を袋に入れ、一日旅をするがよい。明日の夜になって、お前たちは喜び、また悲しむであろう」人々は失望と怒りを口にしました。神から大いなる啓示が下されると思っていたからです。ところが与えられたのは、小石を拾うというつまらない、彼らにとってはわけのわからない作業だけでした。それでも、人々はぶつぶつ言いながら、いくつかの小石を拾って袋に入れました。聖なる方の神々しさが、まだあたりに残っていたからでした。人々は一日旅をし、夜になりました。野営を張りながら小石のことを思い出し、袋から取り出してみたのです。すると、どの小石もひとつ残らずダイヤモンドになっていたのです。人々は、小石がダイヤモンドに変わったことに喜び、もっと小石を拾ってこなかったことを悲しみました」(『こころのチキンスープ 魔法の小石』ダイヤモンド社より)
小石とダイヤモンドは何を比喩しているのでしょうか。皆さんが、自分のこれからの人生で役に立たないと思いながら勉強していることがあると思いますが、そんな勉強によって何が身につくのか考えてみてください。

実力発揮!

 好天に恵まれ、高校総体1日目が終わりました。選手の皆さん、お疲れ様でした。引率された先生方、競技役員の先生方、ありがとうございました。

 選手の皆さんは、普段の練習の成果が発揮できたでしょうか。それとも残念ながら固くなってしまって、実力が出せずに終わってしまったでしょうか。本当は、「実力が出せずに」という言い方は、おかしいのですけどね。なぜなら、実力とは本番で発揮されるものをいうわけで、練習でのうまさは実力とはみなされないからです。残酷ですが、心技体がそろって実力と呼べるわけで、メンタルが弱くて本番に弱いとか、体調管理ができないとかは実力があるとは言えないわけですね。スポーツ選手にとって「メンタルトレーニング」というのは、非常に重要で、専門のトレーナーがいるくらいです。もちろん、受験もメンタルが重要ですよね。集中力やあきらめない心とか粘り強さ、レジリエンス(精神的回復力)とかは、一朝一夕に身につくものではなく、経験を繰り返すことで育まれるものです。

 以前にも書きましたが、最近では、テストで測れる認知能力ではなく、日常生活・社会活動において重要な影響を及ぼす能力である非認知能力が重要視されるようになってきています。学校行事やHR活動、部活動などの集団的活動、体験的活動は、非認知能力を育むのに有効であると考えられています。皆さん、教科学習以外の学校での様々な活動を通して、楽しみながら非認知能力を磨いてください。そうすれば、高校生活は益々充実したものになりますよ。

 それと、自分が試合をしていても、人の試合を見ていても気になることは、勝者と敗者の気持ちです。勝敗がついたときに、お互いにどんな気持ちになるのか。もちろん、勝った方はうれしいでしょうが、力を尽くして戦った相手をリスペクトしているかどうか。よく、健闘を讃え合うと言いますが、敗者は「悔しいけれどあなたのほうが強かった。次の試合、頑張ってね」と思えるか。勝者は、「今日はありがとう。次の試合は、あなたの分まで頑張るよ」と思っているか。試合に勝っても負けても色々な意味で成長しています。振り返りで気付き、自分の成長に生かせるかどうかが重要です。勝負を通して自分の心を育ててください。

明日は、天候が心配されますが、選手の皆さんの実力が発揮できることを祈っています。

人間の可能性

 今日は、ALSOKぐんま武道館で県高校総体の総合開会式があり、出席してきました。激励メッセージということで、郷土芸能、ペップアーツ、バトン、ダンスなどが披露され、最後に県内19校の生徒200人ほどによるダンス専門部の公開演技がありました。フロア一杯に広がってのダンスは見応えがありました。
 先日の5/6(土)に放映された「THE DANCE DAY 2023」のパフォーマンスでは、個性や創造性も素晴らしいですが、人間は練習すればどこまでできるようになるのだろう、どれくらい練習してここまで到達したのだろうと思うとともに、高校生の演技を見ても同様に感じました。そして、最近のAIの著しい進化を見ても、まだまだ人間の動きに近づけるロボットはできないだろうなと実感しました。開会式でのパフォーマンスは高校生らしく、見るものを感動させるものがありました。
 最後のダンスは、4色のTシャツで分けられた集団によるものでしたが、本校の体育祭での応援合戦で6団全員が踊っているかのように錯覚しました。6月には体育祭がありますが、応援合戦を楽しみにしています。ぜひ、独創的なダンスを作り上げてください。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。あっと忘れちゃいけない、明日から総体に参加する選手の皆さん、120%の力が出るように祈っています。

ファイト~、一発!

 今日は、体育館で高校総体の壮行会が行われました。ここ3年は、コロナのせいで壮行会というと会議室からリモートで行われることが多かったですが、パソコンの画面に向かってあいさつや決意表明、応援のお願いをするのは寂しいものです。昨年は、暑い中でしたが、校庭で全校生徒を集めて実施できました。太東の看板を背負って戦いに出かける仲間へエールを送れてよかったです。今年は、出張のため生徒の皆さんに話をすることができずに残念でしたが、教頭先生が代わりによい話をしてくれたと思います。
 昨年は、「最も手強い敵は、自分自身である」という話をしました。他人は騙せても自分は騙せません。勉強にしても、部活動にしても、困難なことに粘り強く取り組めているかを評価するのは自分自身です。「眠い」「疲れた」、どこまで頑張れば自分に勝ったことになるのか。そのラインを決めるのは自分自身です。人間は、自分の弱い心と常に戦っていると思います。勝負の時、自分はこれだけ練習(勉強)を頑張ったのだから大丈夫だと自信をもって臨めるか、それとも不安で緊張して実力を発揮できないか。大きな分かれ目ですね。ホームラン世界記録をもつ王貞治さんのエピソードと言葉を紹介します。
チームの優勝がかかった9回裏満塁の打席で。苦手なピッチャーを前に固くなっている自分に気付き、タイムをとった。バッターボックスを外してピッチャーや野手、観客席を見て気付いた。自分がホームランを打つためには、そのボールを投げてくれるピッチャーがいなくては始まらないではないか。考えてみれば「敵のピッチャー」とは、私がホームランを打つためのボールを投げてくれる「パートナー」ではないか。と思えた瞬間から肩の力がスーっと抜けたそうです。
「敵と戦う時間は短い。自分との戦いこそが明暗を分ける。」王貞治
皆さんの戦いは、まだまだこれからです。自分との戦いを勝ち越せるように願っています。

今日は「ファイトの日」だそうです。ファイトが出るエールをもらえた選手の皆さん、総体での活躍を祈っています。

黒板と板書に関する考察

 今日5月9日は、黒板の日だそうです。全国黒板工業連盟が、創立50周年を記念して2000年に制定し、翌年から実施しているそうです。語呂合わせと、アメリカから黒板が初めて輸入されたのが1872年5月頃だということから5月9日となったそうです。黒板の名前は、もちろん英語の「blackboard」に由来しますが、緑色なのになぜ?と思いますよね。当時の国産品の黒板は、木の板に墨汁を塗った上に柿渋を上塗りしたものや、漆を塗ったものが作られていて、文字通り黒板だったようです。その後、チョークの白い文字を見るのは、緑色のほうが目が疲れないなどの理由から、1954年に日本工業規格(JIS規格)の規定により、黒板の色は黒色から緑色に変更されたそうです。現在は、ホワイトボードが全教室に整備されている学校もあります。チョークとホワイトボード用のペンのどちらがいいかは、個人の好みによるでしょうが、チョークは粉で指が荒れるのが難点でした。そのためコーティングしてあるチョークもあります。指を汚したくない人のためにチョークホルダーなるものも販売されていますが、これも個人の好みによって評価が分かれます。書き味が、チョークで黒板に書く場合と、ホワイトボードに書く場合では随分と異なります。チョークのほうが手の力がいるので、たくさん書くと疲れます。指の力は鍛えられますけどね(笑)
 戦後、焼け野原で学校が再開したときは、青空教室と呼ばれましたが、もちろん黒板はありませんでした。昔、研修で先生方に黒板がなかったらどんな授業をしますかと問いかけたことがあります。皆さんは、黒板を使わない授業は想像できますか?もちろんパソコンもプロジェクタもありませんよ。プロジェクタで色々なものが映せるようになったことで、板書の役割も変わってきました。1時間の授業が終わった時、板書を見れば授業での思考の流れと重要事項がわかるようになっているかが大事です。あらかじめノートに書いてあることを板書するなら、ノートに貼れるようにプリントしたものを配付したほうがよいのではないかとは思いませんか。板書する時間と生徒が写す時間が節約できて、生徒の「思考・判断・表現力」を高める学習活動の時間がとれるのではないでしょうか。ICTを活用する一人1台パソコンの時代では、板書の意義は、授業のねらいを理解してもらい、見通しをもたせ、問いに対して授業の中で出てきた意見の整理とさらなる深化の視覚化と共有を図ることではないかと思います。これらをパソコンの画面で各自が見るのと、黒板を全員が前を向いて見るのとでは違います。パソコンの画面を見ていると生徒の表情が見られませんからね。生徒の表情を授業中に確認することは大事です。それでは限られた学習時間を、どんな学習活動に費やすのが「知識・技能」「思考・判断・表現力」を高めるのに有効なのか、皆さんも自分の学習を見直してみてください。

※下の黒板アートは、数年前に妻が勤めていた小学校の卒業式前日に、担任した6年生のクラスの黒板に娘二人と協働して描いたものです。

生きている or 生かされている

 GWも終わり、今週は高校総体ウィークです。皆さんは、どんなGWを過ごしたでしょうか。

 今日からコロナが5類感染症に移行しましたが、今後はコロナ感染が珍しいことになってくれればありがたいですね。我が家はコロナの影響(後遺症?)か、3人がGW中も体調不良だったため外出はほとんどしませんでしたが、5日の本校吹奏楽部の定期演奏会は行かせていただきました。本校の先生方や生徒がたくさん来てくれていて、チアリーディング部とフラ同好会の応援もあり、来場していただいた多くのお客様に楽しんでもらえたと思います。テーマの「日幸」にふさわしい演奏会になりました。それと4日に義父母の墓参りに行ってきました。昨年も5月3日のブログで書いていますが、菩提寺に二つの掲示板があり、そこに言葉が書かれた紙が貼ってあります。少なくとも月毎に変わっていると思いますが、昨年は「すぐやる 必ずやる できるまでやる」「なりたい自分になるのに 遅すぎるということはない」でした。今年は「何のために生きているのかだと行き詰る 何のために生かされているのか考えると やるべきことが見えてくる」「人生はご恩返し」でした。以前に、私たちは何か大きな力によって生かされているのではないか。それが「神」かどうかは別として。というようなことを書いた記憶があります。人間の生死には、運不運がつきまとうと思います。神風特攻隊で生き残った人が、「仲間はみんな死んでしまった。俺だけ、なぜ生き残ったのか」と嘆き、「何か理由があって生かされたのなら、それを考えて生きていこう」と思ったそうです。自分が生きている不思議なんて、普段は考えもしないことですが、心の持ち方ひとつで生き方は変えられるかもしれません。「生きているのが当たり前」と思うか、「生かされている奇跡」を感じるか。4月27日のブログ「哲学ってホント・・・」で「どう生きるべきか」という問いを取り上げましたが、ソクラテスの言葉と伝えられる「善く生きる」の意味を考えてみてください。ちなみにBenesse(ベネッセ)はラテン語の造語で「よく生きる」という意味です。

八十八夜

 今日は「お茶の日」だそうで、茶摘みの最盛期である「八十八夜」に当たる日を公益社団法人・日本茶業中央会が制定しました。「立春」から数えて88日目となる八十八夜は、年によって日付が変わり、近年では5月1日または5月2日となっています。今年は5月2日です。同会では国民の祝日「昭和の日」の4月29日から「こどもの日」の5月5日までの一週間を「緑茶の週間」としていて、全国的に茶摘み体験や新茶の試飲会など緑茶・日本茶に関するイベントが開催されているそうです。古くから「仙薬」と称されるほど八十八夜の新茶は栄養価が高いといわれているそうですが、「茶摘(ちゃつみ)」という歌を皆さんは、学校で習ったでしょうか。歌えますか。

夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る 

あれに見えるは茶摘みじゃないか 茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠

 皆さんは、普段普通にペットボトルでお茶を飲んでいると思いますが、昔はお茶は自宅でいれて飲むもので、缶やペットボトルで買って飲むようなものではありませんでした。コンビニのおむすびが普通になったように、缶やペットボトルのお茶を買って飲むのもごく普通になっています。伊藤園が缶の中に窒素ガスを噴射し酸素を追い出す方法により、茶の主成分カテキンの酸化を抑えて自然のままの味わいで製品化することに成功したことで、1980年に缶入りウーロン茶を開発したのを皮切りに、1985年には缶入り煎茶が発売され、1990年代後半にはペットボトルが普及して、さらにアウトドアで飲まれるようになりました。

 今年は、卒業生の記念になればと思って、伊藤園の卒業生へメッセージ付きオリジナルお~いお茶プレゼントに応募し卒業生分のお~いお茶が送られてきました。応募した学校から1校だけ、有村架純さんがサプライズで卒業式に来てもらえるという企画でしたが、そちらは流石に当たりませんでした。来年も同じ企画があれば応募したいと思います。

令和と皐月

 今日は、新しい元号「令和」が始まった日ですね。「令和」は「大化」以降248番目の元号ですが、元号は天皇の御代を意識させるものです。天皇の代替わりごとに元号が変わる「一世一元の制」が定められたのは明治からですが、それ以前は1代で何回も改元したり、数代の間1つの元号で通したりといったこともありました。これまでの改元時とは異なり、コンピュータが生活のあらゆる場所で影響を及ぼしている現在、新元号への対応準備の期間を確保する必要がありました。西暦だけなら問題なかったのでしょうが、2000年問題の騒ぎが思い出されます。憲政史上初めて新元号が改元の一ヵ月前となる2019年(平成31年)4月1日に「事前公表」されたのです。

 さて、今日から5月ですが、すっかり木々の若葉の緑が目に染みる季節になりました。5月は旧暦では「皐月」、英語では「MAY」です。ここでピンときた人は、「となりのトトロ」が好きな人ですね。そう、主人公の姉妹は「さつき」と「メイ」です。旧暦の月で女の子の名前に使われているのは「やよい」「さつき」「はづき」くらいで、英語は「メイ」以外見当たりません。最初は姉妹ではなく、女の子一人だったらしいですが、真偽のほどはわかりません。5月が若葉、青葉の季節であり、トトロの世界に合っていた季節なので、つけられたかどうかも不明です。旧暦では、4月から6月が「夏」になります。このため、5月である「皐月」が、夏の真ん中の月で田植の月という意味の早苗月(さなえづき)が省略されて「さつき」になったという説があります。ですから、「五月晴れ」は、もともとは「梅雨の晴れ間」のことです。ただ、現在は「5月のさわやかな晴れ」を指す言葉としても使われています。トトロの映画の中で、雨が降っているバス停で、隣にトトロが立っているシーンが思い浮かびます。高校総体が、「五月晴れ」の中でできることを祈っています。

※ちなみに、同じように誤解されやすいのが「小春日和」ですが、こちらは「晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天の日」を指します。

缶ジュースからの未来考

 今日は、日本初の缶ジュースが発売されたことから「缶ジュースの日」だそうです。1954年の今日、明治製菓株式会社が「明治天然オレンジジュース」を発売しました。当時は「ビン詰」のジュースが一般的で新発売の「缶詰」のジュースには、現在のように缶を開けるプルトップは付いておらず、缶切りで開ける必要がありました。1957年、明治製菓から缶の上部に小さな缶切り(オープナー)を付け、缶切りで飲み口と空気穴の2ヵ所を開けて飲む「缶切り付缶ジュース」が発売されました。私もギリギリ、この穴を開けて飲むジュースを覚えています。今の子どもたちは、缶切りさえ使ったことがない子がほとんどだと思いますので、この缶ジュースはどうやって飲めばよいかわからないのではないでしょうか。今は、ペットボトルとアルミ缶が主流ですが、びんのジュースもほんの少し残っていますね。昔は、酒屋さんにビールやキリンレモンや三ツ矢サイダー、リボンシトロンなど、びん入りの飲み物を1ダースのケースで頼むことが多かったです。再利用のため空きびんを返すことで、1本あたり5~10円のお金が戻ってきました。今ではびんビールなどのびんの飲み物は一般家庭で飲むことはほとんどなく、飲食店のみのような感じですね。私が中学生の頃は、部活帰りにびんのコーラやファンタなどを買って、自販機についている栓抜きで開けて飲むのが普通でした。びんのふたの内側に「当たり」で50円とかもらえるものもありました。

 新しい技術が開発されれば、失業する人たちが出て来ることは歴史の必然です。アニメ「母を訪ねて三千里」の中で、マルコ少年のびん洗いの仕事が、びんを洗浄する機械が発明されたため、なくなってしまう話がありました。産業革命の時のラッダイト運動(機械破壊)のように、仕事がなくなってしまう人が抗議行動を起こすことは、当たり前です。明治時代には鉄道や路面電車の開通で、人力車夫が労働組合の原型ともいうべきものを作って反対しました。OA化の波、ワープロの普及により、タイピストの仕事がなくなるとか、事務員が減らされるということもありました。現在はというと、AI化の波によって、2045年と予想されたシンギュラリティ(AIの発達が人間の生活を大幅に変える特異点)が大幅に早まる可能性が出てきました。先日取り上げたChatGPTが、現在地方自治体や大学などで、その使用の是非について論議が続いています。以前に「生き残る職業、淘汰される職業」という風に、メディアで特集が組まれることもありましたが、それも現在では更に変わっているようです。将来的に、どの程度まで人間がAIに追いつかれ、追い越されることになるのかはわかりませんが、AIに代替されない能力を身に付けていく必要があることは明らかです。例えば、家電メーカーの開発者は、電気炊飯器やパン焼き機などに、職人の技をいかに数値化して再現できるかを研究してきました。人間のもつ感覚をどれだけ数値化して機械に再現させられるか、ロボットの開発はその追究です。ただ、SF小説のフランケンシュタイン博士が作ったような人造人間を創り出すことは、まだまだ無理です。「生命の創造」は「神の領域」です。人造人間と人間の共生をテーマにした小説もありましたが、人間が考えたことは現実化してきましたので、そんな社会がくることを否定はできません。私たちは、「働かなくても生きていける世界がやってくるのか、その世界は幸せな世界か」ということを考えつつ、今後人間として身に付けるべき人間らしい力とは何かを考えていかなければなりません。皆さん、頑張って勉強して思考力と非認知能力をつけましょう。

哲学ってホント・・・

 今日は、紀元前399年に古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、獄中で毒を飲んで亡くなった日ということで「哲学の日」だそうです。高校の現代社会や世界史、倫理の授業で教わる人ですが、倫理の授業以外では詳しくは勉強しないので、知らない人も多いかもしれません。ソクラテスと言えば「問答法」「無知の知」「善く生きる」などがキーワードです。現在、新しい学習指導要領のもと「主体的対話的で深い学び」ができるように、学習活動が工夫されているわけですが、「対話的」とは、生徒同士を始めとして、様々な人との交流を通して学び気付く学習活動です。そこには書物を通した先人との対話も含まれます。ルーツはソクラテスの問答法ですね。ソクラテスは、対話的問答を通じて相手にその無知を自覚させようとした(無知の知)わけです。

 哲学って難しそうなので、わかりやすい説明はないかと思って探してみました。世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問という説明がありました。私は、哲学とは、この世の中のあらゆる「なぜ?」について探究する学問であり、人間についていえば「どう生きるべきか」を考え続ける学問であると思います。最後に対話の大切さについて述べた文?を紹介します。自分の周りにどんなピースがあって、その中からどんな自分が浮かび上がるのでしょう?

 「結局、人はジグソーパズルの最後に残ったピースみたいなもの。周りが埋まって初めて、残った空洞の形=自分が浮かび上がってくる。つまり、周りにいる人や環境がとても大切だということです。いろいろな人と交わり刺激を受けないと、物事も自分も進化しません。」樋口直哉(小説家)

豊かさと安全

 1986年の今日、旧ソ連のウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で、大爆発事故が発生しました。放射性物質の拡散により、周辺30kmの住民が避難を余儀なくされました。数十年間に及ぶ地球規模の汚染が心配され、事故後、欧州では放射能パニックが起こりました。国際原子力事象評価尺度によれば、レベル7で、福島の事故と同レベルです。当時は、小麦をはじめとする多くの食物が放射能に汚染されたとニュースになり、ミュージシャンは原発反対の曲を作り、漫画家は原発を風刺するマンガを発表しました。「危険な話 チェルノブイリと日本の運命(広瀬隆著)」はベストセラーとなりました。マンガの宇宙戦艦ヤマトは、ガミラスの遊星爆弾による放射能に汚染された地球を救うために、放射能除去装置(コスモクリーナー)を受け取りにイスカンダルへ旅立ちましたが、テレビ放映は1974年です。放射能を無害化する装置が発明されれば、間違いなくノーベル賞ものでしょうが、まだ発明されそうもありません。今年3月になって、核融合科学研究所(岐阜県土岐市)が米核融合スタートアップのTAEテクノロジーズ(カリフォルニア州)と共同で、水素とホウ素という新たな燃料の組み合わせによる核融合実験に成功したというニュースがありました。今回の方法は放射線である中性子が発生しない点で優れているということですが、安全なエネルギーが開発されることに期待したいと思います。原発や原爆では、核分裂エネルギーが使われますが、水素爆弾では核分裂反応を引き金に核融合反応を起こさせて、原爆よりも桁違いの爆発を起こします。安全な核融合エネルギーが実用化されれば、すごいことです。水・食糧・エネルギー問題は、人類の歴史上変わることなく続いていますが、戦争なく豊かさを世界の人々が享受できるために、科学者の方々には頑張ってもらいたいです。

もっと癒やしを!

 今日は、「ギロチンの日」「世界ペンギンの日」というのが目を引きました。1792年の4月25日、フランス議会でギロチンが正式に処刑道具として認められたことから、「ギロチンの日」となりました。ギロチンは発明した人の名前からきていますが、もともとは残酷な処刑道具ではなく人道的な処刑道具として開発されました。フランス革命で教わりますが、知らない人は調べてみてください。

 さて、ギロチンで話を広げると、処刑道具や処刑方法の話に発展してしまい物騒なのでやめて、ペンギンについて書きたいと思います。私は、ペンギンが好きなので、書斎にペンギンのぬいぐるみやフィギュアがあります。特にイワトビペンギンが好きです。池袋のサンシャインシティ水族館の空飛ぶペンギンを観に行きたいと常々思っているのですが、行けそうで行けないでいます。水族館で、魚たちをぼーっと眺めていると癒やされますね。特にクラゲやマンタやジンベエザメなど、ゆったりとした動きのものがいいです。昔、パソコンのスクリーンセーバーで水槽で泳ぐ熱帯魚を使っていましたが、疲れた目に心地よかったです。皆さんが疲れた時に癒やしてくれるものは何ですか。

※本日、コロナから復帰し部活動編成はどうなったかなと、各部の入部者名簿を覗いてみました。まだ入力されていない部もありましたが、それでも1年次生の入部者数の合計が200名ほどになっていたので、大変嬉しく思いました。これで入部を締め切ったというわけではありませんので、これからも友達を誘ったり誘われたりしながら、楽しく活動できる部活動を見つけてください。

世界で一番美しい花は?

 昨日4月23日は「ぐんま花の日」だったのですが、皆さんはご存じでしたか?群馬県と、県内の花と緑に関する26団体が2002年(平成14年)に制定したそうです。4月23日~29日が「ぐんま花と緑の週間」であり、これらの日を中心に、群馬県前橋市にある「ぐんまフラワーパーク」を主会場として「ぐんま花の日 県民フェスティバル」などのイベントが開催されているそうです。皆さんは、「ぐんまフラワーパーク」に行ったことはありますか?私は、数回行ったことがありますが、最後に行ったのは2015年でした。そのフラワーパークも1992年4月に開園してから30年たつため、3月から休園になり、リニューアルして2025年4月にオープン予定です。どんなふうにリニューアルされて、また様々な花を見せてもらえるのか楽しみです。
 先日は桜とハナミズキのことを書きましたが、皆さんは花と言えば何を思い浮かべますか。本校でもたくさんの花が見られますが、じっくりと見たことはありますか?人間、余裕がないと道端の花にも気付きませんよね。作家の加藤周一さんのコラムに「小さな花」というのがあります。その冒頭は「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」です。加藤さんは、1960年代の後半にヴェトナム戦争に抗議してワシントンに集まった人たちが、武装した兵士達と相対して地面に座り込み、その中の一人の若い女性が眼の前の無表情な兵士に向かって差し出した一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろうと書いています。それは、星の王子様が愛した薔薇や、聖書に書かれた野の百合と同じくらい美しいと例えています。彼は、なぜ一輪の小さな花を美しいと感じたのでしょうか。小さな花は、何を表しているのでしょうか。この花から私が連想した曲は、SMAP.の「世界に一つだけの花」やORANGE RANGEの「花」ですが、皆さんは「どんな花が世界でいちばん美しいだろうか」で思い浮かぶ曲は何ですか?これから「世界で一番美しいと自分が感じる花」を探していきましょう。

「やる気」はどこから?

 私は、「やる気」について1学期の始業式の式辞と新入生のオリエンテーションの講話で昨年に引き続き、皆さんに話をしました。某学習塾のCMで「やる気スイッチ」が使われるようになったのは、2009年のことで、まだ皆さんが幼稚園に行っていた頃のことでしたが、まだ続いているようですね。このCMを親子で見ていて、どんな会話がされているか興味がありますが、「〇〇のやる気スイッチは、どこにあるんだろうねぇ」などと言われて、嫌な気持ちになった子どもも少なからずいたことと思います。「やる気」は、大人になると「モチベーション」という言葉に変わり、「社員のモチベーションを高めるには、どうしたらよいか」がテーマになってきます。

 やる気は、同じ人ならすべての活動に同じように出るものではありませんし、それを測る物差しを誰も持っていません。好きなものや興味のあるものならまだしも、そうでないものに「やる気」を出すのは、口で言うほど簡単なことではありません。ただ、「やる気がでないからできない」は間違いで、「やる気スイッチ」は誰かに入れてもらうものでも、自分で入れるものでもなく勝手に入るものだと私は思っています。勝手にスイッチが入るためには、次のステップが必要です。まず①やってみる。②できるようになる。(勉強や仕事の見通しがつく)③やる気がでる。(目標を達成できる目途が立つ)これが本当だと思います。①やる気がでる。②やってみる。③できるようになる。ではないと思うのです。もちろん、人によって個人差はあるので、一概には言い切れません。(色々なことにやる気をもって取り組める人もいます) 私事で言えば、手をつけるのを躊躇している仕事(やる気がでない仕事)でも、えいやっと始めれば意外とやる気モードになって仕事が進んだりします。勉強も、10分だけやろうと始めて気がついたら1時間過ぎていたというのが理想じゃないかなと思います。1時間、2時間やらなくちゃと思って始めるよりも、結果的に2時間勉強してしまったというほうが気分がいいと思います。最後に一つ、言葉を紹介します。
 「自分を鏡で見ることができる人は練習します。モチベーションのスタートは恥ずかしさです。”このままの自分では終わりたくない”ということです。」
今の自分を客観視して、高い目標を定めて一歩を踏み出してください。3年間は短いです。
※皆さんにとっては、「やる気」「モチベーション」「意欲」のどれが最もしっくりきますか?

「生・命・健」

 昨年10月に、こども園の送迎バスの車中に置き去りにされ、熱射病で当時3歳の女児が亡くなる事件がありました。今朝のニュースで、事件後半年経って父親が胸中を明らかにしていました。私も二人の娘の父親ですので、娘の小さい頃と重なって涙なしには見られませんでした。

 保育園・幼稚園・こども園・小学校・中学校・高校といった幼児・児童・生徒を預かる施設は、命を預かっているので「安全・安心」が第一です。それが保障されなければ生活や勉強どころではありません。事故やいじめがないように先生方は日々細心の注意をして子どもたちを見守っています。体育的行事や体育、部活動などでケガをしたり熱中症にならないように事前指導を行い、活動中も様子をよく見ています。「エピペン」や「AED」の校内研修を行い、運動や食事などで注意を要する生徒の情報を共有し、万が一に備えています。県の教育委員会からも体育施設の視察があり、危険箇所のチェックと指導があります。将来の危険を予測する力が求められるわけですが、「このくらい大丈夫だろう」という気持ちが事故につながります。雷が遠くで鳴った時に、昔なら「まだ大丈夫」でしたが、死亡事故が起こってからは、すぐに活動を中止して避難するようになっています。
 親にとっては、子どもが元気でいてくれることが第一ですので、皆さんも校訓の「健」にあるとおり、より健全な心身をつくれるよう主体的に鍛練し、心身の自己管理ができるようになってください。

同好の士を!PART2

 昨日は、コロナ感染のため高熱でブログを書くことができませんでしたが、なんとか今日は平熱近くまで下がったので、短時間で書こうと思いました。

 本日は、部活動編成の日で、各部への入部希望者が割り当てられた場所で入部届けを提出します。昨年もこの時期に2日間かけて活動している部活は全部見て廻りました。今年は、来週廻りたいと思います。1年次生が入ってくると、活気が出てくるし、先輩としてしっかりしなくちゃと思って生徒の皆さんも気が引き締まりますよね。運動部でも文化部でも、同じ趣味嗜好の人の集まりですから、きっとHRのクラスとは違った友達ができると思います。運動部で言えば、集団競技と個人競技、個人競技でも団体戦がありますね。集団競技でも敵と入り乱れるものとそうでないもの、敵と入り乱れるものでも接触が当たり前のものとそうでないものなど様々なバリエーションがあります。たくさんあるスポーツの中から自分に合ったものを選んだわけですから、それを選んだ皆さんは同好の士ということになります。文化部の皆さんは、活動日数が1~6日と幅があると思いますが、兼部して新しいことにチャレンジすることで、新しい自分を見つけられるかも知れませんよ。ぜひ、気の合う仲間をたくさん作って高校生活を楽しいものにしてください。

ChatGPTからの未来予想図

 今日は、巷で話題になっているChatGPTについて書きたいと思います。私は新し物好きなので、面白いなとかいいなと思ったものは、すぐに試したり買ったりしてしまうのですが、ChatGPTとAIによる画像作成ソフトもすぐに試してみました。正直言って大変驚きました。「ChatGPTの普及によって予想される問題を教えて」に対する回答を受けて、さらに「小学5年生でもわかるように教えて」と質問すると、以下の回答がありました。
1 ウソの情報が広まる問題: ChatGPTは多くの情報を学習しているため、ウソの情報も学んでしまうことがあります。それが広まると、みんなが間違ったことを信じてしまうことがあります。
2 人間が仕事を失う問題: ChatGPTが進化すると、人間がやっていた仕事を機械がやることができるようになるため、人間がやる仕事がなくなってしまうかもしれません。
3 感情や文化の理解が難しい問題: ChatGPTは、人間の感情や文化の理解が難しいため、間違った返答を返すことがあります。それが原因で、人々が不快になることもあります。
以上のような問題が起こる可能性がありますが、ChatGPTは、私たちの生活をより便利にするためにも、とても役立つ技術です。ただし、この技術をうまく使うためには、正しい情報を見分ける力や、機械に仕事を奪われないためにも、自分たちが何ができるかを考えていく必要があると言えます。
 どうでしょうか。この回答は1秒と待たずに出てきました。現在、ChatGPTを始めとするAIを活用したソフトについて解説する動画がたくさんアップされています。作文や感想文を書き、要約もしてくれます。相談に対してカウンセラーのように答えてもくれます。作成したい画像のキーワードや注文を書き込めば、たくさんの画像を作成してくれます。そのクオリティは普通のイラストレーターを失業に追い込むほどです。そのほかに動画作成や作曲ソフトもあります。音声認識と翻訳機能が発達して、AIと会話しながら仕事を進める未来も近いのかもしれません。皆さん、そんな未来を見据えて、汎用的な能力を身に付けられるよう頑張っていきましょう。
※「いじめをなくすにはどうしたらいいの?」「なぜ、人を殺してはいけないの?」などAIならどんな回答をしてくれるだろうという質問をいくつかしてみました。十分満足のいく回答は得られませんでしたが、教科書的な模範解答は得られました。質問を繰り返して深掘りしていけば、もっと違う回答も返ってくるのかもしれません。出てきた回答に対して無条件にそれを受け入れてしまえば、人間は「考える葦」ではなくなってしいます。AIを活用して、さらによいものを作り上げていくための努力を怠らないようにしたいものです。

夢と道

 私は学校にいる時の昼食は、大体ヤフーニュースを眺めながら食べています。今日見たトピックに今年の東大入学式での祝辞がSNSで話題を呼んでいるという記事があったので、読んでみました。祝辞をしたのは、低・中所得国での感染症対策を支援する国際機関「グローバルファンド」で保健システム及びパンデミック対策部長を務める馬渕俊介さんです。祝辞の中で印象に残ったところは下記のとおりです。

〇自分の夢に関わる本当に好きなことをやらないと、それを徹底的に突き詰めることはできません。また、好きなことをやってないと、幸せの尺度が「自分が他人にどう評価されているか」になってしまう。それではうまくいかないときに持たないです。他人の評価を気にする他人の人生ではなく、自分がやりたいことに突き進む自分の人生を生きてください。

〇夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見つけることはできないということです。夢が見つけられないというのは、ほとんどすべての人が抱え続ける悩みですが、夢は、待っていれば突然降ってくるものではありません。探し続けて、行動してみて、その中で少しずつ「彫刻」のように形作っていくものだと思います。周りに流されず、自分の興味のままに、探し続けてください。そしてそれが一番自由にできるのは、今からの4年間です。

 以下は馬淵さんが、松下幸之助の「道」という書から引用した座右の銘です。

“自分には自分に与えられた道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。”

 道と言えば、高村光太郎の「道程」にある“僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る”や徳川家康の“人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。”が有名ですが、俗っぽいところでは、テレビドラマ「水戸黄門」の主題歌の歌詞“人生楽ありゃ苦もあるさ涙の後には虹も出る 歩いてゆくんだしっかりと自分の道をふみしめて”も年配の方には、よく知られていると思います。

 3月16日のニュースで、第一生命保険による「大人になったらなりたいもの」の調査で、男子は小・中・高校ともに「会社員」が三年連続の1位となり、女子も3年連続で「パティシエ」が1位に輝きました。この結果に「夢がないねぇ」というのは簡単なのですが、子どもは世の中と大人を冷静によく見ているとも言えます。会社員と言っても色々な業種・職種がありますので、幅がありすぎて参考にならない解答とも言えます。

 夢は、ただ待っていても叶えられるものではありません。自分の夢を見出し、叶えるために、自分の行く道をしっかりと見据えることができるかは、皆さんの主体性にかかっています。生徒の皆さんが、高校で、もしくは大学で夢を叶える自分の道を見つけられるように願っています。そのサポートは太東の先生方に任せてください。

主体的に高校生活に取り組む態度「A」

 今日は、対面式と部活動紹介、体育祭の団色決めがありました。体育館に全校生徒が集まったのは3年ぶりです。幸せな光景でした。私が高校1年生で対面式での洗礼を受けたのは、45年前のことでしたが、上級生に圧迫されて入場したのを覚えています。太東では、優しく面倒見のよい先輩が、入場と退場時に花道を通る1年次生に温かい拍手を送ってくれました。部活動紹介では、凝った動画による紹介やステージ上での部員による紹介、ステージ下でのパフォーマンスなど、盛りだくさんで、1年次生だけでなく、上級生も楽しんでいました。吹奏楽部の演奏からチアリーディング部の締めのパフォーマンスまで、長時間に渡りましたが、中身が濃く短く感じました。ボクシング部の練習風景やフラダンス同好会のダンス、少林寺拳法部の演舞、チアリーディング部のパフォーマンスはなかなか間近で見る機会はないので、1年次生は「高校ってすごい!」と思って見ていたと思います。体育祭は、1年次生から3年次生をクラスごとに立て割りにして6団作り、6団での対抗戦になります。3年次の各クラスから一人ずつ団長が選ばれ、団色決めを行い、必勝表明をし気勢をあげました。きっと盛り上げてくれることでしょう。

 高校は小・中学校と違って生徒数が多いので、色々なことに興味をもって、チャレンジすれば、必ず自分と趣味の合う友達、気が合う友達が見つかるはずです。体育祭を手伝ってくれる有志を募っていましたが、自分から動くことで得られるものも多くなります。ぜひ積極的に参加してください。部活動では、2足の草鞋を履いている人も多いので、時間を有効に使って勉強以外にも打ち込める好きなものを見つけてください。それが勉強にもいい影響を与えて相乗効果を得ることができます。高校生活を充実したものにするために、ぜひ主体的に取り組んでくれることを期待します。